夏目漱石「こころ」:精神的に向上心がないものは馬鹿だ」の考察 その3

先生は、「K」の性格を、正直、単純、人格が善良と語っている。

ここで矛盾を感じるのは、養家をだまして医学部に行かずに、文学部へ行くという行為をおこなう様な人物が、正直、単純で、善良と云えるのかという事である。

従前の文中では、元来「K」の養家では彼を医者にするつもりで東京へ出した。

「頑固な彼は医者にはならない決心をもって、東京へ出て来たのです。」と書いてある。

予科までは、医者を目指す振りをしていたという事かもしれない。

この本が出た当時、自分の意思を貫くために、一連の「養家」騙すという行為は許容されるかと云えば、何時の時代でも、許容されていないであろうことが容易に想像がつく。

行為に対しての応援度合いが違いだけである。

明治ならば、皆無、現在ならば、入学する学科を謀(たばか)ることは、ほぼ不可能であるが、多少の賛同は得られるのではないかと思う。

「先生」は、「K」の大胆不敵な行為に対して、当時、「それでは養父母を欺あざむくと同じ事ではないかと詰ました。」

「大胆な彼はそうだ」と答え、「道のためなら、そのくらいの事をしても構わない」という認識だと答えている、これは、もう悪党である。

*「道」という言葉は、先生にもKにも意味は良くわかっていなかったと書いている。ただ、偉くなるという目的を持っているので、田舎の医者でい終わりたくないとう野望のことかもしれない。

この部分だけを抜き出せば到底、先生の主張する「正直、単純、人格が善良」とは感じることができない。

しかし、こうも語るのである「頗る強情な男でしたけれども、一方ではまた人一倍の正直者」であるという。

「強情」と「正直、単純、人格が善良」が表裏一体と云うのにも、少々矛盾を感じるのであるが、「正直、単純、人格が善良」であるがゆえに、いったん決めた方針の方向転換ができないほどの「馬鹿」に、「強情」が加わって「悪党」になったのかもしれない。

先生の様に、世の中の善意を信じて、親の財産を親類に奪われるという社会経験を積んだ者は、「単純」、「人格が善良」と云った本来褒められるべき性質は、喪失していた。

幼馴染時代のから知っている「K」の根本的な性格を、「正直、単純、人格が善良」とわざわざ断わらせているかもしれない。

その性格がなければ、「先生」は、攻撃ができない。

「叔父さんに騙された先生」は、被害者である。

「養家をだましたK」は、加害者である。

 先生にとっては、「K」は、「自分の財産を横領した叔父」と同じ立場という事が判る。

先生から見れば、「叔父」は、故郷を捨てる原因になった、憎むべき存在であり、否定されるべき存在である。

そう考えると、「K」の学費を出させたという事は、養家の財産横領をしたことになる。

つまり「K」の存在は、先生から見れば憎むべき存在である。

「先生」には、常に、「K」を罰してやりたと云う気もちが潜んでいて、下宿に招いたのも、罰を与える為と考えることはできないだろうか。

加害者は、犯罪は、露見しないと思って犯行に及ぶことが多い。

ばれたと思った瞬間に、謝罪したのであろうかとか?

加害の事実は、実家からの「勘当」という、帰属集団からの放逐の処分で、完了したと思っていたのか。

先生は、被害者なので、猜疑心の塊のような人だったのである。

正直、単純、善良な人である「K」は、「勘当」で自身の禊が済んだと人の善意を信じる人だった可能性が高い。

ただ、こうと信じたら一人でどんどん進んで行くだけの度胸もあり勇気もある男なのだから始末が悪い。

また、「お嬢さん」と出会い、今までの人倫に劣る道を歩んできたこと自体を後悔して、並みの生活、並みの人生を歩もうとする気持ちが芽生えた時点で、正直、単純、善良な人になったのか、戻ったかどうかは判らない。

性根は、「頑固」であるが「正直、単純、人格が善良」なので、「頑固な部分」を守るためには、生来の本当の性格である「正直、単純、人格が善良」押し殺して、目的の為に、家族、養家を欺くと云う道を歩んでしまったのかもしれない。

養家と実家、「K」三者の悪化した関係は、本来、「K」自身が解決すべき問題であったが、彼自身で、故郷に帰って申し開きをしないという態度に終始した。

その結果、当然の様に、養家と実家、養家とK、Kと実家の関係は悪化していく。

養家に、彼の行状が発覚して時点で、彼自身は学費に困窮することになるのである。

こうして、彼の強情は、彼が望む栄達の道具である、学業を継続することが難しくなった。

その時点で、「先生」は援助を申し出ているが、断られている。

学費は、夜学校の先生をして捻出するという。

だが、夢みがちな青年がよく陥る、物事を簡単に考える、世の中を甘く見という感覚は、自身の立場を急速に追い込んでいく。

追い込まれて、非常に、困窮した時点で「先生」の好意に甘えて、下宿を移った時は、自身の頑固さが招いた状態について後悔したかもしれない。
しかし、下宿代を請求されないことに対して何ら発言をしてない点から、「善意を信じて、好意に甘える」という甘い生活に慣れてしまい、先生は、自分にたして無償の愛を差し出していると勘違いしていた。

だからこそ、「お嬢さんへの恋着心を持った時」に、先生の意識などは、意に介していなかった可能性が高い。

だからこそ、先生の攻撃が不意打に近いものと感じたのである。

赤の他人の善意を信じる時点で、精神的な弱者であるという認識を持つべきであるが、「K」には、そのような認識は、なかったのである。
「先生」は、「K」と決着をつける気になっている。

再び、歩き出してから、「K」が、「先生」を呼んた。

「先生」は呼び止められた格好になるので、足を留める。

「K」も止まる。

先生は、振り返る様に、「K」と対峙する

ここで、先生は待望の「K」の目遣いを見ることができた。

ただし、眼前の位置関係は、「K」は、背が高いので、「先生」は見上げる。

「K」は、「先生」見下ろす。

目の位置関係と捉えれば、先生は見下されていることになる。

見下していた男に、現実では、見下されているという事実は、「K」の純真な魂を打ち砕いた。

「K」は、悲痛な目つきで、「もうその話は止やめよう」と主張した。

反撃さえしてこない反応に、唐突感があった。

それは、語調にも悲痛なところあったので、先生は逡巡があった。

「先生」は、その言葉には反応することができなった。

「先生」の沈黙を、批判と感じたのか、もう一度「止やめてくれ」と、懇願すように云った。

しかし完全勝利を望む「先生」は、頼むように云い直した「K」に向かって、

「止やめてくれって、僕がいい出した事じゃない、もともと、君の方から持ち出した話じゃないか。しかし君が止めたければ、止めてもいいが、ただ口の先で止めたって仕方があるまい。

君の心でそれを止めるだけの覚悟がなければ。一体君は君の平生の主張をどうするつもりなのか」と投げつける。

この時、先生は、勝利の凱歌を上げた。

「先生」より、背の高い「K」は、この言葉で、委縮してしまった。

「先生」の目前に立っている「K」の実態としての背の高い男は、精神的には委縮した小さな男に成り下がったのである。

「先生」は、「K」の仮面をはぎ取って、K自身の行動の矛盾、今までの道を捨てて、平穏無事な人生を歩むという矛盾を非難することで、

「K」を追い詰めたのである。

この委縮した姿を見て先生は、目遣いを確認はしていないが、安心をするのである。

この項終わり

20200406 

 

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夏目漱石「こころ」:精神的に向上心がないものは馬鹿だ」の考察 その2

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/04/post-92df7e.html の続き

 

「精神的に向上心のないものは馬鹿だという言葉」を、「K」へ投げつける。

先生は、この言葉が「K」にとっては、精神的に「痛い」に違いないと考えながら投げつけるのである。

先生の意図は、「K」が進みつつある、「お嬢さんとの結婚」とそれ以降の平穏無事な家庭生活を夢見る態度への修正を求めているのである。

「K」自身が、進んできた、自己の得心がいかなければ自己の道を進むべしという、一見すると自由奔放な進み方を、保持しろと云っているのである。

「K」自身の性格は、今風に言えば自由奔放であるが、当時の目で見れば身勝手である。

親をだまし、養家をだまして、親に多大な損害を与えながらも進んだ道、他人の善意、期待、要望をことごとく裏切って、稀有とも云える、恵まれた生活を、否定して、わざわざ逆境に生きようとして、高かく積み上げた死屍累々な過去、人倫にもとるような行為。

だがそれは、「K」自身の生きていくための目的のためには、「K」自身の中では、肯定されなければならない、そうして、彼自身は、肯定しつつそうしたことを平気で行ってきた。

自分が決めた目的のためには、手段をえらばない。

「先生「」は、そうした「K」の生き方を否定するのではない。

今回の言葉は、かえって、元の道破滅的な生活へ帰れと、助力をしている。

これは、この破滅型の「K」の行く末を見てやりたいという欲求があったのかもしれない。

だからこそ、この投げかけの言葉は、過去を蹴散けちらす為に言うのではない。

「先生」は、「K」の変心を非難している意思表示なのである。

この時の「K」は、「お嬢さん」への恋着から、そうした過去の積み重ねを否定しようとしている。

「K」に、自分のしてきた過去を、振り返らせて、今まで通りの過去の延長線上に、現在を積み重ねて行かせようとしたのである。

「K」自身の為ではない、「先生」自身の恋の為と、破滅的な行動の行く末が見たいという娯楽の為である。

これは、「K」が、「お嬢さん」との将来を望んだ場合に当然の様に発生する「一般的な社会生活へ戻る道」を否定して、その道を選ぶことを「精神的な向上心」を失う事だと言って非難し、「精神的な向上心がある状態」、つまり、過去に進むべき道として選んでいた方向への邁進を婉曲に指導したのである。

その根本は、行末の興味もあるのであろうが、「K」自身が、お嬢さん(のちの先生の奥さんの「静」)に対する恋着、先生自身が、好きになっている、そのくせ自分は頼まれて「もらってやる」と思っていた「お嬢さん」を、「K」が、欲するようになったことが最大の原因である。

つまりは、先生自身が思い込んでいた、「自分が、未亡人から娘を、もらってもらえないか」と申し込まれるであろう「お嬢さん」を、「K」の恋着で、「K」に奪われてしまう危険性を感じたからである。

その危険性を避けるため、「K」に対しては、「お嬢さんに恋着するのは止せ」と云いたかったのである。

「先生」は、「K」の過去行状から、その行末を知りたいという欲求と、幼馴染の窮状を、自分の持っている金でなんとなるのならと云いう善意から、金に困っているのを見かねて、下宿を世話して、下宿代も負担した。

つまり、「先生」は、「K」のある意味パトロンである。

「先生」の複雑な感情一つには、金を出すことで得られる優越感と、金を出してもらっているくせに、パトロンのものに手を出そうとする「不逞の輩」に対する憤りであろう。

「K」は、「先生」の「お嬢さんがすき」と云いう事実を知らない。

又、未亡人が先生に、「お嬢さんをやりたがっている」という事実を知らない。

「お嬢さん」が、「K」に対して取っている行動は、基本的には「恋のさや当て」で、単なる「だし」である。

「先生」の態度が具体的にならないので、「お嬢さん」は、先生に嫉妬心を起こさせようとしただけであろうことは想像がつく。

「K」は、女性に対して免疫がなかったのかもしれない。

「お嬢さん」は、「先生」の気を引きたい。

「お嬢さん」も、先生の事を憎からず思っていることは文中からも伺える。

だからこそ、先生を挑発しなけれなばならない。

最大の目的は、「先生」が、「お嬢さん」の「K」への態度、姿を見て、嫉妬心に燃えて、「求愛」、当時の考えで云えば、具体的には、監督者である未亡人に対して「お嬢さんをください」と申し込むことである。

だから、「お嬢さん」自身の中には「K」は単なる、「先生の世話になっている貧乏な帝大生」である。

しかし「先生」から見れば、「お嬢さん」の一連の行動は、「好きだという恋心が、相思相愛ではなくなった」と感じさせるには十分だったかもしれない。

お嬢さんの気持ちを引き戻す勇気はない。

しかし、現に自分が生活の面倒を一部見ている「K」の意思は買えることが可能であると考えている。

先生の底意には、金で世話になっている身の上なのだから、パトロンと云うか、金主を裏切る「不逞の輩」に、なるなよという意味合いも込めている。

だが気の毒なのは、「K」から見れば、貧困な帝大生でしかない自分に好意を寄せてくるようなそぶりを見せる下宿先の「お嬢さん」へ、恋着心を持つなと云うのは不可能である。

又、先から住んでいる「先生」と「お嬢さん」の関係も知りはしないだろう。

つまりは、何も知らない「K」は、お気の毒な立場であるが、そのお気の毒な立場を理解していない。

「先生」が、「K」が下宿に引き移って来た時に、「お嬢さん」をもらってほしと言われている、自分もそのつもりでいると云っておけばこのような事態は起こりはしなかったのである。

そのような事実を告げられておれば、「K」はおのずと、「お嬢さん」とは距離を置いたであろうことは容易に想像がつく。

だが、それでは、小説は成立しないので、「K」は、一難相談してはいけない者に相談を持ち掛けたという事である。

「先生」は、「お嬢さん」の気持ちへの疑心暗鬼がある。

「K」が、撤退さえすれば、丸く収まると考えている。

だからこそ「精神心的に向上心がないものは馬鹿」という言葉に収斂されていくのである。

これは、「お嬢さんを、手に入れるという事実関係の確定手段としての婚姻」を中心として、二人の相対的な感覚を、正常なものに戻したいという欲望の発露である。

精神的には、先生は、「K」を仰ぎ見る態度である。

経済的には、先生が、「K」を見下す存在である。

経済的な実利を与えている先生は、精神的には劣っていると考えても、資金の前に、低姿勢になる「K」の姿は、精神的な優位性は乗り越えられ、胡散霧消していたのではないかと思うのである。

ここで、先生は、欲望の発露を、「私の利害と衝突するのを恐れ」その結果として、「私の言葉は単なる利己心の発現でした。」と云って言い訳をしている。

先生は、「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ」と、畳み込むように、二度同じ言葉を繰り返す。その二度の言葉の投げかけは、回答を逡巡する「K」への圧迫である。

回答を引き出して、「K」は、自分自身で、自分の立場を言葉に出すことで、自己の地位を再認識させるという行為である。

これは、逆らうなという意味合いもあった。

ここで、「K」が、「お嬢さんとの婚姻をあきらめることができない」という立場への批判であることはよく理解していた。

だが、そこで、「お嬢さんをあきらめる」と云えないほど、「k」は「お嬢さん」に、恋着していることに気が付いた。

「K」は、「馬鹿だ」と答え、「僕は馬鹿だ」と再度言って、歩みを止めて動こうとしない。

「お嬢さんをあきらめられない自分は」という言葉が「馬鹿だ」の前に本来つくべきだろう。

そうして、その言葉は、「先生」の心を乱す、そこま「お嬢さん」への恋着心が強いのかとい驚きである。

そうなると、「先生」は、頑固でない点から精神的には、「K」よりも弱い「先生」は、うろたえる。

「先生」にしてみれば、自分を頼って相談をしに来ているくせに、自分の意見に対して反対意見を述べる姿は「刹那に居直り強盗のごとく感ぜられた」問う感想を一時的に持った。

しかし、「K」の言葉が「力に乏しい」声で語ったという事に気が付いて凱歌を上げようとする。

しかし、凱歌を上げるためには、本当に敗北しているのかどうか確認をしたい。

目は口ほどのもの云うではないが、目遣い(めづかい)を見て判断したいが、その肝心な眼元が見えない。

そこで、先生の凱歌は、沙汰止みになる。

先生は、勝ったという確証が持てないまま、戦いがとりあえず終わったという事になる。

しかし、先生は、虎狼の精神をもって戦いの勝敗を決めたいと望む。

そこで、「K」を、さらに追い詰ようとする。

「K」の逆襲に恐れおののくという姿勢はある。

しかし、勝利を確定したい「先生」は、攻撃の手を緩めない。

先生自身は、「私」に告白するときに、止める者がいれば、「K」自身が本当に、居直り強盗の様に反応していたら、この虎狼の精神は失われ

たかもしれないと主張している。

待ち伏せをしてもいいと心もちは、卑怯な態度という感覚はなく、なんとしても「勝ちたい」という気持ち発露にほかならない。

しかしである、現実というか、「K」の態度を見ていければ、「K」が反論するような事がないことを十分に承知している状態での追撃であ

る。(つづく)

20200305 

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夏目漱石「こころ」:「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」の考察について その1

漱石夏目金之助の「こころ」には、「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」という言葉を投げかける部分の話がある。

主人公の「先生」と自殺した「K」と間に交わされる言葉である。

「先生」は、「K」から下宿の「お嬢さん」を好いているという言葉を聞いて、「K」の「お嬢さん」に、求愛を求めたいという感覚を有していることを聞いていた。

明治時代当時は、自由恋愛は一般的ではない。

求愛イコール、監督者の親、つまりここでは戦争未亡人のお嬢さんの母親への申し込みという事にある。

だが、「K」は、その思いの丈を、「お嬢さん」にも、監督者である「未亡人」にも告げていないことは、告白後の数日の観察で判明していた。

婚姻の申し込みは、家と家との結びつきである。

「先生」は両親を亡くしている。

だが財産家である、身に係累はあまりない、希少な帝大生である。

「K」は、親は健在である。

実家は寺、「K」自身は、勘当されている(この事実が伝わっているのかどうは記載がないが、下宿を引き移るときに、先生がその様な事を伝えている可能性は否定できない。)。

帝大生であるが、貧乏で、「先生」が同じ帝大生でりながら援助してる。

この両者を比べた時に、娘の幸せを願う親はどちらを選ぶかと云えば、答えは明白である。

「K」自身が、「先生」を比較対象として選択されていないと判断していいたとしても、随分と一般的な条件からすれば不利である。

帝大を卒業して、実業界でも、政官界に身置いているのであらば話は別であるが、まだ学生で、貧乏、この状況下にあって、「未亡人」に対して、「近員」の申し込みができるのは、ある意味「強心臓」である。

養家を、平気で騙すような事を行う男であれば、申し込そうなものである。

また、「自信家である彼」の行動に、驚嘆している「先生」は、意外な気持ちで見ていたかもしれない。

しかし、先生が後述する「K」の本来の「正直 真面目」と云った性格の持ち主であれば、自身の境遇を考えると、なかなか申し込むことはできないという点については理解できる。

「先生」は図書館で調べ物をしていると「K」が来て、先生を待っている風なので、調べ物を切り上げて、散歩に出た。

「K」は、告白後、実際的な行動をとって進もうとしていなかった。

そうして、自信家であった彼には珍しく、ただ漠然と、「どう思う」という質問を投げかけて来たのである。

「どう思う」という質問の目的は、「恋愛の淵」に陥おちいった彼の姿をどう批評(批判めいた批評)するのかという事である。

常に、攻撃ばかりしている者は、いざ自分が攻撃される立場に陥ると非常に弱いという性質を持つ傾向がある。

それは、「守りなれていない」という事である。

攻撃は、一っ点突破で来る。

どれだけ警戒しても足りないの防御である。

この時点で、先生は、自身が「お嬢さんを好いている」と発表していない。

だが、「お嬢さん」のことを好いている「先生」から見れば、「お嬢さん」へ恋着している「K」は、恋敵である。

他人の思惑など豪も顧慮しない「K」の性格からすれば、本来、「お嬢さん」監督者である「未亡人」へ自身の思いの丈をぶつけて結婚の約束を取り付けるようなことをしてしまうような行動に出るはずあった。

しかし、そのような直情的な行動には出ていないことは、数日の観察から判明している。

「先生」は、「K」が、逡巡していることに気が付いたのである。

それは、「K」自身の現在の姿を顧みれば、申込などできるはずがないとという現実である。

「先生」は、「未亡人」が、「お嬢さん」を、「先生」にやりたがっていることを知っている。

だが、その事実を、「K」は知らない。

「先生」は、自分が好きな「お嬢さん」を、「K」に取られない様にする為には、「K」の恋心を打ち砕く必要性を感じるのである。

そこで、意地悪く「何なんで私の批評が必要なのか」と、尋ねる。

「K」は、悄然しょうぜんとした口調で、「自分の弱い人間であるのが実際恥ずかしい」と主張した。

「K」は以前から、「欲」と云うものに対して否定的な見解を並べていた。

そう自分が主張していたにもかかわらず、「お嬢さんが欲しい」という欲望を、対外的に出いいのか、迷ってしまい、「自分で自分が分らなくなってしまった」と云って、「先生」に、「公平な批評を求めるより外ほかに仕方がない」と、云い、「K」は、「恋の告白」についての進退を迷っているので、「先生」に尋ねたという。

この時、「K」は、「先生」の「お嬢さん」への恋心を知らない。

だからこそ、応援してもらいたいという気があった。

ところが、「先生」は、意地悪く「迷う」という言葉の意味を聞き糺し、「進退択一の選択」を悩んで、「迷っている」云う、そこで、先生は、すかさず「後退がある」のかと聞く。

「K」の心もちは、「先生から応援してもらえる」と云う感じでの回答を待っていたはずである。

実際に、返ってきた言葉は、「退けるのか」とい質問であった。

ここでも、予想外の攻撃を受けうろたえている姿が垣間見える。

予想外の質問であった為に、この質問には、不意に行き詰まり、「ただ苦しい」といっただけであった。

彼が、自身の強情さで選んだ、現在の境遇は、進みたくとも進めないという苦しみを受けなければならないと云う事は、自身が一番よく判っていたことである。

だから、その表情には苦しそうなところがありありと見えている。

「先生」は、恋敵を徹底的に叩き潰す必要性を感じていた。

「K」が恋着する相手が、「お嬢さん」でなければ、「先生」は、同情心から、望んでいる答えを投げ掛けたであろうことは容易に想像できる。

「先生」は、「K」の心持が痛いほどわかったので、ただの「一言」で打ち倒すことを考える。

そこで、以前房州の旅行の時に、自身が投げつけられた言葉を、投げつけることにした。

「精神的に向上心のないものは馬鹿ばかだ」と、言い放ちました。

「K」が、先生に使った通りを、同じような口調で、投げ返した。

自分に投げかけられた「言葉」への復讐ではなかった。

「K」が逡巡する「お嬢さん」への恋着を断ち切らせるための言葉であった。

(つづく)20200404

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/04/post-9f36bc.html

へつづく

20200405補足

 

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夏目漱石 「こころ」についての考察 その1

高校の教科書には、漱石夏目金之助著述の「こころ」という作品が載っていることが多い。

 原題というか、新聞連載時は、「心 先生の遺書」であった。

 元々は、当時、朝日新聞の社員だった、漱石が新聞に連載した、新聞小説である。

 後年の諸説はあるが、当初の考えでは、漱石夏目金之助は、「こころ」を主題にした複数の短編を書いて、それを後日「心」という題で、短編集として出版する予定であったらしい。

  「先生の遺書」も、当初は短編として書く予定であったが、朝日新聞の新聞小説という体(てい)取った結果、「先生の遺書」が長編となってしまった。

 とはいえ、たった4か月の連載である。

  「先生の遺書」一編を、三部構成として、題名は『心』と元のままにしておいたとの事である。

  岩波単行本の序文に記されている。

 (ちなみに、岩波書店の最初の単行本である。岩波は、夏目漱石には恩義を感じて居るようで、100周年記念で、全集を出版するそうである・・・個人的には、欲しいのである。)

以下の通り(読み仮名は、小生が添付)

 「「心」(「こころ」)

 「心」は大正三年四月から八月にわたつて東京大阪両朝日へ同時に掲載された小説である。

当時の予告には数種の短篇を合してそれに『心』といふ標題を冠(かんせ)らせる積(つもり)だと読者に断わつたのであるが、其(その)短篇の第一に当る『先生の遺書』を書き込んで行くうちに、予想通り早く片が付かない事を発見したので、とう/\その一篇丈(だけ)を単行本に纏(まと)めて公けにする方針に模様がへをした。

然(しか)し此(この)「先生の遺書」も自から独立したやうな又関係の深いやうな三個の姉妹篇から組み立てられてゐる以上、私はそれを「先生と私」、「両親と私」、「先生と遺書」とに区別して、全体に「心」といふ見出しを付けて差支(さしつかえ)ないやうに思つたので、題は元の儘(まま)にして置いた。たゞ中味を上中下に仕切つた丈(だけ)が、新聞に出た時との相違である。

 装幀の事は今迄専門家にばかり依頼してゐたのだが、今度はふとした動機から自分で遣(や)つて見る気になつて、箱、表紙、見返し、扉及び奥附の模様及び題字、朱印、検印ともに、悉(ことごと)く自分で考案して自分で描いた。

 木版の刻は伊上凡骨氏を煩(わずら)はした。夫(それ)から校正には岩波茂雄君の手を借りた。両君の好意を感謝する。

 大正三年九月」

  正直、私は、あまりこの作品が好きではない。

  漱石夏目金之助の作品は、大抵は好きである。

 「吾輩は猫である」などは、一時期暗唱できる程に読んでいた。

  しかしである。乱暴な口調が気に入らない「坊ちゃん」は何となくモノ足りないが、まあ許せる。

  しかしである、「こころ」は、なんというか、妙なのである。

  私は、「こころ」「門」「それから」は通読した。

  そこで感じたことは、「こころ」は異質であるという事である。

  どのような作家にもそのような面はある。

  三島由紀夫でさえ、不思議な話を一遍だけ書いている。

  その様に、作家の暗い意識が表に出た作品と考えればいいのかもしれない。

  基本は、人間不信の「先生」、友人を死に追いやった罪悪感を持ち続け、自分が役立たずだという事に気が付いて死のうとして、死ぬ理由を延々と書き綴り、知りあいである主人公の「私」に、その遺書とでもいうべき文章を送りつけるのである。

 ちなみに、この「先生」という呼称は、主人公が、勝手に「先生」と呼んでいるだけであって、現実の先生(教員、教授等)ではないのである。

 「先生」と言う語調は、明治期の意味合いと現在の意味合い社会的地位には雲泥の差がある。

 だが、「先生」という言葉ががもたらす感覚は、ちょっと「上な感じのえらい人」という感じをこの主人公が「先生」と呼ぶ男への感覚を植え付けさせる。

  そうして、主人公の「私」は先生の遺書を、受け取って危篤の親を残して、東京へ帰る。

その上京の車中で「先生の遺書」を読むのである。

  そこには、「先生の遺書」というか、死ななければならない理由を一方的に綴られているだけで、これだけの理由で死ななければならないのは判然としないという、漠然とした感覚しか残らない。

  結論の無い作品である。

  悪く言えば、死にゆく理由を正当化する作業である

 後年のガラス戸の中からで、死ぬのはおよしなさいという感情とは別感情である。

 自殺者特有の感覚ではないかと思う。

 夏目漱石を「先生」と呼んでいた芥川龍之介の「或阿呆の一生」にも感じられる、自己中心的で、何となく、真意を隠そうという意識がそこかしこにみられるの様に感じるのは自分だけであろうか?

  単純に、独立した短編三部作と考えれば、それほど嫌な作品ではない。

  「門」、「それから」も関連があると考える向きがるが、「こころ」は、別枠感がある。

  つまり、「門」には、夫婦の間の共通認識としての罪悪感(主に妻が感じている、「悪い女」という事から来る罪悪感の共用の強制)がある。

 「それから」には男女の間に共通の「罪悪感」がある。

 それは、「それから」にある昔風に云えば姦通,現代風に言えば不倫への罪悪感は、今の目から見れば、非常に弱い、しかし、当時としては姦通であるから大きな問題である。

 (昨今、不倫について、マスコミは騒ぐし、批判をする。

が、そういったものを禁断の恋とか称して煽ったのは元々マスコミである。

 自分たちで、不倫をしている人は多いと云い募っておきながら、実際、有名人が不倫をしていると、妙な倫理観を振り回して批判する。

 離婚をせずにチマチマと付き合う方が悪いのである。

 女役者が、医者と過去に不倫をしていたことが判明して批判をされている。

 それだけ多情というか、押さえられない性欲に従順であるとも云えるのではないか?

 妾がいて、旦那が来ない日に、同じような年代の男を連れ込んで情を通じる事は多々あった。

 でも、それは、押さえきれない性欲の処理であるから仕方がない面もあったと思う。

 女役者も国会議員も、押さえつけることができない性欲の処理をしたという事である。

 旦那が役に立たないので、他所で調達したのである。

 これが、ホストか何かを利用したらそれは、ソープランドに行く男性が非難されないように、別段非難されないだろう。

 性欲は、押さえることはできない時がある。

手近に手ごろなオスがいて、使ったという事ではないか?

 でも、ここで、最悪なのは国会議員が、離婚の調停を頼んでいる弁護士自身を性欲の発散に使った事はあきれてしまう。

 ここで、憲法云々を口に出して云い、日本共産党の参与の人だから笑ってしまう。

 共産党には、ハウスキーパー問題と云うものが存在していたことが有る。

 家に、妾を入れ込んでいて、これについては、外聞を憚って、「妾」「愛人」とは言わずに、「ハウスキーパー」であると称していた。

 丁度、男性の画家が、女性の内弟子を取るという事は、画家のお手つきだと皆が知っていながら、口にださいにという構造と似ている。

 だが、口では偉そうに、憲法を守ると云いつつも、下半身は倫理観がないというは、法律を、守れと云いつつも、自分の中の法律を守るという気がないのは、ダブルスタンダードである。

 議員さんの前職を考えて、弁護士という職業を考えると、この二人については、法匪としか言えないと思う。

不倫をして、週に複数回の情交を継続していたという事を考えれば、この二人の性欲には動物的なものを感じる。

 弁護士自身の精神構造を疑うし、この議員の倫理観も到底信用できない。

 社会の構造の変化の中で、不倫を良しとしておいて、自分達の利益のために、不倫を叩くと云うのは、マスコミ自身の倫理観がいかに低俗かという事が判るのである。)

 閑話休題

  門には具体的な罰として、「子供が生まれない」という悲劇がある。

  それからは、姦通の結果、高等遊民(働かなくとも生活をしている地位)から、勘当され、生活能力のない無職の中年となる。

  しかし、「こころ」にはそれがない。

 それは、先生の奥さんの態度に罪悪感は、微塵も感じられない。

 罪を認識しているからこそ罪悪感は生まれる。

 「門」であれば、妻の罪悪感である。

奥さんの罪悪感は、旦那へ浸透していく。

 「それから」であれば、主人公自身の罪悪感である。

 「こころ」の中で罪悪を感じているのは「先生」だけである。

 もしかすると先生の奥さんは、自身の母親から示唆されて、「K」に接近して、煮え切らない態度を取る先生に嫉妬心起こさせて、婚姻の申込を急がせたのかもしれない。

 そうであれば、お嬢さんであった先生の奥さんは、自身の母親の指導に基づいて行動したのであるから、もともと「K」に対しては単なる見せかけの好意でしかしかなかったのだから罪悪感が起こる原因にもならない。

 お嬢さん(先生の奥さん)が、婚約前に、「K」に対して、こんな感情を持ってたと考えれば、罪悪感は湧くわけがないと考える。

 「K」は夢想家で、バカな男であるという感情

 自死の原因が、恋の破局ではなくて自身の前途に悲観した

 と思っていたら・・・こんな男に引っかからなくて良かったと思っていた可能性はある。

  罪悪感を持っているのは、自殺した(自殺をしようといしてる)先生だけである。

  罪悪感の原因は、「先生」の下宿時代に自殺した先生の友人の「K」の存在である。

  K」とは、「先生」とは、同郷であり、小さいころからの友であった。

  同じ中学に通い、同じように帝都での学生生活を送っていた友人である

  K」は、裕福な寺の次男坊であり、嘱望されて医者の家に養子になっていた。

  養家では、医者を継ぐ者として、帝国大学へ入学させた。

  しかし、医学部には進まず、勝手に文学部系に進んでしまう。

  そうして、盆暮れに帰郷をせず、養家をだましていた。

  しかし、「悪事千里を走る」の例えではないが、養家には、その事は露見した。

  そうして、養家からは離縁され、学費を、実家が弁償することになる。

  そうして、実家に復籍したが、実家からは、勘当されて放逐される。

  当然の様に、学費、下宿代に困窮した。

  K」は、夜学校の先生を務め、前向きに生きている。

  「先生」は、「K」の窮状を見かねて、自分の住んでいる下宿を周旋する。

  はっきりとは書いていないが、「先生」は、下宿代を負担していたのではなかろうか。

  その「K」は、下宿先の「お嬢さん(後の先生の奥さん)」に、恋心を描き、婚姻したいとさえ思っていた。

 そうしてその感情を、「先生」にうち明ける。

しかし、「k」は、下宿先の主人である「戦争未亡人である奥さん(お譲さんの母親)」には打ち明けられない。

打ち明けたときに、「K」は、先生が助力をしてくれるという甘い考えがあったかもしれない。

先生の感情は、「K」の助成を喜ばない、又、助ける気もない。

ここで、小さな嫌がらせを考える。

「K」に絶望感を与えてやろうという悪意である

  すると、「先生」は、あまり生け花も、お琴も上手ではない「お嬢さん」を、戦争未亡人の奥さんに「嫁にください」と申し込む。

  奥さんは、婚姻を許諾する。

  すると、下宿で隣の部屋に住んでいた「K」は自殺する。

 その自殺体を、「先生」は発見するのである。

 先生が、自殺体を発見したことで、「K」への嫌がらせが失敗に終わったことに気が付く。

自殺体を発見したときに、「先生」は、自死の原因を、自分の行為だと考えるのである。

 根本には、「まさか死ぬとは思わなかった」という感情があるのではないか?

そうして、「K」から重い呪いをかけられ他事に気が付いたのである。

20170925初出

20170926補足訂正

20200119 加筆

 

All rights reserved,The competent court for
copyright is the Nagoya High Court.

無断転用禁止,

著作権に関する管轄裁判所は、名古屋高等裁判所とする。

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漱石 夏目金之助 著 「こころ」について 考察1

教科書に、漱石夏目金之助著述の「こころ」という作品が載っていることが多い。

原題は、「心 先生の遺書」であった。

元々は、朝日新聞に、漱石が新聞に連載した、新聞小説である。

当時、夏目金之助氏は、朝日新聞社の社員であった(当時は、そのような専属契約が普通であった。)

 後年の諸説はあるが、当初の考えでは、漱石夏目金之助は、「こころ」を主題にした複数の短編を書いて、それを後日「心」という題で、短編集として出版する予定であった。

 「先生の遺書」も、当初は短編として書く予定であったが、朝日新聞の新聞小説という体(てい)取った結果、「先生の遺書」が長編となってしまった。

 「先生の遺書」一編を、三部構成として、題名は『心』と元のままにしておいたとの事である。

 岩波単行本の序文に記されている。

以下の通り(読み仮名は、小生が添付)

「「心」(「こころ」)

心」は大正三年四月から八月にわたつて東京大阪両朝日へ同時に掲載された小説である。
 
 当時の予告には数種の短篇を合してそれに『心』といふ標題を冠(かんせ)らせる積(つもり)だと読者に断わつたのであるが、其(その)短篇の第一に当る『先生の遺書』を書き込んで行くうちに、予想通り早く片が付かない事を発見したので、とう/\その一篇丈(だけ)を単行本に纏(まと)めて公けにする方針に模様がへをした。
 
 然(しか)し此(この)「先生の遺書」も自から独立したやうな又関係の深いやうな三個の姉妹篇から組み立てられてゐる以上、私はそれを「先生と私」、「両親と私」、「先生と遺書」とに区別して、全体に「心」といふ見出しを付けて差支(さしつかえ)ないやうに思つたので、題は元の儘(まま)にして置いた。たゞ中味を上中下に仕切つた丈(だけ)が、新聞に出た時との相違である。
 
 装幀の事は今迄専門家にばかり依頼してゐたのだが、今度はふとした動機から自分で遣(や)つて見る気になつて、箱、表紙、見返し、扉及び奥附の模様及び題字、朱印、検印ともに、悉(ことごと)く自分で考案して自分で描いた。
 
 木版の刻は伊上凡骨氏を煩(わずら)はした。夫(それ)から校正には岩波茂雄君の手を借りた。両君の好意を感謝する。

 

大正三年九月」

 

悪く言えば、短編三部作と考えれば、それほど嫌な作品ではない。

「門」、「それから」も関連があると考える向きがるが、「こころ」は、別枠感がある。

形式的には、秘密のある夫婦、それを見る他者の目、これは、「門」でも同じある

つまり、「門」「それから」には、夫婦の間の共通の「罪悪感がある」

しかし、「こころ」にはそれがない。

先生の奥さんには、罪悪感は、微塵も感じられない。

罪悪感を持っているのは。自殺した(自殺をしようといしてる)先生だけである。

「先生と私」「両親と私」には、主人公の私が出てくる。

しかし、「先生と遺書」には主人公の私は出てこない。

終わりは、先生の遺書で終わるのである。

「両親と私」の最後には、遺書を受け取り三等客車の汽車に乗ったとある。

本来的には、先生と遺書に何か書くべきであったと思うが、記載はなく、何とも尻切れトンボ感がある。

本文は以下の通りである。

「私は停車場の壁へ紙片(かみきれ)を宛てがって、その上から鉛筆で母と兄あてで手紙を書いた。 

 手紙はごく簡単なものであったが、断らないで走るよりまだ増しだろうと思って、それを急いで宅(うち)へ届けるように車夫(しゃふ)に頼んだ。

 そうして思い切った勢いで東京行きの汽車に飛び乗ってしまった。私はごうごう鳴る三等列車の中で、また袂(たもと)から先生の手紙を出して、ようやく始めからしまいまで眼を通した。」

 この文で、「両親と私」は終わり、「先生と遺書」が始まる。

 先生と遺書は、いわゆる「懺悔」というか「告解」をしている様に見える。

 しかし、私に対する「懺悔」「告解」であるとすると、いずれも、仏、神、大師、神父の前で、許しを乞うているわけではない点から、救いはない。

 救いを求めていないと考えれば、罰を受けなければならないと考えていたとう推論は成り立つ。

 罪悪感が大きくなり、救いを求めるようになったのかもしれない。

 救いを求めるためには、罪を受けなければならいという気持ちがある。

 罪を償わなければ、仏の救済はないと考えるのは、明治の人間にとっては普通の事であった。

 先生は、自殺によって救われたのであろうか。

 小説中に、先生の年齢は出てこないが、30歳前後であろう。

 奥さんは、それよりも若い。

 私は、二十歳前後であろう(旧制高校を出てからの大学生と考えればである)。

 ある大学の先生が、「先生」の奥さんを、主人公の「わたし」、貰った(結婚をした)のではないかという推論を立てていた。

 私が、この作品を通読したときには、何となく、主人公の「わたし」と先生の「おくさん」は徒(ただ)ならぬ関係を持ったように感じたことはある。

 それは、肉体的な姦通ではなくて、精神的な姦通とでもいうべき状態ではある。

 そこで、私が、東京に着いたときに、先生が亡くなっていた場合に、「おくさん」は、誰を頼るのか?

 そう考えれば、その時点で近しかった主人公の「わたし」は、良き相談相手になったかもしれない。

 しかし、若い男にそれほどの信服を寄せるかという点だけを取らまえれば、問題があると思う。

 しかし、時は、明治の末年である。

 男尊女卑の精神の色濃かった点を考えれば、手近な主人公の「わたし」を頼りにする可能性はある。

 それに、「先生」の罪悪感の源泉であった「K」の自殺。

 これは、もともとは「先生」が、親から勘当されて困っていた「K」を自身の下宿に連れて来た事から始まるのである。

 そこには、下宿の女主人と、その娘「お嬢さん」がいいた。

 帝国大学の生徒であった「先生」は、今は先生の奥さんである下宿先の「お譲さん」を、琴、生け花の下手な女性」と捉えていた。

 この「お譲さん」(後年の先生の奥さん)は、毎日、先生の部屋に、下手な生け花を飾っていた。

 この時点で、先生は、「お譲さん」にどれほどの好意を寄せていたのか判然としない。

 しかし、下宿先の「戦争未亡人」(おくさんのお母さん)は、当時の超エリートとでもいうような帝大生である「先生」に娘(」おじょうさん)を、財産目当てで嫁がせようとしていると疑っている。

 小説の文中では「お嬢さん」の底意も見えない。

 そこへ、「先生」が連れて来た、親に勘当されて学費もままならない寺の小倅である「K」が、「お嬢さん」を好きになる。

 そうして「お嬢さん」と結婚したいとまで考える。

 その事を、「先生」に伝えた。

 しかし、「お譲さん」の事を考えて煩悶する「K」は、苦しい現実がある。

 養家には嘘を言って、文科へ入学していた。

(本当は、医科へ入学しなければならなかった。)

 それがバレて、養家からは離縁され、実家から勘当されている。

 養家からは、実家の寺へ莫大な養育費、学費の返済を請求されている。

 その点を鑑みれば、天涯孤独であり、徒手空拳である。

 もし、下宿のお嬢さん婚姻を成したとしても、新生活を営むべき金はない。

 学費さえままならない。

 学費を、生活費を稼ぐために、夜学校の教師をしている。

 そうして、昼間は通学している。

 このような状況下にあるKは、「戦争未亡人のお母さん」へ結婚したいという事を切り出せない。

 でもよく考えれば、先生の世話で、「先生の下宿」に、転がり込んだ「K」は、「戦争未亡人の妻」から見て、ひとり娘の夫して見たときに、「夫君として、ふさわし」と思えるか。

 「戦争未亡人の奥さん」から見れば、自分お一人娘が、結婚しても苦労することは目に見えている点から、自分の娘を、「K夫人」とすることに同意したかといえば、答えは「否」であろう。

 親から勘当を受けて無一文に近い帝大生「K」と、親の財産が潤沢にあり面倒な係累もなさそうな帝大生「先生」を比較検討した場合どのような結論を下すのか?

今の時代であれば、「お嬢さん」の意向は大いに尊重されるべきとの意見もまかり通るかもしれないが、時は明治末年である。

 その点を十分承知していていたからこそ、「K」は、煩悶していたのだと思う。

 明治25年、北村透谷は、「女学雑誌」に 恋愛至上論とでもいうべき評論「厭世詩家と女性」を発表している。

 これは、キリスト教的思想と、西洋の一部の先鋭的な考えを、西洋全般の男女の思想、行動様式と誤認して書かれた「近代的な恋愛観」である。

 翻ってみれば、西洋で、特に欧州においては、自由恋愛が主流であったとは言えない。

 西洋といっても、米国と欧州では根本的な家族の形成方法に、差異がありました。

 それは、江戸時代から近代でも日常的にあったであろう、「好きなもの同士が結婚する」という事象にお墨付きを与えたに過ぎない。 

 大家の商家の子供は、親の決めた、伝統的に決まった筋から婚姻の相手を居探す。

 武家であれば、それぞれの家の格式等から選ぶのである。

 農村部でも、ある程度の農民であれば、見合いという名の婚姻は良く行われていた。

 それは、基本的には西洋でも同じである。

 欧州では、結婚イコール家同士の結び付という考えはどこにでもあった。

 だからこそ、國は違えども、王族同氏は、親戚という状況が起こったのである。」

 しかし、都市部では、都市部へ流入した跡継ぎではない人たちは、ある意味、故郷からは切り離された人々である。

 彼らの婚姻は、当時の言葉を借りるのであれば「野合(やごう)」と言われてさげすまれた様に、なんの係累も顧慮しない、本人同士のお互いを思う気持ち(「これを恋愛」と云うのかどうかは微妙ではあるが)を重要と考えた。

 これは、全世界的な都市部における、係累の薄い人たちの婚姻への一歩と考えた一部の人の感覚であったと考えるのが至当であろう。

 そうして、北村透谷は、自分の思い込みを世に問うた。

 冒頭の一文は、「恋愛は人世の秘鑰(ひやく)なり(鑰は鍵の意味)」である。

 この一文は、当時の作家連中の因襲に縛られたくないと思っていた人の理論武装の根幹をなした。

 姪に手を出して、子供アまで産ませた島崎藤村に衝撃を与えたといいう。

 そうして、近代的な(西洋的な)恋愛として、いわゆる「自由恋愛至上主義」が、一部の階級で敷衍流布されていた。

 その考えは素敵であるという思いは、当時の帝国大学、女学生の間で謳歌されてもいた。

 当時の小説を読めば、女子学生のあこがれは、自由恋愛であることがよくわかる。

 しかしである。

 下宿のお嬢さんは、旧態依然とした家庭で生活していた。

 どちらかと云えば、江戸時代の延長としての「家」の感覚が見て取れる。

 「お嬢さん」が、「K」に対して「好いた」感情を持ったとしても、それを押し通するような状況ではなかった。

 まだ、「お嬢さん」が、女学校でも出て、洋装の女性と描かれていれば、「恋愛至上主義」の感化を受けたと感じる事は可能である。

 残念ながらそうではない。

 でも、「先生」は、恋愛至上主義の感化を受けている。

 「先生」は、中学の頃から、「K」には、ある意味の尊敬を持っていた。

それは、「K」について記された部分を読めばよくわかる。

「我々は実際偉くなるつもりでいたのです。

 ことにKは強かったのです。

 寺に生れた彼は、常に精進

しょうじんという言葉を使いました。

そうして彼の行為動作は悉(ことごとく)

くこの精進の一語で形容されるように、私には見えたのです。

 私は心のうちで常にKを畏敬(いけい)していました。

 Kは中学にいた頃から、宗教とか哲学とかいうむずかしい問題で、私を困らせました。

 これは彼の父の感化なのか、または自分の生れた家、すなわち寺という一種特別な建物に属する空気の影響なのか、解りません。

と もかくも彼は普通の坊さんよりははるかに坊さんらしい性格を持っていたように見受けられます。」

尊敬ではなくて、恐れのようなものを受けていたと感じるのである。

 そうして、先生にしてみれば、勘当されても、自身の道を曲げない「K」を助けようという気持ちが働く。

 これは親切心と、手元で観察をして、自身より偉くなることを監視する意味のあったのだと思う。

 途中で、勘当後に、神経衰弱に向かった「K」を見て、堕落を進めるのである。

 自分が、「K」の精神の高みに登れない点を、自身の努力ではなくて、「K」が堕落することで、同じ精神レベルになろうとする意識があったのではないか。

 丁度、シャカ族のゴーダマシッダルダの修行の邪魔をする「マーラ」のような存在である。

 考えてみれば、マーラは、仏陀の修行の邪魔をする魔王である。

 「K」は、ある意味「偉くなる」という極めて即物的な目標を持っている。

 その為には、生活、学問のすべてが、目標のための精進と考えられはしないか?

 修行僧の様な「K」の生活、それを堕落させようとする「先生」。

 しかし、「K」は、「下宿先のお嬢さん」の誘惑に負けてしまいそうである。

 マーラは、性欲の魔王でもある。

 その点を考えれば、「K」は、物理的、金銭的な点から婚姻の申込はできない。

 精神的な点で云えば、婚姻は、「偉くなるという点」での修行の妨げになる。

 大学をとりあえず卒業できれば、その先には、別の道が開けるとかんげていたのでは無かろうか?

 だからこそ、現状維持を望んで、「結婚」を申し込めなかったとも判断できる。

 「先生」には、その深い悩みは想像が出来かった、というか理解できなかったのだと思う。

 「先生」には、人の堕落を見て笑う。

 そんな卑屈な精神を感じずにはいれれない。

 「先生」は、堕落させて、精神的高みからの転落を望んでい「K」の懊悩は理解できない。

 自分が庇護しているはずの「k」が、下宿先の「お嬢さん」を奪うかもしれないかと恐れている気持ちがあった。

 人間的な優位さを「財産」に置き換えている「先生」。

 極めて、封建的である。

 近代とは、人間の精神性の向上が望まれた時代ではなかろうかと思う。

 本来の精神的な優秀さでかなわないと思っている「K」に、「お嬢さんをとられる」ことは、許しがたい敗北を得ることになることに気が付く。

 単純化してみれば、「お嬢さん」を、「K」にとられることへの反発があり、そうして、自身の精神的優位を得るために「戦争未亡人の奥さん」に、「お嬢さん」くださいと、申込むのである。

 そうして、快諾を得るのである。

 そうして、「先生」は、「K」が、落胆して思いのままないならないことを思い悩むところを見たかったのかもしれない。 

 しかし、「K」は、自殺してしまう。 

 先生にとっては、思いがけない結末であったに違ない。

 先生は、本当は、打ちひしがれて、大学を辞めることを期待したのかもしれない。

 望外の結末。

 だからこそ、先生は、想い悩むのことになる。

 「取り返しの出来ないことをしてしまった。」と感じ、いわゆる「後悔」をしたのである。

そこで、「K」の口癖である

「精神的に向上心の無いものは馬鹿だ。」

という言葉の真の意味が分かるのである。

 

 

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漱石 夏目金之助 「こころ」 考察2

「作品の構成」

 

「こころ」の三部の短編の構成は、「先生と私」「両親と私」「先生と遺書」である

 

 

「先生と私」「両親と私」の視点は、主人公の私の目である。

 

 

しかし、「先生と遺書」には、主人公であった筈の私は出てこない。

 

 

遺書だと言いつつも、先生の告白の体(てい)であるである。

 

 

懺悔とも、告解とも取れない、救いを求めている節(ふし)がない。

 

 

「こころ」は、この先生の遺書で終わるのである。

 

 

主人公の気持ち、行動が現れるのは、第2部の「両親と私」までである。

 

しかも、感情の発露はない。

 

主人公の私が、遺書を受け取り三等客車の汽車に乗ったとある。

 

先生の遺書を受け取り、すべてを投げ捨てて「先生のもとに駆け付ける」という行動の発露は、強い意志を感じるが、止めに行きたいのか、事後の面倒を見に行きたいのか、それはわからない。

 

もうよくもって、23日の親の危篤を見捨ててまで行くようなことか?という気がする。

 

このことで、主人公の「私」と家族の関係は悪くなることは明白である。

 

手紙を書いて、車夫に渡して、家に持っていってもらうようにした、とある。

 

この時代、家父である父親の臨終の待たずに、よくわからない「先生」のために東京へ帰る心持は、誰にも理解されないであろうことは理解されるべきである。

 

東京へ戻る(帰るのではない。)理由としては希薄である。

 

しかし、先生への関心というよりも、先生の奥さんへの関心と、先生の死の後始末をすることを目的として、戻ると考えるのは至当ではないかと思う。

 

 

 

本来的には、「先生と遺書」の後に、先生は自殺して、残された「奥さん」に何か書くべきであったと思うが、記載はなく、何とも尻切れトンボ感がある。

 

 

 

若い頃に読んだときに、この話の結末には何か納得ができない感じがした。

 

 

 

「いわゆるこれで終わり?」という感じである。

 

 

 

「両親と私」の最後の本文は以下の通りである。

 

 

 

「私は停車場の壁へ紙片(かみきれ)を宛てがって、その上から鉛筆で母と兄あてで手紙を書いた。

 

 

 

 手紙はごく簡単なものであったが、断らないで走るよりまだ増しだろうと思って、それを急いで宅(うち)へ届けるように車夫(しゃふ)に頼んだ。

 

 

 そうして思い切った勢いで東京行きの汽車に飛び乗ってしまった。私はごうごう鳴る三等列車の中で、また袂(たもと)から先生の手紙を出して、ようやく始めからしまいまで眼を通した。」

この文で、「両親と私」は終わったのである。

 

 

「先生と私」

 

「先生と私」には、鎌倉での先生との出会、なぜ、「先生」の本宅へ伺う気になったのかが事と細やかに書かれている。

 

 

最初の訪問で、先生は不在、その外出先を「美しい奥さん」に教えてもらう。

 

そうして、先生とは墓地の近くで逢うことができた。

 

しかし、「先生」に近づいて、だしぬけに「先生」と声を掛けると

 

 

文中はでは、以下の様に「先生」異様な反応をする。

 

 

先生は、突然立ち留まって私の顔を見た。

 

 「どうして……、どうして……」

 

先生は同じ言葉を二編(にへん)繰り返した。その言葉は森閑(しんかん)とした昼の中に異様な調子をもって繰り返された。私は急に何とも応えられなくなった。

 

「私の後をつけて来たのですか。どうして……」先生の態度はむしろ落ち付いていた。

 

 声はむしろ沈んでいた。けれどもその表情の中には判然(はっきり)いえないような一種の曇りがあった。

 

私は、私がどうしてここへ来たかを先生に話した。

 

 「誰の墓へ参りに行ったか、妻(さい)がその人の名をいいましたか」

 

 「いいえ、そんな事は何もおっしゃいません」

 

 「そうですか。――そう、それはいうはずがありませんね、始めて会ったあなたに。いう必要がないんだから」

 

その時の先生の表情は、後に語られる。

 

「落ち付いていた。けれども時として変な曇りがその顔を横切る事があった。窓に黒い鳥影が射すように。射すかと思うと、すぐ消えるには消えたが。

 

私が始めてその曇りを先生の眉間に認めたのは雑司が谷の墓地で、不意に先生を呼び掛けた時であった。」

 

眉間に暗い曇りを見せた理由は、他者への、秘密の暴露を恐れてれているような風であろう。

そうして墓地中を歩きながら私は、「先生」に、

 

「先生のお宅の墓地はあすこにあるんですか」と私がまた口を利き出した。

 

「いいえ」

 

「どなたのお墓があるんですか。――ご親類のお墓ですか」

 

「いいえ」

先生はこれ以外に何も答えなかった。私もその話はそれぎりにして切り上げた。すると一町(いっちょ)ほど歩いた後で、先生が不意にそこへ戻って来た。

 

 「あすこには私の友達の墓があるんです」

 

「お友達のお墓へ毎月(まいげつ)お参りをなさるんですか」

 

「そうです」

 

先生はその日これ以外を語らなかった。

 

ここで、「私」は、先生の友人「K」(この時点では、名前を知らない)と邂逅したのである。

 

そうして、先生の宅に、足しげく通うになった。

しかし、「先生」の「私」への態度には親近感が増すとった感じの付き合いには発展しなかった。

 

ある時、私は、先生に、雑司が谷の墓地にあった銀杏の木を見るために、墓参のついでで、「銀杏の木を見る」散歩を追加しましょうと訴えたが、「先生」、散歩を追加することを拒絶する。

 

その拒絶は、日本の巡礼とでもいうべき伊勢参り、高野詣でがその実、観光旅行に過ぎなかったこを批判しているようにも聞こえる。

 

神聖な贖罪のための墓参には、「遊び」を加えてはならないという姿勢が明確である。

 

だいたい、「先生の奥さん:元下宿のお嬢さん」は墓参には付き合いわない。

 

この点に於いても、「奥さん:元下宿のお嬢さん」には、罪悪感はないし、かつ、「K」への贖罪の感情もないということになる。

 

 つづく

20161229

20161230 加筆 訂正

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