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岐阜県のいい加減さ(補足しました)

豚コレラの問題は、岐阜県が発症地で、愛知県へ飛び火

 

岐阜県の初動が問題ったと思うのは、批判されるべきだろうか?

 

日本国内で絶滅したはずの豚コレラが、なぜ発生したのか。

 

きちんとした説明はない。

 

バイオテロではないかと思うような広がりである。

 

原因はいくつか挙げられてるがはっきりしたことはわからない。

 

外国人が持ち込む食品が感染していた可能性があるらしい。

 

(同様のことは、風俗産業で、性病が激増している原因が、朝鮮半島、中国大陸出身者の



行客から感染ではないかといわれている。

 

主に中国人の感染が多いということも云われている。)

 

県の施設で、中国人が働いていたことは最初伏せられていた。

 

此れの中国人が持ち込んでいた食品か感染していた可能性は否定できない。

 

其の残飯を豚に与えて感染した可能性は指摘されるべきであろう。

 

しかし、マスコミでは、中韓が絡むとなると全くと言っていいほど報道管制がひかれる様


報道されない。

 

中韓がらみが指摘されると報道は低調でになるのは、報道機関の姿勢が,



ここ最近言われる

 


「マスごみ」といわれるほどの信頼性の欠如を提起しているからに他ならない。

 


岐阜県の管理する農場でのたび重なる発病、周辺部への拡散。

 

内陸からの発症が異常と感じたのか、のほほんとしていたの

獣医でさえ病状がわからない、コレラだと思わなかったらしい。



野生動物への感染

 

愛知県への流入は、唐突感が強く、変である。



ついでに言うのは、愛知県の養豚業者の対応も変である。


 

飼料会社のトラックの消毒が不完全であったという話もある。

 

これは、岐阜県の衛生部?の初動が良くなかった査証であろう。

 

鳥インフルエンザを恐れる養鶏場の周りはいつも石灰だらけである。

 

しかし、養鶏場も人手が足りない。

 

無人の時間が多い、外部からの侵入が多い。

 

ここでふと思ったのだが、他県での発生なら対応は違ったのか?

 

そういう疑問である

 

日頃、接する岐阜県、岐阜県下の市町村吏員はいかがなものかと思うレベルの者が多い。

 

特に、岐阜県内の公的機関のいい加減さは枚挙にいとまがない。

 

公的なことは書けないが、げんなりすることが多い。

 

吏員のレベルというか、法令順守(コンプライアンス)の意識が低い。

 

大丈夫か?というレベルの質問をする場合が多い。

 

法令を無視した質問を電話でする・・こちらは文書を持参して質問をする。

 

口頭で、電話で質問をする意識は、30年前である。

 

発想が村のレベルである。

 

また、県の吏員のレベルの低さに辟易することもある。

 

素晴らしい能力のある人いるにはいるんですが・・・どうも、昔風の共産主義ファシスト的

 

言動を使えば「だら管(だらけた管理職)」が多い。

 

つまりは、体制が、十年一狐裘(いちこきゅう)である。三十年と云った方が良いかもしれ

 

ない(十年一狐裘:夏目井漱石、吾輩は猫である)。

 

まぁ、岐阜市が新庁舎建設を行うについて、市長選でも争点になったが・・・

 

・・・野田聖子の支援する会社社長は負けましたが・・・現在鋭意建築中である。

 

岐阜は、トータルでの政策が見えない

 

西濃、中濃、東農と区域の同一性ががないことも政策をさまたげる要因であろうか。

 

中濃は、昔からの争いが多い

 

幕府直轄地、尾張藩、加納藩、大垣藩・・・のこれらが入り組んで意識が違う。

 

旧加納藩の町名は、現在も「加納〇〇町」である。

 

旧加納長役場を楽々と壊したのは耐震性に問題があるといいながら岐阜市と加納町の確執の果てではないかと思うのである。

 

中部地区には、戦前の貴重な公共建築は現在5棟ほどしか残っていない。

 

以前は、一宮市役所、加納町役場も残っていたがあっさりこわした。

 

広場をつくるスペースがあるのあら、建物の保存をすべきだったと思うがそうはならない。

 

加納著役場は、文化財としての位置づけだけではなく、観光資源として活用すべき存在だったが、岐阜市にとっては、加納城、加納町役場は、観光資源としては弱いというイメージなのだろう

 

岐阜は、岐阜城を中心として観光資源を集中させている。

 

言辞的には集中させすぎて駐車場が足りない。

 

観光シーズンは、駐車場へ入ることが困難となる。

 

(通常は、らくちんであるが、連休などの時期はまず入れない)

 

岐阜城自体のキャパシティは低い

 

鵜飼の伝承館は、対岸にあるが、鵜飼の鵜匠の家の並ぶ界隈にあるのはいいが、場所に希求性がない。

 

いつも思うのは、加納城、加納町役場、岐阜駅、各種の神社、岐阜城、伝承館の流れで観光のルートをつくれば、リピーターも増えると思うのであるが、いつまでたっても岐阜城中心。

 

いつまでも信長に頼るのはいかがなものかと思う。

 

信長は、尾張の人である。

 

昔、長野県山口村が、岐阜県中津川市との合併の話が出た時に

 

長野県民、というか、木曽谷の者は、「妻籠」は山口村なので、島崎藤村は信州の人であるというキャンぺーをぶって説得に当たった。

 

この時、岐阜県民は苦々しく見ていたということも聞いている。

 

尾張の国人から見れば、岐阜県が、ことさら信長を持ち上げるとなんとなく、簒奪されている気がする。

 

唯一の売りが信長という点は厳しい。

 

鵜飼は時期が決まっている。

 

信長なら、通年で行けるという感じかもしれない。

 

去年信長公関係の500年を祝っていたが、何となくぴんと来ない。

 

何となく、いつでも思うのは、岐阜市は、市庁舎が古いのも拍車をかけている感もあるが、何となく、古臭い、作業が遅い感覚がする。

 

悪き言えば、古い世代が、支配してる部分も大きい、要は世代交代が進んでいない。

 

大体、岐阜市は、路面電車をなくした時点で近隣地域の断絶を生んだ。

 

生んだが、そんなことになった気はない。

 

周辺部の老人世帯が、中心部、愛知県へ流出している。

 

以前は若い世代の都市部への流出が問題となったが、これからは、継続性のある人口構成ができなくなる可能性が高い。

 

いずれは、帰ってくるというのは幻想である。

 

不便な、車がなければどこにも行けない地域に、誰が帰ってくるというのか?

 

以前、部下のだった子の実家が、揖斐郡にあることを聞いた。

 

おばあさんを一人で置いておけなくなって、揖斐から引き取った。

 

時々、揖斐の家の空気の入れ替えに行っていたらしい。

 

田畑があるが親戚に預けてあると言っていた。

 

その老人は、農地解放のイメージがあるのか

 

「預けとくと、そのうち取られてしまうから何とかしないといけない」

 

といい募っていたそうである。

 

だが実際は、農地を耕す人は少ない。

 

耕作放棄地が目立つ

 

農地の集約化は、古い世代の「ドン百」(「どんびゃくしょう」の略)が完全いいなくならないと無理であろう。

 

現在の世代でも、土地はカネになると思ってる。

 

市街化調整区域の開発は非常に厳しく、インチキな手段を使った方法も今は使えなくなっている。

 

でもデアル、いまだに土地神話を信じている岐阜県民が多くて困る。

 

僻地に近いような某市内の建物付き宅地は売れない。

 

既存宅の更地ならなんとか売れる。

 

売りやすいのは、そこそこ駅近くの市街化区域の農地

 

家のある宅地は売れない

 

古家は、古くて、大きすぎて困るから売れない。

 

岐阜県は、耕作放棄地、古屋への取り組みさえしてない。

 

(しているのかもしれないが、農地の集約化は全然おなわれていない)

 

できないのかやる気がないのか?

 

岐阜の田舎に行くと、本当に空き家が多い

 

大きな旧家風の家でも草ぼうぼう、屋根抜け落ちてるなんてところがある。

 

でも、時々住んでいる。

 

バスはない・・・・あっても2時間1本なんてところがある。

 

道路の保守も進んでいない。

 

そのくせよくわからない道路の拡幅、橋の建設なんかしている。

 

現状を見ていると、先行きは暗いと思う。

 

岐阜県は、どこに行くのか興味津々である

20180226

20180227

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戦い済んで日が暮れて

昨日、シンポジュウムが終了しました。

資料集に、資料として中京地区の自動車産業発達の年表を作成させていただきました何とかできました事をご報告いたします。

アツタ号関係の資料をかなり削りましたので、12頁ほどで収まりました

当初は、中京デトロイト関係資料、新聞記事、アツタ号の登録台数、ジャイアント、水野式、瑞穂号も入れましたので、30ページほどでした。

鈴木一義 国立科学博物館館長、トヨタ産業技術記念館 飯島館長の館長のご講演後の質疑応答には、私くしも末席をけがしておりました。

先生方には、なかなか、答えにくい質問もありました。

そこは、1930年から1950年までの自動車の歴史に関してはどーでもいいような知識を膨大にに集めていたので、ぺらぺらと話ができたのは良かったかなぁと・・・

で、今日は、まったりと?してと思いつつも、次のパネル展の資料集めをしておこうと!

トヨタ博物館の図書室へ・・・

「トヨタを作った技術者たち」(2001 トヨタ自動車)の内容を、ちまちまとPCに転記

40頁を、ワード化するのに、4時間半・・・・・

10時に来て、14時半で疲れて帰宅・・・

そのまま、爆睡・・・気が付いたら・・・19時・・・・

30

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あること

昔仲が良かった人というのは意外と多い。
社会人になってから、大学、バイト先と云った共通の環境がなくなると、急に疎遠になることは多い。
つまりは、共通の場所がなければ疎遠になるということである。
それは趣味の世界の友人とは違っていて年に数回会うだけでも楽しい人とは違っていたいたということかもしれない。
1年ほど前に、久々に、非通知で電話が掛かってきた。
最近あんまりこの手の電話はなかったのであるが日曜の午後だったので電話に出た。
その昔、身上相談に乗るからといって言って、渡した名刺がある。
電話番号と、仮名と云うか以前使っていたペンネネーム名前が書いてある。
掛けてきたのは、名刺を友達からもらったから半信半疑で電話をしてきたといった。
ズバリ、本名を云ってきたののと、懐かしい響きの声だったのでついつい、
素直に、「ハイ」といってしまった。
友達て、誰ですかと聞くと、はっきり言わなかった、彼女の母親に近しい人らしかった。
配った相手としては、記憶にない人だったが、電話番号だけ教えた人かもしれないと思った。
彼女は、王朝文学の好きな国文学専攻の大学生だといった。
国文学の話を延々とした後で、私、お金ないんで、学費と生活費を稼がないといけないんですと言って、

アルバイトとして、風俗店、いわゆる派遣型のお店に勤務してるといっていた

1年ほど週末だけ、一日、3から4人の相手をしているとのことだった。
そのあたりは、不案内なのでいろいろと聞いてみた。
料金システムや、どんな客が来るのかを聞いた。
聞いていて突然、どうしてこんなことを言い出したのかと思っていると。
誰かに聞いての貰いたかったといった。
話をしたのだが、誰にもできない。
怖かったこともあるけれど…と云っていた。
突然「よく考えたら、三桁以上の男と、そういったことをしたことになるよね、やばいいよねー」といった。
で、最後に、あと一年我慢したら辞めるんだけど、また電話してもいいですかと聞かれたので、別に夜中でなければ構わないと伝えておいた。
話をしていて、気が付いたことである
話し方にんとなく懐かしい話し方があった。
ちょっとした、話し方というか、語調であるが、記憶がよみがえった。
出身は、静岡の方
知りあったの、銀座の地下の小さなバァ、世間的には有名である。
彼女は、近くのデパートの店員さん
私は、いつも、開けたころの6時行く。
彼女は、6時半に来る。
私は、弱いので、いつも一番弱いカクテルを飲んで終わる。
ほぼ毎日東京の友達と、飲んでいるというか話をしてた。
その場に行く前に、一杯ひっかけていた。
そこで、いつしか話をするようになった人であった。
マスターはまだそのころ健在だった。
大ママの一番終わりごろ、数回、大ママを見たことがあるぐらい
未だヒヨコのころだったので、スツールに座った太宰修の写真を見ては、時代は流れるものだなぁ思った店でもある。
マスターと話をするぐらいがオチである。
そのうち、話をするようになった。
日曜日に銀座の雑踏で写真を撮っていて、目が合ったこともあった。
そこで初めて、勤務先が分かった。
店頭の彼女は、元気そうなお姉さんだった。
数年後、たまたま、そのバァに行くと彼女がいた。
彼女は、結婚して、子供を産んで、離婚して、子供を預けて、働いているといった。
そこで、何か相談したいことがあったら連絡をしてねと云って電話番号を教えた気がする。
電話をかけてきた、女の子がその人の子供かどうかは分かりはしない。
それにそんなことは聞けない。
気にはなったが、何となく年が合わない気がしたので、違うような気もするのである。
また電話してもいいですかといわれてから、もう1年ぐらいたったが、元気にしているだろうか?
そんなことを急に思いだした。

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岐阜県警さん、もう少し何とかしてほしい

 岐阜県というか、岐阜市内でも、羽島であろうが、大垣であろうが信号のない横断歩道を渡るときに本当に危ないと感じることが多い。

 普通の信号がある交差点も危ない。

 青で渡っていると、右折左折の車は、歩行者などお構いなしに来る。

 信号のない横断歩道で待っていても、ほぼ止まってくれない。

 大体、1週間に1度ぐらい、会社の名前入りのカローラバン(仮称)は止まってくれる。

 横断歩道で、1回待つ間…クルマ通行が無くなるのを待つ間、連続してくるので、左右で大体20台前後は通過する。

 先日も、数えてみた。

 サンプル 1月中の連続した5日間(月から金)

交差点

 信号のない、22か所、一日4.4平か所

 信号のあ(押しボタン式含む)、16か所、一日平均3.2か所

通過した車両数

 信号のない交差点 550台 1回平均25台(左右通行)

 信号のある交差点 54台 1回平均3.3台

場所

 岐阜市、大垣市、羽島市、各務原市、瑞穂市、本巣市、瑞浪市、岐南町、笠松町、旧川島町 

止まってくれた者

 5日間で、停車してくれた車。

 信号のない交差点

 2台(岐阜ナンバーで、建設会社と、PC関係の会社)

 (一日で連続して止まってくれた。)

 ひどい奴は、信号のあるなしにかかわらず交差点で、横断中の歩行者の前をすり抜ける。

 岐阜市内の問屋の配送中のトラックは、ほぼ毎回、横断中の歩行者がいるのにもかかかわらず前を横切る。

 溝畑神社の近くですがね。

 大体大きな交差点でも、歩行者が歩いていても、平気で前を横切る。

 岐阜駅周辺部は時にひどい。

 岐阜駅から名鉄岐阜駅につながる交差点は、歩行者が多いので注意しているのだろうかキチンと止まる人が多い。

 でも、多くの場合は基本的に止まらない。

 生粋の岐阜市民からも、誰も止まらないという事はよく聞く。

 路駐は減ったが、幹線道路に平気で止める奴がまだいたりする。

 岐阜市内では、歩行者が気を付けて避けている。

 岐阜県の横断歩道では、車が王様で、歩行者優先なんてなんてなんのそのである。

 見ていた気が付いたのは、まず爺さん婆さん止まらない。

 枯葉マークがついていると、止まるという事を知らないように走る。

 おまけにマナーは最低。

 40代以上と思しき人々は、横断歩道で、歩行者がいたら止まるという事を知らないようである。 

 初老の夫婦連れも止まらない。

 郡部へ行くと、軽トラの爺さん婆さんは100%止まらない。

 一時停止は守らない、最初に交差点に進入した方が優先・・・

 信号赤でも止まらない。

 黄色でも平気で突っ込む(これは愛知県でもよくある。ワゴン車に多い。)

 スマホをいじりつつ運転してるおっさん、おばさんが多すぎる。

 人の少ない地域は、横断歩道を人が歩いているという前提で運転していない。

 右折車は、横断歩道の通行者を見ていない。

 旧川島町では、横断中に突っ込まれてあわや跳ねられそうになった。

 夕方、はひどい。

 車が止まらないは、交通安全指導が適切ではないような気がする。

 以前、信号のない横断歩道で子供が立っていたので止まると後ろのトラックは急ブレーキで止まったのルームミラーでを見てビビったこともある。

 (現に友人は、追突されて車が全損という人もいる。)

 その時は、反対車線の車列は、こちらが止まっているのが見え、かつ、子供が待っているのが見えても10数台過ぎて行った。…反対車線のクルマが居なくなるまで子供と私は待っていた。

 公開している警察の締まり情報で、信号交差点の取り締まりをおこなっいるのは、各務原警察ぐらいである。

 長良川の堤防で、相も変わらずネズミ捕りをやっているが、いい加減に、歩行者の保護を目的とした交通取り締まりをして欲しいものである。

 どうも、岐阜県のボタン式の信号機は、歩行者を優先するより、車を優先している節がある。

 ボタン式の横断歩道で、ボタンを押してからの待ち時間が60秒から90秒ほどあるところが多い。

 数か月に1度ぐらい、30秒も待たないで替わることもあるが、ほぼ1分以上待つことになる。

 制御系の設定が悪いのかどうかわからないが、総じて長い。

 イライラする。

 加納城の南の道は、夕方大渋滞するがこれも、南北への交通を優先しすぎるためであろう。

 もう少し何とかならんかなぁと思う。

 

 

 

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やる気がなくなるのは、病気のサインかもしれない?

先日、親しい友人がガンで手術をすると聞かされてかなりショックを受けた。

手術できるレベルと聞いて、一安心ではある。

去年から「やる気が起きない」とたびたび聞いていた。

先日、急性白血病で、研究会の先輩が亡くなった。

昨年、研究会のテーマの調査をしていたが、何かやる気が起きないとおっしゃっていた。

結局、体調不良で、研究会の発表は辞退された。

そうして結果としては、急死という連絡であった。

数回お話をしただけであったが、何となく、やる気が起きないと言ってみえたのである。

やはり病気の巣が芽生えると、やる気にならないものかと思う。

以前、個人的な事ではあるが、病気になった時に、2週間ほど前から、仕事も手を付けたくない気分であった。

前二回の時は忙しくて、やる気だとか、そういった感じを受けるなんて感情を感じる以前の問題であった。

三回目は、何もかも放り出したい気分が先行していた。

「これはやばいなぁ」と感じていた。

やはり体の変調は、やる気というか、気分に非常に反映するのだなぁという事を痛感した。

今回も、友人が、何となくやる気が起きないと連発していたので、気にはなっていた。

早く良くなるを願いつつ。

何となんく、感覚的に、体の変調のサインはやる気というか、意欲が減退するときは危ないと感じるべきではないかと思う。

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I 君に会いたいと思う今日この頃

I君は、もう10年も前に病で急死した友人の一人だった。

病気で寝込んだり入院したりすると連絡が入る。

最後の相談のよりどころにしている風があった。

彼は、重い病気だった。

でも、遊びに行った先で倒れてそのまま不帰のの人になった。

お父さんが亡くなって、葬式には出られず後日、家に行き話をして帰宅後数日で亡くなってしまった。

良い人であった。

ある時、家に行くと妙齢の女性が二人住み着いていた。

どういった関係かと聞くと、娘の方は何かのイベンとで知り合い、仲良くなったそうな。

大阪のミナミに出ていた女性で、母親も、その手の人だったらしい。

彼の母親も病気で亡くなっていたので、男やもめ宅に入り込んだらしい。

別段、彼とは特殊な関係にはなっていないという事だった。

一晩泊めてもらって、その夜、件の母子が居る隣の部屋で寝ていると、不審な事を云っていた。

「早く落としないさよ」

「個々の土地なら・・・・」

後はよく聞こえなかった

さすがにこのとこは言わなかったが、見るからに怪しいので、追い出すように進言したら、そのうち出て行った。

程なくしてお父さんが亡くなった。

そうして、今度は本人も亡くなってしまった。

時々、不意に携帯が鳴ると、I君からからと思うことがある。

気のせいなのであるが、不意に、あれと思うことがある。

何となく気の所為という奴であるが、携帯が鳴った気がして、I君の顔がよぎることがある。

お母さんの葬儀が済んで、程なくして、彼と彼のお父さんと中華料理を食べに行った。

お父さんが、その時に、「いろいろと世話になったねぇ、ありがとう」といわれた。

なんだか、ぶつぶつと思いだすのである。

先日も、こんなも事を思いだした。

もう、30年ぐらい前の事であるが、友人Y君、H君、そうしてI君を含めた4人で表参道の店でコーヒーを飲んだ時に、I君はよく食べるので

早死にするぞ。

といった時に、

「早く死んだら、ちゃんと墓参りに来てくれよなぁ」といった風景を急にもいだした。

これは、墓参りに来いという事かもしれない。

近所の寺だったような気がするが・・・東京光学の近くだった気がする。

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突然思い出したことなど

昨日、突然、もう10年以上前に亡くなった友人某の事を思い出した。

なぜか突然である。

それは、旨いコーヒーが飲みたいなと思って、

つい、旨いコーヒーを入れてくるれ店と、友人を思い起こした。

名古屋には、私の好みのおいしいコーヒー屋はない。

東京の有名?どころは2店舗ほどあるが、ここ10年ほどゆっくりと東京へ行く用事もないので、寄ることもない。

Bar LUPINさえ遠ざかって10年以上たつ。

そうして、なんとなく、何げに、甘くて苦くて後味すっきりしてのはどこで飲んだのだろうと思った。

そうして、ああ、某君の家で飲んだコーヒーだったなぁ

と・・・そこで、ふと思い出したのだが、

第一に思ったのは「今どうしているのかなぁ?」である

で、次に思ったことは、「あれ」

何年か会ってないなぁ・・・

で、自分の年齢を思い出した。

自分は、○〇歳、年を喰ったなぁ・・・である。

そりゃあ、みんなが年を喰うはずである。

で、ああ、彼はもういなかったなぁと

彼は、青い豆を、箸で選(よ)っていた。

二人分だからなぁといいながら選っていた。

「何か手伝おうか」というと

「パッと見ダメなのを選ってくれるか?」といわれた

虫食いや、縮んだもの、形の悪いものを除いていると、

「人間は見た目でいい悪いは判らんから困るよなぁ」

「人間の欠点は、利点でもあるから困るよなぁ」

と続けざまに云った。

「どうした」と聞くと

「いや、親がね、死んだ嫁さんの事を悪く言うんだよ」

「今頃か?」

「ああ、ぼくが腑抜けになったのも、やる気がないのも全部彼女の所為さ。」

「・・・・・・」

「子供が外へ勝手に出て、事故で亡くなったのは仕方ないと思ったんだが、親に言わせれば、彼女がちゃんといしていればよかったというのだよ」

私は、この時、三島由紀夫の「真夏の死」を思い出していた。

かの作品では、2人の子を失った母は、生き残こった次男を細心の注意で守りつつ生活を継続する、そうして紆余曲折をたどりながら、再度懐胎して、子を産み、事故のあった海岸へ再度訪れる。

夫は、彼女が何かを待っていると感じる。

そこで小説は終わる。

そこで、「どうして奥さんは自殺してしまったのだ?」と聞くと、

豆を選りながら、深いため息をつきながら

告解するように子供が亡くなってからの行動を語った。

帰宅すると、子供食事と自分の食事がある。

妻は、「暗い顔で、今日も帰ってこないの」という

彼は、自分の気持ちが潰れるのが早いか、妻の気持ちが潰れるのが早いか思い悩んだそうである。

彼は、逃げ場があった

それは仕事である

彼女には逃げはなかった。

轢いた相手の家へ行き、子供を返せと怒鳴る。

それも、彼は最初知らなかった。

子供あての手紙が来る

「〇〇さんご両親」様

ある時、庭に手紙が散らかっているのを見て

彼は、戦慄した。

それは、その手の案内だった。

家に帰っても、電燈もつけずに座っている。

食事はない

彼は仕方なく弁当を買って帰る。

妻は、昼間何をしているかわからない

彼女の親を呼ぶと、親は謝りながら連れて行った。

だが、程なくするとかえってくる。

帰ってきてからは、食事もして、普通の生活が訪れたが、手紙が来ると、狂気に落ちた。

そうして、結局自殺してしまった。

豆を選りながら、深いため息ばかりつきながらポツポツ語る。

小説の主人公と、実際に真夏の死のモデルなった家族の結末は知りはしない。

小説の様に、悔恨の情よりも、現実の生活の比重が重く、家族の死を忘れ得たのは不明である。

親は、再婚を望んだようであるが、本人はその気がなかった。

そこで、親は、死んだ嫁の呪縛を呪う言葉を吐き出していたという事になる。

彼も、結局、生きてる意味がないといって死んでしまった。

結果的に云えば、彼の家は絶えた。

そうして、長い時間をかけて選んで、ローストして挽いた豆で作ったコーヒーは旨かったのである。

そんなことも思い出した。

葬式にも行ったことを思い出した。

ふと思ったのは、あの世とやらがあるのであれば、子供、奥さん、両親に会えたのかなぁ?

奥さんは、精神を病む前のすがすがしい顔の時かなぁ。

ちび助は、あの世ではある程度まで大きくなるというから、親子で仲良く暮らしているのか?

癌で相次いで亡くなったご両親は、私が知っている頃の元気そうな、感じころの姿であろうか?

そんな風に思い出していたら、月がきれいに見えた。

この家族の訃報は夜届く。

お子さんが亡くなった時の葬儀の連絡を受けた時の月、

奥さんが自殺した後の葬儀の連絡を受けた時の月、

ご両親の葬儀はいけなかったが、葬儀の連絡を受けた時の月

そうして、本人の葬儀の連絡を受けた時の月

なぜか、細い下弦の月

糸のような月である

細い月を見て、何となく、もう一度、彼のコーヒーが飲みたいと思った。

でも、死んでしまわないと飲めないので、頭(かぶり)をふった。

寒さが身に染みた。

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児童相談所の対応について

児童相談所、小学校の対応に怒りの目を向ける報道や意見が非常に多い。

いつも思うのだが、自分がその立場だったら本当に自分が主張して止まないような主張を、その人間の前でできますか?

と聞いてみたい。

児童相談所でも、学校の先生でも、普通で考えれば、クラスのトップクラスの成績だった人が大学等をでて、就職している場合が多いであろう。

そういった人は、基本的に暴力には耐性がない。

強そうな体育の教師でも、体力はありそうであるが、運動部系の扱(しご)きや、上下関係の厳しいところはあるであろう。

武道系でも、ケンカ慣れした者には勝てないこともある。

それはルールがないからである。

所詮は、体育というルールありのカテゴリーの中でのぬるま湯的な活動によりできた身体機能であるから、ルールのない暴力には耐性がない。

つまりは、やくざ者が、怒鳴りながら、目の前で文句を言ったら・・・・あなた耐えられますか?

机をたたきながら、恫喝されたら耐えられますか?

みんな逃げてしまい、自分が矢面に立たされたら・・・自分が偉そうに述べていることをそのまま主張できますか?

出来るという人は、頑張って下さいとってやりたい。

今の私なら、即、上司に任せて逃げる

ケガしたくないもの。

ある仕事で、半分やくざの総会屋に絡まれたことがある。

残業を終わって帰りかけると、無灯の車がゆっくり追いかけてくる。

これ見世がしに、後ろからついてくる。

ちなみに、偉そうに組織論をぶつ人たちは、その旨を伝えたら、気のせいだろうと言って逃げた。

たまたまその時の庶務課長が、警察に顔が利いたので、相談して対策を講じて、こちらはこちらの仕事をいわゆる粛々と進めたら、脅しはほどなく終わった。

正直言って生きた心地はしなかった。

子供は小さかったのでもうドキドキだった。

そこで、恐怖に負けそうであった、それは何とか耐えるレベルだった。

しかし、目の前で怒鳴る人がいてもこちらに手を出す可能性は非常に低いと思っていいるので、あまり怖いと思ったことがない。

でも、同僚に、怖くないですか?

と聞かれることが多かったけれど、なんとなくネジが取れているので、来てるんだから説得できると踏んでいるから対応できる。

これも場数を踏んだおかげであるが、最初は怖かった、正直言って、逃げたかったけれども、耐えることを覚えて、反論する術を知ってからは強く出られてもあまり気にならなくなった。

現実問題として、児童相談所や、小学校の先生は、対応方法もわからないような状態で、暴力的に対応されたら、目の前の自分の恐怖を取りのぞく「最短の方法」を取ったことをあまり批判的に眺めることができない。

職業倫理が、欠けていると主張するのは簡単である。

でも職場で、その手の人が来た場合の対応方法をちゃんと教育していなかった、対応ができない人が応答した点は、批判すべきである。

児童相談所と警察が組み合わさってうまく運用したら、机上の空論を偉そうに云うのは、もう少し、現実を見てからものを云えよと言ってやりたい。

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名簿の管理など

 先日ある問題が発生した、と云うか非常に危険な状態にあることに気が付いた。

 職場の研修で、個人の名簿の取り扱いについての危険性を教示されたのである。

 現在は、基本的に個人の名簿の収集はほぼ困難である。

 小学校でも名簿を配らない。

 中学高校でも配らない

 親の職業を各欄もない。

 余分な情報を持つ気がないということである。

 承諾を得て、採取しても、適正に管理、利用することしか認められていない。

 同意を得ても、勝手に二次利用はしてはいけないことになっている。

 本来の使用目的から外れた使用はダメという事である

 適正に管理と云いながら・・・本体が集めた名簿を、撮影して個人のPCで管理してるというような状況はダメである。

 ちょっとした懸念があったので、持っているのであれば抹消するように伝えた。

 いわれた方は非常に不満そうであった。

 定年退職した人の意識は、退職時で止まっていることが多い。

 その人もその類である。

 最近こんなことがあった。

 ある自動車の集まりで問題が起きた。

 ちなみに、私の直接間接的に関与するイベントではない。

 毎月1回の開催である

 誰が来てもいい、時間内ならいつ来てもいいし、いつ帰ってもいいのである

 昔のオハミカみたいなものである。

 新年早々、問題が起きたそうである。

 現地に行った友人が苦々しく状況を教えてくれた。

 ちなみに私は、2回ほど行った。

 友人が病気だったので、そこには来ているという情報があったからである。

 でも、2回行って、普通の車では行ってはいけない雰囲気があるので、辟易したのである。

 だから、2回でやめた。

 新年早々の集まりは、荒れたそうである。

 いわゆる、変な張りぼてモード、大音響のエンジン音をまき散らす車、会場に入れなくて路駐、通路に止める・・・駐車場内の通路に止める、自己中止的な行動が目立った。

要は、参加者にも迷惑だし、近隣住民してみおたら迷惑この上ないという事になる。

 主催者が、くぎを刺したので、今月は無事だったようであるが、そのうち、そういった集まり がなくなる可能性もある。

 「オハミカ」も、一部の人の野放図な行動で、駐車場自体が使えなくなり、集まりがなくなった

 野放図に拡大を許すととんでもないことになる。

 誰かれなく声をかける

 結果、規模は大きくなるが、無責任体制が横行する

 先日、名簿の話と合わせて、クラブの会員で定年退職した者が集まって作ったツーリングクラブを廃止した。

 それは、あるクラブの支部の下部組織として設立を許可したものであった。

 これは、定年退職後の無聊を慰めるために平日のツーリングを行うクラブということであったから、少数の人間の小規模の会との認識であった。

 其の退職者の会の発案者には以下のように伝えた。

 私自身は参加できないので、特段管理もしないし、きっちり報告をしなくてもよい。

 退職者の会の責任者を決めてください。

 ツーリングの内容は事後でも事前でもある掲示板に乗せてください。

 それで報告としてください。

 交通安全を順守

 交通規則を厳守してください

 と指示をしての承認であった。

 最初は、OBのみの参加であった

 しかし、前にも書いた通り、ある人は、誰彼なく声をかけて参加者を募る。

 別の人も、誰彼なく誘う。

 募集に、名簿を使ったかどうかはわからない。

 最初10人ぐらいだったのがいつの間30人近くになっていた。

 聴けば、軽自動車で参加していた者は、ハイスピードについていけないので、スポーツタイプの車に買い替えた。

 どうも、一般道をかなりのハイスピードで走行していることも分かった。

 皆さんで、遠方へバスを借りて見学にも行ったようである。

 バスには、会の名称を堂々と載せてである。

 行動は断片的な記載で分かる程度である。

 見ていると、いろんな行動が、エスカレート気味に見えた。

 先日まで、最初に申し渡した、会の責任者は決まったのか決めなかったのか、待ったくその件に関する連絡はなかった。

 毎月のツーリングの行き先、道順を決める幹事はいても、責任者はいない

 報告もない。

 断片的に、SNSに記事が載る。

 おまけに、参加者の一部は、参加資格を定めた飲み会に無理やり来ようとする。

 担当者が断ると、当日になって、参加できないかと云ってくる

 ついでに、その退職者の会の連中に連絡して、参加できるといっているといって無理やり参加しようとするのである。

 つまりは、その会の連中は、仲間ならいいでしょうという、ルール無視を是認する傾向があった。

 ある人から、ここ1・2年は、会の体質が変わったから参加しないとも聞いた。

 参加者が増えて、実態がわからない団体を管理するのは不可能である。

 また、一般道を10台以上連ねて走るのは危険を伴う。

 そのうち、事故でも起こされて、会の運営責任者はお前だろうといわれるのは困るのである、上部団体も困るのである。

 名簿の管理も同じで、責任を追及されたら困るのである。

 上部団体は説明したら、名簿の管理は一歩誤ると団体が吹っ飛ぶ可能性を秘めていることを理解したようで、こちらの方針には、賛成をしてもらった。

 時代錯誤的で困る人がいるのは確かである。

 「コントロールされない努力」をしているのを見ていると、何を考えているのかわからないという気がする。

 一部、関係者からは、問題行動が多いとの指摘もある。

 余り事を荒立てたくない気はしている。

 ただ今回の事で、正論そうに見えて実は、良く居るクレーマー的な事を云ったのが居いた。

 やっぱりなという気がした。

 ほんの少しの共通点を捉えて、さも関係があるように主張した。

 これは条件も違えば、内容もぜんぜん違うし、事実関係もぜんぜんわからない事・・・

 つまりは、現在話し合われている事とは、ほとんど関係ないことを引き合いに出して、否定をしようととした。

 クレーマーの、「誰れだれは、同じことをやっても挙げられなかった、捕まらなかった」

 「みんなやっている」

という主張と同じである。

 誰だれを聞くとはぐらかすのである。

 大体、その人は、一昨年前の大きなトラブルの原因を呼び込んだ主犯の一人であった。

 トラブルの原因が来る可能性を知りながら・・・・報告もなく、問題が起こった後も、反省の色もなく、

当然の様に謝罪はなく自己弁護と、

 よく無責任な人が云う、

 「そんなことをするとは思わなかった」

 「あんなことをするとは思わなかった」

 と言って、自身の責任を逃れて、トラブルを起こした人間にすべてをおっかぶせて逃げたのである。

 困った人である。

 ちなみに、うちのツーリングはよく来て8台である。

 年寄りが多いので、平均速度は遅い、大体ヨタでは、FUN TO DRIVE程度である。

 そのレベルのツーリングと思い込んでいたら、どうも、そうではないことが分かった。

 だから、廃止しました。

 名簿の事を考えてい居た時に、ある人が、○○周年記念のイベントのお手伝いをといってきたことも思い出した。

 友人の紹介だったので快諾した。

 ある場所で面談した。

 あって早々、事前予告もなくツーリング参加者の名簿を出といってきた。

 これを聞いて、事前に聞いていれば、参加者から連絡先の交付の許可をもらう術もあっが、いきなり言われては教えることはできないと伝えて、完全に拒否したのである。

 この様な、非常識な請求を今どきするのが居るのには驚いたが、社内のコンプライアンスはどうなっているのか?

 と疑問に思い、その会社のある人を通して聞いてみた。

 すると、当人は、法令順守をする気迫の薄い人、身勝手、政治的な動きをする、最後は期限付きで殿さまだったからその感覚が抜けてない、いつまでのも現役のような気分で、現役の社員の接するといった言葉が聞こえてきた。

 社内では、法令順守の研修はおこなっているし、ある一定以上の職責のある者には別途研修をしていると聞いた。

 そうして、苦々しく、ついでに、都合が悪いと逃げる人という回答が来た。

 これは、やばい人だなぁと思った。

 すると、この人(定年退職して暇なんだろうが)は、平日の昼間、仕事中に平気で電話をかけてくるのである。

 つまりは、自分は、退職者で今かもしれないが、私は現役で働いている。

 働いている人に、仕事の話でもない、趣味のどうでもいい話をしてくる。

 この時点で、常識が欠如しているという事になる。

 こんな奴に、名簿の内容をもらしたらどうなるのかと思うと、空恐ろしいと思った。

 ついでに、うちの関係では、名簿の二次利用や、流出があったのかと聞かれたのである。

 こちらの回答は、

 「管理している本人がないといえばない状況で、そのような事実関係があったかなかったのの確認をする術がない」

 つまりは、何ら管理をすることができない状況と伝えた。

 この状態は、ダメだろうと・・・

 そこで、これからは、名簿の管理をどうするのかを話し合う必要が出てきた。

 名簿を利用して、DM(ダイレクトメール)を送ることも最初から想定したいない。

 ある人は、参加者に次回の案内を送ったらどうですか?

と主張していた。

 その人は、会社では見本市のようなものでは、DMを送っていたと述べた。

 しかし、考えててみろよ、会社は、利益を見込むから経費を出すのである。

 経費を使い、利益を受けるための前駆的というか、投資として行うのである。

 内のクラブは、金はない

 あるのは、スタッフのボランテイアが物品を買うために供した資金があるだけである。

 ついでに言えば、DMを送るには膨大な金がかかる。

 はがきの郵送代、印刷代・・・・

 それを投下しても、回収はない。

 参加費用を徴収していないのだから、費用は出ていくだけである。

 金をかければいいと追う感じ、会社の経費を使うのは構わないだろうという感覚が、おかしいと思う。

 金の管理をしたことがないことがよくわかる。

 たくさん来てもらいたいという気はするのであるが、あんまり来てもらっても困るという感じもしてる。

 だから、チラシも作らない。

 つくる金がもったいない。

 だから、うちでは面倒な名簿の管理はしないと決めた。

 勝手にやるのは、犯罪だよ言ってやりたい。

 困ったことが多いと感じる今日この頃である。

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人間の暗闇、少し改定

日本経済新聞のゴーン氏の記事を読んで、以前読んだ本の事を思い出した、フランツ シュタングルというナチスの戦犯の事を思い出した。
彼は、トリブレンカの絶滅収容所の所長であった。
ルドルフ ヘス、アウシュビッツの収容所所長
輸送にかかわったアドルフアイヒマンの事も同時に思い出した
思い出した理由
それは、ゴーン氏との日本経済新聞記者との獄中面接の記事を読んで、かれら戦犯として裁かれた人たちと主張と、もしアドルフヒットラーが生きていて裁判にかけられたのならば、どのような反応をして自己弁護をしたのかという事を思い起こしたのである。
獄中面接の記事で、海外送金に関して日産の幹部職員は同意してサインをしたという内容の記事であった。
幹部諸君が、同意のサインをしたのだから、私は無罪という言い方である。
英語での会話と書いているが、質問の英文、回答の英文が記載がないのでニュアンスは伝わらなないが、ゴーンが、発案をして、会社の幹部が同意したから、自分は無罪というのは、もし、アドルフヒットラーが、生きたいたら、言いそうなことだと思った。
もっとも、ナチスは文書を残さなかったので、実際にだれがどのような過程で、ユダヤ人絶滅計画を推進したのかはよくわからない。
仄聞的な資料はあるが決定打となる文書は残っていない。
日産の幹部の資質は、自己保身である(と私は思っている。)。
捕まった多くの戦犯は、多くは有能な官僚タイプの真面目過ぎるぐらいの人物である。
言わゆる、小役人タイプの教条主義者的なところがある、というか、あった。
冒険はしない、自己保身と、勝手に想像して、危機を避ける方向性があったのである。
当時の状況を無視して、戦犯を責めることは酷であると私は感じている。
人間は生活をしなくてはならない
生活のために仕事をする。
私は、時間給で働いている気がしているのはその為である。
おかげで昇進はないので、生活が苦しいのは、自己責任である。
もっと、管理職になるのは面倒とも考えてもいる。
時間の拘束、よくわからない会合への強制参加、意味不明な、外部との懇親会。
多分戦前から続いているであろう、地方自治体、官公署との年1回の飲み会・・・・
もう意味はないが、惰力で継続している感はある。
ゴーン氏の発言を読んで、思ったことは、発議は、ゴーン
同意を求めるのもゴーン
ゴーンを止めることができるのは、フランス大統領のみ
この状況で、日産というしょぼい会社のCEOであり、親会社のルノーのCEOである、ゴーンに反対できる日産の社員がいたのか?
という感想である。
現社長は、孤独に仕事をこなすタイプと聞いている。
つまり、職人タイプの仕事人間である。
ゴーンがいなければ、社長を継続することはできない。
だって、文楽人形みたいなものだと思えばいい。そこまでひどくはないかもしれないが。
ゴーンは、株式会社のCEOである
独裁者ではないという人もいるが、現実的には、絶対的な権力を有していたことはだれ一人して否定はできない。
つまりは、ゴーンは拒否できないのを知りながら、同意を求めたということである。
これは、自分の無罪を主張する理由にはならない。
会社として法令順守は?
法令順守などあってないような会社である。
完成検査の不正は、車検制度の根幹を部分である。
完成検査が正しく、その結果継続車検が続けられるという図式である。
(車検制度が、米国にはないという人がいるが、その主張をしたなら、米国に住めよと云いたい。
 それぞれの国の制度は、一朝一夕にできたものではない。
 それを自分の個人的な意見で、気に入らないからと云って、米国はどう、欧州は、英国は、というのは都合の良い時だけの借覧である。
 これを、私は、卑怯と呼んでいる。
 人の意見を都合よく解釈して後からクレーマーになるタイプに多い。)
 完成検査不正が発見後も継続的に行ってきたことが分かった時点で、日産の体質は本能的にクズだと思った。
 大きな自動車という点を除けばん、その辺の中小企業と変わらない。
 恣意的な行為が目立つ
 ばれなければいい・・・・
 そこで思ったのは、ドイツの戦犯の記事を読むたびに、彼らの頭上にあったことは、自分お仕事の効率化を進めること。
虐殺の手助けをしたというよりも、役人として義務を全うしたという意識が強かった。
あとは、断れば、東部戦線(ロシア戦線)へ行かされることを恐れたいたことがわかる。
シュタングルは、東部戦線送りイコール死ぬと同意義に扱っている。
東部戦線のソ連軍の暴虐ぶりは有名であった
捕虜を嬲り殺す
両手を縛り、目をつぶす、銃剣で突きまくる・・・・
戦車の前に投げ出してひき潰す、女子供を容赦なく殺す
そんなことは、周知の事実であった。
断ることができない、その状況で同意を求めるのは、脅迫下にある状態での契約が無効になるように、それは単なる手続きを、ゴーンが、自己保身のために踏ませた手続きに過ぎない。
戦犯は、全員理由はどうあれ、虐殺に手を貸したということで死刑か、終身刑であった。
日産の役員は、きっと、そのように反論するだろうが、やったことは、ゴーンの共同正犯的である。
途中から、ゴーンへの敬称をつける気がなくなった・・・・
取材の記事で、限りなく黒だと思っただけである。
20190201
20190205

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