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ちょっと考えている

またまた、台風到来である。
で、何となく家の雑用・・・正直、資料読むの飽きました。
ここ1か月ほど、戦前の資料ばかり読んでいるので脳味噌が旧字に慣れ親しんでしまい・・・現行の当用漢字を忘れそうです
で、先週から読んでいるのが、「日本自動車史(昭和17年 自研社)」
途中まで読んで…法令関係無視しても、長いので疲れた・・・・
「豊田喜一郎(昭和30年 自研社)」も読んでいるのだが、肝心の事は書いてない・・・
現在の仮説は、中京デトロイト計画は存在していないという仮説である。
現在は、「中京デトロイト計画」、「中京デトロイト構想」と云う言葉が、いつから文章に出てきたのかを検証中
中京地区のデトロイト化と云う言葉は、戦前の文書の若干ではあるが、現出している。
「計画」「構想」という文言は出てこない。
で、戦前の昭和10年以降の自動車史関係をしらみつぶしに読んでいる。
きまった項目を見るので、全部読む若ではないのですが、一日2から3冊が限度・・・・
で、関係ないのですが、自研社の出版物に、豊田喜一郎氏の電気自動車研究を批判する記事があるのは驚いた・・・表紙が日産ばかりなので、日産にべったりだったことがわかる。
読んでいて気が付いたのであるが、昭和10年から17年までに出版された自動車歴史関係の書籍には、「中京地区自動車工業化」「中京地区ののデトロイト」と云う言葉が出てくるのみである。
戦後は、昭和25から30年には、多くの書籍が発刊されるのであるが、25年ぐらいまでは、戦前の重版が多いが、ここにも記載がない。
大体、アツタ號の完成の記事は、新愛知、名古屋新聞紙、(毎日新聞も記事があるとに記載があるが、当時の名古屋版の確認ができていない、大阪版は記載なしに)にしか記載がない。
キソコーチ号も、同二社の記事しか確認できない。
在京新聞、都新聞(当時の新聞には珍しく2週間に一度自動車の記事があった)等にも記載はない。
愛知県史に、新愛知のキソコーチ号の記事の上にある、昨今の中京地区の自動工業の動向の記事はある。
肝心のキソコーチ号の記事はオミットされている。
よく、愛知県史や、名古屋市史に、中京のデトロイト化という事が議会で昭和11年に報告されているという記載がある。
名古屋市市政資料館収蔵の議会報告の綴りに確かに現物はあった。
がである。
報告は「秘」報告である。
アツタ號とみづほ(瑞穂、旧ローランド号)の2台を以て中京のデトロイト化と云う記載がある。
しかしである。
名古屋での自動車工業を志向したのは、昭和5年ごろである。
中央(東京)で話題になるほどの指向があったようである。
当時、自動車を製造したいと思っていた川越庸一氏(のちの大同メタルの創設者、キソコーチ号の設計者)をそのうわさを聞きつけて名古屋へ移住したぐらいである。
思考した理由は、第一次大戦後の不況、大恐慌による全産業の存続への危機感からである。
(軍需産業は、まだ勃興していないというか、不安な発注状況で、軍縮もあり、軍需よりも民需を当て込んだ方がよいという判断があったと思われる。
名古屋市、市役所、市長が、アツタ號、みづほ号についての製造に直接的な援助をしたという事実はない。
財政状況が厳しので、資金援助はなかった。
議会議事録を、昭和5年から12年まで読んでみたが、自動車振興に関する討議はなされていない。
つまり、議会を通した資金協力はなかったという事は判然としている。
各企業を周旋したという記事は散見せらるるが、当時の大岩市長は、名古屋の名だたる企業の役員に就任していた。
それに、企業間の横の連関を使い、自動車を生産できないかとと云う検討をし、かつ、すそ野の広い産業を興し、軍需に頼らない、中京地区(当時の感覚では名古屋市のみ)の安定的な工業生産地域へ脱皮を図ろうと画策くしたことは事実でああろう。
現実問題として、市長が、各企業の首脳を説いたとしても、当時の邦貨で100万円(現在換算で30億~40億円)を投資する気なるかという事である。
資本金100万円の会社の、100万円出せというのはいかにも無理難題である。と云うようなことを考えながら・・・資料を読んでる。

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