« TOYOTA 2000GT 販売開始50周年記念 | トップページ | パブリカオーナーズクラブ IN TAM »

トヨタスポーツは、刺身のツマではない、と思うこと。

私は、トヨタスポーツの所有して、まだ27年目である。

うちの子は、生産後、51年が過ぎようとする今日この頃である。

途中で、車体の修理を全面的に行ったので現在も健在である(w)

1966年12月生産車輛である。

買ったのは平成3年である。

今までに、トヨタスポーツ以外に、浮気で買った車は、数台ある。

全部外車ですが、みんな短期で売却してます・・が・・思い出深いのは911(930)である。

基本、安い外車は、ろくでもないということである。

(930以降は・・・一応、友人に相談してからかうことにしたので・・買わなくなった。)

仲間内では公表できなかったというか、見せる暇がなかったが、ポルシェ911(930)を買ったことが有る。

普通の930であった。

仕事で、東京近郊に住んでいたので、そこそこ乗りました。

駐車場は、田園調布の外れに住む友人宅の庭に格安で停めさせてもらい、金曜日に名古屋へ帰るために使っていた。

私と彼女は、東京急行と呼んでいた。

親には内緒であった。

ほぼ毎週帰っていた理由は・・・まぁ・・ご想像に・・・

格安のポルシェであった。

お友達のFさんがターボルックに乗っていて欲しくなったのであるが、実際は、全天候型のクーペがほしかっただけである。

友人某のお兄さんの所有だったクルマで、車体が◎◎万円、エンジンが○○万円・・・

合計で、1◎◎万円・・・・一応、エンジンを積んでもらった後で、当時のミツワ自動車で整備をしてもらったが・・・高かったわぁ・・・・・ものすごく・・・エンジン代に匹敵する値段でした。

良い車であると認識はしたが、持ち切れない感が一杯であった。

ミツワ自動車の整備代は・・・20代のサラリーマンには無理であった。

それは、当たり前で、毎月数万円分のトヨタスポーツのパーツも買っていたので、家計は火の車であった(笑)

で、エンジンがほしいと云う爺さんに(爺さんに見えたが、50代だったそうである・・・)という人が居たので、友人に断って、かかった費用代プラス15%で引き取ってもらった・・・

1回目の結婚も控えていたし、職場的にもポルシェは・・・・、問題がありすぎであった。

で、引き取ってもらい、10か月ほどで楽しめたのは良かったなぁという感想があった。

で・・・ポルシェの話ではない。

今日の本題は以下の通りである。

「トヨタスポーツは、2000GTの刺身のツマではない」という事を云いたいだけである。

時々、トヨタスポーツを、2000GTのツマの様に扱う人が居る。

またそれを良しとする人が居るからたまらない。

2000GTのオーナーズクラブに恩?を売っているつもりなんだろうか?

元自動車メーカー在席だったS氏の主張は、「場所を借りるのに口利きを頼んできたから」

という事らしいが、トヨタ博物館のホームページを見れば誰でも申し込めることは判るし、事前にお願いするのであれば、アポイントメントを取ってから来館すれば済む話である。

逆に言えば、そんな発想もないのか?オーナーズクラブは?という気になる。

発売は、トヨタスポーツの方が早い。

発売時期から云えば、お兄さん格である。

コンセプトが出来たのも早い

それに、長谷川達雄とい元航空設計者と、関東自動車工業がなければ生れなかった車である。

規格、製造の環境が似ている点では2類似点がある。

いずれもトヨタ本社から離れた関係工場で生産されている。

基本的な考えとしては、トヨタ自動車工業、ヤマハ発動機の2社がなければできなかった規格という認識に変わりはありません。)

トヨタスポーツは、航空機の様な空力に優れた車を望んだ結果生まれている。

2000GTは、ヤマハがなくてはできなかったし、トヨタでなければできなかった企画であろう。

日産用に、ヤマハが委託を受けて試作した車両は、とにかく着座位置が高くて、スポーツカーとは言えない代物であった。

着座位置を下げることに腐心していたトヨタとしては、参考にならなかったとのことである。

(資料を読むと、河野さんの意見としては、総体的にダメという意見だった。

スタイル的にも、「垢ぬけていない」と断じている。

思うに、今見ても、どこかから持ってきたデザインの集合体で違和感を感じる。

何となく、ステイングレイのイメージを短縮したような感じを受ける。

確かに、座席位置が高いのか乗っている人が前かがみぽいところがある。)

しかし、生産を、ヤマハが担ったのは失敗であったと思う。

また、造形に対してプレスが抜けないと理由からか、基本的な鋼板を厚くした。

(当時、プレスのパーツが割れて使えないボデイパーツが山の様に豊田鉄工のヤードに積まれていたそうである。

つまりは、生産性の悪さ、パーツの歩留まりが異常に悪かったのも原因の一つでもある。)

結果、生産性は悪い、講演会では、スポット溶接が出来ず、アーク溶接を多用したと云って見えた。

(鋼板が厚すぎでスポっット溶接が出来ないのでなくて、当時のスポット溶接機械が対応できない場所での接合が多かったということである。)

確かに重い

据え切りが困難なほど重い・・・

でも、デザイン性素晴らしい。

当時トヨタスポーツと2000GTは、コンセプトも、値段も、当時の購買層も含めて全然別ものである。

大体、販売チャンネルが違う

パブリカ店とトヨペット店では客層が違う。

以前、トヨペットの営業だった方に聞いたことが有るのだが、トヨタスポーツを見て、欲しいと思った人は、トヨペット店へ来る人もいたそうである。

親がクラウンのユーザーであれば、親が付いてきて・・・てなこともあったらしい。

一度、頼まれて、パブリカ店から1台引っ張ったことが有るそうであるが、メンテナンスが出来なくて困ったそうである。

トヨタスポーツよりも、コロナSを進めることが多かったそうである・・・。

考えてみれば、ほぼ同じ時代に居たからと云って・・・オーナーの階層は、そもそも論的に違う。

2000GTのオーナーから見れば・・・トヨタスポーツは・・・大した車ではないととの認識である。

ヨタのオーナーから見れば・・・・2000GTは、別格感がある。

でも・・・何となく違う

トヨタスポーツのイベントに、わざわざ、オーナーズクラブが自主的に参加することは無いだだろう(トヨタ主催のイベントは別である。)。

でも、2000GTのイベントには、シャシャリ出て参加をする。

しかも、オーナーズクラブではない。

現実的な扱いは、2000GTから離れたところに、ヨタ数台、セリカ(いたような気がする・・)

ぽつんと・・・

まるで、2000GTの見栄えを良くするための車(トヨタスポーツ)の様にしか見えない。

まるで、刺身のツマの様な扱いだなぁと・・・・

私は、そうは思いたくない。

大体、パブリカ主体のイベントに、トヨタスポーツが参加したら何となく違和感がある。

セダンの好きな人と、スポーツカーの好きな人は、車に対する考え方が根本的に違う人種だと思うのだが?

いすゞ117クーペとフローリアンのような関係で考えればわかりやすいかもしれない。

がわが違うという事は、車では大きな違いです。

また、2000GTは、別格である。

生産台数、価格、希少性とも各段の差がある。

だからこそ、何となく、トヨタスポーツを刺身のツマの様に扱うの見ていると、矜持はないのか?と聞きたくなるのである。

 

 

20171111初出

先般、ある方からお借りした資料の中に、大阪トヨペットが、販売した2000GTの数量があった。

実は、東京名古屋の資料がないので判然とはしないが、国内販売の何分の1と云う規模である。

 

20171112 加筆

 

 

|

« TOYOTA 2000GT 販売開始50周年記念 | トップページ | パブリカオーナーズクラブ IN TAM »

コメント

私はトヨタスポーツ800もトヨタ2000GTも同様に愛する者です。
失礼ですが「2000GTはヤマハのコンセプトにトヨタのデザインが乗っかった車」これは誤解ではないか、と…。
確か河野二郎さんを中心とするトヨタの技術者グループが6〜7名が基本設計をされ、ちょうど日産とのスポーツカーの共同開発がお流れになって手持ち無沙汰になっていたヤマハに話を持ちかけ、生産を依頼した…という風に理解しているのですが。

投稿: 丸駆亜連 | 2017年11月11日 (土) 20時31分

ヤマハ発動機自身は、公式の見解ではその様に読めますが、実際のところは、そうは思っていないと思います。
トヨタ自動車の見方と、ヤマハ発動機の見方は違いと思います。
ヤマハのスポーツカーの開発は、日産からの流れですが、独自性はあったと思われます。
しかしながら、日産との提携が壊れた理由は様々です。
基本的には、ヤマハの考えている事業展開と、日産が望んだヤマハの立ち位置には大きな差があったという事です。

手持無沙汰ではなくて、日産との提携が切れた時点で、ヤマハは、自動車産業に食い込んで会社を残すことに必死だったと思います。
すべての資料を持ち込んで、こういったこともできますと云って売り込んだのは事実です。
当然の様に、バイクだけではやっていけない感覚はあったと思います。
トヨタのツインカムの歴史は、ヤマハのツインカムの歴史でもあります。
その歴史を作ったのは、ヤマハでもあり、トヨタでもあるのです。
ヤマハがなければ、トヨタのツインカムはもっと遅れていたと思いますし、トヨタがなければ、ヤマハのツインカムは試験段階から脱却することは難しかったと思います。

投稿: かんりにん | 2017年11月12日 (日) 07時36分

お返事ありがとうございます。
トヨタ2000GT開発に携わった、レーサー細谷四方洋さんの著作「トヨタ2000GTを愛した男たち」によりますと、

◯1964.初頭〜トヨタのトップから河野二郎氏に「レースで勝てる車を作れ」と指令がでる。

◯1964.8月〜プロジェクトチーム結成。秋にかけてコンセプト及びデザイン決定。

◯1964.9〜10月〜ヤマハからトヨタに提携申し入れ。

◯1964.10〜11月〜ヤマハと正式契約。

とあります。

つまりヤマハが参加したのは、河野二郎(リーダー)、野崎諭(デザイナー)、山崎進一(シャシー)、高木英匡(エンジン)、松田英三&細谷四方洋(テストドライバー)各氏らトヨタのプロジェクトチームによりコンセプトが決定された後になります。

2000GTのお披露目は1965.10月の東京モーターショー、販売開始は1967.5月ですから、ヤマハがかなり早い時期から開発に携わったことは間違いありませんが、決してブログ主様の言うように「ヤマハのコンセプトを頂いたもの」ではないことがわかっていただけると思います。

私は、トヨタ2000GT開発におけるヤマハの役割を軽視するつもりは毛頭ありません。
寧ろ、2000GTの品質の高さはヤマハの功績が大であることは充分承知しています。⬅️細谷氏もそのことは認めていらっしゃいます。

しかし残念ながら、世間には「2000GTはヤマハが作ったモノをトヨタが売った」甚だしくは「本来は日産2000GTとなるはずだった車が、日産とヤマハの提携が不発で宙に浮いてしまった。それをトヨタが丸々頂いた」と誤解されている方が少なくありません。

たしかに「2000GTを作った(生産した)」のは、ヤマハの工場の作業員さんたちですが、「2000GTを創った(世に生み出した)」のは主にトヨタのプロジェクトチームの人々です。

そのことは、ヤマハ側のチーフエンジニアである安川力氏もおっしゃっています⬅️カーマガジン228号

投稿: 丸駆亜連 | 2017年11月12日 (日) 23時41分

連投失礼します。

じつはかく言う私も、「トヨタ2000GTは実は日産2000GT」というデマを信じ、永きに渡ってあの車を過少評価していました。
しかしその後、細谷四方洋さんの著作や、いのうえ・こーいち氏の「名車を生む力」、カーマガジン、ノスタルジックヒーローetc…更には超良心的旧車研究サイト「三妻自工」様等を拝見し、迷妄から逃れられた次第です。

繰り返しになりますが、ヤマハの貢献の大きさも充分認識した上で、各種資料に基づいて投稿している次第です。またブログ主様に文句をつけるつもりも一切ございません。
昨夜から突然の投稿、失礼しました。

投稿: 丸駆亜連 | 2017年11月13日 (月) 00時04分

誤解のないように云わせてもらいますが、私は、TOYOTA2000GTの事を、YAMAHA2000GTとか、NISSAN2000GTなんて呼んだ事は一度もありません。
そう思った事もございません。
ただ、いろんなところに書いてあることにウソが多いという事です。
申し訳ないのですが、正直言って本に書いてある事、雑誌に書いてあることが正しいと
は思っていません。
(産業考古学を学んでいるものとしては、沢山の証言は、所詮は、「群亡象をなでる」状態
としかいえないのです。トヨタ自動車のそのプロジェクトを作った時の日付のついた
稟議書、当初のデザイン画、会議の議事録でも出してこない限り、細谷さんの書いてあることがすべと本当は云い切れない所があります。)
所詮は、何十年の前話を書いているにすぎません。
昭和39年から42年までの資料が出てこないかぎり正確なことは云えないと思っています。
以前、トヨタスポーツは昭和39年から生産されていたといいうヨタ話がありました。
生産していたという証言と関東自工の資料に昭和39年の生産車にトヨタスポーツが記載されていたという伝聞から記事がかかれた様です。
しかし、関東自工の資料の現物の提示はなく、ボケた爺さんが見たことが有ると云っているだけであった。
実際には、昭和39年度(事業年度)の生産台数で在って、昭和39年の生産台数ではないことが判っている。
こうしたことから、トヨタの高性能車への渇望があったが、トヨタにはそのノウハウがなかった事も事実である。
たった100CC(U型から2U型へ、K型エンジンのボアアップ)エンジン容量を増やすことに四苦八苦していた会社が、高性能エンジンを想定して作業を開始したとは思えない。
あの重たいM型エンジンの高性能化は厳しかったと思う。
提携申し込みの時期にしても、何時をもって提携申し込みと認識するのかという事もありす。
公式申し込みをした時点で、ほぼ提携は決まっていました。
対外的な問題もあり最後の詰めを行うためにオープンにしたという事です。
事前に、ヤマハの社員なりなんなりが当然に接触をしていたそうです。
それこそ地縁血縁総動員だったとのことです。
トヨタは、戦後、鈴木自動織機(現スズキ自動車)には、恩を仇で返されたことが有ります。
他社との提携に慎重なのはその感覚があったようです。
当然様に、昭和39年当時、豊田英二さんの心にはその感覚はあったのではないでしょうか。
ヤマハは、自社の技術力を当然の様に内々アピールしたのは事実です。
実際、トヨタ2000GTのデザインは、日産ヤマハのデザインの系統ではありません。
(Bピラー以降は似ていますが、あの曲線の処理ではしかたがないと思います)
2000GTが発売されるより前に、アバルトのデザインでよく似たものがあります。
ちょっと車体が狭くて、短いので2000GTほどよいデザインとは言えませんが。
フロントからフロントフェンダーラインは先端の鋭角さが欠けている分を除けば非常によく似ています。
現実問題として、トヨタ社内には、反2000GTのグループが存在したそうである。
2000GTの生産をよしと思わない人たちがいたことは事実であるが、それでも、多くの社内の反対を押し切って2000GTが世に出たことは、トヨタ自動車だからできたことだと思っています。

投稿: | 2017年11月13日 (月) 21時49分

「誤解のないようにいわせてもらいますが、私はトヨタ2000GTを日産2000GTとかヤマハ2000GTとか呼んだことも思ったこともありません」
⬆️そうなのですか?少なくとも11.12にされた「加筆」(個人的には「改編」ではないかと思いますが)前の文章では「2000GTはヤマハのコンセプトにトヨタのデザインが乗っかった車である。」と断言されていたはずですが。
それはさておき。

「トヨタ自動車のそのプロジェクトを作った時の日付のついた稟議書、当初のデザイン画、会議の議事録でも出してこない限り、細谷さんの書いてあることがすべと本当は云い切れない所があります」
⬆️少なくとも野崎諭さんが描いたデザイン画は、いくつか明らかになっています(64.1月とか64.11月の日付あり)。

「たった100ccのエンジン容量を増やすことに四苦八苦していた会社が、高性能エンジンを想定して作業を開始したとは思えない」
⬆️このご意見にも同意しかねます。
今も昔も、身の丈以上の目標を設定し、実行に移す会社はいくらでもあります。
例えばテスラ・モーターズ。全く新たに設立された会社が、いきなり電気自動車を開発・販売した。
例えば日産。ろくなハイブリッドカーを生産してなかった会社が、電気自動車を開発・販売した。
確かに当事のトヨタのエンジンは高性能とは言い難かったかもしれませんが、「だから高性能車を作ることは想定してなかったはず」と断言できるものではありません。

投稿: 丸駆亜連 | 2017年11月14日 (火) 17時54分

ちなみに、あなたは、なにが気に入らないのでしょうか?
書き直せという要求でしょうか?
あなたが、2000GTのオーナならば、大変失礼なことを書いたような気もします。
しかし、変な名前で投稿している時点でどの様な人かと思います。
個人的に思うなら、「加筆」か「改編」を批判したいならメールを送って下してさい。

間違っても、断言はしていますが、日産2000GTとかヤマハ2000GTとかは書いていません。そこは、よく読んでください。

基本的に、デザイン画の有無は、傍証に過ぎないと思います。

あなたに、同意してもらおうとは思っていませんので悪しからず。
個人的に断言しているのが気に入らないのであれば、どうしてほしいのでしょうか?

投稿: | 2017年11月16日 (木) 21時39分

「個人的に思うなら、「加筆」か「改編」を批判したいならメールを送って下してさい。」
⬆️いえいえ、こちらのブログに「コメント」欄を設けられたのはブログ主様の方でしょう?
つまりご自身の見解を表明する一方で、公にご意見やご感想をオープンに受け付ける、というスタンスですよね?
私はブログ主様の土俵に上がっただけですよ?
「気に入らないから土俵を下りろ、後で事務所に来い」みたいなもの言いはやめて下さい。

「ちなみに、あなたは、なにが気に入らないのでしょうか?」
⬆️そう…気に入らないのは、「改編」を「加筆」と言い換えて、当初の内容を無かったことにしようとする不誠実な態度、ですね。

「間違っても、断言はしていますが、日産2000GTとかヤマハ2000GTとかは書いていません。」
⬆️そう。「ヤマハ2000GT」とは書いていませんが、文脈を理解すればそう書いているも同然ですよね。
しかも現在はその文章を「改編」して、「無かったこと」にしてますよね?
ウェブ魚拓をとって無かったことが悔やまれます。

「あなたが、2000GTのオーナならば、大変失礼なことを書いたような気もします。」
⬆️やっぱり笑。 「失礼」の自覚はされているのですね。

「基本的に、デザイン画の有無は、傍証に過ぎないと思います。
あなたに、同意してもらおうとは思っていませんので悪しからず。」
「個人的に断言しているのが気に入らないのであれば、どうしてほしいのでしょうか?」
⬆️人は誰しも「そう考える」ことは自由ですし、考えを表明することも然りです。
ご自身のブログですし。
ただ、そこで他人からの意見を受け付け、それに反論するのであれば、それに見合う客観的証拠を示して頂きたい。
残念ながらあなたの文章は「思います」「思われます」ばかり。自覚されてますか?

そもそも私は当初、ブログ主様に喧嘩を売るつもりはなく、「いや、ここは事実とちがうのではないですか?」と礼を失さない様にご指摘したつもりです。
それに対してブログ主様は、「いや、ヤマハの本音は違うと思う」と返されたのみで、何ら客観的証拠を示されなかった。
そこで私が、細谷四方洋さんの著作等客観的証拠を示して再度メールしたところ、「そんな何十年も前の証言は信用出来ない」と決め付け、そればかりか記事の内容を全く改編してしまった。
あなたがそんな不誠実なことをしなければ、私もこんな喧嘩腰のコメントする気はありませんでした。
とても残念です。

投稿: 丸駆亜連 | 2017年11月17日 (金) 12時27分

不愉快な思いをさせまして失礼しました。
わたくしの誤解があったようです。
申し訳ありませんでした。

昨晩、資料庫を探しましてある事実を確認しました。
手持ちのトヨタ資料(内部資料です)に、1964年12月28日に河野氏が、ヤマハのA550Xを見学して、以下の様に意見を述べてA550Xを参考にしなかったとの記述がありました。
 トヨタの考えていいた、280Aとはずいぶんと異なったコンセプトで作られた車と判断したようです
 ドライビングポジションが、高すぎる。
 デザインが、垢抜けていない。
 非常に否定的な意見が並んでいました。
 文脈から読みとれるのは、280Aの参考にはならないという基調でした。
 ですから、その点からA550Xはのコンセプトは生かされちゃいないという事です。
 
 その資料には、エンジンに関する記載がなかったのが残念ですが。
 (手で写したものですので、発表はできません。)

ヤマハ側の感想は、以前、25年ほど前に伝手を使って取材したときのヤマハの方のご意見が頭に残っておりました。

大変失礼しました。

投稿: | 2017年11月17日 (金) 21時26分

こちらこそ感情的な書き込みをして、申し訳ありませんでした。
しかし驚きました。
ブログ主様がトヨタの内部資料の写しをお持ちだとは…。
私のような2000GTファンからすれば大変な宝物です。大切にされて下さい。

25年程前のヤマハの方のご感想も気になります。
なんだかんだと言っても、私たちは資料から推測することしか出来ませんから…
実際に開発に携わったり、現場で汗をかいた方のご意見は貴重ですね。

繰り返しになりますが、挑発的なコメントをして、すみませんでした。
寒くなりますので、お身体にはお気をつけください。

投稿: 丸駆亜連 | 2017年11月18日 (土) 08時27分

iこちらこそ、すいませんでした。
産業遺産について、延々と片手間に調べています。
(一応、産業遺産の研究者でもあります。)
現在は、思うと書いた部分は、ヤマハの方の意見です。
彼らは、2000GTに小さな影響を与えることができたと信じています。
デザイン画の変遷を見ても、アバルトの影響、ヤマハの影響はあったのかな?と思います。
ただ、デザインという部分は、何分心理作用が大きく確証はありません。
どうも、ありがとうございました

投稿: | 2017年11月18日 (土) 09時03分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« TOYOTA 2000GT 販売開始50周年記念 | トップページ | パブリカオーナーズクラブ IN TAM »