« 2019年12月 | トップページ | 2020年2月 »

私の研究姿勢(産業考古学へのアプローチ)、嫌みの様な調べ方

私は、研究テーマが、中部地方における昭和元年から昭和27年までの自動車史、戦前戦中期の航空機関係、生産技術を含んだ研究である。

研究姿勢は、最近の資料は基本的にはほとんど読まない。

だって嘘が多いもの。

ないことをあると書く。

「愛知県史」なんて御大層な本がある。

「中京デトロイト化」の文章が資料として掲載されている。

当時の資料には、「中京デトロイト化」と書いてある。

現在では、「中京デトロイト構想」「中京デトロイト計画」とか書いてあるものが多い。

しかし、構想と云った場合に、誰が構想を立てて、構想の実現化を図ったのかという事は、どこにも記録がない。

「構想」を裏付ける資料はない。

では、「計画」はどうか?

「計画」という事は、主体的に計画を立案して、計画を実行するための「計画書」が存在するはずである。

そう考えて、資料を延々と漁った。

出てきたのはたった二つである。

その頃の名古屋市議会の記録、市の広報、名古屋市予算案、市長の年頭あいさつを読んでもどこにも、「構想」や、「計画」を

記録したものはない。

出てきた資料で、後年、市の報告書(秘密報告)では、不可能だったというくだりがあるが、「計画」も「構想」とも何も書いてなくて、突然、アツタ號、キソコーチ号、ローランド號の記事が書いてあるだけである。

其れも、秘密報告である。

これは、市の政策担当者が、当時の市長に対する忖度として書いたと言われる。

この構想、計画があったと書くようになったのは、自研社の尾崎某である。

要は、さも立派な計画や構想があったと語るために、造語しただけである。

彼が書いた文章を読めば、アツタ號は、馬鹿にしている、キソコーチ号も評価はしていない。

豊田喜一郎氏が絡むと、ほめあげる。

この尾崎某は、戦前は、日産べったりの人だった。

戦前、トヨタ自動車工業の電気自動車の研究生産を、自身の主催する雑誌で、痛烈に批判をしている。

自動車製造法違反だとまで書いている。

おかげで、トヨタは電気自動車の研究開発を、上海へ移したともいわれる。

(私の調査研究では、現実的には、電気自動車の研究開発は、名古屋自動車製作所へ移管したと思われる。

 名古屋自動車製作所は、元々は電車の製作会社であったが、日本車輛の出資を受け、後にトヨタ自動車工業の出資を受けている。

 日本車輛の子会社化後は、バスのボデイを製作する法人だったが、トヨタのバスボデイを生産することから、トヨタから出資をうけている。

 日本車輛からの出資、トヨタ自動車工業から出資時にそれぞれ、役員が送り込まれている。

 トヨタからは、神谷正太郎である。

 名古屋自動車製作所は、昭和14年ごろから「ナゴヤ電気車」(乗用、貨物:トラック)を生産販売していたらしい。

 戦災で工場が焼けてしまい、資料がないのが悲しい)

 戦前の名古屋では、トヨタのバスシャーシを使ったバスボデイメーカーが他にもあった、名古屋車体製作所という会社もあった。

 これは、大阪の人が出資して名古屋に作った会社である、戦後廃業している。)

何が、あったのか知らないが戦後は、トヨタべったりの人である。

だから、「中京デトロイト化」という起爆剤が、トヨタにつながるとなるとほめる。

褒めるためには、中京財界人の新規事業の模索、大義名分は、名古屋市長の発案として、さも大規模な構想・計画があったとしたかったのは想像に難くない。

現在の記事の多くが、間違った記録の劣化コピーである可能性が高いので、当時の資料を探し出して読むのである

戦前の資料は国会図書館で読むことが可能であるから、当時の自動車関係尾雑誌を読むとその時の状況がよくわかる。

その姿勢は、ありとあらゆる雑誌から本からなんでも読むのである。

おかげで、戦前の資料を読んで、世の中に流布されている嘘が沢山あるという事を学んだ

日本は戦前ロードローラがなかったので、飛行場の展開は人力だったという記述や、米軍の建設機材を米兵に使わせたら一人で整地したなんてことが、戦前の陸軍関係者の記憶の文章が散見されて日本の工業の低さを呪う話が沢山あった。

しかしながら、戦前から各社で、ロードローラは製造、販売していた。

自分の知らないことを基準にして話を書く人間の多いこと多い事。

そこには、単なる自分の無知をさらしているだけという事実が理解できないようである。

大昔、日本には、トルクレンチがなかったという人がいた。

栄エンジン、誉エンジンの整備箱には、ちゃんとトルクレンチは入っているが、こういった人は、そんなものが、あるわけないとという先入観で話を作る。

嘘の話が、多いので、真摯に調べるという態度になる。

また嫌いなものは反面教師的にものすごく頑張って調べる。

現在、日産自動車の前の段階、戸畑鋳物(現日立金属)、自動車製造株式会社、ダット自動車、快進社の事を延々と知らべている。

これは、嫌いだからこそ調べるという姿勢である。

この辺りは、理解されない気がする。

 

 

| | コメント (0)

利益95%減少で、M自動車の危機的な状況はどうなるのか?

M自動車は踏んだり蹴ったりである。

ドイツでは、検察に燃費不正で踏み込まれるし、利益は95%減少するし・・である

開発する車は無いし、考えは古臭いし、日産にむしられるし・・・

人材は育たんし、無能な自称キャリア社員を採用しては、キャリアとは、1ミリも関係ないような部署へ配属するという人事上のアンマッチグを平気で行う。

これは、基本的に、一網打尽的な人員導入をしているせいである。

自動車会社にいながら、と云うか、自動車好きなんだろう?

という気がするが、そうでない人が多いようで。

試作車が上がる

みんな見に行く。

ペイペイの若いのは見に行かない。

上司に、「どうでした?」と聞く感覚

何と云うか、「興味ないの?」と聞きたくなる。

私みたいに、現在の仕事に倦(う)み疲れた人が、ルーチンな、しかも、ものすごく面倒な、普通の人ならほぼ100%ネコマタギをするような案件を延々と処理していると、仕事は、お金を稼ぐ場所

生活≠仕事である。

最初から「生活>仕事」だった人なので、会社の人間とプライベートで付き合う事もない。

ゴルフ、釣り、飲酒、会社の話題しかない人との会話をする趣味はない。

基本的に、群れるのが好きではない。

写真のクラブも、多人数で行くと、自由に撮影する時間がないし、光線の具合を待つこともままならないことが多く、個人のプライベートの侵食する人もいたので疎遠になった。

昔行っていた、茶道なんかは、べたべたしなくてよかったが、年齢が上がると、教室の人脈を利用したい人が意外に多いいことに気が付いて嫌になった。

ここで、ズルズルと、その色に染まれると、大人だと言われるか、役所でも昇進する機会があったのかもしれないが、どうも、利益追求集団に埋没することは基本的には困難である。

だって、人づきあいは下手ですもの。

人付き合いが希薄な会社等もある。

変な話だが、M自動車は、一致団結して車を作るはずの会社の中で、各部の部長クラスは、皆、仲が悪い会社である。

組織としてどうなんだと思う。

ここの部長で、航空機の開発をしたこともない人が、戦前の國産飛行機を、自分の思想だけで、批判をしていた

例えば、ゼロ戦をほめる奴は許せない的な話を延々とメールで行っていたのを見て、良い飛行機だとほめるのは良くないという。

であるが、海軍の無理な要求、貧弱なエンジン性能、低い生産レベルを勘案して製作された、当時の技術の粋を集めた戦闘機である。

昭和30年代、40年代から、その時の思想で、昭和10年代の戦闘機を評価する姿勢はいかがなものかという気がする。

非常に度量が狭い。

それに、馬車のような、使っても、使っても、壊れないような車を作ることが至上で、市販車として高性能な車を作ったことない人には、高性能スポーツカーのエンジンの特性は理解していなかったようである。

高性能な車のオイルの交換頻度が多いことを批判していたこともある。

エンジンの発生する熱量で、エンジンオイルの劣化が進む速度が速いという事は考えられないらしい。

サターンエンジンで、設計上の問題なのか、エンジンが稼働中に溶けるという事件があった。

これは結局解消できなかった。

後年、鳴り物で導入したGDIの不調は、テストの段階から間違ったことをしている認識がなかった。

使い方としては、低速でダラダラと運転をする、エンジンをがんがん廻さないという事を考えていなかった。

実験室でのエンジンの設計が、想定していない使い方をするという事を想像できない。

拳母町の自動車会社は、一次下請けが、「こんなテスト必要あるのか??」という実験を延々と行う。

M自動車では考えられない実験である。

そう思うと、N、M自動車は日本経済の膨張進展で、たまたま生き残れた會社という事にある。

衰退局面では、真っ先に消えゆく存在かなぁと・・・

 

| | コメント (0)

新聞と云う、ミスリード

日本経済新聞の共産主義ファシスト的な記事が増えている。

「成人式に民族衣装が多くなった・・・」と云う記事があった

もともと、外国人留学性の多い地域で。民族衣料が増えたという記事である。

和服は、洋服に対をなす言葉であるが、外国人から見れば、日本の民族衣装である。

昔から、日本の民族衣装を着ている女性は大変多かったと思うが・・・記事の表題を読むと、外国の民族衣装が増えた的な表現に聞こえる(読める)のである。

大体において、記事の偏重がひどいと思うことが最近多くなりつつある。

ここ数日、春節来日客、目当ての観光地が大打撃という記事が実に多い。

来日客目当ての産業は大打撃だろうが、中国だけに依存しているからそうなるのである。

ラグビーで、一時的に欧米系が増えたことはいいことであるが、劇的に増える要素はあまりない。

スキー場で有名になったところは、外国のスキーヤーがたくさん来て、投資も増えたけれど、結果、居住費(主に家賃)が、従来の周辺部と比べて異様に高くなってしまったという弊害がある。

中国人の客が減って、浅草でも悲鳴満たない話を書いて喜んでいるが、対馬の様に、ある半島の観光客が増えて、マナーが悪くなり、島民が呻吟しているという事は最初記事にもならななかった。

ネット一部、ひどいことになっていると評判になり、後追い報道で全国区になったが、「〇〇人お断り」ばかりを報道して、何故(なぜ)「○〇人お断り」になったのかは説明しない。

かつて、大陸の公園には、「中国人と犬の入園お断り」という札を、人種差別という人がいるが、これの表面だけをとらえてやまない人種、人権屋と云うか共産主義ファシストの根本的な表層主義の表れである。

これは、「中国人のマナーの悪さと、野犬:狂犬病の侵入を防ぐための最大限の防御である」。

歴史を学ばないのが、ファシストである。

歴史を表面的に利用するのもファシストである。

たとえば、江戸時代、戦前、真っ暗史観と云うのがある。

戦前は、共産主義ファシストにとっては、逃げ回るだけの生活だから、真っ暗だったろうが、一般の人から見ればそれほど、暗くもなかったであろうことは、文化程度を見ればわかるだろう。

大正期のモダンボーイ、モダンガール、浅草六区の賑わい、名古屋でも産業界がこぞって、娯楽産業への投資惜しまなかったし、且、多くの人も娯楽を渇望した。

戦前の新聞を読めば、今とほとんど変わらない紙面が躍る。

江戸時代の農民は虐げられて、固定された身分制度が・・・と、書くのは勝手である。

しかし現実的には、農民は、問題があれば直訴する、代表者1名は必ず死ななければならないが、非道い運営を行った代官、藩主は交代させれれる。

年貢の取り立てが一番緩かったのは、代官所のある天領である。

代官は、幕府の官吏である。非道ことをすると、すぐに幕府に届く。

目安箱ができてからはこれが顕著になった。

だからこそ、天領の農民は、ゆるーく年貢を納め、余った金で商売を始めた。

普通の藩の場合はどうだったか?

酷政が、続けば、一揆、幕府への直訴である。

そうなれば、下手すれば藩は家内取り締まり不十分という事でお取りつぶしになる。

馬鹿殿様は、藩士によって押し込め引退、隠居となることが多かったし、幕府から隠居を命じられることもあった。

尾張徳川家の宗春公を賛美する向きがあるが、あれは、官製の景気刺激で盛り上がっただけで、持続しなかった。

江戸、京都、大阪ほど周辺の地域が豊かではなかった点から、官製の景気刺激は継続性がなかった。

継続的によそから金が流入しなければ、継続的に、栄はしない。

江戸京都大阪は、江戸時代には大量の武士商人が他国から金を持って集まっておいた。

それも毎年順番に別の人間が来る。

彼らは浪費しかしない。

だからこそ、江戸、大阪では娯楽が進歩した。

今はどうだ?

以前は、地方からの観光客がその主たるターゲットであった。

しかし、地方の人口が減少、衰退化すれば当然の様に観光客は減る。

減れば打撃で、衰退を始めた。

ところが世界的には、日本ブームである。

何を求めるのかと云えば、自分お国にないものを求めるのである。

ないもは沢山ある。

だからこそ来る。

今年は、中国人の客が来ないから困るという。

なぜ来なくなったと言えば、基本的には、新型肺炎外理由である。

彼ら観光客相手は基本的には、サイクルが短い。

考えも短絡的である。

肺炎が蔓延して経済が停滞、長期的な打撃を受ける方がよほど困ると思うのだが、そんなことは思わない。

おまけに、これは、ほんの一部の業種のお話である。

新聞の夕刊を使って、朝刊の紙面を割いて、経済新聞が書くような内容か?

新型肺炎の駅用の深刻さを書くならいざ知らずである。

ここで、新聞社と云うか、マスゴミと云うか、既存の報道機関の悪い癖が垣間見られる。

中国発のマイナス話は極力載せないというと姿勢がそれである。

現実的に、日本に住んでいる中国人が、中国に帰って、再び入国してこの新型肺炎に感染していた件は、中国に帰国してしていた中国人と云う部分を隠ぺいして、「帰国した男性」と表現してる。

これを、ヘイトの危険性がるからこのような表現を取ったというのは詭弁であろう。

中国への忖度(そんたく)は、恐ろしいほどである。

日本経済新聞は、京劇の公演でつるんでいるので、忖度していることは想像がつく。

彼らは自分基準にして考えるから、何でも、忖度するだろうと思い込むのである。

これは、下種(ゲス)の勘ぐりである。

| | コメント (0)

13年前の1月28日から書き始めました。

読んでいただいた回数は372863回

13年間の平均 28681回/年

月間平均 2390回/月

一日平均  77回  

記事の数は、1727本

13年間の平均 132本/年

1年間の平均は 11本/月

最初のころは、1週間に1回ぐらいのペースでしたねぇ。

最近は、毎日でしたが、小説?を書くと結構大変である。

とはいえ、お友達から読んでいると言われるとたまらなくうれしかったのも事実である。

基本路線は、読みやすいという事である。

これが実は非常に難しい。

読みやすという事は、流れるような文体という事になる(笑い)。

妙な言い回しは、ダメである。

判りにくい言葉もダメである。

と云いつつ、時々意味わかんねぇと言われる言葉がある。

先般も書いたが、「おとない」という言葉がある

漢字で書くと「訪とない」である。

家を訪れ、「こんにちわー」という奴である。

これを、仕事の記録に使ったら上司は読めなんだ・・・のである。

まぁ、隧道(隧道)が読めんし、意味も分からんのだから仕方がない。

これは、トンネルの事である。

上司と、隣の一般の課長は見たことがないととの賜ったので仕方ねぇなぁである。

まぁ。程度が低いというかなんというか・・・

まぁ、非行防止の指示文中の当用漢字さえ読めない人が副支店長なので、全体のレベルは推して知るべしである。

人は、自分は頭いいと思っているだろ云う人がいるけれど、自分で云うのもなんであるが、頭いいなんて思ったことはない。

いろんなお付き合いがあるので、ものすごくと云うか死ぬほど、頭がいいの人を知っているので、自分は、その人たちを100と考えると30までいけないと思ってしまう。

ちなみに、頭がいいというのはいろいろで、記憶力が非常に優れた人もいるし、計算能力が非常に優れた人もいる、回転が異様に早い人もいる。

記憶力の優れた人は、何がすごいと言って、塾の世界史のテキストを2・3分見ていて、端から端まで全部覚えて、その中の地図まで全部覚えているという異様な友人がいた(今でもいるけど・・日本にはいない)。

記憶力も、応用力も優れている彼を見ていると、何んとなく自分が嫌になることが多かった。

でも、彼よりも優れている面がないでもないから、何となく付き合いが出来ている。

彼は、美的センスはゼロである、だから芸術的な構図は取れない。

事実を事実として写すことは可能であるが、それ以上でもそれ以下でもない。

そのあたりは残念な人である。

いろんな人と出会い、いろんな人から吸収することが多いというのは良いことである。

ちょっとした過誤を修正されることもある。

学ぶことは膨大である。

現在はお付き合いのなくなった人からも多大な影響を受けたこともある。

反面教師だった人もいる。

たびたび登場する、三重苦などはいい例で、彼のようにはなるまいという気持ちがある。

そこで、三重苦にも感謝することがある。

言葉には気を付けるようになった。

金に奇麗なんて自称することの恐ろしさも知った。

言い訳がましい事ばかりを云うのもいかがなものかと思ったこともある。

最近思うことは、何でも勉強であるという事である。

お付き合いのなくなった、車関係の人々を思い起こして、年をとっても、ああは、なるまいと思う。

よく、他人のふんどしで相撲を取るという言葉があるが、友人が、その手の人を評して「クジャク君」と呼んだのには恐れ入った。

非常にいい表現である。

自分を大きく見せたい、そう思うのは誰しもあることであるが、「○○さんと知り合いなんだぁわ」とか、有名人とのツーショットをインスタやフェイスブックに上げる人を見ていると、友人ともども「だから?」と聞きたくなる。

クジャクの羽に他人を利用するというのは面白いと思う。

相手がどう思っているのかは関係がない。

昔女友達が沢山いるんだと、言っていた人がいた。

でも、その中の一人をたまたま知っているので、恐る恐る聞いたことがある。

すると「××?だれ?・・・」

特徴を云うと

「ああ、あなたなの友達で、△△さんんと一緒に来てた人?かなぁ・・・」である。

つまり、相手から見れば、「路傍の石」(どうでもいい存在)だけど、本人は、友達のつもりでいると言ことである。

その手の人が、自分の社会の立ち位置で、相手が話をしているという事を忘れがちである。

個人の、本当の個人のコアの点で、共感があって、ご友人という立場になるのとは大違いである。

その辺を理解していない人が多いかなぁと思う。

 

| | コメント (0)

毎日書くのは結構大変なのだが?再び日産について。

「こんな夢を見た」と云うのは、漱石夏目金之助著の「夢十夜」の引用である。

前にも書きかけて挫折したけれども、今回階は何となく書けた、順番がちょっ悪いのと、1個でもいいかなという話がある。

いずれは書き改めたいと思うのだが、いつのことになるのやら?

さて、日産の寿命4年説と云うのがある。

主に、ゴーン君の負け犬の遠吠えである。

日産は、と云うか、ゴーン君になってからやったことは、まず第一に、会社の資産を売り飛ばし、旧プリンス系のアホ組合をつぶして、会社のマイナスを少しでもプラスマイナスゼロの地点まで持ってくることだった。

そのうち、自分の私腹を肥やすことが主体で、日産は自分への金を貢ぐ機械であり、且、ルノーへ上納金をあげる機関として役割を持たせることにした。

ルノーへの上納金は、基本的には、自分がルノーに君臨するための下準備である。

レバノン人の彼は、内心、東洋人、西洋人をバカにしている。

日産の社長でありながら、自社の車には乗らず、ポルシェに乗っていたことは有名である。

結局、日産の着点は、金を産めなくなった時点で、経営統合して、すべてを奪うつもりだったと思う。

日産は、自社の子会社をどんどん売り飛ばして身軽になった。

身軽になった会社の行く末絵は基本的には身売りである。

よくあるのはM&Aを行うと、会社を分割して、いらない部門を順次売り飛ばしていくのが慣例である。

しかし、内部から行う行為は、子会社を順次売り飛ばして、本体の枝葉を削っていく。

自社の基幹的會社さえも売りばす姿勢には恐れ入った。

ゴーン君は、金を産まなくなったら、ルノーと経営頭語して、日産を死滅させる計画だった。

ところが、西川君は、経家統合イコール吸収合併・・・・

頭に浮かんだのは、プリンスの吸収合併後、プリンス社員への冷遇の状況

吸収されれば、自分たちの地位の維持ができない、会社からうまい汁が吸えない・・・困る

それにこれ以上社員が辞めたら、会社の企業活動に危険信号が点灯する様な状態である。

西川区の構想は、ルノーと日産は、お互いの開発部門を統合する会社を作り、そこで、二社の車を設計する。

両社から開発部門を切り話して、アライアンスを進めて、コスト削減を図る計画だったらしいが、具体性はない。

日産三菱の軽自動車開発でうまくいっているから‥できると言いたいようだが、現実的には、旨くはいっていない。

第一、燃費が計画通り向上しない。

一部では、現在販売中の軽自動車の燃費についても不正が疑われているらしいが、表には出ていない。

もっと大きな問題が、ドイツ検察の三菱への調査である。

関係先として、デンソーのドイツの研究所も同じ用意調査に入っているが、なぜか、マスコミは報道しない。

相手が、デンソーですから。

デンソーというか、トヨタ関連が自粛モードになると、困るのは広告業界である。

そう考えると、三菱は水に落ちた犬はたたけのことわざ通り、たたきやすいのだろう。

そう考えると、世の不公平である。

 

| | コメント (0)

こんな夢を見た 第十夜

今日は、記念日だという。

何の記念日だい?と聞くと、毎日記念日さと云われた

さてもさてもいろいろだなと思う。

そう思っていると、「伝(でん)さん」と声かけられた。

顔を向けると、与三郎が寄ってきた。

「やぁ、こんばんわ」

「前をすいません」と云いながら隣の席に座る

狭い店だ。

「読みましたか?」

「何を?」

「例の先生の事」

「どこの先生だい?」

「島崎先生ですよ」

「「新生」の事かい?」

「ええ、薄々は知ってましたが。伝さんは?」

「ああ、猫に聞いた」

「猫ですか?」

「ああ、あそこ猫飼ってるだろう、真っ黒けの奴、漱石先生の処にいた、耳の先から、しっぽの先まで真っ黒な奴みたいに、ほんとに真っ黒けな奴さ。

只の捨て猫が、瑞猫(ずいびよう)と分かったとたんに、夏目の奥様は大珍重さ。」

「ああ、見たことあります、あれ飼ってるんですか」

「さぁな、野良かもしれない」

「そういえば、黒猫と云えば「月に吠える」いいですよね、萩原先生、猫好きですよね」

「うん、真っ黒けの猫が二匹悩ましい夜の屋根の上で・・ていうぐらいだからね、あそこの猫も黒いんだよ」

「瑞猫(ずいびょう)ですか?」

「そうだね、そこの猫と、藤村先生の処の猫が仕切りと屋根の上でご歓談さ」

相手の男はちょっと気味が悪いと思ったようで、「伝さん、猫のいう事がわかるんですかい?」

と少し後ずさりをして気味悪そうに聞いた。

「ああ、屋根の上でなんか話してるよ、時々聞こえることがあるですよ。」

「へー」

「萩原先生は、最初から詩人だし、今でも詩人だ、奥さんがいないというて点では 藤村先生と同じさ、それに藤村先生だって、最初は詩人ですよ」

「藤村先生の詩は読んだことがないですね。」

「勉強不足ですね」

「千曲川スケッチを中学時代に読んだのが始ですから、ピンときません」

『そんなものですかね」

伝さんは、のけぞりなら

「藤村の詩は、うーん、あまり好きではないな、リズムがない」

「リズムですか?、詩情ではなくて」

「リズムです。」

ちょっと困った顔をした。

「あなた、漱石先生の漢詩が好きだと言ってましたね。」

「ええ、好きですね」

「まぁ、非常に良い漢詩だが、現在でもあまり、よくは理解はされないな」

「漢詩に、韻を踏むというのがあるだろう。」

「ええ」

「韻を踏むような感じが、波のように来ると思うえばいい」

「寄せては返す、波ですか」

「そう波です」

「韻を踏む感じの波ですか?」

「読んでいて気持ちのいい言葉の流れがあるだろう」

「ありますね、萩原先生の作品は、気味の悪い言葉でも、何となくきれいですよね」

「そうなんだよ」

「この先の、この言葉が来るのかという美しい文字が並ぶのだよ」

「泉先生の作品なんかはどうですか、いいですよね、流れる様にい、歌うように言葉が流れていく。」

「では、藤村先生の詩には・・・」

「感情が溢出ているよね」

「なかなかむつかしいですね。」

「うん、まあ勉強するしかないねぇ」

「勉強ですか」

「そうです、勉強は言いすぎですね、勉強とは、勉(つと)め強(し)いる事ですから、自ら問い学と事が必要ではないですか。」

「問(とい)、そうして、学ぶのです。」

「はぁ、もう大学を出て何年もちますが、日々の雑務に追われて、生活に追われて、仕事に追われています。とても問学ぶなどいつ事は・・・」

「問学ぶを、反対にしてごらんなさい」

「問学ぶをですか?、学ぶ問う?、ア、学問ですか」

「そうです、学問は、どこででもできます、自分の姿勢次第です。」

「あのーどうやったら」

「どうやるのかを考えるのも学問です」

「はぁ」

「学問を続ければ、猫の言葉もわかるかもしれませんよ。」

「猫語ですか?」

「そうですね」

「伝ッさんは、いつもそうやって話を妙なところへもっていくなぁ」

「はははははは、でも、新生はいいとは思いません」

「なぜですか」

「自分の不幸をネタにしながら、ご婦人を不幸にした反省の弁がありません。

 自分が逃げたことを正当化しているだけです。

 ご婦人は、不幸のママです。」

「そうですね、第二部はどうねるんでしょうか」

「さぁねぇ」

「もうお帰りですか」

「猫が呼んでいるので帰る。」

「猫ですか・・」

「うん、君の家にもいるだろう?」

「うち、猫なんかいませんよ」

「君の帰りを待つ、細君がいるだろう?」

「あ」

「では、ごきげんよう」

 与三郎は、猫の意味がようやく分かったようである。

All rights reserved

The competent court for copyright is the
Nagoya High Court.

無断転用禁止

著作権に関する管轄裁判所は、名古屋高等裁判所とする。

| | コメント (0)

こんな夢を見た 第九夜

真っ黒けの猫が2匹、悩ましい夜の屋根の上で挨拶をしている

「おわーこんばんわ」

「おわーこんばんわ」

細い尻尾をピンと立てて話をしている。

「うちの主人は、病気です」

「うちの主人も、病気です」

二匹は、顔を突き合わせながら、「困ったものです」と云う。

深い深い、嘆息を漏らした。

「最近、手品もしないんだ」

「そうかい、一度見たけれど上手だったけどねぇ」

「一生懸命手帳に、ネタを書き留めている。」

「見てみたいね」

「見ても無駄さ、この手じゃあねぇ」

二匹は手と手を合わせた。

合いの手を入れているようだ。

「うちのご主人、詩集を出すのでお悩みでね」

「高等遊民かと思っていた」

「なんだか悩んでいますよ」

「それで病気ですか」

「日がな一日、机に向かったまま、作品を選んでますよ」

「そうですか、遊んでもらえないんですね」

「はい」

と云って頭を自分で撫でた。

「お宅のご主人は?」

「また病気が出たんだよ・・・・そのなんだなあ、姪っ子をさ、又、手籠めにしている。」

「またかい、それがばれてフランスに逃げたんだろう、3年間も・・・」

「そうなんだけど、帰ってきて、そのうちへ又、家政婦の様に入れてね」

「最初は、家に居たんだ、身の回りの世話をするとか言って・・・兄さんは前のことを知ってて置いたのかい?」

「そうなんだよ、人間は何を考えているのか、判らない」

「わからないねぇ」

「でどうした?」

「それがさ、ばあやさんに感づかれてね、子供たちに、おばさんは、新しいおかあさんになるんですかねぇ」

と云うんだ。

「ご主人は、どう思ったのかねぇ」

「兄さんは、浪費家で、主人の金をあてにているんですよ」

「へーそうなんだ」

「よく、金を無心に来てるよ、兄貴だからと云って、借りる方が偉そうんなだ」

「変だね、姪はまだ家にいるの?」

「ううん、もういない」

「別れたの?」

「あの野ざるみたいな男が、そんなあり得ない。

 ばれそうになってからは、家には入れてない、外で会うんだ」

「そうか」

「そうんなんだ」

「兄さんは借りた金を返すの?」

「そんなもの返すものかね」

「返さないかね」

「返す気がないから、自分の娘を差し出しているんだ」

「ひどいねぇ」

「ひどいだろう」

「そこで、先生考えたさ、これ以上無心されるのはたまらないとそう感じたんだろう」

「そこで姪との情事を小説に書いたさ」

「書いてどうなった」

「兄さんは激怒さ、よくも苦心惨憺んをぶち壊したなと、義理のねぇさんにもばれてねぇ」

「本心は、これで無心ができないと知って激怒したんだろうね」

「そうだろうね」

「結局、娘は放逐されて、台湾に行ったそうな」

「子供が悲しがっただろう」

「でもうちの先生、女を信じないから」

「なんで?」

「奥さんが若いころに書いた恋文を見て、心底怒りが沸いたらしい。

 実家の函館の元彼氏にあてた手紙さ、結婚してから絶望の冬子なんて書くから、ご主人怒っちまってねぇ」

「奥さんは、結局、子供が餓死した後で、死んでしまったんだろう?」

「そうだよ」

「でも、さぁなんであんなに女が欲しいかねぇ」

「さぁ、兄弟で、色に狂った人がいたらしいから、淫蕩なのは血かもしれない」

木曾のふるい宿場町の大家の一族である。

家中では、小さな子供の歓声が上がる。

「うちの旦那の病気は、一生治らないだろうな、理性なんて関係ないからね」

「ある意味幸せだ」

「不幸なのは、姪っ子さ」

「まぁ、幸せ、不幸せなんて言葉は、気の持ちようだからね」

「そうだね」と云いながらしっぽの先から三日月をつなげて、「こんばんわ」と云っている

今夜は、終わりそうない。

 

 

All rights reserved

The competent court for copyright is the
Nagoya High Court.

無断転用禁止

著作権に関する管轄裁判所は、名古屋高等裁判所とする。

 

| | コメント (0)

こんな夢を見た 第八夜

目が覚めて、壁に向かって寝ていることに気が付いた。

下半身に疲れが残こっている感じがしている。

耳もとでなにか音がする。

何だろうと思いつつ、窓開けて寝たかなぁと思った。

寝返りをうつと、カーテンの影で薄ぐらい部屋の中に人形が見えた。

人形の周りが、妙に明るい。

目を凝らしてみると、子供が二人座ってこちらを見ている。

部屋の中はまだ暗い。

ふたりの子供はよく似ているから兄妹かなぁと思った。

でも変である、私は、一人住まいである。

うちの親族に、こんな子供はいない。

それに、ここに来るような家族はいない。

どこから入り込んだのか?

にこにこ笑いながらこちらを見ている。

起き上がって正面を向くと、子供は飛び上がるように立ちあがって

両横に、座った。

両方を交互に見ると。

同時に見上げて、「お父さんだ、お父さんだ」という

どこの子供だと思って、「僕たちどこから入ってきたの」となるべく優しく聞いた。

ふたりは正面に回りこんで、「どこからだと思う?」という

目がくりくりしてかわいらしい。

そうして、「お父さん、今一人なの?」という

何となく「そうだよ、おじさんは一人なんだ」というと

「お母さん死んじゃったもんね」と云いながら二人はお互いの顔を向けてあってから、こちらを向いて「ニッ」と笑った。

笑った顔は、死んだ彼女の眼もとにそっくりだった。

彼女に子供が居たんだと勝手に思い込んだ。

彼女は、やたらと、一時期、子供が欲しいと言っていたことがあったことを思い出した。

すると、「お父さんが悪いんだよ」という

もう一人も、「お父さんがわるいんだよねー」と云った。

なんだか、腹が立ってきた。

少し怒気を含んで、「私は、あなたたちのお父さんではない。」というと

「えー、ひどーい」

「自分の子供、忘れるなんて、ひどーい」

「児童虐待だね」ケラケラ笑う

「もう児童じゃないから・・」シュンとする。

ふたりは、再び顔を突き合わせてこういった、

「私たち、よく似ているけど、本当は、年は、15年違うんだ。」

「だから?」というと

「お父さんに会ったの初めてだけど、お母さんはいつもごめんねと云ってくれてたの。」

そういうと、ちょっと目の色が黒ずんだ。

白目が少ない感じだ。

「お母さんて、誰の事?」と聞いてみた。

ふたりは、ハウリング様に声を出した。

「ひどいなぁ」

「ひどい」

「ひどい」ひたりは泣き出した。

「あんなに愛し合ったのに」

お互いに顔を見合って、和合して

「薄情だね」

「そうだょね」泣いた真似をしているようにも見える。

ひとしきり泣いた風を見せると、正面を向いて

「雪村佳子」

少し、ドキッとした。

覗き込むようにして、探偵のような目で覗き込みながら

「ゆ き む ら け い こ」

「おぼえてるでしょ」

「忘れらないひとだよねぇ~」と云いながら笑う

やはり、彼女の子かと思った。

で、誰との子供だと思った。最初の子は、二十四五の頃?

次の子は、離婚したころだから、前の旦那か?と思った。

「お父さんは?」と聞くと

二人は、指さした。

指の向いている先は私である。

狼狽気味に、「それはないよ」というと

「お父さんが大学生の時に、私ができたけど、お母さんは、お父さんに言ってなかった」

と云いと、背が急に伸びた。

「私ができたと、わかった時に、お父さんに言うつもりだったんだよ。」

「でも、就職活動中だったから」「就職、決まった時に、言うつもりだって。」

「おなかの上から私を撫でてね、こんな年増、いやって云われたらどうしようなんて」

「椅子に座りながら一人で、嬉しそうに言ってたわ」

二人は、急に大きくなった。

まるで大人のような姿に見えた。

「でもね、転んじゃったんだよね」

急に、思い出した。

就職が決まったことを云うと、彼女も重大な発表があるといった。

けれど、約束の場所には来なかった。

家に電話を架けても、出なくて、よくよく聞くと転んで入院したというので病院へ行った。

病室で、「転んじゃった」と云いながら、少し笑って、その後、泣き続けた。

そのことを急に思い出すと、まさかという気で見返した。

怒りで体が震えている。

弁解する様に、「そんなことは、初めて聞いた」というと

「そうだろうね」と云った。

部屋の中は、急に暗くなった

もう一人が、「お父さん、僕ね」と云いながら前に出た。

ベットの上で、後ずさりをした。

「お母さんが、離婚する少し前に、お父さんと、又、会っていたよね、その時に、僕はできたんだ。」

身に覚えはあった。

知人のところで、久しぶりの行き合った。

お互いの連絡先を教えて、程なく、あうとはなしに、逢っていると、昔の関係に戻っていた。

「お母さんは、とっても喜んだんだ」

子供の背が高くなった

「だって、ずーと、結婚してから何やってもできなくて、旦那さんとぎくしゃくしてたからね」

子供の顔がせりあがってくる。

「その頃、お父さんは、もう離婚して、一人で寂しかったんだよね。」

ふたりの子供は、影法師の様に空虚な姿に見えた。

「だから、不思議な縁で再会したお母さんを求めたんだよね。」

ふたりの子供は、下から上から顔を覗き込んでくる。

「男ってやつは」

「男ってやつは」

ふたりが交互に言う

「本当に、しょうもない生き物だねぇ」と云いながら、手をたたいて笑う。

急に、二人は基の姿に戻って、

「お母さんも」

「お母さんも、寂しかったから仕方ないよね」という

大きな空虚な瞳が見上げる

「旦那さんとは、出来なくて、昔の男とすぐにできちゃったのには驚いたよね」

ふたりの姿がまた大きな影法師になった。

「わたしね」と云いながら今度は、顔を傾けながら斜めから覗き込んで

「私につけた名前を云いながら、お母さんが、どうしようと言っていたのを何回も聞いたよ」

鳴き声が聞こえる。

「お父さんには、言えない」

「今、離婚するとこの子の親は別れる別居中の旦那の子になる」

「どうしよう」

「それに、こんな年で、初めて子供を産むのは怖い」

一人で暮らしているマンションの一室で悩んでいる姿は何度も見たわ。

一呼吸を置いて

「でもね、お母さんね、そんなの事をいってても、ものすごく、うれしくて、うれしくて、仕方がなかったんだよ」

泣き出しそうな顔が見えた。

僕は、弁解する様に、「離婚するまで、もう会わないて言われて1年ほど会わなかった。」

すると二人は、

「鈍感だよね」

「ほんと、鈍感」

「その間の産むつもりだったんだよね」と和合して云う。

声が怖い

ふたりの顔がゆがんで見える。

「彼女は、君をどうしたの?」と勇気を奮って聞いた。

「丁度、おばあさんの調子も悪くなったんだよね」

と合いの手を入れるように叫んだ。

一人が、小さな影法師に戻った。

「あのね、お父さん」

正面から彼女の瞳が、僕の眼(まなこ)を見据えたように見えた。

瞳の奥は、暗い。

「お母さんは、産むつもりだったんだ。」

「では、どうして?」身の乗り出して聞くと

「3か月過ぎたころに、おばあさんと一緒に行った病院の廊下で転んだんだよねー」

小さくなった子供がささやく様に、「そこで、流れちゃったんだ。」

両手で、顔を覆うと、自然と涙が出てきた。

「お父さん」

顔をあげた

四つの瞳が見上げている。

「私たち、お母さんにようやく会えたから」

にっこりとほほ笑んだ

向かい合って、両手を合わせて「三人で、喜んでいたの」

「そこでね、お父さんもいたら、きっともっと楽しいと思ったんだ」

そういって、二人は、私の両手をつかんだ。

すると、目の前が真っ暗になった。

All rights reserved

The competent court for copyright is the
Nagoya High Court.

無断転用禁止

著作権に関する管轄裁判所は、名古屋高等裁判所とする。

 

| | コメント (0)

こんな夢を見た 第七夜

秋の少し肌寒い午前。

ある女性と歩いている。

彼女は、退院したばかりだった。

道すがら聞くと、重い病気であった。

今日は、本来、彼女の家族が担うべき役割を私が担わされている。

でも、彼女には家族と呼べるような血族も、親族もういなという現実がある。

数年前に、彼女は父親を見送って一人になった。

病院から駅までの差かは緩くて長い。

以前から、医師から、臓器の一部を取らなければならいと云われて逡巡していた。

数日前に、大量の下血があって、搬送されて、結果、その臓器を取ることになった。

女の女たるゆえんの臓器である。

男には、理解しえない、感じ得ない臓器である。

数年前に、彼女は、価値観の違う夫とは暮らせないと言って、彼女は、一人になっていた。

子供は、ない。

気ままと云いながら、一人身の寂しさを紛らわす手段はあまりなかった。

女友達は子育てに忙しく、時として、連絡があっても、愚痴を聞かされることはあった。

しかし、その愚痴は、幸せのおすそ分けのような話ばかりであったので、これを聞くことの嫌さから、旧い男友達を話し相手に選んでいた。

男とは昔も今も,  男と女の関係であったから甘えやすかった。

×が付いた男であるが、丁度良い距離感があった。

彼女は、天涯孤独という言葉をよく使っていた。

夜半、電話がかかってきた。

電気分解された声は遠かった。

でも妙にはっきりと、「ねぇ、お迎えに来てくれない?」と突然言われた。

何のことかわからずに、即答できなかった

受話器の向こう側で、不機嫌になる様子が手に取るようにわかる。

家で、下血があり、救急車で搬送されて手術を受けたという流れを説明された。

そうして「一人で帰るのは寂しいの」いう

「ちょっと明日は・・」と言いかけると

「もう、女じゃなくなったら用済みてこと?」

「いや、急に言われても、明日は車がない」

「いいの、地下鉄で一緒に帰りたいの」

「歩けるの?」

「ううん、普通に歩けるわ、なんなら、踊って見せてあげようか」

一呼吸置いて

「ジルバは、さすがに無理ねぇ」

とちょっとうれしそうに言い募る。

「いいよ、迎えに行くから無理しないでね」懇願するように言うと

軽い口調で

「はーい、待ってます。」と云って、「お昼行きたいから、11時ごろに来れるかしら?」という

「お昼は、なにを食べたいんの?」と聞いてみる。

「うーん、決めてない、決めれらない」といい、間があって、

「明日の朝、決める」

甘えた声で「「それでいいでしょ」という、声の音程が、目まぐるしく変わる。

怒っているのか、そうでないのか判然としない。

翌日、10時頃、病院につくと、待合の椅子にぐったりとした顔で座っていた。

影が薄い

昨日の夜の元気な声からは想像できないほどの姿である。

入院代も、手術代も精算したから帰れるという。

影が薄いというか、体が小さく見えた

「何となく、やつれて居る風に見る」というと、

「当り前じゃないの」といって、いつもの様に少しつねった。

力が入らないようで、今日はあまり痛くない。

「気が利かないのね」と云いながら、顔をしかめてから、下をペロと出した。

そうして、手を伸ばして

「ねぇ、帰りましょ」云いながら、手頸が、指先を求めた。

頼りない手をつかむと、体を引き上げるように立たせた。

肌につやがない。

軽い、元々痩せてはいるが、本当に軽い感じがする。

掴んだ手は、何となく乾燥して弾力が薄い。

手を握ったまま、病院を出ると急に、こんなことを言い出した。

救急車で運ばれて、持ってきたのはカードと保険証と携帯。

まずその夜思ったのが、

「下着も何にもないわ‥どうしようっておもったの」

看護婦さんに、そのことを云うと、コンビニで何でも売ってますと言われて、その晩行くと、何でもあったわ。

「その代わり、あんまり選べなかったけどね」という

彼女は、手を繋いで来た。

時々、力が入る

脈拍のようなテンポである。

「歩くの、早い、もっとゆっくり歩いて」と云いながら握った手を後ろへ引っ張る。

地下鉄の構内へ降りていく。

歩くのが辛そうなので、抱きかかえるように階段を降りて、途中からエスカレーターを降りていく。

駅の改札まで行くと、昼食の事を思い出したの「どこへ行きますか、家に帰りますか?」と聞くと

「動物園に行きた」いという。

思わず「なんで?」と聞いてしまった。

すると、まず家に帰るという。

荷物を、と云っても入院中に買った衣類ばかりであるが・・家において着替えをしたいという。

荷物を運びこんで、待っててと言われるままに座って待っていると、床に黒い点が続いている。

そうして、バスルームの前には飛び散って固まった赤黒い塊が広がっていた。

バスルームのすりガラスの扉の向こう側にはもっと黒いものが見える。

こわごわと、開けてみると彼女が倒れている。

驚いて肩先を触ると倒れ込んだ。

頬は、氷の様に冷たい。

下半身は血だらけである。

白いスカートが血に染まって黒く変色している

後ずさりして、振り返ると、病院から出てきた時に着ていた白いワンピース姿の彼女が立っていた。

「苦しかったの、早く病院ヘ行ったらと云ってくれたけど」

「女じゃなくなると、嫌われるかと思って行かなかったら、こうなっちゃったの」

「寂しかったわ」後ろから声がしたの振り返ると、冷たくなっていた彼女が顔をあげていた。

もう一度、前を見直すと、ワンピースの腰から下が真っ赤に見えた。

背中を捕まれるような感覚があったので、せり出しそうな気持ちを抑えて、振り返ると、誰もいない。

白いタイルに、細い指の跡がついている。

急いで、見回すと、誰もいない。

部屋は森閑としている。

床の血痕も乾いて砕けた部分と、こびりついた部分がある。

家じゅうを声をけてみたが誰もいない。

持って帰ってきた荷物もない。

合鍵持っているので、外へ出て、鍵を閉めた

そうして、着信履歴を探したがない。

携帯に電話をしたが、繋がらない。

急いで病院へ戻った。

そうして、受付で尋ねると、しばらく待たされてから、

「ご家族ですか」と聞かれたの、「友人です」と答えると

「ご家族の連絡先はご存じありませんか?」と聞かれた。

彼女が、もうこの世にいないことだけわかった。

脱力感があったが、急いで、彼女の家に戻ろうかと思った。

タクシーに乗ると、急に、動物園に行かなければならないと思った。

気持ちの良い秋日和の所為か、動物園は、子供たちでごった返していた。

料金を払って入園すると、彼女が待っていた。

「妙に若い」

「来てくれると思った。」ニッと笑った。

「ねぇ、覚えてる?、動物園から隣の植物園に行ってタワーに登った日の事」

彼女の手が、手を握り締めている。

暖かい小さな手だ。

「ねぇ」

少し前に出て、下から覗き込むようにして聞いてくる。

「最初、怖いて言っていた癖に、登ったらやたらと喜んでいなぁ」と答えると

「そうですよー」と云いながら駆けていく、まるで子供だ。

そういって、動物園を抜けて、植物園のタワーまで行くと、「登るの?」と聞いてみた

「レストランあったでしょ?」

「はいはい」と答えると、軽く背中をたたかれた。

切符を買ってエレベーターで上がるときに、切符を2枚見せたが、入り口の人はなにも云わなかった。

最上階につくと、市内が一望に見えた。

「いーながめだねぇ」という声が聞こえて、腕に縋りつく感じがした。

見るともういなかった。

鈴が、ポケットの中でなった

ポケットに手を入れると、彼女の部屋の合いかぎがあった。

すぐに、エレベーターで降りて一人で寂しく帰った。

20200223加筆

 

All rights reserved

The competent court for copyright is the
Nagoya High Court.

無断転用禁止

著作権に関する管轄裁判所は、名古屋高等裁判所とする。

| | コメント (0)

こんな夢を見た 第六夜

眠ろうと思って目をつむると、傷が痛んで寝られない。

交通事故で、前歯が折れてる、あごも割れたが、3か月で治った。

折れた前歯の治療が、あごの骨がくっいてからと云われたせいで、遅れていた。

ようやく、顎の治療が終わったので、前歯の修復と、親知らずの除去が始まっていた。

時々、痛む。

痛いときは痛み止めをと云われているが、常用はよろしくない。

祖父の遺訓である。

でも、夜寝る時には飲むことが多かった。

飲めば、いつしか、痛み止めが利いてまどろんでくる。

なんとなく、眠りに落ちた気がする。

すると天井は、墨を流したような闇に変わる。

墨の流れに、光が当たると、うねって光が跳ね返る。

うねりもあまり目立ちはしない。

地平と天空の闇の間にうす軽い光の層が見える

その薄い光の層に、黒い影が見える。

黒い点が接近してくるようである。

黒い点は、彗星の様に、帯のような長い線を引きずっている。

黒い点は、徐々に実態を持って接近してくる

気味の悪い悪いばあさんだ

魔女のよう

しゃくれた長い顎

長い鉤鼻

釣りがった目

そうして枯れ木のような髪

黒いマント

ギラギラ光る箒

後ろについているのは、眷属の化け物どもだ。

「いひひひひひひひひひひひひひ・・・・」

甲高く、でも嫌な響き方をする声が聞こえた。

こうなったら逃げる

とにかく逃げる。

不毛の大地、隠れるところはない。

枯れた木が立っている

大きな洞(うろ)がある。

隠れようとすると風が吹いて木は倒れる。

倒れると、中は空洞だ。

ひとまず隠れていると。

魔女は、「どこへ行ったぁた。」

「逃げても、隠れても無駄だぁあ」

たけり狂っている。

すると眷属の一匹が、恐ろしく大きな目を見開いて、「ここにいるここにいる」と指さすと

洞(うろ)から引きずり出されて、背中をつままれている

「イーひっひひ、いたいた、悪事善根取り混ぜて、呪ってやる。

 お前ひとりが悪いのではない、お前の祖先が悪いのだ」

そういうと、交通事故で、折れた前歯に、鍵爪を引っ掛けると笑いながら天空へ舞い上がる。

魔女は、狂乱を楽しむように空じゅうを引きずりまわす。

地上の暗闇は、時々妙に明かるいものを見せる、赤かったり、青かったり、すさまじく光り輝く山

魔女の声は、高まり低まりしつつ疾走する。

小一時間もすると飽きるのか、鍵爪を外して、空から放り投げる。

今日は、赤いところだ。

落ちると、赤黒い血の池の中を這いずり回る。

乾いて固まった血が、バリバリと割れる

割れるたび新しい血しぶきが上がる。

すると、巨大な女郎蜘蛛、顔は悪鬼羅刹であるが、血の池を流れるように滑ってくる。

そうして、逃げる亡者を頭からバリバリとかみ砕いている。

血の池の中では、強大ウジ虫が人の体を苛(さいな)んでいる。

薄皮を選んで噛み込んでいる。

身をすくませていると、魔女が来て、こんなところで楽をさせて楽たまるか。

と云いながら、再び鍵爪を体に食い込ませて浮遊する。

「ああ早く楽になりたい」と思うと、

「神羅万象すべては自分の罪業より発す。」という

自分の罪は軽からんとも思うのは、罪が重いという。

こうして、毎晩、責め苦にあうのは、自分の罪深さを知らないからだろうか。

夜は明けない

 

 

 

| | コメント (0)

こんな夢を見た 第五夜

 ある夏の盛りに、祖父の作った別荘へ行こうと列車に乗った。

 その頃の出で立ちは、祖父や父親の時代のような、夏になれば、麻の上下に、開襟シャツ、パナマ帽といういでたちであった。

 祖父が、往診に使っていた革の手提げ鞄には、弁当とお茶本が入っていた。

 別荘までは、乗り換えを含めると1時間半ほどかかる。

 祖父の死後は、町に寄付されて記念館という名称の建物になっていた。

 20年ほど前に、地図で。「〇×記念館」なる文字を見つけて、興味を持って訪れたことがあった。

 記念館は、単なる、単なる名称で、タダの貸し教室の様になっていた。

 その時、独り身で傷心の気分もあったので、行く気になったのである。

 訪れた時は、丁度、長唄のお稽古で使われていた。

 おとないを入れて、声を掛けると、初老の師匠が現れたので事情を説明すると、気持ちよく中を見せてくれた。

 離れの女中部屋に、師匠は泊って、3日ほど連続で教えて、別の教室へ2日ほど行って、自宅へ帰ると言っていた。

 わたしが、女中部屋を見たいというと、夏蒲団が敷いたままですがと云いながら案内してくれた。

 女中部屋と母屋を結ぶ廊下には板が渡してあった。

 蔵は残っていたが、中には何も残っていないとという事であった。

 20年ぶりぐらいに訪れたことになる。

 懐かしい部屋の探索を終えて、水屋に行くと、モザイクタイルの手洗い場があった。

 そこの壁には、アルミ製の歯ブラシ立てがあった

 懐かしかった。

 小さいころの前の記憶がよみがえった。

 玄関から外へ出ると、眼下には谷が広がって見え、国鉄の駅が見える。

 祖父の別荘に行くには、駅から少々長い坂を上らないと着かない。

 息せき切って登ると祖父が下駄をはいて持っていた。

 裏手の玄関から入ると部屋の中は静かだった。

 一時期診療もしていたので、何となく薬品臭い。

 基本的には夏しか行かない。

 冬でも何年かおきには行っていた。

 風邪でもひこうものなら、ガラス入りのアンプルをハート形のやすりで傷をつけてバキンと折って、注射針を差し込んで薬液を吸い上げて、二の腕に刺される。

 注射を刺されるまでが大変である。

 まず、ガラスの注射器は煮沸される。

 冷えるを待たなければならない。

 薬剤がなければ、近所の診療所へもらい位に行く。

 車で行くのが一番楽なのだが、国道はまだ未舗装の場所が多くて乗り心地は悪い。

 窓を開けていると、埃っぽい。

 最初のころの、RSクラウンはクーラーが付いてはいなかった、その後のMSクラウンはクーラーが付いていたので快適だったが

 やはり、道が悪いせいか、乗り心地は悪かった。

 おまけに列車では運ばれない、材木を積んだトラックが轟音を立てて通り過ぎる。

 国道から別荘のある町までは細い橋を通らなければならないが、トラックがるくと少々怖いようなところだった。

 最初は汽車だった、途中で、電車になったが、汽車だと3時間の要もかかった。

 駅まで車のお迎えがあると、大回りをして山を登るのでとても時間がかかる。

 歩いていけば、ほんの10分とかからない。

 そんな場所に、祖父の別荘があった。

 ある時、平成の市町村合併が済んでしまった頃、地図を見ていると、祖父別荘のあった場所が、空欄になっていた。

 平成初めのころは、「〇×記念館」と書いてあったがそれがなくなり、空欄になっていた。

 建物の線図さえない。

 さては建物はなくなったか?と思い、久々に訪れる気になった。

 久々の列車旅である。

 中央線で、某駅まで行くと乗り換えなければならない。

 駅で待っていると、乗り換えの列車が来た。

 久々に乗り込むと、乗客は少ない

 駅に降りると、駅の反対側にあった貯木場が見る影もなくなっていた。

 木曾の官林の集積場だった。

 駅前は閑散である。

 タクシーさえ一台もいない。

 通勤用の車の駐車場には車が多い。

 丁度、正午の日が路面を焼いていた。

 帰りの時刻を確認する。

 長くて三時間ほど、短ければ次の電車でもいいような感覚だった。

 駅前には、小さな店が何軒かあったが、すでに閉店して久しいようであった。

 祖父の別荘を見に坂を上がっていく。

 昔は、地面の起伏をコンクリートで抑え込んだような、荒々し塗りたくったような道であったが、今ではきちんと階段になっていた。

 前来たときは、坂を上ると玄関が見えて、路地に沿って板塀が並んでいた。

 登っていくと、空しか見えなかった。

 祖父の別荘はきれいさっぱりなくなって整地されていた。

 一切合切すべて消えていた。

 あるのは、整地された赤土がのぞいているだけの土地。

 人の営みはない。

 がけ地なので擁壁の段が残っていた。

 坂の途中から擁壁段に降りてみた。

 眺めは変わらない。

 擁壁を背にして座り込んだ。

 すると隣家の梧桐の葉陰が、日陰を作っていたので、その下で、遅い昼食をとることにした。

 家で作った握り飯2個を食べて、お茶を飲むと、少々眠くなった。

 「おい、こんなところで寝てはいけない、風邪をひく」

 目を開けると、初老の顔が目に入り込んできた。

 「すいません、ついうとうとして」と云いならが見回すと、擁壁を背にして寝ていたはずなのでが、見回すと、廊下の板張りの上で寝ている様子である。

 よく見ると、見忘れていた祖父の顔が面前にあった。

 にこにこ笑いながら「今日は、何が欲しい?」

「え?」というと、

「前の来たときは、コルク鉄砲が欲しいと言っていたろう」

思わず、「うん」というと、

「じゃあ行こう」

 連れられて、路地を通り抜けて、表の通りへ出ると、おもちゃ屋さんがある。

 おもちゃ屋のおばさんが、元気よく「いらっしゃい」と云った

 「コルク鉄砲はあるかな?」と聞くと

 ありますよと云って、ブリキのコルク鉄砲が出てきた。

 しかし、店内には、ブリキのロボットが佇立してた。

 祖父に「おじいさま、あのロボットが欲しい」というと

 今日は、これを買うからダメと言われた。

 駄々をこねると、保安官セットも買ってもらった。

 姉は、祖父からは物は買ってもらえないので行くのを渋ることがあった。

 ポンポン撃って遊んでいると、紐の先の付いていたコルク本体はなくなってしまう。

 すると、「もうなくしたのか?」と云いながら、薬瓶用のコルク栓で適当なのを選んで、真ん中に、キリで穴をあけて糸を通してくれた。

 廊下の安楽椅子に座って午睡を楽しんでい母の横をする抜けて、トイレに行くと、大きな蛾が居た。

 ちょっと怖くて、コルク銃を構えてポンと撃つと、壁当たって、コルクは跳ねた。

 水色の大きな蛾は、驚いて飛んで行った。

 祖父がそれを見ていた。

 いつもは見せないようなすさまじい形相で、「ここに座りなさい」と言われた。

 呆然としている私の頭抑えて

 「なぜ、人畜無害な蛾を撃った?」

 答えられないでいると、

「虫でも生きているのだから、命は大切にしなければならない。自分がいきなり撃たれて痛い目に合った嫌だろう」。

 うなずくと、飛び道具はまだ早かったと言われて、コルク銃は取り上げられた。

 コルク銃は、返してもらえなかった。

 翌日、母に連れられて帰るときに、祖父は、「次ぎ来たら、ロボットを買ってやろう」といった。

 坂を降りていくと玄関の前に祖父が立っているのが見えた。手を振っているのが見えた。

 機関車が駅に着いたので、母と乗り込むと、祖父の別荘の方を見ていた。

 車内からは見えない。

 ちょっと車輛が動き出すと、ほんの一瞬家の隙間から玄関が見える

 目を凝らしてみていると、祖父の佇立している姿が見えた。

 車内で、眠ってしまった。

 

 目が覚めるとすでに、日は傾いている。

 急いで時計を見ると随分と時間がたっていた。

 もう夜のとばりが下りる頃である。

 山間の夜は早い

 擁壁に沿って歩いて、坂道へ出て、振り返ると、別荘があった。

 玄関の灯火が薄ぼんやりとついている。

 玄関はしまったいたので、裏にお廻ると、木戸が開いている。

 「すいません」というと

 「はーい」と云いながら、お手伝いさんが出てきた。

  みっちゃんだ。

 「こんにちは、私、こちらに縁のあるものですが、先生はご在宅ですか?」と聞くと

 「清先生ですか」「お約束ですか」と矢継ぎ早に云う

 「はい」

 「あら、先生も、時々忘れることがあるんだねぇ」

 「先生は、先ほど名古屋へ帰られましたよ、当分お帰りはないので、明日にはここを閉めます。」という

 「そうですか」というと

 「お孫さんがかえてってしまうと寂しいみたいで、急に帰ると言われて」といいながら時刻表を見て、

 「坂あがってきたのかね」

 「はい、お会いしませんでした。」

 「あら、今日は、町長さんに、挨拶に寄っていくと言って、車を呼んでねぇ」

 時刻表と、壁掛け時計を覗き込んでから

 「あと15分あるから駅まで走れば追い付けるよ」「はよ行きなさい」という

 「ありがとうと」と云って路地を坂に向かって降りて行き、途中で、振り返ると、祖父の別荘は跡形もなく消えていた。

 でも祖父にあえそうな気がして、駅へ急いだ。

 駅の歩廊には、夏服の白い身なりの人が何人かいた。

 今では見かけないような、白い身なりの人がいた。

 銀の握りのステッキを腕にぶら下げて、パナマを持った鶴のような人が見えた。

 丁度、車内に入り込むところだった。

 祖父だ。

 別の入り口から車内にいると、空いていて、祖父が丁度、窓を開けて見送りの人と声を交わして居るのが見えた。

 ふと、車内に目を向けたので、「おじい様」と声を掛けると。

 怪訝そうな顔をしながら手をあげて私の動きを制止してから、動きだした列車の中から歩廊の人にあいさつをした。

 列車は動き出した。

 そうして、四人掛けの席に座った。

 席に近づくと、「大きくなったなぁ。幾つだ」

 「もう45です。」

 「そうか、もう45か、年年歳歳、年を取るはずだ、子供が一人いたなぁ」

 「はい」

 「子供は大切に育てなければならない」

 「はい」

 「まぁ、息災に暮らせよ」

 「はい」

 一瞬涙が出てきてた。

 次の駅に着いた、誰も乗らない駅である。

 動き出すと同時に、車内の電灯が瞬いて消えた

 すぐについたが、目の前にいたはずの祖父の姿が見えなかった。

 見回すと、車内には私一人だった。

 開けた車窓から、外を見ると。

 白い身なりの人が駅に立って、帽子を手に持ちたっていた。

 祖父の座っていた席の上には、さびて糸もつていないコルク銃が置いてあった。

 取り上げると、中のばねもキレた、コルク銃の軽さだけが手に残った。

 

| | コメント (0)

こんな夢をみた 第四夜

「だんな、若旦那」と声を掛けられて、顔をあげると姉さんかぶりの姉さんが、折り詰めと土瓶目の間に差し出した。

目が覚めると、暗い闇の中に座ったまま寝ていたようだった。

「はい」と云って渡されたので、その間受け取って、座りなおそうとすると、狭い

見回すと、ほの暗い、明かりといえば、和ろうそくが数本

どこだここは?

時々、間仕切の上をそろそろと歩いている人が見える。

「弁当を」という声が聞こえる。

よく見ると、燭台の列のともすほんのりと薄暗い中には、花みち、舞台の板が見える。

暗い。

ああ、芝居小屋だと気が付いた。

ちょうど金毘羅にある江戸時代さながらの芝居小屋で、団十郎の芝居を見てから程ないころだったからだと思う。

今様の歌舞伎座の様に、板の上(舞台)の上は、照明に照らされて、煌煌と光って見えるような風情ではない。

インチキくさい、張りぼてのような衣装、大道具小道具、ほの暗い板の上では、不思議なことに本物の金襴緞子に見えるから不思議だ。

暗さと狭さが、ふとこの小屋を思い出させた。

蓆掛けの、風なんか通るはずもないような狭くて暑苦しくて、芝居小屋の桟敷にいた。

役者の眼前を照らし、花道に三尺ほどの間隔で立てられた蝋燭の火は暗い。

狭い桟敷で、当然様にほかの人もいる。

隣の大哥(おアニイ)さんが、

「よう、居眠りけえ、困った兄さんだなぁ、これから、仲蔵の斧定九郎が見られるんだ、目ん玉ひん剥いてみなせぇ」

「初代ですか?」

「兄さん、まだ中村仲蔵は、唯一無二だぁ。

 弁当幕を、ここまで仕上げるたぁ、さすが中坊様様だ」

「中村仲蔵の斧定九郎」

すると、今は江戸時代は、天明のころ

一度は見てみたい役者の一人であることは確実だ。

七代目団十郎、八代目の目玉の親方の団十郎も見てみたい。

初代坂田藤十郎も見てみたい。

でも、一番見てみたいのは、仲蔵。

中村仲蔵である。

何となく、大部屋から上り詰めた役者だからと言う先入観ではなく。

こう、一心に、見てみたい気分である。

上り詰めていった役者の、心意気を感じたいがためかもしれない。

宝塚歌劇団の昂揚感とは一味違う感じがある。

伝録では、年老いて、腰が抜けても舞台に立ち続けたというではないか。

今風に、言うのであれば「ご見物」は、腰の抜けた仲蔵に、

「中坊(なかぼう)、なかぼう、しっかりと」と声をかけたほどであるとのことである。

だから見てみたい。

そう思うのは、世迷言(よまいごと)かもしれない。

舞台を見て、「ああ、いいなぁ、この役者は、イイ、イイ」と言いたくなるような所作を向てみたい。

同じ演目、同じ配役でも、見た日によっては、よかったり悪かったり感ずることもおある。

先ごろなくなった団十郎を初めて見たときは、さすがにうまい、所作がよい、流れるようではあるが、ぶれることのない強い感じを受けていた。

いつも、そう感じていたが、あるとき、それこそ助六の姿にあったのは、

「優美な所作」

「力(りきみ)のない、流れるような、しかし、、ぶれることのないような動きは、良い役者とは一味宇違うものだなと感じいった覚えがあった。

だからこそ、江戸時代の歌舞伎を見てみたいというのは果たすことができない夢のようなもの。

それが見らえるなんて、なんという幸せ。

まさに僥倖(ぎょうこう)とでもいうべき、幸運。

弁当の入った折(おり)を、握りこんで

「哥(にい)さん、もう五段目かえ」

「おう、みてな、ほおら、山崎街道の出だぁ

 弁当なんざ、うっちゃときな」

暗い山崎街道

目の前の、今では、お定まりの斧定九郎の姿が歩んでいく。

黒い着物に散切り頭、まるで水が滴るよう。

おお、仲蔵が・・・・仲蔵が・・・

思わず手に力が入った。

財布をまさぐり、持ち上げた。

鉄砲に撃たれ倒れる姿。

うーん、いい、いい、いいと唸る

つい「なかぞー、にっぽんいち」叫んでいた。

| | コメント (0)

こんな夢を見た 第三夜

今日も列車が着いた。

貨物列車だ、窓には鉄条網が巻いてある

線路わきの歩廊にはチリ一つ落ちていない

ウクライナ人は、まだ隠れている

駅長は、懐中時計を握りしめながら立っている。

遠くの方から汽笛が聞こえてくる。

ふと目をあげると、収容場から来た看守が歩廊に出てきている。

鋭い呼子が鳴る

警備犬を連れた看守が現れた。

恐ろしく見える山のよう犬だ。

駅舎の方にも1匹来た。

こちらが勝手に、かわいがっているのが来た。

私を見てしっぽを振る。

看守は見て見ぬふりだ。

ポケットから小さな乾燥肉をやろうとすると、お座りをしたので、すぐにやると、看守は、すぐやっちゃだめだという。

駅長が、睨んでくる。

機関車の音が響いてくる

ブレーキを掛けながら徐々に巨大な車体が現れる。

最後に、「ぎーー」と云ってて車体は止まった

後ろの貨物は、がちゃん、ちゃん、がちゃんと言って追突するように止まった。

貨車のドアが先頭から開けられる。

貨車の高い床面から線路に直接降りていく

老人、若い女性、子供、子供・・・

カバンを持っている人、小さな人形を抱えている子供、つえを付いた老人

みんな疲れた顔をしている。

呼子が鳴る

外に出て並んだ人は、名簿と付け合わせをされている。

子供が泣いている

赤ん坊も泣いている

お母さんが小さなの子供に乳をやっている。

歩廊に背を向けている。

看守の兵隊は、無表情に眺めている。

将校が順番に名前を呼んでいると、この女性が振り返った。

前に行けという。

私は、この後起こるであろう悲惨を考えると彼らを見ている気にはなれない。

駅長を見ると、口の中で、数を数えている

今日も人数を数えている。

最後尾の貨車の人は、看守に殴られている。

大きな旅行鞄が開いた

中身がぶちまけれらた。

すると、ウクライナ人が出てきた。

貨車の中を洗うのだ

貨車の扉が両側開かれた。

ウクライナ人が、貨車の中を見て回っている。

目の前の貨車の扉が開かれた。

目前には、銀髪の老婆が目を見開いて倒れていた。

ウクライナ人がめんどくさそうにこの老婆を歩廊に落とした。

何か叫んでいる。

開いた扉の中を覗き込むと、まだ、数人倒れていた。

ひどい匂いだ

収容所の方から、縦じま服を着たユダヤ人が数人駆けてくる。

大きな鉄製の箱から白い粉を出して、貨車の床にまいている。

白い粉は、灰である。

何の灰なんてことは怖くて聞けない。

毎日、煙突から出ている煙りと、時々聞こえてくる叫び声の事は誰にも聞けない。

前に、車の付いた鉄の箱が倒れたことがある。

倒したユダヤ人はその場で撃ち殺された

ほかのユダヤ人が、灰をかたずけて、殺された人を同じ箱で運んで行った。

数日後、線路の点検の時にそこを通ると、あごの骨片が見えた。

点検するふりをして、その骨を拾ってポケットに入れた。

小さな顎で、子供のようだった。

収容所の事務所へ、ユダヤ人の乗客数の確認をするために書類を持って行った。

すさまじい叫び声が聞こえていた。

子供たちの声である。

今日は、ロシア製のジーゼルエンジンの雷鳴のような唸り声は聞こえない。

ジーゼルエンジンの排気でユダヤ人を殺すんだと言っていた。

あまりの叫び声に呆然としていると、事務方の看守が、早くいけと言いう。

「降りた人の数が合わないので」と云うと

「事務方の看守は、途中で死んだら乗客ではない。

 運賃は、ユダヤ人協会からもらっている。」

「死んだ分だけ少ない」と云われたので、その旨を書いてほしいというと、書類にはそのように書いた。

それを持って事務室を出ると、ユダヤ人のカポ(監督)が、すさまじい顔で歩いてくるのに出会った。

悪魔のような形相である。

目を背けると。

大きな圧が去っていった。

翌日、再び書類を持っていくと、看守の一人が泣いていた。

人数が訂正された書類をもらい、その足で、警備犬のところへ行くと、犬が喜んでいる。

大きなジャーマンシェパードは、しっぽを振ると乾いた土埃が舞い上がる。

いつもは、軽口をたたく仲の良い看守が、今日はいけと云う。

駅舎に帰ると、技手が、

「昨日は、ジーゼルが壊れたので、子供を焼却炉に生きたまま放り込んだそうな」と云った

昨日の叫び声を思いだした。

私は、神様の前で、許しを請うことができるのか?

そう思い、宿舎に帰ると、前に拾った顎の骨を前に、許しを請うた。

こんな人生は、早く終えたいと思った。

 

| | コメント (0)

こんな夢を見た 第二夜

墓場を歩いている。

久々の墓参である。

道と墓場を隔てている土壁は低い

陰気な風が、竹林の向こうから流れてくる。

何となく湿った嫌なにおい、カビの匂いだ。

顔をしかめながら、おおくさいとつぶやく。

苔むした土台には、ナメクジが這って、銀の航跡を残して居る。

生暖かい風は、頬を撫でるように流れていく。

日が当たるところは、妙に乾いていて、新しい墓石の赤い文字が鮮やかに見える。

ふるい卒塔婆に、白い紙がこびりついて、墨が滲んで汚れている。

太陽は苛烈な光を地面に突き刺している。

おーい、おーいと云う声が聞こえる。

誰かが叫んでいるようだ。

墓を探している。

谷(やつ)の奥から下(しも)に向かって広がる墓地は、新旧取り混ぜた、複雑な様相である。

時々、奥の方から吹く風は心地よい。

数年前に教えてもらったきり来ていない。

つたない記憶をたどりながら下の方から探していく。

おかしい否と云いつつ、国道から入る入り口まで何度、行きつ戻りつしたか覚えてゐなほどである。

暑い

帽子を持ってこればよかったと思うが、今日は持っていない。

袋の中で、お供えのお酒の瓶が当たってカチカチと音がする。

いい加減に疲れてきた。

もう何度上り下りしたかと思う。

ちょっと青空が気になったので、カメラを取り出してファインダーをのぞいた。

すると、今までいなかった人が見えた。

ピントを合わせると、背中を丸めた爺さんらしい姿が見えた。

ファインダーから目を離して周囲を見回したが見えない。

おかしいなと思うと、川の方から風が吹いてきた。

もう一度、ファインダーを覗いて山の中腹にせり出している木と空のコントラストを上手く出したいと思った。

明るいので、絞って、シャッタ―を押した。

機械式のカメラは、金属膜の重苦しい音がした。

フイルムを巻き上げると、もう一度カメラを構えた。

すると、さっきの老人らしき人が見えた。

ピントを合わせると、顔が見えた。

「ああ、Yさん」

いつもの様に不機嫌そうな顔が、少し笑った。

小さく手を振っている。

そうして、何かを指さしている。

撮影を止めて、そこへ向かうと、探していた墓が見つかった。

「あった、あった」と云いうと

「はやくはやく」と耳元に聞こえる

酒瓶のふたを開けて、小さな猪口注いだ

「旨そうだな」

「どうぞ」

「・・・うんぐ、うんぐ、ああうまいなぁ」

「よかったねぇ」

「ありがとう、全部飲んでいいのか」

「どうぞ」

「二本買ってきたんで、二本とも飲んじゃいますか?」

「いいかな、息子におこられるかな?」

「そこは、適当にしてください。」

「ああ」

「じゃあ、帰るから」

『おお、悪かったな、また来て」

「うん、次は何時になるのか判らんけど」

そういって、もう一本の瓶の口を開けておいた。

墓苑の中を降りていくと、太陽が雲で隠れた。

振り返ると、Yさんは見えなかった。

墓苑を出て、道路から再びカメラを構えると、ファインダーの中でYさんが猪口を持って自分の墓の上に座割っていた。

手を振ると、猪口を掲げて、応答した。

雲が切れて、日が当たると、ファインダーの中からも、Yさんの姿は消えていた。

もう一度、手を振った。

「気をつけて」と云う声が聞こえた。

10年以上前の白昼夢である。

 

 

 

 

| | コメント (0)

こんな夢を見た 第一夜

こんな夢を見た

国道を南下していると、どうもこの先は事故で渋滞らしい。

途中で旧道を通ろうと思い、旧街道へ向かってハンドルを切った。

国道に比べれば、上下が激しく曲がりくなっているが、車で走るとなると楽しい。

前を走る車の軌跡が見える。

珍しく信号があった。

峠の茶屋を過ぎて、次の宿場町の手前だ。

道は二股、どっちだったかと考えるがよくわからない。

ふるい道標が見えた

何となく右に行けば、国道に出る気がしているけれど、ここでは、途中で渋滞の列に入ってしまいそうである。

それに、こんなとこで、右に回ったことはない

そんな考え、一瞬で頭をよぎった。

左に行く気になった。

かすかに、光の帯が見える

先行の車のヘッドライトだと思った。

本当に道が暗くてよく見えない。

かすかにガードレールの帯が見える

光の帯が遠くを移動していく

その先を見ると、光の帯が流れている

何となく、思い出した気がした。

山に向かって道を降りると、谷に沿って道が迂回して、国道に出るんだと思った。

ちょっと、暗すぎて怖いので、ゆっくりと道を下ることにした。

後続の車はない。

おかしいなとは、思いつつも、道を降り始めた。

途中で、宿場町を通り抜けるはずだが、まだ通り抜けない。

道は、暗い

どんどん暗くなる

月は消えてしまった

道には、センターラインが見えるだけである。

ガードレールが、時々ライトに映し出される。

走っても走っても、前にも後ろにも車もライトは見えない。

ふっと道が明るくなった。

広場に出たような雰囲気だった。

山腹のような広場。

水銀の街路灯が、ぽっんと立っていた

横には、自動販売機

何やら看板らしきものが見える

ちょっと車を止めて、降りて自動販売機を見る。

妙に古い機械だ。

缶ではなくて、ビンだ

80円と書いてある

80円を入れてみる

1本だけ取り出してみた。

コカ・コーラ

王冠を、機械の備え付けの栓抜で外した。

泡が出る。

足元にこぼれる液体を避けるようにして、足を動かす。

なんだか、変んな味である。

空きビンを入れるように、木の箱が置いてある

箱は、三ツ矢サイダーだ。

今どきビンのコカ・コーラなんて珍しいと思って車内の小箱に立てておいた。

道案内の看板には一本道が書いてるだけで、途中の間道には、療養所と書いてある

療養所ねぇと想いつつも、見上げると、山がせり出しているようで暗い

まだ、谷かしらんと思いつつ、みんなは、素直に国道を走って帰ったかな?思った。

道の向こうから、一台の車が来た。

MS40クラウンだった。

珍しいなと思っていると、その車も、街路灯の下に止まった。

名古屋5である。

運転席を見ると、蝶ネクタイに、麻の上着を着た人が運転している。

後部座席には、着物を着た女性の姿が、街灯の光りの中に見えた。

「暑いなぁ、ジュースでも買うか。」と云いながら蝶ネクタイの人が下りてきた。

見覚えのある人である。

その時に、車のナンバーを思い出した

叔父さんのクラウンエイトだ

蝶ネクタイの紳士は、おじさんその人だった。

すると、おじさんは、後座席のドアを開けて、車内から女性が出てくるのを待った。

絽の着物を着た人は、おじさんの奥さんだ。

思わず声を掛けようとした。

すると、おじさんがこちを見てこういった

「トヨタのスポーツカーだな」

ちょっと、驚いて。

「叔父さん」と声を掛けると、叔父さんがこちらを見たように見えた。

にこにこと人なっこいか顔で、「やあ、今晩は、夜になっても暑いですな」

と気さくに云う

「こういう晩は、屋根とって走ると涼しいでしょうな」

と云いながら、運転席をのぞき込んでいる。

おばさんが、「あなた、若い人に迷惑ですよ、困った顔をしているじゃないの、およしなさい」

僕は、声にならない声を出して「おじさん、ぼくだよ」と云うと、

おばさんが、「ほら、ぼくちゃんが起きちゃったじゃないの」

車内から、小さなおかっぱ頭の男の子が出てきた。

小さいころの僕である。

「おお、起きちゃったなぁ、坂下の別荘まであと30分ぐらいだから我慢しろ」

「おじちゃん、この車かっこいいね」

叔父さんは、小さい僕を抱き上げると、頭をなぜながら

「これは、トヨタスポーツていうんだ」

「速いの?」

「ジェット機みたいだろう」

おばさんが、頭を下げなら、「すいません、いつまでたっても子供いたいな人で」

僕は、「おばさん」と声を掛けると、「おばさんなんて、もうおばあちゃんですよ」と云いながら小さな僕を車に誘導すると、ドアを叔父さんが、「閉めるぞ」と云うと、おばさんが、「どうぞ」と間髪を入れずのこたえると、ドアを閉めた。

叔父さんが、僕に向かって

「久ぶりだな、元気で、暮らしているみたいでよかった。久しぶりに会えてよかった。

 お父さんに似て背が高いな。

 お母さんを大事にしてやってくれよな。

 うちら夫婦は、こちで楽しくやっている。」

そういいながら運転席のドアを開けた。

叔父さんは、するりと車内にはいった。

ドアの音が、ガチャリと言って閉まった。

水銀灯の光が、フロントガラスに反射して、車内は見えない。

おばさんが、窓を開けて「お父さん、お母さんによろしくね」と云いながら、手を軽く振った。

電動の窓が、閉まると同時に、風の様に走り去った。

向かった方向は、僕が来た道だ。

光の帯が、遠ざかる。

僕は、光を見送りながら、ぽつねんと、水銀灯の下に立っていた

 

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

馬鹿につけたい薬

「バカナオール」と云う薬が市販されていて、実際に買った人が人がいたんだろうか?と云う疑問がある。

戦前の新聞を読むとやたらと「中将湯」の宣伝が目につく

広告と云っても、求人募集などは、「女給募集」なんてえのもある。

「カフェーの女給である」

怪しげな募集もあるが基本的には、新聞に載るからそれほど怪しくもないのかもしれない。

寫眞製版がよくないから基本的には絵が多い。

その点で云えば「バカナオール」のネーミングはすさまじい。

時々、馬鹿は死ななきゃ治らないなんて名言もあるが、馬鹿は迷惑である。

ベンチャーの社長なんてその典型だが、社会的なつながりを拒否するようなところがある。

期限は守らない、質問には、「なんでそんなことを答えなければならない」と来る。

必要があるから質問しているのに、100%拒絶の態度を示す。

弁護士にも言われなかった・・・なんて言葉を平気で吐くところが愚かである。

弁護士が先回りをしていろいろと教えてくれるなんて思うのは愚の骨頂である。

弁護士で、親切ならいろいろと教えてくれるであろうことは想像に難なくない。

しかし、親切は、ある意味営業である。

これ以上営業をかけても仕方ないと思えば、聞かれもしないことは答えないことは容易に想像がつく

だって、30分幾らの世界である。

金がない奴は、さっさと切り上げる。

まぁ、弁護士さんも、客を見て判断するところがあると思う。

期限を守らないで、よく商売ができるなと思うが、やはり、当然の様に数年でつぶれたかから、基本的にダメだったんだねと思う。

自分が都合がよいと思ったことは、とことん誤解する。

誤解と云うよりも、勝手てに都合よく解釈する。

自分で、自分の状況をキチンと説明せずに、自分の勝手な自己都合をべーずに、相手の条件をよく聞かないで、条件の説明も聞かずに、勝手な解釈をする。

当然様に、自分の甘い見通しのせいで、相手の拒否にあうと「訴えてやる」とノタマワレル。

本当に、この人の精神構造は幼稚さだけが目立つ。

で、まぁ数年で、1億以上の収入を得ていたのだから、騙して取った金ぐらい返せよと云いたいが、数年間の報酬原資が、補助金だったの可能性は否定できない。

機材は、借金で買う。

補助金を、一杯申請する。

他にはなかった事業だと、補助金は出る。

ベンチャーと自称する。

このおじさんの精神構造は、幼稚な面と、本当に「バカ」と云う面がある。

精神構造の幼稚さは、どこにでもいるタイプなので自分の周囲5メートル以内で仕事をしなければ、人畜無害である。

ただし、超然的に「バカ」だと、いろんなところに迷惑を及ぼす。

だからこそ、ぜひ、「バカナオール」を服用していただきたいと思う。

| | コメント (0)

ベンチャー企業の社長のいい加減さについて・・

いつも思うのだけれど、馬鹿はどこまで行っても馬鹿である。

治る薬はない

大昔、大正昭和の新聞に、「バカナオール」と云いう薬が宣伝として載っていることあった。

丁度、この薬でも飲ませたいようなバカが居た。

一発ベンチャーの社長は、一般常識皆無、経営感覚もほとんどない、独善的な人が多い。

中小企業事業団の支援とかを受けて、経営環境を整備してもらっても、目先の利益、自分の給料だけに目が行く。

創業者利益だけはキッチリと確保することだけを考えている。

最近のベンチャー企業への補助金はすさまじいものがある。

こんなものに、何千万円も出すの?と云う感じがする。

各種補助金の山である。

でも、ベンチャーの中身が、一発屋だから、次が続かない。

10年前は目新しい技術でも、5年、6年と経ってくると、一般化してしまい、新しいことを考えなければならないが、自分の利益しか考えていないから、人が残らない。

一人の考えなんてたかが知れているので、次の新しいことは出てこない。

行き詰まる。

補助金をもらうことに慣れてしまい、そのうち補助金詐欺みたいなことをやって、不正受給をする。

不正が、監査でばれる。

補助金を返せと言われる。

逃げようとする。

詐欺的な行為を働けば当然の様に厳しい追及がある。

自分が、詐欺的な行為を働いていいるという意識は無いようである。

補助金イコール自分の給料ぐらいに考えている節がある。

不正の追求から逃れるためには、自称病気になる。

いつも笑うのは、社会の道理をわきまえていないので、おかしなことをする。

なんでも都合よく自分で解釈する。

通常の流れで云えば、当たり前のことをしていない。

ついでに、「そんなことが法律に書いてあるんですか」と聞く。

いやいや、法律に書いていないけど、一般的な筋道だよと云うと、逆切れする・・・・

知らないことを突っ込まれると、知らないと逃げる、自分は、病気なんだと言って逃げようとする。

で、笑ってしまうのは、この手の人間は、すぐに、「訴えてやる」「○○を訴えるつもりだ」という。

昔、乗合自動車の運転手が、最近の若い子は、何かあるとすぐに「訴えるぞ」と、やくざ顔負けの口調で言う。

「訴える」という脅しが利かないと、捨て台詞を残して逃げる。

テレビの影響か何か知らないけれど、馬鹿な子供が増えたよねぇと云う話をしていたことがある。

私なんぞは、思わず「どうぞ、訴えてください。それでは、こちらとしても顧問弁護士に連絡して対応しますので、どちらの先生ですか代理人は?」と聞き返してしまう。

いつも思うのは、内心、訴える金があるんだ・・・と思う。

弁護士雇うと金がかかるぞと云ってやりたい。

だから、この手の話になると、頭悪いなぁと思ってしまう。

この手の奴らは基本的に、詐欺みたいなことをしていても、「自分には罪はない」、悪いのは世の中であると信じている。

よく似たタイプは、財産目当てで入り婿をした者の息子である。

家付き娘が、母親、父親は、爺さん婆さんが選んだ10以上も上の使用人。

父親は、自分の生活の安泰の為に、資産の家に婿入りした。

経営能力はない。

番頭なら務まるが、経営者にはなれない。

資産の娘は、もとより商売には興味がない。

ここで、この母親を経営者に育てなかった爺さん婆さんも悪いのだが・・・

爺さん婆さんが主導権を握っている頃はよい、使用人だから、言われたことをしていれば体裁は取れる。

入り婿の暗い激情を、子供にはぶつけつつも、子供には優しいいいい父親を演じていた。

当然の様に、爺さん婆さんが居なくなって、この婿に経営が任されると、基本的な経理力がないから、会社が左前になる。

会社が金に困ると、妻の資産から補填することは当然と思っていた。

バカな男親の馬鹿息子が、このベンチャーの社長にそっくりで、基本は楽して儲けたい。

話をした時の反応が、このベンチャーの社長とバカ息子(こいつも社長だった・・)はそっくりだった。

ちなみにこの馬鹿息子のせいで、資産家の女性は全部の財産を失った。

馬鹿息子、自分は利口だと思っている。

ちょっとばかり、甘い汁を吸わされていい気になり、自分の財産をむしり取っることを画策している事件屋を友達だと信じている。

大体、小中校生と頭がよくて、中高一貫校へ優秀な成績で入る。

途中で悪い先輩に見込まれて・・というか、金づるとして利用されていた。

金ヅルは、悪い先輩と遊んでいるので、高校で遊んでしまい成績は急降下。

女の与えられて、親の金で遊ぶ、母親は自分の事を思い出して、こんなものかと思って金を与える。

馬鹿息子、蕩尽する。

当然の様にエスカレートで上がれなくなる。

大学は、ものすごく遠くのよくわからない大学へ推薦で入る。

入っても、遊んでばかりいるので、当然の様に、就職などないが、親が会社を経営をしているので、親の仕事を継げばいいぐらいの考えでいる。

結局、親の経営する会社に入る。

馬鹿な経営者が1人から2人になろうが、会社の左前は止まらない…と云う止めようがない

結局、入り婿の馬鹿親と同様に、母親の財産を蕩尽することで、会社を延命させる、半殺しの状態が続く。

悪い先輩から、金を借りるが、こちらも貸しているから、いいやと云うというよくわからない理論で、何年も過ごす。

最終的な面倒は母親の財産があるからいいやと思う。

親には無尽蔵な財産があると思い込んでいるようでが、反省の色はない。

ベンチャーの社長は、国、県、市からの補助金は出るのが当たり前と云う感覚を持っている。

この馬鹿息子の親は、ある時、件の悪い先輩が喫茶店で、仲間と悪だくみをしているのを仄聞してしまう。

要は、この馬鹿息子を嵌めて金を搾り取ることを画策している話だった。

親は戦慄したが、馬鹿息子には通じない。

いわゆる洗脳されたような感じだろう。

騙されているなんて思ってもいない。

で、この手の人間は、自分は、頭がいいと思い込んでいるので、他人を睥睨(へいげい)することおびただしい。

前近代的な親をバカにする、他人を軽蔑して、侮蔑する。

人をバカにするのことにかけては、超一流の馬鹿さ加減というか、まぬけな姿を見せる。

「○○の人は知らないと思うけど・・」て・・・

何回も云う、単なる、自己満足の馬鹿にしか見えない。

昔、無知の知と云う言葉があったが、そんな言葉は全く響かないだろう。

久々に、非常識で、超然的な馬鹿に出会った気がする。

| | コメント (0)

パブリカの現状

  3日前の状態

ドア固着して開きません(キーが回らない)

一応カバー掛けてきました。

書類行方不明・・・・

 

Dsc05243 Dsc05242   Dsc05241  Dsc05240   Dsc05239  Dsc05238  Dsc05237  Dsc05234 Dsc05233  Dsc05232 Dsc05246 Dsc05245

| | コメント (0)

裏口があるなんて思うのは馬鹿である。

名〇大学の理工学部(どうも、知りあいの先生によると、建築らしい)であった、殺人未遂。

新聞を読めば読むほど、動機がバカらしi.

到底、理系とは思えないような、理論構成の元に犯行に及んだようである。

オウムの信者で、理系の方々が多かったけれど、結局は、脳内の孤独君に負けてたようなところがある。

福井の田舎の出身らしいが、留年すると学費がもったいない。

レポートを期日までに出さずにいた。

他の学生は、大学院生のレポート指導を受けていたが、この者は受けていなかったという。

自信過剰なのか、馬鹿なのか。

レポートは出さなくて頼んでおけばもらえるという虫のいい話を信じて頼みに行ったら、そんなのダメと云われて凶行のに及んだらしい。

これは、単なるバカの犯行で終わらせるのも癪に触るような話である。

よくテレビ〇〇系列の刑事もので、裏でうまくやる奴がいるみたいな話が多い。

特権階級が居て、逮捕もされないなんて話もでっちあげる。

そうして、国民感情を分断して、階級闘争を煽ろうという魂胆は、犬以下な発想である。

交通事故で、親子をひき殺した爺さんを「上級国民」と書いた奴はその手の人間である。

現行犯でも、逃げる可能性がなければ、逮捕は去れないという事をきちんと説明しないし、説明する気もない。

感情を煽るだけでは、それは単なるファシストである。

つるし上げをしたいだけにか映らない。

あの爺さんが、その辺の無職のおっさんだったらどうだとと云う論議があるが、逃げるか逃げないかという判断は、総合的に行われる。

ケガもなくて、住所不定な、保険も入ってないような奴は逮捕あろう。

あの爺さんは、対応が悪すぎるから余計に批判される。

自分が踏み間違いをしているのにもかかわらず、車のせいにした。

笑ってしまったのは、車の設計に文句をつけたことである。

まぁ、役人の一番悪いパターンの人物という事はよくわかる。

絶対に、自分の非は認めない。

失敗は、全部他人、部下のせい。

自分に逆らう奴は、人事で干してやる。

仄聞すれば、ある自動車クラブの運営者責任者の大企業勤務時代の態度は、まさにこの通り。

でなければ、あの地位では終わらなかったといわれる。

現在でも、元居た職場の従業員を顎で使って協力者に仕立てている。

その従業員は、昇進するための手段と思っている節があるが、そんもの一ミリの役にも立たないという事を云ってもわからない。

何十万人の社員の一人の立場から上に上がっていくのは大変であろう。

でも、評判のよろしくない元社員の手伝いが、自分の昇進につながるなんて思うのは、件(くだん)の大学生と発想は変わらない。

自分の過大な期待、

現実

その差に気が付かないのは馬鹿である。

殺人未遂の大学生が、特別扱いの話を、誰かから聞いた、都市伝説のような話を信じたのであれば、単なるバカであるし、その話を信じて特別扱いをしてもらえるなんて思っていたのならな、単なる阿呆である。

先日、よく行くお店の隣の馬鹿目玉医者の駐車場の関係で、よく行くお店に、某警察署から電話が入ったという事である。

水曜日の午後は、あほ目玉医者は休診

駐車場は施錠される

よく行く店の馬鹿な客は、よく行く駐車場ではないことを十分承知していながら午前中の止めた。

午後休診だから、施錠される

車は出られない。

そこで、午後は休診の病院に電話をしても、病院は不在だから、警察に泣きついた?

そうして、馬鹿な目玉医者に謝罪して開放された⁈

警察は、「隣の目玉医者の駐車場は、よく行くお店の駐車場ではないと記載をしてもらっていますか?」と云う質問をしたそうである。

お店のご主人は、「警察は土地の所有者が、すぐわかるから連絡したのかなぁ」と、これは間違いである。

前に、まだテレビがあったころ、ガリレオシリーズで、被害書の戸籍が数分でわかるような場面があった。

これを見て、もう漫画以下と云うか、リアリテイのカケラもないと感じてしまったことに似て居る。

警察に限らず官公庁が、土地の所有者を調べるのは実は大変である。

位置の特定、登記(現在は全部事項証明)の請求をして初めて所有がわかる。

所有者と、使用者が同じなら全然問題はない、登録住所へ行けばいい

登録住所が住所変更登記をしていないと、その所在さえわからない。

住民票の変更等を調べることになるが、5年上の前の除票の住民表は出ない。

戸籍が判らなければ、戸籍の附表をの調査もできないので、お手上げである。

所有者がわかりそこへ行って、日中不在なら、夜行く、照会文書なり、札を持っていく。

使用者がわかる・・・現に使用している者が、実は、又借りなんてことがあるとさらに複雑である。

これは、数時間ではムリである。

戸籍の調査なんてもっと大変、所轄署に訪ねて判明なんて・・・どんな所轄署だよと突っ込みを入れたくなる。

申請書類を作って、申請の決済もらって、書類の持出し決済受けて申請・・・戸籍は時間がかかる。

ありえないけれど、役場と同じ建物あっても、1時間では基本的にはムリである。

戸籍が、遠方の県の場合は、大体2週間は必要である。

で、よく行くお店の隣の目玉医者は、第二駐車場に、よく行くお店プラスうなぎ屋の客が勝手に駐車するという不都合を解消するために、警察をよく呼んでいる。

最初は、プラチェーンで、出入りを規制した

けれども、、ブチ切られて逃げられて、警察を呼んでいる。これが数回。

最後には、細いワイヤ―を引いたが、効果がなくて、結局、埋没式の円柱を設置した。

警察を呼んで、チェーンを切られた器物破損の現場検証をしているので、警察は当然の様に連絡先は聴いているであろうことは想像に難くない。

警察が、持ち主を速攻で調べて、借主を探して、その日の午後のうちに連絡して解放されたなんてぇことはあり得ない。

その店の人は、理解したが、馬鹿は、警察の調査能力はすごいとわけのわからないことを云う。

学生が、都市伝説を信じていたら、そんなことはできないと言われたことに逆上したのであれば、基本的には、それらのファンタジーを、「世の中にはあるかもしれない」を、「あるんだ」と思いこませた社会の構造(マスコミと云うバカの放送内容)にも問題がある。

馬鹿のネタは尽きないが、そういったわけのわからないうわさを流す奴は責任を取らないので、うわさを信じたバカ学生もある意味被害者かもしれない。

ここで、被害者と云う云い方をするのは、嫌味である。

個人的には、裏を取らないバカは、無知之を罰すの対象でしかない。

ケガをした准教授は不幸である。

 

 

 

| | コメント (0)

楽しかった日々について

平成3年に、トヨタスポーツを購入後、楽しくて仕方がなかったが、やたらと湯温が上がるとういゆよくわからない症状があった。

最初はオイルが悪いのかと思い、BPのいろんなグレードを3か月に1度つつ交換していた。

結果変わらないので、湯温計も変えてみたけれど変わらなかった。

当時、湯温計3000円ぐらいだったかな?

2回ぐらい交換しても変わらず。

結局、いろいろ聞いていると、排気管の不良ではないかという事になった。

これは、補給部品の排気管部分の一部が、内側に出っ張ていると云う考えられないような不良品のせいだった。

いつ頃からの補給品かどうかはわからないが、平成3年の補給品は、完全に出っ張っていた。

棒でつつくと、でっぱりが確認できた。

レストレーションの時に板金屋のおやじに切ってもらい再溶接してもらった。

これで、湯温の急上昇はなくなった。

又、ヒーターのボイラーが一定温度になっても消えない・・つまり延々と電気を喰うという症状があった。

ヒーターをつけると、電圧が下がる・・・これは見てれば判る。

ヒータ―が自動で消えない・・・すると、当然様にバッテリーが空になる・・ジャンプコードの出動となる。

これは、よくよく調べると、外注に出した自動車屋が、ヒーターの配線を間違えて組付けていたという事が分かった。

それから、自動車屋でも、専門ではないところは怖いかなとと思うようになった。

ヒーターの修理書も渡した状態で、これである。

ちょっと、がっくりした。

この自動車屋に、ミッションのオーバーホールを頼むと、必ず、オイルのバッフルプレートを組み忘れるというポカを2回もやった。

1回目は、オイル漏れの解消を頼んだ時、2回目は、インプットアウトプットシャフトを交換したときである。

結局、2回とも、師匠のガレージでプレートを付けた。

自動屋に行くと、壁際に毎回、置いてあった。

これで、信頼関係は、胡散無償(うさんむしょう)した。

某ダイハツ系の会社であったが、ここの婿(ムコ)の態度がものすごく悪かったので、敬遠するようになった。

ヨタのショックを前後1台分頼んだことがある。

来たと云うので、取りに行くと、リアが4本なので、リアが4本だからフロント分がないというと、この婿、共販へ電話をした。

共販では、同じ品番4本で注文を受けているという話。

要は、私が、ショックのパーツ番号を2種類(前後ろの二種類)と、×2本と書いてFAXを送ったのを、

1種類×4で共販へ、HダイハツがFAXしたのである。

共販と、Hダイハツの婿のやり取りが、えげつなくて…と云うか、非を認めない。

後に、共販へ行ってその話をすると、仲の良かった共販の窓口の人が、なんか苦情になって、結局、2本返品

と云う話になったので、その誤発注分2本は、私が買い取ったというか、共販の本社在庫だったので、買うことにした。

共販で、買うときは、販売店の正価である。

この時のショック代は、共販の店頭と、Hダイハツと値段は変わらなかった。

しかし、単価の安い部品対しては、ものすごく暴利であった。

共販で、1個180円のパーツがあった。

長野のK沢と云う者に頼まれて発注したことがある。

丁度、共販が、隔週土曜日休みになった時期だったので、行く暇がなかったので、Hダイハツに頼んだ。

通常、1個2割から3割の値段が載せられるのは知っていたが、共販店頭の値段が180円のパーツが、1800円と云われた。

思わず、共販で、180円だったと思うんだけどと云うと、その婿、うちもの利益を載せないといけないと言われて、カチンときたので、それ以降使うことを止めた。

ここは、弟が工場長をやっていたが、病気になるとすぐに解雇した。

おまけに、うちの親をだまして車の保険契約を結ばせたので、完全に取引は止めてしまった。

まだ、自動車屋としては営業してますが、二度と行くかと云う気分である。

自分で、いろいろとやるようなると、リフターの音がうるさかったときは、リフターの新品を買って、、まず分解掃除して、中にきっちりとオイルを入れてから車載の状態で交換したこともある。

左のシリンダーのタペットカバーをはずすにのには、エンジンを少々後ろに下げないと抜けない。

やったことない嘘つきは、「簡単にできるよね」とほざくが、実際はものすごい重労働である。

シャーシ部分に鉄の棒を噛ませて、エンジンを、少しだけ、後ろに下げて抜いてなんてことも一人でやっていた。

でも楽しかった。

レストレーションで、ボデイが出来て、ガレージにボデイを運んでもらい、細かいパーツを自分で組付けていく楽しさ。

1分の1のプラモデルの製作と大差はなかった。

くみ上げていくと、昭和40年代の車づくりは、今とは違い、手作業だったことは痛感できた。

私のレストレーションの基本理念は、新車当時の性能である。

だからこそ、今でも、バッテリーをつないで何回かのクランキングでエンジンはかかる。

去年の車検では、豊田市内の路面の悪いところを走ると、野蛮な車だなと思ったが、ツーリングに行くと、これほど手に入る感の強い車は無いと思った。

やはり、良い車である。

普通に移動するなら今の車で結構である。

昨日今日と、トヨタ博物館から友人宅まで、35分であったが、移動をするという目的の為だけであれば、今の車で全然十分である。

ただ、高揚感はない。

楽しい感もない。

快適に移動するだけである。

快適に移動するなら電車でも可能である。

体調が悪いので、あまり車に乗らなくなった。

車に乗るのは、博物館に行くときぐらいで、電車で事足りる時は大体において、電車で行く。

仕事でも、名古屋市内で駐車場を探すのが嫌と云うのと、車の運転をすると疲れるという点で、車には極力乗らなくなった。

気分的には、徒歩、電車、バスが一番楽である。

こうして、模型店行く時と、毎週のトヨタ博物館の図書館に通う以外はほぼ車には乗らなくなった。

こうして爺さんになっていくのかなと思う。

しかし、今でも、トヨタスポーツに乗るとワクワク感が消えないのなぜだろうと思う。

不便でるあるが楽しい。

ホンダスポーツは、エンジンの主張が厳しい車である。

歴代RX-7よりもハンドリングマシーンだと思うけれども、高回転でエンジンを回さなければならない状態が長く、ダイレクトすぎて、高速道路では常に、ハンドルを保持し続けなければならない疲れる。

その点は、ヨタは、軽いボデイダメダメエンジンでありながら、空力特性、大衆車のステアリング機構と相まって、お気楽な運転ができる。

自分がいつ死ぬのかなんてことは判りはしないが、とりあえず、死ぬまでは乗りたいと思う。

20200113

20200114補正

 

 

| | コメント (0)

たのしかった日々

久々に、師匠のところへ行って、久々に3時間ほど雑談をしたら楽しかった。

平成3年にうちの子(ヨタ)は我が家に来た。

今年で、29年目である。

師匠とのお付き合も29年目である。

最初の10年は、師匠のところへ、本当によく行った。

大体が、最初は、セミレストレーションで、師匠のガレージでエンジンミッション組んで、内装なかったので室内の内装を内装屋さんに、車を持ちこんで、現物合わせで作ってもらったり。エンジン壊れた(壊した)ので、エンジンを組んで、載せ替えて・・・とかを延々とおこなっていた。

一桁製造ナンバーのヨタが奥にあったこともあったし、パブリカコンパーチブルがあったこともある。

工場?の中に久々に入らせてもらったが、車の関係は、閑散である。

リフトがあったので車の整備はできた。

今はリフトはない。

でも、楽しかった日々は思い出せる。

雨の降る晩、夜中11時過ぎ、エンジンが完成して、

「エンジン掛けちゃおうか」

エンジンはかかった

二人とも大喜びで、エンジン掛けながら、タペットカバー締めこんでいくというを最終組み立てを始めると、傘を差した、奥様が来て

「何時だと思ってるの!」と叱責

裏のお宅から苦情が来た。

だって夜中だもの。

ちなみそのエンジンは位までに壊れずに動いている。

エンジンだけで150万円ほど使った(4回壊したので、ボーリング代、メタル合わせ代、ホーニング代である。)。

前に計算したときに、25年で、1400万円(オイル代、保険、車検代含む。)ほど使っていたが、別段、無駄な金ではなかったと思う。

大いに楽しめたので、これはこれで、良いことに金を使ったと思う。

約30年で、1500万円弱。

無駄と思う人は、無駄と思うだろう

でも、楽しい思いをしたという事は忘れてはいけない。

27年間、同じ車を持ち続けて、同じ車と云うか旧車の友人は、最初の5年でできた。

でも、15年目ぐらいに、ほぼ全員とつながりがなくなった。

現在のツーリング仲間のうち古くから友人4名を除けば、ほぼいなくなったというか付き合いはない。

三重県の友人は、模型と車(外車)の友人一人(Tさん)が残るだけである。

愛知では、師匠と、もうお二方(kさん、wさん)。

あとは静岡のKさん。

車の友達で、年賀状だけのお付き合いと云う人は、数名いる。

三重苦は、一時期、仲が良かった者であるが、結局、人を利用することしか考えていないので縁は切れた。

よく考えると、よくまぁ、なんでも新品パーツをつぎ込んでいたなぁと思う。

最近は、時々リプロのパーツを買うが届いてから一度も開けないことが多い

さすがに、縁ゴムは開けたけど、この間、Kさんの作ったピストンとピストンリングが出てきた。

リーフは、届いてから玄関横に放置してあったので、ガレージに移動したけれど、梱包のママ。

デフのリングも同様・・・

床の板金パーツは、この間、発掘

ところどころから、ブッシュが出る、他のもが出る出る

使うのか?と思う

でも、あと何年、乗れるか判らいけれど、友達は大切にしたいと思う。

ホンと、今日は楽しかった。

| | コメント (0)

三島由紀夫「真夏の死」小論 その5

 (つづき)
 四番めの子供誕生は、新しい幸福の始まりである。
 二人の愛児の死を帳消しにするような事実に喜んだ。
 桃子が産まれた翌年の夏、事件があってから2年が経過した晩夏、朝子は夫に、A海岸に行ってみたいと言い出す。
 朝子は、「もう、一生A海岸にはいきたくない」と云っていた。
 夫の勝は驚き反対した。
 朝子が、情熱もなく、同じ提言を3度したので、ついに行くことになった。
 夫の勝は行きたい理由を問うたが、朝子はわからないという。
 この判らないという答えには、言いたくないからわからないという言葉で表しているだけと云う見方もできる。
 当然の様に、夫の勝は、行きたくはない。
 結局、妻の3回の気のない要望に負ける形で行く気になる。
 そうして、現実的に、ただ単に、行くことだけを目的とした旅行に行くことを決める。
 行くのは、平日を選んで、もう一度、A海岸を訪れる。
 宿は、1軒しかない永楽荘へ泊る。
 しかし、不幸のあった部屋から一番遠い部屋を頼む。
 2年後のA海岸の旅館は閑散である。
 夫婦には、不幸の感じ方に相違があった。
 夫婦の紐帯とでもいうべき、不幸の現実は、見ている位置が違うという現実がある
 勝は、電報で、義妹の死と、子供二人の行方不明を知る。
 A海岸へ向かう途中、妹が死んだという事は動かしがたい事実として感ずる。
 しかし、二人の子供は、単なる行方不明ではないかと云う、希望的観測を想像する。
 熱海までの車中、3人の子供うちの2人と妹が死んだことを叫びたくなる感情を持つ。
 ここでは、子供のことが先に書かれて、妹は後回しである。
 勝自身は、子供方に重き置いているというか、子供を亡くすという事実の方が、同情を得やすいとう感情の発露かもしれない。
 それは、平穏な生活を過ごしているとしか見えない自分が、実は大きな不幸を抱えている。
 そう告げたたくなる。
 それは、人に見られたことのない背中にあざを持つ人が、あざの存在を叫びたくなる衝動になぞらえている。
 自分の不幸を他人に知ってもらいたいという感情の発露は、丁度、秘密を暴露することで自分の精神の安定を図ろうとする精神作用である。
 そうして伊東の駅でハイヤーを雇うときに、その事務所で、
 「A浜までいくらかい」と聞くと、事務所男は、「急がないならバスの方がお徳用です」という。
 すると、勝は、「急ぎだ、家のものが死んだという知らせがあったんだ」と答える。
 ここで、「急ぎだ」と云えば済む話である。
 しかし、熱海までの車中で叫びたくなった「不幸」つい口に出してしまう。
 すると「へぇ、今、その話を聞いたところです。A浜の溺死者は旦那の家の人ですか?女一人と子供さん二人を一度きにね」
 つまり、「勝」は、「朝子」が、死んでいるであろう子供の捜索を待つている時点で、全然関係のない第三者から家族の死を聞かされてしまう。
 つまり、不可実性のある事実だと思っていたことが、全く関係のない第三者から、死の確定を告げられてから、永楽荘に訪れている。
 「勝」の見たものは、不幸の現実である。
 「朝子」は、避暑地の海岸の宿で、午睡を楽しんでいるという幸福な状態から、急に、義妹が死んでいく経過(今の感覚では見ていた時に は既に死んでいたのである)を見せられ、愛児3人のうち、2人が欠けているという事実が、義妹の死の直後に気が付くという不幸。
 「朝子」徐々に、現実化していく過程を経て感じる不幸と、「勝」は、不幸と、さらに大きな不幸かもしれない情報を断片的につなぎ、間違いであってほしいという、だれもが持つ感情を経て、第三者の告知で確定させられた結果、感じる不幸には、同じ不幸であるが、微妙な差がある。
 同じ事実を原因としながら、同じ並列的な時間経過であるにも関わらず、現場にいる者の持つ焦慮と、伝聞的に聞いて持った焦慮とは、男と女、父と実際に子供を生んだ母との感覚的な差よりも、不幸を、少し離れた位置から見ることが可能か否かと云うことになる。
 「朝子」は、幸福が急に去り、不幸は急に顔を出したその経過を見続けた感覚を持っているはずである、つまり、「勝」の知らない「幸福」と「不幸」転換点を見たという気持ちがある。
 「勝」は、2年ぶりに永楽荘に到着するなり、番頭を見て、震える手で渡した1000円の事を思い出し、2年前の悲惨事を思い出して気分が悪くなる。
 そこで、「朝子」に対して愚痴を言う。
 「朝子」は、来ることに賛成した時点で、夫の勝が、事故現場に来たことを非難する言葉を封じる。
 「朝子」は、夫の知らない、現在宿泊している客の知らない事実を知っている。
2年前の日の輝く庭に、義妹の死体が横たえられた場所を思い出す。
 夫は、その場所に妹が、横たえられていたことを知らない。
 他の客も知らない。
 そんなことを、朝子は思う。
 夫の勝は、愚痴を言っても、父の義務を思いだして砂浜へ向かう。
 夫は、2年前の夏の不幸を帳消しにする気持ちがある。
 夫には、慰霊の意味もあったかもしれない。
 そうして、不幸のあった海岸へ向かう。
 もしかしたら、夫の勝は、不幸と云う事実を幸福と云う言葉で蓋をするために、家族の暗い影をすべて拭い去るために、もう一度、海岸へ行くという事を考えたのかもしれない。
 宿の下駄をはいて気軽な感じで克維の手を繋いで行く。
 家族4人は波打ち際に立った。勝は朝子の横顔を見ると、桃子を抱いて、じっと海を見つめ放心しているような、何かを待っている表情である。
 勝は朝子に、「一体何を待っているのか」と訊こうとしたが、その瞬間に訊かないでもわかるような気がし、つないでいた息子・克雄の手を離さないように強く握った。
 握った理由は、「朝子」の望む不幸の再現を阻止するためである。
 「朝子」の望みは、不幸の再来である。
 子供の死から自分が死ななかった事実を、波打ち際へきて、もう一度、2年前の不幸が訪れることを望むのである。
この不幸を待つ気持ちは、夫の勝にも、同じ不幸の認識を持ってもらうためには、段階を踏んだ不幸の認識を持つべきと云う気持ちがあるのかもしれない。
 この小説は、ある意味、生活と精神の再構築と云うか、再生していく話であるが、再び不幸を得ることで、不幸だった感覚を永続させようとする、エゴイステイックな感情の発露である。
 不幸の再来を待つという気持ちは不可解と云えば不可解である。
 しかし、幸福と身を入れた付き合いをしていたが、突如として、不幸と出会い、その姿をお見それした家族には、短期間ではあるか「不幸」に慣れた生活と、「不幸」がもたらす、多くの人からの「いたわりの言葉」が、心地よかったという快楽があったせいかもしれない。
 幸福の次には、不幸しかないという諦念がそうさせるのかもしれない。

| | コメント (0)

UP10いりませんか?と聞いてみる

以前書いた、うちのパブリカ(UP10)

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/cat6795735/index.html

最近状態不明・・・

ご厚意で預かってもらってた場所が使用できなくなりますので、売却したいと思います

この写真よりも状態は悪くなっていると思います。

書類はないかもしれない

中古ドア(左)をお付けしますがあとは現状お願いします。

パーツはつけません。

気になるという方は、ご連絡をください

時間は、3月中旬までぐらいです。

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/01/post-a8c33a.html

現状こんなもんです。

 

| | コメント (0)

三島由紀夫「真夏の死」小論その4

夏が過ぎて、秋が過ぎると、もう一度子供が欲しいと感ずるようになる。

そうして、冬のさなか、朝子は懐胎する。

懐胎は、亡くなった子供たちの事件を解体、と云うか溶解していく作用があった。

自身の体内で生育していく子供為には、悪感情を持ってはならないという気持ちが、不幸への心持を変えなければいけない。

不幸を忘れなければならないという作用をもたらした。

事件の直後、明確だった記憶は、生活によって薄れ、懐胎によって忘却の彼方へ押し流す作用があった。

あの事件以来、朝子が味わった絶望は、不幸な愛児の死と云う事実よりも、普通ならば、子供を一時に二人も無くすと云い不幸に遭ったのなら、気違いになるのではないかという予想が外れ、正気のままでいるという事実が原因であろう。

「朝子」にとっては、自分の神経の強靭さからくる「気が狂わないという絶望」、そういうものを「朝子」はくまなく味わった。

 子供を亡くしたラジオ劇が流れると、即座にスイッチを切る感覚を持っていた。

 そこには、劇中の主人公と自分の相違を認めたくはないという気持ちがあるからであろう。

 普通の精神の母親であれば、子供亡くして悲嘆に暮れて、気が狂ってしまう母親の姿を劇中描いているかもしれない。

 諦念と云う言葉で、二人の子供の死を、時間とともに流し去る様子に、自分の薄情さを垣間見ている。

 また懐胎で、不幸を消し去っていく速度は、新しい幸福のためにと云う大義名分、より加速度的に増加していく。

 普通一般の愛児を事故で失う悲しみからくる狂気が訪れなかった事実は、他人とはと違う自分の姿を見る恐怖がある可能性がある。

 ここには、残されている「克雄」を守護しなければならいという使命が、気が狂うという逃避を許さない事情がある。

 また、彼女には、「力強い意志」があるから、並みの女では耐えられないような悲劇を克服していく。

 小説の結末は、幸福には、不幸というスパイスが必要であると感じた者、受難者の地位を快感と思ってしまった者の不幸が見える。

 本来、「不幸は踵を返して帰ってくる」という迷信を信じて、一人生き残った「克維」をガラスのおもちゃの様に扱う姿は、不幸を避けるための手段ではあったが、不幸を幸福に転嫁させる力はない。

 単に、不幸をひたすら避けるという態度である。

 不幸は、幸福に転換することはない。

 長い間、幸運に恵まれ、幸福と身を入れた付き合いをしてきた家族にとっては、一般的な不幸とは縁遠かったはずである。

 しかし、大きな不幸を受けることになる。

 3人も一度期に亡くなることは、一家族にとっては大きな不幸であるが、社会的には、3人も一度に死ぬという事は滑稽である。

 夫の勝は、三人の死を、社会的な死ではなかったことを幸運に思った。

 それは、他者から、強いられた死ではなかった。

 勝自身は、自分が幸運続きであったことを、他人からねたまれているであろう、今の地位を羨ましがられると点が、減殺されたと感じるのである。

 不幸の状態から、幸福な状態への転換は、継続の先にはない。

 劇的な展開がなければならない。

 幸福を感じるべき状態になっても、

 だが、ある時、もう一度子供が欲しいと思う。

 そして懐胎して、晩夏に女児・桃子を出産する。

 一家は喜んだ。

 

| | コメント (0)

うちのわんこ、もう歩けない

うちのわんこは、16年目です。(実は、泣きながら書いている・・・)

血統書付きの柴犬です(笑)、初めて動物と云うか、生き物を買いました。

うちでは、延々と犬を飼い続けている

ろん、ころん、ろん、くっく、まっく、ころん(2代目)、柴之介(仮名)

一番長命だったのが、「ころん」20年、その次が、「くっく」16年

(クックは、コロンの子供で、一番不細工で貰い手がなくて、残留したけれど、ほかの兄弟は短命だったが、この子が結局一番長生きした)

「まっく」は、3年ぐらい

「ころん」は、交通事故(引き逃げ)で、2年

「ころん」が死んでしまい、「柴之介」を購入

16年・・・以前はうちの親が朝は散歩に行っていたが、老いたので、私が朝晩連れて行くようになって、15年以上が過ぎた。

朝は、散歩に行くのが遅いと、怒る。

夜も、遅いと怒る

でも、庭で遊ばせていると楽しかった。

ペットボトルを噛むのが好きだった。

庭に来た猫を良く捕まえていた。

16年間で、4匹の野良猫を撃破。

ここ数年は、老化が進んで、数メートル先の猫が見えず、においもわからず。

でも散歩行くときは、鍵の音で気が付いてやたらと鳴きわめいていた。

ここ2週間ほどは、鍵の音でも反応がない。

年が明けてからは、反応が鈍い。

ここ数日は、丸くなって寝ている。

近くに行っても、起きない

死んだかと思って呼びかけるとようやく起きる

又の下にもぐって、首と背中を撫でてもらうのが大好きで、延々と、撫でていても微動だもしないことも多かった。

一昨日ぐらいから、歩くのが大変

昨日は、家を出てすぐは、いつもの様に走った

でもすぐに歩けなくなってよれよれ。

まっすぐ歩けない。歩く歩幅は、半分。しかタンク引き返す。

途中で、嫌々をしたけれど、見てられないのでご帰宅

ビスケットは元気よく食べた。

ドックフードを食べない。

ビスケットはよく食べる

今朝、起きてこない、「おさんぽ」どうする?と聞くと歩いてついてくるので一応お散歩に行くことに。

へたりこむ。

家を出て数メートルで、歩けない。

帰ろうかとと云うと

いやいやをする。

1メートルぐらい歩く、よれよれ、へたり込む

帰ろうと言って、ようやく家まで、よれよれ。

裏木戸で、座り込む

10センチ段差が登れない。

ビスケットをやっても、ぱりぱり食べない。

ぼり、ぼりと云う感じ。

座りこんで動かない。

うちの小僧さんを呼んで、今生の別れかもしれないと告げる。

夜、もうほとんど歩けない。

でもお散歩行きたいモード

抱きかかえて、散歩に出る。

裏木戸の前で座り込む

頭撫でると、頭をすり寄せてくる。

撫でていると、涙が出てくる。

もう一度持ち上げて、犬小屋へ

すると、旨く立てないので、すっころぶ。

丸くなって寝る風情

いつも、わんことの別れは寂しい。

もうあまり持たないと思う。

さみしいなぁと思う。

頭撫でると、小さいときみたいに、キューと頭を擦り付けてくる。

あんまり見えてない目でジ~と見ている。

抱きあげた時に、いやのことに気が付いた。

いつも抱き上げると、心臓の鼓動が、ドキドキと動くのがわかるのが、全然鼓動がしていない。

それに暴れもしない。

ああ、涙出てきた。

 

 

| | コメント (0)

マナーの悪い人たち

全国各地で開かれる自動車のイベントが危機に瀕している

その理由は、車検の通らないような車でくる。

爆音を撒き散らす、最低地上高さえ守らない。

犬以下な所業のせいである。

毎月開催されているようなイベントでも、クラブミーティングはしないでくださいと言っても関係がない様に、毎回、同じように集まる。

しかも、朝一番で並んで入場、並んで退場・・・

周辺の一般家庭から苦情が来ては、今後開催が危ぶまれるように気もするが、参加者はどこ吹く風である。

その昔、オハミカなる集まりがあった。

早朝の三河湾スカイラインの駐車場に自然発生的に集まったのだが、最終的には、駐車場が閉鎖されてしまった。

焚火をする、たばこのポイ捨、ごみを散らかす、スカイラインを暴走する・・・

苦情が沢山行ったのだと思う。

一般の人から見れば、怖いだろう。

タイヤからはみ出るピン、ナンバー隠し、大音響を鳴らす車・・・

縦横無尽に走り回る車

音はダメだろうと思う。

わざわざ大音響を出して喜ぶ。

以前ある集まりの時にジネッタが来た

ずっと、ブリッピング・・・ばばばばばばばばばばぁあああああああああんん・・・ばばばばばばばばばぁあん・・・

ものすごくうるさい

聞けばナンバーついてるけど、エンジンはレーシングチューンだそうな

低回転だと、カブるそうな・・・だから、延々とエンジンをふかす、吹かす・・・

大体、レース車輛でもないのにチューニングして、街中?を走るの?

なんで?と思う

この手の馬鹿は、いつも思うのだが、レーシングカーだからと云って、ナンバー付きで公道を暴走する。

あるバカは、いつもジェットヘルメット・・・

車レーシングカーのレプリカだけでど・・

エンジンただのケントユニットでキャブは、四発エンジンにウエーバー1個・・・・

ケータハムより遅い

で、結構荒い運転をして楽しんでいる・・・が、楽しんでいるのは本人だけで、周りは迷惑だなんてことを微塵も思わない。

昔参加していたツーリングは、主催の三重苦はいつも暴走モード

こちら屋根取ってるので、屋根つけてるのと比べると、10キロ遅い、ウインド下げるとさらに10キロ遅い

前、小海町でイベントを開いたときは、Zマークで来た。理由は荷物が載らないと言ってたが、ヨタでの長距離を嫌っただけである。

帰りは、みんなを置いてサッサと帰った。

かくも、身勝手な者が多いと、主催者は、苦労をするだけである。

自分たちはいいかもしれない、許容できるつもりであろう。

場所を借りていると、貸主に対する誓約等がある。

それと、社会一般的な常識が問題になる。

常識のない者は排除しなければならない。

そいうでないと、イベントがつぶれてしまう。

それは避けたい。

 

| | コメント (0)

ゴーンが困ると嬉しいか?

旧態依然とした、検察、裁判所、入国管理局、日産の体質はさておいて、ゴーンが逃げたことに怒りを持っている人が多いと思う。

個人的には、悪いけれど、なんとも思わない。

金持ちが、金をばらまいて逃げる算段をして、まんまと国外逃亡をした。

弁護士もグルかもしれない。

パスポートをダイヤル錠付きのケースに入れてわたしたなんて情報もあるけれど、結局、最強と云われた、辣腕の辞め検もバカ扱いだろう。

大体、官職を退いたら、弁護士の資格があるから弁護士になるのは判らんでもないが、規律性はない。

検事辞めて、暴力団の顧問なんて人もいた。

捕まってからせっせと、本を出していたが、読むと言い訳のオンパレードである。

読んでいて気分が悪くなった。

それぞれの国の法律は、国伝統は由来の部分が多い。

慣習を無視して、批判されたからと云って、サッサと保釈を決めたのはどこの馬鹿?という事になる。

慣習を無視して、欧米に批判されたからと云って、慣例を破った裁判所の保釈の決定をした裁判官を批判すべきだろう。

検察はルンルンかもしれない。

学生のころに、贈収賄事件で、贈賄が立件されずに、収賄側だけが立件されたことについて、法律論としておかしいという事を小論文(と云っても50ページほど)を書いたことがある。

(経済学部の数学生が書くような内容ではないと、法学部の先生には、絶賛れて、転部を持ち掛けられたこともある。)

この件は、後に、最高裁が非を求めている。

裁判所は絶対ではない。

検察の予想は当たったけれど、刑事裁判はこれ以上進みようがない。

ケリー君には楽な戦いを展開するだろう。

だって、死人に口なしな状態である。

誰にも反論されない、反論する奴は、レバノンに逃げた。

誰もが、「無罪を信じているのならなぜ逃げた」

その点から行けば、逃げた、ゴーンは推定有罪である。

しかし、法律上、推定有罪はない。

保釈、収監時ににげた奴の話は最近多い。

裁判所が悪いのか、収監行くやつがバカなのか。

多分、馬鹿だろう、こんなところにも人手不足の影があるかもしれない。

ゴーンが逃げて、腹が立つのは判る、逃げる気で逃げる奴をとどめるのはほぼ困難である。

日産が、警備会社を使った監視をつけていたが、警備業法と、探偵業法違反で訴えると言われて、監視を止めた。

これんなんか失笑ものである。

探偵を雇えばいい。

監視を解除した翌日いなくなったというのだから仕方がない。

個人的な意見では、素晴らしい手品を見たように気がする。

ゴーン、故郷の地でいろいろと困る可能性について類推して留飲を下げる向きがある。

ネットニュースで、そんなことがたくさん書いてある。

でも、多分、全然困らないと思う。

民衆が怒ろうが、何しようが関係ないだろう。

法律があってないような国である。

金持ち、特権階級が何でもできる国である。

だからこそ、腹が立つなら実力行使を考えればいいと思う。

皆さんは、ゴーンが逃げたこと、不平等だと思う点からくる怒りだと思う。

金がない奴は逃げようがない。

でも奴は、金があるので逃げる。

金がないのと、金があるのとの差に怒りをもってもしょうがない。

15億円が惜しいから逃げないだろうと思うのは、浅はかである。

150億円なら逃げなかったかもしれない。

15億は一般の人から見たら厖大化もしtれない、ゴーンから見たらどうなんだ?

そういう気がする。

ゴーンは、守銭奴だった。日産を食い物にした。

でもどうだ。

今まで、日産は、幹部、組合に、散々食い物にされた。

その残りカスの総仕上げをゴーンがしたと思えばいいのではないだろうか。

日産も三菱も、5年後にあるかどうかというご時世である。

ゴーンに鉄槌を加えたいと思うのは自由である。

では、鉄槌を下ろす機会があるのか?

方法は?

まず、ゴーンの所在は判らない。

レバノンの家は、日産の所有らしい、ならばなぜん日産は踏み込まない?

まず、対象者の所在をはっきりさせてから対処する。

漫画みたいに、簡単に所在が分かれば世話はない。

判らないから困るのである。

ビンラデイン氏を探すのに米国は、どれだけ、金と時間をかけたのか?

考えたことがるのか?

結局、外国人にしてやられた感は強いだろう

IRの誘致に絡む中国企業の暗躍も、外国人に対する警戒心を増す結果となるだろう。

外国人への憎悪が増さなければいいと思う。

で、居場所を見つけたらどうするの?

連れて帰るか?

無理だろう。そうなれば、生かしてはおいていけないと云う理論が先行する可能性は高い。

その場合はどうするのか?住んでいるところ一体を爆破でもすればいいという事になるかもしれない。

多くの日本人が抱いているが外国人への偏見は、増大するであろうことは予想が付く。

さぁ、どうする人権大好き君。

 

 

| | コメント (0)

三島由紀夫 「真夏の死」小論 その3

「朝子」は、忘却と後悔することを恐れる。 事件の後、「朝子」は、後悔を始める。 しかし、この後悔は、見せかけの後悔でもある。 それは、義妹の心臓マッサージを海岸で行わなかった所為で、子供の存在を忘れさせた行為全般に向けられるべきであるが、現実には、運んだ者、運ぶように判断をした者は不特定多数で、具体性がない、だから憎悪は、唯一認識できる義妹へ向くのである。  義妹への憎悪は、そのまま、夫、義妹の死を悲しむ彼とその両親へも向けられる。  夫へは、子供と義妹とどちらが大切かと、本人に向かって聞いたら答えようのないような質問を頭の中で投げかけている。  「朝子」の気持ちでは、義妹は、子守娘が川へ子供を落っことしてきたような対象でしかない。 「朝子」自身は、自分が被害者になろうとしている。 子供の葬儀の前に、両親への食って掛かるのは、子供を過ちで殺された母親という地位に安泰したいという気持ちがあふれている。  自分が義妹に、小さな子供3人を任せて午睡を楽しんだ結果、子供は2人死に、3人の監督者であった義妹も死んでしまった。 生き残っている1人の子供には責任は問えない。 三人の子供の監督者であった義妹の監督者である自分が、責められるという社会的な反応に、責任を追及される重圧から逃れようとする。 そこで、「朝子」は、重圧から逃れるためには、後悔をしているという体裁をとる必然がある。 それは、義妹に3人を預けたことが間違いだったという事を認めることであるが、実際は、 は、自省として、「朝子」自身がが、義妹の心臓マッサージを行う間に、二人の子供事を忘れていたという、自分の失当を後悔している。 又、夫が、事件の現場である伊豆を訪れて、最初の夫へ謝罪する時には、子供三人を、老嬢の義妹に託して、自分が午睡を楽しんでいたという事実を後悔している。 宿の番頭が、午睡を楽しんでいた時に起こったことだから、朝子を責めないで欲しいという意見などは意味をなさない。 そうして、子供が死んでから、分家の墓を建てるために、多摩墓地に墓地を求めた時には、子供たちの事は忘れていない。 死者の為に購入した多摩墓地へ行きながら、死者の事を、生きている子供として認識したい、・・・本当は死んでしまった者を、生きている者として扱いたいという感情の平行線的な可感覚を持つ。 空想と現実の葛藤である。 外出する、子供は、椿事で死んだりしなければ、生きていればお留守番をして居るはずである。 生きて、現実に連れてきている「克雄」は、おもちゃを欲しがる。 その時、妻の脳裏には、長男長女が死んでいないという感覚で、お留守番をしている子供にもお土産を買わなければいけないと思う、しかし、すぐに、現実は追い付てくる。 彼女は、死んでいないつもりで土産を買いたかったと主張する。 夫は、多摩墓地を見にいった行き帰りで、感情を誇張していると感じる。 ここで、妻と夫の立ち位置がすでに違っている点が良く判る。 良く女性の記憶は「上書き」だから過去には拘泥しない。 その反面。男性の記憶は、どこでも呼び出し可能な引きだしのようなものだから、過去に拘って、現実を見ないということをいう人がいる。 しかし、この小説では、妻である女性は、記憶を上書きするのではなくて、子供という項目だけについては、上書を拒絶しているように映る。 それに対して、夫は、社会との関りと、生活が記憶を埋没させて行く。 そうは言っても、妻は、徐々に、継続的な日常生活、事件から時間の経過、そうして最重要課題である1人残された克雄を守護する云う事実は、人間の持っている忘却して傷を癒すというシステムを通して、徐々に立ち直っていく。 その過程は、本人の意思とは関係なく、不幸は忘却しなければならないという意識がなくとも、時間が悲劇の記憶を押し流していく。 忘れていくことの連続は、死んだ子供の子ことを夢に見ないという現実となって立ち現れ、起床時のさわやかな気分を現出する。 ある朝、起きると、子供たちの事を忘れて寝入ったことを思い出していた。 母親は、子供が死んだという事情を忘れてはいけないという感情がある反面、自分に起こった悲劇を無意識のうちに忘却の彼方に持ってく時間と薄情が恐ろしくなる。 忘れてしまった自分を責める気になるのである。 夫は、妻の忘れてしまったことを後悔する悲しげな姿を見て勘違いをする。 朝、子供の事を忘れたことを、気に病む朝子に対して、夫は、子供の事を思い出したから気に病んでいると誤解する。 社会生活の度合いが大きく、現実的な夫は、すっかり死んだ子供の事は忘れているので、妻が、「忘れたことを悔やんでいる姿」そぶりを見て、死んだ子供を思い出したから、悲しい顔をしていると勘違いして、妻を慰撫する。 夫は、誤解に気が付かないし、悲しいそぶりを見せない。 妻は、慰撫する夫が子供の死を悲しまないのが不満である。 母として、死んでしまった子供たちの霊に、忘却と薄情を詫びて泣いた。 そこで、朝子は、忘却の原因を考えると、「諦念」によって忘却が起こると考える。 この「諦念」から起こる「忘却」こそが、死者に対する冒涜であると感じる様になる。 そうして、忘れそうになる悲劇を感じようと努力をする様になる。 「自分たちは生きており、かれらは死んでいる。」 「生きていて」、彼らを忘れてしまう自分の意識は、悪事を働いているような心地をもたらす。「生き残って生活をして、死者を忘れてしまう」という事が、自分に与えられえた罪と感じるのである。 「生き残されていることの残酷さ」にさいなまれるのである。 20200109加筆訂正

| | コメント (0)

横入りジジイ

今日ある博物館の新春恒例、ポスター配りがあったので朝っぱらから並びました(←バカ)

8時14分着くと、既に3人いた。

私4番目

で、親子が2人来て、刈谷のお友達参上。

今年は、9時過ぎても整理券なかった。

延々と話をした。9時10分大体60から70人ぐらい並んでいた。

そこへ、3番目に並んでいた爺さん(50代後半?)の横に、ZENTと書いた赤い帽子をかぶったこれまた60から70ぐらいのジジイが、横入り。

三番目と仲間らしい、どうも豊田から来たらしいが、偉そうに話をしている。

三番目は、8時から待っているらしい、7時過ぎに家を出てきたと云う事なので、「ご苦労なこった」と思った。

ZENTジジイそのまま並ぶ気満々だった。

列はどんど伸びている。

どうでもイイ話をしている。

9時20分、ゼントジジイに、

「ちゃんと並べよ」と云うと

「仲間が早く来てならんで、(席?順番?)取っといてもらったん?、何か悪いか」と抜かした。

「みんな並んでるんだから」というと

「お前なんかに、なんで言われなあかん」と抜かした。

「あとから来たら、後ろへ並べよ」というと

「何を、偉そうに、お前に言われることじゃないだろう」

「並べよ」

同じようなやり取りがあった。

すると、手でも出すかと思ったら、捨て台詞を残して、そそくさと後ろへ並んだ。

3番目のジジイが、何か言うかと思って顔をみると

「何か?」と抜かした。

コイツも、ゲス野郎だ。

すると、すぐに戻ってきたの、こちらは、少々身構えて(攻撃された時の防御態勢)いると、

3番目のおっさんに、「向こうの3階に行っとる。あとできて」

そうして、新館の方へ歩いて行った

新刊の前には、別のご友人がミニカー買うために待機(W)

警備の人に、このZENTジジイ、向こうで「並べって言われた」と訴えてゐたそうな。

お友達は、並ぶのは足り前だろうと思ったそうな、そう思うのが普通だと思うが、ZENTジジイはそう思うわないらしい。

おまけに、毎月俺は来ているとも抜かしていたたそうな。

ちなみに、皆さん並んでいるんだから並ぶのは当然と思うが・・・このZENTジジイは、ネジが緩んでるのか、昭和の馬鹿の典型の様に、横入りOKと思って居る。

毎月来てる?

去年、年間90回通ったけど見たことねえいぞこのくそジジイと思った。

新年のご挨拶があったので、新館の三階へ行くと、くだんのZENTジジイが居たが、クルマの雑誌を読んでいた。

要は、入館料を払わずに、ただ単に、毎月1回雑誌を読みに来てるダケのジジイらしかった。

この手のクソジジイを時々見るとムカついてくる。

以前、注意したら殴ってきたので、そのまま殴らせておいて、即110番したことがある。

一瞬、相手が、殴ったら面白いのにも思ったけれど、施設に迷惑かかるから殴ってこなくてよかった思った。

この手のジジイは、自分で反省はしない、批判されないと居座る。

ズルいことをして当たり前という気がある可能性が高い。

でも、なんで、こう、非常識な爺さんが多いのか不思議だが、ベビーブーマー(日本流にいうと団塊)世代の悪い認識である「みんなで渡れば怖くない」という感覚があるのかもしれない。

 

 

 

 

| | コメント (0)

三島由紀夫「真夏の死」小論その2

「真夏の死」は、伊豆の海岸で起こった事故が題材である。
俗化されない孤高な海水浴場で起こる。
子供二人、家族の夫の妹の三人が一気に亡くなったという事故がベースである。
最初に、ボードレールの人工楽園の言葉に出てくる「真夏」を引き合いに出している。
小説のあらすじは、ある夏、主人公の生田朝子(いくたともこ)は、伊豆半島の南端に近いA海岸の永楽荘に、三人の子供(清雄きよお:六歳、啓子けいこ:五歳、克雄かつお:三歳)と、義妹の安枝(やすえ:老嬢)とで遊びに来ていた。朝子が、遠慮のない安枝に3人の子供のお守を頼んで永楽荘の一室で午睡を楽しんでいる間に起きる。2人の子供(清雄と啓子)は波にさらわれてしまう。驚いた安枝が、海に向かうと波に胸を打たれ心臓麻痺を起こして倒れる。一時に3人の命が失われた。
そうして、失われた子供を、特別な感情としてしての忘れはいけないという気持ちと、忘れてしまう事への恐怖、さらに、失われた子供を補完するように懐胎する。
懐胎後は、愛児を失ったという大きな、特別な悲しみは消えていくのである。
この悲しみを消費し、消化していくに従い、忘れてはいけないという気持ちが強くなる。
そうして、冬には、懐胎して、再び、子供が生まれる。
生まれたばかりの子供を伴い、再度、事件のあった海岸を夫婦は訪れる。
夫は、最初は、反対する。
三度も妻が頼むので、仕方なく同意する。
現地につく、すると、夫は、事件を思いだして不機嫌な気持ちになる。
しかし、夫婦は、生き残った子供、生まれたばかりの子供連れて、事件のあった海岸へ向かう。
妻は、何かを待っている。
待っている姿を見て、「何を待っているのか」と聞かなくとも、何を待っているのかわかるような気がして、生き残った子供の手を強く握りしめて蕭然となる。
この蕭然となる理由は、妻が待ち望んでいる、愛児を再び失うという悲劇の連鎖を望む姿である。

主人公の「朝子(ともこ)」は、非常に用心深い婦人であった。
夫の勝は、米国の自動車販売会社の支配人である。
しかし、事件の少し前に事故を起こす。
それ以来、妻は、夫の車に子供とともに乗らなかった。
それほど大切に養育してきた子供を、義妹の不注意、自分の監督不足で3人のうち、一挙に2人も失う。
最善を尽くしてきたとは言えない部分が、肥大して、事故が起き、悲劇となった。
主人公の母親である「朝子」とその夫「勝」は、家族として、子供二人と、義妹の死を一時に受ける悲劇の主人公である。
主人公の「朝子」は、子供二人を一時に亡くした悲しみと悲劇と、その夫の勝は、子供二人と妹を亡くした悲劇を、引き比べている。
この事件の直後に、「朝子」は、責められる自分の姿に怒りを覚えるが、その怒りの矛先は自身の両親へ向かうが、これは一瞬で終わる。
夫の両親に見せた「どうもすいません」という言葉とは裏腹に、自分の両親に見せた、子供の死よりも、老嬢(未婚)で亡くなった妹の死を悲しむ姿勢に強い反発を覚えている姿は、悲劇の中心は自分になければいけないと云う、エゴイステイックな姿である。
死について、運命であると述べる老人に対する反発心もある。
彼女は、二児を一度期に亡くした悲劇の主人公であることに気が付く。
自分は、悲劇の中心であるべきという姿を見つめ、その源泉が、二児の死であることを痛感する。
この主人公「朝子」は、注目を浴びることは快感と思う者であった。
そうして、快感は、悲劇の主人公という形容詞が付くことで、より加速度的に、自分へのいたわりを求めている。
提琴(ていきん)演奏家の会場へ着飾って出ていく姿、悲劇を知らない人の対応、他人がどう感じるかという事は埒外である。
2児を一時に失うという悲劇の主人公でありながら、きわめて美しい。
悲劇を知っている人の感覚は、不幸を乗り越えてきたから、この提琴演奏会に来ているという感覚ではないだろうか。
二児を、一挙に失うという悲劇は、個人の単位としては非常に大きいと感じている。
社会的に見ればどうかと言えば、ある意味、一時的な不幸ではあるが、ある意味の滑稽さを有する面もある。
人の不幸は、話題でしかない。
個人の持つ深い悲しみの源泉である「悲劇」は、消費されて忘却される。
しかし、主人公の母は、悲劇のヒロインの地位を保持したい。
知人が、自分お悲劇を知らない人に、悲劇を教えるべきではないかと考えるようなそぶりを感じる。
そこで、つまらない悲劇に引っかかっていけないという感覚が、より強く表れる。
オレンジジュースや、公園の水道水を飲むことで怒る小さな不幸
交通事故で、残された愛児の命を奪われる不幸
そういった不幸は、遠ざけるようにする。
夫・勝は、仕事で気がまぎれるので、愛児と妹の死は早く忘れていく。
主人公の「朝子」は、一日中、不幸の内容を考えている。
まるで、忘れるという行為を全面的に否定するようである
家族で食事に出るという、気分転換も、夫・勝の忘却を責めて、ぶち壊していく。
(つづく)

| | コメント (0)

三島由紀夫 「真夏の死」についての小論 (その1)

三島由紀夫は、16歳のころから早熟な天才と謳われた者である。
1944(昭和19)年10月には、処女作「花ざかりの森」を祖父の人脈をフルに活用して出版している。

文章の中に出てくる言葉は古いが、時代性があって面白いと思う。
例えば、「棒紅」これは、今のステック状の口紅を現した言葉である。
当時は、「棒紅」と旧来の筆で書く紅と峻別されていたことがわかる。

三島由紀夫は、戦後、流行作家として書き散らかした作品も多い。
先般、既述した「金閣寺」は名作といわれる。
私の個人的な一推しは「真夏の死」である。
円錐形の事柄が頂点(’終局)に収斂していくように書いたとされる。

この「真夏の死」も、題材は、現実の事件であるが、事件は単なるキーワードである。
キーワードから組みたてていく話と、現実は乖離していく。

三島由紀夫の根本にある「夏」とは、戦時中の最後の「夏」の事であるといわれる。
1945(昭和20)年の敗戦の年の夏を良く引き合いに出すきらいがある。
三島は、2月に召集を受ける(徴兵検査は、前年、本籍地の兵庫県で受けている。)
三島由紀夫は、1925(大正14・昭和元)年の生まれなので、1944(昭和19)年には、徴兵検査を受けている。最低の第二乙種合格であった。官僚だった父親平岡梓の「本籍地の田舎の隊で検査をうけた方が、ひよわさが目立って採られないですむかもしれない」という入れ知恵で、兵庫県加古川市の公民館で検査をうけていた。検査当日の本籍地の農民の青年たちに囲まれて、ひ弱な体を見せる彼は、「俵あげ」さえできなかったという、当時を知る人は、或る作家の取材に非常に偉そうに語っている。
健康な肉体に囲まれた、ひ弱な肉体の都会の青年。
この時に、ひ弱な肉体を、恥じただろうか。
彼には、本を出版するという人生最大の目標があった。
彼は、合格しては困るのである。
検査を受けたころには、「花ざかりの森」の出版準備に忙殺されていたという。
1944(昭和19)年10月、この本は、出版される。
三島にとっては、早熟な天才が書き上げた名作が残るであろう「遺作」として作り上げている。検査後、大阪在住の伊藤静雄に序文を頼んだが、土産も持たずに訪問して、顰蹙(ひんしゅく)をかったようで序文はもらえなかった。
1945(昭和20)年2月、召集令状が届いた。
本籍地の田舎の粗暴な軍隊へ入隊せよという命令を受ける。
入営して検診を受けると、風邪の悪化で、肺疾患と誤診され、即日帰郷となった。
これを屈辱的と感じたとする論評はよく読むようになる。
この時の気持ちは、後年の作品に現れる「私は駈け出した。荒涼とした冬の坂を村のほうへ降りていた」「ともかくも『死』ではないもの、何にまれ『死』ではないもののほうへと、私の足が駈けた」。とある。
ここに屈辱という感情はない、田舎の軍隊での粗暴な死から遠ざかることへの歓喜しか書いてないのである。
ただし、この時は、冬である。
この時、世間は、死へのいざないが多かった。
三島は、生きていたと思ったに違いない
この即日帰郷で、死は遠ざかる。
彼は、戦争で自分が一国民として死を望んでいたのかと云うと、その様なことは無いという気がする。
戦争は、巨大な社会的で、象徴的な死を近付けてはいた。
こころの中で空想する、戦争における死の予感は、敗戦という事実で消滅する。
現実は、かぶさってくる、生きるためには生活をしなければいけない。
評論家諸氏は、三島由紀夫にとっての「絶望と屈辱」のキーワードが、「夏」であるとい。
三島由紀夫の言うところの「真夏」の夏は、別に、真夏に起こった事件だから「真夏」にしたのではないという解説が多いが、「真冬の死」で、強烈な日光の感触はない。
この作品自体は、最初の世界旅行後に書かれた作品である。
ギリシャ的な太陽と海の影響があったという事を書いている解説書は多い。
しかしどうだろう、私の個人的な感覚は、「三島由紀夫」にとっての意味と、「平岡公威」(三島由紀夫の本名)にとっての意味あいが違っていたのではなかと思う。
作家「三島由紀夫」の公式的な感覚では、真夏は、敗戦という事実、帝国臣民としての屈辱を感じた夏かもしれない。しかし、「平岡公威」としての「夏」は、現実世界の再構築、再出発点とみることができるのではないか。
又、最愛の妹の死という事実は、生きることのもどかしさを体現したのではないかと思う。
三島は、白昼の椿事(ちんじ)を待つ人であった。
白昼の椿事は、強烈な太陽光の下で起こらなければならない。
そう考えれば、夏の業火が真っ盛りな太陽の光の降り注ぐ、伊豆の海岸で、三島の言うところの椿事としての不幸な事件が起こる。
これは、絶好のモチーフである。
(つづく)http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/01/post-5a2c0f.html

 

| | コメント (0)

三島由紀夫「金閣寺」について小論

昔、三島由紀夫の「金閣寺」を初読したときに、最後の「生きようと思った」という言葉で終わることに違和感を持ったことがある。
これは、多分、放火犯が、自殺を試みていたが、捕まったという事実を知っていたからかもしれない。
これは、小説と現実の事件を峻別していない悪い読み方である。
実際の放火犯は、鹿苑寺の僧であり、放火後、毒物を飲み、切腹して自殺を試みている。
多くの人は、室町時代から続き、戦争の惨禍さえ免れた「鹿苑寺の金閣」を焼いた者への興味を持ったことは想像に難くないのである。
当時の最大の情報源であった新聞報道に並ぶ、自供の内容は、「美に対する妬み、参観者への妬み、ドモリからくる精神的な苦しみ」といった言葉が並ぶ。
これらの自供の内容と、放火して文化財を焼失させるという事実に整合性はない。
誰もが、その理由を知りたかったのとは思う。
実際の放火犯は、刑の確定後は、入獄したが、途中で、医療刑務所で獄死している。
鹿苑寺の金閣の放火事件を扱った小説は、三島由紀夫の「金閣寺」と水上勉「五番町夕霧楼」「金閣炎上」が著名であるが、「五番町夕霧楼」は、題名からピンとこない。
(金閣寺読了後、文学書に記載があったので、後日、探して読んだが、現実的ではあるけれど、何となく、犯罪の言い訳じみた感じしかしなかったので、再読することは無かった。)

三島由紀夫は、達成感のある結末を描き、水上勉の「五番町夕霧楼」は、現実社会と空想的理想社会の衝突による文学的結末を描いている、「金閣炎上」は、事実を掘り起こして現実に忠実にノンフィクション的な伝記のような風体を取っている。
両作品ともに、実話をベースにして居る。
史実としての放火犯の心象風景を知るために読むのであれば、「金閣炎上」をお勧めしたいが、小説として読むのであれば、「金閣寺」であろうと思う。事実は、作品中の現実感の補強に過ぎないので、あまり重き尾を置いてない感じがする。

大昔、河合塾でバイトをしていた頃に、東大の問題でこの作品が取り出されていたことがある。この解説を読んだ時に、「相対性の意識」について、作品の解説と云うかと「昇華する意識」についての解説は秀逸であった。主題を主人公と組み合わせて1個の作品を作り上げる力量に参ったことがある。
三島にとっては、現実の事件は作品を書く上での起爆剤に他ならない。
事件は、事件、作品は作品である。

三島は、「金閣寺」の創作ノートには、大まかな主題を最初から書いている
「美への嫉妬、絶対的なものへの嫉妬、
相対性の波に埋もれた男、
絶対性を滅ぼすこと、
絶対の探求へのパロディー」
としている。
途中で紆余曲折を経るが、これらの主題は永続的つづいていく。
主題を完結させるために、事実としての「放火犯、吃音、禅僧、寺院の拝観料による寺の俗化、大谷大学の学生、戦争、遊郭、拝観料、母親の要望(要求)」を、作品の現実性の付加というモチーフにして作品を組み立ている。
組立てるためには、事実を「植物採集」や、「昆虫採集」の様に取材をしている。
被害者の、鹿苑寺の関係者との面接も果たしているから、詳細に周辺を探った感触は創作ノートからもうかがい知ることができる。
(直接的な、「金閣」の放火に関する取材は断られている。)
それらの取材は、当時の記録として非常に面白いと思う。
遊郭「五番町」へ登楼もして居るが、風景は作品中の書き割りの様な存在でしかない。
言葉の端々に見える、言葉のつなぎ様は見事ではある。
しかし、所詮は、小説のモデルとしての断片を採取して、あとは、主人公の最後の「生きようと思う」という結末につながる主人公を創造するためにパーツ集めであった。
変なことを云うようであるが、無意識な文章記述、筆が滑るという状況は基本的にはないと思っている。
例えば、写真家の撮る写真には、すべてをコントロールして撮影する場合を除いて、余分ものが写る可能性がある。
ヘルムートニュートン(「宮沢りえ」の写真集を撮影した人)の写真で、レオタード姿の女性が石柱にもたれかかり石段上で足を踏ん張りのけぞっている写真がある。
これは正面から撮られている写真が有名であるが、側面から撮影したものもある。
正面から撮影されたものは、芸術的である。
側面からの撮影はまるでコメデイである。
石柱を背中に、石段の部分で踏ん張っている、そうして周りに撮影に無関心な人が写りこんでいる。
両方とも素晴らしい撮影である。
完全に組み立てた撮影と、偶然(仕組んだ撮影の可能性もある)の映り込みを取り込んでの撮影は、二重の意味での面白みがある。
作家の文章はすべて意図されて書いているという点を考えれば、偶然はない。
現在の卑近な例で言えば、漫画家が、漫画を描く時には、絵に描かれていること全ては、ある意図を持って書いていることは明白である。
小説家が文章を紡ぐときには、すべてを意識して書いているはずである。
「金閣寺」の主人公の私(放火犯)は、三島の作品によく出てくる内面性で葛藤をする者に多い、ニヒリスト的な内面はない。
あくまでも放火犯の放火に至る内面世界を描いているように読める。
新聞に載った自供の内容から、着想を得たような感じさえする。
三島の好きな「美」に対する妬みは、彼の琴線に触れたのではないかと思う。
又、放火犯は、吃りである。
彼らが、一般社会の生活で嫌な思いをしているという感覚はあったと思う。
そうして、内面世界を描く際に、取材で得た事実を散りばめていく。
しかし、この事実を散りばめていく行為は、「現実的に見える主人公」の存在を補強するのみである。
現実は、小説の現実感を与えることに使えるパーツは積み重ねられていく。
しかし、小説世界において廃棄された「精神病を患っていた」という事実がある。
現実の放火犯の「「精神を病んでいたという」事実は、小説中の主人公には反映されず無視された。
ここではわかることは、「現実の放火犯」と「小説中の主人公」とは全く関係がないという事になる。
三島の「金閣寺」は、あくまでも小説としての「金閣寺」である。
当時(1956(昭和31)年)、精神病患者であったという事を書いてしまったら、三島の書く内面世界との対立としての金閣という構図は崩れてしまう。
そこで、精神を患っていたという点は、完全に省かれていく。
吃りで、精神を患った者が、対峙する存在としての「金閣」。
吃り(どもり)の青年が、理想と現実に葛藤しながら、対峙していく存在としての「金閣」。
小説としては、後者を選ぶしかない。
三島は、収監されていた医療刑務所の取材も行ったようであるが、発病の時期を探った可能性はある。
事件後に、神経を病んだのであれば話は簡単である。
事件の前から病んでいたのであれば、三島の考える構造はすべて崩れていくという事実がある。
精神を病んだ者:放火犯の主人公の私が、まるで、日記の様に内面性の世界を吐露していくという事はありえないと思われてしまう可能性が高い。
あくまでも、吃る者ではあるが、崇高な精神世界を持っていて、それと現実が衝突していくという形態で、記述は進んでいく。
再読して、ふと気が付いたことに、これは、読者に読ませるという体歳でありながら、その実は、特定の者に読ませるための形態ではないかと思った。
この作品は、丁度、夏目漱石の「こころ」の様に、特定の者(ここの中で出てくる、青年)に読ませることを前提として記述した小説である。
「こころ」は、最初は、外面(そとずら)を記述し、外堀から先生を観察し、探偵の様に先生を探っていく。
そうして、先生は、就職を頼まれることで、自身が、ただの高等遊民で、自堕落に過去に拘泥して生きる者であるという事を再認識する。
そこで、主人公の青年に対して、告解の様に、告白をする。
告白後は、拘泥した自己の過去から解放されたように、自死を選ぶ。
青年は、危篤の父を残して、東京へ帰る。
帰った後で、どうしたのか?
「それから」の読了後に読んだせいか、青年は、先生の未亡人と一緒になり、先生のすべての負の遺産を背負って生きていくのではないかという感じを受けた。
ある先生が、未亡人と一緒になるのではないかという文章を書いているのを読んで思ったことは、先生の奥さんを貰うのというよりも、先生のすべてを手に入れるために、未亡人を貰うのではないと思ったのである。
確定的ではないが、誰かに語る体裁を取っている。
内面性の「閉ざされた魂」露出として書かれていたはずの小説が、その実、内面性を語るべき相手がおり、その者に向けた告白状のような体裁を取っているように感じた時、これは、遺書となるべき小説だったのではないかと云う気さえした。
語るべき相手は明示されてはいないが、内飜足(ないほんそく:内反足)の友人「柏木」であろうことは想像がつく。
悩める主人公を、行ってはいけない方向へ誘導するのは誰あろう、「柏木」である。
内飜足である。
「柏木」は、主人公が、主人公が劣等感を抱かずに話ができた唯一相手である。
「柏木」は、生きる道を説く。
主人公の私が、感じている現実の寺の経済を握る僧が、敵ではないことを教示する。
主人公の持っている崇高な理想の存在であり、父親の語る幻想的な「金閣寺」と、現実世界の俗世にまみれ、拝観料という現実的な経済体制を握る僧と修行僧との格差をもたらす根本としての「金閣寺」を、主人公の立ちふさがる事実として認識させたのは、誰あろう「柏木」である。
彼は、主人公が何か「破滅的にことを企んでゐる」であろうこと漠然と予想をしている。
しかし、「柏木」帰郷してしまう。

主人公の私は、自身の行動の原動力を「唯一の友」である「柏木」に託す。

それは、「閉ざされた魂」を、「柏木」に理解してもらいたいという気持ちの発露であると考えるべきではないかと考えるのである。

この「金閣寺」という作品の、主人公の内面に存在する「金閣寺」と現実の「金閣寺」の比較であると思う。
内面に存在する「金閣寺」は存在しないという現実。
現実の醜悪な金を稼ぐ道具として存在する美しい「金閣寺」の現実の存在。
これら虚構の金閣寺を無くためには、現実の金閣寺を消滅させなければならない。
そうして、現実の「金閣寺」を放火し消滅させる。

作品中、金閣の内部の扉が開けば彼は死を選ぶ結末もあり得る。

しかし、扉は開かない、理想では開くはずである。

絶対と信じる物は、空想の産物である、空想の産物は、自分には甘い。

だが、現実的には、開かない。

開かなかったことで、理想も現実もすべてが彼を拒絶していることを知る。

拒絶されたことで、空想的な理想が、現実と、一体化した。

一体化したことで、彼は、現実的な目でものを見ることができた。

だからこそ、「生きようと思った」のではないかと思う。
ただ、生きようと思っても、生きる道は、収監されて自由は無くて、美しいものない世界にとらわれるというのは、三島が書かなかった結論でもある。

20200102初稿

20200103補完

| | コメント (0)

昨年を振り返って。

昨年を、振り返りたい。 

昨年(平成31年、令和元年)は、個人的には、特異な年として記憶されるべきだと思う。

先づ、一昨年から懸案だった、ある自動車クラブの分科会の廃止ができたこと。

最大収穫は、人生の半ばを過ぎてから複数の友人ができたことである。

(ちょっと気弱に、友人と呼ばせてもらっていいですがとは聴いてはいませんが・・・)

こんなに楽しく話ができた日々は、20年以上前に、クルマの趣味に没入して、新しく出来た友人たちと、数か月に一度ぐらいの割合で会っていた頃のようである。

こうした出会いは、本来、神に感謝すべきことかと思います。

研究学会で知り合った人が、お友達の友達で・・・といった風に、いきなり数人の友人ができたことは慶賀すべきである。

その内、見学ツアーでもしようかと云う気になっている。

話が合うと云うか、意見が合うと云うか、皆さん、良く言えば、妙な筋が通っている。

悪く言えば、妙なことに固執している阿呆(あほ:みなさん、すいません)である。

久々に、同類ともいうべき人に出会えたことを感謝しています。

トヨタスポーツの友人とは違った面白さがあります。

会うべくしてあったのか、不幸な結果としての出会いなのかわかりませんが、一緒に居て楽しい感覚は何ものにも代えがたい喜びである。

 

 その反面、ここ数年、疎遠になった方も沢山いますし、数年、近しい関係でもすぐに縁遠くなった方もいます。

その理由も良く判っています。

それは、ある自動車クラブの分科会の廃止で、数人の方々とは疎遠になりました。

この分科会の廃止は、クラブを運営する数人の方たち(分科会に参加していた人も含めた方々)と話あって一昨年の年末に決定しました。

実は、色々な処というか、色々な人から流れてくる情報から、分科会の本来の設立趣旨とは違う形態になっていった事、ちょっと、独断専行がひどく、分科会の責任者を決めないという無責任体制を放置したことで、無責任が常態化している状況が判明したからでした。

本体へクラブへの被害を危惧していの廃止決定でした。

この決定を通して、疎遠になった人の中には、個人的に、相手がどう思っているのかは知りません。しかし、人の事を陰で陰湿に、批判していることは伝え聞いている。

彼らの批判の根本は、クラブ雑誌にも載った、だから公認だ、それをやめさせる権限がるのかと云うことがあった。

分科会を開設の許可は私が出した。

わたしが、運営に問題があるので無くすというのは、許可の取り消しである。

理論的に破綻はない。

クラブ雑誌に掲載されようがされまいが、生殺与件は私が握っていた点を誤解してはいけない。

分科会で責任者を設けて、分科会の運営責任者を決めて、毎回のツーリングの予告、報告は必ず行うようにと告げたが、最後まで、責任者は決めずに、予告も報告も途切れがちであった。

最初から、気に入らなかった点は、初回のツーリングで交通通違反者を出したことであった。

また、一昨年、分科会のツーリング中の交通マナー違反等を、自動車販売業者の複数から聞いたことも、廃止の決定打となった。

ある業者は、はっきりと、「あいつら○〇クラブの一員だろ」と言われた。

イベントにも来ている業者の人なので、そのあたりは良く知っていた。

クラブのネームを利用はするが責任は持たない人達に、責任を持ってくださいと伝えても、既得権だと思っている節があった。

彼は自身の無責任な体質を無視して人を批判するばかりで、自身の反省はないと思う。

最初、クラブの運営に呼んでもいない人が来た時には、非常に偉そうで、何様だと思ったことがある。

つれて来た人は、無責任の塊みたいな人だったから、意外と何も考えていなかったかもしれない。

過去の栄光で、院政でも引くつもりだったのかとも思った。

実際の運営には、いろいろと口をはさんできた。

でも当日は来ないなんてことはザラだった。

そういった姿勢は、無責任に映った。

私は、基本的に、無責任は嫌いである。

分科会の無責任な人物たちの行動で、知らないところで行われたことへの責任を取らされることは、最も嫌う事である。

予兆はあった、クラブイベントで、ある事件が起こった時も、ある一部の者による無責任な行動がまねいた事件だった。

詳細を聞くと、彼らは、駄弁を弄して言い訳に終始していた。

聴けば聴く程、此奴らと云いう怒りが沸いてきたのは事実である。

最初は、事件を起こした側の非常識を呪ったが、よくよく聞けば、こちら側の連絡不十分による、対策不足という不手際があったことがも判明した。

この時に、何時もは、偉そうなことを云いながら、問題が起こると逃げる姿勢しか見せなかったのは、許しがたいものとして映った。

こうした積み重ねが、分科会の解散を招いたことを認識して欲しい。

最も、或る路上イベント(悪く言えば違法駐車イベントである)で、誰の許可を取って行っているのかと聞かれたときに、牛や馬のマークのオーナーが、「○〇クラブだ、文句あるか」という態度で応対したらしい。

これは批判が出ても仕方がない。

結局こうした行為の積み重ねで、場所を固定したイベント以外でのクラブ名の使用は禁止となった。

これを待っていれば、もっとスムーズに恨まれずに分科会を畳めたの名と思うが、面倒なことは先送りしない体質なので、先に処分してよかったと思う。

新しい友人諸氏の助言にも、勇気をもらえてよかったと思う。

今年の主題は、頑張って論文を書くことと、模型作りかと思う。

| | コメント (0)

パワーハラスメントな人はなぜ昇進するのか?(つづき その4)

能力の低い幹部職員が行う部内把握術として、1名の職員を意識的に敵に仕立て、他の者の人心掌握に使うことがある。
程度の悪い学校の教員が、クラスの中で1名をイジメの対象にして攻撃して、クラスを纏める方法に似ている。
その者は、いわゆる花形部所の出身であった。
ある支店時代に、書類キャビネをはさんだ反対側にその部所があった。
残業をしていると、いつも特定の者を攻撃して、他の者を纏めあげることに血道をあげていた。
いじめの対象となった哀れな子羊は、定時帰宅が多い者であったので、その者が退勤すると直ぐに、その者は、自ら嘲笑軽侮の言を弄していた。
イジメを行わないと部内をまとめ上げられない時点で終わっていると思う。
もっとも、能力的な疑問を持たれた所為か、普通、その地位についそた場合は、翌年のコースなら1個上へ昇進するはずであったが、昇進せず横滑りだったので見ている人は見ているのだなぁとと思ったこともある。
コイツは、以前、別の支店での庶務課長であったが、庶務課長の責務よりも、自身が楽を
することを優先するような者であった。
総務課長でありながら苦情対応は嫌いだったようである。反政府団体からの苦情対応するのが心底嫌なようで、仕事で、仕方なく、反政府団体へ接触等を行うと、向こうはポーズでとりあえず苦情に来る(来るだけなのだが)。即、それらの行為を行った職員が悪いと批判非難するのである。
   私は、前年の人事評価がよすぎたので、評価を下げたい人たちから、誰がやっても失敗する反政府団体の担当をやらせられていた。
この支店では、それらの反政府団体、クレーマーに対する対応を数年間放置していた。そこで、種々雑多な関係から処理を進める必要を感じたようで、一般的に、人の嫌がる嫌な仕事を与えればよいとしてワザワザ、ペイペイの私を担当にした。
本来的には課長対応事案であるにもかかわらず、ペイペイに仕事を任せるところが、すでにパワハラである。失敗して当たり前、成功した場合は御の字という風であった。そうして、私の評価を下げるためには、いやな仕事は私に押し付けろと言わぬばかりに、この様な事案の担当にした。この時にその嫌担当をさせた張本人は、最後は支店長で辞めている
当然のように、反政府団体に接触すれば、即、形式的に毎回文句を言いに来る。
反政府団体としては、当たり前の反応である。
反政府団体のオジサンは、上層部に睨まれるので、形式的に文句を言いに来る。
慣れて来ると、こちらは、会って立ち話をするようになった。
こちらは、人たらしに名人である.

大体仲良くなる.

すると、今日行こうと思うけどどう?とか言われるので、今日は、止めた方がいいけど、遅くならいいのでは?というと、だいたそれぐらいの時間に来る。

余程、こちらの方が常識的である、この庶務課長、対応悪くて不人気だった。
当時、この反政府団体担当は他の系統では、全部課長の対応
うちの部署だけ、ペイペイの私が担当、ちなみに何の権限もない。
反政府団体の苦情が来るたびに、この総務課長は、「何故、お前だけ文句が来る」と怒気を含んで睨むのである。
だって、他の部署の課長何にもしてないから来ないだけだよねぇ・・・と云いたかった。
それらの対応を行うことは自分の職務ではないという態度と、面倒なことを持ち込むなということである。
この手の者は、一度、昇進のコースに乗ると、途中で、「こんなバカ」がと思う様なことがあるが、昇進が始まる時点は、良かった点が多かったのだろうというになる。
一度コースの乗ってしまえば、あとは特等席な感がある。
結局、昇進させたい者は、公表、新聞報道されるような不祥事がなければ、パワーハラスメントごときではその地位は揺るがないというとか、パワーハラスメントの告発もしないので、パワーハラスメントは無い事として扱う本店の人事が異常だから、この手のパワハラを行う者の昇進は止まらない。
昨年、ひどいパワハラについて告発をする旨告げたところ、たちまち口封じの対応があったのには笑ってしまった。

 

| | コメント (0)

« 2019年12月 | トップページ | 2020年2月 »