ノーリツ号 岡本自動車自転車工業

ある年齢以上の人は、ノーリツ号を、覚えているだろうか?

(給湯器のノーリツとは、関係がない。)

自転車のノーリツ号である。

戦前の名古屋の軽工業の基礎を担った自転車のメーカーである。

明治時代に、日本で最初に自転車を生産した会社です・・・知らないよね・・・

ちなみに、大正時代から航空機の車輪を作ってました。

サムエルソンを生産していた熱田の陸軍工廠は、隣接した地域であり、スポークを利用した車輪だったので、生産に関与したようです。

当時、熱田陸軍工廠では、飛行機の生産も行っていました。

途中から、兵器の生産に特化します(資料の名古屋陸軍工廠史が出てこん・・・・)

自転車を製造するといっても、部品はそれなりに多く、堀田近辺に強大な工場群を有していたました、大規模工場であった。

日本車輛に隣接して存在した工場もあった。

が、名古屋市内のほとんどの工場は、戦災によって消滅した。

終戦間際に、創業者の急死も戦後の復興には暗い影を投げてしまっていた。

戦前の名古屋商工会議所の輸出に関する資料を読むと、膨大な量の自転車を、アジア、中東、アフリカに輸出している。

その主体は、西ノーリツと呼ばれた、岡本自転車工業(後に、岡本自動車自転車工業、岡本工業と社名を変更する。)の製造する自転車であった

戦前は、自転車、軍用側車、航空機の脚関係の製造を行っていた。

私が興味を持ったのは、アツタ号の足回り関係を製造していたことからである。

戦後は、労働争議で会社が傾き、紆余曲折を経て、倒産しそうになる。

しかしながら、トヨタ自動車販売の神谷正太郎氏の協力の元、トヨタノーリツ号(折り畳み自転車)を製造販売する。

トヨタ自販と自動車工業が合併した時に、会社をたたんでいる。

ノーリツ財団がその後衛である。

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アツタ号?の写真(ではありませんでした。)

これもアツタ号?
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(出所が,よくわからない写真ですすが、あるインチキ臭い自動車メーカー本に「アツタ号」として掲載されている。)

外見上の検討
正面には陸軍の立体体型★章が付ている。

これで陸軍の使用車両だとわかる。

グリルの上端部に段差が付けある。

ボンネットはフラットではなく中央部分が盛り上がったものである。

正月飾りの様なものをラジエターキャップにつけている。.

サイドグリルはよく見えないが、ドアタイプ(1930年代までよく見られた形式)

ホイールには何かマークのようなものが見える。

日本車輛のマーク入り?

テールは、クリフカットの様な形状

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フェートン(コンパ―チブル)である。


車体の塗色は、明るい系統ではないようである。

比較的暗い

兵隊の服の色(緑系のカーキ色)からするとかなり暗い色である。

(蛇足、陸軍のカーキ色は中国大陸の土地の色か巌流である。

大正時代の陸軍の戦闘服は、黄土系のカーキである)

当時のカーキ色(昭和5年制式と思われるが?)は比較的暗いカーキ色である。

トヨタ博物館のAB型(灰櫻色)、日産80型(カーキ色:とはいえ、茶系のカーキ色である。)とも色目は違うようである。

グリル形状について

初期型(と云うか昭和7年型)、最終型(昭和10年型)とも違う。

これは、昭和8年の陸軍の納車のフェートンである

Photo

Photo


ラジエター部分はフラットである

上記の車体は、丁度、メルセデスの500Kの様に上から見ると逆V字型である。

中央部分が突き出している。

どちらかと云えば、Fordのハートグリルの前段階のデザインではあるは、傾斜がなく直立型である。

1934年型の4ドアセダン型のナッシュに似ている。

ラジエターグリルは、ほぼ垂直である。

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すると、昭和9年(1934年)の生産車かもしれない。

よく流布されているアツタ号と金鯱城(名古屋城)の写真にある車体は、昭和10年(1935年)式ということになるのではないだろうか?

こちらのサイドグリルには飾りはつかない。

グリルの形状はどちらかと云えば、フォードにに似ている。

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1935年のナッシュは、1934年型とは違い、傾斜のついたハート型に近い形になる。

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量産型と云われるアツタ号(日本車両が所有したのはこのタイプと思われる。)

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残っているフェートンの側面図は、グリルが傾斜している。




ちなみにこの図面は、昭和10年刊行の書籍に掲載されている

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陸軍の兵士は、昭和5年制式(大正11年式?かもしれない)の服にゲートル、銃剣を吊っている。
兵科色は、白(憲兵)ではない。

某自動車会社勤務の方から、、1933式のBUICKではない?とのご連絡がいただけました。

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当時のカタログです(サイトから拾いました。)


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コンパーチブルは、前席のドアハンドルは前についている。

後ろヒンジということになる。



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セダンは、前ヒンジである。

件の写真と比較検討してみると・・・

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運転席のドアハンドルは、前にはないので、前席のドアは、前ヒンジと考えられる。

そう判断した理由は、後席のドアハンドルの位置から類推してみると、兵士の手がかぶさって見えないわけではない。

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アメリカの博物館所蔵の車両は、後ろヒンジで、Bビラーの部分で、前後のドアを支える構造である。

当時の米国車のコンパーチブルは、ドアが大きい。

国産のコンパーチブルは、基本的にドアは、セダン型に比べて、小型している。

リアのボート形状は、セダン型と同じ様に荷台があったのではないかと想像しています。

結論は、これはアツタ号の写真ではなく、1933年式のBUICKであると云事です。

(ビュイックは、1934年になると、サイドルーバーは、スリット形式になり、横断するタイプのモールが付きます。

1932年までのビュイックのラジエターグリルは、これまた、平面型で、このころクルマノデザインはママぐるしく変わっていたことが判ります。

20171128初出

20171129訂正、抹消、加筆

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アツタ号の写真、スタイル

アツタ号の写真について

完成時の新聞記事

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箱型で、27番と記載がある

昭和7年8月完成で、この年の全国のアツタ号の登録台数は2台である。

いずれも愛知縣内の登録である。

1台は、テストに供されたもので、日本車輛の所有であったと思うわれる。

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名古屋新聞の記事上の個体

名古屋市への納入車輛

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当時の新聞に記載の名古屋への納車した車両

登録番号は「80」(「90」の様にも見える)が付いている。

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こちらは、後年中日新聞社提供した鮮明な写真ではある。

登録番号がないので、名古屋市への納品車ではない可能性がある。

これは、完成1号車ではないかと踏んでいる。

背後は、旧名古屋市庁舎と言われている

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日本車輛がかって持っていた初期型の写真

ただし、上記の写真と同じ場所で撮影されている。

もしかすると、日本車輛の構内の可能性が高いようにも思われる。

当時の日本車輛構内の写真がないのが残念である。

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初期型からフェートンが生産されていたことが判る

ちなみに帝国陸軍のマークがついている。

塗色は、黒であろうか?

以下はアツタ号のパンフレットの表紙である

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熱田神宮で撮影されたというアツタ号

宮家に納品されたものとも云われている。

何年撮影か不明ではある。

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場所は特定できる

熱田神宮の東門か南門の前であろう。

西門には壮麗な国宝の門があったからである。

背後の右手の車はアツタ号である

豊田式自動織機製作所(現 豊和工業)に、海軍 大角海軍大将が視察時に撮影されたものである。(昭和10年以前の撮影である。)

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日本車輛のほか写真

以下の写真は、日本車輛の社印の凸印が印画紙に押されたものである。

以前は、ネガが日本車輛に保存されていたと思われる。

名古屋城の前での撮影

云わゆる量産型

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これはいわゆる日本車輛が所有していた2台のうちの1台ではないかと思うのである

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この車両の別の方向から撮影した写真がある

気が付くのだが、パンフレットの写真と同じである

パンフレットの写真には、うっすらと背景が写り込んでいる。

これは上記と同じ風景である。

その点から同時に撮影されたものであると判断するのである。

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昭和12年秩父殿下の日本車輛への行幸時に撮影された写真に同じ車両が写っている。

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何度も掲載しているフェートンである。

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下はナッシュの1926から35年までの写真

1931年型をモデルにという記事が多いが、1930年型が近い様な気もするのだが

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32年からは、グリルのデザインに新しい潮流が出てくる。

流線型の走りとでもいうべき、グルル中央部の鋭角的に突出した形状が出現してくる。


1930年式の広告、ランプの形状が、アツタ号とは明らかに違う。

どちらかと云えば、量産型に近い砲弾型である。

当時の日本の板金(プレス加工)技術を考えると、深絞りはできなかったので、筒状のライトになったのでないかと考える。

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31年のナッシュの広告(新聞広告)

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スタイル的には、1930年31年は、試作型のアツタ号の車体形状は非常に一般的であったことが判る

都新聞に記載のシボレー自動車の新型も側面形状はほぼ同じである。


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アツタ号 寸法

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アツタ号最終型のフェートンの側面寸法

全長5107ミリメートル

バンパーの前端から後端まで

ホイールベースは3300ミリメートル

高さは1970ミリメートル

センチ表示です。

昭和6年から7(1931-1932)年に、日本車輛はメートル法を導入していたという事だろうか?

トヨタは、昭和17年(1942年)ですから、ずいぶんと早い気がします。

座席は運転席、中位置、後席の三列

中位の座席は補助いす形式かも知れない。

ドアは、前席が802ミリメートル、後席が、702ミリメートル

後席のドアの方が狭い

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写真を見る限り、確かに狭い。

TOYODA AB型フェートンも後席のドアは狭い。

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でもセダンは、ドア幅はほぼ同じ。

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強度的な問題で、後席は狭いのだろうか?


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アツタ號 その3

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昭和88月9日名古屋新聞夕刊

國産自動車の誇り

見事な「アツタ」號

工業都市名古屋から生まれて

けふ市役所へ納入

非常時局の對(対)策として世界各国はブロック經齎を実現しつつある折柄国産乗用車をせねばならなぬと工業都市名古屋の大隈鉄工所 岡本自轉車、日本車輛の三會社は名古屋h氏の斡旋本園初めから多大の犠牲を覚悟して乗用自動車の制作に取り掛かったが、すでに数台の立派な乗用車「アツタ號」が出来上がり、商工省2台、陸軍省に3台、大連博覧会に1台また近く宮内庁へも収めることとなり、事に荒木陸相は自ら率先してこのアツタ號を自分専用車として帝都の真中で気炎をあげている。

名古屋市でもぜひ購入したいとかねて注文で中であったが漸(ようや)く配給されて八日その1台が市役所に現れて大岩市長、藤岡、神田両助役らが試乗しその見事な出来栄えに感嘆したが、市へ購入したアツタ號は大岩市長の専用車とするはずである右国産乗用自動車の製作に尽力している神田助役はアツタ號を前に喜んで語る。

大隈鉄工所、岡本自轉車、日本車輛の三會社が非常時局に際し、多大の犠牲を払って製作しているが初年度130台製造の計画を建てて実施しているがさらに大規模の計画を建てアメリカ製品を完全に駆逐する日もあながち夢ではないと信じている価格も現在は製造台数が少いから割合に高く商工省では七千五百で購入してゐる。、しかしこれも漸次安くなると思う。

このアツタ號は、エンチンを大隈鉄工、フヒールとブレーキは岡本自轉車、ボデー組み立てその他一切は日本車輛である、とに角國産乗用自動車が日本で初めてしかも新興工業都市名古屋で製作されたことが特に全國一大気炎を吐くことができて爽快である。

写眞は、市役所が購入したアツタ號

名古屋新聞(現在の中日新聞社)の記録では他にもう1枚の写真が公表されている。

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市庁舎の前での撮影とのキャプションがある。

これは現在の帝冠王式の市庁舎ではなく、その前の市庁舎である。

同日の名古屋新聞の記事には、以下の様な記事があり完成前だと分かる。

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アツタ號のエンジン

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シリンダー数 8

シリンダー内經×行程76.2㎜×106

総排気量 3600CC

最高出力 85馬力

冷却方法 水冷

サイクル 4

弁の位置 頭弁式

弁穴の径(吸気)38mm

弁穴の径(排気)32mm

圧縮比  5.25

キャブレター マーベル下向吸気形

セルモーター オートライト6V 70W

蓄電池 湯浅6V 120AH 




Nash1929-1931年のエンジン

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61264710000


Advancesix_2

Engine : Eight cylinder

Capacity: 3800 cc

Power : 80 hp / 3300 rpm

Max. speed: 110 km/h

Transmission : Three speed+revers.) 

車体の比較

図番は、フエートン型

Syashizu_2

全長4840mm
ホイールベース3300mm

タイヤ7.00-16(前後とも同じ)(16inc?

 IN足ブレーキ 機械式四輪内式

 変速機 33.081.6881.00)速

 シリンダー数 8

 シリンダー内經×行程76.2㎜×106

 総排気量 3600CC

 最高出力 85馬力

 冷却方法 水冷

 サイクル 4

 弁の位置 頭弁式

 弁穴の径(吸気)38mm

 弁穴の径(排気)32mm

 圧縮比  5.25

 キャブレター マーベル下向吸気形

 セルモーター オートライト6V 70W

 蓄電池 湯浅6V 120AH 

 

1931 Nash 870

 

Nash Model 870  1931 USA Year1929

 

Engine278.4 cu in (4.6 L) OHV

 

HP 78 hp (58 kW; 79 PS)

 

Springs  semi-elliptic

 

Brakes  four-wheel mechanical[6]

 

Transmission3-speed manual

 

Wheelbase130 in (3,302 mm)

 

Wheel size20 in (508 mm)

 

アツタ號のエンブレム

見たことのないような形状と思いました。

楯の部分、ナッシュベース、比翼はNash870、シリーズのものとわかります

つまり、購入したNashのエンブレムをリデザインとういことであろう。

真ん中の剣は、熱田神宮の御神体である草薙の剣をデザイン化したものと思われます。

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1929年ごろのナッシュのパンフレット
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ナッシュ8シリーズのエンブレム

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アツタ号 その2




中京デトロイト計画により生み出されたアツタ号は、実体がよくわかっていません。

不況のさなか、起死回生を掛けた大隈鉄工所の新規事業計画の一環だったともいわれています。

アツタ号のシャーシがどのようなものだったのか?

どのメーカーを規範にしたのか。

ナッシュともいわれていますが正確なところは、疑問が残ります。

なぜなら、ナッシュを規範としたという割には、どのモデルを参考にしたのかよくわかりません。

アツタ號関係の写真に「愛知6」というナンバーをつけた車両があります。

「愛知6」日本車輛社用車最初、アツタ号かともいましたが・・・別の本で、ハドソンと判明。愛知県の公有車で、「愛知3」と同型車でした。

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 これは、1930年、1931年ぐらいのナッシュによく似た車両があります

Nash1930年式

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1931年(昭和6年)の名古屋新聞の記事によれば、米国のナッシュ自動車を5150円で購入し、自動車研究会で分解検討中との記事がある。

当時の5150円で買えた車は、高級車と云われる部類の車です。

当時国内で隆盛を極めた、FORD、シボレー(GM)は、どちらかと云えばタクシー業界向けの中級車以下が多く、値段は、3000円前後である。

参考

 陸軍工廠の購入品一覧の車の項目には1931年、1934年、1935年、 1936年の輸入事績があります

 昭和 6年 米国より自動車4台 23,895

 昭和 9年 米国より自動車二台14,940

 昭和10年 米国より1台5,735円 

       輸入元日本自動車株式会社、(ハドソンかと思われる)

      (参考 日本自動車株式会社 取扱 昭和3年(1928年)の

       エセックススーパーシックスの価格、セダン3600円、フェ

       ートン3100円)

       英国より牽引自動車 13,930円 

       輸入元エンパイア自動車商会(英国FORDの車両だろうか?)

 昭和11年は購入事績がありません。

 名古屋新聞の記事には、大隈鉄工所、日本車両の技術員の参加によりとの記載がある。

 1号車の完成が、昭和6年(1931年)であると考えれば、見本にしたのはそれ以前のモデルと考えるのが至当である。

 つまりは、当時の最新であれば、1930年、31年のナッシュが見本となるはずです。

 少々センター部分の盛り上がったグリル

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 しかしながら、日本車輛の社史に記載の昭和7年フェートンのグリルの形状が似たナッシュは1933年のNash Rafayetteセダンになります。

 しかしこれは、グリルのセンター部分が先鋭化しています。

 Nashambassador19352


 少々顎のしゃくれたような盾のデザインで有名なのは、FORD MODEL A 1933年からの登場です。

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1931年より以前に、日本車輛の公式写真に出ているアツタ号のグリルのモデルは存在しないのです。

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筑波号でさえ1935年です

 もしかしてと思い、フレイザーナッシュの間違いではないかと思い、1930年代のフレイザーナッシュを調べました。

 

 このころは、BMWシリーズのライセンス生産になっていたので、小型車が多く参考にはなりません。

 フレーザーナッシュは、リアの駆動方法が、チューン駆動という点からも大型車での使用は厳しかったと思われます。

 そのあたりからも、アツタ号がどのような車両だったのかは謎は深まるばかりです。

20160921初出

20161030補正

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アツタ号について

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アッタ号

秩父宮親王 日本車輛へ来社 昭和12年(昭和6年に製造して、12年までは社有車が存在していた模様

中京デトロイト計画というのをご存じだろうか?

その時にできた車が「アツタ号」である。

昭和6年には完成し、名古屋市、陸軍に納品された。

生産台数は、10台以下と思われます。

製造は、日本車輛

関係者は、大隈鉄工所、豊田式織機、日本車輛でした。

ちなみに、昭和4年から日本車輛の子会社、名古屋自動車製作所は、自動車(バス)の生産を始めている。

名古屋市の市長の肝いりで自動車製造を始めようとということで大型セダンが考えられました。

日本車輛の退職者の方が貴重な写真を保管されていたので複写させていただきました。

アツタ号の名称、商標の登録は昭和8年5月11日となっている。

ただし、名古屋自動車製作所は、昭和8年に半額減資により資本金は15万円になっている。

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8気筒セダン 7人乗り 昭和6年

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この写真の車両が、秩父宮殿下をお迎えした時に写っていた車両と思われます。

(ホールが同じ)

8気筒 リムジーン 7名乗り 昭和6年

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 8気筒 フェートン 7名乗り 昭和6年

これが陸軍に納品されたものではないかと?

愛知6号車(日本車輛所有車)

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アツタ号 

日本車輛は、ボデイ製造を行っていましたのでバスも作っていました。

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金沢電気軌道向バス 昭和6年

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日本車輛の公式の年譜では、昭和6年11月に、大阪乗合自動車向けに41台製造とある


バス 昭和6年

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トローリーバス、昭和8年8月 4台試作された

名古屋、東京、京都へ納車

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昭和9年5月には鉄道省向省営乗合自動車 車体を1台製造している。

同年9月には、台湾総督府交通局向車体15台製作(東京支店)

昭和10年2月には以下の観光バスを2台製造(十和田線に投入)

同年5月東京支店蕨工場、自動車工場完成(440坪)


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鉄道省営バス

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東京乗合自動車向けのバス

通称 青バス エンジンはダイヤモンド、シャーシ、車体は日本車輛製造

昭和11年自動車製造事業法に基づいた自動車製造所として申請

(昭和12年 8月27日トヨタ自動車工業設立、同年8月31日ダイハツ号自動車設立)

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最初のキャブオーバーバス 昭和13年

陸軍の★章付 のちに関東軍へ納車62台製造

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陸軍向け キャブオーバー 蘆水車 昭和14年

石井式ろ過装置を搭載した車両かどうか不明

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日産車を、東京の工場で製造していました。

日本車輛が所有していた工作機械の関係が、自動車の製造に向いていたことらしいです。

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東京工場前の記念撮影

昭和14年

奈良交通向けのバス

陸軍向けの鉄船40隻、35隻を完成

日産自動車販売向軍用貨物自動車165台作

昭和15年

名古屋自動車製作所

自動車車体完成年間400台を超過し。資本金30万円に増加

ナゴヤ号電気自動車好成績で生産本格化のためサービス部門を分離

東京支社前 昭和14年

ご指摘がありましたので、鋳造品を製造してたのは、「豊田自動織機」ではなく「豊田式織機」へ変更しました

続き

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2016/09/post-96c6.html

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