生活と仕事(改題)

残念ながら、仕事は、生活(life )の一部には組み込まれているが、「こころを支える生活」ではない。

実を云うと、その気持ちは、最初から持っている、常にどこかにある。

大学時代のバイトをしている時から感じていること。

「時間の切り売り」感が常にある。

生活と仕事、どうも生活費を稼ぐことと、「こころを支える生活(プライベートライフ)」は切り離している。

スイッチのONとOFFが出来たのは、いつごろからだろうか?

仕事は真摯に行うし、義務は極力全うするように努力をしている。

仕事で、仕事に見合った望外な報酬を得たことは、30年近く働いて数回です。

仕事上での望みはすでについえ去っているが、これは私の基本的な考え方

「仕事上(法律上)の批判は、個人的な人物への好き嫌いではない」

ということが有る。

しかしながら、わが社はでは、その様な考え方はなく、

「批判」=「その人が嫌い」と受け取るらしい・・・

おかげで、使いにくい人の烙印を押されている。

だからと言って、気に病んでいる訳ではない。

自業自得と感じている。

所謂組織を見誤った結果に過ぎない。

自覚症状として、「私には、人を見る目がない。」のである。

例えば、三重苦にしても、最初、というか初見の時に、「嫌な野郎だな」と思った。

嫌な野郎が、薄められれたのは、奴がもデーラーだったことと、トヨタスポーツに関する半端ないお知識が魅力的だったからである。

日々の付き合いで、こいつはやはり嫌な奴だと思ってから5年ほど、ツーリングと、模型のクラブのために我慢して付き合ったが結局、模型のクラブの関係で破たんした。

ついでに、翌年、自動車のクラブでも破たんした。

これで付き合いはなくなったが、別段、困ってはいない。

ついでに言うのであれば、結婚は2回もしたが、2回ともダメである。

子どもがいるから続いているだけである。

楽しい家庭ではない。

実質、父子家庭である。

こうなると、逃げる先が必要になる。

実生活では、趣味で逃げることができる。

女に逃げたこともあるが、長続きはしない。

こうなると、楽しくない仕事には厭気がさしています。

この嫌になる感覚は、もう数年前からある。

上司が悪い(バカ)と、特に感じる事である。

以前、高崎という者の部下だった時に、パワハラを受けた事がある。

高崎に金を貸した時に返ってこないような状況になった時

結果としてうその報告書を作った時のことなどがある。

パワハラは、日々の記事の書き方、ペンの色、とにかく箸の上げ下げまで批判、注意、矯正を強いられた。

2か月ほどで、実は、鬱になった。

出勤で、駅に降りると、会社に行きたくないのである。

こうした日々が、1週間続いた。

自覚症状があったので、ノートに書いて考えて、この状況は何だろうと考えた。

取り返しのつかない状況だと感じた。

医者に行き、状況を説目したら、心療内科なら「鬱」と診断されますねと言われた。

主の症状は、睡眠が取れなということになるので、眠ることを主眼にした薬を処方された。

この薬は、睡眠誘導剤である。

これをを貰って飲むようになると、睡眠が取れるようになれて自滅は防げた。

その後も、精神的には、パワハラに対抗するのにも疲れるので、ヒヤヒヤであるところをつかれて、金を無心された。

最初5万円は、3か月後に返済があった。

家族旅行の代金だったらしい。

返済後、1週間ほどで、3万円の無心をさえれた。

これは、奥さんと喧嘩して、小遣いを止められたのための無心である。

ボーナスのでる1週間前である。

ボーナスが出たら帰すのかと思えば、返ってこず

年末にも、追加で、2万円貸した。

これは2月の中旬まで返ってこなかった。

これがほぼ2年間続いいた。

通常、役所では、部下から金を借りるのは「非行」事例とされる。

しかし、かの高崎氏はいまだに管理職である。

以前は、超特急と云われる昇進を遂げた人であった。

一選抜で、総務課長になった時代、旅行積立ての横領(勝手に使い込んだ)、セクハラを告発されたが、首にならずそのまま在職。

セクハラ、旅行積立の横領でもクビにならず、今まで残っている。

翌年生人事異動で、閑職へ廻された。

が、人一倍、一生懸命に仕事をするので、元の部署へ復帰、で私の上司になった。

復帰2年目で私が部下についたのだが、復帰1年目の時に本店からの課長への指示は、

「金を貸してくれと云ったら」即報告をするようにと言われたそうである。

昔だから、処分が甘かったといっても「非行」事例を見過ごす態度は如何なものかと思う。

その後、再度、2月中旬の返済後、たびたび無心をして金を貸したが、その大半は、賭けマージャンをやって金を巻き上げられて、生活に困り借りるというパターンであった。

掛けマージョンをやり、かつ、金がなくて部下から借りるという非行を行ってもそのままの地位でいる。

これが、「偉そうに云うところの組織」かと思う。

おまけに、処分内容は、被害者には教示できないと来た。

公表の対象ではないからと云いわれた。

組織として・・・と良くいうのであるが、組織の根本が腐っている感じがしている。

報告書の改竄は、高崎君が行っていた処理が出来なくなるという理由で、都合の悪い部分は削除するぞと言われたことである。

嫌ともいえず、認諾した。

高崎君が転勤した後で、その旨、報告をあげた。

結局、彼が行った数多くの処理は全部3年でひっくり返った。

あとの担当者が大変である。

こうした嫌なことが有っても、時間工賃的な仕事は生活全般ではないので、ある程度精神的に余裕がある。

うちの場合、多くの人は、仕事の終わったあと、会社の人と付き合い(飲み会)、休日も、会社の人間としか付き合わない。

時々、副支店長とかが、釣りの好き、ゴルフ好きだ、その手の人につきあわされたりする。

魚釣り、ゴルフ仲間は多いらしい。

こういった人たちは、退職すると即、暇になるのだが、付き合う近辺は常に元同僚

元部下・・・・・

外部の人とは付き合わない。

付き合えない。

そんな風にはならないようにしている。

だから付き合いが悪いと云われる。

参加しないことを批判されても、あまり気にしない感じがしてきた。

悪口を云いたい奴には言わせておけばいいという気持ちが強くなった。

ここ、3年ほど、仕事と、私的生活の境界を明確に分けるようにしてきたことも原因かもしれない。

ただ、仕事には恵まれなかったと思う。

多くの友人には、恵まれた。

これで良しとしたい気もするが、最近、産業考古学に血道をあげだしているので、これが楽しい。

調べていくことの楽しさは、何物にも代えがたいものであることを、最近痛感している。

20180203初出

20180204加筆訂正

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つまらない人生だったなぁ・・・と

時々思うのだが、自分について思う事は、

自分は、本当に悪人で、心底、悪い奴だと思うことが有る。

悪いことを考えることが大好きである。

こう云った事をした場合に、相手はどう対応して、反応するのか。

考えるのは非常に楽しい。

現に、このようなことを書けば、苦々しく思っているだろうなと思い、かつ、反応を見る。

発言の結果が出ると笑ってしまうのである。

トヨタスポーツのオーナー、関係者の人がなぜかたくさん読みに来ている。

トヨタスポーツの事は、最近1ミリも書いていないことが多いのにもかかわらずである。

悪く言えば、悪党である。

よく云えな、間違っていると思えば問いかけをするのである。

他の人のご助言もあっての問いかけをする。

すると、無視できないと思うのか、連絡がくる。

「意図は何か?」

無視できないところが、相手側が、心底悪党になっていない証拠だろうし、世の中の怖さを知っている証拠だろう。

例えば、IPアドレスからどこの地域から、何所のビルから、団体からアクセスしているかわかるのである。

以前は、海外のIPの検索が容易にできたので、何所から来ているのか判って驚いたことが有る。

ニューヨークのビルの場所まで特定できたことが有る。

また、国内でも、東京都庁のIPできているsyが居たこともある。

最近、嗤ったのは、日本放送協会、朝日新聞で、共通した検索項目は「2000GT」である。

何だろうねと思う。

日本放送協会は、真夜中のスーパーカーがらみだった様である。

朝日は、なんだかわからない。

私は、基本的に悪人である。

悪人だと認識をしているから、人を助けるとをいとわない。

それは、悪行の浄化のような意味合いがある。

所謂、教会に居る神様に助けてもらおうとは思うわない。

他人を利用して自分の名誉を得たいとは思わない。

善行を積むべきという気もない。

差し引きはないと思っている。

悪いことをした罪は償わなければならい。

良いことは、良いことをして積み上げればよいと思う

これはプラスマイナスを足して相殺ではない。

罪を意識して、行動をする。

そうして、その結果、最近思う事は、

「つまらない人生だったなぁ」

という感慨である。

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暴走ジイサン

今日、名古屋第二環状道での出来事である。

勝川IC(上り口)と松河戸IC(下り口)の間には、撃墜王の異名をとるオービスがある。

最新式の電送式である。

大体、そのオービスの事を知っている人は、大体制限速度の60キロメートル毎時から70キロメートル毎時ぐらいで走る。

尾張小牧ナンバーの白いフィットは、オービスの手間前まで、走行車線を60キロで走行していた。

追い越すときに観たら、白髪の鶴見たな爺さんだった。

オービスを過ぎると、ウインカーも出さずに追い越し車線に出た。

結構な加速だった。

私は、うっとおしいなぁと思ったので、追い越し車線から、走行車線に戻ろうとしてウインカーを出した。

すると、ジイサンのFIは、ウインカー出さずに走行車線に戻り、

警笛を鳴らしながら、走行車線から猛然と加速して抜いて行き、追い越し車線に戻った。

多分、120キロぐらいだしてました・・・だって、あっと云う間に視界から消えましたから。

で、トンネルに入ると

前が詰まってます爺さんお前には、ハイエース。

ハイエースの前には、鈴木の軽自動車・・・・ゆったり・・・と

大体80から90キロぐらい?

で、大森ICを過ぎたあたりで、ジイサン

超接近モードで、

パッシング

警笛ガンガン鳴らして・・・・

ハイ―エスがどいた・・・・

警笛鳴らしまくりで・・・・・・

軽自動車もどいた・・・・・

一瞬で、ジイサンFIt、見えなくなりまして・・・・・

なんキロしてんだと・・・・・・

多分、ものすごく急いでいたのかなぁと思いつつ・・・

暴走ジジイだなぁと・・・・

昨今、煽り運転が批判されているのにである・・・

鶴みたいな爺さんは、何所へ行くんだろうと

チラ見ではああるが・・・年ころなら、

65から70ぐらいかなぁ・・・

名古屋第二環状に乗る前は、ウィンカーを出さないで、車線を変更する、枯れ葉マークのFitがいました。

50キロ制限の道を、延々と20から30キロで走る三重ナンバーの老夫婦のくたびれたFItでしたが・・・・

低速のFitには、ちょっとイラっとしましたが・・・

環状道の暴走ジイサン(枯れ葉マークはなかったので75以下だろうと・・・)の暴走ぶりにはちょっと・・・辟易した。

爺さんたちには、ウインカーぐらい出せよな・・・と

一歩間違えば、大事故になる可能性ものある爺さんの運転には、少々許し難いものを感じた。

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ある市長選挙

以前、織田信長公ゆかりの市長選に、再選されなかった元衆議院議員が出馬して、現職に負けたことが有る。

今年は、また市長選挙である。

現職は引退

前回接戦だったので、元衆議院員は、就職稼働で、又出るつもりらしい。

市内には、いたるところに「◎◎新生の会」というポスターを張りまくって出馬をアピールしている。

以前も書いたのだが、行政経験はない。

人文科の出で、元銀行員である。

面白いのは、元民主党だったが、単に選挙に出るための方便として使ったもようである。

立場は、保守

同地域の、現職の衆議院議員よりも、保守的な考えの持ち主である。

見ていて面白いのは、主義主張は、民主党的ではなく、過激な保守で、日本維新の会に近い考え方である。

政治家になる方便で、某党首の作った〇〇塾へ入ったのとも思う。

政権与党から出ることが出来ないのと、○○塾出身だったせいで、左旋回、外国人の優遇、容共的な民主党からの出馬をしたらしい。

(初回は落選

民主党フィーバーの時には当選できた。

民主党のダメさ加減が判ると、落選。

で、市長選に出馬、落選

日本新党時代の、初当選組がしぶといのと比べると、どうも民主党時代の初当選組は弱い。)

この人が、市長になれば、ちょっと面白いかもしれない。

逼塞しつつあるある地域としては、何とか活性化してほしいと思うからこそ、「何となく起爆剤的な人材」を求めてしまう。

そう思う時点で、某最年少市長を選んだ市民を笑えなくなる。

ただ、某最年少市長と比べると、最初から政治家志向という点では幾分マシな気がする。

(元市長は、大学院(中退)から塾の講師、市議会議員、市長という社会経験が皆無の人よりはましだと云事である。9

政治家として守らなければならないルールが判っていない人は政治家になるではないだろう。

それだけ、危機感が強いという事だと思う。

この地域の地盤沈下の理由の一つには、路面電車の廃止で多くの市民の足を奪ったことで、市内、周辺部の地域から人が、不便なこの市から、隣接の愛知県へ流出したことにある。

対する、現職派の人は。、現職の衆議院員と並んで、「◎〇(市)を守る」と書いてあるが、

何をどう守るのかは不明である。

守るままでは、何の発展もないと思うのだが?

どのみち長期低落傾向の著しい地域をどのように活性化させるのかは非常に難しいと思う。

昇竜道の入り口見たいなところではある。

コンパクトシテイ化するにはちょっと談長な感じのする地域である。

この市が、市民病院を跡を、図書館にしたが、この設備が必要なのか?という目で見てします。

現職の路線を受け継ぐ候補がそのまま市政を継げば、市民には何のいいこともないように見える。

元議員は、一度ぶち壊す(できる訳はないのだが)ように動いてるところを見てみたい気もする。

傍で見ていると、見ていて楽しいと思う。

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そう云えば、30万回の閲覧ありがとうございます。

先月、30万回の閲覧が達成されてました。

病気で、書くの忘れていました。

10数年で、ここまで見ていただき(読んでいただきだろうと・・・)ありがとうございます。

書き始めたときから、読んでくださっている方々、検索で読みに来るようになった方々に、わざわざ読んでくださってありがとうございますと・・・

多少の情報提供になっている点は、

「役に立っているのかなぁ?」

という気もします。

会社の元上司は、私の事を、

「ドライである」と云ってのけた。

「アメリカ大好きだろうと?」ともいった。

公正にやるべきことは、やればいいと思う。

CG CLUB中部支部は、一度なくなった支部である。

そこを再結成したのは、私の意志である。

そうして、なるべく広く意見を聞き、独善的、独裁的にならない様に運営をしている。

頭を下げるべき処には頭は下げる。

ゴマをするわけではないが、良い関係を継続できるように努力をしている。

非常に少ない仲間内で、決めた事を押し付けるという事はしていない。

イベント後には、必ず、反省会を開いて失敗した点、改善点を常に吸い上げるようにしている。

これは、来てもらった人に楽しんでもらえる、ボランティアのスタッフも楽しめる構造を考えていく上で重要だと考えているからです。

不正はしたくないし、情実的な事もしたくはない。

そういった観点でものを見ている。

役人的な発想かもしれないが、一部の人間だけが得をするよなことをしているのは、不公正にしか見えない。

すべて、公平にできるわけではないが、少なくとも、機会は公平にしてもらいたいと思うのである。

また、書くことでたらたらと書いていることでも、意外と一次資料に当たって書いていることが多いことをお断りしておきたい。

二次三次資料を重視しないわけではないが、廿年も卅年もたった時点での思い出話てな話は、参考に値しないと考えている。

以前図面の話が出たことが有る。

図面の日付は重要である。

しかし、第何次図面のなのかがわからなければ、「その時点でその図面があったんだね。」という事実と、書き始めは何時なんだろうという想定しかできない。

当時の人は判ったかもしれないが現在から見ると、どの図面が、初期稿か、最終稿かわからない場合もある。

表面いでている図面がすべてではない。

また、その車が現役時代に書かれていた技術雑誌、技術会のレポートは参考になる場合が多い。

しかし、後年、誰かの引き写しの、引き写しの引き写しの記事は、参考にならない。

丁度、民話の原話を探すような話である。

当時の残された資料を複数読むことで判ることも沢山ある。

現在、「デンソー号(日本電装が、昭和25年に、50台販売した電気自動車)」の事を調べている。

日本電装 15・25.35.50年史を読んだ。

トヨタ自動車 20,.30..50.75年史も読んだ。

荒川車体 25年史、トヨタ車体20年史

戦前の代用燃料車輛関係の書籍を読みあさっている。

戦前の電気自動車の解説書まで読んでいる。

(少々、お疲れではあるが、いずれは、所属する学会の発表をしたいと思っているので頑張っている。)

それだけの量の本を読んでも、工業新聞系は読んでいなのと、三河版の新聞を読まなければならないと考えている。

適当なことを書いている訳ではない。

 

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大変な一年が過ぎました

平成29年も暮れていきます。

前半は、仕事もお気楽でした。

上司が、元同勤者でしたので気心が知れていました。

途中で転勤、田舎へ

通勤時間は、朝90分(バスの時間と、直通電車になるための時間調整的な面が大きい)、帰りが70分(接続がいいのでね。)

仕事は、複数の前任者の懈怠分を取り戻そうと奮励努力・・・

通常の倍くらいの勢いで仕事してました。

おかげで、ストレスと過労でぶっ倒れて・・・入院

約一か月たってようやく通常に復した感じである。

時々くらくらするので、睡眠をやたらとる体制になった。

9月ぐらいから、学会の資料集めと、論文作成のためのために休日の大半を消費

図書館通いを続いた。

図書館へ行く前に、というか、早朝起きてツーリングの下見をして、帰宅、寝る、起きる図書館へ行く、トヨタ博物館へ行くという生活を継続するうちに、疲労は蓄積・・・

おまけに、クレーマのばあさんに絡まれて大変なことに。

そのババアの所為で、私以外に、もう一人、軽い卒中になった人もあった。

母体の団体は、トラブルに巻き込まれたくない一心で逃げの一手であった。

それは仕方がないと思う。

慣れてないからね。

ストレスがたまる一方で、下見に行く時に友人のLEXUS LC(ハイブリッド版)に数回載せてもらった事は幸運であった。

非常にいい車だと思った。

久々に、欲しいなぁと思ったが、価格的には基本的にはムリである。

でも、あまり大さんを感じさせない運動性は良かった。

これは古い友人に感謝したい。

模型は、相も変わらず買う量にたいして作るスピードは遅い

100個以上買って、作ったは10個程度である。

在庫は膨れ上がっているが、実は気にしていない。

買ったかどうか覚えていないという、老化現象の始まりが怖い。

だが、探すよりも買った方が早い気もするのである。

模型を買うという行為は、ストレスの発散になる。

脳内で、こうして作ろうかとかいろいろと考えるのだが、手は進まない。

1/32雷電2機と、ゼロ戦2機完成するのかしら。

トヨタスポーツについていえば、乗るのは、トヨタ博物館へ行くときと、ツーリングぐらいしかのらない状況が続いている。

年間1000キロ超えることがなくなった。

パーツもチマチマと買うのであるが、リプロのパーツを買っても、箱も開けていない状況が続いている。

ウエザーは、13万円とのことで、まだ買っていない。

ただ、オリジナルを、使ってしまおうかという気もする。

来年は、ユルユルと行こうと?

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入院後の事など

入院するのは嫌なもので、点滴、薬の点滴目をつむってひたすら寝る。

食べられないので、ほぼ3日間絶食。

脱水症状を起こすので、点滴で水分は補給

でもその所為で、トイレは近い・・・

3日目の朝の回診で、「若干症状は出てますが、収束方向ですから、まぁ帰ってもいいでしょう」と言われて退院

退院後1週間は家で休養。

2日ほどはひたすら寝て、と言いつつ、家の中では歩いてみたりもした。

そうして、少し歩いて感覚を戻すことを主眼にしました。

近所の車の来ない、廃道のような処をセッセと歩いたりしてましたが、ふらつくので休み休み歩いていました。

ふと、ここで倒れると誰も助けにくれないことに気が付いて・・・普通の道を歩くことに。

感覚が戻ったので、自転車も試しで乗ると、ちょっとふらふら・・・危ないので

押しながら歩いて練習

歩くこと以外はOKだったので、PCで、ブログなんかを書くのは比較的簡単であった。

平衡感覚がずれてしまったので、それを復元するのに、脳みそがそのずれを調整しているのだろうか、歩くたびに、前頭葉部分に非常な疲労を感じたりした。

ちょっと面白かったのは、倒れたときにの体の故障があって、一部に炎症があった。

左手がばね指と腱鞘炎である。右手も少し腱鞘炎である。

立ち上がれなくなり、公園の芝生の上に倒れ込んでいると、体温がどんどん下がるのがよくわかった。

地面の冷たさもあるのだが、とにかく、体温は下がり続けた。

すると、腱鞘炎になっている部分と今回の病気の原因となった耳の付近だっけ異様に熱を持っていることが実感できた。

両手首と耳の付近だけ熱を持った感じがしていた。

炎症と云うから、やはり、熱いんだななと実感したのは、今回の唯一の収穫であった。

とはいえ、原因は何かと云えば、過労とストレスである。

ちょっと、体力的に無理をしたかな?という気はしていたし、残業しないと間に合わないので残業もしていたが、ある時、残業をしたくない気がしたことがった。

これは体からのサインだった様である。

注意しないといけない。

ツーリングから帰っても十分休養を取らなかった。

十分反省しなければならないとおもった。

で、発病から1か月ほど経過したのであるが、大体、旧に復した感はある。

ここ3週間は、以前の半分ほどの仕事量に減らしている。

特に文句は言われていない。

というか、無理をしないで!

と言われ続けている。

あんまり頑張っても、何んの反映もないのに頑張ることもないなと・・・

ここへ来て痛感している。

まったりとユルユルト生きよう。

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入院しました

一昨日(11月22日)仕事中、気分が悪くなり、倒れて搬送。

そのまま入院。

最初の病院が、田舎過ぎて、交通機関を使って家族が来ると2時間以上かかるような辺鄙な総合病院
拠点病院なのですが市立で、いまいち装備も古い
館内も寒い
で、ムリムリ家の近くへ病院へ転院
家族がこれないので、上司が付き合ってくれました。
感謝します、本当に感謝しました。
移動はタクシー。
実は、この移動が大変。
遠いので、タクシー会社が拒否
今回実感したのですが、田舎だと病院がない。
総合病院があつても、もにすごく不便
車のない家族なら二時間コース。
タクシーも最初断られ。
なんとか、岐阜タクシーさんにお願いして移動することに。
でもナビがないので、小牧ICから病院までぐるぐるでした。
でも到着できて、親も来てくれて、上司は、病院からタクシーで帰宅
申し訳ない気分で一杯でした。
手続きをして入院したのが夜中の0時倒れたのが午後2時だったので、10時間後の入院
最初の病院で、搬送後、直ちに検査、治療は受けられましたが、寒い中待たされたのには辟易。
家で倒れたときは、搬送から治療まで1時間ぐらい。
やはり、田舎で病気になるのはたいへんだなぁと。
無理をするのは止そうと。
もう極楽蜻蛉モードで仕事する気、満々になりました。
無理して体壊したら元も子もない。
苦しい思いをするのも嫌なので。
まぁいいかとおもう人。

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銀座 白ばら 閉店なんて・・・・

銀座の「キャバレー白ばら」は来年の1月で閉店とのこと・・・

残念です。

わたくし、銀座が好きです

田舎者なので、銀座が好きです。

随分と様変わりしても銀座は銀座です。

初めてのキャバレーは、「白ばら」でした。

ある時、戦前からあるお店が好きという話題になった時に、昭和6年から営業しているキャバレーがあるよと教えてもらいました。

教えてくれたのは、ある呉服店のお嬢さんで、ついて行ってあげるというのである。

キャバレーのイメージからすると女性客がいくのは、いいのか?という気がしたが、そこは、10個近く年上のお嬢さんだったのでそこは、

「あそこなら大丈夫」というので

ついて行きました。

レビューのあるお店で大変、華やかな感じがしました。

でも流石に、10回ほど行っただけでしたが・・・

無くなるのは残念です。

バールパンは、それこそほぼ毎日通ってましたね。

サンスー・チーは、1週間に1回ほど

和蘭豆(わらんず)では、締めのコーヒーを楽しんでおりましたねぇ。

適当に、雑談をして、銀座の夜を撮影するのも好きでしたねぇ。

白ばらは、撮影をする勇気はなかったですね。

バールパンのマスターも引退していないし、大ママは1回しか会えなかったけど貫禄だったなぁ・・・

若くないのでもう行けないような気もするが、もう一度、死んでしまった友達、数人と別々に行きたいと思うことが有る。

ある友人とは、銀座の地下駐車場から車をだして、夜の宮城の横を走り抜け、六本木近くまで行き、途中で、暴走バイクに絡まれて、夜の環八まで追撃したことをふと思い出したりした。

彼も、亡くなって7年経つ

有る友人は、日比谷公園の中を歩きながら、「ねぇ、結婚したいと思ったことが有る?」と聞いて来た。

彼女は、「私、彼から見ると、年上なんだよね。

だけど結婚したい年下の人が居るんだけど、彼が優柔不断なの、どうしたらいいと思う?」

と聞かれた時に、

「素直に言えばいいんんじゃない?」

というと

「うーん、でもちょっと病気が見つかってねぇ直るかどうかわからないから云えないの」

「病気て?何」

「女の人しかならない病気」

「胸とか、子宮とか?」

「そんなとこかなぁ」

「手術するの?」

「しなきゃ死んじゃうもの」

「何時?」、

「来週、◎◎医大でねぇ」

「来週のいつ?」

「うーん平日だから、いいよ無理しなくて、木曜日かなぁ」

「夜でも、お見舞いできるの?」

「できると思うよ」

「じゃ、金曜か、土曜にでも行くよ」

「いいよこなくて、お父さんか、お母さんいると思うから」

「じゃぁ期待しないで待っててね。」

「うん、でも、やっぱり鈍感だなぁ、他の事には敏感なくせにねぇ」

と言われた。

彼女は、その後、1年ほどで、亡くなった。

有る友人は、「親父使っていたカメラ探してるんだけど」と云った。

聞けばNikonの古いのであった。

云わゆるコンタックス型で在った。

銀座のお店を、いくつも廻ってようやく見つけたら、結構なお値段であった。

当時の、ライカのM6の新品のセットが買えるような値段であった。

でも彼は、それをサクッと買った。

「すごいなぁ」というと

「古本に、百万円出す奴の方が気がし知れない」と言われた。

帰りに、BAR Lupinへ寄ると、暗い話を聞かされた、

彼のお父さんはもう危ないらしかった。

お父さんもお母さんもガンであった。

夫婦並んで介護ベッドに眠り

朝と晩御飯は、3人で食べるために、介護ベットとベットの間の空間にテーブルを置いて

食事をしてるんだと云った。

「親父がね、Nikonのカメラが、友人に貸したら、友人もろとも雪山から帰ってこなかったなぁ、としきりに云うのんだ。聞けばNikon だというので、Nikon Fを買って帰ると、これの前の奴だと云うんだ

窓が大きくてと云うんで、判らんからごソクロ願った。」

(Nikonん資料を持参して、どれか聞いてからの買い出しだった。)

どうも、彼のお父さんは、カメラよりも、その時に、その死んでしまった友人と一緒に山へ行くはずであったが、行かなかったことを悔いている様だった。

彼は、両親が亡くなると程なく、「寂しいほど一人だと」という文面を残して死んだ。

みんな、銀座での思い出が多い。

また寂しくなるなぁと思う。

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スバルまで・・・・というか、日産に従属していた期間が・・・

日産いつづいて、スバルまで・・

とはいえ、スバルは、以前、日産の支配下にあったから仕方ないかな?

スバルも、資本力が弱くて、日産の子会社になったのであるが、日産よりもよほど技術力はあったのではないかとおもう。

ノックダウンメーカーと、自社開発の差は大きいと思うのだが・・・ねぇ

トヨタの子会社になっても現場の体質はなかなか変わらないという事の査証でもある。

前にも書いたが、日産が嫌いである。

補足的なことを云えば、日産車に乗っている人間が嫌いだった。

土建屋のオヤジとか、チンピラ臭い兄ちゃんが嫌だったこともある。

基本的には、なぜかチンピラ臭い人が多かった。

(トヨタの嫌いな人は、クラウンのオーナーのオラオラ感が嫌いだというし、最近では、プリウスのオーナーが高速道路の追い越し車線を延々と100キロで走るから嫌いという人も多い、外車のオーナーに多いよね・・)。

なぜか、暴走族の兄ちゃんの車も日産が多かった。

スカイラインローレルの改造車が多かったなぁ・・・と。

アンまりスバルで暴走と云うのは、インプレッサで山の中を暴走する人はいる(いた)が、紫色でラメ入りで・・・と云うのはあまり見たことがない。

トヨタだと、マークⅡ、クレスタなんかで見かけたような気がする・・

それに、日産の社員生の愛車が、トヨタという人が意外と多くて驚いたことが有る。

フェアレデイ(今の前の型)が出たときに、冷やかし半分でカタログを貰いに行ったことが有る。

駐車場が混んでて、社員用の駐車場へ案内された。

すると、こうずらーとトヨタの車が並んでいた。

お客さんの車かな?と思ったのであるが・・・翌週、買う気満々の友人と再度訪れたが、先週とほぼ同じ顔触れの車が並んでいた・・・

これって・・・日産の販売店の従業員は、自社の車を買わないのか?

という疑問を持った。

私は、ちょっと困った人なので、翌週も、駐車場を見に行った・・・・

すると・・・やはり、トヨタのセダンが並んでいる・・・・

三週間も続けて同じ客が来ている可能性はない・・・

大体、店頭には客は全然いなかったからである。

この時思ったのは、自社の車を買わない社員にもあきれたが・・・販売店の車よりもトヨタの方がいいから、自社の車を買わないと?という事かと思った。

聞くと、日産車は当たり外れが大きいと云う事であった。

いい車はすごく良いが、ダメなのは全然ダメと言っていた。

かの人は、ブルーバードには、510から10年ほど前まで乗り続けて居た爺さんがそう述べていた。

スリーSはダメだったなぁ・・ラリー見て買うと、本当に失望するからと言っていた。

何が一番いいのですか?と聞いたら、ノーマルのセダンが一番壊れないし、性能は安定していると述べていた・・・

なぜ、製品のばらつきが大きいのか?

公差が多めにとっているという事を言われたことが有る。

トヨタと日産のパーツを比べると、トヨタの方が精度は高いそうである。

パーツの精度のばらつきは非常に小さいとという事であった。

日産は・・・ピストンの重さのバラツキも結構あったという事である。

それは、精度をあげれば、工場労働者の負担が増える・・・だから、精度は上げなくてもいい。

大切なのはユーザーではない、組合員である。

労働者の負担がい増えることは極力しないと云いうことが一番大切であったそうである。

大体、日産は、労働組いが強すぎて、社長よりも権限があったとも揶揄されている。

日産の子会社は、なぜか、会社の体質がダメになる傾向がある。

愛知機械という会社がある。

戦前は、晴嵐を作り上げた会社であり、戦後は、コニーを生産していた会社である。

今は日産の子会社である。

社内には、やる気のない社員が多数いるそうである。

雰囲気もだらけ気味

その下の子会社になると、愛知機械の使えない社員が押し込まれる・・・

何だか、聞いていると大変な人が多いらしいことに気が付く。

大丈夫か?と思うこともある。

今は車を作ってはいないが・・・

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