日〇のCMの出でている大根について その1

先日、巨大な全国チェーンのパーツ屋さんと、ある趣味のお店で雑談をしてた。
その時に、日〇自動車の話が出た。
私に向かって、「ほんとに、日産自動車嫌いなんですね」と云われた。
耳寄り情報として、日〇と◎菱の特定の車種の補修交換パーツがよく請求されるそうな。
販売店からではない。
当然一般的な自動車修理工場から来るのだという。
曰く、この調子だと、日〇も、〇菱も、リーコールがでるぽい感じと言っていた。
日〇は、ひどくて、毎日の様に注文が入るそうな・・・。
「やっちゃってるよね日〇自動車」と云った。
そこで、ふと2月にあった古い友人の言っていたことを、急に思い出した。
某元タレントのことである。同性のによる社員への性的な暴行問題関係で大揺れの会社の社員。
昔、ユニットで活動して今は独り立ちしている役者のことである。
その役者は、元タレントで、スタイルを変えないことを是としているように装っている。
役者としては、役作り、役に没入する努力しないので有名である。
つまり、役者としては大根である。
35年ほど前、私が家庭教師時代に教えてた娘が、その役者を評して「○○くんかわいい」と言っていたが・・・
日〇のCMで
「やっちゃえ日〇」
とか云うのを見た人が、
「あの広告やばいよね~、やっちゃえば勝ちみたいな雰囲気だよね」
と云い、
「あの○○が云うとう、無法な感じが増幅されるよね」
そうして、
「やっちゃった日〇の方がしっくりくるよね~」と云った。
そう思う、理由は、最近、日〇自動車の同一番号の修理パーツの注文、出荷が多いからである。
現在の日○自動車の販売の主力である。
実さい、街中でよく見る。
曰く、開発途中で、問題があっても、「やっちゃえ」の精神で売りに出したかな?
新型車ないから販売台数激減だったから、新型者を出すことが最優先で、スケジュール修正できないので、売り出しちゃったかな?
とか考えてしまう。
某友人は、日〇自動車の悪くなつた理由を、暴論的にその某タレントがCMに出ているからだろうという。
私の某友人は某タレントを「大根役者」と言うのである。
個人的な意見ではあるが、この「大根役者」という点では一致している。
以前、話をしていた時に、ドラマの話になった。
私は、ほぼテレビを見ないので、今のドラマは見ないし、今の演技は知らない人である。
最近、見ないというブルーレイで焼いてくれた・・・いらないなぁと思いつつも見ないと怒られるので見た。
あいも変わらず役者ではなくて、タレント風で、ドラマ=自分の背景ぐらいにしか思ってないだろうなと思った。
だって、役柄なんて全部無視だもの、1から10まで大根役者のイメージ通り
服が違うだけ。
いつも思うのは、よくこんなの使うなぁである。
視聴率がとれてる頃はよかったけど、最近は低迷らしい。
視聴率も、どうなんだと思う。
大根のわき役がすごすぎて、大根を見る人以外も沢山いるから、視聴率はいいんだろうなと思う。
女優さんは、大体、主役級。
脇役もほぼ主役級・・・そこ迄固めると、数字よくていい筈である。
だから、インチキだなぁと思った事がある。
昔、この大根が、ト〇タのCMに出ているの見て、日〇自動車の愛好者である某友人は
「ト〇タみたいな田舎者には大根(大根役者)が似合うわ」
と言っていた。
日産のCMに出るの見て、
「日産の将来ない、だって田舎のトヨタに棄てられた大根使うんだもの」

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三重県民が土民(弱者保護の基本的な交通ルールさえ守れない住民)だったはなし

ここ数日で、仕事と私用で三重県某市と某市ヘ行きました。
いつものことですが、道路は危険がイッパイ。
これ又、警察の予算がないのか、人が居ない前提なのか信号のない横断歩道が沢山ある。
滞在時間6時間ほどでしたが、11箇所の信号のない交差点を歩いてみました。
横断歩道で、横断者がいても止まらない全国ワーストな県だと実感できた次第である。
素晴らしいことに、女性の運転マナーは極めて低い。
2日間で、信号のない横断歩道で足をかけて待っている状態で、軽自動車を運転する女性の100%が、止まりません。
普通乗用車の女性の方(年齢を問わない)も、100%止まりません。
高級車にお乗りの女性の方も、100%止まりません。
これも、面白いと云えば面白い。
車線変更をするような車線の多い道路はほゞありませんが、時に、前にわざわざ回り込んでウインカー出さないで車線を異動するのもいた。この走り方、昔、名古屋走りともいわれていたが・・・
多分、周囲を一切、見てもいない
名古屋市内で多いのは、頭下げながら横断歩道を横切るババアである。
この名古屋市で見かける頭下げて走り抜けるのは高い車、高級車に乗ったおばあさんが多い。
好意的に解釈すれば、多分気が付くのが遅いと思いたいが、多分、そんなことはない。
気が付いてはいるし、止まらべきだと思いつつ、無視である。
質(たち)が悪い。
若手の女性は、外車、高級車に載っている人はほゞ99%止まらない。
ごくごくまれに止まる。1か月に1回ぐらい?
普通自動車の場合は、90%ぐらい止まらない。
10日に1回ぐらい時々止まる。
名古屋、三重のジジイは、横断歩道で待っている歩行者には目もくれず、ほぼ当然のように通過する。
車種は問わない。
認知症があるのは、横断中に、つ込んでくる。
急ブレーキである。
今回の三重県では、大体、2から 5台目(10台目)で止まりました。
2個所、5から10台通過して、車来なくなった時点で渡りました。
一台目で止まったのは1箇所のみ。
しかも、名古屋ナンバーの社用車
2台めで止まったのは、3個所。
比較的若い若葉マーク付きが2台。
もう一台は、バス・・・・
3台目で止まったのは、2個所
若葉マーク1台、警察車両((パトカーーではない)・・・・・
4台目で止まったのは、2個所。
4台目の多くは、3台、社用車、残り2台は、比較的若そうな男性
5台めで止まったのは、1個所
これは、三重ナンバーのプリウスの40代ぐらいの男性、全部通り過ぎないと、渡れないかなと思ったら、止まった。
この時、後続車なし・・・通過してもいいような感じだったと思う。
因みに、横断中のに横切ったのは岐阜ナンバーの社用車、ネクタイ付き2人乗車・・・・
流石、岐阜の土民は一味違うと思いました。
去年、伊勢に行った時は意外と止まった。
マナーが進歩したと喜んでいたが実際は、伊勢の特殊事情かもしれない。
比較的、有名ドコロな松阪、四日市、津も止まらない。
もっとも、岐阜は、100%止まらない。
愛知県内で、日産のノートに乗ったTシャツの兄ちゃんスマホ見ながら運転している。
同じ時間帯で3回ほど見かけたが、毎回、スマホ見てスルー
全地域共通の事実は、朝から晩まで、全の時間帯で、全女性、ほぼ全員100%横断者無視
あと、あいも変わらずベビーブーマー世代のジジイババア、完全無視
酷い爺がいた、自転車に接触して、ばあさんを倒した。
横を通ると
「おみゃみたいなクソたわけが、あんなところ、走っとるのが悪い」(かなり汚い緑区大高町辺りの百姓の使う名古屋弁)
意訳
(あなたみたいな、人間のクズが、道路上を自電車なんかで走っているのが悪い)
と怒鳴っていた左側走行中の老婆の自転車をT字路で曲がりきれずに後ろからぶつけたようである。
どっちがクズて?
爺の方だと思うけどね~

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気持ちの変化

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某女史は、気がついた。
昔の男に会いたい自分がいる。
そのころの彼女の気持ちには、悪意はなかった。
流産をして、親に無理やり別れさせらたという気持ちが強かった。
親の言い草は、あんな若造である。
たしかに9歳も年下である、でも、実際の年よりは老けて見える。
女のほうが早く年を取る。
男は、浮気に走るからダメだと言う理論である。
それに、男からなんの連絡もしてこないとも言った。
だから、彼女は、最初の頃は、弄ばれて、捨てられたんだと思った。
二十歳そこそこの男が、あんなテクニック持ってつほうがおかしいとも思った。
親の言う事も、正しいような気がした。
そこで、ある意味、憎しみさえ持った。
自宅で療養してほしいと親に言われて、名古屋のマンションを引き払つた。
神奈川の実家で療養して、親の意向もあつて本社勤務で復帰。
二回目の離婚後、実家に帰っていた。
ある時、家の外にあった小屋を壊して、最新の物置小屋に置き換える事になった。
彼女が、荷物を選別をすることになった。
大体は使わなくった道具類があった。
隠すようにしまい込んだ風月堂の金属缶が出てきた。
ビニールの袋に入っている。
目張りがしてあった。
表に、手紙入れと書いた紙が貼ってある。
彼女が名古屋に住んでいた頃に使っていた缶で、親は、空き缶だと思って捨てたといっていた。
何となく気になって、親には黙って、缶は家に持ち込んだ。
そうして、新しい大型の小屋が来る前に、捨てるものの選別は、彼女のシゴトだった。
とりあえずガラクタは捨てて、とっても、乳母車、三輪車、子供用自転車、壊れた草刈り機、赤ん坊用のセルロイドのガラガラ・・・は捨てた。大型の蓄音機、レコード、本、雑誌といつた紙類は残した。
固く縛ったビニール袋に入れてあり、乾燥剤も入っていたから、中に湿り気はなかった。
缶の中には自分が入れたシリカゲルが残っていた。
ドキドキしながら開けた。
懐かしいブルーのインクの文字が目に飛び込んできた。
彼だわ、と思い捨てようかと思った。
でも表に「転送」の紙が貼ってあった。
彼女が神奈川の家に帰ってから名古屋から転送で届いているのが何通もあった。
裏には、私の住所名前の縦判が押してあった。
一瞬捨てようか思った。
でも、転送の紙が貼ってるということは、彼女が名古屋を引き払った後に届いた手紙だと気が付いいた。
そこで、批判的な目で読む気になった。
一番上のを封書を開いた。
1枚の便箋、「お元気ですか」で始まり、「今度、米国へ行きます」と書いてあった。
「多分、二度と会えないかもしれないから一度会って話がしたい」と書いてある。
彼女は、急に、会わなきゃと思った。
でも我に返った。
その時で、15年以上前の手紙である。
見ると、新し手紙を上に載せたのだとわかった。
その前のを読むと、お元気ですか?と書かれて近況が書いてあった。
短信であったが、手紙自体は、たくさんあった。
その内、メモがあった。
日付けが、かいてある。
大切な話があるのにどうして来ないの?
から始まり
怪我をしたと聞いて心配しているとかいてあって。
その後は、ハガキや封書だった。
中身を読んで、「私、捨てられたんじゃ無かった」と気がついた。
彼から見れば、私が捨てた事になっているということに気がついた。
その時に、心に小さな恋心が浮かんだ。
それから、名古屋への転勤を望むようになった。
しかし、なかなか実現はしない。
本社が離したがらないということだつた。
現在、名古屋とのつながりはない。
あるのは母親の実家である。
そこで時々、祖母の家の管理に名目で名古屋に来ることにした。
彼女が使っていた部屋の仲を探すと、私の手紙の一部があった。
これは転送が貼ってない、名古屋の住所のママだ。
読むと、○○前で、一時間も待ったが君が来ない。
どうして来ないにかと思い悩んでいた
英語学校の友人に、同じ会社の友人がいいると云っていた人がいたので、聞いたら、怪我をしたと聞いている。
心配だから連絡が欲しいと切々と書いてあった。
未練たっぷりな感じが読み取れた。
同じような内容の手紙があった。
そうして一番下ん手紙は少し厚かった。
開けてみると、かざりのない指輪が出てきた。
あの待ちあわせの日、結婚を申し込むつもりだったから、安物で悪いけれど、指輪を買ってあった。
これを君に送る
要らなかったら捨ててもらえればいい」
刻印は、「愛する君へ」と彫り込んであった。
彼女は、自分の粗忽さで、工場内をヒールで歩いて転んで流産したことを、後悔した。
あの時、なんで、ヒールなんて履いたんだろう、帰る直前で靴をパンプスから履き替えたばかりだったことを思い出した。
あの時のことで、青い鳥を逃がしたんだなと思った。
ゼンリンの地図で住所を見た。
同じ位置に、同じ苗字がある。
でも結婚して転居しているかもしれない、どこに住んでいるのかさえ分からない。
そう思って、ストーカーのように実家の近くを歩いたこともある。
この昼に聞いた声
久々に声を聞いたら、会いたくなった。
彼女はいつも思っていたが、色っぽい声だと思っていた。
そうして、今の自分を、彼が見たらどう思うかしら?と考えた。
若い頃から体型は変わっていない。
美容にお金をかけているので、シワもあまりない。
そうして、その疑問をぶつけたくなった。
逡巡は、50歳超えたおばさんが見る夢ではないという否定的な意見に戻った。
そんな事考えて、何度か水を変えては、万年筆を眺めていた。
翌朝、万年筆を入れたショットグラスの底には、もう色は付いて居なかった。

 

 

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思い出したこと モンブランの修理

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某女史は、モンブランを復活させる方法を探したがよくわからなかった。
知り合いの男性で、万年筆を使っている人を考えた。
同じ会社の次長である。
モンブランマスターシュテック(当時で、五万程した)を常用していた。
この次長、某女史が私の名入りのモンブランを見て、こんな安物とこき下ろした人物である。
仕事中についでに聞くのはいいが、休日に、電話をするのは気が引けた。
プライベートな携帯電話の番号を知ってはいる、と言うか無理やり登録させられた。。
架けると面倒なだと思った。
向こうの男性は、奥様は、死別、子ありである。
多分、向こう様は、某女史に女として好意を持っている。
だから、面倒なのである。
同じ会社の別の部で、向こうは次長。当時、某女史は、課長。
合同でプロジェクトをこなした時に一緒だった。
いい人であるし、仕事も出来る。
いい人そうに見える。
けれどなんか裏がありそうにも感じた。
奥様の死因は自殺
彼女よりも背が低い。
それに、コデブ。
それは、生理的無理だった。
休日に電話をして、気を引きたいと思っていると勘違いされるのは嫌だった。
そこで、最悪、丸善に修理に出せばいいと思った。
翌日、なんの気なしに、部下だった私の友人に聞いた。
友人は、万年筆は使わない。
彼は、彼女の関心を買いたいから私に聞いてきた。
説明したが、よくわかなかった。
そこで、翌日の昼時に電話をしてきて、
「直接、教えてあげて欲しい亅
と言われた。
私は、彼女だとは知らない。
「うちの次長が持っている古いモンブランが、書けなくて困っている」
と云われた。
話をしていた、最初は話の相手が、私だとは気がつかなかった。
最初に、私が聞いたのは「そのモンブラン、軽いですか?」と聞いた
そうして、「軽い」と云うと
「バランスはいいですか?」と云いて来た
「いいです」と答えて
「何の意味があるのですか?」と聞いた。
「中国製の贋物が出回っていて、万年筆にしては重いし、バラスが悪い」と答えた
彼女は
「20年前に、専門店で買ったものです亅
「左様で」
彼女は続けて、
「彼氏が買って、それを私が、もらったものだから間違いはないです」
と言い返した。
すると、すなおに
「すいません、この間、贋物をつかまされた人がいたので......‥すいません」と答えた
意外と、腰が低いと思った。
でも、彼女は、話をしている途中で、話してる相手が、私だと気がついたらしい。
説明を一通りした。でもう少し越し話をしたかった。
そこで、「ぬるま湯は何度位?」ときいて話を伸ばしたのである。
「30度ぐらい?」
と答えた。
「お風呂の温度設定した温度でいいのかしら」
と聞いてきたので
「人肌より低いぐらいで」と答えると
「普通に、蛇口から出るお湯でいいの?」である
「熱いと、ボデイが変色したリ変形したりするリスクがあります、あくまでも固まったインクを溶かすという事が目的です」
「水でもいいのですか?」
「水でも問題ないです、ただ時間がかかります」
「蒸留水とか・・・」
「不純物がない方がいいでしょうね」と云った。
「判りました、ありがとうございます」
と云ったので
「判らないことがあれば、携帯に電話貰えればいいですけど・・」
「じゃあ、おしえてください」「〇〇〇  〇〇〇〇 〇〇〇○」ゆっくりとわかりやす教えた。 そこで、「お名前は?」 「〇〇ともうします。昼時分か、夜20時から21時なら電話に出られます」 「ありがとうございます、私、△○と申します」 普通の名字なのでこちらはきがつかない。
うかつにも携帯電話の番号を教えた。
彼女は帰宅して、ショットグラスに蒸留水を入れた。
キャップをを外した。
本体のリアキャップを外した、昨日押し込んだインクカートリッジを抜いた。
そうして、ショットグラスの中に、万年筆の本体をいれた。
本体は、縁からはみ出た。
小さな醤油入れをスポイト替わりにして、水を流し込んだ。
暇だったので、少し眺めて居ると、ペン先から、鮮やかなブルーのインクが流れ出してきた。
徐々に、ペン先が、グラスの底に溜まったブルーの渦に沈んだ。
小一時間も眺めて、水捨てた。
今度は、ぬるま湯を入れた。
ブルーの渦の出は、小さくなった。
眺めていて楽しかった。
そうして「彼よ亅そう言ってから一息置いて「彼の声を久々に聴いてしまった」とつぶやいて
「彼に恨まれてるかもしれないから」
「謝った方がいい」と考えた。
逡巡して
「謝ってどうしたいの?」
と自問自答した

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思い出した事、モンブラン

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某女史が持っていたモンブランの万年筆は、当時の一番安いタイプ。
この万年筆は最終的には、男の手もとに戻った。
戻った理由は、形見分けである。
日記と一緒にあなたのでしょと云われて、箱とインクカートリッジが戻ってきた。
通常、モンブランの安いのはボデイが薄いので刻印するとそこから割れると言われた。
だから、「ならい」で薄く彫ってもらってはいたが、これは薄くてよくわからなかった。
だが、戻ってきたモンブランのキャップ部分には結構きっちりローマ字でのイニシャルと苗字が名前が彫ってある。名前の部分は、イニシャル、名字は、筆記体のローマ字で彫ってある。金甌象嵌がしてある。
男がが使っていたのを修理に出した際に、修理が終わって連絡が来たのでデートの途中に取りに行った。
彼女が、見ていて「欲しい」と云った。
まだ、新品が売っていた。
「買ってあげましょうか?」
というと、
「あなたが使っているのが欲しい」
という。
常用遣いの万年筆だったので困ると云った。
男が言うには、常用遣いは同じのが2本あるから急ぎは困らないが、予備がないのは困ると云った
彼女は提案した。
同じものを彼女が買い、彼女の名前を彫っものを男に渡すのである。
その時は、修理に出した方は、まだイニシャルは彫ってなかったから、私に名前を彫るように頼んだ。
彫が完成して取りに行くと、彼女は男の名入れのモンブランを持ち帰り、新品の彼女の名入りを私がもらったものだった。
箱は彼女に渡した。
文具の入った引き出しから、その箱が出てきた。
箱の中には、20数年前の男の名前の刻んだ万年筆が出てきた。
この万年筆、もらつた当時は使って居た。
肌身離さず持っていた。
男への手紙は全て、この万年筆で書いていた。別れてからも使い続けて、中の軸を交換した。キャップも割れたので交換した。
交換した時に、同じ様に、金文字で彫った。
割れたキャップはそのまま箱に入れておいた。
会社で海外勤務があった時に、この万年筆を持って行きサインをする時に使っていたこともあった。
その万年筆を見て、そんな安物モンブラン使ってと言われた事もあった。
それでかどうか知らないが、社長賞を取った時の副賞がペリカンだったみたいである。
担当の専務が気を利かせたようだった。
安物と卑下されたモンブラン、たしかにベーシックモデルであった。
彼女が、私用に買い、名入れをしても1万円を少しこえたぐらいだった。
バブルの頃は、高級文具の位置づけだったのでべーシクモデルは店頭には出なくなった。
某女史は、出して眺めた。
インクを入れなきゃと思った。<
箱の中にはあった彼女の万年筆は、インクはスポイト式のものが嵌めてあった。
インクカートリッジもあった。
ロイヤルブルーである。
スポイトのカートリッジを外してみると、の中に乾燥してバリパリになったインクが見えた。
モンブランに、カートリッジを付けたが書けなかった。
理由を考えた、予想ではインクが固まって居ると思った。

 

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思い出した事、日記の再開

私自身は、日記はほゞ書いたことはない。
メモの手帳は、20年分ほどある。
小遣帳のようなメモ
トヨタスポーツに関しては、DENSOのノートもある。
最初、某女史と復縁したころ、某女史の昔の日記を渡されて読んだ。
私とのことが延々と書いてある。
初デートで、男としてしまいみたいなことが書いてあった。
復縁後に聞いた話では、某女史は、2回目の離婚後は、日記を書くことはやめていた。
理由は書く時間が無くなった。
自分で云っていた事だが、元々、日記を書くのが趣味であった。
ついでに、メモ魔である。
私と復縁したころは、仕事の細々とした事はA4のノートのような手帳に書いていた。
彼女が、メモ魔になった理由は、ボケた時の対策だった。
残念ながらボケる間もなく昇天してしまったが・・・
祖母宅にいたころ、少々ボケの入った祖母、完全にボケていた曾祖母の姿を見ていた。
若い頃から記録を残すことを習慣にしておけば、メモをすること忘れないだろうという考えからである。
当時、仕事で使っていたシステム手帳は、一時期付箋でパンパンだったらしい。
そこで、おっさんが持つような鞄に、革のカバー付きのノートのような手帳をしまい込んでいた。
日々の行動の後追いはできた。
同僚や、部下、家族のことはイニシャルで書いていた。
日記の代り位にかんがえていた。
でも、私ことを、某友人から聞いた日に、久々に日記を書く気になった。
そうして、休日に丸善で、日記帳を久々に買った。
いつもは、銀座の伊東屋で買って居たなと思いつつ家に帰り、開いて紙の匂いを嗅いだ。
そこで、何を使って書こうかと思った。
仕事では、製図に使う細字のロットリングで文字を書いていた。もっとも、筆圧が高いので、一ヶ月で一本消費していたそうである。
しかし、感情をこめて書く場合は、硬質なペンではだめだと思った。
毛筆も好きだが、不自由過ぎた。
そこで、久々に、万年筆で書こうと思った。
昔、会社で、なにかの賞を貰った時に、副賞でついてきた万年筆があったと思いだした。
一度開けてみた記憶があった、もう一度開けると、ペリカンだった。
軸が太い。
太くて持ちにくい。
でも、書いてみようと思った。万年筆は書いてみないと判らない。
そう云われたことを思い出したからである。
インクを入れようと思ったら何故か、インクが入っていない。
細いボールペンも、太いボールペンも、イメージが違う。
そもそも、ボールペンでは、書く気は起こらなかった。
そこで、他の万年筆を探した。
文具入れの引き出しを探したら、細身のモンブランが出てきた。

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色々思う事

今の自分は、心苦しい、理由はたくさんある。
1つは、余裕がない生活をしているからである。
余裕とは、精神的余裕である。
一番面倒な精神的余裕である。
なにか、できない感じがしている。
やりたいことがでできない。
不安が大き過ぎて、圧迫感がある。
やりたいことが手につかない。
やりたいことは、趣味である。
趣味はたくさんある。
模型を作るのも趣味である。
この趣味が一番長い
足掛け53年である
その次がカメラ、此れも足掛け、52年である。
最初のカメラは、ContaxⅠ型(戦前)、その次がLeicaの3型
全部祖父のである。
その次に長いのは49年目の読書と云うか、文書を読むことである
余裕がありすぎて、分厚い本を読もうとおもった、そうして最初の長編で嵌った
「二年間の休暇」(邦題、十五少年漂流記)である
夏休みを掛けて読むつもりで読みだしたらおもしろくて、数日で読了した。
その後はひたすら本を読んでいる。
今は、資料しか読んでいませんが・・・
いろんな趣味を通して、自分存在意義を考えるということは最近なかった。
最近、厭世的と云うか、世を儚(はかな)んでいると云ってもいい。馬鹿は話合いで何となるとほざいている。
ここで、左翼の連中が口にしていた、非武装中立というお題目が消し飛んで、現実に引き戻された感ああるのは何故だろう。
散々お互いに酒を飲めば友達になれると云ったバカもいた。
酒飲んで仲良くなるんじゃなくて、従属関係の補完でしかない。
友人関係の飲み会は、関係性の確認だと思うし、話していて楽しい。大きな重しは戦争である。
去年の、ロシアによるウクライナ進行は劇的だった。
実際、いてもたっていられなくなった。
不安の解消方法として自分が参加するしかない気もした。
休職して戦闘へ従事した方がいいかと思ったぐらいでる。
一応、本省の友人に相談した
当然不可。
義勇兵で参加はOKかと、即答は不可
では、傭兵ではどうかと聞いたが当然不可
辞めたらいいのかと聞いたら、もっと止めて欲しいと言われた。そもそも、最初から頼むから止めて呉れである。
実際、ある団体に登録はしてるあるので、爺でも募集があれば来る。
正義の実現のためには、自分の特技を生かした従軍ができるのではないかと思った
でもである。
老いた親、子供のことを考えると、仕事を辞めてまで行くようなものではないと思ったのも事実。
だあから、外見、平和な国でノンベンダラリと生活していると、思う。
できないから、別の手段で助けようと!
募金とか、ウクライナ産の模型を買うことで、微力な援助をしている気になっている。
一応、秘書だった彼女には相談をした。
すると、恨みがましい目で目で見られてから「イヤ」」と云いい
その後、
「いやいやいやいや、絶対に嫌、止めて、お願いだから止めて」
と言われた。
九段坂の住人になるつもりの人生が、転落して以来、転落しっぱなしだと思う。

 

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癌(がん)は、難病ですね。

去年、ある友人ががんで亡くなった。
河合塾グリーンコース以来だから、48年来のの友人だった。
彼は、愛知県の名門私立へ通って、旧帝大から超大手企業へ入った。
私同様、タバコが嫌いだった
企業に入ってからも、本社勤務でタバコの煙を吸わされることを嫌悪していた。
そこで、営業に回りなるべくタバコの煙を吸わなくていい努力をした。
彼の父親は、技術屋で、ヘビースモーカーだった。
でも、友人の妹が喘息もしだったので、彼の父親は、自宅の野外になる個室(要はタバコ部屋)でしかタバコは吸わなかった。この建物は、昭和40年にはやった子供部屋の戸建てだった、4畳もないぐらいの安普請であった。
その部屋は、天井も壁も黄色かった。
私個人的な記憶では、昔の役所も喫煙はOKだった所為か、壁も茶色だった。
彼の父親は、ヘビースモーカーであるが、80過ぎているが存命である。
父親の兄弟姉全員が長生きで、全員。90代、80代で存命。
もっとも、一番上の長兄は、硫黄島で戦死している。
(海軍陸戦隊の指揮官で、祖父の教え子だった)
彼のガンが判ったのは、亡くなる8か月前
人間ドックを2年程受診していなかった。
受診しなかった理由は、コロナと親の介護である。
父親は元気だが、母親が、弱っていた。
人間ドックで病院へ行くのことさえ恐れた
ある時、かなり呼吸が苦しくて、起きられなかった。
病院で検査すると、肺の4分の3は、肺癌で機能していないことがわかった。
医師の診断は、余命3~4か月だったそうである。
そこから、抗ガン治療は無意味とは思ったが治療を受けて、余命宣告の倍ほど生きた。
医師から、
「癌は、原因不明、治療法が確立されていないから難病なんです」
と云われたそうである。
そう言われたと書いてあった。本人曰く、ガンて難病なんてイメージはなかったそうである。
なんか周囲で、ものすごく若くしてがんで亡くなる人もいたし、たくさんの癌患者で離職する人もいたのである。
彼の癌の原因は、ヘビースモーカーの父の所為かもしれないが、父親は元気で頭脳明晰である。
ただ、歩くのに困難がある。
ある時というか去年の今ごろ(令和4年5月)、彼が、「人工心肺の小型のないのか?」と聞いて来たことがあった。
私には意味不明で、手術用の機材だら大きいし、小型化なんかされてないというと、
一言
「そうか・・」
「なんで?」と、お気楽に聞いた。その答えはなくて、
「酸素発生機は、大きいの?」
と聞いて来たので
「酸素発生機?ハイサンソのこと?」
「名前は聞いてない」
そこで、かのお父さんが肺癌だと勘違いした。
彼の実家は広かったので、置き場所とか、酸素用の配管の長さとかアドバイスした
途中で
「ながくねえか?」
と言うので、
「あんまり歩けないけど、一応長い方がいいよ」
と言うと、
「そうか」
と云った
そうして、
「言いたくて言えなかった事がある」
と云ったが、結局何も言わなかった。
気になったが病人の世話で大変だろと思いやめた。
すると、数日後、
「肺を何パーセント切除すると死ぬという事が書いた本なったか?」
と聞いてきたので、
「遠藤周作の海と毒薬は、同じテーマだけど、キリスト者の目から書かれた小説だから参考にはならないかもしれない。
小説として読むより、資料として読むなら、九州帝大医学部人体解剖事件で調べると本が出てくると思う。
家にに30年ぐらい前に買ったのがあると思うけど探すのは大変だから、自分で買ってよ。
九州帝大 医学部 生体解剖 捕虜虐殺とかで検索すると出てくると思う」
と云うと
「ありがとう」と云われた。
その後、連絡はなかった。
年末近く、疎遠だった友人から電話が来た。
「彼が死んだ」
「葬式は今日なんだが、どうする?」
と聞いて来た。どうも、連絡先を渡されて連絡をしてきたそうである。
何か渡したいものがあるともいわれた。
既に、休暇中だった。
秘書だった彼女はアメリカに行ったばかりだったで暇だったので、
「顔だけ出すわ」
と言って、葬儀には出た。
家族席には、老親しかいない
奥さんと、子供は居なかった。
離婚して、お子さんは奥さんが引き取ったと聞いた。
奥さんも子供も、元々、神奈川の人で、離婚後の現在の所在は判らないという事で連絡はしていないと聞いて驚いた。
彼のお父さんから、その時、手紙を渡された。
私の自宅の住所が書かれて、切手迄貼った封筒である。
そんなにぶ厚くはなかった。

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悪い男25(某女史から見た私、彼女の日記から)

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そこで、某女史は、お風呂に入る準備をしようと思った。
男に向かって、「お風呂入るよね」と云った。
すると、男は洗い物の手を止めて、振り返り、うなずいた。
そうして、某女史は、「着替え持ってくるから」、
と云って立ち上がり、寝室へ向かった。
男の着替えはない、Tシャツならあるから、彼女自身の下着と男に着せるTシャツを取りに行った。
チェストを開けると衣類を入れる小さな箪笥が置いてあった。
チェストは、大体の種類で分けてある。
男ようの着替えは、彼女が夏のあいだ、寝間着代わりに着ているTシャツ。
当然の様に、男が泊まることはなかったので、アンダーウエアは、それしかない。
自分の下着は躊躇した。
多分今日は外出はしない。
総レースの黒か赤をつけるのはあまりにも扇情的ではないかと思った。
部屋から出ないなら、ショーツだけでもいいかとおもった。
そんなことを考えいると、食事の匂いが充満していた部屋の臭いと、ベッとルームの中に漂う、匂いの差に気が付いた。
ベットルームは、先ほどまでの情交の熱量が残っていた。
そうして、雄と雌の匂いが充満していると思った。
少し匂いを嗅ぐしぐさをすると、甘酸っぱいような匂いが充満している気がした。
ベットの上には、自分が男におねだりをした結果の痕跡が歴然と残っていた。
急に恥ずかしくなった。乱れたベットの上を直した。
同時に、ベットの上に残る男の匂いを嗅ぐ仕草をした。
シーツを交換した方が良いかなと思った。
自分たちに体液で湿り気がある。
除湿すれば乾くと思ったが、外は寒い。
除湿は例外と思った。
色んな匂いが混じった空気を吸っていると、先ほどまでの情交を思いだして赤くなって、
そうしててつぶやいた
「なんか、エッチな匂いがする」
そう云ってから、籠った部屋の空気を入れかえようとして窓を開けた。
寒気が流入してきた。
ドアが閉まる、匂いと暖気は、流入してきた寒気の前に胡散霧消した。
彼女は、バスローブ1枚なので、凍えそうだと思った。
臭いは消えたと思い、窓を閉めた。
室内は、寒気で充満した。
此の寒さでは、一人では今晩は眠られないと思った。
チェストから自分の下着を出して、ベットに置いた。
選んだのは、紅い総レースだった。
男の着替えは、大きなTシャツだけっだった。
彼女の頭の中には、また後から、エッチなことするのかと思った。
でも、多分、今日はもうしないと思った。
そうして、暖房のスイッチを押して、温度指定を「強」にした。
下着を抱えて、部屋を出る時少しドアを開けておいた。
バスルームを見に行くと、湯気が漏れていいる。
居間へ戻って
「お風呂入ろ」というつもりだった。
でも、それって二人で入るということだと気が付いて、ちょっと困った。
「彼、二人で入るかしら?」
彼女は、二人で入ると、またしたくなるかもしれない。
でもそう思おうと、またしたくなってしまった。
そんなことを思いながらリビングのへ戻ると、男は洗い物済ませて、テーブルを拭いていた。
そこで平静を装い
「お風呂わいてるけど、入らない?」
と聞くと
首を傾けながら「着替えないけど・・」
と言う。
「でも・・」
と云いながら、寄ると
あきらめたように「いいですよ、べたべたするし」
べたべたする原因は、彼女と男の体液の所為である。
そう思うと、顔が再び赤くなった。
促すように、ドアを閉めて、廊下へ出ると、暖かった。
居間は、換気モードでだったせいか、廊下の方が暖かった。
寝室のドアが少し開いていた。
暖房を強くしたから、その暖気が漏れている様だった。
でも少し寒かった。
前をかき合わせながら
「寒いわ」とつぶやいた
男が「ベットルームの下着を干して置けばいいかな?」
と云った。彼女は、「Tシャツだけある」と答えた。
男は、軽くうなずいて、寝室へ戻り、自分の下着を取りに行った。
彼女は、バスルームの前で立っていた。
男は、直ぐに来た。
バスルームの前室には洗濯機が置いてある。
洗濯機の洗濯槽の上には、男のコートが掛けてあると云うかぶら下てあった。
防水なので、ほゞ乾いていた。
彼女は、ハンガーを渡して、下着を干すように促した。
下着を干した。
雪でぬれたはずだったが、寝室の椅子に掛けてあった所為か、ほとんど乾いていた。

 

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悪い男24(某女史から見た私、彼女の日記から)

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2022/12/post-9f9d49.html

某女史は、思った。
適当に作ってもらった、食事は美味しかった。
もう少し食べたい位だった。
彼女は、食事が済んで、なんとなくこの男に参ってしまった事に気がついた。
大学生で、女の快感をよく理解している点は空恐ろしいと思った。
10歳近く年下の男に、快感を与えられてしまい、昨日は、腰がじんじんとした。
今日も、体の奥の方で、咥えこもうとする感覚があった。
こんな事は初めてだった。
男性の経験は何人かあった。
でも、良いかなと思い始めると、向こうが終わっている事の方が多かった。
だから、快感を得る事はなかった。
自分で、している方がよかった。
でもこの男、終わらない。
某女史は、自分が気持ちよくて何度も昇天してしまい、意識が飛んだ。
その度ごとに、「大丈夫?」と聞かれることが余計にうれしかった。
だから、食事を作ってもらい、食べてしまうと、気持ち的には満足感が襲ってきた。
性欲と食欲を鷲掴みにされた気がした。
ご飯を作ることができるという点は、なんだか意外だと思った。
当時(35年ほど前)、男性が、食事を作るなどとうことはあまり聞いたことがなかった。
現に、この男は、あるもので適当に作った。
けれど、おいしかった。
彼女は、自分の優位性が何もないような気がしてきた。
素直に「おいしかった」
と言って、顔を観た。
別段、取立ていい男ではない
すらりと背は高いでも、筋肉質である。
弁は立つ。
某女史は、甘える口調で「もう少し食べたい」
と言ってみた。
すると、
「まだ少しあるから追加でつくろうか」
という
男も食べ終わった。
皿を持って立上がり自分で洗った。
そうして、冷蔵庫と棚を探してた。
「調味料とか他にどこにあります?」と聞いたので、
「そこの引き出しの上から2番目と3番目・・」
言い終わる前
「開けてもいいですか?」
いいも悪いもない。
彼女は、自分の全身をさらけ出しているから、どうでもいいと思った。
何を見られても恥ずかしくはないとも考えた。
冷蔵庫から、をひき肉、玉ねぎ、ケチャップをだして、調味料の引き出しから、コショウ、だし粉を出してきて来た。
彼女は、立ち上がって、手際を見ていた。
近寄ると
「油飛ぶから危ないですよ、もう少し待っててください」
と云った。
そうして、ミートスパをあっという間に作った。
彼女は、手際の良さに感心した。ある意味、感心してしまった。
食器を自分で持って行き、洗うのである。
そうして、鼻歌交じりに又作る。
某女史は満足してしまった。
そうして、一休みした。
男は、食べ終わったの皿を見て
「下げていい?」と言って、食器を下げて洗い始めた。自然にかたずけて、洗いもをしている姿は新鮮だった。
某女史は、なんだか自分がいろんなことをしてもらっているという感じがした。
そうして、この年下の男に心底参っている感じがした。
自分は、この男よりも9歳も年上である。
男は、若い女、同年代の女が好きだろう?
女は、この若い男の性欲のはけみたいな存在かなと考えた
でも、身勝手終わらない。
女の反応を見ながら、している事はよくわかった。
いけない、危険な男だと感じていた。
このまま、のめり込んだらいいことはないと思った。
女は、この男から与えれてばかりいると思った。
「この子、満足したのかしら?」と思った
女は満足どころか、もう欲しくなっていた。
欲しいと云うのは、肉欲でなくて、男に近くに居て欲しかった。
でも、洗い物をしてる。
食器を洗い、道具も洗っている
邪魔はできない。
手餅無沙汰で🅂る。
邪魔して嫌われるのは嫌だと思った。
そうして、ふと、「お風呂入るんだった」と思いだした。

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