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合資会社 ヒノデ自動車製造所

大正9年の名古屋市内の工業案内の本を読んでいると、こんな広告があった。

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合資会社ヒノデ自動車製造所と云う会社の広告があった自動車(架装?)を製造していた会社があったようである。

ちなみに、この会社の関する資料(現時点、2018.10.26)ではは、この表裏2枚の広告しかない。

名古屋の企業関係の一覧にさえ記載がない。

次のページにはこんなことが書いてある。

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合資會社 ヒノデ自動車製作所HINODE MOTOR WORKS MANUFACYURER & INPORTERS

名古屋市南区熱田櫻田

専売局停車 東へ入る

電話

本局6061番

℡ №6061

営業種目

自動車製造販売

自動車輸入販売

自動車修理改造

自動車付属品販売

自動車ボデー塗替

ガソリン発動機製作

位置は、「名古屋市南区熱田櫻田 専売公社電停東入る。」とのみ記載がある。

そこで、まず位置を探そうと思いました。

戦前の名古屋で「専売公社前」電停とはなにか?

電停とは、路面電車の駅である。

当時、名古屋電氣鉄道(後に名古屋市営となる)の路面電車の駅このとである

いわゆる熱田線専売局とは、現在の金山総合駅から市民会館までの広範囲にあったタバコの専売公社の工場の事です。

戦後、現在の名古屋ドームの北側へ移転しました。

「専売局停留所」とは、「専売局前電停」の事である。

古沢町から金山橋までの間にあった電停の様である。

東別院→東雲町電停→古沢町電停→専売局前前電停→金山橋電停→金山橋中央線金山駅)路面電車)

下の地図では、真ん中の点線が、路面電車

路面電車の左横の赤い四角の部分

「専売支局 税務管理局 税務署」と記載

Dsc05774

つまり、現在の金山の市民会館の東辺りにあったと目星をつけた。

地名の熱田櫻田この地名は、現在はない

ちなみに、名古屋市の地名の変遷を確認したが、熱田櫻田と云う地名はなかった。

わざわざ、熱田をつけるという事は、他にも「櫻田」と云う地名があった可能性がある。

電停前東へという事は、地域的には、金山から東へ坂を下る(名古屋台地から下った)ところになる。

寫眞を見ると、のこぎり屋根があり正門がある。

戦前の南区全図(熱田区はまだない時期のもの)

を見ると確かに、専売局のを東手に「櫻田町」の北端が見える

30_4

そこで、当時の電話帳を探してみた。

大正9年の電話番号帳

すると、あったのである

長距離電話加入者 本局6061

合資会社ヒノデ自動車製作所 南 熱田東 櫻田57 業種記載なし

ところがである、地番が57である

戦前の土地法典を見ると、57番は、非常に狭い。

件の工場の写真がのノコギリ屋根の工場、正門のセットの外観から類推するに、正門は、北向きという事になる。

ノコギリ屋根の採光部は、北向きである。

すると、57番は、事務所があった場所と推定ができるのである。

30_62

 しかしがら、昭和5・6・9・12・16・19年の電話番号帳には、

 ヒノデ自動車製作所は無くて、

 「ヒノデ紡機製作所 瑞穂73-0601 熱田 櫻田 47」となっている

 土地宝典で確認すると、47は北向きに接道している可能性がある。

30_63

このヒノデ紡績製作所の事は、工業系の、いわゆる会社案内に記載がある

昭和2.5.9年の工業案内には、上記の織機関係のスピンドル製造会社が、熱田区櫻田にあることが分かった。

ヒノデ紡機製作所の代表は、長谷川さんと云う。

名古屋工業会の会員名簿に氏名がないので、名古屋工業専門学校(現 名工大)の関係者ではないようである

昭和11年5月の地図

品川製作所、渡邊伸銅と云う名称は記載がある(ただしこれは。広告なので、広告を出すような会社でなかった可能性もある。)

_dsc1059

参考に、明治43年の地図には、桜田町の記載はない見るからに農地である。

大正以降の新開地であることがわかる。

明治時代から、現在の東邦ガスがある。

_dsc1109

ヒノデ紡績製作所は、工業系の案内を読むと大正9年2月の創業の様である。

しかしながら、大正9年12月の電話帳には記載がない。

ヒノデ自動車製作所=ヒノデ織機製作所かどうかはわからない

南区櫻田47番 名古屋市の土地台帳によれば、

櫻田57番は、個人所有 代表の方とは名字が違いました。

櫻田48番は、個人所有 代表の方とは名字が違いました。

付近で、ヒノデ製作所の所有の記載はありません。

:昭和34年の住宅地図(住宅地図は、昭和34年から)を見ると、まだありました。

同じ場所に、規模は小さくなり、名称も変わっていましたが。

「ヒノデ織機製作所」は、「ヒノデ製作所」に替わっていました。

専売局(現市民会館)から真っすぐ降りてくる道の近くに。

規模は、4分の1程度です。

このころは、熱田區桜田町ではなく 中区桜田町となっていました。

Dsc_0201_2

現在の地図(掲載できませんが)を見ると

東邦ガス本社の北の同じ場所に

ヒノデ製作所があります。

ちょっと、びっくり。

20181026初出

20181027加筆訂正抹消

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