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調べると・・・

資料は、探せば探すほど出てくるが・・・
時間と暇がない…・やはり、若いころ、無理を言って、大学院へ行けばよかったと思う。


また、多くの人生の寄り道をすべきではなかったと気が付くのであるが、今さら言っても遅い気がする。本当にやりたことなど若い頃にわかるはずがないのである。

川島雄三氏が、「生活の為です」と云っていたが、今の生活は基本的には、生活のために働き、余暇を研究に充てる。
いわゆる二重生活であるが、これはこれで苦しくはない。

 

 

20181225-96

 

名古屋車体製造株式會社
 トヨタバスのボデイを多数製造していました。 もともとは、電車メーカーでしたが、日本車輛に買収され、バスボデイ生産メーカーになり、キソコーチ号のボデイも製造してました。戦前、トヨタ自動車工業の出資があり、トヨタボデイの製造を多数行うことになりました。
名古屋自動車用品商業組合
9人の理事がいます。
フォード、シボレーの代理店が多数を占めます
この中で、宮崎菊松ハ、フランクケー宮崎商店
山口昇は、言わずと知れた「日の出モータース」(トヨダ號、第一号代理店)の支配人である。

トヨタ自動車工業を支えた人の一人である。

トヨタ自動車工業(自工、自販分離後)の人は、良く神谷正太郎氏の事を悪く言う人がいる。

しかし、トヨタ自動車工業ないの商品企画課の企画を、現実に即した形にしていたという効能を無視してはいけない。

クラウンの設計段階で、多くのタクシー会社のへどのような自動車が求められているのかということを聞いて回ったそうである。

時の中村健也主査は、聞いた内容を、豊田英二氏に報告するということを繰り返し行っていた。

その結果が、クラウンという車にフィードバックされた。

その市場調査を、トヨタ自動車販売が途中から任ったということである。

神谷正太郎氏、山口昇氏にしても、豊田喜一郎氏という存在が、損得抜きで付き合う気になったことは事実である。

神谷、山口両氏、また、神奈川トヨタ、兵庫トヨタ、大阪トヨタの幹部の方の事も調べたいと思う。

 

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