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定年退職後の方々

うちの会社(笑、警視庁の方が桜田商事て云うのと同じレベル)の定年は60歳ですが、再雇用で65歳まで勤務が可能です。

偉い人、云わゆる人事権が中央官庁に会って、大臣が任命するような方々は、辞めると、他官庁の契約社員や、指導担当になったりします。

でも、そのまま残ろうと思えば残れます。

残るとどうなるか・・・一般的な支店勤務はから外されて、キッチリ本店の部署へ。

支店で使えない再雇用のおっさんも時々本店へ・・・・

幹部職員で、ものすごく稀有な例では、市町村への再就職とかもあるんですけどね。

基本は契約社員。

この間、某支店を副支店でお辞めになったかたで、某市町村へ再就職なさった方が、上司へ電話をしてきて(文書の照会ではない)、内部の登録情報を聞いてました。

傍で聞いていて、内容の確認だったようですが、電話で聞くなよという気がします。

おまけに、答える方も答える方で、非行事例の研修を受けたばかりである。

これは守秘義務違反でアウトだろうと。

聞いて来た奴は、以前の支店で、勤務したときに

「君の悪いうわさを沢山聞いている」

といきなり、ストレートを打って来たので

「へ―どんな噂ですか、内容を教えてもらいたいですね。

どうせ、飲み屋で聞く、悪口でしょ」

すると

「そんな内容は云えんが」

「だったら言わなきゃいいんじゃないんですか?」

すると、沈黙してしまった。

コイツは、退職後、ある人が、転勤の不満について語った内容をそのまま、ある県人会の退職者の飲み会でベラベラしゃべった過去がある。

元々、周囲からは、副支店の内示(辞令)が出た時に、皆さん一様に「あんな人」がのレベルであった。

まぁ、順繰りと系統別の割り振りで、成れたんだろうねということである。

能力は二の次の集団である。

とにかく、自分い逆らわない

飲み会は出てて当たり前

子どもの面倒を、奥さんひとりに押してけないのはダメ(お迎え等で仕事の時間を減らすことは禁止)である。

(最近さすがに、せっせと、育児休業を!とか云うが、取ればマイナスで見る奴が多い。)

で、退職者の再雇用で、支店で使い物にならず(現役時代も全く使い物にならない上司でしたが・・・)、本店の某部署へ転属になった。

で、

それを聞いて、「何であんな人を?」

であった

来週、うちの小さな支店に来るらしいのである。

それは仄聞した

だが、たまたま、こいつから先日うちの上司に電話がかかってきたが、ちょうど上司がいなかった。

さしよく云いぶりは、上司時代の様に、「〇〇くん、元気か」

「元気なわけねえだろう」

いつも思うのだが、分別のある人は、退職したら上から目線では、ものを云わない。

でも、大体、阿呆だと思われているのは、上から目線でかつ、自分の元の地位のモードで話をする。

先日、ある民間企業に、ご勤務の友人と話をしていたら、こんな話が有ったそうである。

数年目に、退職した人(元部長)が、会社に来たそうである。

どうも、自分で、一人会社を創ったそうである。

自宅を本社にして・・・内容は、色々な新技術のベンチャーの技術(使えそうなもの)を紹介したい。

要は、仲介をして、中間搾取をする仕事をしたいような口ぶりだったそうである。

彼は、一応、係長の頃、そのおっさんの部下だった事もあったそうである。

来るなり横柄な態度で、名刺を出して、部長に取り次げと・・・

契約書を持参していて、口座をまず作ってくれと・・・・

友人は、ご丁寧に、お断りしてご帰還願ったそうである。

ちなみに、現在の部長は、この元部長の事が嫌いだそうである。

次長は、かわいがってもらったので、次長のところに来て、話をして、

前日に、次長から、友人には「昔世話になったので断れんが、話だけ聞いてやってくれ」と言われて

「話だけのつもり」でいると

向うは、「次長の肝いり」だと云ってきて、最初から契約書を出して来た。

友人は、偏屈で、理論的でない話は嫌いなので、メリットの説明を聞こうとしたら

「そんなもん、会社が得するに決まっているだろう」と

友人は、「会社」て・・・あんたの「会社」だよね・・・と思ったそうである。

退職後、2年で再雇用先の下請けから放り出されて、1年間遊んでいて出した結論が、自分の会社だったそうである。

まぁ、自分で何とかしようね!

と考えて、回答は後日という事でご帰還願ったが、最初から契約して当然という態度には参ったねぇ・・・と

置いて行った資料を、新技術の担当に見せると、資料の内容に関しては、全部知っていたそうである。

「見本市で、出てきてるベンチャーが多い、最初、おお!とか思うけど、よく見てると、実際は使えそうにない感じのものが多くてねぇ」

という回答であった。

友人曰く、見本市でパンフレット山の模様にもらってる姿は目撃されていたので、「こんの事を考えていたんだねぇ」と

大体、元部長、ベンチャー企業の事が大嫌いだった人だったそうである。

そこまで聞いて、

「で、電話したの?」と聞いてみた

去年配属になった新人に電話させそうである。

すると

「なんでだ!」と食い下がって来たので、途中で、通話を替わり

「当社にメリットがない」ことを何度も説明して、

元部長の現役時代に、元部長が推進されていた「経費節約」の為ですと畳み込み

「新技術に関しては担当職員がいて毎日目を皿のようにして探してますから」

と云っておいたそうである。

次長を出せと言ってきたので、不在でいませんと伝えると判ったと云って電話は切れたが、次長と部長の携帯に電話がガンガン入ったそうである。

二人とも、工場内での打ち合わせのため携帯に出なかったら、夕方までに25回以上の着信があったそうである。

いつまで、部長だった事をネタに仕事をするのでしょうかねぇ?

よく、老害と云うが、本当にそうだと実感する。

自分はそうならないように気お付けないといけないと痛感している。

20170827

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神と共にあらんことを 8

日本の神様は、天孫族系だろうが、怨霊系であろうが、自然とのかかわりは深い。

ちなみに、日本の自然は、大半が、コントロールされた、というか整備された自然である。

自然に、そこにそのまま未来永劫衣存在している、というか、勝手に生えているような錯覚を与えられた自然である。

しかし、多くは、手は入っている。

昔からある、町や村の近郷近在の森は、入会地のようなもので、共同管理されていた面がある。

今、都市部に残っている多くの豊かな森や林は、神社の森のであることが多い。

明治神宮の事を考えてみればよい

あの豊かな森は、作られた森である。

個人の邸宅でも、多くの場合は、造園屋が入り管理している庭である。

原生林がという人が居るが、そんなものは、都市近郊には存在しない。

大体、原生林と云われるような管理されていない森へは入って行くのは困難である。

本当の人の手の入っていない、自然を満喫したいという人が居れば、大雪山系の人の入り込んでいないような笹の生い茂ったところへでも、奥羽山脈の山奥にでも入り込んで楽しんでくださいと云いたい。

 でも意外と、その手のところで、道なき道と云いながら、行ってみると、ものすごく古い立ち腐れた家、というか集落の後に出会うことが有る。

 温泉もあったりする。

(夏に八甲田山へ行ったときに、死の行軍で目指していたという温泉を探しに行ってえらい目に遭いましたが・・・・廃虚の温泉でした・・・。)

ちょっと面白いのは、自然愛好家には、共産主義者者が多い。

自称、自然の好きな人は沢山いる。

とはいえ、それは自身に都合の良い自然でしかない。

自然は好きと云いながら、自然は守らない。

自分にとって都合の良い部分だけ抜き出しての「自然」が好きなだけである。

それは、共産主義者が自然を守ったことは無い点からも云えるだろう。

所謂(いわゆる)、彼らの意図は、開発から守りたいと云いながら、実に自分自身の個人的な利益だけを希求してやまない場合が多い。

野放図に自然を守れとは、決して言ってないだろう。

彼らの利益になる自然を守れというだけである。

良くあるフレーズが「子供たちに・・・・・を残したい。」という

でもそういった主張をする人は、意外と、老々介護モードで、男性の場合は、奥さんみたいな女性と同居しているだけ(その逆も多い)で、結婚もしなければ、子どももいない奴がいる。

開発と云うと、光に反応する単純な神経細胞を持つ細胞の生物の様に、「反対」と口から出る。

業者が土地を買うと、「〇〇開発反対」と叫ぶ。

例えば、もうロートルで、働きに行かない人が近くに道路ができるというと、「将来、子どもの森を残してやらないといけない」との抜かして批判を展開する。

どうだろう、例えば名古屋近郊でも大きな森があり森を迂回してる道路がある。

森の中に道路が通れば、旧市街の渋滞が緩和されることが有る。

朝晩渋滞を起こし、周辺の人たちの住環境を破壊している古い街中を抜ける道の渋滞が無くなる例は多い。

名古屋近郊の例を取れば、交通の不便な地域は必ず衰退する。

名古屋へ向かう道が、不便であればあるほど、その不便な先の若年人口は減る。

通勤通学に不便なところをわざわざ選ぶのは、地元に昔から住んでいる子孫ぐらいだろう、それでも、そんな故郷は捨てられる。

反対派の人は、自分の環境さえ守れればいいという感覚である。

名古屋近郊の302号線が出来たおかげで、古くからの街中を抜けてくねくねと廻る道の渋滞は緩和された。

302号線の計画が公表されて、道ができると言われて買収が始まり今の状態になるのに40年近くかかっている。

予算の問題もあるが、個人的な反対論も多い。

彼らの錦の御旗は、「自然環境を守れ」である。

自分の家が、昔、自然を破壊して建てたことは覚えていない。

自分お家の近くの便利な道が出来たおかげで地価が上がり、不動産を売却して、利益を得たことも覚えていないことになる。

自分が煙草を吸い、空気を汚染していることは、自然破壊ではないという。

電気を使い、ガスを使い、自動車に乗り、飛行機に乗り、電車に乗り、自然を消費していることは、関係がないと目をつむる。

つまりは、かれらの云う「自然とは自分たちが都合にいいように使える自然でしかない」

愛知万博の会場設営時に「オオタカの巣」が話題になったが、その頃、近郷近在の人はオオタカなんて見たこともなかった。

でも、なぜか「ふるーい巣」が見つかった。

これで、環境保護派は息巻いて「オオタカの営巣地」と主張して止まなかった。

オオタカ」なんて見たことがないのに、巣を見つけた経緯は不思議である。

県庁内での噂は、反対派が、どこかからオオタカの巣を運んできて置いたんであろうという話であった。

そんな話は、新聞には載らない。

反対派の「自然を守ろう」という言葉しか出てこない。

マスコミも、自分たちの主張をするためには、マスコミにとって都合の良いことしか流さない。

究極に考えれば、自然を守ろうと主張するなら、それこそ昔はやった「清貧」を地で行くしかない。

オオタカの古巣のおかげで、県が予定していた部分は開発が止まり現在も森である。

今後、何とかなるような森でもない。

何もない森で、本来は、近くを走るリニモで名古屋へ通勤する様な人が住むべき住宅地を作る予定であった。

自然の猛威はすさまじいものがある。災害が起きたら復旧しなくてもいいという人が居たら手を上げて欲しい。

自然災害について、何十年、何百年に1回しか来ないなら作らなくてもいいという姿勢、批判されるべきだと思う。

無宗教というか、共産主義という名の宗教の信奉者は、自然環境は、あって当たり前、都合が悪くなれば顧慮しない。

最近の傾向を云えば、民主党政権時代の太陽光発電買い取り事業の価格設定の所為で、自然環境が破壊されている事実を忘れてはいけない。)

別段、個人的に意見を言えば、自然が、無批判的に好きなわけでない。

自然とはいえ、ある意味、管理された自然でなければ、人が楽しんで入り込むという事は難しいのである。

私は、少なくとも、何もない、何も管理されていない自然の中に居ることは好まない。

単に、「森林浴が好きである」という意見ではない。

 

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探偵小説について

以前、私は、「現実に名探偵てなんているの」という一文を載せたことが有る。

ご参考

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-f890.html

で、宗旨替えをした訳ではないが、最近、横溝正史先生の金田一耕助シリーズに沈溺していると云ったら笑われるかもしれない。

でも、現実的には、名探偵もカッコイイ探偵も居ないという考えは変わらない。

1975年以降、角川文庫から横溝正史シリーズはそれほどアホのように出版された。

という記憶がある。

本屋に行くと必ず、黒枠の本が並んでいた

背表紙は、黒、緑の文字、ちょっとおどろおどろしい

表紙の絵も暗い・・

でも1975年から1980年代にかけては、江戸川乱歩に燃えていた。

小学生のころは、少年探偵団シリーズに。

年を経ると、全集へ・・・

そうして傍ら、横溝正史も読んでいたというか、読み始めていた。

結果、12歳から22歳ぐらいまでに、全巻読破したのである。

ついでに言うのであれば、コナンドイル、アガサクリステー女史の作品も、延々と読んだ。

だから、小説として「探偵小説」を読むのは好きであり、楽しいのである。

わたしにとっては、探偵小説は、娯楽なのである。

で、現在は、金田一耕助シリーズを現在チマチマと読んでいる。

シリーズとしては以下の通りである。

  • 本陣殺人事件

    獄門島

    夜歩く

    八つ墓村

    犬神家の一族

    迷路荘の惨劇

    悪魔が来りて笛を吹く

    不死蝶

    悪魔の手毬唄悪魔の百唇譜

    扉の影の女

    仮面舞踏会

    夜の黒豹

  • 三つ首塔
  • 支那扇の女
  • 29年6月1日から今日(29年8月21日)までで、上記は読みぬいた。
  • 読んでないのは以下の通りである

    白と黒

    女王蜂

  • 迷路の花嫁

    吸血蛾

    幽霊男

    スペードの女王

    魔女の暦

    壺中美人

    死神の矢

    悪魔の寵児

    1975年以降の作品•

    •悪霊島

    •病院坂の首縊りの家

    驚くべきことに、1960年代から1975年まで探偵小説の依頼は一切なかったという事を仄聞したことが有る。

    横溝先生の探偵小説の復活は、映画化に負うところが大きい。

    市川昆監督による「犬神家の一族」「悪魔の手毬歌」「獄門島」「女王蜂」「病院坂の首縊りの家」で、再ブレイクしたのは記憶に新しい。

    (とはいえ、考えてみれば、42年前である。)

    で、最近なぜ、再読を始めたかと云えば。

    映画の「犬神家の一族」(新版、旧版)を見て、ふと、思ったのだ。

    こんな話だっか?

    こんなつまらん内容だったか?という疑問である。

    大体、小説では場面的には、「冬」である。

    映画は、夏である。

    で、再読したら、これが面白い。

    映画の良さを1とすれば、10ぐらいの娯楽性がある(と思い込んでいる。)

    ここで、さぁ、もう一度!

    と思ったが・・本が売ってない。

    普通の古本屋にはもうない。

    場末の1冊100円クラスで置いてある本屋を探すと出てくる。

    古本屋を廻る事、数十軒・・・

    ここで気が付いたのだが、古本屋自他が減った。

    古い文庫サイズがない・・・ドーゆうことだと・・・

    40年以上前の本が早々売っている訳はないのである・・・

    自分でも結構買ったのだが・・・車庫の箱を開ける気にならない・・・

    鶴間公園の近くには、正味2軒しかない。

    大学のころは6軒ほどあったはずである。

    この間行ったら、自動車、模型鉄道関係の店がいきなり2軒無くなっていた。

    記念橋近くは残っていた、神前図の3軒は健在である。

    でも、考えてみたら図書館に行けばあるのでは?

    と考えた・・というか気が付いた。

    で、現在は、チマチマと借りては読んでいます。

    1975年以降に•悪霊島•病院坂の首縊りの家書いているのだが、どうも、感覚は1940から1950年代のテイストである。

    病院坂は映画された。

    映画は、名作と云われるが、小説にはかなわない。

    その点では、市川昆監督には申し訳ないが、映画は劣るのである。

    映画は映画として楽しまないといけない。

    思うのだが、岸恵子の演技は光るものがある。

    あまり好きではなかったのだが、市川作品を見ていると、非常に良い役者であると感心する。

    まあ、読んでみれば面白いかと思うのではあるが・・・

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    神と共にあらんことを その7

    さて、天孫族系は、所謂、神話に出てくる神様です。

    大体、天孫族は、高天原から降りて来たと云われる神様です。

    日本の国土を造り、天下って来た神様(いわゆる新しい支配者層の神様)です。

    日本の神様で特異なのは天孫族の伊弉冉命(イザナミノミコト)である。

    多くの神、命(みこと)産みながら、死後、根の国の支配者となります。

    そうして、二度と出てきません。

    生者の国を、伊弉諾命が支配し、死者の国をその妻であった伊弉冉命支配するという形式を作り出した。

    でも、根の国は死者の国ではあるが、地獄ではない。)

    地付きの神様は、大国主命に代表されるような地元に元ともいた神様というか、征服された側が祭っていた神様(と云うか、旧支配者層)である。

    国譲りの神話に、大国主命は出てくる。

    天孫族の姫と婚姻している。

    出雲では、大国主命が、国を譲った際、大国主命の子供は建御名方神(タカミナカタノミカミ)は、抵抗して出雲から諏訪まで逃げた。

    そうして、かの地から出ないことを約束したことで、諏訪大社の神となった。

    太宰府天満宮、神田明神、平野社(旧粟田宮 明治大帝の命により白峯神社へ崇徳院の御霊は、帰還された。)いずれも怨霊が神となった例である。

    菅原道真は、天満宮へ、平将門は、神田明神、崇徳上皇は白峯神社(当時は、崇徳院廟)に祭られている。

    崇徳院は、雨月物語の白峯、珍説弓張月に出てくることでも有名である。

    蛇足ではあるが、幼少のみぎり、白峯を読んで、高位の人の恨みは深いものだと思った。

    怨霊を、鎮めるための対処療法が、神格化である。

    根の国にはいかないで、恨みの思念を残したまま怨霊となった場合

    災厄もたらすと思われた場合の対処法は、菅原道真を先例として「怨霊鎮魂」を目的として神様に格上げされて、尊敬され祭られたりする。

    何となく、押し込めておきたいものとしての神様である。

    わたしは、そうした、聖も濁も合わせのみ、結局のところは荒ぶる神は収まり、聖なるものへと浄化していく。

    というか特殊な力を持つ者は、怨霊であれ、龍神であれ、神様に抱合してしまう。

    それが、日本的な神様である。

    「ヤハウエ」「イエスキリスト」「アッラー」も皆、日本語で表現すると「神」と表現されてしまう。

    ここに根本的な間違いがあるのではないかと思う。

    わたしは、神社の清廉さは、好きである。

    例えば、昔から不思議なのは、川べりの道脇にぽつんと鳥居がある場所がある。

    道路側には、手水があり、秋の時期になれば、幟(のぼり)さえ立っている。

    明らかに参拝す場所とわかる。

    川べりには、いくつもの家が並んでいるので、昔からの集落だとわかる。

    鳥居の奥は、というか、川を渡った向こう側にはないがあるのかと云えば、山しかないという処がある。

    社殿は見えないし、川を渡るすべもない。

    だから、この場合は、山全体がご神体と云事である。

    すると、山に何かあるのかという人もいる。

    だか、ここに居るのであろう神様は、外国の神様とは異質であると考えるのである。

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    神と共にあらんことを その6

    再び考える。

    自分の個人的な対象として、信じなくとも、許容できる神様はいるのか?

    西洋、中近東系の神様は、現世利益的である。

    愛を説くキリスト教は、最初から嘘くさい感じがある。

    よく本音と建て前を日本人は使い分けて判り辛いと云われる。

    しかしながら、実のところ西洋では、表面上の認識と、心底の心情の相違があることが多い。

    米国に滞在していた時に、高級ぽいレストランに入ろうしたことが有る。

    友人(英語が大変達者)と二人で、ちゃんとジャケットを着ていた。

    すると白人の店員は「イェローは、断る」と言った。

    丁度、会計が終わって出てきた年取った老夫婦が、口を挟んだ。

    それ云うのは法律違反だからダメだと言った。

    礼を云うと、「日本人は嫌いだ。しかし、法律では、法の下の平等、人種差別は許されていないから、抗議はする。日本人を助けたく助ける訳ではない。」と言われたことが有る。

    ここでいう「日本人」の表現は、「JAP」であった。

    友人と二人は、そのままそのちょっと高級そうなレストランからはそのまま出た。

    アメリカの人種差別には、すさまじいものがある。

    でもそれは、表面上は表現しないことになっている。

    でも現実的には、人種差別は深刻である。

    法律で、人種差別はダメだと云い、映画でも必ず有色人種を出さなければならないという規定さえある。

    つまりは、法律で規制をしないと、公民権運動で勝ち得た権利は、保護されないという状況があるという事である。

    アメリカで、黒人の暴動が起きると何時も、キリスト教の「汝は隣人を愛しなさい」という言葉を空虚に感じる。

    現実的には、法律で規制しても、隣人を愛することなどはないという事である。

    だから、何となく、キリスト教の「愛」なんて信じられないという気がする。

    イスラム教も、一神教と云うと点では、キリスト教徒は変わりがない。

    いずれの発生も、中東であると点は面白いと思う。

    旧約聖書を信奉する「ユダヤ教」と、新約聖書を基本とするキリスト教

    イスラム教徒の信じるいわゆる「アッラー」も、日本語的な解釈をすれば、「至高(最上級)の神様」という意味である。

    この宗教では、人間は、罪深いものだからという点は、一致している。

    贖罪、罪からの救いとか神の救いなんてことを考えるのは、キリスト教のみである。

    いずれも、それぞれの神の前では平等であると説く。

    キリスト教とイスラム教は近しいものだと考えるのは間違っているだろうか?

    キリスト教は、当初は偶像崇拝を禁止していた。

    しかし布教のためには必要という事で、偶像崇拝が進む。

    イスラム教は、それを厳守することによって、幾何学模様と云った規格的な線で芸術を作り上げた。

    キリスト教の贖罪への行動は勢い、短絡的に云えば神様への要求となる。

    とはいえ、イスラム教徒には、現世利益を求めている感じが少ない。

    どちらかと云えば、自身の行動を含めて「捧げ、祭る」感が強い。

    でも、である。

    いずれも、最終的には、神様の前で救われるという発想はある。

    ただしそれは、死んでからのあとの事である。

    私自身は、死んでからの事はどうでもいいと思う。

    だからこそ、神の救いや、終末時に救われたいとは思わない。

    現在の仏教的な地獄極楽も、信者(顧客)獲得のため道具立てにか見えない。

    ブッタの求めたものとは程遠い気がする。

    つまりは、現世利益や、贖罪や様々なお願い、そうして死後の魂の救済を求めない人間は何を信じるのか?

    (お金とか、物質的なものは対象としない。)

    現世利益も、贖罪も、お願いも聞いてくれない、死後の救済もの無い神様が居るのか?

    ということになる。

    すると、非常にウエットな感じのする日本の八百万の神様(西洋でいうところのGODではない、どちらかと云えば妖精の様な雰囲気を受ける)は、どうかと考える。

    基本的に、答を求めない、救いを求めない対象としての神様は好きである。

    先にも書いたように、以下の様な存在は許容できる。

    禁忌的な存在(怨霊)としての神様

    神社自体が、鎮魂(悪霊の魂を鎮める)場所である場合が多い。

    怨霊系は、災厄をもたらすが、神様になると鎮まる。

    日本の神様は、原始宗教的と云われるような自然への尊敬にも似た感情の発露としての神様である。

    しかし、一般的な神様は、最初から実は、人間的に見れば、なにもしないのが多いのである。

    逆に、人間に対して、何もしないことが美徳の様な神様も非常に多い。

    国土を守る、郷土を守るそういった普遍性を持っている。

    祟り神の様な面も多い

    不可触な存在としての共通の利益をもたらす場所を保全するために神様が祭られた事も多い。

    水源地、山などはそうである。

    日本の特徴は、神様は、天孫族系、地付(土着)系(国譲りの神話に出てきて帰属する神様)、災厄怨霊系ではないかと考えるのである。

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    赤ちゃんレンタル??

    実話かどうかわかりませんが・・・

    とある、車内で・・通路を挟んだ反対側のボックス席に座っていた女性2人と子供2人の会話の盗み聞き・・・というか聞こえた事です。

    わたし、鞄抱えて半寝でした・・・。

    会話の前段は省略

    「あの子(何とかちゃん)ね、赤ちゃん生んだんだって、聞いた?」

    「うん、こないだ、〇からラインで聞いた」

    「旦那でてったんでしょ?」

    「そうなの?」

    「なんか、揉めてさ、出ていったんだって」

    「じゃぁ、どーやって暮らしているの」

    「仕事辞めちゃったんでしょ」

    「旦那いれば、いちおう何とか・・・なったかかなぁ・・・」

    「そうなのよ、でも、DB旦那でしょ?」

    「そ―そー、イケメンだけでくっいたんでしょ」

    「どーしてるの」

    「実家なんだって」

    「うちの親が聞いて来たんだ」

    「あんた、実家の横だもんね」

    「急に、赤ちゃんの声が聞こえるようになったから聞いたんだって。

    そうしたら、娘が子供連れて帰って来てたいへんて・・」

    「そーなんだ」

    「この間、スーパーであったのよ・・

    子供、昼寝中で、うち親が見ててくれるからその間にと思ってさ・・

    そうしたら、〇ちゃんがベビーカー押しているじゃんねぇ。

    マジとか思っちゃった。」

    「なんで?」

    「だって、スケスケのキャミに、ローライダーよ」

    「相変わらずね」

    「赤ちゃんの面倒見ない?て云われたの。

    普通、預かって、てことだと思うじゃない?」

    「そうでしょ」

    「それが違うの」

    「意味いがわかんない、どうゆう事」

    「自分のあかちゃん貸してあげるから、赤ちゃんお世話を体験してみたくない?

    て・・・

    うち、夜泣きほどくてさぁ、大変だったら、経験済みだからいいよ、ていったら。」

    「そう。赤ちゃんレンタルで一日5000円で貸すんだけど・・・て云うのよ・・・」

    「えー」

    「レンタル?

     赤ちゃんを貸す???て??」

    「一日、5000円で貸すんだって・・・・」

    「誰が借りたひといるの??」

    「友達に貸したて云ってたけど・・・」

    「借りてどうするの?」

    「赤ちゃんシュミレート??かな」

    「おむつとか、ミルクとかどうするの?」

    「一緒ん貸すんじゃない?」

    「エーそんな大荷物つけて貸すの?

     信じられない」

    「もしかしたら、あなたの子よ!て見せるため?」

    「見せられたら・・ちょっと、ドン引きかな?」

    「それで、お金もらうの?」

    「わかんないけど」

    「旦那の子なの?」

    「そうじゃないの?」

    「知らないわよねぇ」

    「貸している間、なにしているのかしら」

    「男に会いに行くんじゃないの?」

    「またオトコ作ってんの?、信じられなーい」

    ・・・・・

    何処の誰だか知らないが・・・

    会話してた、二人とも、子づれでしたが・・・

    自分の産んだ子供を、貸すか?普通・・・・

    と思いつつ・・・電車を降りた。

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    神と共にあらんことを その5

    信じていいと思うものはなにか?

    先日、岐阜の農村地帯の小さな祠の横に「山神」と書いた石が有った。

    正直云って、遠野へ旅した時に、「山神」と彫り込んだ石を幾つも見たことが有る。

    しかし、岐阜、長野、愛知で、「山神」と彫り込んだ石を見たのは初めてだったので驚いた。

    この祠の周辺は、稲作と畑である。

    山は、1キロ近くはなれている。

    何となく、この「山神」の石には違和感を感じる。

    場所が違うと思うのである。

    こういった、「山神」は、こう、何かをお願いして、何か救いのようなものを下し置かれる存在ではない。

    この意味は、「ここには神様がいますよ」という指標でしかない。

    もしかしたら、道路の拡幅工事があって移転したのかもしれない。

    「山神」の背後には、普通の民家が建っているだけだから困る。

    山を背負わない「山神」の石碑は何となく寂しい。

    例えば、古い神社(山間の普段、人が来ないような場所にあり、所謂、村と村との境界に近いような神社)は、参道を登り(ほとんど山登りである)、階段を上り、開けた場所に鳥居があり、その奥に古い社殿がある。

    こういった場所は、非常に好きである。

    しかし、時々、ものすごく怖いと感じる時がある。

    その理由は、定かではない。

    何となく、怖いのである。

    今まで、数個所の神社でそうゆう目に遭ったことがある。

    この怖さは、暗い森の果てにある神社ではなくて、結構、参道も明るくて、社殿の廻りが開けているところで多い。

    そういった神社の特徴は、音がしない

    静謐(せいひつ)という言葉がぴったりくる場所である。

    何となく、音が吸収されて行く場所である。

    夏,蝉の声が一切しないと、気味が悪い

    そういった場所でも、お参りはする。

    祝詞を上げて、何所の、誰ですという。

    ただ、一般的な祝詞をあげるだけである。

    お寺なら、般若心経をあげる。

    これは、礼儀だと思っている。

    だから、そういった神様には、答を求めない、救いを求めないのである。

    そういった答えを求めない、救いを求めない対象としての神様は好きである。

    単なる、自分の決意表明をするだけの対象としての「神様」的な感覚

    基本的な立脚点は、神様に、お願いをしても、それは、結果を求めること自体が最初から無理という気がしている。

    迫程の「山神」は、怖いものに蓋をする感覚の表現であると思う。

    かつてに入ることを許されない地域があると思う。

    原始宗教的と云われるような自然への尊敬にも似た感情は好きである。

    大体、日本の神様は、実に、なにもしない神様である。

    時々、怨霊がそのまま神様に格上げされて、尊敬され祭られたりする。

    何となく、押し込めておきたいものとしての神様もいるのである。

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    神と共にあらんことを その4

    よく宗教家は、「神のご意思」と云うが、果たして、神様からの実際的、直接的な「ご宣託」はあるのかと思う。

    でも、宗教家に聞けばそれは、心に響く言葉とか言われるのがオチである。

    基本的に「神さま」を、ご降臨願っても、神様たちの御宣託はない。

    誰か宗教家の口を借りての御宣託はあるかもしれない。

    よくわかないことであるが、時々神の声が聞こえるという人が居る

    また、儀式や占いで、ある一定の法則が出れば、こうゆう意見だと云われることが有るかも知れない。

    だか、別段、直接的というか、直截的に「神様からお言葉」がある訳ではない。

    つまりは、願っても回答はないという事で、それは聞くだけ無駄ではないかと思う。

    困った時の神頼みなしても無駄なのである。

    他人との関係の希薄なそれでいて圧倒的な感覚である

    この「運」、「不運」はどこで感情的に、どう理解するのかと云感覚がある。

    どうして、自身の気持ちの中で、運不運の判断が別れるのか?

    でも、基本的に不運の連続と云うことは無い。

    すると、不運の後にも、良い運が舞い込んでくる可能性は否定できない。

    すると、わるく言えば「気の持ちよう」ではないか?と云事になる。

    前向きに考えれば、不運とは思えない

    考えてみれば、先頭に立つ人、というか、立とうと人は非常に少ない。

    ある会社で、ある企画について「イクゾー」と先頭に立つ人が何年かに一度出てくる。

    で、成功すれば、昇進するが、失敗すれば、沈んでいくという極めて明快な答えがある場合がある。

    最終的には、主査、役員にもなれるという事である。

    しかしながら、時々、2番手、3番手に居るべき人が、時々誤って、1番手になることが有る。

    そうなると、世のなかは不幸である。

    政治家で言えば、三木武夫、民●党の首相をなさった方々

    経営者で言えば、最近の東芝、タカタの経営者の面々であろう。

    そう云った人とたちは、自身の無能さに気が付かない。

    自省することがない。

    自分の無能さを棚に上げて、妙な自信を持つ。

    彼らの共通項は、清廉さの欠けたズルイ奴らである。

    彼らは基本的な立脚点は、自省はしない、過去の行いに責任を持たない、自己弁護さえしない、自分の地位を利用する、他者の地位の利用は許さない。

    要は、人間の屑である。

    こういった人が信じるものは、自分の中の正義である。

    これは、自己中心的という言葉で表される「自己愛」である。

    自分を信じる、これもある種の宗教と同じで、自信が、そのまま神なのである。

    しかし、一応、人なので、どちらかと云えば信じてもいいと思うのもある。

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    Ki-61 ホイール




    某郷土資料館に、Ki-61飛燕のホイールが収蔵庫にございました。

    Dsc07750_2

    カバーは厚さ1.6から1.8ミリぐらい

    バブの部分は、三カ所止め

    ネジは〇頭のマイナス

    材質は、通常の鉄

    ホールの外周部分は、6カ所止め

    ネジは、〇頭のマナイス 

    なすび型の穴は、空気入れのカバー部分

    カバーは失われている。

    プレス品で、空気いてのカバー部分は切削加工で凹になっている

    表面加工は、アルマイト加工

    Dsc07762


    Dsc07761
    Dsc07766




    Dsc07765





    Dsc07746

    タイヤの刻印

    4.5KG/㎠

    BS ブリジストン

    ホールの刻印


    KI6104423 1型  600×175

    Dsc07747


    Dsc07748

    Dsc07767_2

    製造番号 四角 刻印なし

    下に、「5」と記載( 5月製造?)

    Dsc07771

    補強の内側のリムは鉄製

    本体との勘合は、アルミ製リベット

    Dsc07777


    Dsc07778


    Dsc07779

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    あるGT-Rの思いで・・・

    ハコスカのGT-R-には、妙な縁があった。

    結婚するともれなく、このGT-Rが付いてくるとという、ものすく怖い話が有った。

    彼女のお母さんの持ち物だった。

    今どきのハコスカの値段は、2000万円だそうである。

    これは、単純に、ショップが売る車がなくなるので、売り惜しみの値段であろうことは明白である。

    いまだに、ハコスカの何所がいいのか理解できない・・・(ごめんなさい・・・)

    乗りやすい車では無いし、かっこよくもない(と個人的には、思っている。)

    母親の友人に、オリジナルのハコスカGTRを持っていた人が居る。

    嫁入り道具の一部だったそうである。

    名古屋の人間は吝嗇(ケチ)と云われる人種が多い。

    だからではないが、何でも新品がいいわけでもない。

    その人も、十分、尾張の国の住人なので、基本ケチである。

    嫁り道具には、「新車を」とか言っていたが、嫁入り前に乗っていた車は十分役立っていたのと、乗り慣れていたのでそのまま嫁入り道具で持ち込んでいた。

    しかしながら、嫁に出す方の親は、それはいくらなんでもと思い、新型が出たら買うという約束ができた。

    彼女の実家は、プリンスが、御贔屓だった。

    お父さんは、プリンススカイライン(初代2灯➤4灯)に継続して乗っていた。

    54が出ると、丸め4灯から乗り換えたが・・・なんとなく、高級車ではなくなっていたので、さすがに、グロリアに移った。

    件の娘さんは、大学時代に免許を取り、その54Aをもらって乗っていた。

    元々は、スカイラインのユーザーで、連続で、54を買ったのだが、どうも、ビンぼ臭い。

    で、グロリアへと変わった。

    で、54Aは免許取りたての娘が通学に使うことになった・・・・

    うちの母親が、ブルーバードに乗っていたのとは大違いである。

    ある時、54Bを見て、ノーズが長くてカッコイイと思い、おねだりして、54Aが、54Bになった。

    ディーラーでは、お嬢さんが乗るんですか?と言われたそうな・・・

    この人、あとから「あの車(54B)クラッチ重かったのよねぇ」と

    当然の様に、この54B、クーラー付きだったそうである。

    嫁に行く前に、全塗装と、交換できるパーツは全部交換したそうである。

    そうして、嫁入り先にその車を持って行った。

    程なくすると、新型が出ると聞いて見に行った。

    お父さんが、即に買う気になったらしい・・・

    でも、出たばかりの車は故障が多いので、1年ぐらいしてから買うことにしていた。

    ここが肝心なのだが、スカイラインの高性能さに購入を決めたのではないという事である。

    最大の理由は、一番高い車という事で、GT-Rを選択。

    そうして購入・・・そんな人だから、クーラーが当たり前のようについていた。

    で、54B、ハコスカのGTRにのりついだ奥様曰く、クラッチの重い車だから、スパスパつながないと疲れた・・・と

    でも、ふつーに乗れたそうである。

    排気音も静か・・・・私運転したときも、静かでした・・・

    幼稚園の送り迎えもGTR・・・買い物も、GTR

    でも数年後、普通の車に乗ると、当然のように乗りやすいので・・・そのまま、GTRは、車検取るだけの車になり・・

    ついでに、道端で、わけのわからない人に声を掛けられたり、ついてこられたり、と・・・

    結局は、変なおっさんが買いに来るので・・・車検以外は日の目を見ない車になってました。

    ある時、彼女の下男モードでそこの家に行くと、ガレージの奥に四角い車が2台・・カバーをかぶっておいてあった。

    その時のGT-Rのオーナーお母様の娘の下男でしたので・・・・

    あれ何?と聞くと・・

    お母様と、お父様の昔の車・・・

    へー何?

    と聞くと、実は、この車(後にGT-Rと判明)の車検に車を出してきてほしいといういお願いでした・・・・

    お母さん、寄る年波に勝てず、クラッチ踏むのが難儀・・であった。

    カーカバーをはずすと・・・変なシルバー(オリジナルのシャンパンぽいような色)のハコスカが・・・・・

    GT-Rのバッチは外してありましたので、普通のハコスカかと思いました。

    へーと思い

    ボンネット開けると・・・・

    S20が・・・で、黒いヘッドも美しく、ついでに、クーラーユニットが・・・・、

    で、まあ、エンジン掛けて、二人で乗り込んで、知りあいの自動車へ・・・でも何となく興味があったので、名古屋高速へ・・・・・

    ぶおおおおおおおおおおおおろおおおおおおおおろおおおおおおおおおおおおおん

    と、いい感じ

    でも、全体に重い

    クラッチも重い

    ブレーキ・・・きかねー・・・・でも、

    3周ほどして、自動車屋へ

    こちらのご家庭は、プリンスが完全に日産に組込まれて以来、日産とは縁が無くなったそうである・・・

    で、このGT-Rは、35GTRと交換で某所へ・・・・・

    でも

    このGT-Rは、今はもうありません

    事故で全損・・・純然たる走行距離で、1万5000キロでしたが・・・ねぇ。

    ねぇ

    もったいなかったですが・・・知り合いが、ハコスカのGT-Rに燃えているおみて居ると内心クーラー付きのGT-Rはスパルタンではないよねぇ・・・と思ってました。

    お母様(当時70歳越え)、さすがに、35GTRは乗れなくて、娘が一時期乗ってましたが・・・どうも好きにならず、

    35GTRは。運転させていだきましたが・・・どーも、感じが違う車で終わり・・・

    要らないねぇーで、結局、件の自動車が処分・・・

    その娘さんは、現在は、LCハイブリットに乗っています。

    楽でいいそうです・・・お母様、VITZのRSを大切にお乗りです・・・

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    誰か、救ってあげてください。




    某所のトヨタスポーツ

    現在こんな感じです。

    1・2年で何ともならないような形になると思います。

    20526165_1403734753035516_633148907


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    20430163_1403734909702167_885483232

    この状態ですと、加速度的に車体が腐ります・・・・

    44です。

    欲しい人がいたら紹介します。

    (連絡先を教えるだけです、相手には、一応連絡はします。)

    昨年の状態

    _dsc9586

    以前の状態

    _dsc3791_2


    _dsc3792


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    _dsc3794_2


    _dsc3795


    _dsc3796_2


    _dsc3798

    _dsc3815


    _dsc3813



    車体に、腐食はあります。

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