北名古屋市の憂鬱?

 書類を見ていて、北名古屋市と書いてる。

 で、勘違いで最初名古屋市と読んでしまった。

 だが、区名がないのでよく見ると「北」が付いている

 そうして・・・のけぞってしまったのである。

 どこにある市なのかわからなかったのである

 近隣ながら、どこの馬鹿の命名だと思った。

 平成の大合併でできた名古屋市の北部都市である。

 合併の経緯は以下の通りである。

 2002年4月から

 西春日井郡の「西春日井郡7町合併問題研究会」設置。

(ちなみに、西春日井郡とは、尾張、旧名古屋市街からの北に位置する郡部地域のことである。

 町名としては、西枇杷島町、春日町、清洲町、新川町、豊山町、春日町、師勝町、西春町の7町である。

 この協議会、西春日井郡としてまとまることができず、西春日井郡の東部と西部に分かれて合併した。

 最終的には、「清須市(西枇杷島町・清洲町・新川町、春日町が合併)」と「北名古屋市(師勝町・西春町が合併)」6町が消えて、2市が誕生したことになる。)

 20026月から9月は動きがあわただしく、 西春日井郡7町での合併を検討し、合併協議会である「西春日井郡合併検討協議会」設置した。この段階は、合併の是非を検討する段階で、何となく「西春日井郡で寄ってみますか」程度の集まりである。

この状態で合併できれば御の字のような雰囲気であった。

 翌年の2003年、師勝町、西春町から名古屋市との合併検討の話も挙がったが、当時の名古屋市長に、合併を断られた。

 また同年2月には、西春日井郡で東部の豊山町は、合併協議からさっさと離脱

 どうも、合併のメリットがないと感じたようである。

 豊山町の離脱で一番大きな痛手をこおむったのは、師勝町西春町である。

 12月には、豊山町の抜けた後の法定協議会「西春日井6町合併協議会」は、あっあり解散。

 理由は、西春日井郡の東部地域である西春・師勝と、西枇杷島、清州、新川、春日の対立は解けなかったようである。

 地域の雰囲気が違うので、合併は難しかったのだと思う。

 枇杷島、清州は古くからの街道宿があり、かつまた、江戸時代から続く商業地域である。

 新川町は、豊和工業(豊田式自動織機の後身)等があり、戦前からの工業地帯である。

 師勝町、西春町は、ちょっと中心からずれた農村である。

 師勝町は、まるっきりの農村地域である。

 20041月には、師勝町と西春町での合併に関する住民アンケートを実施

「合併は必要」はというアンケートが優勢であった。

師勝町

「絶対必要(12.9%)」「必要(47%)

「あまり必要を感じない(22.5%)」「必要ない(5.8%)」「わからない(11.7%)

 師勝町の住民は、鉄道はなく、バス路線もほとんど運休と誘致であるけれど、名古屋市のベットタウンとしての色彩が強いので、ほぼ60%近い人々が合併に前向きだったことがわかる。

 この当時、4万人の人口であった。

 財政力指数 0.93

西春町

「合併する(39.6%)

「合併しない(31.2%)

「わからない・どちらでもよい(29.2%)」、

 西春町は、アンケートの取り方に作為を感じるが、3分の1以上は、賛成

 反対が3分の1以下、

 ちなみに、人口は3.4万人

 財政力指数 1.20

 財政力指数が、1.2はなかなかいい数字である。

 どうでもいいのが3分の1以下という涙が出そうな結果である。

 多分、役場の人たちは、この結果に愕然となったのではないかと思う。

 将来を考えると、合併した方がよいとは思うが、合併をしなくていいと思うのも三分の一・・・

 

参考

豊山町の財政指数は、1.02で、人口は1.5万人 

 現在の、北名古屋市の財政0.96で、人口は、8.1万人

枠組み

「師勝町(豊山町が希望すれば入れる)(65.7%)

「その他(27.7%)(内訳:名古屋市(49.4%)など)

「わからない・どこでもよい(6.6%)」)

 これも舐めた質問である、申し訳ないが、豊山町は小さいなら結構、余裕のある町である。

 豊山町は、小さいながらも、みよし市、北方町の様に裕福な自治体で、合併することで、行政サービスが低下する恐れがある。

 町民の感情としては、わざわざ合併する気はないだろう。 

 こうしてみれば、財政的に厳しかった師勝町は、合併による起債、交付金が喉から手が出るほど欲しかったわけで、合併には積極的だった事がわかる。

 財政指数が、豊山町、師勝町、西春町の3町のうちで1を切っていたのは師勝町だけである。

 豊山町は、三菱航空機、名古屋空港、卸売市場、大規模なショッピングセンターを抱えている。

 MRJの関係で事項も増加傾向にある。

 西春町は、名鉄本線もあり、早くからベットタウン化し、国道22号線の関係で工場も比較的多い。

 だからこそ、師勝町は、幹線道路(22号、41号)をかすりもしていない。

 産業はほとんどない、生き残りをかけて、必死になったのだと思う。

 なんせ、師勝町は、旧弊な農村地帯と言って差しさわりのない地域である。

 市庁舎は、二つある。

 公式には、西庁舎が、市役所として表記される。

 旧西春町役場が、西庁舎、旧師勝町役場が、東庁舎として使用されている

 どちらでも用が足りるのは、市民である。

 が、役所関係がお世話になるのは東庁舎である。

 西も東も駅から遠い、

 東庁舎は車がなければ行くのはほぼ不可能なぐらい遠い。

 西庁舎へ行くと、必ず、東庁舎へ行ってくださいと言われる・・・

 

ある資料によれば、市名は公募であったそうである。

 そうして、世界にアピールするために「名古屋市」の北あるので、「北名古屋市」にしたそうである・・・名古屋の国際知名度は、豊田市よりも低いのだが・・・

 北名古屋市という名称というを選んだ経緯はこんな感じである。

 仕方なく、2004年4月に、師勝町と西春町は合併に向けた法定協議会を設立した。

これは、協議といっても、合併の是非ではなくて、合併前提の協議会である。

 そこで当然のように、新市名を考えなければならなくなった。

どこかの銀行の様に、全部繋げるのも手なんだろうが、ちゃんと新市名を公募した。

上位10

 「名北」、「西春」、「西勝」、「師勝」、「西名古屋」、「西春日井」、「尾張」、「勝春」、「北名古屋」、「名西」

 なんだかなぁという名称である。

 次に6点に絞り込まれた時に残ったのは、

 「北名古屋」、「名北」、「尾張」、「尾張中央」、「西名古屋」、「濃尾」となった。

 身の丈に合っていない名称が多い。

 尾張・・・尾張藩ではあるが・・・盗人猛々しいという感じがする。」

 尾張中央・・・これもなんだかよくわからない。

 西名古屋・・・北西ならわからんでもない位置ではあるが・・

 濃尾平野からとったんだろうが・・・ちょっと大風呂敷ではないか?

 最終候補の「北名古屋」、「名北」、「尾張」の3点となった。

 名北・・・めいほくし?どこの馬鹿だという感じである。

 で結局は「北名古屋」が選ばれたのである。

 その当時、資料を読むと、北名古屋市…と書いてあるのを読んで、どこの馬鹿がつけた?という思いと、名古屋市に吸収されたい願望の表れかとも思った。

で・・・

 最近、北名古屋市は、名古屋市に対して合併を申し込んでいる。

 北名古屋市では、市長、市議会選挙も最近ありました。

 結果は・・・

 市長は、合併推進派がそのまま当選・・・

 市議は・・選挙の争点に「名古屋市」との合併・・・・を話題に一切上らせないというか、一切口にしなかった・・全会派でである。

 ちょっと感覚がおかしい。

 主張は、金を使うことばかり、目先の口当たりの良さげない、福祉重視の絵に描いた餅をバンバン声高に叫んでいた。

 なぜ、市議会議員が、合併問題を口に上げないかといえば・・

 合併した場合、名古屋市の区割りで行けば、北区に旧師勝町が合併、西区に西春町が、合併する可能性が高い。

 川向うということで、現在の名古屋市北区の楠地区、西区の山田地区が、北名古屋市と合併して西春日区ができるかもしれない。

 北区西区にそれそれの旧地区が合併した場合、議員定数がそれぞれ1増えるかどうかわからない。

 独立した区になった場合、市議会議員の定数は、多分「2(から3)議席」である。

 すると、現在の議員の90パーセントは職を失うことになる。

 現在の北名古屋市の議員定数21

 現在は、19名、2名欠員

 北名古屋市は、財政指数が、1を切っている。

 つまりは、足りない分を国からもらっているのである。

 地方交付税交付団体である。

 要は、市の収入よりも、支出の方が多いということである(ちょっと、暴論)

で、今でも、北名古屋市の人は、豊山町を入れなかったのは痛手であると述べている。

 収入をに合わせた生活をする気がないのは、馬鹿の見本ようなものである。

 西春町は、収支があっていた。

 師勝町は、支出の方が多かった。

 地域の体質かもしれない、西春町の役場は、しょぼかった。

 師勝町は、結構立派であった。

 ドンびゃくは、外面にこだわる。

 東海集中豪雨の時に、被害が多かったのは、そういった点に変えをつぎ込んでこなかったつけである

 洗堰(あらいぜき)を批判する人が多いが、そうゆう構造に昔からなっているんだから仕方がなかろう。

 近隣の河川の浚渫(しゅんせつ)、かさ上げを怠ったのは誰だろう。

 国の河川管理ばかりを責めるのは、地方議員の悪癖である

 

 平成の大合併は、基本的には地方公共団体の行政効率を上げて、経費の削減をする。

 結果、効率化によって、財政の健全化を目指すはずであった。

 しかしながら、問題意識のない吏員、まぬけな議員が多いせいか、財政規模が大きくなると金が使えると思い込んでいるバカが多い。

 足りなければ地方交付税をもらえばいいぐらいの勢いである。

 問題意識を持つべきである地方議員は、何の前向きな意見もなく、放漫経営を続けてもよいという気になっているバカが増えたということの象徴かもしれない。

清須市の財政指数は、0.95

 清須市の合併前の指数が出てこないのでよくわらないが、旧春日町などは、豊田合成があるので財政 指数は悪くなかったはずである。

 名古屋市は、0.98

 名古屋市は、財政指数が1以下、1以上を行ったり来たりしている。

 この財政指数に、いつも一喜一憂している。

(蛇足、馬鹿な議員、首長のものすごく単純な発想で、人件費を削ればとりあえず支出が減る。

 給料を減らせば財政が健全化すると思っている。

 日本産業自動車が倒産して、欧州の買われた時の手法は、まず財産の処分、販売店の整理で、費用の軽減を狙った。

 一番効いたのは、資産の売却である。

 今の名古屋市長は、人件費を削れば財政が健全化すると思っている。

 今の時代は、一番ダメな社長の発想である。

 一般受けは良いが、人は石垣という言葉を思い出してほしいと思う。

 市の構造には一切手をかけないで、金額の総量規制だけを考えている。

 例えば、市営バスの運行は、三重バス、名鉄バスに委託されている。

 いい加減に民営化してはどうかと思う。

 大阪の地下鉄みたいに、営団かするのは手法として間違っていないだろう。

 そうやって見ていくと、名古屋市長の行政手腕は、いわゆる、無能な取締役の典型である。

 しかしながら、まぬけな行書、市の職員上がりではないので、名古屋城の復元などは、本当に文化事業としては、刮目すべき点があるのも事実である。)

 いくら、北名古屋市が合併したいと云っても、名古屋市が、「うん」と言わなければ実現はできない。

 名古屋市自体が、合併に耐える力があるのか…というか余裕ががるのかどうか微妙である。

 でも、市民に直接かかわり合いのある、大きな問題があったりする。

 名古屋市と北名古屋市が合併すると、西春日井広域事務組合(愛知県北名古屋市、清須市および西春日井郡豊山町の21町が設立している一部事務組合、消防組合)の取り扱いが困ったことになる。

 清須市と豊山町の間に、北名古屋市があり、かつ本部も北名古屋市にあるからである。

 どうなるのか固唾をのんでみていたい(棒読み)

 

 

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或計測

或計測

昨日の帰り、十字路で一時停止線を無視したアクアに、自転車のおねーちゃんがはねられていた。

事故を見たからではないが、ここ二週間のある計測結果を現したい。

仕事で、交通手段をバス電車にすると勢い横断歩道を渡ることが多い。

某岐阜県では、横断中の歩行者がいる、横断しようとしている歩行者がいるにもか

かわらず通過する車両が非常に多いと思った。

感覚的に止まる奴はいないなぁと思ったので計測してみました。

街中で見かけた大抵の老人は、基本、車は止まらないと思って横断をせずに車が途切れるのを待っている。

身についた経験則だろうと思って感心している。

でも、である、横断歩道ぐらい渡らせてもらいたいものだと思う。

また、広い横断歩道を渡っていると、岐阜県人の基本は、人が、車前に来てなければ通過してもよいという感覚の様で、歩行者の安全確保には配意はしていない態度がありあいりである。

横断歩道1カ所でおよそ7から8台の車が、通過している。

あまつさえ、信号機がない横断歩道を渡る場合は、8日間で74ヵ所 累計通過台数1118台が通過

一日換算をすれば、信号の横断歩道を渡るのに、120台の車を見送ることになる。

ちょっと、異常な感じを受ける。

確かに、豊田、刈谷、三好、安城、知多半島全域と云った車の多い地域でも車が我が物顔はある。

でも、信号がない横断歩道に佇んでいると、大抵は何台かに1台は止まる。

思わず頭を下げる気になる。

しかし、岐阜県民は、渡り掛けていても止まらないで避けて通過する。

その精神状態が理解できない。

 

ちょこちょことメモをしたので、台数、場所数には若干誤差が有るかも知れません。

 

岐阜県警に聞きたいのだが、長良川河畔でスピード取り締まりをするのは、簡単に捕まえられて、件数も上げやすいんだろうが、街中の交通マナーの悪さ(横断者がいるのに停止しない車)を取り締まってはどうかと思う。

 

 

期間 2017年9月25/26/27/29日、102日から5

累計日数 8

計測地点(場所は、一定ではない、岐阜市、瑞穂市、本巣市、各務原市、笠松町、岐南町の街中である。)

信号の無い交差点横断した回数 

2507ヵ所

2614ヵ所

2709ヵ所

2911カ所

0210ヵ所

0308ヵ所

04日07ヵ所

05日08ヵ所

小計 74ヵ所

 

信号機のある交差点(自動)横断した回数 

2506ヵ所

2609ヵ所

2709ヵ所 

2909ヵ所

0213ヵ所

0309ヵ所

0409ヵ所

0508ヵ所

小計72ヵ所

 

手動式信号機のある交差点横断した回数 

 

250ヵ所

260ヵ所

270ヵ所

292ヵ所

020ヵ所

034ヵ所

043ヵ所

051ヵ所

小計8ヵ所

 

8日間に横断した横断歩道の回数154ヵ所

1日平均 19.25ヵ所

 

上記の交差点で歩行者がいるにもかかわらず通過した車両数

 

信号の無い交差点

横断歩道に佇んでいる間に通化した台数

歩行を見つけて止まってくれた台数は( )内に記載

2507ヵ所 149台 (平均21.2台)

2614ヵ所 321台 (平均22.9台)

2709ヵ所 143台 (平均15.8台)

2911カ所 094台 (平均08.5台)

0210ヵ所 142台 (平均14.2台)

0308ヵ所 105台 (平均13.1台)

04日07ヵ所 99台(1台)(平均14.1台)

05日08ヵ所 65台 (平均8.1台)

合計 74ヵ所 1118台(1台)

1カ所平均 

15.1台

停車してくれた割合 (停車してくれた台数/通過台数)0.089%

信号機のある交差点(自動)

歩行者の歩行中に前を横切った台数

(比較的道幅の広い交差点が多かった。)

2506ヵ所 3

2609ヵ所 2

2709ヵ所 0

2909ヵ所 0

0213ヵ所 9

0309ヵ所 0

0409ヵ所 4

0508ヵ所 2台(1台はスマホ見ながら目の前のを走って行った)

計72ヵ所 20

通過した台数の1カ所当たりの平均 27% 

 

 

手動式信号機のある青に変わり交差点を横断しようととした時点で通過した車両

25日 0ヵ所 

26日 0ヵ所

27日 0ヵ所

29日 2ヵ所 1

02日 0ヵ所

03日 4ヵ所 1台

04日 3ヵ所 2台(2台は、枯れ葉マーク付き爺さん1、ばあさん1)

05日 1ヵ所 1台(枯れ葉マーク付き、ばあさん1)

小計 10カ所 5

通過した台数、1カ所当たり 50%

 

横断歩道を渡るしぐさしながら、目の前を通り抜けた台数

合計1142

通過台数の一日平均 142.75

 

信号のない横断歩道の1カ所の通過台数

15.1

 

1カ所の横断歩道で通過される車両の台数

1日の横断した横断歩道の平均19.25ヵ所

一日通過平均台数 142.75

1カ所当たりの通過台数 7.41

 

横断歩道で止まっていて止まってくれた割合

(停止車両/通過車両) 0.0875

こうしてみると、信号のある交差点だろうが信号がなかろうが、車がいなくなってから渡るにしくはない。

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どうでもいい名古屋弁について

名古屋弁について

よく名古屋の人は、「みゃーみゃーやー」と猫みたいね云うねぇと云い方が、地方(名古屋以外は、名古屋から見れば地方である。)の方からいわれることがある。

あなたの事を、「おみゃー」という云い方をすると言われますが、間違いです。

言語学者ではありませんから正式な調査(サンプル調査)をしたわけではございませんが、この「みゃー」と延ばす話し方は、江戸時代から、現在に至るまでの名古屋台地(熱田神宮から名古屋城までの高台)に居住する方の言葉ではありません。

名古屋台地のはずれ、周辺部のの百姓(農民)言葉です。

名古屋弁のサンプル調査んかもうできません。

名古屋市中区にある古くからの商人の町長者町では、「あなた」の事を「おみやぁさま」といいまして、伸ばしません。

武家も当然の様に、その様な言葉は使いません。...

名古屋叢書(名古屋市刊行の名古屋に関する古くからの書籍を集めたもの)にも、その様な言葉が頻繁に使われたという記載はなかったとおもいます。

もっとも、武家の書いた文書は、漢文ですからそんな言葉は皆目出てきません。

蛇足ですが、「紅葉録」という市中の事件を書いた本には、よく「自滅」という言葉が出てきます。

これは、自裁して果てたと言う意味らしいですが、どのような状況での自裁かは、わかりません。

今で云うところの、「きちがい」の様な人も多数いたようで、よく市中で人を殺(あや)めては、捕まり、死罪とか、武家なら、自滅ということがよく出てきます。

話を戻します。

言語学的に云えば、言葉の伝搬は、京都奈良が日本お中心だったころは、京都(奈良)を中心とした同心円上に日本に広がりました。

時々、そうして談判の結果、東北や中国地方で同じ言葉が同じ様な使われ方をしている事例はたくさんあります。

古い京都の言葉がその時代に、故郷へ持っ帰られて、奇跡的に残ります。

でも京都では使われなくなり、新しい言葉にとってかわられて行きます。

新しい言葉が伝搬されなければ、言葉は更新されません。

結果、そのまま古い言葉が使われることがあります。

それは、地方の中心地域と周辺地域でhも同じ事が起きます。

江戸時代であれば、藩庁がある中心地域、武家の住む地域、商家の立ち並ぶ地区、職人、町人、寺院の集まる地区それぞれ厳然と区分けされていました。

そうした地域の言葉が、周辺の百姓へ流れても、「さま」と云った、敬語に属する部類の部分はのさっさと消え去るでしょう。

つまりは言葉使いが雑になります。

雑になれば、言葉は汚くなります。


方言というか、地方地方の言葉が、特化していく過程は、先ほど記述した、京都からの伝搬、後年は、江戸からの伝搬があったお思います。

方言がことさら助長された地域は、辺鄙な地方、関ヶ原の負け組に多い。

薩摩、長州は最たるものであろう。

薩摩の様に、方言を語尾変化だけではなく、言葉自体を特殊化、特徴化させたのはるは、他国人を区別するための手法として使われました。

(そもそも、薩摩は、九州の先っちょで、特異な言語を使っても問題はなかったと思います。

25年ほど前に、大学の討論会(今で言うところのデイべート)に参加していた熊本県の郡部出身の人は、それこそ、判読不動なほどの薩摩弁でした。

聴くと、老親に育てられ、田舎ゆえに、古い言葉が多く、標準語は浸透していなかったと語っていました。

彼、頑張って標準語で話てくれたので上記に様な内容はわかりました。

しかし、彼が普通に話すの薩摩弁で、わかった言葉は、「おいは」「じゃっどん」「でごわす」だけでした。

われわれの父母の代までは、子供の頃に、地方に標準語が流れ込んでいないのでふるい

方言をそのまま使う(使える)傾向があったのだと思います。


ところが、 名古屋は、徳川御三家で、一時期険悪な時期もありましたが、幕府との関係は特に問題がありませんでした。

それに、東海道が通る交通の要所でした。

つまり、特異な言語体系としての「方言」は必要ありませんでした。

商業上、特異な言葉は不必要です。

それに、それらの言葉は、商取引上の必要性からかんがえれば、当然やさしい言葉使いをすることになります。

ですから、タモリさんの語っていた名古屋弁は、名古屋の百姓(農民)言葉で、名古屋弁といっていいものかどうか?

タモリが出てきたころに、テレビジョンを見ていた父親が、「むちゃくちゃな名古屋弁だなぁ」とよく語っていました。

一時期(1990年代)「エビフライ」を、「えびふりゃー」というと云ってはからかわれましたが、あのころ、誰が使うのかといぶかしく思ったこともあります。

ですから、現在の名古屋市長の河村某、タレントの矢野某の名古屋弁は、聴いていて耳障りです、嘘くさいです。

大体、河村市長は、自転車で選挙演説をしていた時は標準語で話をしていました。

テレビにちょくちょく出る様になってから、ウソくさい名古屋弁を連発する様になりだした。

明治生まれであった祖母の言葉は、「~なも」とつなぐことが多かったのですが、それはきれいな、柔らかい言葉でした。

うちは、江戸時代から、東区に住んでいました。

昔の名古屋の言葉を聞いて育った人間として、上記の2名の名古屋弁は非常に聞き苦しいと感じています。


特に、市長の名古屋弁は、言葉の流れが美しくありません。


無理に継いだ感じを受けます。

時々思うのは、丁度、大阪弁をまねて話をしても、どこか違和感が残るのと同じです。

大阪の人前で、大阪弁をまねて話すと、「なんか気持ち悪いわぁ」 といわれる感じに似ています。

彼らの語る言葉は、言葉の語尾に違和感が残ります。

名古屋弁で、有名ではありませんが「タワケ」「ターケ」という言葉があります。

河村君は、「たぁわけたことゆっとてかんわ」をよくテレビで連発していましたが、

「能無しの、クズの人間云うようなことを言ってはいいけない」と言っているのだ。

単に、「バカなことを言っていてはいけない」

と言っているのでではない。

普通に言うのであれば上記の「馬鹿なことは・・・・」は、

「とろくさいことゆっとってかんわ」と云うはずである。

「とろ」、軽い意味での「一般的な「とろい」で、かるく「バカ」と言う意味である。

「タワケ」「ターケ」は、生きている価値のない、死んだ方がよいというぐらいの意味合いでの「馬鹿」ということである。

これは、「田を分ける」から来ていると言われます。

百姓が、田を分けると、一族の生活に困ると言う意味から来ています。

関西から来た人に、名古屋では「バカ」と「アホ」とどちらを使ってはいけないのかと聞かれたことがある。

大阪では、「アホ」はいいけれど、「バカ」と言ってはいけないらしい。

名古屋では、いんちき名古屋弁を堂々とつかっているのは、河村名古屋市長と、タレントの矢野某である。

それが売りなんだから仕方ないが、聞き苦しいのでやめてほしい。

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岩倉市史跡公園 旧石黒家の「稲松」と入った貧乏徳利




愛知県岩倉市大地町野合51にある小さな史跡公園です。

(小僧さんとの連休中の旅(日帰り)の記録での発見)

Dsc02066_50


旧石黒家住宅:鳥居建民家(室町時代における農家の型式)で、昭和60年調査時に当時で、250年前、つまりは江戸時代の建造と推定される農家)

完全移築ではなく、一部の移築です。

棟上げ板は、「岩倉町長 柴山孝太郎」(昭和30年当時の町長)と記載

(岩倉町は、明治25年から昭和45年11月30日まで存在しました。)

「奉上棟大元尊神

 岡象女神

 五帝龍神

棟梁 堀尾孝

検知 浅田和考

岩倉町長 柴山孝太郎

鳶頭 木全初太郎

葺師 森一市

資料によれば

昭和30年に、岩倉町史編纂のために地域の古い家屋の調査をしたことがあるそうです。

岩倉市東町にあった「石黒泰一」氏の母屋でした。

家人の伝承によると約200年前の建築と言われていたようです。

名古屋工業大学教授 城戸久博士を中心とする専門委員に公式に発見されました。

Ishiguroke_2

当初の建物平面図(調査時の復元図)

城戸久博士の推定では、江戸時代中期の建築と思われます。

調査時に、元主柱の記載がありますので、増築していることがわかります。

当初の建築時と比べると、二倍の規模になっています。

でも、三間構造です。

室町幕府(足利)時代農家の様式が残った農家屋の建築方法です。

いわゆる、大黒柱のない構造です。

入口(図番上は:オトグチ)が出入り口(通常、南向き)

土間(図番上はニワ)は、屋内での作業場所

入口(オトグチ)を入って90センチ(3尺)の所に、主柱があります。

主柱で支える梁の北側にも同じく壁から90センチのところに、主柱がある。

梁を二本の主柱で支える構造で、梁の下にはさらに、繫ぎの梁が一本横に渡してある。

横から見た形が、神社の鳥居のような形になっていることから「鳥居建」といわれています。

参考写真 鳥居(各務ヶ原市 諏訪神社)

Dsc08691

この形式は、室町時代には完成していたものです。

構造的は強固であり、室町時代から江戸時代までは農家の一般的に建築方法でした。

江戸時代に中期以降は、四間取りが増えます。

三間取りから四間取りへの改築も多かったようです。

鳥居構造の主柱を、増設するのであるから比較的簡単に横方向へ増築(延ばす)ことはできたようです。

鳥居構造は、増築のしやすい構造だったようで、オリジナルの三間取りが意外と残っていません。

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恵那市明智町の旧三宅家は、同じ鳥居建ての鳥居建(三間構造)から、四間構造への改築したものです。

4間取りは、田の字構造が多いようです。

この石黒家は、3間取りのままで、そうした意味合いでも室町時代の様式をよくぞ残してくれたと言ものです。

当初は、岩倉市役所の横に移築されていましたが、同公園が開設されたときに再移築されました。

尾張北部では一番古い「鳥居建て」といわれています。

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復元建物、押入、床の間が増設、

風呂、縁側(廊下?ではないようである)、厩、納戸はなくなっている。

文化財を保護するという観点では、移築時に、予算的な問題もあったのかもしれないが、もう少しきちんと移築してほしかったと思う。

生活感のない、建物である。


移築の建物は、床の間作ってあり、再現度は、ちょっと・・・・もう少し、何とかしたらどうだという感じである。

長い前置きが・・・・(相も変わらず、前置きが長い)

で主題は・・・・ですねぇ

「稲松」と入った「貧乏徳利」の展示がありました。

稲松酒造さんでしょうかねぇ・・・

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みりんもあったようです。

稲松さんは、公園から比較的の近いので・・・ねぇ

他の展示物

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置きかまど(うちにもまだあります。)

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かまどですが・・ちょっと出来が悪い農家カマドですが、位置も作りも悪い。これでは火はくべられません。

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「せんばこき」の穂先のみ(江戸時代にできた手動脱穀機である。

昭和30年代まで使われていた地域もあった。

鋼製で、歯の数で値段が違っていました。

支えの部分がありませんので、どの時代の製品かは見当が付きませんが、歯の止め方でおおよその年代は、製造地域がわかるともいわれますが、良くはわかってはいません。

昭和30年代であれば調査が可能だったと思われます。

軒をしたか見ると、かやぶき屋根というか、江戸時代の屋根のの構造がよくわかりまります。

建て穴太式住居の天井と構造的には大差がありません。

隙間には、藁をの輪巻いたものを詰め物にしています。

今出は見られない構造です。

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竪穴式住居の屋根の内側

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この公園、もともとは、大地遺跡でした。

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おかげで、弥生時代の竪穴式住居も復元されています。

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道路からは、こちらが見えます。

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弥生時代の縦穴住居(復元)、木材とカヤ、一部屋根材に竹を使用(竹はどうなんだという気がしますが・・・)

中には入れます。

ちょっと、小振りかしらんと・・・

20160504初出、加筆

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今日の旅?

小僧さんと、連休なのでどかへ行とかんがえて・・・そうそう、中津川の苗木城址へいこうと・・・出かけました。

春日井ICから高速にのると・・・順調でしたが・・・小牧東ICの手前から渋滞の表示・・・20キロ・・・

小牧東ICへの降り口は2キロぐらい渋滞・・・・

基本的に、根性なしな親子なので、行き先を、岐阜城へ急遽変更・・・

で、1時間ほどで、岐阜城のふもとに着くと・・・・岐阜城公園駐車場へ長蛇の列・・・

小僧さん・・・ねぇ、止めない?

デ・・止めまして

近所の伊奈波神社へ行き、ついでに、岐阜大仏(正法寺)へ行きました。

その帰りに、アクアトトへ行き一日終わり・・・・

疲れました。

小僧さんは、楽しかったそうな・・・よかったよかった。

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今日の山登り・・・・「うさぎ岩」

今日は、曽木にある温泉へ行きました。

土岐市の曽木ですが、春爛漫でした。

トカゲもいましたし、駐車場を闊歩する毛虫までいました。

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色目が茶色い蛙君・・冬眠明け?ぽい。

岐阜県の某所に「世界一のこま犬」とい置物?があります。

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そこへ、小僧さんと行きました。

道路べたの、小さな建物は、「五平餅」「陶器」の販売店でした。

開いてるところを見たことは此処25年ぐらいで初めてのことでしたので少しびっくりしました。

当然のように、小僧さんと五平餅を食べまして、横の「八王子」社へご参詣で、一昨年途中で断念した「兎岩」へサイドチャレンジすることにしました。

神社の巨木

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「うさぎ岩」、此れが意外と遠い、歩けど歩けど着かない。

「陶町 火の用心」「陶町 もうあと1歩」とかかいてあるが全然着かない・・・小僧さんと、

「あと一歩じゃなくて、あと百歩以上だよねぇ」といいつつ、あご出しながら歩く歩く。

山の尾根で、幅40センチぐらいの道幅を約30分ほど歩いてようやくたどり着きました。

大きな岩に石が乗った状態で、確かいに兎に見える・・・

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記念撮影をした。

瑞浪方面を眺める。

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で、反対側を見ると、瑞浪市の道が見える。

山の上から見えた交差点から見上げると・・ずいぶんと高いところに「ちんまり」と見えました・・・

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↑ちょうど真ん中ぐらいの稜線が切れているところにあります。

遠かったね・・・ぇ・・・と

若かったころなら、60キロ装備満載でも、問題なくいけたのですが、軽装備でも「ひーひー」云って登りました。

下りると、くだんお店は、14時で閉店・・・・

そのまま、岩村町までドライブ。

途中で、山桜が満開

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いつもの、岩村醸造(女城主)

カステラ、柏餅と甘酒を買って、帰りました。

疲れ、帰宅すると、そのまま・・・寝ました・・・おきたら19時半過ぎてました。

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なっちょるくん 情報その3(どうでもいいような・・・・・)

山県市・・・全然、一般的ではない、旧山県郡・・・(岐阜県内の岐阜市の上の方です)の観光大使の「なっちょるくん」

この子は、実は、伊自良湖の湖底から出てきた怪獣だそうです・・・・

ちなみに、伊自良湖は、天然の湖ではありません・・・用水用のため池です・・・(人工池だね)

今の時期は、ワカサギ釣りの人が多数集まっているそうです・・・(今度行ってみたいのですが・・・・そんなところに行く用事がない)・・・・・

そんな湖の湖底から出てきたそうな・・・・何となくかわいいですね・・・・

愚か者なので、こうゆう物は結構好きです(w)

「くまもん」も結構好きですが・・・(ぷっちょのくまもんのおまけは買いました)

個人的には、「なっちょる君」は一押しです・・・全然盛り上がらない、キャラですが・・

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柳ヶ瀬の商店街に張ってあったポスター・・・・載ってない・・・・岐阜のキャラなのに・・・・

先日、稲沢市へ行くと・・Dscn1483

いなっぴー・・・・・なに?

稲沢だから・・「イナ」は判るが・・・「ピー」て・・・なに??

公式な記載・・・「頭は稲沢市特産のアシタバと植木、体全体はイチョウ、はちまきとフンドシは国府宮はだか祭をイメージ」だそうです・・・なんだかなぁです

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旅・・行けば・・・豊橋自然史博物館

昨日、ちび助と「豊橋市自然史博物館」へ行きました

大型映像が売りの博物館です。

今回リニューアルで、アナログからデジタルへ変わり、3D映像となったそうで・・・

SeaRex「よみがえる巨大海竜」の上映が23日から始まったので、見に行きました・・・

毎度の事ながら、ちび助と二人旅で・・家を、10時出ました・・・

東名阪、東名のルートで・・・1時間半ぐらいを覚悟してましたが・・・・

東名で、豊田岡崎間渋滞15キロ70分の表示・・・

豊田岡崎間が大体20キロ前後だったので・・・まあ・・いいかで、高速に乗ると・・・・

豊田ic手前で・・渋滞18キロ80分・・・・

へ?

で・・豊田icで降りまして・・岡崎経由で1号線へ行こうかと思ったら・・

考えることは皆さんの同じで・・・下道が、渋滞・・・ひょえー

で、岩津天満宮の横を抜けて・・・岡崎北高校の横を抜けて・・1号線へ

途中で、ランボルギーニ、クンタッチが3台、フェラーリ330?、その他スーパーカーが反対車線を走行してました

クンタッチ(カウンタックね・・・)いいよね!

最近のランボルギーニーよりも色気がある気がする・・それに小さいし・・

そんなこんなで1号線へ・・岡崎icからの出口の一時停止を無視した軽自動車が、白バイ君につかまってました・・・

一号線を、比較的制限速度50キロぐらいで走れる環境で・・・したが

途中で、なぜか・・前の車が減速・・・その前の車が追い越し車線へ・・どんどん出て行く・・・???

見ると三輪車が・・・・トコトコトと・・・

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後ろから見るとなんだか判りません・・イタリアの国旗が貼ってるので

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ランブレッタの三輪車????

抜いたら、ベスパでした・・・がーん、期待して損した気分、でも珍車ですよね。

どこかのイベントへいく途中か?ゼッケンが貼ってありました・・

途中でコンビにお茶を買いにより・・そのままGO!

でもね、豊橋市内へ入る前と、市街地へ抜ける途中が渋滞

豊橋市内には、路面電車が・・・

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ちび助にとっては、初めての路面電車・・

道路に線路がある!とびっくりしてましたので・・すかさず

路面電車は、軌道法と云う法律で整備されているので、道路を走るのだよ・・と、いらんことを云うパパ・・

豊橋中心部を抜けるぐらいで・・インパラSS・・・

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結局12時50分に着いて、駐車場所を探して放浪して、13時過ぎに現着・・・

結局3時間ほどかかりました(約70キロの道のりで・・・)

主眼の大型映像は、13時からですので、20分程で、館内を見て廻りました。

恐竜骨格はレプリカばかりでしたが、結構楽しめました

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小生の好きな、テプラノドン

大型映像はモササウルス、イクチオザウルス、プレシオザウルスが出てくる、フランスの映画でした。

内容は・・・知りません

開始から10分ぐらいで、沈没・・・終5分で起きました・・・

疲れてましたので・・・ぐーすかです

ちび助に「ねてたね!」

といわれて、「どこまで見てた?」と聞かれて

最初と最後の1部分と云うと「ひどーい」といわれてしまいました・・・・

帰りは、見てない部分をみて、ご帰宅モード

途中で、遅いお昼ご飯食べて・・・帰宅

帰りは、豊橋市内を抜けて音羽蒲郡ICへ・・・渋滞してないかどきどきして・・行くと・・・渋滞なし

(ナビも、1時間で帰れると表示!)

高速で帰りました・・・帰りは、1時間半かかりませんでした・・・

どっと・・疲れて・・・爆睡

帰宅途中、模型屋で、ガンプラ1/100ダブルオー??を買わされまして・・・4500円ほど散財・・・

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巨木マニアななべちゃんへ・・いい木がありました

岐阜県揖斐郡大野町のある古い家(牧村家:重要文化財)にある木

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右手後ろの木です

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いい感じですDscn6204

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簡単なデジカメでは近いと撮れません・・

ついでに、牧村家へいく途中の神社の木

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北風が厳しいのか・・・北側の枝がありません(作手村の木は、南側に枝がありませんでしたので・・風向きは関係があるのでしょう)

ちなみにこの神社の2本の木、町の文化財?だそうです。

岐阜県美濃太田の大田宿の施設にある木

お昼ごはんを食べるところを探していると、最近道の駅みたいなところが外れがないという期待で・・・ついつい、こういう施設へ足を運んでしまいます・・・ご飯食べるところって・・意外とないのよ・・・ホント・・・

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ちなみに、この宿に、岡本一平の住んでいた家が、完全ではありませんが復元されたいます。

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一応、岡本一平さんの画室?が再現されています。

完全な移築ではなく、もともと、岡本一平が住んでいた家の部材を再利用した家があり、それを解体することになあり、復元したということなので、梁なんかに整合性がありませんでした。

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(岡本一平といっても判らないかもしれませんが・・岡本太郎画伯のお父さんで風刺漫画です、奥さんは、岡本かの子です。)

うちの父親が岡本一平が好きで、古本屋で全集を大枚(数十万円)出して買ってました(定年のときに、やっと買えたと、のたもうておりました。)

そういえば、車の後部ストップランプの中でご昇天していた虫

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どうやって入ったのかが謎・・どうやって出すのかも謎・・・

ついでに、大野町役場の玄関にいる・・・柿のパーシーちゃん

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最初、頭のへたがよく見えなくて(老眼なので・・・)、

何で「みかんが・・・」と思いつつ・・

役場の気のいいお嬢さんに聞いたら・・

柿だそうな・・・柿だからパーシモンなので・・パーシーちゃんね・・・

一応、隣接の本巣市は、柿の産地だからね・・・

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ドライブ・・・バーデンパークSOGI 温泉ですね

http://drive.yahoo.co.jp/map/RT6qbsfvHWOJBEz9aVLw--/detail

遠方から来る場合は、中央道を使い、瑞浪ICを降りるのが一番わかりやすいです。

今日、小僧さんと二人で、岐阜県土岐市曾木町1300番地の1にある 

バーデンパークSOGIという、日帰り温泉施設へ行ってきました。

ヤフードライブに、大体のルートを載せておきました。

お風呂は、普通のお風呂もありながら、当然、露天もあり、地元の特産の陶磁器製の風呂桶があり、なかなかいい感じでした

薬草湯があり、今日は、ストロベリーショートケーキ?と記載

ピンクのお湯でした(w)

うちの小僧さん・・ストロベリーなにおいがしていい感じでした。

ルートは、東名阪勝川IC → 19号線→多治見市内経由で、土岐市下石(おろし)経由

曾木町→バーデンパークSOGIへ

帰りは、363号線経由→瀬戸経由で帰宅

走行時間は、往復で3時間越えるぐらいでした。

お風呂につかり、ご飯食べて、お土産かって・・・帰宅

近くに紅葉がきれいな曾木公園(11月には、10時台のニュース番組で映像が夜景がよく流れます)がりますが・・・さすがに、紅葉は終わってました・・・すごく残念

小僧さんは、帰りの車内で・・・・・・グースカ寝てました。

なべちゃん、お別れツーリングのルート検討中です!

TAMから、瀬戸、363経由、曾木、大正村、岩村かな?

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