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菅隆俊さんについて調べている

今日友人と話をしていてこんな言葉が出てきた。
今のトヨタ車を、喜一郎さんに見せたげたいと思う。
喜一郎さんの理想の車がここにある
あなたの蒔いた種が、ここまで来ました。
社長を退いたのち、失意のうちにあった時に見せてあげたい。
そうしてもう少し長生きしてほしかった。
あえて、彼といいたいが、彼は理想に燃え、素晴らしい車を作ろうとした。
しかし、あまりうまくいかなかった。
基礎工業が存在しない日本では不可能だった。
最先端だった航空機製造、発動機製造の現場も同じだった。
航空機エンジンは、神様という名の職人が1台1台仕上げていた。
月産200台・・の増産に必要な資金は1000円(現在では、100から200億円)が必要と言われた
三菱発動機製作所は、時間管理を導入し、生産性をあようとしてもうまくいかない
海外からの工作機を輸入しても使いこなせない。
しかし当時の生産管理(三菱は、工作管理という名称を使用)自体は、源流がフォードシステムであり、その手法が発動機生産の現場に導入されていた。
当時一番進んでいた生産管理は、米国の自動車工業であった(’異論があることは十分承知であるが、フォードの生産システムは、生産管理のたまものであった。)。
米国は、その当時すそ野の広い工業生産国であった。
汎用機、専用機も、専用の工場があり、使用者側の要望ですぐに生産する体制があった。
日本はできない相談だった。
機械生産のレベルは低く、マザーマシーンが作れない。

 

中部産業遺産研究会のパネル展の今年の担当は、「菅隆俊」になった。
菅隆俊さんは、アツタ号の設計、キソコーチ号の設計製造に携わった。
豊田自動織機に入社して、豊田喜一郎さんの指示で生産機械の輸入に奔走する。
菅さんは、挙母工場の設計を任される。
戦時中、豊田工機(現在のジェイテクト)が設立すると、移籍し、工作機の生産に携わる。
戦時中、複数、工作機械に関する論文を書いている。
その内容は、労働生産性の向上、汎用機製造、それら機械の特徴を解説した論文である

 

マシナリー 4(6) 雑誌 機械製作資料社, 1941-06 <雑31-230>
多量生產單用工作機械の單位式設計に就て / 菅隆俊

 

自動車工業用工作機械に就ての一考察1942(昭和17)年

 

工作能率指導叢書 機械工作篇 第3輯 孔明および中ぐり作業
図書 陸軍省 編. 日刊工業新聞社, 昭和18

 

機械と材料 : 工業雑誌 79(985)
雑誌 工業雑誌社, 1943(昭和18)年

 

工作機械の主軸裝置 / 菅隆俊外一名 ; 豊田工機株式會社

 

今日及び将来の工作機械 : ユニット構成機械 (機械工作の進歩 ; 1944(昭和19)年

 

機械工作雑誌 7(1) 雑誌 機械製作資料社, 1944(昭和19)年

 

パワーユニツト及びそのアブリケーションに就いて / 菅隆俊

等々である
全部は読んではいないが読み込んでいる。

実に楽しい

トヨタ自動車挙母工場を建設時の記録を記載した図書があるのですがどこかで手に入りませんかなぁ

 

 

 

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