活動家の成れの果ては?

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2022/09/post-0e08b6.html

某旧帝国大学のある学生は、左翼系の「I島」という学長に乗せられてある宣言に名前を連ねた。
そのおかげで、就職は全滅。
結局、某生活協同組に拾われて配達員になった。
彼の場合はまだ就職があったからいい。
就職できなかった活動家の、末路は悲しい。
出身階層によっては、苦労して国公立大学を卒業したが、就職はない。
助けてくれる人もいない。
それこそ、アルバイトしかない。
プライドが邪魔するから就職先を選ぶので採用はされない。
偉そうな御高説を述べる。
中小企業で、労働者を扇動する。
首になる・・・
また、大学時代、若いころに社会からドロップアウトして、活動家になるともう戻れない。
ヤクザより社会復帰は厳しい。
ここで云う、ヤクザとは、ヤクザな人も含まれる。
暴力団関係者、総会屋、えせ右翼、一部的屋の仕切屋とうとう、暴力で人を従わせようとする人たち・・・
あれ、左翼と暴力行使という点では変わらないが、社会構造を暴力で変更する意識はない、だって寄生虫だもん。
左翼の活動家もある意味、寄生虫である。
某政党は年収の5%を寄付(カンパ)しろという。
共産主義ファシスト系の労働組は、組合費は、3千円ぐらいで安い、しかし、カンパが高い。
カンパは、月額数万円である。
だからある意味、統一教会を非難するなら、こういった共産主義ファシスト系の政党、組合さ収奪も訴えるべきではないかと思うが?
ヤクザは、建設業の作業員になることはできる。
しかし、元活動家には帰るべき家、故郷は存在しない。
いわゆる根無し草になる。
行く着き先は、何もしない活動家になる。
金は、どここからくる。
ただ、楽はできない。
喰うだけ。
人生がすべて、集団キャンプみたいな生活
浮浪者と似ているが、浮浪者は、自活している。
自由に生きている。
でも、何もしない抜け殻の活動館は何をしてるのか、時間も空間も空気も思考も停止している。
身なりに構う事はない
だからいつも垢じみている。
この手の反対運動に従事してる方々は、臭い、臭気漂う、ゲロのような、どぶのような匂いを振りまいている。
反対のプラカード持ってる連中は、異様に臭い人が多いという。
臭い、小汚い連中といえば、成田闘争で食っていた連中が、成田闘争の終了とおなじくして沖縄に流れ、その連中が、来てるのかもしれない。沖縄県での彼等の蛮行は、基地近くのコンビニエンスのトイレを何もカワナイデ延々と使用する。
ここで、俺たちは「客だぞ」とう。
「客??」
コンビニで物を買っていくのは「客である」
その時には買うものがないかもしれいなが、次は何かを買うかもしれないそう云う人は「客である」
「トイレを使うだけの人物」「一階の買い物が数百円以下」で、トイレはバンバン使いに来るのは客とは言わないだろう。
使うのは当たり前だと思っている。
彼らには、ギブアンドテイクのテイクしかない。
つまり他人の金をタダで利用することには躊躇がない。
自分達のテントの位置近くで排泄を行うと、自分たちの環境が悪くならかコンビニを使うのだろう。
また、屋外で野放図に排泄を行うと軽犯罪法違反である。
湯面は微罪で捕まることを恐れる。
だから、コンビニのただのトイレを使う。
誰でも知っての通り、このトイレはタダではない。
経費が当然の様に掛る。
1回使えばそれこそ、数十円から100円程度の経費が掛かる。
この経費は全額、コンビのオーナーの負担である。
このトイレは、コンビニでものを買ってくれるという期待値の元に設置されている。
コンビニに来る理由は様々だろう
でも、何か商品を買ってい貰えるという期待値がある。
彼らと、共産主義ファシストは同根である。
何でもかんでも、暴力に訴える。
暴力と言っても直瀬的な暴行ではなくても、反撃できない殴って来ない連中の前で罵詈雑言を投げる。
基本的に、他人を利用するのは当たり前。
利用されるのは死んでも嫌。
夕目新聞(仮名)の読者にこの傾向は高い。
三重苦は、夕目新聞の愛読者。
基本思考は、他人はとことん使い倒して、利用する。
自分から出すというこういは、自分の舌を出すことさえ嫌である。
たかだか、数千円の交通費の割り前を払うことさえ、文句を言うのだからその心情というか心根は卑しい。
朝目(仮名)、中昼(西京)新聞(仮名)の読者もその傾向が高い。
自分の意見、自分の主張、他人を集をたのんで批判する。
(蛇足的だが、笑ってしまった事がある。
 左翼学生が居れば、当然、右翼学生もいる。
 言論を、左翼が牛耳っているので、左翼学生がものすごく多かった様な錯覚を受けるが、全体の数パーセントである。
 東大安田講堂の攻防戦には、東大生は参加していない。
 この事もあまり書かれていないが、東大の学生は参加していない。
 つまり安田講堂は、利用されただけである。
 また扇動した学生、教授、高校、中学の教員は扇動だけだから取り調べさえ受けない。
 左翼学生が、警察から逃げる。
 右翼学生が、仲間みたいな顔をして、逃げてた左派系学生を、助けるふりをして誘い込む。
 そうして袋叩きにしてたという。)

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反対派と云う多数派でもないのに多数に見せようようとする、これぞまさしくファシズム(20時加筆しました)

安倍元首相の国葬が厳かに行われた。
あいも変わらず、共産主義等ファシスト支持者が嘘をばらまいてる。
国会前に集合した反対派、1万5000人だそうである。
写真で・・・見える限り、50人?100人?のレベルである
上空からの写真(反対の集会と称する写真)で見る限り、閑散である。
また国家会前の写真も画面いっぱいに、人が写っている。
人がデカい。
昔の宣伝ではないが、「寄せてあげて」大きく見せる様に写している感が強い。
写っていな部分は、「人いねえんだろう」と思うが・・・
沢山いるなら、パン(引いて)で撮影するだろう。
少ないから真ん中に寄せている。
いわゆる、「報道しない自由」絶賛発動中であろう。
新聞報道で、よくあるのが「統計取りました。世論調査しました。」がある。
どうも、世論をミスリードしたいがために作文的というか、インチキ臭い。
以前携帯電話に、日日新聞から電話番号にアンケートが来たことがある。
現在の携帯番号の構成から言えば、070から090では使用している年齢構成的な母集団が違う。
大体、スマホの携帯電話を使いだして、10年以上経つが、アンケートが来たのは1回きり。
ちなみに選挙の投票会場で、NHKのアンケートを受けたのも40年近く投票に行っているが、1回きりである。
1億の人口に対して、数千のアンケート結果で、全体的な世論調査しましたと云うのは既に、手法しては使えないのではないかと思うが?
数千の回答が世論と云うのは、ふざけているのではないのであれば、タダの見せかけと云う事ではないかと思う。
ナチスの夜の行進がぐるぐると同じところを廻って、さもたくさんいる様に見せかけていたのと似てる。
少ない人数をさもたくさんいる様に見せる。
まるで詐欺である。
この様な手法を使わざるを得ないのは、嘘を振りまいているからである。
反対派と称する人はほとんどいなかった。
でも新聞、マスゴミは、さもたくさんいる様に見せかけたい。
何故なら、60年、70年安保時代の国会前の写真は、上空からの撮影であるが、人はゴマ粒の様である。
この時は、現実に沢山いたからであるが、それだって、中身は動員され連中が多かった。
国会周辺に集まっている人数と、野球観戦に来ている人数が同数なら、周辺に集まった人間。
他人を暴力で人を服従させようする勢力は、極めて少と云える。
云いたかないが、自称1万5000人(主催者発表?主催者てだれ?どこのどいつか書いてみろと云いたい。)
国会周辺に集まった連中は、民主主義を否定して、暴力で事を為そうとする集団の一派である。
つまり左翼暴力集団の一味と云える。
逆に、取り締まれよと言ってやりたいのだが、それを許容するにも民主主義国家だから仕方がない。
現実的な、ファシスト国家、ロシア、中華、北鮮は、えせ民主主義独裁国家である。
そこでは、民主主義を標榜しながら民主主義はない。
形式に選挙をやったと称する。
でも最初から、選挙を暴力でコントロールしているのだから、民主主義ではない。
学生運動鼻やかりしころ、共産主義等のファシストであるこ国会前に集まった連中には、英国流の市民ではない。
大多数は主義者が多く、主義者に扇動された者が多かったと云える。
つまり、学生運動時代から動員を使ったインチキががはびこっていた。
中学、高校、大学で、問題意識を持つ貧乏で純粋な学生をだまして取り込んで、自分たちの手先に使った。
こうして騙されて、現実に向き合えなくなった廃人のような思考の停止した連中は、成田闘争、沖縄県でのファシスト行動の先兵というか、ただの嫌がらせをするだけの集団を形成している。

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老害な人の夢見た将来?

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2022/09/post-27227a.html

三重苦の夢は、資格を取って定年後は自宅で事務所を開いて、監理の仕事をするつもりでいろいろと資格を取る努力をしていた。凄まじく偉そうに、資格取る勉強していると述べて、試験受かった事を吹聴していた。気分はなんだかなぁであった?
彼は、定年後の夢を沢山語っていた。 事務所を開いて対外的な商売をするという事は、外部の方々と話をして仕事を貰うという立場になる。
その立場は、三重苦の一番嫌いな「営業活動」となる。
だから、定年後の事務所立ち上げの話を聞いていた時に、個人事務所の生命線は営業力である。
その営業力がない人。 営業をしたくないという人には、事務所を維持するだけに仕事が天から降ってくるとでもおもっているのか?とおもった。 だから、夢は、ゆめだからねぇ、基本的には頭を下げることが死ぬほど嫌いな人にはハードルが高いということであは出来るの?と云う目で見ていた。優しい目で「できるのか?亅みていたが、現実的には定年後も?おつとめである。
そこで、婉曲に、再雇用とか、他の事務所で働くことを勧めたが、本人のこころに響いたかどうかわからない。
その点で、前事務局長は、まだマシだったと思う。
前事務局長は、三重苦の常識レベルを1とすれば、6以上はあったのではないかと思う。(10段階評価、1は最低)
ある〇〇な趣味の世界では社会性はある様であった。
これは、模型クラブとは違った階層のひとが多い世界である。特に個人に趣味という場合は、所得階層が全然違う。例の金持ち喧嘩せずのモードである。

自分が完全に優位にある場合は、良い。
相手の腰が低い場合は、なおさら良い。
そうでない場合は・・・理由をつけて拒否、拒絶するタイプだった
模型の趣味と○○な趣味があった。
海外旅行に行っても、自分の趣味が中心点にあった。
時々、海外で〇〇した作品集を印刷しては、一部は有名どころに配り、残りは販売もしていた。
配る理由は単純、褒められたい。
自分より、有名ない人に踏められたい、ただそれだけである。
だから、タ〇〇ヤ〇〇の社長には写真集を配る。
褒めて欲しいから、褒める人にしか配らない、この考えは、基本損得勘定であるから性根が貧相である。
その部数は、少数だったようである。
少数だが印刷費の回収もしたい、ひいては、誰かに目に留まりたいちう願望の表れだったと思う。
でも声高には主張しない。
この辺りは、武士は食わねど高楊枝な雰囲気がある。
でも本当の高楊枝は、製本手して、売ったりしないものである。
まあ偉そうにしていても、それぞれ個性の塊のような模型のクラブ員の一部の相手とは折り合いがつかないことがあった。
自分で思う事は、自分で作るという事は、自分が楽しみたいから作るのである。
自己満足で、自分が何でもコントロールしたからクラブを簒奪するのとはちょっと違う。
自分のことで恐縮ではあるが、自動車クラブのツーリングはクラブ名を名乗っているが、実際は個人の主催である。
個人商店の屋号みたいのものである。
99.9999999%ぐらい、多分ほとんどの人が知らない。
でも、他人の手を借りてもいない。
自己完結なので、私がやめたらそのまま消滅すると思う。
とりあえず自分が元気なうちは、しぶとく続けるつもりでいる。)
まあ、会長がいて、相談役の超有名人がいるというのが売りのクラブだったが、会長が海外で客死、顧問格も先年逝去。
会長の客死後は、元事務局長がほぼすべてを仕切っていたのは事実であるが。
ブースの規模は縮小した。
小クラブだからそれでいいのかもしれないが、なんと何区余りの狭さに辟易としていた。
クラブの小物の備品の郵送費を、この前事務局長だしていたのだろうか?
某社の倉庫の保管されていて、某社も出店してるのでお、運んでもらってる。
運送費は・・・・?
飲み会の費用の一部を持っていたというが、半部出したらなら偉いが、端数を切って、端数を払っただけなら偉そうなことを云うなと気気になる。
また今年(2022年)のかかった費用は全額負担すると云っているらしい。
経費て?
ブース代?
ブース代5000円を負担したからといって、「だから何だ?」という気がする
各種費用を出したら、自分専横が利くクラブになると云うのは変な話である。
それなら、金だして自分でクラブを作ればいいと思う。
数年前から、不思議だったのは、一次解散後は会費を集めていないので、再結成後の諸費用、各種運送代等の負担、つまり、金は誰が出しているのかなとおもっていた。
自己完結な感じで、自分の物を自宅へ送るのだから自己負担で対応していると思った。
再結成後、総じて金銭負担が気になったので、最初の頃は、会費の集金について尋ねたが、無視された。
言い草は、「とりあえずいい」という取り付く島もない感じだった。
何度か聞いたが、元事務局長の配偶者からもとりあえず、他にクラブに籍ああって来ている人からは徴取しないと言われた。
それでもう完全に、費用の負担という事は忘れていた。
今回、よくよく聞くと、元事務局長が全額を負担していたという事である(伝聞なので良く判らないし、自分の荷物も運んでいたのであれば、区分けの方法がないのかもしれない。)。
自分は、メインのクラブではないので軽く考えていた。
というか、メイン以外に展示をする場合は、そのクラブの費用は払わない、というか払ったこともないし、別のクラブの人がうちに展示を持ってきても請求したりはしなかった。
それに、一次解散後は構造が良く判らなくなっていた。
誰が責任者なのかさえ良く判らなかった。
参加に関する文書は事務局長あてに届いていたようなので、事務局長が責任者?
と思い込んでいた。
お山の大将になりたいのが、お二方の夢だったようであるが、現実的には、お山の大将にはなれなかったというが現実であろう。

 

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共産主義ファシストの畑

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2022/09/post-c0cd63.html

近隣の方々は、どれだけ、道路上に松葉が散り、観桜植物の葉が四散していても、注意しなかった。 注意した場合に、延々と受ける嫌がらせ、共産主義者の手ひどい攻撃を恐れてだんまりであった。
「なんでこんな風に放置なのか?」と聞いたら
「ほら、あれだから、みんな色々と、嫌がらせを受けるから…」と言葉を濁していた。
ところがデアル、この畑地の横に新築の家が数軒建った。
(この新築の家が建った場所の土地には元々は、古いに農家屋がありました。
 45年ぐらい前に、お友達のお友達の家でしたので、遊んだことがありました。
 この家15年ぐらい前に、長男は九州の方へ働きに行き不在。
 ちょっと足りない妹とおばあさんが住んでいた。
 どうも、お爺さんが居たころは年金があったのか?、商品作物でも作っていたのか生活をしていた。
 しかしお爺さんが亡くなると、遺族年金の請求の仕方も判らなかっただろう。
 家があると、生活保護は受けられない。
 それに、そんな恥ずかしい事はできないと思うので、相談さえしなかった。
 家の収入が途絶えて、少し足りない妹は、近隣の家へ行っては、お金をもらい生活をしていた。
 しかし、みな再三の請求には耐えられない。
 そのうち、周囲の人の支援が無くなった。
 そこで、御婆さんが餓死、孫が餓死寸前で見つかった。
 共産主義ファシストの畑の真横の家である。
 もしかしたら、この畑の作物を盗んでいたかもしれない。
 しかし、「共産主義ファシストには、義理人情は存在しない、タダの利己的で強欲な精神しかない。
 だから、赦さない。
 それだから、この家の人は餓死した。
 頭の弱い妹は、兄に引き取られた。
 農家屋は取り壊されて5軒分譲の家が出来た。だから、餓死したおばあさんに魂魄が残っていると思っている人もいた。)
共産主義ファシストの畑地の真南の家オッサンは、来たり人(よそ者)なので、こわいもの知らずである。
狭い敷地に、監視カメラを参内も設置しているクズである。
路面に散らばる松葉を見て強硬にというか、強固にねじ込んだらしい。
そこで、40年以上かかって伸びた鑑賞植物と松は切り倒された。
この共産主義ファシストは、嘘つきで、迷惑な存在であることは変りがない。
ここの所有者、そこの近くに住む元お百姓の一族のである、本人は、百姓なんかやったことはない。だから趣味の農園である。
面白いのは、この小屋?に「警察官立ち寄り所」と書いてあったことがある。
共産主義ファシスト党のポスターが貼ってる趣旨からいえば、この畑の所有者は、共産主義ファシスト主義者である。
以前は、小さな扉に「農作物を盗む人がいます。見つけたら連絡ください」とビニールの袋に入った紙が貼り着けてあった。
共産主義ファシストの連中は、警察を権力の手先と卑下し、揶揄して、批判をするの常としている。
そんな奴らが、自分の畑の小屋に「警察官立ち寄り所」と書く神経が理解できない。
困ると、警察を利用する。
外から見る限り、金融機関御備え付けの「警察官立寄箱(日にちと印鑑を押す紙が入っている。」は見えない。
また、警察の友人に聞いたら、そんなところへ立ち寄ることはない。
盗犯がいるという事であればパトロールの経路に入れます程度だという。
立ち寄り所と書くことは、勝手だが、嘘を平気で書いていることになる。
パトロールがたまに来るのを立ち寄るべき場所と云うのは、自己都合の拡大解釈である。少し前は、「監視カメラ設置」である。
電力線はない。
小屋は、水分だだ漏りの建物である。
小型のカメラを設置と想像したが、それでも電力線は必要であろう。
また最近、久々に通るとまた紙が貼ってあった。
「西瓜ドロボ発生
 ご近所の方が見つけ次第ご連絡お願いします」
「西瓜ドロボ」のよこには、赤の二重丸
ちなみに電話番号は書いてない、近所だからわざわざ呼びに来いという事なんだろうか。
前に聞いたっ事があるが、近所の人は、全印無視だそうである。
落ち葉問題でもめいた時に、罵倒されたそうである。
盗まれた通報して欲しいなどと云うのは、虫のいい話であると断じていいた。
ここで「西瓜」とは、「スイカ」である
「ドロボ」とは「泥棒」の事だと思う。
スイカを、「西瓜」と書くところがいやらしいと思う。
なんとなんく馬鹿にしている感がある。
作物を盗むことは良くない。
盗犯はいいことではない。
刑法犯である。
でもこの畑は趣味の畑である。商品作物ではない。
何個盗まれたのか知らないが、大仰に書くようなことかと思う。
スイカ1個の値段は知らないし、どれほど丹精を込めた商品かも知らない。
被害届しておけば、捕まった時に余罪の追及をされる。
それでは駄目ですかと思う。
また、共産主義ファシストなんだから、困窮している人を助けるのが使命なのではないかと思っているが、そうではない。
金に困っている人がスイカを盗んだのかもしれない。
凄まじく旨いスイカで、余人に代えがたいから、腹が立つのかもしれない。
それなら、塀を付けるとか、見えないようにするとか防衛をすればいいと思う。
しかし、そんなことはしない。
食べるものがなくて困っている人がいる
金はない
その人の前に食い物をぶら下げるのは、犯罪を誘発するだけではないかと思う。
罪を作る
これが奴らのやり口かもしれない。

 

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犯罪行為の助長はいかがなものかと思うが?

人権侵害は重大な犯罪行為だという人が多い.
何でもかんでも人権と称するが、現在は異常な状況である。
少数の人権を優遇するあまり大多数の人権が無視されている状況がある。
性的な少数派で、左翼と組んで活動をしている連中。
海外の自動車メーカーの日本支社を食い物にしている外国人の同棲愛者もいる。
性的少数者の活動の後援をしているが、理由は簡単で、幹部といううかトップがそちらの人という事である。
本国側も、日本の法人の内部の事という事で何も言えなない。
と言いながら、実際は、欧米にありがちな企業を食い物のしている同士だから見て見ぬふりをしている感がある。
友人に、同性愛者は幾人もいるし、バイセクシャルな性向の人もいるからその手の趣味に対して拒絶感はない。
だって趣味だもの、仕方がないと思っている。
しかし、人権を標榜する連中の中には、仕方がないなんて思ってもいない連中が多い。
人権を声高に叫ぶ連中程ひどい奴らがおおい。
かられは、実際は、性的なマイノリティの事は大っ嫌いというか、基本馬鹿にしている。
ある共産主義ファシストにわせると、「人間の屑」と言い放った。
考え方は、ナチスと同じである。
普通でない(普通の定義が、極めて難しいが、共産主義ファシストの連中の「普通」自分たちの常識が「普通である」
普遍的な意味での「普通」ではない。)
だから、かられの共産主義ファシスト思想から外れた部分にいる連中は、「クズ」とうくくりである。
また彼らの基本姿勢は、犯罪者を生む構造を作ってよ喜んでいる節がある者がいる。
それは、いかがなものかと思う。
渇えていている人の前に、有料の水を置く。
飢えている人の前に、有料の食料を置く。
それらの人は金がないから買えない。
だが、常時、監視する人はいない。
その場合に、盗むなというのは無理がある。
ある意味、「盗んでいいよ」と云って様なものである。
なぜか、社会主義、共産主義ファシスト系の方々は、金がないなら我慢をしろという。
資本主義下では、高徳の人が施しをして救う。
何処でも全員が救われるわけではない。
しかし一部は救われる。
ここで思う事は、共産主義ファシストは罪人を作りたがる。
かれらの特徴は、敵の人権は無視する。
他人にやさしい社会と云いながら意外と、自分と自分の同等の主義者以外には厳しい。
つまり、主義者ではない人は下に見る、奴隷の様に思うらしい。
その癖。
貧困をなくそうとう云う。
平和と云う
他人に、優しい社会と云う。
しかし、現実の行動は全く反映されていない。
そうした行動も、自分たちの主義主張を通す道具としか考えていない。
某所に、小さな畑(と言っても100平米くらい)がある。
周囲の宅地が進んでも一向に宅地にはならない。
所有者が死ぬと宅地並み課税なので、相続税を払うために売るんだろうなと思う。
その畑外周には、無秩序な生垣と一部の柵がある。
出入りするところは小さな扉がある。
扉の横にはトタンで外周を包んだ、トタン葺きの建物(小屋?)がある
そこには某共産主義ファシスト政党のポスターがいつも3枚貼ってある。
他の一般民家の壁面見たいに、各種政党のポスターは貼ってないという貼る余地もない。
この小屋の横には、使い古したステンレスの風呂桶が三個ほど並んでいる
雨水が溜まって、藻が生えているのが見える。
コレ、夏場に横を通ると、蚊の攻撃苛まれる原因になる。
また以前は、羊歯系の観葉植物が巨大化した木と松が、奇跡の一本松宜しく立っていた。
この鑑賞用植物の葉と松葉の落ちたのが道路を汚すことおびただしかった。
共産主義ファシストだから自己中心的であるから、道路に落ちた落葉をかたづけるなんて事はなかった。
車が滑る原因にもなっていた。
近隣の方から不評で遭ったが、共産主義ファシスト政党の支持者という事が判っていたので誰も何も言わなかった。

 

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思う事 袖それ合うも多少の縁?

私は、老境に入いりつつあるのか、楽しかった事をよく思い出す。
最近はご無沙汰であるが、落語はよく聞いていた。
寄席にも行った。落語と対比されるものに講談がある。
落語は、落語は、お付き合いが長い。
小学生の頃から聞いていた。
落語家の語りを見ていながら噺を聞くのは楽しいかった。
ラジオは駄目だった。
ラジオの落語はイマイチだった。
録音盤をきちんと聞きだしたのは、大学生の頃。暇があるとテープを聞いていた。
講談は、EP盤のレコードが沢山あったが、聞かなかった、虎蔵さんだったか、だから聞きだしたのは、もっと遅くて、30代。
もっとも、聞いていた期間は、1年程
講談は変な思い出がある。
祖父に連れられて、歌舞伎を見に行ったら、手違いで入場券の日が違ってたことがあった。
そこで、まぁ仕方がないと云いながら、どこへ電話をして、「今日は、こうだん、でも聞きに行くか」と言われた。
その時の講談は、義士伝だった。
浅草か上野だったかの講談場だったと思う。
正確に、何処だったのか、全然覚えていない。
その時、義士伝をを聞いて、怖いと思った。
浅野内匠頭が、タダのアホに見えたというのもある。
隣に居た爺さんが、講談師の言葉をそらんじてるのも怖かった。
大げさな動作、重たそうな羽織はかっも怖かった。
砕けた感じの落語家とは違う。
張り扇の音が怖かったのである。
関西落語も似ている面があるが、軽妙な音なのでよかった。
(そう云えば、関西の落語会は死滅しそうだと聞いた。
 桂米朝師匠が草葉の陰で泣いているのかもしれない。
 人数が少ないのと、市場が狭いからである。) 
講談を、大人になって一番最初に聞いたのは、最初の結婚の前だった。
東京在住の物故した友人に連れれて行った。
彼は、高校大学社会人の暇なときは、常に講談を聞きに行っていた。
女の講談師が増えても、別段話さえ良ければ気に話ならんという考えだった。
(彼は、私の米国行きが決まった時に、彼の実家によって報告しようと思った。
 お伺いをすると、休日だったが、仕事に出て居なかった。
 土産を置いていくと、後年こんなこと言われた。
 赤垣源蔵の様に、私の撮った写真を前に、祝杯を挙げていたといった。
 その後、彼が自決する前、大高源吾宜しく、すれ違いの様な別れを言われたことは忘れれない。)
ある真夏に、並木座で、映画の三本立てを見て、彼と和光の前で待ち合わせをした。
すると、夏らしく半そでの開襟シャツに下駄ばきだった。
私は、その頃は、麻の上下に開襟シャツ、パナマ帽、白い靴だった
私の風体を見るなり、
「あつくるしいねぇえ」
と述べた。
「やせ我慢だ」と云うと
「まぁ、いいや」
「どこへ行くんだい?」
「涼みに行こうや」
「どこへ」
「行きゃあ判る」
「へいそうかい」
で連れていかれたのが、講談場である。
「こうだん、きいたことわねぇえかぇ」
と言われたが
きっぱりと「ない」と答えた。
その時の演題は、忘れてしまったが、幽霊の話であった。
なんとなんく、「怖い」と思った
背筋が寒くなるとはこの事かと思った。
今みたいに「幽太」は、いなかったが怖かった。
これは、歌舞伎の東海道四谷怪談のお岩より怖かった。
落語にはない、怖さがあった。
ただ気もちが入るので、前座さんの話で中途半端な終わり方をされると辛いものがあった。
その点は落語は良かった。
小学生の頃に、六代目圓生師匠(最後期)の噺を聞いて感動した覚えがある。
後年録音を聞いて、あの時の落語家は、圓生師匠だったかと気が付いて、いいものを生で聞いていたのだなぁと感涙にむせんだ(w)
これは、浅草だったと思うが、小学生の頃に記憶はあやふやである。
噺の全体は判らかったが、妙に軽妙で楽しかった。
その後は、あんまりいい落語家に出わなくて、大学時代まで保留となった。
家に居て、気分が落ち込んだ時に、落語を聞くと元気になると思った。
婚約者の父親とうちの父親(両方とも養子だった)のどちらがどちらに家に入るという事でもめていた時期だった。
婚約者は、子供ができたと云えばいいと怖い事を言う。
相談できる人はいなかった。
祖父は亡くなっていたから、場所も良くは判らなかった。
そこで、日本放送協会の放送を聞いた。
正直言って、全然面白くなかった。
理由は、話が見えない。
ここで、やはり生で聞かないと駄目だと思った。
これは想像力が欠けているからダメだった。
でも、お互いの親がなんとなんく融和しそうになった時に、二人でよく東京へ遊びに行っていた。
彼女は、彼女の高校時代の友人と会うこともあるが、私は古本屋で本を漁っていた。
ある時、浅草で懐かしい音が聞こえてたいので、寄席に吸い込まれれると、既に懐かしかった。
婚約者が「落語って面白いのね」と笑いながらいった。
それから度々、二人で、寄席に行って泊って帰るとという生活を繰り返していた(子供はできなかった。)。
その頃、楽しかったのは事実である。
でも、そんな楽しかった時期が、永遠に続くかと思ったが、結局は、お互いは親の意地で別れる羽目になった。
何でこんなことを書いたかと言えば、今日、たまたま、その親御さんを連れた元婚約者を見かけたからである。

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ある季節が終わった感じがする。

三か月ぶりにTAM(トヨタ博物館)へ行った(木曜日)。
年間パスポートは、どうしようかなと思ったけれど、3000円ぐらいどうでもいいかと思ったので更新した。
通知も来たのでね(来るように設定してあるから来てあるから来ただけ)基本は、調べ物をしたかったからである。
検索能力が極めて低い(登録内容検索できないというか登録されていない)図書館では意味がなかった.
自分で全部探すほど暇ではない。
二三参考になりそうなのを見つけたが、出典が判らない。
出典が判らないのは論文には書けない。
この記事を聞くために、もう一度、今度は久々にトヨタスポーツに乗って行った(日曜日)、つまり珍しく1ケ月に2回も来たことになるになる。
去年の10月以降というか、年間パスポート更新以来、年間5回ほどしか行っていない。
しかも車に乗って行ったのは2回だけ。
ツーリングの土曜と、翌日の日曜日だけ。
あとは全部、電車。
一回は、研究会のパンフレットを置きに行っただけである。
行くのも金が掛かる。約1,000円
郵送で送ったら570円ほど、経費的には安いことに気が付いたからその次は郵送にした。
つまり、以前は、行く理由を探していたが、現在は、行かないで済ませる理由を探している方が多い。
つまり行く気がないのである。
電車で行ったのは、平日しか行っていない。
木曜に行った最大の理由は、年間パスポートの更新だった。
年会費3000円。
年4回以上行けばOKである(笑い)、あと2回でペイする。
年間パスポートのカード図柄の趣味が悪い。
何となく、パスポートのデザインが悪くなった気がした。
個人の年間パスポートは、黒地に白クマの乗った2000GT・・・また2000GTかよ
黒地に「ト博LOVE(トハクラブ・・・と読むらしい)」、まるでおっさんのギャグである。
いい加減に、2000GTから卒業したらどうだと思う。
また2000GTに戻った・・・最初のころも2000GTだったねぇ。
以前の赤い年間パスポートの方がまだましだと思う。<
白クマは、ゆるキャラなんだろうか・・・
意味が解らない。
久々のTAMだったから、観てみたけれど、ブガッテイ、ベントトレー4.5L、アルファは全滅、なくなった。
ホームページを開くと、戦前のアルファの側面が載っている。
現在の展示、収蔵庫にもないのなら掲載させているのはある意味インチキだろう。
ない車を表示するのではなくて、展示してる車に取り換えるべきだと思う。
展示していなものをホームページの表に持ってくるこの感覚。
相も変わらず鈍いなぁと感じる。
全部外注なんだろうか?動き悪すぎである。
戦前のレーシングカーは全部、富士のスポーツカーの別館に行ったらしい。
スポーツカーの別館が出来たので、予想通りレーシングカー系のブガッテイ、アルファ、ベントレー4.5リッター、アルファロメ、サンビームは移動したようである。
博物館の人に以前聞いたら、そんな事(運ぶという事)はないと言っていたが、数年間で方針が変わったのかと思う。
展示が、何となく、パッとしない展示になりした。
一番よかったのは、GMの大阪組み立ての車が2台あった、兵庫ナンバーのシボレー・・・
右ハンドルと云うのがいい。
しかし、大阪にあったシボレーの工場についての軽い説明がない。
歴史の展示があるのでそこで表示があるかどうか知らない。
だって、私が読むべき内容はない。
どうなんだろうねという感じがした。
筑波號も展示がなくっていた。
これは残念である。
多分、オオトモ号があるからいいだろうとういう感じではないだろうか?
上記の三車種は、戦前のレースカーである。
開館当時は、2階のいちばいいところにあった。
自家用車が並ぶ中に、レーシングカーを並べて展示することで、いい感じがしていた。
上級な米国車の次に、白揚社のオオトモ号・・・・時代性で云うと順番が違うかなという気がした。
レースカーの生み出した技術上のブレークスルーを見せるべきたと、勝手に思っている。
乗用車ばかり並べてあるのを見たら、締まりがない展示になったと思った。
まぁ、スポーツカーを全部集めると云いう発想では仕方がないのだが、なんとなんく、展示のメリハリが無くなった。
つまらないと感じたただそれだけである。
ここ数年の企画展の質的低下が著しい気がする。
ラリーカーの展示は、面白い面もあったが、何となく、借りて来て、並べました問う感じしかいしない。
今回の展示は、またSDG再生可能社会関係なのだが、観た瞬間
「こんだけ?」という感じがした。
パブリカをポスターに使いながら、パブリカの展示がない。
パブリカ(UP10)をポスター使ったの意味も解らない。
関連性の無く、ただ単に色目と云うだけならくだらない。
大体、パブリカに豚耳を付けて豚?
3D撮影????
何で豚?
何でパブリカ?である。
どの年齢層に向けた展示なのか良く判らない。
意外と子供ずれの家族は多い。
展示パネルには、ふり仮名はほゞない、子供を相手にはしていないとい意思表示なんだろうと思った。
ヤリスのパーツを再生しています書いてあったが、回収率何パーセントで、使用部材の何パーセント使用とは書いてない。
学習効果はない。
再生した金属を、自動車メーカーは使用したがらない。
理由は、不純物が混ざる可能性があるからである。
その辺の事は述べない。
最初、パブリカ初期型のパブリカがポスターだったので、パブリカが当時画期的だった面を取り上げて、現在のトヨタグループで行っている自動車の回収、再生工程につなげるのかと思った。
アルミ入無合金を使い、自動車生産コストを下げた車として画期的だった点を展示するなら理解できる。
UP10が出てた頃のアルミニュウム工業会のパンフレットには、アルミを多用した車として紹介されている。
軽量化イコール燃費の向上のつながる、そうした点を記載するのも手ではなかったかと。
どちらかお云えば、産業技術記念館で行うべき展示ではないかと思う。
自動車博物館の視点がないので、内容としてはチープだと思う。
ここ数年の展示は、徐々に質的な低下していると思う。
最近は、ここ3年程で博物館の常連でなくなった。
博物館を、離れた目で見ることができる。
そんな事を感じながら館を後にして、ふと思った。
以前というか2年程、トヨタ博物館に通う事を日課としていた。
毎週高速道路を使い通った。
丁度、彼女が再度留学に出ていた時期だったので時間はあった。
その時は、毎週の様に博物館へ行き、知り合いの連中と話をすのは楽しかったような錯覚が有った。
しかし、今は、そんな事に時間を割く余裕はない。
また、一般的な車への興味が急速に薄れていっている。
自分の車と、戦前の車にしか興味がないのである。
そこで、残りの時間を考えると、時間の使い方に、取捨選択が必要になる。

何となく思った事がある。
「人生の色んな活動の一つの季節が終わったんだな」
と気が付いた。

だから、興味が無くなったのだ

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何故書くのか?

私が、こうして時間を浪費しているように文章を書く理由は何であろうか?
理由は簡単である。
恥辱を灌ぐという行為に他ならない。
戦陣訓ではないが、恥を知るものは強いという。
これは戦前の価値観ではない。
ある意味、意地と言ってもいい。
私は、個人的な恨みをそそぐために書いている節がある。
説度は守って欲しいのである。
終戦間際に、戦艦ミズーリに一機の零式艦上攻撃機が特別攻撃を行った。
その折、無事に突入(攻撃)に成功した。
突入成功率数パーセントである。
搭乗員の御遺体は機体から放りだされた。
一部の水兵は、御遺体に恥辱を与えた。
艦の幹部は、敵とは云え、戦士なのだからという事で、急遽赤い布を切って白布に切った赤布を縫い込んで旭日旗を作成した。
そうして、手製の旭日旗に、この特別攻撃隊員の遺骸を包んで水葬に付した。
これは、礼儀である。
人権侵害を行う人物には、礼儀はない。
いろいろと人の事を書いている、お前自身には「礼儀がない」と、思われる人もいるかもしれない。
しかし、基本的には、自分に向けられた無礼、与えられた恥辱への反論として書かせてもらっている。
無礼なことをしなければ、こんなことは書かない。
無礼なんかしていなといのは、パワーハラスメントの加害者の言い分である
ある意味、腹の虫:そんなもの居ないが・・・が収まらないからである。
特に、三重苦からは一度の謝罪はない。どこかで見かけると顔を背けて逃げるのである。
一度、合同展示会の会場で、午後1時過ぎに、模型の縁を切ったと抜かした。
その時の友人二人に対して、暴言を吐いて。
帰路はどうすると聞いたら、もう一つのクラブに参加しているので、そちらに載せて貰うから良いと抜かした。
云い方がものすごく悪いが、きわめて打算的だった。
ちゃんと、地元のクラブに、帰路の便乗の話をつけてから、暴言を吐いてウチのクラブを辞めた。
(三重苦の自宅近くの駅から私の家迄の交通費を浮かせたともいえる。
 静岡までの行きの交通の割り前を請求したら、最初は無視である。
 その後、何度か請求した。
 車の縁も切れて、これまた多くの友人諸氏への暴言を経て、付き合いが無くなった時に、関西AFVの会の時の交通費の未払いと、合同展示会の行きの交通費の割り前を請求したら、ようやく払い込んできた。
 その金額は、高々関西AFV の会の時の交通費(高速代ガソリン代)が、数千円、合同展示会の行きの高速代ガソリン代の割前が千数百円である。
 両方の合計で4000円未満である。
 この請求をして、関西AFVの会の請求は、2年半以上経過して、合同展示会の時は1年半以上たってから支払いだった。)
三重苦は謝罪をしない。
謝罪をすれば許してやらないことはなかった。
三重苦は、合同展示会での模型の縁きり宣言後、夏の「TAMmeet」に来た。
私の好きなソ連邦の戦車を作って持ってきて、見せながら、話しかけてきた。
この時に、私は、「これは、なぁなぁでの融和を図って来た」と思った。
三重苦自身は、気が付いていたかもしれないが、地元の某クラブでは、忌避されている(結構嫌われていて、クラブ辞めて欲しいという意見が多かった。
しかし、その当時、そのクラブへの援助をしていた金持ちがいた。
その人が、三重苦に入会を勧めていたので、なかなかやめてくれとは言えなかった。
また、そんなことを云ったらどんな仕返しをされるのか判らないと思ったので、沈黙していた。
三重苦にしてみれば、そのクラブは大所帯なので、自分で好き勝手なこと(展示)ができない。
だから、自分から戻りたいという意思表示かとも思った。
こんなことで許してもらえると思ったのなら、舐められているとしか言えない。
舐めているから、「お前は、使えると思った」など云う云う言葉が漏れるのだとも思う。
このTAMmeetの時は、私はタダのギャラリーであった。 
だから時間はあった。 
でもである、三重苦とは話をする気は毛頭なかった
合同展示会の時に
「こんなクラブやめてやる。
 お前ら仲良し三人組で好き勝手にやってろ。
 これで模型の縁は切る」
と云う、捨て台詞の残して去った事への謝罪はなかった。当然、私の友人への謝罪はない。
だから、私は、ここで「模型の縁は切ったんだろう」と云ってやった。 その後話をすることはなかった。 私は、忘れないためにも書いている。 前事務局長は、私、私の友人を何度も嘲笑軽侮したことがある。 私の、その人が仲が良かったことを知って言ったのなら罪は重いと思う。 そのことは忘れないという事である。

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憲法の保障する信教自由、人権

憲法の規定する信教の自由
第二十条
信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。
いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
② 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
③ 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
ここで、某似非キリスト教新興宗教団体を完全に排除するという事は、以下の人間をすべて排除する必要がある。
各政党の党員、党友、との職員、党の入居するビルの所有者、所有者が会社なら、その会社の株主、全役員、全従業員
選挙ボランティア、選挙カーレンタル先、借りる事務所の所有者、所有者が会社なら、その会社の株主、全役員、全従業員
政治家の居宅、事務所が賃貸なら、借りる居宅、事務所、の所有者、所有者が会社なら、その会社の株主、全役員、全従業員
政策秘書、秘書、地元の秘書、無償のスタッフ(ボランティア)
パーテイ券を売る人、パーテイ券を買う人、各種パーテイに来る人
演説会に来る人、演説会の警備担当、演説会の会場の所有者、所有者が会社なら、その会社の株主、全役員、全従業員
政治献金する人、政権金をする会社、会社の株主、役員、社員
市県の行事で、政治家が挨拶する場合、その協賛者、協賛企業が会社なら、その会社の株主、全役員、全従業員
講演を頼む人、講演先、講演先の後援者、主催者、参加者、講演する施設の所有者、その株主、全役員、全従業員
これらすべてを確認して、つまり信教を「聞き糺す」と云う行為自体は、信教の自由への侵害である。
また、他人に対して、自分の信教を強制されて語らせるという行為は、人権侵害である。
これを自民党に求めるマスゴミは、重大な人権侵害を助長しろ行っているに他ならない。
「あなたの信ずる宗教は何ですか?」
この質問は、政府による宗教弾圧である。
これは、まさしく憲法の違反以外の何者でもない。
基本的人権を高らかに主張したのは、宗教的弾圧からの離脱である。
この事を忘れてはいけない。
金を集めるのが悪い、宗教団体の集金システムがおかしいというのであれば、まず宗教団体の税上の優遇の中止。
1団体一以上の宗教施設がある場合、新築した場合は、本体以外はすべての土地、お寺の建物が立っている部分。 お墓以外のすべてに対して、固定資産税の賦課する
お布施に対して課税する、檀家の人数×定期的な管理料等をベースの意課税する。
つまり、檀家から収入すべてへの課税。
経費項目の厳格適用をすべきで、檀家周りにランボルギーニは有り得ないので、経費として否認する。
そこで問題となるのは、宗教とは何か?、新興宗教とは何かという事が問題になる。
京都で以前、拝観料への課税に各宗教団体が反対した。
これは寺の本当の収入がばれれることを恐れたと言われる。
文化財を抱えるお寺は大変である。
しかし、戦後、発生した宗教団体を新興宗教と断定して、すべて排除するという事にしたら、どうなるんでしょうか?
こうした論議の果てには、新興宗教を弾圧してもいいという事にもなる。
社会共産主義ファシズム系の政党の関係する新興宗教
政権与党の連立を組む政党の関係する新興宗教
全部弾圧してよいとうことになる。
マスゴミは、某似非キリスト教系宗教団体を非難批判しているが、自分たちが大好きな某似非民主主義標榜党の関係者で、某似非キリスト教系宗教団体との関係があったことが判明すると、「シレッと」関係ありませんでしたという発表で納得している。
これは不均衡である。
個人の宗教への帰依の状態を聞き糺しているマスゴミのやって居ることは、信教自由への明らか侵害で、あり人権侵害である。

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坊主の息子が乗るデイアブロ 宗教を聞くの憲法違反。基本的人権の侵害を許せというのはおかしくないか?

某似非○○○○教系宗教団体の問題がやかましい。
マスゴミの論点はいつもおかしい。
○○は、まず、金集めが酷いという。
新興宗教団体は存続する(生きるため)に集金活動をする。
お布施では足りなので、一攫千金コースを行う。
いわゆる、霊感商法による商品の販売である。
結果は、家庭崩壊、一族崩壊、破産、一家離散・・・はては殺人者を出す家もある。
これ等の集金活動は、某宗教団体に限った事ではないだろう。
某○○連立党の母体も同じような事をしている。
現に自分が経験したことであるが、某所を○○した時に、その襤褸家には不釣り合いな、白いガラスの引き戸付きの本棚があった。
こちらは白手袋をしているので、開けていいですかと聞きながら開けると、教祖様?の本がずらりと並んでいた。
教祖様が書いたと云いながら、ゴーストが居るので有名な冊子本である。
家の外に貼っててあるポスターから想像はしていた。
話に矛盾があるので聞き糺してると、生活費を削っても、生活が苦しくて、店を維持する金が無くなっても、喜捨をしていた。
最近でも、同じような新興宗教の信者からそんな話を聞いたというか、聞かされた。
しかし、コロナで、喜捨を行う事で生活が全く成り立たなくなることが判明して、流石に喜捨をやめたという。
そのむかし、某仏教系の大学の駐車場に行けば、新型高級車が必ず置いてあるという伝説があった。
某友人(彼は貧乏で、軽自動車の中古、40年ほど前、10万円で買ったスバルR2の乗った)に連れていってもらうと、確かに国産の新型スポーツカー、新型高級車が、こうずらーと並んでいた。
ここの大學は、お坊さんお子弟が多い。
学費も高い。
ある時、自動車クラブのツーリングで走行中に、ランボルギーニデイアブロ数台(4台から5台)、ブガッテイEB110に出くわした。
SAで止まっていたブガッテイのオーナーに聞けば、ランボルギーニを運転している連中のうち2人は、寺の坊主の息子、大学生である。
しかも一人は、その話を聞いた数か月前にランボルギーニ デイアブロを全損して、即新型のSVを買ったという。
寺が何でそんなに儲かる?
と話してた。
話をしてくれた、ブガッテイのご夫婦は、紀伊半島の方だった(と思う)。
ブガッテイは二度買えないから持っているといった。
ここで、当時でも千数百万円のデイアブロを、ホイホイ買える、「お寺て何?」と思った。
お寺さんは、ガメツイところは本当にガメツイ。<b
実際、変な寺は、色々と変な事業をしていところも多い。
一番単純なのは、不動産賃貸系、駐車場、賃貸マンションとかである。
あくどいのは、祈祷料、墓代、供養代・・・で儲ける。
税務署も、宗教団体の調査をするべきだろうと思う。
檀家周りにランボルギーニで行く事はないだろうと思う。
経費否認してやれよと言いたい。
基本、医者の高級車は、経費で買うのである。
後から判った事は、なんでも特殊な寺で、色々と噂があると聞いた、又、祈祷料が尋常ではないそうである。
宗教で金が掛からないのは、神社ぐらいだと思う。
好きな神社というか、川の向うにある山が御神体、通常、神域には入れない
川と言っても渓谷みたいなところで、鳥居がぽっんと立っている。
自分の経験では、お寺を借りて葬式をして、戒名を付けてもらって、150万円だった。
高いのか安いのか判らんのである。
更に、その頃は、葬儀屋がブイブイ言っていた頃で、葬儀の途中から葬儀代が増えるのである。
これは流石におかしいという事で、公取委に云う問うと、途中で増額した100万円は返却してきた。
葬儀やと寺がグルと云うのもある。
閑話休題
つづく

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