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日産、三菱自動車、ついでにルノーの先行きが危うすぎるという話・・No13

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/06/post-002df0.html

ルノーは、日本では、商用車のカングー、トウインゴがよく売れている。

だから、自社の車を売りたくして仕方がない。

カングーはもうすぐ、日産のNVと共用になるので、フレンチ―な香りはもうすぐ終わりの感じがする。
日本市場は、日産に任せると云いながら、日本市場から撤退する気は皆無である。
日産のユーザーが、ルノーに流失しているのであれば、日産にとっていいことはない。
車のラインナップが悪くて、日産の販売店に来て、ルノーに流れる人がいないともかぎらない。
ラインアップの悪さは、生産する車種の減少で顕著である。
日産とルノーが、かぶるところは意図的に減らしたようにも見える。
日産と三菱自動車が、ラインナップの補完をしているのかと云えばそんなことさえない。
普通(この普通という言葉にはものすごく問題がある)、三菱自動車の得なところは、三菱が設計生産をして、OEMで日産のバッチで売る。日産の得意な分野では、日産が設計製造をして、三菱がOEMの製品を受け取ればいいのという発想が生まれるのが当然の様な気がする。)
最後のデボネアは、まるっきりFUGAだった。
ところが、三菱グループから離脱すれば、デボネアをわざわざ買おうとという酔狂な人はいないので早晩なくなった。)
ところが、日産は、あくまでも自分の会社の製品にこだわる。
アウトランダーと新型エクストレイルは同じ車台を使用した、アライアンス製品(アライアンスの主導は、日産)である。
ほぼ、同じ製品を同じ時期に、同じ海外でテストをする。
海外テストの理由は、降雪時のテスト(南半球の現地で雪降らなくて大変だったですけどね・・・)。
テストしている場所もほぼ同じ。
三菱自動車のテストで、ボッシュ製の駆動系制御の調子が悪かった。
ボッシュの技師が、日産についてきている事が判ったので、聴くと、日産自体が、ボッシュの標準的なシステムを買っているので、そんな問題が出る様なテストをしていないことが判明、日産は、それが問題になるかどうかさえ、良く判らないという回答が返ってきた。
感覚だけで云えば、大丈夫か日産と云いたい・・
東南アジア、アセアンは、三菱自動車、中国、アメリカは日産、欧か州ロシアはルノ―というものすごく身勝手な分割を聞いて、三菱の欧州(旧東側、ロシア)の工場は必要がない。
日産の欧州生産拠点もいらないという事になる。
両社は、国内販売自体がグタグタな状況なので、現在の生産レベルは不要である。
国内の古い工場が必要なのかという考えも脳裏を横切る
現実的には、1万2千人規模リストラが必要と公的には説明しているが、現実的に計算したら、2万規模のリストラをする必要があるとわかって、内田CEOは、現在頭を抱えているという。

つまりコロナの前なら1万2000人の削減でよかったが、現状では、2万人の削減が必要という。

これは日産本体のレベルである

関係会社を含めると10万人規模のリストラが必要となるのではないだろうか。
こうなると、日産の本社はすべて厚木に移転、東京圏の工場はすべて廃止してもいいようなレベルではないだろうか?
ゴーン時代になすべきことがあったと思う
村山工場を廃止してから、暫時、生産力を削減して400万台以下のクラスの会社で、収益性の確保で、ルノーへの上納金を増やし、ルノーにとって頼もしい子会社とするべきであった。
だが実際は、日産の商品企画力を超えた生産力の向上にまい進した。

これは、日産自動車倒産直前の世界の10分の1計画に類似する点がある。

夢は大きいけれど、実際は、夢のレベルでもなくて空想のレベルだったという事である。

10分の1計画は、当時の者社長が、買収等で、名目上の生産台数を上げるという、単なる数会わせの野合に近い行為を繰り返していた。

基本姿勢は、トヨタがやるのなら、自分たちのやる(進出する)、トヨタの先手を打つという姿勢は拙速な感じを受けた。

また、米国への進出は、増長した感覚で、日本式生産システムを持ち込んで顰蹙(ひんしゅく)を買っていた。

こうした行為の成れの果てが、倒産である。

ルノーが、来なければ、日産は会社更生法の申請か、倒産かという瀬戸際だった。

この時の感覚は、うちの会社を銀行がつぶすわけはないという、奢った考えである。直前まで、会社更生法の検討さえしていなかったのだから、間違った先読みである。

ゴーンは、日本字的なウエットな感覚はなかった。村山工場を筆頭に五工場の廃止、2万人の人員整理を行った。

これで、生産力は下がったが、先代社長時代の組合排除の姿勢もあって、設計の自由度は上がったはずであったが、意外や意外、自由度は下がる。

実際は、多すぎた車種の整理も行った。

生産する車種を減らすことで、会社全体の総部品点数を減らす、共用化で、設計期間の短縮を狙ったのだと思う。

またルノーとの台車の共有化を進めて、生産単価の引き下げに努力した。

ただこれは、日産側の事情であって、顧客の事は考えていない。

20年、30年前の日産の顧客は幅が広かったと思う。

しかし、車種の絞り込みで日産のフルライナップは、選択肢がどんどん減っていく。

そうして、その果てには、選択することができないラインナップとなった。

ルノーを支配して、日産も支配するレバノン人として世界に君臨したかったのだと思うが・・・日産の最新工場を海外に作り、実質はルノーが

生産に使用して、日産は安い家賃をもらうべき存在とする、又、日産の工場進出に伴う、バックマージンが欲しかった可能性は否定できない。

20200629初出

20200711補正

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