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日産自動車・・・・何を読みに来ている?

なぜか、ここ1か月ほどで日産自動車の企業PCからの閲覧が急増・・・・

トヨタさんは、毎月1回ぺース

本田技研さんは、年数回ぺースである。

申し訳ないが、私の祖父は日産の戦前のフェートを往診に使っていた。

うちの母は、大学時代に、ブルーバードを買ってもらい所謂ファンシスペシャルに乗っていた、社会人になると、通勤にも使って顰蹙をかっていた。

だから、元々は、日産党だったかもしれない。

だが、現在は、日産嫌いである。

自動車メーカーの日産の個性はどこにあるのか?

日産は、大型車は、日産、小型車はダットサンと使い分けていた。

しかし、当時の社長は、北米で成功した片山豊氏への男の嫉妬で、何千億円という大枚をはたいてい、ダットサンをなくした。

以前から書いているが、日産は、日本産業である

満州重工の母体である

日産は、グラハムページ自動車会社の設備、金型、設計図、技術指導も含めて全部買った。

トン当たりいくらでという話もある。

様は、つぶれそうな会社を買いたたいて買ってきたのである。

20年ぐらい前には、設備を全部売り飛ばしたグラハムの会社の廃墟はまだ残っていた。

日産の最初のセダンはほぼグラハムである。

米国の航空技師が、トヨタ博物館収蔵の車と、オリジナルのグラハムの相違点をレポートにしたらしい。

だから、日産のアイデンティティは、グラハムではなくて、ダットサンに感じる社員が多いともいう。

しかし、ダットサンも所詮は、日産が買った会社である。

買われた会社に、アイデンティティを求めるのは無理があると思う。

戦前小型車といえば、ダットサンであった。

シトロエンの小型車、オースチンセブンは草分け的な小型車である。

初期のダットサンが、オースチンから影響を受けたであろうことは想像できるが、実際、どの程度の影響だったのかはわかっていない。

ある先生が、両方バラして検討中である。

その検討結果が楽しみである。

蛇足でははあるが、昭和5(1935)年のダットサンにニッケル鋳鉄がどのようの部分に、どれだけ使用していたの記載してある資料を見つけた。

割合が違うので読んでて楽しいです。

所詮は、買ってきたもので、作った車であるからアイデンティティを持ちようがないと思うのであるが・・・

鮎川氏は、非常にアメリカナイズされた人であった。

無ければ、買ってこればいいという発想だった。

金で、魂が買えるのか?

という疑問がある。

基本、戦後、鮎川氏はすべてにおいてやる気がなくなる。

そうして、日産の組合は、東京に近いという事もあるり、共産党の浸食に侵される。

雇われ社長は・・・・言いなりである。

その辺が、他の会社とは違うところで、結局、組合は、会社を侵食する

製造現場は楽が出きるが、修理する営業店はとんでもない過重な労働を負わなければならないような車を平気で売っていた。

ゴーンさん騒動を見て、日産だから仕方がないよねーという社員がいる。

ちょっと悲しくなるような感じを受けている。

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