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軍馬軍犬軍鳩慰霊碑 第三師団 名古屋市中区三の丸

名古屋と云えば陸軍第三師団が、恩賜名古屋離宮城内に駐屯していた。

お堀の外側に、1939(昭和14)年6月に建立された「軍馬軍犬軍鳩慰霊碑」が現存して居る。

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上端の筒?は、電灯でもついていたのか?

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背面

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建設代表者

愛知縣畜産組合聯合會

醵出者(拠出者)

伊藤次郎座衛門*1

伊藤松之*2

伝書鳩協會東海支部

豊田利三郎*3

高松定一⋆6

名古屋乗馬聯盟名古屋乗馬倶樂部

名古屋馬匹畜産組合

陸田志やう*7

岡谷惣助*4

帝國在郷軍人會名古屋聯合會

青木鎌太郎*5

愛知縣畜産組合聯會

愛知県郡市畜産組合一同

愛知県獣醫師會

愛知縣牛馬商同業組合

愛知縣軍馬同好會

千賀千太郎*8

賛助者帝國馬匹協會

昭和146月建立

 

設計 岡崎市 池上年*9

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向かって右にある石の台

台座上の模様は、龍

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裏面の方々

昭和12年中京名鑑(自分の蔵書)より

*1伊藤次郎座衛門

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名古屋商工會議所顧問。
伊藤次郎左衛門君
本邦デパート界の覇王、株式會社松坂屋を經營する伊藤家は、織田右府の寵臣伊藤蘭丸の後胤として名賞共に金鯱城下随一の素封家。君は明治十一年先代次郎左衛門前昌翁の四男として生れ、諱は拓民、幼名を守松と稱し、大正十三年先代の讓りを受けて伊藤家十五代の主となつたのである。
君は明治四十二年北米合衆國聯合會議所の招きに應じ、日本實業團正賓として渡米し、歸來 新見聞に基きて家業に一大革新を加ふべく、四十三年之れを會社組織に變更し、株式會社松坂屋 の旗幟を翻して自らその初代社長に就任し、從來の呉服商より近代式百貨店に向つて新たなる躍進を起し、大正十 年英米實業視察團 員として欧米を巡 遊して歸るや、愈 々經營に新意を加 へて更に大阪に進一 出し、松坂屋王國 の威容は年と共に 加はつて今日ある に至ったのであ る。
君はまた伊藤 銀行の社長、伊藤 產業合名會社の代 表社員として同家直系の事業を絲襪 する一面、名古屋製陶所、千年殖產の社長、編壽火災、福壽生命、愛知時計電機、日本貯蓄銀行 山東窯業等の取締役、愛知銀行、中央信託、昭和毛紡績の監査役を兼ね、曾て經濟審議會委員 として國政諮詢の機關に列し、久しく葡萄牙國名譽領事として日葡貿易の發達に貢献し、明治四 十四年以來名古屋商工會議所議員に列して、大正四年副會頭に、昭和二年會頭に進み、商工大名 古屋建設に関して陰に陽に甚大なる貢献を致し、昭和八年齡五十五を算ふるや家憲に從つて直系 事業一切を嗣子松之助氏に委譲し、會議所會頭をも辭任して顧問の閑位に就いたが中京財界の大 御所たる地位は微動だにせず、寧ろ隱然として重きを加へて居る。
君は日本赤十字社へ献金の廉 に依って大正九年十二月紺綬褒章を拝受し、近くは昭和八年八月浄財百萬金を投じて財園法人衆 善會を起し、自ら理事長として力を社會事業に傾け、追羅印度の佛跡を巡拝して兼ねて彼の地の 賀狀を調査し、大なる旅苞を中京財界に願って居る。(現所 東區田代町揚輝荘)

 

 

*2伊藤松之

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伊藤 松之助君
君は金鯱城下の代表的名門であり、また大家である伊藤家第十五代、伊藤次郎左衛門氏の長男として明治三十五年を以て生れ、昭和二年慶應義塾大學を卒業して嚴君指導の下に家事に從ひ、侯爵秋田義春氏の令妹靜子姬を迎へて華燭の典を準げ、昭和五年には夫妻相携へて海外旅行の途に上り、歐山米水に俯仰して泰西列國の文化を視察し、翌六年には松坂屋副社長となつて財界の表 面に第一歩を印し、昭和八年には嚴君が家憲の停年制に據りて責任ある地位より退くや、株式會 社松坂屋の社長を始め、伊藤銀行の社長、伊藤產業合名會社の代表社員等を繼承し、伊藤家直系事業の總統として颯爽たる雄姿を財界に示すことになったのである。
君は風宋滿酒、氣宇闊 達にして頗る明朗なる好紳士、而も舉止端正、言容悠揚として執袴公子 たる氣品を有し、 靜子夫人と共に中京社交界の花形と 推稱されて居る が、外柔內剛、不
屈の精神を深く藏して識見また凡を抜くこと遠く、寛宏能く人を容れて將に將たる器局を有し、 大富豪の主人たるに十二分の資格を備へて居る。
君は、今や年少の故を以て深く自恣を戒め、堅く 嚴君の規矩を守つて祠く違はないが、將來の活躍は蓋し副目に値すべく、賢弟銃次郎、鈴三郎 の兩氏を双翼として雄飛する處、大松坂屋を發展限り無き前途に跳躍せしめて、倍々家運興隆の礎を固うするばかりでなく、商工大名古屋の振興にも甚大なる貢献を致すであらう。君は昭和八年名古屋商工會議所議員に熱げられ、次いで理財部副部長に互選されて今日に及び、其間同所議員の一行に加って、滿洲國の視察を遂げて得る處趣からず。現に前記三直系事業の外、千年殖産株式會私、愛知物産組の取締役、名古屋観光ホテル、八勝俱樂部の監査役等に列して、財界界露の歩武を着々として進めてゐる。(現住所西區茶屋町三丁目)

 

*豊田利三郎

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豐田紡織株式會社常務取締役
豊田利三郎君
君は東洋棉花の社長として關西棉花王の名を博した故兒玉一造氏の令弟で滋賀縣の出身、優秀な る成績を以て神戶高等商業學校を卒業し、更に東京高等商業學校專攻科に學んでその課程を畢り 大正四年、令兄一造氏と斷金の交ありし故豊田佐吉翁の懇望する處となり、迎へられて同家に入り、同七年一月、豐田紡織株式會社創立さる」や、君はその常務取締役として經營の衝に當り、 天稟の頴才と深遙なる學識を以て合理的經營を行ひ、內外萬端の業務を双肩に擔つて快刀亂麻の 手腕を揮ひ、翁に一顧の憂いをも分たず、翁が大正八年老來の勇を鼓して奮然鍼起、本邦綿業海外進出の急先鋒と して上海に渡航し懸軍萬里の活躍を行ひ得たことも、要するに意を安んじて君に家事社業の一切を委ね得た からである。君は また豐田自動織機 製作所、庄內川染 工所創立さるや、その社長に就任して大に業績を準げ昭和五年十月佐吉 翁長逝するに及び、その遺業を永遠不朽ならしむべく、別働機關たる菊井紡織を豐田紡織に合併 し、故翁の令弟佐助氏を社長に仰いで事業の統制を計り、人絹發達の趨勢に着眼して昭和七年十 二月庄內川レーヨン株式會社を起して自から社長となり、同系事業一として君の參劃に依って經營せられざるなく、その縦横の活躍に豐田王國の偉業は彌が上にも築き上げられて行く。君は八面玲瑞の才人、而も頗る情誼に富んで部下を愛すること骨肉の如く、温容人に接して更に城府を 設けず、社交に巧みにして應酬自在の妙を示し、豐田王國の今日ある君に負ふ處頗る多く、君を 迎へて守成を託せる佐吉翁の眼識も亦明なりといはねばならぬ。君は多年名古屋商工會議所議員 に列して現に副會頭の要職を帯び、また曾て銀資を公益に寄附して昭和三年十一月には紺綬褒章を、次で同六年十月には紺綬褒章節版拝受の榮を搭つて居る。(現住所 東區白壁町二丁目)

 

*4岡谷惣助

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名古屋商工會議所會頭
岡谷惣助君
岡谷家は中京屈指の素封家、寛文九年笹屋と號して名古屋城下に銅鐵商を開始してより二百六十 餘年、歷世勤慈仁の人相承けて業に励み德を施し、家產亦大に興されて尾張藩侯は同家を遇す るに上士を以てするに至つたが、先代惣助氏は明治の昭世に活躍して產業大名古屋の建設に甚大 なる貢献を致し、貴族院議員に列して勲四等を賜はり、特旨を以て從五位に叙せられ、盛名赫々家 門愈々光輝を添ゆるに至ったのである。
君は斯の人の嗣として明治二十年八月を以て生れ、大正 十五年一月家督を相續し岡谷合資會社、岡谷保產合名會社の經營を主管する一面、地方財界の振興に貢献し、名古 屋商工會議所には 大正元年九月以來 議員に列し、商業 部長より副會頭を 經て、昭和八年11 月會頭に進み、現 に內閣調査局參與 として國政諮詢の 機關に列し、また 多年名古屋市勸業 協會副會長、名古 屋實業組合聯合會 長として貢献趣か らず、關係會社事 業に於ては日本貯蓄銀行頭取、日本鋼材株式會社取締役會長を始めとして、愛知銀行、愛知時計電機、東邦瓦斯、大隈鐵工所、名古 屋製陶所、三重琺瑯、大阪鋼材、愛知物産、中央信託、福壽生命保険、福壽火災保険各株式會社 の取締役、名古屋観光ホテル、日本團體生命保険兩株式會社の監査役に現任し、また廣く公益事 業に力を致して日本赤十字社有功社員、同會愛知支部會計監事、日本海員掖濟會特別會員、同會 愛知支部顧問、財團法人愛知自啟會理事、白川聯區教育會長、愛知縣聯合青年團副會長、名古屋 市聯合青年團副會長、大日本聯合青年團理事等に繫げられて居る。
君は明治三十九年十二月一年 志願兵として兵役に就き、四十二年十二月陸軍歩兵少尉に任ぜられ、大正七年五月中尉に進級し 昭和三年從七位に叙せられ、又昭和四年十月には紺綬褒章下賜、同年十一月には日本海員掖済會 一等有功章親授、五年四月には御大禮記念章下賜、同年六月には紺綬褒章飾版下賜、六年九月に は右郎版再下賜の光榮を搭つて居る。
君は温厚篤賞の人、而も頗る明察に富み、曾て欧米各域を 巡遊して新知識を養い、中京財界の巨頭中偉大なる存在を示して居る。(現住所 中區蛭子町五〇)

 

*5青木鎌太郎

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愛知時計電機株式會社社長
青木鎌太郎君
中京財界の中心人物として、斯界躍動の幅機を把る俊豪に、青木鎌太郎君がある。
君は、多年愛知時計電機株式會社の社長として、本邦軍需工業界に盛名を傳へてゐるが、斯の如きはその牛面を 示すに過ぎず、眞に君の偉大なる面目は、寧ろ商工大名古屋の一大柱石たる存在に於て發揮され てゐる。
君は生粋の名古屋人、明治七年十月先代與吉氏の長男として生れ、少にして個偉大志を 抱き、名古屋商業學校を卒業するや、神戶の獨逸商館ィリス商會に入りて貿易業の實務に就いた が、後ち愛知時計株式會社の社長、先々代鈴木聰兵衛氏の認むる處となり、迎へられて同社に入り 爾來、鈴木社長の隻腕として內外に活躍し、社運の隆興に甚大なる貢献を致した。而して大正十四年鈴木社長歿する や、君その後を承 けて社長となり、 同社をして遂に今 日の大成を遂げ めたのである。
君 は多年名古屋商工 會議所議員に列し、 て、現に副會頭の 重任を帶び、下 盛んに建設中の名 古屋観光ホテル社 長、中央信託、太 不海上火災保険、 千代田信託、東邦 瓦斯證券、日本團 體生命保險、福壽生命保険の取締 役、東陽倉庫、東邦瓦斯の監査役、名港土地、三河水力電氣の顧問、日本放送協會の理事等に列 し、斯界の信望愈々隆々たるものがある。さればこそ最近中京財界の重要問題にして君の關與せ ざるはなく、かけても彼の名岐、愛電合併、名バス市營買収成功の如きは齊しく君の斡旋努力によ るものであり、交通統制の確立てふ大乘的見地より見て將に近來のヒットと云ふべきである。
更 に、最近に至っては例の東邦瓦斯が中川運河沿岸で始めんとする石炭液化事業の工場用地(六萬坪) 買収に當り、率先斡旋して遂に成功、國家的事業の礎石をここに決定せしめ、また明春開催の汎 太平洋博覽會のため東奔西走、高等的立場より献身的努力を惜しまざるなど、その功績療として、 輝けるものがある。君はまた昭和三年十二月より外遊牛歲、廣く欧米列國の文化に通じ、また公 盆にも力を致し、市公會堂建設費として献金の廉により、昭和六年八月紺綬褒章拝受の業を擔ってみる。
斯くして今や中京財界の大立物として無くてはならぬ存在となつた。而してその超人的 な活動力と、名利を超越せるサービス觀念の露により、次期會頭を約束される君は金観財界の 織元締として益々重きを加へつくあるのである。(現住所 東區富澤町一丁目)

 

*6高松定一 (名古屋新人物百人より)

第14代名古屋商工会議所会頭

米穀問屋

高松 定一
慶應三年一月一日を以て名古屋市に生まれ幼名を五四郎と呼んで、 名古屋市本町の旧家鈴木久助の四男である。明治十六年に先代高松定 一の養嗣子と為り深く養父の信用を受け、同十八年に養父退際して名前を譲り受け、全を委任せられて今日に及んだのである兄に味噌溜商の渡邊喜平なる者あり、これも味中溜商として非常なる有力家である。定一は先代より引続いて肥料米雑穀問屋を営んで居る。
今日に至る 透此本業に専ら從事して益々盛大に赴き屋號師定(もろさだ)と云(い)へば遠近に響きわたってその名高い商店であるが性質頗る温厚篤貨であつて、殊さらに勤勉努力し、一面においては慈善心を有し、使用人を能く統御するは勿論窃に慈善的行為を為し、種々なる慈善的事業に向つて金を投ずる事がすくなくない。
名古屋市に於ける実業家として最も重きを為し、今日に、於ては 名古屋肥料米穀問屋組合の頭取である。又名古屋商業合議所議員である。
而して、市の学務委員の如き公職を兼ねて居る。
所謂頗る穏健にして能く人と調和し、名古屋の純然たる商人気質を有して、なんとなく大 家の家風が見えて居るのは床しい次第である。今後益々發展して、日本の「師定」と為る事を希望して巳(や)まない。
今日に於いては、先代より受けたる地位を守り事業は寧ろ守成の状態に在る趣があるが、尚(な)を進んで積極的に先代の位置を守るだけでは満足しないで、先代より受けた資産を 十倍にも百倍にするだけの努力あってこそ真の英傑であると言い得るのである。先代の事業を其の儘、引受けて其の儘、守って居る位の事では、 要するに平凡に流れる次第であるから、守成を離れて攻勢に出て、消極を離れて積極に出でん事を希望して已まない。

*7 陸田志やう 

  昭和10年5月22日 公益の為私財を寄付せ處をもって紺綬褒章下賜 名古屋市西区園井町5丁目 (官報記載)

  陸田ビル(中区新栄3丁目29番地)の所有者、名古屋大学医学部へ寄贈、名古屋大学医学部付属病院開設(昭和18年)

10 (個人所有 絵葉書)

*8岡崎商工会議者会頭、衆議院議員

 資料持ってません・・

*9池上 年
池上年氏は1890年(明治23年)、広島県福山市の生まれ。京都高等工芸学校(現京都工芸繊維大学)の図案科に在籍して美術と考古学を学んだのち、1918年(大正7年)に岡崎市立商業学校(現県立岡崎商業高校)に美術教師として赴任します。
愛知県岡崎市にある岡崎石造美術研究所の創設者=
HP「岡崎ルネッサンス」より
明治23年生まれ。
石造美術研究者として、優れた石造品の実測模写・復元をし、伝統を明らかにすると共に、独自の石造美術の設計・制作に尽力されてきた方で、東京の赤坂離宮にある御苑形石灯籠をはじめ数多くの著名を残している。
日本石材新聞より

 

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来年は、お盆にしか会えないと思う。

某友人は、日本を捨てた日本人である。

先日の夜、急に来ると云うので待っていたら、来た。

二世代前のクラウンが止まっていた後部席の窓が開くと、顔をだした。

歩くのがつらいから、こっち来て欲しいと云われたので、後部座席に座った。

運転は、奥様

流ちょうな日本語を話す。

軽く説明をしてくれた。

彼は癌のステージ2、日本での仕事が済んだら、米国に帰るという。

帰国後は治療をするが、医者曰く、治療の成功はのかくりつは50%なので、今のうちにできることを処理しておこうと思って帰国したと云った。

今日の来訪は、26年前に借りた本を返したいと云った。

根を詰めて仕事をするぐらいなら、これぐらいの本でも読んで気を休めたらどうだと云って渡した本だった。

「ムーミン谷の夏休み」

大した本ではない。

急に思いだしたのは、手紙を挟んだなぁといううすぼんやりした記憶だった。

すると見透かしたように、

手紙は返さないけどいいかと云われた。

本に挟んだ手紙を見せてくれた

懐かしい筆跡である。

細字の万年筆の字が並ぶ、

「○○へ

米国へ旅立つ君へ

(途中略)

日本にいる親の事、弟の事、家の事、類のあった人のことは、覚えゐておいて欲しい。

長いようで短い人生で、君に会えたことは、どれだけ救いになったかも知しれない。

君の救いになったかどうかわからない。

でも、覚えてえいてほしい。

君と共有した時間は楽しかった。

もし、米国へ行くことがあれば訪れてもいいだろうか、歓迎してほしいとは思わないけれど、会えたらいいかなとおもう。

異郷の地ある君を思いやることは少ないかもしれない、でも、多分、覚えている。

覚えていたい。

自分の事を、覚えて居て欲しいとは頼めないけれども、また、どこかのハンバーガ屋で、話をしたいものだと思う。

元気でいて欲しい。

        好日」

と書いてあった。

「好日」と云うのはよく使ったと云うか、今でも使う、締めの言葉である。

彼はある意味合理主義的だった。

商社という組織に入っていたが、旧弊でたまらないと云っていた。

それが、そのうちにバカらしくて仕事をやってられないと云いだした。

すると、自費で、海外留学、そのまま米国居ついていた。

彼とは、小学校の頃、ある塾のクラスで知り合った、大変頭の良い子だった。

塾では、中学高校を通して、仲が良かった。

向こうは東大選抜・・・でしたけどね。

数年おきに年賀状が届くという感じだった。

ここ数年は、メールが年に数回届く程度で、生きてんだか死んでだか判らんという状態だった。

たまたま、3年前に彼の家の前を通ると、忌中の張り紙があったので、声を掛けると、出てきたので、そこの庭で少し話をした。

聞けば、彼は、もうすでに日本人ではなかった。

私に、今何してるのかと聞かれたので、こんなことをというと・・・

呆れられてしまった。

宝の持ち腐れとはこのことだなと云われたが、気楽でいいというと、

それが一番だともいった。

その時は、色々な手続き、主に相続関係をかたずけるために、1か月度滞在し、いろんなことを済ませて帰ると云っていた。

その時初めて会った、金髪碧眼の奥さんは、日本語ができた。

今回の帰国は、不動産の処分の為という事だった。

名古屋の家は、一部が彼の所有だったが、弟が住んでいるので弟がそのまま住むために、名義を変更した。

東京にも、母親の実家が残っていた。

これを売却するために、明日、東京へ行くという。

長い間借りてて悪かったと云われた。

そうして、車を降ると、窓が下がり顔を出した。

そうしてこう云った

「妻に、メールと携帯の番号を教えておいていいかな?」

 構わないというので、奥さんに向かって、番号を云うと、彼女はすかさず架電ボタンを押したので、着信したので、こちらも登録した。

このやり取りを見ていて、車内から手が伸びた、

 「今までありがとう

  来年は、お盆しか帰れんかもしれんのでね」

 そういって握手した。

 頼りない手だった。

「元気ななろうね」というと

手を振った。

そうして、テールランプの光を残して去っていった。

 

 

 

 

 

 

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今日も、コロナデブ対策(その3)

コロナデブ対策で、車に乗らない生活がほぼ3ヵ月

ここ数か月で乗ったのが、友人との外での会合(笑)1回のみ

車庫に入るのは、模型を探す為だけ・・・である。

当然様に、「はっちゃん」は冬眠中である。

去年の11月以降動かしてないのではないかと・・・エンジン掛けるの要注意だなと思いつつ・・・暑いから放置。

今週は、膝が痛い(←爺さんの証拠)ので、徒歩(ほとんど競歩)と走るは中止で、小僧のご指導で筋トレ・・・と自転車(膝に負担掛けないようにして)である。

模型店まで、往復9キロ、少し遠回りで10キロ

今日は県図書館まで、行って往復22キロ。

途中で模型屋によって散財(←バカ)

1/32 Revell 紫電11型と、1/32モノグラムのM4シャーマン(良く判らんシャーマンである)

あとレジのパーツ・・締めて数千円・・・紫電11型は、ヤフオクなら1万円近い・・・けど、そのお店は安い。

(顔見知りと云うか、25年ぐらい通ってるので、元常連さんかなぁ?)

安い値段を値切り倒して買った(ごめんなさい、でも値切るのもたのしいのよ・・・)

今週は、雨降った火曜日は、競歩で4キロ以外は、帰宅後20キロの自転車走行は日課にした。

フレックスで、定時で終わって、5時半まえには帰宅出来るので、帰宅後即、頑張って走る時間がある。

せっせと走る。

夜は糖質抜き生活・・・結構つらいですね・・・

でも効果はテキメンである。

昼も、鶏肉のサンドイッチ(自前)で、必ず、寝る(10分でも、20分でも椅子に座ったまま寝る。)。

昼当番ではないので、電話には出ない(昼担当は、担当はいるがコイツが出ないので若い衆が出る。)。

1週間(自転車で、120キロ、競歩で12キロ、軽いランニングで10キロ)合計140キロ分ぐらい運動した。

汗がよく出て気持ちいい。

大学生時代、免許を取ってからも、土日の移動は基本的に自転車だったので、その生活ぽくて楽しい。

友人が、東海道を歩くというイベントを夏休み中にやっていた。

その真似をたことがある。

大学を出てからも続けていたが、東海道53次を完歩した時は、「二度とやるか」とおと思った。

自転車では、大学中は色んなところへ行った。

岐阜、津、豊橋ここまでは日帰り、京都はさすがに無泊2日だった。

海外旅行に行ってもよく歩いた。

ギャングが怖いので、基本タクシー移動が多かったが、写真を撮りに行くときは極力歩いていた。

重いカメラ背負ってい歩くのである。

だから、歩くことは苦にならない。

近場、片道2キロ程度は、極力歩く様にして居る。

1か月ぐらい前に、デブった感覚があった・・腹の感じがね、何となく脂肪が付いた感があったので、この年で、太ると・・・腹が出るとヤバイと云うの奴である。

良く痩せた体形で、腹だけどーんと太い人がいる。

危険である。

中年以上で、ベースボウルを趣味としている人が時々いるが、この手の人はなぜが、腹がもののごく出ている人が多い。

石川啄木の様に結核が原因で、腹が膨れているわけではない。

なんでかなと思うが、運動してそれ以上に栄養を取り込むことは目に見えている。

変な話であるが、ジャズの演奏をする店に行くと、タバコと酒は付き物である。

だが、酔っ払うために来ているわけではないので、皆さんお行儀が良い。

だが、ジャズ好きと云ってもいろんなジャンルがあるので、人は色々である。

今どきタバコ吸って、ウイスキー飲んるのがかっこいいと思っている奴が、時々まだ居る。

恐竜みたいな奴だなぁと思うが、本人は反省はしない。

禁煙デーは、余分にタバコを吸おうという輩である。

自転車で走っていて不愉快のは、歩きたばこのおっさんの存在である。

ついでに、競歩中に、路上でホタル族をやっている爺さん連中の存在である。

気持ちよく走っていると、たばこの臭気である。

非常に不愉快である。

不愉快ついでに書くのであるが・・・

毎日、老犬の散歩に朝晩行っている。

わんこの落下物を拾ううために火ばさみを持っている。

ついでに、路上のタバコの吸い殻を拾う事にしている。

老犬で、歩く速度がものすごおそいので、ここ1年ほどは、せっせと拾っている。

路上で、多いときは10本ぐらい拾う。

途中の公園のベンチは多い時で5,6本

無い時もあるので、珍しいなと思っていたら、近所のおばさんが拾っていた。

つまり、300メートルの道路で、毎日10本ぐらいのタバコの吸い殻が落ちているという事である。

スーパーマーケットのベンチが禁煙なったので、店内の入る前にタバコの煙の来襲を受けることは少なくなったがその分、スーパーの出口付近の路上に吸い殻が目立つようになった。

今回の武漢肺炎(コロナ)で、タバコ吸う奴は、武漢肺炎(コロナ)感染率が高い、罹ると死亡する危険性(リスク)高いとわかった。

それでも止めないは、パチンコ屋に行くことが止められない人みたいなもんである。

パチンコで、生活費稼いでる奇特な人もいるが、そんなのはわずかである。

店開けてても、前年対比で70・60%減なんてザラ見たいで、マスコミの言う「自粛警察」(ここで警察とい言葉を使うところが、マスコミの嫌らしいところである、警察イコール理不尽な行為をする集団というイメージで使うからである)は批判をするが、実際は、パチンコ店なんて三密と云いながら、その実体、三密になるほど客が来ない・・・という場所である。

そんな状況は、もう、10年も前から、店内スカスカ・・・店、何時止めようというモードだった。

「自粛警察」は、一般的な生活者から見れば、正義を振りかざした「テロ集団」である。

防疫に気を付けて店を開業しているところを見つけては、嫌がらせをする。

やってる本人は、自分の正しいと信じていることをやっているだけだが、これは、宗教的な自爆テロとそんなに変わらない、テロである。

自粛警察ではなくて、自粛テロである。

マスコミは、基本的に、反権力が看板である。

警察は、その権力の権化である。

だから、存在を貶めたい。

警察官の仕事がどれほど大変かという事を考えないから、平気で批判をする。

自粛「警察」なんて書くと、組織的な感じを受けるが、実際は、個人の単独犯行が多いのだろう。

他府県ナンバーの車をパンクさせるという行為もあったが、パンクさせると長く居座るから余計に良くないと考えないのだろうか?

山へ行く奴を批判したら、有名人がそれを嗤うという現象もあった。

この有名人は、自分の価値観だけで生きている人だという事が良く判っただけである。

単に想像力が足りない人という事を露呈しただけである。

また、現在の住民票のある場所が、良くないことを云ったから住民票を他へ移したという。

これは、莫大かどうか知らないが、住民税が入らくなるよという意思表示でたんなる嫌がらせである。

こうした行動は、こうだから、こうするという説明がないので、幼稚だと感じる。

あるお医者さんが、自分の故郷の市役所が、アホな反政府的な元次官呼んで講演会をするので、この者を呼ぶことについての説明を求めたが回答をしなかったという事で、住民票を移すと宣言したことがあった。

この時は、ちゃんと理由を説明しての行為である。

しかし、有名人は、自分に対する批判があったことはほのめかしたが、その内容は説明しない。

幼稚と感じるのである。

この幼稚さ、と云うか、幼児性は、世界禁煙デーに外で余分にタバコを吸ってやると云いながら、外で馬鹿みたいにタバコ吸う奴と同類である。

爺さんになると、健康に留意するので余計に、色々と感じのである。

 

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日産、三菱自動車、ついでにルノーの先行きが危うすぎるという話・・ その5

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/05/post-8dda49.html

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/05/post-532032.html

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/05/post-f8cefe.html

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/05/post-9b8eaa.html

 

しかし、三菱自動車はどうだ?
コスト削減は至上命題である。
本来的には、削れるところを削るのは良い。
削ってはいけないところを削るのは、命に係るからやめた方がのである。
一律に削るという方針は、肯首することはできない。
だが、貧すれば、そんなことはお構いなしだろう。
三菱自動車は、事故隠し、不良品の製造、不正な報告、オリンピックイヤー毎の不祥事。
トラックのハブの破断の社内報告書を読んだことがあるが、責任逃れの一言でかたずきそうな雰囲気だった。
この時の下請けメーカーの発言は辛らつだった。
三菱以外のメーカーは、強度部品の品質については非常に厳しい目で見て、注文を加えてくるが、三菱は仕様書通り作れば何も言ってこなかった。
作りっぱなしでよかったと云っていた。
検査に来たこともなかったという事であった。
つまり、悪く言えば、最低な品質管理だったという事である。
この弛緩した気分は抜けていない気がする。
しかしながら、今の三菱には全体的な社内変革を実行する気力はないだろう。
日産自動車はどうだ?
ゴーンの拡大路線は、1980年代からの間違った路線の延長であった。
2000年の時点で、非常に厳しい路線であった。
結果、2000年から2018年までの生産拡大方針は、日産の世界の10分の1の生産規模を求める方針とあまり変わりがないことが判る。
基本路線は、拡大再生産である。
資金的に厳しくなると、車種の整理をして、生産の単純化を進めた。
自動車会社の命綱ともいうべき、研究開発、新車開発部門の経費を削った。
しかし、車種の整理をして、全世界での生産規模の拡大に対応して、車の生産レベルを上げたかと云えば上がっていない。
国産の製品は、最低限度の品質は守られているらしいので、まだ良い
しかし、海外で生産された車種については、製品の品質管理ができていない。
マーチを引き合いに出して申し訳ないが、タイでの新型の生産を開始後、国内販売を始めると、買い替え需要が起こった。
輸入車の筆頭がマーチだったこともある。
しかし、現実は厳しいもので、現物が届きだすと、一気に売れなくなった。
理由は、「直感的に出来が悪い。」と感じる出来だという事である
ある人曰く、納車されて、1週間たたないうちに、前に乗っていた先代のマーチの方がよかった・・・つまり品質管理が悪いと感じたのである。
マーチを3代乗り継いでいたおばちゃんは、新型が出て、タイ製という事もあって、見に行ったら、「これダメだわ」という感想が最初にでたそうである。
理由を聞くと、「なんとなくダメ」である。
突っ込んで聞くと、「全体的に何となく、ダメな感じがする」と云った。
このおばちゃん(実際は、まだ、おねぇさんかな?)は、先代マーチを延々と乗っていたが、数年前、現行のFiat500を買った。
ミニと迷ったそうであるが、Fiatの方が小さいので、Fiatに決定・・・買いに行きましたよ・・・で、買ってみて、最初気に入っていたみたいだったけれども、この車ハズレだったようで、半年たたないうちに、色々と壊れた・・・そこで、Fiat500は売り飛ばされて、現在、ヤリスが納車されるまで、お母さんの乗っていたストーリア(ストーリアよ・・・)・・・・に乗っている。
日産は、コスト削減で、国内で一番売れる、ドル箱と云われた車を売れない車にしてしまったという事である。たしか、コンペでタイ工場が生産を勝ち取ったという事で評判になったはずである。
だが、その時に、世界の工場のモチベーションは上昇したかもしれないが、国内の顧客を他のメーカーこの場合、マツダに奪われた。
今回の決算発表では、三社の表情が会社の未来を暗示するようである。
元気なのはルノーだけ
日本勢の日産、三菱は振るわない顔つきである。
日産は、アメリカ2工場うちの1ラインを削減する、その種経費の削減で、3000億円経費を削るとしているか、今期の赤字は6000億円
去年の売上げは黒字だったというが、中身は欺瞞に満ちている。
決算内容からは、第三四半期までの売上げの悪さは目を負いたくなるようである。
それが第四四半期は売り上げが急激伸びて(通常の経営学で言えば、粉飾をしているか、何かを売ったかという事になる。
ゴーン逮捕後の第四四半期、第三四半期までの業績で行けば、赤字ラインだった。
蓋を開ければ、黒字、キツネに騙された気分だった。
つまり、毎年、車は売れないから、会社を売って帳尻を合わせていたという事である。
結局、2019年は、誤魔化しが利かなくて、本来の姿に戻り、おまけにコロナの悪影響で沈んだだけである。
日産は、2021年3月期の予想をしなかったという事は、会社がなくなっているという予想が先行したのだろうか?

つづくhttp://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/06/post-63f90c.html

 

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日産、三菱自動車、ついでにルノーの先行きが危うすぎるという話・・ (その4)

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/05/post-8dda49.html

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/05/post-532032.html

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/05/post-f8cefe.html

おまけに、多くの販売店舗は統合でなくなり、閉鎖された跡地は、売り飛ばされた。
そんな中でも特異なのが、今でも日産プリンス販売が残っている。
合併から半世紀以上経ているので、生粋のプリンスの社員なんてもうどこにもいないと思うのだが、いまだにある。
名古屋で、面白いのは、ある大通り沿いに、数キロ離れているとはいえ、この販売の本社がガン首を並べている。
プリンスは、当たり前だが、GTRを展示している。
前に、ニスモと書いた看板を前に、現行のGTRとハコスカのGT-Rが並んでいたが、
ハコスカのGT-Rとニスモは関係ないだろうと思う。
如何にも歴史的な継承があると表現するのは、これは、一般的に歴史の改ざんという。
販売方法でも比較対象は,いつもトヨタである。
トヨタの販売店の統合なんか、強烈である。
地域、地域で、販売系統別の販売店があるが、既に、事実上の統合が済んでいるような気配さある。
○○トヨタと地元のカローラ〇〇のデイーラーの社長が集まって話をすると、危機感があるので、合併的な方向へ話が進んでいく。
見慣れた本社がなくなることは寂しい。
カローラ中京の本社がなくなった時はさすがに寂しかった。
で、その本社はどこへ行ったのか?
新築した愛知トヨタの本社のビルの入居したのである。
ここには、名古屋の各販売店の本社が入居している。
三菱はそこまでダイナミックになれないと思う。
個人的に思う事は、販売ぢ数の規模からいえば、中部、関東、東北北海道、関西、四国、中国、九州を各地区に分けて、中部北陸の販売店をすべて統合するぐらいの勢いがなければ、劇的な経費削減は望めないであろうことは目に見えている。
大体、愛知の販売店の本社の小さかったこと・・・。
はっきり言えば・・ここが本社?というレベルだった。
愛知トヨタの本社の大きい事、大きい事。
また、社員の姿勢も違う。
愛知トヨタの販売と直接関係がない部所の部長さんでも、すきあらば、売り込もうとする態度は素晴らしいものがある。
果たして、日産三菱の販売店のこれだけの威力のある社員がいるであろうかと思う。
三菱も日産も、資産や会社を売るのではなくて、自動車をちゃんと売ろうよと思う。
彼らに、残されている時間はものすごく少ないと思う。
人の一生を24時間で例えることがある。
日産、三菱の人生の黄昏は、23時55分かもしれない。
その認識は、彼らにはないだろう。
三菱と日産と一体化するのであれば、日産の販売店も旧プリンス系との合併と、三菱系の合併も視野に入れるべきではないかと思う。
ただその時間があればと云事になる。
両社とも総体として、全体の固定費を劇的に下げる方法を考えなければならないだろう。
だって、ここまで来たら、小手先の入り繰りだけで何とかなるレベルではないと思う。
具体的には、何を削るんだろう。
日産は、前に発表した計画をさらに拡大してする削減を進める方針を発表している。
スペインは売り飛ばすか、会社自体を無くすのか…はっきりとはしていない。
国内の優良企業は売り飛ばし他ので、次は、ほとんどない。
高速機関、愛知航空機の処分を考える時期かもしれない。
スペインの会社を無くすのにどれほど金がかかるのか。
計算はできているのか?
(英国の工場は、莫大な投資もしたが、基本は補助金漬けである。)

トヨタ自動車は、数年前のから経費削減の為には、ムダを減らす努力を再度加速させた。
重箱の隅をつつくのでなく、重箱自体の存在を無くしていこうという発想の転換を従業員全体に求めているのである。
(そこで、ふと思ったのは、以前、某自動車の〇〇周年の開催の前段階の時には、参加費用はタダみたいな話が、まことしやかに流れたことがある 。
 それは、自動車会社の支援を見込んでいたのだろうが、それこそ大いなる勘違いだったと思う。
 ふたを開けると、実際は参加費用が必要になった。そこで文句を言った人も多数いたらしい。
 2015年のブログに延々とその事を書いた。
     lある集まりについての疑問  http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/post-ea9a.html

     記念品など、タダでもらえるなんて思うのは間違いです。http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-58e9.html

元の地位を利用して、社長さんに面接、談判したらしいとも聞いている。
その時の結末の内容も、関係者(どちらとは言わない)から仄聞した。
経費を見直し始めていた矢先である。
そんな時に、直談判で大騒ぎしたが結果は、支援なしである。
特注の記念品以外の記念品?も、関係会社へ昔のよしみでもらったものである。)
そう考えると、トヨタ自動車は、以前から経費削減のさらなる邁進をして経営効率の向上を目指していたということが判る。

つづく・・・ながいな

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/05/post-f188b6.html

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官給品のマスク届きました、でついでに連想したことなど

官給品のマスクきました。

郵便で来たので来たのではなくて、子供が学校で支給されたという事で持ってきました。

小さいわ・・でも

これのお陰で、マスクの買い占めがなくなったと思えばいいかと思う。

他の使う人(子供向けかな?)にあげればいいのである。

おっさんには小さいけれども、小中の子供や女性には十分使えるのではないかと思う。

おっさんみたいな顔のサイズ、超デブはムリかな・・・

大きすぎるよりはいいのではないかと思う。

マスク、うちでは、アレルギー用に常備してあるので困りはしなかったし、役所で、マス装着が義務になった時点で、マスクは交付された。

無い人は、使ってという形である。

うちの小僧さんは、愛知県知事のむの差に激怒している。

感染が怖いという事である。

面前シールドを高校生に配れよと云いたい。

小僧さん、「大村という馬鹿知事は、自分はあんまり人に合わなくてすんでると思って・・・」と激怒モード。

地方自治体のアホな県知事、都知事があぶりだされただけである。

府知事は、売名ぽくみえるのは気のせいだろうか。

府知事を褒めるなら、不眠不休で働いている、安倍首相の奮闘を褒めろよと云いたい。

よくパチンコ屋がやり玉に挙がっていたが、2,3,4月で売上げは、急減している店もある。

開店していても、客が来ない、店を閉めないと報道されて批判されるので、舌なく休業、でも再開と云う店もあったようである。

パチンコが20兆円産業とよく云うのだが、実際は、現状、青息吐息のところも多い。

過去の記憶ではパチンコ屋=儲かっていると云うのは幻想である。

2000年以降、どれだけのパチンコ屋がつぶれたか。

原因はさまざまである

2000年と云えば平成12年、バブル崩壊後の不況でも好況でもない、皆んな生活レベルを落としてはいなけれども、バブルの時の様に、「次もすぐに大金が転がり込んでくるはず!」という期待値がなくなったので、支出は抑え気味に。

バブルの「超」が付く好景気をおぽえている人から見れば、バブルの様な景気の良さではないが、地味な景気の良さは、続いていた。

景気が、悪くなかったのが、2000円から2019年までである。

2020年は、武漢肺炎だから仕方がない。

でも、新聞が言うほど、世の中は不況でもない気がする。

人通りは少ないけど、コンビニは客単価が上がって、売り上げは変わらない。

消毒等で経費は上昇傾向であるが、それを余りある売り上げである。

一番驚くのは、お家で生活になって、パズル業界が大儲けしたという事がある。

前年比で、200%以上という。

自分に身近な模型はどうかと云えば、模型店は朝から大繁盛である。

前年比150%である。

出戻りモデラーもいるけれど、子供連れが多かったので、新規開拓になったのではないかとと・・・

変な話であるが、行きつけのお店(業種は隠す・・バレバレですが・・・)横に、○○科病院の第二(第三かもしれない)駐車場がある。

ここは、そこの三流医の車の車庫と看護師が止めるための駐車場である。

その駐車場に、行きつけのお店のお客が無断で車を止めるという事で苦情になったことが度々あった。

店の入り口、キャッシャーの机の上、店内至るところに、「隣の駐車場は、お店の駐車場ではありません」と・・貼ってあった。

理由を聞くと苦情があるので対策であるという事だった。

ところが、ある時は、この三流医が、日中店に怒鳴り込んできた来たという。

お客さんドン引き、バイトは恐怖におおののき・・・という怒鳴りかただった。

誰か動画に撮っとけよと云いたかった…が機転は回らないから仕方ない・・・。

録音でもしていればよかったと思ったが後の祭りである。

店主が、脅迫されてるみたいで怖いと相手に言って、止めなかったという事が記録にあれば・・・脅迫が成立する可能性もあると、考えてしまった。

随分とひどい物言いだったようである。

お店としては、店内、店の外にも、「この店の隣の駐車場は、関係ない駐車場だから止めないでね」と書いてある。

でも、店の駐車場ではないとという事が判ってい居ながら駐車するバカがいる。

これは確信犯である、情状酌量の余地はない。

そうして、とじ込められると、お店に駆け込む。

お店としては、「自分で、言って解決してね」となる。

確信犯的な馬鹿なので、常々、この手の馬鹿は死んでほしいと思う。

意外と、小心そうな人が平気でやるから驚きでる。

その実、その店の客が止めるだけでなくて、周囲のほかの店の客、住人の客も平気で止めて放置するようなのだが、主たる攻撃は、行きつけのお店に集中する。

そんな態度は、患者さんにも向けられるようで、評判が悪い。

時間遅れて謝罪しても怒るという、客商売とは思えない特権階級的な意識が強いようである。

お陰で、この医者、近所合壁、すべからく評判が、大変悪いらしい。

ネットで、態度が過ぎると書かれてても、その内なくなる。

多分、憶測であるが、悪く書かれていると、掲示先へ苦情を言ってその評価を消させるようである。

本当に、質(たち)が悪い。

(蛇足

 ネットの評判で、全く評価が書いてないのは少々危険である、いい評価しかないは嘘くさいし、悪い評価が皆無なのも妙である。)

この医者、専門は〇〇科で、日帰り×〇障の手術を宣伝している。

歯医者、○〇科は、最近激戦である。

30年ほど前に、歯科の生徒が増えた。

10年後は飽和状態だよねと云われた。

歯医者は20年ぐらい前にどっと増えた。

ここ10年は、○○医が増えている。

高齢化で、その手の病人が増えるという観点からだろう。

で、この医者の〇〇障の手術が、ここ数か月と云うか半年近く皆無である。

これは、施術のある曜日の午後、看護師は全員帰るから推定できる想像である。

元、準農村地帯地帯である。

ベットタウン化はしてはいるが、横のつながりは強い。

特に、高齢者の横のつなりは強い。

悪評が立てば、客は来なくなる。

よほど、近隣の客が来なくなったからか、同心円上のいたるところに看板を立てる

電柱、空き地の立看板、道路べたの看板…無数に立ていいる。

看板だって、毎月経費等の名前の現金は流失する。

ベットタウン化しているという事は、競合の医者も増えるという事である。

ちょっと離れた駅前には、新しい医者が開業している。

そう考えると、じり貧ではなくて、急落ぽい感じである。

で、コイツ、駐車場に、監視カメラをつけた。

自分が借りている、駐車場を向いてるのであれば問題はないが、よく行くお店の駐車スペースにも1台向いている。

これは、プライバシーの侵害ではないかと思うのである。

で、自分の医院には客は来ない。

監視カメラの映像を見ると、そのお店のお客はひっきりなし・・・である。

気分的には、私立の医大を出て、ドサマワリの果てに、嫁さんの親戚を頼ってその地に開業しただけである。

お客さんが来やすい立地を考えた病院設立とは考えられないような場所である。

おまけに、病院の出入り口の造形、駐車場、見るからに、顧客の利便を考えていない。

つまり身勝手な形態という事である。

其の駐車場、でかでかと「○○○の駐車場ではありません」と看板がある

傍から見るとただの馬鹿にしか見えない。

悪く言えば、客商売の医者とは思えない行動である。

お店の駐車場とわかっていながら止める奴にたいして、酷い態度で接した時に、酷い態度を受けた側がどのように感じるのか?

「想像したり、考えたことないだろう」と思う。

こんなんとこへ止める奴が悪いという基本路線は置いておいても、自分がひどい態度をとれば、次はぜったに止めないと思う。

だが、自分の医院の客にならないという事を忘れていないか?

と聞いてみたい気がする。

感覚が時代錯誤も甚だしいと思うのである。

世のかで、商店主と、医者と比べてどちらが偉いのかなんてことを思う奴がいるのかと云事である。

医者という職業が地元に貢献しているなどと主張するのも、意味が分からない。

医者の貢献て何?と考えてしまう。

そんなことを云うのなら、地元に昔から根付いて、長い間商売をして税金を納めてる方がどれだけ立派かという事が判らないらしい。

医者と云う職業が、偉いなんて思うのは時代錯誤も甚だしいのである。

偉かったのは誰であろう。

基本的には、田舎から東京の私立の医大へ行かせた親のふところは、エラカッタ(名古屋弁で大変の意味)のであろうとは思う。

勉強ができたんで、医者でもなろうかと思った手合いなら犬以下の思想である。

あんたの親、奥さんの親、親戚が土地持ってるので、その辺の人は固定資産税の支払いが、えらい(名古屋弁で大変)だろ云うとは思うが・・・あんた個人が尊敬を受けていないのだから、偉いわけではにだろうと思う。

まあ、自分の病院には、客は来ず、目の敵の店には客が来る。

監視カメラの映像を見ていればよく判る・・腹が立つのは、意味が分からないそういってやりたい。

だが、その内、つぶれるだろうなと思う。

前にも計算したが、機械はレンタル、車はリースか、ローンか判りはしないが、毎月の金食い虫だろう、それに駐車場の賃料、看板代・・看護士の給料、建物立てた時のローン…

「毎月の支払いは幾らだい?」

「現在の月額の診療報酬は、幾らだい?」

どっちが多いのかなぁ・・・支出が大きければ、1年は持つまい。

さて、あと2年ぐらいは、持つかな?

 

 おッと、5月27日は、海軍記念日だった。

 バルチック艦隊を破った日である。

 忘れてはいけない日の一つである。

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日産、三菱自動車、ついでにルノーの先行きが危うすぎるという話・・・(その3)

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/05/post-8dda49.html(その1)

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/05/post-532032.html (その2)

つづき

以前書いた、マツダの販売店の多チャンネル化は大失敗に終わった。
身の程知らずな販売店の強化であった。
この結果はすさまじいものがあり、会社を傾けたるほどの愚行であった。
誰の進言を入れてその様な道を選んだのかは、研究テーマかもしれないが、傍見ているほど楽しい話ではない。
大体おいて、多チャンネルで、多チャンネルにふさわしい車がなかったというこの悲しみ。
単に、店はあるが、売る車がなかったという、笑うに笑えない話である。
日産は、ゴーン時台の初期に、店舗統合を行った。
若者、向けのレッドステージ、爺さん向けのブルステージという意味の分からない分け方だった。
これがその実、単なる看板の掛け替えだけだった。
看板かえても、社員教育はなおざりで、旧態依然としていた。
日産は、この時期大きな失敗をいくつも行っている。
1988年に日産は、セドリックグロリアシーマを投入している。
この時に、シーマは、珍しく日産では成功した車である。
暴力的な加速感によって世の中年ドラバーは狂喜して購入した。
ここで、新しい客層を日産に取り込めた。
翌年が、インフィニィティQ45が出ている。
しかし、1997年シーマの二代目はいきなり失速気味になる。
不評だった(壊れたら治らん)エアサスペンションがなくなり、ターボ税制で不利な点からNAにしたが、その代わり4,100cc迄かさ上げをして誤魔化した。
ここで、シーマ現象で参入した顧客が逃げた。
三代目になると、もう流麗なデザインは姿を消して、どちらかと云えば、初代のシルビアの様な武張ったデザインとなる。
ここで、シーマ現象に追随してきた顧客はすべていなくなった。
そうして、日産の倒産である。
(倒産してないという意見は至極当然である、一般的に、銀行取引停止、破産等の法的整理で、倒産である。しかし、日産は、ルノーに買われたという認識が薄い点が間違いの元である。事実上の倒産状態で、ハイエナの様なルノーに毟られるためにだけに存在しているという点では、倒産状態を長引かせて、毟れるものを毟りつくす為だけの存在とという視点から見れば、倒産したという見方が間違っているとは思えない。
当時、民事再生法はまだできていなかったが、会社更生法の適用をなぜ申請しなかったのかと云う疑問がある。
最後まで練ったという話は眉唾で、「資産価値が沢山あった」だから、黒字倒産だと云うのは単なる言い訳の代言屋の悪い言いぐさである。
資産があるというが、金ではない。
株の含み益があったという人もいる。
だが、持っているだけでは価値はない。
売ってこそ、初めてその評価が現れる。
資産があるのに換価して借金の返済に充てなかったのは誰であろう。
日産の当時の幹部諸氏である。
会社更生法の適用申請で日産は生まれ変わるべきだった。
この時こそ、最後のチャンスだった。
しかし、最後まで、バブル崩壊で銀行自体の財務的な危機的状況を理解することもなく、単に、「銀行は、日産を見捨てはしない」という、楽観論が、最終的に、色々な難関を突き付けた。
最後は、倒産か、身売りかの選択肢を突き付けられた。
これは自業自得である。
そうして日産自身が選んだ、その選択は、身売りを選んだのである。
ここで、死んだこの年を数えるようで意味がないのだが、シーマでつかんだ小金持ち(バブル崩壊でこの小金持ちは一気に縮小したのも事実であるが、トヨタはそれほど市場を狭めていない。)を、その後20年から30年間継続的な顧客としてつなぎとめることができなかったのは、間違った感覚での車作りに終始すると思う。
常に、トヨタに対抗、トヨタの後追い・・この発想には、顧客への提案はない。
シーマは、珍しく過去の延長線でありながら、提案型の車だったと思う。
だが、この方針は、続かない。
一発屋的な車を作るが、次が続かない。
話は戻るが、身売りをしたころの日産の顧客は、高級車と云われる市場が急速にお縮小する時代だった。
日産は、高級車のランクを落とすことが好きな会社で、販売量を増やさんがために、すぐに廉価版を出す。
これは、廉価版で販売数を増やすことで、廉価版が巷にあふれることになる。
外見がほとんど変わらない廉価版が、アパートも前に並びだすと、高級車と思って買っている人は、次は買わないのである。
日産は、だから顧客を大切にしないという面が如実に表れる。
自動車メーカーは、お客を育てる原資である車そのものを作る。
メーカには、お客さんが、次も買いたくなるような車を作る義務があるはずである。
しかし、日産に流れる血脈は、お客さんは二の次である。
組合、工場労働者の労働強化にならない程度の車を作ればいい。
そう云った認識での車作りである。
こんな会の作った車を、どんな目新しい外見を作っても、中身が旧態依然では、売り方にも変わりはなく、車にも「新生」と云う感覚はなかった。
酷い店は、レッドステージとブルーレージが同居していた。
何を売ってるのかと観たが、依然と代り映えのしないラインナップだった。
そうして、このダブルステージは、いつの間にか消えていた・・・何だったんだろうねという話である。

つづくhttp://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/05/post-9b8eaa.html

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日産、三菱自動車、ついでにルノーの先行きが危うすぎるという話・・・(その2)

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/05/post-8dda49.html

つづき

その実、机上の空論は、所詮は、空論の延長でしかないので、役に立たないことが多い。
ここ20年は、小手先だけの対応で済んできたかもしれない。
三菱自動車の社歴は、失敗の集積である。
クライスラーと手を組み、メルセデスと手を組み、結局、放り出されて、三菱商事に助けてもらい、三菱グループから三下り半を突き付けられた。
最初は、トヨタに頼みに行ったら、ケンモホロロに断られ、結局、待ってましたと云わんばかりの泥船日産の下請けになった。
そもそも、三菱自動車は、三菱航空機大江工場の再生の為にできたような会社である。
最初は、トヨタ、日産、いすゞの下請けであった。
こう考えると、三菱自動車は、日産の傘下に入り、元の下請けに戻っただけという図式である。
いわゆる邯鄲の夢である。
日産と三菱は似た者同士である。
共通項は、創始者には、公共の福祉に対する道徳心はあまりない。
世の名を良くしたい、商業を通して、工業を通して社会生活を豊かにしようという心情的な心意気はない。
岩崎弥太郎は、藩札買い占めで財を成し(とは言え、そこまでに地道に金を稼いだからこそできた話である。)、会社をたくさん作った。
鮎川義介は、ぼろ株を押しつけられていたが、それが時流に乗って1000万円の金が転がり込んだ。自動車へ参入した理由は、成り上がるための千載一遇のチャンスと考えたに他ならない。
二人とも、金儲けが好き、儲けた後に大義はない。
社会貢献をする気はない。
岩崎弥太郎は、貧民に金をばらまいたが、これは成金が、百円札に火をともすのと変わりがない無駄遣いである(それだけではないのだが、ここは悪い方だけ載せる。)。
現在の状態は、金も、実力はないけれど、プライドだけは高いという没落華族(貴族)様の様な風采がある。
「同類相哀れむ」の言葉通り、お互いによく似た風体も手伝って、仲良くなれた。
三菱自動車の内心は知らないが、今の会長から見れば、つぶれずに済んでよかったぐらいの勢いではないだろうか?
結局、似たもの同士だったので、融和は進んだ。
おまけに、日産は、共通の敵「ルノー」を演出した。
日産が、ルノーの財布である為だけに存在した20年間は果てしなく長い道のりである。
日産は、毟られて、毟られて、おまけに訳の分からん投資ばかりをして資産は減った。
(先日ふと、ゴーンは、海外の工場進出で、進出先から金員を受け取っていたのではないかと云う事を思った。想像なんですけどね。建設、用地買収すべてを考えると莫大な投資になる、地元の人間とツルム手段があれば、莫大なバックマージンを受け取ることも可能だったのではないか怪しむのである。)
さて、方や、日産の財布にもなれない三菱。
多分、社内の遊休資産を徐々に売り飛ばし、海外の提携を切り飛ばし身軽にはなっている。
ここ数年で、資産の飛ばすものがなくなってきたので、売れる資産を作る方向に舵を切っている。
一応、三菱自動車はそれなりのスリム化の努力はして来たとも言える。
悪く言えば、切り売りをしているうちにスリムになったというべきか・・・。
全体のスリム化を望むのであれば、販売店もスリム化が必要不可欠と考える。
現に、各地の販売店が合併統合している。
これは賞賛すべきである。
統合で空き店(あきだな)になった結構大きな営業店、直営工場を売り飛ばした。
販売会社自体も、売れる車がないので四苦八苦であろう。
スリム化は当然である。
今までの20年間は、販売数の長期低落傾向の歯止めが利かない状態で、4年に一回の割合で問題があるたびに、販売自粛。
これで、販売できなくなる・・販売台数減る。
極端に、よく売れる車がなくなった。
時々、「いいな」とい云う車が無きにしもあらずであるが、基本的には欲しいなんて思う車がない。(ごめんなさい。)
三菱の広告は、見ないので良く判らない。

しかし、日産には、欺瞞に満ちた宣伝がある。
よく、ミニバン販売ナンバーワンをうたい文句にして居る。
日産のミニバンが1車種しかなくて、日産の継続的な顧客には、これしか選択肢がないから売れているだけであるが、車種別の統計ではナンバーワンという事実だけを切り取って宣伝に使う。
「こんな宣伝して恥ずかしくないのか?」と思う。
まぁ、愛知県では、日産の車はあまり見かけない。
岐阜県に行くと、古い日産車を結構まだ見かける。
しかし、中古車屋にはほとんど並んでいない。
ある中古車で、こみこみ20万円とかいう軽自動車の販売コーナーに日産ブランドの中古車が並んでいた。基本、人気がないから非常に安い。
三菱も売れないが、日産ブランドの中古となると極度に安い。
下取りは、多分ダダに近い値段である。
リセールが悪い車は売れないだろう。

 

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/05/post-f8cefe.html つづく

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日産、三菱自動車、ついでにルノーの先行きが危うすぎるという話・・・(その1)

三菱自動車は、2000年以降、毎年の様に決算の度に、経費の節減、固定費の節減を歴代の経営陣が叫ぶとういう事を繰り返している。
トヨタは、設立以来、必要なものには過分な投資を、経費の節減は、当たり前、という会社である。
しかし、田舎の世界的な企業だからか、マスコミが悪口を書く
「乾いたぞうきんを絞る」これは単なる悪意でしかない。
ところが、マスコミは、東京だからか、日産には甘い。
なんの技術もないのに「技術の日産」、元は、「技術のプリンス」である。
また、トヨタのレーサーを首になった杉江君は、トヨタを憎いと思う感情から悪口を書く。
長谷川主査は、カローラの発売に際して、70点の出来と余分なことを云う。
これの尻馬に乗って、杉江君は悪口を加速させる。
(この杉江君、デブで、病気持ちだった、このおっさんのインプレッションを読むと、デフで目のよく見えないおっさんの云うところの「いい車」という感想は、中肉中背の人には同じ感覚が持てるんだろうか、という感じで読んでいた。また、英国のファッションを語るのを読んで、英国のファッションは、デブは前提ではないのだがとか思ったりもした。つまりは、なんの参考にもならんという事に途中で気が付いた。)
ある会社をつぶして、借金に追われていた頃、杉江君の出した本がうれた。
車を選ぶ基準、これは彼自身の思い込みの基準を本にしただけである。
読みやすい文体なので、単純な人には良かった。
他人の意見を聞いて商品を選ぶという人には大うけだった。
お陰で、よく売れて、借金を返すことができた。
お陰で、ファンも多かった(だからわざわざ、杉江君と書く)。
コイツの本の所為もあって、マスコミの言い草は、「トヨタは商売が上手なだけで、車は、たいしたことない」と書く。
だが、どうだろう。
機械的な公差はトヨタの厳しく、製品の個体差は少ない、いわゆる当たりはずれが少ない。
量産メーカーとしては当然の方向性であるが、なぜか、組合との妥協で公差が大きく、製品精度にばらつきがあり、エンジンに当たりはずれがある、究極は、車に当たりはずれがある。
これはいかがなものかと思う。
以前、レースをしていたおじさん(現在も、レースには参加しているが規模は小さくしている。)曰く、初期のトヨタのエンジンブロックは無駄があっていい。
時期が過ぎると、コストダウンで加工マージンが小さくなる。でも精度は日産の精度の100倍もいいと云っていた。
日産は?と聞くと、最初から最後まで無駄だらけで、精密に加工すればするほどよくなる。
加工代(しろ)が、あるので加工は容易と云っていた。
部材も柔らかいからね・・・と(RBは固いらしいです。)
そのおっさん曰く、普通に乗るならトヨタだろう・・と。
日産みたいに壊れんよ・・と
他の業者に聞いても同じような言い草だった。
まぁ、世間に甘やかされて、組合が強かったので、左翼系のマスコミ(ほぼ全部だが)のミコは良かった。
お陰で、現実を見ないという悪い感情を助長したと云える。
閑話休題
今日の本題は、5月23日の某日本経済新聞の囲み記が目についてので、ご報告を(笑)
三菱自動車の加藤CEOが、「世界的な需要の低迷に加え、自動車業界は大きな変革期を迎えている。新技術への対応やグローバルで厳しさを増す環境規制など、様々なチャレンジが待ち受けている 」と云いながら 「最後は、固定費の削減をしなければ・・・」と言い出した。
ここでは、チャレンジをするためには、経費削減と書いているように見える。
だが、チャレンジをするにも、先だつものがないから、ほかの費用をけずって、廻そうねという事らしい。
そこで、経費を減らして使える金を増やそう云う計算である。
ダメな経営陣(経営者、役員含む)思考パターンはいつも同じ。
机上の空論的な付け換えを考える。
足りないところへ余っているところの分を投入する…誰でも考えることだし、ある意味パズルである。
しかし現実的には、本当に足りていて、足りていないところはどこかというところの見極めができない。
キャリア(経験者)の採用を積極的におこなっている。
これはいわゆる、指揮官短期育成コースのつもりで採用するのである。
しかし、採用担当が、会社の部署の人材状況を未把握なのか、何の経験もない部署へ、わざわざ配属するというアンマッチを平気行う。
その後、フォローがない、下手したら放置である。
本来、1人工が、将来、2人工相当になることを期待しているのに、結局、1人工にもならず、下手したら心の病になる。
これは、最初から人員不足なので、何でもかんでも寄ってきたら、投網を掛けるようにして採用する。
採用したら、その部署の人は余っている、すると、一時的に、よそへ・・となる。
よそへ・・・で役に立つのか?
こうなると、マイナスのダメージしかない。
つまり、的確な採用をしていない(出来ないかもしれないが)お陰で、現場では人員のアンバランスが修正できない。

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/05/post-532032.html つづく)

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コロナデブ対策 その2 無駄な努力か?

コロナデブ対策実施中

以前は、仕事中に、一日、徒歩(時速5から6キロぐらい)を、2時間ぐらいは歩いていた。

歩速は速い、生憎と足が長いので、速いのだ(←自慢)

田舎のバス停ですさまじいのは、次のバスが、1時間とか2時間後なんてえのは、ザラなところがあるという事である。

そうなると、自然と歩かざるを得ない。

某羽島市では、2時間に1本なんてひどいところがあった。

周回コースを横切れば(大抵は走っていた・・)、自分が乗って降りたバスに再び乗れると云いうこの僥倖・・・(←田舎だと馬鹿にしているわけではない)

ここ、6年ほど、仕事で車を使うのは、本当に辺鄙なところへ行く場合と決めている。

電車がないとか、バス停がないとか、バス停があっても3時間に1本とか朝夕しかないとか・・・バスマニアではないので、そんなところで乗る気はない。

仕事で、車乗ると疲れるのよ・・・オートマだし・・・(家には、マニュアルしかない・・・)

嘘みたな話であるが、オートマは疲れるのである。

大体、過労状態で、車乗ると危ない、病気あるから、あんまり、官用車乗りたくないもの。

コロナ騒動で、基本的には、電車は避けたい。

通勤経路と云うのが決まっているので、容易には変えられない。

定期券代返還せよと言われても困るのでね。

やはり通勤経路上の徒歩は、駅から会社までと会社から駅までを徒歩に変えても徒歩の距離は4.2キロほどしかない。

これだと、500キロカロリーいかない・・

そこで、帰宅後、1時間以上かけてせっせと、自転車で12キロ走る・・・

〇〇〇空港の周辺県道、国道を走る走る・・・丁度12キロ

大周りをすると、20キロ弱・・・さすがにこれはつらいので、土日メニュー…でもよく眠れる。

4週間続けたら、おなかのぽっちゃり感と云うか、余った感じ、デブった感はなくなった。

最初の2週間はてきめんで、体重は元に戻った。

安心して、先週、土日さぼった。

緊急事態宣言の一部解除で、今週は毎日出勤になった・・・通勤時間の2時間が運動に廻せなくなった感が強い。

月火曜日は雨で走れなんだ・・

で、昨晩、体重計に乗ると、一時期減った分が、若干又戻った・・・・?????

がぁーーーーーーーーーーん

食べる量は減らして、間食も減らしているが、戻った・・・なんで?

小僧さん曰く、1・2キロなんて、水分とか、諸々あるからさぁ・・・である

お菓子は、土日だけと決めていいる。

ちなみに腹、背、胸、足筋は結構固い、かちかちではある。

ところが、数年来の是正項目としては、内臓脂肪があるのでこれを落とさないといけないモードである。

間食は、基本カロリーの低いものに変更。

なんでわからんので、運動再開。

そう思いつつ、最近のプライベート移動は全部自転車・・・・車・・・乗らないねぇ。

ちなみ、自転車、片道20キロぐらいならOKである。

家から古本屋まで自転車で行こうかと思っている。

ちなみに片道11キロ・・・

寄り道して、往復23キロ

帰宅後徒歩2.5キロ

25キロしか移動していない

小僧さんの計算では1300キロカロリー消費したぐらいだそうな・・・・・

1キロ減らすのに大体、7200キロカロリー

毎日25キロはムリ

頑張って、700キロカロリーは消費したい・・・

普通に、帰宅後のトレーニングでは、丸っと2週間ぐらい頑張らないと減らない・・・

小僧さん曰く、夜は糖質を取らない(コメ類くわない)、うちの小僧さん同様、鶏肉生活?

アンド、生活と日中4リットリ水を飲む生活を始めようかと・・・

とまぁ・・・さらばデブよという感じである。

さぁ。がんばろう・・・いつまで続くやら・・・

 

 

 

 

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病気になりたくないと思うはエゴではないと思うが

病気(びょうき)と云うのは、心身の一方か、両方が、不調になることである。

心の病と云えば、精神を病んでいることになる。

病気、レ点を入れれば、気の病。

気の病(きのやまい)、治る可能性はさまざまであるが、基本的に治癒する率は、低い。

びょうきと読まなければ、「やまいけ」とも読める。

これは、病気ポイ状態といか、前駆症状的な事を云うのであろう。

読み方で意味が変わる、日本語は難しい

だが、汎用性が高い漢字を使えることは喜ばしいことである

身体的な病気と云えば、色々あるだろう。

病気とケガとは違う。

ケガは外見的な損傷である

病気は、直接機に見えないことが多いし、早期発見できなければ、死に至たることさえある。

ただ、ケガでも重ければ死んでしまう。

誰彼を問わずに病気にはなりたくないだろう。

病気になりたくないと思う事はエゴだろうか?

例えば、インフルエンザにかかって高熱で苦しんだことがある人は、次ぎには、罹らないことを願うだろう。

癌になって一応なおって、5年待つこと心持は、病気からの決別を心から願う事ではにかと思う。

これは、希望である。

病気は楽しくないし、基本的には気持ちが悪いし、不愉快で、苦しい。

出来れば避けたいと思うものだろう。

以前、難病にかかってしまったという人の家族と接触したことがある。

病気の原因は不明という。

厚生労働省の難病指定に該当する様な病気なである。

遺伝子の複写部分で、何かが掛け違ってしまって、信じられないような難病になることがある。

そうなることは不幸である。

病気は、不幸である。

病気が、不幸なのではない。

病気イコール不幸な状態である。

長年、難病を抱えて暮らしているのは不安である。

不安に思うのも、不幸である

不幸とはあまり身を入れた付き合いをしたことはないだろうし、希望する人はいないだろう。

幸福とは近しく生活をしてるからこそ、誰でも不幸は避けたいと思うはずである。

思いもよらない時に、不幸に出会うと、御見それするものである。

不幸になりたくないと思う事はエゴだろうか?

病気になりたくないと思う事は、エゴだろうか?

ここで、不幸、病気でない状態、つまり、不幸ではなない状態、つまり、健康とは何かという単純な質問がある。

病気でない状態が健康と云ってしまう部分がある。

精神的に堅調で、身体的にも不調でない存在、それが健康である。

(言いきるのは難しい事ではあるけれど・・)

「健康へのエゴ」とはなんだと思った。

エゴとは、エゴイズムの略である。

ここで云う「エゴ」とは、利己的、自己中心的で、他者を軽んずるという風潮のことを言うのだと思う。

哲学的な、「エゴ」つまりは、精神性としての「自我」ではない。

多くの場合は、現在的な使用法を見れば「エゴ」などという言葉自体が、良い意味ではない。

だけれども、自身の健康を願ってマスクをつけるとを、エゴという人がいると聞いて少々驚いた。

この物言いは、ある意味、健康への、生きることへの渇望を「エゴ」というようなものである。

3月から6月の初旬にかけてのマスクは、アレルギー持ちの必須アイテムである。

これは、完全に防御である。

掛かっていない人にはわからないだろうが、目はかゆい、咳はでる、頭は痛い、気分は悪い。

それを薬で抑えるが、抑えることが出来ない部分がある。

そこで、マスク登場である。

防御はエゴだろうか?

風邪がはやる時期、インフルエンザが流行る時期には、マスクをする。

この時のマスクは、予防的意味合いと、感染を拡大させないと防疫的な観点がある。

つまり、単に、病気になりたくないとのでマスクをしているわけではない。

マスクは予防でもあり、他人への配慮でもある。

今回の武漢肺炎の拡大が判った時点(1月である)、マスクは必須となった。

こちらは、徐々に、電車通勤が非常に苦痛となった。

だって怖いもの。

車内がほぼ全員マスク装着の時期に、マスクをしない馬鹿(あえて馬鹿と書く)がいると不愉快だった。

だって、こういうのに限って咳をするのだもの。

そうし、対BC兵器用のマスク(細菌、化学兵器用マスク)を、乗車中だけはかぶることにした。

基本、何時でも手袋をしているのいいのだが、やはり誰が触っているのか判らいものは触りたくないのである

だから、車内には一切触れないようにして、踏ん張っている。

これは予防である。

予防を否定する手の奴は、テロリストと同じである。

だって、テロリストの希望は、小さな破壊工作で、大きな影響を与えたいからである。

予防されると、テロ効果がそがれる。

また、最初の発症者が、外国人(大陸出身者で、永住許可取得者)であることをマスコミは隠した。

次々と現れる発病者が、外国人であることを隠したのはマスコミである。

彼らは、日本人(帰化者を除く)が、外国人への反感を抱かないようにいつも操作をする。

暴力団員が、最近は実名報道されると、半島出身者とわかことが多いが、昔は、わかっていても、知っていても平気で通称名報道をしていた。

米国への入国ができない公表されている暴力団員の大半は、通称名である。

ここにも、彼らマスコミ大好きな「忖度」がある。

この忖度は、既に異常である。

一部の政治家にも居る。

こうした忖度が、入国禁止措置を遅れせて、国内の感染拡大を助長の一部と考えると、ある意味、マスコミによる間接的なテロである。

テレビを見ると、少々、なんだこの物言いは、と思う事が多々ある。

テレビない生活なので見ることは、ほぼ無い。

でも、時々、ネットニュースで、その手の発言をとらえた報道があると、居酒屋で飲んだくれているクソ時爺の世迷言の様な言葉が多い。

要は、クソ野郎の発言である。

テレビしか見ない世代、60歳以上のひとかな・・・は、この手の世迷言が、頭に入りやすい、そこで容易に騙される。

だって単純だもの思考が・・・またテロリストの発言が、入りやすい。

バカでも判ると云うか、バカしか理解できない言葉で話す。

プロバカンダ(政治宣伝)は、容易な言葉こそ頭に残りやすい。

独逸第三帝国時代のプロバカンダは秀逸である。

ある人種を否定して、財産をすべて収奪する。

収奪した財産は、すべて、ナチスが使う。

財産は、戦争の費用へつかわれる。

いくら、シャハト財務相が優秀でも、財政上の付け替えいくらしても限度はある。

その限度を解消したのが、ある裕福だった民族の全体からの収奪から得た。

ナチスの戦争犯罪とで云うべき収奪を助長した者に、ヘンリーフォードがいる。

ナチスへの多大な献金をしている。

これは、反ユダヤ政策への共鳴である。

共鳴の理由は何か。

政治宣伝の結果である。

政治宣伝は、商品宣伝の延長である。

商品宣伝、コマーシャル的な政治宣伝が日本でも成功したことがある。

マスコミによる民主党の間接的な宣伝が功を奏した。

バカは騙された。

お陰で、暗黒の民主党政権が出現した。

あの時代にできた法律の最低な事。

昨今、話題になった、検察への政治介入は、自民党政権ではほぼ無い。

銃撃事件で、検察に介入したのは誰あろう「民主党」の政治家である。

彼らを推奨したマスコミは、今でも印象操作しかしないが、その手法もほばばれている。

ある一定層の人間は騙されはしない。

しかし、騙される奴もいる、それは事実でもある。

マスコミの酒場の酔っぱらいの思考パターンの司会者は、言う

「マスクをする奴はエゴイスト」

これは、あの共産主義ファシストの真っ赤なWHOが、「マスクは意味がない」という主張の延長線でもある。

感染予防、感染拡大予防のためのマスク装着を、批判する。

そうして、自分たちの批判が、間違ったと気が付いた時に、「感染したくないというエゴが、感染拡大を回りまわって感染を防いだ」と主張して、完成拡大をした防いだ個々人の努力を、エゴイステックな行動とと云って批判したのである。

感染拡大を、防ごうと努力した市民(左翼のいう行動的左派運動家ではない)一人一人の努力を嗤ったのである。

基本的に、マスクイコール防御としか考えられないのは、知恵が足りない、想像力が足りないということである。

公の福祉の実現である感染拡大の防止と、自分の幸福の追求、半数以上の国民の自分自身の生活的な欲求を押さえて、経済的に苦しい部分の発生さえしても、努力した「配慮」の部分を無視して、「エゴ」と言い切る人間は、屑であろう。

この手の者は、精度、誤差とか公差とかを理解していいない人がいる。

基本的には、そういった単細胞(バカ)は、100%か0%の択一である。

統計学を知らない、と云うかパーセンテージの意味が分からない。

母集団に対しての割合の意味が分からない。

時間の概念がない。

そんな奴がテレビで、この手も暴言をまき散らしているという。

病気になりたくない云う気持ちは、公的な健康で文化的な生活を送る権利の希求であって、エゴではない。

そう思うのである。

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HIEN(TONY)  Instrument panel (飛燕 計器盤)

Imperial Japanese Army Type 3 Fighter IHIEN
Instrument panel replica
Some parts are original)
Kakamigahara Aerospace Museum Collection
Filming at the time of the old exhibition and at the current state of the exhibition
大日本帝国陸軍 三式戦闘機 飛燕
メーターパネル レプリカ
一部のパーツはオリジナル

各務原航空宇宙博物館収蔵
旧展示時の撮影と、現在の展示状態の撮影

Dsc00047 

 

 

Dsc_0122 Dsc_0123

Dsc_0121 Dsc08507 Dsc08506

Dsc08503 

Dsc08501

Dsc08499 Dsc08498 Dsc08497 Dsc08496

Dsc00049

Sight

Dsc00058

Dsc00060

Dsc00061

Control panel in the cockpit that retains the original color
オリジナルカラーを残すコクピット内のコントロールパネル

Dsc00745

 

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日産のスペインからの撤退について(その4)

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/05/post-4968a3.html その1

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/05/post-733e96.html その2

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/05/post-c6419f.html その3

その4
日産の海外への拡大路線は、50年代年から進めた。

進めた理由は、国内で、No1になるためである。

しかし、社内の体制、人材、資金的なめどはなかった。

拡大再生産がもてはやされた時期だったし、金は銀行から幾らでも借りればいい、向こうも貸したっている。

金利は経費という意識だったのかもしれない。

だが、1990年代になると日産の成長に影が見える。

その影は、金詰りである。

それは、金融危機とでもいううべき、銀行の経営悪化である。

銀行の返済の請求は厳しいものがあり、借り換えを許さないという風潮があった。

ここで、銀行からは、正常な融資先と云い判定をするためにも黒字化するように要求されるようになる。

しかし、赤字は止まらない。

必然性にかられて海外事業から一部手を引いた。

オーストラリアからの撤退である、この事業の損失は数千億円と云われている。

この時に、スペインを捨てなかった理由が判らない。

この当時は、意地だったのかもしれない。

何時も、ゴーンがこの生産性の悪いスペイン工場を閉鎖しなかったのは謎だった。

大体50%以下の生産状況の工場を温存する意味が分からないと思っていた。

ルノ―とオペルの車輛を作っていたので、ルノーの補完的な意味での生産現場として残したかったのかと邪推していた。

別に、フランス国内の工場の生産性をあげれば、生産できない規模ではない。

このスペイン工場の生産の主力は、NV200である。

この車は、バッチを変えてれ、ルノ―で販売している。

(外車のファンが、手放しで、このMV200のバッチエンジニアリングの車輛を褒めたたえているのを読むと、日産NV200をそこまで褒めないだろうと思う。ここでも、外車イコール素晴らしいというバイアイスのかかった見方をしていると云える。)

スペイン工場の稼働率は、ルノ―の分も含めて、30%程度という事であるから、工場単体としてみれば、完全に赤字である。

赤字の補填は?

日産の出血である。

この工場を売り飛ばす算段をしたが駄目だったので、結局閉鎖の決断を下したという事である。

この流れで行くと、英国の工場はどうするのか思ったら、スペインの分をイギリスで生産をするという。

現在の日産の正解生産規模は700万台、二割140万台の生産規模を削りという。

削ると、560万台。

3年計画だそうであるが、スペインの撤退があっさりできるのか謎である。

経営ができない経営者は不要である。

だが、昨日の発表では、日産は、スペイン工場を閉鎖するという事なので、売却を求めないで、閉鎖、廃業するという事ではないかと思う。

昨年の10月以来の売却申立てでは、売り気だった。

しかし、売れないから、閉鎖という選択になったのかなとおもう。

閉鎖する過程が大変だと思うが、より一層の赤字を垂れ流すであろうことは明白である。

やはり日産の先行きは暗い。

という事は、三菱の未来も、ルノーの未来もすべて暗いという事になる。

日産も三菱の買収されたんだからいい加減に素直になれと云いたいが・・・無理だろうな・・

 

蛇足
石原社長は、DATSUNブランドを無くしたことでも有名である。
これは、DATSUNブランドが、NISSANよりも有名であったことに対する嫉妬であったともいわれる。
石原氏の嫉妬の相手は誰あろう、米国日産の片山社長である

 

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ある晴れた日

ある晴れた日に、外にでると

空は抜ける様に青い

青いけれども、いつもよりも空気が澄んでいる気がする。

こんな晩に、星空を眺めると奇麗だろうと思った。

先ほど、風が強く、雨も降った。

嵐の様だった。

夾雑物は、流されたように青い。

雲は、雲の上に乗り、さらに高いところへ向かう。

緑濃い山間には、雲がしみ込んでいる。

夏は、たけなわである。

雨のもたらした、水滴が、空気に浸潤する。

熱を含んで、包みこんで浸潤する。

苛烈な太陽は、照らす照らす。

地面に残った雨の痕跡を、さっさと消し去り、

残された小さな水たまりが、雨の存在を訴えるような午後

車に乗って出かけると、空気が心地よい。

日差しは、ささるようだが、流れる空気は心地よい

車は、駆ける、駆ける

疾走する。

山を越え、谷を横切る

古い街中を通り過ぎ、死者の行列を追い越す。

死者は地面に消えていく。

銀の車体は、空気を後ろへ、後ろへと流していく。

切り裂くくのではなく

櫓にまとわりつく水流の様に、付かづはなれず

流れる流れる。

空気は、重い壁になる。

空気の目のこじ開けていく。

走れ走れ

走る走る

手の中のシフトが躍る。

心も踊る

楽しい。

空気が楽しい。

空気が歌う、撥ねる

音が跳ねる、流れ去る

エンジンの音も高らかに。

走れ走れ

僕とともに

 

帰ると、もう暗くなっていた。

神様を信じていた頃、人工衛星が軌跡を描いてるのが見えると云われて、石の上に立って眺めていたことがある。

そんな気持ちで、空を眺めることはなくなったけれど、

星空を眺めることは今でも好きだ。

29年前に、11月中旬に、木曾の山奥で、星を眺めた時も、

45年近く前に、岐阜の山奥で見た、星空も、

みな綺麗だった。

本当に、口から、「きれいだなぁ」とつぶやいた。

50年ほど前に、祖父の山奥にある別荘へ行く途中、國鐵の驛舎を出ると、駅前は静かで暗かった。

見上げると、

空は、金剛石でもばらまいたような光の粒が光って見えた。

銀河鉄道の夜を地で行くようであった。

ああ、もう一度、逢いたい人がいる。

20200520

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「友、遠方より来る、亦、楽しからずや」と思う。しかし、友は来られない。

演劇に「ゴドーを待ちながら(だったかなぁ?)」という劇がある。

コドーとは、「神」、「ゴッド」という事だと定説である。

ちなみに、ゴドーは来ない。

その昔、米国時代の友人が私の処へ来たことがある。

明日意味破格のスカウトだったが、小さな子供が居るのと、自堕落な役人生活で、そんな任務につけないことはわかっていたので断った。

だが嬉しかった。

半分仕事とはいえ、来てくれたことはうれしかった。

世の中、不思議なもので、SNSを通して友達なることもあるのだから、長生きはするものである。

ここ数年、お友達が増えた事をある意味驚きである。

ここ1,2年は、最近は自動車、産業考古学関係の友人、先生方と知り合いになれた。

喜ばしいことである。

FBを始めたころに、模型の友人が増えた。

その代わり、友人でもなんでもない奴も増えた。

車関係の友人の友人?で?、個人的には何も関係がない奴が、からんでくることがあった。

私の持っている模型を見て、「死んだら寄越せ」と書いてきた。

「遺言に書いとけ」と来た。

コイツは、FBでぜったに自分の顔をさらしていない。

サンダーバードの機体を顔写真に充てている。

悪いけれど、「死んだら」という言葉は私にはタブーに近い。

現実的に小学校から友人だった者がもう何人も不幸な死に方をしている。

殆どは、自殺であるが、自殺する過程を知っているので、生きていて欲しいと思っていた、現に今でも死にたいという人が居たら、どんな相手でも一生懸命に引きとめる努力をする。

それはある意味義務だと思っている。

耶蘇教徒風に云いうのであれば、重い十字架を背負って居いるという表現が正しいと思う。

ある過去の出来ごとで、自分は生かされて、バデイは隣に居て死んだ、ほんの数十センチの差である。

生まれてから成人するまでに、何百万人に1人とい病気にも罹った、当時、症例が愛知県に1件しかなく、血清はその人ものがあるだけだった。

その人のお陰で7年後完治した。

私は、その人に陰ながら感謝し、医療関係者、特に、主治医の先生に感謝した、だって先生が気が付いてくれなかったら今頃、土の下である。

発病した年の夏は、昼間外出できなかった、紫外線に当たることは死を意味した。

完治するまでん、小学生でありながら、毎回病院へ行くと、検査と血清を作るために血を抜かれていた。

子供のなのでたくさん取れないが、人の役に立つことが使命だと教わって育った身には、それは当然の責務であった。

だからではないが、「死んだら」と云うのは、よほど親しい友人の間で、その人が健康だとわかっている間柄で、本当の意味での冗談と判る間柄ならまだ許容範囲のうちである。

しかし、実際の面識のない奴が主張すべきことではない。

言っている本人は冗談かもしれないが、こちらとしては、無性に腹が立つという事になる。

いつも思うのは何様だお前はと思う。

色んな所で、いろんな人とお付き合いがあるが、よく思う事は、お前個人に頭を下げるのではない、お前の肩書、地位に対して頭を下げているという事を云ってやりたい気がすることが多々ある。

元何々の役職だったなんてぇのは特にそうで、いつも瞬間的に思うのは、「だから何?」という反応である。

だが、最近お付き合いのできた友人諸氏は、何ともハヤ、そういった垣根を感じさせない人が多くて楽である。

今日の本題は、追悼的なことである。

数年前に友達になった某さんも、親切で、こちらの疑問にはもったいぶらずに答えてくれて、こちらが質問を受けて、真摯に答えると、大変、真面目に応対してくれた。

いい友人であった。

この友人(自分的には、友人と呼びたい)は、5月の10日の夜半、遠い国へ旅立った。

長い闘病生活の果てである。

最近、このブログをの参照で、彼の住む県の参照が少ないと云うか、見ている感がなくなっていたので心配していました。

昨年は、結構、彼の住んでいる県で、参照されているのが判ったから、見ていてくれるんだなぁと思っていた。

それが、今年になってからがくんと減った。

このブログの愛読者は、愛知県、徳島県、大阪、京都、兵庫、岡山、宮崎、北海道、東京、福井、新潟の人が良く来ていてくれる。

以前は、ここに某県が入っていた。

だから心配したのである。

はっきりとは聞いていないが、癌だったようである。

60になったばかりだというのに残念なことである。

初めての出会いは、FB上で、ドイツ空軍の野戦歩兵部隊の「雑のう」の色は、国防軍と違うのか?

という質問があったので、自分で持っている、ドイツ空軍野戦部隊の雑のうの色を教えたらいたく喜んでくれた。

程なく、合同展示会があったので、件の雑のう(実は、愛用していたりする。)を持参して、見せると、ものすごく喜んでくれて、わざわざデジカメで写真を撮ってました。

その後も、何度か、合同展示会で会う、FBで、ご質問に答えるという関係が続いていた。

去年の合同展示会は、体調が悪いようで参加できないという事で、少々寂しかった。

合同展示会で、1年に1回しか会えない人がいる。

そう思うと、貴重な集まりだと思う。

タミヤの細身のファイギアを三枚おろしにして、プラパンを挟んで増積するのを見て、考えたことはあるが実際にやった人がいると知って妙に感動したことを覚えている。

年末ぐらいから、FBの投稿が減ったなと思っていると、少々不安になって、最近どうしてますか?とメールを送ると、1週間ほどたってから、静養中ですと云いう回答が来た。

嬉しかった

先週の月曜日、ふと、どうしているか知らんと思った。

数日前の、昔の記事のシェアを見て、シェアはできるんだ。

元気になったかなと思った。

10日にはもうなくなっていたという事を知って、最近よく虫が知らせるなと思う。

模型の友人が色んな病気で亡くなる

某WNクラブのOさんの英国での客死はかなりショックだった。

同じクラブで輸入代理店を開いていた、Sさん

三重のクラブのKさん、

豊橋の・・・

知り合い程度だった、徳島のOさん・・

ここ10年で死屍累々である。

健康で、模型を作り続けるとうのは、至難の業かもしれない。

彼の冥福を祈りたいと思う。

(実は、泣きながら打っている。)

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日産のスペインからぼ撤退について(その3)

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/05/post-4968a3.html (その1)

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/05/post-733e96.html (その2)

日産の経営陣には、学習の能力がないようで、日産とプリンスの合併(事実上の吸収合併、外見的には、お願いされての合併であったが、実際は、日産は、トヨタに負けている感があり、規模の拡大をしなければならない時期にあったので、合併は願ってもない展開だった。)で、企業風土の違う会社の合併、買収がどれほど大変かという事をこの時は既に忘れていたようである。

基本的には、スペイン人の気質、企業風土、組合の過激さ、設備の状況をすべて勘案して

買収を決めるべきであった。

スペインの買収が失敗の終わったことが明白になったので、英国への進出したと考えることも可能である。

英国は、優遇政策を持ち出していたので、渡の船だった。

英国工場は、産業革命以来の、工場生産に慣れた人たちが運営するのだからうまくいったのだろう。

最初、当時の日産の担当重役は財務諸表の見方を知らなかったのではないかと、悪い方向へ想像してしまっていた。

実際は、日産の担当部署は、他の会社と同じ評価、つまり、買収すべきではないという事である。

金を出すのだから、よく精査するのは当たり前だと思う。

日産社内でも、精査したという人もいる。

日産は、ワーゲン、トヨタが断った案件になぜか飛びついた。

ここでも、トヨタとの差は大きい。

トヨタは、簡単に買収しなかった。

(日産とトヨタの大きな差は、グループ企業の構成である。

日産は、規模の拡大で、会社を買収して大きくなっている。

高速機関、プリンス、愛知機械、東京ラジエター等を買収して、生産規模の拡大をしてきた。

トヨタは、会社設立直後から、買収という手段でグレープ会社は増やしていない。

ぼぼ、分社化である。

最近は、トヨタ化した会社と、元々の子会社を統合化している。)

トヨタは、堅実な手法で、海外進出した。

テストケースをまず試して、図上演習では判らないことを実地で行った。

最初は、GMとの合弁独自の進出である。

ビッグ3との摩擦回避という見方は間違いではない。

主たる目的は、学習だったと考えている。

まずは、米国式の生産方式の再学習と、日本的生産方式の統合を目指していた。

NUMMIでは、当時アメリカでは一般的であった、機械と人がまだまだ関係をしながら生産をするという方式を踏襲していた。

最初から莫大な投資をするのでなく、日産の様に日本的な自動化の移植を目的としないで、米国的な生産手法を学習していたと云いう事である。

日産は、その点、国内の工場よりも自動化を進めた工場を作る事に血道をあげた。

それは、自称、世界に冠たる日本の生産システムの輸出であり、アメリカの生産システムとの融合を図るという姿勢ではなかった。

日産は、その当時、メキシコ、オーストラリアでの生産が暗礁に乗り上げて、赤字を垂れ流していた。

生産技術も後進国である、メキシコ、オーストラリアでの失敗から学ばないのが日産らしいと云えば日産らしいのである。

石原社長は、多分、聴く耳のない人なので、は、スペインの工場が手には入れは、日本国内と同じような生産ができると考えていたのかもしれない、紆余曲折はあっても、日産が指導すれば何とかなると考えていた可能性は大いにある。

そう考えると、日産と無責任な社内体制は、いわゆるお目出たい会社組織を作り上げていたと考えるべきかもしれない。

今なら、指導員と生産設備を移転するという手段がある。

古い設備、理論的な思考ができない、従順ではない、教育水準も高くない従業員が沢山いる企業への自社生産方式、思考方法を移植することはほぼ不可能である。

当時は、現在ほど、機械の性能、制御系も進んではいなかった。

つまり、一応形式的な生産設備があっても、機械の性能、人間の性質、能力がなければ同じものは作れないのである。

当時の日産の社長は、事務屋である。

生産の実際の現場を知らない。

実際の技術移転がどれほど難しいかという点を無視していたという点からも、日産自体の疲弊はすさまじいものあろうことは想像に難くない。

人材のなさは、悲しむべき状態であった。

当時、ホンダは、英国で、ローバーと共同事業で工場を運営していたが、ローバーがBMWの買収されて、小型車の生産ノウハウを全部奪われ、後年MGが倒産した時点で、ホンダが手塩にかけて作り上げた生産ラインは、中国に買われて、分解梱包されて中国でよく似た車を生産している。

三菱も、欧州の日本車締め出しの逃げ道として、オランダでの合弁工場を運営したが、経営悪化に伴い、さっさと撤退、米国の工場もさっさと閉鎖した。

三菱は、意外と縮小することで、会社を維持してきた風体はある。

つづく

20200519

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思う事など

一般の人はクレーマーという人種に会う事はマレであろう。

聞いている範囲では極力会いたくない人種である。

昔、ある支店に勤務しておた時に、ほとんどクレーム対応をさせられていた。

小〇という者が、事務対応でクレーㇺを製造していた。

コイツの親は、大学関係者で、〇〇党員だった。

これが共産主義ファシストを絵にかいたような対応が多かった。

基本的には、自己中心的で、パワハラ体質、無責任、都合が悪いと逃げる、自分が楽することしか考えていない。

窓口対応で、横柄な口を利くという事で、クレームが多かった。

法律的な対応でのバトンタッチは仕方がないと思うが、このクズの場合、相手のいう事は、一切聞かない。

自分がマイナスになる、説明しなかったことをあとから責められることを極端に恐れるタイプだった。

お陰で、ほぼ毎回クレーム

しかも忙しい時に限ってである。

課長は・・・逃げていない。

ただの取りまとめが、なんで何時もという感覚があった。

丸め込むのは得意である。

お陰で次回からは、ご指名である。

社会的にアウトローとか、人間の屑と云われるクレーマーに好かれても仕方がない。

別の支店に行くと総合受付窓口でいつも来るとクレーマーになる元〇×井消防署の職員は、担当ではないので、特段対応をしなかったが、酷いものだった。

クレーム対応する人間もクズなので、気の毒なのは窓口対応をしたお兄ちゃん

本当に対応が悪くてクレームになる場合は、組織として対応すべきなのか?と云う気がする。

だって、屑の対応で課長が対応するのは、組織的な対応である。

そもそもそんな屑をなんで、そんな担当に勤務させているのかという素直な疑問がわくが、なぜか勤務を続けている。

一度ある支店で、同じようなクレーム製造機を見かけたことがあるが、課長は、事務を止めて、そいつの電話応対を一挙一動見ていた。

コイツのお陰で、事務効率の悪化を招いていた。

取りまとめのおっさんは、いつもアレでねと苦笑していた。

ここの支店は、取りまとめがそういった対応をしなくとも、ちゃんと課長が対応していた。

この同勤していたクレーム製造機が、セクハラパワハラ勤務時間内の株取引なんでもござれのクズの引きで課長になった時に、気分は絶望感があふれてしまった。

腐った組織だなぁである。

パワハラを平気だやるような奴が、管理職である。

世も末だと思ったが、彼が選ばれて、自分は選ばれないのは、自分が悪いのだろうと思う。

自分の幹部諸氏への態度、対応を見てくれば、従順ではない、手段は選らばない、使えるものなんでも使う、行動原則にぶれがない、行動中は恐怖心がないと云った点から、管理する側から見たら、そんな奴を管理職にはしたくないだろう。

友人の医者からは、その性格、テレビに出てる知ったかぶりをしている学者先生の意見を採用すれば、サイコパスの典型と云われたことさえある。

まぁ、躊躇はない。

だが、自分でクレームの種をまくことはほとんどない。

相手が、要注意人物のクレーマーで、ある場合はちゃんと戦うが、向こうは基本的に自分の非を詫びて、恭順して帰る。

担当が変わると、すぐにクレーマーに戻る。

なぜなのかと思う。

転勤後、たまたま、旧管轄の役所に行くと、丁度、クレーマーのおじさんがいた。

話を聞くと、私が転勤後、件の〇川が再び担当になり、無理無体なことを云うという。

こちらは、管轄が違うので口出しはできない旨を告げて、苦情センターがあるのでそこへ相談してくれと頼んだ。

クレーマーのおじさんは、私の転勤を責めたが、それは仕方がない、運命であるというと、どうしたらよいかと云うので、基本的な対応を説明したら喜んでいた。

まぁ、クレーマーは、基本的に本人の性格資質もあると思う。

しかし、前にも書いたように、「お客様は神様です」という言葉が独り歩きをしてるからだと思う。

「お客」=「神様」という意味ではない。

出演者は、毎日、毎回同じことの繰り返しで、ちょっとぐらい手を抜いてもイイヤという気持ちになると、手を抜きたくなる。

実際に手を抜くと、お客さんは、その日のその回の舞台しか見ていないけれども、手を抜いたことに気が付いて、手を抜きやがったなと思う。

それは、神様が見ているみたいに勘づく。

そうして、感づいたら、二度と見に来てくれない。

だから、毎回の舞台は手を抜いてはいけないという戒めである。

この手の話はどこの分野でも多い

こないだ友人との会話で、定食屋、弁当屋でご飯がまずかったら二度と行かないという感覚と似ているかなと思う。

自分の利益だけを考えて、自分があとから逃げられるように対応していると、どこか、相手をないがしろにしている感じがすると思う。

そいう云ったことは注意しなければならないと思う。

ある意味、自省である。

 

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日産のスペインからの撤退について(その2)

 http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/05/post-4968a3.html

つづき

スペイン工場買収(1980年ファーガソンから株式を取得、1983年資本を積みまして、支配下に置いた。)は、英国への工場進出(1984年4月会社設立)より前である。

利点は、当時、スペインは、EUに加盟する可能性が高かった(1986年EU加盟)。

つまり、EU域内の自動車生産を行う事で、日本への規制逃れができるという事である。

しかし、当初の買収後、同社は同調することはなく、単に株主が変わった程度の対応だった。つまり、買収をしたつもりだったが、実際は、相手にはそんな気はなかったという事であろう、多大な労力を投入したが上手くいかず、結局資本の積み増しをして、完全子会社として支配した。

本来、買収という事は、多くの事を検討しなければならないはずである。

欧州の一角で、生産設備が格安に手に入れるという点と、設備の統合、規格の統合、設備の更新費、維持費、人材育成に架かる費用、意思統一への教育、要は、買う値段よりも、買ってからの経費を検討する必要性があると云う事である。

両天秤にかけて、費用倒れなら買収は止めるという判断を提言するべきである。

会社の一部はこの買収に反対したが、社長の意向は絶対という間違った理論構成は、「買収は日産にとって有利」という報告書を捏造して提出する。

これは、社長の意思を追認するためだけの報告書である。

これが株主総会で問題にならなかったのは、総会屋の手引きだけではなく、日産自身の隠ぺい工作の賜物だろう。

当時の日産の石原社長の世界の10分の1を生産するという夢は、絶対的な目標となる。

目標を達成するためには遮二無二なるのは、ファシスト的な発想である。

全世界の共産主義、社会主義国家の前提条件は、計画経済の達成でしかない。

途中で、計画の変更はしない。

これは、現実を直視しないという風潮を形成する。

(蛇足的話

東欧へ旅したことが2度ある。

1回目は、旧体制時代、計画経済で、国民が豊かになっているはずのソ連、東ドイツ、ポーランドは、全体的に暗かった。

カメラ店(?)らしき店には、ロシア製のカメラが置いてある。 

ロシア人は買えない、東ドイツでは、旧ツアイスの製品が置いてあるが買えない。

外国人は買えるが、店内には1個しかない。

笑ってしまったのは、旧いバルナック型のライカをぶら下げていたら、ソ連製のカメラと交換してほしいと云われたことさえある。フイルムは良く判らない製品で、帰国後撮影に使うと何となく、古いネガぽう写りで、明らかに品質が悪かった。

ぼろいテレビに映る商品を買いに行くと、まず置いてなかった。

ポーランドで、聞いたら、最初から存在しないと云われた。

大学生の頃だったので、マルクス経済学の大学の教授が、社会主義を褒めたたえているのを聴いていたので、現実の東欧を見ると、聴くのと観るのとは大違いという事を痛感したのである。教授諸氏の云うところの計画経済が順調なら、「何故あれほど市内物がないのか?」という誰もが行き着く結論を感じるのではないかとおもった。

資本主義は、行き詰まり、市民生活は疲弊していると云いながら、日本なら、どこへ行っても物は売っていた。

私事ではあるが、模型屋さんはその頃どこにでもあった。

ところが、ロシア、東欧には皆無であった。

東独は、ホテルで聞いたら地図を書いてくれて、教えられたところへ行くと、模型屋と云うか、雑貨店の様の店だった。売っていたのは、東欧製の飛行機の模型と、ロシア製の訳の分からん戦車(で高い)、飛行機、ポーランドのメーカーの飛行機の模型、なぜか日本製の模型もあった(ものすごく高かった気がする。)。しきりと話しかけられたが、ドイツ語は、簡易会話本頼りの会話である。あと、日本で知らべておいた、「東ドイツ製の模型が買いたい」と云い紙を見せるにとどまるから、話は進まない。日本人と云いうのはわかったようで、しきりとTAMIYAを叫んでいたことは覚えている。)。その後、中華民国へ行くとデパートに普通に模型が売っていた、また、タミヤとそのコピーが並んで売っている姿には感動さえした。

自由主義社会の生活と成功しているはずの計画経済の落差を実によく感じたものである。)

つまり、計画はあくまでも計画であるという見方ができなくなるという事である。

計画を、予定通りの進めることは非常な困難を伴うと思う。

配分を考え、行動原則を考えて、半年なり、1年なりの計画を見通して、日々努力する必然性がある。途中で計画変更をするのは当然である、そう考えるのが普通だと思う。

しかし、石原社長は、計画失敗イコール失脚という恐怖が待っていたのである。

アメリカ日産の片山氏はライバルである。

無理やりでブチあげた計画が、失敗したとなれば、当然の様に責任を取らざるを得ない。

石原社長は、片山氏の追い上げを見ていたはずである。

気分は、失敗は、許されない。

すべてを無視して、規模の拡大に走った。

丁度、ゴーンがいわゆる第三世界的な地域へ工場進出を続けたのと似ている。

目標は、目標である。

現実との整合性がなければ、画餅である。

現実的には、当時の欧州の日本車に対する規制から逃れるためには、高関税を払ってでも輸出する、販売実績、販売網を確保して、将来に備える、現地生産、販売自体を中止して撤退するという状況であったことを忘れてはいけない。

当時の世界は、ある意味ブロック化していた、その目的は、現在もさほど変りがないが、地元の、それぞれの国民の雇用を守るという目的の為に、外国企業の締め出しは当然であった。その点から見れば、現地生産は、販売を守るという点では非常に効果があった。

だからこそ、日本メーカーはこぞってアメリカに進出し、且つ、現地法人との合弁で、車を作るという選択をした。

現地生産は、選択してとして、買収、合弁、新規での進出の三パターンがある。

トヨタの場合は、米国は、合弁事業をしてから、新規進出をした。

日産は、新規の進出と買収である。

つづく

20200517

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日産のスペインからの撤退について(その1)

覚えているだろうか?
2019年10月24日 ロイター通信社は、日産自動車が、英国工場とスペイン工場の売却欧州の2カ所の工場の売却を検討しているという報道があった。
また、 前日の23日にも、「ダットサン」ブランドと一部赤字車種の生産終了し、生産規模のお縮小を検討していると報じた。この中では、中国以外は生産能力縮小の可能性があるとう判断している。この時点では、まだ楽観視をしているようで、工場全体の閉鎖や国レベルの完全撤退の計画はなかった。
2020年3月
新型コロナウイルスの影響により、英国サンダーランド工場、スペイン・バルセロナ工場での車両生産停止をしており、雇用調整で、従業員およそ3000人を一時的に解雇すると発表していた。
2020年4月23日
スペイン工場の5月初旬の部分的再開を発表していた。
2020年5月14日
スペイン工場の閉鎖、世界的な生産設備の削減、代替えで英国工場で、ルノー生産をすることも発表した。

スペインの工場と云われても、ピンとこないだろうと思う。

スペイン工場とは、生産子会社の日産モトール・イベリカ(バルセロナ)の工場である。
欧州における日産車の生産を行う企業である。NV200の生産工場と云えば何となくわかるか?

(NV200のルノー版も存在して、輸入されて、嬉々として乗っている人もいる。)

もともとは、戦前、フォードの世界的工場進出の一環でできた工場である。

戦前の日本フォードみたいな存在の工場で、フォードの世界戦略の一環工場だった。

違いは、乗用車の生産は行わずに、トラックの生産を行っていたという事である。スペインは農業国である。

スペイン内乱で、と云うか、内乱の首謀者であるバルセロナにあったから内戦後再開することはなかった。

バルセロナは、バスク地方で、独立したくてしょうがない地域である。

工業化された都市ではあるが、スペインでは異質な地域である。

戦後は、トラックメーカーとして再出発したが、業績は振るわなかった。

だって、日産と同じで、組合が強くて、生産ラインの更新さえできなかった。

1980年代の世界の自動車メーカーに買収を持ちかけていた。

英国工場同様、日産のお荷物と云うか、赤字垂れ流しの原因でもあった。

農業機械メーカーのファーガソンの配下にあったこともあるが、結局、ファーガソンも撤退して、会社の存続が危なくなり身売りを図った。

この時、フォルクスワーゲン、トヨタ自動車にも打診があり、両者は、この会社の財務内容を検討した結果は、「買わない」と云うか、「買ってはいけいない会社」と判断した。

理由は、バルセロナと云いうか、民族的な問題のある地域にあること、組合権力が強すぎて、労働生産が悪く、設備も更新されていないので、買収してもそのまま生産できるとは考えられないほど古かった。

決算内容もひどいもので、内容は粉飾決算と判断したのである。

また「タコ足配当」(別名:蛸配当、違法行為 、通称「タコ配」とは、蛸の足を食いになぞらえた名称で、粉飾決算などによって株主への配当金(分配可能額)があるように偽装して、株主へ本来できないはずの配当をする行為の事である。)で、表面上の資産は目減りしていると判断したことによる。

だが、日産はトップの判断として、買収を決定した。

日産は、ワンマン社長経営する中小企業がそのまま大きくなったような会社である。

意思決定権は、社長にある。

社長が間違った判断をし続ければ、会社は傾くのである。

母体が大きいと、つぶれずにグダグダと残り続ける典型である。

川又社長と組合の塩路委員長の二人三脚は、会社に情実人事、事なかれ主義、社長専横、組合の専横を許した。

結果、日産は、車の開発から人事まで非論理的な組合に汚染された。

石原社長は、理論的な検討ができない人ではないはずであったが、自分の目的の為には手段を選ばない、トヨタに勝てばいいという理論構成に

陥った時点で、判断が狂った。

(本来の性格だったかもしれないが、それは後述する)

自分が進める世界10分の1政策が完成すれば、トヨタなんて目じゃないと思っていたのだと思う。

日産の経理部門は、現地調査を含めて、買収は不可という判断を下していた。

その報告書を提出したが、握りつぶされ、買収の可否を、「可」とする様に報告書を作り替えた。

変えた本人たちは、後年、書き換えざるを得なかったと云っているが、これは会社の伝統的な部分が大きいのだと思う。

悪く、忖度すると云いう風土である。

トヨタは、理論的な判断をすることが多い。

それは、中堅幹部の堅実な検討、その結果を経営者に提出、経営者もその中身を尊重するという態度に現れている。

(現在のトヨタの構造が、その様に活動できているかどうは、微妙であるが、現在の特異な状況は、豊田喜一郎的なエネルギッシュな判断をする必要性があるので、必要であろうと考えられる。)

石原社長の買収への意気込みは、自己の夢を実現するためには、会社の資産を考えなしに浪費するという事を、是認する態度である。

日本のシステムを導入すればなんでもできると踏んでいた。

しかし、根本は、欧州の輸入規制対応するために、高い関税を払い、完成車を輸出、販売網は維持しておくというトヨタの態度から一歩先んじ

て、EU域内の国での生産をして、規制から逃れるという目的もあったと思う。

つづく

20200516

20200517補足

 

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昨晩の事

家に帰る途中で、ハロゲン灯のまばゆい円錐形の光の中を通り抜けると、携帯が鳴った。

画面をよく見ないで通話ボタンを横に動かした。

耳に当てると、「もしもし」という

こちらも「もしもし」という

少し、くらい夜道を歩いていくと、LED灯の味気ない光の中で電話かけて居ている奴が見えた。

そいつを避ける様に歩いていると、電話の向こうで、「おい」と云った

街路灯の下の男もそうつぶやいた。

その男を見ると、M君だった。

相も変わらず洋ナシ体型である。

足は義足だったはずだが、そうは見えなかった。前は、杖を抱えていたが今日はない。

こちらを見て、「オウ」という

見ると道路の向こうに、大型バイクのFatmanが止まっていた。

「義足でよく運転するな」と云うと、

「なぁに、慣れれば意外と乗れるもんだ」といった。

内心あぶねぇなぁと思った。

「どうした?」と聞くと、

「うん、たまに出てこないと忘れられるかな?と思ってさ」と云った。

家には連れていけない。

そういう常識的な感情はまだある。

「ここじゃなんだ」がというと、

直ぐに察したように、

「近くに公園があったろう」という。

「公園好きだな」と、笑うと

「人がいないのがいいね」という。

彼の家の近くにも都心には珍しく、江戸時代の下屋敷の庭がそのまま残った一部が公園になっていた。

「バイクは?」と聞くと、「あんなもの誰も乗れないさ」と云った。

顔色は悪い

革のジャンパーにジーンズ

分厚い革底の靴は、音がしない。

妙に、自分の足音がする。

で、「どうしてた?」

「うーん、いい加減に飽きちゃってな」

「何に?」

「生活に、ルーチンでつまらん」という、膨らんでいたポケットからペットボトルを出して炭酸水を飲んだ。

飲んだかに見えた。

炭酸はそのまま、公園の砂地に吸われた。

ちょっと、勇気を奮って聞いた「今日は、どうしたいぃ?」というと、

「うん、ちょっとなぁ」丸顔に中心に顔が寄った風体は変わらないが、何となく小さい

この革ジャン知り合った頃に買ったものだから30年選手だろう。

「なぁ、何時まで覚えてくれるかなぁとおもってな」

続けて「こないだ、思いだしてくれたろう、パソコンで検索してくれたよな」

円形の木製の縁側の様な椅子の隣に座ったまま呻くように云った。

思い出した、この間、名前で検索したなぁと

「なんで検索した」と、下を向いたまま聞いてきた。

公園の街灯はほの暗い

隅の方には、なんだか気味の悪いものが見えた。

「何年前だったかな、と云うか、何年経ったかなと思ってね、丁度、亥年の時にもらった年賀状が出てきたんでね。

年賀状をもらったのはあれが最後かね。」

「ああ、そうだったかな、何年だっけ?」

「ええっと、去年が猪だから、その前の前のだね、平成20年、いや、平成19年・・・2007年年じゃないか?」

「13年も前か」というなり、ちょっと顔を背けた

「そうだよ、ひと昔まえさ、で、今日は、どうした」

「うん、逢いたくなってな。もう11年もあってないんでね」

「そりゃそうだ、あれ以来一別だもの、お互い会えなかったからなぁ」

「うん、まぁ、世の中こんなだし、たまには、出られるんでね、思い出してくれた人のところへ行ってもいいと言われるんだ」

そうか、と思った

人は死んでも、死んだ時に居なくなるのでなくて、思い出してくれる人がいなくなると本当に死ぬんだと云われたことを思い出した。

何十年か前に、夜の木曽路で、おじさんや、おばさんに会った時も、それほど、驚かなかったし、数年後、祖父に会えた時も、懐かしかっただけだ

意外と恐怖はなかった。

「Mくん」というと、真黒な顔がこちらを向いた。

もう帰る時間が来たかなと思った。

「帰るのかい」と聞くと、木偶(でく)人形のようなかんじで、首がこくりと振られた。

立ち上がると、もう、小さくなっていた。

洋ナシが震える様に思えた。

さっき見たFatmanが、公園の前に来ていた

よく見ると、ギーガーの書く骨だらけの物体みたいなものだとだとわかった。

これはというと、四頭立てでねという。

四馬力か?というと

そうだと蚊の鳴くような声が聞こえた。

かれは、さっさと、またがると、「じゃぁ」と云った。

斜め前に立ってみると、骨が透き通るほど青白い。

顔はどんどん暗くなり、輪郭だけになっていた。

引き止めるのも悪いと思ったので、「じゃぁ、又まな」とい云いながら、11年前に、彼の家の玄関先で、彼が手を振った様に手を振った。

赤い尾灯が音もなく遠ざかり、すぐに見えなくなった。

ようく考えたら11年前に会ったのが最後だったねぇと

そう思って周りを見回すと、元の街路灯の前に居た。

 

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ひどい言葉を使う奴らがいる。

株の配当を「搾取」と云うのは、暴言ではないかと思う。

フランスのルノーへ、日産が払う配当は搾取という。

搾取とはひどい物言いである。

搾取されるのは、植民地。

この会社の言い分は、日産は、ルノ―の植民地、

ルノ―=フランス政府の植民地、

だから日産は、第一次大戦前のアフリカや、第二次大戦前の全アジアの様に、ただ単に、搾取されているという見方をするのはいただけない。

倒産寸前の会社に金を出した努力、見識、力量を無視して、搾取という。

株の投資は、ある意味博打である。

ブラックマンデーの時、相続した電力株が、数万株あった。

この時、某野村証券に、この株を担保にして、40%以上暴落した株式を目いっぱい買った。

そうして、10%以上値段が上がったら全部売ってくれと頼んだ。

翌日は、反発で、半日で随分と設けさせていただいたことがある。

ちなみに、これは祖父が、某系統の大学へ行けば金がかかると踏んで残した株である。

しかし、けがをして、某大学を中退して、三流私大に流れると、不要不急の金となった。

何となくのあぶく税(株)であった。

この時、株を半年とか限って売買することに決めていた。

「無くなってもいいや」ぐらいの勢いだった。

朝、ブラックマンデーを聴くと、証券会社へ朝一で行き、懇意の女性社員に会い、上記のお願いをしてバイト行った。

バイトの時給は650円だった。

株式が、午後取引が止まった聞いて、バイトを切り上げてぎりぎりの時間に再度、店を訪れた。

大混乱の極みだった。

「1時間ほど待つと、10時ぐらいに投げた買いが全部通りました。」と云われた。 

明細を見て、ゼロ数にくらくら来た。

当時、小さな家が買える金額であった。

バイクで帰る途中、今は無き、おじさんの家へ寄って顛末を話すと、一言

「大バカ者」と云われた。

株は全部預けてあったので、このまま、株価が戻らないと、全部、無くなるという事に気が付いた(思いっきり馬鹿である。)。

もしかしたら追い銭が要るかもしれないと云われて、ちょっと怖くなった。

その時、大学生で、破産かと思った。

夜、悶々と眠られなかった。

すると、夜が明けると、反発で、午前中で全部売れたことが判った。

莫大な手数料を取られたが、金は残った。

当時は、株屋が得意にしていた仮名取引だった。

その後、手もとには、数百万を残して、ほぼ損に消え、株屋の手数料に消えた。

株の売り買い買は、実際、血のしょんべんでも流すくらいのリスクを負わなけれなできないと感じたのは、それから2か月もたたないうちだった。

世の中は、元気だった。

ルノーは、金をだした。

紙くずになるかもしてない株に金を出した。

そのリスクを背負って、自身よりもはるかに大きな敗戦国の自動車会社へ出資した。

その対価を、搾取という。

この言葉は、多くの株式投資をしている者のリスクを無視した物言いである。

この会社は、一応、資本主義を標榜する国に在って、株式会社の一員である。

自画自賛には事足りない。

木鶏と自称する。

天下の公器と称る。

世論を作ると豪語する。

社会の安定は望まない。

社旗さえあれば、誰でもひれ伏すと思っている。

間違いは認めない。

他人の人権を無視、踏みにじることはいとわない。

役人と云う人種は、人権はないと考える。

権力を憎むが、権力を渇望して止まない。

嘘でもなんでも、自分たちに有利と考えれば何でも載せる。

官僚を、人間の屑と思っているくせに、エリートと云われる人は大好き。

ドラマとい仮構の世界で、警察官、刑事、検事、権力を持っていそうない人間は、ズルくて、頭悪くて、馬鹿で、権力志向が強くて、弱い者いじめしかしない人間の屑として描くことが得意。
警察官でも、横破りな人がいるとする。

そうして、その横破りな人を守護するトップがいると云いう伝説を作りたがる。

役人は、バランス感覚の良い人が幹部になる。

組織が腐ると、情実が横行するが、一応常識的な者が多いことになっている。

基本的には、アウトローな人は、閑職を延々と経めぐる。

不満を持っても、表のは出せない。

と云うか出しても仕方がない。

報われない人は一生報われないが、地位が保証されているので、やる気はなくなる。

そうならない、特殊な地位を遊弋する、そう描いては喜んでいるが、実際は、100%そんな人はいない、と云うか、存在しない。

彼らは、役人は、馬鹿で、人間の屑で、弱い者いじめ、金持ちに媚びる、性格悪い、ずるい、裏で悪い事平気でやる、民間の一部と癒着して悪い事なんて平気でやる、根性は悪い、権力には弱い、政治家には弱い。

政府は、無能で、役立たず、何時でも戦争をしたがる、人権を無視する。

自分たちの株主さえも、搾取する側、資本家と云って誹謗することが正しいと思っているらしい。

彼らの発言は、妄言であり、よく考えた言葉ではない。

マスコミという人種は嘘しか言わない気がしてきた。

テレビ見ると、最近は、吐き気を催すほど気分がわるくなる。

20200514

20200515補正

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コロナ(武漢)ウイルスついでのデブ対策

緊急事態宣言が、一部解除されそうである。

「テレワークしなくて済むのでまぁいいか」という気分が先行している。

実際、仕事上で、外出が事実上禁止になったおかげで内部の事務をせっせと行い、おかげで、デブになった。

(前からデブだろうという批判は、甘んじて受けるが・・・)

まぁ、、体重は高値安定であるが、骨太訓なので、標準体重なんてものが全く役に立たないことは判っている。

若い頃、医者に、標準体重は、標準的な骨格の人で、標準的な筋肉の人ならOKだそうである。

若い頃筋力トレーニングにいそしんでいたような筋肉馬鹿は、筋肉をつけるために、骨格自体が頑丈になっているから、一般人より骨が太い

太ければ骨だって重いだろうと・・・

ある時、滑落気味で5メートルほど下へ落ちたことがある。

声が出ないぐらい痛かったので、これはやったかなと思った。まず確認したのは、足先指先が動くかどうか、目視して確認

みえたから、振ってみた。

兩手、両足損傷損傷なしだった、身代わりが、蛇腹カメラ1台、見事につぶれていた。

レンズシャッターさえ壊れた。

ヘルメットは内帽が割れていた。

昨年落ちた人は、脳天が割れて即死だったそうな。

あとから、山岳救助の人に聞いて、クワバラクワバラと思った。

骨が太くても細くても、毎日2時間ほど、お仕事で歩いている生活から、1日中ほぼ8時間座り放しでは、栄養摂取を減らさない限り、栄養の過剰摂取という事は、どんな結果になるのかぐらいは、どんな馬鹿でも判る。

で、体重計に乗ると、数キロ増えている。

ここ10年ほどなかった珍事である。

で、考えると、色々と体に悪影響があるなと感じるわけで、困ったなと。

運動量を増やす方法はとりあえずない。

移動する方法を運動に変えるしかない。

まず駅から勤務先まで、約2キロ、これを、自転車通勤だったのを徒歩に変更

往復4キロで、大体、1時間弱ぐらい。

これでは足りないので、最初の頃テレワークの日は、朝6時から8時まで自転車で、最低で20キロ走ることにした。

14日間は、20キロから25キロ自転車・・・マニアからすれば大した距離ではないだろう、けれど320キロ走った。

(長距離を走るには、近所に良いサイクリングロードがないので少々危険である。)

その昔、名古屋から豊橋まで一往復したことを考えれば短い・・けれど、50過ぎて自転車も最近乗ってなかったので許してほしい。

雨降りの日は最低8キロは歩くことにした。

土日も、連休中もほぼ毎日このノルマを敢行。

大体6日ぐらいで1キロぐらい落ちた

一応、デブった分は解消された。

だが運動不足は解消されない。

そこで駅を1個手前で降りて、一駅歩いてから、さらに駅から会社まで歩くという事を考えてみた。

実際に実行すると意外遠い。

ただ軽いジョギングと競歩のペースなので、1時間で6キロペース朝歩いて帰りも歩いた

通勤方法としては、会社から駅までは自転車を引きなが歩いて、駅からは次の駅まで完全な競歩・・・

帰りの方が披露しているのか、遅い・・・1時間4から5キロに落ちる。

定期券区間なので、歩いても利益は無い。

歩いていると、と云うか行きはわき目もふらずに歩いているか、帰りは、物見遊山的な雰囲気で歩いている。

途中で、わんこに合う、わんこしっぽフリフリ寄ってくる。

おもわず、わんこに手を振る、わんこ喜ぶ・・・こちらも嬉しい(←ただの馬鹿)。

飼い主さん、大抵おばあちゃん・・・すいませんねぇと云いながら世間話

うちもわんこいるんで・・・と云いえば、あとは、会話が弾む弾む・・・

この辺は、口が上手いと言われるので、すぐに仲良しになれる(なってもしょうがないのだが・・・)。

コロナのお陰?で、若い頃の目標を立てて運動をするという習慣がよみがえってその実、楽しいのである。

ノルマの様に走るのも歩くのも楽しいものであるが、ちょっと寂しい。

ここ数日は、圓生師匠の落語を聞きながら歩くことで、無聊を慰めている気がして居る。

20200513

 

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公務員の定年延長に反対する意味が分からない?法律ぐらい読めよ・・・と云いたい。

公務員の定年延長の趣旨は、65まで働け、70まで再雇用で働け、途中で死ぬだろう。

年金なんか払わんぞという法律である。

検察官の定年延長反対キャンペーンと化しているが、実際は、「公務員は死ぬまで働けや」という法律である

辞めて、弁護士に?

冗談ではない、公務員辞めて(退職して)弁護士、ある一定以上の研修課題(結構難しい)を取っておけば、もらえる資格がある。

法律的な関係で云えば、司法書士、税理士、行政書士・・・でも、こんな資格は、専門学校でごまんと取っている。

弁護士も、司法界改革で、くず様な弁護士は増えた。

これは、昔の弁護士の様な広範囲な知識を有する法律のプロが減って、タカリ屋ポイのが増えた。

お陰で、どの業界も、「士(さむらい)業」が、あふれている。

辞めた後で開業なんてほぼ無理である。

システム買い込んで、開業に何百万円とかかる。

資格団体の登録で年間何十万円とかかる。

毎月20万円稼ぐのが大変という。

だから救済で、定年を伸ばすのではない。

年金を払う年齢をあげたいがために、母体として大きい、文句を言わない公務員に照準を当てているだけである。

別に検察官の定年だけを伸ばすわけではないし、現在問題にしているおっさんはその延長にはあずかれない。

だからこの検察官の定年延長論議は意味がない。

マスコミが、PCR検査の拡大ばかり言っていたが、ここへきて、PCR検査、抗体検査の2WAYが示されたら、途端にしぼみ気味である。

政府批判の道具が出れば、そちらに飛びつく姿勢は、犬以下と云うかネズミ以下である。

基本的には、彼ら、マスコミ、政党がその旨を主張するという事は、正しくないことであると考えることができるのではないかと思っている。

検察官の定年延長を批判している連中は、法案の中身を読んでるのか?という疑問である

マスコミ、芸能人の吠えたてていることは、話題がないから表に出ようというう魂胆が透けて見える。

コロナの関係で、知事の露出が高いが、知事の権限は、その県の中では独裁者的な権限を有する。

首相の権限に比べたらはるかに独善的で、身勝手なことが可能である。

大阪府知事、東京知事の露出が多いが、財政基盤の大きな県は、支援金でもなんでも金額を積み増すことが可能である。

でなぜか、愛知県知事の評価が高いのは何とも理解できない。

名古屋市長も随分とひどいが、まだ、名古屋市長は、一応、筋を通す傾向はある。

まぁ人気取りだけで市長になったような人だから・・・市政の全般なんて見れてないだろう。

名古屋市の財政は、昭和40年代からばらまき市政で、国から支援を受けなければならない市になったりならなかったりを繰り返している。

現市長は、テレビ出演、タレント化した議員数名のうちの一人である。

現名古屋市長が、口火を切る、現某県知事(当時は国会議員)は反論する・・・議論が白熱する…現愛知県知事がお追従の姿勢で話に割り込むと云うのがパターンだった。

テレビに出ていたタレント化した議員の特質は、国政ではできないことが、地方ではできてしまうというお気軽さに気が付いたという事である。

コロナ騒動で、初期の頃は、愛知県知事は、緊急事態宣言には、批判的、否定的なな言質をとっていた。

それは、2月中旬、名古屋市図書館、名古屋市各施設の全館が閉鎖になった後も、愛知県図書館は開館していた。

閉館しないので、安心していたら3月の整理を急に前倒しして、臨時休館にした。

その後は、予約資料(図書)のみ交付すると云った形で一部を開館していた。

愛知県の施設の閉鎖は遅れ気味だった。

これは、ぼんくら知事の判断がはっきりしていないと云うか、コロナを舐めていた証拠だろう。

丁度、イギリスが、舐めていたようにである。

某半島、某大陸の国家にべったりか感じがしているので、大陸に忖度したのかもしれない。

緊急事態宣言が出て、感染者の問題行動や患者数が多かったにもかかわらず、指定の県から外れると、指定してくれと云い、県独自の宣言を出した。

しかし、国の緊急事態宣言の中身は、「府県知事にがんばってね」という内容である。

国には基本的に権限は無い。

それをマスコミは、国の無策を責める。

おかしくないか?

マスコミも、売れない芸人、芸能人の犬以下の発言を取り上げるては、転載して、さも世のなかの民意はこうだと主張する。

その手法は、SNS世代には、なかなか通じないが、マスゴミは、その対策で、ネットニュースにやたらと流すようなった。

ツイッターで流して、喜んでいるのは、複写されて読むやつが多くなるからであろう。

おまけに、ヤフー(孫君配下)はやたらとその手の記事を載せる。

FBでは、勝手に検閲を強化している。

ここ二日間は、検察官の定年延長批判が多い。

国会の質問が発端だが、元々、公務員の定年延長は、民主党政権時代に決まったことで、野田元首相が提唱した。

その点を考えれば、現在の作られた潮流は、何を目的としているか良く判らない。

最終的には、社会不安を巻き起こそうとしているという事が良く判る。

20200512

20200513補正

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"HA140 engine" stored in Kakamigahara Aerospace Museum.「ハ140エンジン」各務原航空宇宙博物館に収蔵されている。

The picture shows the HA140 model stored in the Kakamigahara Aerospace Museum.
HA40 performance improvement type.
Higher compression ratio, higher rotation, and a water-methanol injection device added to raise the maximum boost pressure.
The following is a description of the prototype HA40.


写真は、各務原航空宇宙博物館に収蔵されているハ140型である。
ハ40の性能向上型である。
高圧縮比化・高回転化し、水メタノール噴射装置を付加して最大過給圧を上げた。
以下は原型のハ40についての説明である。


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The Ha40 is a liquid-cooled inverted V-type 12-cylinder engine manufactured by Kawasaki Aircraft. Kawasaki Heavy Industries licensed the Daimler-Benz DB601 engine.
It was produced at the Akashi Factory of Kawasaki Aircraft.
It was mounted on the Type 3 fighter Hien (Cord name TONY).
HA40 was used only in the Imperial Japanese Army Air Corps.
The same liquid-cooled inverted V12 engine for aircraft, manufactured by Aichi Aircraft (currently Aichi Machine), was licensed and produced in the Atuta type 21 type. This was used by the Imperial Japanese Air Force Corps. It was installed in "SUISEI". It was very difficult to produce a large 12-cylinder crankshaft with Japanese casting, machining technology, and metallurgical technology at that time.
At that time, there were in-line 6-cylinder engines for automobiles even in crankshafts produced in Japan, but in-line 12-cylinder did not exist. (Star engine has short crank)

HA-40 and Atuta 21 type are not compatible.
The incompatibility was that the Army-specified tolerance was a direct copy of the tolerance of Daimler Benz. It was very difficult to use Japanese crafting techniques and metallurgical techniques at that time. At the completion inspection, almost all of them failed in some cases. On the other hand, the Atsuta engine rarely fails the final inspection because it adopted loose tolerances that match the Japanese craftsmanship at that time (instead, the engine often broke in the battlefield).

ハ40は、川崎航空機が製造した航空機用液冷倒立V型12気筒エンジンである。ダイムラーベンツ社のDB601エンジンを、川崎重工業が、ライセンス生産したエンジン。
川崎航空機明石工場で生産された。
三式戦闘機 飛燕に搭載された。
ハ40は,大日本帝国陸軍航空隊でのみ使用された。
同じ航空機用液冷倒立V型12気筒エンジンである、愛知航空機製(現在の愛知機械)がライセンスを取得して生産したのは、アツタ型 形式は、21型。これは、大日本帝国機軍航空隊で、使用された。彗星に搭載された。
当時の日本の鋳造、工作技術、冶金技術では、12気筒の長大なクランクシャフトの生産が非常に難しかった。
当時、国内で生産されていたクランクシャフトでも自動車用の直列6気筒のエンジンはあったが、直列12気筒は存在していなかった。(星型エンジンは、クランクが短い)
ハ40とアツタ21型は互換性がない。
互換性はないのは、陸軍の定めた公差は、ダイムラーベンツ社の公差をそのまま引き写したものであった。当時の日本の工作技術、冶金技術では非常に困難を伴った。完成検査で、ほぼ全量が不合格となることもあった。一方、アツタエンジンは、当時の日本の工作技術に合わせた、緩い公差を採用したために、完成検査で不合格となることは少なかった(その代わり、戦地ではよくエンジンが壊れた。)。

 

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Exhaust pipe attachment part has no cover for the previous 3 cylinders

排気管取り付け部は、前の3気筒分はカバーがない

 

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A plate-shaped cover is attached to the rear three cylinders.

「排気管取付ケ所」="Exhaust pipe installation place" is written on the surface of the cover

後ろの3気筒分には、板状のカ バーが付いている

カバーの表面には「排気管取付ケ所」と書いてある

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Behind the engine (black and Silver parats)is a supercharger

エンジンの後ろに見えるのは、過給機

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上面

 

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"Air intake" is described on the circular plate

円形の板には「空気取入口」と記載

 

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エンジン下面(鏡に投影)

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Elbow parts made of copper or brass are "drain pumps"

Cylindrical parts are "air intake"

真鍮か、銅製ののエルボーパーツは「排油ポンプ」

円筒形のパーツは、「空気取り入れ口」

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Supercharger (reproduction)

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Spark plug wire, spark plug cover

点火プラグ線、点火プラグカバー

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Dsc_02201 Rear end of spark plug  点火プラグ後端

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Near the engine rack

エンジン架部分付近

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The competent court for copyright is the
Nagoya High Court.

無断転用禁止

著作権に関する管轄裁判所は、名古屋高等裁判所とする。

 

 

 

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日産には、伝統を守る、ブランドを育てる力はない。

かつて、インフイニティQ45は、当初、トヨタ嫌いのジャーナリストが、米国での購買層を評して、「トヨタのレクサスが、ヤッピーに好まれているが、インフィニティは、より上質な人たちが選んでいる」と書いていた。

当時、自動車雑誌の派生誌で、生活の中の総合自動車雑誌(今のエンジンの原型)に、偉そうに書いてあった。

要は、レクサスを買っているのは、アメリカでも成り上がりの若者で、インフィニティQ45を買っているのは、成り上がりではなくて、もっと伝統的な金持ち層が買っているから永続的な販売が望めるという意味の評価であった。

この評価自体は、日産の広報部の作成した内容の引き写しのようなものだったから、半分ぐらい差し引いた方が良い。

英国車メーカーから、インフイニティQ45への乗り換えが多いとも書いてあったが、其の頃、米国で英国の高級車?のジャガーが良い評価を得ていたわけではないし、ベントレー、ロールスを買う層が、乗り換えたとも考えられないので、作文感が漂う。

インフィニティQ45自体が、プレジデントをジャガー化したの劣化コピーであった。

日産は、伝統的に理念のない会社である。

トヨタのような明確な目的を持った車作りではなく、トヨタがドイツ車なら、うちは英国車を云う感覚だったのか、未成熟な車を作って、これが日産の世界の高級車ですと売りに出した。

当時の世界の高級車メーカー(メルセデス、ロールス等)から全く評価されてなかった。

ここで云う、評価とは、後の車に影響を与えたか否かという点である。

このQ45は、発売から数年後に、なんとか、友人の伝手で、乗せてもらったことがある。その時に感じたことは、薄くなったプレジデントという感じであった。運転手さんのお話では、夏になるとエンジンルームの熱が結構籠るので、クーラーの効きが悪くなるという話を聞いた。

このかたは、プレジデントからの乗り換えであった。

此の方は、友人の親御さんという遠い関係であったが、たまたま、数年後にお会いした時にお聞きすると、Q45は、色々と不具合(足まわりの故障は致命的だったようである)があり、修理に出しても直らない、日産の販売店の対応、メカニックの説明も非常に悪く、その後、二度と日産車には乗らなかったそうである。

(愛知機械との取引がなくなったのを、もっけの幸いに、タダ同然で売り飛ばし、センチュリーに替えたそうである。)

トヨタのレクサスは、メルセデスベンツに実際脅威を与えたし、評価もされた。

例えば、メルセデスができないであろうことを売りにすることを選んだ。

レクサスと云えば、車内の制音(音の制御)が有名である。

大昔、センチュリ―に乗った後で、クラウンに乗るとうるさかった。

レクサスが出た当時、レクサスに乗った後で、当時のメルセデス(600Dだったかな?)に乗るとウルサイ車だと感じたことがある。

メルセデスは、レクサスを脅威に感じたようで、一時期、制音に血道を上げることになるが、トヨタにその部分で追いつけないと判るとあっさりとその路線を捨てたのは、経営判断力が優れていると思うのである。

海外メーカーは、インフィニティQ45について、脅威という発表をしていたが、現実的な脅威とは感じて居なかった様である。

Q45に対抗心を燃やしたメーカーがあったかという事である。

まぁ、グリルレスで、わけのわからない唐草模様のエンブレム・・・希求性はない、と云うか、日本の蒔絵風のマークを海外に向けて「いいものだろう、どうだ」と見せても、目の悪い(視力の悪い)者っから見ると四角い箱状のバッジは、マークにも見えない。

視認性の悪いマークだなと感じた。

判りにくいマーク(エンブレム)なんぞは意味がない。

Lマークは、レクサスを褒めるわけではないが、トヨタの海外戦略と云うか、デザイン感覚の勝利という事だろう。

しかし、このインフィニティ設立時の日産は、良いデザインセンスを持といと云い機運があったと思う。

青竹色を基調とした新型シルビアのフロントラインは良かった。

デザイン室が、日本の伝統的なデザイン感覚を導入できたからだろう。

だが、その感覚は、シルビア、Q45のデザインだけで終わってしまった。

次の世代は、元に戻ったのは売れなかったからだろうか?

日産の幹部のダメな証拠と云うか、デザイン室の権力のなさだろう。

これは、とりもなおさず日産伝統のデザイン軽視発露だとおもう。

以外に思うかもしれないが、トヨタ自動車は、豊田自動織機自動車部の頃から、飽きのこないデザインを希求し、広くデザインを求めた。

有名な、自動車のデザインコンテストや、大戦中に子供に車のデザインをさせて、模型自動車を作らせて、そのデザイン力を競わせた。

このデザインコンテストは、全国津々浦々、当時の百貨店で展示された。

青竹色のシルビアはデザインは良かったが、基本、見てくれ重視だったせいで、車体剛性と、エンジン、シャーシ性能の不合理があった。

ある一定以上の速度域を超える制御不能になった。

これは、現実的にはスピンを起こすのである。

この事故は、意外と多発した。

この事故がもたらすのは、車体の剛性不足が原因だった。

意外と低い速度域段階でスピンが起った。

悲惨なのは、ぶつかると車体がキャビン部分でちぎれて乗員が死亡するという事故が非常に多かった。

電柱にぶつかると、電柱が無事で、車が前後でもげるという・・・・大変悲惨な車であった。

(この車の車輛保険料は後年うなぎのぼりであった。)

これが180SXになると、それ程、スピン癖はでなかったので、元々のシャーシ設計が悪かったのか、シャーシの設計の煮詰めが足りなかったのか判らない。

ステイングレーの様にエンジン性能がシャーシ性能に勝っていたという事だったのであろうか。

日産は、車種の整理を進めた結果、対海外的な高級車を高級車として開発できないという体制になった。

すると、海外向けの本来上位車種として生産していた車がなくなったので、国内向けの高級車(下位の車種)を、バッジエンジニアリングで、海外向けの高級車として送り出した。

トヨタが、レクサスブランドをせっせと作り上げる間に、日産は、努力して、作ったブランドを軽く投げ捨てた感はある。

そう考えると、ただの馬鹿である。

海外的ブランドとして育てたかった高級車を、国内の中級車をベースにして、自称高級車として売るようになった。

これは、販売奨励金を積み上げないと売れない感がある。

いつも、日産の事を書くと、快進社を作った「橋本増二郎」の思いは、何も残ってはいないと感じる。

ブランド名だけをよすがに、DATという名前は残っていたが、これも、日産社内の男同士の嫉妬から、消滅した。

数年前に、復活したが、又、すぐに消え去った。

このようい定見のない会社は、20年前に無くなるべきだったと思う

 

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Zero-type shipboard fighter type 52 Engine cover /Near the canopy

Zero-type shipboard fighter type 52
Owned by Mitsubishi Aircraft (repair aircraft)
Engine cover (This has been completely repaired. The shape is not round)
Near the canopy
The mesh is because the net was hung on the ceiling where it was exhibited for a while.
(Currently, this aircraft is stored in the museum of Mitsubishi Aircraft Oe Factory. Shooting is prohibited.)

 

零式艦上戦闘機52型
三菱航空機所有(修復機体)
エンジンカバー(これは全面的に修復されているた。形状的に丸みが足りない)
キャノピー付近
網目は、一時期展示してあった場所の天井に網が吊ってあったためである。
(現在この機体は、三菱航空機大江工場の資料館内に収蔵されている。撮影は禁止となっている。)

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三菱と日産の一体的行動?(その2)

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/05/post-07d43e.html つづき

従来の見方をすれば、日産とルノ―を比較したときに、日産の方が、世界的生産規模として大きい(ほぼ倍)のである。

現在、日産の生産台数が激減しているので、差は縮まる傾向にある

ルノー自体も生産販売数が減少傾向なので、三社アライアンス自体が急速に縮小していく傾向があるのは見逃せない事実である。

三社の生産規模が縮小する、現在の実販売、今後の販売予測から考えれば、三社の余剰な生産設備は、200万台以上であろう。

200万台と云えば、下手したら1社分にも匹敵するような余剰な生産体制を築きあげたのは、ほかならぬゴーンである。

2000年当初、ゴーンの主張はある意味正しかったはずである。

日産の負の遺産(古臭い設備の工場、無駄に広い販売店の駐車場、過激な組合を抱える工場)を売り飛ばして身軽にして、借金は社債に付け替え、生産効率の良い工場を世界中に作り、規模の拡大だけを求めた。

ここに、内容が伴っていないのは、経営資源である資金を、極端に規模拡大優先に振り分けたという事である。

生産設備を拡充することに血道をあげすぎて、車の開発がおろそかになった。

このような状態で、20年が過ぎると、明らかに問題点が噴出した。

新車の開発ができない。

新型エンジンの開発ができない。

こうなると、生産規模は大きくなったが、生産する車がない。

売れる車もない。

ルノ―の販売が順調な商用車は、高価格でありながら日本ではよく売れている。

日産は生産に関しては何の関与もない。

ルノ―ジャポンの販売店は減少傾向、自社の工場はない。

全部、日産の工場におんぶで抱っこである。

先日も、ルノ―の小型車の発売後イメージカラーのフランスポイ水色の奇麗な車が、販売店にちょこんと置いてあった。

一瞬見た時に、ミニマムでよいなという感じであった。

では、今の日産に良いなと思えるデザインの車があるのかという事である。

(これは、ホンダについても、言えることで、ガンダムポイデザインが多い気がする、CIVICが唯一まともな感じがする。)

デザインもダメ、車もダメ、話題は、会社の醜聞(しゅうもん:これをスキャンダルとも読ませた時代がある。)、毎年、期末に会社を売り飛ばすことで黒字体制をとってきた技法は、売る会社がなくなれは当然の様につかえなくなる手法である。

ルノ―だって気が付いていただろうと思うような手法である。

ゴーンは、ある時気が付いたのかもしれない、この会社は生産設備を増やしても、作る車が売れない、ドル箱の車でさえ、海外で生産した結果、販売当初は売れたが、その後1年を経ずして、品質が悪いという評判が出て、売り上げは急減した。

このコンスタントに台数が稼げる、売れる車を海外生産に廻したのは、海外の生産拠点の士気をあげる為に、競い合いわせて、生産拠点を勝ち取るという、一見話題性を持ったが、前の型の顧客は、海外生産車をみて、買い替えを延長したり、ほかの会社の安くて程よい車種に移ったりした。

この生産工場の移転の結果は、海外の工場の稼働率を上げることになったかもしれないが、車の品質が急速に上がるわけもなく、失敗だったとしかいえいない。

この車種の限定版を出すことで、多少の販売台数を稼いで入るが、若い女性の御用達は、奪われてしまったまま戻ってこない。

日産の経営状態が、そのまま跳ね返る状態であれば、誰でも、その経営状態を把握して、間違っている点は是正させようとするのは当然ではないかと思う。

ルノーからの請求は厳しくなることは明白であろう。

日産にとって不利な条件を押し付けれれないような条項があると云っても、経営の是正だから不利な事でない。

経営責任を取らされる可能性さえあるという事を理解して、内部資料の提出を拒否できるかという疑問がある。

最悪、CEOが、フランスからくる可能性は否定できないだろう。

今の日産の長期低落傾向の原因は何だろうと考えることがある。

個人的に、第一に思ったことは、伝統的な顧客の付いた車名を捨て、意味の分からないような名前を付けたからではないかと思う。

トヨタも、伝統的な社名の「コロナ」を無くしてしまったが、これは、この者須賀になっていた購買層が細分化されてしまい、車種も成文化されてしまったからである。

カローラ自体の車格も上がったので、この名前を残す意味はなくなったと思う。

マークXだって、元は、コロナマークⅡが原型である。

いつの間にか、「コロナ」は消えて、「マークⅡ」になり、レクサスの伸長で、「マークX」への変更、消滅と続いた。

日産のセドリック、プリンスのグロリアの名称がなくなった時に、この手の車を買っていた顧客が、ごっそりと居なくなった。

丁度、セドリックグロリアのオーナー世代が高齢化したときと重なった。

トヨタは、それ以前に、新しいクラウン購買を発掘する努力をしていた。

しかし、日産は、購買層の層確実な確保という対抗策を打ち出せなかった。

車名が消えても、顧客は新車名についてくると思い込んでいたのならおめでたい人たちである。

こうして、従来からの顧客がごっそりいなくなる前に対策をとらないという失態を演じた。

車種の絞り込みは、経営資源の集中と云いながら、その実、車の開発よりも、設備の拡充を中心に行った結果である。

ゴーン氏の計画が、日産の生産設備の拡充イコール、ルノ―の生産設備の拡充という路線をとっていた。

車台の共通化で、新工場の1ラインは日産、1ラインはルノ―という設計を行ったという事に現れている。

ゴーン氏の最終目的は、ルノ―が、日産を完全に取りこむ、つまりは合併して、日産というブランドだけを残す路線ではなかったかなと思う。

日産は、伝統的に購買部が強い。

現CEOも、購買部の出身である。

前にも書いた日産の役員の一名が、ルノの役員に就任予定となった。

この者は、経理畑の役員である。

日産が、この者の就任を最初から求めたのか、ルノ―側が、経理畑の役員の推薦を求めたのか判りはしないが、経理担当役員がルノ―の役員になった場合に、国際的な経理感覚を主張された時に、日産が子会社という地位を忘れて強く反対できるかどうか見ものである。

日産は、規模の縮小を続けながら、インチキを常態化かさせながら存続している三菱を取り込むことで、規模拡大をして、将来、ルノーに取り込まれた時の収益を確保しようと考えていた可能性はある。

現在は、日産と三菱自動車は、アライアンスを強化して、設計資料の共用化をして一体化を進めて、今度はルノーに対抗しようとしている。

しかしである、三菱自動車自身の軽量化が進まない状態で、何ができるのか?

日産自身は、生産台数の激減、生産済みの車の大量の滞留、日本国内、海外の輸出先の港に山積状態である。

既に、取り返しのつかない状態になりながら、規模の縮小を急激に進められないのは、コントロールされたくないとうプライドだけで邁進しているのであればただの馬鹿である。

もしかしたら、三菱自動車を日産自動車が吸収合併するシナリオはないだろうか?

三菱商事が、ルノーに出資すると云いうヨタ話があるが、日産と三菱が合併するれば、日産トレーデイングを、三菱商事が買うというシナリオも生まれてくるのではないか?と、勝手に想像している。

最近は、祈るような気分で、三社のアライアンスが共倒れにならなければいいと感じている。

 

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三菱と日産の一体的行動?(その1)

友人から時々、面白い話を聞くことがある。

ルノ―と日産の関係が、新段階に這いつつあるという事である。

ルノーとは、フランスの会社で、フランス政府の制御下にある会社である。

みんなが知らないのかどうか知れないけれど(無責任・・・)、ルノーは基本的に第二次大戦中の対独協力の度が過ぎて戦後、国に接収されてしまった。

昔は、ルノ―公団と云っていたぐらいである。

日野の相手は、ルノ―公団だった。

戦時中、ルイ・ルノー(創業者)は、自社と、自社の社員を守るために協力したのだが、戦後、言い訳がひどかったのか、政敵がシトロエン、プジョ-側についたのか判りはしない(すいません研究不足です・・・)が、ルイ・ルノーは、逮捕、投獄されて、獄中で、対独協力者として殺された。

(戦後のフランスでは、よくレジスタンスがもてはやされたが、実際のレジスタンの規模は小さなもので、戦後のフランス映画描かれるようなフランス国民全体が、レジスタンスだったなどと云う状況は嘘であった。

ルイ・ルノー氏は、当時のフランスの対独協力者への批判と云うか、攻撃を監獄内で受けて殺されたと云われる。

ルイルノー氏が生きていると面倒だったからかもしれない。

会社は、行政命令で、国が簒奪した。

日野ルノーは、現在はあまり知られていないが、当時は大量に走っていた車で、レーシングさえあった。

蛇足ではあるが、今も現存しているかどうか知らないが、その昔、ある有名なレーシングが売りに出た。

しかし、書類がなかった(レーシングらななくて当然と云う気もするが・・)。

当時、買った人は、路上復帰させようと思った。

そのときに、書類アリの車を探して、その車の書類、パーツと云うか部分を使って、路上復帰できたという事を、ある自動車屋から聞いたことがある。

つまり、それぐらい、非常にありふれた車だった時代があったのである。)

そのルノ―公団が、1980年代に、アメリカンモータースの買収を経て、北アメリカ市場への進出を図ったが、失敗して、財政が悪化した。

その後、財政の再建と、民営化を目指し、ボルボとの資本提携、合併交渉まで進めたが、フランス政府の専横が、ボルボの離脱を招いた。

この原因は、フランス政府の企業活動への専横だったと言われる。

ボルボとの合併が失敗しても財政的に苦しかったためかフランス政府は、ルノーの株を売ることで利益を得ることを選んで、ルノ―の民営化に

手を貸したことになっているが、現在も20%の株を所有している。

ごくごく最近、また、法律を改正して、国の議決権を、大幅に認める姑息な手段で現在もルノーを管理監督している。

閑話休題

前置きが長くなった。

約20%しか株を持っていないフランス政府は、国内法で、議決権を40%持っていることになっている。

これのお陰と云うか、それ以前から、ルノーは民営化していると云いながら、フランス政府のコントロールを受け続けている。

ルノーは、拡大路線をとりつつも、其の内容と云うか、その計画方針は、毎年フランス政府に提出している。

また長期計画もすべて提出している。

悪く言えば、ルノーは、フランス政府の先兵という見方もできる。

蛇足であるが(蛇足が多くてすいません)、「天国に一番近い島」と云いう本で日本に一躍有名になった、ニューカレドニァを含めて南太平洋は、フランスの領土がいまだにある。ムルロア環礁は、戦後延々と核実験場であった。

フランスが核実験を、ムルロア環礁で行うたびに、オーストラリア、ニュージーランドで、ルノーが売れなくなるという現象を引き起こした。
これは、ルノーイコール、フランス政府の先兵という感覚があるはずである。

で、ここから本題である。

ルノーは、日産自動車、三菱自動車に対して、年間計画を出せと云ってきた。

でも、それは、経理上、子会社への企業統治という観点から見れば至極当然である。

ルノーにとって、日産は、大きいけれど、子会社で、収益源である

収益源が、親会社への利益相反行為を行う事は監視しなければならない。

要求するのは、当たり前である。

しかし、日産も三菱自動車も嫌だという。

理由は、推して知るべしである。

三菱は、子会社の子会社である、三菱が、日産の草刈り場である以上、ルノ―としては監視したいと云うのは良く判る。

草刈場の経営状態を把握できないのであれば、ルノ―は年間計画が立たないだろう。

だって収益の、何十パーセント化を、上納する会社である。

日産も、三菱も手の打ちを見せたくないのは良く判る。

だがいつまで続くかな?と云う気がする。

日産は、自己の権利を守るために、拒否権めいた権利を発動するかもしれない。

自社に不利な決定と主張すれば主張できるかもしれない。

だがどうだろう、コロナがなくとも販売は激減、新車の買い替え需要さえない。

アメリカでのインセインテイブ販売はいまだに止められず、赤字の原因となっている。

ルノ―としては、赤字では、自分への実入りがないので、黒字であってほしいと考えるのは当然ではないだろうか?

そうして、赤字の原因をつぶすためには、どのような対策を立てるべきなのか・・・という事を考えたいと考えるのは当然であろう。

コロナがなくとも、どのみち赤字だったのである。

インチキ臭い感じは漂っていたが、とりあえず黒字だった。

だが、2019年度は途中からと云うか第二四半期から暗雲が垂れ込めていた。

第三四半期で、無配決定

第四四半期は目をお云いたくなるような状況であろう。

そう考えれば、株主としては、資料を出せと云うのは当然だと思うが?いかかであろう?

つづく

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/05/post-5b388b.html

(20200509初出、20200510 大幅、加筆訂正)

 

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なぜか、テレビを見ることがあると、落胆したくなる。

実家で、親とまったりとお茶を喫していると、テレビが付いているので久方ぶりに見ると何となくむなしくなる。

コロナのPCR検査数に固執、コロナ患者の累計、コロナ原因の死亡者ばかりを報道している気がする。

現場の医者から欲しいのは、PCR検査を増やしてほしいとう発言のみ。

医師からそのような発言が取れなくなると、編集をする。

これはもう報道ではない.

報道ではなければ、何か、自己の主義主張の発表の場になっている。

昔からイメージ戦略をとり、政権への悪意だけを植え込む報道をしてきた。

これは、単なる政治宣伝(プロバカンダ)である。

何が目的なのか良く判らない。

某半島国家に頭を下げて教えてもらえという趣旨と感じるのは、うがった見方だろうか?

よくいるバカ、一般の市井の人が、外国を見習えという。

何を基準に見習えと云うのか良く判らない。

独逸にしてと韓国にしても見習う点があるのかどうは良く判らない。

独逸の日ごろの公衆衛生、公衆衛生上の習慣、医療体制、医療制度、保険制度、検査代と日本を比較してからの発言ではない。

PCRの検査数が少ないというが、どのような観点で少ないと云っているのか?

独逸、韓国のPCR検査方法が、日本と同じなのか?

PCR検査技師個人の技量に架かっている面もある。

検査技師の資格の、問題ものある。

検査キットの供給体制、在庫の有無。

検査機関の数、検査可能な技術を持った者の人数。

そう云ったものをすべて加味して発言しているのか非常に微妙である。

単位数を比較ているのな、統計という数字を、悪く言えばこねくりまわしているだけである。

独逸韓国のPCR検査が多いことが善と云うのであれば、検査結果、治療で生存できた人数は激増して、死者数は激減したのなら奴らの言い分の聞く気になるかもしれない。

検査数が増えて、完治者が増えて、死者が減るという図式があれば非常にわかりやすい。

だって、感染が判って、治療方法把握率されていないにもかかわらず、治療できて(と云うか人工心呼吸器と自己免疫で治った?)、死者が減るのは、検査のお陰となる。

しかし、現実的には、検査をして、陽性でした。

重篤化しなければ、自宅でどうぞである。

検査のし過ぎは、現場を披露させる。

通常の業もの2倍以上の仕事をしていたら医療現場は崩壊するの目に見えている。

(コロナ関係の業務、医療ではないが、通常のルーチンな業務ではない・・・に、一日従事するとると、正直言ってくたくたである。

 特例法関係の資料はあとからくる、国会審議は、どうでもいいような質問で遅れる、電話は来る、関係ないとも言えないので取る、

 話を聞く、役所なので、全部記録を残す・・・一人頭、一日6件から8件ぐらいが限度である。

 半部体制なので、3~4人で従事

 一日20から30件ほどの電話、面接対応しかできない)

野党系の方々、マスコミがやたらと検査数を伸ばせという事は、やらなくてもいいような事と判断すべきではないかとも思う。

彼らが主張するという事は、彼らに利すること、つまり社会不安を巻き起こしたいという、悪党的な発想があるからである。

日本の検査数が伸びない理由は単純である。

検査前に、病状を見て検査が必要かどうか判断して居るからに他ならない。

何でもかんでも検査をすればという意見を云うのは、ものすごく頭が悪いか、現実を知らない、事実状況を見ていない者とと云って差しさわりがないと思う、つまり、単なるバカと蔑んでいいような存在という事になる。

またこの手の馬鹿の意見を、珍重してニュースに載せる多い。

ヤフーニュースなどはその手尾売れない芸人や、終わった一発屋政治家の意見を載せている。

PCR検査で人員が取られることで医療崩壊を防ごう皆が努力しているのに、検査を増やせと云い続けるのは、早晩医療崩壊を起こさせたくてそのような発言をしていいるとしか書思えない。

彼らの意図するのは、社会不安の増大である。

彼らはマスコミは、自由主義社会を謳歌しながら、ファシスト的な政体を望んでいる。

今回の給付金の問題にしても、マイナンバーカードと預金口座が1個でも繋がっていれば、住民基本台帳にの言っている者、マイナンバーカードを交付を受けている者の全員分を、振り込む手続きがすぐにでもできた世界である。

マイナンバーカードと預金口座の接続を非難したのは、野党の連中であるが、これは、憶測の域を出ないが、マイナンバーカードで預金がつながると困る人たちが沢山いる。

表にできない口座預金を持っている人間。

実在しないけれど口座がある人

人に言えない入金がある人

外国からの献金をもらっている

活動資金の原資を明らかにできない人たち。

収入が、怪しい人たちにとって、マイナンバーカードも、預金口座の接合は、実際、困ることという事になる。

だからこそ、反対したのである。

反対したのは、野党である。

自出の怪しい議員は、入金を明かせない、金員があるのかもしれない。

政治家が、外国(外国人)から金をもらう事は違法である。

これは、売国奴がいるという理由である。

自信の私利私欲に走るような者が政治家に何ってほしくはないが、現に、外国(外国人)から金をもらって平気な議員がいる。

公職選挙法と云われると、開き直って、外国人だとは思わなかったという云い訳を開陳する。

野党の議員のこうした売国奴的の行為は、マスコミは報道しない。

それ政権与党の者が行えば鬼の首でもと取った様に政治宣伝を行う。

こうしたマスコミの一方的な報道は、国民生活の長期的な破壊をもくろんでいると云える。

このコロナ騒ぎで、感染者数、検査数、一部の陽性、陰性の報道しかしない。

これは、政治宣伝のテロレベルの報道と云える。

外国で、日本の都市のロックアウトをせずに、感染者を抑え込んでいる姿を評価さえ薄れ批判するのは、ただの一国である。

それをまるで、世界中が日本の医療体制を批判して様に報道しかしないは、批判している国から金でも貰つているのではないかと思う。

日本は、世界でも稀有なほぼ完全に近いような国民皆保険の国である。

盲腸1回100万円の国では、市販薬がもてはやされる。

友人は、米国滞在中に、それこそ盲腸になり、手術をしたら自己負担を覗いて100万円以上の代金を請求されたという。

(会社で、医療保険に入っていたので、免責の金額数十万円を払って、残額は、医療保険から払ってもらたという。)

そんな、医療制度が低レベル(医療技術が低レベルと云っていない)な国のパンデミックと、日本の感染拡大の意味合いは違うと思うのであるが、単に、患者数、PCR検査数でしかし比較をしない報道をしているのは、やはり害悪の垂れ流しと判断すべきである。

つまり社会の混乱を惹起するだけの存在という事を考えた場合、テレビ放送は、現時点では、百害あって一利なしと判断すべきだろう。

20200509初出

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知らないことが沢山ある・・・だが、わが國を誇りに思う。

戦前の電気自動車を調べている時に、デンカ号と云うのに出会ったことがある。

大阪のメーカーと聞いでちょっと驚いたことがある。

この驚きは単なる勘違いである。

大阪イコール商人の町と云うイメージが先行している

江戸時代のイメージをそのまま持っていたという体たらくである。

思い起こせば

大阪砲兵工廠がある

GMの工場がある

久保田鉄工所がある

ダット製造がある・・・

スミスモーター付き自転車が隆盛を極めたのは、大阪である。

で、調べてみると、上野政次郎さんの日本電気自動車という会社にぶち当たった。

戦後、トヨタ自動車工業から出向者がいるほどの、電気自動車の泰斗?だったようである。

日本電装(刈谷電装、旧トヨタ自動車、電装部門)が、自作したと称している「デンソー号」の資料を調べてるときに、トヨタと日本電気自動車の関係に気が付いた。

(日本電気自動車は、上野氏の風雪70年によれば、戦後自然消滅してしまったと書いてあるが、商業登記簿を調べていないのでその長逝は不明である。)

前にも書いたのだが、この上野政次郎さんは、若い頃の実額を志して、兄とは違い、実業の道を進んという人である。

こういった、学術を志すよりも実業で金儲けをしてそれを社会に還元するというこうした人は、昔から多かったと思う。

社会貢献を忘れないという姿勢である。

これは、日本人の美徳でもある「労働は尊い」という考え方に由来すると思う。

欧米人、一部の東洋人の思想は、労働は苦役という考えある。

キリスト教、儒教的な思想の表れである。

神から与えられた苦役としての労働という考えである。

(キリスト教と儒教では多少違うが、基本的には民百姓(たみひゃくしょう)は、労役にいそしみ、それ以外の者(貴族、宗教関係者)はそれらの上がりの上前を撥ねるという事が良いとされる。

東洋で最低の国があった、そこには、自称貴族階級と称する階層と、労働をす民百姓の階層に分かれており、貴族と称する階層が、民百姓よりも数が多いという不思議な国だった。

彼らは、「労働は、尊い」という考えはない

また、易姓革命を常套とした国では、現在は、共産主義が国を支配しているが、ここには、ロシア革命当時と同じように、共産主義を、政敵を倒すための道具として使った。

表面上は、共産主義を標榜していたし、現に、最初の頃は、ソ連邦の共産主義をまねていた。

実際は、共産主義を権力闘争に使って、周囲を貶めることで、自分たちの地位の向上を図るとういう図式を採用していた。

自分たちよりも優れた人材を排除することで、自分がその集団中に特異な地位を築くというのは、結局、母集団の能力を下げる事になる。

開放政策は、徐々に、共産主義的色彩よりも儒教的な色彩の濃い体制を構築することになる。

こうした体制下、清朝時代と変わらないような、搾取される側と、搾取する側への分離が始まり、現在では、最低限度のお約束であった任期を無視し、最高位の地位への居座りが始まった。

これは、任期後、排除、監視下に置かれて、軟禁、暗殺から逃れるためとも云える。

共産主義と云いながら、帝国主義的な色彩を強めることは致し方のないことかもしれない。)

そうした、西洋思想の根本をなす、宗教的色彩から離れた極東の果ての国の住民は、営々と独自の文明を謳歌している。

世界中を探しても全くの同一性の有しない孤高の文明であることを誇りに思いたい。

そうして、独自の発展を遂げた日本人は、「労働は尊い」という思想を基本的に持っている。

それは、小中学校で育まれる知育の結果かもしれない。

江戸時代から続く、教育熱心さに由来するかもしれない。

基本的に、識字率が高かった。

考えてみれば、社会主義、共産主義ファシストの諸君の主張する時代への視点は、常に、思想に歴史を従属させる姿勢が強い。

思想は歴史に従属するものである。

彼れらは、自分たちの思想に、歴史的事実を無視して、創造する。

彼らは云う、労働は苦役であると。

江戸時代は、武士以外は、文字も知らず、低い識字率で、知識も知恵もなく、搾取されていたという封建社会で、民百姓は搾取され、塗炭の苦しみを味わい続けていた。

だから、階級闘争をすべき権利を有するという飛躍した理論展開を遂げるのである。

だがどうだろう、江戸時代は文化の華(はな)開いた時代である。

彼らに問いたい。

浮世絵が、独自の発達を遂げ、根付、各種工芸品が進化したのは、一部の階級階層の人毛が保護したからであろうか?

応えは、否である。

多くの富裕な者もいれば、街行く町人の兄さんたちの支日常的な収入から捻出する「おあし」(お金)から捻出された結果存続発展できたのである。

ある意味金持ちの道楽と云うべき高級な浮世さえあった。

その浮世絵の顔料に、ベロ青という合成の顔料がある。

この青が導入されて色彩が各段に向上した。

また、雲母を載せて、キラキラと光る表面を作った。

これはアィディアを考えて出した者がいるという事である。

嫌々として仕事をする者にそのようなアイディアを提出する意思があるかという疑問は彼らは持たない。

なぜなら、都合の悪いことは無視するからである。

また、読み本があれほど売れ続け、貸本屋が隆盛を遂げ、商家の丁稚、御殿女中、でさえ本を読む。

俳諧などというグループができて、全国津々浦々、皆が俳句を詠む、風流を味わう、月も見て、きれいと感嘆する。

ハエだろうが、蛙だろうが、風流と感じ、歌に詠む人さえ出る。

相続争いで、判決を受け入れて、1軒の家を半分に分けて住むという荒業さえ行う。

歌舞伎を見る

農村歌舞伎さえある。

金毘羅さんある芝居小屋は、江戸時代のものという。

芝居を見る。

原作を読む。

近松門左衛門の原作の上方歌舞伎を見る。

原作を読む、西国を巡回する。

その情報は、江戸に伝わる

江戸でも対抗する、東西文化が交流する。

そうした交流から、さらに芸道の向上を図る

相手は、支配階級の武家ではなく民衆である。

大入り、大当たりをとれば興行がつづく、多くの人が評価をする。

団十郎がどうの、坂田藤十郎がどうの市井の人が評判を立て、歌舞伎役者の浮世絵が売れる。

今と変わらな様相である。

時間の流れが速くなっただけで、世の様相はそれほど変わらない。

そう考えると、共産主義ファシストの連中の主張する階級闘争の概念は、日本的な時代感と適合しないかという事になる。

日本のそうした状況を作り上げたのは、寺子屋をはじめとして、文字を読むことができる者が多かった。

丁稚は、手代番頭となり、のれん分けと称して、別家をして店を始める。

何時までも、下働きのママではないない。

徐々に地位は向上する。

向上させる原動力は何かと云えば、労働は、苦役ではなく、自身の生活を向上させる手段であるという思考であろうと思う。

基本的なもの考え方、行動を支えてきたのは、教育水準の高さである。

この教育システムは、馬鹿みたいに均質な社会構造を作ると云って批判する向きがあるが、安心して生活できる社会構造を作るという事は、締め付けて、特異なリーダーがいればできるという代物ではない。

ここ数年と云うか、もう10年以上も色んな事を調べる様になり、本業以外の趣味に重きを置くようになった。

ちまちまと、名古屋の航空機産業や自動車産業を調べるうちに、研究テーマの間口が広がった。

多くの事を知らないことが判った。

知らないことがあることを自分は認識している

昭和17年の小型自動車要覧で、デンカ号を知り。

日本電気自動車を知り、上野製薬という会社の存在を知った時に、なかなか素晴らしい会社のがあるものだと感心した次第である。

手が回りかねているので、調べ切れてはいなが、上野製薬さんには、デンカ号の資料がないか聞いてみたい気もする。

今では一台も残っていない車がを通していろいろなことを知ると云うのは楽しいものである。

例えば、豊田佐吉、豊田喜一郎、石田退三、服部兼三郎(カネカ服部商店、現興和の創業者)神谷正太郎、松下幸之助、上野政次郎(上野製薬創業者)(敬称略)と云った人たちは、私は、私淑すべき人たちと考えている。

経営の神様と云われた「松下幸之助」氏であるが、彼が尊敬していたのは「石田退三」氏である。

経営者を、良くの皮が突っ張ったという表現をする人が時としている。

従業員を、搾取してという人もいる。

経営者を、資本家と云って批判する人もいるが人、彼らが居なければ、今の日本はないのである。

そうすると、多くの先人に感謝せずにおられないのである。

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日産の役員のルノー役員への就任について(その2)

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/05/post-78f73f.html

つづき

しかし、現在の日産自動車の株を買う事は、倒産前の日本航空、三光汽船の株を買うのとそれほど大差はない。

つまり紙屑を買うよううなものという事と云っも過言ではないだろう。

クズ株をわざわざ買うかと云えばそんなことは無かろうと考えるのである。

それだったら、ルノーは、フランス政府が株主の会社である、日産株を買うよりも、まだ、マシという見方ができるかもしれない。

しかし、三菱自動車会長のプライドを考えての出資は、日産自動車の間接支配である。

今回の田川氏のルノー役員就任は、副社長クラスの就任ではないので、ルノーは、日産のCEOを直接的に支配できると考えているのではないか。

コロナの蔓延で、5月に発表予定の計画に変更があるべきであるが、現時点(5月6日)で、5月発表予定の中期的な計画を変更することはできないと考えるのが至当である。

日産自動車が、中期計画の発表を、数か月から半年なりの期間を延長するのであれば、コロナの影響を加味しての変更と受け取ることが可能である。

延期しないのであれば、世界的な影響のあるこの経済停滞を加味することを判断することさえできない、うらなりのあおびょうたの集団と考える。

社外取締役さえ、さえない付和雷同型で、CEO自身も、付和雷同型・・・・誰に付和雷同するのであろう?

まともな経営判断さえできない経営陣というレッテルを張ることが可能である。

悪く言えば、株価を上げる要因は、ルノーに完全に吸収合併されるしかに様な気もする。

投資先としての日産自動車の存在価値は、低下こそすれ上げる見込みがない。

2019年7月(ゴーン後)に、日産自動車は、23年までの中期計画で、全世界での1万2500人の人員削減、世界の生産台数を660万台に下げる計画を立てた。

これは、現実を直視して、ルノーアライアンスグループ内での発言権を大きくして、ゴーンのルノー支配を強化するためだけの生産規模の拡大路線を捨てたと言ことである。

ゴーン氏は、日産を足掛かりに、ルノーを支配する計画があったはずである。

現に、日産からルノ―への昇進を果たした。

しかし、日産からルノーの幹部、CEOへの道はない。

そうなれば、日産自動車としては、当然の様にゴーン路線を踏襲すべきではない。

2019年1月カルロスゴーンは逮捕された。

18年度の生産台数は577万台だった。

2019年7月の予想では、全世界の生産台数を660万台として、これを23年まで続けるという計画を立てた。

この計画が、画餅だったことは、2019年度の生産台数が、495万台まで落ち込んだことで証明されてしまった。

つまり、新経営陣の元、2019年度に販売台数が伸びるという予想を立てた目論見は最初から崩れた。

(この計画が最初から無理と云うのは、日産自動車は、2019年いわゆる新車が一台もなかった点でが最大の原因である。

新車がないというと点で、劇的に販売台数が増加する要因は皆無である。

新車がなければ買い替え需要は発生しないので、販売台数は前年比で、同率を維持するのがほぼ不可能で、低落すると踏むのが当然である。

しかし、増加を見越していたと云うのであれば、日本国内以外(中国、東南アジア)での伸長を見込んでいたという事かもしれない。

しかし、関氏を追い出した結果(かどうかは判然とはしない)が、中国の伸長も止まり、現実的な成長の手はなくなった。

昨年度の状況で云えば、2023年までの生産設備計画で、既に165万台もの生産設備が余剰となっている計算である。

2020年から2023年で、495万台(2019年度の年間生産台数以上)の生産設備余剰を抱えることになる。

165万台の生産設備を解消するためには、国内生産すべてを無くしてもいいような数字である。

国内の古い設備工場を廃棄して、最新のものを残す。

海外の設備は、ルノーと共用ラインを有する工場はルノーへ売却する。

三菱自動車へ移管できる生産設備は移管する。

(三菱自動車としては、パジェロ製造(岐阜県坂祝)への発注をどうするのかと云う気もするが、四輪駆動車の生産を任せている点から排除は難しい。

京都か、岡崎の設備の全廃も視野に入れるべきである。

考え方を変えれば、金食い虫の本社機能は、京都に移転、製造設計は岡崎にすべて移管して、機動性をあげなけれならないだろう。)

自動車は、生産設備の65%以上の稼働率がなければ、基本的には赤字の垂れ流しである。

コロナの被害で、三菱自動車、日産自動車は、それぞれ。3000億円、5000億円の融資枠を要請している。

三菱自動車は、ダイムラーに見捨てられ、燃費不正やらなんやらで、資金的な余剰は少ない。

(トヨタ自動車は、リーマーマンショック以降、社内留保を増やして、金融危機に備えてきている。多くの会社が、リーマンショックの金融危機を経て、社内留保を増加させてきた。

その社内留保を批判してきた、マスコミ、共産主義、社会主義ファシストは、この様な状況になった時に、多くの会社のへ資金を国供給できると踏んでの発言だったのか、検証すべきである。

三菱自動車は、常に倒産の危機があり、母体である金曜会の頼ってきた、燃費不正で、金曜会からも見放され、財務的に健全ではない日産が親会社となったことで、社内留保を蓄えるという行為自体ができなかった。)。

日産自動車の親会社である、ルノー自体も、販売台数の19%減少となって、50億ユーロほどの融資枠を求めている。

この状態で、三菱商事の役員会が、ルノーへの出資について最終的な結論を下せるのかと云う疑問がある。

要は、金曜会のの要会社、三菱重工でさえ業績悪化に苦しみ、三菱商事さえも業績が悪化しつつある現在、泥船のルノ―アライアンスグループ

を助けるという判断を下すのかという疑問である。

20200507

 

 

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ZEKE TYPE52 Leg storage partft) Owned by Mitsubishi aircraft (repair aircra)

Zero-type shipboard fighter type 52
Owned by Mitsubishi aircraft (repair aircraft)
Leg storage part
The painting of the storage is not green because of the end of the war. Also, since 1945, there is no application of an anticorrosive undercoat.
(Currently, this aircraft is stored in the museum of Mitsubishi Aircraft Oe Factory. Shooting is prohibited.)

零式艦上戦闘機52型
三菱航空機所有(修復機体)
脚収納庫部分
収納庫の塗装は大戦末期の為に青竹色ではない。また、昭和17年以降は、さび止めのアンダーコートの塗布もない
(現在この機体は、三菱航空機大江工場の資料館内に収蔵されている。撮影は禁止となっている。)

 

Dsc03303

Dsc03312

 

 

Dsc03318

Dsc03323

 

Dsc03325

 

 

Dsc03398

Dsc03399

Dsc03647

Dsc03649

Dsc03659

Dsc03663

Dsc03645 

All rights reserved

The competent court for copyright is the
Nagoya High Court.

無断転用禁止

著作権に関する管轄裁判所は、名古屋高等裁判所とする。

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Zeke LEG PART(the museum of Mitsubishi Aircraft OOE Factory.)

ZeKe( type 52)
Owned by Mitsubishi aircraft (repair aircraft)
「Leg part」

There is no change in appearance from the initial type to the final type of the zero fight leg

(Currently, this aircraft is stored in the museum of Mitsubishi Aircraft OOE Factory.
Shooting is prohibited.)

 

零式艦上戦闘機52型
三菱航空機所有(修復機体)
脚部分
(現在この機体は、三菱航空機大江工場の資料館内に収蔵されている。撮影は禁止となっている。)

 

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日産の役員のルノー役員への就任について(その1)

日産の専務執行役員が、ルノーの役員に就任予定という報道があった。

前日産のCOOの山内康裕の代わりでの就任という事である。

この就任は単なる数合わせ的な側面が大きいと思われる。

前任は、COOだった山内氏、今回の田川丈二氏は、専務執行役員(2020年 4月 同社

チーフ サステナビリティ オフィサー、グローバル渉外、環境/CSR、IPプロモーション、コーポレートサービス、IR部担当)である。

しかも経理畑が長い。

山内氏は、現在の内田CEOの直属の元上司である。

山内元COO、内田CEOともに出身系統は購買部出身である。

つまり、田川氏は、内田氏の直系でないとみることができる。

山内氏と田川氏を、比較をすると、随分と軽い人が就任するという見方ができる。

(日産の役員の写真を見て思ったことは、なんという貧相な顔と云う気がする(個人的な私感)

 田川氏の写真を見て最初に思ったのは、ジジイ臭風貌である。

 公式の写真がじじむさい・・・もう少し、マシな写真がないのかと思う。

 痩せて、白髪の鼻髭顎髭を見ると、非常に貧相な感じを受ける。)

ルノーとやり合うような雰囲気はない(思いっきり、私的な感想である。)。

現在の内田CEOも、自主判断のできない人という話がある。

ルノーの意向で、関氏(日本電産に転職)が外されて、内田氏が就任して居るが、まぁ最初から時代がったセリフを吐いているので、今期2019年3月期の決算で、自分で退任するかなと云う気もするが、そんな度胸はないだろう。

と云うか、後任がいない。

下馬評では、CEO人はなれなかった人が蓋を開けたらCEOになった人である。

日産のCEOを決定した経緯は、日産の社内では、関氏が最有力候補であった。しかし、指名委員会委員長の豊田正和氏(筆頭独立社外取締役、元経済産業審議官)と木村康氏(社外取締役で日産取締役会議長JXTGホールディングス相談役)の両名の決断をしたと言われる。両名の特質は、先頭に立って仕事をするのではなく、常に、力の強い右に付く、付和雷同的に周囲を調整する、風見鶏的な者であるという事である。

この調整役的な者が、関氏を外したという時点で、日産は、ルノーの傘下で復活を期する方針となった。
西川君の選択した、ルノー主導のアライアンアスからの離脱、もしくは、あわよくば、ルノーを配下において、アライアンスのトップに立つという計画が見事に崩壊した瞬間でもあった。

関氏は、中国のビジネスが長かったという事で、交渉力に優れているという見方をしている向きもあるが、実際のところは判らないが、日産社内では、一時期はCEO就任の憶測が流れて、さぁと思ったが、日産社内の意見は黙殺された。

そうして、日本電産に再就職が、自分が、CEOになれなかったからという心境が原因かどうかという内心の点はうかがい知れないが、日産と云う会社を見限ったという点では評価できると思う。

指名委員会委員長の豊田正和氏(2018年就任)と木村康氏(2019年就任)を選んだ経緯は判らないが、御しやすい付和雷同的な者という事で選んだのであれば、CEOの指名をする委員としての権力を持たせたこと自体が間違いだったという事になる。

日産は、浅原源七氏(三代目)以来、カスのような社長しか就任せず、会社の人事、方針が、組合幹部と会社の取締役会癒着による情実人事がまかり通った時代と変わりがない。

本来的には、販売という点では、片山豊氏は、日産の社長に就任して当然の人であった(車作りという点では、安きに流れる方針を取ったのでその点は評価しない。)。

だが、ならなかった。

丁度、日産は、程よい時に間違った人事的選択を選び続けている気がする。

その時々の選択をした役員を選んだのは、それよりも前の時に彼らを選んだ者の意図が働いている。

その点を考えると、現在のCEOを選んだことは、日産の負の遺産の連鎖が、社内から、社外役員人事におよび、そのまま跳ね返ってきたと云いう事である。

今回の、ルノ―の人事を見て思ったことは、ルノーから見れば日産は草刈り場と云う地位に変化はなく、アライアンスか強化され、日産が取り込まれる方針が高くなったとみるべきではないかと思う。

三菱商事のルノーへの出資が実際の行われるのであれば、アライアンスの中では、日産の地位が低下して、三菱自動車の地位(日産と同列扱い)になる可能性が高いと踏んでいた。

しかし、今回のコロナ騒ぎで、車の需要の消滅、回復時期の不明さから、日産は世界的な設備の余剰がより鮮明になってしまった。

ダットサンブランドは、消滅し、東南アジアに投資した工場は軒並み生産停止となる。

空いた工場を、三菱自動車に押し付ける計画があったが、コロナの惨禍で、三菱自動車、日産自動車の東南アジアの生産、販売状況が改善するとも思われないので、現実的には難しいだろう。

日産は、三菱自動車を草刈り場にしたい。

しかし、三菱自動車の会長としては、三菱商事の出身社としては、日産のような会社の専横を許したくない。

そこで、三菱商事に泣きついて、ルノーへの出資、三菱の地位向上という事のだろうけれど、アライアンスの中で、ただの三竦みを作り出すだけで、何も決まらない、何も決められない、何の利益もない状況を作り出すだけである。

三菱自動車の会長としては、天下の三菱(三菱自動車ではない)が、日産自動車の傘下にあると云うのは許しがたいという感情があるのかもしれない。

本来的には、三菱商事は、日産自動車の株を買い取る。

三菱商事が、日産を支配して、三菱自動車会長のプライドを、回復させると云う手段が取りやすいと云えば取りやすい。

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/05/post-7a5eff.html つづく

20200506初出

 

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疫病神

コロナで、ステイホーム

毎日コロナデブ対策で、運動中であるが、街中に車がものすごく少ない

その代わりではないが、路上を渡るバカが多い

ついでに、スマホ運転の馬鹿がいる。

なぜか2日間で、いわゆるハコスカのGTRとGTR風(たぶん)の2台を見かけた。

本物は、意外とエンジン音は静かである。

偽物はエンジン音が悪い

お友だちの家にあったハコスカのGTRは、エンジン音がたいへん静かだった。

ヨタのエンジン音、オリジナルのものは妙に静かである。

オリジナルおエンジンをオーバーホールするとなぜか音がうるさい・・・何が違うのか知らんと思うが、組の違いなんだろうと思う。

さてさて、皆さんお暇なようで、このブログに今日は、400ぺージ近くを参照されている方々がお見えになります(笑)とはいえ、航空機の資料関係の参照が異様に多い。

ゼロ戦と、飛燕は永遠の興味深いテーマなのかもしれない。

まぁ、コロナで全世界的にSTAY HOMEであることに変りはない。

最近、疫病が蔓延しているせいか、新聞はやたらと疫病の特集を組んでいるが、内容は貧困である。

過去の流行の話を書いているところが多いけれど、幕末のコロリの伝搬は確たる証拠はない。

また、スペイン風邪にお原因は、第一次世界大戦の兵士の感染で、欧州から米国に伝搬とは良く聴く話である。

では、スペインが発症の地かと云えばそうでもない。

大体の新聞は、欧州で発症、世界に伝搬と云う風に書いている。

一説では、第一次世界大戦時に、中国苦力(くーりー:建設労働者)が大量に押収に渡り、それらの者が当時の支那から伝搬させたという説もあるが、新聞社はいずれも、大陸に忖度しているので、その根本的原因は記さない。

これは、報道機関の自殺である。

良く、第二次大戦前の独裁(主に独逸第三帝国)を、批判することは、是。

ソビエト連邦共和国の独裁は非難しない。

現在の、一党独裁体制、独裁体制に近い、大陸、半島の指導者は否定しない。

そのくせ、民主的に選ばれた我が国の首相を、独裁と非難する。

云い方が悪いが、日本の首相の権限などたかが知れている。

戦前の天皇には、実質的な権限は無く美濃博士の唱える「天皇機関説」は全くの間違いで出でないことが判る。

つまり、天皇と云存在は、平安朝以来、持って居るのは、「天皇という権威の基づく任命権しかない」(かなりの暴論)である。

江戸時代、内裏は寂れて、塀が壊れていても、「天子さん」と親しまれたのはなぜか。

江戸幕府が最後に頼った権威は、実効力のない「政治政体」である「朝廷」である。

なぜ、南朝が敗れたのか?

南朝は、権威ではなく、実力としての「朝廷」望んだ、政権を取った。

と云うか取らしてもらった。

しかし、政権を取ったが、実力はない。

政治ごっこはできたが、実際の、政治(まつり)ごとはできなくなった)。

天皇地位は、祭祀の長である。

祭祀とは、まつりである

政治の事を、まつり事と主張するのは、「祭祀=まつり=政治」だからである。

天皇の政体としての朝廷は、平安時代から、宗教である「まつり」と政治は藤原氏を中心とする政治屋に任せたてきたといえる。

後醍醐天皇は、宗教=政治の古い政体に戻すことを画策したができなかった。

出来なかったと云うか、出来るわけがなかったのである。

それは、朝廷(’南朝でも北朝でも)には、官僚が居なかったからである。

官僚は、自出に頼るものではない。

貴族は、自出しか頼るものがないのである。

つまり、江戸時代には、有能な家臣団が形成されれば、バカ殿は、家臣団によってすげ替えらえる可能性を秘めていた。

これは、〇〇家(●〇藩)を維持するための手段であった。

そうして、その最終的な権威(江戸幕府の許可がいるとしても)は、朝廷がもっていた。

だが実力はない、と云うか皆無であった。

実力のない朝廷を担ぎ出したのは、幕府と討幕派の両集団であった。

彼らが避けたのは、「朝敵」である。

それは、日本の最終的な権威に敵対することは、住むところがはなくなるぐらいの脅威であった。

瓦解後(幕臣から明治維新は見れば、瓦解と称する)、皆が朝廷に従うふりをしたが、実際は、御旗を利用して、近代化を進めただけである。

「龍顔」、明治大帝の顔を見ることを「龍顔を拝する」と称したが、明治天皇は、維新の功労者の一員でもあるから尊重された。

大正、昭和天皇は、特に軍部から軽く見られた。

226事件の時も、反乱を認諾すると踏んでいたが反対されたので、陸軍の連中は狼狽えたのである。

最後の困ったときの神(天皇)頼みの最高の例が。終戦の詔と、マッカーサーの訪問であった。

陸軍も海軍も止めたくても止められない。

国民は、戦争に負けたと納得していない。

昭和天皇は、止める決断をして、マッカーサーと並んだ写真を撮ることで、国民に敗戦を認めさせたと云える。

昭和天皇の意思表示は少ない。

米国の研究家悪意を持って謀略家と批判する。

しかし、多くの皇族が、戦地の情報を収集し、昭和天皇自身が、米軍の短波放送に聞き耳を立てて、大本営の嘘の報告を看破していた。

その姿は、孤独である。

その昔、近衛師団の人が、夜半「お上が、夜、一人散歩している姿をよく見た」と語っていた。

懊悩はいかばかりかと思う。

「君臨すれども統治せず」その者には、責任はない。

そう思えば、現在の首相の権限などたかが知れていいる。

権限のない者に、権限をさも持っているのになぜ処理をしないと云うのは、極めて悪意のある報道と云える。

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ブログを書くという事(その2)

前にも、どっかの馬鹿が、号ロ試作車は、昭和39年から作っていたというデマを流している人がいた。

以下の記述は、トヨタ、関東自工が公式に認めている開発の経緯である。

量産タイプの初号車(第3号車、量産試作事実上の1号車)は、39年3月に完成。

当初の車重は588キロ、(計画では550キロ)

テスト結果、車体剛性が弱いと判明

39年6月の会議で、生産会社は、関東自動車工業に決定

6月の生産会議で、40年3月1日ラインオフが決定

月産100台の計画が立てらえた。

ねじり、曲げ剛性が悪く、屋根を取ると顕著となることが判明。

量産タイプ7号試作車を剛性向上の改良型とした。

改良点は、フロントピラーの間に直径20mmのパイプでつなぐこと、フロントピラーとロッカー部分接合部が強化された。

その代わり重量増加は避けられず、思いきった対策が取れる事となった。

対策としては、アルミ合金をフード、ラゲッジ、シートクッションパネルがリストアップされた、この交換で、20キロの軽減ができた。

また燃料タンクの容量を40リットルから30リットルに下げ、リアウインドウをアクリルの替えた。

フードは、1.2mm、ラゲージ1.2mm、ルーフ1.6mm、シートクッションパネル1.6mm、バンパーフェース2.0mm、バンパーステー3.0mm クラブブボックス0.8mm

本来は、号ロ試作車は、39年中に完成させる予定であった。

鈴鹿のレースに出る予定が組まれた。

レー主参加資格が、レース前2か月前で、100台の販売実績が必要であった、当初、ラインオフが、3月1日に早められたが、トヨタ自動車工業でエンジンユニットの供給が遅れて、40年1月から号ロ試作車の製作開始、、同月号ロ試作車の完成となった。

運輸省への届け出で、車名が「トヨタスポーツ800」最高時速155キロ、車重580キロと届け出がなされた。

3月ロ号試作車が、矢田部に持ち込まれた

この時の車重は596キロ

3月から生産が始まり、3月27日に量産1号車がラインオフした。

A145時代の車重は612キロ

二次試作時550キロ

公称値 580キロであった。

 号ロ試作は、39年からだったと記憶している人がいるとうのが根拠である。

 決算書に載っていたという事は聞いたので、それは、昭和39年度(39年4月から40年3月期)の決算ならの39年度の試作で間違いはない。

昭和40年1月1日から昭和40年3月31日までは、39年度の決算期だからである。

決算期の事も知らないで、昭和39年の決算書にと云った人の頭の中には、「39年の決算」=(イコール)「昭和39年1月1日から昭和39年12月31日まで」と考えた可能性が非常に高い、だがこれは、決算期をを知らない、つまり経理を知らない人という事が読みとれる。

技術屋であっても幹部職員(課長級以上)になれば、否応なく、決算期は気にしなければならない存在となるから、39年中に試作を開発したという発言をした人は、それ以下の地位の人という想像もできる。

つまりは、論文やら仕事上の報告書を書くときには、結構多角的な見方をしなければ書けないのである。

そう思いながら書いているのだが、書いている時の気分は、いつも、「蟷螂の斧である」。

「蟷螂の斧」非常に好きな言葉である。

虫同士の戦いならば有効である。

対捕食者には無力である、人間に対してお無力である。

そんな無力感のある気分で書いている。

無力感が漂いながら、せっせと書いているが、ほとんど備忘的である。

例えば、文学的な部分としては、三島由紀夫の変節は、何時だったのだろうと思う事がある。

花ざかりの森を書いていた三島由紀夫と、金閣寺を書いているときの三島は物の見方が違う。

豊饒の海四部作を書いているときの三島の人生への立ち位置は明らかに相違している

三島の作品の大半は、通俗的な当時の小説である。

今読むと、現在的な部分で、あれ?と思う事がたくさんある。

だが、当時、例えば昭和20年代の感覚では間違いではないという事も知っている。

今の目で見ればあり得ない反応という事が多々ある。

しかし、憎悪の感情を巻き起こしたり、自省の念を深めるための時間と云う点では必要な時間の経過という事もある。

時代性を背負って読むことは大切だと思っている。

江戸川乱歩氏、横溝正史氏の「探偵小説」(推理小説ではない)は、戦前の空気、戦後昭和50年までぐらいの空気を背景に持って読まなければ読めたものではない。

大藪春彦氏の初期の作品は昭和30年代から40年代の小説に、「ヒルマン」なんて車名が出てくる。

中学の頃既に街中にはヒルマンなんて一台も走っていなかった。

そこで親に聞くと、「昔あったなぁ」であったが、全然想像ができなかった。

後年、ヒルマンの乗せてもらうと、鈍重な車と云う感じがして、小説の描写にようやく理解を示すことができたこともある。

 自分がこうして、多大な時間を浪費するように文章を書くことは何の利益があるのか?

 実利(金銭)的なものは何も得ていない。

 けれども、精神的な安定を得る手段となっている。

 文章を書くという事は、文字を綴(つず)るという事は、「心境の吐露」である。

漱石夏目金之助は、「吾輩は猫である」を書くことで、精神の安定を得た。

自分も似た様なものであると思っている。

書くという行為(現在は打ち込むと云った方がいいかもしれない)は、結構な重労働である。

昔、文章が書けるからいいねと云われたことがある。

この怨嗟に満ちた文章が面白いと云ってくれる人もいる。

最近は、よくあれだけの量を書くねともいわれるが、興が乗れば速い。

小説めいたものを書くときは、興に乗ればあっという間に書ける。

変に悩んで書くよりもこんな話と決めてかかると非常に早く書ける。

大体、情景を考えながら、と云うか、思い出しながら書くと、すんなりと風景が書ける。

そうして、道を歩く様に文書を書いていくのである。

作家先生が、夏目漱石氏が言うところ、インスピレーションという名の発狂がなければ芸術が生み出せないというジレンマがあるのであれば、ある意味あたっているかもしれない。

情景を活写できないときは、筆が乗らない証拠であるが、自分の語彙の少なさに戦慄することさえある。

語彙、と云うか、丁度当てはまる言葉が足りない。

その点、三島由紀夫氏は、上手いと云うか、良くこれだけの言葉を紡ぐことができると思う。

全体のリズムもよい。

音読したくなる感性である。

 自分の口語調をそのまま文章化すると、読み難いと云うか、取り回しが、読みにくいと感じることが多々ある。

翌日読み返して直すことが多い。

ただ、直して居ると、漱石先生の言うところのインスピレーションという名の発狂が起こって、再び加筆なんてことは多々ある。

最近は、読んでもらっていいるという事の感謝している。

 

 20200505記す

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ブログを書くという事(その1)

このブログで、いつもデーターの確認をすると、

エヌ・アール・アイ・セキュアテクノロジーズ、という会社のPCから閲覧している人がいる。土日を除いた、ほぼ毎日何を見ているんだろうと思うのだが・・・・。

4月30日が最後なので、連休に入ったねと想像はできる(笑)

この会社のHPによると、野村総合研究所の関連法人らしい。

「会社概要

NRIセキュアテクノロジーズは、野村総合研究所の情報セキュリティ専門企業です。

国内外の関連資格を取得し、世界レベルでの研さんに励んできたスペシャリストたちが、真に役立つ高品質で的確なサービスをお客様に提供します。」と書いてあった。

定期的に読みに来る意味が分からない。

野村総合研究所の関連会社の人が何用あって読むのかという疑問がある。

出来れば、その理由を知りたいものである。

最近の閲覧で一番の謎は「PricewaterhouseCoopers」会計事務所らしいが・・・

これは、ウイッキによれば「ロンドンを本拠地とし、世界158カ国に180,000人のスタッフを擁する世界最大級のプロフェッショナルサービスファームである。デロイト トウシュ トーマツ、KPMG、アーンスト・アンド・ヤング(EY)と並び、世界4大会計事務所・総合コンサルティングファーム(Big 4)の一角を占める。対象業務として会計監査、ディールアドバイザリー、ビジネスコンサルティング、税務、法務などを総合的に手掛けている。」と書いてある。

なんの検索できたのか謎である。

定期的に読みに来ているのが、「関東自動車工業」「マツダ」、「トヨタ自動車」である。

一時期「日産自動車」は毎日のように来ていた。

誰が読んでいるのか謎である。

書いている方(私)は、思いつくまま、気の向くまま書いている。

あんまり意味はない。

文章を書いて、時々、文章を世の中に投げつけている感覚がある。

投げつけてはいるが、回答はほぼ無い。

ふと、「誰に向けて書いているのか?」という事を自問自答していたりする。

すると「誰かに向けて書いているわけではない」と、自分はで回答している。

時々、反応があると嬉しいものである。

苦情めいた事を云われても困るのだが、自分で一生賢明調べてる人ならばいざ知らず、誰誰さんのブログには〇〇と書いてあると云うのが一番困る。

私は、出典は、論文を書いているわけではないので、基本的には書かない。

自分がものすごく苦労して、金と時間をかけて探した資料を、出典とともにポンと記載する気はない。

論文書く時用に別記して居る。

以前、研究学会に入会して程なくして、ある研究会発表会の時に、大先輩諸氏の一人が、私のブログを打ち出していて、「なかなかよく研究している人がいるんですよ」と云ってもらえた時には妙にうれしかった。

大先輩でありながら、先輩の方から、お友達だよねと云われると中々うれしいものである。

ある人が、インターネット上の論争には乗るべきではないと書いているのを、読んだかことがある。

確かに、向こうは偽名で、打ち負かしたいだけである。

友人連中は、「誰だ、あいつ」となった。

IPが読めるのである程度の特定はできるんですけどね。

生憎と、突き止める気もない。

簡単に書いたことで噛みつかれたので、ちょっと驚いたが、世の中の大半の人の見識を代弁しただけだけであるが、酷く怒られた。

いまさら何についてと書く気もないけれど、自動車雑誌の各記事がいい加減で、読んでる読者もいい加減で、さも本の様に各課から困るのである。

古い車の雑誌(最近、一切買っていないので存在しているのかどうかは知りもしない)で、本当の開発者は…と云うのが多い事、多い事(20年前の感想、今どんな連載をしているのか知らない。)。

量産される自動車は、自動車会社が、設計、デザイナーのグループ(外注会社の設計チーム、デザイナーも含む)が参加して作るものである。

だれか個人が、作るわけではない、と云うか作れるわけではない。

ある車は、設計が進んで、一つクリアできないことがあった。

それは重量である。

外皮応力を使った、モノコックボデイを採用した。

完全なオープンではなくてタルガトップにしたことで、単なるオープンよりはボデイの強度は上がった。

板厚を0.8㎜として全体の重量を下げる努力をしたが、どうしても規定値に届かない。

そこで、苦肉の策として、アルミニュウムを使う事になった。

ボンネット、ルーフ、トランクへの採用である。

最初からアルミを使う前提では開発計画は出されていなかった。

軽量化を目的として、アルミを導入しただけである。

関東自動車工業の内部資料にはその様にちゃんと書いてある。

これは公表されている事実であるが、いろんな本には、アルミを最初から使う事が決まっていたという書きぶりをしているものが多い。

こういったことを、ちまちまと発掘していくのは、実は楽しいことである。

つづく

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STAY Homeで、お掃除・・

コロナウイルスで「STAY HOME」
なぜか、お掃除モードである。
かたずけているつもりであるが、なかなか進まない。
古い漫画が出てくる、読む…すすまない・・
1997年ぐらいの漫画を読むと、CDではなくて基本的にはまだカセットテープが多いことが判る。
また、電話は、家電である。
(30年ほど前の携帯電話は弁当箱だった。
随行していた営業さんが自腹で持っていた。
だって、当時、販売マージンで年収1000万円を超えているような人だったから、商談はすかさずという人には、既に必需品だった。
自腹の経費も、会社の経費もバンバン使う人だった。
其の頃は、設計の仕事をしていたので、いろんなところへ連れていかれたが、金が金を生むと云うのが実感できた。良い経験だったとお今でも思う。)
1970年代の漫画「K」氏のギャク漫画が数冊ばらばらと残っている。
少年チャンピオンピンコミックス(秋田書店)である。
チャンピオンと云えば、ドカベン、ブラックジャックであろう・・手塚治虫が書いていた。
週刊漫画は基本、病院の待合で読むもので、単行本からされてから、ちまちまと買うという状態だった。
少年チャンピオンは、まだあるのか?と思ったらまだあるみたいである。
誰の作品とは書かないけれど、最初1巻から5巻ぐらいまでは面白かったが、最後の9巻ぐらいになると、読む対象ではなくなっていったのが判る。
ギャク漫画の才能となんだろうと思った。
だんだんと絵がイラスト化していくので、漫画の中で絵が突出した感じになっていた。
その後の作品は全然読んでいないので、どこどうなっているのか知りはしなかった。
しかし、2018年だったか?に個展のようなの展示があったので、それはそれで嬉しかった。
ギャグマンガを買ったのは、「K」氏が最初で最後だった。
まぁ、漫画もたくさんあると、邪魔であるが、売り飛ばすと次に読めなくなる可能性が高いので、ここ20年ほど処分したことがない。
という事は、漫画が溜まるのである。
狭い書庫には入らないので、ガレージに、箱に入れた漫画が500冊ぐらい積んであるが、これも何とかしないといけない。
最近は、ほとんど買わなくなったので増えはしない。
読みたい漫画あまりないというのも現実である。
四コマで、最近読んで面白かったのが「えんまさんちのゲルべロス」というもので、ゲルべロス(三っ頭の犬、地獄の番犬)と、これまた緩いえんまさんの話である。
わんこ好きには、「うん、うん」とうなずくところがある。
けれども、単行本では、面白さが減殺された気がする。
閑話休題
漫画も、本も大量にある。
大学を出た時に、大学時代にかった宗教、法律、産業比較、工業技術は、ぼぼ売り飛ばした。
4年間、毎週数冊買い、通学途中に全部読んだ。
自分が、哲学が好きだった関係で、一時期宗教、キリスト教、仏教、イスラム教などを読み漁った。
それは、1宗教を一気加勢に読むのである。
解説書は最後で、邦文訳の原典系を読んでいた。
蚕食(さんしょく)の様に、徐々に、宗教というものを頭の中に貯め込んでいった。
それは結果として、宗教とは、通俗的な特権階級の形成と、権威付けの為の存在と考えるようになった。
読めば読むほど、どうなんだ?と云う気になったのも事実である。
だが、大学時代が過ぎると、本を読む暇も、書いてあることとは、無関係な現実世界のウエイトが重くなると、自然と邪魔になった。
そこで、買った本屋へせっせと売りに行った。
残したのは、通俗的な小説、文学系と、軍事技術系だけであった。
で、最近、再び、古書店へ入りびたるようになって、昔、読んだ本があったので手取ると、まごう事無き、自分が売り飛ばした本と再会を果たしたことがある。
鉛筆で、2018.1と書いてあったから、昔売り飛ばしたまま売れ残っているのではなくて、誰かの蔵書になって、再び処分されて、舞い戻って来たのだろうと思う。
なんでわかったかと云えば、この本、蔵書印が押してあり、その印影の中に、1988.04SSと鉛筆で描いた跡がそのまま残っていたからである。
売り飛ばした本の中には、今にして思えば、残しておくべきだったと思う本がたくさんある。
今、高くて買えないもの・・・
そう思うと、今度は本が処分できなくなった。
で、掃除という名前の移動をしているだけである。
困ったものである。

 

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コロナ・・デブについて

コロナ(武漢ウイルス)のお陰で、仕事で外に出ることが皆無となった4月中旬以降、毎日のお仕事のお友達がパソコンになった。

勤務時間中、建物の外に出ることがない。

つまり体を動かすことは皆無となった。

ほぼ内部勤務になってから、3週間の運動が、朝夕の駅、会社間の移動のみとなった。

最初の3日は何となく普通に出勤で、駅から会社まで、通常の自転車移動だった。

途中で、ふと考えたのが、このままではデブになる。

新しい法律の関係で、一日中脳味噌フル活動モードである。

当然様に、糖分が足りない。

自然の摂理で、当然の様に、「脳味噌を使う」糖分が、足りなくなる

「お腹がすく」→我慢する→「思考能力低下する」→「睡眠モード」

糖分摂取を目的に「食べる」→「仕事頑張る」→糖分足りなくなる→「お腹がすく」→「食べる」

日中、使ってるのは、目玉と脳味噌と指先だけ

身体的には、座っているだけ・・

4日目から、さすがに「やばい」と思った。

何となく力(ちから)が余っている。

今までは、日中、外に出ていれば、基本的に1時間から2時間ぐらいは平気で歩いていた。

程よい運動である。

お陰で、この年ながらも腹はでていなかった。

デブると危険なので、予防的に、駅会社間は、歩くことにした。

しかし、往復60分の徒歩では運動量が足りない。

つまり現在の生活を継続する限りにおいて、基本的に、「デブまっしぐら」であると、考えた。

食べる量は減らした。

そうして、体重計に乗った・・・・

正直言って、「がーーーーーーーーーーん」である。

もう、3キロも増えていた・・・

爺になると代謝が落ちるだからデブるのも早い・・・

わたくし、大学時代、毎日ほぼ欠かさずトレーニングをしていた。

ジョギング8キロ、今で云うスポーツバイク(自転車)で30キロが最低ノルマであった。

はっきり言って、その昔、勉強で煮詰まったころに、10分ほど走ったら結構すっきりとしたことがあった。

それから、良く走るようになった。

休日は、何も用事がなければ、バイクで平気で100キロぐらい走っていた。

その当時、パナソニックのオーダーの自転車を買ってもらいビュンスかと走っていた。

まだトヨタ博物館ができる前の時代である。

家から302号線経由で名古屋ICから八草ICまでのアップダウんの激しい道を走っていた。

その時の趣味が、平地で車を抜くことだった。

当時の彼女のウエストが49センチで、私の太もももが49センチという時代である。

現在は、そこまでは太くはないが一応固い。

腹筋も割れて居ないが、結構固い。

とはいえ、デブになったことは事実なので、連休中もせっせと歩いて、自転車をこいでいる。

ストレスで病気になったこともあるので、体調を管理するのは必須である。

若い時に体を作ったおかげで骨格が丈夫にはできているから、筋肉を再度つけけることは可能である。

だから、今日も、わんこの散歩(老犬の散歩なので超スローである)中は、ストレッチをしながら歩いている。

四十肩にならないようにも気を使ってて運動している。

残りの人生が何年あるのか知らないけれど、頑張って生きていこうと思う。

じいさんのたわごとである。

20200502記す

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イベント延期の連絡が来たことへの私感

ある集まりの中止(一応延期)の連絡が来ていた。

メールに気が付いたのは、先ほど(5月1日 20時)、で、4月30日のメール発信となっていた。

29日のブログを読んでの反応なら早すぎる。

けど書いてある内容は、読んでんのかなぁという感じである。

仄聞によれば、「あんなブログ読んでない」そうなので、忠犬ハチ公ならぬ、忠犬フル公あたりが、御注進したかなと思う。

メールを読んだ、第一の感想は、良かった良かったである。

とりあえず、某施設の負担がなくなってよかったと思う。

基本的に、こんなご時世に、無理難題を投げかけるのは良くないと思うからである。

私は、この時期に、とりあえず延期でも、中止でも申し出ないと云うのは非常識だと感じているからである。

これは、社会とのつながりをどう考えるかと云う基本的な感覚の違いなだと思う。

こちらは、毎年年2回、会場をお借りして、協賛をいただいての開催をしている立場である。

(重役さんへの施設利用状況について、記載がされるほどのイベントを開催させていただいている。)

あちらは、イベント一発屋、いわゆる、数年に一回ぐらいの割合で、イベントを開催する奴である。

奴らは、コミュニケーションだの、施設側の意向を無視しがちである。

こちらは、いつも、最初から「忖度」である。

例えば、今回は、さっさと、というか3月中旬のイベントは、2月頭にはの中止の判断をした。

変な病気は蔓延しつつある世のなかで、イベントを開こうなどと考える方がおかしいのと考えたからである。

こちらは、某官公庁の友人から、12月末から1月にかけて、中国、武漢市域で、サーズが、再度流行しているという情報が耳に入った。

ついでに、武漢市に外国人が近づくことさ妨害されたと聞いて、これは、再度流行かなと思っていた。

そうして、武漢肺炎の蔓延が伝えられると、ちょっと、怖いなと思う事があった。

だって、各種の施設は、どこもかしこも、朝から中国人が山のように来るんだもの。

毎週のように某施設の図書館を利用させてもらっていたので、従業員さんたちが中国からの観光客に恐怖を抱いているという事も聞いていた。

日本に、疫病が蔓延している状態の国から沢山の人が来ている状況は、ちょっと恐ろしいと思っていた。

そこで思ったのは、1月から3月のイベントの開催が難しいかな?という感触があったし、警告もした。

2月には、施設担当者の方から「どうしますか?」連絡があったので、ちょっと真意が測りかねたので、スタッフ数人とお話をお伺いした。

相手側も、立場的には、積極的にやめて欲しいとは言えないけれど・・・という事だったので、即、中止を決定。

実際はその場で止める旨を口頭で伝えた。

正式通知は後日にした、それは、施設側にも担当者がいるので、文書で要請をしている。

お断りはネットでも可能という事で、後日、電子メールにて中止のご連絡をさせてもらった。

だって、開催する、開催しないという判断を、宙ぶらりんな状態で保持する意味がないからである。

日本人の特に悪いところだと思うのは、負け戦になると、投入した努力が無駄になると考える。

満州を手放せば、太平洋戦争は起きなかったのである。

「祖先の血であがなった土地を放棄するなんて会い得えない」と云う発想と同じである。

今まで投入した時間とか労力、実質的な金銭とかを無駄にしたくないという感情が必ず沸き起こる。

(よくある、冤罪もこのパターンである。)

こちらは、あるクラブの中部支部を名乗っているが、本体のクラブからの支援はほぼ皆無である。

本体もお金ないんでね。

お金は使わないようにするイベントの開催をモット―としている。

だって金ないもん、基本手弁当(自腹)である

まぁ、こちらは、実質的に支出しているのは、自分の時間と、ボランテイアスタッフの時間と全員は打ち合わせに使ったお茶代と交通費である。

だからこそ、大変な重労働であるイベントスタッフとして手伝ってくれる方々にはひたすら感謝である。

だからというわけではないが、スタッフに意見は聞く。

基本的に、代表者個人の独善で方向性は決めない。

だって、みんな基本的に協力してくれているから運営できているという観点である。

以前、昔の支部時代の人が出しゃばってきたが、基本的には、出しゃばって、意見を云うだけ言って、責任を持たない。

自分が言ったことも、主張して通したことも、言った本人は、当日、用事が出来たらと云ってこない。

これを無責任という。

今回も、スタッフの人たちに意見を聞いた。

前に居た、無責任なスタッフ(開催1週間前にいきなり何の用意もしていない内容のイベントをやったらどうだと、とぶち上げる非常識な奴がいた)なら、キリギリまで、待てばいいと主張したことは目に見えている。

現在残っているスタッフの彼らは、「自分が主催なら」という視点で相談に乗ってくれるのでこちらも判断がしやすい。

まぁ、現実にイベントを取り仕切るのは大変である。

一発屋は、他人を仕切って、利用してそれで終わりである。

最初のメールでは、開催の可否の結論は、連休明けと云っていた。

読んだ瞬間思ったのは、「のんびりしいるなぁ」である。

次に感じたのは、「大企業の管理職だったくせに、危機管理の能力なんて皆無だな」と思った。

まぁ、都合が悪くなると、他人に罪を擦り付けて逃げるのが得意だった人だから、危機管理なんて必要なかったのかなと思う。

だって、単純に考えて、連休明けで、開催するという結論を出した場合に、開催まで2週週間切った状態で、参加とりまとめ・・・開催まで金の管理・・・・だれが管理すのだよと思った。

まぁ、三月から友人連中との話の中では、なんでやる気満々なんだろうという疑問の話は散々出ていた。

だからこそ、あえて、4月11日、12日に一文を載せてみた。(以下参照)

ある官公庁の友人から、5月末まで緊急事態宣言が延長される見込みと聞いたのが23日。

現況、現実は、防疫が完全ではない。

他人の事を考えない身勝手な奴らが多い。

終息する方向へ向かわせたいのだが、馬鹿なマスコミがデマを煽る、おかげで、地方へ出かけて菌をばらまいているバカがいる。

ついでに現状について、外出禁止されていると云って怒るバカいる。

またそれを載せるマスコミもクズである。

個人的な感想としては、本当に、都心部に馬鹿が多い。

マスコ三のバカげた放送で、他府県の人の居ないところへ出歩く馬鹿が多いことが判明これでは、終息の見通しも厳しいと思う。

前にも書いた、団塊の世代の爺、婆連中が、「外出を控えてください、人がたくさん集まるところへ出歩くことは、控えください」と云うの「強制」だと怒る。

政府は、終始一貫「要請である」それを、「強制」と勝手に言い換えるのは脳内お花畑の人たちである。

今の日本は、戦後のベビーブーマー世代の無責任さに振り回されている、此奴らはほとんどクレーマー(クレームの本来の意味とは違う意味でつかわれる、クレーム・・)になっている。

そうして、そいつらの子供の無責任奴は、「外出控えたって、無駄っしょ、広がるときは広がるしー」とか言って外を出歩く。

解除の条件は、定まっていない(当然である、手探りなんだから)。

けれども、再感染の係数が1以下、出来れば、0.5以下ならないと解除は難しいのでは?という意見だった。

こんな状況下で、イベントの中止を決められないのは、決断力がないと思うわけである。

部内で、コロナ関連法案の国会決議終了、施行予定が24日と聞いていた。

ところが、24日から運用なんか始まらず、ずれ込んで、27日からようやく国会審議が始まった。

ずれ込んだ理由は、野党の馬鹿な質問の所為である。

結局、衆議院は29日決議、参議院は、30日に決議、今日からコロナ関連法運用開始である。

今日から、多忙である。

29日に記事を書いたのは、「ええ加減にしとけや」とい揶揄である。

すると、翌日の夜メールが来た、とりあえず延期・・・延期ねぇ。

多くの車のイベントは中止の判断をしているところが多い。

大規模なイベントは軒並み中止である。

まだ、やると息巻いているところもあるけれど、7月8月の開催でも危ないと感じている。

うちのクラブで主催している7月のイベントは基本的に中止の意向である。

だって、施設が期限未定で、休館していてる状態で、イベントの申込受付をしてくれるのかどうかも不明、2月の時の話では、とりあえず受け入れも中止と聞いてい居た。

こちらは、イベント集客力は、この施設では大きな部類に入る(200台以上お参加がある)けれども、基本はお願いをする立場である。

そこは、ちゃんと施設側の意向を忖度する方向で動く傾向がある。

裏工作なんかする気もないので、正当なルートでお願いをするという立場である。

ダブルニッケル周年記念なので、大規模イベントで、ずっと前から内諾を取ってイベントを計画しているのだろう。

だからといって、コロナで世の中が大変な状態であることは明々白々なのに、5月下旬に、ダブルニッケル記念を強行するという態度は、いくら元社員で、知り合いが居る施設にいるからと云って行う事が良いかと云えば、決して良くはないだろうと思うのである。

そう云った意見を云うのは自由である。

この様に書くのは、大体、蟷螂の斧という気分でいつも書いている。

(日産、三菱の事を書く時は、何が悲しくて、大っ嫌いな会社の決算書なんか読まなあかんかと思う。

 けれど、一応、研究者という立場から、嫌いにものだからこそ、ちゃんと調べようという気持ちはいつも、持っている。)

このブログ、先般まで、自分は、全然意識していなかったが、全国津々浦々のオーナーの皆様が読んでお見えになるそうである(笑)。

ここで、感謝したいと思う。

基本は、「読んでいただけるだけで、感謝している。」と云う事をお伝えできなことが残念だという事である。

あるある車のオーナーさんは、ある意味、おとなしい人が多いので、静かに仲間内で文句を言うけれど、公に抗議できないと云うか、抗議するすべがないので、沈黙しているというのが実情であろう。

このブログ、表題の某車のネタなんて、年に数回しか書いてない。

でも読んでいただいているという事は判っているので、読んでいただいている人たちには感謝している。

(ちなみに昨年11月から、毎日1本記事を書こうと決めたので、せっせと、毎日1本(時々ものすごく長いのは、土日で・・下書きを書いている。)

↓参考記事

「ある集まりが絶望的な訳」4月29日の夜にこの記事を書いた。

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/04/post-afaf53.html

ある集まりの開催予定が来た・・・大丈夫か?と思う。4月12日にもこんな記事を書いた。

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/04/post-afaf53.html

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/04/post-afaf53.html

4月11日にはイベント開催に関する私見を書いた。

20200501初出

20200502加筆訂正

 

 

 

 

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昔の事など

先日、ド初期のU型エンジンのシリンダーを探してガレージの掃除を始めたら、等間隔で穴の開いたステンレスの細長くて薄いものが出てきた。

一瞬、なんじゃこれはと思った

そうして、ふと思い出した。

あー複製のパーツね・・・

である。

車を買った頃は、いわゆる車関係のお友達が一気に増えた・・・という勘違いをしていた。

今から考えると、知り合い程度の部類で、「友達だったんか?あいつ」というレベルの人間が多数を占めた。

ある知人は、それこそお友達が持っているカタログを握り締めて、これ俺の年式だからタダで欲しい、○○君のはこの年式だから、これもらえばいいじゃん。

と勝手に決めた。

理由がすごかった、「自分の年式のカタログだからこれは自分がもらうのが当然、この車に乗ってるんだから相手は渡すのが当然・・・」はっきり言えば、そこまで仲が良かったとも思えない二のその言いぐさである。

当然の様に拒否されて、あえなく沈没

この人、手に入れたら大切にするかと云えば、そんなことはみじんもない。

100%大切いするなんてことはない。

手に入れることが目的

手に入れたら、扱いは最低になるのは、目に見えている。

車持ってるて云いながら、車を一時期頻々と変えていたことを知っているので、死ぬまで持っているような雰囲気はない。

たまたま金があったからその手の車を買い、金がなくなったら手放す・・・当然の結末である。

ある時、人からもらったものは大切にしない。

金出したものは、大切にする、そう、そこに気が付いた時点で、大っ嫌いになった。

まぁ、当時、某業界の一人親方だから働けば、働くほどもうかったから金遣いは、ものすごく荒かった。

夜中まで飲んで、翌朝、酒臭い息をまき散らしながら日帰りツーリングに来るなんてザラだった。

今なら完全にアウトな人だった。

良く女も買っていたようで、電話で知り合った女とツーリングの泊りの時にも話し込むような手合いだった。

最初は金があったから何でもお任せだったが、仕事が少なくなると、貧すれば窮するで、修理工場をタダで借りて修理をする。

言いぐさがすごかった、前に散々金使ってやったんだからちょっとぐらいタダで使わせるのは当然だろうと・・・

間違っていてると思ったが、その時は相槌を打っていたが、非常識な野郎だなと思った。

修理工場の場所と機材を使って全く金を落とさないなのだから、その内断られると思ったら、案の定断られた。

それで、自分勝手な理論で、修理工場を非難しまくていた。

ある時、中古のパプリカのミッションを、おねだりをしたら、某君がくれたかと吹聴したので、その時に所属していたクラブの会長が、激怒した。

おねだりして、ミッションをもらうなんて言語道断だとという事である。

私も同じくクラブ員として、人からパーツをタカルとは何となく許せないものを感じていた。

その前に、インナードアロック(原価1本5000円)を渡してその代金を請求したら「金取るの?」と云われたので、こちらが原価5000円で作ったパーツを、なんでタダでやらなければいけないと思った。

其の頃、私は、シートベルトアンカーや、インナードアロック、トーションバーなどのパーツを作っていた。

彼はその後、パーツを作って一山儲けたいモードになっていた。

儲からないと云っても、単価的に高くていいと思ったのだろう。

工業製品として最低ロッドという考えも、知識もないような人だったので、珍妙なパーツを作ろうとか空想を良く語っていた。

ABSの専用パーツを作ったら売れるかなと云いながら、金型代の単価、成型時の費用(原料代、抜き代は全部無視して、1台分5万ぐらいで作れないなぁ・・・と、妄言を良くはいていた。

ヨタのパーツを作っても所詮は3000台レベルの生産台数しかなかったクルマなので、需要が極めて少ない。

数が出ない、単価が上がる、ヨタのオーナー買わないという悪循環で、パーツなんか売れない。

結局、最初に書いた、板状のパーツ、ルーフのサイドゴム押さえのL字の金属板を作ったのは聞いた。

このパーツの欠品が多いと云って、ダダの板にあな開けたものを作っていた。

このパーツをいくらかで売っていた。

ある自動車の集まりに売っているのを見た。

すると、このパーツをあげると云われた

ありがたく頂戴したが、くれる時に、金い要らんからとい云われたが、金だ出して買うような出来ではないと思ったので、売りものをもらうのは悪いから、というと、世話になったからと云いながら、「ただで、やると云われた」が、押しつけがましくて鬱っとおしいと思った。

僕らが、エンジンのオーバーホールやっているのを見て、金がかからんなら自分でやる気になったようで、自動車の修理の知識は皆無の状態で、エンジンオーバーホール、デフの修理と云うか交換・・さんざんやっていた。

知り合いの元整備士の指導を仰いでいたけれども、整備士の教育を受けたけどいい加減な人の指導で、いい加減な奴が組むだから、結局、素人の悲しさで修理を繰りかえすことになる。

金がなくなるおと同時に、闇ブローカーも始めていた。

チンピラの暴走族ぐらいしか買わないような車を仕入れては転売してた。

また、ある時、彼の友人が、旧いワンオーナーのカローラを手に入れて、転売した。

その仲介をして、何万円だかの金をもらったのが、闇ブローカーへの道だった

付き合いがなくなって数年後、結局、金に困って車を売り飛ばしたと聞いた。

その時はデフが轟音を立てていたという事である。

彼が、金持ちだったころは、30年ぐらいである。

バブルが終わったけど、その余波がまだ個人に及んでいない頃、住宅着工件数はうなぎのぼりだったころだから、日給が、3万から4万円の間ぐらいだったと聞いていた。

友人によれば、月収が60万から80万円近くあったらしい。

生活費20万円、奥さんに渡してあとは全部使っていたと云うのだからすさまじい。

でも、そんな美味しい時代は、5年も、もたなかった、人生のスパンで見れば、すぐに過ぎさった。

ある工法の資格を持っていたので、一人親方が廃業して給与取りになった。

給与取になるとき、収入が半分になるけど、安定するからと云っていた。

業務用のハイエースも買い取ってもらったと云っていた。

半分て幾らなのと聞くと、30万円という。

という事は、全部こみこみの親方時代は、60万円以上の収入があったとこことだと想像して驚いていたら、別の友人から、月収80万ぐらいあったはずと聞いてのけ反った。

まぁ、一人親方を止めた理由が、確か、病気になったからである

病気はいわゆる治らない系の病気である。

金がなくなると、通勤用の車が旧車になる・・・旧車で通勤・・・最初は、ものすごく程度の良い車、剛性感あふれる車体だったけれども、5年ぐらい後で運転したら、剛性間ゼロのくたくたの車になっていた。

ワイドタイヤをはいたり、足周りには負担をかけまくり、山道をがんがん攻めていた。

車体剛性は、すさまじい勢いで落ちていった。

まぁ、消費しつくしたんだよねという感じである。

まぁ仲の良かったころに電話をすると、奥さんも愛想は良かったが、疎遠になると、態度が豹変したのも懐かしいねぇと思う。

今どうしているのか知らないが、50周年時には、東洋コルクの車に乗っていたなぁという記憶があるだけである。

もらったプレートを見て、そんことを、ふと思いだした。

まだ生きてるのかしらん?

 

 

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