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続三丁目の夕日 雑感

前にも試写会の事を書かせていただきましたが、前作、続編共に試写会で見られたのは僥倖かと・・・。

オープニングは必見なのですが、そこかしこに流れる、東京限定の昭和エレジー(滝田ゆう?)は懐かしさいっぱいです。

子供を背負ったおばさん、掃除をしている子供、井戸端で、洗い板を使い洗濯をする淳之介!(なんとなく健気・・・)

そこかしこにちりばめられた細かなシーンの断片は、懐かしいの一言で済ませてしまうのは惜しい。

やせた野良犬!がうろうろしている(三船敏郎が出てた、野良犬という映画もありました。)。こんなのにノスタルジー感じるのは、40代以降の人であろうと思うのですが如何でしょうか?

東京の人なら、50代でしょうね。

昔、繁華街でも、どこでも、野良犬がいました。

30年ぐらい前には、お城の近くの公園で徒党を組んだ野犬の群れがいたことがあって怖かった事がありますが、昨今では、全く見かけになりました。

帽子を被ったおじさん、最近は時々見かけるようになりしたが、40年代後半から60年代には皆無だった様に思います。

茶川さんの正業?の駄菓子屋さんもすっかり姿を消しました。

宅間先生の話は、前作でも涙を誘いましたが、今回は、焼き鳥を持って狸を誘う踊り?が見ものですが、開発が進んで、狸もいなくなってしまったのでしょうか、今回は出てきて化かしません。

「もう一度、妻と娘にあわせてもらいたい」というのを聞けば、一緒に焼き鳥をかざしてやりたくなります、でも、宅間先生、夜じゃないと出てこないのでは?と突っ込みたくなりました。

おまわりさんの白い自転車!、都内では結構健在ですが、名古屋では市内では時々見かけますが、他の地域では、今は味も素っ気も無いスクーターになっています。

全般に流れる、時代の流れ、古きよき時代、新しい価値観、新しい便利な機械。

どんどん新しい物が出てきて、みんなが、どんどん幸せになろうとしていた時代が良かった時代の象徴なんでしょうか?

でも、10年ぐらい前には戦争があって、東京、名古屋、大阪焼け野原、広島長崎は消滅してしまった辛い時代、27年の講和発行までの何だか暗い世相を通り抜けて、良くなるんだと思っていた時代、みんな貧しかった。

お金持ちは本当にお金持ちだった、上ははるか彼方で、下は無い、そんな時代だったような気がする。

木製の冷蔵庫が道端に捨てられるという風景がありましたが、うちは、貧乏性なのかずーと置いてあり、種を保管する場所になっていました。基本的には捨てるんでしょうね。

ところで、主人公は、やはり茶川さんなのだろが、全員が主人公ような気がする。

当然?、誰でも、自分自身は、主人公で人生を歩んでいるのだからそれでいいような気がする。

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今日の出来事

今日は、忠ちゃん牧場にもいけず、家の御用事が済んだのは、3時過ぎ。

昨日は雨でしたが、ご友人と小牧基地の航空祭へいきましたので何もしていない。

航空祭といいながら、取る写真は、車輌がメインで、飛行機はデテールのみ(年賀状用の写真も一部取りましたが、F-4が、RF-4しか来ないので少々詰まりません。

牽引車、73式中型トラックの旧型(小松基地所属)が来ていましたので、スクラッチの資料写真を怒涛のごとく雨の降る中撮影しました。

ウニモグは今年もいませんでした。

さすがに疲れたので、何もしないでねてしまいました。

今日は、3時過ぎから、ワイパーの調子が悪いといわれていたので、走行後点検する事にしょうときめこんでおりましら、やはり、ワイパーの調子が悪い(リンケージがかんでしまう)ので試験走行もそこそこに、ご帰宅しました。

分解調整をしましたが上手くいきません。

古いリンケージのスナップリング取れて行方不明になり、パーツのゆがみも気になったので、仕方なく秘蔵の補給品パーツ(15年ほど前のもの)を取り出して、取り付けることにしました。

が、モーターにリンケージを付けてダッシュボードの下へほうり込むのは大変でした。

久しぶりに座席に横になって、取り付けなどしました。

10年ぶりぐらいです、座席を外して、床と背にしてパーツをはめて、調整するなんて・・・・

 なんとか調整はできました。

来週の為に、もう少し点検したいものですが、時間がございません。

先週は、風邪を引いて休んでいるので、無理は禁物です。

でも終わったのは、10時近くでした。

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ALWAYS 続三丁目の夕日

すいませんトヨタスポーツもパブリカ(ちょっと早いです)も関係がございません。

映画のお話です。

続編の試写会に行ってきました。

オープニングでは、ゴジラ(?)が出てきました・・・・・・・・・・(茶川さんの小説?)

なかなか、懐かしい雰囲気が総天然色(古!)で、再現されています。

ミゼットが、ロケット戦闘機の様にゴジラに踏み壊された街路を駆け抜けます。

おまけに、はねます・・・・。

すんごく、カッコイイのです、ミゼットが・・・・・・・

鈴木オートの看板が地に落ちているのを見て、社長(お父さんね)が怒髪天をつきます・・・・ゴジラ?が振り返ります。

そんな小説を、茶川さんが書いていると淳之介くんが、「おじさん、それじゃあまるでゴジラですよ・・・」

映画の内容は、漫画の三丁目の夕日の切り取りが多いのですが、なかなかよかったです。

前作を見た人には笑える瞬間が何度があります。

シュウクリームとか。

また、昭和30年代の30代の人の引きずっている大東亜戦争も、蛍の光(戦地から帰ってきた魂)で帰ってきます、そうして、生き残った人は死んだ人の分まで幸せになるべきですというう言葉に収斂されます(泣けてきます。)。

日本橋の上に、高速道路がない風景は、懐かしさでいっぱいです。

結末は、やっぱり夕日ですが、お勧めです。

前作を見てから続編を見るとよりいっそう楽しめると思います。

車的にはスバル360(出目金)が、カタログのまんま(カタログで、路駐している例の奴です。)という感じで出てきます。

ダイハツビー、オースチン、オート三輪、RSクラウン、涙が出てくるほど出てきます。

DC6の尾翼には、パンナム!、最初の頃の日本航空のマーク

こだまの車窓越しに見える昭和30年代の東京、東海道本線・・・嬉しかったです。

こだまは、修復された本物が使われたようです。
埼玉の鉄道博物館へ行きたいような気になります。

茶川さん(役者さんは、吉岡さん)が、また良い、情けなくていい。

芥川賞を逃した後で、あけみさんが帰ってきて、自分の不安を訴える情景があるのですが、個人的にも、小説家をあきらめた気分は、切々と分かるので、滂沱の涙でした。

多少、質問したいようなところも(オヤジの視点)はありますが、前作同様御贔屓にしてあげたいと思います。

追加・

お知りあいが、一般公募のエキストラで参加していたので画面を探しましたわかりませんでした(笑)。

昔、若かりし頃、知り合いの知り合いの知り合いというわけのわからない繋がりで映画のエキストラに出たことがありますが、画面にチョイトでたのは映画見て判りましたが、それが自分だとわかるのは自分だけでしょうね。

でも、映画にエキストラで出るのも楽しかった(素人丸出し)です。

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閑話休題

久しぶりに、豊田市内(豊田郵便局の近くで)でパブリカを見ました。

20の純正ぽい青でした。

後姿だけでしたので、快調な音をしていましたが、オーナーを拝見できませんでした。

UP10(40年)をなおそうかどうしようか悩んでいます。

お金が掛かるのが最大の悩みですが・・・・700エンジンミッションも1台分はあるので何とかなりそうなのですが、家族の理解が得られるかどうか?が問題です。

40年か、41年のヨタを直すときのパーツ取りと考えても良いのだが少々悩む。

ベンチレーションチューブは、ド初期のヨタと同じである。

師匠が、ド初期型を持っていたときに、レストレーションするなら提供しても良いという感じだったが、その車もすでにないのでどうしょうか?というところである。

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2007 touring 1日目の地図完成

http://www.me.ccnw.ne.jp/flattwin/newpage4.htm

スポーツツーリングの3日の地図が一応出来ました。

(一部詳細図が足りませんが・・・)

二日目のコースは、毎年だらだらのコースなので、別段作らなくていいような(W)

しかし、台数の解析は疲れます・・・ネコの資料がどこまで信憑性があるのか?

また、43以外は、何番代から年式が変わっているのか明確に分かっていません。

枝葉末節な変更点

たとえば、66年のパーツリストで確認できる変更点は以下の通り。

クラッチ部分の変更(11256以降):66年2月変更、

エアクリーナーケース(11486以降1本締め)、66年5月変更

ルームミラーが、ダッシュボードから吊り下げに変更になったのは、11631(66年のパーツリストで確認)66年7月

ばらばらに対策したことが分かる。

しかし、車体の一部変更があったのは、66年の7月以降だが、パラントプレートの番号と車体番号の差がてくるのは8月以降。

8月の生産台数は、 58台、現存している生産番号は、8月分で30台目まで、この30台目で、2台の差が出てくる。

これ以降、断続的に、車体番号とパラントプレート番号の差が発生してくるのである。

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生産台数(暫定 現在解析中)Vol②

トヨタスポーツの生産台数は(自工レーシングは除く)?

車体番号では 3131台(ネコパブリッシング)となっていま、三樹書房の生産台数は3057台ですが、実際はもっと少ないようです。

2768台ではないかと想定しています。

3131台から363台分のカラ番号を引いた数字です。

つまりは、車体番号(車体の打刻)と、パラントプレートの連番との相違ということから想像できるお話です。

Nさんの生存リストとTSOCのフルーイ「クラブマン」に書いてある車体番号を元に現在解析中です(小生は、もともと統計学出身なので統計はの解析は得意です。)

結論じみたことを言えば、昭和40年から41年の8月までは車体番号とパラントプレートに相違はないので、生産台数、イコール、車体番号であることは容易に確認できる。

しかし、41年から、数台づつ差が発生し、42年12月から3月の間の車体番号の多くは(54台ほど)は、カラの番号である可能性が高いことがわかった。

69年に関しては、1月生産台数32台 確認できた台数が32台

しかしパラントプレートの番号は、5も差が出来ている。

月の半ばに5差が出来ている、差が出来たのは、12896(2567)と12907(2573)間の5台分である。

2573は、43年式の車であることは確認している。

2月は、2579と2601の間で、21台、3月は 2609と2619の間で9台の差がある。

全部で35台分である。

そこで疑問なのだが、ネコの月別生産台数は正しいのか?という疑問が湧いてくる。2573のオーナー(ワンオーナー)であるが、43年式のほぼ最終生産車であったようなことをデイーラーから云われていたので、44年の1月の生産であると思われる。

では、44年の生産は何時からはじまったのか?

44は、43に比べると外観の変更点は少ないは車体のそこかしこは、大幅な改修があったので生産体制の見直しはあったと思われるので、1から2ヶ月程度の時間をかけて生産体制を変更したのではないかと想定するが、いかがだろう?

また、統計学的にありない、パラントプレート番号も数件散見された。

よくわからないパラントプレートの番号が44年は2枚ある。

12926(2595) 12937(2583)この2台のパラントプレートの番号は、生産台数とパラントプレートの差数の値がこの車両の前後は、344台分の差があるのに、331と354になるのである。

また、カラ番号大量発生は、何らかのマイナーチェンジかとも思いましたが、年式による変更点が大きかった場合に番号が飛んだのではないかと推定していましたが、切れの悪い数字での番号とびも多く、43への変更時の切のいい番号への番号飛ばしぐらいしか見当たりません。

(41から42,42から43,43から44の生産体制の変更時に発生したのでは?、小改修では、あまり差がありませんので若干の年式による仕様変更の可能性は高い?)

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