地震について

九州地方で地震がありました。

5年前の、3.11を思い出しました。

本日(2016/04/16)の悪化が懸念されています。

本当に心配なことです。

個人的なことですが、親戚の安否確認ができて少々ほっとしています。

福岡県在住の親戚は、家の中がぐちゃぐちゃで、余震も恐ろしく避難所に退避しているとのことです。

まだ2歳ぐらいのチビちゃんが居るので心配です。

宇土市在住の親戚についても情報が入ってこなくて一時期非常に心配しましたが何とか無事なようです。

映像を見て思ったのは、新しい建物でも、1階のつぶれていることが多い、古い建物の倒壊が多いこと、道路、崩落の多いこと、山津波の発生が意外と多いということ。

中部地方でも、先日、昼間に和歌山沖を震源とする地震があった。

携帯電話の地震速報が流れて驚いた。

みんなの携帯が一斉になりだして、緊急地震速報ですと来た。

東南海地震の恐れは現実的と感じる一瞬だった。

その矢先である。

崩落には山間部の表層崩壊ともいわれる部分もあるようではあるが、専門家ではないので何とも言えない。

良くツーリングで行く大鹿村は終戦後、山の斜面の大崩落を経験した村落である。

大きく山肌が崩れた後は今でも見ることができる。

自然災害は、人間の手では何ともならない。

倒壊した建物を見ると、古い建物は、屋根を残してつぶれている。

単純な見方をすれば、つまりは屋根の構造は耐えたが、柱は耐えられなかったということである。

新しい建物そうに見える建物でも、1階がつぶれていることが多い。

崩壊した学生の多数住む集合住宅は1階がつぶれている。

これは、どうなんだろうという気がする。

要は、1階は強度がなく、2階に押しつぶされたと見るのが妥当なのだろうか?

賃貸の集合住宅は基本的には安普請であることを否定はできない

うちの近所の4部屋ある集合住宅の建設現場を見たことがある。

某建託メーカーの建てていた物件である。

基礎ができて、あっと云う間(一月ほど)にできたのである。

建屋はすぐにできて、建具、電気水道ガスの工事を含めて1か月である。

建屋を作る途中を見ていたが、見るからに安普請である、細い木の組合わせ、軽量鉄骨の組み合わせ・・・・・・

「こんなんで建物が立つのだなぁ」と感心したことがある。

地震が来たら、1階と2階が逆動いて崩壊しそうだなと思った。

理論的に考えれば、波動の揺れと戻る波動の振幅がぶつかれば、弱いところが断裂する(はずですが・・・)ので、1階の柱が壊れるのだなとは想像がつく(あくまでも、想像です)

追加的に思うのは道路に面した部分は盛り土で嵩(かさ)上げをしている。

今回の様な地震があったら・・・・路面に倒壊するのだろうなという予想が立つ。

道路の路面の確保は重要だと思う。

良く街中で、古い、古い家を見かける。

見ると、この家は、たぶん倒壊するであろうという感じはする。

裏道の様な、狭い道路に面した建物も多い。

観ていて少々怖い感じがする。

名古屋市内には、中心部には、新屋があり、その奥に、屋根の抜けた古い(たぶん明治大正期に建てられたよな家がある。

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あきらかに住んでいない。

屋根が抜けて壁面が溶けている。

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窓なんか壊れてガラスがない、家の中、きっと床が抜けているような風情だろう。

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見るからに建物は歪んでいる、建っているのが不思議という感じである。

こういった建物は崩壊すると、道路をふさぎ、隣家にも被害をもたらすことは容易に想像でできる。

こいったものは、撤去されるべきではないかと思う。

固定資産税の不思議で、建物があれば、固定資産税の6分の5減免される優遇を悪用しているだかとしか言えない。

もう少し、古い建物で耐震性がないと思うわれる建物は、撤去すべき時期が来ているのではないかと思う。

個人的な意見ですが、お年寄りが、自宅の倒壊でなくなられたのを聞いて

「古くて愛着のある家に押しつぶされて亡くなるのは嫌ではりませんか?」

と云いたくなる。

20160416初出

20160417加筆

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久しぶりの中津川、なんか寂しい

中津川市は、平成9年から12年まで勤務地だった。

久しぶりに、お仕事で訪れてみた・・・というか行かざるを得なかったので行きました。

片道電車90分、徒歩30分の長距離を・・・・

まず驚いたのが、古い旅館がなくなっていたこと。

「十一屋」という屋号で、中津川駅から少し離れたところにありました。

非常に古風な旅館で、大昔に祖父に連れられて泊まった記憶のあるところでした。

赴任した当時、うろ覚えで探すと、その時点で20数年たっていましたが、そのままの姿で立ってたのには驚きました。

毎日のように歩いて通勤していた時には、よく写真を撮りましたが・・・

通期経路の途中に会った保育園が閉園になっていたのも悲しい感じに拍車をかけましたが・・・

いつも、小さな子供を連れた奥さんが子供を送って、バイバイしている。

昼間通ると、「いただきまーす」といった声が聞こえていたところに、窓という窓、出入り口の「立入禁止」のテープが、封印の様に貼られていた。

存在していたものがなくなったり、本来の意味を持たない状態になったり、無くなるのを見て、なんだか妙に寂しい感じを受けました。

街角の風景が替わると、後年行くと何となくな、きれいになった町並みは、景観という点ではいいのかもしれませんが、人工的な感じを受けてしまうので何となく、さみしい感じを受けます。

人工的な、無機質な感じを受けます。

人が歩いているからまだしも、人が全然いなかったら?

考えるだけでも、「寂寞」(せきばく)という文字が浮かんでしまいます。

道幅を広げて、家を新築にして、きれいにはなった・・・でも…何か足りない感じがする。

都市計画の観点から見れば、交通の便を良くする、治安、治水を考えた道路網を考える。

快適さという点ではいいかもしれない。

でも、新しい道ができれば、便利のいい道を通る人が増える。

旧道の商店街はさびれる。

新道に沿って新しい店ができる、郊外型のショッピングセンターができる。

旧街道はさびれる。

町の活気がなくなる。

市町村は、町の活性化と言いながら、結局、旧商店街の活性化ができない理由を、人口の減少、高齢化に話を持っていきたがる。

が、実際のところは、道路建設と、商業施設の誘致の結果、町の活気がなくなる、商店街の後継者は、見切りをつける、新道沿いに店を持つ。

以前は、小さなコミュニテイでは、小さな商店街が生活圏だった。

しかし、車社会になると、小さなコミュニティ自体が成り立たなくなる。

地元で働けなくなる、通勤で遠方へ行く、買い物は週に数回、普通の生活物資は、郊外型の大型店舗で済ませる。

郊外型の大型店舗が増える・・・・

某政党の党首は、その典型的な郊外型の店舗展開して、商店街をつぶした会社の一族だ、選挙の時に、「シャッター街の対策を」と叫んでいたのを聞いて、正直、あきれた。

衰退する街を救う手立てはもうないのかなぁとおもう。

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