墨東奇譚  補遺 「大正昭和艶本資料の研究」 斎藤夜居著 

以前にも買いあたことがあるが、「墨東奇譚」という名著?がある。

永井荷風先生の著述であるが、老境にいっての著作であり、「あめりか物語」や

「ふらんす物語」とはちがった風体の作品である。

昭和10年当時の事が書かれており、昭和11年以降の戦争への突入前の華やかだった戦前の売春窟(銘酒屋と称する私宿)のあった「玉の井」のことが書いてある。

(後年、なぜか、戦前からの作家は、昭和10年、11年ぐらいのこと書きたがる傾向があった。)

そこで、「ゆき」という女性と、大江匡(主人公)の情愛を書いた作品だと思えばいい。

情愛と云いながら、別段、情交のような描写ない。

風俗を表しながら、実に、永井荷風自身の頑迷固陋さを表現しているだけとともいえる。

墨東奇譚の始まりは「活動写真」についての著述から始まる。

一度も、「映画」とは書かない。

「活動写真」で突き通す。

しかし、「玉ノ井」に対する永井荷風の思いは、彼の作品というか、日記である「断腸亭日乗」を読めば、如何に入れん込んでいたかという事はよくわかる。

でも読んでいて面白いと思うのは、三味線のバチの形をした「名刺」やら、アルミの小鍋などが出ている。

名刺の変形(四角以外は変形だと思う)は、以前、祖父の家で、小箱の中から「バチ、お太鼓、銀杏の変形といった形の名刺を見たことがあった。

赤坂◎○ 「こすず」、「さだ」、神楽坂「ちよまつ」「ゆき」「ゆり江」なんてのがあった。

ちなみに、祖父の名刺は「海軍少佐 ○○ ○」であった。

もう一人は、陸軍軍医 ○○ ○」であった。

叔父さんは、昭南島近辺で、軍属だったから「軍属 ○○ ○○」であった。

紙質は、今のものより固めであった。

アルミの小鍋に驚いたのは、場末の私窟に出回るほど廉価であったという事である。

さてさて、久々に、永井先生の事を書く気になったのは、我が家の書庫で、古本を見つけたことに起因する。

芳賀書店が昭和44年に発刊した「大正明治 艶本資料の研究 斎藤夜居著」定価1200円

(消費者物化指数で云えば、約四倍程度であるから 4800円である。)

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当時で考えれば非常に高い本である。

大体、芳賀書店である・・・・

この本に、「玉の井」の当時の写真が載っていた。

カタカナで木塀の上に「ヌケラレマス」 通りの上に「ちかみち」などと書いた電飾の看板がある。

扉にスペードの窓が付いていゐたりする。

また、当時の銘酒屋の店員(酌婦、売春婦)も写っていた。

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(スキャナーで取り込む際に、押し付けると、本が痛むので、一部ボケています)

この本は、「伊藤晴雨」(責め絵画家)の事を調べていた時に、この人の伊藤晴雨の事を記した本を購入して、ついでに購入したもの(と云うか、買わされた本)であった。

購入したのは、20年前ではなかったろうかと思う。

伊藤晴雨の本はありませんかと、古本屋に聞いたら、「伝奇 伊藤晴雨」が出てきて、ついでに、同じ作者だからと言って出されたのではなかったかと・・・・。

売れ残り感ののある本で、外の箱は結構襤褸(ぼろ)いが、仲は読んで痕がないものであった。

だいたい、売れ残りの本で「売上カード・注文票」がそのまま挟まれていた。

何時から、売れ残っていたいのかと思う。

(伊藤晴雨の事は、書けませんが・・・・)

作者の斎藤 夜居(さいとう よずえ)、さんについて

古書蒐集家であり古本屋を経営していた人である。

大正13年生 - 昭和63年没

東京市(当時は東京市)出身

早稲田工手学校土木科卒業。

書物趣味の会「愛書家クラブ」を主宰していた。

古書の収集が趣味で、古書がらみの作品が多い。

要は、ミイラ取りがミイラになった典型であろう・・・)

この本の写真を見て、なんとなく、荷風先生見ていた「玉ノ井」が一部見られたような気がして少々うれしいのである。

20170204

20170205補足

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 何だかなぁ・・・といいつつ、墨東奇譚に耽溺する。

 以前から、永井荷風先生の「墨東奇譚」について書きたいと思っているが、読めば読むほど奥深くて困るのである。

なぜかコウ、気になってしまい読みこんでいる。

最近のうすっぺらな本とは大違いである。

先週からは、当時の挿絵付きの本までサクサク読んでしまうほど沈溺している。

私家版と、朝日新聞掲載版、岩波文庫版等々、数種類が存在し、文章の推敲が進んだのは、朝日新聞版であるような気がする。

これも、ある解題的な本により知ったことである。

労作とでもいうべき本である。

しかし、その本は、昭和54年の出版である。

墨東奇譚自体が、昭和11年である。

今から79年ほど前の作品である。

当初読み始めは、私家版(復刻版)、そうして、岩波版である

ほかの書店からも出ているが、基本的には、最終版であるい岩波版がよい。

わたくしの嫌いな、朝日、岩波コンビである。

朝日新聞も、戦前は、新聞の拡販のために軍国主義推進の立場であった。

明治時代から、新聞は常に、販売拡張のため迎合的であり、戦争=販売拡大の好機と思っていた節がある。

だから、どちらの方にでも顔を向ける。

今は、左巻きの風をしているが、読書層に迎合しつつ、自身の無責任な論法を流布しようとするのだから、どうも、低能児のような筆誅が多く困ったものである。

そういえば、某三重苦の家も、朝日新聞だった。

三重苦の論調が、他人への批判的、大企業への批判的態度、いろんなものへの批判、兎に角も、批判が多い、聞いていて違和感を感じたことがある。

趣味人を気取る割には、世の中に批判的なのである。

趣味人なら、鷹揚であるべきという感じが強いのでそう思う。

丁度、貧乏人が、世の中が悪いのは、金持ちの所為、とか江戸時代の商人、代官は悪人ばかり、貧乏人、百姓はいい人、

こんな単純な図式を刷りこんできたのが、時代劇であり、新聞社の間違った記事の所為だろう。

江戸時代の商人は、一部のバカを除いては、世の中への還元を当たり前と考えていた。

もうけの一部は、町内へお祭りに費用を負担したり、町内の治安のために金銭的な負担をしていた。

町役だからといって、威張っていたわけではない。

一番大事な、金を出すということをしていた。

代官にしても、悪代官なんてものがいたらすぐに罷免されるのである。

何かあれば、農民が江戸表(えどおおもて)へ「お恐れながらと」訴える。

そうなれば、代官は罷免、切腹である。

そんなことは、みんな知らない。

刷りこまれたイメージでのみ語るから話がおかしくなる。

大体、水戸黄門の漫遊記がおかしいのである。

テレビ局も図に乗りすぎた。

結果、ドンナ話もステレオタイプで、つまらないということになる。

役人は、悪党が多いということをイメージさせたいらしいが・・・・

まあ、三重苦について云えば、こいつ(失礼な言い方で申し訳ないが、気分的にコイツと言いたい)は、趣味に燃えている割には、なんか余裕がない。

妻子がいるわけではないのにである。

(今は、介護で大変らしいが、昔、「親の介護をどうするのか?」と聞いたらこんな答えが返ってきた。

「そんなことは、十分理解している。」「何とかなると思っている。」だった。

今となっては、「現実は、どうだい?」と嫌味っぽく聞いてみたい。

しかし、根本的に、何か違和感があった。

その違和感は、ある時、床屋で暇つぶしに(と言うか、他に読むものがなかったので)朝日新聞を読むと、三重苦の爺さん(今ではもう爺さんだろうに)のいっていることと同じ論法が書いてあった。

読んでいて、少々笑ってしまった。

朝日新聞の論調をそのまま転嫁して、自身の主張を述べていることに気が付いたので、、意外と底が薄いことに幻滅を味わった。

多少は、評価していたのだけれどもね・・・・心底、セコく、自己中心的、一番偉いのは自分だけ、他人は、評価すべきではない、どちらかといえば、だれかれと鳴く「馬鹿にしていた」のである。

それは、車を修復した時の話にも合い通ずるものがあり、業者の意思でしたことも、自分の発案のでやった様の言う。

つまり、人の手柄を自分お手柄に置き換えるのである。

図々しい。

閑話休題

朝日新聞も、東京(中日)新聞も、脳足りんな内容で辟易するのであるから、小生は嫌いである。

中部地区に住みながら、中日新聞を読まないのは、地域情報を十分取れなくて困るのではないかとの意見もあるが、所詮、編集者の作為的な選択後の地域情報では、意味はないのである。

10人ぐらいの社会がある。

奴らは、自分たちの意見と同じなら、一人の批判的な意見をまるで、6人以上人の意見の様に記載する。

自身の反対意見は、記載もしないで、いないことにしてしまう。

こうした記事が多く、辟易としてしまったのである。

とはいえ、金之助夏目漱石も朝日新聞の社員(新聞嘱託扱い)として、新聞小説を書いていたのだから、永井荷風先生の作品が、世に出て世間に流布された、その一点についてのみ感謝の念を抱くことは批判しないで欲しい。

だかそれ以外は評価しない。

墨東奇譚の楽しみは、当時の時代が良くわかっていいのである。

細かなデテールをいえば、昭和10年前後には、「アルミの小鍋」が一般的だったことに驚くのである。

場末の売笑婦(売春婦)の抱え主(雇い主)が、売笑婦の元へ夜食を持ってくる時に出ている。

夜食を「アルミの小鍋」で運んでくるのである。

明治初年のころの衣類は、古代とは言われない。

(昭和10円であるから60から70年ほど前のものはさほど古いものと認識がなく、ただ、当時としても、明治初年のころのものはいいというのである。)

何となく、昭和初期の衣類、製品を見て、「昔のものはいいねぇ」というのと同じである。無昔の金属製品は、それしか素材がなかったのだから仕方がない。

今なら、全部プラスチックである。

プラは、安っぽいのである。

金属は、それなりな感じがする。

だから、昔のものがいいという論調は当たっていないと思う。

安物は、どこまで行って安物である。

工芸品は、どこまで行っても工芸品で残るのである。

何となく取り留めがない。

墨東奇譚委には書くべきことが沢山あるので困るのである。

(そう言いつつ、また、三島由紀夫の「真夏の死」を読んでいる。

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