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関東電気自動車・・関東自工と中島製作所SKS型

中島製作所の製のSKS型の資料がありました。

関東自動車工業10年史には、最初の製品第一号の記事が以下のように記載されていま

「六浦工場には20名の従業員が集まり、武蔵野乗合自動車株式会社から電気バス1台が、さっそく、修理車として運びこまれて、仕事がはじまりました。

 物を生産する槌音は、こうして六浦の一角から起りました。

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 六浦工場と名付けた仮工場で手掛けた1番目の仕事は、東京都武蔵野市にある武蔵野乗合自動車株式会社から運びこまれた電気バスを再生することでした。

 戦争という至上命令のために、休止していたバスを,元通りに直して走らせようというのが初めて与えられた仕事でした。 

 現場の人たちは,分解することにその構造を学びとりました。

 長い間、風雨 にさらされていたこのバスは,商工省(現通商産業省)の工業奨励金で作られた、通称SKS型電気バスと呼ばれるもので、 流線型でスピードは遅く(表現ママ)、名実ともに代燃車でありました。 

 バッテリーは6ボルト 40個をホイル間のフレームにとりつけたものでしたが、当社 ではこの再生作業の中から、新しい電気バスへの構想を生みだしたといっても過言ではありません。

 六浦工場に集った現場人は,豊富な経験の持主でしたが、こと電気自動車にかけては, ズブの素人でした。

 しかも、自動車を作るための,すべての職種の者が集っていた訳ではありません。

 塗装という仕事はそのよい例で、汗水流して板金を修正したホワイトボディを塗装するために、東京から専門の職人が送られてきました。

 そして六浦工場の人たちの前で始められた塗装作業は、彼らが目をまるくして驚くほどていねいなものでした。

 外板 を底光りするほど磨きあげ,何回も手袋でなでてはパテで修正する。この当時の自動車の 塗装についての知識はその時初めて得ました。     

 この驚きから、自動車の塗装はこういう やり方でやるのだ」ということを、 SKS型電気バスから知りました。

  新装なったバスは,六浦工場の門をでて東京に送られました。

 それは創立から5カ月目 昭和219月であり、六浦工場で生産したただ1台の自動車でした。

  再生といわず、生産という気持の中に、ここに述べた苦労からの表現があるのです。

 この写真は、関東自動車工業年史記載のSKS型です

 よく見ると、E-2/E-3です。

10_2

都バス90年の歴史記載の写真、E-1と記載があります。

この車両が関東電気自動車工業の再生車だったと思われます。

90

終戦時にはガソリン車68台、木炭車841台、新車26台、電気車2) の計960台が在籍していたが、実際に使用に耐えるものは196台にすぎなかった。

1946(昭和21)年に将来は300台まで増やす計画を立て、まず中 島製作所(SKS3)8台、神戸製鋼所(EB46)21台を発注した。完成した車両は新 谷営業所に配置されて、1946(昭和21)111日に浅草寿町~~三河島~西新井橋 6.5kmで運行を開始した。

電気自動車武蔵野乗合自動車株式会社

関東電気自動車製造の社史に乗っている写真が掲載されおりキャプションがついている。

代燃バス(表現ママ 代用燃料バス)の一種類として電気バスも作られた。

写真は中島式SKS電気バスを千歩関東電気自動車で再生したもの」

戦前の東京電気局(都バス)の電気バスの運用実績は、2台との記載がありました。

戦後残存車両台数の明細がありました

(出典 都バスの90年史 佐藤信之著 グランプリ出版 ISBN978-4-87687-299-2 )

 

 

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