エンジンて、自分で組み立てることができるものなのか?

今日、雑談中で再雇用のおっさんと話をしていたら出た質問が、これである。

U型(2U型)エンジンなら一応組めるよと云いたい。

別段威張るわけではないが、昔は組めた

今は微妙である。

もう忘れている部分が大きい。

また、加工屋さんがいるのかどうか・・・

精密にパーツの組み合わせを調整してくれる業者さんがなぁ・・・いるかかなぁ?

今でも、もう一台ぐらい組んでみたい気がする

新品のブロック、クランク、カム、摺動部品は新品が一応ある。

シリンダー、シリンダーヘッドはないあ・・でも組んでみたい気がする。

自分の車のエンジンを師匠と組んだという事は誇りでもある。

ただ、専門業者に頼んだらはるかに安くできた感じはする。

1気筒20万円(当時ね)でも、40万円

まぁ、某三重苦君は、全部、モーター酢に組んでもらったのをさも自分がやったように語っていたが‥実際は全部モータース任せである。

それは 機械的には正しいと思う。

素人が組むよりいいに決まっている。

けれども、一応、趣味である。

趣味なら趣味らしく、自分の手を汚したいと思う。

車の趣味は、車の運転、機械いじりの両極端に分かれる傾向が多い。

古い車だと、そこに、レストレーションという行為が加わる。

米国だと、自宅で一から直すのはまさしく、趣味というかHobbyである。

だからというわけではないが、車は組むと楽しいのである。

エンジンは、業者ならだれでも上手かと云えばそうでもない。

宇宙一直すのが上手(自称)でも、エンジンを組むのは下手である。

25年ぐらい前に、知り合った人は、当時の金で500万円以上出してレストレーションした。

エンジンの慣らしの途中で、メタルが飛んだ(つぶれたって意味ね)。

聞いたら、乗り方が悪いと言われたの縁を切ったそうである。

昔、営業をしていたころに、さんざん乗ったパブリカ、若いころに無理をして買ったトヨタスポーツ

エンジンを壊した事は一度もなかったそうである。

メンテナンスは、自分でしていたそうで、会社のパブリカ(700)も、自腹を切ってエンジンオイルを自分で替えていたような人である。

最初の300キロは、夜の国道135号線を、時速30から40キロでひたすら走ったそうである。

その後で、1000キロ迄は、中央道、名古屋高速を、60から70キロでひたすら走った。

でもエンジンは回転が上がると、不協和音が聞こえたので変だなと思ったそうである。

トヨタの組んだエンジンこんな音がするなんてことはなかった。

そう思って、その人は夜の155号線をちょっと負荷をかけて走っていると、エンジンからの異音が大きくなり、圧縮がない感じがしたそうである。

方肺が死んでいる感じで、パワーの出ない状態で走るのも怖いので、路肩に止めてJAFを持ったそうである。

レッカーされて、車は帰還、翌日、店に行くと、開口一番「乗り方が悪い」だった・・・修理代はオーバーホール代65万円と云われたそうな・・・

そこで、エンジンのオーバーホールを明日先がないかと、とよたの販売店で話をしていたら、昔パブリカ店にいた店長が、組みましょうか?といってくれたので、結局、販売店の店長に組み直してもらった。

修理明細を見せられたのと、エンジンを組み立てるのを手伝う事(どっかで聞いたような話である)が条件であった。

そうして、実質、三日ほどで、エンジンは組みあがり、乗せるも手伝ったそうである。

そこの店長さん、パブリカ(20)を一台持っているそうで、自分でメンテナンスしていという人だった。

その当時、店長クラスで、昔パブリカの整備をやっていたという人がまだいた。

パブリカの事を、「ぱぶちん」と云っていた。

今では、そんな人はもういない。

自分で作り上げるというのは面白いことである。

自宅で車を組んだというのは非常に楽しい出来でもあった。

エンジンは車の心臓であるから、エンジンを組むという事は、オカルトめいたことを云えば魂を込めるようなものである。

基本的に、モノを組み立て動くのはものすごく楽しい。

大学の頃、バイクのエンジンは自分で組んでいたから、自分で組み立てるのは楽しいという事も判っている。

最大の喜びは、そのエンジンが動く、そうして車が動くという事である。

バイクの小排気量のエンジンが動いて楽しい

798CCのエンジンが動くのも楽しい

この喜びを知ったことは大いなる進歩であった。

プロに組んでもらえば、楽だったかもしれないでも、それでは、何の進歩も発展のなかったと思う。

色んな経験を通して、いろんなことを学んだのも事実である。

人間的に正しいことは、いい加減でも世の中は回る。

エンジンは、機械的に正しくなければ動かない、動かなければ、車は動かない

普通、エンジンが組めるのか?という問いに対して、組めないというのが普通であろう。

同じ人間が組んだものなのだから、組めるんじゃない?

そう思うのも考え方の一つである。

だがそう思うのは、浅はか(ただの馬鹿ともいう)であると感じるのである。

エンジンは、組(くみ)である。

2気筒だから簡単だよねと思う人は、最初から止めといた方がいいと思う。

2気筒でも奥深いものである。

現に、最初お5年で、5回もエンジンを組んで、4回壊れている

1回目は見てるだけ、ほんの少し手伝うだけ。

2回目以降は、エンジン組み立て教室

今のエンジンは5代目です。

ちなみに自宅のガレージで、リフターは音が出たので、車載の状態で全部交換した。

この様に書くと、簡単にできるよねと「ほざく奴が必ずいる」

思うわず「へー」といってしまう。

その次には「簡単なんだぁ」という感嘆詞がついて行く。

バカにしているモードである。

一人で、シリンダーヘッド外して・・・まぁ運転席側、右側はタペットカバー外しヒョイヒョイ外せる

助手席はねぇ・・・簡単にはできんのよ。

「やって、みろや」と云いう気分になる。

なんだか、今晩は、そんな、に気分になった

 

 

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お財布くん、トヨタスポーツ交遊録?

あるツーリングの夜の宴会途中、仮名「買春さん」の携帯電話が鳴った。

すると、そそくさと、電話に出た。

隅でごそごそ話をしていた。

みんな聞き耳を立てている。

断片的に聞こえてくるのは、「今日はダメ」、「ツーリング」、「男しかいない」「ほかの女じゃない」「明日ならいいけど夕方…」なんて言葉が漏れ聞こえてくる。

年かさの人が、揶揄するように

「なんだ、おんなか?」

と云うと、みんなが、奥さんに言うぞとはやし立てた。

すると、こんなことをゲロッた。

テレホンクラブで知り合った女で、金銭交渉をして何回か、ある行為(Hだね)を、継続的にしている相手ということであった。

最後の付け加えは、最近は金払ってないよという言い草だった。

この頃まだ、金回りは良かったころだった。

漫画に出てくる、絵にかいたようなエロ親父だった。

言いぐさがすごかった。

「一回やったら気に入れれてさぁ・・・」と吹聴したが、実際は、お財布くんという立ち位置だったようである。

(後日、聞くと、金が掛かってしょうがないから、別れたと云っていた・・・)

ある時のツーリングで、参加者の内縁の奥さんが来ていた。

その内縁の奥さんが気に入ると、やたらとモーションを掛けていた。

自分がマークⅡだかなんかを買った販売店の姉ちゃんも誘う誘う。

その販売店の誰誰と誰誰が同じ日に休んでいると、どうせヤッテンダわ・・という。

まぁ、聴けば、気に入った女とみればとにかく、ヤリタイというタイプだった。

とにかく、収入額の一定金額を奥さんに渡せば全部小遣いという人であった。

金遣いが、荒いなんてものではなかった。

話半分で聞いていても、毎月いくら使っているんだというレベルだった。

サラリーマンには絶対に無理という金遣いの荒さだった。

家に帰らないこともざらで、納期の関係で、夜中まで仕事してるとか平気で嘘を言って遊んでいた。

内容は、酒を飲んでいたり、酒を飲んだ先の女で買っていたりした。

まぁ、聞いていて、信じられないような金使いの荒さだったが、そんな活動もバブルが崩壊して数年たつと、急速にしぼんでいった。

その直前には、レストレーションをやりたいと云っていた。

板金屋のおやじを紹介してやると、長いことは話をしていた。

金銭お話は、こちらが口を挟むべきことではないので、遠くから眺めていた。

実際は、レスとレーションなどという道楽ができるわけもなかった。

収入は、日給3万円ぐらいのレベルから、三分の1まで下がった。

月収云十万円以上だったのが、急減した。

3分の1以下になったのだろう、数年後には、他人をバカにする対象だったサラリーマンになった。

しかし、金遣いの荒いという病気は治らず、当然の様に、一獲千金を狙いだす。

パーツを作って売って見たりしてももうからない。

ほんの偶然車の仲介をしたら、思わぬ金が手に入った。

すると、怪し商売に手を出すようになっていった。

こんなのことも云っていた。

旧車のパーツを安いうちに買い占めて転売することがいいとか言いだした。

関東の方の人でそう云ったことを生業にしている人の意見を、延々と披歴することもあった。

次は、プラモデルの転売といっていた・・これには笑ってしまったけどね。

其の頃から急速に疎遠になった。

だって、素人ブローカーなんて危険だもの。

イベントには来るが、特に仲が良いわけでもなくなっていたのでな、会話も減った。

聞けば、車調子が悪いが直す金がないという事だった。

貧すれば窮するを地で行く経路だった。

金がなければ、修理もできない。

全部自分でやる気になる。

場所、道具はない。

そこで、ふと思いついたんだろう。

以前、修理を頼んでいた工場は暇そうだから工場を借りても文句は言いわないだろう。

ここで、場所を借りたい、道具も借りたい、一日いくらいくらで貸してほしいと云えば、工場の一日の収入に近ければ、あまり問題はないと思う。

しかし、そんなことも云わなかった。

付き合いのあった自動車修理工場に対しては、昔、さんざん金を使ったことを嵩に着て、場所、道具を散々借りた。

最初は、手伝ってもらっても、その場所代、工賃代金さえ自主的に払おうとしなかった、聴きもしなかったという。

其の自動車修理工場は、ほとんど客が来ないから工場は空いてるから使わせてもらっていると云っていた。

そのうち、貸してくれなくなると、昔、沢山金を払ったのに貸してくれないという

この本人の理論は、「昔世話をした相手は、自分が没落したから、無制限に自分を助けるのは当然の義務」と考えている節があった。

お店側としては、「昔、仕事の対価で金をもらったお客さんの一人」→「最近は、金になる仕事は持ってこない。それどころか、工場、道具をタダで借りていきやがる。場所代、工具使用料さえ払わねえ、金にならない奴に使わせてもメリットがない」→「図に乗ってる次来たら断るか」という感覚があったであろうことは想像に難くない。

あとから、同じ地域に住んでいる人から聞いたのは、自動車屋に随分と不義理をしているという事だった。

この当時、最初タダで借りて作業をさせてもらったが、「場所代、工具使用代をお礼と云って払った方が無難ではないか?」といったが、

金に困っている奴には、そんな言葉に対しては聞く耳を持たない風だった。

結局、なんかい回目かのエンジン脱着後は、使用を断られたそうである。

修理工場のおっさんが、断ってきた理由が、ただで貸しているのを、奥さんから批判されてという云い訳を云っていたと云っていたが、実際は判りはしない。

結局、乗用車は次が買えなくなり、販売店とは縁が切れた。

業務用の車は、勤務先譲渡(借金の肩代わりをしてもらった)した。

他は、奥さんの足車しかなくて、ヨタで通勤をする始末である。

また持病で何回も入院して、結局は、サラリーマンも辞めて欲しいと云われてご退職したようである。

そうして、金に困って車は売った。

売った時に、買い戻すからと云っていたらしいが、車を借金のカタ借りたなら、金を返せば、車は帰ってくるかもしれない。

でも、いったん手放したら、それは、買い戻すなんて口約束はどこ吹く風である。

あとから、しきりに買い戻すともりだったと言い続けているの聞いて、情けねぇやろだなぁと思うだけである。

先日、彼の住んでいる市域の地図を見ることがあった。

ある地点から、道路沿いの物件を見て確認していくという、暇なじゃないとやらないことをやっていた時、ふと、彼の家はどこだったかなぁと思った。

某市では幹線通り沿いだったなぁと思いつつ探したが思い出せず・・・・

別件の主たる用務が済んだ後で眺めていると、彼の家の裏をあるものが通っていたことを思い出したので、線路と小川を目印に探したら、2分ぐらいで発見

まだ表示は彼の名前だったので生きてはいるのだろう。

そうそう、彼の親は、なんかの互助会の勧誘員をしていたのであるが、初めて訪れた時に、いきなり「○○の互助会入ってない?」「入っいていないなら加入してよ」と云って来た・・・

これは、実際、私の初印象を悪くした。

何となく、警戒する気持ちがあった。

お財布くんだったときは、金があったから、車でも、車のパーツでもいくらでも買えたのだと思う。

 

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平成7年の請求書 2Uエンジンのオーバーホール組付け前加工代

師匠から、平成7年(1995年)の国華商事請求をもらった。

2Uエンジンの修理と云うかミニエースのブロック、パブリカのシリンダーを加工して2U化した時の加工賃である。

最初見せてもらったときに、「三回目?かなと」、思ったが、年数を考えると4回目である。

見ると、エンジンを組む前加工の明細である。

断捨離中に、1枚だけ、出てきたそうある。

わざわ、出先まで持ってきてくれたので、ありがたく頂戴した。

まぁ、平成7年当時の約8万円

高いか安いかと云えば、当時の感覚なら、ちょいと高い感じである。

前の年にボデイのレストレーションで、200万円払った。

そのレストレーションするときに、転職後で、貧乏だったので、さすがに、親から100万借りて払った。

借りた100万円は、1年で返し終わった。

この請求書をもらったのは、返済完了直後だったなぁという事に気が付いた。

その前年のレストレーションは、2月に始まり、連休前に完成していた。

レストレーション後のイベントはトヨタクラッシクカーフェステイバルがお披露目だったなぁ・・・と

実際の工程は、ボデイ板金をしてもらい、自宅のガレージで1分の1プラモデルよろしく自分で車を組んだ。

この時も楽しかった。

(ちょうどこの年、名古屋空港に中華航空機が墜落した時だった、車の下にもぐって、トーションバーを組み込んでいた時に、

「ずずずうずうずずうううううううんんん」

という地響きがして、地震かと思って車の下から出た覚えがある。

レストレーショの時は、エンジン本体はそのままであった。

板金屋で、補給品の排気管の中に出っ張っている部分を切り飛ばしてもらったぐらいである。

これを切り飛ばしたことで、廃棄がスムーズになり、夏場の油温が劇的に下がった。

しかし、3500回転から、4000回転で変な音は消えなかった。

この悩みは、最初のエンジンからついて廻る音で、ブロックを変えても基本的にはでる音だった。

その音の発生源の探求は、お悩みの対象であった。

その後、東名阪(現在の名古屋2号線環状線)で、踏み抜いた。

この時は、「まぁいいや」(←バカ)である。

通常飛ばない右側(フロント)メタルがつぶれたので、これは、コンロッドのゆがみが原因ではないかという事になった。

結果は、中古のコンロッド横方向のゆがみが原因であった。

組み方と云うか、知識不足(確認すべきところの計測を怠っていたのと、コンロッドが横方向に意外と弱いということを知らなかった)所為であった。

これの4回のエンジン組みなおしで使った総額は、125万円ぐらい。

買って4年で、これだけの金をエンジンだけで使った(←ただのアホ)。

では、この出費を後悔しているかと云えば、そんなことはない。

金は天下の廻りものであり、出費自体は結構苦しかったが、楽しかった。

物が動くというのは楽しいものである。

僕らが、エンジンを組んでいるのを見て、金がかからないなら自分でやろうという輩(やから)が出てくる。

請求の前段階にこれだけ金をかけて、組付け調整までしてもらったメタル、組み込んでもらったベアリングという前提があって、ピストンの重さも合わせるという手順を踏んで組付けていた。

ところが、某糖尿病のおっさんは、話をするときに、我々が、前段階をすっ飛ばして簡単に組めるよと云うの聞いて、自分でも組めると思ったのは仕方がない。

きちんと聞いて気もしていない。

中古のエンジンに、新品、パーツを買ってきてポンつけでエンジンを組んでいた。

また元整備士のおっさんが、二気筒の45馬力しかないようなエンジンのメタル合わせなんて・・・と云うのが指導をしているので、出来は想像できる。

結果は何回も組みなおしてもよくはならなかった。

またでデフを自分で分解交換していた。

44のデフはちょっと特殊なので補給品は、そのまま交換ができない。

43年までとは違うパーツが新品で出ないという事で、補給品に自部の車についていた中古のパーツを組み込んでいた。

調整もキッチリとはできていない風で、組付けていた。

組付けては、音が出るという事何度もやり直していた。

最終的には、すさまじい異音が出る様になった。

まぁ、ほぼ毎日、通勤で使ったり、山道をガンガン攻めていたので、当然の様に消耗したと思う。

車体の剛性強度は、数年で無くなっていた。

(最後に載せてもらったときに感じたのは、ゆるゆるという感じだった。

彼は、へたった自分の中古部品を組んでいたが、その当時(20年以上前)、そのパーツは品番変更を経て存在していた。

共販で最後の願いパーツ検索で出てきた。

その時、1セット買っおいた。

彼は、基本は他力本願で、ディラーに丸投げで、パーツを注文していた。

パーツの検索は、当時でも既に25年以上たっていたパーツだったので検索は非常に面倒だった。

私の場合は、毎週のようにパーツの検索発注を繰り返していたので、店頭の人で、旧車の好きな人が結構探してくれた。

彼の場合は、共販で直接頼むことはなかった。

自動車販売店でしか購入していなかった。

それもからくりがあって、販売店の従業員の名前で買ってもらい1割とか2割引で買っていた。

共販で買うと、その割引値段でパーツがかえないので、直接頼んだことはなかったので

毎週、部品共販で、細かいパーツの検索発注はしていると、向こうおも、マイクロあるからこっち見る?とか言ってくれた。

デフの修理を始めていた頃、少々、少し疎遠になったこともあり、別に聞かれもしなかったので教えてあげるということもしなかった。

(このパーツは、後に、ヤフオクで売り飛ばしたが・・)

閑話休題

以前、仲の良かった支店長から、エンジンは自分で組めるものか?と聞いてきたことがある。

エンジン組めますよというと、普通、組めんだろうと・・・そうですかねぇ

基本的加工と、道具と何回も失敗してれば組めますというと、普通は組めんわと・・・

それは、無機物が動くという楽しさである。

実際、エンジンを組んで、何が楽しいっかと云えば、動く瞬間が、実に楽しかったのである。

エンジン組む楽しさは、動いた瞬間にあるのではないかと思う。

4回目のエンジンを組み上げた時のことである。

丁度、雨の夜中であった。

エンジン組み上がって、雨だし、多分音は・・・聞こえんだろ・・

エンジン掛けちゃおかと・・・

エンジン掛かりました。

かけながら、バルブリフターの打音を聴きながら、タペットカバーを締め込んでいく。

おっさん二人が、小躍りして喜んでいると、傘さして来た、奥様に怒られた

「夜中(24時過ぎ)に、エンジン掛けて何! 裏から苦情の電話が来た・・」

で、一気にシュンとなってしまったが、楽しかったなぁ・・・と

今じゃあ、オーバーホール代、大体1気筒20万円ぐらいというが、

研磨組付調整までやって、約8万円

これに、パーツ代は入っていない。

オイルチューブの打ちとかもしたなぁ・・と思う

最近、よく、エンジン組みました見たいなことをやっている人がいるが、唯一除外できるのは、静岡のお友達で、彼はいわゆる自動車のプロな

ので除外できるが、ほかの人の記事を読んでいると・・・これは、動いているだけというレベルだなと感じることが多い。

その昔、ハゲデブメガネの三重苦の某君は、エンジンを組むことについて蘊蓄を垂れることを旨としていたが、彼の車のエンジンを組んだ業者

さん(一時期車検に出していた頃があった)に直接聞いたら、奴は、オーダーを出しただけで、何もしていないことが判った。

だから、いわゆる蘊蓄語りは、所詮何もしてないなぁと感じるのである。

 

参考に納品書の明細を書いておきます。
ご参考に・・・23年前のは‥訳にたたんわなぁと思う。

 

車種 2U
クランクシャフト研磨  11,000円(全)
子メタル組付け測定    3,600円(2)
バルブシート研磨     6,000円(4)
バルブガイド入替     5,000円(4)
バルブ組立        4,600円(4)
ガイドIN,OUT       1,728円(4)
クランクケースニッ
     プル穴加工   8,500円(湯温計)
フロントベアリング、
パイロットベアリング入替18,500円
シリンダーつば1ミリ加工 8,000円(パブリカ用のシリンダーの加工で圧縮比をあげているという事)
シリコンホーニング    8,000円(シリンダー内の表面加工)
クランクめくらぶた入洗浄 8,000円
小       計   76,668円
消費税          2,300円
総   合    計  78,968円

 

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ブログを書くという事(その2)

前にも、どっかの馬鹿が、号ロ試作車は、昭和39年から作っていたというデマを流している人がいた。

以下の記述は、トヨタ、関東自工が公式に認めている開発の経緯である。

量産タイプの初号車(第3号車、量産試作事実上の1号車)は、39年3月に完成。

当初の車重は588キロ、(計画では550キロ)

テスト結果、車体剛性が弱いと判明

39年6月の会議で、生産会社は、関東自動車工業に決定

6月の生産会議で、40年3月1日ラインオフが決定

月産100台の計画が立てらえた。

ねじり、曲げ剛性が悪く、屋根を取ると顕著となることが判明。

量産タイプ7号試作車を剛性向上の改良型とした。

改良点は、フロントピラーの間に直径20mmのパイプでつなぐこと、フロントピラーとロッカー部分接合部が強化された。

その代わり重量増加は避けられず、思いきった対策が取れる事となった。

対策としては、アルミ合金をフード、ラゲッジ、シートクッションパネルがリストアップされた、この交換で、20キロの軽減ができた。

また燃料タンクの容量を40リットルから30リットルに下げ、リアウインドウをアクリルの替えた。

フードは、1.2mm、ラゲージ1.2mm、ルーフ1.6mm、シートクッションパネル1.6mm、バンパーフェース2.0mm、バンパーステー3.0mm クラブブボックス0.8mm

本来は、号ロ試作車は、39年中に完成させる予定であった。

鈴鹿のレースに出る予定が組まれた。

レー主参加資格が、レース前2か月前で、100台の販売実績が必要であった、当初、ラインオフが、3月1日に早められたが、トヨタ自動車工業でエンジンユニットの供給が遅れて、40年1月から号ロ試作車の製作開始、、同月号ロ試作車の完成となった。

運輸省への届け出で、車名が「トヨタスポーツ800」最高時速155キロ、車重580キロと届け出がなされた。

3月ロ号試作車が、矢田部に持ち込まれた

この時の車重は596キロ

3月から生産が始まり、3月27日に量産1号車がラインオフした。

A145時代の車重は612キロ

二次試作時550キロ

公称値 580キロであった。

 号ロ試作は、39年からだったと記憶している人がいるとうのが根拠である。

 決算書に載っていたという事は聞いたので、それは、昭和39年度(39年4月から40年3月期)の決算ならの39年度の試作で間違いはない。

昭和40年1月1日から昭和40年3月31日までは、39年度の決算期だからである。

決算期の事も知らないで、昭和39年の決算書にと云った人の頭の中には、「39年の決算」=(イコール)「昭和39年1月1日から昭和39年12月31日まで」と考えた可能性が非常に高い、だがこれは、決算期をを知らない、つまり経理を知らない人という事が読みとれる。

技術屋であっても幹部職員(課長級以上)になれば、否応なく、決算期は気にしなければならない存在となるから、39年中に試作を開発したという発言をした人は、それ以下の地位の人という想像もできる。

つまりは、論文やら仕事上の報告書を書くときには、結構多角的な見方をしなければ書けないのである。

そう思いながら書いているのだが、書いている時の気分は、いつも、「蟷螂の斧である」。

「蟷螂の斧」非常に好きな言葉である。

虫同士の戦いならば有効である。

対捕食者には無力である、人間に対してお無力である。

そんな無力感のある気分で書いている。

無力感が漂いながら、せっせと書いているが、ほとんど備忘的である。

例えば、文学的な部分としては、三島由紀夫の変節は、何時だったのだろうと思う事がある。

花ざかりの森を書いていた三島由紀夫と、金閣寺を書いているときの三島は物の見方が違う。

豊饒の海四部作を書いているときの三島の人生への立ち位置は明らかに相違している

三島の作品の大半は、通俗的な当時の小説である。

今読むと、現在的な部分で、あれ?と思う事がたくさんある。

だが、当時、例えば昭和20年代の感覚では間違いではないという事も知っている。

今の目で見ればあり得ない反応という事が多々ある。

しかし、憎悪の感情を巻き起こしたり、自省の念を深めるための時間と云う点では必要な時間の経過という事もある。

時代性を背負って読むことは大切だと思っている。

江戸川乱歩氏、横溝正史氏の「探偵小説」(推理小説ではない)は、戦前の空気、戦後昭和50年までぐらいの空気を背景に持って読まなければ読めたものではない。

大藪春彦氏の初期の作品は昭和30年代から40年代の小説に、「ヒルマン」なんて車名が出てくる。

中学の頃既に街中にはヒルマンなんて一台も走っていなかった。

そこで親に聞くと、「昔あったなぁ」であったが、全然想像ができなかった。

後年、ヒルマンの乗せてもらうと、鈍重な車と云う感じがして、小説の描写にようやく理解を示すことができたこともある。

 自分がこうして、多大な時間を浪費するように文章を書くことは何の利益があるのか?

 実利(金銭)的なものは何も得ていない。

 けれども、精神的な安定を得る手段となっている。

 文章を書くという事は、文字を綴(つず)るという事は、「心境の吐露」である。

漱石夏目金之助は、「吾輩は猫である」を書くことで、精神の安定を得た。

自分も似た様なものであると思っている。

書くという行為(現在は打ち込むと云った方がいいかもしれない)は、結構な重労働である。

昔、文章が書けるからいいねと云われたことがある。

この怨嗟に満ちた文章が面白いと云ってくれる人もいる。

最近は、よくあれだけの量を書くねともいわれるが、興が乗れば速い。

小説めいたものを書くときは、興に乗ればあっという間に書ける。

変に悩んで書くよりもこんな話と決めてかかると非常に早く書ける。

大体、情景を考えながら、と云うか、思い出しながら書くと、すんなりと風景が書ける。

そうして、道を歩く様に文書を書いていくのである。

作家先生が、夏目漱石氏が言うところ、インスピレーションという名の発狂がなければ芸術が生み出せないというジレンマがあるのであれば、ある意味あたっているかもしれない。

情景を活写できないときは、筆が乗らない証拠であるが、自分の語彙の少なさに戦慄することさえある。

語彙、と云うか、丁度当てはまる言葉が足りない。

その点、三島由紀夫氏は、上手いと云うか、良くこれだけの言葉を紡ぐことができると思う。

全体のリズムもよい。

音読したくなる感性である。

 自分の口語調をそのまま文章化すると、読み難いと云うか、取り回しが、読みにくいと感じることが多々ある。

翌日読み返して直すことが多い。

ただ、直して居ると、漱石先生の言うところのインスピレーションという名の発狂が起こって、再び加筆なんてことは多々ある。

最近は、読んでもらっていいるという事の感謝している。

 

 20200505記す

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イベント延期の連絡が来たことへの私感

ある集まりの中止(一応延期)の連絡が来ていた。

メールに気が付いたのは、先ほど(5月1日 20時)、で、4月30日のメール発信となっていた。

29日のブログを読んでの反応なら早すぎる。

けど書いてある内容は、読んでんのかなぁという感じである。

仄聞によれば、「あんなブログ読んでない」そうなので、忠犬ハチ公ならぬ、忠犬フル公あたりが、御注進したかなと思う。

メールを読んだ、第一の感想は、良かった良かったである。

とりあえず、某施設の負担がなくなってよかったと思う。

基本的に、こんなご時世に、無理難題を投げかけるのは良くないと思うからである。

私は、この時期に、とりあえず延期でも、中止でも申し出ないと云うのは非常識だと感じているからである。

これは、社会とのつながりをどう考えるかと云う基本的な感覚の違いなだと思う。

こちらは、毎年年2回、会場をお借りして、協賛をいただいての開催をしている立場である。

(重役さんへの施設利用状況について、記載がされるほどのイベントを開催させていただいている。)

あちらは、イベント一発屋、いわゆる、数年に一回ぐらいの割合で、イベントを開催する奴である。

奴らは、コミュニケーションだの、施設側の意向を無視しがちである。

こちらは、いつも、最初から「忖度」である。

例えば、今回は、さっさと、というか3月中旬のイベントは、2月頭にはの中止の判断をした。

変な病気は蔓延しつつある世のなかで、イベントを開こうなどと考える方がおかしいのと考えたからである。

こちらは、某官公庁の友人から、12月末から1月にかけて、中国、武漢市域で、サーズが、再度流行しているという情報が耳に入った。

ついでに、武漢市に外国人が近づくことさ妨害されたと聞いて、これは、再度流行かなと思っていた。

そうして、武漢肺炎の蔓延が伝えられると、ちょっと、怖いなと思う事があった。

だって、各種の施設は、どこもかしこも、朝から中国人が山のように来るんだもの。

毎週のように某施設の図書館を利用させてもらっていたので、従業員さんたちが中国からの観光客に恐怖を抱いているという事も聞いていた。

日本に、疫病が蔓延している状態の国から沢山の人が来ている状況は、ちょっと恐ろしいと思っていた。

そこで思ったのは、1月から3月のイベントの開催が難しいかな?という感触があったし、警告もした。

2月には、施設担当者の方から「どうしますか?」連絡があったので、ちょっと真意が測りかねたので、スタッフ数人とお話をお伺いした。

相手側も、立場的には、積極的にやめて欲しいとは言えないけれど・・・という事だったので、即、中止を決定。

実際はその場で止める旨を口頭で伝えた。

正式通知は後日にした、それは、施設側にも担当者がいるので、文書で要請をしている。

お断りはネットでも可能という事で、後日、電子メールにて中止のご連絡をさせてもらった。

だって、開催する、開催しないという判断を、宙ぶらりんな状態で保持する意味がないからである。

日本人の特に悪いところだと思うのは、負け戦になると、投入した努力が無駄になると考える。

満州を手放せば、太平洋戦争は起きなかったのである。

「祖先の血であがなった土地を放棄するなんて会い得えない」と云う発想と同じである。

今まで投入した時間とか労力、実質的な金銭とかを無駄にしたくないという感情が必ず沸き起こる。

(よくある、冤罪もこのパターンである。)

こちらは、あるクラブの中部支部を名乗っているが、本体のクラブからの支援はほぼ皆無である。

本体もお金ないんでね。

お金は使わないようにするイベントの開催をモット―としている。

だって金ないもん、基本手弁当(自腹)である

まぁ、こちらは、実質的に支出しているのは、自分の時間と、ボランテイアスタッフの時間と全員は打ち合わせに使ったお茶代と交通費である。

だからこそ、大変な重労働であるイベントスタッフとして手伝ってくれる方々にはひたすら感謝である。

だからというわけではないが、スタッフに意見は聞く。

基本的に、代表者個人の独善で方向性は決めない。

だって、みんな基本的に協力してくれているから運営できているという観点である。

以前、昔の支部時代の人が出しゃばってきたが、基本的には、出しゃばって、意見を云うだけ言って、責任を持たない。

自分が言ったことも、主張して通したことも、言った本人は、当日、用事が出来たらと云ってこない。

これを無責任という。

今回も、スタッフの人たちに意見を聞いた。

前に居た、無責任なスタッフ(開催1週間前にいきなり何の用意もしていない内容のイベントをやったらどうだと、とぶち上げる非常識な奴がいた)なら、キリギリまで、待てばいいと主張したことは目に見えている。

現在残っているスタッフの彼らは、「自分が主催なら」という視点で相談に乗ってくれるのでこちらも判断がしやすい。

まぁ、現実にイベントを取り仕切るのは大変である。

一発屋は、他人を仕切って、利用してそれで終わりである。

最初のメールでは、開催の可否の結論は、連休明けと云っていた。

読んだ瞬間思ったのは、「のんびりしいるなぁ」である。

次に感じたのは、「大企業の管理職だったくせに、危機管理の能力なんて皆無だな」と思った。

まぁ、都合が悪くなると、他人に罪を擦り付けて逃げるのが得意だった人だから、危機管理なんて必要なかったのかなと思う。

だって、単純に考えて、連休明けで、開催するという結論を出した場合に、開催まで2週週間切った状態で、参加とりまとめ・・・開催まで金の管理・・・・だれが管理すのだよと思った。

まぁ、三月から友人連中との話の中では、なんでやる気満々なんだろうという疑問の話は散々出ていた。

だからこそ、あえて、4月11日、12日に一文を載せてみた。(以下参照)

ある官公庁の友人から、5月末まで緊急事態宣言が延長される見込みと聞いたのが23日。

現況、現実は、防疫が完全ではない。

他人の事を考えない身勝手な奴らが多い。

終息する方向へ向かわせたいのだが、馬鹿なマスコミがデマを煽る、おかげで、地方へ出かけて菌をばらまいているバカがいる。

ついでに現状について、外出禁止されていると云って怒るバカいる。

またそれを載せるマスコミもクズである。

個人的な感想としては、本当に、都心部に馬鹿が多い。

マスコ三のバカげた放送で、他府県の人の居ないところへ出歩く馬鹿が多いことが判明これでは、終息の見通しも厳しいと思う。

前にも書いた、団塊の世代の爺、婆連中が、「外出を控えてください、人がたくさん集まるところへ出歩くことは、控えください」と云うの「強制」だと怒る。

政府は、終始一貫「要請である」それを、「強制」と勝手に言い換えるのは脳内お花畑の人たちである。

今の日本は、戦後のベビーブーマー世代の無責任さに振り回されている、此奴らはほとんどクレーマー(クレームの本来の意味とは違う意味でつかわれる、クレーム・・)になっている。

そうして、そいつらの子供の無責任奴は、「外出控えたって、無駄っしょ、広がるときは広がるしー」とか言って外を出歩く。

解除の条件は、定まっていない(当然である、手探りなんだから)。

けれども、再感染の係数が1以下、出来れば、0.5以下ならないと解除は難しいのでは?という意見だった。

こんな状況下で、イベントの中止を決められないのは、決断力がないと思うわけである。

部内で、コロナ関連法案の国会決議終了、施行予定が24日と聞いていた。

ところが、24日から運用なんか始まらず、ずれ込んで、27日からようやく国会審議が始まった。

ずれ込んだ理由は、野党の馬鹿な質問の所為である。

結局、衆議院は29日決議、参議院は、30日に決議、今日からコロナ関連法運用開始である。

今日から、多忙である。

29日に記事を書いたのは、「ええ加減にしとけや」とい揶揄である。

すると、翌日の夜メールが来た、とりあえず延期・・・延期ねぇ。

多くの車のイベントは中止の判断をしているところが多い。

大規模なイベントは軒並み中止である。

まだ、やると息巻いているところもあるけれど、7月8月の開催でも危ないと感じている。

うちのクラブで主催している7月のイベントは基本的に中止の意向である。

だって、施設が期限未定で、休館していてる状態で、イベントの申込受付をしてくれるのかどうかも不明、2月の時の話では、とりあえず受け入れも中止と聞いてい居た。

こちらは、イベント集客力は、この施設では大きな部類に入る(200台以上お参加がある)けれども、基本はお願いをする立場である。

そこは、ちゃんと施設側の意向を忖度する方向で動く傾向がある。

裏工作なんかする気もないので、正当なルートでお願いをするという立場である。

ダブルニッケル周年記念なので、大規模イベントで、ずっと前から内諾を取ってイベントを計画しているのだろう。

だからといって、コロナで世の中が大変な状態であることは明々白々なのに、5月下旬に、ダブルニッケル記念を強行するという態度は、いくら元社員で、知り合いが居る施設にいるからと云って行う事が良いかと云えば、決して良くはないだろうと思うのである。

そう云った意見を云うのは自由である。

この様に書くのは、大体、蟷螂の斧という気分でいつも書いている。

(日産、三菱の事を書く時は、何が悲しくて、大っ嫌いな会社の決算書なんか読まなあかんかと思う。

 けれど、一応、研究者という立場から、嫌いにものだからこそ、ちゃんと調べようという気持ちはいつも、持っている。)

このブログ、先般まで、自分は、全然意識していなかったが、全国津々浦々のオーナーの皆様が読んでお見えになるそうである(笑)。

ここで、感謝したいと思う。

基本は、「読んでいただけるだけで、感謝している。」と云う事をお伝えできなことが残念だという事である。

あるある車のオーナーさんは、ある意味、おとなしい人が多いので、静かに仲間内で文句を言うけれど、公に抗議できないと云うか、抗議するすべがないので、沈黙しているというのが実情であろう。

このブログ、表題の某車のネタなんて、年に数回しか書いてない。

でも読んでいただいているという事は判っているので、読んでいただいている人たちには感謝している。

(ちなみに昨年11月から、毎日1本記事を書こうと決めたので、せっせと、毎日1本(時々ものすごく長いのは、土日で・・下書きを書いている。)

↓参考記事

「ある集まりが絶望的な訳」4月29日の夜にこの記事を書いた。

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/04/post-afaf53.html

ある集まりの開催予定が来た・・・大丈夫か?と思う。4月12日にもこんな記事を書いた。

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/04/post-afaf53.html

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/04/post-afaf53.html

4月11日にはイベント開催に関する私見を書いた。

20200501初出

20200502加筆訂正

 

 

 

 

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ある集まりが絶望的な訳

ある集まりにおついての追加のアナウンスは、本日(4月29日20時現在)ない。

会場は、5月11までの臨時休業予定が、休業予定期限が未定になった。

ちなみに、某施設、グループの施設も無期限延期である。

確か、5月23日の予定であったが・・・

ここまで来て、判断が出来ないと云うのは、基本的に独断的ではあるが、判断力がないという事であろうことは想像できる。

見てると、独断的である。

前にも書いたが、初見で、前振りもなく、私の主催しているツーリングの参加者の名簿をよこせだった。

まぁ、大企業で、自動車の販売を延々とやっていたのであればそういった対応をするのは、勝手である。

ただし、それは、あんたの務めている会社の従業員で、悪いことに、あんたの部下ならねと云う注釈が付く。

関係性は、全くない。

親戚でも、縁者でもない。

同じ組織に属したこともない関係したことはある。

当時のうちの顧問〇〇士(現在は、物故)が、この会社の顧問をしていたので、その事務所でアルバイトをしていた時に、随行させていただいたことがある。

その時に、入社試験を受けるかと云われたが、こちらからお断りをした。

だって、生産管理ぐらいしか行くとこないような出身だったからね。

まあそれは置いておいて、エンドが23日であるが、その日までの再開している保証があるのかなぁ?

色々とお願いをする期限は、20日ぐらいなのだが・・・

開会するにしても、防疫体制を整えた会場設営を要望するのは、元社員と云っても無理があるのではないかと思う。

某系統からの情報では、短くて5月末まで緊急事態宣言の延長があると聞いている。

つまり、11日以降も期限未定で休館している施設に対して、現状、さっさと中止の宣言をせずに、23日のイベントを強行する姿勢が満々というのはいかがなものかと云う気がするのであるが。

元企業人としての常識は存在しないらしい。

 

ちなみに「このブログなんか読んでない」という事を仄聞したのでここまで書いている。

20200429 

 

 

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ご友人の努力

昨日うれしい連絡が来た

友人が、あるパーツを再生産したしたという連絡があった事である。

自分で、作ろうかと思っていたが、暇も金もないので、先延ばしにしていたパーツである。

機械部品ではない。

昭和40(1965)年当時のエアクリーナーケースを、再メッキ復元したときに作ろうと思った。

昭和42(1967)年ぐらいからは、シールに変更になったプレートである。

実は、本物を1枚だけ持っているのだが、これを1枚しかない。

2枚あれば修復して取り付けるのであるが、残念ながら1枚しかない。

そこで、このプレートをもとに作ろうかと思った。

しかしながら、うちには、小僧さんという金食い虫が、一人いるのでなかなか余裕がないので試作に踏み切れなかった。

何年か前にその話をしていたが、去年、ご友人が作る努力を始めたと聞いて、期待して待っていた。

すると、昨晩「できたよー」と云おう連絡が来た。

昭和40(1965)年から昭和42(1967)年までのエアクリーナースにしか使えないのことがが残念である。

売り出し価格は未定としておこう。

まぁ、買う人は・・・・ほとんどいないだろうねぇ・・・・

大体わかる奴が、何人いるのか謎である。

トヨタ自動車工業(当時)のコスト意識はすさまじいものがある。

不要な加工は減らす。

見えないところの見た目を重視しない。

最初のU型、初期の2Uのカムの表面に奇麗な事、42(1967)年もよかった。

43(1968)年以降は、表面加工は減る。

あたり面だけの加工になる

クーラー発電機時代は、あたり面以外の表面はひどいものになる。

補給品のカムの表面は、機械加工目は良いけれどそれ以外の面は、スが入っているようにも見えた。

一番わかりやすいのは、シリンダー本体である。

U型、2U型(40年型)のシリンダー本体は、ものすごく繊細である。

薄いフィン、きれいな表面、鋳造型に金がかかっていることはわかるが、さぞや抜きにくかったであろうと思う。

初期の2U(40年式の車体に搭載)、ベンチレーションチューブが、40、41年のUP10と同じ形状のエンジンだと思えばいい

39年までのU型のベンチレーションチューブのオイルフィラーキャップは、小さい。

40年からのU型は、オイルフィラーキャップは形状が同じで、直径が大型化する。

受ける方のベンチレーション頭頂部の円筒部分の直径が大型化している。

ところがである、約700CCのU型では問題にならなかった、シリンダーの熱膨張、冷却不足が、2U型では、一気に顕著になる。

現実問題としては、シリンダーの表面のフィンガ割れる

焼きつけを起こすという事である。

オイルクーラーが付いてない点も拍車をかけたようである。

そこで、シリンダーの直径が大きくなり、フィンは分厚くなる、フィンの枚数は減ったが熱効率は良くなった。

見た目は、40年型の2Uのシリンダー本体は美しいが、実用的ではない。

だんだん時代が下がると、ミニエースの様に床下で、メンテンナンスほとんどされないエンジンのシリンダー本体は、オイル周りの改修を経て、加工度合いが下がる。

表面はざらざら、中央部分には、バリがある。

空気流れないだろうと思うようなパーツとなるが、月産数台の販売実績ではそうなっても仕方がないと思う。

ただ、パーツの接合面の加工は精度が向上していく。

エンジンを組む人としては、加工精度が高い方がよい。

シリンダーの表面なんて自分で加工すれば済む話である。

(悪く言えば、手間をかける気がない人は、見た目が奇麗であればいいのだろうという目で見てしまう。

 よく、外装パーツを新品に変えたがる人が多い様にである。

 つまり、枝葉末節にこだわって本質を見ないとという事である。)

蛇足

ミニエースの販売台数は、生産中止の2年ほど前から、全国で、数台から数十台の販売レベルに落ち込む。

丁度、三輪車を、トヨエースが駆逐したように、軽自動車のその手の車に市場を喰われたという事である。

販売台数だけをみれば、トヨタ2000GT、日産のZ432の販売台数は、月に数台、Z432は本当に数が少ない。

全く販売されない月があったくらいであるが、ミニエースも似たような販売台数だった。

だから、車種が消滅したのである。

ミニエースがなくなると、コーチのクーラー用の発電機として余命をつなぐか、これも、2Kエンジンにとって替わると、正規の生産品目から空冷U型エンジンの系譜は消えていく。

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嫌いな理由

長谷川主査の事が好きではない理由は、いくつかある。

1つは、前にも書いた組合活動である。

もう一つは、カローラの発売の時に、完成度合いは?と聞かれて、70%ぐらい完成度という失言を漏らしている。

この言葉は、「トヨタ70点主義」と云われて、インチキな「技術の日産」の標語と対比されて語られれ、日産の余命を伸ばす事に役立った。

優秀な技術者であったことは理解している。

実戦に使われることも、まともなテストさえできなかった機体を設計していたという点で立派な航空技術者だったと云いうのは、いかがなものかと思う。

当時、帝国大学(東京大学)、航空学科卒業は、当時としては、俊英どころではないほどの頭脳の持ち主だったという点は理解している。

彼の実績として、風洞実験をして得た結果としての主翼の形状をよく引き合いに出される。

風洞実験と云うのは、止まったもの風を当てることで表面の空気に流れを観察することである。

風洞実験が、世界的に重要視されだしたのは、経験と勘で作っていた飛行機の製作過程に、重たい空気の壁を認識して、どのように対策するのかという考えが浮かんだからに他ならない。

昭和8年ぐらい(だったと思うが…資料が出てこん)に、英国で大規模な風洞実験室ができたという事が機械学会、航空専門誌に記事に掲載されていた。

これに倣って、日本でも、風洞実験室を作るべきという風潮はできた。

風洞実験の結果が良好でも、実機が上手くいくとは限らない。

自動車の製造と同じで、各部の集約的な作業の結果として機体が完成する。

棒で支えて、空気を当てて得られた結果がすべてではない。

実際の飛行機は、生産過程で、表面に皺(しわ)が寄る、リベットで表面がうねる・・・(パテで表面のうねりを消す技術は、当時すでにあった。)と云ったマイナス面がでる。

エンジンの出力、プロペラ機なら回転モーメントがかかる。

イタリアの、マッキは、モーメントを打ち受けすために、主翼の一方を長くしている。

(RX7が、エンジンの回転モーメントの関係で曲がりやすい方向と云うのがあるのと同じである。)

機体の重量バランス、ちょっとしたデザインの突起が気流の剥離を生むことだってある。

そのあたりは、風洞実験の某で支えた状態での実験では表出しない症状である。

理論は構築できるが、実機を作って実験しないことには、理論先行で飛べる飛行機はできない。

つまり、彼お設計した実機が一度も、飛んでいない点から見れば、航空技術者であったかもしれないが、航空技術者としての技量がどうだったという点では評価の下しようがないという事である。

云い方は悪いが、理論上の自分の思い描いた機体性能を、100%と考えるのなら、一般的に生産する飛行機で、100%の性能という理想が反映される車なんてありえない。

彼が言った、70点とは、その大衆車というクラス車(ここ重要)で、理想とした車を作ると云うのは、どんな車なんだろう。

日本経済新聞の私の履歴書でいろいろと書いていたが、結局は、価格が、それに見合ったコストで車を作るというがいかに難しいかということである。

1000CCクラスの大衆車の100%なんて存在しないだろう。

云うのであれば、現状で、100%の車を作ったと云えばよかったのだろうが、大衆車の主査しか任されなかった不満が、70%という言葉に出たのかもしれない。

今回のカローラのモデルチェンジで、価格が300万円代になった。

価格だけで見れば、大衆車ではないという声が聞こえるが、実際乗れば、大衆者的な要素なんて存在しない。

カローラに大衆車的な要素なんて言ううのは、20年も前からない。

いつも思うのは、豊田喜一郎氏に、初代のカローラを見せてみたかったと思う。

25年ぐらい前のマークⅡ三兄弟ぽい感じがする。

つまり、初代のカローラからどんどん肥大して、大衆車として求めらえるものを全部つぎ込んでいくと、現在の姿になるのだろう。

それでも、100%にはなりはしないだろう。

70%なんて発言をしたことは結局、コストと自己満足のせめぎあいの結果、自分の気分として70%という言葉ができたのだと思う。

あとから、この70%発言は、多くのトヨタ自動車の技術者の努力を堕としめる結果となった。

当然の様に、会長さんに責められたようである(会長さんご本人から聞いた。)。

それでかどうか知らんが、後年、70%の発言の真意という事を、良く語った、これは欺瞞である。

昔の記事を読むと、製品の完成度を、70%とするとトヨタよりも日産の方が技術的には優れている、トヨタは販売が上手いだけだという風評を生み出した。

この点では、私は、嫌いなのである。

しかし、偉そうなことを云えば、トヨタに風洞実験の考えを取り込んだのは評価すべきであるし、「主査十か条」というのは、自分への反面教師として書いたのかしらんと思う事がある。

戦後すぐのトヨタ技術を読むと、長谷川龍雄は、風洞実験をよくやっている。

その点は非常に素晴らしいことで、航空技術出身の面目じょたるところである。

初期の風洞実験を見ると、戦前の航空機の風洞実験さながらのテストしているが、果たしてあの当時の車のデザインで行かされたかどうかと云う点では、ほとんど効果は無かったろうとおもう。

当時のデザインに、そこまでの要素は取り込めなかった様であるし、力もなかったとみるのが妥当であろう。

空力は、トヨタスポーツでようやく開花した感じがする。

(デザイナーさんたちは、止まっていも走っているような感じのデザインを考える様になったことも追い風だったと思う。

走っているような姿の発想は、米国のデザインセンターから学んだことで、実際、取り入れられたのはMSクラウンからである。)

デザインの座りの良さと躍動感っという点で考えれば、トヨタスポーツと2000GTは秀逸だと思う。

MSクラウンは、確かに良いデザインだと思う。

まぁ、トヨタスポーツか世に出たのは、長谷川龍雄氏のおかげだから、その点では、ものすごく感謝はしている。

もう一つ、中村主査が亡くなったあ後で、、中村さんの事を揶揄するような事をテレビで発言していたことも嫌いなった原因でもある。

蛇足

ちなみにトヨタスポーツで屋根をつけて走る人には、屋根なしで走ると絶対に追い付かない

屋根取ると、10キロ低下、窓開けると、5キロ速力が落ちるのである。

1ミリオーバーサイズぐらい入れても、圧縮を、〇〇迄上げても、ダメ。

両方やるとエンジンが壊れる(メタルがきれーにつぶれます)ので、あんまり意味がない。

コーダトロンカにしないでCD値を良くしたのは、彼の知識のなせる業である。

20200423

20200424加筆訂正

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ちょっとしたこと。

久々のトヨタスポーツのお話である(笑)

 

平成3年以来のお友達と、以前よく話しの中で、「水面下」という云う嫌味があった。
話している内容が、水面下つまり、ゼロ地点にさえ達していないという意味である。

 

車の話になると、雑誌、本、それこそネットに書いてあることを「是」(是認という意味ね)としている人がものすごく多い。
雑誌でも、本でも、ものすごく、と云うか、沢山嘘がある。
嘘のコピーが、コピーを呼んでいると云ってもいい。
ルーフがプラスチック・・・とかね。
ホンダの事は、安いスポーツカーとは書かないがトヨタスポーツは、なぜか、この間少し書いたけれど、「若者向けの安いスポーツカー」と云う。
言いぶりは、適当ではない、宣伝、文句としては取り付き易い言葉である。
それこそ、29年前に車を買って乗り回しだした頃、近所の見知らぬおじさんから、「若い頃欲しかったんだよね」、「でも、結局買えなかった」という人がいた。
その反面、親にねだって大学時代に、MG、ホンダS600と短期間に乗り継いで、大学4年生で、トヨタスポーツを買ってもらい乗り回していたという人がいた(大学卒業後は、数年で、クラウンに乗っていたそうな・・・)。
女子大生のころにヨタを買ってもらい25年間乗っていたおばさんもいた。
最初のおじさんは、「集団就職で名古屋に来て働いていたけど、自分の収入ではとてもではないが買えなかった」といっていた。
まぁ、決して、安い買い物ではなかったであろうことは容易に想像がつく。

ライターには、前の記事を丸写しというひどいもいるからね、仕方がない。

エンジンが簡単にオーバーホールできるとか・・・

水面下の話は、ここ10年以上車と云うか、旧車の集まりには出かけないので、そのレベルはうかがい知ることもできないが、あんまり変わってないような気がする。

先日、忘れたような人(、覚えてますかと云われたが、全然覚えてなかった・・・一応、この車とは、ほぼ関係のないブログを読んでいるそうな。)から、エンジンミッションのオーバーホールをするという。

クーラー用の2Uエンジンと、ミニエースのパーシャルフローエンジン、ミッションは、ダイヤフラム式があるんだけどエンジン組には、どの部品を使えばいいだろうかと聞かれた。

聴けば、40年式の初期の2Uのオーバーホールという

そこで、クランクケースは、40年のケースを使えれば使うという。

クランクは、ミニエースのものを使うそうである。

(エンドベアリングは、1個だけ持っているという・・・)

お悩みは、シリンダーだと云いう。

40年のオリジナルのシリンダーは、外形が小さいのと、フィンがものすごく薄くて、外見はいいが放熱性が悪い。

それに放熱が均一ではないのか途中が割れているものがある。

ヘッド近くが割れているのは、ぶつけて割った都会の場合も考えられるが、中ほどのフィンガ割れていると、ちょっと使うのは止めた方がいいのかもしれない。

聴くと、中央部分の一部、ヘッド近くが割れているという。

そうなると、ミニエースのシリンダーを加工して使う方がいい、問題がないわけではない。

ミニエースのシリンダーを使うのならば、40年のシュラウドは、厳しい。

アッパーもアンダー部分を使おうとすると、悲しいぐらい合わない。

40年の2Uファンシュラウドの先端部分のおチョボ口を四本ボルトで、止めてあるカバーが使いたいそうな。

UP10(700cc、U型、U-B型)のファンシュラウドも、フロントカバーを四本ボルトで止めてある。

初期の2Uのシュラウドは、ほぼUP10の40年、41年式と変わらない。

シリンダーの外径は、ほぼ同じで、其のままでも使える

しかし、初期の2Uは、熱対策が十分ではなかったので、途中で、シリンダーの外径が大きくなっている。
(2U-B型以降)

当然、シリンダーの上下のシュラウドはシリンダーの大型化に合わせて、若干、大きくなっている。

ミニエースのシリンダーを使いながら、初期のシュラウドを使うのは厳しいと思う。

シリンダーの径が小さいからであるが、シリンダーの上下から挟み込む方のシュラウドカバーははまらない。

アンダーカバーは、2U-Bのカバーを使いアッーパーは、初期の2Uを使う事も可能であるが、一つ問題がある。

前は無理やり合うけれど、後ろの支柱がはまらなくなる。

後ろが開くような形になる。

出来れば、ちゃんと乗りたいという。

放熱性は、ミニエースシリンダーのフィンガ奇麗に後ろまで抜けていたら、表面積が大きいのでそちらを使う方がよいのでは?と伝えると、

ミニエースの2U-Cのシリンダーは、ちゃんとフィンが全部抜けているという。

クーラー用は、抜けてないという。

最悪、シリンダーの外径を削るという荒業もあるが素人やる話ではない。

やるんなら、シリンダーフィンの表面のあらを削って流速を上げた方がいい思う。

ミッションもオーバーホールしたいという事である。

ミニエースのパーツを使う方がいいかと云うので、機械の精度という点ではミニエースの方がまし。

ミッションのパーツは使える部分はミニエースの方がよいと伝えた。

まぁ、メールでのやり取りで、最後は、電話で話をしたのだが、どうも、自分で組むようである、聴けば、ボーリング代もものすごく値段があがったようである。


頑張ってくださいと言っておいた。

ところで、以前から書いていることだが、パーツの精度がいいと云うのは、機械的な部分の精度の事である。

パーツの外観を云うのではない。

私のブログで、パーツの精度とは機械部品の精度の事を云っているのが、外観の事を云っているのではないが、外観にこだわりたい人が、そんなことを云っている人がいるそうな・・・

そこで、悩んで、勇気を奮ってメールしたそうな・・・

言葉をきちんと理解しない人がい居るというか見ている目線が違うと、言葉も別の捉え合片をするのだという事が、わかって、書きぶりが足りないという事を理解した。

申し越し丁寧に書こうと思う。

機械の精度・・・意味が判っていない人がいるようで悲しい。

水面下だなぁと感じる次第である。

ここ15年以上エンジン組んでないけど、もう一回やってみたい気もするんですよね。

新品のシリンダーケースもあるんでね。

 

蛇足
エンジンの量産は、量産効果と云うのがある、沢山組めば組むほど精度が上がる。
標準的な公差よりも小さな差でエンジンを組むことができる。
トヨタは、昔から公差に厳しいメーカーである。
30年ぐらい前には、補給品でエンジンが来たと云う。
そのエンジンは、大変、静かであったあったという。
静かなエンジンをばらして組み直すと大抵はエンジン音が大きくなる
これは熟練のなせる業かとも思う。

 

20200420

20200421加筆

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昔の話、夜間飛行

夜の夜中である。

その当時(20年ぐらい前)、くだらないこだわりで、昭和40年製造のフロントライトをそのまま使っていた。

明かりは暗い、当然の様に田舎の夜道は暗い。

見上げると、満天の星、星、星

子供ころに見た、星空

三桁国道で、ハロゲン灯の光がところどころに見える程度だった。

走る走る

夜風を切って

夜風が気持ちいいというレベルではない。

寒い

初夏の頃ならまだしも、晩秋である

寒くて仕方がないというレベルではない。

革のロングコートに、ゴーグル、革の手袋でさえ冷たい。

燃焼式ヒータのおかげで、足元は少し暖かい。

でも寒い。

友人宅で長居をしたというか、国道が事故で大渋滞だったので、渋滞が解消するのを待っていた。

出たのは21時過ぎ

晩御飯を食べさせてもらい、ついでに一寝入りしたから気分は、元気だった。

前後に車はいない。

寒い

寒い

でも頭は冴えている。

ビュンビュンと飛ばしていく。

空気の層を押し分けていく。

高速道路の入り口迄、その当時ほとんど店らしい店はなかった。

高速に乗ると、すぐにSAがある。

ほんの少し休憩した。

背伸びをして、軽くストレッチをした。

エンジンをかける

二気筒エンジンは元気だ

再び、高速を、60マイルぐらいで走る走る

既に、ヒーターは効かない。

ヒーターを切る

丁度、複葉機のパイロットはこんな感じだったのかと思いながら、闇夜を走る、走る。

前の方に赤い灯火が見える。

追い付いて、後ろにつくと、パウケ、パウケと叫ぶ馬鹿

丁度、長い坂だ、その先に、自動取締機がある。

赤い灯火が、ともる、ブレーキを踏んでいる。

減速気味で、50マイルまで落とす。

その先は、カーブだ。

重力を感じなが廻る。

腰から下に力が入る。

画面が開けて、星空が良く見える。

平野部に街の光が見える。

山あいに入る、坂を上る、星しか見えない

長い長い、登坂車線があるような坂

随分手前から、助走をつけるために、加速する。

蹴立てて、鞭を入れている気分だ。

頂上まで、頑張るが息切れしそうだ。

登りきるとあとは長い下りだ。

寒い、寒い。

風切り音は増していく。

びゅんびゅん走っていく。

インターを降りて、しばらく走ると、車の量が途端に増える。

四車線道路を走る。

幹線を外れて、家に近づくと、既に、人通りはない。

楽しい。

本当に楽しい。

そう云った走り方をしていないなぁと思う。

7年ぐらい前に、そこの家に行こうと思って、インターを降りると、チャージランプが点灯した。

そのこで、中断して引き返して以来、体調もあって、一度も行っていない。

今年は、一度ぐらい行こうかと思っている。

 

 

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より以前の記事一覧