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行きつけの店のトラブル2(あんまり進展なし)

週に一は、行きつのお店にはいきます(笑)

行けない時もあるので、大体月2回平均

散財する金額は。。。秘密です

さて、今日で1週間たったので聞いてみた。

特に、×科医からの反応はないそうである。

内容証明郵便を送られた時点でアウトだと気が付くべきであろう・・・

医者って意外と、法律に疎いのが多いけどね・・・高校時代の弁護士に頼むとかする可能性は高い。

で、今日仕入れた話はこうである。

以前は地元の小学校の検診を受け持っていたらしい。

数年前に、診療報酬で市側ともめたようである

もめるというのは、金額のいお折り合いが悪かった様である。

揉めたら、市側は、この医者の検診の契約を破棄した。

この医者は、報酬の増額を求めて、相手が飲むと思ったようである。

で面白いのは、検診を辞めたとたんに、客足が落ちたそうである。

偉そうにうちは、老人も多いので、駐車場をチケット制にするのは・・難しい。

とほざいていた。

が、実際は、そんな設備とシステム組んだら金がかかるからできないのが正解かもしれない。

大体目の悪い老人が車に乗って、○〇科へ通院するのか?という疑問がわく

で、その情報源は、お父さんが桜田門系、その奥様がPTAの役員を長く勤めていたうちの子からの情報である。

もっとひどいのは、払わなければいけ租税公課を払ってないんだよ・・・という話である。

本当かどうかわかりはしないが・・・

月額、機材のレンタル代だけで、おおよそ60から100万、

看護士、検査技師の給料を考えるとプラス100万円

である・・・最低でも300万円ぐらい診療報酬がないとやっていけないのである。

様子見だけれども・・・何となく興味津々

ちなみに、先週から駐車場にチーンをせずに帰るらしい。

○×△の店の客が無断駐車するのを誘発しているようである。

実際の存念は判りはしないが・・・

何となく、嵐の前の静けさである。

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元同級生

朝、混む電車が嫌いで、早めに出ることが多い今日この頃。

省線電車の中央西線の某駅で乗り降りをしている。

朝なので、バスは時間が不定期で、最近は駅まで歩いて、帰りはバスが多い。

で、朝、最近よく見かけるショボクレタ兄ちゃんがいる。

まごう事なき「M山茂×」君である・・(と思う・・・)

だらけた歩き方、正面を見ずに左斜めを下を見ながらズルズル歩いている。

人を、ちらっと見る癖は変わっていない。

所謂、盗み見という奴である。

顔は、あんまり変わっていない。

体格も貧相である。

成人式の時見たままのような気がする。

で、いつも咥え煙草でである。

彼とは、中・高同級生だった。

高校は、私がランクを落としたので、同じ高校だった・・・

自分が頑張っているときは居丈高であるが・・棒を折った瞬間に卑屈になる性格だった。

彼は、工業系の大学へ行った。

が、飲食店のバイトに明け暮れて1年目で留年・・・5年生で大学は出たはずである。

推薦入学だったかなぁ?

どうもお金を得るのが楽しくて仕方がないようで、大学へ行くよりもバイト先で働いていることの方が多かったそうである。

卒業までせっせと働いていたようである。

中学高校時代、彼は、ラジオの土曜日の歌謡ベストテン?」を録音することに燃えていた。

なんであんなことに燃えているのかわからなかったが非常に不思議な気がした。

ここ2か月ほどで、前から歩いてくる不逞な男に気が付いた。

朝、駅の方から歩いてくる。

大体、一日置きである。

非常に、だらけた風体で、だらけた歩き方である。

のそのそずるするという感じである。

何となく、記憶の奥底にある歩き方、風体である

誰だろうと考えながら駅に向かうことしばし…と云うか数日

駅から歩いてくるから、最初は、夜遊びの人かなとと思った。

そのうち、同じような時間に出会うので」夜勤の人かなと思った。

風体はサラリーマン系ではない。

どちらかと云えば、工場労働者風である。

柄物のシャツはボタンを留めていない、下のTシャツが見えている。

よろけたようなGパンをはいている

で、ある時に気が付いた・・・M山君である。

大体、咥え煙草の馬鹿と会話をする気はない、ニコチン臭いのは嫌いである。

最初から、駅から歩いてるとということは、夜勤明けの人かな、何して働いている人だろう?と思った

途中で、M山君だろうと気が付いたら、今度は、夜勤でもどんな仕事して働いてるんだ?

と云う疑問に変わった。

先日、早めに出ててくてく歩くと、いつもより早く着いた。

すると、登りのホームから降りてくるところだった・・・つまりは中津川、多治見方面からくるのである。

始発を見ると、多治見である

すると、多治見から当駅まで間での間に、早朝・・・始発なら5時台・・・の乗ってくるのである。

何して働いているのだろう・・・という疑問がわいてくる。

彼のお父さんは、郵便局の集配人んだった。

だから正月は2日からだった。

そういえば、10年以上前に、彼の家の近くで見かけたことがある。

なんとなく猫背である。

いつか声をかけてやろうかと思うこともある・・・・

が、永遠に来ないと思う。

だって、高校卒業してから何してたかわからんような奴とは接触を持つ気もない。

15年以上前に、私をいじめていたグループに某駅であったと言うか見かけたことがある。

みんな、いわゆる不良の範疇の人物で、一人はずーとリーゼントだった。

この時も、毛の薄いリーゼントだったのでわらってしまった。

4人ぐらいの集まりだったが、全員顔が判別できた。

その時思ったのは、高校も同じ、外の世界に出なかったので、高校までの人間としか付き合いがない・・・・

そのころ30代であったが、何となく、同じルーチンしかない人は態度も服装も、会話内容も変わらいことが分かった・・・

不良は、どこまで行っても不良だなぁと感じた。

変化のない集団にいると、何も変わらずに年を取るんだなぁと

朝、M山君を見るたびに、此奴はどんな人生を歩んだのかなぁと思う。

自分は、人に誇れるようなことはしていないが、とりあえず、紆余曲折を経ながらも、楽しい?生活を送っている。

自分の今に感謝しつつ。

20180626初出

20180628加筆訂正

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行きつけの店のトラブルについて

ある行きつけのお店とそのご近所の×科医の話である。

行きつけのお店は、二十数年以上前から模型店として存在し営業を続けている。

私も、20年選手の客である。

行きつけの店の北側に以前は中華料理屋があった。

如何にも、汚くて古くて不味そうな店だった。

中華料理屋だが日本人の経営で、地元の人が経営していたらしい。

行きつけのお店の客の馬鹿が、中華料理店の閉店中に車を止めてトラブルになっていた。

明らかに、行きつけの店の駐車場ではないとわかるのに止めるバカ。

こうゆう奴は、飲食店お近くに駐車場のあるスーパーとかあれば、店に用事がなくても即止めて、飯を食い、スーパーでお仕着せに何か買うこともなく出ていくタイプである。

要はモラルがないのである。

外回りの営業に多いタイプである。

中華料理店はいつの間にかなくなって、駐車場になった。

そこの駐車場には、巨大な看板が設置されている。

「〇〇❌科病院 第2駐車場」と書いてある

ここの「〇〇×科病院」の駐車場に、行きつけのお店の非常識な客が勝手に駐車をしてトラブルになってる。

お店の店頭、店の出入り口に「〇〇❌科の駐車場には駐車しないでください」と書いてある。

ツイッターにも書いている。

やたら書いてあるので、聞くと、客が勝手に止めてトラブルになっていると。

  (ちなみその駐車場は、第二駐車場とは書いてある。

   使用の主体は、従業員で、毎日止めているのは7台ぐらい。

   スペース的には、20台ほど止められる。

   患者が止めている人は少ないようである。

   駐車場には、巨大な看板で「○○❌科〇〇駐車場」と書いてある。

   どんな近眼でも見落とすことがないぐらいの大きさである。)

 三週間ほど前にに、苦情の現場に出くわした。

 いつもの様に、その店の店主と話をしていた。

 20時閉店間際に、その店で商品を買ったお客が飛び込んできた。

 血相を変えて、○○❌科の駐車場に止めて締められてしまい出てこれなくなったので、どうしたらいいですか?と

 店主は、

 「ここに書いてあるように止めないでと書いてあるでしょうと・・・すぐに行かないと本当に出れなくなるよ」

 と

 でも、状況を見に、外へ出ると・・・

 ❌科の駐車場前には、目を吊り上げて、怒っている○○❌科医がいた。

 ナンバーを控えて、警察に通報すると息巻いている。

 結局、客が謝ってプラ製のチェーンを外して事なきを得た。

 店主は、その時は、まだ、店の北側に看板をつけていなかったので、店側の対応、主にお客さんへ注意喚起の手法を説明した。

 店内のポップ、出入り口の注意書き、ネットの注意書きを説明した。

 その店の、その時に、駐車場に面した北側の壁面に看板を貼って注意喚起をするといった。

 現実的には、その時点で、看板を注文していた。

 翌週には貼った。

 「〇〇❌科の駐車場には止めないでください」という看板を貼った。

 (私も、店のポップの張り紙が全部黄色で囲ってって、注意書きも、黄色で囲ってあったので、ついつい、黄色で囲むと通常のポップと勘違いするので、別の色で、例えば「赤」で囲ったらと助言もした。)

 その時の医者の言い草に、

「駐車場の地主とは親戚」

「医院の地主も親戚」

「この辺の大地主さんと親戚」(数回、繰り返した。)

「大地主さんを沢山知っている」

「プラ製のチェーンを切っって出てくれれば、器物破損で警察が呼べる」

「プラ製のチェーンじゃなくて、金属製に変えてやろうかと思っている」

「世の中に戦争がなくならないと同じ理由ですよね」

といった

医者だから偉いという雰囲気がアリアリ。

最後の、戦争云々は意味が分からないので…何が云いたいのか?と思った。

その時、目が少々逝った感じがしていた。

先週の金曜日

また阿呆な客が、店の中にも、店の出入り口にも、壁面にも、模型店の駐車場は店の前と、西側の8台分と書いてあるのにもかかわらず・・・

会社の車で止めて、模型を買って外へ出た。

施錠をされて出れなくなったので、泣きついてきたが、店の中の注意書きを見せて、同道して謝らないといった。

客は、急いで出ていき医者に謝って開けてもらっていた。

野次馬根性で見に行った

すると、モラルのない客は、ペコペコ頭を下げて出ていくところだった。

○○❌科医に、声をかけて、聞くと、会社名も住所も聞いたと云っていた。

そうして、

「看板つけたって意味がない」と云いつつ

再び

「世の中に戦争がなくならないと同じ理由ですよね」

といった・・・・私は、??????であった。

ここで考えるのは、店の客のマナーが悪くて勝手に駐車してトラブルになっている。

店は、出来得る限りの対応をしている。

これは、店と、❌科医と、モラルのない客の関係を云えば、❌科医とモラルのない客の紛争である。

店は、数十万円の看板を製作、張ったり、店内、店頭での注意書きで、対策を講じている。

民事的には、客と医者の問題である。

因果関係があるというのは、因縁をつけているだけである。

以前中華料理屋からその医者が借りる時に、

「○×△さん(行きつけの店)のお客さんが勝手に車止めることもあるけど、(借りてる駐車場)返すなんて言わないでね」

と言われていたそうである。

で、先週の土曜日の昼間昼過ぎに、トラブルがやってきた。

この❌科医は、多分診療時間が済んだ時間帯(12時半過ぎ)に、店内に店の商品を買うという目的では無くて、無断で入り込んで、一方的にこんなことを云った。

「なぜ、昨日の客が締め出しを喰った際に一緒に謝りに来ない」

「私、❌科医として地域医療貢献している」

「人の借りている駐車場に勝手に車を止める客の店の存在は、地域にとってどうなんだ」

「駐車場を一部、10万円で貸してやろう」

「10万円なら安いだろう」

「何ら全部貸してやろう」

「この辺には、俺の知り合いがたくさんいる」

とか、

一方的に怒鳴り散らして、模型店の店主が何か言おうとすると、かぶせるように話をして、話をさせないようにしていたらしい。

店主の奥さんとバイトの大学生は結構怖かったらしい。

このあたりの駐車場の相場は、アスファルト敷きで6500円(1台/月)、土の駐車場が、5000円(1台/月)である。

「10万円で何台貸すつもりだ?」

ということになる。

アスファルト敷きなので、15台分となる・・・

ちなみに、ここの❌科に、店主の奥さんも、バイト君も通院していたことがあるのである。

店主も以前通院したことがあったそうである。

で、その間、営業時間内なので、当然様にお客さんは沢山(土曜の昼だと、5人から10人ぐらい?)いるけど誰も恐慌をきたして帰らない。

つわものは、どなっている横で精算をして帰る人もいたそうである。

まぁ、実際、私も、2回ほどその人を見たが、ちょっと目が怖い。

普通の感じがしない。

この駐車場は、医者の奥さんの実家の母親の系統の親戚から借りているらしい。

地主の血族ではない。

医院の所在地は、自分の母親の親戚の系統から借りているということである。

親戚と云っても、血族ではないくせに、地主の親戚を嵩(かさ)に(かさ)来てものを言っている。

チョッとおかしい。

聞いていて思ったのは、営業時間内に、その店を商品を買う目的ではなくて侵入、客の前で一方的に怒鳴り建てたのは、不法侵入であり、威力妨害である。

店ならだれも入る権利があると思うのは勝手である。

店には、商品があり、店はその商品を売るために店を開いている。

店としては、商品を買う目的での入店を暗黙の了解として許可している。

店頭に来て怒鳴るのは大人げないのである。

営業時間真っ盛りの時間に、しかも客がいる前で怒鳴り散らすのは威力妨害である。

営業に重大な影響を与えるものである。

で、ふと思った。

仕事でよく出会う、最近は担当が違うので出会うこともありませんが「身勝手なクレーマー」そっくりだなぁと・・・・

自分の感覚だけで話をする。

やくざの因縁付けに近い。

左翼の運動家の人に多い、小さな何でもないクレームを大きくして怒る、怒る

役所は、ひたすら謝る…これが快感なのかもしれないが・・・来られる方は迷惑この上ない。

でも、面白いのは駐車場のまた貸しを持ち掛けた点が面白い。

もしかして、親戚から借りている。

貸主と親戚と云っても嫁の系統で、血族ではない。

そこで、心理描写を勝手に考えてみた

 偉そうなことを云って借りた手前、「〇×△の客が勝手に車を止めて困る」からと云って、駐車場は返せない。

 現実的には、最近客が来ないので、そこまで駐車場はいらない。

 スタッフの駐車場に使わせているが、医院の前と、第一駐車場もいっぱいになっることもない。

 駐車場の借り賃が負担だなぁ・・・

(と考えて・・・)

 ふと、そうだ、「○×△」に、又貸して、駐車場の借り賃を節約しよう。

 どうせ○○なんて店をやってんだから、頭は良くないだろう。

 医師の俺様がガンと云えば、貸してくださいと泣きていてくるだろう。

 よし、プレッシャーをかけてやるぞう」

 とまあ、想像してみた。

 

 (金の事を書くと怒る人が云るが、お金は大切である。

  以前、よくトヨタスポーツのボデイ板金のことをきかれた。

  私としては、包み欠かさず金額を説明していると、三重苦は非常に嫌がっていた。

  三重苦は、金の話を人前でするのは非常に嫌っていた。

  だって、彼の車は偉そうなことをいつも言う割には、真実の上に薄い、嘘の皮を張っていた。

  彼の車の板金代は、思いのほか安かった。

  板金を頼んだが、お金をもっていかないので仕事をしてくれなかった。

  なので、自分でせっせと板金をして、板金代を浮かせてた・・・だからこの金額なんだよね」

  なんて話はできんわなぁ・・・

  私だって、あと百万積んだらもっと頑張ってくれたかなと思うが、その当時は、200万円が限界だった。

  付き合いのあったころ、気を許していたのか、裏では、セコイ金の話しかしなかった。

  例のざがーとは、中古で560万円ぐらいで買った癖に、新車で買った吹聴していると聞いて・・・なんだかなぁあ・・・と

 付き合いのあったころに、こんなことを云っていた

 「俺ぐらいの年なら、新車から乗っているというと、若い子なんかへ―すごいですね、 と感心するんだ・・・・」

 そこで、新車からからだった・・・へ―、知らなかったなぁ。

 中古で、本田のクーペ(180万円ぐらい?)を売り飛ばして頭金作って、60回払いで買ったんじゃんなかったけ?と振ると沈黙した。 

 数年振りに、奴のブログを読んだら、結構、窮迫らしいことがうかがえた。

  合同展示会に来ない理由もわかった。)

閑話休題

 そこで、  

  「金に困って、押し貸しをしようとしているのではないか?」

 ということに、気が付いたである。

 で考えてみた。 

 ここの医者のホームページに記載してあるの機材をの価格を検討してみた。

 純粋に、機械の値段を代理店のカタログで計算すると、おおよそ7000万円

 リースか、買取かわからないが、一括で金を出して買ったわけではないだろう。

 いわゆる、借金ローンであろう

 診療のコンピューターのシステムは汎用の値段が出ていないのでわからないが、まぁ、建物別で、開業に必要なのは大体1億円であろう。

 建物を加えれば、1億5・6千万円かな?

 場末の病院をぐるぐるしていたようなので金は持って居たかもしれない。

 でも、

  でこの❌科医、開業して10年余り立つらしい。

  医者でもなんでもそうだが、大体、開業5年ぐらいは何とかお客は増えると云うか、今時ネット検索が多いので、近所の医者雄を検索してくる人は来る。

  ところが、ここ5年ほど、あまり評判がよくない。

口コミ(1件しかないのだが)を見ると、

 予約をしていて他用でキャンセルせずに、翌日行くと非常に、暴言に近い、ぞんざいなものいいをされたようである。

 近隣の人に聞いたようで、そんな暴言を受けた人が結構な数いるようである。

 また、近隣の老人のネットワークの話が秀逸である。

 看板に「❌内❌日帰り手術」が売りと書いてある。

 だが、×内×症の手術の日に手術台に患者が登ってから、

「この手術はできない」

紹介状を書くから以て上位の病院へ言ったという話が漏れ聞こえているそうである。

眉唾かもしれないが、それに類した事実があったかもしれない

老人連中は、行かないくなったそうである。

客足が落ちているのか、やたらと看板を沢山そこら中に新設している。

看板を見て、客が来ると思っているらしい。

実は、看板は、ものすごく金がかかる。

沢山出せば、1年間に何百万円である

小さな看板でも、1か月2万円とかする、年間24万円である

10枚設置すれば・・240万円である

240万円診療報酬を儲けるのは並大抵ではないと思う・・・

機材はレンタルでしょうか?

建物もローンでしょうねぇ・・

地代もバカにならない。

スタッフの給料もバカにならない・・・ねぇ

勝手な想像であるが、資金繰りに汲々としているのではないかなぁ?と

で、こんな風に、怒鳴り込んでいけば、風評が悪くなるのは自明の理である。

ちなみに、怒鳴り込んだ日から今週の水曜日までは、帰りにちゃんとチェーンが張ってあった。

しかし、木・金曜日は、チェーンを張っていなかったそうである。

駐車を誘発して、怒鳴り込む機会をうかがっているとしか思えない行動である。

で、お店の対応は

弁護士さん相談して、代理窓口を弁護士さんにした。

内容証明郵便で金曜日に発送した。

金曜日の夜、11時過ぎに、何の金属音わからないが響いて怖かったそうである。

そこで、ついに警察にも相談に行ったそうである。

 その店のお父さん(おじいさん)が、昼の時間、❌科の診療時間の終わる少し前に、隣の駐車場に、店の客が車を止めないように監視をしている。

 何しているか聞けば、監視だそうである・・・

 モラルの低い客も客という種別ではあるが、害悪の客である。

 勝手に止めた客は、二人とも普通のサラリーマン風ではあったが、モラルは低かった様である。

 疲れた顔をして、目を吊り上げて、怒鳴り込んでくる医者・・・

 医者から見れば、近所の住人は、いいお客さんになるはずである。

 怒鳴りまくって、暴言を吐き続けて帰る。

 そんなことをしていると、患者という客は逃げることを考えないのか?

 自分が店頭で行っていることが脅迫であり、威力妨害だと気が付いていないか?

「 医者だから、昔頭がよかったんだから、お前たちみたいな○○なんていい年こいて買っているバカどもは、ヘコヘコ頭下げろ。」と思っているのか?

 先述したように、もしかした、医者は資金繰りで疲弊しているのではないか?

 まともな判断が出来ないのではないか。

 もともと、医院を開業するような場所ではなかったのではないか?

 いろんことを考えているのではないか?

 出身大学は、偏差値68なので、頭はいいのだろう。

 でも、同じ程度の医大は近くにあるのに、わざわざ遠くへ行っている。

 偏差値で、大学選びをしているのかなぁと思う。

 この医者の本心や経済状態は全く分かりはしない。

 しかし、行動が異常である。

 時々、変質狂的な人がいるが、言動に、異常なところが、そこかしこに出てくる。

 このままでいけば、変なことにならないことを祈るだけである。

 悲観的に見れば、この医者、結局、自分の判断誤りから負のスパイラルに落ち込んでいくのが目に見えるようである。

 ちなみに、医者自身は地元の者ではなくて、出身は、隣町(市)である。

 20180624初出

 20180625加筆

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デンカ号への道 (その1)「風雪70年 上野政次郎著 昭和43年3月15日発行

トヨタスポーツ、パブリカとは全く関係がない本です。

何に関係があるかといえば、デンカ号(日本電気自動車製造株式会社)に関係する方の書かれた本である。

非常に、面白い本です。

題名は、「風雪70年」創業50周年を記念して出版された一代記です

「風雪70年」 著者 上野政次郎 〈非売品〉住所 略

昭和43年3月1日印刷

昭和43年3月15日発行

発行所 経済サロン社 住所 略

発行人 三宅 英明  住所 略。

風雪70年には、上野製薬さんの起業、乗っ取り騒ぎ等を記述もあり大変楽しい本である。

なかなか手に入らないかもしれませんが、一読されたい。本位挟まれていた挨拶文が秀逸である。

現在では使われていない文字表現がふんだんである

本には、以下のような案内文が挟まれている。

「謹啓 新緑の候益々御清栄のこととお慶び申上げます。

 平素は格別の御眷顧御春順を賜りまして有難く厚く御礼申上げます。

 さて弊社は昨昭和四十二年をもって 創業五十周年を迎えました。

 これも偏(ひと)え(表現ママ)に一方(ひとかた)ならぬ御支援の賜ものと深謝申上げております。

 就きましては創業五十周年を記念致しまして創立者であります現会長上野政次郎の 小伝を出版致しましたので謹呈致します。

 上野政次郎の歩みは即ち上野製業の歴史でもございます。

 何卒御高覧頂きますと共に 今後一層の御指導御鞭撻を賜りますようお願い申上げます

 昭和四十三年五月   敬具

上野製薬 株式会社  取締役社長 上野隆三

 謹啓 若葉に風薫る好季節となりましたが益々御清祥の事とと大慶に存じます。

 扨(かっ)て、私が道修町に上野商店を創業致しましてから五十周年を迎えました。

 その間いろいろな起伏もございましたが現在の上野製薬株式会社として順調な経営を続けさせて頂いておりますのは 偏(ひと)えに日頃の御支援の賜ものとど厚く御礼申上げます。

 このたび かねがね私が折にふれ書いておきました人生体験を創業五十周年記念事 業の一環としてまとめ「風雪七十年」と題して出版致しました 御清流覧を頂けました ら幸せに存じます。

 私も昨年喜寿を迎え このごろでは花つくりなどを楽しみながら幸福な毎日を送らせて頂いております。

 今後ともよろしく御厚誼のほどお願い申上げます  敬具

昭和四十三年五月

上野製薬株式会社  取締役会長 取締役会長 上野政次郎

これは、戦前の電気自動車の関係の調査の過程で見つけた本である。

デンカ号を生産していたのは、日本電気自動車株式会社です。

日本電気自動車製造株式会社のことは、記録あまり残っていないのでよくわかりません。

(調べ切れていないという事情もあります。)

デンカ号は、非常に一般的な電気自動車であった。

最初のタマ号のベース車両でもある。

工業技術研究所の電気自動車の改良の研究では、小型電気自動車として、試験用の車体として使用されている実績がある。

(後日記載予定)

丁度、昭和20年から40年にかけての會社乗っ取り屋の手口も書いてある。

映画に描かれているような事実があったことを実感できてよいのである。

扨、日本電気自動車製造に関しては事の起こりは湯浅蓄電池の社員からの進言であった。

面白いのは、昭和7年ころ、湯浅蓄電池には電気自動車課と云う課があったことである。

その電気自動車課の課長に近藤さんという人がいたそうである。

彼は、上野氏に対して以下のように説いたそうである。

「ガソリンは国家にとって、非常に大切なもので、これをタクシーなどに使うのは、いかに ももったいないことです。

それにくらべ、電力はいくらでも生産できます。

深夜間の余った電 力を利用して充電した蓄電池による自動車なら、大いに国策にも役立ちます。」

ここで、上野氏は、 近藤氏のいう言葉に、興味掻き立てられてようである。

湯浅蓄電池の本来からの主張なのか、電力会社(昭和五年から始まった名古屋市営バスで試験運用した電気バスの立案者の一つである東邦電力の主張の受け売りかはわからないが、深夜電力の有効利用をここにも上げている。

当時の電力関係の雑誌には、同様の深夜電力の利用を推進する方策として蓄電池を使った電気自動車の使用を推奨している。

電気自動車の推奨は、昭和25年までは継続的に行われている。

これは単(ひとえ)に、水力発電による電力の需給自足が可能であった状況による。

(当時の日本は、電力需要をほぼ水力発電によって賄うことができた。

昭和初期には、水量区発電の不足を賄うために火力発電も導入しているが、通年で足りないのではなく、時期的に昼間の電力が不足するので火力発電を導入はしている。

東邦電力も、東洋一の発電所を戦前建造している。

後年代、民間需要の電力需要の増大を見越して、大型火力発電所を建造した時代の前の段階である。)

 起業家であった上野氏は、自身の感覚で、これからの起こるであろう統制経済を感じていたのではないかと想像するのである。

昭和7年と云え、満州事変の時期である。

 当時の状況といえば、第一次大戦後の長らく不況、労働争議に明け暮れて倒産しそうな会社が多かった時期で、軍需系の会社は、政府からの緊急融資で会社を保った会社も多くあった。

 ここで、タクシーの使うガソリンを無駄なものと見做している。

 当時のある雑誌には、タクシーの使用するガソリンに如何に無駄な部分が多いかを検証もしているものもある。

 無題イコール、貴重な外貨の無駄とも考えている。

 基本的に、電気自動車を推奨する基本的な考えは、ガソリンの需要の代替えである。

 無駄の多いタクシーのガソリン需要を少しでも減らすのは、国家的見地からのなすべきことを考えるのは至極当然である。

 そこで、上野氏は

 「ガソリン・エンジンと、蓄電池装置とただ取り替えるだけで、ガソリン自動車が たちまち電気自動車に早がわりする」という考えに飛びつき、事業欲は見る間にもり上っていった。

 そうと決まれば、ゆっくり落ち着いて仕事に取りかかることのできない私である。さっそく、手はじめに三輪車から取りかかろうと、東区の玉造町に仮工場を建設した。」

 実の早い決断力である。

 しかしながら、試作品はみすぼらしいものであった。

 近藤氏は、湯浅蓄電池を辞めたのか、地位はそのままで出向だったのは不明であるが、近藤氏と研究を重ねて試作品を製作したようである。

 本には

 ここで、近藤氏とともにいろいろと研究を重ね、工夫をこらし、部品を各所からカキ集め て、とにかく試作品らしきものをつくり上げたが、でき上った試作第一号は余り感心できるも のではなく、私はいささか失望してしまった。

 電気式の三輪車がどのようなものであったのかを、うかがい知ることはできない。

 トヨタ自動車が戦時中試作した電気自動車も、軽量化のために、布、木材を使った車で、随分とみすぼらしいものであったというから同等のものであったと想像はできる。

 当時、二輪車を後輪部分を荷台にした三輪車が多数作られていたことは事実である。

 それらの運搬車の改造だった可能性は高い。

 しかしながら、やっけ仕事であったためか出来上がりの外観はひどい有様であったようである。

 上野氏は、「見かけだけは、電気式エンジンだが、これはちょっとひど過ぎるんじゃあないか。こんな につぎはぎだらけの車では売りものにならない。同じやるからには、こんなものではダメだ。」

 これは、電気モーターの出力が弱く、外板を外したり、重量物を取り覗いて軽量化したのではないかと推察する。

 彼自身の「ガソリンエンジンを電気エンジンにかえるだけでよいと」

 云う甘い見通しが間違いであっことを痛感し、関係者を集めて面罵したそうである。

 批判していた点は、当時の自動車、三輪車の地位は、高価なもの、運搬道具として優れていなければならなかったと思う。

 しかし出来上がったものは「商品価値が乏しい」つまりは見るからに魅力的な商品はなかった模様である。

 上野氏の頭には、 戦争が続けば、ガソリンが必然的に統制になる。

 すると近藤氏の主張するように、電気自動車の製造販売は、いずれは国策になる。

 従業員を面罵した言葉は、自身への甘い見通しについての自己批判であった。

 単に、ガソリンエンジンを電気モーターに交換すれば立派なものができると踏んでいた感覚を批判したのである

 ここで、上野氏は、当時、今日ろくな電気モーターがないことを痛感して、次になすべきことを考えた。

 当時は既存のモーターを利用して、電気自動車へ組み込むというのが主流であったが、電気自動車にあうモーターをつくる研究を始めた。

 電気の専門家に設計、その他を依頼しつつ各方面から技術者を募ったのである

 上野氏は、元富士電機の直流モーターの技師をしていた飯田盛一技師計画に加えることとなった。

 かの人は、当時の電機メーカーでは、著名なドイツのシーメンスに派遣されていた方であり、モーター設計に関してはこの世界でも第一人者であった。

 こうした人材の取得により、二年後になって、強力な自動車用直流モーターが完成したのである。

 一方部品も、専門家の手によって次々と生産 されていった

 この計画は、昭和七年ごろから始めていた。

 実用に耐える、電気自動車の販売毛できるようになったのは、七年後の昭和十四年であった。

 ここで、既存の玉造の向上は手狭であるとの判断から、尼崎に用地を求め工場を建設した。

 (ここで、尼崎には、すでに中島自動車が進出して、電気式乗合自動車、運搬車を生産していたので、下請け工場があった可能性ものある。)

 このような状況から、まだまだ紆余曲折を経ながら、上野氏の電気自動車は製造販売されることとなった。

 こうして、後に、デンカ号を製造販売する「日本電気自動車製造」が誕生するのである。

 続く

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かわいそうな・・・ほとんど人間の屑な・・・・後継者

仕事上沢山の屑のような人に出会います。

仕事柄、いろんなん人に出会います。

やくざやさん、テキヤ元締めにのところへも行きました。

意外と普通です。

親の代からやくざというのも気の毒です。

なかなか抜けられません。

日本ではいい職業には就けなくてうて、仕方なく海外ヘという人もいました。

(弟さんは、立派なやくざになってます。)

世のなかには、いろんな仕事があります。

基本職業選択の自由があります、あるはずです。

でも、時々、選択の自由が無い方がお見えになる。

所謂、後継ぎと称される人たちである。

後継ぎと称される人々は、本当に気の毒である。

親の、祖父母の仕事をただ単に、親のエゴで、継続させたい、子孫に継がせたい。

で、子供、孫は「しなければならない」という体制になる。

親が開業した、祖父が開業した、祖先が開業した・・・商店、会社、事業・・・

芸能な家の人・・・伝統工芸しかり

生まれると、即、後継ぎ扱いです。

基本、親は、自分の子供(一番近い血族)に継いで欲しいものです。

当たり前ですが、継続するには、後継ぎがいります。

友達でも、そういった境遇の人は、たくさんいます親が会社を経営している家…

見ていて思うのは、気の毒であるという点に収斂する。

奇特な親が、もう、「店を継がなくてもいい」、「会社継がなくていい」とわないと、基本的には、最終的には親の事業を引き継ぐ(継がされる)ことになる。

事業環境が悪くて、先行きがない場合は、親があきらめて、自分の代で止めてしまおうとする。

最近気が付いたのだが、意外と、団塊の世代の人に、自主的にやめる人が多い。

商売とはいえ、伝統工芸なんて言う世界は、生まれてほどなく修行が始まる、

あーもーすーもない

物心がつくと、すでに覚えてるモードになる。

最近は、伝統工芸でも、大学を出てからは、修行に入る場合がある。

大学に入る前にも、ちゃんと修行は積んでいる、と云うか積まされる。

伝統工芸も革新が必要で、伝統に胡坐をかいていてはダメと考える人も多い。

そう考える人は、積極的に大学へ行かせる。

世の中の流行を流用するなんてことも、色使いという点では必要になるばあいがあるからなおさらである。

ダメと考える点は、技術の継承だけでは、今後の事業と云うか技術の継続することが難しいと感じるようで、経営、技術、デザインを学ぶために大学へ行く場合も意外と多い。

学校出てから、同じような業種の別の会社で修行して数年たってから、会社に戻る…そうして、取締役になり…社長になる人がいる

最近多いのが、会社を嫌々引き継いで取締役になって、社長になって、事業を放り出す人である。

従業員のことなんて多分1ミリも考えない。

考えているのは自分の事ばかり

しかも、悪いのは、全部他人の所為。

自分の悪いところを直す気はない

云われても、目先のことでごまかす。

電話1本で、今から会議なんで、行けません。

会議て何の会議ですかと聞くと、会社の打ち合わせです。

自作自演とはこのことである。

會社の代表者が、自分で自分の会社の会議の日時を決めて、指定日の指定の時間に、わざわざ開催して、これませんという。

別の日を指示しても来ない。

臨場して話を聞こうとすると、突然電話を取り出して話をする。

自分の車は、結構新しい四輪駆動車を買ってホイホイのっている。

会社の納品用のトラックは、20年選手・・・・

こういったところに、自己中心的な性格が出現している。

事務所もぐちゃぐちゃ、社長室もぐちゃぐちゃ・・・

ばれるうそを平気で吐き出す。

まぁ、親の眼鏡違い・・・親のしりぬぐいのようなところもある

親の借金肩代わりで働かされて、旨い事だまされて働いてる人もいる。

最近、良い後継ぎがいないのは、誰のせいだろう?

やはり、親の育て方かなぁとと感じる次第である。

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危機管理?

アメフト部の話題に感じること

危険なタックルをした本人の記者会見が立派だったとほめそやす人が多い。

うちの会社のロートルジイサンまで、「若いのに」立派な態度だった」とほざいていいた。

監督や大学の記者会見がお粗末すぎて余計に脚光を浴びた感じである。

だが、どうなんだろうという気がしている。

日大の選手は、子供ではない。

一応、スポーツマンシップに則った行動を取ることが可能な年代であろうと思われる。

試合に出してもらうがために行ったと自白している。

昨日や、今日アメフトを始めて兄ちゃんではない。

無防備な状態へのタックルをした場合のダメージについて考えてなかったとは言わせない。

関西の大学の生徒を次の試合に出させない為の攻撃

遠回しに、「つぶせ」と云われた

攻撃した選手は、すなわち

「無防備な態勢の時の直接攻撃」のもたらす結果の重大性を認識できなかったかのか?

この行為が、卑怯であることの認識はあっか?

「攻撃によるダメージを相手が受ける」

次の試合の出られない。

自分の大学が有利になる。

奴が出なければ、うちの有利になる。

相手も壊したって壊れないようなタイプだ。

多少のタックルで壊れはしないし、試合中のタックルなら問題はない。

ケガさせるようプレーは多い

試合中に壊せと言われた。

壊さないと、次の試合にでられない

壊さないと次の試合には出してもらえない可能性が高い。

監督の命令が聞けないよう選手は、試合には出さない、そう監督は思っている。

監督は、ヤレと云っている。

自分がヤラナケレバ、これから永久に試合に出してもらえないかもしれない。

自分は、試合には出たい。

自分は、試合に出れば、精神的に高揚ができる。

自分は、試合に出られないことは避けたい。

監督の云うところの「相手をつぶせば」自分は、次の試合に出られる。

ここは、監督の云うことをきいて、相手をつぶしておこう

試合中に壊したら、おとがめはない。

しまった

チャンスがない

試合が終わる

今なら、まだできる、よしタックルで「つぶしてやれ」

で、攻撃

相手は負傷

ホントなら大きな問題にはならず済むはずだった

監督は、攻撃後、攻撃をほめていくれた。

これで次の試合には出られる。

やった!

これで、安泰だ!

と、危険タックルが問題視されるまでは思っていたかもしれない。

しかし、反則選手のレッテルが貼られると、いろいろと困る。

親の入れ知恵もあり、事実を語ったふりをしよう。

自分は、横暴な監督コーチの命令で嫌々やったんだというポーズをとるべきだ。

記者会見だ。

これで、俺は、悪党には見られない。

攻撃は、確信犯だったが。

監督の悪いところを前面に出せば、いいだろう。

僕は自分の人生を切り開くために、実直、スポーツマンらしく振舞えば、自分へのバッシングは減るだろう。

ここは、一発勝負だ。

という感じでの記者会見かな?

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