トヨタスポーツ交遊録 その2 U氏

色んな事を書いているが、別に憎いと思って書いてるという事はない。
どちらかと云えば、嗤って(バカにして笑う)居るのと、そう他人を思う羽目になった自身の身の上の自分を憐れんでいるという構図である。
一般的には、理解はされないと思う。
トヨタスポーツの友人は、減少を続けて、現在は、師匠、Kさん、Wさんを除いて、ツーリングに来てくれる人を除けばほとんど付き合はない。
と云うか、付き合はなくなったと云うべきである。
沢山友達が居ると思っている人もいるだろうけどの、実際、どうなのの?という気味で見ていることがある。

「低俗な人」と書いた時に、心底、「低俗な奴」だと思っている。

ある人は、本当に性格が悪かった。

「よく金持ち喧嘩せず」というが、面倒な事には関わり合いを持たないと云いう事は良いことである。

でも彼らが、「ぐっと」我慢をしているという事はあまり知らない。

この我慢は、噴出すると怖いので、とばっちりが来ない様に、そんな時は、少し離れて傍で見ている。

「低俗な知人」がいた、昔、こちらは、友人だと思っていたが、向こうは・・・下僕ぐらいにしか思っていなかった様である。このことは、後年良く判った。

よく、マウンテイングしてくる人がいる。

これは、大体、パワハラ体質である。

この低俗な知人は、「その手の人間だった」

嘘を平気でつく、よく考えれば間尺が合わない。

だが、この低俗な知人は、口下手、最初務めた建設会社では営業に行かされるのが嫌で辞めたという。そうして、営業をしなくていい、派遣会社から某官公庁の派遣されていた。

事務所では、派遣のくせに態度が横柄と云われて嫌われていた。

本人曰く、気を使って気を使っていたと云っていたが、あの性格の悪さは、すぐに表にでるらしくて、頗る、評判が悪かった。

本省の友人(超キャリア)がわざわざ来た時に、其の地区の事務所に聞いたそうであるが、

評判は悪いが、契約と、次がいないという事でそのまま使っていたそうである。

某県の赤新聞に偽装派遣とも書かれたことがある。

彼の夢は、定年退職後は、設計管理の仕事を自宅(超田舎)で開こうと思うと云っていた。

しかし、あの性格で、営業ができない奴に、誰がそんなの仕事を持ってくるのか見たかった。

営業が出来なというか、基本的な会話ができない。

当然、施設を借りる場合は、手もみでもしながら、頭を擦り付けてお願いするものである(ちょっと言い過ぎ・・)。

また開館して間がない、ある博物館へ会場を借りるために居お伺いしたとき。

こちらは、一生懸命にヨイショした。

営業の経験も短いけれどあったからね。

向こう様が、手探り状態だった点もあり、検討する時間が欲しいと言われて、こちらはドキドキしながら回答を待つ事になった。

会談後、あそこまで胡麻を擦る必要があったのか?というようなことを、ほざいたのである。

この時は、本当に頭にきた。

だが実利があったので付き合っていた。

(イベント開催を手伝った効能は、後に、CG CLUB中部支部を復活させるときに役立ったから、プラスマイナスゼロだと思っている。)

基本的な姿勢は、其の頃、初心者だったからパスファインダーが必要だったという事である。

だが、段々、鼻についてきた。

自称、金に奇麗な男という事であったが、実際は、自分に甘く、他人に厳しいという人物であった。

やり手の営業に多い、金離れが、異様にいい人がいる。

営業は基本、金まいて幾らという面があるから、金を撒く、そうして営業成績が上がると、歩合給で返って来るという循環システムがある。

営業部に居たころ、設計担当で、簡単な設計を正式な図面に起こす仕事をしていた。

ラフ図は、最初、先輩の書いたものを直していたが、そのうち営業について行くようなった。

ナンバーワンという人が良く色んなところは連れて行ってくれた。

見ていると、相手の機微をつかむのが上手かった。

その人が、設計辞めて、営業に来いと言ってくれたが、結局、全然別の仕事に従事することになったが、その時、米国へ行ったのだが、現地で
思ったことは、意思表示ははっきりと。

意見を云わないのは、死んでいるのと同じという事である。

うちは、きちんと意見を言いなさい、人の為になることをしなさいというのが、家訓である。外国を旅行した時も、感じた事であるが、何か言わないと、存在しないのと同じという認識がより現実化したという事である。

ナンバーワンの営業の人は、面会を強要したりしなかった。

最近、直ぐに、面と面を合わせた方が、話がよく通じると云って面会を強要する旧世代の人物がいる。

飲みにケーションがないと、人は理解できないという。

実際は、飲みにケーションで、マウンテイングして、自分のいう事を聞く奴かどうかを見極めているだけである。

(飲み会に一切いかないのは、そういった集団から省かれても仕方がないのである。)

まぁ、他人が出す金は、平気で受け取るが、自分が出すのは、舌を出すのも嫌というタイプである。

結局、身勝手、自己中心的、根性が悪い、嘘を平気でついて、嘘に嘘を重ねる生活になる。

もう10年以上お付きはないが、50周年の時には来ていたのを見た。

キャップの帽子が、ハンチングに替わって、強度のザビエルハゲで、髪は真っ白だった。

老けていた。

現在は、何も発信していなないので、トヨタスポーツの世代的には、ひと昔の人である。

車のお付きがどうなっているのかは、知りもしないが、ちょっと寂しそうにも見えた。

食事の時に、誰も誘ってくれる人はいなかったのか、一人で背中を丸めて食っていた。

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お財布くん、トヨタスポーツ交遊録?

あるツーリングの夜の宴会途中、仮名「買春さん」の携帯電話が鳴った。

すると、そそくさと、電話に出た。

隅でごそごそ話をしていた。

みんな聞き耳を立てている。

断片的に聞こえてくるのは、「今日はダメ」、「ツーリング」、「男しかいない」「ほかの女じゃない」「明日ならいいけど夕方…」なんて言葉が漏れ聞こえてくる。

年かさの人が、揶揄するように

「なんだ、おんなか?」

と云うと、みんなが、奥さんに言うぞとはやし立てた。

すると、こんなことをゲロッた。

テレホンクラブで知り合った女で、金銭交渉をして何回か、ある行為(Hだね)を、継続的にしている相手ということであった。

最後の付け加えは、最近は金払ってないよという言い草だった。

この頃まだ、金回りは良かったころだった。

漫画に出てくる、絵にかいたようなエロ親父だった。

言いぐさがすごかった。

「一回やったら気に入れれてさぁ・・・」と吹聴したが、実際は、お財布くんという立ち位置だったようである。

(後日、聞くと、金が掛かってしょうがないから、別れたと云っていた・・・)

ある時のツーリングで、参加者の内縁の奥さんが来ていた。

その内縁の奥さんが気に入ると、やたらとモーションを掛けていた。

自分がマークⅡだかなんかを買った販売店の姉ちゃんも誘う誘う。

その販売店の誰誰と誰誰が同じ日に休んでいると、どうせヤッテンダわ・・という。

まぁ、聴けば、気に入った女とみればとにかく、ヤリタイというタイプだった。

とにかく、収入額の一定金額を奥さんに渡せば全部小遣いという人であった。

金遣いが、荒いなんてものではなかった。

話半分で聞いていても、毎月いくら使っているんだというレベルだった。

サラリーマンには絶対に無理という金遣いの荒さだった。

家に帰らないこともざらで、納期の関係で、夜中まで仕事してるとか平気で嘘を言って遊んでいた。

内容は、酒を飲んでいたり、酒を飲んだ先の女で買っていたりした。

まぁ、聞いていて、信じられないような金使いの荒さだったが、そんな活動もバブルが崩壊して数年たつと、急速にしぼんでいった。

その直前には、レストレーションをやりたいと云っていた。

板金屋のおやじを紹介してやると、長いことは話をしていた。

金銭お話は、こちらが口を挟むべきことではないので、遠くから眺めていた。

実際は、レスとレーションなどという道楽ができるわけもなかった。

収入は、日給3万円ぐらいのレベルから、三分の1まで下がった。

月収云十万円以上だったのが、急減した。

3分の1以下になったのだろう、数年後には、他人をバカにする対象だったサラリーマンになった。

しかし、金遣いの荒いという病気は治らず、当然の様に、一獲千金を狙いだす。

パーツを作って売って見たりしてももうからない。

ほんの偶然車の仲介をしたら、思わぬ金が手に入った。

すると、怪し商売に手を出すようになっていった。

こんなのことも云っていた。

旧車のパーツを安いうちに買い占めて転売することがいいとか言いだした。

関東の方の人でそう云ったことを生業にしている人の意見を、延々と披歴することもあった。

次は、プラモデルの転売といっていた・・これには笑ってしまったけどね。

其の頃から急速に疎遠になった。

だって、素人ブローカーなんて危険だもの。

イベントには来るが、特に仲が良いわけでもなくなっていたのでな、会話も減った。

聞けば、車調子が悪いが直す金がないという事だった。

貧すれば窮するを地で行く経路だった。

金がなければ、修理もできない。

全部自分でやる気になる。

場所、道具はない。

そこで、ふと思いついたんだろう。

以前、修理を頼んでいた工場は暇そうだから工場を借りても文句は言いわないだろう。

ここで、場所を借りたい、道具も借りたい、一日いくらいくらで貸してほしいと云えば、工場の一日の収入に近ければ、あまり問題はないと思う。

しかし、そんなことも云わなかった。

付き合いのあった自動車修理工場に対しては、昔、さんざん金を使ったことを嵩に着て、場所、道具を散々借りた。

最初は、手伝ってもらっても、その場所代、工賃代金さえ自主的に払おうとしなかった、聴きもしなかったという。

其の自動車修理工場は、ほとんど客が来ないから工場は空いてるから使わせてもらっていると云っていた。

そのうち、貸してくれなくなると、昔、沢山金を払ったのに貸してくれないという

この本人の理論は、「昔世話をした相手は、自分が没落したから、無制限に自分を助けるのは当然の義務」と考えている節があった。

お店側としては、「昔、仕事の対価で金をもらったお客さんの一人」→「最近は、金になる仕事は持ってこない。それどころか、工場、道具をタダで借りていきやがる。場所代、工具使用料さえ払わねえ、金にならない奴に使わせてもメリットがない」→「図に乗ってる次来たら断るか」という感覚があったであろうことは想像に難くない。

あとから、同じ地域に住んでいる人から聞いたのは、自動車屋に随分と不義理をしているという事だった。

この当時、最初タダで借りて作業をさせてもらったが、「場所代、工具使用代をお礼と云って払った方が無難ではないか?」といったが、

金に困っている奴には、そんな言葉に対しては聞く耳を持たない風だった。

結局、なんかい回目かのエンジン脱着後は、使用を断られたそうである。

修理工場のおっさんが、断ってきた理由が、ただで貸しているのを、奥さんから批判されてという云い訳を云っていたと云っていたが、実際は判りはしない。

結局、乗用車は次が買えなくなり、販売店とは縁が切れた。

業務用の車は、勤務先譲渡(借金の肩代わりをしてもらった)した。

他は、奥さんの足車しかなくて、ヨタで通勤をする始末である。

また持病で何回も入院して、結局は、サラリーマンも辞めて欲しいと云われてご退職したようである。

そうして、金に困って車は売った。

売った時に、買い戻すからと云っていたらしいが、車を借金のカタ借りたなら、金を返せば、車は帰ってくるかもしれない。

でも、いったん手放したら、それは、買い戻すなんて口約束はどこ吹く風である。

あとから、しきりに買い戻すともりだったと言い続けているの聞いて、情けねぇやろだなぁと思うだけである。

先日、彼の住んでいる市域の地図を見ることがあった。

ある地点から、道路沿いの物件を見て確認していくという、暇なじゃないとやらないことをやっていた時、ふと、彼の家はどこだったかなぁと思った。

某市では幹線通り沿いだったなぁと思いつつ探したが思い出せず・・・・

別件の主たる用務が済んだ後で眺めていると、彼の家の裏をあるものが通っていたことを思い出したので、線路と小川を目印に探したら、2分ぐらいで発見

まだ表示は彼の名前だったので生きてはいるのだろう。

そうそう、彼の親は、なんかの互助会の勧誘員をしていたのであるが、初めて訪れた時に、いきなり「○○の互助会入ってない?」「入っいていないなら加入してよ」と云って来た・・・

これは、実際、私の初印象を悪くした。

何となく、警戒する気持ちがあった。

お財布くんだったときは、金があったから、車でも、車のパーツでもいくらでも買えたのだと思う。

 

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昔の事など

先日、ド初期のU型エンジンのシリンダーを探してガレージの掃除を始めたら、等間隔で穴の開いたステンレスの細長くて薄いものが出てきた。

一瞬、なんじゃこれはと思った

そうして、ふと思い出した。

あー複製のパーツね・・・

である。

車を買った頃は、いわゆる車関係のお友達が一気に増えた・・・という勘違いをしていた。

今から考えると、知り合い程度の部類で、「友達だったんか?あいつ」というレベルの人間が多数を占めた。

ある知人は、それこそお友達が持っているカタログを握り締めて、これ俺の年式だからタダで欲しい、○○君のはこの年式だから、これもらえばいいじゃん。

と勝手に決めた。

理由がすごかった、「自分の年式のカタログだからこれは自分がもらうのが当然、この車に乗ってるんだから相手は渡すのが当然・・・」はっきり言えば、そこまで仲が良かったとも思えない二のその言いぐさである。

当然の様に拒否されて、あえなく沈没

この人、手に入れたら大切にするかと云えば、そんなことはみじんもない。

100%大切いするなんてことはない。

手に入れることが目的

手に入れたら、扱いは最低になるのは、目に見えている。

車持ってるて云いながら、車を一時期頻々と変えていたことを知っているので、死ぬまで持っているような雰囲気はない。

たまたま金があったからその手の車を買い、金がなくなったら手放す・・・当然の結末である。

ある時、人からもらったものは大切にしない。

金出したものは、大切にする、そう、そこに気が付いた時点で、大っ嫌いになった。

まぁ、当時、某業界の一人親方だから働けば、働くほどもうかったから金遣いは、ものすごく荒かった。

夜中まで飲んで、翌朝、酒臭い息をまき散らしながら日帰りツーリングに来るなんてザラだった。

今なら完全にアウトな人だった。

良く女も買っていたようで、電話で知り合った女とツーリングの泊りの時にも話し込むような手合いだった。

最初は金があったから何でもお任せだったが、仕事が少なくなると、貧すれば窮するで、修理工場をタダで借りて修理をする。

言いぐさがすごかった、前に散々金使ってやったんだからちょっとぐらいタダで使わせるのは当然だろうと・・・

間違っていてると思ったが、その時は相槌を打っていたが、非常識な野郎だなと思った。

修理工場の場所と機材を使って全く金を落とさないなのだから、その内断られると思ったら、案の定断られた。

それで、自分勝手な理論で、修理工場を非難しまくていた。

ある時、中古のパプリカのミッションを、おねだりをしたら、某君がくれたかと吹聴したので、その時に所属していたクラブの会長が、激怒した。

おねだりして、ミッションをもらうなんて言語道断だとという事である。

私も同じくクラブ員として、人からパーツをタカルとは何となく許せないものを感じていた。

その前に、インナードアロック(原価1本5000円)を渡してその代金を請求したら「金取るの?」と云われたので、こちらが原価5000円で作ったパーツを、なんでタダでやらなければいけないと思った。

其の頃、私は、シートベルトアンカーや、インナードアロック、トーションバーなどのパーツを作っていた。

彼はその後、パーツを作って一山儲けたいモードになっていた。

儲からないと云っても、単価的に高くていいと思ったのだろう。

工業製品として最低ロッドという考えも、知識もないような人だったので、珍妙なパーツを作ろうとか空想を良く語っていた。

ABSの専用パーツを作ったら売れるかなと云いながら、金型代の単価、成型時の費用(原料代、抜き代は全部無視して、1台分5万ぐらいで作れないなぁ・・・と、妄言を良くはいていた。

ヨタのパーツを作っても所詮は3000台レベルの生産台数しかなかったクルマなので、需要が極めて少ない。

数が出ない、単価が上がる、ヨタのオーナー買わないという悪循環で、パーツなんか売れない。

結局、最初に書いた、板状のパーツ、ルーフのサイドゴム押さえのL字の金属板を作ったのは聞いた。

このパーツの欠品が多いと云って、ダダの板にあな開けたものを作っていた。

このパーツをいくらかで売っていた。

ある自動車の集まりに売っているのを見た。

すると、このパーツをあげると云われた

ありがたく頂戴したが、くれる時に、金い要らんからとい云われたが、金だ出して買うような出来ではないと思ったので、売りものをもらうのは悪いから、というと、世話になったからと云いながら、「ただで、やると云われた」が、押しつけがましくて鬱っとおしいと思った。

僕らが、エンジンのオーバーホールやっているのを見て、金がかからんなら自分でやる気になったようで、自動車の修理の知識は皆無の状態で、エンジンオーバーホール、デフの修理と云うか交換・・さんざんやっていた。

知り合いの元整備士の指導を仰いでいたけれども、整備士の教育を受けたけどいい加減な人の指導で、いい加減な奴が組むだから、結局、素人の悲しさで修理を繰りかえすことになる。

金がなくなるおと同時に、闇ブローカーも始めていた。

チンピラの暴走族ぐらいしか買わないような車を仕入れては転売してた。

また、ある時、彼の友人が、旧いワンオーナーのカローラを手に入れて、転売した。

その仲介をして、何万円だかの金をもらったのが、闇ブローカーへの道だった

付き合いがなくなって数年後、結局、金に困って車を売り飛ばしたと聞いた。

その時はデフが轟音を立てていたという事である。

彼が、金持ちだったころは、30年ぐらいである。

バブルが終わったけど、その余波がまだ個人に及んでいない頃、住宅着工件数はうなぎのぼりだったころだから、日給が、3万から4万円の間ぐらいだったと聞いていた。

友人によれば、月収が60万から80万円近くあったらしい。

生活費20万円、奥さんに渡してあとは全部使っていたと云うのだからすさまじい。

でも、そんな美味しい時代は、5年も、もたなかった、人生のスパンで見れば、すぐに過ぎさった。

ある工法の資格を持っていたので、一人親方が廃業して給与取りになった。

給与取になるとき、収入が半分になるけど、安定するからと云っていた。

業務用のハイエースも買い取ってもらったと云っていた。

半分て幾らなのと聞くと、30万円という。

という事は、全部こみこみの親方時代は、60万円以上の収入があったとこことだと想像して驚いていたら、別の友人から、月収80万ぐらいあったはずと聞いてのけ反った。

まぁ、一人親方を止めた理由が、確か、病気になったからである

病気はいわゆる治らない系の病気である。

金がなくなると、通勤用の車が旧車になる・・・旧車で通勤・・・最初は、ものすごく程度の良い車、剛性感あふれる車体だったけれども、5年ぐらい後で運転したら、剛性間ゼロのくたくたの車になっていた。

ワイドタイヤをはいたり、足周りには負担をかけまくり、山道をがんがん攻めていた。

車体剛性は、すさまじい勢いで落ちていった。

まぁ、消費しつくしたんだよねという感じである。

まぁ仲の良かったころに電話をすると、奥さんも愛想は良かったが、疎遠になると、態度が豹変したのも懐かしいねぇと思う。

今どうしているのか知らないが、50周年時には、東洋コルクの車に乗っていたなぁという記憶があるだけである。

もらったプレートを見て、そんことを、ふと思いだした。

まだ生きてるのかしらん?

 

 

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三重苦は?

かの三重苦はどうしているのかと思う。
某友人だった三重苦の縁が切れて15年以上がたった。

日、友人(模型のね)の年末恒例のご飯食べ会で、最近どうしてんだあのハゲという話になった。
久々に、ブログを見てみた。
(携帯の電源切れそうでひやひやしてましたが・・・)

どうも、両親ともに亡くなった様である。
とうとう、一人になったらしい(兄妹がいるからまだいいかもしれないが・・・)。

車、模型でのお付き合いのあっところ、天涯孤独にあったらどうするのか聞いたことがある。
その時の回答が、「覚悟しておる」と殊勝なことを云っていたなぁと。
という事は、来年の合同展示会とか、某Z自動車の集まりに参加するとい事かなと思う(w)

金がないから、Z自動車はどうかなと思うが、完全一人もんなら、出るかなと思う?が、でも、この会の人たちに嘘ばかリ云っていたことはばれている。
バレていると気が付いてないと思えば正々堂々と行くのであろう・・・
嘘の嘘を塗り固めて話をするんだろうな。
・・・彼のファッションセンスは、土建の小金持ちのおやじである。
通常は、ジーパンのおっさんだったが、某Zデザインの車に乗る時は、本革が痛む?ので、その時だけはジーパンは履かない。

ジーパンしか履いてなかった人が、偉そうに滔々とそのことを話し出したことには笑ってしまった。

ジーパンは履かないけれど、スラックスになったけど、見た感じは、珍奇な服装だった。
洗練はされていない・・・。

いつからか、小かばんを持ち歩いていたが邪魔じゃないのかねぇと思っていたが・・一応、「おされ(オシャレ)なおじさん」の必須アイテムだと思っていたようである。

Z会の仲間内で彼のついていた嘘は、すでにバレている。

そのことさえ気が付いてないかもしれない。

中古で買ったことが恥ずかしいのか?

なんで、新車当時買ったなんて嘘をなんでつくのは判らない。

新車と中古で買った時期には、数年の差があるのだが、嘘で塗り固める途中で、時間御整合性を考えずに、箔着けのつもりで、実話を挿入なんかするから時間に整合性がなくなってくる。

実話なんか挿入するからバレルだろうと思うが、話した相手を舐めてるのか、ばれてしまう嘘を垂れ流す。

コイツは、ウソがばれているという事には、意外と気が付いていない可能性が高い。

だって、馬鹿だもん。

基本は、自分だけ頭いいと思ってるから仕方ないよね。

まぁ、犬と寂しい正月でも送ってくれと思う。

そう考えていると、形ばかりの家族がいる事でも多少は心の平安があると思う今日この頃である。

子供に学費をむしられても仕方がないかなと思う。

ある意味生きている証拠の様な気もする。

(先日、模型も、買わされましたが・・・)

先人は、こんな言葉を残している

「あー寒いほど一人だ」

「咳をしても一人」

寂しい言葉である。

人は生まれる時は一人という。

でも生まれた瞬間に、最低でも母親は寄り添う。

父母、祖父母もいるかもしれない。

それは幸せだろうと思う。

この間、ある女性(知人以上友達未満)と話をしていたら、

「子供作ったら大変じゃない?」

と言われた

「なんで?」

と聞くと

「子育て大変じゃない」

「まぁそうだけどね」

「あなたのところ、もう大きいからいいかも知れないけど?」

「小さいころ大変だったでしょ?」

と・・・まぁ、こんなことを云われた。

大変だったとは思うけれど、クールな自分のコピーができたとも思う。

もう少し頑張ろうねと思うけれどね。

死ぬときは・・・どうだろう。

一人で死ぬしかないと思うのは私だけだろうか?

自宅の自室で一人寂しく死のかなぁ?

死は、いつも孤独であろう。

長谷川町子さん漫画で、意地悪ばあさんだったか、よく覚えていないが、「女の一生」で、基本的に、「女は待つもの」、家族から死ぬことを「待たれるようになった」おしまい、というような記述があったが、確かにそうだとも思う。

前に書いた、ドフトェフスキーの「賭博者」に出てくる金持ちのばあさんは、遺産を狙う親戚の前で財産を蕩尽する、まるで遺産を目当てにしている将軍をあざ笑うかのようにである。

何となく、年末に暗いことを考えた。

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生きていたってなぁ・・・・

友人某は、ある時、「生きていたってなぁ」と云った。

彼とは、彼の親の転勤で、名古屋に住んでいた時に塾で知りあった。

高校ぐらいからの友人であった。

彼が、社会人になった時に、振出がこの地方で、再開して仲が良くなった。

彼は無くなる前に、両親が相次で、癌でなくなっていた。

亡くなった後の事である。

彼は、本当に天涯孤独になった。

会社も辞めていたし、先祖代々の不動産もほとんど処分して身軽になっていた。

都内のだだっ広い家に、一人で住んでいた。

本当に一人だった。

彼の血族と云える親類はどこにもいなかった。

明治大正昭和と過ぎるうちに、一族はどんどん死んでいき、財産は彼の手もとに集まった。

連れ合いを早く無くして、子供のいなかった家、結婚しなかった叔父叔母、三十人近くいた一族は一人減り二人減り

父方、母方の一族が消え去ったのは、平成の御代が15年も過ぎたころだった。

遠方の親戚を探したことがあったそうである。

なぜそんなことをしたのか、と云えば、周囲の影響だったのだと思う。

その昔、「ルーツ」という亜米利加のテレビ映画?で、黒人奴隷としてアメリカに来た人の先祖を辿るという話があった。

小説家が、自身の出身を晒(さら)すなんて小説もあったからだと思う。

まず自分の直系を追っていった。

直系が調べ終わると、親戚を調べだした。

昔は、戸籍は簡単に取れた。

祖先を探しているというと結構協力的だったそうである。

 

探すと、不思議とほとんど死に絶えていた。

墓を探しても、無縁仏になっていることが多かったという。

昔は、沢山いたであろう血族は、完全に消え去っていた。

その事実を知った時に、自分の血を分けた人がほかにいないと知った。

彼は、ぽつ入りと云ったのが「生きていたってなぁ」である。

彼自身は、偏屈な私を友達と思ってくれていた数少ない友人だった。

彼に、祖先を調べるにはどうしたらいい?と聞かれたのは、30年程前の事である。

三十年前に、明治時代の戸籍を調べ、寺の過去帳を調べて、自分の一族を探した。

もともとは、〇〇藩の出である。

明治戸籍には、士族と書いてあったそうである。

最初から、非常に困難を伴う事業であったが、5年もすると、ほぼ一族、200名ほどを調べ上げた

性能悪いPCに打ち込んでは、一覧表を作っていた。

ある時、ある事実に気が付いた。

嫁に行くと、子供ができない。

嫁ぎ先の夫が死ぬ。

夫の弟と再婚する、子供ができない。

夫の二親が死ぬ、弟の夫が死ぬ。

家が絶える。

嫁を貰う、子供は10人に一人しか成人しない。

子供のうちに、ほぼ全員が死ぬ。

昭和になると、加速度的に死んでいく。

成人した子供は、男は、戦死したり、結婚する前に死亡している。

女の子で成人した者は婚姻しても、戻されて、死んでいる。

生きていた人が居たが、彼も知っていたおばさんは、狂気の世界に住んでいた。

戦前から脳病院を住処(すみか)にして、彼の小さいころに、座敷牢に住んで奇声をあげる人だった。

ある時、彼が、大叔父の家に行くと、いつも、近づいてはいけないと言われていた離れ屋の中に誰がいるのか見てみたくなった。

怖いもの見たさで見に行くと、壁の隅から覗き込んだ。

廊下と座敷の間には格子の仕切りがあった。

何だろうと思い、よく見ると、格子の仕切りは、明治村で見た牢屋そっくりだった。

その奥には、年を取った老婆が、二百三高地結いで、黒い着物を着て座っているのが見えたそうである。

色の白い、老婆は、何かぶつぶつ言いながら、紙をちぎっていたそうである。

この老婆が、ふと顔をあげると、目線が交錯した。

すると、老婆は、「にったぁ」と笑い、

「兄さん、遊んでくださいよ」と云った

「ねぇ、○○にいさん」と云いながら、ちぎった紙を蹴散らしながら立ち上がってきた。

格子をつかむと、うつろな目で、彼の眼を見たそうである。

その時に、後ろから大叔父が彼の肩をつかんで、

「来ちゃいけないと言っただろう。」

それが聞こえたのか、老婆は、「おじい様、お兄様をぶたないで」と叫んだという

「○○兄さん」とは、大叔父の事である。

この老婆は、ほどなく亡くなり、大叔父もなくなった。

この老婆の為に、彼女の親は、莫大な財産を残していた。

皆が相続で分配を受けた。

大叔父が亡くなると、又、全員が相続の恩恵を受けた。

皆が、相続税を払ってもいくばくかの金が残るような財産だった。

結局、皆死んでいき、財産は、彼のうちに集まった。

彼は、うちの一族には、何かの罰があるのだろうと語った。

「だから、娘はひき殺され、妻はそれを気に病んで発狂して自殺した。 

 両親は、ほぼ同時に死んだ。

 どこをどう探しても、血族なんてどこにもいない。

 どう思う?」

「これでも生きている価値があると思うか?」と云われたが、さすがに返す言葉なかった。

「生きてる痕跡も残してはいけない、そう思うのだがどう思う?」

彼は、「死神を見てみたいと思う、どんな顔してくるんだろう」とも言ったが

「案外、身近にいて見て笑っているのかもしれない」と云いながら

「ものすごく悪い先祖が居て、七代祟られたかな」と云って最後は笑っていたが、

僕に向かって

「自分を悪人だと言い切るところはすごいよな、ほんとに悪いことして来たとも思えないんだけど」

「反省したら、許してくれるかな?」

僕が、「誰にたいして?」

「多分、名前の書いてない位牌の相手さ、江戸の末期の年代は判る。手遅れだろうな。深い恨みだったかな?」

と云いながら、彼は、「今日は時間取らせて悪かったなぁ、うちの両親も喜んでくれたと思うよ、ありがとう。」と云った。

その後、数年会わなかった。

ある時、駅の改札を出ると鋭い目にあった

彼だった、こっへ来たので、ここに居たら会えるかなと思って待っていたといった。

こちらは軽い気持ちで受け答えをしていたが、帰宅を急いでいたので、挨拶もそこそこ分かれた。

そうして、その後、彼は縊死した。

私は、その報に接して、もすごく後悔した。

もう少し話をしたらよかったかもしれない。

そうして、ふと思ったのは、自分がもしかしたら・・・彼のいう身近にいて笑っている者のなのかと思った。

命なるかな。

 

 

 

 

 

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死んだ友へ

先日、随分と前に亡くなった友人の写真が出てきた。

帝都在住の友人から友人某が倒れたという連絡を受けた。

翌日、遠路、帝都まで出かけた。

丁度、帝都物語が盛り上がっている時期だった。

もう30年も前のの事である。

東京女子医大に入院していた。

その時に病室で撮った写真だった。

若い

隣に座っいている彼の母親も若い。

一緒に行った友人も並んで写っている。

みんな若い。

20代前半。

写真の友人は、なんとなく恥ずかしそう。

ちょっと、頭がいいのか悪いのかよくわからん人だったが・・・

オカルト好きでした。

気功大好きでしたね。

糖尿でしたが、その後数年で、お母様はなくなり、2009年にお父さんもなくなり

同じ年にご本人もなくなってしまった。

考えると、もう10年たってしまった。

一時期、ハーレーのファットマンに乗っていたっけ。

ブルのワゴンが愛車でしたね。

よく、銀座で待ち合わせをして、車で家まで運んでもらい、ご両親と歓談をしていた。

気のいい人たちであった。

彼は、不摂生の塊のような人であったが、なぜか、困ると、、最終的に相談を持ち込んできた。

先日、日帰り仕事で上京した、偶然に、と云うか必然的に、かの家の前の通った。

用務先と、かの家は近かったのである。

少しドキドキしながら近づいた。

あんまり変わってなかった。

家の横は、貸し駐車場、家はそのまま・・・表札は・・・別の姓名が書いてあった。

眺めていると、向かいのおばさんが出てきた。

思うわず、「ここら辺に、○○さんのお宅はありませんでしたか?」と聞くと

おばさん、「ああ、○○さん、それですよ、たて続けに亡くなられてもう誰もいませんよ」と云われた。

不審そうな顔をするので、「10年ぐらい音信不通なので見に来たんですが・・・」というと

「お父さんが亡くなって、からだの悪かった息子さんもすぐになくなって大変だったのですよ」と

「そうですか、電話も手紙も届かなくなって、どうしたかなと思ってたんですが・・・

 お墓なんか判りませんよね?」と聞くと

不機嫌そうに「さぁ」と云われたので、退散することにした。

そういって、かの家の前からとぼとぼと歩いた。

長い坂を上り、公園を抜け、狭い路地を抜けて、地下鉄の駅にでた。

振り返ると、30数年前に、初めてこの駅に降りた時に、旧いおもちゃ屋があるなとおもったが、その店はもうない。

友人、友人のお父さんと三人で行った中華料理屋はまだあった。

もう一度引き返して坂の上から眺めると。

小さな屋根が見えた。

あの家に住んでいた三人家族は、全員死んでしまった。

今は縁もゆかりもない人が住んでいるのだろうとおもった。

心の中で、友人の名前をつぶやいた

すると、「俺だけど、◎◎だけど・・・」と云われた気がする。

振り返ると、路地に闇が下りてきていた。

なんとなく、寂しい気がして、トボトボと地下鉄に乗り、新幹線に乗り、帰宅した。

写真の中の友人は、屈託ない笑いをしている。

何となく照れたような雰囲気である。

もう一人の友人も屈託のない顔をしている。

この時点で、彼の人生の先行きはなかったのかもしれない。

20代で糖尿だから、今後の生活は厳しいと思ったのも事実。

彼の半部冗談のような、ソープランド放浪記は面白かった。

最初の結婚式のときは出てくれた。

2回目の時は、もう無理だった。

なんだか、涙が出てきた。

時々、携帯電話が鳴って

「もしもし、俺だけど、◎◎だけど」と電話が掛かってくるような気がすることがある。

電話番号は、登録したままである。

彼の自宅、携帯電話・・・消してしまうと、彼が居たことを忘れてしまうように気がする。

人が死んで、10年も、20年もたつと、どんな声だったかと思う

別の故人が、以前、テレビに出演した時のビデオがまだある。

画面を見ていて、忘れそうになっていた彼の声を思い出した。

懐かしかった。

忘れてはいけないと思う。

死んだ人を忘れてはいけないと思う。

沢山の友人が、鬼籍に入った。

残されているような気がすることがある。

でも、「そうだ生きようと思った。」と云って終わる小説がある。

そう、

私は時々、生かされているのだ思うことがある。

何のためか?

大悪人になるためか

もうすでに、私の手は血まみれである。

いわゆる宗教家に言わせると、極楽浄土、天国には行けない人である。

しかし、私は、生きるとは、「有」になり。

死とは、「無」と考えている。

つまり、前世も、来世もない

「無」から生まれて、「無」に帰す。

だからこそ、すべてが無くなればいいと思うことがある。

が、すぐに後悔する。

どこか、神経がズレてゐる。

現在は、とりあえず生きてゐたいという気がしている。

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私は、人を見る目がない(大幅加筆、しました。)

私は、人を見る目がない。

実は、自分で痛感している。

自分に都合の良い人間なんているわけはないのであるが、多少都合よく考えてしまう.

いい人だと思いたい気分がどこかにある。

で、想像していた人とは違うとわかると何となく嫌な気分になる。

でも最初から嫌だなと思う奴もいる

蛇みたいな人相をしている。

般若みたいなご面相。

図々し奴。

何かしら、自分の意見を押し付ける。

こちらは悪意も何もないのだが、何となく嫌われるという事もある。

その理由が振るっている。

苦労してない。

ちなみに、自分では、苦労を苦労と思わなければ、それは苦労ではないというのが持論である。

果たして、苦労してないと見えるだけだろうかと思う。

人一倍、苦労をしているし、死線も潜り抜けた。

口八丁手八丁で、小手先でへらへら仕事をしているわけではない。

だからというわけではないが、実は、火中の栗を拾うを事はあまりいとわない。

気にしない、と云うか恐れない、要は、感覚の狂ったバカという事になるのかもしれない。

他人が、火中の栗を拾うの見てうまくいきそうなら尻馬に乗るのは嫌いである。

人を見る目がないというのは、「何となくいい人」と感じる人は意外と良くない。

大抵、裏で何かを画策する。

筋の通った人は、「何となく悪っぽいけど」「つっけんどんだけど」・・・逃げない人が多いし、ちゃんと正面からくる。

某爺さんは、この典型であった。

ある会の集まりで、昔よく話をしていたが、時々カチンとくる事を云うやっだった。

このブログネタで、嘲笑軽侮めいたことを何度も言う。

云い方が、丁度、銀河鉄道の夜に出てくる、「ザネリ」みたいな奴である。

性格は、尻馬に乗り、そのまま背取りたい系の人だった。

ある会を作ると、自分が会長になりたい雰囲気だった。

最初の戦いが済んだ済んで、会ができることがわかると、背取りをしようとした。

自分が作ろと言い出したわけでもないのに、自分がいいとこ取りをする気満々だった。

背取りが、旨く行かないと単純な爺さんをたぶらかして自分のグループを作った。

この会を作る時に、責任者を決めろと言っても決めなかった。

あとから文句を言った言った爺さんは、それを云った時にいたが、会をつぶすことを告げた後で、

誰に云ったと言って

「そんなことは聞いてない」といった。

典型的な責任逃れの管理職である。

要は、責任者のいない、無責任なグループだった。

云われたことは守らない、交通法規も守らない。

責任者も決めない、持ち回り幹事とかいうのが毎回責任者。

最初のグループを作った時の趣旨とは外れたグループになる。

結局、このグループはコントロール不能な集団であった。

集団で暴走していると言われれば止めてもらうしかない。

無責任な集団と分かったのでこの会を止めてもらった。

ある馬鹿が、「だれがグループをなくすことを許可した?」と云ってきた。

「あんたらのお目付役の某に、何年何月何日とこれこれこの話の時に伝えて快諾を得ている」と云うと即黙った。

基本的には、くだらない策を弄するのは好きではない。

つまり、正面突破が好きなドン・キホーテと云いう事にもなる。

また無責任に、自己弁護するのも嫌いである。

ある人は、いい人風に見えたが、西洋人道主義にかぶれた人だった。

付き合って子細に見ていくと、基本的は無責任な人だという事がわかった。

そうなると、こちらでコントロールしなければならないという事になる。

此処30年ほど腰し低くしているつもりではあるがどうも、時々出るようである。

又、上司に、同僚に、忖度しないと言われたこともある。

間違ったこと、不正なことは不正としてただすのが当然の行いのような気がするが、世の中はそうではない。

いわんや役所なんて組織においておやである。

先日、2年前に、ある幹部の守秘義務違反について記録を残しておいた。

電算上の記事である、その時の上司には、以前の高崎という幹部職員が、記事を改ざんして不正な処理を行ったことを散々報告していたので、改ざんに気が付いたら告発してやるからと云ったあった。

先日、関連があり、その記事を再度出力して読んだ。

すると、本店に移管後、あっさりその部分の記事が抹消されていた。

前後のつながりが悪いのには気が付かないらしい。

守秘義務違反の幹部職員は、本店の長い人、だから非常識である。

本店では、記事を読んで、本人に聞く、否定する。

処理によっては会計検査院が読む書類の記事だから、やばいから消そうで、消したんだろうと思う。

現在では、重大犯罪である。

記録の改ざんである。

もりとも学園事件以降、これは重大犯罪になった、が、勝手に消した。

犬以下な奴らだと思う。

そん事を書くから、本店からは嫌われる。

それは、本店の中には同僚の、上司の犯罪は大目に見ろという共同正犯的な雰囲気がある。

現在は、それはダメですよと云っているが、体質は治らない。

閑話休題

先般、変態爺さんのことを書いたが、奴は、最初の出会いは最悪だった。

人間の屑ぽかった。

1年ほど後に、車の世界の先輩という事で、師匠とは視点の違う人であり、かつ、模型の趣味もあるという事で仲は良くなった。

しかし、マニアックな話をしているうちは良かった。

友人がフェラーリを買った時点で、その人の悪口がオンパレードになった。

なかなかそこまでコケ墜とすこともなかろうと思ったが、収入の差について怒っている風だった。

自分が、中古で、日産の特装車(Zまーく)を買ってからは、ブイブイ言い出した。

大学時代に知りあった、有名な映画監督とは友人だったと吹聴して止まなかった。

中古で買った車は、正貨1000万円の車だったが、買ったのは560万円、うち360万円60回払いローンで買った。

でも、若い子には、新車で買ったとウソを平気で言う。

ここで思ったのは、「有名監督と友人だった」てえのも、どこまでホントかなと思う。

若いころ結婚しなかった理由は、ヨタのレストレーショをしていたので、疎遠になり別れたからと云っていたが、そのころ付き合いの深かった人に言わせると、「女けなんて皆無でしたよ」といいながら、口をうえにむけて「ホラ、ホラ」と云っていたのを思いだして、虚栄を張ってどうしたかったんかなと思った。

そうして、だんだん嫌なところが露見してくるとだんだん嫌になった。

こちらが結婚した後ぐらいから関係に変化が訪れた。

何となく、嫌いだしたことが分かった。

奴は、月に何度も何度も見合いしても話はまとまらなかった。

40過ぎると、お見合いパーテイに出るようになるが、結婚相手は見つからず。

上手くいきそうだった人は、親の反対で話がなくなると、それこそ、失意のどん底になった。

ついでに、勤務先の建設会社の経営が左前になればなるほど、収入は減った。

小さな国の出先の事務所勤務で好き勝手やっていた報いか、その地域の小さな事務所長に嫌われ。

歳が上がるにつれて、小規模の事務所の勤務がなくなった。

中規模の事務所へ行くいなった。

もともと、人付き合いが好きな人間ではない。

禿、デブ、体はでかい、態度もでかい・・・要は、派遣のくせに態度が悪という事になった。

以前電話したら、「そんな職員いたっけ」・・・である

本人は、事務所の宴会に出るのが苦痛と云っていたが、周りは、あんたの存在が苦痛だったという事を、別筋から聞いた。

つまり、事務所の役人連中から絶望的に嫌われた。

それでも、最初のころに勤務していたのは辺鄙なところにある事務所が多かったので、通勤用に車が与えられ、ガソリン代が与えられていた。

よく名古屋に出てくるときは、会社のカローラバンだった。

つまり、会社の車を私用で、乗り回し、私用でガソリンを使いまくっていた。

だから、高速代も気にならずに名古屋に車で来ていた。

しかし、小規模、中規模の事務所から、嫌われると行くところがなくなる。

契約があるのと、事務所の人間だけでは施工管理ができないので、雇い続ける必要はある。

最終的には、都市部の大規模事務所へ行くことになった。

すると、当然の様に、通勤用の車は取り上げられる。

土日に乗り廻していたガソリン代もなくなった。

おまけに、会社は左前、給料は下がる、賞与は激減する。

貧すれば窮するである。

偉そうなことを云っていた、自称「金払いのいい」態度は消し飛んで、金を出し惜しみ、他人が金を使うのは構わないけれど、自分が出すのはスズメの涙となった。

こうなると、こちらは、2回も結婚する、子供もできる・・・

奴から見たら、うらやましいというか、腹の立つ存在でしかなかったと思う。

そうして、最終的には縁切りとなった。

楽しかった時期もあったが、あまり利用されてばかりいることがわかると、気分的には許しがたいものを感じるようになった。

縁が切れると、清々(せいせい)した気分になった。

一時期でも、此奴の事を「いいやつ」と思ったことがあるが、旧車の細かいことを知っている先輩として、打算で付き合ったことは正直失敗だったと思う。

打算は良くないと思う

最近それを再度痛感した。

そうして、人を見る目がないと痛感している。

 

20190922初出

20190923補足

20190925加筆

 

 

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バカにつけたい薬?

ある自動車のクラブ関係で、知り合いになった者がいた。

まぁ、ごあいさつで、フェイスブックで、友達になった。

この人、喫煙者、

似合わない口ひげで、

(蛇足であるが、口ひげが似合う人もいる、その場合は、その人はぜんぜん気にならないのでOKである。)

顔面デブで、体形もデブ

この人、色白で、黒々とした口ひげがものすごく薄汚く見える。

昔知り合いだった國學院の漢文の研究者もこの手のデブ髭だった、こいつが嫌な奴で・・・・。

何となく汚らしい顔つきである。

高学歴で、職がないとい嘆いて…よくわからん外郭団体に就職したらしい

高学歴で職がないのは、先生が余っているからである。

研究者の一握りが、大学に残るのだと思う。

例えば、その年次の研究生の中でトップではないからこそ、そのまま残れなかったということであろう。

この人、ある時から、ファイスブックの表示で、公開制限をかけたようである。

何か、書き込んだことが気に入らなかったのか・・・私が閲覧できないように公開制限をかけて、除外したことが先月判明

友人に更新してないみたいだけど・・・というと

いや、つい最近もミニカー買ったで書いてましたよと・・・

友達のは見ることができる。

奴は、どうも、私が見ることができない設定にしたようなので、ちょっと違うだろうと。

向こうは、私の投稿が見ることは可能で、私は見ることができない。

これは不公平であると判断して、即削除し、ブロックした。

すると若い友人は、ハッキリしてますねと

だって、実世界の友人でも何でもない相手である

一度きり会っただけ

高学歴を鼻に掛けている。

奴の表面上の友人で、高卒で、卒業後は、工場ライン勤務の若者がいる。

FB上の付き合いを見ていると、友人様なことを表面上は述べている。

が、裏では、あいつは高卒だからと蔑(さげす)む。

どういう精神構造化と思う

親は教員で、親の最終の地位は、校長らしい、がその息子は、単なる契約社員

工場ラインで正社員で働く者と契約社員・・・契約社員が、学歴でバカにすることではない思うのだが。

まぁ時々、FBで、偉そうに正義ぶったことを云う者がいる。

この間、絡んできたのは個人経営の零細電気業者のおじさん

Googleで、屋号を検索、

住所も判る

地図を見る

ビユーで家が見える。

個人の家っぽい。

従業員なんて一人もいなさそうである。

すさまじい偏見でものを言わせてもらうと

 

 

ものすごく精神性の高いことを書いているように見えるが、意味不明である。

50過ぎて、個人営業の電気工事や・・・の特徴を書いてみよう。

まず、人に使われるのは嫌で、三十代ぐらいに独立して個人営業

従業員を使うことができないので、いつまでたっても、規模が大きくならないから個人営業。

人の使われたくないという高邁な思想であるが、精神的に問題があるので、人を使って事業拡大ができない。

つまりは、年を経ようが収入が増えない・・・年を取ると生活が困窮する

不満が増える、自分とは違う意見があると絡んでいく。

で、よくわからないことを書く

語彙数が少ないので、キチンとか書けない。

ほとんどヤクザの絡みである。

悪く言えば、クレーマー。

小さな動作が気になるので、怒鳴る。

身体的なコンプレックスがある。

クレームには、ご高説の演説が入る。

上司に電話するぞ、とか、責任者出せと怒鳴る。

ご高説には、説明はない、理論的に考えれば、整合性はない。

整合性に問題があるものを、同じだという。

最終的には、よくわからない結論をぶつけてくる。

説明を求めると、キレる。

意味が分からないというと、キレる。

簡単に説明しても、わからない・・・レベルを下げても、わからない。

絶対に自分から頭を下げない、こちらが下げると、それ以上に下げてきて面を食らう

要は、話を聞いてほしいだけ・・・

この手の人間が最近多い。

クワバラクワバラと思う。

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今日の出来事


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今日の出来事

今日も、トヨタ博物館へ行きました(w)。

昨日撮り忘れたShelby 2000GTのパート撮影と、特別展示中の2000GTの撮影のためです。

フェイスブック「いいね」記念バッチ欲しさではない(笑)

すでにコンプリートしまして。

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昨日帰宅後、撮影内容のチエックをしていると、撮影個所に漏れがあることが判明

大体、こんなところ

排気管の取り付け方法(ものすごくどうでもいい)

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キャロルシェルビーさんのサイン(きれいに映っていなかので・・・)

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左側前方のホイール(2枚しかとってなかった・・・だから何だと・・・)

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上記を頑張って撮影しました・・・360枚ほど

昨日が、700枚強なので、1000枚ほど

不足があると・・・もう日本でお目にかかる事はあるまい!

と云う事で

「これは、明日も行かねば(すでにバカ)」である

あくまでも、撮影がメインです(笑)

ピンバッチは二の次ですが・・・ここは大人なので

朝早くから行か!

で、9時5分につくと・・・もう、並んでます。

16番目(だったと思う。)

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9時半までには、ぞろぞろと・・・・・

前に待っていたおじさんはヨタ狙い

今日は、2000GTとわかると、明日も来ねばと

聴けば

以前、黒メタのヨタにお乗りだったそうな

四日市在住の方だそうで

ヨタ乗りと伝えると

いきなり

○○(三重苦)さん知らない?」

「・・・・・・昔の知りあいですなぁ」

「昔、ものすごいこと言われてね。

 あの人、オリジナル至上主義だったでしょ!

 ここに線が入ってないとかさ(フエンダーの分離線の事らしい)」

その人の友達

「そんな事、わざわざ言ってどうなる?」

わたし

「まぁねぇ、そなんこと云ったて仕方ないのねぇ」

元ヨタ乗りの人

「めちゃくちゃ言われてねぇ、好きだったから買ったけど、なんかやになっちゃんてね。」

わたし

「いやー、もう何年もお付き合いないのでねぇ」

「いやぁ、ほんとめちゃくちゃ言われてさ」

その人の友人

「そんなこと言われたら、殴っちゃうなぁ」

元ヨタ乗りのおじさん

さんて、友達いないでしょ、周りにいた人はどんどん居なくなったもんね」

そこで

「「イベント手伝っていた時に、年で俺に手伝ってもらおうと思ったのか」

て聞いたら

「使えると思った。」て云われてねぇ」と言うと

 

それを聞いた、もと、ヨタ乗りのおじさんと、その友達の方

「そんな奴、殴っちゃうな」とお友達のおじさん

元ヨタ乗りのおじさんは

「なんか、みんなに嫌われていたでしょ」

「頭がいいから、口は達者でさ、言い負かされちゃうんだよね」

「けっこう、みんなにめちゃくちゃ言うから、嫌っている人多くてさぁ」

「よくさ、気に入らない人が居るとめちゃくちゃ言うでしょ」

とまぁ・・・・でるはでるは・・・悪口が・・・

 

廿年以上前の事らしいのですが・・・私は、ちなみのこの人のことは知らんのです。

 

わたくしは、イベントの為と、奴の知識がほしかったので、打算的に14年ぐらい付き合いました。

しかし、合同展示会で、われられに対する暴言、他のクラブの関係者へのひどい態度を鑑みれば・・・

結局、付き合うべき人というか、価値の無かった人だぁと

再認識してしまいました。

 

時々、◎◎(三重苦)の話題が上がると、人間の屑みたいな面を、他人から聞かされることが有る。

強烈だったねぇ

◎◎君は・・・・。

で、ちなみに、今日の撮影は、ボンドカーとトライアイル者の撮影に燃えました。

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つまんねぇ野郎・・・(追加補足)

先日、というか この間久しぶりに書庫で本を探していたら、26年前にトヨタスポーツを購入する前後のメモ帳とでもいうべき手帳が出てきた。

そこには、思いがけない言葉が並んでいたのである。

それを読んで、思い出したというか・・怒りがふつふつと湧いて出たというのが・・・真相である。

普通、友達が増えると、さらに友達は増えることの方が多い。

でも、珍しいことの、某君と付き合いができて、一時期友達は増えたが、その後は激減の一途をたどったのも珍しい。

大体、類(るい)は、友を呼ぶのである。

だから、SNSが、発達する前は「類友」で、友人を増やすしか手がなかった・・・あとは、オーナーズクラブに入るとかね

今では付き合いのない某君

友人から、トヨタクラッシックカーフェステイバルで紹介された。

その時の第一印象は、変な「関西なまりの嫌味なデブ」であった。

あんまりいい印象はなかった。

(手帳にそう書いてある・・・・・)

その後も、友人に連れられて邂逅するようになる。

実際、ある車を買うとは思っていなかった様である。

後から聞いたら

「よく、吹かしで買いたいとか抜かす奴は、多いけど本当に買った奴はいなかった」

ここで、「吹かして」という言葉を使う時点で何となく、嫌な感じを受ける。

チンピラヤクザの様である

「本当に買った奴」、これは私の事であるが、普通「奴」なんて言い方をするかどうか・・・・・

どうも、本来的にはこの時点でアウト(ダメ)である。

手帳を読むと、「奴なんて・・・なんて失礼なことを云う人間だろう、しかもこちらの事を良くも知らないで、コイツ事人間の屑だなぁ」と書いてある。

つづいて、「これだけのデブで恥ずかしくないのか?」とも書いてある。

でも初心者だったのと、師匠一人に頼るもの何となく心もとなかったので、嫌々ついて行った。

そうして、数人の「同じ車」の友達ができた。

彼と付き合っていると、友達も増えたが、ある時期を境にドカンと減った。

某君は、性格に問題がありすぎで、深入りすると、すぐに「切られるのである。」。

外界との接触を減らす様に、気に入らない人とは付き合わなくなるので、勢いこちらもトバッチリで付き合わなくなる・・・

そうして友達が減った。

何度も、彼の事は書いているが・・・

なんと云うか、自己評価高い人だったと思う

「何様だと思ってるんだコイツ」とも書いてある。

商船学校から一般大学に転入して社会人になった。

建設会社に就職をして、営業職が嫌で転職をしていた。

知り合った頃は、官公庁への派遣職員だった。

でも、最初の時は、○○事務所に居ると、云い、まるで公務員の様な素振りであった。

平成4年ごろの記載には「○○省の◎◎◎支局×××事務所の技官の様である。」と書いてある。

ところがである、飲み会や色んな会に参加するうちうに、段々化けの皮がはがれ、ほかの人から実態を聞くと・・・実態は、単なる建設会社の派遣職員だった。

まあ、最初の5年ぐらいは楽しかったのは事実である。

正直、5年過ぎて、色々手伝いをさせられるようになると、どうなんだろうという気がしてきた。

この関係は、友達?というのではない。

そう感じたのいつごろだろう。

ある時、平成8年9月◎日の事である。

所用があり携帯電話もなかった時代であるから、○○君の勤務先のある事務所へ電話をした。

こちらが名乗って

「○○さんお見えになりますか」と聞くと

電話の向うでは

「○○?なんて居たっけ?」

「○○?」

「ああ、別室の土建屋のうっとおしいおっさん」

「ああ、あのくそオヤジか」

「あんな奴に電話、会社からか?」

「さぁ」

で、

「ちょっと待ってくださいね、今つなぎます。」

でつながった

(記憶だとあいまいだが、手帳にはそう書いてあった・・・)

この時、○○君が、別室で一人で昼飯を食っている姿を想像したらちょっと悲しくなった。

10年ぐらい付き合った時点で、実際は、付き合いきれない感があり、もうダメだった。

気分的に、「コイツプライドが高いだけ実がといもなわない。」そう感じたたらもうダメだった。

大体、批判はするが建設的な意見は言わない。

あるイベントで、トヨタ博物館のテストコース(今のP2/P3駐車場)を借りてイベントを開くときに、博物館の担当者と交渉に行った。

そうしたら、その間ほとんどしゃべらない。

で、こちらとしては、場所を借りるという事もあるので、当然おべっかのようなことも云うことになる。

申し込みが済んだ時点で、某君

「よくあれだけヨイショできるわ」であった。

ある、リゾートホテルで開催した時も同様であった。

ウチウチでは、偉そうに語るのだが、他のところでは、テンで「貝」である。

要は、「うち弁慶」ならぬ「友人うち弁慶」であった。

つまりは、社交的ではないし、他人を思いやる気持ちもないただの屑である。

段々と、辟易するようなったのは、こんなことを言うようになったからである。

自分の勤務先の業績不振で、給料が減った。

年収が、100万円も下がった、150万円も下がった。

派遣社員に保証されているはずの賞与が削られた。

賞与は、最低36万円は保証されていると契約書に書いてあるのに、30万円になった。

おまけに、郡部の小さな〇〇事務所へ通うので会社から貸与されていたバンを取り上げられた。

(これは、ガソリンが会社持ちだったので、よく遠方に行く時に使っていた。)

小さな◎◎事務所から、県の中心部の事務所に移ると、通勤で駅まで車で通勤しなければならない。

そこで、軽自動車を買う羽目になり、ボーナス30万円がなくなったとこぼす。

当然ガソリン代は自分持ち

使える金が減る・・・・

そんな愚痴を滔々と語り

最後は、「俺は、金にはきれいだから」と云う。

実際は、金払いが異様に悪い。

「武士は食わねど高楊枝」

これはプライドを持っているれば・・・という事である。

持っているプライドを維持するためには、多少でも高楊枝をする必要性はある。

口で言うのは易(やす)い。

でも現実的には厳しいと思う。

基本的には、不言実行も、有言実行も厳しい道である。

わたしの基本的な考えは、自分で選べはその道は険しくとも進むのが、「人の道」であると信じている。

そんな自分とは、彼が基本的に合うわけがない。

最初から、ボタンは掛け違っていた。

「なんだこの野郎」という気分は最後まで抜けなかった。

ある友人だったおじいさんが、緩衝材だった頃はよかった。

ほかの友人(もう下りてしまいました)も、羽振りがよかったころはよかった。

ほかの友人が減り、緩衝材もなくなると、ダイレクト感が強く、自己中心であるから、もうダメだと思った。

だいたい同時期、某君の地元で、親密そうにみえた彼の友達もいなくなった。

人の批判ばかりををする。

それも、旧車を1年ごとに買い替える人を見て、その行為を批判する。

その人は、いろんなイベントに奥さん子供連れでいつも参加して楽しそうだった。

こちらとしては、「いろんな車に乗りたいのではない?」という感覚である意味うらやましかった。

ところが、その人が居ない所で強烈に批判する。

どうも、奥さんがいて、子供がいて、楽しそうというのは最初から批判の対象だったようにも思う。

だって、人の離婚を喜んで報告するような「奴」である。

これは、いかがなものかと思う。

彼は、基本的なスタンスはこうであった。

自分に膝(ひざ)まづかない人、

自分だけが気持ちよく活動できるような状態でないと気に入らない。

自分の感覚とは相いれない方法をとると許さない。

結婚している奴も許せない、ましてや、2回も結婚するなんて許せない。

自分を、非難、揶揄すると人間は許さない。

これでは、友達は居なくなる。

もっとも、こちらも偏狭なところがあるので、いわゆる同じく車の趣味の方はヘリに減った。

で、残ったは、静岡の友達だけで・・・・

師匠と、静岡の友達以外は、いつの間にか「同じ車」のクラブからは退場していった。

ほかの車に移って、古い車クラブを続けている人もいますが・・

師匠も、僕しか残らなかったといった。

そう、誰でも、いつからいなくなる

その何時かはいつなんだろう?

でも、私は、現在、多くのほかの車の友人知人が増えました。

たくさんの人が、支えてくれていることをよく理解しています。

ちなみに、その嫌な奴は、まだ同じ車には乗っているらしい。

相も変わらず車検を切ったりしているのだろうとと思うが。

最近、見たのは、あるの車◎◎周年記念の会場だった。

ほとんど、一人でいたのを見た。

以前のバーコードハゲは、毛沢東ハゲの毛のモット少ない、白髪バージョンになっていた。

以前は、ランチャの帽子であったが、ハンチングであった。

20170430 初出

20170501 補足

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