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神とともにあらんことを その3

極めて個人的な意見を言えば、神様の存在理由を

「こころの平安を得る」

という目的のためだけの神様仏様預言者様は、不要であると思う。

そう思うのは、強者かもしれない。

しかし、こころの弱い人は、縋りたいと思うのではないか?

そうも、考えるのである。

自分は、どちらか?

強者でありたいと思うのは願望であり、気概でもある。

では、まったく縋りつきたいことがないかと云えばそうでないこともある。

しかし、信じてないから、論理的に考える癖がある。

例えば、ガンの患者がいたとする。

ステージ4でもうダメと言われたら、

私だったら、諦めるのではないかと思う。

それが、伸るか反るかのような状態であれば、治療と共に、素直に「縋りつきたいと」考えるかもしれない。

そう考えることは、「いけないことではない」とも考える。

だが、根本的には信じていない。

信じていれば、もしかしてという「一縷の希望」かもしれない。

でもどうだろう。

パンドラの筐から最後に出てきたのは「希望」であるが、「希望」イコール「神へのお願い」ではないと思う。

戦地で、死にそうな体験をした人が沢山いる。

例えば、マンガ家の「水木しげる」氏の様な人もいたから、よく知られている。

不思議と弾の当たらない人が居たりする。

ここで、いつも不思議なことを考える。

それは、「運」というものである。

私は、基本的に「運が悪い」と思っている。

高校2年の頃、夏も過ぎたので大学受験を考えて、

「さあ、頑張るぞ」と思った月曜日に交通事故で重傷を負った。

顎の直脱骨折・・・ワイヤーで顎を固定されて3か月過ごした。

(相手は、創価学会の青年部長という高校生で、親(某市の清掃局員で)は貧乏を理由にほとんど賠償金を払わなかった。

自転車が、10万、治療費が約30万、儀歯8万円、顎の固定で通学はタクシ-、バスでの通学は困難であったので、2か月間タクシー通学した。この費用が約20万円、なんだかんだで、100万ほどかかった。

でも、創価学会の自称貧乏人は、自転車代と称して6万円持ってきただけだった。

ちなみに自転車は、10万ほどしたスポーツタイプ)

この後、どうも、根気が無くなった。

他にも不運は沢山ある。

最大の失敗は、就職であった。

2回もしたが完全に失敗だったと思っている。

選択したのは自分である。

そう選択したのは、最初から意中の仕事には諸般事情で就くことはできなかった事も、要因ではある。

当時の自分は、実際はどうも色々と先の事を考えるという事がなかったような気もする。

悪く言えば、思慮の足りない愚物であると云える、よく言えば極楽蜻蛉であったという事である。

就職先は、外から見ると良いが、中身は最低であったという事である。

最初の職場は、色々と経験できてよかった気もするが、どのみち、肌合いが悪いことには違いがない。

でも結果、良かったと思えることも沢山ある。

今の職場は、親の助言で選択したのであるが、親は、地元に居てほしいという気持ちが強かった、面倒を見てほしいという気が在ったのは事実であろう。

それに、自身も、東京の立錐の余地のない街、立ち止まれば、轢き殺されような世界・・・・夏目漱石の「草枕」にもそんなことは書いてある・・・・・に辟易していたのも困った現実だった。

試験に合格していたので、中央官庁からお誘いもあったが、義絶した。

こうした間違った選択したことは、「運が悪かった」とは言ってはいけないが、何となく根底に、「運が悪い」という気持ちが残る。

 

ここに「神さま」を、ご降臨願った場合、神様たちの御宣託はない。

誰か宗教家の口を借りての御宣託はあるかもしれない。

また、儀式で、ある一定の結果(法則)が出れば、こうゆうご宣託(意見)だと云われることが有るかも知れない。

だか、別段、直接的というか、直截的に「神様からお言葉」がある訳ではない。

つまりは、願っても回答はないという事で、それは聞くだけ無駄ではないかと思う。

困った時の神頼みなしても無駄なのである。

そう考える自分が居る。

20170627初出

20170628 加筆

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神と共にあらんことを その2

「魂の救い」と称するからには、「魂」と云事が判っていないといけないと思うのだが?

そこで、魂とは何だろうと考えるのが至当かもしれない。

でも、個人的な感覚では、何となく「魂とは、人間の根源的な発動機関ではないか」という思いがあった。

これは、車で言えば、エンジンと燃料の組み合わせを統括する、現在で言えば制御用のコンピューターのようなものと云う認識だった。

その「魂」という前提があった所為(せい)か、人間そのもの存在への疑問よりも、宗教の持つ、魂に救済をもたらす存在としての神様という様な「崇拝される絶対的なもの」とは何か?

という疑問へ方向舵を切った。

最初に読みだしたのは、身近に有ったキリスト教の旧約聖書、新約聖書である。

(云っておくが、我が家は、耶蘇教徒ではない。)

これを、まさしくせっせと読んだ。

その後は、仏教の本を沢山読み漁った。

仏教関係で、最初読み始めたのは、所謂(いわゆる)解説書である。

しかし、お経の意味や仏教説話めいた話ばかりで、これでは、「群亡象をなでる」ではないかと思った。

そこで、解説書の様な入門書では無くて、原初の翻訳に近い本を選んで読んだ。

多くは、東洋文庫のインド哲学、仏教哲学の本が愛読書になった。

神話なのか、説話なのかわからないような面もありましたが、ひたすらに読んでいた。

基本的なスタンスは、理解することから始めようという事であった。

ただ、文系的なアプローチである、「イエスキリスト、ブッタの亡くなった後の世界のという結果という現実」から「原因が何であり、結果がどうでなった」という風に考える手法が主体ではあったが。

常に気に止めていたのは共に、こん本が書かれたその時が、その時点の「今」であるという事を認識しながら読むという姿勢が必要であるという事である。

ただその時の「今」は、現時点から見ればものすごーく古い「過去の一時点」である。

その過去の時点の論説は、現在(20世紀の現在である)ではどうなったのか?

どうして過去の「その時の視点」は、現在の「その視点」に変化したのか知ろうとした。

しかしながら、現在のその事象への反応を読み解くことは困難であった。

それは、いずれの宗教も、2000年もたてば分派闘争がひどくて、なにを読んでいいのかわからない状態になったのである。

そこから、「では、それぞれの云う「神」は、普遍的ではある。

にもかかわらず、分派して行ったのはなぜか?

このような状態になった理由は何だったのか?

今後、どの様な状況が予想されるのか」という事を考えるようになった。

本を読んでいてもわからないことがだらけなので、実際に聞きに行ったことが有る。

ある時、神様の存在が信じられないという事を、耶蘇教の教会で神父にも尋ねたたことが有る。

答は、「あなたの心の中に常に神は宿るであった。」

そう考えると、教会はいらないのではないと、考えたのである。

間違った宗教心を正すのが、教会、寺院の人たちの仕事であるならば、常に関与していない人たち(教会、寺院にいかないに人たち)は、どう正されるのか?

どう正したのか?

ほかの宗派の人をどうしたのか?

答は、非寛容である。

キリスト教は、キリスト教徒殺し、イスラム教徒を殺した

仏教、他の宗派なら、人間ではない。

戦国時代の本願寺は、まさに、殺戮の一方の雄であった。

織田信長に、負けはしたが、殺しの元締めだった事は事実である。

日本の歴史から見れば宗教が、同胞を殺した点では、戦国時代が一番ひどかったのではないかと思う。

キリスト教徒は、被害者面(ずら)をするが、現実的に、キリスト教の進出イコール、欧州の進出、侵略だった事は事実だろう。

侵略者の手先になったのだから殺されても文句を言うべきではないだろう。

でも、当時の権力者が衰退すれば、その行為はなかったことになされる。

そうして、キリスト教単体の視点で見れば「殉教」ということになる。

まあ、宗教に名を借りて、相手も殺し、自分の信者も死に追いやった。

殺しも殺したりである。

「人を殺すことは、悪である」と云うのは、どの宗教でも根本原則である。

しかし、ここに、他の宗派、他の宗教の人は、関係がない、というか、人と見てはいけないという判断が下される。

つまりは、彼らのいう処の「人」には含まないと云う事になる。

すると、これは、基本的に宗教の名を借りた、虐殺ではないかと思う。

つづく

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神と共に、あらんことを その1

 

私は、いわゆる無神論者である。

 

しかしながら、単純に、「神様なんていない」とは思っていない。

 

なんと云うか、証明できない、一方通行な思いを語るだけの対象物としての「神様」は信じていないという事である。

 

神様その者よりも取り巻く人たちが嫌いなのかもしれない。

 

基本的なスタンスは、「神仏に祈っても何の助けもない」という考え方である。

 

その昔、ある不幸な出来事(その実沢山ある)をめぐって、お悩みなったことが有る。

 

ある時期、真剣に、哲学科に行こうと思ったぐらいである。

 

(しかしながら、哲学科では、卒業しても食えないから止めた方がいいと説得されたので、止めるところがヘタレではある。)

 

高校大学時代に、聖書(旧約、新約)、 東洋文庫や岩波の訳本をむさぼるように読んだ。

 

(東洋文庫の本、高かったんですけどね。)

 

聖書は、新約、旧約共によく読んだ、というか、読みん込んでいった。

 

そこで、ふと思ったことは「奇跡とは、なんだろう」と思った。

 

今、思えば、自分でもよく読んだなぁと思うぐらい、この手の本を読んだ。

 

そうして、個人的な感想として、宗教というか、神様、仏様、預言者の数々に対する「信ずるものは救われる」という感覚は持ちえないと考えるようになった。

 

キリスト教にしても、キリストの受難は理解できる。

 

それらの苦難は、準備された苦難であり、苦難を受けなければならないという気がするのである。

 

すべては、ステージの上で作られたよくできたお芝居の様な感じを受けた。

 

米国の映画の所為もあったかもしれない。

 

でも、ゴルゴダの丘で、ロンギヌスのやりに貫かれるまでは、よい。

 

貫かれて、自分の自重と息をする苦しみから、長時間苦しんでから死んでいく。

 

そこまではよい。

 

しかし、遺骸を引き取り、洞穴へ安置した以後の事は、どうも、作った感が強い。

 

預言者が、受難の後、死んで、復活したから神であるという事は信じられない。

 

死者は、生き返らない。

 

生き返ったものは、人でも、神でもない。

 

仏教では、シャカ族の王子の話は読んでいてワクワクするものがある。

 

彼が、いろいろなものを捨て去り、最後には自身をないものとみる、そうすると「無」なものを作り出すことを得る。

 

だからと言って、気持ちの上では、現実から逃げることができるが、人の現在の状況が救われるとは思えない。

 

そもそも、なぜ、「信じられない」という気持ちになったのか?

 

神の奇跡」が信じられない。

 

「神の奇跡」を語る人たちを信じることができないのである。

 

それは、神様への不信ではなくて、神様に使える人々への不信が原因である。

 

少々長い話ではあるが、お付き合い願いたい。

 

あるところに戦争未亡人がいた。

 

もう40年ぐらい前の話だ。

 

たいへん信心深い人で、この人は、自分の不幸を、自身の不徳が原因と考えていた。

 

自分の若い頃の行いが悪いから、夫は戦死し、子供は、学徒動員で工場に居るときに空襲で死んでしまったと思い込んでいた。

 

そうして、罪深い自分だけ生き残ることを強いられていると信じていた。

 

彼女の信仰心は篤かった。

 

でも、である、傍から見ていて、信心すればするほど貧乏になるように見えた。

 

いくばくかのお金を稼いでも、教会に寄進してしまう。

 

外形的には自主的な寄付なんだろうが、吸い上げられていくようにしか見えない。

 

彼女の通ってた耶蘇教会の小間使いは、金持ち(大口献金者)にはやさしく、小口の見るからに貧乏な信者にはつらく当たっていた。

 

彼女の日課は、女中として働いている家の用事が済むと、小一時間でも時間があると、古い自転車にまたがり、教会へ行っていた、

 

教会の草取り、清掃をして、祈りをささげることを、生きていくためのこころの糧としていた。

 

ある時、私は、母につれられて、買い物に出かけていた時の事である。

 

数分前に自転車で、教会に向かって疾走しているすがたを見かけた。

 

そうして、教会につくと、その裏店自転車を動かして、裏手で何かをしている様子だった。

 

すると、小間使いの鶴の様に痩せた中年女が、彼女を罵っていた。

 

まるで、小間使いにしてみれば、その夫人が来て働くの当たり前、扱いはまるで奴隷だった。

 

その時は、来る時間が遅かったので激怒したらしい。

 

母は、それを見て抗議した。

 

憤懣やるかたない気持ちで一杯だった様である。

 

そこで、私は、母に、そのおばさん(戦争未亡人)の事を聞いた。

 

不徳内容は聞けなかったが、大体の概要は聞いた。

 

夫人の教会通いは、魂の救いを求め、奇跡を求めているという事であった。

 

その夫人のいつもの言葉は、「すいません、すいません」と云いながら次の言葉を継いでいた。

 

母の怒りは、謝ってばかりいる姿と、自分は最低限度の生活をしつつ、お金は教会へ寄付ばかりしているその姿勢だった。

 

私は、母の怒り根源は、その戦争未亡人が、なんとなく、愚かに見えるからだろうと思った。

 

(今から考えると、精神を病んでいたのかもしれない。)

 

宗教には寛容な母は、どちらかと云えば信心深い人である。

 

しかし、理不尽なことには、許しがいたい感情を持つのである。

 

人には、やさしくすべきという感覚を持っていたので、神に仕える者としての耶蘇教徒の小間使いの言動には激怒していた。

 

戦争未亡人の彼女は、寄付をすることで、徳が積めると信じていた

 

夫人の住んでいるところは、戦前からある古い建物であった。

 

うちの持ち物で、部屋は二間で、台所、厠はあるが、風呂なし、宿舎の様にして貸していた。

 

昔は、ほかにも、書生、運転手夫婦が住んでいたので、風呂は、祖父の離れのものを使っていた。

 

ちなみに、賃料は、昭和50年代でありながら、戦前の昭和12年に、御主人が出征時に、凱旋後に、相談して改定ということになってので、昭和12年からから改定無し、つまり、1か月数十円だった。

 

十分食べていけるだけの賃金と、朝昼晩のまかないがついているにもかかわらず、服は、おさがりばかり、足袋も、つくろい跡が目立つ程であった。

 

でも、彼女は、奇跡を待つという希望があった。

 

もしかしたら、夫は、南洋で生きていて帰って来るのではないかという、閃光の様な希望があった。

 

聴けば、御主人は、ルソン島に居たらしかった。

 

何度も、再婚を進めたが首を縦に振ることはなかった。

 

何時も、「ここ追い出されたら、夫が返って来た時に会えなくなりますから、どうか、追いださないでください」と云っていた。

 

追い出すことは無いといっても、何となく不安げで、不幸が顔にこびりついていた。

 

もう、御主人の帰郷はないとあきらめかけていたころ、ある事件が、「もしかしたら」という気持ちを、引き戻してしまった。

 

それは、ルバング島の横井さんや、小野田さんの帰郷が、一縷の望みをさらに太くした。

 

彼女は、いつも、夫が帰郷したら温泉へ行こうと思うんですと語っていた。

 

だが、結局帰郷することは無かった。

 

わたしから見ると、最後まで不幸の人に見えた。

 

その実、彼女の最後はあっけなかった。

 

ある初夏の頃、夕食を取ながら、一人でさみしく死んでいった。

 

発見された時には、戦死したご主人、空襲で死んだ子供二人の学生服姿の小さな写真を胸に抱いていた。

 

祭壇には、ご主人の赤紙、戦死公報、写真、お子さんの写真が並んでいた

 

木製の十字架があった。

 

日曜日の朝、いつもなら来ているこの夫人が、いつまでたってもこないので見に行ったら、借家の一間(ひとま)で倒れていた。

 

驚いて、家人を呼ぶにやると、息絶えていることが分かった。

 

人が死ぬと、非常に冷たくて、固いものであることを学んだ。

 

死因は、心不全だった。

 

夕食を食べている途中でなくなったようで、粗末な祭壇には、祖父の家で、余分に取った「うな丼」が小鉢に分けて置いてあった。

 

夫の写真の前、二人の子供の前にそれぞれ、小さなお椀に一切れづつのかば焼きが載っていた。

 

大騒ぎになったが、身寄りもなく、うちに長年、来ていたので家から葬式を出すことになった。

 

何時も行っていた教会に、葬式を頼んだ。

 

すると、神父にも小間使いにも嫌な顔をされた。

 

何か、いろいろと言い訳をしていた。

 

悪く言えば、貧乏人だからという事だった。

 

彼らは、逡巡のの後、自殺でもないのにもかかわらず、断ったのである。

 

それを聞いた祖父と母が怒った、

 

(不条理なことが有ると怒る・・・この性格は自分にも色濃く残っている。)

 

まぁ、母の学校が耶蘇教の学校だったのでその伝(つて)で何とか葬式は出せた。

 

棺に、旦那さんとお子さんの何かを入れてあげようということになり、部屋を探しに行った。

 

彼女の旦那さんの白木の箱には何も入っていなかった。

 

旦那さんの服もそのまま残っていた。

 

でも、出征前に残した、髪の毛と爪がハトロン紙に包んであった。

 

お子さんの勉強道具、写真、文房は、柳行李に入っていた。

 

結局、御主人の髪の毛と爪を入れ、子供学生帽、文房道具を入れて焼き場に運んでもらった。

 

寂しい葬式だった事を覚えている。

 

お骨は、仕方がないので、何所かへ持って行ったと思う。

 

その時に、私は、宗教とは何だろうと考えるようになった。

 

それは、「魂の救い」と称する行為への疑問の第一歩であった。

 

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今日の出来事


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今日の出来事

今日も、トヨタ博物館へ行きました(w)。

昨日撮り忘れたShelby 2000GTのパート撮影と、特別展示中の2000GTの撮影のためです。

フェイスブック「いいね」記念バッチ欲しさではない(笑)

すでにコンプリートしまして。

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昨日帰宅後、撮影内容のチエックをしていると、撮影個所に漏れがあることが判明

大体、こんなところ

排気管の取り付け方法(ものすごくどうでもいい)

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キャロルシェルビーさんのサイン(きれいに映っていなかので・・・)

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左側前方のホイール(2枚しかとってなかった・・・だから何だと・・・)

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上記を頑張って撮影しました・・・360枚ほど

昨日が、700枚強なので、1000枚ほど

不足があると・・・もう日本でお目にかかる事はあるまい!

と云う事で

「これは、明日も行かねば(すでにバカ)」である

あくまでも、撮影がメインです(笑)

ピンバッチは二の次ですが・・・ここは大人なので

朝早くから行か!

で、9時5分につくと・・・もう、並んでます。

16番目(だったと思う。)

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9時半までには、ぞろぞろと・・・・・

前に待っていたおじさんはヨタ狙い

今日は、2000GTとわかると、明日も来ねばと

聴けば

以前、黒メタのヨタにお乗りだったそうな

四日市在住の方だそうで

ヨタ乗りと伝えると

いきなり

○○(三重苦)さん知らない?」

「・・・・・・昔の知りあいですなぁ」

「昔、ものすごいこと言われてね。

 あの人、オリジナル至上主義だったでしょ!

 ここに線が入ってないとかさ(フエンダーの分離線の事らしい)」

その人の友達

「そんな事、わざわざ言ってどうなる?」

わたし

「まぁねぇ、そなんこと云ったて仕方ないのねぇ」

元ヨタ乗りの人

「めちゃくちゃ言われてねぇ、好きだったから買ったけど、なんかやになっちゃんてね。」

わたし

「いやー、もう何年もお付き合いないのでねぇ」

「いやぁ、ほんとめちゃくちゃ言われてさ」

その人の友人

「そんなこと言われたら、殴っちゃうなぁ」

元ヨタ乗りのおじさん

さんて、友達いないでしょ、周りにいた人はどんどん居なくなったもんね」

そこで

「「イベント手伝っていた時に、年で俺に手伝ってもらおうと思ったのか」

て聞いたら

「使えると思った。」て云われてねぇ」と言うと

 

それを聞いた、もと、ヨタ乗りのおじさんと、その友達の方

「そんな奴、殴っちゃうな」とお友達のおじさん

元ヨタ乗りのおじさんは

「なんか、みんなに嫌われていたでしょ」

「頭がいいから、口は達者でさ、言い負かされちゃうんだよね」

「けっこう、みんなにめちゃくちゃ言うから、嫌っている人多くてさぁ」

「よくさ、気に入らない人が居るとめちゃくちゃ言うでしょ」

とまぁ・・・・でるはでるは・・・悪口が・・・

 

廿年以上前の事らしいのですが・・・私は、ちなみのこの人のことは知らんのです。

 

わたくしは、イベントの為と、奴の知識がほしかったので、打算的に14年ぐらい付き合いました。

しかし、合同展示会で、われられに対する暴言、他のクラブの関係者へのひどい態度を鑑みれば・・・

結局、付き合うべき人というか、価値の無かった人だぁと

再認識してしまいました。

 

時々、◎◎(三重苦)の話題が上がると、人間の屑みたいな面を、他人から聞かされることが有る。

強烈だったねぇ

◎◎君は・・・・。

で、ちなみに、今日の撮影は、ボンドカーとトライアイル者の撮影に燃えました。

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Shalby TOYOTA 2000GT

トヨタ博物館 正面玄関


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トヨタ博物館で、現在、シエルビーアメリカンの制作した2000GTレーシングが展示されています。

トヨタ2000GT 発売50周年記念で、来日したオーナーのご厚意でトヨタ博物館に現在展示されています。

6月25日までの展示です。

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CCF PART2

RX-7

その昔、ちょっと痺れた

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スターレットも30年経ったのね

希少なターボ

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ふるーい86まで

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このワーゲン、工具箱が素晴らしい

寫眞でしか見たことなかったので、ちょっとカンドー

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エンジンです

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ダットサンスポーツカー ではなくて、これはすでにフェアレデイ

ものすごくお金がかかっています。

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憧れのコスモスポーツ

もう買えません

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博物館のE-type

いいねぇ、白い色がこれほど映えるクルマも珍しい。

白って間延びした感じを与えるから、意外と似合う車はないのデアル

大衆車の白は、無難だからという意味でしかない。

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こちらはクーペ

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いいお尻だよね

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ちょっと驚きのナンバーです

普段、使なら最高の車です。

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グッと、出たお尻はいいねぇ


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目の保養ができましたねぇ







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今日の不幸

今日は、福井県で友人の結婚式に出るためにいつもの出勤時間より早く家を出た。

待ち合わせは、ホームで07:40頃

心配性の私は、7:20には着く算段であった。

金山駅を出て、尾頭橋の駅を過ぎた頃

突然

多分、車掌室の音声がONになっていた所為か、聞きなれない音が・・・

「ぴぴぴぴぴぴぴぴぴ 緊急停車します、ぴピピピピピピ緊急停車します」

ATSによる自動停車の様だった。

初めて聞きました。

車内放送で

「緊急停車します、ご注意くだい

ご迷惑をおかけします。

緊急停車します。」

で、

電車は急減速

こんな急減速初めて、でも機械制御ポイ止まり方

「がっくん」と止まった。

その時に思ったのは

コイツは、「誰か、轢いたか?」

と思い、こいつは、動かないかなぁ?

困ったなぁ

マックス、25分以上止まるとアウトだなぁと思った。

しかし、5分もたたないうちに動いた

様子が変だったのと、定期券で入場、名古屋市内から福井市内への切符なので、定期券をキャンセルしてもらう必要があったので、改札へ

すると

女性が、「振り替え輸送はいつ始まります?」と

「振替輸送・・・・・・・?????????」

駅員さん

「熱田駅構内で、死体らしきものが発見されました。

運転を取りやめています。」

「は?

すいません、シラサギ1号は運航しますか?」

「特急ね、これは出ると思うけどなぁ」

「ありがとうございます」と云って去った。

構内放送では、熱田、金山間で車両と触車した人が居るという放送・・・

かなり不安になる。

中央線は、稼働している。

岡崎ゆき普通は、名古屋駅で運休

再開の見込みは判らないという。

友人二人と落ち合ったが・・・間に合うのかねぇ・・・という感じであった。

07:50分発のシラサギ1号は出発が15分おくれた。

東海道線は、とりあえず止まったので、大垣駅に居る電車が出られなくなっていたので、シラサギは、穂積の駅で15分ほど停車

米原までで、25分遅れた

結局、福井駅に着いたのは、40分遅れだった。

帰りは、17時38分のシラサギで帰って来たが、その時でも、20分遅れていた。

一つの人身事故で、これだけ運休、振り替え輸送が生じると、JRとしても大変だろうと思う。

まぁ、友人の結婚式は自体は良かったので、帰りには気を取り直していた。

東海道線が、平日の朝から2時間も、不通になると、駅の構内、ホームは、ぞっとするような風景だと思った。

20170604

20170605補正

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