ああ。映画がつまらない。

ああ映画がつまらない。

というか、テレビのドラマもつまらない。

先般も、少々書いていたのだが、どーも映画、邦画がつまらない。

洋画は、ピンキリで、娯楽映画は、娯楽映画と割り切っているから気が楽なのかもしれない。

変な政治思想は出てこない。

プロバカンダ映画を見ていると、何となく、精神医疲労を感じる。

日本の映画がよかったのは、戦前だろうか?

終戦後、満映の残党でできた「三欠く映画社」を含んだところの各映画社が、しのぎを削っていたころの映画は良かったのである

溝口、黒澤・・・川島監督、それこそ、綺羅星のごとき映画監督が沢山いた。

わたくしは、黒澤、川島監督の作品は個人的な思い入れが強くて、非常に好きである。

いつも出てくるのだが、「須崎パラダイス赤信号」「しとやかな獣」「雁の寺」「幕末太陽傳」が有名だが、「井上靖」原作の「あしたくるひと」が結構好きなのである。

ちなみに、この原作は読んだことがある。

原作をあとから読んで思ったことは、「うまいな」という感じだった。

並木座で三本立てのシリーズを何回も見たことがある。

三本立ての映画を朝から夕方まで見る。

空気の悪い映画館から出ると何となく酸欠ポイ感じのする片頭痛には辟易としていたが、昭和20年から30年代の映画のよさがを楽しむにはちょうどいい感じであった。

川島雄三の映画も最初見にみたのは、並木座の三本立てであった。

楽しい映画には、思想がない。

男と女の話、便所の匂い、ずるい人たち、登山バカ、逃避行的な男女、嘘つきな男、でも逃げるときにはすべてから逃げるようにしたいという願望。

幕末太陽伝では、ラストシーンについて、主人公のフランキー堺が、セットを抜けて、スタジオを抜けて、街中を走りながら消えていくという構想だったそうである。

実際の映画では、その衝撃的なラストは、役者の反対で立ち消えになり、普通に街道を逃げていくシーンで終わるのですが、後年フランキー堺は、本来は、街中を抜けるシーンの方がよかったと思ったとかたっている。

私l個人も、後年生フランキー堺の意見には激しく同意したい気がする。

何もかも捨てて(というか、しょい込んだものをすべて捨てて)逃げる、逃げる。

逃げるのであれば、世の中を、時代を超えて逃げるべきだと思うのである。

所詮は、映画である。

大衆演劇の高級版だと思えばいい。

芸術作品だといいだすからおかしくなるのである。

今の邦画は、監督の思想が色濃く出すぎるきらいがある。

宮崎、山田監督にしても、思想が出てこなければもっと楽しい映画になるのにと思う

宮崎駿監督の作品は、「ルパン三世ガリオストロの城」が一番良くて、あとは、なんだか詰まらない感じがする。

近代文明に、ものすごく機械的なものを取り込んでくる。

取り込むのはいいかもしれない。

漫画的だからねぇ。

漫画だから、機械工具の鳥がいようが、戦車がいようが、どうでもいいのだが。

近代的に進んだ社会のはずなの、リベット止めの戦車が平気で出てくる。

溶接しないの?と聞きたくなる。

道具は、原始的。

出てくる人物が何となく精神的に病んだような感じを受ける人が多い。

空気力学的には飛ばない飛行機が出てきたりもする。

魔法が大好き、闇が大好き、全部漫画だから肯定される。

でも、どーなんだろうと思うことが多い。

山田洋二監督の映画は、ことごとくつまらない。

「寅さん」映画のお蔭で、あんなダメ監督でも、うまい監督に数えられている。

そもそも、「寅さん」映画シリーズが嫌いなんだから仕方がない。

あんな映画を見て何が楽しいのか?(ファンの方には申し訳ないが。)

他人の失恋を「喜んでみて」楽しいか?という気分がある。

しかもである。

テキヤの寅さんが、恋を成就させることはほぼ不可能に近い。

一般的な女性が、そもそも論的に好きになるか?

最後の作品で、マドンナの小柳ルミ子が最後になるから結婚させてほしいといったら、50作目で考えたいといったとか言わなかったとか。

渥美清の身体的な状況が悪いことは十分わかっていたと思う。

見て居たらわかったはずある。

でも、50作にこだわったのであれば、監督としては、自身の記録か、名声を得たいがためだったのかと思うと、もの悲しい。

寅さん以外のシリーズも見ても、何だかつまらない作品が多い。

映画は、監督の思想を具現化する道具ではないのである。

そう考えると、なーんにも考えないような映画は見ていた楽しい。

コメデイ映画も・・・なんか、マンガチックすぎて、バラエティの延長の様にしか見えない

総じて、日本の映画は詰まらないのである。

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ああ、映画がつまらない(墨東奇譚の映画版について)

墨東奇譚を読んでいると書いた。

小説の事を書く前に映画の事を書くのは甚だ(はなはだ)遺憾な気がする。

多くの人は、古びた小説など読んだことはないであろう。

本当は、小説の事を書いてから!という気分であったのですが、どうも、途中で映画があることに気が付いて・・見てみたら、あまりの出来の悪さに辟易としてし舞ったのである。

そうして、こうして、映画の方を先に書いてしまうのである。

感想は、ああつまらないである。

映画が、映画らしかったのはいつまでであろうか?

墨東奇譚の小説中で、活動写真(映画の事ね)はつまらないと書いているが、実際、日本の映画はつまらない。

なんでこう、メッセージ性を押し込もうとするのか。

あんたの思想の発表の場ではないといいたくなる。

そういった、映画は、娯楽性が少なくなるのである。

最近の持論は、原作付きの映画は、長編小説の映画化は、まずつまらない。

理由は、120分程度では短すぎで・・・ダメである。

短編小説を、2時間ぐらいの映画にならするのであれば、まあ、いいのができる可能性がある。

文中よりも、画像に訴えた方がいい場合があるからである。

しかし、この映画は、「ああつまらない」のである。

誰それのヌードが話題といった時点で終わっていると感じてしまう。

新聞で文化勲章を受けたことを知るというくだりもよくわからない。

昭和二十年代の新聞を見たことがあるのか?と聞きたくなってしまう。

知っていても、何となく、そのひとかしらんという感でしか見えない。

ほとんど赤の他人であって、単なる常客だったからといって覚えているのか?

結婚を決意するのは、主人公である。

女郎の方ではない。

女郎の結婚願望は、女郎からの脱出が目的である。

新聞の非常に悪い画像を見て、「えらい人だったのね」なんて、わかるか?

似てるけど?

などと思うか?

そもそも、永井荷風の墨東奇譚の妙味は、最後に時計と袷(あわせ)を買うのに、袷が最低でも30円はするわ、と言ったの聞いた。

大江匡(主人公)は、女と歩いているところを見られることを、恐れるがために一緒に行けないといいう。

そうして、ちょうど持っていた30円やって、この金で買うといいといわれる。

当然、女は、一緒に行けば買ってもらえると思い込んでいたかも知れない。

もう来ない決意をしている大江匡は、手切れ金的な意味合いもあって30円をやるのである。

客と女郎であるから、関係の清算をするというのは変であるが、とにかくもう来ないと決めているのでのであるから、最後に、金をやってしまうのは腑に落ちる。。

所詮は、小説の取材的な意味合いも強かった点を無視してはいけないと思うのである。

それを、映画では結婚の約束をして、空襲で離れ離れになって・・・・・。

58歳の爺さん(昭和初期であるから、58歳は爺さんである)が、女郎と婚姻する気になるのか?

映画では、女郎の純朴さに・・・・好感をもってとあるが・・・どうなんだろうとおもうのである。

「空襲で離ればなれ」といえば・・・終戦後はやった「君の名は」である。

すれ違い劇の代表作であるが、あのよさは、運の悪い男女の話である。

運の悪さを見て、憐憫情(れんびんのじょう)を思い起こさせるのである。

他人の不幸は、見ていると楽しいものである。

そうして、そこに若い男女が絡む。

しかも、自分の所為ではない、すべてが他人の所為で、すれ違いが続く。

あまりにも、すれ違いが続きそのうち「今度こそ」という気分でみなさん感情移入をしたのである。

「君の名は」が、いくらはやったからといえ・・・そう、そのあたりのよさを引き抜いて、妙な話をまきこむことはないと思うのであるが?

津川雅彦が、大江匡の役であったが、小説の主人公は「女たらし」という感じではないのでこれまた、ミスキャストであろう。

誠実な感情を持てる感じではない。

兎に角も、小説は楽しかったが、映画は、最低であった。

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見るものがない・・・・

年末年始のTVは、本当にみるべきものがない。

芸人が出てきて騒いでるか、人を馬鹿にしような内容のものしかない。

悲しむべきことかなぁと思う。

例外的に見たのは、海外ドキュメンタリーの再放送ぐらい、あとは、延々と映画づけ。

ダーティハリー1から5、ムーランルージュ、ブリット、ゲッタワウエイ、許されざる者、ルマン、人切り、羅生門、社長漫遊記、クレージーキャッツシリーズ、ディアハンター、パプリカ、千年女優、シークレットサービス、椿三十郎、用心棒、影武者、怪談、ファーゴ、悪い奴ほどよく眠る、戦場にかける橋

TVシリーズの、ポワロ、コロンボ、シャーロックホームズ・・・・・

最近のテレビは、本当に見るものがない・・・・暇つぶしにさえならない。

駅伝も見ないからなぁ・・・・以前は、時代劇をやっていたが、最近は予算難で製作できないらしい。

正月休みほぼ終わり・・・・ましたが・・・

今年は、何年も手つかずの魔窟のような本棚とも模型の段ボールの整理・・・・は少々できました。

お休み中の愚行は、新年になってから、電気屋に二度も行った。

マウスの調子が悪い(新品なのにである)のと、インクがなくなったからで・・・黄色を買いに行くとない・・・・・・「がぁ・・・・・ん」と・・・

久しぶりに覗くと、EPSONのインクカートリッジの種類の多いこと多いこと・・・たくさんありすぎて、ダメな会社だなぁと思う。

最近は、純正品以外を使うとコンピューターに警告がでるそうである。

インクが高いのは、プリンターが安いからだという意見もある。

実際そうなんだろうともう。

でも、1本セットで1000円は高い思う、ECOとか云うメーカーは少々安い、DAISOでも時どぢあるが、これは、200円、実施際は、200円ぐらいが妥当だと思いますが・・・

そういえば、一時期多かった簡易コピー機のトナーも高かった。

大体、1個1万円はした。

ランニングコストとしてはどうかと思うが、街中のコピー機にデーターが残るリスクを考えれば安いかともおもうが、どうなんだろう?

年賀状は、多品種少量生産となっている。

自動車用、ツーリング参加者用、CGクラブ用、普通の自動車仲間用、模型関係者、昔からの友人、会社の人用・・大体二日で印刷終了・・・・25日には出せましたが・・・・数人住所の記載が悪くて返戻・・・・・31日までにかえってこればいいのに・・・3日に帰ってきてもねぇと思う。

なんだかとりとめがありませんが・・・明日から仕事です。

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つまんない映画・・・・・・

ゼロ戦が盛りあがっている夏です。

「かぜたちぬ」見てまいりました。

映画としてどうか?、喫煙シーンが多いのは確かに、いかがなものかと思う。

昨日、三色会の例会・・・で、ドトールコ-ヒーのハシゴしまして。

2軒目の金山駅2階のドトールは、喫煙席、禁煙席と別れていましたが、物理的な分割が不十分で(エアカーテンもない)ので、禁煙席でも強烈に臭かった。

帰宅後、奥さんに臭いと嫌味を云われ、ついでに、昨日持参した背嚢は匂いが消えていない・・・のである。

喫煙者は、気にならないのかも知れないが、臭いのである。

まあ・・この話題は、主眼ではない。

この映画、前評判がよく、「永遠のゼロ」も含めて、ゼロ戦ブームの火付け役みたいなものんです。

ゼロ戦は、最後に21型(SAによると22型らしいが・・・なんで、22型なの????)が、ゼロ戦にしか見えないが、ゼロ戦ではない姿で出てくる。

日本機の優美な曲線ではなく、見ように直線的なゼロ戦である。

アメリカ人だってもう少しうまく書くと思う。

話が、トンで飛んで・・・・よくわからなくなる。

特に終戦後の、日本機の残骸の山(なぜか4発エンジンの機体がある・・・連山か????)、は普通の人にはわからない情景だろう。

何も知らないで、恋愛小説としてみると楽かもしれないが、少々、つらい。

飛行機の映画?としては、何だか、余分なシーンばかりでつまらない。

堀辰雄にささげるのは、「なおこ」の名前だけ?

堀越二郎には、何をささげた?

大体ユンカースのF―13のデッサンは完全に狂っている。

ユンカースのF-13はもっときれいなラインを持っている。

猫背の様なラインと直線的な翼である。

それが全体的に、ゆがんでいる、まるで、エゴンシ-レーの女性のポージング゙のようである。

ユンカースのデザインも美しい。

無理のない線(ライン)である。

どうも、飛行機に目が行ってしまうが、高原のホテルのドイツ人の狂言回しが必要か?

どうなんでしょうか?

個人的な感想を述べるのであれば、「つまらん」映画と言う結論である。

モデラー系の人には、期待が大きい所為か一応に「詰まらん」と言う回答が多い。

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年末の恒例・・・・映画三昧

年末年始のテレビは、見るべきものがないのでニュース以外は見ない。

(通常でも、ニュース以外は見ていない)

時々、見るものがあるが、途中で切ってしまう事が多い。

芸人が出てくる番組は見ないし、バラエティーなんか当初から見ない。

勢い海外のドキュメンタリーとか、化学実験とか、動物の生態とか、宇宙・・・後最近多いのが放送大学(受講していないのですが結構楽しいです・・・)。

娯楽系は、映画ぐらいしかない。

で、年末は、DVD三昧となるのである。

大体、市川昆、黒澤明、川島雄三が多い・・・

ここ数年、12月30日に、R8氏との雑談会をしてすごしている。

模型屋へ行き、ご飯を食べて、スターバックスで、延々と雑談である。

これが楽しい。

とりとめもない話をしているのだが、とりとめもない話が出来るのはいいことだと思う。
R8氏に、感謝です。

去年までは、名古屋駅で待ち合わせをして、近隣の模型店へ行っていたのだが、その店がなくなってしまったので・・・・今回から栄町の模型屋で待ち合わせ・・・・

楽しいことはいいことだと思う。

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つまらない映画について・・・(少し改定)

映画には、2種しかない。

もう一度みたい映画と、もう一度見たいと思わない映画です。

デジタルりマスター版の「風とともにに去りぬ」が、先週上映されていた。

珍しく満席のアナウンスがあった。

自分も見た口なのですが・・・

映画監督にも専門があるようだ。

上手下手という意味なのだが・・・

渥美清さん主演の映画を作り続けていた監督が居る。

時代劇を、時々撮っているのだが、これがつまらない。

藤沢周平の原作西田と称する作品が多い。

しかし、これが、原題を流用しただけでの映画で、原作の内容とはかけ離れた作品で出来上がっている。

「たそがれ清兵衛」「隠し剣 鬼の爪」何ぞは、まるで原作をかけ離れたつまらない作品である。
たの短編をつなぎ合わせて、一作品にした形式だが、短編を伸ばすわのは、訳がないとお思うのだが、なぜかエピソードをつめこみ気味にする。

長編小説を、2時間の映画にまとめるのは非常に無理があると思う。

その点でみれば、短編の話のいい処取りをして、題名は、聴いた感じが一番よさげなものを利用する。

原作を読んでいた、その内容を期待してみてしまうと、なんとなく失望感が広がるのである。

監督の自己満足のような作品気がする。

藤沢周平の「ファン」を見込んだ映画としての題名なら最低だと思う。

時代設定を、幕末にする。

暗号の様な役の名前もどうかと思う。

海坂藩の家老「堀」といえば、悪役・・・・

映画「たそがれ清兵衛」の主人公と、原作の主人公にはあまりにも差があるし、「たそがれ」の意味も違う。

映画と原作は別物だとという意見は重々承知しているが、主人公の境遇を変えすぎである。

病身の妻の面倒を見るために、定時に帰る男である、子はない。

武士でありながら、帰宅途中で葱を買う。

馬づらに髭は伸び加減、ケシテいい男ではない。

「真田広之」がやる役ではないと思う、「柄本明」がお似合いである。

「柄本明」さんは、いい味の俳優だと思う。

「真田」さんではいい男過ぎるのである。

真田さん自身はすばらしい役者さんだと思うが、主人公にはいい男路線で、使うには惜しいと思う。

原作の字ずらの美しさを利用しただけの作品で、原作とは似て非なるものである。

映画では、不幸な男として描かれているのがつまらない、いい男が主人公で、剣のよい腕でも不幸・・・では立つ瀬がない。

寅さんシリーズの所為で、不幸な結末がすきなのかもしれないが、いかがなものかと思う。

藤沢さんの作品は、後年になると、結末に救いがある(ご自分でも、以前なら、不幸な結末にしたと思うと書いてあるぐらいだから。)。

映画では、最後のシーンで、娘が

「たそがれ清兵衛は不運な男だという人もいるが、私はそうは思わない。

私たち娘を愛し、美しい朋江さんに愛され、充足した思いで短い人生を過ごしたにちがいない。

そんな父を誇りに思う」で終わるのだが・・・なんだかしっくりと来ない。

賞を取った映画というが、昔の功績で取った様な賞であろう。

もう一度見たい映画ではない。

映画「隠し剣 鬼の爪」はこれまたひどい映画でした。

「隠し剣」は室内の剣戟である。

脇差での戦い新見がある。

映画では「剣」でなく、「小柄」の技にしてしまった・・・・・しかも、暗殺のような結末である。

これは、ダメだろう・・・そうして最後は蝦夷に行く・・・・。

離藩して、蝦夷?、松前藩の管理地であったが、渡航は制限されていたと思うが?
大体、何で、下男がついてい行く?

どうなんでしょう・・・

これまた、もう一度みたい映画ではない。

名作ではないだろう。

現代をモチーフにした映画を多く作りすぎていると、ダメなのかと思う。

最近の作品も、小津安二郎の映画へのオマージュ?の「東京家族」というのがある。

NHKで、さんざん、前振りを見ていたので期待はしていない。

しかし、今の日本の俳優の層の薄さには驚くべきものがある。

本当の意味での、枯れた役者が居ない、枯れた、演技のできる老人役のできる人が居ないことには驚いてしまう・・考えれば、老人役は、大体最近は、決まった人しか出てこない、

痩せた老人役が居ない。

「橋爪功」が、おじいさん役である・・・・見るからに違和感がある。

「吉行和子」が、おばあさんである。

唯の金満夫婦にしか見えない・・・・・

最近のこの監督、つまらない映画しか撮れないようだ。

過去の呪縛が大きすぎるのか・・・?

「東京物語」の枯れた風景を、震災後の家族絆という今風の命題で翻意したのかも知れないが、それなら、島から出て来るのではなく、原発が近くになある寒村の老夫婦がでてくるという設定の方がまだましであると思う。

この監督とは、山田洋次のことである。

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映画の友? モンスターホテル

小僧さんのご希望で、「モンスターホテル」(コロムビア ソニー)を見てまいりました。

全然前知識なしで見ると・・・・

小僧さんの見たい映画の説明は、ドラキュラの子供が、人間を好きになる話・・・だそうな、その説明で、????????、で、ドウなんだ?

最初は、わけが判らず、なんだか、身に入らない映画でした・・・

ドラキュラが典型的な怖い顔ではなくて、優しいお父さん風で、娘を愛してる感じが良くわかるのだが・・・何となく、話の流れに無理やりっぽいところがあり、何となく・・乗れない感じでした。

ベラ・ルゴシの「魔人ドラキュラ」の影響がいまだに引きずっている感じがします。

顔は、べラルゴシ風ですし、黒マント、黒服・・・・マントの内側は赤・・・?
歩く姿は、何となくむかしの映画風で良かったです。

べラ.ルゴシは、大昔の俳優さんです。

(末年は、史上最低の映画監督といわれる「エド ウッド」の映画にでています。
 テイムバートンの「エド・ウッド」という白黒映画にも出てきます。
 映画の内容は、事実とは違うシーンが多いといわれてます・・
 後から、読んだ本の内容と相違しているので、この映画自体が「エドウッド」を描いた映画で、ルゴシの伝記映画ではない点から、映画的演出という点で、事実と内容が違っているとしても非難をすべきではないと思うが・・)

この方、モンスター映画を嫌っていたといわれる割には、最後の死出の旅路のいでたちは、ドラキュラだったことを考えると、内心は、喜んでいたのか?という気もします。

もう一人の有名なドラキュラ役は「クリストファー・リー」です。
著名な役者さんで、いまだに現役です。
自分的には「007の黄金銃を持つ男」の悪役という感じですか。

最近では、「ロードオブザリング」にもでてる人なので、ドラキュラ映画の有名人という訳では在りません。

なんとなく、背が高く、面長で、読めない風貌という点では、ベラルゴシ風かもしれません。

話は戻りますが、このアニメーションは、時々、怖い、ドラキュラの顔でさえ・・・できの悪いびっくり箱風でございました。

ドラキュラの118歳の娘の顔・・・どこかで見た風で・・・でも、100歳引いた娘の感じならOKでした。

ドラキュラに、バックパッカーのお兄さんが、「胸に杭さされると死ぬんでしょ?」(だったと思う)というと、「誰だって、胸に杭刺されると死ぬだろう」(だったと思う・・)というの聞いて・・・

当たり前だと思う・・・と思ってしまった。

そうして、ドウでもいい事を考えた・・・

(元々のドラキュラ伯爵は、実在の人で、善政とともに、厳罰を処し、反対派の貴族を虐殺したことが裏目に出て・・悪くいわれている人という認識があります。)

このことを差っぴいて、長生きする一族、成長が遅い一族は居なかったのかなぁ・・・と

子供から大人への成長が遅いと周囲の大人が面倒を見るのは大変であるなぁ・・・
ある程度大きくなってから、成長(老化)?が、遅くなれば結構なことではないかと・・・若い衆は大変ですが・・・

このアニメーションの救いは、最後に、人間とモンスター(ドラキュラの娘)が、結ばれるという話ですが・・・

何となく、すッきりしないのは、このバックパッカーのお兄さんは、血を吸われると人間からモンスターになるのか?

このお兄さんは、モンスターにならないなら、この娘と結ばれて、50年ぐらいは生きてるかもしれないけれど・・・・・その後は?

この城を作った技術者(?)が、「(外で?)火を使うな、花火をあげるな」といわれてましたが、娘のために、火を使い、結果、バックパッカーのお兄さんが迷い込んできた。

最後は、花火が上がってましたので・・・・次は観光客が来るのか?

なんか、大人には、不完全燃焼な話でした・・・・小僧さんは、単純なので・・大喜びでしたが・・・・

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タイタンの逆襲・・・見てまいりました。

うちの小僧さんの熱望と、連休中の無聊のために映画に行きました。

「タイタンの戦い」の続編で、「タイタンの逆襲」です。

タイタンの戦いも見ていたので・・・行きたいというので仕方なく・・・行きました。

なかなか、キメラは、何が何だよくわからない感があっていい感じです、他の化け物の出来がよくてうれしかったです。

サイクロプスは、昔のイメージが強いので、なんとなく拍子抜け。

角がないよねー、一つ目のハゲ親父が3匹・・・なんか怖い・・・

ミノタウロスも、人間に角が生えた風、顔つきは、人間ですが、獣っぽく三口です。

なんとなく、ギリシャ神話に耽溺していた時期があるので、見てて楽しかったです。

小5の時に子供向けのギリシャ神話を読んでました、もの足りなくて、大人向けのギリシャ神話を辞書を引き引き読んだ覚えがあります。

考古学が好きで、中学高校とやたら読んでました。

前作「タイタンの戦い」の「クラーケン」「ゴールゴン」の出来は、秀逸でした。

その昔(30年以上前の映画)の「タイタンの戦い」のときのパペット風のものに比べると、CGのすばらしさで、ぬめぬめ感がよかったす。

でも、クラーケンの顔は、タコ化け物風ではなくて、スターウオーズの帝国の逆襲に出てきた、ジャバザハットの地下の怪物風なのは残念でした。

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三丁目の夕日64・・・ああ知り合いが・・・

今回は、試写会ではなくてちゃんとお金を払ってみました(w)

1・2は、試写会で見ました・・・

今回は、CGも違和感なく、云い感じでした。

ついでに、ろくちゃんの彼氏の乗っているのがUP10!

おーーーーーーーーーーーーーーーーなのである・・・

ついでに、鈴木オートの入庫中の車がいい

HOPESTER オースチン(日産ノックダウン)、ホンダS600?・・・

ポルシェ356のオープンが・・セドリックが・・・クラウンのタクシーが・・・

いいのである

そうして、東京オリンピック開催の

「世界中の秋空を集めてきたような」のアナウンスのあとで、吾が航空自衛隊ブルーインパルスの壮挙とでもいうべき五輪の輪を上空に描くというシーンが出てきます。

茶川さんが、家の白黒で見てるのではなく、鈴木オートの総天然色の画像を見せてもらおうと、外で出ると、外にそのっものが絵を描いているい状態で・・・

そのとき空を見上げる一群(茶川一家、と鈴木オート一家)の後ろからカメラを持って歩いてるおじさんが・・・・

見たことのある人だなぁ・・・だれだっけ?

あああああああああああああ、伊藤康治さんだ!(モデラーでは有名な方です・・)

2作目にも、エキストラで参加して、1/32で、鈴木オートの情景を作った人です・・・

Dsc_0198

Dsc_0199

今回の鈴木オートは、もっと近代化されています・・シャツターが付きます。

Dsc_0200

茶川商店です・・・

今回は、2階建てになります

五輪を書いた、F86Fが、CGで飛んでいくわけですが・・・・カッコいいのである。

小学生のとき国際航空ショーが小牧で開かれた時に、本もののブルーインパルスは見ましたので、感動はひとしおです。

なんせ、ご幼少のF-86はみじかな飛行機でしたので・・・

第八航空隊が、小牧にはいましたのでねぇ・・・

三丁目の夕日で、何故か、この五輪を書くシーンを見て涙腺が緩んでしまいました。

焼け野原だった・・・

オリンピックは、世界に日本の復興を見せ付けたと思います。

戦前も、日本は世界の先進国クラブの一員だったことは忘れてはいけません。

ひろみが、茶川さんに、幸せって何だろう?、私幸せだよと言うシーンがありますがいい感じです。

いやー・・・なけるなぁ・・・

でも、設定のこの町は今は、この辺りは、家なんかないよね・・・ぇ・・・

昨日、子供にせがまれて、ユニオン号(ゴム動力の模型飛行機ね)をさがして・・・

というか、駄菓子やを探して・・・大変でした・・・

だって・・駄菓子屋なんてもう無いもん・・・

結局、小さな古くから営業している模型屋に2個だけ売れ残っていましたので、1個買いました(当然のように、作らされましして・・40年ぶりぐらいに、模型飛行機の主翼をて竹ひごで作り、主翼に羽を貼りました・・・・

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映画、山本五十六について ついか

daiの書かれた通りで・・突っ込みどころが満載なの点について。

日本の無線機は、多分、世界で最低の品質だったようで、映画のように、通話は出来ません。

坂井三郎氏の書かれた文中にも記載があったと思います。

空中無線は、通話をすることがほとんどできず、ハンドサイン、主翼を振る等の動作で意思表示していたということです。

陸軍の大型無線機もあまり性能はよくない。

真空管の出来も不出来であったことも大いに関係しています。

B-25ミッチェルによる東京の空襲のシーンですが、高高度での爆撃を描いていますが、実際には、超低空で、飛行士の顔が見えたとの証言もあるくらいです。

作家のかたで、顔が見え、マフラーの色が分かったと書いている人がいます。

多分、B-29の爆撃のイメージがあって、高高度の爆撃シーンとなったのだと思います。

垂直尾翼の写る、発艦のシーンは、戦時中の映画のパクリでしょう。

雷撃隊出動でしたっけ・・・?

それに空母の船体の波打つような上下感ががあまりありません。

戦艦、長門、大和の航海シーンも、観艦式の様な陣形で、戦闘航海時の間隔ではない。

と・・・かいてて思ったのだが・・・

そんなことは気にしなくてもいい映画だと思うのですが・・・気にはなります・・・

内容的には、南雲のような軍人官僚が多くてダメだったんだろうなという気にはなります。

前にも書きましたが、新聞記者のダメさ加減は、現在のダメさ加減と似通っていることを痛感する毎日です。

おまけに、政治家の低落、低調ぶりには目を覆いたくなるようす。

山本五十六大将の第二種軍装の全身を描いた画が15年ほど前に松坂屋美術館の展示かで飾られたことがありました。

そのときの展示会の画集があったはずなのですが、汗牛充棟の本棚から探しえず。

そういえば、今朝の新聞に、某民主党の国会議員の死亡記事があり、その方の祖父が、坂の上の雲の秋山秋之中将の孫と書いてありまして・・・なんか・・・救国の参謀の孫が、亡国の政党の議員だあったことは、わが国の低落を物語るものかと・・しきりに感心してしまいました。

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