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日産、三菱自動車、ついでにルノーの先行きが危うすぎるという話・No40

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-059809.html


決算発表があった。

三菱自動車、日産自動車、ルノー、全部赤字三菱自動車(第1四半期)3600億円の赤字

日産自動車21年3月期6700億円の赤字、営業損益4700億円

ルノー(2020年半年分)72億9200万ユーロ(9000億円)

単純比較はできませんが三菱自動車は、第一四半期で、3600億円の赤字

残り第二四半期から代四半期までの9か月で、回復できるのか?

工場の稼働日数は、増えていない。

▲3600億円×4期では、13800億円の赤字とはならないと思う、というか思いたい。

実際、工場の稼働率を上げるよりも、現時点での売れない在庫を放出して、滞貨を一掃すべきではないかと思う。

RVRが一応好調(といってもたかが知れている)なので、売れ残りを安売りでも何でもして売り飛ばして、保管代を考えれば、さっさと売るに限る。

原価で売るのも手であるし、売れなければもっと安売りをするという手段もある。

利益を出すことはほぼ不可能だし、利益の先食いをしていたのだからここへきて損をしても仕方がない。

とりあえずは、現金の回収を最優先にすべきではないだろうか?とりあえず必要なのは、現金(具体的な現金ではなくて、キャッシュフローのことである。)。

工場休止で、給料90%保証、60%補償、30%会社負担これも、いつまでつつくのか謎である。

休業補償が未来永劫続くとも思われない。

(派遣、期間工はみんな、期限切れでお払い箱になったということで、そのぶんは経費が浮くことになる。

期間工は、期限切れで放出の可能性が高と思っていたら、案の定、もう放出されてました。

有効求人倍率が下がる訳である。

パジェロ製造の配転さきに、水島にも行く人がいるのかなと思もったりもしたが、三菱自動車へ出向形態をとれば何処へでも可能である(労務管理上面倒にあるだけである。

だた、同一労働同一賃金といわれると、出向で給料安いのはなぜ?と言われると厳しい。

そうすると、やはり、パジェロ製造は、人材派遣会社として、2年11か月で派遣中止次の工場、別会社へ行かないといけないで、日産車体、日産自動車本体へ行かされて、2年11か月で派遣先変更を振り返す・・

基本的に、最初から2年11か月で派遣先変更、本採用はしないと周知してあれば、雇い止めといって非難はできない。

最初から期待値なしの人材派遣であれば、雇い止めだからと言って訴訟を起こしても負けている。

:今後の裁判例、最高裁の判例で変わる可能性があるが、現状では、3年未満で変更すること可能である。)

生産がほぼ止まっている、三菱自動車には、どのみち金は必要で、現況の生産はできない状況が続くと、固定費ばかりが出ていく。

つまり、収入がなくて、支出が止まらない。

支出は止められないから、支出を少なくするためには、固定費を削減しようとするのは当たり前の話である。

生産現場の人員整理が必要なように、間接部門の人員整理が必要なる。

しかし、三菱自動車の場合は、間接、生産現場の削減より先に、本来削るべき部分を削ってからの削減ではないと思う。

例えば、株価の低迷を打開するには、株主が望むであろう、三菱自動車の改革への真意を手放しで認めてもらうためには、パジェロ製造の工場を廃棄するのと同時に、本社の移転で、賃料、本社の人員の通勤費、家賃補助のカット、本社役員、会長、課長以上の賃金15%カットなどというお手盛りはやめるべきで、50%カット、役員は90%カット、会長は、業績回復するまで、1年限定でもいいから報酬の全額返上をすると云えばかなり好意的に見てくれるのでではないだろうか。

(日産自動車は、一時期上がった株価はまた下がった、決算発表で、業績の先行きに嫌気がさしたといわれる、)

三菱自動車のCEOが、口先で、黒字化を叫んでも、自動車の過剰生産による過剰在庫の現実を解消しない限り、回収できない原材料代は、すべて滞貨である。

滞貨の一層こそ、最優先の対策ではないかと思う。

その先には、赤字の状況を打破するのは、基本生産をして、車が売れなければならない。

RVRが売れているのであれば、それだけ潜在的な顧客がいるのであれば、最優先で、生産を行うべきである。

そんなことを考えても現実的には、安売りをしたら、その後はなかなか車が売れない。

だから、滞貨の一掃をしたくてもできないというジレンマがある。

ここで、日産は提灯記事を書かせることに血道をあげている気がする。

自主的に日産自動車をお応援している人が書いているのかも知れないが、産自動車の業績が戻ってなんて提灯記事を見ては笑ってしまうのは、日本国内限定の新型(海外ではすでに2年もたった中古(ちゅうぶる)車である)を出して、新型と騒いで、あれだけ提灯記事を書かせて、一時的に、車が売れない業績が伸びないのだったらもう、会社なんか止めたほうがいいレベルである。

ちなみに、課長以上に、業績赤字なのに一時金がでたそうである。業績に連動しない一時金て、単なる給料の一部ですよね😅

MGが倒産したときに、在庫の車は、二束三文だった。

 

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日産、三菱自動車、ついでにルノーの先行きが危うすぎるという話 No39

蛇足的意見
友人から社会人野球部についてご意見があった。
三菱自動車には、社会人野球部があるということである。
よく知らないので社会人野球について調べてみた
ウイッキで、安易に探すと三菱自動車と名前が付くのは、野球部が3部、ラグビーが、1部
三菱自動車岡崎硬式野球部、
三菱自動車倉敷オーシャンズ(旧:三菱自動車水島硬式野球部)、
九州三菱自動車硬式野球部(販売店系)、
三菱自動車京都レッドエボリューションズ(旧:三菱自動車京都ラグビー部)。
関係なくなった、「三菱ふそう」も野球部を持っていたが、2009年から休部し、2013年に廃部となった。
三菱重工名古屋硬式野球部というのもある三菱は重工は、広島、神戸、長崎にもクラブがある。
三菱日立パワーシステムズまである・・・
こう見ていくと、三菱グループは、野球が好きなんだねぇと思う。
私から見ると、古い体質なんだなぁという感じがする。
「三菱自動車野球部」で、検索をかけると、公然わいせつ、コンビニ万引き、本社の不祥事で大会辞退という言葉が躍る。
一体全体予算がいくらか分かりはしないが、数千億円の損失に比べれば、野球のクラブぐらいということかもしれない。
会社の福利厚生の一環?として存続しているかもしれない。
しかし、野球に興味のない人から見れば、観戦を、応援を強制されることは、イコールパワハラである。
個人的には、野球には全く興味がない、今まで、小学生のころ、旧名古屋球場での野球観戦は2回、しかも、夜間の照明の故障で、1回目が流れ、2回目も流れた。
おかげ様で、野球には興味がない。
だからというべきではないが、固定費としては、会社の存続に必要不可欠かという見方をした場合に、どうなんだろうという気がする。
三菱自動車の野球部の社員は、人事労政部、安全衛生委員会に所属している。
実際に、安全衛生の仕事はしない。
というか、できない。
仕事は、野球をすること、昼間から練習に明け暮れる。
野球しかできない人たちです。
給料いくらなんだろう。
元高校球児の社員が300円ぐらいの商品を万引きするぐらいだから安いのかなぁとも思う。
会社の中に沢山のクラブがあるらしい。
業績悪く先行きがものすごく不安な会社(6700億円の赤字会社と、3600億円の赤字会社)と岡山県が、水島製作所へ電気自動車のラインのために80億円投資するという話が出ても株価は上がらない。
日産自動車の株価は、業績発表後、急落。
元の木阿弥に戻った感がある。
ついでに、ルノーの決算も大赤字・・・三社連合で、2兆円超の赤字て・・ねぇ。
赤字会社の最初に取り掛かるべき点は、不要不急の部署の廃止である。
三菱自動車の内部には、野球部以外にも、色んなクラブがある。
基本的には、会社の金を使いつつ活動をしている。
業績悪くて間接部門のリストラを発表した割には、一般的な経費は削減されない。
野球部は、宣伝広告費なのか、福利厚生なのか想像がつかない。
野球部を廃部にしない理由は、都市対抗野球大会で全国大会への出場経歴から名門野球部という位置づけらしい。
多くの企業は、経営状態悪化イコール廃部になるというパターンになる。
確かに、金食い虫のモータースポーツは、継続がむつかしいかもしれないが、広告宣伝費を使っていろいろな媒体を使って「単一車種」宣伝するのと比べれば、かなり安いと思う。
それは、三菱自動車本体の宣伝になるし、派生的な宣伝にもなる。
各雑誌に頼みもしないに、三菱自動車のロゴを写す、アップで載せる。
この効果はかなり大きい。
その点を以前の日産自動車はよく理解していたから、ラリーによく出て、「DATSUN」の名前を売り込むことに成功した。
野球部の存続は、そうした効果を生み出す力になるのだろうか?
今は、ムダ、ムラ、ムリをなくすのが先決である。
モータースポーツの嫌いな自動車会社の会長から見れば、野球部は健全というのだろうか?

別の意見では、クラブを、なくしてしまうと次に立ち上げる時が大変だからという意見があるということであるが、次の時なんて来るのかどうか聞いてみたい。
そもそも、野球の人気は長期低落傾向である。
春と夏に、若者は、強大な市場会を開いて、プロ野球に売り込む。
プロ野球へ行くことをまだ夢見たい社会人は、社会人野球で、夢を磨く。
今の時代、プロ野球という頂点を支えるヒエラルキーとしての社会人野球、高校野球がある。中学のクラブ、社会人の草野球、全部は、野球とカテゴリーの中に内包されている。

このカテゴリイ自体は減少傾向にある。

徐々に減少している。

社会人野球とか都市対抗野球とか開催されているのだが、半世紀以上生きているが見たことがない。
見ようとも思わない。
好きな球団なんて聞かれても困るし、野球の選手などは一切知らない。
まぁ、野球に一切興味がない私としては、なんで野球部なんか残すのか、株主総会で聞いてみたい。
名門クラブだから残すなんていうのは、余裕のある会社尾言い草で、第一四半期が大赤字で、生産は回復してない、回復しても在庫がはけないので、生産再開は厳しいと思うのである。
実際、再起不能なぐらいの赤字での状態で、伝統の野球部の存続なんてことを主張するのは、「何を寝ぼけたこと云うのか」と言いたくなる。

ただ、車という実社会では、どうあがいても勝てない「トヨタ自動車」に勝てるから、留飲を下げられると思うのは、福利厚生であるが、何パーセントの社員がそう思うかによってた福利厚生として有効なのか、単なる無駄飯食いなのかという判断の別れ目ではないかと思う。

ある意味、トヨタに勝つという代謝行為出ると、社員の不満をそれす道具にもなりうる。

しかし、業績が悪くて、リストラが始まると敵視されるということも考えなければならない。

ご参考までに
トヨタは、野球部がある。
東日本(セントラ自動車、関東自動車工業)にも野球部はある
ホンダ、ホンダ鈴鹿、ホンダ熊本
ヤマハもある。
一覧を見て失笑を禁じ得ないのは、JR各社の野球部である。
国鉄スワローズがあったぐらいだから仕方がないのかもしれないが、たくさんある。
13球団もある・・・
JR東海、JR千葉、JR西日本、JR九州、JR千葉、JR水戸、JR新潟、JR秋田、JR東日本東北、JR盛岡、JR北海道硬式野球クラブ、JR東日本、JR四国
なんとなく専門家はいなくて、手弁当感がある。
野球の好きな人が多いというのもある意味文化である。
文化のパトロンとして、三菱自動車の果たしている役割が大きいなんて思えませんが。

 

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日産、三菱自動車、ついでにルノーの先行きが危うすぎるという話・No38

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-940d8c.html

水島製作所が、軽自動車アンド、軽自動車の電気自動車生産の工場になるという話題を受けて感じたことを一つ・・・。
こんな記事が出ると、三菱自動車の電気自動車は、どうなるの?という気がしないでもない。
ただ、数台しか売れてないという、・・・令和2年2月以降売れた数が、3台といううわさがあるのですが、サイズアップして、普通車規格になって…売れんらしい・・・。
まぁ、それは置いておいて。
最近やたらと、自動車関係の記事で、日産自動車モノが多い。
いわゆる、提灯記事である。
記者を呼んで、車の良さを吹聴する、〇×ばらまいて、書せていることが多い。
記事の下に「広告」と入れておけというレベルである。
大体、日産自動車はいつも同じ手を使うからよくわかる。
新型が出る、提灯記事が、各種のメデイィアにでる。
連日、出るのである。
素人臭いのから専門家風な人まで総出である。
提灯記事書かないと食えないかもしれないけど、ひどくないか?というレベルである。
最近も、日本国内は新型(海外では、発売2年目だけど・・・)とか、1年後の車の宣伝とか、今度出るはずのエクストレイル(国土交通省の燃費検査合格したのか?)の宣伝も多い。
でも、日産の第一四半期大赤字の記事は、この姑息な提灯記事を全部撃破した気がするがどうだろうか?
過去で一番笑ったのが、リーフ、新型リーフが出た時に、出るわ、出るわ、提灯記事が、という感じだった。
そこまで、宣伝しないと売れないのか?という気がした。
初代のリーフが、出たときはそれなりの記事が出てもおかしくはない。
だってまるっきり新車なのだから。
でも、新型が出た時の提灯記事の多さにも驚いた。
そこまで売れていないのか?という疑問である。
新型車当時に、食いついて乗っている人はどれだけ残っていたのか?という気がする。
継続して乗っている人で、「新型発売当時からいい車だ」と思えば継続的に、新型を購入する可能性はある、つまり、リーフなりなんなりの顧客層があれば、最低販売台数は確保できるはずで、そこまで提灯記事を書かなくてもいいような気もした。
現在のリーフは、「電気自動車乗っています」という希求性の薄いデザインである。
初代の「不愛想なカバ」見たいな車は、どっからどう見てもリーフだった。
だが今の車は、ただの日産自動車製の車でしかない。
エコを自任して買っている人から見ればアピールのしようがないデザインである。
三菱自動車の電気自動車は、アピールなのか、センスのカラーリングで、わざわざドアにプラグの絵が描いてあった。
あのクラスで、あの短距離しか走れない車で、だれが買うのかな?という気がしていたら、電力会社がせっせと買っていました。
主に都市部の移動用としての購入で、山奥の鉄塔の点検に行ける車ではない。
電気自動車が、エコなんてぇのは最初から嘘である。
電気を全部自家発電(太陽光とか風力とかの自然の力を利用した発電)で、まかなって電気を作り乗っているのなら、少々エコと呼んであげることは可能である。
もし、車を使っているのであれば、製造にかかるエネルギーの消費をすべて再生可能エネルギーで賄って作ったパーツで組み上げた車を、何億円も出して買って運用しているとうのであれば、エコロジストと呼ぶことは差しつかえがない。
移動は、基本は、徒歩。
大量にエネルギーを消費した結果、生産された製品は一切使ない。
当然のように、生産に、農薬、農機具を使わずに、輸送にエネルギーを使った商品も買わないで、生活している人がいたら、エコロジストと呼ぶことに躊躇はない。 
何を言いたいかといえば、電気自動車をエコだと云って買う人は、ブランド物をつけて歩いている人と精神構造は変わらないという嫌味である。
また、電気自動車は、エコだといって宣伝、販売する会社の精神構造が、うそつきの発想を助長しているということである。
ここへきて、日産は電気自動車で戦うというが、日産自動車の全力投入の電気自動車は、本当に、その性能出ていますか?と聞いてみたい。
提灯記事に躍らされて買った人が、あまりの出来の悪さに、二度と買わないと誓った人がどれだけいますか?
知り合いの知り合いの自称エコロジストは、自称ミーガンでもある。
彼(元はちがう)は、初代リーフを「エコロジストなら電気よ!」と言って買った。
彼にとって、電気自動車は、三菱自動車性の軽自動車規格の電気自動車が初めての車だった。
エコロジストだから、超田舎に引っ越して、車通勤になった。
足がないので、車を買った。
車は、「あいちゃん号」(安易すぎて開いた口が、ふさがらなかった)
駅まで、片道10キロ
往復20キロ
最初の1年目の冬に、この「あいちゃん号」は、昇天した。
一晩充電して、駅まで行って、昼間放置、帰宅時に途中で止まるという悲惨な目にあった。
途中の坂道(山の中だからねぇ・・)で止まって(放電して)、JAF呼んでけん引して帰宅。
翌日も、JAF呼んでけん引・・・
翌々日も・・・である
1週間続くとさすがに、ばてたそうである。
販売会社に行くと、代車(ガソリン車)が来て、1週間ぐらいで、「あいちゃん号」復活・・・
翌年…同じことの繰り返し
夏は調子がいいそうな・・・クーラーつけても(田舎だから涼しい)
冬は、メーターがみるみる減るそうな・・・
極端に寒いからねぇ・・
この時に、彼の金城大学(:女子大ね)時代の友人:同級生(女性)の友人から、寒いところでバッテリーを持たせる方法を聞かれたので、いろいろと指導した。
最初、間接的な指導だったが、素人が素人に話をするので、何が何だかわからないで、直電になった。
で、結局2年目の春に都会に戻った。
ついでに、「あいちゃん号」は、そこの家(格安で買った陋屋)に放置、家庭菜園だけは健在。
で、リーフが出たときに、提灯記事に騙されて即買い・・・
でも、これまたバッテリーの不調と、充電器の不調で、あえなく沈没
日産自動車、三菱自動車の車は、二度と買わないと心に誓った。
彼、曰く、「車は、トヨタに限る」ということである。
リーフ捨てた後で、プリウスを買うときに、何をどう聞いてわからないからと言われて、随行させられた、そうして、いろいろと聞く羽目になった。
現在は、PHVのプリウス、こないだ、RAV4のPHVを頼んだそうな・・・
彼は、正直な購買層だと思う。
いいと、思って買ったらだめで、対応も悪かったので、次は買わない。
お客さんが手にする1台の車は、如何に自社の車を継続的に購入さるかという、終わりのない宿題を抱えているようなものである。
それが判って無いのが、三菱自動車、日産自動車である。

 

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日産、三菱自動車、ついでにルノーの先行きが危うすぎるという話・No37

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-744ede.html

第一四半期の決算を読んで思ったのは、結構な損金を見込んでいる問うことである。
損金予定表を見て、坂祝工場は、すべて処分するということだと気が付いた。
つまり、パジェロ製造は、岐阜県から消滅する予定ということである。
では、パジェロ製造はどうなるのだろうか?
本社は、岡崎に移し、社名を変える。
目的欄に、人材派遣会社の登録を、人材派遣業の登録をする。
または、パジェロ製造が、岡崎製作所のラインを形式的借り上げて、受託生産をする。
いずれにしても、別会社のままで形式上は存続させるのだろう。
生存させないと、退職金の引当金を積み増さなければならないが、決算書上そのような動きはない。
悪い予想をすれば、岡崎製作所の社員を、パジェロ製造へ移管して、給料を下げると云算段をしないだろうか?
製作所の職工は、全員、パジェロ製造へ移管する。
生産ラインはすべてを、パゼロ製造の借り上げにすれば可能である。
現在、工場の方は、90%の支給である。
経営陣は、これに慣れてこれば、パジェロ製造へ移管、給料カットにも耐えられると踏むのではないかと思う。
給料の10%~20%程度ダウンすると固定費は、社会保険料を含めれば、20%~30%以上の削減できる。
しかし、そんなことをしたら、生産現場は、ただでさえ低い意欲はいよいよ低下すると思う。
なぜこのような酷いことを書くかといえば、三菱自動車にはモラルがないということからそう考えるのである。
言い方が悪くて申し訳ないが、来客用の駐車場を見て、この会社の先行きは暗いなぁと感じた。
また、警備室を見てこの弛緩した風景は何だろうと思った。
駐車場も警備室も、来客のことは二の次感があふれている。
また、ある部署の者がチタンの部材を勝手に使って、チタン製の枠でタモを作った。
端材で、自分用に作りましたというのかまだかわいい。
量産して販売していたという。
この製造者は、懲戒を受けた。
あるカテゴリでは、窃盗犯である。
にもかかわらずその者は、定年退職、その後再雇用されたという。
この一点を以ても、三菱自動車のモラルのなさがよくわかる。
ハブの破断事故報告書を読んだが、自己責任を回避する姿に終始している。
酷いものだと思った。
決算書の内容は、ものすごく悪い。
前年対比50%以上の減少、第四半期もこのペースでいくと、
年間の販売実績は、70%以上減少するのではないかと勝手に予想している。
生産実績が、おおよそ4分の1から3分の1以下の状態、来季の決算は70から80%の減少が予想できそうである。
そうなると、余剰生産力は・・・また削減?
今度は、京都?
生産の集約化、水島でも生産しているRVRは、岡崎へ集約される可能性はある。
(水島でのRVRの生産は止まったままだろうか?)
そうして、水島は日産車の生産が増えていく。
軽自動車のEVを日産が発売、生産は水島ということである。
80億円投資というから、普通車のラインをつぶしてEV専用ラインを作る算段であろうか。
各製作所の設備を結構更新するようである。
岡崎製作所の設備を更新して、大型乗用車の生産可能なラインに11か月掛けて改修して、生産を一皮むくつもりかとも思う。
しかし、負のスパイラルは止まらないだろうから、どうするのか聞いてみたい。
ふと思ったのだが、いっそのこと、ルノーからエンジンミッションアセンブリーで購入(生産は、滋賀で行う)して、アウトランダーに積むのはだめだろうか?
EUの規格は結構厳しくて、エンジンから出る音自体の規制もしているから、古いエンジンは軒並み生産中止に追い込まれている。
ルノーならEU規格適合エンジンは持っているのではないか(現在のルノーのエンジンラインナップ調べていませんので、適当に思い付きで書いています)、もし搭載可能であれば、コストの削減で、ルノー製を買わずに、自社の工場で作ればきっと壊れないと思う(気分は、思いたいである。)。
エンジンを、流用すれば、欧州での販売も再開できるかもしれない。
多分、ある一定層の顧客はいると思う。
しかし、スズキ自動車版のトヨタのRAV4PHVが発売されると、どうなるかわからない。
日産自動車の都合で、新型アウトランダーの発売は、エクストレイル販売後にされているので、新型を出して購買層がまだいるのか、不安である。
三菱自動車は、オセアニア、東南アジアを本当に主戦場するつもりならば、高望みをせずに、普通の車より下のレベル層を狙ったほうが良いのではないかと思う。
昭和30年代からモータリゼーションが始まった日本では、徐々に、大きな車はが好まれるようなり、より上級な車を嗜好した。
パブリカよりもカローラ、カローラよりもマークⅡ、クラウンと徐々にステップアップした人もいれば、同じ車種の熟成を待って乗り続けた人もいた、同じ車種でも進歩を続けて、よい車に変わっていった。
今頃はまだ、環境は全面に出てきていない。
日本のモータリゼーションの後追いをしているような東南アジアは、いずれ環境問題が全面に出てくると思う。
それの近いうちに、である。
それに、三菱自動車は耐える努力をしていますか?
いきなり背伸びをした車を作って大失敗したことを都合よく忘れていませんか。
開発を担う人達は、購入する人たちの姿を想像できていますか?
車に何を求めているのか考えていますか。
何より、車を通して何をしたいのかを、伝えることができますか?
人にとって、車を買うことを通して何を得ることができるのか考えてみたことがありますか?
車は決して安い買い物ではありません。
それなりの覚悟を持って買うものです、その覚悟を実感したことがありますか?
我先に、自分の利益しか考えていない幹部職員は、15%カットに不平を鳴らしているということも聞きますが、あなたの15%の金額で一生懸命生活している人がごまんといます。
今の三菱自動車にそんなことを求めること自体が無理な相談かもしれない。

 

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日産、三菱自動車、ついでにルノーの先行きが危うすぎるという話・・No36

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-704f34.html

とうとう正式に三菱自動車の発表がありました。

坂祝工場の廃止

2021年上期(といっても6月、あと11か月)で廃業、個人的な興味は、法的整理として、清算するのか、破産するのかと思っていたが、三菱自動車は、パジェロ製造を、単なる人材派遣会社として存続させるようである。

1000人の従業員の人たちの行く末を思うと、怒りがわいてくる。

1000人の従業員のうち、配転ができない人は退職するしかない。

今回は、ただの配置転換なので、退職すると割り増し無しだそうです。

つまり、予想通りで、パジェロ製造の坂祝の工場が無くなって、従業員全員が、岡崎製作所のなかで、パジェロ製造として働くとうことになるようである。いよいよ、期間工、派遣社員は不要となる。

でも、生活基盤が、坂祝町より北の人、高速道路通勤は厳しい人、家庭の事情がある人は配転を飲むことが厳しい場合は、職場をさらざるを得ないと思う。

三菱自動車は、退職予想をどれぐらいカウントしているのか?、個人的には、50~60%は、退職を選ぶような気がする、岐阜県民の諦めが早い性格を見込んでですが。

岐阜県下の有効求人倍率は、岐阜県の一般求人平均は1.26 パートを含めた平均は、1.4%である。美濃加茂は1.04である。

工業団地の多い、中津川は、1.46%、隣の恵那市は、0.89%である。

こう考えると、仕事を選ばなければ・・・というレベルの求職となる。

三菱自動車 パジェロ製造の組合自体も、無力である。

会社に助けてもらったことがあるので、何も逆らえない。

こうしたことに、何故か、新聞は沈黙している。

また、今回の発表で衝撃的なのは、欧州からの撤退である。

これでアウトランダーの販売先が激減するということである。

エンジンもミッションも新型が作れないのだから仕方がないのだが、アウトランダーに搭載してあるPHEVは、初期の開発搭載以降、まったく進化も発展もなかった。

出た当初のままの大きさ、形態で、そのまま使い続けている。

研究で、小型化か、バッテリーの性能向上を目指す時間はいくらでもあったはずであるが、10年前と一切変わらないシステムを踏襲しているだけである。

三菱ということで考えてしまうのだが、三菱自動車は、欧州で、零式艦上戦闘機を生み出した会社ということで非常に好意的な目で見られていたことをふと思い出した。

零式艦上戦闘機は、海軍の能無しな要求に、秀才が応じてしまった結果できた飛行機である。

エンジンの能力向上が望めないまま、延々と終戦まで使い続けた、というか、使わざるを得なかった。

大型のエンジンを搭載することができない機体構造だから、敵との相対的な性能は降下するしかない。

プアな構造の機体、性能の向上が望めないエンジン、生産性は悪く、外地での補修は、ほぼ困難であった。

おまけに、外注の中島飛行機は、請負制で飛行を作るので、粗製乱造となる。

粗製乱造なので、壊れる。

悪しき生産管理である。

悲しいかなメッサーシュミットのように、エンジンを乗せ換えて性能向上を図るということができなかった。

終戦直前に完成した、烈風をやたらほめる傾向があるが、実際に運用していない機体は評価不能である。

数値だけで飛行機の性能を語るのであれば、すべて素晴らしい機体ということになる。

例えば、独逸では、木製合板張りの機体が複数運用されていた。

素晴らしい性能を維持するものもあった。

Me163,Ta154、英国のモスキートとかね。

この情報を聞いた日本の軍部は、日本でも木製航空機を邁進しようと考えるのは浅はかな証拠である。

日本でも戦前名古屋発祥の合板(ベニヤ板)の生産が盛んであった。

(今でも、合板の名前の付く会社は複数残っている。)

しかし、航空機に使える対候性のある板の生産ができない

日本のベニヤ板は、主に室内向けの製品が主体であった。

また、対候性がないのも、主に化学合成品である接着剤の性能不良が原因であった。

また、強度のある張り込む方法研究していないからできなかった。

(英国は、ラケットを生産する過程で、木材の張り合わせでで強度を出す方法を学んでいたと思う。

また第一次世界大戦期に、破風張りから、木材の使った胴体さえ作っていた。)

そういったノウハウがある国で作られる機体と、そんなノウハウが皆無な国で、いきなり作ることは不可能だった。

基礎工業力の低さに目をつむり、名人芸的な職工の技量に寄りかかっていた航空機産業は、根こそぎ動員に出会い、これらの名人を戦地に送るという愚公を犯している。

生産現場は、工作用の汎用機を使えない学徒が、資源を無駄に浪費したということを理解しているだろうか。

多くの戦地に向かった名人は、捕虜になると、死ねといわれていて死ななくて捕まると、尋問されると、ペラペラと、自分が勤めていた工場の生産力、工場内の設備の状況をそれこそ、ベラベラと話している。

彼らには、防秘の考えはない。

戦後、我々は、三菱発動機製作所の資料を探しても出てこないが、米軍の作成した、三菱発動機製作所の工場内の設備状況、エンジン試験場、月産尾の生産台数すべてが、記録として残されていることを見ることができる。

このようなことを考えると、三菱自動車は、間違った方向へ向かうと修正が利かない存在というとがよくわかる。

官の需要を賄うためにジープの生産を始めた。

自分たちよりも小さかった自動車会社の下請けを経て、「自分たちにできるのでは」と思うのは勝手であるが、官の需要を満たすとという性質に飼いならされた存在は、自動車を開発するということさえ意味が分からないまま、邁進することになった。

結果、官のような明確な要求のない顧客層を具体的に想像できないまま、三菱グループの社員が無理やり買わされるという状態で、かろうじて業績の下支えができていた。

しかし、日産の傘下に入ると同時に、三菱自動車の車を、買わなくてよくなった三菱グループの人たちは我先に、他社の車に走った。

その損失は、数十万台に及ぶであろう。

現に、MUFG、三菱重工の幹部は、そろいもそろって、センチュリーである。

プレジデント亡き後の日産は、安っぽいフーガである。

中企業のCEOなのだから、フーガで結構だという気もする。

デボネア(日産のOEM版が最後でしたが・・)亡き後は、会長はデリカである・・・。

小企業の会長なのだからしようがない。

こう考えると、小企業は小企業らしく、課長職でも年収は1000万円から

取締役でも、3000万円ぐらいが身の丈に合っているのではないかと思う。

大昔、まだ三菱自動車が元気だったころ、というか、予算がそれなりに使えたころ。

牛の様に重くてデカかったビスカスを小型化した努力は?今はない。

エンジンミッションの開発ができないのは金がないせいである。

また設備が古いままなのも、金がないというよりも、経営方針が間違っているからである

金がないのは車が売れない、車が売れなくても、高給をとることへの疑問を差し挟まない経営陣(課長以上ね)の存在が、経営資源を食い散らかしているだけである。

 

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日産、三菱自動車、ついでにルノーの先行きが危うすぎるという話・・No35

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-df30f5.html

 

こうして、考えると、坂祝の次に閉鎖する工場は?という予想をした場合、順当なのは、京都のエンジン工場となる。
エンジン工場が内陸にあり、各工場から遠いと云うのは、運送コストを考えれば、いいことではない。
大体、軽自動車のエンジンはルノ―の100CCエンジンをダウンサイジングしたものを採用している。
これは、愛知機械が生産している。
考えてみれば、愛知機械で生産したエンジンをわざわざ水島製作所に運搬するという事は、多大なロスが生じていると思う。
経営幹部は、この無駄な輸送をどう考えているのか。
三菱自動車の自動車製造工場は、大江製作所(すでに閉鎖)、水島製作所、東洋航機(現パジェロ製造)の順番に古かった。
当然の様に、大江製作所は、最初に廃止。
今回は、東洋航機の閉鎖であるが、順番から言えば、次は、水島製作所ではないのか?
古いく設備も古いのに、なぜ閉めない?という感覚を誰しも持つのではないかと思う。
本来的には、水島製作所は、生産性、製造コスト考えれば、経営学的に云えば真っ先に閉鎖すべきである。
設備が古い更新されていないという点は、既に最初からマイナスである。
例えば、自動車技術会の見学ツアー等で、他社の工場を見ると、三菱自動車のラインの古さについて、業界全体の設備水準から見て、2周ほど遅れておいる感じを受けるという。
トヨタ自動車は、夏休み、五月の連休、冬の休みの間に、設備の回収を行う事がある。
これは設備を更新することで、生産性の向上、つまり無駄がなくなる、ひいては経費の節減に結び付くという計算がなされているからである。
その代わり、誤差の少ないパーツが要求され、公差は厳しく管理されている。
昔から書いていることであるが、トヨタの公差は厳しく、日産の公差は緩い。
結果として、トヨタの車は、当たりはずれがほとんどない。
日産は、未だに、当たりはずれがある。
日産の従業員は、販売も、整備も、「当たりはずれがある車」を生産しているという事に何ら疑問を持っていない点が怖い。
お客さんに平気で、「この車ハズレでしたねえ」なんてことを平気で言うなどという無法がまかり通る。(この後、当然の様に、二度に日産自動車は買わないと心に誓った家族が1件出来上がる。)
(R35 GTRは良くできた車で、きちんと管理して生産すればこんな車が作れるのにと、珍しく褒めてしまう車であるが、その反面、なんで一般車は、この精度で作れないのか云う疑問がある。
管理体制がきちん出来たら、日産もよい車を作る素地はあると思いたい。
しかし、現実的には、ほぼ不可能の話である。)
当たりはずれという時点で、「車は高価な工業製品」という事を考えたことがあるのかと?と聞いてみたい気がする。
三菱自動車は?と考えてしまう。
古い設備で、期間工と、派遣さんに残業代を数分出す為に、ゆっくりとしたラインを流していれば、間違いは少なくないと思う。
古い設備で、遅いラインの稼働率が高いことを喜ぶべきではない。
水島は、設備は古く、小型車しか生産ができない(デリカの様の大きさの車輛は生産ができない)。
現在は、軽自動車の専用工場として、日産へのOEM生産が60%を超える。
コンスタントに、ここ数か月、毎月6日間のライン稼働しかない点を考えると、この工場さえ必要ない様に思える。
生産ラインで、大は小を兼ねえるが、小は、大を兼ね得ないのである。
生産ラインが小型車向けという事は、当然の様に、デリカの様な大きな車体の生産には向かないという事になる。
パジェロ製造でしか生産をしていない、デリカの移管先は岡崎製作所と考えるのが至当であるが、いかんせんライン構成上、デリカのサイズの生産ができない。
デリカは、基本的には国内市場向けの車種である。
そうなると、デリカも、パジェロと同様に2021年に生産中止となる可能性は否定できない。
良く判らないのは、京都のエンジン工場(滋賀を含む)は、坂祝、岡崎からも遠い。
エンジン様に重たいものは、なるべく近くの工場で作るべきである。
三菱は,三菱航空機、三菱発動機時代から、そういった点は無視しがちである。
科学的管理法を導入した工場を作っていながら、出来た製品の運搬には、科学的管理法が活用されていない。
三菱自動車の各工場は、距離的なマイナス点を補完できていない。
京都工場の一部として滋賀工場を稼働させたが、坂祝町、岡崎市からは非常に遠い。
遠いという事は、運送にかかるコストを考えているのかという点で経営者の資質を疑うのである。
突き詰めて考えると、国内に生産工場が必要なのか?という疑問が頭をもたげる。
今の三菱自動車には、国内に工場を維持する理由があるのだろうか。
国内工場は、水島の軽自動車これは日産向けが主体なので、水島製作所、日産に売却するか、独立させて、日産と三菱の生産受託工場化してし独立採算制にした場合には、黒字化する可能性がある。
岡崎製作所は、試作工場があるが、試作する車がないので閑古鳥が鳴いているという。
(パジェロ製造のGラインは、この試作工場ラインへ移管されるらしい。)
生産ラインも、アウトランダーPHEVとRVRの生産であるが、国内向けと輸出向けとなっている。
7月21日から6日間稼働して、2か月間の販売店が受注した車を作ったはずであるが、何台作ったんだろう。
パシェロ製造の、アウトランダー(もしかしてデリカも?)の生産が移管されると、2020年7月の稼働日数、岡崎6日、坂祝4日のレベルなら、岡崎製作所で十二分に対応できる。
いっそのこと、三菱自動車自動車としては、国内の生産は全廃して、生産は、日産車体に委託生産させると云うのも手段としては有効ではないかと思う。
その程度の生産台数で、製作所は必要ではない。
もう生産を止めてしまい、日産に委託生産を要請してはどうかと思う。
コストは跳ねあがるし、売価は上昇する可能性があるが、元々売れていない車なので、無くなっても誰かが困るという事もない。すべて受注生産としても問題がないと思う。
岡崎製作所では、7月21日から6日間稼働して、2か月間の販売店が受注した車を作ったはずであるが、何台作ったんだろう。
(水島製作所は、独立して受託工場化する、滋賀工場は、日産工機か愛知機械に売りばす、日産工機と愛知機械は合併する可能性があるので、その場合は、現行のジーゼルエンジンを生産すればいい)
こう考えると、三菱自動車は、国内生産を止めてもいいレベルなのではないかと思う。
つづく

 

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日産、三菱自動車、ついでにルノーの先行きが危うすぎるという話・・No34

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-53b026.html

三菱自動車は、遅れに遅れている、中期経営計画の発表を7月27日に行う。

そこでは、固定費の削減が主題となる。

間接部門の削減も表明されるという事なので、とうとう人員削減も視野に入れ始めたという事である。

人件費を削減(従業員の首を斬る)するという事の前に、まず、第一に、課長職以上の給与の削減するべきではないかと思う。

これは、課長職以上の高額な給料を引き下げる方が先ではないかと云う気がする。

現在、課長職以上の給与は、10%カットである、10%のカットで年間の収入減少額200万円、つまり、業績も悪くて、つぶれそうな会  社の課長が年収2000万円である。

トヨタ自動車の課長職が1200万円程度であることを考えると、異様に高い。

三菱自動車の課長以上は、今年の賞与が出ないと文句を言っているらしいが、業績が悪くても、賞与が出るという発想がそもそもおかしいと感じるのだが、当人たちは、賞与は、でてあたり前という感覚があるらしい。

従業員を減らす前に、まず、課長職以上から部長まで、基本50%カット。

上に行くに従い逓減率ならぬ逓増率を適用して役員以上は、報酬を80から90%カットすべきではないだろうか?

益子会長の3億数千万円の報酬を安いと思うのか高いと思うのか?

比較対象として、トヨタの社長さんはどうか?

益子会長より2000万円多いだけである。

居間にもつぶれそうな会社の会長の報酬で、どれだけの従業員が雇えるのか?

非常に、共産主義ファシスト的な発想であるが、益子会長の動きは、自己保身しか見えないのだから、ここは、ファシスト的な発想をしてみると、製作所の職工さん50から60人分の給与という事になる。

トヨタのような誰しもが、好き嫌いは別として・・大企業の社長の給料と、元から中企業で、何時つぶれてもおかしくない会社の会長がほぼ、同等の額をもらうと云うのは、単なる収奪にしか見えない。

まずは、益子君経営責任を取らせて解任、損害賠償請求をすべきではないかと思う。

損害賠償?不手際な経営手腕というと主張するしかないと思うが、上手く誤魔化して昨年まで利益を上げたふりをしていたので厳しいかもしれないが、株主は税考えて欲しいと思う。

現状、従業員だけで、1直のラインは稼働できるので、期間工の採用中止、派遣会社との契約解除を行うべきだろう。

経費の節減は多岐にわたる。

現在、移転中の本社の周辺に散らばる借り上げオフィスは、12月末で契約を解除する。

これは、デザイン、エーダス(自動運転の研究)部門用のオフィスを分散して置いてあったが、在宅勤務が日常化するので、不要という判断である。

あの意味のない銀座のカフェも契約解除して、経費を節減するという。

今回の中期経営計画の目玉は、岐阜工場(パジェロ製造)の廃止である。

が、本来、生産現場の縮小を行うと同時に、本社機能の縮小も行うべきである。

在宅勤務が恒常化するという前提であれば、本社が東京にある理由はない。

つまり東京の三菱グループのビルに入る必然は既にない。

本社の岡崎、京都への移転を行うべきだろう。

東南アジア、オセアニアが主戦場という位置づけであれば、東京にデザインセンターを置く必然はない、タイにあるラボと合併、タイへデザインセンター自体を移せばいい。

タイの開発チームを拡大し、本社の訳の分からない部門からの意味の分からない横やりを防ぐべきだと思う。

2021年に、パジェロ製造の工場閉鎖で、パジェロの生産は完全に中止という。

すると、パジェロベースの1/2トントラックはどうなるのか?

生産中止となると、自衛隊としては緊急に、補修部品手配をする必然性が出てくるわけである。

現実的には、Gラインは、岡崎製作所へ移管、生産自体は、試作車輛生産ラインでの生産を継続する可能性がある。

仮に多く見積もって、年産数百台(もいかないと思う)の生産を岡崎行う場合に調達単価は急には上がらないので、三菱自動車は、出血しつつ生産を続けるのか?という疑問は当然の様に感ずることである。

坂祝工場の閉鎖は、デリカの生産にも影響がある。

生産移転先は・・岡崎製作所か、水島製作所か?

水島製作所は設備が古い、元々小型車生産設備なので、デリカは、岡崎製作所の可能性は高い。

最大の問題は、生産移管よりも、早急に対処しなければならないのは、パジェロ製造の従業員1000人(間接部門を含む)の人員をどうするのか、付随的に、工場の設備、跡地をどうするのかという事になる。

付属的に、納品している周辺部のサプライヤーの事業継続も問題化する。

2021年に、この工場を廃止するという事は、個々の職場の人員は全員不要という事になる。

現場社員の不安を早急に取り除くことが急務である。

ラインで働いている現場社員の移転先、退職か、転職先の紹介かの希望を聞いて、可能かどうか精査する必然性が発生する。

配転と云っても、元々、坂祝町周辺、関、美濃加茂市に居住する者が多いという点を顧慮すれば、水島、滋賀、京都への配転はほぼ不可能であろう。

では、岡崎製作所への配転が可能かと云えば、東海環状道を使った通勤を認めるという手段があるかもしれないが、ガソリン代、高速代の増加が、1000人分増えることが許容できるのかという点と、岡崎製作所の駐車場の状況を考えると、これ以上の車通勤が許容されるとも思えない。

全員の適用は不可能であろう。

また、岡崎周辺の賃貸物件は家賃が高い。

地価も、トヨタグループの需要が高いので、高い。

つまり、坂祝から移住するという条件は、厳しいという事になる。

大江工場が廃止になった時、その廃止の理由として、三菱自動車の中で一番設備が古かったという理由もあった。

パジェロ製造のラインは基本的には古い、しかし、最近導入した溶接ロボット、無人搬送車等の設備投資を行っていたが、所詮は子会社と、岡崎製作所を天秤にかければ、子会社は切り捨てられるという現実を垣間見るようである。

最近導入した、溶接ロボット、無人搬送車は、岡崎製作所へ移転させることは可能である。

(大江工場は、戦前からの工場で、現在も、戦前の建物が複数、残っている。社内的には、ゼロ戦時代の建物と称する。)

跡地の利用はどうするのか?

頭の痛い話であると思う、戦前からの工場であるから土壌の汚染は否定できない。

三菱自動車の京都製作所と同様に、土壌汚染がひどくて売却できないという事になる可能税が高いが、可能性のある用途としては、産業廃棄物の中間処分場としての活用が考えられる。

近隣のサプライヤーがどれほどいるかは知りもしないが、影響、皆無とは言えないだろう。

こう考えると、坂祝町としては、三菱自動車に叛意を要求するかもしれないが、聞く耳は持たないだろう。

こうして、坂祝町からパジェロ製造がなくなれば、坂祝町の三菱自動車色は一気に無くなるであろう。

20200725初出

20200726加筆

 

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日産、三菱自動車、ついでにルノーの先行きが危うすぎるという話・・No33

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-6ee87b.html

三菱自動車の場合はもっと悲惨である。
三菱重工業(最初は、中日本重工業)の一部分だった。
戦後復興の過程で、トヨタの下請け、日産自動車、いすゞの下請け生産に従事し、自衛隊用、海外への戦後賠償用のJeepのライセンス生産に従事していた。
東日本重工業は、ヘンリ―Jのライセンス生産で失敗をしていた。
西日本重工業は、水島で三輪車の生産が軌道にのっていた。
それら、東日本重工業、中日本重工業、西日本重工業を合併して、三菱重工業として復活していく。
その過程で、自動車の独自生産を考えるようになる。
三菱500 コルトシリーズは、スクーターの上級版的な意味合いを持っていた。
自衛隊のジープの生産は生産台数が限定される。
民生用のJeepは、色を変えてもそれほど伸びない。
民生用を伸ばすための切り札が、Jeepに対候性を持たせ、ランドクルーザー化を目指したのが、パジェロである。
当初の売りはレジャーに使える四駆である。
前にも書いたが、宣伝はパリダカールラリーのプロトタイプ部門での優勝である。
ただこれは、市販車の皮(がわ)は、パジェロであるが中身は、全然違う車である。
ラリーでの、軽快な運動性を見た人が勘違いした人に買わせるという詐欺みたいな方法で販売台数を伸ばした。
所詮は一時的な人気で販売台数を伸ばしただけで、現実的に車両を運用する側としては、街中を走る四駆としては、いささか問題が多すぎた。
止まらない、見切りが悪い、旋回性能が悪い、燃費が悪い。
三菱自動車の好きな言葉で言えば、「アーバンライナー」としての行動性は悪い。
街の悪ものになっていった。
リコール隠しでパーツを勝手に替える、そのくせ工賃、パーツ代を請求する。
(友人の子供は、パジェロに乗ったおばさんに轢き殺された。)
路外での四駆の性能は申し分なかったが、重いのが難点であった。
そのままの詐欺的路線では売れないと感じたのか、利益率を伸ばしたかったのか、ランドクルーザー、ランドローバー路線を狙う。
これは、当てが外れて、大失速する。
その反面、ランドクルーザーは、パリダカールラリーで、市販車部門で優勝している。
新聞にほんの少し、優勝の広告は載るが、ことさら、優勝を強調はしていなかった。
ランドクルーザーは、世界的にファンが多い、ランドクルーザーに寄せる信頼は非常に大きい。某大陸のメーカーが外見だけ似せてランドクルーザーを生産して、パキスタン陸軍に売り込んだが、ランドクルーザーの様な耐久性はなく、偽物の烙印を押されて終わっている。
ランドローバーは、30年以上前に、英国で、20年以上前にスペインではよく見かけた、この車を買う層は、四輪駆動車が欲しくて買っているわけではない。
ランドローバーが欲しくて買っているだけである。
その辺を、三菱自動車のマーケテイング担当は、どう考えてパジェロの高級車路線に記事を切る気になったのか?よく理解できない。
丁度、マツダが、最近、車輛単価を上げる路線に走っているが、これも、ちょっとした勘違いの悪い例だと思う。
マツダの売りは、安くて大きくて見栄えがいい、だから売れるのである。
マーケテイング担当(いるとは思うけど・・)は、「マツダの車がなぜ売れたのか?」というこ途を突き詰め考えたかどうか聞いてみたい。
30年ほど前に、マツダデミオを買った同僚がいた。
彼の主張は、安くて広いそれだけであった。
リセールも下取りも一切考えない、ただ単に、マツダというブランドを買うのではなくて、「安くて広い、移動手段としての車」を買っただけである。
ここ5年ほどのマツダは、デザイン力がモノを言っていると思っているかもしれないが、個人的意見は、車体の側面のデザインは、良いが、正面の猛禽類の顔と云い風体には見えなくて間延びした感じを受ける。
どこから見てもマツダにしか見えないのは、それはそれでいいのだが、なんか面白みが欠けるのである。
最初の入り口で、高いマツダ車を買いう人がどれ程いるのか?
車輛全体の価格を、全車種帯で、ワンランク上げるのではなくて、上に行くに従って、値段を段階的に上げる路線をとらないと、販売台数の減少は今後も起こりうることである。
パジェロの場合は、「過酷なパリダカールラリーを戦い抜いた車だからいい車」という事を前面に出しての販売を行った。
モデルチェンジで、販売層と云うか、購入階層を1ランク上げようと目論むことは間違いではない。
だが、現在ただいま販売中の車の購入層が、広告につられたミーハーな購入層なのか、永続的に購入を続けてくれる層なのかに見極めが悪かったのだと思う。
ミーハーと云うか、付和雷同的な購入層は、通常、次のモデルを購入する層にはなりえない。
しかし、車が良ければ、次期モデルも購入してくれる購買層になりうるはずである。
そこで、車に対する不満を聞いたのかという事である。
これは、現在、只今、購入、運用して居る者に、現行パジェロの改善すべき点を、マーケテウング部門として聴取したのかという意味である。
つまり、現行の運用者が、不満に思っている点の改善がなされないのであれば、現行の運用者が次の新型を買う事はないという事である。
車の販売は、大変高価な商品なので、単純に、ホップステップジャンプと言う訳にはいかない。
例えば、トヨタ自動車の「RAV4」という車輛がある。
でた当時は、路外走行をしないでくださいという。四輪駆動車風の車であった。
安くて、四駆風の「アーバンライナー(トヨタの用語ではなく、嫌みで、三菱自動車の用語を利用している。)」の欲しい人向けに作った四駆風に見える車だった。
30年ほどたって、当時、途中からRAV4を買うようになった人の多くは、家族持ちになりながらも、継続して買っている人が多い。
これは、非常に長いスパンでの商売である。
そう云った思考の延長で、車の性能のステップアップと、収入のステップアップは見事にリンクして居る。
非常に長い目の商売である。
三菱自動車の場合は、はっきり言えば、自分たちの思い込みでその路線に舵を切っただけである。
運用者の不満解消をせず、ただ単に車格を上げる事に血道を上げたが、ランドクルーザー、ランドローバーの客層へ食い込む事は出来なかった。
そうして、結果は正直で、販売台数は落ち込み続け、2019年には、国内販売を中止した。
1980年代から続いた、パジェロの命脈は、2021年で終末を迎える。
2019年以降の生産は、主に、東南アジア向けとして細々とした生産が続いていたが、それさえも売れないと判断した言う事である。

 

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日産、三菱自動車、ついでにルノーの先行きが危うすぎるという話・・No32

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-d2596c.html


嗤ってしまう話として、某ファシスト新聞の電子版で、三菱自動車の子会社パジェロ製造の閉鎖の理由として「設備が古いから閉めるんだ」的な文章があった。
三菱自動車の国内の製造工場は、滋賀のエンジン工場を除いてすべて古い。
パジェロ製造の坂祝工場は、一部手押しの旋回ラインがあるほど古い
もともとは、昭和18年(だったか?)に創立した東洋航機という川崎重工業の下請けの会社だった。
戦後は民需転換で、三菱の下請けとなり、三菱自動車の下請けとなり、最終的には、子会社となった。
坂祝町の某課長は、「パジェロ製造は、三菱自動車さんですからつぶれっこないです。
三菱自動車さんが危ないと云事は、三菱重工さんも危ないという事で、国家的危機状態ですよ」とのたまわれたことがある。
国家的危機は事実だが、長年の三菱グループ全体のへたり具合は、既にダメなレベルである。
三菱商事の低落、三菱重工の造船部門の自衛隊艦船の受注ができない、MRJの崩壊、ボーイングの生産減少で、航空機製造部門の稼働率の低下、三菱電機の質も悪い。一大産業でありながら、弛緩した不空気が流れるのはなぜだろう?
しかし、従業員全体に流れる、うちは「ダイジョブ」という感覚。
数年前に、三菱電機のある社員は、「うちは勝ち組だから、絶対につぶれませんよ」と豪語していた。だが、三菱電機も体質的な問題があるようで、官公庁あての納品等で問題があっても、現物の確認をして、原因の追究を行うという姿勢はない。
こんな三菱に誰がした?
岩崎弥太郎が悪いわけでない。
岩崎小弥太が悪いわけでもない。
全体的に、弛緩した日本人の感覚が、危機管理への対応能力を低くめたという事である。
大企業病と云われる非常に悪い病気である。
言い方が悪くて申し訳ないが、日産自動車、三菱グレープ全体に流れているのは、「世の中を舐めている」という感覚が見て取れる。
日産に勤めていた友人は、日産の社内の感覚が異常だったという。
三菱自動車を、配下に置いた時の幹部の異常な興奮状態を、気味が悪かったという。
それは、ルノー、日産、三菱自動車の三社が合併したら、「トヨタを抜けるぞー」という漫画みたいな話があったらしい。
ここで、気持ちが悪いと感じたものは、ルノーの子会社という地位の日産自動車が、喜ぶ理由が判らないという事である。
日産自動車は、「打倒トヨタ」が、悲願であるから、入社20年以上の幹部には、ひとしお感激の涙だったのかもしれない。
友人は、日産自動車が、子会社に対して行う支配、合併したプリンス自動車の技術者を最後まで冷遇する姿を見て、自分たちが、外国の会社に買われた子会社という認識のなさに驚いたという。
彼は、子会社風情が、何を喜んでいるのか?ルノー、三菱自動車という他人の褌で相撲を取るという状況を喜んでいるのは、気味がわるかったという。
そうして、西川君のクーデターの時は、社内の古参な幹部連中の大興奮モードは、「後始末を考えての行動か?」と思ったそうである。
西川君自体が、ゴーンの子分(イエスマン的子分)だったから、「明智光秀に、ならなきゃいいが」と云っていた。すると数か月で、西川君自身の不正が発覚して退去である。
その後は、社内の権力闘争があり、負けた方が去っていくというなんだか漫画みたいな展開には驚いた。
が、外国人の社員の動揺が激しくて見ていられなかったともいう。あとをちゃ云うかという気分があつたそうである
三社のグループとしての生産台数は、背伸びをして背伸びをして、その数であった。
大体、グループで考えれば、大きな数であるが、三社をバラバラにしたら、自動車業界としては中企業、小企業の部類である。
しかし、「トヨタを抜ける」と喜ぶ姿は滑稽を通り越して漫画である。
こうした感覚は、一般的のものの見方とは乖離している。
今の日産自動車、三菱自動車が、トヨタと互角な会社と思う人がどれだけいるのかという事を考えれば、答えはおのずと出るのではないかと思う。
つまり、四半世紀ほど前の自社のイメージをそのまま引きずっているという事である。
外国の小さな自動車の子会社で、中規模企業という認識を持てないことが全ての敗因ではないかと思う。

 

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日産、三菱自動車、ついでにルノーの先行きが危うすぎるという話・・No31

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-f41b9a.html


昨日(7月22日)投稿後、友人から、三菱自動車の岐阜工場の閉鎖のニュースが流れてきたと連絡が来た。
これは衝撃的である。
ついでに、このブログ「デスノート」と云われてしまいました(笑い)。
パジェロ製造への生産委託を止めるという事である。
中期経営計画にパジェロ生産終了が謳われた。

パジェロ製造は、三菱自動車以外の委託生産を受けなければ倒産するという事である。
つまり、坂祝町の財政は崩壊するという事である。
財政基盤が薄い坂祝町にしてみれば、美濃加茂市の工業団地の衰退なんて話にもならない衝撃である。
坂祝町は、合併をせずにやってこられたのはパジェロ製造のお陰である。
でも、工場労働者はどこへ行くのだろう?
いまさらどこへ?
パジェロ製造の7月の稼働日数は4日
岡崎製作所は、6日
6月、7月に店頭で受けた車輛の生産をする日数である。
パジェロ製造は、Gライン、デリカ、パジェロ、アウトランダー(ガソリン)のラインを持っている。
「自衛隊のラインがある方つぶすわけないよ」と、ノタマワレタ社員の方々刮目してほしい。
あなたたちの間違った、甘い認識を見直す必要があるのではないですか?と聞いてみたい。
三菱としては、自衛隊2分の1トントラックの生産ラインを完全に廃止することはできないので当面年間受注台数をこなして、1/2トントラックの生産も中止となる可能性がある。デリカ、アウトランダーのラインは、そのまま岡崎へ。
アウトランダーは、PHEVを岡崎製作所で生産しているのでまだ、移管は容易な面がある。
デリカは・・・・厳しい様に思う。
デリカの生産を、水島へ移管するのは少々荷が重い。
他の近隣となると滋賀となるが、滋賀は、エンジン製造工場なので無理。
そう考えると自衛隊向けのラインをトヨタ自動車か、スズキ自動車に移管するとか・・
でも、現行の1/2トントラックは評判が悪い(細かいことは全然書けませんが・・・)。エンジン電装品を含めて、トヨタが再設計するとか・・・
予算の関係もあるので、すぐには無理でも、変更する時期に来ていると思う。
パジェロ製造には、三菱自動車のカスの様な甘い生産管理を経験しているので、他社の生産管理は厳しいかもしれない。
友人が言う様に、スズキの四駆の受託生産をしたらいいのにと云った意見に激しく同意したいと思う。
別の友人曰く、デリカの生産は廃止、日産のミニバン(セレナ)をOEMで、デリカにするのでは?という憶測もある。
日産にしてみれば、工場の稼働率は上げたいので、ホイホイ受ける様な気もするが、どのみち、日産は、横浜工場、追浜工場を廃止しないと何ともならない。

20200723

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-6ee87b.html

 

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日産、三菱自動車、ついでにルノーの先行きが危うすぎるという話・・No30

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-acc6df.html

三菱自動車の不良在庫発生原因の一部が判明した。
ここ数年、三菱自動車は、延々と不良在庫となる車を造り続けてきた。
多分、注文も入っていないただ単に生産することが目的な製造。
注文生産ではないので、スタンダード的な車両を作ることを営々と続けたのだと思う。
不良在庫につながる生産を続ける理由は、私の予想では、工場の名目上の稼働率を上げるためだと思っていた。
しかし現実はもっと過酷と云うか、まぬけな理由だったのである。
単に、期間工、派遣会社からの工場労働者の確保のためであった。
つまり、生産に必要な台数は、自社の社員で足りる。
でも、「いざ増産となった時の為に」期間工の募集は止めたくない、人材派遣会社との取引口は残したいという、担当部所の主張で、不良在庫を積み増していたことになる。
悪いい方をすれば、担当部所が、自分の仕事がなくならない様に、名目をつけて生産を継続していたという事ですか?と聞きたくなるような話である。通常、そんなに理由は、なかなか思い浮かばない。
これは、既に、背信行為に近い。
経費を節約しなければいけないこのご時世に、経営資源を無駄に使い、造ることが目的で、売ることが目的とは思えない生産なので、売れない、当然様に、不良在庫化する。
不良在庫は金にならない。
損の発生原因でしかない。
当然、生産に要した経費は払わなければならない。
売れないから入金はない。
一方的に、経営資源とでもいうべき現金は流出する。
キャッシュフローは減少するので、開発に金が回らない。
そうして、名目的な生産台数、販売台数、在庫数、海外での販売数、販売会社の在庫数は増加する。
2年も3年も海外の販売店に押し付けたが、コロナの所為で工場の生産が止まっているので、在庫が減るかといえば、車が売れもしないので、既に、経営としては、かなり危険水域だという事に気が付いていない。
そんなことにも気が付かない、と云うか、気を配らない経営陣が、まぬけという事への理解を深めただけである。
経費を節減して、収入を増やすのが最短の復活術である。
しかし、従来の配分を減らしたり、開発費を減らしたり、残業を減らすよりも、無駄な生産を中止する、期間工の採用を廃止、人事派遣会社の派遣受け入れを中止するこの二つで、三菱自動車の経費がどれだけ減らせるかという事を考えるべきである。
なにゆえ、期間工、人材派遣会社の契約を無くせというかと云えば、現状、日本国内市場の状況を考えると、三菱自動車は、期間工や、人材派遣から人をわざわざ呼んで、車の増産をするような事態になることはない。
好意的に考えれば、「夢よ、もう一度」という気分かもしれないが、そんな時代は来ない。
今後も、そんなことは起こらない。
試作車の台数さえ減らしている。
少ない試作車で、十分な試験ができるのだろうか?。
図面が全てではないのが車の世界である。
テストをすることは必要不可欠である。
少ないテスト車輛で、良い車が作れるとも思えない。
昔の様に、大ヒットとなるような車が、現れる余地があるのかという事である。
一歩下がって、大増産しなければいけないような車種の予定があるかと云えば、ない。
一般的な層を、販売ターゲットとするミラージュ(次期マーチ)は、タイ生産である。
マーチとしてOEM生産を担うのは、東南アジアの工場で、日本国内の工場ではない。
そうなると、国内での細々とした生産を、従業員で賄えないという理由の説明をして欲しいと考えてしまう。。
パジュエロ製造のラインも古い、岡崎製作所も、水島製作所も古い。
古い生産設備で、現在の幅広になりつつある車体の製造ができない。
既に致命的である。
工場設備の更新を怠ってきたのはだれの責任だろう。
現状、三菱自動車は、他力本願である。
パジェロ製造には、Gラインという自衛隊専用のラインが存在する。
三菱自動車の人は、パジェロ製造がなくなると、Gラインの生産が困る、自衛隊さんが困ることを天下の三菱がすべきではないという。
岡崎製作所で生産できないことはないので、すべて、岡崎製作所内で生産してはどうだろうか?それとも、岡崎製作所を閉鎖して、本社機能、京都製作所の生産内容を移管してはどうだろうか。
自衛隊の方々に言わせると、旧73式小型トラックはまだしも、旧型パジェロベースの2分の1トン車は非常に厄介な車だという。
10年以上前から、ランドクルーザーを小型トラックとして使用したいという話は聞こえて来るが、高機動車の生産に様に月産数台ではトヨタとしてはペイしないから受けたくはないのだという事も聞こえて来る。
海外の特殊部隊向けのベース車両が、ランドローバーから、ランドクルーザーベースに替わっていることを考えれば、自衛隊も、もう少し考えるべきではないかという事である。
何時までも、自衛隊をネタにした商売が続くとは思えないという事を認識すべきである。
三菱重工業は、自衛隊の艦船の受注が出来なくて困っている。
惰性での生産行った結果だという事を認識すべきである。

(2020.07.22)

 

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-d2596c.html

つづく

 

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ちょっとねぇ と思う

コロナ対策なのか?

体調を考えない。

いつも思うだが、理論的思考をなぜしないのかといつも思う。

うちの役所でも、幅を利かせるのは、過去の経験である。

窓を全開にしても空気は流れない。

ベンチュリ―効果を理解しているのであれば、細く開けておけばいいという事を理解できるであろう。

先日ある会合で、会場の貸主の方針なのか、猛暑のなか窓全開

おまけに、午後にお熱い時間に、ほぼ無風

クーラー設定20度にしたが、全然効かない。

外気と変わらない

上の換気窓があいているので、下の窓を閉めた。

網戸以外は虫が入るから開けるなと書いてあるが、全開

講演会が始まる前に、少しでも冷気をためておきたたかった。

でも、受付の仕事が終わって、会場に入ると、なぜか、窓全開

室温は、外気温よりも熱い

人間沢山いるから余計である。

講演を聴いている、最初の30分で頭痛くなってきた。

ちょっと、「やばい」感じの頭痛だった。

その後、薬飲んで、アクエリアス飲んで・・・顔を、アルコールで拭いて、体温下げる努力をした。

これは、換気という言葉の意味を取り違えているという事である。

窓を、全開にするのは、換気ではない。

あの熱気で、体調不良になった人が居たらちょっと問題である。

まぁ、病気持ちにはには、厳しいい環境であった。

途中で、窓際に居たので、何んとか耐えられた。

クーラー入れないなら、扇風機廻すとか、手段を考えて欲しかったなぁと思う。

全員がマスク着用で、換気の為に窓全開・・・

ちなみに、空気力学的に云えば、窓全開は換気にはあまり役立たない。全部出口、全部入口になるからである。

開けるなら、空気の流れを考えて、前1か所、後ろ1か所ぐらいで換気は十分出来るという事を考えて欲しかった。

換気イコール窓全開は、理論的ではないどころか意味がない。

暖かい空気と冷たい空気があれば暖かい空気は上に行く、冷たい空気は下へ向かう

東西に面した窓のどちらか一方の後、前を1か所づつづを開けておけば、空気は室内を循環せずに、外気と交換される。

熱い空気の方が圧が高いので、日の当たる方の窓は一所だけ開けておき、日陰の方を二枚開けておくと云うのも換気という点では効果的である。

窓を全開することが、感染リスクを低減するというなら、高い室温がもたらすマイナスをかんげるべきである。

高温の室内長時間いる場合は、体力の低減が著しいので、感染のリスク上がるという事を考えて欲しかったなぁと思う。

窓を閉めて、クーラーを掛けて、お茶か、水を配った方がまだましだったと思うがどうだろう。

体力消耗が激しい一日であった。

ちなみに、帰りのスタバでのフラペチーノが甘露だった。

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いかないで

彼女の手は、かろうじて、上着の裾に届いた。

けれど掴みそこなって、バランスを崩して倒れた。

大きな音がしたので、振り返ると、倒れていた。

数歩、駆けよると、アスファルトに両手をついて、

弱弱しく「来ないで」

立ち止まった足元に、「来ちゃだめ」と強く言い、

下を向いたまま、小さな声で「だめよ」

投げつけられた言葉を乗り越えて、近づいていくと、さらに言葉の矢は届く

「来ないで」

そう云いながら背中が小さく上下して、泣き出した。

ひざを折って、彼女の肩に手を置いて

「さぁ、冷えるから立とう」

かぶりを、強く、振った。

丁度、小さな子供が嫌々をする様に、「いや」と云った。

横を通りざまの男女が、「痴話げんかね」と云いながら通り過ぎた

仕方なく横に回り込んで足元を見ると、サンダルがない、見ると

数歩後ろに転がっている。

一歩踏み出して、サンダルを拾い上げると、彼女の腰の手を廻して

「うん」と掛け声をかけて体を起こした。

そうして足もとにサンダルを置いて、「はきなよ」というと

ちらっと見てからはいた。

指先のマニュキュアが青く見える。

泣いている姿は、子供の様

肩に手を廻して、「大丈夫?」?というと

かぶりを振りながら、途中で、止まった。

ちいさく、「・・・じゃない」という、

膝頭が刷り剥けて、血が出ていた。

足首を持って少し、膝頭を前に出して、ハンカチで、砂を払い、傷口をよく見た

軽い擦過傷である。

「歩ける?」

と聞くと、両手が、伸びてきた。

あまり泣いている顔は見せたくはないようで、うつむいている。

両腕の枠をぬけて、背中に回り込んだ。

熱い胸板に顔押してけて、深く息を吸っている。

涙をしみこませて消している様な感じがした。

小さな背中に手を廻すと、体が、ちょっと躍動した。

小さな両手に力が入る

「歩けるの」

ともう一度聞くと

鼻に掛かった声で「歩きたくない」

すると、横を通る男性二人が、「お熱いねぇ」「分けて欲しいわ」問いながら通り過ぎていった。

プラタナスの葉がかさかさと舞う中、彼女を背負って歩いた。

背中に、熱い息と、涙の池ができた。

マンションに着くと、管理人さんが大急ぎで出てきた。

「どうしましたか?」と聞くので

「ちょっと転びましてね」

「そうですか」と云いながらエレベーターのスイッチを押してくれた。

エレべーターの中では、鳴き声を上げている。

付いたので、「鍵は?」というとコートのポケットをまさぐったが出てこない。

急に狼狽した顔で、「落としちゃった」という

管理人は、あと15分で帰るという。

管理人に訳を話して鍵を開けてもらえるのかと聞くと、警備会社を呼ばないといけないという。

あるいていたところを一回りしてくるというと、ついて行きたいという。

管理人に懐中電灯を借りて暮れなずんだ路上に出た。

公園ではあった。

公園から歩きだした。

無言で、とぼぼと下を見ながら歩いているが時々どこかに掛けてないかと見廻した。

国鉄のフェンスの近く行くと懐中電灯に反射したものがあった。

さっき、彼女が転んところから少しななれた街路樹の根元に落ちていた。

拾上げると、「これ?」と聞くと

彼女は素直に「ありがとう」と云って受け取った。

急ぎ足で歩き出すと、少し足を引きずったようなそぶりを見せた。

「管理人さん待っててくれるかな?」というと立ち止まって

「もういないわ、時間過ぎると帰っちゃうもの」

そう云いながら、サンダルで、道路に「のの字」を書いた。

「じゃあ、ゆっくり帰りますか?」

下を向いたままである。

「下から覗き込むようにして、お嬢様、お帰りになりませんか?」

まだ、のの字を書いている。

「いやなの」

「なにが?」

国鉄の電車が通る

「・・・は、いやなの」

「何?、聴こえない」

「ひ と り で、か え る の は い や」

「こうやって一緒に帰るじゃないか」

「一緒に?」

「いいですよ」

「ねぇ、手をつないでもよろしくて?」

「どうぞ」手を差し出すと、か細い指が指に絡んできた。

持ち上げるようにして手をつなぎ、ゆっくりと歩いた。

管理室は、暗くてカーテンが引いてあった。

「ね、いないでしょ」

「懐中電灯どうしよう?」

「そこの郵便箱に、放り込んでおけばいいのよ」

そう云われたので、郵便箱のふたを開けて中に入れておいた。

エレベーターで上がると、ドアの前に立っていた。

「今日はありがとう」そういった。

「いえいえ、こちらこそ」

言葉も時間も止まった。

何となく、言いたいことをお互いに言えないな雰囲気があった。

「足は、大丈夫?」

「良く見えないところだから絆創膏貼ってほしいの」

鍵を開けて部屋に入ると、女の一人暮らしの特有の匂いがした。

居間には、ヌード写真が見える。

緑のプラスチックの救急箱を持ってきた。

彼女は、ソファー、刷り剥いた足を、前に投げ出すようにして座った

消息液を脱脂綿にしみこませて、ピンセット傷口を洗うと、一瞬白い皮膚が見えたが、赤い血が少しにじんできた。

「痛い?」

「ううん」

「泣くほど痛くなってこと?」

「ちょっと痛いの」

「絆創膏貼ってもいいけど、このママ乾燥させた方が治りは速いと思うけど」

コートを脱いでいたので、膝上までのセーターみたいなワンピースになっていた。

彼女は、何も言わない。

でも、吐息はあつい

ちょっと、傷口を近くにあったうちわで扇いでみた。

「しみるわ」と云った。

扇ぐのをやめて、傷口を見るのやめると、視線が絡んだ。

少し座り直して、片手が伸びた。

「かえっちゃいや」

甘ったるい、いやらしい響きがあった。

何となく、気味が悪かった。

ついつい、聞いてみたくなった

「なんで、こんな僕がいい?」

「なんでて・好きになるのに理由が要るの?」

「かっこよくないし、いい男でもない、変じゃないか」

「そんなことないわ、素敵よ」

「どこが?」

「スナックに行って話して、それから2回しか会ってない、どうしてそんなことが判る?」

「見てる人は見てるのよ、あなたの事、あなたは、とても親切だったわ」

「親切?」

「覚えてないでしょうね」

「話が見えない」

「あなたの親切が、こうして今あるの」

無防備にしていたら、床に押し倒された。

「なんでわかった?」

「六尺の大男、麻の上下に、丸めがね、後頭部の傷よ」

「傷?」

「母が、後頭部に瑕があったて言ってたの」

「母?」

「覚えてないの」

「あなた、何年か前に、駅で困ってた人を助けていたでしょう?

 あの時の人は、義理の母で、私は迎えに行っていたの」

「すいません、覚えてません。どこの駅ですか」

「名古屋駅よ」

「いつ頃?」

「3年前の梅雨が明ける前の雷雨で、電車が止まった日

 あなたパナマに、麻の上下を着ていたでしょう?

 母は、最寄りの駅まで来て、私が迎えに行くはずだった。

 でも、電車止まって、名古屋駅で、荷物を持って、途方に暮れていると、どうしましたか?と声を掛けてくれた。

 母が、電話したいけれど、荷物が心配でというのを聞いて、電話がかる場所まで、荷物を持ちましょうと云って、運んでくれて、電話かけ終 わって私が迎えに行くまで、一緒に居てくれたでしょ?覚えていないの?

 私の車が着くと、土砂降りの中、荷物を運んでんでくれたでしょう。

 被っていたパナマが風に飛ばされても、母の上に差した傘を動かさなかった。

 名前を聴いたら、名乗るほどのものでもありませんと云ったわ。

 私が車に乗るまで傘を差していてくれたから」

 覚えちゃいないなぁと思ったが、ふと上目づかいに目が合った。

 確か、その時は、小ベンツだった。

 珍しく赤だったので、すぐにわかった。

 でも、運転していた人は見てなかった。

「赤いベンツ?」というと

勝ち誇った様に

僕の上にまたがって勝ち誇った様に

「そうよ、覚えてないの?」という。

「すまない、覚えちゃいない」

「どうして?」

「ある意味、日常だから」

「日常て、どういうこと?」

「困っている人が居たら助けなさい、と云うのが家訓だから」

力が抜けたみたいで、腰のあたりに重さが増した。

「で、僕は、どうなる?」

「どうしてほしいの?」

「帰りたい」

馬乗りになっていながら、「いや、返さない、お礼がしたいの」

「いや、止めよう」

「どうして?」

「そんな安っぽいことは止めよう」

「初めてなの?」

「馬鹿言っちゃいけない」

「ごめんなさい」

「なんだか、自分に対して、ずるい感じしてね、そいうったことは許容できない」

唖然として、立ち上がった。

僕も立ち上がった。

手を握って

「どうしても・・ダメ」

「お礼と云うのが、不可解でね。」

「片恋でも・・・」

手を振りほどいて

さえぎる様に

「不自然なのでね、不器用だし、一人の女の幸せも獲得できなくて煩悶している様な奴は、誰かに、幸せを分ける事なんて無理だよ」

そういって、裾を払って踵を返して、出口へ向かった。

「いかないで」

靴を履いていると、背後に迫ってくるのが判った。

背中越しに、手を振った。

「行かないで、お願い」

向き直って、「もう少し前とか、あとに、出会ってれば、少しぐらい違った結末があったかもしれない」

そいうって、ドアに手を掛けると

背中に、指が掛かった

「いかないで」

でも、「放してほしい。」というと、程なく自由になった。

ドアを閉めて外へ出た。

木枯らしが吹いて寒かった。

 

 

 

 

 

 

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やっぱり駄目よ。

腕を掴んだつもりだっただが、手は宙を舞った。

彼女は、後ずさりしながら、捕まえてごらんなさいと云わんばかりに、左手をゆらゆらとさせた。

右手には、空き缶を持っている。

親指には、リングに下がったキーがぶら下がっていた。

空き缶に、鍵があたってカラカラと鳴った。

赤い夕陽がカギに反射して光っている。

反射的に、追いかけようと前のめりになると、逃げて様に見えたマダムが抱き付いて来た。

勢いがついて倒れそうになるから、力を込めて抱き止めた。

「危ないじゃないか」

飛び込んできたので、抱き締めるようになった。

一瞬、胸の下に、小さな顔飛び込んできた。

直ぐに、顔をうずめると抱きついて来た。

彼女は、力を込めて来た。

か細い甘えた声で、「ぎゅーとして」

「えっ」

そうして、もう一度「ぎゅーーとして、おねがい」

両腕に力を籠めると、柳腰が折れそうな気がした。

そうして、声にならない声を出した。

吐息

そうして、「じっとしてて」という

一間をおいて

「ねぇ、あなた、今日はどうしたかったの?」

薄いコートの下でうごめく体温を感じた。

そうして、腕の中で大きく息を吸っているのが判った。

「今日」と言いかけると、体が硬くなる感じがした。

「いろいろあってね、ちょっと顔が見たくなったんだ、いないと思って来たら、いるからちょっと」

「ちょっと、どうしたの」

「意外だった」

「いて、うれしかったの??」

返事をためらっていると、

「素直じゃない」

「嬉しかった」

彼女の両腕が体に食い込んでくる。

「こんな年増でよかったの?」

ちょっと意地悪な気持ちが沸いて

「年増なの?」と聞くと

「馬鹿、女の年なんか聞くもんじゃないわ」

両腕の力を緩めると、離れない様にと、身を寄せてくる。

まだ日没まえで、公園は人がおおい。

「見せつけるねぇ」という声も聞こえた。

彼女の両腕の力が少し抜けたので

「少し歩かないか?」

そう云うと、身じろぎもしなかった体が離れた。

指が指を求めている。

空き缶を、ごみ箱に入れると腰に手を回した。

薄いコートからは、熱い吐息が漏れるようだ。

危険な吐息である。

腕の位置を変えると、指を求めるか細い指が宙をまう。指をもとの位置に戻すと、細い長い指が絡みこんできた。汗ばんでいる掌(手のひら)が、吸い付くような錯覚を起こさせた。

彼女の手は、後ろ手になり、僕の手の手の甲は コートの躍動する腰の上で踊っていた。

彼女のマンションの前を通り過ぎて、路地をゆっくりと歩いてる

何を話をしたと云う気もしないが、歩いていると、とんかつ屋の前で、そこの女将が顔を出した。

「あら先生、久しぶりですね」

軽く会釈した

そう、学生時代に、バイト先の職員とよく行った店で、年よりも老けていたせいか、ここの女将は、講師の先生だと思っていた。

「あなた先生だったの?」と聞くので経過を話すと、「なーんだ、ビックリした」と言って笑った。

そうして

「お腹空いたの?」と聞くので、

「いや、今日は、軽く食べてるからいい」

「そうね、彼女さんと食べてたもんね」

と云いながら、指は、からみこんでくる。

ほどけない気がした。

大きく、息を吸い込んでから

「あの人ね、私の義理の父なの」

洋食屋に居た初老の人のことだった。

彼女の母親は、離婚して、数年して件の男と再婚をしたのである。

そこの家には、年上のがっちりした息子が居た。

何かと気を使ってくれたけれど、あっさりと交通事故で死んでしまった。

「その人のことを、おにいちゃんて呼んであげなかったの」

「どうして?」

「だって、本当のおにいちゃん悪いもの」

一息ついて

「私、長女だけど。」

・・・指がほどけた

「その前に、長男が居たんだもの、あんまり覚えて無いけど・」

ちょっと前に出た。

振り返りながら

「でも、何となく覚えているのは、幼稚園から帰ると

 家の中がバタバタしてて、お手伝いさんが、太郎ちゃんが死んだといった。」

「死んだって、意味が分からなかった。」

彼女は、国鉄の線路沿いのフェンスに背中を預けた

「朝のごきげんようと言っててを振った相手がいなくなったなんて、おかしいと思っていた。」

「どんどんと、時間が過ぎて、お兄ちゃんがいないことと、もう二度会えないことだけはわかった。」どういい

「こんな話、聞きたくなかったら帰っていいのよ」

そう言って、顔を、背けた

軽く手を握った。

「それから、父と母の間はおかしくなって、母は家を出たわ」

僕は、「ノラの様に?」

「そう、イプセンのノラの様に」

 実家に帰ると、職業婦人にと云うか、お爺さんの伝手で、私立の学校の先生になった。

 そこで、さっき人と出会ったの。

 先様も、奥さんを無くして、男で一つで子供を育てている人という事でしたから、何となく、同情したみたい」

 でも、私とは、養子縁組さえしなかった。

 だから、私が、高校を出た年に、お母さんが、癌でなくなると一緒に住んでいるのが怖くなって、実父に救いを求めたの。

 父は、其の頃、再婚して、新しい家族ができていたけど、受け入れてくれて、大学にもやってくれた。」

ここまで、話すと深い吐息をついた。

先ほどまでの、情熱的な吐息ではなく、苦しみを吐き出すような吐息だった。

「ねぇ、あなたが一緒にいた人」

そう言って

一息ついて

「○○のお嬢さんでしょ?」

急に喉笛に、切っ先を突き付けられた風情がした。

「え」

「うふふふ、私の妹ね、彼女と中高と同級生なの」

お息をのんだ

「今日、見てびっくりしちゃった。

 私は、随分と変っちゃたから、覚えてないみたいだったけど。」

驚きを隠すように

「彼女は、彼女で悩んで居るから」

というと

「違うわ、あの子、あなたの手しか見てなかったもの」

「そうかなぁ」

「あなたかが決断すれば、二人で新しい生活も可能じゃない」

「それが出来れば、誰も困らない」と云い放つと

彼女は、手を差し伸べた。

手を握って、フェンスから引きはがした。

離れた刹那

「私じゃぁ代用品にもならない」

そういい終える前に、彼女の両手が、拒絶した。

沈黙がある。

急に壁ができた。

不可解だったので、半歩前に出た。

彼女の手は、拒絶した。

僕の手は、悄気かえった。

そこで、

「じゃあ、帰るね」

そう云って背を向けた。

「やっぱり駄目よ」そう云いながら、後ろから手を握った。

 

 

 

 

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もう、来てくださらないのね。

1ケ月ぐらいが過ぎて、飲んだくれの上司が、残業をしていると、役所に帰ってきた。

もう20時過ぎているので帰ろうかなという気分でかたずけていた。

全然関係ない部署の課長が、「今日は、何時まで残業をやる?」と聞いてきたので、

「金曜なのでもう帰ります」というと、

総務で、呼び鈴が鳴るのが聞こえた。

うちの課長が帰って来た。

と云うか、駅と反対方向の飲み屋に行ってその帰りに、うちの部に電気がついてるので来たみたいだった。

それほど飲んでいるん風体でなかったが、ネクタイは緩んでいた。

「まだいたのか」

「今、帰ります」

「金曜だからデートか?」

「いいえ、今日は帰ります」

「よし、じゃあ付き合え」

「どこへですか?」

「いいからついてこい」

駅に向かうと、客を下ろしたタクシーがいた。

「これに乗るぞ」

「いや帰りたいですけど」

「なんだ、上司の命令が聞けんのか?」

「わかりました、1軒だけですよ、いいですか?」

この頃、もう土曜日の半ドンはなくなっていたから、週休二日だった。

タクシーの運転手に、トヨタビルの近くの○○までと云っている。

ちょっと、嫌な予感がした。

タクシーは、週末の道を走る走る。

課長が、何かんぶつくさ言っている。

「こいつを、つれて来いってうるさいんだ。連れてきたらいいことがあるのかって聞くと、お礼がいいたからてぇえんだ。」

なんだか、怖い気がした、帰りたかったが、帰れない。

丁度、谷崎潤一郎の「刺青」を読んだ後だったので、何となく絡新婦(じょろうぐも)に、抱きすくめられるような気がしていた。

サデイステイックな女の背中にうごめく絡新婦

男の生き血をすすり

そんな文中の言葉が浮かんだ

店の前に着いた。

やっぱりあの栗原小巻の似のマダムの店だった。

ちょっと困ったが、仕方がない気がした。

店に入ると、酔客のカラオケ聞こえていた。

バイトの娘が、「ママ、ママ」と云うのが聞こえた。

カウンターは満席で、小さなテーブルが一つ空いていたのでそこへ座り込む課長

仕方なく座ると、おしぼりを持ってマダムが来た。

マダムは、私の横に座ると、「ハイ」と云っておしぼりを渡してくれた。

課長が、「ママぁ、ご希望通り連れてきましたから、どうぞ、ご自由に」というと、何となく寝落ちモード

小さな声で「ねぇ、どうして来てくれないの」

「約束してないですよね」

「あなた、何か飲む?」

「いいです、下戸なので、ジュースか何かを、1杯飲んだら帰ります。」

「だったらいいわ、明日、10時ぐらいに家へ来てくださる?」

「それは、無理です、別約がある」

「デート?」

「あなたには、関係があありません」

「まぁ、酷い」

「すいません、今日は急ぐので、お愛想を」

「いらないわ」

「すいません」

立ち上がると、課長は寝ているので、帰ります云うけれど聞いていない風だった。

11月に入って、22時過ぎるとさすがに肌寒い。

外へ出ると、マダムがついてきた。

袖を引いて、「待ってく下さる」

「何ですか?」と振り返りざまに聞くと、

「妹が、母親の違う、妹がお礼を言いたいって言ってるんです。」

「お礼は不要です、そうお伝えください」

すると、抱き着いてきて、「一度ぐらい・・・いいじゃないの」

「婚約者が、いるのですいません。」

パッと離れた

目がうるんでいる。

「うそうそ」

「すいません、帰ります」

そう云って、ちょっと離れたバス停まで歩いた。

翌日、親の決めた婚約者会っていたが、母親同士の友情から発する婚約なおで、婚約と云っても、もろかった。

男親の意思は固く、お互いが、どちらの家に入りることも許されないような状態だった。

こちらは一人息子、あちらは一人娘、どちらも婿にも嫁にもはなれず、数年が過ぎていた。

二人は、密会しては、情事にふけり、逃避行を夢見ていた。

一度は、アメリカに逃げたら?と考えたこともあった。

自分たちの意思とは関係がない、旧い「家」の意識があった。

話の結末は、何時も、どちらの親が折れるのか?という堂々、巡りを繰り返していた。

アメリカへ行こうという気は、昔からあった。

だから、大学時代、YMCAに4年間通った。

簡単な英会話は何とかできる程度になっていた。

二人で、逃げてどこへ行こうなんて藩士をしていたが、結局、親を捨てることはできないといという話にもどる。

でも、「逃げちゃおうか?」そんの事を云いながら、?求めあっていた。

しかし、結論の出ないことを、二人で話し合っても埒のあかないことで、折れそうにならない両方の男親を恨んでいた。

お互いに寂しくなると、個室でじゃれ合うが、大抵の場合は、大きな公園の公会堂の日陰で、座り込んでは話をするだけだった。

最近は、逢う事さえも咎めれれている様な風になっていた。

二人で、指をからめ、公園中を徘徊して指をからめた。

11月の夕暮れは、早い、急に暗くなっていた。

まぁ、晩御飯は一緒にと思っていたので、あるお店に行った。

彼女を従えて入ると、時間が早いので、お客はまばらだった。

テーブルの上で片手を握りあいなが、暗い将来の話をしていると、初老の男性と、ちょっと派手な服を着た女性が入ってきた。

派手な女性は、マダムだった。

隣のテーブルに座を占めたので、手を離すと、彼女の対面にマダムが座った

初老の男性は、何となくやつれた風体だった。

彼女との逢引きの時間が終わりそうになったので、彼女と外へ出た。

木枯らしは、まだ早いが、寒い風が頬を通り過ぎた。

「送っていくよ」

彼女は、腕をつかんで、寄りかかってきた。

寂しい逢瀬

歩いても30分ほど。

ゆっくり歩いて、彼女の家まで行くと、

「おとう様、帰ってないから、お茶飲みます?」というが、先日、ちょっ険悪になったので、

「いや帰る」と云って、門のくぐり戸の方へ向かった。

彼女はついてきて、木陰で、接吻をして外へ出た。

大きな門が、自分を拒絶しているような感じを受けた。

そこから、少々、歩きたい気がしたので、ちょっと離れたバス停まで歩く気なった。

広い通りに出ると、自分の感情を逆なでするように、擦過音を立てながら車が通りすぎていく。

ふと、電車で帰ろうと思った。

そこで、方向転換をして、駅へ向かった。

1時間ほどブラブラと歩いて、駅に着くと、魔が差した。

今日は土曜で、さっきのは多分同伴出勤だろう。

いないだろうなと思って、マンションへ向かった。

駐車場には、SLKが止まっていた。

エレベーターで上がると、呼び鈴を押すのを、一瞬躊躇した。

でも、なぜか押してしまった。

すると、金属製のドアの除き穴から、伺うような音がした。

少々間があって、ドアが開いた。

マダムが出てきた。

「あら、来てくれたんだ」

意外だったので、「お店は?」

「今日は、色々と用事があったから、みよちゃんに頼んだの」

「・・・・・」

「で、どうしたの?」

部屋着のセーターは、腰のあたりまであった

何となく気がとがめた

「すいませんでした」

そう云いいながら頭を大きく下げて、乗ってきたエレベーターで降りようと踵を返した。

マダムは、サンダルを履いて出てきた。

「まって」

振り返らなかった

「まって」

裾をつかまれた。

「奇麗な子ね、結婚するの?、それとも振られて、ここへ来たの?」

意地悪な質問だった。

「すいません」というと、

「そこまで安っぽくはないわよ」と居丈高に云った。

「なんか、気になって」

「抱けると思った?」

「思ってない」

「どうだかねぇ」

「じゃあ、とりあえずそこの公園で話しましょう、そこの公園で待ってて。ちゃんと、逃げないで待ってて」

道路を挟んだ向かいには、公園がある

公園の近くの自動販売機で缶珈琲を買って待っていると、コートを羽織って出てきた。

たわいもない話を小一時間もすると、

「あなたいい人ね、でも悪い人」

黙っていると

横に座っているマダムの体温が、近づいて来た。

「珈琲ありがとう」

そうして同時位にベンチから立ち上がると、耳元で

「変んな事ばかり聞いてごめんなさい」

そんなことはない、誰かに話かったんだというと

「すっきりしたの?」

「何となく、心の曇りが取れた気がする」と答えると

一呼吸おいて

「もう来てくださらないのね」

と云った。

マダムの手をぐいと引いた。

 

 

 

 

 

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ねぇ、もう帰るの?

翌日、図書館へ行くつもりで、家を出た。

図書館で、小説を借りて、帰宅途中、昨日の国鉄の駅で降りてみた。

バーのマダムを下ろして、車を止めたマンションの筋向こうに、1件古本屋があったからである。

それほど古い店ではないが、ちょいちょい出物があるので訪れていた。

先回、ちょっと気にはなったが、給料日前で、少々買うのが厳しい感じがしたので買わなかった本に、もう一度出会うためだった。

古本屋は、初秋の風情など関係なく、閑散で、古臭い匂いがしていた。

棚を探していたが、記憶の場所にはなかった。

「うれちまったかな?」とつぶやいても、誰お探してくれはしないので、棚の上から下まで丹念に探し出した。

なんだか、本の並びが違うようである。

「あれ」と思いながらよく見ると、配置が変わっている。

すると、ボーグのスタイルブックが野積みみされていた。

祖父の家にあった、戦前板の様だった。

数えると、5冊あった、1冊1000円だった。

5冊も買う事にして、店主に「××の書いた、〇〇はないですか?」と聞いてみた。

店主が、「ああ」と云いながら探しに行った。

「先週、ちょっと移動したんで」と云いながら、本棚を探すと、出てきた。

これは、1冊で5,000円

包んでもらっていると、若い声が、「あー無くなってる」と叫ぶ声が聞こえた。

若い娘が、?「ここにあったボーグのスタイルブック売れてしまいました?」と聞いた。

店主は、私のか顔見ながら、「売れてしまいました」という。

紙袋からは、ボーグが顔をだしている。

すると、「けいちゃん、あったの?」という声がした。

若い娘は物欲しそうな目で私を見て、「お姉ちゃん、売れちゃったって」

「だからさっき、すぐに行かないから」と云ってはいてきたのは、栗原小巻嬢似のバーのマダムであった。

今日は、ライムグリーンの白い襟の付いたワンピースを着ていた。

すると、「あら、あなた」という

仕方がないので、ボーグを袋から出して、「返品でこちらの方へ」と言うと、

店主は手を振る。

「ダメ」という意味らしい。

そこで、若い娘に、「5000円で買いますか?」というと

「はい」と即答、

店内でのやり取りは不如意なので、外へ出た。

「おねえちゃん」と鼻に掛かった甘えた声で言う。

マダムは、財布から5000円札を出して、私の前に出した。

私は、5冊のボーグと交換に5000円をもらった。

マダムが、「奇遇ね」とい

若い娘は、「お姉ちゃんありがとう、私帰るね」と云って軽い足取りで、駅に向かって歩いていった。

私も、「昨日は」というと

「ひどい人ね」

と云いながら、「まだ、明るいからお茶でも飲みますか?」という

この界隈の喫茶店は知らない。

気の利いた喫茶がある様にもあ思えない。

すると

「買い物あるし、ちょっと車で、出かけましょう」

と云うので、ついて行くと、SLKを路上にだして、屋根を開けた。

すると彼女は、キャップをかぶりサングラスをかけた。

私は、まだパナマである。

「お役人に見えないカッコウね。」という

酔っていないと、口調が丁寧である。

麻の上下に、綿のシャツ、パナマ帽に、革鞄である。

黒い長いレースの手袋が、ハンドルを操っている。

程なく、車を止めて、、

食材を買いに明治屋へ

本を買いに丸善へ

荷物持ちである

ある昭和の色濃い喫茶店へ行くと、座るなり

「まだ時間あるの?」と聞くので

「3時間ぐらいなら」と答えると

「今日は、土曜だから、お店開けないといけないの、私、一時間ぐらいしかないの?

 お店来る?」という

「お金がないから行かない」というと

ちょっと、あぜんとして

「真顔で言う事じゃないと思うけど、かわいいわねぇ、ますます気に入っちゃった」

ここで、私の顔は真っ赤だったらしい

向かいの席のマダムの足先が、足先をつつく

「ほんとに体格いいわねぇ」という

私が黙っていると、

「前から、Tさんから話聞いて興味があったんだ」という

その時上司だったTさんは、マダムに

「近度、入云って来た若いのバーンと体格良くてなぁ、何時も圧倒されている」

(物故したTさんは、定年2年前に、酷いことをされたのでやめてしまった人だが、小さくて、細くて虚弱な感じの人だった。)

と云っていたそうである。

マダムは、体格のいい男が好きなのだが、波長が合わないとだめだという。

「波長?」良く判らないなぁと思いつつ。

「あの食材は?」というと、

「持っ帰って冷蔵庫に入れて、お店に行く」という、お店は、バイトの子が先にお開けるという。

「じゃ帰りましょう」と云うので、伝票をひったくて、支払いをすると、

「ねぇ、腕組んでもいいかしら」という

「ちょっと、こまる」というと、無理やり腕を組んだ来た。

「帰りは運転してほしい」と云うので運転して帰ると、

足早に降りて、「開けたままでいいから」と云って、トランクを開けて、荷物を出したので、

キーを抜いて荷物を持ってついて行くと、管理人さんがいた。

エレベーターを上がって、ドアを開けたので、中に入るときに、

入っていいですか?と聞いて

「遠慮しないで、入って」と云われたので、抱えた、紙袋を持ってはいった。

探るように「お邪魔します」というと。

マダムが、「どうぞ―」という。

地味な外とは違った明るい部屋だった。

テーブルの上に明治屋の紙袋を置いて、

「これどうしますか」というと

冷蔵庫に入れて欲しいという。

冷蔵庫に入れるものと、調味料はテーブルに置き去りにして、

「じゃぁ、帰ります」

と云いながら、リビング入ると、壁に白黒のヌード写真が飾ってあった。

マダムは、「お店まで送っててくれないの?」

「SLKでですか?」というと、

「あれしかないの」

「でも」

「乗って帰って、0時過ぎに迎えに来て欲しいなぁ」

ちょっと気味が悪くなった。

「いや、もう帰りますから」

そう云いながら、靴を履いていると

「ちょっと、まって」私も出るからという。

夜の戦闘服に着替えていた。

エレベーターに乗り込んでから、気が付いた

ハイヒールである

「それで運転するの?」と聞くと、

「パンプスが積んであるからいい」

降りると、彼女は、なぜか助手席へ、車のキーを渡されて、

「ねぇ、お店まで送っていって」という

仕方なく、片道10分ほどに道を運転して、パーキングに入れると、屋根を閉めると、彼女は降りて、まっている

車のキーを渡すと、

「約束だから、お店までね」と云いながら腕を組む。

夜の店は、出勤で「おはようございます。」である。

歩いていると、別の店のマダムが、「同伴出勤ね」という

腕に力が入る。店のほんの、10メートル前で、急に手を離すと、

「無理を言いましてすいませんでした」と云ってぺこりと頭を下げた。

帽子をとって、胸に掲げる様にして、

「今日は楽しかったです、ありがとうございました」と、本心とも社交辞令ともわからないような事が口をついて出た。

彼女は、小さなバッグから、名刺を出して、裏に電話番号を書いた。

その名刺を渡しながら、「家の電話だから」と云った

そのまま帰るのは、後ろ髪をひかれる気がしたが、別段かっこよくもない男にこんなことを云うのは気味が悪いというよりも、何かありそうで怖いと思った。

ちょっと片付かない顔をしていたせいか、

「ねぇ、ちょっと」と云うので、少しかがむと

耳元へ「ねぇ、もう帰るの?」と、悩ましい声を出した。

怖い怖いと思いつつも、ある勇気を出して、

「帰ります」というと、

ちょっとしょげた顔をした。

繁華街から、家の近くまで路線のあるバス停まで、30分ほどかけて歩いた。

歩きながら、考えた。

落語の女郎が、客を釣るときの話を、思い出しながら、気持ちを落ち着かせた。

すると、バス停で、バスを待つ間に、夜の秋風がすり抜けていった。

夏の服装は終わったなぁと思うのと、秋口は、人肌恋しくていけないなと思った。

 

 

 

 

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きっと、もう一度来てくださるわね。

随分と昔の事である

当時の上司(すでに物故)は、酒とカラオケの好きな人だった。

なぜか、残業をしていると、「飲みに行くぞぅ」という人だった

(転職した翌年で、毎日4時間ほど残業をして、毎月100時間を超えても、数万円しかついていない(管理者帰っちゃうからね・・・)

そのうち、庁舎の鍵を閉めて帰る様になると、残業代が付く様になった。

整合性の問題で、残業手当のついてない奴が、毎日、22時に庁舎閉めて帰るのはまずかっただろう。

記録が残るからね。

でも最大30時間しかつかなかった。)

何かポカをやって、気に病んでいると、

「飲みに行くぞう!」

と云われて、カラオケスナックに連れていかれた。

そこのママ(40代)は、栗原小巻似の美人だった。

話をしているうちに、乗っている車は、小ベンツでという事と、うちとは反対方向に住んでいる様な事は判った。

車の話をして、運転してみたいというと、嬉しそうだった。

なぜか、このママに気に入られたみただった。

ヘルプのお姉さんが、終電前に帰ると云う。

僕も、「終電の時間があるから帰る」というと上司は、

「自分は、タクシーで帰るからいい」と云って居座りモード

こちらも、地下鉄の終電がなくなると困るので、帰る素振りを見せると、

「もう三十分したら閉めるから待っててよ」と云われた。

上司は、泥酔の体で「ママ、若い子からかっちゃダメだよ」と云いながら、ママの手を握る。

ママは、「この人困った人ねぇ」と云いながらタクシーが来る、押し込んできた。

私は、あと30分居たら国鉄の駅まで足がなくなる。

腰を浮かせると、ほかの客帰りかけたので、その人の支払いが終わるのまって、

私は、?「お代は?」と聞くと

済んでるという。

「じゃぁ」と云って立ち上がると、残りの客は、あと一人になっていた。

ママは、耳元で、「まっててほしいな」といやらしい、声でささやく

「車は、すぐそこのパーキング時間かからないわ」といいながら

「メルセデス、運転させてあげるわよ」とささやいた。

心が騒いだ

その客も、起き上がって、ふらふらしながら出ていった、聞けば、歩いて帰れるところに住んでいる人だという。

ママは、警備装置をセットして、ドアを閉めて、ニコリ笑って

「さぁ行きましょう」という

腕組みをしてである。

歩いていく途中で、ほかの店のママが、

「今日は、お持ち帰りされるの?」とか言っていた。

ママは、「違う、おもち帰りするの・・よぉ」と叫んでいた。

近くパーキング迄行くと、しゃきんとして「これよ」、という

小ベンツと思っていたら、当時出てももないSLKだった。

新車の輝きがあった。

「ねぇ、うちどこだったけ」

というので、

地名を云うと、「じゃぁ高速で行っちゃおう」という

ママは、少し酔っている風なので、

「運転していきますから、送りますよ」

というと

「やっぱ、お。と。こ。ね」と云いながら腕にぶら下がった。

そうして、腰に手を廻した。

「私、どうされちゃうのかしら」と云いながらカラカラと笑う。

「ねぇ、いいところつれてって」という。

助手席に、ママを押しこんで、シートベルトを締めて、運転席に乗った。

乗った瞬間に、プアゾンの臭いがした。

ママも、プアゾンである、三越の臭いと云われた、プアゾンである。

屋根を開けると、ちょっとうすら寒い

でも、パーキングを出るのに少々時間が掛かった。

夜の街が閉まる頃、道路は混んで、渋滞をしている。

酔客と、帰りを急ぐ女給の姿が沢山見えた。

ママは、のろのろ進む車中から、知り合い見つけると、、「いやーん攫われちゃうー」なんていいながら手を振りながら叫んでいた。

住所を聞くと、国鉄の駅の向こうだった。

近くの目標を聞くと何となくわかったので、車通りがほとんどない夜の道を進んだ。

ママのマンションの前の路上に車を止めてママに降りるように云うと。

何となく寝たふり

肩を緩くゆすると、着いたの?と云うので、付きました車、何処に止めればいい?と聞くと

番号を云うので、そこへ止めて屋根を閉めた。

駅まで、歩いて10分走れば5分

終電に間に合いそうである・・・

そう思ったら、「据え膳いらないの?」と云われたので、

「ちょっと今日は?」というと

真顔で「じゃぁ、また今度ね」と云って、顔を近づけてきた。

そうして、耳元で「また来てくださるわね」と云われた。

ちょっと、惜しいことをしたような気がしつつも、終電に乗るために駆けた。

もう30年近く前のことである

 

 

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パワーハラスメントな日々

隣の課長のパワハラモードが厳しいので、上司にその旨を伝えた。
まぁ、隣なので、直接的な関係はないが、聞いていて聞き苦しいい。
年下の部下は全員、呼び捨て。
呼び捨ては、基本的には良しとしない。
人格を否定しているようにしか思えないからである。
まぁ低学歴の人はその手が多い。
なので、呼び捨てにしているのを聞いていると非常に不愉快である。
聴いていると、非常に嫌な感じが沸き上がる。
個人的な意見として、呼び捨てにするのはあまり好きではないと云うか、非常に嫌いである。
私、仲のいいの友人を「ちゃん」付けで予備う事はあるが、基本的には、「さん」か、「君」をつけるようにしている。
それは、最低限度のマナーだと思っている。
今だに人を、と云うか、部下を呼び捨てにするのは、前近代的な感じを受ける。

この様な他人が不愉快に感じることは、パワハラである。
運動部出身の者は気にならないらしいが、私は、自分が、他人を呼び捨てにしていいという生活をしてきていないので、これは肯首はできない。
また、私個人対する悪感情があらわなので、呆れている。
先日、大卒の若い衆に、モノ見方考え方を説明していると、その若い子の名前を、どなるようにして呼び捨てにして、自分の指示をだした。
人が話をしているのと遮ってである。
これは、パワハラの典型である。
この課長、馬鹿みたいに「本当ですか」を、連発する。
一日に10回以上、間投詞の様に言葉の端々に使う。
今日も、話の途中で、1度「本当ですか」と云ったので、「嘘を言っているつもりはないのだが?」と言い返してみた。
蟷螂の斧の様な反撃である。
7・8年前に、あるところで勤務していた時に、パワハラで、疲弊したことがある。
一時期、死んだ方がマシとか、会社行くのが嫌というモードになったことがある。
鬱の前駆症状であった。
その時は、相談する人もいなかったので、思い悩んでいたが、子供のお迎えやいろいろなことで多忙であったが眠れらないという状況だった。
朝起きると体が重い
駅を降りると、行きたくないという感情が沸きあがる。
でも、生活の為、子供の為、親の事を考えると、安易に逃げることも難しいと思って嫌々会社に行く生活が続いていた。
そうして、これはさすがにイケないと思った。
精神科の友人にお電話で聞くと、とりあえず診療所その旨を伝え眠れる薬を、もらえと言われた。
診療所へ行くと、専門医へ行くと「鬱」と判断されますと云われた。
その時のパワハラ上司は、高崎という者だったが、隣の課長は、この高崎にとってもよく似た言動、しゃべり方をしているから余計に嫌悪感が増すのである。
こちらは、子供の大切な時期のなので、気分の悪いことはサッサと解消するか、防衛をしなければならないと思うので、一応、
うちの上司に、この3日間の言動態度は、明らかにパワーハラスメントの典型的行動に当たる旨を伝えた。

すると、5分ぐらい後で、隣の課長を連れて、事務打ち合わせと称して引きこもって30分も帰っこなかったので、何か話をしていたのでと思う。
なぜ、パワハラ課長が、何か言われたように感じたこと言えば、午後、新人君に、「くん」付けで呼び、あとは「呼び捨て」だったからで、人に対して、初めて「君」を付けたら、多分、呼び捨てを不愉快でパワハラと感じているというという事を言ったのが伝わったかなとおも持ったのである。

まぁ、この件は、総務課長に相談する予定で、既に予約を取った。
ここ3日間の言動は、パワハラ日記として記載している。

又、現時点での本店の主流と仲が良い云う事(飲み仲間という事)吹聴すrのは何だろうと思う。
本店の連中が、コロナの初期の段階で、飲み会を、意見交換会と称して、たびたび開いてた。
さすがに、課長補佐は、途中で参加を、取り止めたそうであるが、飲み会を、意見交換会と称して行うというのはいかがのものかと思う。
ちなみに、本店の主流の連中は、いまだに良く飲みに行くそうである。

 

 

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日産、三菱自動車、ついでにルノーの先行きが危うすぎるという話・・No29

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-9f0813.html つづき

今の日産、三菱自動車の最大の問題点は何かと云えば、過剰生産による過剰な在庫である。

どこの企業でも、避けなければならないことである。

過剰生産、過剰在庫を教訓にした会社がある。

1950年、トヨタ自動車は、経営危機に陥った。
かつて、NHKが放映した番組で、乗用車の生産に手を出したから会社が危なくなったと言って労働争議に参加するという嘘の画像を流していた。
トヨタ自動車の危機は、乗用車の生産に着手したことが原因ではない。
会社側の原因としては、過剰性生産、過剰在庫である。
社会的情勢としては、GHQの製作と、戦後不況、売却した車の資金の回収ができなかったという事実である。
工場労働者としては、販売を無視して生産を拡大すれば、給料が入ると思う。
購入することが可能な顧客がほとんどいない状態では、過剰生産となる。
トヨタの基本は、Ford GMのシステムの進化、発展を目指したのである。
トヨタ自動車は、戦前、豊田喜一郎氏が目指した、原始的な「ジャストインタイム(JIT)」は、一日の生産委必要なパーツだけを工場内に置くという行為から始まっていた。
米国のFORDの同一工場内での一貫生産は、ある意味JITの原始的な形態である
これは、製鋼から始まって、各パーツを生産してくみ上げていく
この組上げていく工程は、同一敷地内での組み立ては、本来的には「ジャストインイタイム」的であるが、造る端から売れていくという状態が続くと、単一車種の大量生産だから、「ジャストイン」という発想は胡散霧消する。
トヨタは、FORDのジャストインタイムシステムに、GMの少量生産をシステムが組み込まれていく。
日本は、市場が狭いので、米国の様に大量生産をしても売る場所がないないという状態である。
戦前の自動車生産を、単一車種の大量生産だった。
戦後の自動車生産は、多品種少量生産が主流になる。
狭い国土のニーズを細かく受け持ったからである。
日本人的な器用貧乏の典型である。
昭和40年代以降、トヨタ多品種少量生産をどんどん純化していく。
セリカで始まったフルチョイスシステムはその先駆けである。
これは、トヨタで始めた、物流のトヨタシステムと、工場のトヨタシステムが統合されてできたシステムである。
欧米式の車生産は、基本は、単一車種の大量生産システムである。
だから、T型フォードは、1500万台もの同一車種を作ってテンで、恥じないのである。
トヨタのシステムは、購入者の発注内容が生産担当に伝わり、その要求された仕様の車を作る様にパーツが発注される。
初代のセリカの古チョイスシステムは、あの当時としては驚異的な生産システムであるが、これは単に、多品種少量生産の究極系だともいえる。
では、なぜトヨタは多品種少量生産を可能にしたのか?
しかも、JITを導入しての生産である。
根本原則は、過剰生産、過剰在庫がを避けるという思想である。
過剰在庫を避けるという事は、適正在庫という理念に行きつく。
だが、在庫は、資金の滞留である。
資金の滞留を無くするためにはどうしたらよいのか?
適正在庫ではなくて、在庫は持たないという事実にたどり着くのである。
過剰在庫、いずれは不良在庫になる製品を作り続けることは、長短期的に見て会社を傾けるという事をよく知っていたからである。
日産、三菱自動車は、2020年1月末までは、過剰生産を続けていた。工場稼働率を下げると見かけ上の生産性が低下して、収益性を悪く見せるからである。
なぜ過剰生産かと云えば、売れもしない車を作りからである。
当然の様に、売れない車を作っても、在庫になるだけである。
日産、三菱の余剰在庫は、輸出拠点、輸出先のヤードの山積されている。
思うに、標準的な装備の車は作ってため込んだ。コロナ騒動を逆手にとって、工場を休止して在庫を売ろうとしたが、コロナの影響で車が売れない。
結局、積み増しはないが、在庫も減らないという悪循環になった。
工場を、数日でも動かさなければならないのは、数十台の受注した車の生産の為と云われている、生産台数30台ぐらいいらしい。
2月以降、水島工場を除いて何台生産したのだろう。
その様に考えると、三菱自動車の余剰在庫は云ったどれだけあるかという疑問が沸いてしまう。
過去2年以上、海外デーラーに、在庫を押し付けてきたが、どこも車が売れなくてもういらないという状態であるという。
ヤードは満杯でどうにもならないという。
コロナで、生産を止めたので三菱的な適正在庫になることを期待したが、車自体が売れないので在庫は減らない。
この先、数か月で三菱自動車の命運は決するのではないかと思う。

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-f41b9a.html

つづく

 

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日産、三菱自動車、ついでにルノーの先行きが危うすぎるという話・・No28

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-40d4cf.html


米国人は、意外と質実剛健である。壊れたら極力直して何とかしようとする。

アメリカのDIY(日曜大工)的な商品の層の厚さには驚くことがある。

それは、修理を頼むというよりも自分で直そうとする意識の差である。

西部開拓時代から、自分でやらざるを得ないという状況も手伝っているのは事実である。

ちゃんと直すのである。
東洋人のインチキなDIYとは大違いである。

昔、さびとり雑誌と云われた月刊誌があった。

この雑誌では、素人が、ハンドリベットで、金属板を接合して板金修理をするというすさまじい記事が載っていた。
そうして、その上からパテもりをするという。
その昔、穴の開いたボデイに、新聞紙貼ってパテもりなんて車もあったが、レベル的には、修理に道具として金がかかっているという点だけの差で、感覚的に異常な感じがしたことは事実である。
その記事読んでから、徐々にその雑誌を買わなくなった。

この記事の程度の悪さは、ただの外板に使うならいざ知らず、強度のかかる部分をそれで直していたという点である。

米国ならちゃんと溶接で接合するだろうし、雑誌もそんな能無しな記事は載せないだろう。
自己責任とは言え、限度がある。
こうした雑誌を読んで、我も我もとリベッター修理をしているのがいたのには驚いた。


(脱線的蛇足

以前、三重苦というおじさんは、時々「迷言」を残していた。
「米国人にはホンダスポーツのエンジンは、直せない」と主張して止まなかった。
その理由が、噴飯もので、米国人には、精密なエンジンを組み立てることが出来ないという暴論であった。

かの三重苦君は、米国が、P-51ムスタングの搭載エンジンであるマリーンエンジンを、パッカードがライセンス生産をしていたという事実を知らなかったらしい。
当初、米国側は、この様な精密な航空機エンジンを作ることは不可能だと回答したが、マリーン者の技術指導で生産をすることで完成することができた。

同じ人類であれば、○○人だからできないというようなことを云うのは、単なる人種差別である。

三重苦は、デブ(脂ぎっている、腹だけ出て、態度もデブ)、ハゲ(バーコード)、眼鏡(なんだかものすごく古い古いデザイン)というモテナイ三重苦であった。
彼の自信はどこから来るのか知らないが、過度の自己陶酔と、根本は性格が悪かったからモテなかったのである。
丁度日産の様に、真実を見る気がなかったので仕方がないと云う気がする。)

こうした性向を持つ米国人から見ると、変に直せないところが壊れる車は許せないだろ云うと思う。

米国日産から、日産本社にその手の改善をして欲しいという要望があったという事も聞いている。

ルノーのパーツを使う事を推奨したのは、ゴーンである。

ゴーン後に、見直すべきは、社内の体制でなくて、自社の製品のレベル向上を行うべきだった。
ゴーンが去った今も、不思議なことに、日産は、現在もルノーの製品を使い続けていることである。

ルノーの製品を買い続けることが、日産にとって良い事ではないことに気が付きながら買い続けるのは、日産が、低品質なパーツを使い続けているに慣れているからかもしれない。

日産のサプライヤーの提供するパーツの程度は極めて悪い。

ジャ〇コの評判に悪さはどこから来るのだろう。

誰に聞いても、「ジ〇トコだからねぇ、こわれるよね」という話は多い。

あの電装品の品質が最低な英国でさえ見向きもされなサプライヤーがいる。

それは、サ〇デンで、英国工場の生産するクーラ―の効きはものすごく悪かった。

それに良く壊れた。
デンソーが英国に進出すると、サン〇ンのクーラーは見向きもされなくなる。

つまり、日産はもともと低品質なパーツを集積して車作りをしていたと云える。

つまり、安い割に壊れないという程度だったという事である。

車のシステムが原始的であった頃は、ダットサンの英国車も同じレベルだったという事である。

そうして、英国車と同じような価格帯でありながら、壊れないというのは魅力的だった。

しかも、英国車よりも、多少安い。

日本製小型車がよく売れたのは、オイルショック後である。

小型で燃費がいい。
小型で、大排気量ではないのだから、燃費は良い。

米国の大きく重い車体では、燃費は悪い。

おまけに、品質的に安定な製品は好まれた。

オイルショックが収まっても、米国人は、大型車には戻らなかった。

そこで、日本車は、摩擦の解消も含めて現地工場を開設する。

ホンダは、パイオニア的に進出して、現地化を進めた。
ある程度の日本車を購入する層ができた。

この層は、小金持ちが多かった。

日産の持つ最新の施設、技術を利用するだけ利用するという方針に変更したという事ではないだろうか。


 

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日産、三菱自動車、ついでにルノーの先行きが危うすぎるという話・・No27

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-884d2f.html

この危機的状況にあって、ルノーは気が付いたはずである。
日産自動車は、「まつろわぬ民」である。
日産自動車との統合など云う無用なコストを、かける余裕はないという事である。
不毛な努力をすることは、現時点では中止するとういう方向性を打ち出したという事である。
考えてみよう。
ゴーンは、ずるいレバノン人である。
しかし、それらのレバノン人を支配するのは、フランス人である。
フランスは、植民地経営に慣れた民族である。
大東亜戦争以前、戦後、ベトナム、インドシナでのフランス人の現地人に対する行動規範、様式はどうだったのか?
彼らから見れば、有色人種はペットだという意見がある。
つまり悪く言えば、人間とは思っていないという事である。
そのあたりの感覚は、イギリス人とは違う。
彼らフランス人の有色人種に対する意識、思考パターンを、従来の植民地経営から感じると云うか、多少の参考にはなるのではないかと思う。
現在のフランスの植民地であるタヒチを含めた南洋群島は、フランスとはなかなか難しい距離感があるという。
日産は、利益がなくななれば、ある意味、財布としての利用価値がなくなったという事である。
つまりは、財布では無くて、骨までしゃぶられる存在、つまり最終的には捨てられる存在になったことを、覚悟をしろと云うことかもしれない。
これからは、財布としての利用で価値がなくなれば、自社体質強化の為に利用することを優先するという宣言であるという感じがしている。
日産を利用して、自社のコスト体質の改善と、体質の強化が目的ではないかと思うのである。
ある一面は、日産に、ルノーのパーツを売りつけるという事である。
日産は、ルノーの出来の悪い製品を買わされて、自社の製品に組み込んでいる。
ルノーの低品質な製品が、日産の評価を貶めているという事は、表立って誰も云わない。
30年前の米国では、マキシマは非常に人気があった。
大きな体の米国人が、いい車だと言って乗っていた。
三菱のエクリプス、エクリプスのオープンは、人気があった、だがどうだろう。
30年後、見る影もない。
日産は、インセンテイブ販売を止めたと云いながら、2019年も、結構な金額をばらまいている。
よく日産は、インセンテイブをばらまい方から売れたと主張している。
日産自身もそう発表している。
どうも、それはある意味正しいが、本質的には間違っている可能性がある。
インセンテイブを払わなければ売れなくなったというのは、「なぜ売れなくなったのか?」という疑問の答えではない。
日産は、インセンテイブを払って売るのだが、インセンテイブを払えば購買層は広がる。ただ、元々の購買層が、中程度から上の、壊れない日本車というカテゴリィの中で、トヨタ、ニッサン、スバル、マツダを選んでいたとうする。
ルノーのパーツを組み込むようになると、以前より故障する頻度が多く発生する。
故障しない車を求めている層は、買わなくなるだろう。
初代のインフィニティQ45が、英国風の高級車で売りに出した。

最初の頃は、出足は良かった。

英国車に替わるエレガント風な車として人気があった。

結局、故障が多く、しかも治らないという状態が続いたので、顧客は逃げた。
英国車は、1970年代以降、酷い車しか作れなかった。

そこで、その購買層の軽薄な最初は飛びついた

そこで、米国の高級車市場中位から階位をクラスの乗手が、レクサス、インフィニティに移った。

手難いトヨタとは違い、いろんなところに軋みの出て来ていた日産は、新規ブランドを手堅く育てることができなくなっていた。
2000年以降、日産は、インフィニティブランドを、米国での高級車路線には乗り切れない、中途半端な小型車(アメリカで云うところ小型車)で販売は何とか維持した。
しかし、根本的に故障が多く、修理に金がかかるとなると徐々に顧客は逃げていくようになる。
ゴーンの拡大政策で、生産台数は増える、在庫も増える。
在庫が増えると、資金的に厳しくなるので、早急に売らなければいけない。
勢い在庫処分をするときはどうするのか?
簡単である値引きをすればいい。
値引きとは、インセンティブである。
数年は拡大するが、元々も販売できていた購買層からは、購買層が低下すると、敬遠されるようになり、高い車は売れなくなる。
購買層は低下する、彼らは壊れない安い日本車のイメージで買うが、壊れる。
修理には、金がかかる、修理をしても壊れる。
数年乗って半額で残りを買い取るかと云えば、だれもが敬遠するだろう。
数年前、某半島のメーカ―のデザインがあか抜けているので、米国で販売を伸ばしている、日本のメーカーのデザインは保守的でよくない、いずれは、半島のメーカーに負けるという論調があった。

ここで、失笑を禁じ得ないのが、半島の方が進んでいるという論調が多いのだが、進んでいるというのなら、何故さっさと乗り越えていけないのか不思議である。
残念ながら、車の本質はデザインではない、耐久消費財としての継続力である。
半島の車には、耐久消費税材としての力がなかった、だから、現在はすでに撤退モードである。丁度、半島の車が、下取り価格が安いので、新車を買わなくなるという悪循環に陥ると、一気に崩壊した。
日産の販売攻勢もこんなところに原因があるのかもしれない。
リセールバリューが悪いと、新車が売れない。
その原因が、信頼性の低下という事を認識しないのはなぜだろう。

 

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日産、三菱自動車、ついでにルノーの先行きが危うすぎるという話・・No26

三菱自動車は、軽自動車の設計部は、日産との合弁事業化されて、早々に、日産に取られている。
現在、残っているのは基本的には、軽自動車以外の開発部門である。
コロナの前からというか、日産お家騒動以降、三菱自動車の設計部は、暇な状態が続いている。
益子君が、洞ケ峠をキメ込んで、西川君の仲間として、三菱に居座るつもりだったのだろう。
だが、日産の内部抗争が泥沼化すると、自分の立ち位置を決めなければいけなくなった。
そこで、古巣の三菱商事を巻き込む計画に移ったが、日産抜きで計画を進めることもできず、三菱グループ全体の収益力の低下で、グループが、三菱自動車を間接的に助けるという状況は自滅した。
そこで、方向性が定まらないまま、本業の車の設計、生産はおろそかである。
お陰で、三菱の設計陣は、暇となった。
いわゆる、息をしているだけで給料がもらえるという状況となった
ここへ来て、アライアンスの強制では、三菱自動車は、東南アジアオセアニアが主戦場という位置づけになった。
国内は、日産、ルノーに食われ、三菱自動車の出る幕はなくなりつつある。
三菱の軽自動車を見ることはほとんどなくなった。
(販売の低下は著しく、アイミーブは、2月以降一台も売れていない、2月に、2台販売して以降、全く売れていない。現在大量にある在庫ではない車を頼むと、現在では盆以降の納車と云われている。)
三菱自動車アライアンスで、三菱自動車は、東南アジアを、主たる営業地区にあてがわれたが、ほかの地域に輸出している車の取り扱いが良く判らない。
タイ工場で生産しているピックアップは、仕様変更、エンジンへ変更で、欧州等へ輸出されているが、変更の毎に、テストが必要で、結構大変な状態になっている。
昭和20年代から、東京に居ないとデザイン感覚が、とか最新のトレンド(古!)が判らないから、東京にデザインセンターを置くんだという意見があった。
この論法で行けば、主戦場が東南アジアなのであれば、東南アジアにデザインセターを持って行けばいいという事になる。
笑い話とし語っていいいのかどうかわからないが、開発現場で、東南アジアのトレンドを、脳内で想像しろ、三河で、想像しろというらしい。
いった事も、見たこともい国について、その国を想像しろ、考えろといっている。
これは既に暴論である。
東南アジアの好きな事、好きなデザイン、内装は、現地に行かないとわからないだろう。
織っちゃいけない柄があるかもしれない。
形にしてはいけないデザインがあるかもしれない。
中国人の好きなチ―プで、軽薄なデザインが東南アジアで売れるとも限らない。
宗教的規制、地域差があるので、ヒンズー、イスラム、仏教、共産主義、色々と混在している国だからこそ現地で、肌で何かを感じる必要があるのでは?と考えるのが普通だと思う。
なぜか、三菱自動車の幹部職員は、三河にいて、想像(頭)で考えろという。
今まで、自分たちの作った内装を押し付けておいて今度は、迎合しようとする。
はっきりと云えば、商品企画力はあるのか?という気持ちになる。
此の頭で考えろという発想が、良く判らない。
というか、理解できない。
「百聞は一見に如かず」という言葉を知らないのかなと思う。
生産計画も付け焼刃的である。
岡崎製作所は、7月21日から数日間製造を再開するが、生産台数は、数十台はないかという事である。
最初に、板金プレス部門を稼働させて、1日ずつ、順次、次の工程、次の工程を稼働させるらしい。
この作業工程の発表が6月最終週の金曜日定時過ぎだったらしい。
7月はどうなるんだと云っていた矢先、定時過ぎに連絡があったそうである。
サプライヤーのデンソーさんには、7月の計画の連絡が、1日・2日位に届いたようである。
デンソーは、ビックリしたらしい。
1か月の操業期間が1週間以下・・・
どうも注文の入った車を手で流して作るらしい。
もうすでに、末期的である。

 

日産の方向性も、重大な点で欠けている気がする。
かくて、日産も三菱も迷走している感が強い。
日産の販売台数を劇的に増やす方法がある。
ルノーも、ルノージャパン扱いではなくて、日産カングーとして、一緒に売ってはどうかと思う。ルノ―のフロントマークの下に、直径2センチぐらいのニッサンマークをつければ良いような気がする。
一歩踏み込んで、いっそのこと、日本国内で、カングーのライセンス生産を行う。この方が、よほど利益率が上がるのでは?と思うが・・・どうだろう。
日産は工場の稼働率が上がるし、販売マージンも余分にとれる。

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日産、三菱自動車、ついでにルノーの先行きが危うすぎるという話・・No25

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三菱自動車は、泣かず飛ばずの状態が続いている。
開発部の部長から、開発についての意見聴取を行って、発表の日の朝、突然の中止発表があったという。
日産から来た副社長に出された、開発4部門の部長の意見がアホすぎて逆鱗に触れたという意見もある。
三菱自動車の開発各部の部長クラスの仲の悪さは有名である。
本来、協力的であるべきであろう存在であるはずである。
トヨタ自動車でも昔には似たり寄ったりの状態だったと思う。
しかしそのような負の部分を補正するために「主査」制度を作った。
大主査中村健也氏が始まりである。
そうして、長谷川龍雄が強化した。 
三菱自動車の中にもプロジェクトリーダー(だったけ)という主査に似た制度があるが、この人が管理するのは、予算だけ。
三菱は、官(防衛庁・防衛省)の仕事が多いので、当然、最初から、予算という枠が決められてからの開発となる。
枠は絶対という考えがある。
これは、予算を国から貰うからそうなっているだけであるが、体質は、予算イコール超えてはいけない(超えてももらえない)という認識があるのだと思う。
こんな思想で、車を作ることは無理である。
また新システムを作るという事も、ほぼ不可能である。
開発とは、投資でもある。
自動車の開発も、投資である。
投資は、基本的に枠があるが、多少、はみ出ることは多々あることである。
だからこそ追加予算が必要となる。
自動運転の開発も必要と云っているが、このシステムを作り上げるのに、大手の企業は必死である。ついでに汎用化には、すさまじいに金が掛かる。
どれだけの予算なので、ここまで進んだらお金がありませんなどという事が通じない世界である。
単純事を言えば、中小の自動車メーカー(ルノー、日産、三菱自動車)は、自動化運転に血道を上げるのは、体力的にむりなので、止める。
そうして、大手が作ったシステムを買う、その方がどれだけ影が掛からないのか考えた方がいいと思う。
(高速道路を、走るシステムは、データー処理が少なくて済むので、それほど無理はない。市街地の自動運転システムはなかなか厳しいと感じる。人間の目玉に入るデーターを脳味噌即時に情報を取捨選択して、いらないものを捨てていくというシステム、目に入るデーターを経験則的に、どのようなものか、状況下を判断してコントロールする、また車の状態、天候、周囲の車の状況、何十メートルもの先の状況、側道の情報、車が、人が出てくる可能性の情報をすべて勘案して、速度をコントロールしたりする)
日産から来ていた人が、自動車開発予算は、オーバーするものという認識で開発を進めなければならないという意見を言ったが、定着はしなかった。
この者は、ゴーン派だったので今はない。
予算がオーバーしがちな開発にあっては、常に予算の削減しか主張しない。
また、外野の声がウルサイ。
開発本体へ、色々とチャチャを入れる。
結果、販売したい階層、目的とする顧客の層が妙に広くなる。
 東南アジア・オセアニアが主戦場と位置づけられた、三菱は、ピックアップトラックの新車開発で、前回は、東南アジア(タイ)生産の車という事で、設計は自由だった。
 現在は、主戦場になったので、色々な部署からいろんな意見が出て、いすゞD-MAXと競合するライバルとしての設計から、何時の間に、一つ上のハイラックスがターゲットになったという。これは、三菱側の思惑だけで、新型のピックアップが出たから、買おうと見に言った現地の人は、値段が上がって自分たちが買えないものになったと気が付くと、全部、D-maxに顧客が流れて、ダメになりそうである。
 現実を見ない、自分たちの希望的観測だけで車を作るという最低な方針を止めた方がいいと思うが無理だろう。
基本、三菱自動車には、販売店からの意見の吸い上げるという体制はない。
販売店の代表者が、次期の車両内覧があっても、意見は一切言えない。
販売店に対して、意見聴取はない、つまり、お客さん声は届かないと云事である。
結局、中止となったが、その後の続報がない。
これは副社長止まりの話
社長の影の薄い事、薄い事。
三菱グループの定期刊行冊子には、ちょっとだけ出ていたが、なんとも意味不明な事が書いてあった、今の三菱自動車をどうしたいのかという思想は読み取れず、漠然とした車つくりへの意思表示しか感じられなかった。
それに、諸悪の根源とでもいうべき会長益子君の沈黙が気味悪い。
中期経営計画さえ出せないのはなぜだろう。
あるニュースで、日産からの離脱を画策しているのではないかという記事があったが、株式の35%を握る日産からの独立はできない相談である。
たとえ、20%の株式を握る三菱商事が何とかしようにも、いくら益子君が、古巣へ働きかけをしても、三菱商事自体の営業成績が低調で、コロナのお陰で、先行きも不透明である。
三菱グループへの帰還を予測する者もいるようであるが、実際はどうだろう。
三菱グループは、以前、三菱自動車の支援で失敗している。
グループで支えた結果が、日産への身売りである。
三菱商事も、三菱重工業も、三菱自動車株を全部秘密裏に売り飛ばしたらどうだろう。
株価は。200円を切るかもしれない。
今の三菱自動車には200円の価値もないと思うだだが。
長年続いている、益子君の三菱自動車支配がすべて裏目に出ていると云ってもいいかもしれない
現実的な回復策を持っていたとも思えない。
ゴーンの逮捕後、益子君は、日産との契約のうちはっきりとしていない部分の対応は中止して、先行的な部分をすべて停止して様子見と決めた。
しかし、西川君自身の不正が見つかり、ゴーン追放劇が、迷走を始めると今度は、日産社内の内部抗争と云うか、権力闘争が激化して、会社の経営も迷走する。
権力体制が定まらないうちに、日産の売上げは低迷してくる。
三菱自動車としては、今日的には、日産との協業関係で準備しておくはずのものを、早々に、中止してしまった痛手が来て出ている。
現実的な問題として、会社として、設計すべき新車の開発が先細りになって来たという事である

 

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日産、三菱自動車、ついでにルノーの先行きが危うすぎるという話・・No24

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今の日産から漂うのは、「一生けんめいやっています」という、日本人的なアピールである。
「経費節減を、頑張っています」という状態+「前にも進む意思があります。」という姿勢。
実際の経費節減について、外見上は、全然進んでいない。
前に、進むアピールはすごい。
元CEOへの慰労金は、ある意味、こう云った事をちゃんと継続していきますというアピールの一環である(現CEOの自分の為のという面も大きいと思う、自分が辞めて、次のCEOも、自分にちゃんと慰労金を呉れるはずという道筋の一環でもある。)。
また、新たに大型の販売店舗を企画しているという話が漏れ聴こえてきた。
12車種の投入もその一環であるが、飢餓状態者に、一気に栄養を与えるとどうなるのか?
飢饉で苦しんでいる人に、いきなり沢山食事を与えると死んでしまうという現象がある。
2年間新車を売り出せなかった自動車製造会社の検査担当、新車を2年間売ったことのなかった販売店に何ができるのか?
また、わざわざ、全車種を販売する施設を作る話が出ている。
ある程度、店舗を絞って、小規模店舗を閉鎖した後で、大型店舗に集約します的な行動なら理解できるが、今やるべきことか?と云う気がする。
付け焼刃とはこのことで、これだけやれば、結果が出るから頑張ろうという態度が見え見えである。
2020年も半部を超えた時点で、来年の3末迄に、12車種投入と云っているが、年内達成を目標なら、これから毎月2車種販売するという事である。
例年3月迄、つまり2020年度(2021年3月期まで)でも、1か月に最低1台のペースである。
漫画ならできるだろうが、現実的には厳しいような気がする。
そもそも、12車種を販売、メンテナンスできるのかという疑問を持ってしまう。
あの非常に低レベルである販売店、メカニック層で・・・少々心配になる。
数か月おきの計画的な新車販売は良いと思う。
けれど、2年間新車の販売がなかった状態で、販売店からの突き上げで、まとめて出しているようにしか見えない。
経営と云うよりも販売のセンスがなさすぎる。
販売戦略を誰が決めたのか知りはしないが、出鱈目感が漂う。
少なくなった客層を一度に取もどそうとするのは、気分的には良く判るが、実力テストで、30点しか取れない者が、急に勉強して100点を急に取るのは無理なことである。
多分優等生的な発想で、これだけの経営資源を投入すれば、これだけのリターンがあると思いたいのだと思う。
現実に、販売に力を入れること必要である。
しかし、過度の投入はどうであろうか?
片や、工場の閉鎖、閉鎖に伴う交渉、工場閉鎖で削減できない人員をどこから削減するのか、国内工場のさらなる削減が必要なのかの見極め、人件費全体の圧縮のためには、賃金カットを含めた給与体系の見直し、製造自体を全部下請け化するという事も考えるべきであろう、自前の工場は持たない、すべて外注に製造させる。
愛知機械(旧愛知航空機)、日産工機(旧くろがね)合併して、売り飛ばす。
エンジンと、ミッションももうすべてルノー製のものを輸入すればいいと思う。
(日産のエンジンボデイの規格、螺子はすべてバラバラである。
  一部のエンジンはルノーからの調達、だから、ルノー規格
  日産はインチ、センチが混在、戦前のアメリカ製の中古の機械の悪影響と、戦後、英国からのライセンス生産で、一層そのめちゃくちゃぶりに拍車がかかった。
  完全に、メートル法に移管しなかった所為で、販売店の修理工場では、この螺子の問題に悩まされ続けている。ルノー規格が入ったおかげでさらに複雑化している。)
形態的には、ホンダの体制を究極に突き詰めたような形式でどうかという事である。
日産本体は、開発と製造計画までは行う、あとの製造販売は、すべて子会社に丸投げする。
電子部品の委託生産が多い様に、車も委託生産化すればいいと思う。
全世界につくった工場はすべて独立子会社化して、独立採算制とする。
新車を作ると各工場が、プレゼンで、製造権を獲得する。
日産は、初期の生産管理まで行うが、生産が軌道に乗れば、手を引く。
こうして、生産の外部化で、生産にかかるコストが、劇的に下げられると思う。
20万人規模のリストラとなる。
突き詰めれば、関東圏内に本社を置く理由はない。
昔の自動車製造時代の様に、大阪に移転してはどうかと思ったりもする。

 

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日産、三菱自動車、ついでにルノーの先行きが危うすぎるという話・・No23

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-115929.html

つづき

こんな話がある。
日本産業の創始者であり、日産自動車の創始者である鮎川義介は、自動車産業のへの本格的な参入の為に、GMとの合弁を望んでいたが、陸軍の横やりで失敗した。
米国のリビー社(自動車ガラス会社)代表者ビカーズ氏が、当時、自動車ガラスをライセンス生産していた住友グループへのあいさつで訪日していた。
丁度、226事件が起こり、禁足されているときに、大蔵省(現財務省)はあいさつに行った時に、自社の株主でもある、グラハム氏が所有するグラハムページ自動車会社が、恐慌の余波で、生産力の縮小を画策して、不要になった生産設備を売却することを画策していることを話した。
そこで、大蔵省の役人が、鮎川義介にその旨を伝えた。
鮎川義介とビカーズ社長の会談がもたれた。
鮎川は、会社の根掘り葉掘り聞かずに、社長であるジョセフ・グラハムの人柄についてだけ尋ねた。ビカーズは、即座に、私財を注ぎ込 んだ事業で苦しんでいるが、信頼できて立派な人物であると保証した。
鮎川は,それだけ聞けば充分ですと言ったという。
「事業にとって重要なのは経営者の人格であり、失敗する事業の経営者で多く見られるのは、会社が経済的に行き詰まった段階でも自分だけの利益にこだわっている姿で、事業は金儲けの道具ではなく、理想を追求し,理念をもってあたらなくてはならないものである」と鮎川は日頃から主張していた。
ビカーズは鮎川の考えに共感し、帰国してこの話を当のジョセフ・グラハムに伝えた。 グラハムも感激して,鮎川に好印象をもったという。
(日本自動車工業史稿 座談会より)
個人的には、鮎川義介は、山師という感じを受けている。
会社を作るに血道を上げただけという感じから決して良い感情を持ってはいないが、この話を読んだ時に、一代で財を成す人は違うと感じたことしきりである。
今の成り上がりの者には、この様な思想は無いであろう。
また、日産自動車にもこの精神は無い。
鮎川氏の云うところの「事業にとって重要なのは経営者の人格」という言葉の意味が、現在の日産の幹部職員にあるだろうか?
ゴーンには、最初からない。
歴代の社長にあっただろうか?
鮎川時代の日産の幹部社員と云うのは、帝大卒業者が多く、非常にアカデミックな雰囲気があったという。
悪く言えば、エリート意識の高い集団だったという事である。
浅原源七氏などは、鮎川氏の片腕とでもいうべき者であった。
しかし、片腕は、本体にはなれない。
戦後、会社を存続させるために、組合の切り崩しを行い、第二組合を作らせて工場を正常化させたが、その後の対応が悪く、結局、第二組合の増長漫を招いた。
この時の考えは、戦前からあった、会社を守るためには、たとえ、鮎川社長の云うことにでも逆らっていいいとい、1960年代に流行った「造反有理」思想と相通ずるものがあった。
この考えは、自分たちの富の源泉である会社を存続させて、自分たちが搾取するという究極の目標があったように感じる。
悪い仲間は増える傾向になる。
第二組合の要求は聞き入れなければならないという考えから、組合が、会社のありとあらゆるところに根を張ることになった。
そうして、人事も、車の開発も、組合の意向を汲むという姿勢が如実にあらわれる。
こうなると、会社の幹部、組合幹部は、ひたすら会社から利益を奪い取ることしか考えない。ここには、「人格のある経営者」の姿はない。
日産の過去からの幹部に脈々と流れるのは、自分の為には会社を喰いものにするという目標である。
現在の日産のCEO 元CEO、暫定CEO、日本電産に逃げた幹部職員から感じることは「失敗する事業の経営者で多く見られるのは、会社が経済的に行き詰まった段階でも自分だけの利益にこだわっている姿」である。
会社に損害しか与えていない者への慰労金の支払い。
日産は、危機感というものはなく、前例を踏襲することに固執するという官僚主義的と云うか、事なかれ主義を貫いているのは悲しい状況である。
先日発表があった、元CEO、元暫定CEOへの慰労金支払いの発表があった点である。
支払う理由について言い分はあると思う。
殆どお手盛りの言い訳に過ぎない話である。
そもそも、「慰労するべき存在だったのか?」という事である。
「慰労すべき様な事を為して来たのか?」という事である。
西川君は、ゴーンの手下である。
それ以上でも以下でもない。
永遠のナンバー2が、ある時、もしかしたら!
トップに、そうして、たきつけた奴が居るはずであるが、ゴーンを追い出せば、日本人の会社に戻る(子会社という意識が薄いのが玉に瑕であるが。)。
そう、思いこませた奴が居るはずでるが、出てこない。
ゴーンを追い出したという点でさえ失策だったのに、その後の、迷走、自分がゴーンを支えていた一人、つまり戦犯とでもいうべき、日産の癌の巣の一人に対して、何を慰労するのか?
現CEOは、経理畑の出身である。
金がないという認識はないのかもしれない。
御恩と奉公で、自分をCEOにしてくれた勢力対する協力金を支払うような風情かもしれないが、会社の厳しい現実を無視しているとしか目に映らない。
邪推をすれば、自分が退任後も、慰労金を受け取るためには必要不可欠な前処理を行ったという見方ができるかもしれない。
前例に固執するのは、次の自分の順番の時もその様な慰労金を受け取るための布石という見方ができる。
これは、「自分の利益にこだわっている姿」にしか見えない。

つづく

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無用の人は、無用の世界に活きるし。

たまには別の話を・・・
6月末のとある日
コロナで、フレックス制が導入されているので、ロートルはサッサと帰る。
だいたい、仕事がないのだから仕方がない。
残業のするような仕事は基本的にない。
さっさと帰る。
17時前には電車に乗ることができる。
通勤乗降客がいないと、車内は閑散である。
そこそこ、席も空いているし、特別席は、ほぼ100%空いている。
丁度、15時ぐらいに乗る電車とも違った意味で、ある意味弛緩した空気が流れて感じがする。
17時過ぎるとまずは始発の駅ではないのでほぼ座れない。
いわゆる特別席にも、疲れて、饐えた臭いのするおっさんが座っていたりするが、そんな奴もいない。
まぁ何となく、ゆるーい感じがしている車内である。
乗り込むと、ガラガラで、座れるので思わず座った。
向かい側に居るのは、ザビエルハゲ、デブ、この暑いのにスーツ、ネクタイ、光り輝く靴
を履いている。
おっさん手には、花束、ユリの匂いが臭い。
網棚には、白くて大きなは紙袋
このハゲデブおじさんが、泣いているのだ。
ちょっと、ドン引きだったとはいえ、おっさんの0.5人分ほど開けて座っている、隣の私立の高校生、反対側に居る大学生みたないお兄ちゃん、完全に、無視。
おっさんは、ピエールカルダンのデザインぽいハンカチーフで目元を押さえている。
いつもなら、本をだして読むところだが、この時は、観察することにした。
見ていて、総合的に判断すると、今日が定年退職爺さんの帰路かと思った。
同じ駅で降りたので、階段を降りるところまで横になった。
白い袋中には、記念品、退職記念と書いた箱が見えた。
おっさんは、しょんぼりした風体で改札を通った。
ロータリーの方へ向かった
こちらと同じ方向なので、追跡モードになった。
すると、ローターリーに初老のおばあさんが立っていた。
おっさんを見るなり、腰のあたりで、軽く手を振った。
おっさんが両手に荷物モードだったが、少し、小走りに近寄ると
このお婆さん、深々と頭を下げた。
声は聞こえなかったが、「お疲れ様でした」位の事でも言ってそうだった。
勝手な想像だが、この人は、会社生活も、家庭生活も「よかった」と思える存在だったのだと考えてしまった。
後悔無き人生はないと思うが、後悔を後悔と思わない生活もあると思う。
自分はどうだろう
後悔、憎しみしかない気がする。
ただ自分で後悔していないのは、子供の事である。
まだ、未成年であるけれど、良い子だと思う(←親ばか)。
小さい頃に、帰宅して、晩御ご飯を、一緒に作るという事は、楽しい事だった。
毎日、毎日、自分のご飯を作ってくれるという意識を持ってもらったことだけでも多少の救いである。
色々試してみて、本に書いてあった「血のパンケーキ」と云うのを作ってみたいと云うので作ったこともある。
そう云った生活は、楽しいものだった。
お陰で、基本的に、自炊ができる子になった
後悔しないことは、父子家庭なので、子供を第一に考えていたことだけだろうと思う。
単身赴任するなら・・・と云われたこともあるが、飼い犬の散歩、子供の事と、老親の事を考えるとどうも手を上げる気にはならなかった。
お陰で、とてつもなく遠いところへ通勤することはなくなった。
ある時、総括担当と云う名前の主任になったことがある。
この時、2人の支店長、2人の副支店長に仕えたが、非常に高評価を出してくれた。
賞与の超高率適用が3回もあった。
支店長表彰がもらえなかったのが痛恨事であったが、とりあえず、この高評価に困ったのは本店で、高評価が続けば、昇格させないといけない。
 それを避けるためにはどうしたらよいか?
 評価を下げさせればいい。
 最初は、絶対高評価が取れないような部署につけるという事だった。
 超エリートでも云うべき奴のいる部署に配属されれば、評価上がらない。
 でも、課長の評価は高かった。
で、次は、パワハラおじさんの下に付ければいいという事になったらしい。
 でも、パワハラにも耐えて高評価を得ると、今度は、いろんな事を言って、評価をいったん下げた。
 それから、6年間、どれだけ仕事をしても、実績を上げても、評価は変わらなかった。
 今年は、久々に、年2回の評価で、通年での評価が、戻ったが、昇進はなかった。
 昔、評価の中身が分かった時から1・2・3・4年間は、A評価、5・6・7年目、B評価、8・9・10・11・12・13年目A評価、14・15・16・17・18・19年までB評価。20年目は、A評価、このA評価が2年間に1回でもないと昇進できなと云う。
大体、評価が高いのは、別の系統の人が支店長、副支店長の場合が多い。
家庭を顧みない人が、その手の人だと、子供の為に時間短縮したりすると、評価は下がる
(子供が、ぐれて、高校中退なんてえのもいる。)
実績評価なんてあんまり意味がないと思う時点で、アウトローだなぁと思う。
社会適合性は極めて低い。
出征街道を驀進中の、比較的仲の良い同僚に言われたのは「人付き合いは下手だよね」と
そういわれて、再度自覚した気がする。
やはり、ダメな人はダメな人である。
こういう人物は、人の上に立とうなんて考えるのがおこがましいと思う様になった。
そう考えると、電車の中で、退職を悲しむ様な風情はないと思う。
やはり、無用の人は無用の道の進むべしという、気になる。

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日産、三菱自動車、ついでにルノーの先行きが危うすぎるという話・・No22

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-49254c.html

現在のルノーには、日産を救う余裕はない。
海外と云うかフランスでは、ルノーの現状は危機的とまで書いている。
それは極めて切迫した状況であることを認識すべき発表があった。
新型コロナウイルス影響で、15%の株式を握り締めているフランス政府(経済財務相)が、ルノーが消滅する可能性について言及した。
(地方選挙で、大敗した大統領与党は、人気回復の為に、内閣改造を行った。この経済相はそのまま留任したところからも、ルノ―日産対策に方針に変更はないと思われる。)
この発言はかなり衝撃的な認識の意思表示だと思った。
フランス政府は、ルノーが倒産しても助けないと言ったに等しいのである。
これは、ルノーに対して抜本的改革をしなければ倒産するよ、倒産しそうになっても、助けないよという意思表示である。
日産の業績が悪くて、上納金が入ってこないことへの恨み言を云う前にやることがあったのではないかともおもう。
日産の子会社生活20年は、ルノーにとっては、上納金の上がりを待つ親分の気持ちだったのではないだろうか。
 日産の上納金、日産が自前で作る新型工場へのルノーのラインの設置は、上納金以上の効果があった。だが、フランス政府から見れば、レースで勝って、フランスの名誉を手にすることもない、金を生まない鶏(ルノー)は不要だろう。
公団から民営するときに、政府はひたすら株を売り飛ばした。
何となく、昔から見捨てられている感はあったのではないかと思う。
もともと、フランス映府が、ルノーの第二次大戦中に対独協力ネタに、経営者を逮捕、入獄させて、獄内で殺して奪った会社である。
だからこそ、政府の言いなりになる自動車会社は必要だったのだろう。
国策的な感じは、レース活動にも現れていた。
1970年代以降、幻想のレジスタンス運動が持ち上げられると、対独協力を行った者、会社は、再度、敵視される様になる。
(戦後フランス人は全員がレジスタンだったような風潮で語る者が多いが、ユダヤ人対策と云う点では、ドイツ以上に迫害、財産を簒奪したことは枚挙にいとまがない。
戦後、何故大量のフランス国鉄の貨車が東欧に残されたのか。
そうユダヤ人の移送に積極に関わったからこそ、大量に、フランスからドイツを超えて、東欧の強制、絶滅収容所への移送に使われたのである。)
結局、戦犯企業というイメージは抜けなかった。
レースに勝てないことが判ると、見限られた感が出て来て、ある時期から、ルノーの株は、どんどん売られていった。
そうして、公団から民営になった。
ある意味、民営化したら自由度が上がるような気もするが、常に、フランス政府の干渉を受けていた。)
どこかで、ルノーは、丁度、三菱の社員が、「三菱グループが助けてくれる」という夢をみているのと同じで、フランス政府が助けてくれるという幻想を抱いていたように思う。
だからこそ、ルノー内部にとっての、衝撃の大きさは計り知れない気がする。
そこで、ルノ―は、日産と経営統合を考えていないという事を言い出した。
この記事を読んだ瞬間、日産の関係者は喜んだかもしれない。
だって馬鹿だもの。
ルノーを、突き放しておいて、その後、2020年の5月末には、フランス政府が、独仏の電気自動車事業に参加を求めたそうである。
内容は、車ではなくて、電池の製造らしい、つまり、車より下請けになれという事かもしれない。
もっとも、メルセデスのフランス国内での電気自動車生産計画自体が白紙になれば、どう転ぶかは不明である。
人気のない大統領としては、何でもやれることはやっておかないとダメという気分は判らないものではない。
一応、フランス国内のルノーの工場を少しでも残して、雇用を維持させたいという腹積もりという事は判る。
若くて、元自分の先生と婚姻したという勇士であるから、若いという事で人気があったが、化けの皮は剥がれたという事だろう。
私見では、日産は、統合がなくなったと喜んでいる風であるが、実際は見捨てられた感がある。
ルノー自身は、植民地生活の慣れて堕落した宗主国の様な姿にも見える。
ベトナム戦争当時、在ベトナムのプランテーション経営をしていたフランス人は、自分たちの権益を守るために、北ベトナムに協力していた。
邦題「地獄の黙示録」の完全版に、そうしたフランス人農園主が出てくる。
かられは、フランスが去った後のベトナムで、接収されないように努力していた。
北ベトナム、南ベトナム政府、米国すべて敵しかいない状態で、北ベトナムの勝利を感じ取り、協力した人もいれば、ベトナム生まれのフランス人ではあるが、ベトナムの開放を夢見た人もいた。
ベトナム戦争後は、放逐された。
搾取する側の退場は、外的要因が必要である。
一番楽なのは、両方が退場することである。

 

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日産、三菱自動車、ついでにルノーの先行きが危うすぎるという話・・No21

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-9da697.html

日産は血迷っているのか、

前CEO西川君へ、4億1,900万円、

暫定CEO山内君へか、、4億1,900円の慰労金を払うという。
慰労金?
何の慰労金かと思ってしまう。
自分をCEOにしてくれたことへの慰労金であろうか?
倒産しそうな会社がこの手の事を行うのは、資金の流失ではないだろうか。

2018年(2019年3月期)すべてマイナスである。

販売台数(連結)
2017年度 577万台           +2.6%
2018年度 551万6千台  ▲25万千台 ▲4.4%
2019年度 493万台    ▲58万6千台 ▲10.6%


売上高(連結)
2017年度 157,210億円
2018年度 151,464億円▲ 5,746億円▲3.7%
2019年度 128,428億円▲23,036億円▲15.2%

ここで注目したいのは、販売台数の減少率よりも、売上高の減少率が4%ほど多いと云事である。
これは、2017年度の販売台数の減少率と比較すると、販売台数の減少と売り上げを見比べると、この年は、販売台数の減少率よりも、売上高の減少率の方が低い。
2018年から2019年益率の高い車の販売が減っている可能性を示すものである。

 

営業利益(連結)
2017年度5,382億円 ▲25.1%
2018年度2,889億円 ▲46.3%
2019年度 ▲615億円 (▲3,504億円)2017年度と比べると0.05%まで落ちんだという事
営業利益も、販売台数が伸びても減少

 

経常利益(連結)
2017年度7,503億円 ▲13.2%
2018年度5,465億円 ▲27.2%
2018年度  440億円 ▲91.9% ▲5025億円
当期純利益
2017年度 7,469億円(+12.8%)
2018年度 3,191億円(▲57.3%)
2019年度▲6,712億円


実際、日産は、ここ数年減収減益である。
その原因を作ったCEOに慰労金を支払うという精神が理解できない。

辞めたら慰労金を支払うとうのは悪しき慣習である

業績が上げられなかった者に対して支払うべきものではないと思うが。

株主が訴訟でも起こしたらどうするのかと心配してしまう。

財務指標がマイナスでしかないのに、慰労金を出すというのはお手盛り感が満ち満ちている。

本来、経営責任の責任から、受け散らないのなら立派だと思われるが、いかがのものかと思う事が多い。
内田社長、実際、考えている振りをしながら実は何も考えていないという事の証明である。
再度のリバイバルプランの具体策は乏しい。
日産のお手盛り感が強い。

 

 

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日産、三菱自動車、ついでにルノーの先行きが危うすぎるという話・・No20

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-806e6e.html

最近、日産の販売店の看板が悲しい
「このままでは終われない」らしい日産
なんだか、閉店セールの商店みたいである
ここには、もう会社が終わりそうという認識があることを如実に表現していると思う。
同情に訴えて、車を売る姿勢は、もの悲しい。
終わりそうな日産自動車は、6月に追加的に、海外のブラジル、インドネシアの工場を閉鎖すると言っている。
2月の発表では、人員整理の必要数は、12000人規模である。
全世界的な生産規模縮小傾向を進める一環としては、珍しくはないが、非常に大規模である。
5月に、バルセロナの工場の閉鎖を発表した。
これは、閉鎖に向けた協議に入るという主張である。
この工場は、メルセデス、ルノー、日産のフォークリフトも生産していたが、常に生産性は30%以下であった。
生産性が、30%以下の自動車工場は、赤字の垂れ流しをしているだけである。
1980年代に買収して以来、40年間で、日産の人材、資金をどれだけ飲み込んだのかという事である。
ただ単に、バルセロナという地域に貢献しただけで、日産には、何もなかったという事である。
(同じような失敗は、オーストラリアでの生産である。
最後までトヨタは頑張った。
日産は、経営資源の無駄使いと気が付いたというか、他の地域での出血が多すぎて、途中で撤退せざるを得なかったという事であるが、撤退の英断はほめるべきであろう。
オーストラリア政府の自動車政策は、単なる雇用の創造を考えているだけで、産業の育成という観点は皆無であつた。つまり、進出企業にしてみれば利点は少ない)。
2019年の段階では、バルセロナ、英国の工場を売却する予定だった。
しかし、購入する相手は現れなかったのか、バルセロナは閉鎖決定、英国構造は存続となった。
バルセロナの生産分が英国に移管されるかどうかは、はっきりはしていない。
フランス本土でのルノ―の工場が閉鎖されると、日産の生産がなくなるのですべてを英国工場で、賄う気になったのかという気がする。
だが英国工場は、EU離脱で微妙である。
ホンダは逃げた。
日産の逃げたかっただろうと思う。
でも逃げられない、欧州のルノーの情勢がきな臭い。
欧州での日産体制が弱体化することは目に見えているが、欧州はルノーの担当地域なので、日産が生産力を持つ必然性はないと考える事もできる。
コロナウイルスの関係で、2020年中の自動車工業における各会社の工場の生産性は、50%を切る可能性があると云われて居る。
ドイツ勢の動きは速い。
メルセデスベンツが、フランスの工場を閉鎖と発表した。
スマートブランドの車を生産する工場の閉鎖である。
スマートの生産自体は、中国企業との合弁事業に切り替え、22年以降の生産は中国に移すという計画だった。フランス国内工場は、22年以降は、メルセデスブランドの電気自動車を生産する予定だったという。
(中国での生産は、米国の制裁の可能性があるので、中国、欧州での販売に限定する可能性もある、また、米国の衝突安全性をクリアできるかという問題もある。日本市場で中国製の車への需要があるとも思えないで、日本での今後のスマートブランドの命運は消滅しそうである。)
しかし、電気自動車への転換は、コロナウイルス騒ぎが、すべてぶち壊した。
メルセデスの動きは、生産体制の無駄をなくすという、最適化に向けた行為である。
フォルクスワーゲン、BMWの生産拡張計画の中止、延期と同じ方向性を持っている。
つまり闇雲に生産力を上げて椅子取りゲームの様な各地での生産力の向上を目指すことは、生産性の最適化にとって問題があるという認識をしたという事である。
その中で、日産の先行きはいよいよ暗い。
20年前は、国内5工場を閉鎖、2万人を解雇した。
今回は、当初、世界中で1工場、12000人のリストラが必要と考えていたが、6月になると、3工場の閉鎖、公表値は、12000人(現実的には、2万人規模)のリストラが必要と云う認識が日産にはあるようである。
工場を閉鎖すには莫大な金が必要となる。
20年前の倒産劇の時には、ルノーが救世主であった。
つなぎ資金をルノーが出した。
この時、労働組合系が叫んだのは、日産は優良企業で、内部留保があるからつぶれないという物言いである。
これは、先ほど書いた、自動車評論家と同じレベルのもの言いである。
同時に、倒産寸前で、外国の会社の買われた会社という事で、一切のしがらみが切れたので、会社の資産(相互持合いの株式等)を売却して、社債を発行して借金を返した。
社債も、借金なのだが、対外的な意思に左右されないという点では、借金飛ばしには有効である。
その代わり、社債の発行が滞れば、即、会社の危機は来る。
昨年、社債の發行をあきらめた経緯は、業績が悪い会社は、社債の發行さえできないという現実である。
つまり、現在の日産は、償還期間が来る社債の支払いに充てる金を、社債の発行で凌ぐという計画が破綻して居るという事でもある。

いわゆる、自転車操業である。

 

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日産、三菱自動車、ついでにルノーの先行きが危うすぎるという話・・No19

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-8d07bb.html

三菱自動車の社員の間はかなりの温度差がある。
岡崎、京都、滋賀、水島製作所の職工は、三菱自動車への感覚は絶望的である。
現に、水島の軽自動車のライン1直が細々と稼働している状態である。
他の製作所のラインは数日稼働しかない。
職工の給与は90%支給(60%は、国からの助成金、30%が会社負担)の状態が続いている。
会社の30%支給は、全くの無収入からの支給だから会社の資産は喰いつぶされている感覚が強いと思う。
この状態で、希望を持てというのがおかしな話である。
肌感覚の差とでもいうようなものである。
云いたかないことであるが、大東亜戦争末期、参謀本部は徹底抗戦を訴える。
だが、日に日に空襲があり、国土は焦土と化している状態で、前線は後退、全滅戦が続く中、誰が希望を持っていただろう。
政府には一部楽観論があり、ソビエトに和平の仲介を頼むという滑稽な話があった。
丁度、三菱自動車の本社、設計部門の社員は、「倒産なんてすることはない、倒産するなら日産が、先に倒産して、三菱自動車は、グループ企業がた助けてくれるはず。」と主張している姿とダブる。
三菱グループとは、薄皮1枚で繋がっているだけである。
三菱自動車の経営が本当に傾くと、まず三菱の名称のマークの使用禁止と来て、社名変更後に倒産する可能性が高い。
三菱の名前を使えるうちは、安泰という意見には肯首できるが、グループが助けてくれるというのは、幻想であろう。
最近、こんな話を聞いた。
判りやすい話として、公示されている資産を、株式数で割ると、現在の株価よりも高いといお話である。

その先の話は、清算すればいいでしょうという結論である。
ものすごく頭の悪い自動車評論家が、三菱自動車の株式の総額と、三菱自動車の資産(簿価)を比較しての話であろうと思う。
これは、与太話というか、飲み屋の雑談程度ならよいだろう。
だがもし、この評論家自身が、三菱自動車の株式を持っていて、自分の買った時の価格を割り込んでいるので、少しでも株価を戻すことを目的して書いたのであれば質(たち)が悪い。
流言の流布に当たる。
この話で怖いのは、現在の株価が300円切った状態で、純資産を総株数で割ると500円を超えるという話、婉曲に三菱自動車の株を買う事を勧めているように見える。
そこで、記事を読んだ馬鹿が、株を買う、株価か少し戻ったところで、自分の持っている株式は売る、損が減る。
プラスはないが、損は減る。
微妙な話だが、損が減ると実利があるという事になる。
好意的に見れば、この自動車評論家は、多分、会計学の勉強も、簿記も知らないし、会計原則も知らないのだろうと思う。
帳簿にある資産の簿価の資産の意味が分からないらしい。
日産の元社員が、当時の日産の財務内容から日産の資産状況は悪くなかったという。
労働組合系の記述も、五十歩百歩である。
財務内容がいいなら、何故、倒産の危機に陥ったのかと云う説明ができない。
経営判断が悪かったというのであるが、簿価以上の価値のある株式もあった的な話も読んだが、売れない株は金ではない。
各種の関係で売れない株は、金ではない。
だから経営者を批判する前に会社の体質を恨むべきだろう。
元社員、労働組合系の主張には、机上の空論感が漂う。
そう考えると、自動車評論家考え方は、表面だけしか見ていないという事が良く判る。
(パフォーマンス的な発言とみるか、自身の株の為かで見方が変わるが、一介の自称自動車、評論家にここまでこけ脅されるのは、この人が、三菱自動車の世話になる可能性がないと判断しているという事の裏返しかも知れない。
一般的な自動車評論家と云うか文を書いている人は、スポンサーと云うか、広告主の悪口は書かない、というか書けない。
でも書いている。
つまり、三菱自動車に世話になることはないというスタンスだということが判る。
また、こんなの事を書いても何も言われないという軽侮:見くびりがある可能性もある。
それとも、口当たりのいい事ばかり言いちらしているバカという見方もできる。
どちらかは良く判らない。
自動車評論家で、「偉いなぁ」と思え人は数名しかいない。)
例えば、帳簿上の記載内容を見てみよう。
現金は、現金
現金でも、毎月の固定費に使用しなければならない、使用目的が決まっている現金は多い。

すぐ支払いに廻さなければならない現金は、自由に使えない現金なので、自由に使える「現金」なので、株式で割る分子に入れるべきものではない。
預金は、借金の紐のついてない定期預金かどうか判断しなければならない。
土地の値段は、いつの評価の金額か?
単に、簿価だけで見ているのなら、工場を売った時の値段で考えていないのならただの馬鹿である。
20年前の日産の5つの工場は今どうなっているのか考えたことがあるのか。
住宅、ショッピングセンターである。
つまり、上物の工場の撤去している。
撤去するには金がかかるのである。
費用は、撤去費用をどちらが持つのかでも変わってくる。
売り手が持つなら最初から売値から引かない。
最初の手付(金額にもよるが)で、設備を取りう払う。
更地にして、引き渡しで全額を受け取る。
買った側が払うなら、・・色々問題があるので、あまりないんですけどね。・・・買った側が負担する。
古ければ、アスベストの使用が問題になるので、解体単価は、2から3倍に跳ね上がる。
そういった点も顧慮しつつ解体費用は、平米単価幾らで減算する。
工場用地の場合は、土壌汚染調査、汚染さえてれば、土壌の入れ替え費用も必要になる。
また、職工への退職金を含めた金銭保証の費用も考えなければならない。
そう考えると、工場を売却する場合、工場の売却代金で、売却までの管理費、機械の移送費、機械の廃棄にかかる経費、退職金、配転費用を含めた諸経費が全額ペイできれば良い方である。
ただ、それ以降の固定費、人件費等の部分がなくなるので、経営側としては利点が多い。
工場を拠点とした組合つぶしにも有効である。
株の簿価はいつの時点の価格か?
現在、株は下落傾向もあるので、評価の時期で評価損、評価益が出る可能性がある。
(20年前の日産は、評価益を多く抱えていた。)
設備等は、廃棄の場合は処理費用
機械として売却する場合は、安く買いたたかれる。
減価償却後の残存価格で売れるなんてことはないかもしれない。
つまり、会社の価値、イコール簿価で考えるのは、モノを知らないバカという事である。
もし自身の株の損きりが目的でないのから、自称自動車評論家の程度がわかるというものである。
自称、自動車評論家でも、運転の下手な編集部員、車の運手免許を持っていない評論家もいた。
そう考えると、多くの書き散らしている自動車評論家の発している内容は適正なのかと思ってしまう。

 

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日産、三菱自動車、ついでにルノーの先行きが危うすぎるという話・・No18

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-450937.html


ある役所の公文書の改ざんが批判されていた。
そんなものは、昔も今も、お茶の子サイサイである。
昔は、紙ベースだから結構大変だった。
今は電算だから、もっとお茶の子サイサイである。
紙ベースの方が大変である。
前後のページの整合性を持たせなければならない。
民間は、ないのかと云えばそんな事はないだろう。
うちの役所でも、あとから都合が悪くなると、トップの判断で記事の改ざんを平気で指示する。
都合の悪い事には蓋をするという姿勢である。
これは、大企業、官僚機構の果てにある行為である。
ある時、私の出した処分が、クレームになったことがある。
半分ヤクザみたいなものなので、怒鳴り込んできた。
クレームの原因となった処理について、処理を、進める過程で、課長と相談をしていた。

処理を進める過程で、課長から、文書送付を必要以上に重ねることはないと云われたので、自分の方針としては、1ステップおいてからの処理を進める積もりだったのだが、課長に言われると 躊躇していると 

1か月先延ばしになるぐらいなら、さっさとやろうと云事になった。その結果、クレームである。
しかし、担当副長は、以前書いた記事を出して、こんなことが書いてあると「ヤバイ」と述べる。
そこで、どうしてその様に判断をして、次の行動に移したのかという事を説明しても、記事で残してあると「ヤバイ」と云って削除しろという命令であった。
手書きだったから、そのページを廃棄、完全に1ページを改ざんした。
役所の内部なんて、こんなもんである。
この時、課長の指示を書かなかったことが、自分の敗因だと思ったので、次回からは、指示内容も書くようなった。
民間の話をしよう。
三菱自動車は、燃費不正で、国土交通省から厳しい監視を受けていた。
三菱の燃費不正は、規制の問題点2のうちどちらを優先するのか、判断する組織がなかったという結論が出された。
それは、技術力の低下がもたらす、試作のテスト不足、エンジン性能の問題が根底にあった。
基本的には、上司が無理難題を突き付ける、燃費を最優先にするのかどうなのかという点を判断できなかったという結論を採用したが、実際は、単なる組織犯罪であった。
外部の有識者委員会の意見を取り入れてふりをして、部署を作り、技術目標の統一化を図った。
国土交通省への報告は、糊塗されて、内部的にはやっていなことを書き連ねて、頭を下げたふりをしていた。
5年たって監視の目が取れると、改革の目玉で作った先行技術の部署は解体。
ついでに、いろんな文書の改ざんを始めたという。
ある大きなパーツの触感で、販売にとってマイナス、この触感で、最終的に、顧客が逃げる原因になるような可能性があるような部分がある。
その改修項目、改修方法を記載して報告書にあげた。
開発の途中で、その改修した方が良いという意見が書かれた部分が、ごっそり抹消されているという。
対応策は別の部署の意見も取り入れての意見だったが、抹消。
要は開発がほぼ済んだ車の改修なんて不可能という考えが支配しているという事である。
つまり官公庁の仕事の悪弊が此処にも出ているという事である。
試作段階は、完成段階と云う間違った思想の具現である。
試作から、不具合を見つけて改修をするという思考、精神がない。
無視した理由は、現在のコストと、将来の顧客の喪失を天秤にかけると、将来の顧客を失う事よりの、今の開発が大事という発想である。
また、設計思想が迷走している感じを強く受ける。
三菱自動車は、東南アジア強いと言われる。
その三菱自動車の販売主力は、ミラージュとトライトン(ピックアップトラック)である。
現行のトライトンは、東南アジアの向けのトラックという事で、以前は、社内的には、開発部への口出し皆無だったという。
ところが、現在開発中のトライトンは、主戦場の東南アジアで、売られなきゃいけない車のナンバーワンである。
前回の開発時の様に、開発部門が頑張りましたという形式で車が作れるわけはない。
色んな部署が口出しをする。
そこで、去年までは、購入層が重なる、いすゞのD-MAXが比較対象、主たるライバルという位置づけで開発を進めていた。
しかし、D-maxの進化は著しいものがあり、アルミのフレーム等の採用で、三菱が追い付けない位置に居ることが判った。
すると、今度は、外部の意見は、アルミフレームが作れない三菱自動車という点は無視して、
今度は、トライトン、D-maxの購入層+トヨタのハイラックスの購買層も射程圏内に入れたいといいだした。
開発方針は、対ハイラックスに変更した。
購買層は、ワンランク上がるのである。
その上は、ランドクルーザーの購買層である。
ここ良く判らないのは、過去に学ばないというじじつである。購買層の拡大解釈路線は、パジェロの失敗を思い出させるのである。
パジェロは、2代目で、高望みをした。
よりたくさん売り、より高収益モデルにするという幻想を抱いた。
購買層を、ランドクルーザーとランドローバーの両方を狙って失敗した。
結局、値段は、ランドクルーザー、ランドローバー並みになったが、中途半端で、大きくて重すぎて、止まらなくて、失速した。
パリダカールラリーの優勝だけで売れた車である。
いわゆる、外見は、パジェロだが、中味は、プロトタイプとでもいうべきレーシングカーである。
つまり、外見、ただの乗用車で、中身が似てもに似つかないレーシングカーで勝ったという事はばれないようにした。
お陰で、大量に売れた。
某社は、戦前から続く由緒正しい名前を捨てて「パジェロ製造」という名前にまで変えた。
だが、化けの皮はすぐにはげた。
所詮は、インチキなイメージ路線で、売れてだけである。
軽快に砂漠を走るイメージがあったが、軽快に走ることはない、加速すると止まりにくい。
慣性モーメントを考えれば、重いもんのは止まりにくい。
でも、勘違いした三菱は、ワンランク上を狙う事にして、結局失速した。
このことを思いだして、失敗した路線がダブる。
ここで、真剣に、「大丈夫か、三菱自動車?」と云う気がしてきた。
サプライヤーは、三菱自動車の工場稼働日数の少なさから、会社に対する先行きを心配しているような状態である。
(三菱自動車から日本電装へ送られてきた工場の稼働表を見て、大丈夫か?という憶測が流れている。7月は、31日あるが、岡崎工場の稼働予定日数は数日である。)
つまり、購買層の2階級制覇を狙うような車の開発をしている時期ではないともうのだが、その世界に邁進するその精神構造が理解できない。

 

つづく

 

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日産、三菱自動車、ついでにルノーの先行きが危うすぎるという話・・No17

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-91f883.html


では、三菱自動車はどうか?
一枚づつ剥ぐものがあるのか?

ふそうは、はぎ取られた.

軽自動車のはぎ取られた。

乗用車・・・商用車・・・
四駆・・

今の三菱自動車の売りは何だろう。

PHEV?

車名だけ言えば、9種類、派生型を15種類

アウトランダー(アウトランダーPHEV)、

エクリプスクロス、

RVR

デリカD:5(デリカD:5 アーバンギアー)

デリカD:2(デリカD:2カスタム)

ミラージュ

I-miev

ek(ワゴン、クロス、クロススペース、スペース)

タウンボックス

すいません、この中で、現行車をほとんど見たことがない。

(友達の車を除くと)

デリカD:5と云っても2週間に、1回ぐらい

通勤経路のミラージュは動いてないので除く

エクリプスクロスは、数か月前に1度見たきりである。

Ekシリーズ、良く判らんが、ワゴン・・・・は、背伸び感があって辛いなぁと

これも、数か月前に1回見た切りである。

まだ、エボの方がよく見かける気がする。

こコロナ騒ぎで、外出を引け気味なので余栄に、、売り何だろうと考えてしまう、そう思う。

カーオブザイヤーは、インチキ臭さが満載なので、評価しない。

そう考えると、三菱は、断捨離のすんだ爺さんみたいである。

三菱自動車に、何かを捨てろと云っても無理な相談である。

もう捨てるものがない。

それに、捨てられることには慣れているが、捨てることは不得手である。

現在は、三菱自動車の名前を名乗ってはいるが、現実的には、三菱グループとは株式を持たれているという点を除けば、ほぼ無関係である。

現在は、日産自動車の支配下にあるただの子会社である。

嗤ってしまったのは、三菱グループの冊子にいまだに三菱自動車を載せている。

グループ内で、一部の株式を持っているので、ほん少しのつながりはある。

もっとも、三菱グループ内部では、グループの広報誌の掲載に対しては、批判的な意見もあり、「載せるな」と云い意見もあるそうである。

名前で、三菱グループなんて思っているのなら、思い違いも甚だしい誤解である。

三菱重工、三菱商事もかつての権勢は無い。

三菱自動車へ商事からの援助は、販売へのテコ入れと称して人的な援助は来た。

来て、売るものがない、金も無いことに驚くらしい。

大体、日産の子会社に、資金や人材を出す公的な理由はないだろう。

(そういえば、三菱商事のルノーへの出資はどうなったのか?5月発表じゃなかったか?)

三菱自動車のの不幸は、日産自動車の子会社でありながら、三菱グループの感覚が抜けない点である。

三菱グループから離脱した瞬間に、厄介払いができた感覚だった。

だから、最初、日産の子会社になった時点で、名前も、マークも返上しろと要求された。

ゴーン君たちが、使用許可をもらいに行ったそうである。

グループを離れた時点で、自主的に中日本自動車、ダイヤモンドスターとか名前を変えればよかったのだろう。

(もっともそれでは、日産自動車にはうまみがなく、面白くない)

三菱グループ持ち株率が下がれば、そのうち使えなくなる。三井保険みたいにねぇ。

日産自動車は、三菱自動車を使って、三菱グループを利用しようとしている。

そのパスファインダーは、三菱商事出身の益子君である。

益子君は、自分の地位を守ることに汲々としているので、当然の様に、西川を中心とした、現在の幹部も含めたところで、ゴーン後の悪巧みに参加していた可能性は高い。

日産自動車の経営陣は、三菱商事の力(というか金)を利用したいのだと思う。

日産自動車と三菱商事比べてはいけないが、日産が三菱情事を利用できると思うのは僭越である。

日産自動車は、とにかく、20年前の恩を忘れて、ルノーから逃げたて仕方がない。

ルノーに勝つ方法を考えると、日産本体での行動は筒抜けであるから、ほかの手を考える。

短絡的に、ルノーを、日産の意向を汲んだ者が支配すれば良いと考えた可能性は高い。

腐ったような企業買収しかしてきていない日産の考え様な事である。

逃げるためには、日産自動車の株式を放出してもらわなければならない。

ルノーから見れば、日産は、ただの財布である。

植民地支配が大好きな国には、財布を捨てるという方針は存在しないだろう。

ルノーが、普通の民間企業なら、株式の30%でも取得して‥提案権を得て、役員を送り込んで、という手段を考えるかもしれない。

しかし、ルノーの株を握るのはフランス政府である。

しかも特殊な法律を作って、自己の権利は保全している。

こんな相手に勝てると思う方が、気がふれていると思われても仕方がない。

日産も、ルノーの子会社という意識がまるっきり抜けている。

対等か、自分の方が、規模が大きいから上なんて思っている姿勢が抜けない。

三菱自動車の最大の癌は、会長ではないだろうか?

彼は、三菱商事出身という事である。

考えてみて欲しい。

かつて、ダイムラーは、三菱を救ったが、日産への手を差し伸べなかった。

なぜだろう?

日産は、三菱よりお見劣りした会社だったのか、それとも、手を入れても仕方がない会社と写ったのか。

ダイムラーの担当者に聞いてみたい気がする。

つづく

 

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日産、三菱自動車、ついでにルノーの先行きが危うすぎるという話・・No16

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-05d6bd.html

今の日産は、20数年目の日産と同じく、厳しい決断はできないだろう。
経理畑出身の社長さんは、実は計算ができないらしい。
自動車会社の恐怖は、余剰生産、余剰設備、ついでに資金の回収困難である。

今の日産も三菱自動車も、両者の共通点は、余剰生産能力と、余剰設備、そうして余剰人員である。
これは金を生まない、すべて出てくばかりである。
だからこそ、設備を削り、余剰生産能力を削り、最後に人員を削るのであるが、その前に、子会社の整理が必要、系列も無視でよい。
日産系の会社の製品はなぜか「スカ」が多い。
機動性も悪い。
日立系の品質の悪さは、戦前からの伝統である。
技術のプリンスを、簒奪して「技術の日産」実態は、プリンスの技術、英國の技術の盗用、RB26の原型は、L型である
L型の原型は、プリンスのG型
プリンスのG型は、メルセデスのエンジンである
戦前、メルセデスのエンジンを模倣した会社は多かった
陸軍の牽引車(ロケ車)のエンジンは、メルセデスのコピーであった。
南洋で、鹵獲されて、修理しようとおもったらメルセデス(当時の言い方なら、マーセデス)のパーツが使えて直せたという。
(ちなみにこのロケ車は、オーストラリアに2台現存する。)
要は、独自性を出そうにも出せない。
技術なんて最初からない。
今どきの車を買って、当たりはずれがあるというのは何となく信じがたいものがある。
30年前、日産の車は、当たりはずれがあると聞いた。
歴代ローレルのオーナーさんだったが、4台買って2台スカだったそうである。
で、最近、と云っても数年前だが、FUGAを買った人が、外れでよく壊れたそうな。
その時の日産の販売店の社員は、「ハズレでしたねぇ」との賜った。
彼(もうお爺さんだが)は、半世紀、日産サニーから始まり延々と、日産の車を買い続けた人である。
(それこそ、いくら使ったか判らんレベルである。
半世紀中で、初代のサニーと、ブルーバード、シーマの三台が外れだったそうである。

ブルーバードは、あの日に日に評判を落とすアテーサー・・・初代シーマだった。
これらの特徴は買って半年で不具合が出る。
シーマはひどくて、ゴルフ仲間でも結構買ったので、買ったが、ゴルフ場の帰りに,いきなり、エアサスが故障・・・フロントの片側だけ下がるという不思議な現象が起きたそこで、 ディーラーを呼ぶと、和合ゴルフ場からの帰りだというと、「車がすねたんですよ」と云ったそうである。この時は、呆れたそうである。だがまだ許せたそうである。
和合は、中日クラウンの開催場所ですからね・・・)
さすがに、腹が立ったらしくて、買取専門店に、この車を売り飛ばしてしまったという。
ついでに、今日、8年も前に出た車のリコール・・・・8年間何をやっていたのか?
8年間原因が判らなかったという事かと思うと空恐ろしくなる。
そう考えると、日産はまず、「技術の日産」問う看板を捨てるべきである。
日産のこのリコール話は、当時このリコールの部分が原因で廃車にした人が居たら、怒るだろうなと思う。
とにかく、まず、金のかからないことを始めようとすれば、とりあえず「技術の日産」なんて詐欺みたいな看板は下ろすべきだと思う。
そうして、玉ねぎの皮をむく様に、一枚づつ、剥がしていくと、最後は何も残らないと云う、笑うに、笑えない話がある。

つづく

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日産、三菱自動車、ついでにルノーの先行きが危うすぎるという話・・No15

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/06/post-1c985c.html

つづき

日産は、インドネシアの工場を閉鎖して、生産を、三菱のフイリッピン、インドネシア工場へ委託生産させるという。
ルノーも、フランス国内工場を閉鎖するので、マイクラ(マーチ)のフランスでの生産はなくなる可能性がある。
カングーが売れているから、フランスで生産したマイクラが日本で高く売れるなんて思うのは短絡的である。
欧州製のマイクラを輸入しても輸送コストの分だけの高くて売れるとは限らない。

日産のマークでは、売れないので、ルノーのマークを付ける。

日産のバッチを外してルノーのバッチを付ければ、馬鹿が買うかもしれない。

ルノーは、フランスのメーカーなのに、フランス国内から生産を撤退するという。

なんだか末期的である。

どうも、アルピーヌは残すようである。

高い車は、利益率も高いので、高い労働者を雇い、手押しレベルで丁寧に車を作るのは良いが、安い車は、労働者の権利が強くて、すぐに文句を言うくせに、賃金が高いフランスで作るのは止めたいから撤退する(撤退は、進出して、退去することだからここは、廃業と称するのが妥当かもしれない。)


基本的に、賃金の安い、文句をあまり言わない、ロシア、旧東欧での生産を強化する・・・こうなると、遠く離れたフランスに、本社がある意味は・・あるのか?

フランス人がつくっていない、フランス製造ではない車を捕まえて、フランス車・・・と云うのは、いかがなものかという気がする。

この手の車を、喜んで買う奴は、すでに、フランス車を買うのではなくて、ルノーというブラドを買っているだけと認識してほしいと思う、本社が、フランスから移転したら、フランス車と云えるのか?とか考える。

売る方は、フランス車を前面に出したいのは良く判るが、この現状は、どうなんだという気がする。

フランス車や、イタリア車と云うのがある、ほとんどは、旧東欧での生産と云うのが多い・・・日本では、BMWミニも、ドイツ製よりもイギリス製を好むという。

ボルボに至っては、店員が、日本に輸入する車は全量、スエーデン製を強調する。先般嗤ったのは、中国製は一切入ってきていませんと抜かしていた。

大丈夫か?ボルボジャパン・・・個人的な感想としては、中国製のボルボを見てみたい・・・・見てみたいだけであるが・・

日産マーチは、行方が分からない。

結局、生産中止で、三菱ミラージュが、OEMで、日産マーチになるらしい。

フランス生産のマイクラ(マーチ)は、どうなのか?

日産は、去年までは、マーチはタイ工場で生産を継続と云いながら、一時期、ミラージュのOEMの話が出て、やっぱり、マーチは改良型を出して、生産は継続なんて言っていたが…結局、マーチの生産中止、ミラージュのOEMとなるようである。

この流れを見ていると腰の据わらない方針が見て取れる。

つまり、現状、基本的な車の製造販計画さえおぼつかないという事である。

三菱自動車はどうするのだろう?

完全に、国内向けは、日産の下請け化して、東南アジアだけで気炎を吐くという体(てい)だろうか

最近、見たことないと思っていた・・・ミラージュは、この話を書きだした頃、通勤経路の露天駐車場に止まっているのを見つけた。

パープルメタリック・・・・・頭悪そうな色目である・・・に三菱のマーク

気味の悪い色だなぁとと思っていたら、ある日たまたま後ろを向いて止まっていた

ミラージュだとわかった・・・その程度である。

まだ、エボゴンの方がよく見る(おんなじ車だけど)。

ミーブ・・・去年、三菱岡崎工場で見て以来、数台しか見たことがない・・・・。

三菱の軽自動車はもっと見ない・・・1か月に1回見るか見ないか・・・という程度である。

生産総数の約10分の1が、国内販売なので、いっそのこと、軽自動車は、日産がアライアンスの主導を握るのだから、三菱としては手出しができない。

残されているのは、四駆部門高ではないだろうか?

いっそのこと、四駆専門メーカーになるというのはどうだろう?

現実的には、いろんな損切りができないので無理だろうと思う。

統合は、最愛と思いながらも、京都工場を潰して、日産と三菱の新しい本社を作るのも手段の一つである。

統合しなくても、東京本社の廃止、京都当然の様に、銀座のアホなアンテナショップ、と云うかバカ丸出しの宣伝拠点は廃止する、日産も借りている銀座のショールームも返す、三菱は、四輪駆動、アジア向けの小型車の開発に特化する。

でもそれだと、国内に工場の必要性は低下する。

先にも書いたけれど、日産は・・・・海外展開は方向転換をして、生産台数を300万台まで下げる。

新工場お大半は、ルノーのラインがあるので、すべてルノーに売り飛ばす。
対価は、日産株式でどうだろう。

海外工場(特にアメリカの1工場)の閉鎖を含めた抜本的な改革が必要であろうと考えるのだが、現実的には、不可能であろう。

感覚的には、素人の株屋が、よくはまり込む、損切りが出来ない状態と云える。

日産が、スペインを捨て、タイもインドネシアも捨てるポーズは見せた。

三菱は何を捨てるのか?

というか、三菱は、何を捨てることができるのか?

考えてみれば、日産が三菱を子会社化した時点で、インドネシア、タイの生産設備は当然の様に重複する生産設備なのだから、整理統合するべ

きという経営判断があってしかるべきであった。しかし、つぎ込んだ金惜しさに、外見上は、ダットサンブランドの育成のためには必要不可と踏んで、残していた。

マーチの生産工場を決めるコンテスト?でタイに決まったのだが、これもゴーンの出来レースという噂があった。
生産性も、品質劣るタイ工場で大衆車を作るというという話題作りの為でだけに、マーチの工場を選んだという話である。
国内工場の関係者は唖然としたという事であった。
現実的に、タイで作るマーチの品質は、日本のユーザーの目をごまかせなかったわけで、品質が今一であるとわかると、いったん始まった買い替え需要は急速にしぼんでいった。
基本、従来よりも、輸送費がかかるので、高くなった。
東南アジアで作った車は、安いというイメージがあったのかもしれない。
そう思っていたら意外と高い、中身は、何となくチープ、これで売れると踏んだ日産の幹部は責任取れよと云いたい。
結局、話題作りを優先した所為いで、その時までいた、マーチのユーザーを失い、将来の日産のユーザーをすべて失ったという事になる。
マーチはコンスタントに売れる良い車だったが、その客はすべていなくなった。
この惨劇は日産の総体として販売量の減少と、将来のユーザー層の喪失という二重の痛手を招いたことになる。

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-91f883.html

20200701初出

20200711補正

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