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三重苦は?

かの三重苦はどうしているのかと思う。
某友人だった三重苦の縁が切れて15年以上がたった。

日、友人(模型のね)の年末恒例のご飯食べ会で、最近どうしてんだあのハゲという話になった。
久々に、ブログを見てみた。
(携帯の電源切れそうでひやひやしてましたが・・・)

どうも、両親ともに亡くなった様である。
とうとう、一人になったらしい(兄妹がいるからまだいいかもしれないが・・・)。

車、模型でのお付き合いのあっところ、天涯孤独にあったらどうするのか聞いたことがある。
その時の回答が、「覚悟しておる」と殊勝なことを云っていたなぁと。
という事は、来年の合同展示会とか、某Z自動車の集まりに参加するとい事かなと思う(w)

金がないから、Z自動車はどうかなと思うが、完全一人もんなら、出るかなと思う?が、でも、この会の人たちに嘘ばかリ云っていたことはばれている。
バレていると気が付いてないと思えば正々堂々と行くのであろう・・・
嘘の嘘を塗り固めて話をするんだろうな。
・・・彼のファッションセンスは、土建の小金持ちのおやじである。
通常は、ジーパンのおっさんだったが、某Zデザインの車に乗る時は、本革が痛む?ので、その時だけはジーパンは履かない。

ジーパンしか履いてなかった人が、偉そうに滔々とそのことを話し出したことには笑ってしまった。

ジーパンは履かないけれど、スラックスになったけど、見た感じは、珍奇な服装だった。
洗練はされていない・・・。

いつからか、小かばんを持ち歩いていたが邪魔じゃないのかねぇと思っていたが・・一応、「おされ(オシャレ)なおじさん」の必須アイテムだと思っていたようである。

Z会の仲間内で彼のついていた嘘は、すでにバレている。

そのことさえ気が付いてないかもしれない。

中古で買ったことが恥ずかしいのか?

なんで、新車当時買ったなんて嘘をなんでつくのは判らない。

新車と中古で買った時期には、数年の差があるのだが、嘘で塗り固める途中で、時間御整合性を考えずに、箔着けのつもりで、実話を挿入なんかするから時間に整合性がなくなってくる。

実話なんか挿入するからバレルだろうと思うが、話した相手を舐めてるのか、ばれてしまう嘘を垂れ流す。

コイツは、ウソがばれているという事には、意外と気が付いていない可能性が高い。

だって、馬鹿だもん。

基本は、自分だけ頭いいと思ってるから仕方ないよね。

まぁ、犬と寂しい正月でも送ってくれと思う。

そう考えていると、形ばかりの家族がいる事でも多少は心の平安があると思う今日この頃である。

子供に学費をむしられても仕方がないかなと思う。

ある意味生きている証拠の様な気もする。

(先日、模型も、買わされましたが・・・)

先人は、こんな言葉を残している

「あー寒いほど一人だ」

「咳をしても一人」

寂しい言葉である。

人は生まれる時は一人という。

でも生まれた瞬間に、最低でも母親は寄り添う。

父母、祖父母もいるかもしれない。

それは幸せだろうと思う。

この間、ある女性(知人以上友達未満)と話をしていたら、

「子供作ったら大変じゃない?」

と言われた

「なんで?」

と聞くと

「子育て大変じゃない」

「まぁそうだけどね」

「あなたのところ、もう大きいからいいかも知れないけど?」

「小さいころ大変だったでしょ?」

と・・・まぁ、こんなことを云われた。

大変だったとは思うけれど、クールな自分のコピーができたとも思う。

もう少し頑張ろうねと思うけれどね。

死ぬときは・・・どうだろう。

一人で死ぬしかないと思うのは私だけだろうか?

自宅の自室で一人寂しく死のかなぁ?

死は、いつも孤独であろう。

長谷川町子さん漫画で、意地悪ばあさんだったか、よく覚えていないが、「女の一生」で、基本的に、「女は待つもの」、家族から死ぬことを「待たれるようになった」おしまい、というような記述があったが、確かにそうだとも思う。

前に書いた、ドフトェフスキーの「賭博者」に出てくる金持ちのばあさんは、遺産を狙う親戚の前で財産を蕩尽する、まるで遺産を目当てにしている将軍をあざ笑うかのようにである。

何となく、年末に暗いことを考えた。

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パワーハラスメントな人はなぜ昇進するのか?(つづき その3)性格的に起因するもの。

ハラスメントを行う人は、基本的にはどこか壊れている人が多い。

性質に起因することが多い。

ハラスメント体質というのは、男性女性を問わず起こりうる。

特段、特殊な環境で昇進する者には、その異常の性格を純化、攻撃性を増進させることが多い。

無理やりな女性登用枠の所為で、おかしなことが起こっている。

最近どこの官庁でも、女性の登用枠で昇進させている者が多数いる。

この女性登用枠に入っている者で、「ハラスメント体質」の人間がいる。

なぜか、ハラスメント体質の者が、幹部登用されていく不思議な世界…と云うか、同類が集まっていく傾向があるのかと思ったりもする。

多くの場合は、その者よりも下位の者は、ハラスメントを受けていると感じているが、上司は気が付いていない場合には、ハラスメント体質のまま昇進することがある。

では、部下が、ハラスメント体質だと気が付いても、上司は気が付かないのはなぜか?

理由は、上司にはその様の部分を見せない、飲み会にはいそいそと出かける等で、予防線を張るので気が付かれない。

そこで、女性登用枠で昇進を続ける者のハラスメント体質(昔から、パワーハラスメント体質と云われ、職員間では、幹部に登用後は、繰り返しパワーハラスメントを行っていることは有名である)には、うすうす感づいてはいるけれども、直接的に、パワーハラスメントの告発がない限り、見てみ見ぬふりをする。

すると、その部では、女性登用枠で昇進させる者(大抵は、未婚、婚姻していても子供がいない者)が少ないと、ハラスメント体質という重大な問題点には目をつむる傾向がある。 

本店のある部の幹部職員になった女性がいる。

この者の基本的性格は、本店勤務職員の体質とでもいうべき「自分に甘く、他人に厳しい」であるが、この者は、「自分にはものすごく甘く、部下にはものすごく厳しい」という人間である。

 以前、若手の指導に来た時に、「転居するなら総菜屋の2階がいい」と、この理由が、「ご飯を炊くだけで、おかずは階下の総菜屋で買えばいいから」とい言っていた。

 この者は、若いころからパワハラ体質と云われている。

飲酒が非常に好きという点、彼女より年上の者には、丁寧な態度をとるので、年上の者にはそのパワハラ体質を見せないので、良い評価を得ていた。

女性登用枠で昇進させている者が少ないので、この者を登用枠の筆頭に持っていきたいという態度である。

そのせいか、彼女のパワハラ体質を諫める者はいない。

その点を、注意する者もいない。

おかげで、増長満で、だんだんと、パワーハラスメントも増大傾向にある。

(彼女の先輩職員が、彼女の前にその候補であったが、ある事件で失脚していなくなったので、その部の最先任である女性幹部の後に続く者の間がかなり空いているのでこの者を、パワーハラスメントごときで、失脚させる訳にはいかないという態度である。)

この女性は、頭が非常に良い。

ただ問題は、理解力の悪い者への説明能力に欠ける。

自分の我を通すことためには、通達であろうが指示文書であろうが、勝手に解釈を変える傾向がある。

自身の理解力不足、説明、説得能力に欠ける部分が多大にあっても、その点は完全に無視である。

相手が、理解できないと怒りを向けると、人間的に不完全な面が多い。

昨年は、某所の課長であったが、いつもイライラした雰囲気で、部下に接して、パワーハラスメント的発言が多く、部の雰囲気は最悪であったという。

この者が、本店へ転勤した今年は、非常に良い雰囲気であるということである。

以前、本店の定めた方針を無視して、自分の判断で事務を遅滞させるという事を平気で行っている。指示文書で定められた規定条件をクリアしていても、この者が担当係長だったときは、難癖をつけて引継ぎをしなかった、又、引き継の処理が非常遅く、支店の担当者は、辟易としていた、この当時、この者の担当係の部下は非常に精神的圧迫を受けており、そこへ行くと、ピリピリした雰囲気が伝わってくるぐらい雰囲気が悪かったということである。部下に評価させれば、悪い評価しかつかないような者という事である。

昇進のルートとして、いろいろな事務を経験させるという行為の中で最悪だったのが、新人の研修担当に従事していた時の事である。

私持論としては、新人は、用語(言葉)が判らない、用語(言葉)の意味が分からない状態で入ってくるので、まずは、用語の説明から行うべきであると考えている。

条文では、ちゃんと条文中の「○〇とは、××の意味」と有用に記載をしている。

しかしながら、現在の研修方式は、法律の説明から入る。

基本的な法律ぐらいわかっているだろう位の勢いである。

しかし、そんなことは幻想である。

子供の養育をしたことがない者の欠陥とはなにか?。

幼児へモノを教えることの困難さを理解できない点であると思う。

それは、小さな子供のものを教える過程が、非常に無慈悲だという事である。

何も知らないと云うか、何もないところへ常識的なものを教え込む困難さは、すべてを説明して教え込んでいく必然性と、良い事、してはいけないことを教えるという手間を経験していないと、新人へどの程度の知識があるのか、常識的な判断があるのかを見際ながら教示するという事は甚だ難しい事だとからである。

つまりは、最初は丁寧に教え込んでいかなければいけない点をすっと飛ばして、教育しても仏像を作って魂を入れない状態と言う事になる。

この者は、意味もなく怒る(自分の気分で怒る)ので、研修生からは、嫌われていた。

もし、全方位的な評価、つまりは部下からの評価を加えた場合に、この者の昇進速度が維持できますか?と聞いてやりたい。

つづく

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パワーハラスメントな人はなぜ昇進するのか?(続き)(その2)

パワーハラスメントの原因は良く判らないという人がいる。

しかし現実的には、時々、人を責めさいなんで喜ぶ性癖のある者がいる。

所謂(いわゆる)、サディステックな人がそうかと言えばそうではない。

マルキドサドが、通常の生活でサデイステックだとは記録にはない(裁判記録があるので読むと書いている。主に、性的な関係での怪しげな媚薬を使って行っていた淫蕩な行為である。)

役所では、なぜか、よくできる方が昇進していくと、自身より劣った人間を責めさいなむことを行う者が多い。

 こういった人に多いのは、昇進が早く、仕事もよくできる人が多い。しかし、役人の悪癖で、考え方に柔軟性がない、直情的に考え、反応する人、精神的に加虐性に富んでいると往々にしてパワーハラスメントを行う者が多い。

よくできる人の「仕事ができる基準」というか、「基準の比較対象」は、自身の能力だけである。

古い実例であるが、同期中で、何であんな奴が本店にというレベルの者が本店勤務になったことがある。この者は、ある幹部の引き(お気に入り)で本店入りしたということであった。(本店から支店、出先機関へ出た人は、自分が、現場仕事ができないので、いろいろと仕事を押し付けるが、隣の部所で、仕事をしたくない者は、本店から来た人の仕事を手伝っていれば自身の仕事が免除されるので、せっせと手伝う、すると「御恩と奉公」ではないが、その手伝った者を本店に入れることを強力に推薦する。)

そうして本店勤務となった者が、普通以上に仕事ができればよいのではあるが、所詮は、

自身の仕事から逃避することを目的としたお手伝いを満身で行うような者であるから、能力的に非常に低い。普通の仕事をこなすことさえできない。

仕事がよくできて、判断力が高く、処理が早い人から見ると愚鈍に見えるらしい。

そうなると、この昇進の早い人は、この自分と比べて見劣りする者に対して、最初は、叱咤激励する。本店に来るぐらいだから、能力的には最低限度のレベルぐらいはあるだろう勝手に思い込んでいる。

最初の叱咤激励が、叱責に質的変化を遂げるのは、大体、2回から3回同じことを言って理解できていない風情があれば変質する可能性は高い。

また理解できない部分について細心の注意を払って、質問をして、理解力深める努力をした場合は、話は、替わるのであろうが、旧い実例の場合は、研修時の様子を見ていると、「何、言ってんのか、わかんねぇ」と云ってタバコ部屋へ逃げこんでいた可能性は高い。

その時の上司が、自分の説明、指示内容が悪いと思わない人の場合は、自省はないが、他人に大変厳しいい人である場合は、結果は最悪で、叱責がほぼ毎日継続する事になる。

すると、徐々に、叱責が、毒を帯びていく。

この毒を帯びた時点で、周囲は、パワーハラスメントへ質的変化を遂げたことを認識しなければならないが、毎日の行為と思い込んで、頭をすくめるか、同じ漫才をしているぐらいしか感じない鈍瞎漢(どんかつかん:夏目漱石「吾輩は、猫である」)しか居ない状況では、パワーハラスメントの防止はできない。

パワーハラスメントへの認識時期は何時からかという問題がある。

本人がどの時点で、「〇〇ハラスメント受けている」と感じたかで、「ハラスメント」は始まったと認識される。

「ハラスメント」被害を大きくする理由は、被害者自身が、ハラスメントを感じる時期が遅いという事である。

古い例の者は、自身の能力の低さを自認せず「本店職員」イコール「偉い人」「自分は他人とは違ってよく仕事ができる」と思いこんでいたらしい。本店に行きたい理由が、出世コースだからとい、わけの判らない理論構成であった。

自分は本店職員だから偉いという事実誤認をしていたので、この叱責が堪えたようである。

最初から、従事したこのない仕事を任されたのであるが、その仕事内容を理解するように努力をしたことは無い。

指示の中身が理解できない。

意味が分からい、意味が分からないけれど、その意味を理解する努力はしない。

そうなると、仕事の理解もできていない状態では、何をかすることも、進めることもできない。

そこで、指示事項に対する反応も鈍くなったらしい。

仕事もできなくなる。すると、仕事の良くできる者は、無能な者を攻撃する。

この場合は、最初は、いじめる気がないのであろうが、徐々に、反応が悪くなるにしたがい、徐々に責めさいなむことになる。

責め苛まれていると感じた時点で、パワーハラスメントであると云えればいいが、多くの場合は、気が付いた時には、精神的に壊れかけの場合が多い。

ここで、自省して、自分は仕事ができないことを認識し、自身の無能を告発して、許しを請えば、然程、叱責が厳しくなることはない。

しかし、そうでない者は、愚図愚図と対応を先延ばしにするので、パワーハラスメントはエスカレートする。

被害者側には、自分の仕事をやらずに隣の本店から来た人の仕事を手伝い、自身が劣るという認識がなく、かつ、いい人ぶって本店から来た人に気に入られるようにしていただけなので、速度、判断能力が劣ることが露呈すると、努力するのではなくて病気に逃げるという図式が出来上がる。

ここで良く判ることが一つある。

逃げる奴が多いから、パワーハラスメントが無くならないという事である。

つづく http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2019/12/post-b4a24e.html

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パワーハラスメントな人はなぜ昇進するのか?(その1)

先日、官公庁の職員の人事上の不満が載っていた。

笑ってしまったのは、パワーハラスメント、セクハラの常習者が昇進していくという事に対する不満が非常に大きいと書いてあった。

まず、「お前たちは、パワーハラスメントがあるとちゃんと告発しているのか?」と聞いてみたくなった。

うちの役所では、6級以上の幹部職員のハラスメントがある場合、これを隠蔽して、公にしない方向で処理をする。

ひたすら隠蔽するか、被害者の不満をそらして訴訟等の問題が公にならないように処理をする。

支店、出先機関等での所属副長等のパワーハラスメント等を、人事院に訴える旨を主張すると、効果は壮絶である。

6級職(課長級ね)以上に任命された者の非行は、ウチウチに処理されて、不問に付されることが多い。

それらの者が幹部職員に任命され、支店の長、副支店長といった地位に就くことで、倫理観のずれた者の認識が、職場内でのハラスメントを助長して、職員諸氏の不興を買っている。

ただし、本店の花形部所で、特1と云われるような昇進を進む者が行う「いじめの様なパワーハラスメント」があっても、気の弱い者は、カウンセラー、本店人事に相談することができない。

組合等に相談することがある。

しかし、組合は、その者に対してパワーハラスメントの防止を訴えるので無くて、「総務課長は、本店花形部門のトップだから、そんなことを云うと人事で復讐されるから言わない方がいい」という忠告を与える。

つまり、御用組合の悲しい点である。

本店のパワーハラスメントの実行者は、自らの権力で、パワーハラスメントの隠ぺいを図ることが可能で、そのうえ、告発者に対する報復を人事上で行えるという事実である。

またそれ以上の幹部職員が、お気に入りで、擁護する場合もある。

お気に入りとは、仕事ができるという意味よりも、お酒、ゴルフ、釣り仲間と云った良く判らない基準も存在する。

本店の課長クラス(7級職以上)の者の行うパワーハラスメント、セクシャルハラスメントについては、現在の傾向として、パワーハラスメントを恒常的に行っている者は減少傾向にある。

これは、パワーハラスメントに対して対応が厳しくなってきていることに由来するが、表に出てこない事例は沢山ある、本庁の者が、パワハラを行うものが昇進するのが気分が悪いと云っても、彼ら自身が、パワーハラスメントの事実を告発しているかどうは判らない。

告発がなければ、無傷で昇進を続けていくのは当たり前ある。

本省でも気が付いていても、告発がないからと云って、パワーハラスメント体質であることは明白なのだから注意喚起、昇格させない等の処分を行うべきであるが、人事制度上、降格ができないので仕方がないと諦めているから余計にたちが悪い。

低学歴で内部試験から幹部職員になった者は、研修で、人権意識を持つように教育されても、自分の先輩諸氏のやり方を踏襲する傾向が高いので人権意識が非常に低い。

低い人間は、無意識的に、平気でパワーハラスメント的な発言を繰り返す者が多い。

そうして、周囲は、それをパワーハラスメント的な言動であると気が付いても何ら反応しない。自分が、その対象にならないように、余分なことは言わない、余分な反応はしないという、ひたすら避けていく方向となる。

丁度、神風連の諸氏が、電線の下を通る時には、白扇を広げて頭の上にかざして通るぐらい意味のないことである。

本店では、過去に某部の課長(7級職以上)等の幹部職員が本店職員に対して行った数々のパワーハラスメントが不問に付してきた経緯がある。

パワーハラスメントの防止に関する研修を再三再四開催しているが、研修を行う者自身がパワーハラスメントの常習者であるという、笑うに笑えない状況がある。

こうした行為を者には、人権意識など皆無な酷い幹部職員が多い。
時として、パワーハラスメントの実行者自身が、本来パワーハラスメントを規制し、注意する立場であろう各部の部の課長、支店長、副支店長クラスが平気で行う。7級、8級職クラスの者が、パワーハラスメント等を行うと、本店は、まず、これら幹部職員を守る。

支店、出先機関においても、幹部職員の行うパワーハラスメントは、多くの場合は、本店の勤務が長い者は不問付される傾向が強い。

これらのハラスメントに対して、基本的に、本店の人事が把握したとしても被害者の告発がなければ本店ぐるみで不問に付す方向で活動する。

これぐらいの地位の者が行うパワーハラスメントは、加害者が保護されて、被害者は保護されない。

病気になったり、最悪、退職したりすることになる。

本店、出先機関の幹部職員のパワーハラスメント、セクシャルハラスメントは、不祥事である。

本店の人事は、これらの事実公表は避けたいをという意識である。

告発しようとする被害者に対しては、口封じを行う、多くは、本人の希望する転勤先へ転勤させる、退職させる、その場合は、緘口令を引き、秘密裏に再就職先をあっせんして退職させる。

被害者の口を塞げば、あとは簡単である。

被害者の周辺にいる職員は、告発などはない。

告発した場合に待っているのは、「告発者」イコール「裏切者」のレッテル貼りである。

多くの場合は、「裏切者」イコール「昇進させない者のリストに載る事」に恐怖するだけなので告発するような者はない。

本店の人事課、パワハラの起こった部は、その部の8級職以上に昇任する候補が減ることで、本店内のへの昇進ポストが減ると考える傾向がある。

不祥事のパワーハラスメントの主犯である課長のパワーハラスメント行為は、存在しなかったなかの様にもみ消し、不問に付すように工作を行った。

不問に付するにあたって、被害者の存在が問題となる。

この被害者は、パワーハラスメントで訴訟を行うとまで言ったらしい。

そこでこの者が、文句を言わない形での排除を目論んだ。

排除の方法は、自主的に退職させる方法である。

この時、被害者は、パワハラの告発をしないという行為に対する報酬についての条件闘争を行った。被害者は、退職後の生活の安定を求め、優良な再就職先を要求した。

本店は、パワーハラスメントの告発をとどめる為に、当時すでに禁止されていた退職後の就職先の斡旋を行った。

結果として、この被害者は退職して、パワーハラスメント実行者は、最後まで幹部職員として勤務していた。

被害者は、被害を受けたら、後先を考えずに相談すべきである。

録音は何時でもできるので、録音をすべきである。

告発者を、人事上干すのではなくて、普通に処遇すべきである。それが出来なければ、官公庁へ良い人材は集まらない。

役所の人事担当、担当部署が、自分たちが都合よく上げていく人材を、保全したいと考えなければ、パワーハラスメントを行えば、即、昇進が止まるぐらいの感覚を持ち得なければ、パワーハラスメントは無くならい。

つづく http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2019/12/post-a87128.html

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名古屋市の憂鬱、地方都市の憂鬱

名古屋市内と云っても地域差が激しい。

昼間は、官庁街周辺、栄町、名古屋駅近辺の人口は多い。

一転して夜間人口は、官庁街は激減する

栄町、名古屋駅の周辺部は人口は多い。

名古屋市内の駅周辺部は、マンションが立ち並ぶ。

大体、戦前からの工業地帯は、東区、中川区、熱田区、昭和区、瑞穂区、南区、港区

初期の軽工業は、中区、中川区の運河沿い

名古屋港は浅瀬で、大型船が入港できなかったので、明治期は、武豊港が主たる港湾施設

現在の竹豊線は、当初は港までつながって居た。

機関車の転車台があったぐらいである(まだこの遺構は残っている。)。

名古屋市内の明治から大正は、軽工業と云っても、木材加工関係の工場が多かった。

木材加工の関係から航空機の生産が始まっていた。

当時の航空機は木骨が多かったので、良質な木剤の集積地だった名古屋の東京陸軍工廠熱田製造廠は航空機(サムルソン)のライセンス生産を開始する。

明治期には、日本車輛が熱田駅の東側に工場を設置、その北側には、熱田製造廠(後の名古屋陸軍工廠、現在中京倉庫に遺構がのこる)があり、運河をはさんだ北東には岡本自転車工業の工場があった。

愛知時計電機、愛知航空機(後の愛知機械)の工場がとこ狭しと並んでいた

後年、熱田駅の周辺部は一大製造業地域となった。

戦後は、昭和40年以降、公害問題に端を発して、市内からの工場の移転が進む。

日本車輛は、車輛生産を熱田で行うをやめてしまい主力工場は豊川へ移転

現在は市営住宅と、JFCC、公園が並ぶ地域となった。

名古屋鉄道、地下鉄、JR(旧国鉄)沿線の駅近くは、真っ先に住宅化が進んだ。

一部は、製品の積み出しに使うために工場が沿線いできた。

昔は、鶴舞の北に大きなビール工場があった、この工場は、最初から国鉄による輸送を最初から見込んできた。

守山区にある、ビール工場も引き込み線が昭和末年まで稼働していた。

また、名鉄神宮前近くの運河沿いには、大同製鋼があった。

大江には、三菱航空機があり、東区には、三菱発動機製作所、三菱電機、大隈鐡工所、昭和区には、日本碍子、瑞穂区、ブラザーが存在していた。

今でも残っているのは、東区の三菱電機、港区の三菱航空機、愛知時計電機、愛知機械、日本碍子、ブラザーは工場群が随分と減ったぐらいである。

名古屋市内からの工場移転によって、名古屋市内の工場は港区、南区の南部、緑区へ集中していく。

すると、名古屋市中心部の中小の下請け工場も移転していく

一番大きな影響があったのは、伊勢湾台風による南区のゼロメートル地帯の冠水だった。

元々、名古屋港の工業地帯は、環太平洋平和博覧会の跡地が転用されている。

ちなみに環太平洋平和博覧会の主催は名古屋市である。

(愛・地球博の場合は、八草近くの会場を、工業団地として活用して、費用をねん出しようとした。

 共産主義ファシストの仕掛けたであろう、鳥の巣の跡でこの計画は蹴散らかされた。

 以前、八草近くへ仕事で訪れた時に、老人と話をしていたら、鷲は、猿投グリーンロードができるまではいたけれど、道ができてからはとんと姿を見たごとがいないと言っていた。

 当時、県庁に勤務していた者の多くは、反対派が、どこかから、古巣を運んできて据え付けたという説がを信じていた。

 基本的に、近在の反対派以外は見たことがないからである。

 面倒だったのか、万博を推進するために障壁はなくす方向で動いた知事の所為で、悪い結果を残した。

 環境保護を前面に出せは、行政側は折れるという事である。 

 これ以降環境保護派と称する活動化はこの手の活動を、手を変え品を変えて行うようになる、つまりは、愛知県の事なかれ主義で、左翼に大きな武器を与えてしまったことになる。

 沖縄のジュゴンを使った手法を展開しようとしているのはいかが何のかと思う。)

こうして、水没した工場群は、三河へ移転していった。

ここで、名古屋市内にあった、工場群が消滅した。

大多数は消滅したが、特殊な業種で、戦前から事業を行ってきたような地域は所謂(いわゆる)名古屋台地上に存在したので、伊勢湾台風の被害は受けなかった。

バブルで踊ることもなく黙々と仕事をしていた人たちがついこの間まで仕事をしいた。

リーマンショックで一気に仕事がなくなり、年老いた事業主は、廃業を選んだ。

ここ10年で、名古屋市内の小企業は軒並み消滅した。

街中に、再度、工場を開設しようという人もいない。

基本的には、既存の事業者でなければ、街中には工場を維持できない、新規で行いう場合は、排水、騒音対策などで多大な多大な設備投資が必要となるので、新設は、ほぽ不可能である。

街中の小企業主(小店舗)さえ消滅した。

気が付くのは、床屋が、美容室が、喫茶店、本屋が減った。

個人の病院も減少傾向である。

模型店などは壊滅である。

昭和区、千種区にあった店5店舗すべてなくなっていた。

これはかなり衝撃的である。

本屋は大型店舗に集約され、床屋は、安い2000円で終了できる店がオオハヤリである。

だって、4000円も散髪に出すのなかなか厳しいと思う。

近所の床屋は2軒消滅した。

閑話休題

工場が、減ったことで街中には弱年の労働者が減り、自宅を買って住んでいたも、長時間の通勤が厳しい年齢になると、名古屋市南部の居住地から三河へ転居する者が多かった。

すると、街中からは、20から30代、40代の子供を育てる世代が住まなくなった。

南区などは、一部地域は、ほとんど人が住んでいない地域がある。

親が死んでしまい空き家のままという巨大な家が散見された。

地下鉄の駅も若干遠い、名鉄の駅も若干遠い、JRの駅は遥かななたとなると、もうアパートを建てようが、ワンルームマンションを建てようが、誰も住まい。

名古屋市を縦貫する戦前からある道路沿いのマンションは空き家が多い

空き家が多いという事は、建築主は、借金が返せないという事になる。

とどのつまりは、家主は自滅という事になる。

名古屋市内の古い商店街、古いい円が並ぶ地域は、子供がいない。

新しい家族がいないから、子供は増えない。

新しいマンションが建つと、小さいな子供がくなる。

しかしまんべんなく世代的な子供がいるわけではないので、大体、10から12・13年ぐらいで小学、中学生がいなくなる

すると、再び、子供がいない町内に戻る。

以前、私が子供のころは、小学校は1学年5クラス、中学は10クラスあった。

ところが、10年ほど前には、小学校は、1学年2クラス、中学も2クラス(マンモス校だったので、半分に分割されたて20年後の状態)になっていた。

小学校は、18クラス分の教室が空いた勘定になるので、2番目にできた校舎の一般の教室は10部屋会ったが、全校12クラス体制になってからは授業で使われることは無くなっていた。

こうしてみると、工場があると常にたらしい人間の流入があるが、工場や産業がなければ、新しい人間は来ない。

最近は、外国人、中国、ベトナム人が近くの工場で働いているので、よく見掛けるが、これらの者は定住はしないので、地域としては、ゴミ出しのの問題とかで負担が増えるばかりである。

名古屋市内への流入は、多くはないが、周辺市町村の工場で働く人は多いので、周辺部、大体は、駅の周辺部であるが・・は人口は増える傾向にある(しかしながら、女性の首都圏への流出が多いというはある意味危険かもしれない。)。

名古屋市は、あまり人口減少に対する対策を取っていない面がある。

いずれは、地方の疲弊した都市の様に衰退する可能は高いとみる方がよいのかもしれない。

 

 

 

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ちょっと暇なので、本を読んでいた。

「檸檬」という小説があります。

「何を読んでもつまらない」というくだりがあります。

最近、どうもその傾向があります。

ああ、つまらないなと思う。

いろんな本を読んでも、心躍らない。

どこかで読んだような話。

これはこの作品の翻訳(換骨奪胎した作品という意味)だなと思うと、結末を予想しつつ、じりじりと進むと、予想が意外と当たる。

もうゲンナリでありである。

アガサクリスティの真似・・・古今東西の作品お真似多い

東野圭吾の作品を読んでいると、ワクワクする。

新作を含めて、読んでしまい今読むものが無い。

久しぶりに、「島崎藤村」の「破戒」を読んでみた。

20年ぶりである。

読んだ本は、明治時代の復刻版である。

で途中で、ふと気が付いた。

話の流れが、「罪と罰」に似ているのではないかと?

そこで、罪と罰も読みなおしてみた(暇なんでね・・。)。

最終的な「告白」という点では似ているが、実際は、主人公の犯行から告白まではの経緯と、破戒に共通点はない。

あるのは、告白して去るととい部分である。

自然主義文学と云えば、田山花袋と島崎藤村ではあるが、

有名な「木曽路はすべて山の中である」という出だしは、自然主義文学の真骨頂ともいわれるが、近年、島崎藤村の作ではなく、別に人の作品中の一文であることはばれている。

島崎藤村氏は、妻親でのち、餓死?とか産後の肥立ちが悪くなくなっている

後に、家に手伝いに来ていた姪と性的関係をもったぐらい、性的に異常な程の欲望があった人である。

その姪は、島崎藤村の子供を産んでいる。

このことを知った時に、その子孫は今でもいるのであろうかと思った。

産んだときには、島崎藤村は、パリへ留学している。

この話は、『新生』という小説に書いている。

どうも釈然としない小説であった。

芥川龍之介は、この小説の主人公を批判しているが、これは、島崎藤村本人への批判だと思えばいいかもしれない。

しかし、藤村は、その批判は、芥川の読みこみ不足であるという。

フランスからの帰国後、関係は復活している。

良く判らないのだが、島崎藤村の「破戒」を読むと、いつも、「罪と罰」がトレースされる。

「罪と罰」には、ナポレオン主義といわれる選民的な思想が語られる。

しかしながら、破戒にはその様な意識は無いように感じる。

しかし、最後に告白をするというスタイルには、「罪と罰」を換骨奪胎した感を受けるのである。

破戒は、3度ほど読んだ。

最初は、大学のころ、2回目は、20年ほど前、3回目は、数日である。

「罪と罰」は、非常に好きな小説であり、時として、読み直すことが多い。

最初は、手塚治虫氏の書いた「罪と罰」を読んで興味を持ったのである。

13歳の時である。

この時に、読めない漢字を辞書を引きつつ読んでいくと、漫画とは違った心理描写に驚いたのである。

人の心を読むことはできないが、人の心を推察することはできる。

幼いころから、嫌な子供であった小生は、人の性質を読むことが得意であった。

「性質」とは、「たち」の事である。

そんなことは、ないだろうと思って付き合っていると、徐々に化けの皮が剥がれ落ちると「ああ、やっぱり」という気になる。

そうして、時々、ドフトエフスキーの本を読んでいると、「賭博者」という小説に出会った。

「賭博者」ほど、恐ろしげな小説はないと思っている。

ドフトエフスキーの自身の経験からできた作品であり、出版の権利関係で、急遽書かれた作品ともいわれる、丁度、罪と罰の連載を始めた途中で書かれている。

車椅子に乗った金持ちのばあさんが出てくるがこれが、ルーレットにはまり込んで財産を蕩尽する。

読み進むと、賭博とは、精神の高揚と失意の取り混ぜで、きっと、普通の生活にはない高揚感が得られるのだろうと思った。

罪と罰では、ラスコールニコフは、逡巡しない、自分を正当化する。

正当化する気持ちは、金貸しのアリョーナばあさんが大金を持っている。

その金を、自分なら自分の大学への復学の為に使う。それが世のためになると、考える。

しかし、これは、犯罪者の自己弁護でしかない。

破戒には、そのあたりがない。

「丑松」は、テキサスへのがれてしまう。

何となく、罪と罰に似ているようで、似ていないと感じる。

千曲川スケッチは、よく読んだ本で、いろいろな教員が出てくる。

破戒に出てくるような教員は描かれていない。

すると、この破戒は、先述した『新生』の様な経験主義の基づく小説ではないように感じる。

モノの本を読むと、出版当時から「罪と罰」をベースにしているという主張があったと事には驚いたことがある。

比較しても島崎藤村その人の真意などは判りはしないので、勝手な論評等という気がする。

自分で比較したときに思ったことは、沢山の小説の剽窃ではないかという事である。

簡単に云えば、いいとこ取りをした小説と感ずるのである。

破戒を読むと、痛ましい事実があったことに、胸が痛むのである。

あってはならないことだと思う。

身分差別は、「苛め」の社会拡大版である。

私は個人的に、ユダヤ人の大量虐殺に対して非常に憤りを感じて今まで生きてきている。

これは、ユダヤ人差別は、欧米での民族差別である。

第二次大戦後、東欧からは、ほとんどのユダヤ人がいなくなった。

ポーランドからは、ユダヤ人、ドイツ系ポーランド人のすべてが追放された。

多くの人が、追放の途中で虐殺されている。

わたしは、自分が、勤務先で、いろいろな面で、言動から差別的に扱われていることを十分承知しているけれど、自出で差別されたことは無い。

このようなことは、無いに越したことは無いと考えるのである。

この作品を、漱石夏目金之助は、非常に高く評価したという。

どこを、どう本質的に評価したのかよくわからないが、私自身は、この作品を読んで、懊悩を知った契機であり、今でも名作だと信じてやまないのである。

一読されることをお勧めしたい。

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どこへ行く日産


日産は波乱含みが年末も続いて「どーなんるだろう」という気がする。
日産の特質は、会社を食い物にする、無責任、負けたら逃げるである。
西川君は、代表を退いた後は、こっそり自分の勢力温存を図っていたらしいが、結局、自分の息のかかった人は、三番手で、遠隔操作は失敗。
そうこうしていると、その人自身は、日本電産へ転職・・・日本電産も余程後継者不足なのだろうか、後継者予定の者をとっかえ、ひっかえして言うように思うが・・・
辞める方は、日産は魅力がないというか、西川派だから居づらいのかもしれない。
日本電産は、非常に大きな汎用モーターメーカーである。
日本電産のモーターを使用している会社は多い。
日産は、カスみたいな会社で、こんなとこの人を連れてきて大丈夫かと思うが‥どうなんだろう。
日産は、来年5車種の新車を発表するというが・・・実際の自社開発は、ノート、ジュークの後継車、と電気自動車ぐらいで、エクストレイルはまるっきり三菱、デイズは、日産と三菱の共同会社の開発である
デイズは、ガワ替えに近い。
ノートは、ヤリスに勝てるのかねぇという気がする。
当然、電氣もあるんでしょうが・・・
エクストレイルが、三菱アウトランダーの皮(ガワ)替え車輛である。
先進の技術と云っているが、中身は三菱で、エンジン制御系は、ボッシュへ丸投げである。
何となく、「三菱ふそう」のハブの断裂事件を思い出す。
外注先の工場(三菱以外の会社の下請けも受けて、同じような部品を加工している会社)の記事には、他社は、いろいろと材質や、加工精度やら厳しい注文が来るが、三菱は何も厳しいことは言わない。図面を渡されて、「ハイこれで」という記事だった。
結局、日産の決算からは、研究開発費の極端な減少は無いのだが、中身的にはどうなんだという気がする。
軽自動の開発は、三菱日産の合弁会社が行っている。
ここへの外注費が良く判らない。
又、三菱へ丸投げしている開発費は、外注費で処理しているのか、開発費なのか?
どうなんだという疑問もある。
日産は、三菱へ部材を売る場合、単価設定をあげている。
身内をダシにして設ける路線である。
もし、CASE等へ開発費を投入してるというのであれば、少しでも実用化されてもいいような気もするが、何も聞こえてこない。
借金は,膨らみきっている。
GTRは、その内無くなる可能性が高い。
だって、売れてないもの。
ジュークは、最初物凄く売れたが・・・もの好きが買って、それが終わると、急落して販売台数が伸びず、いろいろと画策したが結局、国内の後継車、なんだか良く判らしいキックス?というのが出るらしい。
ジュークの後継車は、国内の安全基準に合わないので、国内販売はしない。
キューブは・・・同じコンセプトなら、売れそうだが、後継はない。
少々誤解していたのだが、エクストレイルは、結構大きい車だったね・・
テレビない生活になので、CMを見ない。
私の知っているエクストレイルは1個前の型だった。
最近、細い道に路駐していた邪魔くさい車は、「エクストレイル」とついていた。
「ああこれが今のかぁ」である。
結構大きいなぁである、これなら、アウトランダーのガワ替えでもいいということになるんだなぁと思った。
でも、日産の開発費は、どこに消えているんだろう。
三菱さんは、開発費の総量規制を行っているが、いかに安く仕入れるのかというところに重点が移りつつあるようである。
トヨタ、ダイハツは基本的には、燃費向上、軽量化路線である。
スズキ自動車の某車の軽量化が、すさまじいので、その内容を検討を行っているらしいが、基本的に開発体制が、三菱のジープのライセンス生産時代からの「お国からの発注、規格に合わせて作る」という発想が抜けていないので、開発の手順が他社とはずいぶんと異なる。いわゆる、実用試験をして、修正を要請しても、途中で修正が効かないという悪癖がある。
三菱の自動車生産は、大変古いことは判っているが、三菱A型→乗車車生産中止→ホワイトのシャーシをコピー→重くて実用に適さなかった→軽量化してバスを生産→ふそう、である。
(戦後は、大江工場で、トヨタの外注で乗用車ボデイを生産
日産自動車のダットサンの金属ボデイ化を請け負う。
ダットサンの戦後型を生産
某社のボデイ生産
三菱500の開発は、最初、2CVのコピーから始まった。
初期のテスト車は、2CV、コピーしたエンジンを載せてテストしたが上手く行かず。
結局手堅く、戦前からよくあった夾角Vツインの発展型?といでもいうべき2気筒エンジンとなった。(形状的には、つくば號(旧ローランド號)のエンジンに似ている。)
当初の大黒柱は、Jeepのライセンス生産であった。
だからかもしれないが、三菱の設計は、他社とは違った方式を取っているのかも知れない。
一部の三菱の幹部に、現状から先行きに対する危機感を持っている者はいる様であるが、多くの幹部は、のほほんとしている。
日産は、幹部が逃げ出したという感覚を持っているのだろうか?
謎である。

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女子と小人は養い難い、と思ったクリスマス。

中央西線の特別急行列車中で、前に座った老婦人二人の話を聞くと話に聞いていた。
こちらは、眠い。
昼は、ご友人特製のお弁当・・・サンドイッチとコーヒなんで大したことないのですが・・国鉄の駅前で邂逅して
ご友人と二人でちょっと逃避行ぽく、駅の歩廊で待ち合わせ。
真知子巻きに、トレンチコート、黒いサングラス、ブーツ
こちらは、旧い革鞄に、ブーツと革のPコート、奥目隠しの丸いサングラス・・・
ご友人、「今から満州へでも逃げるみたいね」と、コロコロ笑う。
ちょっと長野県まで、共通の友人のお見舞いである。
元は、名古屋に住んでいたが、70過ぎてから、木曽谷の別荘に住むようになった。
体調が、ものすごくよろしくないからという連絡を受けたので、見に行きましょうか?というと、車で来ると危ないよという。
ついでに、ご友人を連れてこいと云うので、急遽、二人で行く事に。
ふたりで、木曽谷のお宅へ伺った。
お友達は嬉しくて仕方がないが、病状を聴いているのでこちらは暗い。
お友達は、病状を聴いてない。
指定席に座ると、特別急行なので、速い速い。
中津川まではあっという間という気がする。
そこからが長い。
多治見から乗りこんできた老婆?二人は良くしゃべる。
どうも孫娘の事らしい
旧帝大に通う、よくできる娘さんらしく、大學院生らしい。
彼氏も、同じ大学の院生らしい。
どうも熱愛モードで、困っているらしい
おばあさんは、「今の子の考えていることを判らん」と仕切りと言い。
もう一方のばあさんは、相槌を打つばかりである。
性の乱れについて、おばあさんは怒っているのだが、
お友達曰く、「本人が納得していたら、それはそれで、人生経験じゃないの?」
と小声で言う。
一人の喋っている方のおばあさんは、戦前生まれらしい、80過ぎらしい
もう一人の方は、戦後生まれの、末っ子の妹らしい。
どうも、松本の親戚のところへ見舞に行くらしい。
80過ぎのおばあさんは、結婚前の純潔を仕切りと述べて、「私も、うちの娘のそうだったのに、なんであの娘(孫娘も事らしい)は、・・・」という。
70過ぎの方は、「ねぇさま、今の子は進んどるでねぇ」という
「そんなことを、いかん」「旧帝大生かしらんけど、どうせ捨てられるわ」とまでいう。
このばあさん、20過ぎた成人した、大人の選択を鼻で笑う。
おまけに、孫娘は捨てられると決めつけている。
孫はかわいいが、自分の意に添わなければ、不幸になればいいという云い方をしているようにしか聞こえない。
捨てられるか捨てられないかは、どうでもいいと思う。

うちの若い衆の女の子二人は、二人とも、大学時代から付き合っていた先輩、同級生と結婚しているので、大学時代につき合うからと云って、即、悪いとも思えない。

ついでに言うのであれば、その二人には、「結婚する前に、半年ぐらい同棲した方がよくないかと?」と云った。
これは、自分の経験則から出た言葉である。
多くの場合は、そんなことは無いというかもしれないが、実際は、一緒に暮らすようになって、後悔することが多いのではないかと思う。
そこは、寛容の心でとかいう人がいるが、寛容とはある意味、譲歩である。
譲歩することは、容易(たやす)いが、実際、譲歩ばかりすることはできない。
私には無理である、そう思うと、最近の風潮である、「寛容」しなさいという風潮には、拒否反応を示したくなる。
不寛容な部分は誰にでもあるので、そこの部分に踏み込まれると、嫌な気分がすることがある。

私は基本的に人を見る目がない。
人の出会いは人それぞれで、良ければ続くし、悪ければ途中で終わるのではないかと思う。
例えば、嫌だなぁと思いながらも利用したい人がいる場合、やはり途中でこの野郎はダメだと思うともうダメである。昔から途切れない模型の友人や、クルマの友人、最近お付き合いのある人たちは、基本的には打算がない、非常に誠実であると思う。

裏表があるかどうかは、判りはしないが、いい人たちだと思う。出来得れば、長々とお付き合い願えればなぁと思う。

閑話休題

結局、二人のばあさんは、同じことを延々と繰り返しているだけであったが、70過ぎのばあさんが、

「今の若い子には、生き方とか、若い子の価値観があるんじゃないの」というと

80過ぎのばあさんは、「じゃあ、私の考えは、旧いというの、理解できないってことは、私は、馬鹿てこと?」と、の賜(たまわ)る。

この老婆、自分の御価値観が唯一絶対だと思い込んでいる風情がある。

この時、女子と小人は養い難しという言葉を思い出した。

話にならないのだが、女性の純潔主義は、明治維新後の発想である。

その辺のことを講釈してやろうか思ったら、ご友人が、「寒いわね」と言って、にこっりと笑った顔を見たら、どうでもよくなった。

ちなみに、見舞いに行った先の爺さんは、ぴんぴんしていた。

言いぐさが、「それぐらい言わないと来ないだろ?」と

食えない爺さんだと思うが、2時間ほど滞在して、帰ることにした。

駅まで送ってもらったら、駅の歩廊で少しよろけたのを見て、「名古屋に帰ってきたら?」というと。

「空(そら)が、ないからなぁ」と、智恵子の様な事を云う。

歩廊で手を振ってくれた。

古い人だなぁと思う。

帰りは、名古屋駅で食事でもと云うことにあっていたが、別段予約もしてない。

パフェが食べたいと云うので、某お店に行くと結構込んでいた。

待つの?

と聞くと、「うーん」親御さんへのお土産買って渡して、結局、鶏肉食べて帰ることに・・・・

その時に、ご友人曰く、あのおばさんたち、あの話しながら行ったのかなぁと

「あなた、女子と小人は、養い難し、て思ったでしょう。」と云いながら、ニッと笑った。

「私、養われてないから、成長したでしょ?」と言われた。

お友達を、地下鉄の駅から家まで送っていくと、上がると面倒なので、そののまま帰ると事にした。

ちょっと寂しい気がした。

 

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ベンジャミン(フランス車)を模倣したダットソン

日産の青地、赤丸長方形に「DATSUN」のマーク(現在は、「NISSAN」と入っているがもともとは「DATSUN」である。

 

実用自動車(大坂)が製作した小型車のダット號が原型である

 

快進社(橋本増次郎氏)の作っていたDATCAR(脱兎號)とは直接のかかわりはない。

 

最初DATCARは、7名ほどの小さな会社で,小型乗用車の製造をもくろんだが、うまくゆかず、軍用自動車へ傾注する。

 

実用自動車製造株式会社(大正8年7月に資本金100万円で、設立した。)は、ゴルハム氏に任せていた自動車製作が失敗続きで経営が悪化したので、小型車では食えないとという事から軍用保護自動車の製作を思い立った。
その時に、快進社は、軍用保護自動車の資格を取ったが設備がなくて生産ができず、製造は中止していた。
快進社のDATCARの製造権を、実用自動車は購入したが、後の日産が売っていた「DATSUN」とは全く別物のである。
陸軍の仲介で、快進社の資格を買い取る形で、快進社と実用自動車製造が合併した。
合併と云えるのは、快進社の橋本増次郎が、合併会社の役員として入っていたからである。
そうしてできたのは、ダット自動車製造株式会社である。
フォードとシボレーのパーツや軍用保護自動車を製造する会社として再出発であった。
しかし、軍用保護自動車を生産するだけでは採算が取れないというで、実用自動車時代に、一時期断念した小型車の生産を計画した。
これは、昭和3年から4年ぐらいに,原価計1000円以下の単価の小型車の生産の生産を画策したのである。
そこで、DATSONが生まれる。
何となく日産の社史を読んでもどこの資料を読んでも、なんとなくスルーされている部分である。

 

以前、日本の戦前の合金の事を調べていた時に、ニッケル時報社の本を読んだ時に、情報としての合金の技術があったことが分かったことは大きな収穫であった。
この冊子には、ダットサンの小型車で、アルミニュウムパーツをどの部分に使っていたのかが記載されていたことに驚いた。
戸畑鋳物の関係であろうか、とにかくアルミの鋳造パーツが多い。
シリンダーブロックが、アルミというのは笑ってしまう。

 

最初のDATSON號は、フランスのベンジャミンという車を模倣したと言われている。
ベンジャミンは、1921年に、モーリスジャンソンとい実業家によって設立された会社です。
第一次大戦中は、水上飛行機を設計、製造していたしたヴォルテールにあるアニエール工場の閉鎖を避けるために、サイクルカーの生産に目を向けた。
パリにはモンマルトル大通り11番地に展示ホールがありました。
いくつかのタイプを出していますが、ダット自動車製造が参考にしたと思う割れるのは2種類ほどしかない
タイプA 751㏄4気筒、(1921年)
タイプB 547cc 2気筒(1922年)
タイプC 950cc4気筒のスポーツバージョン(1922年)、
この2気筒エンジンは、ベンツ式と云うかパナールルバッソールのエンジン(ベンツからパテントを買って製造したエンジン)を2気筒にしたような形状である。
サイクルカーが基本の為に、小型車のママでした。この時点で、「オールスチール」ボディを製作していました。

 

しかし、このシリーズはある程度成功したようで、1924年からP2(P2 Duplexタイプ6/12 hp、2ストローク750 ccツインシリンダー),P3(P3 Triplex 9/18タイプ、3シリンダー、2ストローク、排気量1,125 cc)モデルを販売していました。これは、戦後の不況から脱して、収入のレベルが向上したことで、安い車をわざわざ買う必要性が無くなったからです。新型の生産の為に新工場を断ちあげましたが。しかしながら、シトロエンの巨大な資本に対応ることは難しかった様である。
1927年には、一度倒産の危機に瀕するが、ブランド名のベノバに変えて再出発する。
しかし1931年ついに倒産してしまう。
このベンジャミンのエンジンは当初2種類あったことがわかる
751cc(4気筒)と547cc(2気筒)である。
四気筒の図面が見つからないので何とも言えないが、2気筒は直立2気筒である。
夾角のV型ではなくて、完全な直立2気筒である。
ヘッド形状が、パナールルバッソールの4気筒エンジンとそっくりなので、ベンツの4気筒を、2気筒にしたように見える。
ダットソン號 試作第一号(昭和5年10月完成)は、水冷4気筒495cc 10PS/3700rpm
ダットソン號 試作第二號(昭和6年8月完成)
ダットサン(10型)昭和7年 上記1號2號のシャーシエンジンを使用した8台分の販売である。
つまり、ダットソン1号車から10号車までは、495㏄のベンジャミンのエンジンをスケールダウンして模倣したものを使用していたと言えるのではないと想像している
昭和8(1933)年以降の12型以降は、747cc12ps 3000rpmとなる。
この時から、オースチンエンジン模倣版を搭載した可能性が高い
12型は、戸畑鋳物自動車部の横浜工場製である。
後の拡大版は、明らかに、オースチンの模倣であるが、パーツに互換性はない。

 

 

 

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マナーが悪いのは一般車だけでではない。

其の昔、名古屋市東区にあった「G運送」は要注意の運送会社だった。

当て逃げ平気であった。

ある官公署の車輛担当曰く、最低だねと

自分のところがぶつかってきても一切知らんふりで、逃げる。

ぶつけるとたちが悪い、保証しろとすぐに云いう。

三河の「O通運」は、下請けの質(たち)が悪い。

下請けの社員は、人間のクズが多い。

某トヨタ自動車〇〇工場へ納品するレクサス用のCPUの入ったワンパレットをフォークリフト扱いが雑で、トラックから落としてパレットごと倒した。

で、運転手は、ウイングボデイで、片側を開けたままシートシャッター通過、シャッター壊して、逃げた。

損害、云千万円。

やった奴はそのまま、クルマ放置して逃げる

元請けは、6割、下請け4割負担で、元請けがとりあえず負担・・・

この会社の社員の運転がひどかった。

豊田市内で、車線変更するときにウインカー出さないカーブ廻る時に、インベタで、タイヤ踊りながら通過。

信号無視は当たり前・・・社長がクズだったので、社員もクズしかいなかった。

岐阜の〇濃地方の運送屋は、横着な運転で有名である。

車線変更は、ウインカーなし

かぶせるように車線変更をする、事故があると、責任回避、示談には応じない。

過積載、過重労働当たり前、残業なんてあたり前。

長距離運転、居眠り運転で事故になると、会社はちゃんと指導をしていたと抜かすのである。

この会社、信号替わった直前に通過するのが得意である。

黄色は注意して進めという感覚らしい。

赤は、クルマいなければいいくらいの感覚である。

こっれらの会社は基本的に非常に無理な運行計画を立てていることが多い。

マナーが異様に悪いのは、最近ダンプトラックの荒い運転が目に留まる。

先日、ダンプがカーブ―をドリフトっぽく走って、バーストしたのを見たが、乗用車みたいに運転する馬鹿がいる。

北海道から出稼ぎに来るダンプは最低である。

後ろの 例えば、「旭川〇〇〇〇」という番号を見えいないようにている。

この記載は、昭和30年代にダンプトラックのひき逃げ事故が多発して、ナンバープレートが見えないので導入された登録番号である。

最近わざと読みにく書いているのがいるが、あれはダメだと思う。

タイヤが坊主のダンプが、雨の日にふらふらしながら走っているのを見たことがある。

中小の運送屋の大型トラックは、タイヤが坊主の車が本当に多い。

警察も取り締まれよといいたが、この時期、忙しくて無理だろうなと思う。

一人親方の乗るワンボックスは、運転は荒い。

道具満載で、重い癖に、制動距離が長いのに、スピードを出す。

やたらと車線変更をする、スラロームしているのだが、戻りが悪く、一テンポ遅い。

スリ抜けが多い。

人が歩いている横断歩道の信号は無視する。

怒鳴ると、止まって、怒鳴り返すので、近づいていくと降りてくるが、写真撮ると逃げる。

こちらが得物持っていると、来ない。

ほぼ、毎日通勤経路の歩道で遭遇したので、動画取って、通報してやったことがある。

煽るのは当たり前、オラオラ運転がものすごく多い。

近所の親方は、よくベランダで電話で話をしている。

コイツ、数年前に、奥さんと子供に逃げられた。

話をしている内容が丸聞こえなのでが、別れた奥さんと話をしているらしい。

この間は、フイリッピンの女を連れ込んで嬌声をあげたいた。

少し前までは、サクシードだったが、1年ぐらい前にベンツを買った。

面白いのは、アパートの壁面にライト付きのカメラ?設置して、盗難予防をしている。

この馬鹿、一方通行をベンツで出かけるも、サクシードで出ていくときも数メートルの距離を逆走して出ていく。

個人事業者で、クルマがないと、免許がないと困るくせに、平気で違反を積み重ねるのは人間かクズだからだろうか?

最近歩多いのが、車検を取ってない車が多い 車検取ってないとという事は、強制保険も入ってないという事である。

迷惑極まりないが、この手の者は、金がないので受けられない、その他の諸経費も払えない。

無車検で運行してのを見つかると、警察に文句を言う。

自分が悪いなんて思わない。

基本的に、順法精神は無い。

住宅街で、歩道に車を平気で止めている。

周囲からは、キ印のオジサンといわれているので、周りの人は、トラブルを避けたいので警察に通報もしない。

この手の者は、他人の迷惑なんて考えない。

自分さえ良ければよいという感覚が横溢(おういつ)している。

自己中心的で、他人は批判するだけの存在である。

ましてや、自分の感覚、気分でしか、ものをいわない。

主張は意味不明である。

女性のドライバーのマナーも悪い。

横断歩道を渡っていて、横切る女性ドライバーの多いこと多い事。

これは、愛知、三重、岐阜に限らない。

高齢者と、女性ドライバーは要注意である。

今日も、眼鏡かけた、40過ぎのババアが、目のまえを平気位で通過していった。

歩行者を轢いた時のリスク考えないのか狭窄視野見えていないのか?

今日のババアはちゃんと目があったので、見ていたと思う。

例えば、2車線が工事等で、1車線になっていると、まず、入れてくれないのは、女性、その次が、ジジイ、その次は、日ごろ車なんか運転しそうもないようなおっさん、1台ぐらい入れても着く時間を1時間も変わらんだろうと思うのだが、意固地に入れてくれない。

女性のドライバーは、入れなと、睨む、クラクションを鳴らして、無理やり入ろうとする、ひどいのは突っ込んでくる。

一時停止を無視して突っ込んでくるババアもいる。

大昔、ご友人の運転で、41号線を走っていてると、路地から、一時停止をしないで出てきたババアに突っ込まれた事がある。

新車のファエアレデイZ(Z32)に、若葉マーク

前に車が一台もいなくて、ほぼ制限速度で走っていたら、急に飛び出してきた。

危ないとと叫ぶと同時に、ドカーン、てな感じである

こちらのクルマは、型落ちのクラウン、便乗なので、助手席。

わたくし、当然の様に打撲。

運転してた友人も打撲・・

結局、側面衝突で、後部ドア、後部フェンダーがが挫滅で、車が廃車になった。

この時のババアの言い草すごい、「私が出て行こうとしたら、急に飛び出して来た」

警察官が、一時停止しましたかと聞くと、

ババア、一時停止なんてしたことがないとの賜った。

41号線の方が優先である、ババアの方は、41号線に接道している路地なので、一時停止してからが原則である。

このババア、ケガなんかしてないよねと、何度も言っていた。

こちらは腕に割れたガラスが引っかかって切れて血が出ていたる。

最初は、2:8といわれたが、最終的には、0:9になったそうである。

このババア、自分の車がすべてに優先すと思い込んでいたようである。

聴けば、免許取得から、3ケ月目で、人身事故で、免許は無くなったそうである。

かくして、思う事は、路上は基本的にはゆずり合いの精神がないと非常に厳しいものを感じることがある。

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岐阜県の交通事情など

岐阜に勤務していたころ散々書いた。
或計測
http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2017/10/post-d87e.html

 

きょうの岐阜県歩道状況
http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2019/03/post-173d.html

 

岐阜県の横断歩道の停車率が低くて笑える
http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2019/03/post-01fe.html

 

何度か書いていすが、田舎へ行けば行くほど、年寄り多い地域へ行へば行くほど、自動車のオラオラ感は募ります。
岐阜市に長く住んでいる人に聞いても、信号のない横断歩道で待っているとほぼ100%止まらない。
信号が青で横断中でも平気で前を横切る。
危ないなんて通り越している、ものすごく危険な状態である。
それらの田舎者が、名古屋市内を走ると、信号は無視する、横断者がいても平気で通過する。
信号で横断中でも平気で横切る。
田舎だと、信号と信号幅が長いのか、信号を見落とす。
愛知県ナンバーでも、三河、豊田、尾張小牧は危ない
年齢層で言えば、団塊の世代以上が危ない。
信号のない交差点を渡っていると、かなり離れたところから進んでくる車に止まる気配はない時がある。
すると、こちらは横断歩道上で止まることになる。
先日、と云うか1か月ほど前、信号ない横断歩道を渡っていると、岐阜ナンバーのボンゴが来た。
渡りかけた方の車道の車(名古屋ナンバーのマセラッテイ)は、横断歩道まっていると、フツーに止まった。
右手を軽く上げて、ありがとうという仕草で横断し、始めると、反対車線には、商用車が見えたので、歩速を緩めた。
止まる気配がなかったからである。
すると、横断歩道の店前で気がいたようで、目の前で、ハンドを切りながら横断歩道を通過・・・
タブレット見ながら運転したようである。
こちらは、口の中で口汚く罵って、見送った・・・・すると
ちゃんと、取り締まり路線だったようで、10メートルほど先で、捕まっていた。
「ざまぁみろ」である。
最近は注意していても、危ないと思うことしきりである。

 

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快進社「ダット號(脱兎號)から、実用自動車製造、戸畑鋳物自動車部 小史

快進社について 1911(明治44)年、橋本増二郎は、男爵田健次郎、青山祿郎、竹内明太郎の支援で、快進社自動車工場を設立した。 1914(大正3)年、脱兎號を発表した。エンジンを含めた國産量産乗用車第一号であった。 1918(大正7)年、株式会社快進社を設立、資本金は60万円であった。 田健次郎のD,青山祿郎のA,竹内明太郎のTの出資でから生まれた車だから、DATCARであった。最初DATCARは、7名ほどの小さな会社で、町工場のレベルで、ハンドメイドでの車製造であった。 小型車だけでは食えないという事で軍用保護自動車の製造に着手した。 当初は、陸軍の規格上の問題で採用されなかった。 後に、軍用保護自動車として、ダット3/4トントラック(小型トラックではない)の製造を開始した。 日本全国で、國産自動車(トラック)の年産200台にも満たないぐらいの少量生産であった。 製造技術は、米国、欧州の自動車生産と比較できないほど低レベルであった。 減資により、大正15年7月 合資会社ダット自動車商会へ改組 実用自動車製造について 1919(大正8)年7月、実用自動車製造株式会社は、大阪で、資本金100万円で設立。 実用自動車製造は、久保田鉄工の関係会社であった。 ゴルハム氏に任せていた自動車製作が失敗続きで経営が悪化したので、小型車では食えないという事から軍用保護自動車の製作を思い立った。 快進社は、軍用保護自動車の資格を取ったが設備がなくて大量生産ができなかった。 ダット自動車製造株式会社について DATSUNの小型車は、快進社(橋本増次郎氏)の作っていたDATCAR(脱兎號:トラック)とは直接のかかわりはない。 米国のFORD,シボレー(GM)の進出で会社が危なくなり、1926(大正15)年、陸軍の仲介で、快進社の資格を買い取る形で、快進社と実用自動車製造が合併した。 合併と云えるのは、快進社の橋本増次郎が、合併会社の役員として入っていたからである。 そうしてできたのは、ダット自動車製造株式会社である。 そこで「DAT」の意味は変わる。 DATは、頭文字の意味も変えた。 Durable:耐久性がある Attractive:魅力的な Trustworthy:信頼できる 社名は、名前の通っていたダットを使用して、ダット自動車製造となった。 この時、実用自動車製造の大阪本社が、本社として登録される。 フォードとシボレーのパーツや軍用保護自動車を製造する会社として再出発であった。 しかし、軍用保護自動車を生産するだけでは採算が取れないというで、一時期断念した小型車の生産を計画した。 これは、昭和3年から4年ぐらいに,原価計1000円以下の単価の小型車の生産の生産を画策し、1931(昭和6)年8月に小型乗用車の試作車が完成した。1930(昭和5)年10月技術長 後藤敬義乃設計により500CC級の小型車を開発 フランスの小型車を参考したと言われる。 実用自動車(大坂)が製作した小型車のダット號(1号)が原型である。 ダット軍用自動は大型のトラックであったが、小型車でありその息子という意味で、車名を「DATの息子」の意味のDATSON(ダットソン)とした。1931(昭和6)年8月8日フェートン型の乗用車を完成させて2号車とした。 1号も、2号も、車輪は、打ち抜きホイールであった。 1931(昭和6)年10月頃、四国の医師が購入したといわれる。 ダット自動車製造のマリアブルは、戸畑鋳物、特殊鋼は安来製鋼から購入していた。 試作の1号車、2号車を見て、興味を持った者がいた。 戸畑鋳物の営業部長 山本惣治氏が、興味を持った。 山本部長の興味は、鮎川義介に伝えられた。 1931(昭和6)年8月には、ダット自動車製造の株式を、久保井田権四郎から購入して経営上の支配権を得た。しかし、支配権は得たが、合併をしたわけではない。 後藤氏は、経営権の移転など関係なく研究を続けていた。 その時、実用自動車から、戸畑鋳物に移籍していたゴーハム氏の指導を受けて1号2号試作車を改良し、後輪をデスクホイールに交換した試作車を生産した。 この車両は8台生産された。 1932(昭和7)年3月、DATSONのSON(ソン)は、損につながるので、ダットサン商会によって「ダットサン」と命名されSONを、景気のよい太陽、SUN、読み替えた。 息子(SON)が、太陽(SUN)に変わった。 丁度、悪原→芦原→吉原の字づらを替えて、「吉」とする例にたがわない。 ダットソン、2台、ダットサン8台の試作は、後のダットサンを原型となった。 この8台は、10型 セダン、ロードスターA型、ロードスターB型、フェートンA型、フェートンB型、クーペ型特製の乗用車1台、小荷物運搬車、 11型フェートン乗用車であった。 戸畑鋳物について 戸畑鋳物(当時は、九州戸畑で製造)は、トバタ號石油発動機を製造販売していた。 このトバタ號石油発動機は、久保田鐡工場の生産する石油発動機は、双璧をなす状態であった。 戸畑鋳物の創始者である鮎川儀介は、「日本産業、戸畑鋳物の様な学校出の高級鳥の多い会社が、安い石油発動機など作ってもしょうがない、したがって、戸畑鋳物は石油発動機を止めて、自動車エンジンの製造販売に移るべき。」という話をした。この時、石油発動きの売り先として、山岡(ヤンマー)に譲るように画策したが失敗。そこで、鮎川は、競争相手であった久保田鉄工所に売却することになった。その時に、鮎川は、石油発動機を止めて、自動車エンジンを作るという話をして、トバタ印の営業権一切、設計を譲渡する算段がまとまった。 この時に、久保田鉄工の久保田氏は、「実は、ダット自動車製造という会社を持っているが、これは難しい仕事であるけれども、戸畑鋳物で引き取ってもらいたいという話が出た。 ここから、戸畑鋳物はダット自動車製造の経営に参加することになる。 1938(昭和8)年2月 戸畑鋳物大阪工場内に、自動車部設けた。 山本惣治氏が、部長となった。 自動車工業株式会社について その時には、陸軍省の斡旋で、ダット自動車製造、石川島自動車、東京瓦斯電氣の合併が画策されていた。 鮎川が、陸軍の周旋を受けて、石川島の渋沢正雄、東京瓦斯電氣の松方五郎に話を持って行った。 石川島の希望は東京瓦斯電氣との合併で、ダットは付け足しであった。 三社合意後、東京瓦斯電氣は、自社から自動車部のみを切り離すことが、主債権者の十五銀行の破綻の関係で、合併から離脱。 この件で鮎川氏は、激怒したといわれる ダット自動車製作所は、大阪に工場を有していたので、この工場を現物出資すると主張した、製造設備を、石川島は無価値と判断していた。 合併前には、ダット自動車製造は、製造を中止していて、工場は閉められていた。 結果、戸畑鋳物は、現物出資では無くて、機械設備の評価額70万円を出資することとなった(大型のミリングマシン1台は、現物出資となった)。 昭和8年3月1日に自動車工業株式会社として 資本金320万円で設立された。 戸畑鋳物自動車部について この時、ダット自動車製造の持っていた、軍用保護自動車のダットトラックと小型車のダットサンの製造権は、「自動車工業株式会社」に移った。 しかし、「自動車工業株式会社」は、ダットの「ダットサン(小型車)を製造する意思はなかったので、ダットサンの製造権はいらないという事になっていた。戸畑鋳物は、ガソリン発動機をやめて、ダット自動車製造も合併で失った、自動車が当分作れないという話をしていたところ、自動車工業株式会社は、ダットさんはいらないという事で、戸畑鋳物が製造権の返還を受けた。 石川島が持って行かなかった設備がそのまま残っていいたので、久保田篤次郎、山本惣治の二名が中心となって、旧ダット自動車製造の大阪工場の設備を基にして、戸畑鋳物自動部大阪工場が誕生する。ダットのサンの製造権は、昭和8年9月に日本産業が取得(昭和8年3月の遡っての取得となった。) 日本産業は、昭和8年3月に横浜工場を設立する目的で、戸畑鋳物自動車部が設立されていた。 大阪も、横浜もダットさんの製造を始めるが、乗用車は売れないので、シャーシをトラックに改造して販売を始めた。 これは軌道に乗り、販売会社を立ち上げることとなった。 これが後の日産自動車の創立につながるのである。 このように詳細に歴史を見ていくと、快進社と日産自動車の関係は、直接的には関係がなく、単に、ダットの名前を引き継いだだけの会社という事がわかる。

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くろいとり、ブラックバードの事など

黒い鳥
近況
最近、出現していなかったので、最近。どーしてんだろうねぇ・・という話があった。
車が事故ったのか?とかいろいろとうわさがありましたが・・・
結局、生きてて車も無事と分かりショックでしたね。
生きてて車も事故ってない事が分かった時点で、話題になるところがすごい。

新〇子サンデーにモデルさん二人連れてきていた云う噂は、即聞いた。

で、先日、ご友人から、主催の方からある照会が、

「旧車に乗っている人で、モデルの〇〇さんにメッセージや電話をかけてきてストーカー行為をしている人がいると…どんな人ですか・・」と
そこで、友人は、今までの事実関係を伝達

某博物館のアテンドさんへのストーキング、警察への通報等をお伝えになったそうである。

ちょっと怖いのは、メッセージや電話番号をどうやって知ったのかという事である。

フェイスブックのメッセンジャー機能を使えば電話はできるのでその手の手段かとも思うが、気持ち悪い。

おかげで、このモデルさんもう呼べないとというところまで話が進んでいる。

この黒い鳥、言っちゃあ悪いが、見た目が、気持ち悪い。

たらたらのジャンパー着て、ずるっとしたズボン、髪は鳥の巣。

顔は異様に黒い。

毎回、2万円だか、3万円でモデルを雇い、コンデジ、スマホで、モデル撮影をしている。

あるイベントで、主催者にはではなくて、施設管理者に、あるイベントで、モデル撮影会を開きたい、参加料はいらないからやらせてほしいと

言ってきた。

当然の様に、お断りした。

女に飢えているのか、注目を浴びたのか。

モデルを餌に、モデルに近寄って来る男と話がしたいのか?

話をするきっかけが欲しいのと、注目を浴びたくてしょうがないのは良く判る。

クルマのイベントに来る女性の間では、変態扱いである。

女性なら、挨拶でもしようものなら、独身女性だろうが、人妻だろうがお構いなく、よりつついていく。

予想であるが、このモデルさんは、黒い鳥に、営業スマイルでも投げたのではないかと思う。馬鹿だから、勘違いと云うか、漫画の読みすぎと

云うか、脳内転換がおかしいと云うか・・・職工さんで単純作業ばかりしているので脳内の処理方式が単純化され過ぎているのかもしれない

が、自分に好意を抱いていると思い込む。

次にどこかのイベントで会いでもしようものなら・・図々しく寄ってくる。

また、ショートブログ?を読むと、人に喧嘩売ってのか?というモードの文章が多いです。

文書にもなってないので・・余計に意味不明な文字が並ぶ。

事故にあった車を直す話を書いていたが、愛情があるなら事故った車をいくらかかってでも直すのではないか的な話を書いていたが、20年ぐら

い前の車を直す、直さないというときに、パーツの問題とそこまで治す金を投ずるべきものかを判断して、同じような車があれば、そちらを

買った方が遥かに安ければ、事故車は廃車、別の中古を買うという手段がある。

大体、黒い鳥が、いくら300万円かけてクルマ直した人がいますけどと云っても、全然、心に訴えてこない。

だって、コンパデジタルカメラと、スマホでしか写真を撮らないような奴・・・中古のデジタルカメラが数万円で買えると言って、それを買う

事さえ躊躇している奴が、クルマの修理に何百万円出すのが愛情表現と云われても、お前出せるのか?と聞いてやりたい。

某ポンコツ会社の大衆車をこよなく愛しているのだが、他の人が持っている車については。

○○さんが、死んだら譲ってくださいと云い振らしているのは有名である。

(本人は、そんな事言っていないと否定していますが、それに類したことは言っているようです。)

また、モデルさん二人の真ん中で、写っている写真をあげているのだが‥なぜか自分をぼかして居る・・・良く判らん人です。

みんなで、出入り禁止にしたいですね。

ホント

 

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日産ルノーは置いてきぼり?

フィアット、クライスラーグループとプジョーシトロエングループが経営統合しました。

最初は、ルノーと組むつもりだったんでしょうが、阿呆な日産のおかげで、経営統合はできませんでした。

考えようによっては、フランス政府のゴリゴリ自己保身主義と、日産というインチキ会社のより、プジョーシトロエンという民間企業とくっついた方がよかったと思う。

日産の歴史を調べると、セコイと云うか、嘘つきというか、どうするという交友企業風洞が育つのかと思ってしまう。

先日資料を読んでいると面白い記事が散見された。

戦前、トヨタ日産は、ライバルとという関係ではなくて、新車ができるとお互いに見せ合って、技術者の交流があったそうである。

陸軍が行った、トラックの試験の時にトヨタのエンジンは國産メタルの性能が悪くて、焼き付いたそうである。

日産のトラックはメタルが焼き付かなかった。

その理由が振るっている

トヨタは、生産した車両から引き出して、試験を受けた。

日産は、メタルを温存してあった米国製のメタルを組みこんだエンジンを積んだトラックを持ち込んでいた。

ここで、トヨタは、國産メタルの研究にまい進したそうである。

日産は、大同メタルが、メタルを売り込みに行くと、うちでも研究しているからいらないといった。

しかし、メタルの研究が一朝一夕にできるはずもなく、戦時統制が始まり、輸入したメタルの在庫が減ると、結局、大同メタルへ部品の発注を0行ったということであった。

戦時中に、陸軍、商工省、トヨタ、日産等のトラック製造メーカーの座談会が開かれていた記事によれば、エンジン再生時に、ブロックのボーリングを行うことがあると、トヨタと日産では明らかな違いがあったということである。

日産の純国産のエンジンブロックは、材質が柔らくて加工がしやすい。

トヨタのエンジンブロックは非常に硬くてボーリングができないとぼやいている。

陸軍の自動車部隊の修理能力が低かった点を考えれば、簡単にボーリングできてしまう日産のブロックは、簡単に摩耗するダメなエンジンで、トヨタのエンジンは耐摩耗性に優れていたということであろう。

また日本製のトラックがよく故障をしたと云う記事を戦後の文献ではよく読むのだが、これまた酷い中傷であることがわかる。

例えば、リーフスプリングが折れるという故障原因は、リーフスプリングを固定しているボルトナットのゆるみを放置することでパーツが悪路で踊って、ボルトが破損する、スプリングが折れるということに他ならない。

根本的には、米国製のパーツと比べて、耐久性精度で劣っていたと云事が最大の原因である。

リーフスプリングは、米国のシボレー、フォードに使われているものと比べると、強度的には90から80%ほどであった。

日本国内の市販の國産パーツは、強度的には50%程度であったという記録がある。

当時の国内の製鉄メーカーは、材質的な面で、かなり劣っていたのは事実である。

薄板鋼板に、穴が開いていたという事があったり、焼き入れの温度が一定に保てないので、一枚の板で、途中で硬さが違うなんてこともあった。

川崎製鉄が、結構頑張っていたが、均一なねつしょるができるようになるのは、戦後の事である。

しかも、国産の鋼材は高かった。

価格的には、米国製のほぼ倍であった。

戦時中、日産は米国から輸入したシャーシに使う自動車用の部材を温存していた。

陸軍は、その一部の鋼材は輸入が途絶した以降、戦略物資として指定して管理していいた。

(トヨタでも、戦前輸入したボデイ用の鋼板は、戦時中使い道がなくて、温存してあって、戦後使用した。)

日産は戦後、ダットサンの小型車を、木骨からオールスチール製のボデイに変更することを考えた。

日産は、日産70型で、オールスチール製のボデイを経験しているはずであるが、生産設備一式を買い込んで作っただけなので、経験はないに等しい。

そこで、現在の三菱自動車(当時中日本重工業)に、ボデイの設計、製造を発注した。

当時の三菱には、金属ボデイを作るノウハウはない。

しかし、研究して完成させた。

一時期、ダットサンは、大江で作られていたという事にな。

しかし、日産はその事実をひた隠しに隠す。

日産は、改進社、ダット自動車製造の事を、よく「前史」というが、実際は、快進社のDAT號とDATSUNには直接の関係は皆無である。

DATの部分が共通しているだけである。

これは製造を中止していた快進社からトラックの製造権を買って、ダット自動車製造ができて、ダットの子供という事で、DATSON

この頃、FORDは、トラクター等を生産していたが、これらのトラクターは、FORDの子供という事で、FORDSONという名前を使っていた。

だからこそ、DATは、DAT號のDATにSONをつけて、DATSONとした。

SONは、損に通じるという事から、SUNに変えたのである。

戸畑鋳物がDAT自動車製造を買収したが、DAT自動車製造は、石川島との合併により、自動車製造となる。

合併時に、石川島としては、DATの製造権は取得したが、DATの車をつくる気がなかったので、放置されていた。

ここで、戸畑鋳物自動車部は、製造しないDATSUNの製造権を、無償で譲り受けた。

 

つづく

 

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最近の横断歩道・・・

名古屋市内と云うか、全国津々浦々、横断者保護の交通指導がなされている。

信号のない横断歩道は、横断歩道を渡る気配を見せれば、ほぼ100%停車する。

ところがである。

今週は、毎日数回、横断中に目の前を車が通過するという珍事があった。

同じ場所である。

朝と帰りに必ず通る横断歩道。

東西に走る道路で、裏道的な存在である。

2車線対面交通である自転車の走行帯は無い。

全線、駐車禁止ラインあり

横断歩道は、南北に掛かっている、信号は無い。

横断者注意の立て看板がある。

近くに高校があるのと、住宅街から地下鉄の駅につながる道なので人通りが多い。

横断歩道を渡る者も多い。

日中、ものすごく、よく取り締まりをしている。

警察官の新人研修の様な場面に出会ったことさえある。

ここは、クルマの交通量がものすごく多い、ほぼ途切れることがない。

今週の月曜日

東行きの方から来た車は止まった。

西行きの車は、横断歩道の前に数人人立っているのにもかかわらず、1台通過

岐阜ナンバーの黒プリウス、運転してたのは金髪のデブ

後続車両は止まった

火曜日

西行き止まった、東行きの車、止まらない。

日産の黒リーフ、これまた岐阜ナンバー、おばさん運転

水曜日

東行き、停車、西行き、止まらない。

西行きの先の大通りの信号は、青・・・

岐阜ナンバーのADバン、後続の春日井ナンバーのマーチ通過

ADバン、労務者風のオジサンが運転、助手席は、ダッシュボードに足載せてました。

マーチ、枯れ葉仕様、ばあさん・・・・

渡っている途中で、岐阜ナンバーのボンゴ突っ込んできたので、横断歩道上で急停止したら、向こうも急ブレーキ。

ダッシュボートにスマホの明るい画面が躍るのが見えた。

水曜日

東行き、名古屋の二けたで、若葉マークのシルバーマーチ・・運転しているのばぁさん完全に、横断歩道無視

西行き、品川ナンバーのプリウス、猛スピードで通過…大通りの信号が青なので、横断者なんて眼中にない感じ。

東行き、岐阜ナンバーのインフィニテイ、横断歩道手前で、止まりかけて、そのまま進む。

運転してたのは、爺さん

西行き皆さん停止

木曜日

東行き、黒いプリウス、赤線が入っている、スペシャル??、これまた金髪のデブと、若いねぇちゃん。

その先の信号も無視

西行き、珍しく車居ない。

午後2時

東行き、さっさと止まる

西行き、横断報道の手前で減速、横断中の目の前を横断加速して通過。

ブルーのレクサス、運転手は、枯れ葉マークは無いけれど、爺さんばあさん夫婦。

こう見てい見ると、岐阜県ナンバーが多い

信号のある横断歩道を歩行中に、目前を通過する馬鹿は、岐阜ナンバーが多い。

ついでに年寄りの歩行者無視が多い・・・

月から木の4日間、6回目の前を通過された。

全部、岐阜ナンバーの商用車。

「ええ加減にしてけよ」と云いたい。

幹線道の信号を渡っていると、目の前を、三重ナンバーのスカイラインが通過・・・全然減速していない・・・もう少し前を歩いていたら跳ねられるところだった。

こうしてみると、やはり、、三重、岐阜は、横断者が保護されない地域である。

ボタン式の信号ある交差点の信号が替わらないことは、腹が立つぐらいである。

クルマを優先する風潮があるのかなぁ・・・と思う。

先日ご友人の車の乗せてもらいましたが、皆様、丁寧な運転をされています。

三重県も同じ。

各県警は、もう少しちゃんと取り締まりをしないと、他府県で事故を起こす可能性があることを認識してほしなぁと・・・。

 

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生きていてもしょうがない

生きてゐても仕様がない。

そいう思うことがある。

その思いを引きとめるのは、家族である。

家族がいなかったら?と、考えることがある。

もっと自由だったかもしれない。

それこそ、お互いの父親のお互いの古臭い考えで、嫁になるのか婿(むこ)になるのかで、論争をして、一時期は、二人で、誰も知らないところへでも、逃げようかとか語り合ったこともある。

結局は、お互いに常識的で、破滅的ではないので、お互いに別の道を歩んだ方がよいという結論になった。

まぁ、こちらは、没落地主の分家の小倅(こせがれ)の小役人だし、向こうは昔からの金持ちである。

つり合いは取れていない。

それは、どちらかが、我慢することが多いということである。

金銭に対する感覚、物に対する認識の違いが違うと中々な厳しいものを感じるのである。

没落地主の分家の末裔なんてたかが知れている。

でも、である。

紆余曲折を経て、最初結婚した時に感じたのは、階層の違い、宗教感、地域的土俗感の差である。

差別ではない、全く階層の違う人との生活は厳しいものがある。

結局、住んでいる世界が違うということが判れば、すべて苦痛である。

我が家は、質素倹約を旨としている(笑)

吝嗇(りんしょく)ではない。

基本的には長持ちをするものが好きである。

直せば使えるものが好きである。

しかし、デジタル化が進めば、そうも言ってはいられないので、最新のものであれば、極力、上位機種を買ったりする。

でも、自分の技量に対してオーバースペックなものは買わない。

同じ車を何十年も持ってるなんてすごいですねという人がいるが・・・

同じカメラ、時計、萬年筆で、自分が受け継いでから、30年たったものはザラである。

カメラは、ライカと、コンタックの戦前のものを祖父からもらった。80年以上前のものである。

時計は、一番古いは懐中時計で、100年以上前ののも。

萬年筆は、大学時代に初めてのバイト代で買ったモンブランは当時1万円ほどだった。

マスターシュテックが5万円のころの話である。

それを、30有余年愛用してる。

延々と使い続けていると、壊れる。

直す。

最初に買っ時の本体は何も残っていない。

修理しては、修理しては、修理する。

キャップを替え、本体を替えた。

残骸はすべて残っている(はずである・・・)。

ある年に、イヤーオブドラゴンという記念モデルが出てから、モンブランの収集を始めたが、コレは結婚した時点で終わった。

今でも数本残っている。

使っているのは、イヤーオブドラゴンのみである。

こうした、修理して使う

電子制御のない機械式の時計、クルマが持つ威力は、階層が違えば全く理解されない。

理解する気もない。

使い込めば壊れる、でも、壊れても修理が効くというのは良いことである。

大学時代に、講義のノートはパイロットの万円筆を使っていた。

1本600円ぐらいの奴である。

大体これが、3か月で、筆圧に負けて壊れるのである。

毎日、講義をほぼ全部ノートに取っていた。

1講義のノートはおおよそ4冊から5冊あった。

大体、字がかすれると、壊れる前兆であった。

そこで、モンブランを導入したら、これが素晴らしい、パイロットを、硬質鉛筆に例えると、モンブランは堅めの毛筆の様な触感であった。

紙に、文字が吸い付いていく感じがした。

マスターシュテックを使うようになると、萬年筆を使って文字を書くというよりも、萬年筆が文字を描く感じさえ受けた。

この感覚は、ほかのメーカーでは味わえないものである。

一時期、中国製の偽物が氾濫したことがある。

あまりの安さに、一度、ヤフオクで買たという人から、その安いモンブランを見せてもらったが、師匠のよく使う「似て非なるもの」であった。

形はモンブランであるが、書き味、重さ、バランスすべてが、偽物であった。

まず、ものすごく重い

バランスが悪い。

ペン先の滑りがものすごく悪い。

買った本人は、安く買えたと喜んでいたが、これを、モンブランと思い込んでいいる。

本人は、偽物しか知らない。

萬年筆は、小道具に過ぎない。

本物を、実用品として買っうにしては高いという。

でもである。

判る判らないという世界がある。

判らない人には一生判らないだろうし、判る人には通過点でしかない。

階層が違うと、判らなくてもいいという人がいる。

判りたい人と、判らななくてもいいという人の間に横たわる「超えられない川」があることを知った時には大きな衝撃を受けた。

生活者としての立場。

社会人としての立場。

ありとあらゆる価値感に、大きな落差があると判った時に、此奴(こいつ)とこのまま生活していいのかと思った。

そうして、結果、胃に穴が開きそうになった。

その時、一瞬、死んだほうがましかと思った。

その時の押しとどめたのは、二親の存在である。

以前も書いたパワハラがひどくて、前途を悲観した時に感じた、死んだ方がましという思いは、子供が押しとどめた。

ここ数日、死んだ方が、マシという話を数人から聞かされて感じたのは、もう少し前向きの生きたらどうか?という投げかけができただけである。

まだまだ、修行が足りないと思う。

 

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ドイツ人は、無罪、ナチスは、有罪?

アンナハーレントの「エルサレムのアイヒマン」は、ユダヤ人社会には避難轟々(ひなんごうごう)であったと言われる。

彼女自身もユダヤ人である。

私は、エルサエルムのアイヒマンを読んだとき(初読は、20歳のころ、「我が闘争」読んだ後であった。)、最初に思ったのは・・・・・そのころはヒネタ学生である・・・アイヒマンは、仕事をした、仕事の結果、地位を得て、金を得た。

従事していた時は、正当な政府の仕事の一翼を担っていただけである。

これは罪であろうか?

そう思ったのは事実である。

しかし、欧米では、その時正しい仕事でも、革命が起きれば、罪人として裁かれて、断頭台の露に消えたのである。

(断頭台、つまりギロチンは、断首機械であるが、これは、経済原則に則った機械である。

効率よく頸部を切断する機械である。

大量の人間を殺すために、頸部を切り落とすということは、再生させない、必ず屠るという意思の具現である。

この機械(効率よく首を斬る機械)を発注した者、開発した者は、実際に運用した者は、非難されあであろうか?

非難はされていない。

鉄道の運用を、効率的、無駄なく運用させた者に、罪があるだろうか?

効率よく、人を殺すためだけの絶滅収容場に送り込んだことは罪であろうか?

効率よく送られた結果、殺される時期が早まったということは言える。

これは、殺されるがにしてみれば、1分でも1秒でも長生きしたいと思うのは、当然である。

この点では、何千人もの人の人生を短縮させたことの一因を作ったという点では、罪があると言える。

では、人生を短縮させることについて、「罪」つまり「悪」と感じるのはなぜだろう。

つまり、哲学で言うところの「人を殺すのは何ぜ悪なのか?」という命題にぶち当たるのである。

Aの時点では、人殺しは悪である

Bの時点でも、人を殺すことは悪である。

Cの時点でも、人を殺すことは悪である。

ここに、ある条件を加える

Aの時点で、異教徒を殺すことは人間として、悪ではない。

同じ宗教を信じている者(人)を殺すことは悪である。

Bの時点で、異教徒を殺すことは、特定の宗教を信じるものとしては、善である。

特定の宗教を信じる集団の中で、同じ宗教を信じる者を殺すことは悪である。

Cの時点で、異教徒、白人以外を殺すことは、悪ではない。

神の命ずる理由があれば、殺しても構わない。

有色人種の同じ宗教を信じる者を、殺しても悪ではない。

同じ宗教を信じているが、有色人種は、同じ人間ではないから殺してもよい。

同じ宗教を信じている白人を殺すことは悪である。

このA~Cの時点で、根本的には「人を殺すことは悪である」という基本的な考えはある。

しかし、ここで言う「人」の概念が変化すれば、殺しても悪ではないという理論が成立する。

又、「悪」の概念が変われば、「悪」に程度ががあるのかどうか判定は難しいが、「悪い事」の基準が時として変数で幅がぶれる場合、「悪」という言葉で表されている「悪」は実際は幅が広いということ人気が付く

「子供のいたずら程度の悪い事」

「単に悪い事」

「悪い事」

「罪に問われるような悪い事」

「自由を奪われるような悪い事」

「死を以って贖わなければならないような悪い事」

その他もろもろの「悪い事」

つまり、悪い事という概念は、時代性を有するということである。

ある監督が、最近の世の中は、「不寛容だ」とぼやいていた。

しかし、元々「人という生きも」のは、不寛容である。

寛容するとい事はすなわち、自分の一部を沈黙させるということである。

共通項を探して、この程度ならいいという感じがすなわち「寛容」の心である。

映画監督の不満は、自分たちが垂れ流して来た映画、失恋映画だのなんだのと言っていたが、きわめて日本的的な、と云うか時代劇的なステレオタイプを手を変え品を替えて、映画として撮影したに過ぎない。

個人的な意見ではあるが、あれを見て、楽しいと思ったことは一度もなかった。

いわゆる安心してみていることができるという映画、テレビ番組ということになる。

私は、破滅型なのだが、アメリカンニューシネマが好きなわけでもない。

映画は何のために見るのかという問いに対する答えとしては、端的に云えば「娯楽」である。

荒唐無稽な話でも面白いものは面白い

小説もそういったものは好きである。

それは娯楽の一端だからである。

「人を殺すことは、悪である」という命題が時として崩れることがある。

一人殺して、二人殺しても、死刑にはならない。

死刑にならないのであれば、悪では無いのと云えば、悪である。

だが、自分の死でもって贖うものではないと、裁判官は感じるのである。

三人殺せば、死刑。

この考えは、司法の硬直と云って批判する人がいるが、法律には線引きが必要である。

仇討ち法が禁止された明治、これは復讐による刑罰は禁止するという意思表示であった。

その線引きを悪用する者が現れた時に、世の中は、怒りに燃えるのである。

そうして、その怒りに賛同する人がいがと云い事に気が付くのである。

すると、今まで抑えていた、「寛容」と云いうか、「寛容にしなければならない」という共同幻想が、単なる、幻想だと気が付いてしまえば、「寛容しなければならない」という部分は消し飛んでしまう。

新聞や、マスコミは、彼らにとって都合の良いことは、「寛容すべきである」と宣伝し続けていた。

しかし、インターネットの発達は、彼の都合の良い事、イコール、日本国民にとっては良い事ではないということ白日のものとさらすことになった。

市井の保守は、学生運動家、運動家、市井の社会主義ファシスト行動に対して、いら立ちを抑えつつも、孤立化している思考だと思って、唯々諾々と、「寛容する」することを選んでいた。

しかし、インターネットの発達は、孤立化した思想では無いことを知るきっかけになった。

ここから、社会主義ファシストの嘘を暴露することが始まった。

すると、寛容しなければいけないと思っていたこと、思わされていたことは実は、寛容すべきではないということに気が付いた。

そうなれば、安易には「寛容」などしなくなる。

しかし、ドイツファシストのついて、当時のドイツ国民の大半は、寛容し、受け入れた。

ドイツ系の外国人に国を任せてしまった。

ヒトラーが、オーストリア人だとどれだけの者が知っていたのか?

元外国人に、選挙権を与え、非選挙権を与えた結果、ドイツという国は崩壊した。

1930年代、ドイツ人には、情報の自由はない。

正に、226事件の時の「お前たちは、上官の命令を正しいものと信じて‥‥」という件(くだり)が、ぴったりとはまり込んでくる。

アイヒマンを、非難攻撃することで、監獄実験を行った者は、ナチスという体制、組織、地位が、ドイツ民族を加虐性の強い行為を行わせた・・・つまりは、ナチスが悪い。

ドイツ民族は、ナチスの体制の踊らされたので、罪はない。

そういう観点から実験が行われたのであれば、ナチスは、ナチスの体制は、悪である、悪の体制に入っていってしまったで、残虐非道なことを行った、ドイツ人は、地位に踊らされただけであから、「ドイツ人は悪くない」という言葉に、学術的な意味を付け加えたという意味ではなかったと思う。

ドイツ人のこの姿勢は許しがたいものに映る。

犯人グループが、死んだ仲間に全ても責任を押し付ける様なものである。

だからこそ、偉そうに、「イツ人は罪を認めているが、日本は認めていないからダメだ」な的なは発言を聞くと腹が立つ。

20191217

20191218補足

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再現性の少ない精神病の実験

ある新聞に、精神病に関する実験をしても再現性が40%以下という結果が出ていると云う、笑うに笑えない話が載っていた。
大体、精神病の再現実験なんて・・・そのまま、精神病になる人を作り出すだけの様な気もする。
米国で行われた、監獄実験、を舞台にした実験、性格ではなくて、環境が性格を既定するという実験である。一般的な性向、嗜虐性、加虐性のない人でも、与えられた地位、役職の役割を演じてしますという考えの実証実験だった。
これは、アンナ・ハーレントの「エルサレムのアイヒマン」をベースにした実験と云われるが、アンナ・ハーレントの考察で抜けているのは、公務員という人種の中で、高官になる者の性質を分類的に考察していない点であろう。
誰もが、高位高官になれるわけではない。
高位高官になろうとする意志を持つ者の基本的な性質を、顧慮していない。
<大多数の公務員が持っているであろう、平凡な幸せを望む人間は、体制、地位への順化ができない。
シュタングルという者は、述べている。
「転属願を出せば、東部前線に行かされる。」そう思い込んでいた。
当時、東部戦線行きは、ほとんど死を意味していた。
そうすると、死が近づくぐらいなら、この仕事を続けようと考えていたこと。
処刑部隊へは、大量の酒と休暇が与えられていた、でなければ、処刑部隊は、処刑という職務の遂行が出来なかったという事実がある
こうした実情は、監獄実験の根底をぶち壊していたということがわかるこれは、アメリカ人の大好きな、ナチスの制服を着ると、加虐的になるという伝説を、追認したいがための実験の様な気もする
実験では、看守役には、加虐性が現出し、囚人役には、被虐性が現れたという結果が出たことになる。
ナチスの制服、(アルゲマイネ)を着ると、加虐性を増す。
囚人は、大人しく為すがママにされ、屠られていく事にあなる。
ガス室への道で、なぜ反抗をしない、反抗をしなかった理由は何かという点で、囚人という地位になったからというのは暴論であろうと思う。アイヒマンの裁判記録の一部を読んでも、感じたことは、優秀な官吏だったという感想である。
多くの人が、スチームローラーの下で押し潰される手助けをしたという云い方は、ある意味正しいが、一部では間違っている最大効率を上げるためのどうしたらよいか。 そう考えると、人道なんてことは考えることは根本的にはないであろう。 ナチスの政策は、ユダヤ人の撲滅をうたっていたが実際行ったことは、ユダヤ人の財産の没収である。
没収して文句を言う人を抹殺したということである。
この財産没収は、ドイツ第三帝国の国民はすべからく利益を得たものが多い。
金持ちの財産没収こそは、共産主義ファシストの得意分野である。
いなくなったドイツ人の家はどうなったか?
持ち出せなかった家財道具は?
クルマは?
すべて、地元のナチスによって競売にかけられ、金に換えられた。 米国に逃れることができた家族も財産のほとんどを奪われている。 シャハトがどれだけ優秀であったとしても無から有は生み出すことができない。 親衛隊、武装親衛隊の装備を買う金はどこから出たのか?
親衛隊は、ナチスの私兵である。
国防軍の様に国家予算があるわけではない。
だから、初期の武装親衛隊の装備をみれば、三流の兵器、武器が多い。
ユダヤ人の最初のこの虐殺は、財産の収奪が目的であった。
禍根を残さなための虐殺であったといえる。
しかし、ポーランド、東欧のユダヤ人は裕福ではなかった。
ここで、フランドイツ国内のユダヤ人狩りの実情を云えば、ドイツ国内よりも、システマテイックにユダヤ人を駆り立てていったのは、フランス人である。
彼らには、昔から、反ユダヤの機運があったことは否定できない。
だからこそ、フランス国内のユダヤ人をポーランドの絶滅収容所へ送り込むのに使われた、フランス国鉄の貨車が、戦後、東欧に大量に残された。
この貨車の回収に躍起となったことを忘れてはいけない。
(脱線話としては、黄金列車の伝説が出てくる。)
フランスから、ユダヤ人を運んだ貨車はほとんど戻ることがなく、東欧の各地の軍事物資の輸送に使われていた。
こうした列車の運行を総合的に管理していのがアイヒマンである。
ドイツ占領地全域の鉄道輸送網を把握し、効率運用を目指したということは、ちょっと信じられないことである。
しかし、高位高官になるためには、骨身を惜しまないという精神構造が、その運用を可能にしたのであれば、地位が、性格を決めるのではなくて、その目標とする地位に就くための努力していく「餌」として地位であり、決して、地位が人の性格を規定するわけではないということに気が付くべきであると思うのである。
実際に、その時の実験では、予想した通りの実験結果が得られたとする発表があった。
後年、別の者が、再現実験を行った。
同じような結果は得られなかったので、その理由を探すために、実験過程を調べた。
実際は、実験を主催した側が、看守側には、強圧的な態度に出るように指示していたことが判明した。
特殊な肩書を与えられると暴走する人とう前提が最初から、作られていたことが判明した。
この実験は、実験に名を借りたペテンということになる。
ここで、いつも思うのは、100人いたら、100人がステレオタイプな人間になるのかと云えば、そんなことは無いのである。
アリの集団の類型化を云う者がいる
3分の1は、働き者、3分の1は普通、3分の1は怠けものという非常に単純な区分けをする人がいる。
実際は、ルーチンで、先端で働くグループ、普通に働くグループ、休憩をしているグループである可能性もある。
短絡的に、だから組織には、さぼる人が必要と主張するのは、表面上だけを利用するクズである
頑張って働く、働く、休憩するグループと順次変更している可能性は否定できない。
自分に都合のいい部分だけを抜き出すことは剽窃に近い。
今時、フロイトを語るバカがいる。
アメリカで20年ぐらい前には、後催眠で、記憶を植えつけているという話が話題になった。
主に、性的な行為を大人から受けたという記憶を覚えこませたという話が多かった。
実際、実験中に、自分が望む結果が出れば、そこで実験を中止して、都合の良い部分だけを抜きだして、論文に書いていたということがすでに判明している。
この部分を読んだ瞬間に、ある自称精神科医のおばさんの発言を思いだした。
一時期、やたらとテレビに出ていたが(今でも、出演しているかどうか知りません・・・)、精神病理学者の様なことを云って、人の人格を貶める発言が多かったとおもうが・・・。
聞いていると、保守派、人間のクズ、左翼は、精神的に素晴らしいという論調が多いことに気が付いていた。
実は、社会主義ファシストの支援者の一員だと判ってからは、あーあ~またなんか言っているという、既視感が・・
結局、人格を貶めるという、最低の事を平気で言いながら、片方で、人権を主張する。
彼らの人権は、自分たちにとって都合の良いこと部分の人権は主張するが、自分たちが人格攻撃をするときは、人権なんて概念は無い。
共産党ファシスト系の組合の会社、役所の幹部職員の「つるし上げ」は、個人攻撃に終始する。
役所の幹部職員は、自分たちが中学高校時代に居たであろう同級生のトップクラスの者がなっていることが多い、つまりは暴力に対する耐性は無い。
個人攻撃、家族への攻撃は恐怖以外のなにものでもないだろう。
彼らは、すべて人格否定から入る。
丁度、シベリア抑留時代に将校をつるし上げた手法を伝統的意保持している。
帰国後、つるし上げていた者は、職場復帰すると、自分が仕事をしないこと、自分の人間性の下劣なことを無視して、相手をつるし上げる。
そこには、日本人の持っていた道徳心は、ない。
そうして、現在も、つるし上げを行って喜んでいる。

 

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漫画、マスコミの話など・・・・

最近、という子ここ2年ほど、ビックコミック系、モーニング、イブニング系が軒並み読むところが無くなりつつある。

大体エロネタが多い。

通勤の移動時間中の息抜きで読む分には、絵がくどいし、エロい・・・

又、反政府的と云うか、反対勢力イコール素晴らしいという風潮のマンガが多い。

最近の最低な漫画は、空母伊吹(仮名)である。

漫画は途中で読むのやめた、沈黙の鑑定(仮名)は、の流れと同じ。

やたら人道主義が出てくる。

殺さない判断をするのを正しい‥、漫画だからね.実際は、さっさと殺されるのよ相手に・・・。

話はの内容は、猫以下の流れであった。

漫画は、漫画と云いながら‥まだゴルゴみたいな荒唐無稽な話は楽に読める

空母伊吹の映画は、前評判が悪すぎてもともとスルー

映画の結末聴いて、中国が金出してシナリオを替えさせたんだろうあなぁと想像できるようなノリである。

これから映画の出資の明細、国籍を明らかにするようにしなければ、戦前イギリスがソ連の隠れたプロバカンダにまみれてしまったように、

中国の隠れたプロバカンダに汚染される可能性は高い。

TOP GUNでも、青天白日旗と日の丸が消されたのは記憶に新しい。

アニメーションの世界では、中国系の会社の出資が多く、親中国的な内容が激増している。

昭和40年代に、「悪」イコール「ナチス的なもの」、「悪」イコール「米帝国主義(正式な定義は良く判りませんが・・・)」であったように、「善い人」イコール「共産主義ファシスト」という宣伝になる。

共産主義ファシスト子弟は、教条主義の汚物にまみれた風体(ふうてい)から脱することができない。

彼らは、常に自分たちを事は、悪く思わない、反省をしない、自省もしない。

他人行動は批判する。

自分の行動を批判するものは許さない。

いわゆる左派ファシストに共通するのは、批判する道具は自分たちが使うもの。

他者が自分たちを批判することは許さないか、無視する悪いことしても何をしても許されると思う。

「武家草鞋」(ぶけうわらじ)という小説作品がある。

清廉潔白な生き方を是とするあまり、自身のゴーイングマイウエーを信じて疑わない。

最後に、世話になった老人から、「あなたは自分が悪いと言ったことがない」と批判される。

丁度、左翼ファシストの精神構造の根幹に存在するのは、「自分は正しい」「自分は悪くない」「世の中が悪い」「世の中は自分居合わせるべきである」という発行が根底にある。

それらは、きわめて幼稚な精神構造である。

最近の国会の質問を聴いていると、楢崎弥之助(だったけ・・)みたいに、自分で調べて、爆弾質問をする。

時には、失敗もあったが、一応、きちんと調べるという態度はあった。

かつて、現在は、アカ新聞になった旧「都新聞」でさえ、詐欺師に騙されて、自衛隊のクーデターを報道したこともある。

がしかしながら、彼らには、新聞に間違った報道をしてしまったことを反省するという意思は芽生えなかった。

現在では、単に、組合支援のファシスト政党の議員は「雑誌の記事によると・・・」と云って質問をすル。

自然災害の復旧、対策を、国レベルで行う必要がある時期に、このくだらない質問の嵐である。

で、審議拒否。

馬鹿じゃないのかと思う。

彼らが依拠する質問の元となる記事を書いてるやつらは、同じ左翼ファシストである。

火のないところに、自分で付け火(放火)をするのではなく、コンクリートの床に、発煙筒を焚いてほーら、煙だ

「事件だ、事件だ」と騒ぐ

煙をたどると、発煙筒

おまけに、発煙筒の横には、自分たちの同志のやった不正の資料が転がっている。

この資料は見なかったことになする。

これは、「盗人猛々(ぬすっとたけだけ)しい」典型である。

共産主義ファシストの台頭を許したのは、占領軍のGHQ戦前のニューディーラー(民主党系)の者による策謀に、共産主義ファシストが接合して、社会主義ファシスト、共産主義ファシストの台頭を許した。

文化人、芸術家と称する者の多くも、戦後、目上の者の者の地位を簒奪すること目論んで、戦犯呼ばわりして追い出した。

レオナールフジタ(あえて日本名は書かない)がいい例である。

それは、すべての業界にははびこった事実である。

大学の教員の質が低下して、学生運動を使嗾した教授連中はその手の手合いである。

左派のファシストの基本路線は、他人を批判しかしない。

嘘を平気でいる。

彼らの紐帯(ちゅうたい)は、主義のみである。

どんなクズでも、やくざでも、外国人でも、主義者であれば、両手を広げて「同志」と呼ぶ。

彼らの暴力行為は、仲間内ではすべて許される。

何か言えば、ヘイトだという。

自分たちの暴力行為、迷惑行為はすべて正当化している。

これを、応援する人もいる。

大丈夫かと思うような人がいる。

先日、ある新聞に、某監督の談話?が載ってた。

「最近世の中が、不寛容」だと

だか、考えてみれば、自分たちが今までさんざん、好き勝手にやってきた事を、批判されるようになったことを、不寛容と云っているようにしか見えない。

以前は、マスコミ(最近マスゴミ)が、批判しなければ、世の中では、何をやっていいと云い風潮があった。

左派ファシスト、共産主義ファシストの裏の顔を表には出さなかった。

新聞、雑誌、テレビ、ラジオかららが仲間と思って居る者のスキャンダルは決して流さななかった。

つまり、批判をさせない、国民から嫌われないように情報を隠し、保守勢力の悪口を延々と流していたのはある意味、プロバカンダ(政治宣伝)である。

放送は、政治的中立をを持つべきであるが、ほぼすべてが、左旋回している。

これは、放送法減速をないがしろにする行為である。

管理する側は、これまた、精神的ファシスト根性が抜けいない元学生運動シンパの官僚がいりるから、グダグダである。

漫画雑誌で、政治性の強いもの、日本の伝統を否定するものが、ものすごく増えているのは、彼らの危機感であろうと思う。

SNSの拡大で、多くの隠したい事実はすぐに暴露される。

しかし、「カエルのツラにしょんべん」ではないが、彼らはめげない。

その代わり、販売部数の減少という現実的な打撃を受けていることを忘れたいらしい。

いずれ、新聞は消滅する可能性がある。

旧新愛知、旧名古屋新聞、旧都新聞を母体とする新聞社は、書く内容を、減りつつある読者層に合わせる傾向がある。

しかし、この傾向も所詮は、新聞読者で投稿したりする者に合わせているだけである。

団塊の世代の口うるさい世代がご退場した時が見ものである。

読者は、惰性で買う者がまだいる、少しの期待があるからで、惰性で買う者が見捨てればどうなるか?

いずれ、新聞社自体が倒産する可能性もあると思われる。

それはそれで、自分たちの売らんかの姿勢で、読者を煽ったことを思い出すべきである。

以前、善い耳というコラムがあったので、あることを伝えたが、新聞社には不利だった事は決して載せなかった。

 

 

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良い日であった。

仕事一段落つきました。

年末の休暇申請もしたので・・気分は何となく1年終わった感じです・・

年末の審議会資料もできた。

審査も通った。

若干の手直(一部手で書けと・・・意味がないと思うのですが・・・ねぇ)の指示がありましたが、おおむね良好。

審査の前に、概況とその他の案件の相談をしてから、確認調査に出た・・・ちょっと遅かったんですがね。

何回となく空振りで、何となく、ルーチンぽく行くと、なぜか、天祐の様な処理ができてちょっと嬉しかった。

仕事してて、久方ぶりの欣喜雀躍である

ある意味、奇襲攻撃ぽいのと、12月なので、思わず上官(上司)に、「トラトラトラ」と打電してしまいました。(←アホ)

又、午前中、ほかの役所へ行き情報取集をしていると、結構、面白く過ごせた。

で、街中を歩いていると、名古屋の4Mデパートと云われた丸栄百貨店(旧十一屋)のビルがほとんど壊されているのに出会った。

旧明治屋名古屋支店の入っていたビルも壊すみたいで・・・その横にあったあ丸善名古屋支店は既になくて空き地・・・

東海銀行本店(旧MUFG名古屋営業部)も更地で・・・・

旧愛知銀行の建物は、いい感じで残された・・けど

懐かしい建物がどんどん減っていくのは寂しい。

気を取り直して、午後からは別の仕事に行くと、これまた、予想通りの展開があった。

何となく、気分がよかった(笑い)。

今日は、珍しくスムーズだった。

昨日もスムーズでしたがね。

あと1週間頑張ろう・・と

書類たまっているので来週は、パソコンとにらめっこな日々の様な気がするが・・・再度、突入もあるかなぁと思う。

三河へ行く仕事があるが・・・何となく遠くて・・・ねぇ

年内には仕上げておきたいのもあるので、月曜か火曜は…三河の国へ行く必要がある・・・。

川越えていくのかぁ・・である。

楽しいことというか、面白い本を見つけたというか買うことができた。

中京名鑑(昭和11年版)

中京名鑑(昭和7年版)

中京名鑑(昭和2年版)

いずれも、名古屋毎日新聞は発刊した、当人お名古屋の政財界の者の一覧である。

最初11年版を見つけけて買った(ほぼ1万円・・・)

7年2年版は、2冊で、ほぼ1万円・・・・

これは良い買い物であると踏んでいる

名古屋の人物百という本があり、正続含めると、似たような本が6冊ほど出ている。

この本は、大正、昭和初期の名古屋と、名古屋に関係のある者が選ばれて、その当時の世評が書いてある。

構成の評価ではなくて、当時お評価を知るは良い手立てである。

私の個人的な認識としては、後世の評価よりも、当時の評価を知りたいと思うのである。

所詮は、一部分を切りとった評価が多い。

その評価の出典はどこかという疑問を持つことがしばしであるが、「何となく良く判らん」評価が多いのも事実である。

戦前と戦後では、公に対する個人の意識が随分と変わったよう言う。

豊田綱領と云うのがあるが、今読んでも新鮮である。

これは、二宮尊徳の思想の体現でもある。

トヨタの歩んできた道と、日産の歩んできた道の差はな何かと?思うことが多い。

トヨタの、と云うか、豊田自動織機自動車部の歩んだ道は、前途多難な道を手探りで歩いたような経歴である。

しかし手探りの探求は、血肉なったと云える。

フォードのシステムを鉄体的にまねてまねて、GMの手法は、神谷正太郎という生き字引から学び、そうして、看板方式へ至る道は、フォードのシステムの次を、GMが考えたように、豊田喜一郎は、ホップ、ステップ、ジャンプを、フォードシステム、GMのシステム、トヨタの看板方式で、体現したのではないかと思う。

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メルセデス、いらない?と云われたが・・・

2年ほど前に、メルセデスのオープンいらない?と云われた。

友人のおばさんからである。

ちょっと色気が出て、少しだけ載せてもらいました。

赤で・・・再塗装してあるので、結構きれい。

エンジンもよく吹けた。

足は‥ちょっと、タメが無い。

内装も年相応・・・

しかし・・・屋根閉めると、なんというか、香料の臭いがものすごくて・・・ちょっと無理なレベル。

和風テイスト満載な御香の臭いである。

トランクルーム迄臭い・・・

なんでも、大英帝国から持ち帰る時に、車内に香木を入れて置いたということ、虫よけの意味のあってね・・・

外観は奇麗、でも、距離がすごい(メーター二回り・・・)のと、この匂いで中古車屋に持って行ってもダメだったそうである。

乗った感じは、腰から下が、少し砕けた感じで、メルセデスぽくない。

そのおばさんが、イギリス在住時代から載っているそうなので、ほぼ30年間乗った車である。

10年ぐらい前に、足回りのオーバーホールはしたそうな・・・その後、40万キロ

どこへでも、車で行く。

ところが、最近足が悪くなり、クルマの運転をしていると足が痛くてダメという事で‥もっと楽ちんな車という事で、ヤリス・・・

で、下取も断られ。

で、いらない?と聞かれた。

このおばさんは、捨ててもいいけど、捨てるなら持っていようか?という気があるらしい。

駐車場は、屋根付きがある。

お友達は、この匂いが気にならない。

私はダメである。

ナンバー外して持っておけば?というと、友人曰く、私が相続人だから困ると・・(養子になっているそうな・・)

でも、結局、このおばさんは自分が持っていることを選んだ。

ガレージにおいておけばいいわという事らしい。

もう、70代後半であるが、座席に座ると思いだすことが多いそうである。

本州は、くまなく走ったそうな。

仕事もしながら、温泉巡りもしながら・・・津々浦々・・・

イギリスに居たころは、それこそ、毎週、旦那さんと、どこかへドライブしていたそうである。

駐在から、帰国すうことになった時に、沢山、買った家具類ともども日本に送ることになったそうである。

普通のコンテナ2つ・・・で、2個目が随分と空間が余ったので、話をしていると車入りますよ・・と

なら持って帰ろうかということで、持ち帰り。

コンテナの中で臭くなるといけないからと云って、香木を沢山放り込んでおいたそうである。

クルマの中にはたくさんの家財道具を詰め込んで・・・・

おかげで、クルマの中は、すさまじいくいい匂いがする。

匂に、酔ってしまいような感じであった。

旦那さんが亡くなって1年が過ぎたのと、気持ちの整理も着いたので、思い出深い車も処分するかと思ったそうであるが・・・とりあえず置いておくわと・・

そうして1年が過ぎた。

この人、友人が泊まり行った晩に、「今晩、死にそうな気がするから、あとは宜しくね」と云われたそうな。

その日は朝から、どこどこに○○は置いてあるといった話が多かったそうである。

翌朝、食事の用意ができたので寝室に行くと、穏やかな顔をして、旅立った後であった。

主治医の先生を呼んで、いろいろバタバタして、昨日ようやく全部済んだそうである。

クルマは?と聞くと

1か月ぐらい前に、近所の大学生にあげたとのこと・・・

なんとまぁである。

 

 

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不愉快な人たち

毎朝、混んでる通勤電車に乗ると、最初から不愉快のことがある。

入り口に外人1名、多分多治見在住の刈り上げ兄ちゃん1名がふんぞり返って入いるのに邪魔。

此奴ら絶対に動かない。

Dsc_0075

兄ちゃんは、モザイクミュージアムの年間パスを持っているので多分、旧笠原の多治見の兄ちゃんだろうと・・・

中に入っても詰めない馬鹿がいる。大抵はものすごく踏ん張っている。

踏ん張るおかげで、こけそうになる。

このおっさん、タバコ臭いものすごく臭い。

空気を吸ったり吐いたりするだけでも、周囲は臭い。

おまけに、変な体臭までする・・おっさんがいると朝から、ゲンナリとする。

床に荷物を置く。

これまた転びそうになる。

「お前ら、ちったぁ人の事を考えろや」と、思うのだが

みんな不愉快なんだからさぁ。

 

こう思うがなかなか実行はできないが、やってみたいのは、

床踏ん張る人の足は、軍用ブーツ(持ってませんが・・)で容赦なく踏みつける。

床のカバンは蹴り飛ばす、踏みつける。

次の電車だと、入り口近くに座っている60代ぐらいのハゲ駅つくと、順番無視で、押しのけて降りようとする、どう云う種類の人間名だろうと思う。

乗り換えの電車1本で、人生が変わるか?

そういつも思ってしまう・・後ろ向き・・

 

臨場予定地に、行ったが、最初の処理があっありと済んだので、現着が早かった。

仕方なく、周囲を歩いて時間をつぶすことに・・・

歩いているといろいろと不輸かいな人に行き合う。

 

平日の昼間、繁華街が近いせいか、暇そうな昭和のジジイどもが闊歩している。

半分ぐらいが、咥え煙草、手にタバコ持っている。

煙突みたいなジジイもいる。

この手の爺さんはほとんどが、たばこのポイ捨てをやる。

コンビニ前の喫煙コーナーも何とかしてほしいと思う。

臭くて店に入る気にはなれないし、路上に煙が拡散してかなわない。

 

み○亀?という店屋の前の信号交差点で信号待ちをしている、恰幅の良い初老の爺さんが、路上喫煙、真最中だった。

このジジイ、接近してきたのでマスクを掛けなおした。

すると車道と歩道の端境の側溝の落し蓋を見合下げるようあ体制を取った。

何をするのだろうと…と思ってみていると

落し蓋の格子の中へ火のついたタバコを放り込んだ。

Dsc_0077_20191212210401

上手く入った・・・ジジイ、ニヘッとわらって店内へ・・・絶対に、こんな店では物を買わないと誓う。

 

なぜかクソ爺は、たばこを側溝やマンホールの穴に捨てる。

毎朝見かけるバーコードハゲのジジイは、地下鉄の入り口近くのマンホールのエア抜きの穴に火のついたタバコをそのまま押し込む。

毎日座り込んでは、空気穴に投げ入れる,というか押し込んでいる。

このバーコードハゲ、煙突の用意タバコを吸って歩いている。

Dsc_0076_20191212210201

このバーコードの近くには人はいないというか遠巻きにしている。

 

信号待ちをする間にでもタバコを吸う努力をする人がいる。

これまた、よれよれのバーコードハゲ2号であるが、サンダル履きでドン・キホーテの袋を下げている。

大体、タバコ吸うバカの動きは決まっている。

ポケット、もしくは、胸ポケットから煙草を取り出す、同時にライターを持っ。

タバコの底を叩いてタバコを出す。

一本つまみ上げる。

咥える。

火をつける。

煙を出す。

大体、15秒くらいの行動である。

歩行者用の信号機にもたれて喫い出した、ほかの信号待ちのおっさんは、迷惑そうに、煙を払って退散

バーコードハゲ2号は、信号機からはなれて、公園の飾りの円柱に座る。

煙が来そうで、速攻、逃げた。

信号わたり終わって振り向くと、バーコードハゲ2号吸殻をポーンと公園の芝生に投げ捨てた。

 

もう人間のクズといしか言えない気分である。

これらの者と出会うと本当に気分が悪い。

愛煙家という言葉は、タバコを吸う人間の忖度(笑い)がある。

マスコミが、左翼の活動家を、市民団体と呼ぶようなものである。

単なる、排煙家でよいと思うがどうだろうか・・

 

 

 

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体質は同じ

三菱の人が、日産へ行くと、うちとおんなじだなぁと思うそうである。

その逆も、又、然りである。

同類は参集するのである。

最近、某秘密クラブ(笑)で、いろいろと業界内(それぞれの身内の話)で、盛り上がることがある。

そこで、ふと気が付いたのは、皆が体質というか、性格が似ている。

つまり、全員アホという事である(すいませんみなさま。)。

人がいい、親切心がある。

気前もいい、でも仁義は守る。

筋の通らないことは嫌い、基本、クルマバカ・・・(すいません・・タビタビ・・)

・・・バキバキ・・・

この年になって新しい友達ができるなんて思ってもみなかった。

ひたすら、楽しいのである。

カメラの友人は、写真撮るのが死ぬほど好きという人は良い。

でも時々、機材を、誇る人がいる。

何となく持っているカメラでヒエラルキーを感じる場面がある・・というか、感じさせたい人がいるとだめである。

すると、私なんぞは、爺さんにもらった戦前のライカ、コンタックスを出して、新しいのかえないんでという、ただの嫌味である。

30年ぐらい前に、さりげーく、ライカのM6なんか持って、構図も考えずに撮影しているのはこの手が多い。

模型は、知識量、腕と、センス、技量がものを云う世界なので、これまた気が楽である。

話をしていると、止まらない・・・。

自動車は、車が好きという人は良いが、持っている車で人を評価したい人はダメである。

牛とか、馬とか、でもこれらを昔から所有して、延々と持ち続けている人は素晴らしいというか、大変な努力である。

その人たちと知り合いになって嬉しいかと云えば、車が好きという点では一致するかもしれないが、その人を知っているから、自分が偉いなんて思わない。

「○○さんとは知り合いなんですぅ・・・」

「○○の××さんとは、懇意でなんですーぅ」

なんて聞いても、「だから何?」と云いたくなる。

基本、誰誰の知り合いなんて、本人の価値には、1ミリも関係がない。

実際に人脈があって、きちんとレスポンスができるのならまだしもである。

例えば、限定車(スペシャルではなくて、本当にその車種が限定の車)を持っている人がいる。

この人金持ちである。

ポンと現金でその車を買ったのだから、金持ちだと思う(よくは知らん・・・)。

友人の伯父さん(東京都在住、実家はこちらで、こちらにも家がある。)が、その車を、なぜか持っていた。

中古で買ったらしいが、何千万円である。

でも、ここ25年の車歴は、NSX、NSX-R、牛のマーク×2、馬のマーク×3を乗り継いで、この車に辿り着いたらしい。

新古車みたいなクルマだったそうである。

話をしていたら、今日うちにあるから、何らの乗ってみる?と云われたので、友人といそいそと、そこのうちへ。

ドキドキしながら、「ぶつけても弁償できませんがいいですか~」と云いながら借りてみた。

条件は、友人を載せて、ご飯食べてこいである。

財布の中を確認して(カードをちゃんと持っていた。)。

借りて、ドライブに出てみた。

高速を延々と走った。

大きそうで、取り回しがものすごく楽。

細い道は最初から通らない。

都市高速から東名、新東名、下降りて、東名経由でご帰還

意外と、楽ちんな車というイメージが沸いた。

この人、この車の集まりと行ったことがないそうである。

クルマは、好きだけれど、ステータスではないと考えている。

若いころに、ホンダのS500、トヨタスポーツ、2000GTと乗り継いで、あとは、外車を乗り継いでいたという。

乗っているのが楽しいそうで、群れるのは嫌いだから、オーナーズミーテイングなんかのお誘いは、完璧に断るそうである。

走るわけでもなく集まって何が楽しい?

共通話題があるわけでなし、話をしても面白くも何ともない。

でも、いい車に久々に出会えたので、開発した人にお礼が言いたい感じがしたそうである。

随分と前、黒馬の車を買って、なんでもひどく感心して、、イタリアに行った時に、わざわざ、この黒馬の会社を訪れて、いい車をありがとうと言ったそうである(この人ちゃんと、イタリア語が話せる・・)。

車種は、〇〇〇である。

向こうの人からは、いたく歓迎されて楽しかったそうである。

そこで、20数年ぶりぐらいに設計者に会いたいとおもったそうである。

ある時、講演会があるというの聞きに行ったそうである。

その講演を聞いて、特殊な限定車の製造販売には、不屈の情熱のなせる業がなければだめだと感心したそうである。

講演の終わった後で、「言い車を作ってくれてありがとう」と言いたかったそうである。

この辺は、妙に律儀である。

ところが、「いい車を作ってくれてありがとう」というと

「買えたら買ってください」と云われたので、

「かちーん」と来たそうである。

そこは、大の大人である。

「買ってガレージに置いてあります」、というと決まりの悪い顔をしたと云う。

度量が狭いと感じたそうである。

人間的は、ダメなん人であろう。

このダメな人間を使いこなしている自動車会社はすごいなと・・・思いつつも、何となく、腹が立ったそうである。

なんだか、無性に腹が立って、こんな車売りとばしてやろうかと思ったそうである。

しかし、この車に罪はないと感じて、出来の悪い、親からでも、トンビが鷹を生むことがあると思って今でも持っていた。

だからこそ、そんな機会が訪れて、その車を運転する機会ができてよかったなぁと。

このおじさん、車の話になると止まらなかった。

面白いが、年齢差があるのでちょっと辛い。

その点を除けば、愛らし車マニアであであった。

このおじさんと、友人たちの共通は、非常に常識的であるという事である。

愛すべき人たちであると感じている。

(残念ながら、この方、最近、お亡くなりなって、そのクルマは、海外へ流れたそうである。ちょっと残念である。)

 

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男と女、旧い話

其の昔、ある異性の方とお付き合いをしていた時に、「よく、男は顔じゃないとという人がいるけどねぇ」と云われた。

誰が言ったのと聞くと、「同僚の男の人(ちょっと年上)が、よく聞こえがしにいうのよ」とのたまう。

その人、30前なのに、ハゲ・・・

彼女にしては、現在進行形の男がいるから、興味はない。

ましてや、彼女は172センチもある大女である。

その人、彼女が配属されたときに、3つぐらい向こうの部署だった。

その年の4月から、内部異動で、管理担当から、経理に来た。

すると、彼女にやたらと寄ってくるそうな。

そうして、飲み会の時に、毎回、彼氏いるの?聞くそうである。

彼女は、即答で「はい、います。」というと、

「そいつうちの会社?、大学時代からの彼氏」と聞いてきたそうな・・・

(入社したての頃、やたらと誘われて困ったので、婚約者がいますと云ったら、最初信用しなかったそうである。

飲み会誘われて一次会でさっさ帰る。

その時に、何度か迎えに行ったことがある。

誘われて、二次会とか言ってる最中に、旦那が迎えに来たから帰りまーす

と云っていたら、皆さんいなくなって、うっとしい奴が残ったという。

このハゲ、途中で転勤してきたので、そんな事は知らない。)

彼女は、にこにこ笑いながら、「幼馴染で、親が決めた相手なので・・」という・・・

「どんな奴・・」と聞いてきたので、めんどくさかったので、

「顔、普通かな

 体、たくましい

 ふととも、48センチもあるのよ。

 180センチ以上あるのよ・・」と・・・・ニコニコ笑いながら言う

 このハゲ、顔は、どちらかと云えば品がない。

 デブ、若ハゲ、背が低い。

 ビン底眼鏡・・・

身長的には、彼女が見下ろす体制・・・

そこで、彼女は、「私、大女だから、私より低い人ダメなの。」という

その実は、ハゲの顔を見ると虫唾が走る。そうである

かわいい顔をして言うことはえげつない・・・

背が高くて背筋が伸びているくせに、ヒールを履く、180ぐらい・・・似合わんわなぁ・・・

で、

ある年の夏場に、彼女は諸般の事情で会社を辞めることになった。

理由は、このハゲの所為である。

辞めるとわかると、この禿デブ、ストーカ―モードになっていた。

彼女は、街中の会社へは、自宅から20分ほど歩いて通勤していた。

時々は、自転車とかでね。

彼女の実家の近くで、時々、このデブを見かけるようになったので気味が悪いと云っていた。

本社の人事に言うと、転勤させると云ったが、半年待てという。

もう待てないというか、二人きりなる場所があると気味が悪い、彼女が一人で資料を探してると、鼻息荒く部屋に入ってくる。

会議室で資料を配布して、OHP(なつかしいねぇ)の準備をしていると、なぜか用もないの入ってくる。

彼女はもう気味が悪いというか、怖いので、すぐに辞めるというと、労働規約で2か月後でないとだめと云われた。

仕方なく、8月末までの勤務となった。

ものすごく真剣な顔で、襲われたらどうしようと話をした。

辞表を出してから程なく、ある時、残業で遅くなって歩いて帰る途中で、背中に何か気味の悪いものを感じたので振り返ると、白壁町の暗い歩道の少ない街灯の光の中に、このデブが見えた。

その時は、叫びだしそうになり・・・恐怖の嵐だったそうである。

そうして、走って逃げたそうである

家に帰って親に告げると、親は、即110番

さすがにい警察来たら逃げたようです。

そこで、危機管理の一環で、毎朝、毎晩親が送り迎えをすることになった。

朝のジョギングも止めた。

時として、親の都合がわるい時は、私が代役に駆り出されることになった。

朝、早めに車で出て、彼女の家に行き、ご飯食べさせてもらい。

車を置いて、彼女と途中まで歩いて会社の近くまで行き、自分は普通に通勤する。

帰りも、親の送迎が無理な時は待ち合わせをして帰る生活になった。

向こうの親は大喜びである。

「婿が来た。」である。

私、何時も黒いサングラスをしていたので面は割れてない・・と思っていたし、私が一緒にいると眼前には出てこない。

そうして、次の週で退職となった時期、丁度、お盆すぎのころ、土曜の午前中

私が、生成りの麻の上下に白パナマで、彼女が絽の着物で、歩いていたら、ハゲに、百貨店の前でばったり会った。

彼女はすぐに気が付いた、バーコードぽく張り付いた頭皮にずんぐり体形。

カトレアの袋を下げて、ガニ又で、のしのしと歩いている。

下品な歩き方である。

彼女が、「あのひとよ、まとわりついてくるの・・・」

私は、初見であった。

向こうは視線い気が付いたのか、視線が絡んだ。

彼女は、隠れるように、腕にまとわりつく。

薄曇りだったので日傘は畳んで、いる。

このデブ、ずんずん寄ってくる。

こちらの得物は・・・日傘と、扇子しかない。

彼女、息を吸い込んで、背中に力が入って、眉が吊り上がり気味で、

「○〇さん、こんにちわ」

ハゲ、うれしそうに・・・「どもー」

「紹介しますね、私の主人ですの」

ハゲ「え・・・・・・・」

私「いつも妻を付け回しているのはあなたですか?」

彼女、腕に力が入る。

ハゲ「ええ、滅相もない」

私「やっと二人で暮らせると喜んでいるのに、あなたは何ですか?」

ハゲ「す。すいません」と云って逃げて行った。

彼女は、次の月曜に会社に行き、残りの残日数を有給で消費することにしたので、その日が最後だった。

ハゲは休みだった。

ついでに、ハゲの経理上のチョンボが見つかり大変なことになったのは、その翌々日の事であった。

彼女は、退職の日に、一応、会社に顔をだして、挨拶をしていると、名古屋支店長(役員)さんが、デブを叱咤しているのに出会った。

部長が、今日で退職なのでと云うと、デブの経理上の大失敗について二三質問されたので、答えると、もう1か月だけ働いてくれないかと云われて、超高級バイトで、3週間はたらく羽目になった。

おかげで、旅行に行く時間が無くなったのは残念であるが、デブは、結局、中国地方の実家近くに転勤させられた。

彼女は長女、私は長男・・・嫁にもこれず、婿にも行けず・・・母親同士は、仲がいいからどっちでもというが、男親の方が、折れず、結局崩壊・・・・。

結局ハゲは、地元に転勤後、営業に行き、大ポカをやって退職したそうな。

彼女は、いつも、「私より背の低い人と歩くとカッコ悪い」とのたまう。

だから時々、・・・・今でもお友達なので・・・引っ張り出されることもある。

背低いとだめ?

と聞くと

うーん、人によるんじゃない?

でもあんまり低いのはねぇ・・・わざわざ選ぶことは無いわね・・・と

そんなもの?

うん・・・

まぁ、その辺は好みなのでねぇ。

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TINY STUDIO 講座

トヨタ博物館は、館内工事のために、12月9日で年内の営業は終了しました。

文化館、空調入ってなくて寒かったです。

12月8日は、天気悪くて、凍えそうでした(笑)

今日は、デザインの小講座がありました。

大変ためになる話でした。

トヨタのデザインは、結構好きです。

ヨタの曲線は、ものすごく好きです

最近、MS40、PT20のデザインが良いなぁ・・・と、大きな車はいらないので、小さな車で何とかしたいと思う今日このごろである。

レクサスのデザインは、つぎはぎ感が強かったのですが、LCでようやく落ち着いたかなぁという気がしています。

何となく、トヨタというラインがある。

昔から、トヨタ車のデザインのラインと、日産車のデザインラインの違いがどこから来るのか謎でした。

トヨタ車は、トヨタ独特とラインがあります。

その秘密(笑)が定規にあったとは・・・

日産は、日産の独特の変なラインがあります。

日産は、Q45、青竹色のシルビアが出たころにラインが、柔らかくなった・・・けど、4年ぐらいでそのラインはサクッと消えました。

Z31が、どうも厳しいデザインで、Z32でよくなったと思ったら、S32で元の木阿弥

グダグダのデザインになった。

どうも車のラインに一貫性がない

日産にはないのか?定規。

でも、今日の講座も、面白いなぁと思える時間が過ごせてよかったです。

日曜の午後3時からからという時間は結構厳しいものがありましたが、ためになったのでOKかと。

時々開かれていた講座は、なんともはやたのしい講座が多かったです。

チシタリアの車体の修復、塗装の復元は、自動車の保存とという点では良い勉強になりました。

オリジナルの状態に戻すのは非常に難しいという事は良く判ります。

こうした講座は良い刺激になります。

うちのヨタ、色はアメジストシルバーを、当時の調合割合で作ってもらった特注色です。

個人的に、トヨタに問い合わせても回答はくれませんでしたが、塗料メーカーから頼むとちゃんと出ました。

塗料メーカーでは、それをもとに塗料の調合をして作成しました。

最初の時は、本当に紫色の強いシルバーでしたが、20年もすると落ち着いたいい色になりました。

強い光線の時に、まだ、ほんのりとアメジストぽい色が出ます。

販売当時のオリジなるの状態を目指して努力しました。

実際は、現在は、ほぼオリジナル状態を維持しています。

リアのエンブレムのみレプリカです。

目下の悩み事はウエザーストリップの交換である。

ドア周りをオリジナル品に交換する時期の検討である。

今の時期は、寒くて接着剤がよろしくないので、夏場に交換を目指している。

 

 

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吏員への苦情めいた感想を一つ。

トヨタ博物館は、平成31/令和元年の営業が今日で終了です。

館内の為ですがちょっと残念。

昨日も友人3人と、どうでもよい話を延々と・・・・

どうも、世の中には非常識な方が多いようで(笑)

経営者、親、兄弟・・・身近な人の話題、そうでない人の話題・・豊富である

よく会社のダメ社員の事が出るが、どこの会社でもあるあるがある。

ある市のイベントがダメダメだった話を聞くとどうでしょうか・・・「ボランティアの意味が分かってる?」と聞きたくなる。

まぁ、市役所の吏員(地方公共団体の職員の公式名称)に、多くを期待するは元々無理なことである。

だって、多くの場合、クラスに居たであろうトツプクラスの頭のいい子(大抵は勉強ができるだけの非常識)が、進学校へ進み、比較的良い大学を出て、市町村に入る。

大抵の場合は、言わゆる一流私大、二流ぐらいの国公立大がものすごく多い。

時々、某私大(親中的〇共産党的な立て看板がものすごく沢山あったところ)は、一般企業が採用してくれないので、ひたすら公務員試験に特化して、大量の公務員合格者を出していた(今は知らない)。

最近は、大学生でも、大原簿記専門学校の公務員試験講座をせっせと受けている者が多い。

高校を出て、1年から2年間試験勉強に特化しないと受からない程度の頭脳の者がものすごく多い。

うちの役所でも、高校出て入ってくる者のほぼ90%はその手の者である。

大卒でもそれほど変わらない。

で、公務員にはなりたい、どこでもいい、ここしか合格しなかったので来たというのは最低で、ここ10年ほど質の悪い(ものすごく頭が悪い、呑み込みが悪い、理解力が低い・・・ここまで程度が低くて大丈夫か?というレベルの者がものすごく多い・・・)

最近は、さすがに少なくなったのであろうが、市長、助役、収入役の採用枠と云うのがあった

一次試験さえ通れば、二次は、なんとでもと云う前近代的な、と云うか、マックスウエーバーの類型で言えば、伝統的支配を行っていた。

某市では、一次試験の合格者のうちで、何十番までが、合格していた。

その何十番は、誰かのひも付きだった。

1番から数番までは必ず、獲れるんものなら取る。

しかし、歯抜けの様に採用される者は、後ろに行けば行くほど、ひも付きという事は判った。

某市では、上記3名は結構後迄枠を持っていたことである。

部長級ではそんな権限は無かったそうである。

つまり、新規採用された者のうち数人は、本来的にはちょっと能力が劣る人という事になる。

全体では、何割かがその手の人物と云事になる。

市の職員が、その手の人間が増えれば、その分組織の能力は低下する。

で、話は戻る

某市は、名古屋駅前の様な街造りをしたいと考えている節がある。

それは、世襲のカスの様な国会議員の構想である。

地域的には終わっている。

繊維関係、繊維問屋、縫製業が栄えていた地域だった。

元々、戦前からその手の産業で栄えていた地域ではない。

戦前は、隣接市に航空機産業があり、軍の施設もあった

國鉄の主要な駅があったので、物資の集積地という意味合いは多かった。

江戸、明治、大正期は、川の水運で栄えていて面もあったが、ダムの建設で水量が減り、自動車、鉄道の輸送が大きくなると水運はすたれていく。

川湊は、大正昭和初期で死滅する。

戦後、北陸、舞鶴に引揚者が上陸、各地に帰る時の中継地として栄え、物資の集積地として、衣料品の一大問屋街ができた。

昭和の終焉から、平成初期にかけては、道行く人で、歩道はあふれていた。

又、柳〇商店街など人、人、人であった。

人と人の間隔は、数十センチ・・・まっすぐ、歩くのが困難なぐらいだった。

しかし今はどうであろうか、日中平日、人の歩く間隔は、10メートル

まっすぐ歩いても問題なく行けてしまう。

歩いているのは、後期高齢者がものすごく多い。

若者・・・・・まずいない

私鉄、旧国鉄駅近くに、夕方は沢山若者がいる。

それ以外は、まず、若者はいない。

地域的には、ドン詰まり感がある。

酷い感じである。

でも、名古屋駅みたいな繁華街にしたい。

性風俗街はいらない。

パチンコ産業もいらない・・(今はもうありません)

健全な産業だけがあればいい・・・

という夢想をしている(らしい)

現実は、人は少ない、夜は真っ暗、風俗街も、閑古鳥

風俗街は、県警へ、警察庁から出向が来るたびに、締めあげるので、時として、女の子が東京へ流れてしまったという。

若い子は激減して、バツイチ子持ちが私鉄、国鉄沿線から集まってくる。

元々この市には長期的なビジョンがない。

以前、外部から連れてきたが、結果は・・・

あったのかねぇ。

市庁舎を新しくしたぐらい?

路面電車を無くしたことで、地域のつながりを断絶しただけである。

又路面電車の消滅で、市町村間の意識の断絶をまねいた。

この市では、旧市街(元天領)と合併した地域とで扱いが違う。

某川より南側は、旧市街地は、天領の国鉄線より北と、国鉄線より南の旧〇〇藩に分けらえれる。

旧天領地域は、道路整備も進めて、まるで大都市の様な車線規模であるが、旧○○藩の地域は、相も変わらずごちゃごちゃしている。

国道へつながる道はほとんど、対面1車線しかない。

名古屋へつながる大きな道もそこへつながる道のうちで、旧天領はからは2車線道路である。

また刑務所、女子短期大学、薬科大学も川向うへ

結果、街中には若い人はいなくなった。

短期大学の周囲には民家しかない。

若者が好むような店は皆無である。

主要駅前でさえ、ほんの一部に飲食店が広がるだけである。

この飲食店は、名古屋から帰ってくる人が一杯やって、さらに奥地に帰っていく人が多いが、それらの店も激減している。

観光資源を生かすことを考えているが、ほんの一部の部分の地域でしか展開ができない。

市全体で、点在していた建物も、旧天領以外は、論議もせずに破却してしまう。

ある式典では、市長、市の幹部が延々と、祝辞を述べて、子供を寒空にビニールシートを敷いた上に延々と座わらせて放置したり、ボランティアの人々を、一日拘束して・・・朝7時から呼んで・・・昼弁当さえ出す気がない。

ボランテイアは、手弁当であるが、式典で使うのは公務の要請である。

公務の要請でありながら、ボランテイアだから昼食も出さなくていいという理論は、地方公共団体の吏員の程度の低さを露呈しているだけである。

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家族の絆?

あるご家庭に、大変凶暴なご子息がいた。

ある事件を起こして、少年院に入り、出てきたが家族にとっては恐怖の的

父親は、意見を言わない、お追従ばかり言う

母親は見て見ぬふり。

幼児のころに、父親が、頭の悪そうな上司に馬鹿にされてもないも言えないを見てから、物事を信じることがなくなった様である。

保護司は、家族の愛があれば立ち直れるという。

親は、保護司が、語る保護司自身の偉大な過去・・・を語るの聞いて辟易としていたという。

弟がいたが、この凶暴な兄を見ていると恐怖しかなかったという。

凶暴な兄は頭がよく、行動力もあったが、頭のネジがなかった。

大人の女性の襲ったりもしていたらしい。

その内、生き物を殺すことで快感を覚えるようになった。

困った人であった。

現在なら動物の愛護の観点から逮捕も有り得たが、その当時は、保健所が飼い犬を引き取るような時代であったので、野良猫が死んでいても変んな死に方で終わりだった。

首の骨を折って殺していたらしい。

しかし、ある時からその者をパタッと見なくなった。

親も家族も誰も知らない、知らないどころか、いなくなってホッとしていた。

彼の家族は、その後、市営住宅から転居して行方は知らない。

この時に、保護司?の爺さんは、家族の愛、家族の慈しみの心があれば、更生すると言い続けていたいそうである。

親も、弟もそんなことは1ミリも信じていなかった。

不良なんてかわいいものだと言っていた。

家の中を野犬が歩いている。

そんな感じと云っていた。

親は、殺したいぐらいだと言っていたがソンな事もできずひたすら頭を下げて、野犬が外出ていくのを待つ生活だった

野犬は、暴君であった。

被害者のへの賠償も多額になり、親は首が回わらない程になった。

この長男さえいなければと思いつつも、その実行は、ためらわれた。

そうして、ある時から、暴君はいなくなり、この家族も行き方知れずになつた。

どこへ行ったのだろう。

彼らは・・・

 

 

 

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臭い人

私、匂いに非常に敏感です(笑)。

よく宣伝で、気が付かない口臭の云うのがある。

歯を磨いてない匂いもよくもないが、少し離れれば、匂わない。

他の匂いで、加齢臭は、50センチ以上離れれば何となくOK

爺さんがよくて着けているポマードの油の匂(におい)もダメである。

タバコの臭(くさ)いのは・・・1メートルから2メートル離れればOK

タバコの煙の匂いは、20メートルぐらい前を歩きタバコしているバカを見つけることが可能である。

臭うなと思うと風上のだいぶ前を歩く人間の指にはタバコである。

今時、歩きたばこをするような馬鹿がまだいるのかと云うレベルである。

最低な奴は、自転車に乗りながら指にタバコは三でいるバカがいる。

これが、時々、火の粉が舞う。

ある夜、繁華街の横断歩道の前で、信号が変わるのを待っていた人に、たばこ指に挟んで横切ったバカが、人に、ぶっかって火の粉が飛んできたことがある。

あぶねぇなぁと思った瞬間

酔っぱらいのおっさんがぶつかった。自転車の爺の指から、火の玉が飛んで見えた。

アブねぇぁと思ったが、ぶっかった奴は、当て逃げで、全速力で逃げた。

自転車、歩行中の喫煙は、大体、50代以上の爺さんが多い。

街中で、子供がいるのに火のついたタバコを持って歩く神経・・馬鹿じゃないかと思う。

大体、服が臭くなるから避けたい。

夏場に、ある程度の発汗作用による臭いは我慢できるというか、我慢することにしている。

自分もたぶん、汗、臭いので、ものすごく気を付ける。

制汗剤を使用して、こまめに出先でも顔や手は洗う。

出来れば着替えたりする。

汗臭い服は・・・・5メートルぐらい離れればOK

化粧臭いの・・・ものにもよるが、即気分が悪くなる。

以前、流行った香りのする洗剤をつかった服の残り香、まるっきりトイレの脱臭剤だった。

馬鹿が、沢山入れれば、加齢臭が消せると思ったのか、おっさん連中の服がものすごく臭かった時期があった。

これは、数分で吐きそうになった。

電車の車中で、車両を移動したぐらいである。

とにかく臭い、臭いなんてもののではない。

ちったぁ、考えろよ思う。

最近は、猖獗(しょうけつ)の様に使用が広がっていたが、最近は下火で安堵している。

閑話休題

先日、久々に、口の臭(くさ)い人に出会った。

口の悪臭のする人は男女問わず多い。

感覚的には、総じて、女性に多い気がする。

この匂いは、なんというか、吐きそうなにおいがする。

歯槽膿漏のの臭いも強烈であるが、これは、糞便の香に、膿みの臭いを混ぜた感じである。

(20年ほど前に、ものすごく貧乏な家に行ったことがある。

 そこの住人が、歯槽膿漏の末期で、建付けの悪い戸が閉めある室内から異臭がしていた。

 戸を開けて出てきたときには、死体でもあるんじゃないというぐらい臭かった。

 歯はほとんど抜けて、老人のようであった、顎(あご)は、変色しているぐらいで、物がたべられないとと云って居いたが、聞くと

 歯がどんどん抜けて、臭い、保険がないから医者もいけないと言っていた。)

具体的には、腐敗臭というか、排せつ物臭と云うか、とにかく強烈に臭い。

その人と、話をしていると、腐敗臭の塊が顔に飛んでくる感じがする。

不愉快と云うか、気分が悪くなる。

先日ある支店へ用務があり訪れた時に対応した女性の課長がその典型だった。

こちらは机の前に立って話をして、向こう様は、座っている・・・こちらを向いて話をした瞬間、ものすごく臭かった。

排せつ物臭が、ものすごい勢いで飛んでくる。

空気が臭い。

周囲の人は・・・何とも思わんのかねぇ・・

というか、部下の子たちは…気の毒だなぁと・・・・・

まぁ言えませんよね、排せつ物臭がするなんて・・・

100年の恋も一瞬で冷めそうである。

話を聞いていいると、総じて、この手の人は、発酵食品が好きな人が多い。

特に、自家製の漬物・・・ねぇ

前の妻が、実家から帰ると決まって2・3日臭かった。

臭い人がいると、徐々に離れていく私が、嫌だなぁと思う事もある。

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どうなるのでしょうか?

日産、三菱、ルノーが組んで、最先端技術の開発会社を作るそうな。

自社の社員供出するのだろうか?

供出する人員削減できる???

三菱は、日産と組んでいいことは基本的には何もない・・・

アライアンスをすることで、費用対効果は、調達費の削減を第一に挙げることがあるが、現実はその逆で、アライアンスのおかげで調達費が高騰している。

常識が通用しないのが日産である。

共通化したパーツを日産から買うと、前よりも単価が上がっている。

アライアンス効果はない。

日産は子会社から利益を上げることに血道をあげているという事になる。

悪く言えば、本業で儲からないので、見せかけの売り上げを伸ばす道具にしているということである。

日産は、前に自社の系列だったパーツメーカの日立製作所の子会社、日立オートモテイブシステムが、ホンダの子会社、ケーヒン、ショーワ、日信工業を吸収合併したから、日立はうちの関係だから、うちのいう事を聴くだろうとという甘い考えがある様である。

合併会社の株式は、日立製作所が66%残りを本田技研工業が取得する。

ホンダは何も、すべての部品を自社の関係会社から買っているわけではないであろう。

現に、ブレーキは、オランダ(だったか?)から導入して失敗している。

部品調達割合の問題もあるので、一概に、悪いとは言えないが、「最近どうなんだ?」という気もする。

新しい会社、日立製作所がが主で、ホンダが従という立場であるが、ここに日産はあまり関係がないが、ホンダをグループに入れようと画策する時に、この吸収合併で恩を売った気でいるらしい。

銀行の無理筋という話もあるが何とも言えない。

冗談で、ホンダが、四輪から撤退するとどうなるという話をしていたら、「ナマナマしい」と云われた。

日産がホンダを傘下に置くことは根本的に無理がある。

馬鹿が、利巧を使えるかと云えば、使えない。

ホンダの四輪車の生産規模は半端ないものがある。

どこも引き受け手はないであろうことは、容易に想像がつく。

日産は、昔の権力を懐かしむ、退職官吏の様な風情を露呈することがある。

これは、勘違いの馬鹿で済むが、現実の企業家活動では迷惑千万という感じがする。

日産の研究開発費は高水準で推移しているから、日産の車開発は安泰だと抜かしてい文筆家がいた。

現在の日産は、ほとんど全部丸投げである。

結果として、外注開発費が高水準で続いていると言う事に他ならない。

昔の様に、自社開発の技術磨くための開発費ではない。

単に、アウトソーシングはした、でも、実質は丸投げ、でも開発担当はいる・・・何をしているのか?

研究開発の金額が変わっていなから、安泰というのは、木を見て山を水の典型である。

以前なら、社内で済ませていたものが外注となれば、費用が上乗せされるので、単価は高い。

燃料制御は、ボッシュ、新車の開発は、軽自動車は合弁会社へ丸投げ、四輪駆動車も三菱へ、ほぼ、丸投げ。

現在使用しているである、研究開発費のうち、外注で生じる手数料部分を引くと幾らになるんだろうね。

実質、2から3割は、減額して計算しなければならない。

つまりは、現在の研究開発費は、以前の2から3割は、実質は減っていることになる。

三社合同で…というが、日産が、買われた会社とという意識を持たなければ上手く行くものもいかないように思う。

 

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善行を積むべきか?「恩讐の彼方に」(菊池寛著)

自分で言うのは何だが、悪いことは一通りした気がする。

大悪人ではないと思うが、小悪人程度であろうと思う。

ばれてえらい目にあったこともあるが、それは子供のいたずらで済んでいた。

やった内容は、とても言えるようなことではないが、馬鹿の極みという感じが今でもしている。

で、共犯は常に自分が主犯でも、すぐに嘘をついて従犯ぶることが分かったので、共犯の要るようなことはしなかった。

でも、犯罪は、ばれるのである。

ばれなくても、罪は重いのである

罪を解消するためには善行を積むしかない。

そう思う事があった。

陳腐な話であるが、宗教(仏教、キリスト教、イスラム教、拝火教、インド古代思想関係、ギリシャ神話)の経典、解説をを読んでも、ピンとない。

残念ながら、忖度という文化は我が家にはない。

又、忖度なんて勝手に想像して、勝手にバタバタするようなことはしない。

何となく、無駄な感じがするからである。

宗教関係の本とういうか経典の記述は、基本的に勧善懲悪、罪を認めなさい、認めれば許されますという風である。

丁度、物を見るのに、クリスタルガラス越しに見るのと、オブラート三重(さんじゅう)重(かさ)ねぐらいの透明度の差がある。

私は、根本的には、愚かであるので、オブラート三重重(さんじゅうかさ)ねでは意味が判然としない。

何となく、自分の判断が入ることは、思い込みで唾棄すべき結果をもたらすとしか思えない。

だからこそ、共通の言語で、共通の認識での対話ができる、クリスタルいガラス越しの解説が読んでみたいと思っていた。

しかし残念ながら、勝手な思い込みを助長するために存在するのが、経典であると気が付いた。

つまり、宗教の分派闘争の原因は、解釈の違いに起因する闘争であると考えるべきである。

勘違いを誘発させることで、より多くの階層、階級から宗教への帰依者を呼び込むための広告宣伝・・・(宗教関係の方々ごめんなさい、私論ですから)としての経典と考えれば、きちんと書くはずがないのである。

閑話休題

菊池寛氏が昭和7年ぐらいに書いた「恩讐の彼方に」という小説がある。

悪党が、前非を悔い諸人救済を発願し、その姿は生き仏となり、復讐という障碍(しょうげ)さえ消し去る力を得るといううも小説である。

江戸時代後期に、交通の難所(現在、青の洞門現在呼ばれる場所)に隧道を開削した話が基本になっている。

実在の僧「禅海」が托鉢勧進で、資金を集め、石工たちを雇い掘った史実をベースに書かれた作品。

小説の主人公である了海(俗名 市九郎)は、独力で掘り続けたと作品中にある。敵討ちの話も創作である。

主人公の市九郎は、旗本中川三郎兵衛の雇人であった。主人の愛妾と密通し、露見して手討ちされそうになるが、主人を切って、女と逐電する。

この二人は、中山道、鳥居峠で、茶屋を、隠れ蓑に、人斬り強盗をしていた。

ある時、若夫婦を切害したあと、お弓の強欲さに恐れをなし、さらには、自らの罪業に恐れをなし茶屋を蓄電。

走り逃げて、美濃大垣の浄願寺で、出家を果たし、法名を了海と名乗り、滅罪のために全国行脚の旅に出た。

行く先々で善行を積むが足りないと感じている。

九州の山国川の難所である鎖渡しで多くの人が亡くなることを聞き及んだ。

そこで、その難所の岩場を掘うがち隧道(隧道、トンネル)開削して、事故で命を落とす者を救おうという誓願を立てる。

在郷の者は、キチガイ坊主、詐欺師とののしる。

一人で、堀うがちて行くほどに、一時期は寄進があるが、先の見えない出費に恐れをなして、数年で、一人で掘り続けるという日が続く。

18年目の終りになり、中津藩の郡奉行のお褒めの言葉をいただき、再び、石工を雇って、掘削作業を進めることができるようになった。

了海が殺した主人の子「中川実之助」は、御家再興のためにかたき討ちに出ていた。

仇討ちのため、諸国を遍歴し、農民が話す了海の事を聞き及び、山国川の難所で隧道を開削中であることを知る

了海は、親の仇を名乗る実之助に素直に斬られることを望むが、石工たちが必死に止めに入ったため、石工の統領の申し出で、開通まで仇討ちは日延べすることとなった。

実之助は、本懐を遂げるために、夜に行って、斬ろうとする。

すると、一人や中も経文を唱えながら鎚を打つ姿に心を打たれ、石工たちに混じって掘削を始めた。

21年目の夜、ようやく洞門は開通する。

約束通り、了海は、自分を討たせようとするが、実之助は仇討ちの心を捨て、市九郎に縋り付いて号泣する。

こんな話である。

要は、悪い罪業は、善行を積み、人助けをすることで、解消、霧散するという話である。

さすがは、菊池寛であると思いつつ、いろいろと整合性がないところは、脚本用であるが、目をつぶって読みとおせる。

これを初読したのは、中学のころである

なぜか、新劇の「父帰る」を見ていたく感動した(←単純バカ)からである。

そこで、菊池寛の本を読もうと考えて、家にあったの探すと、題名がよいではないか

「恩讐の彼方に」

題名で感動したの、「復讐するは我にあり」に次いで、好きな題名である。

一番危ない題名は、三島由紀夫の「憂国」であるが、中身は、226事件を題材にしているが、エロ小説である。

今の職場に入った時に、悪事からは足を洗おうと思ったからである。

とはいえ、汚れてしまった魂は、容易に浄化されない。

漂白はムリである。

そこでなぜか、発然と、「恩讐の彼方」を思い出した。

単純バカな私としては、善行を積めば、多少は、許してもらえるかもしれないと思った。

では、誰に許しを請うのか。

その当時は、神様(西洋的)を信じていたので、その手の神様という事になる。

そこで、困った人がいれば手助けをして、年寄りには親切にして、障害のある方の手助けをしたり、善行を積む努力をしている。

それは魂の救済という打算から出たものであったが、今では、一番上に貼りついてはずれないのである。

そもそも、善い事とは、主観ではないかと思う事がある。

善悪の区別は実は物凄く微妙である。

区分は時代で替わる。

だからこそ、信じる道を行くしかないと思うのである。

神とともにあらんことを希(こいねが)うのである。

(ここで言う、「神」は、宗教家の云う「神」ではありません。)

 

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生きていたってなぁ・・・・

友人某は、ある時、「生きていたってなぁ」と云った。

彼とは、彼の親の転勤で、名古屋に住んでいた時に塾で知りあった。

高校ぐらいからの友人であった。

彼が、社会人になった時に、振出がこの地方で、再開して仲が良くなった。

彼は無くなる前に、両親が相次で、癌でなくなっていた。

亡くなった後の事である。

彼は、本当に天涯孤独になった。

会社も辞めていたし、先祖代々の不動産もほとんど処分して身軽になっていた。

都内のだだっ広い家に、一人で住んでいた。

本当に一人だった。

彼の血族と云える親類はどこにもいなかった。

明治大正昭和と過ぎるうちに、一族はどんどん死んでいき、財産は彼の手もとに集まった。

連れ合いを早く無くして、子供のいなかった家、結婚しなかった叔父叔母、三十人近くいた一族は一人減り二人減り

父方、母方の一族が消え去ったのは、平成の御代が15年も過ぎたころだった。

遠方の親戚を探したことがあったそうである。

なぜそんなことをしたのか、と云えば、周囲の影響だったのだと思う。

その昔、「ルーツ」という亜米利加のテレビ映画?で、黒人奴隷としてアメリカに来た人の先祖を辿るという話があった。

小説家が、自身の出身を晒(さら)すなんて小説もあったからだと思う。

まず自分の直系を追っていった。

直系が調べ終わると、親戚を調べだした。

昔は、戸籍は簡単に取れた。

祖先を探しているというと結構協力的だったそうである。

 

探すと、不思議とほとんど死に絶えていた。

墓を探しても、無縁仏になっていることが多かったという。

昔は、沢山いたであろう血族は、完全に消え去っていた。

その事実を知った時に、自分の血を分けた人がほかにいないと知った。

彼は、ぽつ入りと云ったのが「生きていたってなぁ」である。

彼自身は、偏屈な私を友達と思ってくれていた数少ない友人だった。

彼に、祖先を調べるにはどうしたらいい?と聞かれたのは、30年程前の事である。

三十年前に、明治時代の戸籍を調べ、寺の過去帳を調べて、自分の一族を探した。

もともとは、〇〇藩の出である。

明治戸籍には、士族と書いてあったそうである。

最初から、非常に困難を伴う事業であったが、5年もすると、ほぼ一族、200名ほどを調べ上げた

性能悪いPCに打ち込んでは、一覧表を作っていた。

ある時、ある事実に気が付いた。

嫁に行くと、子供ができない。

嫁ぎ先の夫が死ぬ。

夫の弟と再婚する、子供ができない。

夫の二親が死ぬ、弟の夫が死ぬ。

家が絶える。

嫁を貰う、子供は10人に一人しか成人しない。

子供のうちに、ほぼ全員が死ぬ。

昭和になると、加速度的に死んでいく。

成人した子供は、男は、戦死したり、結婚する前に死亡している。

女の子で成人した者は婚姻しても、戻されて、死んでいる。

生きていた人が居たが、彼も知っていたおばさんは、狂気の世界に住んでいた。

戦前から脳病院を住処(すみか)にして、彼の小さいころに、座敷牢に住んで奇声をあげる人だった。

ある時、彼が、大叔父の家に行くと、いつも、近づいてはいけないと言われていた離れ屋の中に誰がいるのか見てみたくなった。

怖いもの見たさで見に行くと、壁の隅から覗き込んだ。

廊下と座敷の間には格子の仕切りがあった。

何だろうと思い、よく見ると、格子の仕切りは、明治村で見た牢屋そっくりだった。

その奥には、年を取った老婆が、二百三高地結いで、黒い着物を着て座っているのが見えたそうである。

色の白い、老婆は、何かぶつぶつ言いながら、紙をちぎっていたそうである。

この老婆が、ふと顔をあげると、目線が交錯した。

すると、老婆は、「にったぁ」と笑い、

「兄さん、遊んでくださいよ」と云った

「ねぇ、○○にいさん」と云いながら、ちぎった紙を蹴散らしながら立ち上がってきた。

格子をつかむと、うつろな目で、彼の眼を見たそうである。

その時に、後ろから大叔父が彼の肩をつかんで、

「来ちゃいけないと言っただろう。」

それが聞こえたのか、老婆は、「おじい様、お兄様をぶたないで」と叫んだという

「○○兄さん」とは、大叔父の事である。

この老婆は、ほどなく亡くなり、大叔父もなくなった。

この老婆の為に、彼女の親は、莫大な財産を残していた。

皆が相続で分配を受けた。

大叔父が亡くなると、又、全員が相続の恩恵を受けた。

皆が、相続税を払ってもいくばくかの金が残るような財産だった。

結局、皆死んでいき、財産は、彼のうちに集まった。

彼は、うちの一族には、何かの罰があるのだろうと語った。

「だから、娘はひき殺され、妻はそれを気に病んで発狂して自殺した。 

 両親は、ほぼ同時に死んだ。

 どこをどう探しても、血族なんてどこにもいない。

 どう思う?」

「これでも生きている価値があると思うか?」と云われたが、さすがに返す言葉なかった。

「生きてる痕跡も残してはいけない、そう思うのだがどう思う?」

彼は、「死神を見てみたいと思う、どんな顔してくるんだろう」とも言ったが

「案外、身近にいて見て笑っているのかもしれない」と云いながら

「ものすごく悪い先祖が居て、七代祟られたかな」と云って最後は笑っていたが、

僕に向かって

「自分を悪人だと言い切るところはすごいよな、ほんとに悪いことして来たとも思えないんだけど」

「反省したら、許してくれるかな?」

僕が、「誰にたいして?」

「多分、名前の書いてない位牌の相手さ、江戸の末期の年代は判る。手遅れだろうな。深い恨みだったかな?」

と云いながら、彼は、「今日は時間取らせて悪かったなぁ、うちの両親も喜んでくれたと思うよ、ありがとう。」と云った。

その後、数年会わなかった。

ある時、駅の改札を出ると鋭い目にあった

彼だった、こっへ来たので、ここに居たら会えるかなと思って待っていたといった。

こちらは軽い気持ちで受け答えをしていたが、帰宅を急いでいたので、挨拶もそこそこ分かれた。

そうして、その後、彼は縊死した。

私は、その報に接して、もすごく後悔した。

もう少し話をしたらよかったかもしれない。

そうして、ふと思ったのは、自分がもしかしたら・・・彼のいう身近にいて笑っている者のなのかと思った。

命なるかな。

 

 

 

 

 

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独り住まいの危険

昨日の夜遅く、わんこの散歩に出た。

すると裏木戸から外へ出ると、やたらと明るい、赤い回転灯がぐるぐる・・・パト―カーが一方通行を塞いで反対方向で停まっている。

近所のお姉ちゃん(おばちゃんであるが・・)に聞くと、アパートの一人住まいの兄ちゃんと連絡が取れなくて中国地方の権威在住の母親が、県警に安否確認要請・・・うちの県の県警へ安否要請・・・で、警察が来た

電氣ついてる

携帯なってる

室内で倒れてる?寝てる?

呼んでも反応がない・・・

救急車、なぜか消防2台、ガス爆発があった場合の対応かな。

消防署員、山のよう

警察2名

野次馬、近所暇な爺さん数名、通りすがりの夫婦もの、近所の人数名・・・

36分、許可取れました。

窓破壊に入ります。

バリン、ボコン。

本人確認、意識あります

体調悪そうで、ボーとしてます。

お巡りさん確認報告

消防署員

担架で運び出す担架出して、ストレッチャー用意してあります。

お巡りさんに、「生きてましたか」

「ええ」

「良かったですね」

「ホント良かったですよ

 ○○県の親御さんからの安否確認で、臨場反応がないので・・」

「親御さんも心配ですものね」

で、救急車で搬送されていきました。

遠方に一人で家族が暮らしていると不安だよねとは思う。

ふと友人の事を思い出した。

実は、一人は怖いと思う。

山椒魚という小説で、岩屋に閉じこめられた山椒魚が、「ああ、寒いほど一人だ」と嘆息を漏らす。

実際に一人の場合と、精神的に一人の場合とどちらがダメージは大きいかと云えば、精神的孤立していくと非常につらいものを感じることは良く判る。

最初の妻が出て行ったとき、と云うか追い出した時に、荷物が無くなった部屋にたたずんた時には寂しい気持ちがした。

ある時、職場で孤立していると感じた時には、逃げ場がないと感じたその時には、この山椒魚の嘆息をよく思い出した。

行き帰りに、「ああ、寒いほど一人だ」そう嘆息しつつも、子供を迎えに行く時は、仮面をかぶりにこやかに過ごしていた。

その時の、相談できる友人は二人ともいなくなっていた。

彼らは、結果とし一人となってしまい、最後には死んでしまった。

これら一人暮らしの友人が死んだという連絡は、3回もらったことがある。

一人は、隣の市なので、手紙を受け取って、すぐに見に行くと、警察消防が来ていた。

ストレッチャーが足を出したまま路上で待っていた。

丁度、昨日の近所の風景と同じだった。

遺書を握りしめて、警察官に、「生きてますか、生きてますか、生きてますか」と聞くと、

「あなたは?」と聞く

遺書を見せるとこっちへ・・パトカーの中へ

遺書を渡すと、警察無線が聞こえる、死亡を確認・・・

救急車はそのまま帰っていった。

天井縊死。

事情を聴かれて、遺書を預けて帰った。

もう一人は、家族全員(妻、子、両親)が死滅してしまい、「生きる価値がない」とぽつりと言っていた

そうして、弁護士にすべてを任せて死んでしまった。

連絡は、弁護士の友人から、電話で、なき声で、「しんじまったよ、馬鹿だなぁ。」と云って言っていた。

もう一人は、イベント会場で倒れてそのまま不帰の人であった。

葬式の連絡を、当日の午前中の通期時間に受け取ったのでいくこともできなかった。

この後、数年間、寂しい気持ちがどこかにいつもあった。

 

 

 

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昔のはなし

フランスから帰り、まだ、あぶく銭があったので、今度は、イギリスに行くことにした。

当然の様に、美術館、博物館・・主眼は、日本機、の見学である。

実は、あぶく銭があったので、結構なホテルに泊まったので、コンシェルジュが大変親切であった(当たり前だが・・)。

日本で買った旅行ガイドにおは軍事博物館は載ってない・・・(当たり前)

美術館、食堂、パブは載っている

飯はまずいと書いてある。

で、丸善で買った(昭和初期ではないヨ・・・・)英国のガイドブック・・・辞書を引き引き調べて、紙が挟んであるページを開いて

○○へ行きたいというと、しばらくお待ちくださいと鼻に掛かった大英帝国英語の回答が来る。

まっていると、チューブを使われますか?来た・・・・

チューブ?、うーん???

あー、コロニアルでは、サブウエイと云います。

「オー、サブウェイ!・・・・」

で、駅名と駅の場所と博物館の場所を指さしてくれたので、鉛筆で〇をつけた2。

帰りは、ぐったりで、タクシーで帰る

ホテルの名刺を渡す・・・連れて行ってくれる。

毎日、コンシェルジュとものすごく悪い発音で会話して、教えてもらい、行くという生活。

当時ぶら下げてたのは、ライカⅡDレンズ、3本、標準、広角、望遠である。

で、服装は、綿パン、フランスで買った憲兵隊の払い下げコート、英軍のベレー帽・・・

かばんは、日本軍の大型マップケース、雑納

これを3日間

ターナーは丸っと1日

で、五式戦闘機、と百式新司令部偵察機が見たかったので、ターナーを見に行った夜、結構、若めのコンシェルジュ(と云っても40ぐらい?)に、相談した。

このコンシェルジュ、夜は大抵いた。

随分とお悩みでしたが、しばらくお待ちをと云われて、1時間ほど待っていた。

上着を脱いで、カッターシャツになっると、他のお客がじろじろと非難めいた眼でみる。

黄色いサルは座るなとという事かと思っていたら、ウエイターが、上着を着ていただけませんか?と

「?」

すると、「下着姿でいるのは困る」と云われた。

「下着?」と思ったが、カッタ―シャツは下着扱いだと気が付いたので急いで上着を着た。

マナーブックに書いてあったと思った・・・

そんなこんなんをしていると、若目のコンシェルジュさん曰く、1時間ほどならば見学できる。

その当時は、公開していなかった。

パスポートを検問に預ける必要がある、カメラは持ち込めないがよいかと云われた。

翌日、タクシーで空軍基地まで行き、ホテルの紹介状を出して、パスポートとカメラを預けて・・・基地の中を移動・・・

見せてもらえました。

なんだか、ものすごく大きな機体だなぁと思いました。

エンジンがやたらと大きい。

で、1時間と云っていたのが、2時間ほど結局見て、話を聞いて、英国での飛行記録はないという話を聞いたり、エンジンは、数年前に動いたといった話を聞いて、機体各部の文字なんかをメモを取りつつ、RAFの人と話をしていると、以前日本の雑誌が取材に来たとも言っていた。

機体に登らせてもらうときに、靴を脱いだ。

足掛けに足をかけてもいいかと?と聞くと、手を組んでくれたので、そこかを足掛かりにして、主翼の上に。

すると、突然、座席に座ってもいいと言われて、座らせてもらった。

結構狭い(私の体が、平均的な日本人よりも大きいだけかもしれませんが・・・。)

そうして、ボーとしながら、又外に出されましたが、タクシーは、一日チャーターだったの待っていました。

ホテルに帰るときに、飛行場のヘリを通るとトーネードが・・・・

なんか嬉しくて、うれしくて(←バカ)、帰ると、コンシェルジュにお礼を言った。

夜、若目のコンシェルジュにお礼を言いつつ、話をすると、写真を一枚見せてくれた。

RAFの制服を着て、五式戦の前に立つ彼の写真であった。

そうして、ウインクして、良い旅をと付け加えた。

私は、縁(えにし)を感じた。

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