どこへ行くホンダ技術研究所

ホンダ技術研究所がおかしい・・・

ホンダN-WGNの新型が発売後ただちに生産中断

駐車に使う電動パーキングブレーキの不具合という。

警告灯の異常点灯というが、実際は、きちんと止まれないという事らしい。

初期のパーツは良かったという事なのか、システム不具合が突然出てきたと云事なのか今一判らない・・

(どうも、初期の販売済みの車輛はリコール対象となるようです・・・新発売で、最初からリコール・・下請けを含めてどうするんだと言いたいが・・・)

きちんと挟み込めないという事らしい。

同型のパーキングブレーキを使用するFitの新型の発表も延期・・

ここで面白いのは、FitもN-WGNも同じシステムを使用している。

さすがホンダというべきである。

パーツの不具合というが、海外サプライヤー(オランダのシャーシブレーキインターナショナル)の製品なので原因が不明。

ホンダさんは、相対的に値段が高いが、ここは、パーツ1つの値段が高いからという事が言える。

贅沢なパーツ使用と云うのは伝統かもしれない。

ホンダのT360なんて、無駄に良いエンジンをしていた。

コストを削減したこともあったが、結局、それも、やめてしまい「我が道」を行くになった。

専門家から見てもいいパーツを使っていると言う。

スズキ自動車の軽自動車つくりとの差は、コスト感覚だと思う。

スズキの軽自動は、本当に安い感じがするし、造りも粗い。

昨年、事故でうちの車が全損になった時に、MTカローラの注文イコール3か月待ちであったがその間に保険屋が持ってきた代車がアルトのMT

これがひどかった

アルトワークスの設定のママなのか、街乗りに適した設定ではない。

どんなMTでもなんとも思わないが・・これはひどいと思った。

高速走ると初期の加速は良いが、中盤が伸びない・・エンジン音盛大・・・サスペンションのストローク感がよくない。

ATだとアイシン製でスムーズ・・・スズキ独自のワゴンRのミッションは良かったけれど、アイシンにはかなわない。

山のワインデイングを走るにはいい感じの設定で、老人には乗れない。

うちの親は、100メートル乗って怖いというとで、自動車やを呼んで車庫に入れさせた。

ベースが安い車を積みあげて高い車にするのと、ベース自体が高い車との差なんだろうなと思う。

ただ、最近のホンダは、街中の乗り心地を重視してるのか、サスペンションが柔らかい。

高速安定性に疑問を感じるほど柔らかい、高速に乗ると、ぐわんぐわん揺れたりする・・ものすごく怖い。

横風を受けて揺れるのだけではなくて、直進でも、N-Boxは揺れる揺れる、加速して100キロ超えると・・・ものすごく不安定

2年前の新車と、1年前の新車では、サスペンションの仕様が違うのかと思うほどである。

車体の一番高い部分を軽く押すと、1年前の新車はくらくらと揺れる、2年前の新車は…揺れない

強く押すと、1年前のは、ぐワングワンと揺れる、2年まえのは、ぐーとしながらほんの少し揺れるか揺れないぐらい

ここで、ホンダは、お客さんの意見を聞いてるのかと思う。

トヨタ方式で、お客さんのニーズをようやく優先しだしたのか?と思った。

だが最近のホンダは変だと思う。

実車の販売に結びついていた本田技研としては、F-1に力を入れたい気分は判る

だが、現在、F-1の人気が多少復調傾向と云いつつも、最盛期の感はない。

と云いつつ、F-1でとりあえず成績を残した・・・ので?

来年、勝つために、F-1のエンジン開発に多額の資金(166億円)を投入・・・大丈夫か?

とはいえ、ホンダは、ここに固執しなければ、ホンダ技術研究所としてのアイデンティティは保てない。

F-1チームの費用の制限もなされるようであるが、エンジン開発は別枠という事でなんだか、何のための規制かと思しまう。

個人的には、F-1は、30年ぐらい行っていないマクラーレン本田のエンジンテスト(雨の中)を見て以来行っていない。

人込みで気分が悪くなるのと、渋滞が嫌いなので何もならない。

企業連合は、とりあえずGM(ゼネラルモータース)と組んでいるが‥実際の中身は自動運転のおんぶで抱っこ感が強い。

今回のパーキングブレーキも、フライバイワイヤーの導入のの結果だと思うのでははあるが・・・

海外サプライヤーの連絡待ちというのも、制御システム上の問題なのか、機械的な問題なのかさえも分からないという事なんだろうか?

本田技術研究所の開発体制は、人員的に黄色信号なのかもしれない。

ちょっと悲しい

シャーシブレーキインターナショナルは、元々はボッシュのファウンデーションブレーキ部門だったようです。

2012年に、北米を除いた地域の事業を継承した法人のようです。

ちなみにダメなのは、北米が曙ブレーキという事

どうも不具合連発らしいのですが・・・こんなサプライヤーを使うホンダの意図は・・・欧州への輸出の関係なんでしょうねぇ

20191014初出

20191015加筆

(情報くれたお友達に感謝)

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ある嘆息・・・

某三河の自動車会社は、気分がユルユルである

先日、見学に行った。

来客用の駐車場は異様に狭い・・・狭いというか。軽自動車以外で来るなという感じがアリアリ・・・

こちらプリウスで・・・死にそうな感じで入れました・・・

アイミーブが山のよう・・・白赤・・に合わんわ・・・・

で、何となくデザイン的に、赤白のは無かろうと・・・と云うか、嫌悪感しかない。

保安で、見学です、電話してますというと、ものすごいおデブな女性があんない。

「だれか連れてってあげてー」だった。

行きは、場所がわからんだろうからという事で、保安の爺さんが同行

初老のやせた人でした。

オートサロンへ着くと、受付のお嬢さんが待っていて、クリアファイルと説明をもらい、コヒーチケットをもらった。

見終わったら、声を掛ければいいですか?と聞くと、それは不要と云われた。

帰りは門まで勝手に帰ればいいと言われてのけぞった。

セキュリティは?

サロンの撮影許可の腕章をつけて撮影

帰りは、コーヒー飲んで、ホロホロとご帰還・・・

帰りに、カードを返しつつ、保安をみると、百貫デブなお兄さん・・・

保安が、百貫デブが二人・・・大丈夫か・・

帰りは、出にくい駐車場からほうほうの体で出て帰宅・・緩い会社だなぁと・・・

で、この会社の幹部たちの会話・・・「この会社、五年後にあるかなぁ」である。

無くなると・・とりあえず、自衛隊の4分の1トン車が困るか・・・

ちなみに、この会社の設計と云うか開発関係はものすごく暇らしい

仕事がない

ゴーンが居なく無くなって、日産発注の仕事は止まったまま。

おまけに、やることがない・・ので、残業は無し

経費節減で、強制定時退社。

おまけに、最近の変なデザインは、日産自動車出身の無能を絵にかいたようなデザイナーの発案らしい。

日産のデザインが屑になった時期のデザイナーである

基本、無能な人が、偉そうに引っ掻き回しているだけという公式である。

この会社、ブランドイメージの向上を最優先にしているらしいが、現在絶賛迷走中

銀座に、喫茶室を作ってもブランドイメージは上がらんと思うぞ・・

日産は、新しい経営体制?となったが、又中国事業部である

日産の現在体質から一番遠い人?を選んでいるつもりだから笑ってしまう。

日産の体質は何ともならないレベルである。

そうして、日産の一番悪い体質を具現しているのが、その子会社である

例えば、愛知航空機(仮名)は、ジャイアント號の生産権利を買って戦後自動車業界に参入した。

ジャイアン号は、元々名古屋市中区で生産されていた

途中で大阪の会社に買収されて、本社を大阪に移した。

後に、再び本社を名古屋に戻し、三輪車を製造していた。

その権利を買って生産を開始して、小型車の生産を開始したが、最終的には日産に買収された。

日産は、基本的に生え抜きでないと偉くなれない(昇進しない)

だから、プリンス出身者は冷遇された。

そうして、現在もその風潮は残る

そうして子会社其の物ずばりどっぷりと漬かっている。

中途の者は優遇しない、昇進させない

日産の使えない社員を送り込む

さらに使えないのは、さらにその子会社へ出向させる、出向後、その出向期日が近づくと、辞めるか、出向先へ転籍するかを選べという。

半強制である。

子会社に屑がたまり、孫会社に屑がたまるでも、それらの者は何故が昇進する。

頑張っている人たちが不満を持つ・・・何ともならない組織が出来上がる

 

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台風、車の水没対策。

車の水没対策は、水の来ないところに車を置いておくという事です。

置く場所がないと言っても、最近はどこにでも、大きなショッピングセンター、パチンコ屋、街中の立体駐車場がある、2階以上の止めれば助かると思うのですが・・

で、いつも思うのですが、台風来たら、大手のショッピングセンター、パチンコ屋さんの立体駐車場を開放してほしいと・・・・

今回、名古屋の某ショッピングセンターは駐車場を開放していました。

いいことだと思います。

車が水没した場合、大抵の場合は捨てるだけです・・大変なことです

大昔、CGのNew SZ(ES30)が水没したことがあります。

これは駐車タワーの管理会社の対応も悪いと思うのですが立体駐車場(タワーパーキング)で、台数を稼ぐために地下部分のあった為に、水が流れ込んで水没・・・

物理的に復元は可能であるが、金銭的にはペイしないとして、修復はせずにレース―カートなるべく放出されたことがあった。

これは、水没しても特殊な車だから生き返る方便があっただけけで、普通なら廃棄で、自然災害で保険も出ないという泣くに泣けない状態だったと思う。

この時、まだ小林彰太郎さんがご存命で、エンジンオイル化、ミッションオイルを交換したばかりだったのでそちらの方を気にしていたの読んで、買取でのテストではなくて、所有権留保の特殊な形態かな?とも思った。

よくある3とか5年乗って、その間に支払う金額は、定価の半分で、期限が来たら手放すか買い取るか選ぶのである。

それだったかな?とか考える

最初の自分で買って、テストしたのはカローラであった。

これは自前であろう。

でもバブルのころから・・というか途中からで、ものすごく高い車が増えるにしたがい・・・買っいているのか?という疑問がわいた。

バブルのころは、広告だらけの雑誌だったので、ペイ(支払い)ができたと思うが、バブル崩壊後、広告減った、雑誌薄くなる・・・で、買っているのかのかと思った。

昔、服屋に、陶器のわんこがあった、「これなら餌要らなくていいよね」と云うと、そこの店主、餌代要りませんが、月のお手当てが要りますと・・・要は、レンタルだった訳である。

家でも後年同じような置物のわんこを買ったが、大体、3万か、5万ぐらいだっぐらいだった・・信楽焼きの大きな狸よりも安かった気がする

買ういのは大変でも、半分ローンなら、高いレンタル代で済む。

自動車会社としては、宣伝にもなるし、車の実際が分かっていいのでそういった契約を結ぶ場合があるという。

保険はちゃんとかけてね。

だから、オイル代を気にした時点で、なんか違和感を覚えたのは事実である。

東海集中豪雨の時に、水没した地域、越水した地域、用水があふれた地盤がゆるんで水没、畑地に置いた車がエンジンを下にして埋没したのを見たことがある。

緑の汐田の交差点は水没しているし、新幹線沿線の道路も大高のあたりで水没していたので、共和駅の裏手からから名古屋高速に抜ける時に小高い丘を通り抜けると、頂上付近の道路わきの畑地の駐車場?で、オブジェのような車が前半分埋まった状態の車を数代見た・・・

その後1・2年ぐらい、刈谷から豊明緑区に抜ける道路沿いには水没した車が何百台と並んでいた。

気密性がいいのか、アリストのフロントライトのシールドの中に水が溜まり、苔むしているのを見たことさえある。

整備工場の人に聞いたら、全部解体、何も使える部品がないと言っていた。

面白かったのは、ニッサン、鈴木、マツダのアルミ部品の粉の吹き具合がすさまじく、材質なんだろうねという話になった。

水が混じったガソリンを抜いてオイルも抜いて処理すると言ってましたが。

それもほどなくなくなりましたが損失はいかほどあったかと思う。

大規模な駐車場を開放することで、それらの損失を防げるならば、開放してほしいと昔から思ってましたので、この大英断には感謝したいと思います。

どこの店かって・・・アピタ名古屋南店です(さすが、地元密着ユニー・・・)

ちなみにイオン岡崎南店は、「災害対策で駐車場開放は行っておりません」とわざわざ但し書き。

さすが、岡田元首相の親族企業・・・と嫌味を書いてみる。

 

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100年前のイノベーション(ナイトミュージアム) IN トヨタ博物館

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トヨタ博物館では、時々、ナイトミュージアムを開催2019年10月11日金曜日は、夏以来のナイトミュージアムであった。

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次の100年の自動車というか、車のあり方を含めたツアーは楽しかったです。

参加者の大半が、トヨタと三菱の関係者と云うのは少々面白い現象であった。

夏のお盆期間のナイトミュージアムと比べるとお客さんの入りとしては、経費的にどうかという点はさておいて・・・

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ナイトミュージアムの企画展のツアーは、副館長さんの熱弁も含めてよかったです。

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後日の開催もありますので、トヨタ博物館のページで確認して下さい。

トヨタの豊田社長の次の100年を考えるという点を、原点の100年前のイノベーションがどうだったのかという点を学ぶためにはよい機会だと思います。

「100年前のイノベーション」ときいてピンと来るか来ないかは別として、自動車自体は、100年前から何が変わったのか?

タイヤが四本、デフがあって、エンジンがあってと基本形に変更はないのである。

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100年ぐらい前に、自動車は、Ford氏によって一般化というか、大衆化したのである。

それまでの自動車(car / automobile)は、最初は、1769年誕生のスチームカー(蒸気自動車)、時々電気自動車、1885年の内燃機関エンジンと流れてきた中で、大変高価で面倒な代物であった。

それまでの車は、馬車Carriage、牛車(oxcart)で、低速の動物を使った移動方法であった。

Automobileは、造語であろう、自動で動くものである。

人間も含めた生き物がいないと動かない代物ではなくて、発動機を使えば動くものである。

Carの語源自体は、ラテン語で、四輪荷馬車を語源とすると言われる。

形容詞的な意味合いの強い「Automobile」は、語感的にはすべての自動車を含む。

Carは、自分が運転する車という意味合いが強い。

話は脱線するが、バス、トラック、タクシーは、Carとは表現しないのである。

一般的ではあるが、面倒な生き物を原動力とした車であった。

馬は、ある程度は速いが、生きんもであるという点から疲労が蓄積するので、長距離の移動はできない。

馬を換えれば、延々と長距離の移動も可能であるが現実的には、ゆったりとした移動だった。

その点、自動で動く車、自動車は、画期的な道具であった。

「100年前のT型FORDが開いた新しい地平線」ヘンリーフォードという極めて頑迷固陋な人物が作り上げたT型フォードは、標準化された車造りの先駆けだったのである。

部品の標準化は、互換性という言葉で表される。

互換性とは、どのパーツでも、どのパーツでも、どのアッセンブリーを組み立てるうえで、共通性があるという事である。

2台の車がある

1台は壊れた、もう1台から同じ部品を外してきてなんの加工もせずに装着ができるパーツが標準化されたパーツである。

このパーツの標準化は、米国の南北戦争時代北軍内部で、戦場で銃が壊れた時に隣の別の場所が壊れている銃のパーツが使えないという点が問題となった。

ハンドメイドで、1個づつ手作りだから仕方がないと考えるのは、後進的な頑迷固陋なバカという事になる

どの部品も同じような精度で作る、するとパーツに互換性が生まれる、共食い整備さえできてしまう「。

共食い整備ができるという事は、パーツの精度がほぽ同じという事にほかならない。

この精度の共通化が、いわゆる後年のミルスペック(milspec miitary specifications)につながるのである.

ヘンリーフォード氏は、大量生産を行う上で、大量生産、フォードシステムと云われる流れ作業を作り上げ、パーツの精度は重要だった。

この互換性があるパーツを大量生産する。

同じ車、と云うか単一車種を延々と作り続ける。

主眼は、耐久性、悪路での使用を前提とした設計

誰でも、直せる、だれでもどこでもパーツが買える車を作った。

欧州の車も、T型の車も、輪幅は、馬車と同じである。

田舎で、馬車の代わりの移動手段として使用されるようになった。

T型が売れたことで、アメリカ、イギリス、欧州の自動車業界は大変革を迎える。

自動車の大衆化である。

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安い(年間のサラリーよりも高い)で自動車が買える

移動距離が延びる、自動車旅行がブームになる、自動車の付属的なパーツ産業が興る。

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大衆的な、と云うか大量生産の車でも、差異化を求めてくる。

新しいニーズが生まれる

自動車生産だけではなくて、自動車に付属した産業が新しく興った。

ガソリンスタンドしかり、自動車道の整備、延伸・・・すべて、Fordの販売した、T型フォードのよって開かれた地平である

このことを学ぶことができる展示は見るべき価値があると思うのである。

(上記の内容は、展示に書いてることばかりではありません。)

 

 

 

 

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日産の切り札、子会社の切り売り・・

日産が、日産トレーデイングを、1000億円で売りたいそうな・・・

子会社の売り飛ばすであろという予想は当たったが、本体に近い直参を売り飛ばすとは・予想がつかんかったわ・・・、買収した子会社を売り飛ばすかと予想をしていたが・・・

現在、売却の交渉中だそうで、商社、ファンドが手をあげているという事である。
トレーディングなんて一般的ではない言葉を使うところがすでに頭が悪い感を醸し出して居る。
トレードと云えば、大体交換と云う意味で、貿易では、売り買いで差額を儲けるという言葉である(はず。)
ちなみに日産トレーでイングとはこんな会社です。
日産の子会社説明
自動車部品および材料、生産設備等の輸出入ならびに国内販売、自動車およびサービス部品の輸出入
日産トレーデイング株式会社自体の説明
1978年に日産自動車の全額出資子会社として設立自動車関連の部品、原材料、設備機械、及び完成車両のサプライチェーンとトレーディングを担う自動車メーカーの商社

ここで感心するのは、日産は、簡単且明確

日産トレーデング自体の説明は意味が分からないという事である。

ここにも、本体を膨らませようとする意図が感じられるが、単純にどの分野がが何パーセントの割合いで売り上げがあると書いてないところがインチく臭い。

ついでに、過去には、ルノージャポンも吸収してます。(また別会社のルノージャポンがあります:笑い)。

日産の車の輸出入、パーツの輸出入・・・

売り飛ばした後の輸出の代行は?どうするの?

そのまま委託するのか?

手数料は、そのままなんて手ぬるいことはしないでようね。

日産は、他人に厳しく、自分にはものすごく甘いという体質がある。

子会社を売り飛ばすと、元子会社が以前の条件のママで取引を続けるなんて思ってないよね・・・思っているのならバカである。

日産の国際サプライヤーをつなげる会社を売り飛ばすのである。

サプライヤーをチューンと云えばかっこいいが実際はどうなんだろう。

国際展開は、どうするんだ?

逆に、日産のサプライヤーチェーンの海外部分は、ルノーの国際サプライヤーチェーンに組み込まれるから、日産トレーデイングは不要と考えている可能性は高い。

つまり、日産トレーでイングは、将来、不要な会社とい位置づけになったと言える。

日産としては、車が売れないので、資産を売る手法、悪く言えば、タコの足食いモードを加速させるだけというテイタラクである

第一の疑問は、誰が買うんだ?という疑問がある。

まかり間違って、三菱商事が買う可能性があるのか?

三菱商事の車輛輸出担当と抱き合わせるという考えかもしれない。

分社して販売という可能性もある。

日産は、最近三菱グループに自社の会社を押し付ける傾向がある。

三菱自動車を人質にしているので、三菱グループなら買うだろうという思惑かもしれない。

今、日産関係会社なんか買ってもろくなことはない。

日産本体がなすべきことは、資産を、ドーンと売り飛ばして、四半期の利益を上げることよりも、社内を組織を減らして動きやすくするとか、もう少し長期的に組織を見直しすべきであると思うのだが‥どうも、ゴーン方式が慣れてしまうと安易に走る様である。

車種は減るに減ってるのだから、インフィニティ、ダットサンブランを無くすとか、例えば、プリンス系を完全に吸収して、販売会社のチャンネルを減らす、販売店を減らして、全体の販売コストを下げる。

日産のホームページは、インフィニティ、ニッサン、ダットサンのメッキのエンブレムが並んでいる。

インフィニティなんてただのバッチエンジニアリングに過ぎない。

あれを日産の高級車ブランドと考えると、うすら寒いを通り越してバカバカしいと感じてしまう。

バッチ替えただけ・・・マツダのファイブチャンネル時代を思い出す。

FUGA、スカイラインよく見ないとわからない・・・

要は、断末魔的である、スカイラインが600万円を超えた時点で、日産へ部品を納めている会社に売り込みに行ったらしい。

このカスみたいない車が600万円以上・・・という点でのけぞるのである。

日産は、ここ10年ほど、店舗の統廃合が進んでいない。

これ以上、減らせないレベルかと云えば、トヨタに対抗してトヨタの店舗の前に店舗を作るという、頭悪いだろ云うとマーケテイングはゴーン時代で終わったが、こんなところに日産の販売店が!というレベルの場所に現在も展開中である。

例えば、五キロ以内の日産店は統廃合する。

地区割で、店舗を減らす・・多分これはもう実行済みであるが・・・

無駄に店舗が多い気がする。

幹線道路5キロ以内に2店舗なんていらないだろうと思う

名古屋に若宮大通りという通りがある

愛知日産と日産プリンス名古屋並んでいる。

(日産プリンスが嘘くさいのは、「NISMO」の展示にこの間までハコスカのGTRを恥も外聞もなく展示していた。

 NISMOと、ハコスカのGTRは一ミリも関係がない。

 伝説の偽造である。)

例えば、最近のMUFG(三菱UFJ銀行)は、店舗の減らし方が半端ない。

店舗での現金取引をする客が減ったという事でろう。

出張所は軒並なくなった。

名古屋市北区は、古くからあった大曽根支店、上飯田支店は統廃合された

小さな店は大規模転移吸収されていたが、ここ1年で、急速に店舗を減らしている。

支店を維持するコストと、現金自動支払機を設置するコストを考えれば格段の差があるからであろう。

多く人は、現金自動支払機を利用する。

そのもその店舗でできないことはあまりない。

人員の集中化と、店舗の大規模化(これはいらないかもしれない)、整備工場の集中化が必要かと思われうる。

日産は、ゴーンが、大規模な車検集中工場の敷地をたくさん売る飛ばしたので、ちまちまとした店舗しかない。

でもデアル、市内の一等地に立つ店舗は多いので、それらを売り飛ばすべきではないか?

(ちなみに、三菱自動車は、都市圏の大規模な店舗、修理工場を閉鎖売却、移転統合化を進めている、日産いすゞ方式と呼んでも差し支えのない経費削減、利益率向上切り札である。

資産は有形なので、それも限界がある。

資産を売り飛ばすことで、利益を上げようとする方式を20年間延々と続けてきたが、いずれ限界に来る。

この売却が、前年対比マイナス99%を復元しようとするバカな計画だとわかる。

日産本体には、一時的には金が入るが、短期的には、調達コストが跳ね上がることは明白であろう。

大体2から3割の上昇は容易に想像がつく。

例えば、日産の産業界機械部門(フォークリフト)は、売却されて三菱系(ロジネクストユニキャリア)になったが、旧日産のパーツは部品共販で定価品を購入である。

社販で買えたパーツは、別会社なので、定価でしか買えなくなったという事である。

まだ、高く売れそうな会社を売り飛ばして、目先の利益を上げて、今だけ乗り切ろうと言う観点が見え見えである。

この発表で日産の株価が上がったというが、持っていた人は、本来的には、上がった時点で全部売るべき銘柄だと思う(売るなら、自己判断で、売ってね。)。

日産が心底要らない会社は売れない、ジャトコとかね。

日産の子会社系の賃金は基本的に安い。

日産本体とくらべれば3割4割少ないのではないかと思う。

日産本体のコストの削減を叫びながら、将来的なコスト増を容認する・・・なんかおかしくないか?

売り飛ばされる事業内容を読んでたら、日産トレーでイングは、今後なんで食っていくのか?という疑問がわいてくる。

事業内容を見る限り、輸出入の代理店である。

困らないか?

日産・・・もうどうでもいいのかもしれない・・・・

トレーでイングの事業内容は以下の通り
部品事業本部
エンジン/パワートレイン部品、触媒など、アルミロードホイール、ブレーキなどシャシー部品、ルーフラック、スポイラーなど外装部品、シート表皮など内装部品
ボルト、ナット、クリップなどファスナー部品、粗形材など
機械事業本部、工作、鍛圧機械、鋳造設備、電子機器、自動化装置一般産業、樹脂成形機械、溶接設備、検査装置、圧型、治工具、切削工具、空圧工具、パレット、物品
環境関連装置
自動車事業本部、乗用車、商用車、その他特殊車両
補修用部品、アクセサリー部品 他
マテリアル事業本部
鉄鋼ビジネス 、普通鋼板(冷延鋼板、熱延鋼板、各種表面処理鋼板)、特殊鋼鋼材、鋼管、ステンレス鋼板、各種建築用鋼材、アルミ軽圧品、チタン板/棒、特殊金属、非鉄金属ビジネス、非鉄金属(アルミニウム各種地金/製品/スクラップ、鉛地金 他)
貴金属および再生貴金属(プラチナ、パラジウム、ロジウム) 、レアメタル(コバルト 他)
原燃料ビジネス
船舶用/工業用各種燃料油/潤滑油/LPG/グリース
自動車用ガソリン/軽油/潤滑油
コークス、鋳物資材、製鉄原料
ステンレス製鋼用ニッケル、再生貴金属
化学品ビジネス
合成樹脂(熱可塑性樹脂、熱硬化性樹脂、マスターバッチ)
樹脂製品
有機化学品(中間原料/溶剤/可塑剤、工業薬品 他)
エネルギービジネス
電力販売

中身見てたら、これから勝手知ったる商社経由での購入をしなくなるリスクを考えない・・・なんて会社だと・・・

泣けてき・・・

 

 

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145A(パブリカスポーツ)の開発について

車体は、モノコック構造を採用した。

この小型スポーツカーは、昭和36年の秋頃から開発はじまった。車内コード145Aと呼ばれた。

366月に新発売された「パブリカ」をベースにしている。

パブリカは、国民車構想から発生した空冷2気筒の発動機を有するセダンである。

パブリカの主査は、長谷川龍雄である。

国民車というコンセプトなので、コンパクトな車体を有していた。

145Aは、パプリカ(UP10)のコンポ―ネンッを使用した、特装車体である。

発動機のU型(空冷2気筒発動機)は、アルミ部材を使用した軽量化に配意した発動機である。

当時は、エンジンブロック本体が鋳鉄製の発動機が主体で非常に重く、自重で馬力を消耗する傾向があった。

(2000GTのエンジンブロックも重いので、後年のアルミブロックを使いエンジンオーバーホールをすることがある。)

145Aは、基本コンセプトは、スポーツカーの製造を目的とした実験車的な意味合いが大きい。

基本設計のラインは以下のとおりである。

航空機産業の持つ流線型のデザインの採用。

航空機のようなモノコック構造を採用したボデイ。

(オープンカーが前提であったので、強度的には開口部分を小さく外皮で強度を持たせる構造を目論んだ。)

発動機の性能に頼らない。

車体の形状と軽量化で、高速性能発揮できる車

145Aの開発の端緒は、はっきりとは記録上には残っていない。

LFAの様に、主査が直訴した可能性は高い。

関東自動車工業の菅原元常務によれば、トヨタ自動車の長谷川龍雄主査と関東自動車工業の野尻常務(当時)との話の中で、関東自工がこっそりあたためていたスポーツカーの構想を開陳し、長谷川主査が、同意をしたという事になっている。

よく、長谷川主査が、独断と偏見で開発を始めたと主張する人がいる。

それは町工場の店主のレベルの話を当時大企業になりつつあった会社に当てはめるのは暴論と云うか、会社組織を知らない愚物の発想である。

長谷川龍雄が、このような車を作りたいと云っても、トヨタ自動車工業は企業であり、新車開発には予算が必要である。

予算を獲得して、別会社に開発を依頼する場合には当然の様に、社内の審査を通す必要がある。

当然の様に、会社にお伺いを立てて、許可をもらったことは想像に難くない。

(中村健也主査が、戦後、乗用車を作りたいと言って会社に云ったが直ぐには許可されなかった。)

トヨタ自動車工業自体に、将来、スポーツカー的なものを生産しなければならないという考えはあったと思う。

市場調査をしながら車を作ると云うのは、戦前からのトヨタ自動車工業の得意とする場面である。

昭和30年代、表面に出てきたトヨタの試作を見ていると、スポーツタイプの需要があるとトヨタ自動車は見込んでいたと思われる。

外国の自動車メーカーは、大衆車、中級車、高級車、スポーツタイプの車を、いろいろな組み合わせで製造している会社が多い。

高級、中級、大衆車を生産するトヨタが、将来のユーザーとなる若者を取り込む一環としてスポーツカーの需要を見越していた可能性は高い。

また、スポーツ車は、若者に需要があると踏んでいた可能性は高い。

外国製のスポーツカーに乗るのは基本若者である。

昭和36年に、パブリカを発売後、手軽なオープンカーとして昭和38年にはパブリカコンパーチブルが発売されている。

デラックスを基本に、ホロ型、バケット型シート、シートベルト採用、メンバーの補強でボディ強度を向上させ、スポーツカー的な運転を楽しめるようになった。

爆発的な売れゆきではなかったであろうが、思った以上に売れたのだと思う。

エンジンは、U型エンジンを高速化した、U-B型を搭載

U型エンジンについては、以下を参考にしてください。

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2018/05/post-1125.html

 

 長谷川主査は、戦後すぐに、風洞実験室を使いSA型の風洞実験をしている。

その前に、自動車の風洞実験の方法を研究している。

 公式な開発コンセプトは、高性能の発動機ではなくとも、軽量小出力の発動機を使い、車体形状を、空気抵抗の少ない車体と、軽量化によってエンジンで高速性能を発揮するよう、空気抵抗の少ないスタ イルと軽量設計の追求であった。

開発担当は、当時技術部の吉田昌年次長

デザインチーフは、佐藤章蔵氏

145Aは空気抵抗を少なくすることで高速性能を引き出すことを目的とした面が多面にあった。

よく、トヨタスポーツの開発の途中経過として語られ、写真が掲載される「回式水槽のアルミ粉の動き」を観測したという逸話がある。

これは、空気抵抗の少ないボディ断面を求めて、ボテー断面を1 /12縮尺で、0.6mmの真鍮板で製作した。この断面を、手作りの回流式水槽にセットし、前方から流水を流してボディ周りの水の流れを調べた。流れを目で確認するため、水面にアルミの粉末を撒き、ゆっくりした流れでアルミ粉の流線を観測した。

車体の空気抵抗を調べるために、防衛大学校航空科の風洞を借用して実験計測を行った。1/5の木型模型を作成して、車体表面の空気の流れを確認した。

(後年1964年、RT40のボデイ模型を使い、セダン、セダンのオープン、バンの3車種での風洞実験を行っている。)

この実験は、空力係数、風圧分布の測定やノズルから煙を出して気流の観測をおこなった。この時の空気抵抗係数の測定結果は0.32を記録した。これらの測定とやり方を工夫しながら実験を重ね、無駄のない、やわらかみ 「面で造形されたスタイリングをつくりあげていった。

これらの実験は、戦前の航空機開発では機体形状の確認を行うスタンダードな方法であった。

長谷川龍雄の主張していた、高度な航空機産業の設計思想を、低級な自動車設計に持ち込む過程でもあった。

長谷川龍雄は、自動車設計、製造現場を低級と見做していた。

実際、戦前の日本の航空機の生産現場も自動車生産と50歩、100歩であった点から考えれば、威張れたような状況ではなかった。

生産システムとしては、航空機も自動車生産も、親方による請負が主流であった。

航空機が生産は、親方請負システムから脱却できたのは、三菱だけで、中島は最後までこの方式から脱却できなかった。

トヨタは比較的早くこの方式から脱却していた。

航空機産業従事者の方が偉いなどと考えるのは不遜である。)

航空機の方がエンジン馬力は大きく、単価が高く、且大きいものを作るんだから設計者が偉いんだという気持ちがあったことは否定できない。

もう一方、ボディの軽量化では、ボディ鋼板を薄くすることで軽量化を進め、且、強度を出すために、ボディの床部分は、薄板の2重壁とし、その二重壁内部にポリウレタン樹脂を注入発泡させ、強度剛性の確保と、防音効果を狙った試験を行った。

トヨタ自動車内部での基礎実験は昭和36(1961) 6月頃から始められ、1立方センチメートルあたり0.318gの発泡密度でその効果を比較すると、振り剛性は4~5倍となり座屈強度 は2.7倍の結果が得られることが分かっていた。

トヨタ技術に記事によれば、最終的な実験結果として市販車に採用することは困難と発表されたが、この時点では、まだ可能性の追求がなされていた。

145Aの試作車にも、ポリウレタン樹脂の注入発砲が実施された。

対象部位としては、クォータパネル、フロントフロアパネル、カウル、リヤトラスに試みた。

ポリウレタン樹脂が、採用されなかった理由として、ポリウレタンの発砲のコントロールが難しい点、事故にあった場合、事実上、修理加工ができないという面があった。発泡後にガス溶接などで加熱をした場合には、ポリウレタンが燃えてしまうという事実と、旧いポリウレタン除去、再充填することが事実上不可能であるという点であった。

薄い鋼板を使用している145Aでは、クォータ パネルのような外板面は、発泡圧による膨らみ変形が心配されたので、先行実験を行い、影響が出ないことを確かめてから実施された。この発泡は2台の試作車のうち1号車に実施された。

145Aの特徴である、キャノピータイプのルーフは、航空機を参考にした。

このスライド機構は、当時防衛大学校の構内に保存されていたノースアメリ カン社の戦闘機、F86「セイバー」のキャノピースライド構造をスケッチさせてもらい参考にした。

 昭和3710月に、開発ナンバー145Aで試作されたスポーツカーは完成した。

空力を限りなく追求した美しいスタイリングであった。

9回全日本モーターショーに参考出品された。

パブリカのスポーツ車という事で、非常に安易なネーミング「パブリカスポーツ」として展示されて好評を博した。

小型スポーツカーは 航空機をイメージさせるスライドキャノピーと、流れるようなサイドラインで、多くの来場者を魅了した。

 昭和37年秋に、プロトタイプとしての開発は一段落し、2台(白とシルバー)の試作車製作でおわった。

この145Aは、「トヨタスポーツ800」原型である

実車販売の要望が寄せられると、実際の量産車を生産するため開発日程が立てられた。38 6月から、量産車試作に向けて開発日程がたてられた。

昭和404月から市販されて、昭和4410月に生産中止された。

関東自動車工業としては、昭和36年に145Aの開発を着手し、空力研究、デザイン、設計 そして昭和44年の生産終了まで8年間にわたり携わった。

蛇足的には、ガスタービン車としても使用されたがこの時に車体の改修は関東自動車工業が行った。

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毎日書くのは結構つらい?かな

2週間ほど、毎日書いてみた。

大体1時間ぐらい、興に乗って書き出すとサクサクと書けるが、そうでないとう無理である。

昨日の夜は、投降したつもりだったが、下書きであった・・・今朝気が付いて投稿しました。

文章を書くのは結構好きなので、書くこと自体は苦にならない。

文章書けるからいいねと云われるが、小学校のころは作文は下手だった。

気持ちが先走り、途中で主語が変わるのである。

途中で主語が変わってるなんてことはザラだった。

小学生のころ、マセタ坊主だったのと、本を読むことが好きでたまらなかったので、本読んでりゃ幸せだった。

友達の家に行くと、いつもあるのが、雑誌「丸」だった。

ウチは、法律の本と、芸術、歴史の本ばかりだった。

なぜが、画集がときどきあった、マネ、モネなんてえのはその時に覚えた。

中学時代に、パステル画をまねて書いたこともある。

でも時々変わり種があり、「洋酒天国」なんてえのもあった。

寿屋、今のサントリーが、トリスバーで出していたと云うか売っていた小冊子である。

編集が、開高健である。

下戸の親は、トリスバーで買ったわけでなく、今は無き中区にあった尾関書店で買ったものだった。

東新県税の庁舎の道路を挟んで南側にあった。

東新県税は、今の東部県税の位置にあった県税事務所であった。

フランキー堺の表紙のものをよく覚えている。

ある時、間違えて大量に捨ててしまい、あとからものすごく後悔した。

10年ほど前に買おいうと思い探したら、死ぬほど高くて買えなかった。

最近安値安定である・とはいえ1000円超えると高い気がする。

読み捨て系の冊子なので残ってないのよね。

最初に、読んでない號を読もうと思い、本屋で探したがなかった。

最初に探した時、すでに30年たっていた。

尾関書店の店主も代替わりして、私が本を探すようになったときは、娘さんが店主を務めていた。

20年ぐらい前に前を通ったら、いつの間にかやめていた。

今は、こじゃれた居酒屋になっている。

名古屋の古本屋街と云えば、鶴舞から上前津までのルートにけっこうあった。

名古屋YMCAの英語学校に週二回通っていたので、大学の帰りに、鶴舞中央図書館に行き、時間があると古本屋巡りをしていた。

延々と本を読み、本を買いをひたすら読んでいた。

小遣いと云うか、大学の学食代、というかお昼代以外の収入以外の、家庭教師のバイト代、塾のバイト代、弁護士事務所のバイト代全部、本に消えていた。

当時付き合のあった人との交際は、比較的お金が要らなかった。

鶴舞公園で、ぼ~としているか、美術館へ行くか、映画館へ行く程度で、あまり置け那覇使ってはいなかったような気がするが・・・手帳を見ると、月1回ちゃんと食事にはいっている。

日帰り電車旅もしている。

あぶく銭が入った時には、海外にも行ったねぇ。

でも、基本は、毎月、本代で云万円を使っていた。

よくまぁあれだけ本が読めたと思う。

よく遊んでもいたと思う。

本は山積みになり、家の床が抜けると怒られたほどである。

30年前は、古本屋はいたるところにあった。

鶴舞駅近くには、6軒か7軒ほどあった、上前津は、3軒(同じ店の分店があったので、正確には4軒)

今は、鶴舞駅前は、山星と、大学堂、上前津は、海星堂が本店、北南の3店舗、つた屋、三松堂

鶴舞と上前津の間の記念橋近くに飯島書店があるぐらい

栄の松坂屋の西にはけぅこう古本屋があったような気もするが、今は、東文堂ぐらいしかない。

随分と減った感じがした。

かくいう私自身も、ここ10年ほどご無沙汰であった。

数年前のから再び本を探しに行くようになると、衰微甚だしく驚いた。

古本屋巡りは楽しい、時々、ものすごく安く買う事ができることがある。

日本の古本屋で探すと、数千円する本が、箱がぼろいからという理由で、一冊100円なんてえのもある。

先日、明治大正昭和の名古屋市史を四冊ほど買ったが、1冊100円であった。

強烈に重かったんですけどね・・

とまあ本を買う、資料をコピーする・・

資料を読む本を読む・・・

ここ数年は、大学時代と変わらない生活が続いている。

 

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トヨタ調査月報 TOYOTACHOSAGEPPO

トヨタ調査月報

1948(昭和23)年1月から発行されていたらしい。

7號が、23.7.14受け入れになっちているからである

納本である

7号から13号まで入手できたが他は存在していないかもしれない。

トヨタ博物館でさえ収蔵していない。

1935年当時の豊田自動織機製作所の取締役、トヨタ自動車工業の役員を調べている過程で発見で来た。

巻頭言 大西四郎、中山清一、大野取締役、梅原判二、隈部常務等々が書いていたので引っかかった

昭和二〇年代のトヨタ自動車工業の社内の統計、懸賞論文、各県の配給台数等の統計資料が主体である。

大変面白いと思うのだが・・

Ⅰから6、14以降の資料があるのか?

と云わせた気分である。

ついでに言うのねであれば、豊田英二氏の工作機化関係の工業能率指導叢書機械工作編 第一、第二という著述を見つけた。

かくて、仕事よりも頑張るのである

 

 

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金をかしてくれんかなぁ・・・て云うか普通?

2日ほど、連続して知らない電話番号からの着信があった

昼間、仕事中、バスで移動中と、地下鉄で移動中だったので気が付かなかった。

私は、基本的は登録してない電話は取らない。

時々、役所へ書類の謄本を申請する場合に、時間がかかるも案件が多いので、出来たら連絡をと云ってある。

その場合、知らない番号で受電することがあるので、「登録番号以外は着信拒否」の登録はしていない。

すると、昨日の昼過ぎにショートメールが来た

「○○ですが、お元気しょうか?

 お願いがあるので、電話してもよいでしょうか?」

思わず「○○て、誰????」である。

記憶にない・・・

公共交通機関での移動中だったので返信で、「多忙で、電話出られません、ご用件はなんでしょうか?」

送ると即答

「お金を用立てていただけませんでしょうか?」

「は?」

見ず知らずの奴に、金を貸す道楽はない。

「すいません、どちらの方でしたか?お金を貸してほしいと言われても意味が分かりません」

と即、返した。

即答で、

「××のイベントでお会いしたことがある、プリンススカイラインに乗ってた○○です。」

私・××のイベント・・そんなの何時の話だ

もう25年ぐらい位前にあった人?

だれ?????プリンスの知り合いはいないはずであるが・・・?。

「すいません、覚えてないんですが?」

「15年ぐらい前にもあったことがあります、◎×で・・・・」

「すいません、全然覚えてないのですが・・・」

「プリンス初代のスカイラインのパーツを分けてもらったことがあります、54Bのエンジンとミッションも・・・」

それで思いだした。

当時、○×○に住んでいたスカイライン54Bに乗っていた人である。

友人の持っていた54Bのオーバーホール済みの中古のエンジンミッションを買い取った人だと気が付いた。

「お金って、おいくらですか?」と聞いてみた

「誠に申し訳ないのですが、100万円貸してもらえませんか?それとも、エンジン売ってくれた方に話をしてもらって、用立てていただけませんか?」

と来た

つまり顔つなぎをしろという事が主眼らしかった・・・「ふざけるな」である。

54Bのパーツを持っていたのは、超然たるお金持ちである。

レクサスのクーペを現金でポンと買うような人である。

「すいませんが、その手のお話は、どなたもお断りさせてもらっています。」

と返信した。

「どうしても、10日までに100万円要るんです。」ときた

ついつい、「すいませんが、100万円の余裕はありません」

「54のエンジン売ってくれた方に頼んでもらえませんか」

エンジンを取りに行ったときに家を見てるので、金持ちと思っているらしかった・・・

「最近付き合いないので、よく知らないし、代替わりしてるので、そんなこと頼めません」

「プリンス初代のスカイラインのパーツあるんですが買ってくれませんか」

「新品ですか」

「中古です」

「何があるのですか。」

「エンブレム類は揃っています、トランクのPマークは新品です。

 スカイラインと、スカイウエイのサイドマークは新品です。

 G型のエンジンパーツも一部新品があります。

 ガスケット、クランク、ピストン。

 54Aの中古のエンジンもあります」

思わず「いくらですか?」と聞いた

「100万円で」

「それは無理ではないですか?」と返すと、

「80万円では?、何ならリスト送ります。」

「要りません、パブリカのウエザーありませんか?」ときいた

「パブリカなんかの部品なんか持ってません」

ここで、カチンと来た。

そうして、思いだしたのである。

此奴、プリンス最高を唄うバカであると・・

基本的に、人の車をバカにするものではないのである。

特に、面と向かっては禁句である。

54Bのエンジンミッションを売り飛ばした経緯は、友人の親が、54Bを持っていたという事である。

その人、プリンスがなくなった時に、壊れても修理する部品がないと困るかもしれないという事で、プリンスが無くなると同時ぐらいに、プリンスから中古のエンジンミッションを買い、オーバーホールしてもらい、車庫に保管していたのである。

エンジンが3台、ミッションが5台もあった。

デフのアッセンブリー新品2個、リアアクスル新品2台分あった。

エンジン1台残して全部処分したときに、窓口なっただけである。

ついでに、ハコスカGTRのエンジンミッションもあった。

親からの付き合いのあるうちなので、数人に声を掛けたら、今回の「○○」が、当時、羽振りがよかったので買うと言ってきた。

プリンスの木箱にはいっいてたのを引き取っていった。

この時、エンジン、ミッションで、40万円(当時買ってオーバーホールした金額)で売り飛ばした。

閑話休題

で結局、「50万円ででどうです」と来た。

わたしは、スカイラインのパーツが必要な人ではない。

ついつい「ヤフオクとか、メルカリオとかで売った方がいいのではないですか?」

というと「思った値段で売れません」と返信が来た。

まぁ、「すいませんがご希望には添えません」と書いて返信して、「他を当たってください」と云ってショートメールを切った。

携帯にしつこく電話が掛かって来たので、着信拒否にした。

ふと、不安になって、友人へ電話すると、2日前に変な電話が掛かて来たので、即着信拒否にしたそうな・・・

「余程、困っているのかな」と思ったが、関わり合いになるべきではないと思った。

久々に図々し奴に出会った感じである。

 

 

 

 

 

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変な人について

前から書いている変な人は、外見も、行動様式も変である。

だから誰も近寄らない。

近寄って欲しいと思ってる感じはするんですけどね。

意外と外見普通でも、話しても普通でも、偏屈(へんくつ)と云われるような「変な人」もいる。

外見は普通、思考もたぶん普通ぽいけど、倫理観に妙なずれがある。

昔は、「頑固(がんこ)おやじ」、「偏屈(へんくつ)」、「道楽者(どうらくもの)」と云う言葉で表現されている人の一部が、実は、単なる精神障害だったりすることもあった。

ある意味、ものすごく無責任

宗教家や、詐欺師、自称革命家、あらゆる活動家に多い。

「自分のやっていることは、人類の為だ、人々のためになる。だからみんなから支持されている」

「みんなが、自分を支持している」

「俺の意見に従え」

と、思い込んで止まない人がいる。

求めよさらば救われんと云うタイプである。

私、この手の人に騙されやすい。

最初、ものすごくいい人に見える。

でもすぐにわかる。

でも無責任体質なので、付き合いだすと・・・なんかズレていることに気が付く。

無理っぽいお願いでも、なんとなく応じてくれる。

「え、いいんですか?」と聞いてしまうような内容である。

だから、意外と敵が多い

理解できない思考パターンをしていると気が付いて、

「この人の倫理思考はどのような過程を経過しているのか?」

と考えたことがある。

来る者は拒まず、去る者は追わず。

この路線は基本的に、自分も同じなので別段、おかしいとは思わなかった

しかし、「来るも」のは、わざわざ勧誘する気はない

「来たいと思った者が来ればいい」という感覚である。

かの人は違う

誰かれなく、無責任に誘う

下手したら、その辺の犬でも話ができれば誘うのではないかと云うレベルである。

自分の知り合いを誰かれなく誘う

自分が主催で、自分が幹事ならそれはあんたの勝手だと思う。

でもである、主催でもなければ、幹事でもない、タダの参加者の一員である。

自分で勝手に呼んで、人数に入れておいて、こられないという連絡は幹事にしない。

来ないのと聞くと、来ないことを伝えるのを忘れていたと言って笑ってごまかす。

まじめな幹事は激怒モードである。

この人の場合は、人には隠していた宗教との付き合いがあった。

学生運動盛んな頃に、ノンポリで、学生運動には参加する気はないが、何か帰属したいと感じる寂寥感があったのかもしれない。

雨月物語(上田秋成)の白峰と云う作品に、崇徳上皇が、西行に向かって

出家したことを「仏に淫(いん)して」とい言って責める場面がある。

丁度、かの人を見て気が付いたのは、宗教に淫したのであろうという感覚であった。

しかし、大きな組織に属すると、帰属感の喪失はなく、宗教からは離れたのであろう、十数年間寄り付きもしなかった。

死を前にすると、孤独な魂は、寂寥感に打ち勝つために、再び、宗教に淫することを望んだ。

宗教的バックボーンがある場合、宗教の持つ独特の倫理観は、少々妙な思考パターンを取らせることがある。

それは不思議と思う内は、なんとなく、「不思議な人」で済んでしまう。

「不思議な人」の行動は、一般的な行動原則からは妙にズレていると感じることがある。

宗教的なバックボーンが分かった時点で、行動原則がよくわかることがある。

宗教を信じている人、日本人的な、多神教的いい加減な宗教感ではなくて、強固な単一宗教への傾倒がある場合は、政治的信条とよく似ている。

宗教的同志、政治的同志もレベルは同じで、同じ信じるものがありさえすれば、いきなり肩をたたき、抱きあい親愛の情を示したりする。

教条主義的な傾向は、一般よりも厳しい。

若いころ、運動や、趣味に逃げた人は、政治活動や、宗教の傘の下に逃げた人とはちと違う。

前者は、逃げるための趣味ではない、前に進むためと云うか精神的快楽の道具としての趣味である。

だから、ちょっと怖い人というか、筋が通っている人が多い。

その反面、宗教や政治活動に逃げた人は、精神的な庇護を求めての逃亡なので、基本的に中へ中へと進んでいく。

仲間内の仲間内でしか使用できない論理を、行動原理を墨守する。

これは、宗教的戦争の時に如実に表れる。

仲間以外は、「敵」と認識するのである。

敵は、排除すべき存在として、殺してもいいと、理論が飛躍していく。

つまり、テロリストになる可能性を秘めているという事にもなる。

内内で、自分たちは正しいと信じていると、中で純粋培養される

精神構造は、純化されるというか、単純化されてカルトであるとわからなくなるのである。

自分たちの内なる精神は正しい。

そう思い、且、その、我々から見れば無責任な人を、神とあがめるような単純馬鹿は、その手法を表面だけまねる。

宗教的バックボーンを見ていない、単に、表面だけなぞるだけ・・・丁度日産自動車の初期の時代のようである。

そうなると、野放図になる。

集団であれば、徐々に、むしばまれていく。

またこの手の者は、付和雷同が多い。

ある集団は、沢山の軽微な交通違反を犯そうが、他人に迷惑をかける走行をしても、自分たちは悪いことをしていないと思う人間の集団になっていた。

それは単なる迷惑な存在でしかない。

この無責任体質を作りだした元凶が、ある人だと気が付いたのは、最近の事である。

友達は選ぶべきである。

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