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さようなら・・・

私の車人生は、平成とともに始まりました。

で、今日はちゃんと、MTカローラ・・我が家の17台目であるで、トヨタ博物館へ

今日は・・・すいてるかなぁ・・・で行くと9時半で第一駐車場満杯。

11時に図書館から眺めると、第二もいっぱい

12時15分に来たお友達は、第四駐車場へ・・・

いつもなら2時半過ぎにはガラガラのレストランが・・・30分待ち・・・

メニューも、ほとんど残っていない状態・・・・すうげえぇなぁ

である

聞けば、9時半に本館前から新館迄長蛇の列であったとのこと

図書館で資料を漁っていたが・・・子供がうるさくて断念・・・

御友人と、12時20分ぐらいから16時まで談笑

今朝疲れていたので、今日は、模型は作れんなぁと思ったので、TAMへ

瓦斯電関係の資料を見つけて喜んでみてました。

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で、帰宅し爆睡・・起きたら20時・・・・平成最後の日に‥何をしてるんだか?

 

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つまらんと思う事・・漫画など

所謂青年誌(成年ではない、笑)といわれる漫画を定期的に読んでいる

わざわざ、オンラインではなくて紙媒体の奴をである。

ちまちまと、スマホの画面で読む気はないというか・・小さすぎて見えん・・・(なごやべん)というのが正直なところである。

ここ最近、なんだかおもしろくない漫画が増えた・・・爺さんだから仕方がないのかもしれない。

単に、若い衆が喧嘩する漫画・・・

野球・・・高校野球・・・

ゴルフ

真実ぽく見せるために嘘くさい設定がある

ビットコインで儲けました・・・・

ビットコインで、儲けいるようなタイプの人間には見えない絵柄・・

エロ過ぎて・・・車内で読めない・・・ヤング何とかはひどい・・・

正々堂々と、成年漫画(18禁のやつね)を読む兄ちゃんもすごいと思うが・・・

ちょっと、エロ場面があると困る。

航空母艦のマンガがあり、中国と開戦するのであるが・・・最近読む気がしない。

出てくる人物の全部、顔で性格を表す。

なぜが、西郷隆盛風、熱血系、うりざね顔で、無表情・・・

複数の高級幹部クラスの自衛隊の友人に聞いたら、

「あれねー、ひどいよね。」

「あんな風には戦争はしないだろうし、F35Bで艦隊攻撃・・・・ちょっと無理じゃない?」

「なんで35Bしか使わない設定なんだろうね」である。

だって、ばかみたいだもの。

映画はもっとひどくて、相手は、不明・・・・

映画は多分最低である。

雑誌として盛り上げたいんだろうけど見る気もしない。

沈黙の艦隊という漫画があったが、これも滑稽無トウである。

沈黙の艦隊の売れた状態を思い出して「夢よ、もう一度」なんだと思うが・・

馬鹿みたいに若くて、冷静指揮官、平和を愛する姿勢、相手の気持ちを思いやり、忖度して戦争する・・・・

沈黙の艦隊は、情報が少ない時代のマンガである。

「気分はもう〇〇」のリバイバルが載った

友人の紹介で気が付いて、30年ぶりぐらいにア〇ションを買ったが・・・・

漫画家さんは、漫画映画つくる間に画力が落ちた…と云うか平行移動しただけだという事に気が付いてほしかったねぇ。

30年前から進歩がない・・・意味不明・・・

原作も・・・・進歩がない、発想が学生運動・・・もう少し考えろよと・・・。

NAVIに連載していた「スズキさんの・・・」は、第一次学生運動世代には受けた。

展開が軽快で読みやすかった・・・が中身は、権威を持っている人間が、権威に対抗しているすがたが痛かった。

また、NAVIも、投稿欄にその手の話が載るようになって、偏向している感じがしたのと、鈴木編集長が、エンジンに引き抜かれてぐずぐずになった…その後、休刊だか、廃刊になった。

最初面白い雑誌だった、途中で、編集者と記者が前に出てきてつまらなくなった。

あんたの感覚を聞きたいわけではないとおもった。

間違いだ‥を書いた杉江君をほめる人が多いんだが、糖尿で、デブで、心臓病のおっさんがいう良い車ってなんだよと。

ついでに言うのなら、杉江君は、トヨタを嫌っていたけれど、レーサーをクビになったうらみがあったあったようですねぇ。

杉江君の書く、インプレッションは、読んでてどうなんだと思ったのは、事実である。

スバルはいい車をつくっているとほめていたが、トヨタはけなす

トヨタは70点主義という事名を流布した罪は重い

長谷川主査が、出来栄えは?と聞かれて

70点ぐらいと答えたというが

長谷川主査の思う完ぺきな車から見たら70点ぐらい述べたと言っている。

70点主義という言葉を批判に使いところが薄っぺらである。

その当時のスバルが、最高級の車をつくっていたとは思えないのにである。

閑話休題

漫画の原作も、同じ話の焼き直し・・・感が強い。

最近、漫画が原作のテレビドラマが多いらしい。

漫画連載中に・・・テレビドラマ化・・・なんだかなぁと思う。

大抵出てくるのは

型破りな、一癖も二癖もありそうな主人公、たいていは、ゴーイングマイウエー(我が道を行く)

で学会の重鎮・・・・(このあたりで出てくるのが、最高峰の人の養護がある・・・ありえねー…と思うのだが)

型破りなキャリア公務員(地方警察、警察庁、厚生省、経産省・・・)

よく判らない支援者、

よく判らない関係の金持ち

関係の不明な取り巻き

弁護士のドラマが多いようであるが・・・これも、こんなイソ弁が居たら大変だろうな…という事を聞いたことがある。

また、弁護士事務所内のよくわからん奴が出入りしている・・・

事務所の親分は、寛容、自己保身が強い癖に寛容

ある弁護士事務所(実話)で、弁護士事務所に、弁護士の奥さんが旧姓で働いていた。

素晴らしいぐらいの「やきもち」で、自分の夫である弁護士が少しでも気に入った子ができると・・・いじめて追い出してしまう。

ここでは、数名の女性が、追い出されたらしい。

女性の定着はひじょに悪い。

有名な先生なのだが。

その旧姓で働いている奥さんは、がっばって美人という人である(化粧は上手、スレンダーである。)

そこのイソ弁は、基本、破産事件しか受けない・・破産管財人で儲ける・・・

イソだから・・・自分の給料分×3倍ぐらい稼がないといけない・・・

確実にもうかるのは・・破産管財人・・・だから硬軟取り混ぜた破産事件の管財人を受ける・・・

郡部の破産管財人・・・というか、法科大学卒業の弁護士はものすごく能力が低い

詐害行為案件の可能性を示唆しても・・・スルーである。

裁判所は何にも云わないから・・・スルーである。

法科大学卒の弁護士は、程度の悪い人が多い気がする・・・

程度の悪い弁護士をドラマにはできんだろうと、言うと、

「いやー、脚本家の劣化も激しいから一般受けするのしかないよねという。」

漫画も、編集者に言われたことを書いてるのがアリアリと思う事もある。

うーん

何か面白い漫画が読みたい。

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岡本工業製航空機ホイール

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某所の航空機用(天山?)のホイール刻印に昭和19年岡本工業株式会社と記載があった。

現物を見たことはなかったので少々うれしい。

岡本工業は、もう忘れ去られて自転車メーカーである

戦前、丸石と人気を二分したメーカーである。

 

この会社は、明治時代に、岡本兄弟商店を設立して自転車を製造していた。
 この時の自転車が、ノーリツ號である
1919(大正8)年1月22日 株式会社岡本自転車自動車製作所設立
(1919(大正8)年1月26日登記・岡本兄弟商店の 改組織
【目的】
1.自転車、自動自転車、自動車の製造販売及同付属品の製造販売
1.兵器の製造並びに飛行機の付属品の製造販売
1.自転車、自動車付属品及び原料の取次販売
改組織前の目的は、「自転車の製造販売」のみ。

資本金は50万円(1919(大正8)年4月 1日資本増加決議、100万円に増資)8)。

(合資会社岡本兄弟商店、株式会社岡本自転車製作所 登記簿謄本)

岡本自転車自動車製作所は、組織改編とともに、自動車の生産をもくろみ社名に加えた。併せて、自動車産業への足掛かりとして、利益を度外視して航空機用車輪の製造を開始。

大正8年当時陸軍航空部に、6000個の部品を納入。

(自転車万歳(ノーリツ80年の歩み)1974(昭和49)年岡戸武平 中部経済新聞社 64頁)

しかし、現実的には、自動車の製造は行っていなかった。

同社の広告には、自転車と自動車(車種不明)の絵は載っていた。

実際に自動車関係の事業を行うのは、中京工業化(通称、中京デトロイト化構想、計画)で、アツタ号のパーツの一部を生産したことに始まる。

1920(大正9)年

 岡本自転車自動車製作所

 日本最初の飛行機用車輪を完成、同年陸軍省指定工場の名を受け、「モ」式軍用飛行機車輪を生産する。

((自転車万歳(ノーリツ80年の歩み)1974(昭和49)年岡戸武平 中部経済新聞社 ノーリツ号小史 沿革及び推移5頁)

1926(大正15)年725

岡本自転車自動車製作所は、関連会社を設立

「株式会社 名古屋自動車工業所」

目的 自動車、自動自転車(オートバイ)製作売買及び修理、自動車の賃貸 

 (出典 同社商業登記簿) 

1933(昭和8)年中

 1 岡本自転車自動車製作所の製作したパーツを使用した、国産大型車アツタ号の生産開始、3月末完成

   1号(フェートン力軍テスト用)、2号車(日本車輛使用の社用車)完成

 1 岡本自転車自動車製作所、側車付自動二輪車とオートバイの製造を開始

   一般向けは「ノーリツ」号、軍用は「95式側車付自動二輪車乙」の名称で販売。

  (「名古屋工業の現勢」名古屋商工会議所 発行 1936(昭和11)年5月 64頁)

 2 「95式側車付自動二輪車乙」の発注時期は、不明、昭和初頭に陸軍の命令で始まったのではないかといわれる。

 (論文「日本内燃機”くろがね“軍用車両史95式”側車付“と”四起“の技術と歴史背景」 2004(平成16)年 坂上茂樹 第10237頁)

1934(昭和9)年

  側車付自動二輪車(サイドカー)完成し、陸軍省へ納入

  自転車万歳ノーリツ88年の歩み 岡戸武平 1974(昭和49)年刊行  

1936(昭和11)

  ダイハツ、くろがね、陸王各社と競合小型乗用車(指揮官用乗用車:岡本号)を完成、陸軍へ納入

1937(昭和12)

  岡本航空機工業株式会社を設立

  名古屋市南区笠寺に12万坪の工場設立

1941(昭和16)年

  岡本工業株式会社、岡本航空機工業株式会社を合併 

  航空機の脚柱、及び車輪の最大メーカーととなった。

  国内7か所に工場を拡充、3万人余の人を要した軍需工場として稼働

  なお岐阜県の垂井町の工場のみ国内唯一の自転車専用の軍需工場として自転車の生産を継続した。

1945(昭和20)年8月

  敗戦、生産中止

  7工場のうち、本社、笠寺、樽井工場を除いて戦時賠償指定工場として閉鎖

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戸畑鋳物、戸畑鋳物自動車部、自動製造株式会社、日産自動車

よく、日産自動車の方々は、自分たちのルーツは、ダット自動車という言い方をする。

しかし、現実的には

1910(明治43)年 

 戸畑鋳物製造設立(鮎川義介の設立法人)

1911(明治44)年

 「快進社自動車工場」設立(東京府渋谷村麻布広尾)

1914(大正3)年 

 脱兎號(V型二気筒10馬力エンジン) 完成

1917(大正7)年 

 「快進社株式会社」設立(東京府北豊島郡長崎町)

 資本金 60万円

 DAT41型製造開始(小型車 四気筒15馬力エンジン 5人乗り)

 D: 男爵 田健次郎

 A:青山録郎(安中電機製作所設立、現アンリツ)

 T:竹内明太郎(コマツの創業者)

1919(大正8)年

 実用自動車製造株式会社(久保田権四郎)設立 三輪車製造開始(大阪)

1923(大正13)年 

 快進社 6万円に減資

1925(大正14)年 

 株式会社 快進社を解散し、合資会社ダット自動車商会設立

1926(大正15)年 

 合資会社ダット自動車製造設立(実用自動車製造と合併)、本社は大阪

1930(昭和5)年 

 DATSON完成

1931(昭和6)年4月1日

 自動車交通事業法公布

1931(昭和6)年5月 

 商工省に国産自動車工業法確立調査委員会設立

1931(昭和6)年 

 戸畑鋳物は、合資会社ダット自動車を買収、子会社化、ダツトソン発売 

 ダット自動車を得ることで、日本産業は、自動車生産の端緒を得る。

(私感、白楊社を何故買収しなかったのか不思議である。

 豊川氏の様な意思を持った者を鮎川は嫌った可能性がある。)

1932(昭和7)年 

 ダットサンに改名し、小型車を発売

1933(昭和8)年 

 戸畑鋳物株式会社は、自動車部を設立

1933(昭和8)年 

 合資会社ダット自動車は、株式会社 東京石川島製造所(石川島播磨重工業:IHI)の子会社「石川島自動車製造所」

 と合併自動車工業株式会社設立

 石川島自動車とダット自動車は、軍用自動車製造保護法対象法人

1933(昭和8)年12月23日 

 自動車製造㈱設立 資本金500万円
 戸畑鋳物、日本産業(鮎川儀介の持ち株会社、後の満州重工業母体)の出資で、自動製造株式会社設立

 合資会社ダット自動車の所有していた小型車部門と商標のDATSUNは、自動車製造株式会社が取得

 トラック生産部門が、石川島に残る。

1934(昭和9)年3月

 陸軍省、商工省を中心にして陸軍省整備局に国産自動車型式決定委員会設置


1934(昭和9)3月22日
   同和自動車工業㈱設立 資本金1000万円

 (国産主要メーカー7社と満州国、満州鉄道の合弁事業で設立された国策会社)

    昭和17年満州自動車と合併    

    後の満州重工業は、同和自動車を買収し、満州での自動車生産をえる。

  現実的には、輸入したパーツのノックダウン、シャーシに荷台を乗せる程度の工場の域を出なかった。           

1934(昭和9)年6月 

     自動車製造株式会社を社名変更し、日産自動車株式会社に変更

1934(昭和9)年8月20日  

      陸軍省 軍用自動車標準型設計案を完成、試作に着手

      商工省標準型式自動車正式名称が、「いすゞ」と決まる。

1934(昭和9)年10月1日 
      陸軍省「国防の本義とその強化の提唱」で、国内の政治経済機構の改革を示唆

1934(昭和9)年10月9日
        政府各省委員会 国産自動車工業確立大綱を決定

1935(昭和10)年4月12日
   日産自動車横浜工場で、組立一貫作業を開始第一号車「ダットサン・セダン」完成

1935(昭和10)年8月9日 
   政府は、国産自動車工業確立要綱を決定(翌年自動車製造事業法として立法化)
    同時に商工省通達で、各種自動車製造会社に対し、その工場・設備の増設停止を命令

1936(昭和11)年4月
    豊田自動織機製作所
    AA型乗用車の生産を開始

1936(昭和11)年4月20日 
    日産自動車, アメリカのグラハムページ・モーターの機械設備、エ 具、型、ゲージなどを譲り受ける契約に調印

1936(昭和11)年5月 29 日 
    自動車製造事業法が公布
1936(昭和11)年 6月
    ドイツのフォルクスワーゲン(VW)の試作第1号車完成

1936(昭和11)年7月 10日
   自動車製造事業法が施行

1936(昭和11)年7月15日
  満州国の同和自動車との間に代理店契約を締結
 同和自動車は、昭和17年6月に、満州重工業(日産)の関係会社の満州自動車製造に吸収された。

 満州重工業の拡張で、豊田自動織機は、同和自動車を通じての満州国への進出をあきらめた。

1936(昭和11)年9月19日
 1 豊田自動織機製作所の 「自動車製造事業の許可申請」は、7月23日付商工省指令11工第6890号で、許可さた。

  自動車製造事業の許可会社となる。 

  同時 に工務局長通達「自動車製造事業に使用 する材料および部分品は、やむをえざる 場合の外、これを輸入せざることとし、昭和13年以降においては、すべて国産品を使用するよう努力されたし」
  

2 「自動車製造事業の許可申請書」軍用自動車補助法適用の以下の法人は生産(予定)台数「が3000台以下のために不許可

  「東京瓦斯電気工業株式会社(ちよだ号)」

  「株式会社石川島 自動車製作所のちの自動車工業株式会社(スミダ号)」

  「協同国産自動車株式会社(いすゞ号)」

  後に、3社合併して東京自動車工業株式会社を設立、のちにジーゼル自動車工業株式会社に改称した。

  1941(昭和16)年4月9日、許可会社となった。

1937(昭和12)年6月 

 日産70型(グラハムページの乗用車そのもの)、同時に80型トラック、90型バスを発売

1966(昭和41)年 

 プリンス自動車工業を吸収合併、これにより、トヨタ自動車工業へに販売台数で互角になると踏んだ。

 日産は、ここで、プリンスのG型エンジンの技術を得る。

 G型エンジンは、メルセデスベンツのエンジンコピーである。

 RB系のエンジンは、このG型の発展形である。

 ボア、ストローク配置等が同一である点から発展形と判断する。

 スカイライン、スカイラインGTRのブランドを得る。

 

しかし、日産は、プリンスを得たことで、プリンスの過激な労働組合も得ることになる。

総評系の強欲な組合は、会社の屋台骨をむしばんでいく。

上記年表を見ると、日産自動車は、常に、どこかから何かを持っ來る姿勢である。

戸畑鋳物は、ダットのパーツを製作をしていた。

つまり下請けが、元請の資金難に乗じて買収(乗っ取り)する。

米国の倒産しそうな会社の機材、金型から生産設備、図面委一式、技術指導を含めたすべてを、購入した。

(この時の購入は、頓当たりいくらという交渉であったいわれている。)

ここで、大衆車(普通車)の自動車生産を開始する。

当時の基準は、高級、中級、大衆車、小型車の区分けである。

トヨタAA,日産70型は、大衆車の区分である。

ダットサンは、小型車の範疇で、現在の軽自動車の祖先である。

日産70型は、グラハムクルセイダーの国産型である。

また日産は、戦前、鋼材等の生産を進めることなく、米国からに輸入に頼っていた。

おかげで、戦時中は、日産が輸入した鋼材は、戦略物資指定を受けた。

メタルも輸入、大同メタルが生産を開始したときに、営業を行ったが、断られ、後に、納品するように要求があったということであった。

ここで、豊田喜一郎氏が、昭和初期から、人材の確保、設備投資、自動車製造への研究、莫大な資金を投入していった経緯をつぶさに研究していくと、「豊田喜一郎の執念」の結果できたトヨダAA型と、日産自動車の70型は、根本的に大きな差がある。

日産がいくら、日産自動車の歴史の根本はは、「ダット自動車(ダットサン)」といっても、その主張は弱い。

米国日産の成功を危うんだ、当時の社長は、ダットサンブランドを捨てた。

日産とダットサンのブランド統一という言いながらその実、片山豊氏への強烈な敵愾心があったといわれる。

ブランドをあっサリと捨てた会社の根なし草的な体質が見て取れる。

現在、東亜地域で、ダットサンブランドを復活させているが、1%以下の販売状況では先行きは危うい。

日産の言い分は、打倒トヨタである。

むかしの日産の人に聞いたことがあるが、「トヨタさえ抜けばよい」という掛け声のもとに自動車会社の吸収、子会社化を進めたが、進めれば進めるほどダメになっていく。

つまり、最初から企業の統治ができていないということである。

吸収し、吸収された側の人事をないがしろにする。

無能な社員を、姥捨て山にように吸収した会社へ送り込む。

現場は疲弊する

組合は、過激な方流れる。

日産の組合と、プリンスの組合が合併した結果、日産は、各工場の自動化を進めることが遅れた。

旧プリンスの村山工場は、最低の工場で、昭和35年の操業開始以降、設備の更新が進まなかった。

設備の更新を行うと、労働強化になる。

労働強化には反対する。

新しい車種の生産を始めると、労働強化になる

生産性を上げるの方法は、昔からの方法で、労働者が楽をできる生産方法はOK

販売店や、一般ユーザーの利便性は後回しである。

販売店、ユーザーは置き去りであった。

しかし、そんなことは意に介さない。

労働者の権利を守ることだけが目的である。

こうして、ゆがんだ組合会社の関係が出来上がり、幹部は、特権化していく。

皆は、この特権化を望むようになる。

そうして、日産の組合幹部は、労働貴族化した。

これは、会社を食い物にするのを目的にしている。

残念ながら、その昔、日産の組合幹部を「労働貴族」と呼んで批判したが、その精神は現在も存在している。

その精神は、日産関係会社の組合にも伝搬していく。

日産は、もともと、無責任体質で、幹部社員は会社を食い物にしている者が多かった、そこへ、組合も加わったから、会社が持つわけがない。

結果、不正な検査なんてことを平気で行うようになる。

ゴーンが強権で、村山工場を廃止したのは、設備古く更新もできず、効率が最低だった点と、旧プリンス系の組合つぶしだったともいわれる。

ススキ自動車(鈴木自動車工業)は、会社の代表者一族の身勝手な判断が、末端に悪影響を与えていた事例であろう。

日産、三菱は基本的に、ルノーの子会社の範疇である。

その意味を理解していない。

日産も三菱も、ルノーグループの範疇でその生産台数は、グループではカウントされている。

 

 

この年表無断転用禁止

 

 

 

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横溝正史の映画など・・市川崑

ここ数日、探偵小説を読んでいる。

滑稽ムトウである。

だが面白い。

黒蜥蜴(江戸川乱歩)は、しょうもないほど面白い。

戦前に置き換えて考えると滑稽な程面白い。

絶世の美女(この当時だと誰に当るのだろうとか考えるのが楽しい。

ただ、演劇では、三輪氏の黒蜥蜴は、大根だったなぁと。

美青年ではあるが、美女ではない。

閑話休題

横溝氏の作品で、金田一耕助が出てくるようになった作品で、本陣殺人事件は拍子抜けである。

獄門島は、うまいとしか言いようがない。

愁眉の作品は、悪魔の手毬歌である。

犯人の「青池りか」は、最初、同情すべき存在であるが、最後のあたりは怖

でも、普通一般的な社会にいるタイプの女である。

たまにいるタイプである。

豹変するというか、短絡的で、執念深い。

偏執狂と云ってしまうのは厳しいと思う。

でも、「歌名雄」もグラマーガールの「大空ゆかり」も、わき役感が強い。

やはり、殺された、青池源治郎の悪党ぶりが素晴らしい。

女たらし、というか、欲望に忠実というか・・・いい男には女は弱い・・・

横溝氏自身が一番良く書けたという作品だけある。

自身で、後年書かれた本に、「歌名雄、かなお」の名前の由来が記載してあるが、これは驚き解題が含まれていて面白い。

複雑な家庭環境

今でいう、ダブル不倫した夫婦が神戸に逃げて出来た子が横溝正史

前妻との実父の子が「かなお」である。

彼とは、後に同居している。

最初は遠慮がちであり、仲が良かったが、後に仲が悪くなる。

父母性愛、父の性欲に嫌悪感があったのではないかと思う。

時々、作品中に、性愛への不興感が顔を出す。

個人的な意見で申し訳ないが、横溝氏の作品中で一番好きなのが、これである。

次は、犬神と病院が捨てがたい。

悪魔が来りて‥はどうも・・・好きになれない

女王蜂も、何となく好きになれない・・。

映画化されているので、皆様ご存知…(犬神は有名だから…知っているかもしれなおが…他は・・・どうなんだろう?)

獄門島は、主役準主役が良い

犬神、獄門島の若き日の坂口良子は、よい

彼女が、映画「病人坂の・・」に出てきたときは、本当に良い女優さんになったものだと感心する次第である。

獄門島の闇と、娘三人の明るさと、衣装の派手さが良い。

獄門島は、夜というか、闇が良い、映画ではうまく表現されている。

佐分利信がまた、いい。

市川崑の映像美という言葉を使うことが多いが、うまいと感じる。

また、脚本が良い

長編小説を、短句にまとめている。

犬神は、小説では冬である、映画は、夏である

これは、当時の撮影を考えると、夏でないと厳しい思う。

しかし、映画で、良きことを聞く

よき、こと、きく

のうち、よきの解題があまりだれていないのは残念である

最後は「すけきよ」が殺される

半身を水中、

逆さの足が出ている

「すけきよ」の反対「よきけす」で、半分が水没出ているのは「よき」である。

映画では解題はなかった。

小説では、うなった・・・金田一はこれに気が付いて喜んでいた

ただ、後に犬神家の一族は、もう一度撮影してるが、悲しいかな、役者が悪くて…というか、層が薄くて厳しい。

富士純子は、役者として軽い。

線が細い、力がない。

どちらかといえば、悪魔の手毬歌の「りか」役をやってほしいと思う。

全体の暗さがない、何となく前作が、切り詰めすぎてスピーデイな話の運びで、ついでに言うなら、役者の層が厚かった。

硬軟取り混ぜであったが、新作は、全員がきれいすぎて上品すぎでダメな感じがする

21世紀のつまらない映画化してる。

役者の層薄い

豪華メンバーというだけで、上品さが漂う。

昭和、戦後というイメージではなくて、背景だけ昭和で、中身は、平成的である。

下層的下品さがない。

今の映画を見て思うのは、美男美女が出すぎである。

上品なおばあちゃんもいない。

出てくる、人物に厚みがない。

端的なのは、宿屋の奥さん、おばちゃん臭くないと言ったら怒られるかもしれない。

野々宮珠代を、松嶋菜々子が演じていたが、顔立ちが近代的すぎるきらいがある。

また、演技は・・・・である。

悪魔の手毬歌は、作品は、夏

映画は、冬である

撮影時期の関係もおあるのだろうが、ちょっと、作品の雰囲気を壊してる面がある。

昭和30年代の農村の明るさと若い男女の生殖へ向かう時期という観点で、夏はよい

ただ、昭和初期の殺人事件、内容の暗さを考えると、新時代の農村と、旧弊な村の中身を考えてしまう。

本を読んでいて思うのは、背景の暗さである。

映画は、撮影が冬なので、画面の暗さがそのまま漂うって来る

峠で、金田一が、「りか」が化けた「おりん」に出会うシーンがある。

これは夜に近い夕刻であるが、夏の草いきれの中で出会う、老婆と、枯れはてた峠で出会うのとどちらが良いのだろう。

枯れた峠の方が雰囲気は良い。

ただ、現実的に、この世の中に、枯れはてた峠などはありはしない。

この映画、あんまり晴れたシーンがない

夜、曇りが多い。

いわゆる、「おどろおどろしい」世界である。

映画で思うことは、恐ろしさが半減している感じがする。

小説の方が、こわいのである。

また、殺人の原因となる、恩田の子供である殺された者の娘ができた経緯が、映画では端折りすぎである。

娘を殺された親と、恩田の関係が希薄である。

また、最初に殺された仁礼文子

仁礼嘉平と由良敦子の激しいやり取りの意味が何となく似合わない。

また、仁礼咲枝(仁礼文子の母)、由良敦子(由良康子の母)、別所春江(別所千恵子:大空ゆかりの母)が一堂に会する時に、由良敦子の存在が一瞬判らなかった。

途中で、殺された、仁礼文子、由良康子の父が、恩田幾三(青池源治郎)であるらしいと語られるが、詳細は語られない。

不完全年燃焼モードで、三者が、青池源治郎の活弁時代の写真を見て、恩田幾三と判断する。

この時、並んでいる三人を横から撮影してる。

これがうまい。

さすがは、市川崑と、うなるのであるが、運びが、ちょっと雑かなあとも思う。

ただ、いつも思うのだが、音響と画面の構成がものすごく上手である(当たり前であるが・・)

冬の山間の古沼の船に、犯人の「青池りか」死骸が引き上げられる。

山狩りの途中で疲れて寝入っていた「歌名雄」は、「犯人が・・・」という声を聴いて起き上がり、犯人の顔を見るために、山を下りる。

船に引き上げられた犯人を見て、「歌名雄」は、「かあさーん」と叫ぶ

その声は、寒々とした山に響く。

何とも言えないような、美しい風景である。

映画よりも、小説であるが、小説は、最後に、「別所千恵:大空ゆかり」が、「歌名雄」に向かって

「あえて、お兄さんと呼ばせてくださいと」語りかける時の言葉は、横溝正史が、早くに亡くなつた、異母兄への語り掛かけに聞こえるのは気のせいだろうか。

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岐阜県警さん、ちゃんと取り締まってくださいよ・・・懇願モード

今日、岐阜県の某所・・・・、県警本部近く

国道の信号のある交差点を、歩行者として通行中

右折車輛2台が猛スピードで突っ込んできた・・・・

目の前を1台通過、おっさん、こちらを睨む。

もう一台は2メートルぐらい前で急停車・・・目がおこってる・・・

撥ねられるかと思って走って逃げると、これも真後ろを加速して通過・・・

民度という言葉を考えてしまう。

何年も岐阜県勤務になったことがあるが、西濃、超最低、中濃も最低、東濃は、少しマシという感がしている。

西濃は、運送会社がひどい。

中濃西濃ともに、爺さん婆さんの運転は本当にひどい・・・歩行者なんて歩道を歩くなというレベルの運転を平気でおこなっている。

ある公園は、ポケモンGOで人気があるらしくて、駐停車禁止帯に車を止めて、ポケモンGOに興じている奴がいる。

5.5メーター道路の片側に車を止めると、本当に通りにくい。

近所の人の話では、一度も取り締まりをしたことがないようである。

そのくせ、よくパトカーで、白バイが信号無視なんかを張っている・・・信号無視よりほかにやることがあるだろうと思う。

前から書いているが、岐阜県民の運転マナーは最低だと思う。

こないだは、信号のない横断歩道前に、自転車の爺さんが待っているのが見えた。

反対側の車線に居た、クラウンパトカーは当然の様に止まる。

爺さんの待っている側は、2台通過、3台目は、反対車線でパトカーの止まってるのと、爺さんに気が付いて止まった。

でも私渡るときは、タイムラグがあり、パトカー通過した後だったので、横断歩道の前に立っていると、延々と左右で12台通過した・・・

誰も止まらない。

見もしない。

ホントに稀有なことが月曜にあった。横断歩道に立つとすぐに止まる車が1台だけいた。

先週は、1週間1(5日)間で、2台ほどいた。

個人的感覚では、こんな感じである。

羽島、瑞穂、本巣市、笠松・北方町は、99%とまらない。

各務原市、岐南町、50台に1台ぐらい止まる

岐阜市・・・100台に1台ぐらい・・・かな

岐阜中警察、岐阜北警察署管内は、ほぼ止まらないと思う。

時々、公開取締りの情報が廻ってくるので見るが・・・交差点の取り締まりはしていない。

岐阜県は、郡部に行けば行くほど交通子マナーは悪い。

歩行者の歩行する環境も悪い。

よく判らないところに歩車分離信号がある・・・派出所の前だけどね・・・

自転車は…どうするんだと思ってしまう。

岐阜県警のポスターで、「横断歩道は歩行者優先」というのが貼ってあったが・・・・

効果ないよね・・・

ラジオ、テレビで云わないと無理かしらんと思う・・・

横断歩道ぐらい交通安全規則とか法律とか守って歩いてる人を保護してほしいと思う。

 

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有名人とのツーショット・・・うれしいかなぁ?

有名人とのツーショットを撮りたがる人がいるんでですが・・・撮影してうれしいんだろうなぁと、思うが・・・どうなんだという気がする。

以前やたらと、並んで撮りたがる人がいた。

この人には、撮影後、すぐにSNSに掲載するので閉口したことがある。

撮ると必ずSNSにすかさず載せる。

この精神がわからない。

この人、いつも単独行動である、大丈夫かと思うほどである。

どこで、何をしていたのかが判るのは嫌なもので、プレイべーとな感じな時にそれをやられると・・・ちょっと・・・かんべして欲しいと思うことがある。

その昔は、銀塩写真時代だったら撮影後は・・・下手した1週間ぐらいのタイムラグがあった。

今は、スマホで撮影、即SNSである。楽と言えば楽であるが、いつどこにいたのかがが即時判るのも嫌なものである。

昔、15年ぐらい前に、GRという車のイベントに参加したことがある。

その折、堺正章さんとツーショットを撮ったことがある。

ほかにも、有名どころというと・・・中村健也さん、小林彰太郎さんとか、飯田裕子さん、牧野さん・・も、みんな自動車関係だなぁと思うが・・。

中村健也さんは、トヨタの顧問をされている時に、ある関係でカバン持ちの様にしてついて行った時に、中村さんの事を尊敬している技術者ですと言ったら、今日来ててたなぁといわれて、あるところでご面会が叶い、手持ちのライカⅢCで撮影してもらったが、露光不足でほどんど黒くて記念にはなりはしなかった。

小林さんは、うちの息子にお名前を頂戴したので、その旨を伝えて、三人で写させてもらった。

それ以外は、ついでい・・・・という感じである。

何人かととった記憶はあるが・・・ほとんど記憶はない。

というか、あまり興味がない。

有名どころ…芸能人はほとんど知らないので、周りで叫んでいても知らない。

何とか「りえ」が、銀座に買い物に来ていた時に、私は隣で商品を探していて気が付かない・・・

そんなのもんです

そのくせ、先代の団十郎を見かけると、思わず声をかけるなんてことはしてましたが・・・

でも、団十郎と並んでとってもらいたいとおも思わない。

だって、貧相に見えそうで嫌じゃないですか・・・

立派な人と並んで…と思う

SNSで、誰誰さんを囲んでとか書く人もいるけれど・・・その人と仲がいいという姿勢を見せるのはいいことなのか?

そんな風に思うことがある。

 

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ゲッペルスと私////

「ゲッベルスと私──ナチ宣伝相秘書の独白」ブルンヒルデ・ポムゼル著 トーレ・D. ハンゼン著

ヨーゼフゲッペルスの居た宣伝省に勤務していた女性のの独白が3分の2、後は、民族主義と若者の政治への無関心を批判する本である。

「ゲッペルスと私「」という映画の中で出た来た話を文章化したものである。

彼女は、ゲッペルスの個人秘書ではない。

宣伝省勤務の速記者、タイピストである。

宣伝相であったゲッペルスの支配する「宣伝省」で働いていただけである。

ゲッペルスに雇われた個人の秘書ではない。

個人的なつながりはない。

簡単に言えば、大蔵省に勤務している下級官吏が、大蔵大臣を語る様なものである。

つまり、表題に誇張が、というかウソある。

事実を書けば、ヨーゼフゲッペルスと同じ建物で働き、彼を時々見かけた。

マクダ・ゲッペルスと会ったことがある、服をもらったこともある。

親密に語り合ったことはない。

小さの上エピソードを誇張している、嘘ではないが、映画の時も感じた、「看板に偽りあり」

「看板に偽りあり」という感じは、詐欺師の、必ずもうかりますという言葉に近い気がする。

ヒトラーの個人秘書だった女性の自伝と比べると、その秘書と、ヒトラーの身近を、数メートルという感覚語るのであれば、ゲッペルスと元秘書の関係は、非常に遠いという事がわかる。

「ゲッペルスの秘書」と云う書き方はすでに、嘘で膨らませ切った風船のように見える。

ここで、売るためという、宣伝文句という言葉が浮かんでくる。

考えてみれば、売るために嘘をついても構わないという行為を見せつけている。

私のようなアマノジャクは、この本の残り3分の1に展開される、難民問題や、民族主義への反感と云った主張が、空疎に見える。

マスコミ特有の自分たちに都合の悪いこと、自分たちの吐き出す嘘、嘘ではないが、誇張があることを消して、都合の良いことは大々的に載せるという風体を見せてしまっている。

SNS批判をし、若者の離れを批判するが、自分たちのマスコミの報道姿勢を批判することはない。

つまりは、この本を読んで参考になったのは、元宣伝省に勤務していた女性の語る、戦前のドイツ、終戦直前のベルリンの状況、ドイツの官公庁に勤めていて、ベルリンでソ連軍に捕まった人たちの戦後の状況が分かったことである。

これ以外の事は蒸し返しにしか読めない。

読んでいて思う事は、ハンナアーレントのイスラエルに捕まったナチスの被告に対する感想が間違っていなかったという事を語っているいすぎない。

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マナーの良い喫煙者?いないと思うけど(笑)

少し前に、喫煙者のマナーの意悪さを評したら、「あなたは、マナーの良い喫煙者を見たことがない」と返したのが神対応?と評判になっていた(らしい。)。

であるが、高評価を加えたのは、喫煙者(排煙家)であろう。

多くの喫煙者(排煙家)というか、団塊の以上の世代は、ひじょーにマナーが悪い、人間のクズのレベルである。

咥え煙草で歩く、自転車に乗る、禁煙地域でも平気で喫煙。

さすがに室内でタバコを吸うバカはほとんどいないが、公共スペース、路上、駐車場だろうが、たばこを吸うバカがいる。

朝、駅前で、毎日吸っている。

駅前は禁煙指定地域であるが関係がないらしい。

自力執行権が認められていないので、仕方なく、傍観である。

気分的には、殴り殺してもいい気分である。

時々、風向きで臭う。

そこで

「お前の吐き出したニコチンタールを含んだ煙を何故に吸わされなければならないのか?」と聞きたくなるし、又

ここでの喫煙権はないだろうと言ってやりたい。

甚(はなは)だ迷惑である。

当人は、一服して気分がいいかもしれないが、こちらは朝から不愉快である。

ちなみに、産業考古学の研究会等でタバコを吸う人はほとんどいない。

見たことがない・・・

昨日は、爺さんが咥え煙草で、自転車走行

途中で、手で持つ。

灰は、道へ捨てる、吸い殻も、当然の様に道へ捨てる。

とまぁ、悪口はいくらでも書ける、というか書いてやろうと思う事が多い。

確かに、マナーのわるい奴は悪目立ちをする。

だが、たばこの良いマナー?てなんだと思った。

タバコを吸った気配がないという事であろうと想像する。

すると、嫌みな想像をする。

喫煙者(排煙家)が、野なかの1軒屋で自分一人で住んでいる。

死ぬほどタバコすっている。

町へ出る時は吸わない・・・

が、マナーがよいと言えるのでは?

と思う

タバコを吸えば、煙が出る、においが付く

ある時、夜、遠方で赤い火が見えた。

風下(かざしも)だったので、ほどなくタバコの煙りの匂いがしていた。

そうして、向かって歩いてきたおっさんは、あの臭いにおいのバリアで周囲を取り囲んでいるように歩いてきた。

タバコを吸う人は、匂いに、ものすごーーーーーーーーーく鈍感である。

タバコ止めた人が、こんなに臭いとは思わなかったと言っていた。

この人は、1日1箱吸う人であったが、心筋梗塞と、ほかの病気を併発して、医者からタバコ吸って死ぬか、吸わないで治療するか迫られた結果しぶしぶタバコをやめたそうである。

 この人は、一時期、パイプに凝っていたというか入れ込んでいた。

 ビンテージなんてものまで買っていた。

 (要は、金持ちである。)

 (ふと思い出したのは、三重苦の爺さんもパイプ使っていたなぁと。

  エロ漫画と模型に囲まれた、揮発性の物品の多いところで、タバコなんか吸ってどーすると思った。

  三重苦の場合は、一点豪華主義的な快楽主義者であった。

  自分が、パイプを使ってタバコを吸っているいるとういうシュチエーションを楽しんいた。

  雑誌で仕入れた知識でパンパンだった。

  仲間内の話の話題で、パイプを使っててねという事を見せたいだけの底の薄い思想が横たわる前程での、行為である。

  赤の他人と、話ができない人でしたので・・・所詮は、仲間内の内弁慶でしたが・・・。

  三重苦が、パイプを使う気になったのが・・・パイプ用のタバコをもらったからという・・・本末転倒な理由であったが・・・。)

 この人は、紙巻タバコ、きつい紙巻きタバコ、外国タバコ、葉巻、行きついたのがパイプ・・・でパイプを最後まで吸っていたが・・・

 銀座の喫煙具販売所で、パイプも買い集めたりしていた。

 まぁ、古民家みたいな自宅で、何もない廊下の籐椅子に座って、パイプふかしてました。

 いるか居ないかは、庭へ廻ると、タバコの匂いで分かるという便利な点もあった。

 昨年、借りた本を返しに行くと、方解石のパイプが落ちて、ご本人は胸を掴んで、唸っていた。

 ニトログリセリンの錠剤を口に含ませると同時に、救急車といわれて、119番連絡をしたことがある

 彼は、家政婦がいない時によく倒れる。

 不幸なことに、よく行き会う。

 前に、お前さんは、死神か、天使か、どっちだ?と言われたことがあるが、救急車を呼んだんだから感謝しろというと

 「死神じゃねぇなぁ、でも、悪魔だろうあなぁ」と言われた。

 で、彼は、死にたくないので、酒もたばこもやめて現在は、美術館巡りをしている。

 そうして、「美術家近くの路上でタバコ吸うのはけしからん」とのたまうようになった。

 長足の進歩である。

 ある銀座のバァ・・・というかルパンで、

「酒場で、葉巻やパイプを吸うのはマナー違反」といわれたことがある。

 それは、お酒の香りを消ししまうのと味わう味覚を失わせるからと言われた。

 

ある亡くなった爺さんは脳梗塞で倒れてからも、たばこは止まなかった。

隠れて吸っていた。

すい続けていた。

家族は、吸うと、匂いで、すぐに分かったそうである。

注意しても聞かないのであきらめてしまったそうである。

 

マナーの良い喫煙者がいるのあら、それは、たばこを吸ってない時間の方が長いか、よほど気を付けていないと無理である。

会社員ならまず不可能であろう

営業でも、車の中での喫煙は、基本的に禁止の処が多いと聞く。

ウチの処で使える車でも、基本的には、10年以上も前から禁煙である。

でも爺が乗ると、臭い。

総務に文句を言ったら、喫煙した痕跡があれば車輛の使用禁止とまでなって初めて車内喫煙がなくなった。

例えばである。

まず、服についた匂いは、叩けばある程度消える

髪の毛についた匂いも、しばらくすれば消える。

ところが、口臭のタバコ臭さはなかなか消えない。

消えないどころではなく、話をすると、爺さんの場合、加齢臭とニコチンの口臭で死にそうになる。

臭い消しのガムを噛んでもくさい

つまり、全部の悪臭を消して仕事に戻るのにどれほど時間がかかるのか。

考えてみれば、その分、仕事をさぼっているというか推論が成り立つ

ウチの爺さん上司は、1時間1回、約3~5分離席

隣の隣の課長は、1時間に1回から2回、大体、5から10分離席

臭い消しタイムを含めれば、膨大であろう。

タバコは、副流煙もさることながら、その臭いが不愉快の原因である。

臭いを消さない状態での、マナーのよいという事はあり得ないという風に考える。

つまり、マナーの良い喫煙者は、勤労者という基本的な社会構造の中では、臭いが消せないのだから存在しないという事になる。

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ある爺さん

ある爺さんは、美濃加茂の奥のモネの池の近くから通っている。

毎日、高速バス通勤である。

以前、同勤務した時も、岐阜駅から高速バスである。

以前は、大垣市内に住んでいたようであるが、実家に帰り、晴れて高速バス通勤を続けているように。

この爺さん、昨年は、心の病で病休をして半年ほど来なかったらしい。

で、少し近いところへ転記してきた。

前任所では、間違いが多い、めちゃくちゃの事をする、若い子に間違った事を教える等々・・・・・不評であったらしい。

今は、勤務時間内にというか・・仕事中に、どぷでもいいような駆逐艦の話をしたり、占守島の最後の戦車部隊の奮闘を語ったりする。

ところが、聞いていて、ほとんどの内容は、20年か、30年ぐらい前に書いてあった雑誌の内容である。

つまりは、現在では、間違った認識といわれるようなことを、何も知らない、カリメロ君に滔々とを語っている。

而も、聞いてる方も、まぬけな史学科卒業のカリメロ君で、いわゆる軍事畑の知識はゼロ・・・聞き流している風が強い。

で、去年は、課長が、あまりにも間違ったことを教えるので、若い子との会話禁止した。

すると、病休で休んだ・・・

復帰したが、最初は、制限付きである。

でも、長時間通勤は厳しいだろうと、転勤してきた・・・

昼食は、基本は298円の死ぬ程不味い(らしい)弁当

で、課長とか、うちの爺さん上司とか、私が、お茶菓子を買って置いておくと・・・朝、山積みが、夕方には・・・3分の1ぐらいしか残っていない。

見ていると、この爺さんが朝から、ぼりぼりと食っている。

ほぼ一時間おきぐらいに延々と食っている。

インスタントコーヒーもガンガン飲む。

この爺さん、どこにも行かないのか土産は買ってきたことがない。

お茶菓子も買ってこない

当然の様に、インスタントコーヒーなんてもってのほかの様に買ってこない。

でも、菓子は喰う、コーヒーは飲む。

ちなみ私は、菓子は自分で買ってくる。

それに、ドリッパーで、コーヒーを入れて飲んでいる。

豆は、挽いたものを100グラム単位で買ってきて毎朝飲んでいる。

爺さん上司と、アルバイトのおばちゃんには、一緒に入れてあげている。

朝、この手のコーヒーを飲むと、何となくシャキンとする。

当然の様にアメリカンではなくて、イタリアンローストの濃いのである・・・

インスタントを飲むときは…ほとんどないが・・・買ってきた爺さん上司に頂戴ねという。

 

爺さんは、菓子を漁り・・・・インスタントコーヒーをばがぶがぶの飲む。

3月末、ちょっと仕事に追われて死にそうなモードであった時に、この爺さんの菓子を漁る音がけっこ耳についた。

ついでに、私が、菓子を買ってきて投入した後は、自分の上司の課長が買ってきたときの様に、朝から、猛然と食うという態度ではなかった。

ただそれも、一日のモラトリアムで、翌日は朝から猛然と食っていた・・・・

ウチの爺さん上司は、少しは自分で買って来いよと陰口をたたくし、本人が近くにいる時に聞こえよがしに云うのだが、その時は、聞こえないふりをする。

先日、1個300円ぐらいするフルーツ大福を、うちの爺さん上司が買ってきた。

で、私と、隣の課の人たちにも配った・・・でも、バイトのおばちゃんと、子持ちのお姉さんと取りまとめの主任さんは、うちの爺さん上司に礼を言った・・・が、カリメロ君とこの爺さんは・・・無言で喰っていた。

どうも、この爺さんとカリメロ君は、品性が卑しい気がしてならない。

財布を奥さんに握られているので、非常に、苦しいらしいが、どうも方向性が違う気がする。

昼食を300円の弁当で済ませて、足りな分を菓子で補う・・・なんだかなぁと思う。

昔はいい人に見えたが、今考えると、ただの無能なおっさんだったことがわかる。

最近は、話をしているの聞くと、イラっとする・・・・

平常心でありたいと思うのだが…どうもダメである。

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令和

仕事中、中継をしていたが、11時頃だったので、別へ移動するすると、昼過ぎぐらいに号外が来た。

「令和」

新元号である。

正直、ビビット来た。

ちょっと、涙が出てきた。

感涙という奴である。

なぜかわからない。

ただ、時代の終わりを感じたという事かもしれない。

今回は、悲嘆の涙はない

平成の時は、先帝陛下の崩御で、悲嘆にくれて延々と泣いていただけである。

平癒をお祈りして、熱田神宮の拝殿前で土下座して、延々とお祈りした。

崩御後

朝一審の新幹線で、上京して、宮城前広場で、土下座をしてオイオイ泣いていた。

正直言えば、殉死という言葉さえ頭には浮かんだ。

何となく、平成の御代が来た。

個人的には良いことはあまりなかった。

死ぬような目にもあった。

良いこともあったが、それを打ち消すようなことっも多かった。人には言えないようなこともやった。

自分は、自称悪党である。

悪人正機説は、ある意味正しいと思っている。

ある一点を超えると、見えてくる地平線があるという事である。

悪党は、悪党らしくと思うがそうもいかない。

自分のような小悪党ではなく、

嘘しかつかない宗教家、

自分のことしか考えない人たち

そちらの人たちは、自分たちを善人だと思っている、と云うかおもいたい人たちである。

彼らは、自分の嘘を守るために、善人面(づら)をしているだけである。

彼らは親切ではない、親切を売り物にするのは、いかがななものかと思う。

正義をつらぬことは難しい。

でも、新しい時代には、正義を貫くようにいきたいと思う。

神に感謝しつつ。

 

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調べると・・・

資料は、探せば探すほど出てくるが・・・
時間と暇がない…・やはり、若いころ、無理を言って、大学院へ行けばよかったと思う。


また、多くの人生の寄り道をすべきではなかったと気が付くのであるが、今さら言っても遅い気がする。本当にやりたことなど若い頃にわかるはずがないのである。

川島雄三氏が、「生活の為です」と云っていたが、今の生活は基本的には、生活のために働き、余暇を研究に充てる。
いわゆる二重生活であるが、これはこれで苦しくはない。

 

 

20181225-96

 

名古屋車体製造株式會社
 トヨタバスのボデイを多数製造していました。 もともとは、電車メーカーでしたが、日本車輛に買収され、バスボデイ生産メーカーになり、キソコーチ号のボデイも製造してました。戦前、トヨタ自動車工業の出資があり、トヨタボデイの製造を多数行うことになりました。
名古屋自動車用品商業組合
9人の理事がいます。
フォード、シボレーの代理店が多数を占めます
この中で、宮崎菊松ハ、フランクケー宮崎商店
山口昇は、言わずと知れた「日の出モータース」(トヨダ號、第一号代理店)の支配人である。

トヨタ自動車工業を支えた人の一人である。

トヨタ自動車工業(自工、自販分離後)の人は、良く神谷正太郎氏の事を悪く言う人がいる。

しかし、トヨタ自動車工業ないの商品企画課の企画を、現実に即した形にしていたという効能を無視してはいけない。

クラウンの設計段階で、多くのタクシー会社のへどのような自動車が求められているのかということを聞いて回ったそうである。

時の中村健也主査は、聞いた内容を、豊田英二氏に報告するということを繰り返し行っていた。

その結果が、クラウンという車にフィードバックされた。

その市場調査を、トヨタ自動車販売が途中から任ったということである。

神谷正太郎氏、山口昇氏にしても、豊田喜一郎氏という存在が、損得抜きで付き合う気になったことは事実である。

神谷、山口両氏、また、神奈川トヨタ、兵庫トヨタ、大阪トヨタの幹部の方の事も調べたいと思う。

 

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