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曲がり角?

ある古い車のフェステイバルがある。

クラッシクカーフェステイバルと銘打つて何十年も続いている。

他のメーカーも見習えよと云いたいが、皆さん青息吐息で無理であろう。

某社は、現代表者が、前代表者を追い出して、保身を図ったが、その実、自分も泥だらけだったことが分かった。

自分がポーズで作った委員会に追いだされる羽目になった。

この会社すでに、世界の車の社会では、車メーカーとしてカウントっされていない。

悪く言えば、ブランドでしかない

その下の某社も同じ扱いだろう

大体、ルノ―グループの一員というだけである。

日産の影は薄い

今の日産、新車がほとんどない、自社の自主開発なんてほとんどない。

下手すると、三菱に丸投げなんてえのがある。

海外工場は、ルノーと供用

車台も、ルノーと共通

ルノーは、三菱の四輪駆動技術に興味がある様である。

商用車系にも興味はあるのだろうが、所詮は、パゼロ(仮名)の延長である。

運転はしにくい、重い、耐久性はない、壊れると大変という車である。

自衛隊の1/4トン車は、前のパゼロ(仮名)ベースで、壊れると大変である。

自衛隊は、ランドクルーザーベースに、さっさと変更したいのであるが、いろいろなシガラミがあり変更できなかった。

しかし、間接的とはいえ、外国メーカーのッ傘下に入った自動車メーカーの車を使う理由はない。

大体、三菱の名前と、マークをいつまで使わせてもらえるのか?

実際先行きは不透明・・であるかな?

 

閑話休題

このクラッシッカーの集まりは、企業の主催なので、当然の様に規定がある

車齢(生産時から)による出席可能な年度がある。

生産から30年だったかな(うろ覚え・・)

フェステイバルが始まったころの三十年前の時点での20年前の車は、郷愁の車だった

車の更新が急速に早くなった時期で、昭和30年代40年代の車は急速に姿を消していた。

昔と云うか、今から50年、60年前は、車が貴重で、ある程度大量生産と云いながら、何十万台レベルで推移して、昭和50年以降は、ほんとの意味での大量生産時代となり、バブルの頃から車は、だんだん財産としての地位から、道具への地位に下落する。

欧米は、最初から、財産と云うのは、大衆車、中級車、高級車の区分の中での高級車のみであった。

現在でも、欧米は、ガラス天井があって、階級によって買える車は限られてる。

高級車は金持ちしか買わないというか、買えない。

そこははっきりしている。

だからこそ、大衆車は、ひたすら基本的な移動する手段としてのパーツしかついていない

それを、フランス車は、簡素だがエレガント、ドイツ車は、質実剛健、イタリア車は愛すべき存在なんてえのは、輸入会社と、自動車輸入販売店の考えた宣伝文句の虚言である。

またそれに乗って、外車を誉めたたえているところは失笑を禁じ得ない。

昔、歴代ゴルフを誉めたたえる人がいたので、その理由を聞いた。

「ダイレクト感、無駄なものが付いていない。」と云っていていた。

「運転をしていると気持ちがいい」

機械感があっていい感じなのかもしれないと思って、運転させてもらった。

しかし、その感じは、昭和60年代に、昭和40年代のパブリカ、コロナに乗った時に感じた感覚に似ていた。

一番近かったのは、パブリカ(UP20)のスーパーだった。

爺さんに聞いてみると、確かに、初代のパブリカ、二代目のパブリカは、運転した時の感覚は似てると述べた。

つまりは、いい道具を使っている時に感じるいい感じ。

道具として使うときの使用感かなとも思った。

良い道具を使うと、使うのがが楽しくなる。

良い刃物は、より多くの物を切りたくなるその感覚が近い。

その時のおもったのは、この爺さんは、基本、運転している気になりたいだけで、進化を拒絶した爺さんのたわごとが、ベースで、ドイツ車という先入観でものを言っているだけではないかと?

実際、初代、二代目のゴルフを運転しておもったのは、設計思想が古い、質実剛健と云えば聞こえがいいが、実際は、普通に、普通の車をドイツの工業レベルで作っていたというだけであると感じた。

欧州の大衆車は、単位に、安い車という存在である。

イタリア共和国は、、Fiat500が国民車で、なんていう人がいる。

イタリアは、昔輸入車にすさまじい関税をかけて、Fiatを守っていた。

200%っだたかな?

平成時代でもそんな具合だった。

26年前に、フータ峠で出会った、フィアット使いの兄ちゃんは、ものすご勢いで車を上から下までは走らせていたが、ユーノスロードスターが欲しいといっていた。

お互い下手な英語で話をしたのだが、日本から来たというと、ユーノスロードスター(初代)が欲しいと言っていた。

でも、新車は、高くて買えないと、中古でも300万円ぐらいするといっていた。

関税高くて、外車の安いのがが入ってこないだけだった。

だから、Fiatしか買う事ができなかっただけである。

悪くいえば、好き好んで乗っていた訳ではないという事である。

20世紀初頭、大衆車、と云っても小金持ちし買うことはできなかったが、馬に変わる移動手段と云う道具の地位を有していた。

Fordの大衆車路線は、馬に変わる移動手段、手間がいらず、突然死んだりしない道具としての車を販売した。

シトロエンの5CVもその系統であるが、運転する人を、男性に限定しなかった、女性でも運転が可能な車としての存在である。

カーマスコット講演会で、池田先生が、ルネラリックが、5CVに感動して、一頭の馬のマスコットから、5頭の馬のマスコットに変更したというくだりは、5CV つまり5馬力という事で、5頭の馬である。

先生、この5馬力と、五頭の馬のかけ合わせの部分は失念していたようで、5CVに感動して、5頭にしたとし云わなかったのは残念である。

話がずれる・・・なぁ

爺さんだからしょうがない。

今年のクラッシクカーフェステイバルは、セルシオが出てくるそうである。

もう世の末という感じである。

年数でくぎっているのでここ数年、まだ町中にゴロゴロとは言わないが、見かけなくなってきたなぁという車の出場が増えてきている。

感覚的には、安いタダの中古車という感じがするものが多い。

趣味性はない。

大抵の場合は、1975年で、区切ることが多い

1976年以降は、参加不可という区切りである。

でもである、仕方がないかなという気もする。

スバル360を見て、パブリカを見て、懐かしいと思う世代はすでにほとんどいない。

これらの車を、販売していた、つくっていた世代はほゞ死滅した。

生きているとしても、車にはのらないだろう。

郷愁の車として存在がなくなると、趣味の世界である。

私は今、強烈にスバル360が欲しい。

大学時代に手離したことを後悔している。

450だったしね。

回顧の車の展示から、趣味の車の展示に変わったのは、外車の参加を認めたころからであろう。

これからは、どんなコンセプトになるのだろう。

興味津々である。

あいにくと、主催会社は、日産の様に、自社に胡坐をかかないので、進化していくと思うので興味津々である。

20190911初出

20190912改変

 

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