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人事考査の苦情

本省のどなたがが何かの検索でうちのブログに来たことが判明・・・ドキドキしてしまう。

1回だけなのでどうでもいのだが・・・

ご覧になっている方の半分は、検索流入・・・知り合いの大学の先生が来てたりして最近怖い・・・

トヨタ自動車のどなたかはコンスタントに来る

ホンダも来る・・・何を読んでんだと思う。

日産は最近止まった

時々、延々と各ページを読んでいる人がいる

1回100ページ以上読んだ人がいる

最高は250ページ・・・3時間ほど読んでいたらしい・・・

何を読んでんのか断片的にしかわからないが・・なんだろうと思う。

先日、人事評価での普通の評価をいただいたので・・・ついつい文句を言ってしまいました。

文句は、「苦情」に変換される。

おまけに、文書様式はあるが、ワードもエクセルも文章データがない・・・書くことを前提としていない。

よほどいう、苦情(ここでいう苦情)をいう奴がいないのか

この文句は「苦情」であり

「苦情処理」ということになりました

今回は「業績評価」・・・どんだけ仕事をしたのか・・

次は、「実積評価」・・・・どんだけ仕事をしたのか、指揮能力があるのか・・・を見るらしい

でである、この業績評価は、バカ上司の面倒を見ることは含まれないらしい。

おまけに、間抜け新人の面倒をみることも含まれないらしい。

うちのバカ上司というか、うちの爺さん上司は、今年で定年退職である。

残り1年で赴任してきた。

最初に、言った言葉が、「最後の1年なので楽をしたい」である。

ふざけるなという気分と

馬鹿じゃなかろうか・・・

思わず、「給料分ぐらい仕事してください。」である(上司が云うとパワハラです。)

この人、組合の専従の長かった人で、うちの仕事的には、能力が劣る

現地に行っても、「見てきたわ」

「何を?」と聞くと

「〇〇官職名の記録に書いたる通りだったわ」(〇〇:私)

「何にしにいったんですか?」

「いやぁ見といた方がいいかなぁっと思って・・・」

「無駄なことしてんじゃねぇジジイ」である

仕事は、個別指令方式というよくわからない方法で命令が来るので、その指示に従い仕事をおこなっている。

(バカの指示なので、非常に簡単で、あくびが出る程度である。低出力で仕事ができると思った。

処が、成績が悪いのである。

指示待ちをしている、勝手に仕事して越権行為といわれたことがあるのでの、基本的には越権に当たることはしない。

すると、つまらん仕事ということになる。

しかも、指示内容がプアである。

指示の内容を聞いて、あまりにも足りないのえ、「いいですか?」聞いてから

不足附部分を進言して、補正して仕事をしていた。

すると、私一人では足りない。

暇に仕事をしたい上司は本当にボケた仕事ぶりをする。

おまけに、過去の記録をまともに読まずに、憶測で

「こんなもの、○○だろう、○○だろうから・・×で良いんだろう」

私、「記録読みましたか」

上司「よんどらん」

私「過去の資料に書いてあったでしょう、読んでませんか?」

上司「さわりしか読んどらんでわからん」

私「憶測でモノを言う前に中身ちゃんと読んでから質問したらどうだ、爺さん」

上司「すいません」

私「管理職手当もらってんだったらちゃんと仕事ぐらいしたらどうだ?」

上司「対して給料かわらんがや」

私「残業してチャボチョボだわなぁ」

上司「・・・・」

私「質問するなら、全部きっちり読んでから質問したしろや、ジジイ」

この上司、胃がんで、胃を何分の1か摘出している。

でもタバコを吸う

医者はやめた方がy問いといったらしいが、ストレス解消のためにタバコは必要と述べて吸いに行く

仕事に対する姿勢は、時間を効率よく使うという観念は皆無

高速道路で、1時間で行けるところを、2時間かかっていく・・・

往復で、2時間のロスである。

高速に乗らないのは・・・病気ではない・・・単にハイウエイカードを借りるとその手続きが面倒というだけである・・・・

基本今年の仕事は、時間つぶし的に仕事をしていることになる。

また私が帰って、報告が済むと‥延々と雑談モードで話をすることがある・・・記録を作成するのは時間外となる。

時として主唱にも、「俺行ってこようか・・・」とおっしゃることがある。

そこで「これお願いします」というと

お願いした「部分」のみ、ほんの端緒にもならない部分をさらりと・・・調べてくる。

習慣的に調べるであることは全く調べない・・・・

する、追加で、これとこれとこれとこれをお願いしますというと、

「言ってくるわー」といって、わざわざ下道で行く・・・・要は時間を効率よくではなく、単に時間をつぶすために行く感じである。

現場で、調べたときに疑問に思った点を追加的に聞くとか調べるとかすべきだと思うのだが・・・

「まあ、あとで良いかと思ったわ」である。

結局、後日、私が再調査ということになる。

ただ単純に、時間をかけてだらだらやる仕事は好きなようで、3月中は、そんなの仕事を頼んでやってもらった。

正直、勘弁してほしいと思う

こんなクズみたいなのが上司である。

このクズの面倒を見ただけでも優良をもらいたい気分である。

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どうでもいい様な事を思い出した。

どうでもいい様なことであるが、電車の中で、両足を広げて座るバカがいる。

老若男女構わずいる・・・

どうなんだろう

皆さんそろいもそろって頭悪そうな風体、顔つきである。

遠慮がない

先日、新聞を広げて読んでいるバカがいた

もう珍獣の様な存在である

通常の座席の3人分使って新聞読んでの出勤である

バカを通り越して、「タワケ」(名古屋弁でいうところの死んでしまった方がいいぐらいのバカ)である。

「タワケ」には、「クソタワケ」という言葉存在するが、これは存在を全否定するぐらいのバカである。

大阪で云うところの「バカ」、東京でいうところの「アホ」である

火中の栗を拾うように子にわざわざ座ると、おっさん又新聞広げたので、思わず

「新聞読ませてくれるのはありがたいけど

 3面じゃなくて1面見せてほしいねぇ」

というと、おっさん新聞をたたむ

足も当たってたんで、

「雨降ってズボン濡れてるんで、湿気移って悪いねぇ。」

おっさん足を広げるのをやめる。

・・・

先日、歯槽膿漏のにおいをプンプンさせた爺さん(見た目は若い)がいた。

この異臭は・・・

と思っていると

ボックス席の向かいの爺さん(見た目は若い20代?)が口を開いて、笑う・・・(スマホを見ては、笑う・・・・)口が開くたびに・・・・

異臭が漏れる、吐きそうになるぐらい臭い。

臭さになれることは不可能である。

もう10年以上も前に、ある人が、この匂いで・・・歯槽膿漏が悪化しして、顎の骨が溶けている・・・・

咀嚼も難しような状況であったが、金がないので病院へのいけない・・・・

その後、生活保護を受けて、

医療費が全額タダになると・・・

早速、歯医者に行ったらしい・・・・

医者からは、総入れ歯化を進言されたそうな

でも、基本的に咀嚼も難しかったよう、何を話しているのかわからないぐらいだった。

そこまで仕事で話を聞きに行っていた。

程なく前を通ると住んでいたが家が壊されていた、転居してかどうか職務上必要なので調べると昇天されていた。

福祉課で、詳細を調査すると、結局、歯槽膿漏だけではなくて、全身にがんが転移していたそうである。

働けなくなったのも、もともとは病気

金はない、

病院へ行けない

苦しいのが当たりまえ・・・

わたしが、とりあえず、福祉課へ相談行くように進言すると、役所が遠い、足がないという・・・・

バス代さえない

当然のように家賃は、払えていない

取り壊し寸前の様な長屋

家主の好意で住めていただけ。

家主さんは、「親が昔世話になつた人の息子」なので、タダみたな値段で住まわせいる。

できれば出て行ってほしい・・・アパートに立て替えたいんだけどね・・・と

聴いていると、昔は、資産家の息子だったようなことは何となくわかった。

家主さんは、時々、食料も運んでいたそうである。

運ばないと、万引きをする・・・

警察に柄請け人で呼ばれる・・・・弁償に行く・・・・

それなら…と思い食料品を運んでいたとういう。

福祉課に連絡した方がよくないですか?

と聞くと

そうですよねぇ・・・

なんか、異臭がひどいですものねぇ・・・と

家主さんが結局相談に連れて行ったそうである。

あまりの異臭にレンタカーを借りて連れて行ったそうである。

タクシーは、クリーニング代を出してほしいというぐらいの匂いにへきえきして断ったそうである・・・。

私は、実は、このおっさんが昔は羽振が良かった時代の事を知っていた。

親戚の家の近くに住んでいたおっさん(そのころは、おっさんも若かった)は、親から受け継いだ財産を蕩尽していた。

夏休み中に某役所で、このおっさんが股を広げて、東映やくざ様な風体で座っているのを見たことがある。

蛇見たいな感じのする目つきだった。

窓口で、怒鳴っていた。

私は、小学生だったが、こえええ・・・・

と思った。

親が云うのは、○○ッさんとこの息子さんねぇ・・・と

○○さんの家は、親類の家の近くだった。

歯槽膿漏のおっさんの事を仕事上で調べることになると、本籍地を見る懐かしい地名である

地図を繰ると・・・・・ここは・・・・???

図書館で、昭和40年代の地図を見ると・・・・大きな1軒屋・・・・

苗字は「〇〇×」・・・・・

おおおおおお、あのおっさんは、あのバカの慣れの果てか・・・・と思った。

よくできたお兄さんが亡くなり、親の会社を売り飛ばし、資産を食いつぶすのに30年ほど要したことになる。

大体、電車の中ででも、どこでも大股開きのおっさんは自己中心的である

最近ジジイになったのと、先般、発掘した古い手帳を見ていたら、このおっさんの昭和40年代の住所を調べた時のメモが挟んであって、急激に思い出した。

(手帳には、住所が、書いてあるだけで、要確認と書いている…最初なんだと思った。

 「要確認、ゼンリン東区、昭和45年から52年住宅地図確認、ゲロくさい」

 「東区役所、確認 架電 ナイ」「鶴舞図書館確認 架電 ある」、と書いてある。

 これを見た瞬間、名前は思い出さないが・・・顔と、異臭が頭によみがえった・・・)

基本は

「気の毒な人だぁ」という

温情のある目で見ることができる様になったので、

そこで、大股開きのおっさんを見ると、気の毒な人だなぁと思うことしきりである。

 

 

 

 

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2019年 合同展示会と云うか静岡ホビーショーの問題点など

今年も、SHS(SHIZUOKA HOBBY SHOW)は、大盛況のうちに終わった・・

さすがに盗難事件はなかった様であるが、ほかの問題が噴出したらしい

 (2017の事件)

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2017/05/post-4939.html

主に警察関係と云えばお分かりになるのだろう。

今回は、厳重注意が来たらしい・・・

会場にいる人にはわからないが・・・周辺の部の交通渋滞である。

渋滞は、十重二十重と云う感覚である。

施設作り付けの駐車場のキャパシテイが少ないのだから考えた方がよいと思うのだが・・・

展示会参加車の台数を絞るとか、駐車券のカラーコピー対策が必要ではないかと思う。

昔関係のあった某名古屋のクラブは、以前Nダと云う会員が、そんなもの「カラーコピーすれば、わからないよ」で、数枚コピーしていた。

考え方が犯罪的である。

ちなみに、Nダは最近見かけないが・・・。

Nダの様に、ばれなきゃ不正をしても良いんだという感覚は止めてもらいたい。

苦情の原因は、どうも、駐車場へ入れない車が路上で大渋滞を引き起こしたことで、周辺の商店、店舗からの苦情らしい。

また、以前借りていた駐車場は、何かやらかしたようで使用できなくなった。

これまたもデラーのモラルという事になる。

ホビーショーの解除へは、土曜の朝から入場者の長蛇の列

7時に着いたらもう並んでいた。

翌日も、7時に着いたらもういた。

合同展示会場への出品者入場が8時からなのだが、せめて7時30分には開けてほしい

その時間に開けてもらえれば、出品者がゆっくりと他の人の作品が見られると思うのですが・・・

一般の人の入場を15分繰り上げるのなら、出品者の入場も繰り上げてほしいと切に願うのである。

2年前に盗難にあったMSモデルスさんは、監視カメラの嵐であった。

また、去年入社した元自衛官の人が諸般の事情で辞めてしまったことを知って少々ショックであった。

 

日曜は・・・・延々とい整然と蛇行していたが、モデラ―ズフリマの列へ横入りする不届き者が結構いた。

モデラ―フリマも、ACモデルス宣伝をもう少し早くアナウンスしてほしかった・・

気が付いたのが二日目で・・・すでに資金難で買えず・・・

 

ただ良い作品を見ると本当にうれしくなってしまう

 

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大切なお友達ということ…皆様ありがとうございました。(補足しました)

私は、友人に恵まれていると思うが、その反面、とんでもないカスを掴むともある。

最大のカスは、この雑文を延々とお読みの方にには周知の「三十九の某」である、現在はどうも「三十県」には住んでいないようであるが・・・静岡ホビーショーの合同展示会でも見かけなかったので生きてるのか?という疑問も湧いたりするが・・・

この三十九の事は1年に1回ぐらい思い出す、合同展示会の配席表が出ると、うちのR8氏が気にするので、一応確認する為である。

それ以外は・・・・あんまり思い出すことはない。

面倒な友人との言うのはあまりいない。

異性の友達は、一線超えをしてしまうと後が面倒である。

特に、若いころのその手の友人と再会すると面倒である。

特にお姉さん系は面倒である、今でもその様に接してくる。

先日、60歳になった元彼女に会ってしまった・・・きれいなんですけどね・・

同性の場合、反応が良い友人は貴重である。

その者は、10人以下ではある。

たのしい

その関係には利害はない(と思いたい。)

時々、友人に救われることがある。

何人かの友人言葉にハッとすることがある。

本を読んで、答えを探すよりはるかに楽な回答をする。

それは、鋭いのか鈍感なの、時々良いことを云う。

また論評もする

ある友人・・専門家であるが・・・私の事を表して最近の流行(はやり)で云うと「サイコパス」の典型だろうと・・・

何でと聞くと

まず、頭の回転が速い、先頭にに立って物事を進める、一般的な恐怖心がない、危険な状況を楽しむ、というか、楽しんでいる、危険な状況が来ても冷静でいる。

それって‥壊れた人?と聞くと

壊れているかどうかはわからんけど、壊れている感はあるよね・・と

ある友人は、「人の性格を見抜く能力が高い、だいたい10分ぐらいで性質を見抜く。ズバリ言うから怖い」だそな。

それぞれの人格がある。

その点は、否定しないが‥どうなんだと思う。

自分を殺してというか、自分の意識を殺して他人と付き合える人、意識を殺しているい認識もない人。

そもそもそんな意識さえない人がいる

先日、模型店の経営の話をしていて、「販売自体が好きでないとお店はやれない」ということを言っていた。

まあ、販売ではなく製造という話からの逸脱であったが・・・

ある人は、

「よく知っているもデラーの上を行くマニア度の高いキットを生産すること」の必然を語っていた。

販売も…という話があった。

ある模型店の滅亡に関する話の延長であった。

いつも思うのは、独りよがりなモデラ―出身の模型店はダメということである。

ある建材屋出身のモデラーは、店を二回ほどつぶした。

二回目は握り倒産ではなないという噂があった。

あるお店は、店主がタバコ好きで、延々と煙草を吸っていた。

模型雑誌〇〇に入賞しましたとでかでかと店頭に貼るのはいいが、模型店で、タバコの火つけて模型製作は・・・・そもそも危険ではないのか?

その店は、3回入った記憶がある。

ある模型を探しての放浪の旅の果てである。

二回目は、注意して、入店前にマスクは必須、滞空時間は15分と決めていた。

それ以上いると気分が悪くなる。

閉店の予告を聞いたが行く気も起らず。

ある瑞穂区の古本屋も同様であった。

日本の古本屋のサイトである本を見つけたが、タバコ臭が気になり、というかどうしても買う気にならず・・・少々割高な店で買った記憶がある。

友人曰く、「販売自体がが楽しいと思わない人は成功しない」と語った。

これも真理である。

ある友人は、「お金が好きで好きでたまらないので頑張って商売を続け居ている」と語った。

これも真理である。

附則的に、販売が好きの向こう側に、お金が好きというは楽しいことである。

かのお金好きの人を見ているとこんな感じを受ける。

店でものを販売するひとは、常に、買う側の意識を探る、売れるように常に努力する、

結果、売れるとうれしい…と感じる人でないと無理ではないかと思う。

販売自体が楽しいという事は、販売していて、売れた時の感覚が、(少しでも)もうかった、いいものを紹介できた・・・等のドーパミンが出るような喜びが必要であろうと思う。

そうしてその喜びがあることを知ってないと無理であろうと思う。

むかし、レッドバロンという飛行機の名古屋では有名どころの模型店があった。

無くなって、もう20年ぐらいたつような気がする。

ここは、自宅裏の店舗から移転後、店主は、ゲームに興じ、商品管理はいい加減になり・・・

移転後10年ももたなかったのではないかと覆う

あるお店は、一見(いちげん)さんには厳しいお店だったという

有名もデラーが来店していると、延々とその者と会話をしていて、一見さんは、商品の在庫の有無あえ聞くことさえ厳しい感じを受けて帰ってしまったという。

ブログで商品説明をしていいキットというが、その店では買わない。

いいキット「どこが良いの」と聞くと、具体的ではない。

すると、こちらとしては、買う気は失せる。

世のなかへの不満だらけで店を経営するのはいかがなものかと思う。

SNSを読んでいると、怒りが自己中心的で、第三者的な考えを完全に排して、他律的ではない感じを受けた。

法学部なので、、法律を知らない人に向かって法律用語を連呼し、弁護士の知り合いは多い・・・といったらしいが・・自分で、その意味を分かって語っているのか?聞いてみたかった。

 

世の中我慢して働いている者の方が多い。

私は、仕事と生活は分けている

仕事での付き合いを、プライベート(私生活)の部分「いわゆる生活」には入れない。

つまり職場の者と私生活で付き合いうことはない。

仕事は、生活の活を得るためだけの行為である。

欧米人の様に、労働は苦痛とまではいかないが、労働は、時間の切り売りという感覚がある。

 

最近、伸びしろがあるから頑張れと言われた。

この様な者に、もっと頑張れと言われても困る。

ウチの副支店長は、勤務評価を普通にしたので、質問をしたところ、50過ぎたおっさん(爺さん)に、「もっと伸びしろがある」からその部ぬ分を勘案して、普通の評価をしたと・・・

仕事でできない、定年直前のバカ上司の面倒を見て、仕事の指示を出して、無能な隣の課長が指導できない若手の指導までして、普通である。

聞けば、そんなことは何も聞いていない・・・当然無能な隣の課長は自分の指導力不足は隠したい。

多大なッ損害を出したことは面内出さないで隠した。

そりゃあ、隠したいわな…と思うが

ウチの組織は、よく「組織だから」というが、「組織的なパワハラ構造」ということを理解してない。

というか、いじめを率先して行う者はその認識がないのと同じである。

精神的に追い詰められて、少々体調がやばくなることがる。

最近は、車のクラブの友人に救われることが多い

このことは感謝すべきである。

20190520

20190521加筆訂正

 

 

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生きててもと思うこともある。

生きていて、つらい事ばかりだと思う。

死んだ方が、ましだとは7年前から思っている

心のどこかに常に座っている、「死へのいざない」

メキシコの芸術によく骸骨が描かれている。

その図柄の明るさに驚いたことがある。

先日、宿のテレビでパリの地下のカタコンベ(埋葬所)を放映していた。

30年ほど前に見たことを思い出した。

死のにおいのしない場所だった。

死が一番近かったのは何時だろう

ある仕事・・仕事と云う云い方は語弊があるが・・・

ある場所に居たときに一番近かったような気がする。

三島由紀夫が、戦時中が一番死に近かったと感想をのべた。

が、空襲という他人からの無作為による死が近かっただけで、現実的な戦場の死があったわけではない。

猪瀬氏は、三島についての著作がある

読むと

三島由紀夫の仮面

平岡公威の仮面

三島への崇敬を減らしたという欲望で書かれていることがよく判る。

猪瀬氏の内容は、死者への冒涜に満ちている。

取材を受けた側も、特別視しないような証言をしている。

徴兵検査を受けたときの、「土嚢上げ」について滔々と語る老人

農民ならできて当たり前

都会のアオジロ(三島由紀夫のあなだ)にはできない。

出来なかったことを笑う口調である。

頭脳労働と、肉体労働の単純比較をして笑う

ドウなんだという気がする。

三島は、「三熊の詣」で、他人に、伝説を作り、見せるという事を書いた。

初読の時(15歳ぐらい)に驚いた。

これは、見せると云ことを考える、行動するという事が如何に計画的でないといけないかという事を教示していた。

そうして、最大の見せる行為は、「自死をもってする」と考えあった時に、三島の死は近しいものとなった。

三島由紀夫氏の死

自分の死すべき姿

自死の行程

死のいざない

メキシコの芸術で、骸骨が出てくることが多い

底抜けに明るい

北斎の書く、コハダ小平治へ自のような陰湿な、現実味を帯びた骸骨ではない

死ねば、骸骨

一休宗然ではないが、死ねば、骨である

笑いかけた手も、目も、カルシュウムの塊の残骸になる。

知人の死は遠い

友人の死は、近くて寂しい

親族の死は、重く暗い、そうして寂しい、寂寞感が押し寄せてくる。

死ぬという事

近しい死

いつでも死ねると思うことは不幸であろうか。

死への重さは、生きていることへの重さでもある。

近しい死を、と云うか、死にたいという気分を解消するためには、前へ

前へ、前へ向かおうとすると腹が立つような現実

現実は、自分が蒔いた種である

種は、自分への悪意となって育って返ってきている。

敵にしてはいけない人というのがいる。

嫌った人間を徹底的に貶めることに長(た)けた人間がいいる、言わゆる「クズ」なんだか、うちの職場では飲酒をしない奴はこいつにはかなわない。

自分で、思うよりも、他人に理解を求めれば、力が持てるかもしれない。

しかし、それらの悪意

を「はね返す」余禄を持つことができるかもしれない。

何時も思うのだが、

「God With you」

これは、「It My JOB」と云う感覚と似ている。

これは、自分の信じている八百万の神々と共にと云う感覚である。

死は近しい。

イエスキリストや、ブッダ、マホメッドとiいった紙に書かれたものとは違う、スピチュアルな感覚への親近感である。

20190516

20190517加筆訂正

 

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ああ、なんだか、死にたい

色々と考えると、生きててもしょうがないような気がする。

色んなことを考えても、いいこともなさそうだ。

子供の事を考えると、死ねないが、このままの状態では、精神が崩壊しそうである。

あんなの奴が

そう思うことが多い

昇進もない

ただダラダラと、あと10年ほどこのまま過ごすかと思うと

いやいなる

友人が

「能力があるのに、そんなつまらん仕事をさせるなんて、もったないよなぁ」

とはいってくれても、何の気休めにもならない。

「つまらん人生だった」

とは言いたくはないが

言われると気分は悪い

一生懸命に仕事をしても意味がない。

頑張っても報われない。

ふと、上司運が悪い?と思ったことがある。

運が悪い

運てなんだ?

上司運なんて、うちの組織では運ではない。

でも、普通の評価から低評価へ下げられ、転勤。

転勤先で、他の系統の支社長、副支社長から非常に高評価を連続してもらった。

本店では、困惑したらしい。

自分たちの一押しが低評価で、高評価をもらうと困る奴が評価が高い。

すると、評価を下げる方向へと云うか、私を嫌っている者の下へ配属して、評価を下げる方向へもっていく。

 

 

こんな仕事につかなければよかったと思うことが多い。

死と隣り合わせだった1年間の海外生活は、ある意味充実していた。

海外へ行く恐怖に打ち勝ち、へらへらと海外へ行った事もあるが、何のプラスにもならない。

性格はある意味楽観的である

でも、こう意に染まない、嫌なことが多いと嫌になる。

 

救いは友人である

友人が居て、心が休まることが多い。

いい友人もたくさんいる

死んでしまった友人の言葉が突き刺さる

生きててもしょうがない。

彼とは違って、子供も家族もいる

でも

山椒魚の様に

寒いほど一人だ

そう、うつぶやいてしまう自分が悲しい

今は、いい

来年はどうなる?

また遠方へ通勤するのも嫌である。

なんだか、面白いこともない。

仕事もするつまらない・・・

 

 

 

 

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降りる理由・・・・スケールアビエーション(scaleaviation,SA)とか、買わなくなる時期の選択

このブログで人気なのが「さらばスケールアビエーション」( http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2015/09/post-ec40.html )と

「あきれた爺さん新幹線の中で」flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-6479.html である・・・

さらば「スケールアビエーション」創刊号から買い続けていた。

2年ほど、購入を止めるか止めないか悩んだ・・・けれども結果、名機100戦の終了と同時に止めた。

悩んだというか、やめる決意を翻意する否かを検討していた。

ちなみに、この間は、模型屋さんの定期購読だった。

この期間は、ある降りることのモラトリアムであった。

要は、購入を中止するかしないかの猶予期間であった。

結果、内容が悪くなるばかりで、もラトリアㇺの意味を途中で考えてしまった、名機100が終わる前に95機目ぐらいで、本当に金の無駄という感じがしていた。

もう1年ぐらい、買う理由がなくなったということである。

この名機100選も、仄聞によると、途中で連載中止の申し入れが新編集長から打診があったそうですが、100機まで作るのが契約だらと云って続けたそうです。

この名機100の終了とともに、私は、「スケールアビエーション」(通称「スケビ」、最近は、「SA」)の購入をやめました。

まあ以前延々と書いたので理由は再度かきませんが、読むところのない雑誌はいらないと云ことである。

コラムを書いてる女性モデラーが、フェイスブックでも人を舐めた態度だったのも拍車をかけました。

この人、途中でフェイスブックからいなくなってましたが、最近復活しているの気が付いたが、どうでもいいやと云う感じである。

模型が雑誌の「(お刺身の)ツマ」と云う感じを感じてしまうのは、「なとなくつまらん」と云う気が起きる。

時々、大手の書店では見かけるが手に取ることはまずない。

画面が暗くて、コスプレなおねーちゃんの写真が出ている・・・

一般紙として読むのなら問題ないのかもしれない。

それでは、残された時間の短い者は、読む気にならんのである。

大規模店舗に行くとSAは置いてある店がある、発売直後は5冊ぐらいある

1か月後は2冊ぐらいのこっている。

AM(アーマーモデリング)は、大体2冊から3冊残ってる。

ある雑誌で編集を業としている人と話をしていたら、多くの場合は、最盛期(バブリナーな頃)と比べると大体多くの雑誌が5から10分の1ぐらいの部数にの落ち込んでいるそうである。

10分の1を切ると非常に危険だそうである。

5分の1を維持するのが大変で、読者の年齢層が上がるにしたがい、皆さん、降りる理由を探しているという事になる。

如何に降ろさないかが最大の懸案事項と聞いた。

現在は、模型雑誌は、老舗のHobbyjapan Modaelart、後発ではあるが老舗になりつつあるModelGrafix、ちょっと古いScalAviation、ArmarModelingぐらいしかいない

後発で、電撃ホビーマガジン、マスターモデラ―なんて雑誌もあったが、今は休刊と云う名の廃刊である。

マスターモデラーは、人が居なくなったという理由で休刊

マスターもデラーのAFVに記事は、ドラゴンと某レジンメーカーの製品の紹介みたいだった。

編集、作例を作る人が同じと云うひどい職場だったようである。

(最近読み返いして痛感している・・ある特集は、大半がドラゴン・・あとは、当時馬鹿見たいに高いと思ったレジンメーカーの製品(現在は、ミニアートででほぼすべて製品化されたが・・・・)。

 まぁ現在の飛行機関係の不定期誌は、某社の新製品の紹介がメインでつまらん・・・と。

 広告主だがら批判ができないのはよくわかるが、多くのもデラーが批判している部分の考察等がないのが悲しなぁと。

 

電撃ホビーは、古き良き時代のホビージャパンをカラー化した感じだったがあえなく沈没

連載状態が悪かったように思う、HE177の記事が読みたかったが続編が見つからなかった。

アーマーモデリングは、毎月になり終わった感がある。

調べるということを放棄している者へのパスファインダー的になりつつあるのは、模型雑誌としてどうなんだと思う。

一般企業に勤めていた人を、製作者に引きずり込む、編集に製作者を引きずり込む。

それらの人のおおくは、数年で退社、

酷いと死亡させるという雑誌である。

製品をプレゼントと称して奪い、記事を広告として扱い原稿料を払うことを渋る。

また、原稿料の支払いが悪い、作品を返却し忘れる。

友人某は、編集に入る時に、特別な条件を出して入社したが、その条件と云うか、約束が反故になされた。

ものすごい重労働であったそうである。

そうして、異邦地で急死してしまった。

最近、模型雑誌は、情報を得るためだけに買っている感じがする。

接着剤や、塗料の情報は貴重である‥が、本筋から外れてないかと思う。

でも、お役たち情報としては貴重である。

新しい素材でも、安定供給されなさそうなものは使わない・・・数年でなくなるものもある。

それも、新鮮なものではないのでどうかなと思う。

車関係の雑誌はほとんど買わない、お義理で買うのは1誌のみ、義理がなければ止めたい気がある。

車雑誌で、なくなったのが残念だったのは、SuperCG、Naviかな。

Naviは編集長が引き抜かれてからはグダグダ・・・内容がとたんに悪くなった。

元左翼の活動家でも能力があるというか、車と他の物のコラボレーションというか、生活スタイルとしての車との生活を紹介した点は目新しかった。

前例を墨守しないから面白いのだろうと思っていた。

いつの間にか休刊していたが、編集長が引き抜かれて、従来の踏襲ばかりになった時点で「終わったな」と思って買わなくなっていた。

だから何時休刊になったのかも知らない。

某車雑誌の社長は、一時期ものごい勢いで車を買い込んでいた。

取材先の車を、日本人のコレクターに売り、中間利ザヤを儲けていた。

ある時関税法違反でつかまっていた(w)

現在は、資金繰りのためにほとんど個人で持っていた車を売り飛ばしたようである。

スケールアビエーションの昨今の傾向は、模型とその他の趣味の結合、生活にまで・・・範疇で大幅に客層を広げたいという思いがるのかもしれない。

丁度、NAVIの様に、車を中心としたファッション、時計と云った点へ、関連部分への拡張を図ることで、読者層の拡張を狙っている気もする.

ただ、雑誌を、何十年買っても、数十万円である。

うちの子の車のデフ1個、定価でも13万円(25年前)ぐらいだった。

あるお店では、純正の新品は、45万円(10年前)ぐらいするらしい。

そう考えると、模型の雑誌買うのを止めてもさほどの収支を改善するわけではない。

固定感のない雑誌は平置きになりがちであるので、場所取りはなくなった気がする。

が、やめたというのは、どぶに金を捨てるような気になっていたからである。

また、某SA,AMは、広告主に対して、印刷部数、実売数を公表しなかった点で、どうも信用できないのである。

 

 

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関東電気自動車・・関東自工と中島製作所SKS型

中島製作所の製のSKS型の資料がありました。

関東自動車工業10年史には、最初の製品第一号の記事が以下のように記載されていま

「六浦工場には20名の従業員が集まり、武蔵野乗合自動車株式会社から電気バス1台が、さっそく、修理車として運びこまれて、仕事がはじまりました。

 物を生産する槌音は、こうして六浦の一角から起りました。

   1

 六浦工場と名付けた仮工場で手掛けた1番目の仕事は、東京都武蔵野市にある武蔵野乗合自動車株式会社から運びこまれた電気バスを再生することでした。

 戦争という至上命令のために、休止していたバスを,元通りに直して走らせようというのが初めて与えられた仕事でした。 

 現場の人たちは,分解することにその構造を学びとりました。

 長い間、風雨 にさらされていたこのバスは,商工省(現通商産業省)の工業奨励金で作られた、通称SKS型電気バスと呼ばれるもので、 流線型でスピードは遅く(表現ママ)、名実ともに代燃車でありました。 

 バッテリーは6ボルト 40個をホイル間のフレームにとりつけたものでしたが、当社 ではこの再生作業の中から、新しい電気バスへの構想を生みだしたといっても過言ではありません。

 六浦工場に集った現場人は,豊富な経験の持主でしたが、こと電気自動車にかけては, ズブの素人でした。

 しかも、自動車を作るための,すべての職種の者が集っていた訳ではありません。

 塗装という仕事はそのよい例で、汗水流して板金を修正したホワイトボディを塗装するために、東京から専門の職人が送られてきました。

 そして六浦工場の人たちの前で始められた塗装作業は、彼らが目をまるくして驚くほどていねいなものでした。

 外板 を底光りするほど磨きあげ,何回も手袋でなでてはパテで修正する。この当時の自動車の 塗装についての知識はその時初めて得ました。     

 この驚きから、自動車の塗装はこういう やり方でやるのだ」ということを、 SKS型電気バスから知りました。

  新装なったバスは,六浦工場の門をでて東京に送られました。

 それは創立から5カ月目 昭和219月であり、六浦工場で生産したただ1台の自動車でした。

  再生といわず、生産という気持の中に、ここに述べた苦労からの表現があるのです。

 この写真は、関東自動車工業年史記載のSKS型です

 よく見ると、E-2/E-3です。

10_2

都バス90年の歴史記載の写真、E-1と記載があります。

この車両が関東電気自動車工業の再生車だったと思われます。

90

終戦時にはガソリン車68台、木炭車841台、新車26台、電気車2) の計960台が在籍していたが、実際に使用に耐えるものは196台にすぎなかった。

1946(昭和21)年に将来は300台まで増やす計画を立て、まず中 島製作所(SKS3)8台、神戸製鋼所(EB46)21台を発注した。完成した車両は新 谷営業所に配置されて、1946(昭和21)111日に浅草寿町~~三河島~西新井橋 6.5kmで運行を開始した。

電気自動車武蔵野乗合自動車株式会社

関東電気自動車製造の社史に乗っている写真が掲載されおりキャプションがついている。

代燃バス(表現ママ 代用燃料バス)の一種類として電気バスも作られた。

写真は中島式SKS電気バスを千歩関東電気自動車で再生したもの」

戦前の東京電気局(都バス)の電気バスの運用実績は、2台との記載がありました。

戦後残存車両台数の明細がありました

(出典 都バスの90年史 佐藤信之著 グランプリ出版 ISBN978-4-87687-299-2 )

 

 

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昔の話など、一部加筆

アルバムを見てみた・・・

5歳ぐらいから12歳ぐらいまでのアルバムである。

修学旅行は奈良京都(当時としては、べたである。)

服装を見て驚いた。

まぁ、なんというか、男の半数以上はみんなジーパン、ジージャンである。

では自分はどうか・・どうかと云うと・・・チノパン(もどき)とフード付きの長めアノラックのようなジャンパーである。

別の家族旅行は、ジーシャンジーパンであるから持ってなかった訳でもないが・・・やはり同じは嫌だなぁという気が働いたのかもしれない…天邪鬼だからねぇ。

女の子の服装はカラフルで、なぜかチェック柄が多い

普段、結構地味目の子が・・・派手な色を着ている

みんな幼い。

今見ても、見てもほとんど名前がわからん。

 

判るのは少々いる。

仲が良かったか、嫌いだった奴である。

仲の良かった子は名前、嫌いだった奴は、苗字である。

私は、幼稚園ではなくて、保育園だから、小学校に上がった時にカタカナが上手く読めなかった。

(おかげでものすごく恥をかいた気がしたので、その後猛然と勉強した・・・とはいえ、興味の向くことは勉強するがそれ以外は全然だった。)

保育園(給料安くて、貧乏だったので保育園でした。)の時の写真に、母親ご丁寧に名前を書いていてくれた子は判ったが、それ以外は皆目わからない・・・名前を見てもだらが誰やらわからい・・・

ちょっと頭の弱かった‥この子

特殊学級ではないが、ちょっと反応が悪い子がいた。

特殊学級の子は怖かった

ものすごい勢いで怒る

「バカ」と云ったら家まで追いかけてきて、謝れという

当時、特殊学級の先生は浅岡(浅丘?)という先生だったが、この人、産休補助教員だった。

産休の絶えない学校で、結局3年ほどいたが、産休補助教員でも、何年か勤務すると、本採用の試験が受けられた様で、3年目の終わりに本採用になった。

でも何回か、課題を提出しなければならなかったようである。

そんな中で、美術関係の課題は、ほかの先生が造ったものを提出していた。

私の担任だった黒田先生(美術系出身)が、何回か教室で作品を作っているのを見たことがある。

美術関係の課題は、浅岡先生は、美術が不得手と云うことで、うちの担任が造っていた。

土曜の午後、先生が教室で内で作業をしているの見たことがあり、他言は無用と云われた。

忘れもしないのは、蝋燭の蝋を垂らしてドットを作り渦巻きの模様を作っていた。

ほかの先生に見られると困るからと云って、教室で作っていたのでよく覚えている。

考えてみれば、産休補助教員自体が、免許はあるけど、採用試験に受からない人である。

偉そうに、馬鹿の前で訓戒を垂れて、私に無理やり、謝罪させた。

何となく、くるくるパーは怖いと思うようになった契機でもある。

普通の先生だと思っていたら、産休補助教員と聞いて、何となく、気分的に馬鹿にした感じを持ったことがある。

それは、産休補助教員て何?と聞くと、親は、教員関係者であるから・・つらつらと答てくれた。

ついでに、そのころ、私の親は、先生たちを管理する仕事をしていたので、帰宅後再度聞くと、制度についてつらつらと教えてくれた。

この先生、うちの親の勤務先を知ると態度がコロッと変わった。

ここで、大人は自分の為には嘘をつき、ズルをすると思った。

嫌な小学生である。

変な中華料理屋と云うか中国料理屋の子供…ベビースターラーメンの図柄そっくりだったI君

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珍奇な中華料理屋で、なぜか2店舗並んでいたうちの1軒を親父さんが経営していた。
バリバリ昭和な、なんかちょっと変な中國料理屋・・・安っぽい机、ボロッチイ丸椅子。

べたべたするようなビニールカバー

隣の中華料理屋を正当派に類するなら、和風テイスト満載な感じだった。
彼が住んでいいたのは、川向うのものすごーくぼろい集合住宅、母親はいなかったのではないか?

本当にぼろかった
中学は、いわゆるマンモスこうだったので10クラスもあった。
クラスが変われば疎遠になる
ある時、奴の親父さんの店に閉店の張り紙・・・ほどなくして‥隣の中華料理屋がその部分を借りて店舗を拡張
ほどなくして、件のアパートの近くを通りががったので、彼の住んでいた部屋を見に行った(野次馬根性)
部屋はもぬけの殻であった・・・そこに住んでいた小汚いおばさんに聞くと、先週引っ越したという、そうしてこのアパート自体が取り壊されると聞いた。
どこのクラスか知らなかったし興味もなかったので、行方を追う気もなかった。
結局、転校したことを後から聞いた。

また、H君とい彫金師だった人の子供がいた。
このお父さんに最初の結婚の時の指輪を彫ってもらったが、後年、かのお父さんは失明して、どこかへ行ってしまった。

Y君と云う子がいた。
うちの親は、結構、友人関係にはあまり文句を言わない人だっが、ある時突然、Y君とH君とは付き合ってはいけないと言い出した。後に判明したことは、Y君は、スーパーで万引きをして捕まった。

その捕まった場面を親が見たようである。

その後も何か悪いことをして捕まったと聞いた。

H君は、彼の家の近くの資材置き場の材木への放火犯であった。

H君は、男三人兄弟の末っ子で、上の二人はものすごく勉強もできていい人であった。

H君は鬼っ子で、出来がものすごく悪かった

よく、映画なんかに出てくる出来の悪い末弟を地で行くような人だった。

この二人は本当に悪かった

二人とも、中卒で働いて、結局、放火犯はヤクザになり死んでしまったという事である。

親族には随分と迷惑をかけたという事は聴いた。

ちなみにY君・H君宅はもうない。

勉強の良くできたM君は、後に東大を出て銀行に行った、現在はどこかの証券会社にいるらしい
お兄さんがいたが、この兄さん、途中(高校)までは良かったが、結局いい大学には行けなかった。
彼の母親は、この次男坊が自慢の種である。
彼の家は兄さんが継いで住んでいるようである。

同級生の女の子の行方はほとんどわからない
Facebookで、現況を知りえるのは1名のみであとは知らない…と云うか興味もない。
うちの小僧さんと同学年だった子の母親の一人が同級生だったが・・・保育園で会おうが、小学校で会おうが・・話した事がないので現状は知らない。彼女とその家族が中学まで住んでいたアパートは20年以上前に取り壊されて宅地に替わっている。

中学のころ、定期試験中に、ゲームセンターで朝鮮人と喧嘩して補導されたMN君は、外国人の奥さんがいるらしい。
これも、彼の保険証を拾ったことで分かっただけである
住所は違う場所だったが、旧宅に行くと、彼が出てきた・・・
名のならずに、「これはあんたのかと?」と聞くと
「そうだと」というので
「じゃあ」と云ってそのまま帰ると、四時間ほどして菓子折りを持って礼に来た。

また、不良だった男・・苗字さえ思い出せないは、チンピラになっていた。

そういえば、カリスマ講師になったのが一人いた。
高校の教員になったとは聞いていたが、いつの間にか講師に転身していたらしい・・

F君は、中学に上がると家庭環境の急激な変化で、疎遠になった。


ちなみに私をいじめ、苛んでいた女教師は存命だと聞き、ものすごくはらが立った

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パゼロ製造

パゼロ(わざとです)製造と云う会社がある。

岐阜県の某所に…国道を進んでいると大きな看板で「パゼロ製造」と云う名前が出てくる

その会社が存在する町の収入の4分1から3分の1近くは、この会社のからの税収と云うことになる。

その昔は、東洋航空機と云う航空機関連の会社であった、一時期とトヨタのトラックボデイを作っていたこともある。

現在は、三菱自動車と三菱エレベーターの製品を生産している

以前は、東洋工機とっていたし、岐阜市内の会社だった。

三菱エレベータの製造を開始し、パゼロの生産も始めた。

有名どころでは、シテイカブリオレの生産もしていた・・・。

1995年に、パゼロ製造と云う名称に変更した。

これを聞いて、三菱自動車の社員の方は・・・かなりのけぞったようである。

いつなくなるかわからない車の名前を会社名につける神経が理解できないという事である。

現在は、車としては、パゼロ、アウトランダー、デリカ、73式小型トラック(新型)を生産している。

そのうちアウトランダー製造?とか、三菱自動車坂祝工場とか社名を替えるのではないかとかと・・・

アウトランダーは、岡崎の生産が間に合わないので・・・という事である。

アウトランダーは、開発期間が非常に長く、外部の意見を取り入れたので良い車に仕上がったようである。

外部の者は、各部のギア比の変更をし指示したりして、今までの三菱の車とは一味違った車になった。

本来の予定よりも2年も余分にかかりましたが・・・

ちなみ、エクストレイルとアウトランダーを比較したところ、日産の方々は、アウトランダーべた褒めだったそうである・・・

ここで比較であるが、トヨタのハイラックスサーフを、100点とすると、アウトランダーは、75点ぐらいである。

広告のような使い方ができるのか?と云う疑問を持たせるエクストレイルは・・・・赤点かな。

で、そのパゼロの国内向け生産は8月で終わるという。

海外向けはそのまま継続するというのだが大丈夫か?

社名変更した理由の一つが、パゼロ製造をしている会社として認識されれば従業員の募集に有利と考えたという・・・・・

現在は、パゼロて・・・・みんな知ってるか?

と云ういレベルである。

パゼロは、パリダカールラリーが最高峰だった…けど

実際は、パゼロの皮(川)を被った、不整地走行の化け物のような四駆だった。

ちなみにノーマルのパゼロは勝てない

ノーマルで優勝するのは、ランドクルーザー・・・こちらの方が随分と偉いと思うのだが

外見が何となく似てるというだけで、パゼロを売りまくた三菱はすごいと思う。

パゼロミニは、水島工場製で、パゼロ製造とは全く関係がない・・・

パゼロミニベースのPX33もどきも、戦前の、自称、三菱重工初の四輪駆動車がモデルであるが・・・資料は、三菱の社内にしかない。

公表していないのだから、ちゃんと、四輪駆動だったのかさえ怪しい。

時期的には、陸軍の要求のあった指揮車(くろがね四駆、岡本号、ホヤ:瓦斯電)として応募する予定だったかもしれない。

悪く言えば、日産が軽自動車の四駆に、くろがね四駆のノーズつけて、うちの製品でした見たいな感じである。

(高速機関は、現在は日産の子会社)

で、肝心のパゼロの実力派どうだったのか・・・四輪駆動車としての性能は、四駆乗りの人に言わせると、普通だったそうな。

で、実際多くの人が使用した街乗りではどうだったのか?

友人某の奥様が、友人(旦那)のプラドからの買い替え時に、パゼロに乗ってみたいと言い出した。

仕方なく、奥様のご希望を受け入れて、パゼロを購入、プラドは、実家の納屋で冬眠となった。

奥様、身長158センチ・・・・

体重 秘密らしいが、デブでも、やせすぎでも普通体形である。

来て早々乗った・・・・ショートボデイだったが・・・取り回しが、すべからく重い

小回りが利かない・・・視界がよくない・・・

バックが怖い・・・・

子供の送り迎えに厳しいという理由が最大、あと危険・・・で、通勤に使う予定が、1か月で断念

結局、前使っていた軽自動車で通勤・・・・

1年後、購入後5000キロほどでは売却、買値の10分の1以下だったそうな・・・

で、プラドが復帰・・・

友人曰く、イヤーパゼロは無理だろうと思ったんだけどね・・・・・奥さん乗りたいっていうから仕方ないよね・・・

ここ10年ほど、路上でパゼロを見ることがなかった。

日本の四駆は、トヨタ以外は‥ホント、カスだったなぁと

いすゞは、ランドローバーそっくりな車を作っていた。

ビークロスは形は面白いが・・・車としては・・・どうだったんだと思う。

樹脂の外装は、現在は、白化して結構ボロボロである。

日産は、パトロール(サファリ)があるが、国内販売はしていない。

既に、珍車の域であるが、近所のヤブ歯医者が乗っいているので見かけるか、それ以外は、航空自衛隊の基地でしか見たことがない。

現行の73式小型トラック(1/2T)は、シャーシ等は前のパゼロのママである。

8月に国内販売中止になる、パゼロとはモノが違うのデアル。

この73式、部隊ではすこぶる評判が悪い。

悪い内容は書けないのであるが・・・根本的な問題点で治しようがないのである。

73式も、ランクルベースに替えたらどうだとおもう・・・

現行の73式は、時期的に高機動車の開発時期と重なったので、予算が少なくて、新型ではなくて、改良型という位置づけであった。

だから、名称は73式をそのまま踏襲している。

こう見ていくと、パゼロ製造の名称は、先行きは不安である。

東洋工機に戻るか、三菱自動車坂祝工場になるのか・・・それとも・・・消滅するのか、実は興味津々である。

三菱は、日産の先行きを不安げに眺めているが、1月以降、6月の株主総会終了まで、日産案件は棚上げと云う。

さすがは、三菱商事の出身である。

 

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公差ゼロで・・・・

日産の設計のいい加減さ

35GTRの設計時


馬鹿な担当者がミッションのパーツを製造することを要請に行った会社の担当者にいきなり


「公差ゼロで」お願いします・・・・


これを聞いて。
目があんぐり・・・
イケイケの腫さの設計していた35GTRダカラかどうか知らないが・・・
「公差ゼロ」を、連呼したらしい。


「気温、湿度、温度何度で・・・・という条件は?」


「いや、公差ゼロで・・・・」


設計ですよ・・いちおう、GTRの・・・


そこで部品メーカの人が、切々と説明したそうな・・・・


相当頭が悪いというか・・・バカだったみたいで大変だったみたいです

おまけに、ねじのトルク計算表がないそうな・・・


基本は、前と同じぐらい・・


ここ注目ですが、「同じ」まではよい、そのあとに「ぐらい」・・・・


新規は、ひずみ計をつけてわざわざ計測・・・・


日産のエンジンが余裕を持たせたエンジンの意味がなんとなく分かった


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