神と共にあらんことを 9

私は、個人的に云えば、神社の森とでもいうべき木々の中を歩くことは好きである。

でも、いろんな生き物(蛇、虫、雑菌)がいるので、あまり直接座ったり触ったりすることは敬遠したいと思う。

でも、お仕事でそういった中へ分け入ることは多々ある・・・というかあった。

最近はあまりない。

山の中で困ることもある。

そんな時誰かに助けて欲しいと思うことはあるし、あった。

若い頃、初頭の雪山に練習のつもりで登ったことが有る。

4人で、3人は比較的冬山に慣れた人で、2人は完全にベテランだった。

朝からゆっくり登始めた、2日がかりの予定だった。

予報は、途中で雪になった。

15時過ぎには吹雪になり仕方なく穴を掘って隠れた。

出入口の無いカマクラみたいなものである。

4つ穴を掘り、屋根をつけて、横穴を掘って会話ができるようにした。

穴の中は比較的暖かい。

ついつい、うとうとする。

夜中に、風音が止んだときに外を見ると、下の街の光が見えた。

雲は皆無になっていた。

ベテラン二人は、降りるべきだと云った。

山の頂の空模様は怪しい。

この時「いま降りなければ助からないかな」という気がした。

夜中だったが、穴から出て降りることになった。

天気が崩れると「やばい」と云った。

私と友人三人は、急いでおり始めた。

ラッセルを交代しながらころがり落ちるように降りた。

月明かりげ綺麗だった。

雪は止んでいた

風もやんでいた。

コンパスを頼りに、山の峰を降りて行った。

4時間歩くともうくたくただった。

それほど高い山ではなかったので車を停めたところまであと一歩のところまで降りることができた。

クルマまでは戻ればなんとかなりそうな感じがしていた。

クルマは、11ナンバーのランクルなので何とかなりそうな気がしたのは事実である。

森の切れたところから、パーキングしたところが見える位置まで来た。

そうして、森の中の道をあるいていると、いきなり、月明かりが消えて、まわりが見えなくなった。

あれっと思うと、いきなりザーッという音と共に横殴りの吹雪。

笹の茂った中へもぐりこんで、簡易テントを頭に上に広げた。

瞬間に飛んでいった。

ゴウゴウたる音がする。

大木の陰にに隠れていたが生きた心地は、しなかったかった。

で、1時間もすると、雪が又止んで、月明かりが見える。

オウオウト声を掛けて、四人で再びラッセル。

駐車場には、ベージュのランクルがぽつんと止まっていた。

車体の半分は、雪に居埋もれていた。

半分は木の陰で埋もれてはいなかった

後ろの方はとほとんど積もっていなかった。

エンジンは、心地よい振動と共に生き返った。

クルマ中で、荷物を下ろして暖房を掛けると人心地付いた。

早く出ないと、スタックしてしまうと思い、急いで車を出すと、なかなか雪は深い。

でも、三十分も降りていくと、路面は、食塩の所為で、アスファルトが見えていた。

ここで、人心地が付いた。

その時その中の一人が「これぞまさしく神に感謝」と述べた。

彼は、耶蘇教徒であった。

彼のいう「神」とは、キリスト教の神である。

彼にしてみれば、天啓があり、山を下りた。

駐車車した場所も、神の思し召しだったそうである。

でも現実はどうだったか。

私迷っていたが、正直怖かった。

ベテラン二人は下りようと主張した。

キリスト教の彼は、明日の朝まで待つべきと主張した。

結局、降りた方が良いと判断したので多数決でおりることになった。

山道をそのまま下りるべきだと主張したのは彼である。

地図を見て、峰をコンパスを見ながら降りることにした時もずーと文句を言い続けていた。

クルマを止めるときには、彼は何もないところが安全だと主張して、なんの遮蔽物もないところへ止めるべきだと云った。

仏教徒は、風の流れ込まないような位置で、かつ、水路が近くにない方がいいと言った

雪が積もらないところを選んで止めることになった。

彼は、あまり考えるような態度はなかった。

で、結果、彼の選択をことごとく否定したことによりわれわれは助かった。

クルマでの下山途中から、再び吹雪となり3日間晴れることは無かった。

つまりは、夜中だろ云うが何だろうが、くだる判断をしたのは、天啓でも何でもない。

でもキリスト教徒は、天啓だと主張してやまない。

この発想はどこから来るのか?

彼のスタンスは、篤い信仰のお蔭で助かったと云いたいのだ。

後からもそう主張していた。

でも実際は、我々3人が感じてのは、訓練を積んで判断を下すことは重要であるという事であった。

でも彼は、神様が教えがあれば助かるという。

いくら信仰を積んでも、神様から、生きているうち(死んでからの事は知らない)に、神様への篤い信仰に対してのご返答はない。

よく、耶蘇教徒は、「信仰を捨てろと言われても、捨てない、自身をさいなまれても、神への信仰を捨てない。」ことをほめる傾向がある。

それは、主に、他者、その人以外の宗教家からのお褒めであり、神様からのお褒めではない。

対象の個々人は、その捨てない姿勢を、「神様から褒められたい。」という感情があるらしい。

私自身は、そう思う心根は賤しいと思う。

彼の中にある「神様」とは、自己の信ずる何者かでしかない。

信ずるという事は、素晴らしいことである。

だから、宗教は栄え、流布される。

素晴らしいことを広めたいと思うからである。

麻薬患者が、気持ちいいことを語り、広めようと思うのと似ている(と思う。)

むかし、米国に薬物中毒者の小説家がいた。

彼は、「裸のランチ」という小説を書き残した。

読んだ事のある人は・・・・・・・・・あんまりいないだろう。

私は、勧められて、というか、無理やり本を渡されて読んだ。

それは、1か月後ぐらいに上映される「裸のランチ」を二人で見に行くために「読んどけ」という態度で渡された。

読んでいるとくらくらする。

このくらくらした感じは、新約聖書を読んだときにも感じた。

聖書を読んだときに感じたことは、よくぞここまで書けるなぁという感じの感覚である。

アイドルのファンブックみたいなものである。

預言者は、大抵死んだら生き返らない。

でも、彼は生き返った(ことになっている)。

そうして去っていた(ことになっている。)。

だが生き返った彼を見たものはいない。

死体安置所から、死体が無くなると・・・・復活とは言わないだろう・・・・・・

まぁ信者が、他の信者に、「彼は復活して去って行った」と云えば物語は成立したであろう。

生物的に死んだら、生き返ることは無い。

仮死だったというかもしれないが、処刑をする側、殺す方はプロである。

何人も殺して来て様子を知っている。

殺し方も心得ている。

確実に殺していく、だから生き返ることは無い。

宗教では、死体が、無くなると・・・生き返ったことになる。

彼は、多くの予言をしたともいう

千の予言のうちで、3つ当たったのだろうか?

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神と共にあらんことを 8

日本の神様は、天孫族系だろうが、怨霊系であろうが、自然とのかかわりは深い。

ちなみに、日本の自然は、大半が、コントロールされた、というか整備された自然である。

自然に、そこにそのまま未来永劫衣存在している、というか、勝手に生えているような錯覚を与えられた自然である。

しかし、多くは、手は入っている。

昔からある、町や村の近郷近在の森は、入会地のようなもので、共同管理されていた面がある。

今、都市部に残っている多くの豊かな森や林は、神社の森のであることが多い。

明治神宮の事を考えてみればよい

あの豊かな森は、作られた森である。

個人の邸宅でも、多くの場合は、造園屋が入り管理している庭である。

原生林がという人が居るが、そんなものは、都市近郊には存在しない。

大体、原生林と云われるような管理されていない森へは入って行くのは困難である。

本当の人の手の入っていない、自然を満喫したいという人が居れば、大雪山系の人の入り込んでいないような笹の生い茂ったところへでも、奥羽山脈の山奥にでも入り込んで楽しんでくださいと云いたい。

 でも意外と、その手のところで、道なき道と云いながら、行ってみると、ものすごく古い立ち腐れた家、というか集落の後に出会うことが有る。

 温泉もあったりする。

(夏に八甲田山へ行ったときに、死の行軍で目指していたという温泉を探しに行ってえらい目に遭いましたが・・・・廃虚の温泉でした・・・。)

ちょっと面白いのは、自然愛好家には、共産主義者者が多い。

自称、自然の好きな人は沢山いる。

とはいえ、それは自身に都合の良い自然でしかない。

自然は好きと云いながら、自然は守らない。

自分にとって都合の良い部分だけ抜き出しての「自然」が好きなだけである。

それは、共産主義者が自然を守ったことは無い点からも云えるだろう。

所謂(いわゆる)、彼らの意図は、開発から守りたいと云いながら、実に自分自身の個人的な利益だけを希求してやまない場合が多い。

野放図に自然を守れとは、決して言ってないだろう。

彼らの利益になる自然を守れというだけである。

良くあるフレーズが「子供たちに・・・・・を残したい。」という

でもそういった主張をする人は、意外と、老々介護モードで、男性の場合は、奥さんみたいな女性と同居しているだけ(その逆も多い)で、結婚もしなければ、子どももいない奴がいる。

開発と云うと、光に反応する単純な神経細胞を持つ細胞の生物の様に、「反対」と口から出る。

業者が土地を買うと、「〇〇開発反対」と叫ぶ。

例えば、もうロートルで、働きに行かない人が近くに道路ができるというと、「将来、子どもの森を残してやらないといけない」との抜かして批判を展開する。

どうだろう、例えば名古屋近郊でも大きな森があり森を迂回してる道路がある。

森の中に道路が通れば、旧市街の渋滞が緩和されることが有る。

朝晩渋滞を起こし、周辺の人たちの住環境を破壊している古い街中を抜ける道の渋滞が無くなる例は多い。

名古屋近郊の例を取れば、交通の不便な地域は必ず衰退する。

名古屋へ向かう道が、不便であればあるほど、その不便な先の若年人口は減る。

通勤通学に不便なところをわざわざ選ぶのは、地元に昔から住んでいる子孫ぐらいだろう、それでも、そんな故郷は捨てられる。

反対派の人は、自分の環境さえ守れればいいという感覚である。

名古屋近郊の302号線が出来たおかげで、古くからの街中を抜けてくねくねと廻る道の渋滞は緩和された。

302号線の計画が公表されて、道ができると言われて買収が始まり今の状態になるのに40年近くかかっている。

予算の問題もあるが、個人的な反対論も多い。

彼らの錦の御旗は、「自然環境を守れ」である。

自分の家が、昔、自然を破壊して建てたことは覚えていない。

自分お家の近くの便利な道が出来たおかげで地価が上がり、不動産を売却して、利益を得たことも覚えていないことになる。

自分が煙草を吸い、空気を汚染していることは、自然破壊ではないという。

電気を使い、ガスを使い、自動車に乗り、飛行機に乗り、電車に乗り、自然を消費していることは、関係がないと目をつむる。

つまりは、かれらの云う「自然とは自分たちが都合にいいように使える自然でしかない」

愛知万博の会場設営時に「オオタカの巣」が話題になったが、その頃、近郷近在の人はオオタカなんて見たこともなかった。

でも、なぜか「ふるーい巣」が見つかった。

これで、環境保護派は息巻いて「オオタカの営巣地」と主張して止まなかった。

オオタカ」なんて見たことがないのに、巣を見つけた経緯は不思議である。

県庁内での噂は、反対派が、どこかからオオタカの巣を運んできて置いたんであろうという話であった。

そんな話は、新聞には載らない。

反対派の「自然を守ろう」という言葉しか出てこない。

マスコミも、自分たちの主張をするためには、マスコミにとって都合の良いことしか流さない。

究極に考えれば、自然を守ろうと主張するなら、それこそ昔はやった「清貧」を地で行くしかない。

オオタカの古巣のおかげで、県が予定していた部分は開発が止まり現在も森である。

今後、何とかなるような森でもない。

何もない森で、本来は、近くを走るリニモで名古屋へ通勤する様な人が住むべき住宅地を作る予定であった。

自然の猛威はすさまじいものがある。災害が起きたら復旧しなくてもいいという人が居たら手を上げて欲しい。

自然災害について、何十年、何百年に1回しか来ないなら作らなくてもいいという姿勢、批判されるべきだと思う。

無宗教というか、共産主義という名の宗教の信奉者は、自然環境は、あって当たり前、都合が悪くなれば顧慮しない。

最近の傾向を云えば、民主党政権時代の太陽光発電買い取り事業の価格設定の所為で、自然環境が破壊されている事実を忘れてはいけない。)

別段、個人的に意見を言えば、自然が、無批判的に好きなわけでない。

自然とはいえ、ある意味、管理された自然でなければ、人が楽しんで入り込むという事は難しいのである。

私は、少なくとも、何もない、何も管理されていない自然の中に居ることは好まない。

単に、「森林浴が好きである」という意見ではない。

 

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神と共にあらんことを その7

さて、天孫族系は、所謂、神話に出てくる神様です。

大体、天孫族は、高天原から降りて来たと云われる神様です。

日本の国土を造り、天下って来た神様(いわゆる新しい支配者層の神様)です。

日本の神様で特異なのは天孫族の伊弉冉命(イザナミノミコト)である。

多くの神、命(みこと)産みながら、死後、根の国の支配者となります。

そうして、二度と出てきません。

生者の国を、伊弉諾命が支配し、死者の国をその妻であった伊弉冉命支配するという形式を作り出した。

でも、根の国は死者の国ではあるが、地獄ではない。)

地付きの神様は、大国主命に代表されるような地元に元ともいた神様というか、征服された側が祭っていた神様(と云うか、旧支配者層)である。

国譲りの神話に、大国主命は出てくる。

天孫族の姫と婚姻している。

出雲では、大国主命が、国を譲った際、大国主命の子供は建御名方神(タカミナカタノミカミ)は、抵抗して出雲から諏訪まで逃げた。

そうして、かの地から出ないことを約束したことで、諏訪大社の神となった。

太宰府天満宮、神田明神、平野社(旧粟田宮 明治大帝の命により白峯神社へ崇徳院の御霊は、帰還された。)いずれも怨霊が神となった例である。

菅原道真は、天満宮へ、平将門は、神田明神、崇徳上皇は白峯神社(当時は、崇徳院廟)に祭られている。

崇徳院は、雨月物語の白峯、珍説弓張月に出てくることでも有名である。

蛇足ではあるが、幼少のみぎり、白峯を読んで、高位の人の恨みは深いものだと思った。

怨霊を、鎮めるための対処療法が、神格化である。

根の国にはいかないで、恨みの思念を残したまま怨霊となった場合

災厄もたらすと思われた場合の対処法は、菅原道真を先例として「怨霊鎮魂」を目的として神様に格上げされて、尊敬され祭られたりする。

何となく、押し込めておきたいものとしての神様である。

わたしは、そうした、聖も濁も合わせのみ、結局のところは荒ぶる神は収まり、聖なるものへと浄化していく。

というか特殊な力を持つ者は、怨霊であれ、龍神であれ、神様に抱合してしまう。

それが、日本的な神様である。

「ヤハウエ」「イエスキリスト」「アッラー」も皆、日本語で表現すると「神」と表現されてしまう。

ここに根本的な間違いがあるのではないかと思う。

わたしは、神社の清廉さは、好きである。

例えば、昔から不思議なのは、川べりの道脇にぽつんと鳥居がある場所がある。

道路側には、手水があり、秋の時期になれば、幟(のぼり)さえ立っている。

明らかに参拝す場所とわかる。

川べりには、いくつもの家が並んでいるので、昔からの集落だとわかる。

鳥居の奥は、というか、川を渡った向こう側にはないがあるのかと云えば、山しかないという処がある。

社殿は見えないし、川を渡るすべもない。

だから、この場合は、山全体がご神体と云事である。

すると、山に何かあるのかという人もいる。

だか、ここに居るのであろう神様は、外国の神様とは異質であると考えるのである。

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神と共にあらんことを その6

再び考える。

自分の個人的な対象として、信じなくとも、許容できる神様はいるのか?

西洋、中近東系の神様は、現世利益的である。

愛を説くキリスト教は、最初から嘘くさい感じがある。

よく本音と建て前を日本人は使い分けて判り辛いと云われる。

しかしながら、実のところ西洋では、表面上の認識と、心底の心情の相違があることが多い。

米国に滞在していた時に、高級ぽいレストランに入ろうしたことが有る。

友人(英語が大変達者)と二人で、ちゃんとジャケットを着ていた。

すると白人の店員は「イェローは、断る」と言った。

丁度、会計が終わって出てきた年取った老夫婦が、口を挟んだ。

それ云うのは法律違反だからダメだと言った。

礼を云うと、「日本人は嫌いだ。しかし、法律では、法の下の平等、人種差別は許されていないから、抗議はする。日本人を助けたく助ける訳ではない。」と言われたことが有る。

ここでいう「日本人」の表現は、「JAP」であった。

友人と二人は、そのままそのちょっと高級そうなレストランからはそのまま出た。

アメリカの人種差別には、すさまじいものがある。

でもそれは、表面上は表現しないことになっている。

でも現実的には、人種差別は深刻である。

法律で、人種差別はダメだと云い、映画でも必ず有色人種を出さなければならないという規定さえある。

つまりは、法律で規制をしないと、公民権運動で勝ち得た権利は、保護されないという状況があるという事である。

アメリカで、黒人の暴動が起きると何時も、キリスト教の「汝は隣人を愛しなさい」という言葉を空虚に感じる。

現実的には、法律で規制しても、隣人を愛することなどはないという事である。

だから、何となく、キリスト教の「愛」なんて信じられないという気がする。

イスラム教も、一神教と云うと点では、キリスト教徒は変わりがない。

いずれの発生も、中東であると点は面白いと思う。

旧約聖書を信奉する「ユダヤ教」と、新約聖書を基本とするキリスト教

イスラム教徒の信じるいわゆる「アッラー」も、日本語的な解釈をすれば、「至高(最上級)の神様」という意味である。

この宗教では、人間は、罪深いものだからという点は、一致している。

贖罪、罪からの救いとか神の救いなんてことを考えるのは、キリスト教のみである。

いずれも、それぞれの神の前では平等であると説く。

キリスト教とイスラム教は近しいものだと考えるのは間違っているだろうか?

キリスト教は、当初は偶像崇拝を禁止していた。

しかし布教のためには必要という事で、偶像崇拝が進む。

イスラム教は、それを厳守することによって、幾何学模様と云った規格的な線で芸術を作り上げた。

キリスト教の贖罪への行動は勢い、短絡的に云えば神様への要求となる。

とはいえ、イスラム教徒には、現世利益を求めている感じが少ない。

どちらかと云えば、自身の行動を含めて「捧げ、祭る」感が強い。

でも、である。

いずれも、最終的には、神様の前で救われるという発想はある。

ただしそれは、死んでからのあとの事である。

私自身は、死んでからの事はどうでもいいと思う。

だからこそ、神の救いや、終末時に救われたいとは思わない。

現在の仏教的な地獄極楽も、信者(顧客)獲得のため道具立てにか見えない。

ブッタの求めたものとは程遠い気がする。

つまりは、現世利益や、贖罪や様々なお願い、そうして死後の魂の救済を求めない人間は何を信じるのか?

(お金とか、物質的なものは対象としない。)

現世利益も、贖罪も、お願いも聞いてくれない、死後の救済もの無い神様が居るのか?

ということになる。

すると、非常にウエットな感じのする日本の八百万の神様(西洋でいうところのGODではない、どちらかと云えば妖精の様な雰囲気を受ける)は、どうかと考える。

基本的に、答を求めない、救いを求めない対象としての神様は好きである。

先にも書いたように、以下の様な存在は許容できる。

禁忌的な存在(怨霊)としての神様

神社自体が、鎮魂(悪霊の魂を鎮める)場所である場合が多い。

怨霊系は、災厄をもたらすが、神様になると鎮まる。

日本の神様は、原始宗教的と云われるような自然への尊敬にも似た感情の発露としての神様である。

しかし、一般的な神様は、最初から実は、人間的に見れば、なにもしないのが多いのである。

逆に、人間に対して、何もしないことが美徳の様な神様も非常に多い。

国土を守る、郷土を守るそういった普遍性を持っている。

祟り神の様な面も多い

不可触な存在としての共通の利益をもたらす場所を保全するために神様が祭られた事も多い。

水源地、山などはそうである。

日本の特徴は、神様は、天孫族系、地付(土着)系(国譲りの神話に出てきて帰属する神様)、災厄怨霊系ではないかと考えるのである。

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神と共にあらんことを その5

信じていいと思うものはなにか?

先日、岐阜の農村地帯の小さな祠の横に「山神」と書いた石が有った。

正直云って、遠野へ旅した時に、「山神」と彫り込んだ石を幾つも見たことが有る。

しかし、岐阜、長野、愛知で、「山神」と彫り込んだ石を見たのは初めてだったので驚いた。

この祠の周辺は、稲作と畑である。

山は、1キロ近くはなれている。

何となく、この「山神」の石には違和感を感じる。

場所が違うと思うのである。

こういった、「山神」は、こう、何かをお願いして、何か救いのようなものを下し置かれる存在ではない。

この意味は、「ここには神様がいますよ」という指標でしかない。

もしかしたら、道路の拡幅工事があって移転したのかもしれない。

「山神」の背後には、普通の民家が建っているだけだから困る。

山を背負わない「山神」の石碑は何となく寂しい。

例えば、古い神社(山間の普段、人が来ないような場所にあり、所謂、村と村との境界に近いような神社)は、参道を登り(ほとんど山登りである)、階段を上り、開けた場所に鳥居があり、その奥に古い社殿がある。

こういった場所は、非常に好きである。

しかし、時々、ものすごく怖いと感じる時がある。

その理由は、定かではない。

何となく、怖いのである。

今まで、数個所の神社でそうゆう目に遭ったことがある。

この怖さは、暗い森の果てにある神社ではなくて、結構、参道も明るくて、社殿の廻りが開けているところで多い。

そういった神社の特徴は、音がしない

静謐(せいひつ)という言葉がぴったりくる場所である。

何となく、音が吸収されて行く場所である。

夏,蝉の声が一切しないと、気味が悪い

そういった場所でも、お参りはする。

祝詞を上げて、何所の、誰ですという。

ただ、一般的な祝詞をあげるだけである。

お寺なら、般若心経をあげる。

これは、礼儀だと思っている。

だから、そういった神様には、答を求めない、救いを求めないのである。

そういった答えを求めない、救いを求めない対象としての神様は好きである。

単なる、自分の決意表明をするだけの対象としての「神様」的な感覚

基本的な立脚点は、神様に、お願いをしても、それは、結果を求めること自体が最初から無理という気がしている。

迫程の「山神」は、怖いものに蓋をする感覚の表現であると思う。

かつてに入ることを許されない地域があると思う。

原始宗教的と云われるような自然への尊敬にも似た感情は好きである。

大体、日本の神様は、実に、なにもしない神様である。

時々、怨霊がそのまま神様に格上げされて、尊敬され祭られたりする。

何となく、押し込めておきたいものとしての神様もいるのである。

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神と共にあらんことを その4

よく宗教家は、「神のご意思」と云うが、果たして、神様からの実際的、直接的な「ご宣託」はあるのかと思う。

でも、宗教家に聞けばそれは、心に響く言葉とか言われるのがオチである。

基本的に「神さま」を、ご降臨願っても、神様たちの御宣託はない。

誰か宗教家の口を借りての御宣託はあるかもしれない。

よくわかないことであるが、時々神の声が聞こえるという人が居る

また、儀式や占いで、ある一定の法則が出れば、こうゆう意見だと云われることが有るかも知れない。

だか、別段、直接的というか、直截的に「神様からお言葉」がある訳ではない。

つまりは、願っても回答はないという事で、それは聞くだけ無駄ではないかと思う。

困った時の神頼みなしても無駄なのである。

他人との関係の希薄なそれでいて圧倒的な感覚である

この「運」、「不運」はどこで感情的に、どう理解するのかと云感覚がある。

どうして、自身の気持ちの中で、運不運の判断が別れるのか?

でも、基本的に不運の連続と云うことは無い。

すると、不運の後にも、良い運が舞い込んでくる可能性は否定できない。

すると、わるく言えば「気の持ちよう」ではないか?と云事になる。

前向きに考えれば、不運とは思えない

考えてみれば、先頭に立つ人、というか、立とうと人は非常に少ない。

ある会社で、ある企画について「イクゾー」と先頭に立つ人が何年かに一度出てくる。

で、成功すれば、昇進するが、失敗すれば、沈んでいくという極めて明快な答えがある場合がある。

最終的には、主査、役員にもなれるという事である。

しかしながら、時々、2番手、3番手に居るべき人が、時々誤って、1番手になることが有る。

そうなると、世のなかは不幸である。

政治家で言えば、三木武夫、民●党の首相をなさった方々

経営者で言えば、最近の東芝、タカタの経営者の面々であろう。

そう云った人とたちは、自身の無能さに気が付かない。

自省することがない。

自分の無能さを棚に上げて、妙な自信を持つ。

彼らの共通項は、清廉さの欠けたズルイ奴らである。

彼らは基本的な立脚点は、自省はしない、過去の行いに責任を持たない、自己弁護さえしない、自分の地位を利用する、他者の地位の利用は許さない。

要は、人間の屑である。

こういった人が信じるものは、自分の中の正義である。

これは、自己中心的という言葉で表される「自己愛」である。

自分を信じる、これもある種の宗教と同じで、自信が、そのまま神なのである。

しかし、一応、人なので、どちらかと云えば信じてもいいと思うのもある。

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神とともにあらんことを その3

極めて個人的な意見を言えば、神様の存在理由を

「こころの平安を得る」

という目的のためだけの神様仏様預言者様は、不要であると思う。

そう思うのは、強者かもしれない。

しかし、こころの弱い人は、縋りたいと思うのではないか?

そうも、考えるのである。

自分は、どちらか?

強者でありたいと思うのは願望であり、気概でもある。

では、まったく縋りつきたいことがないかと云えばそうでないこともある。

しかし、信じてないから、論理的に考える癖がある。

例えば、ガンの患者がいたとする。

ステージ4でもうダメと言われたら、

私だったら、諦めるのではないかと思う。

それが、伸るか反るかのような状態であれば、治療と共に、素直に「縋りつきたいと」考えるかもしれない。

そう考えることは、「いけないことではない」とも考える。

だが、根本的には信じていない。

信じていれば、もしかしてという「一縷の希望」かもしれない。

でもどうだろう。

パンドラの筐から最後に出てきたのは「希望」であるが、「希望」イコール「神へのお願い」ではないと思う。

戦地で、死にそうな体験をした人が沢山いる。

例えば、マンガ家の「水木しげる」氏の様な人もいたから、よく知られている。

不思議と弾の当たらない人が居たりする。

ここで、いつも不思議なことを考える。

それは、「運」というものである。

私は、基本的に「運が悪い」と思っている。

高校2年の頃、夏も過ぎたので大学受験を考えて、

「さあ、頑張るぞ」と思った月曜日に交通事故で重傷を負った。

顎の直脱骨折・・・ワイヤーで顎を固定されて3か月過ごした。

(相手は、創価学会の青年部長という高校生で、親(某市の清掃局員で)は貧乏を理由にほとんど賠償金を払わなかった。

自転車が、10万、治療費が約30万、儀歯8万円、顎の固定で通学はタクシ-、バスでの通学は困難であったので、2か月間タクシー通学した。この費用が約20万円、なんだかんだで、100万ほどかかった。

でも、創価学会の自称貧乏人は、自転車代と称して6万円持ってきただけだった。

ちなみに自転車は、10万ほどしたスポーツタイプ)

この後、どうも、根気が無くなった。

他にも不運は沢山ある。

最大の失敗は、就職であった。

2回もしたが完全に失敗だったと思っている。

選択したのは自分である。

そう選択したのは、最初から意中の仕事には諸般事情で就くことはできなかった事も、要因ではある。

当時の自分は、実際はどうも色々と先の事を考えるという事がなかったような気もする。

悪く言えば、思慮の足りない愚物であると云える、よく言えば極楽蜻蛉であったという事である。

就職先は、外から見ると良いが、中身は最低であったという事である。

最初の職場は、色々と経験できてよかった気もするが、どのみち、肌合いが悪いことには違いがない。

でも結果、良かったと思えることも沢山ある。

今の職場は、親の助言で選択したのであるが、親は、地元に居てほしいという気持ちが強かった、面倒を見てほしいという気が在ったのは事実であろう。

それに、自身も、東京の立錐の余地のない街、立ち止まれば、轢き殺されような世界・・・・夏目漱石の「草枕」にもそんなことは書いてある・・・・・に辟易していたのも困った現実だった。

試験に合格していたので、中央官庁からお誘いもあったが、義絶した。

こうした間違った選択したことは、「運が悪かった」とは言ってはいけないが、何となく根底に、「運が悪い」という気持ちが残る。

 

ここに「神さま」を、ご降臨願った場合、神様たちの御宣託はない。

誰か宗教家の口を借りての御宣託はあるかもしれない。

また、儀式で、ある一定の結果(法則)が出れば、こうゆうご宣託(意見)だと云われることが有るかも知れない。

だか、別段、直接的というか、直截的に「神様からお言葉」がある訳ではない。

つまりは、願っても回答はないという事で、それは聞くだけ無駄ではないかと思う。

困った時の神頼みなしても無駄なのである。

そう考える自分が居る。

20170627初出

20170628 加筆

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神と共にあらんことを その2

「魂の救い」と称するからには、「魂」と云事が判っていないといけないと思うのだが?

そこで、魂とは何だろうと考えるのが至当かもしれない。

でも、個人的な感覚では、何となく「魂とは、人間の根源的な発動機関ではないか」という思いがあった。

これは、車で言えば、エンジンと燃料の組み合わせを統括する、現在で言えば制御用のコンピューターのようなものと云う認識だった。

その「魂」という前提があった所為(せい)か、人間そのもの存在への疑問よりも、宗教の持つ、魂に救済をもたらす存在としての神様という様な「崇拝される絶対的なもの」とは何か?

という疑問へ方向舵を切った。

最初に読みだしたのは、身近に有ったキリスト教の旧約聖書、新約聖書である。

(云っておくが、我が家は、耶蘇教徒ではない。)

これを、まさしくせっせと読んだ。

その後は、仏教の本を沢山読み漁った。

仏教関係で、最初読み始めたのは、所謂(いわゆる)解説書である。

しかし、お経の意味や仏教説話めいた話ばかりで、これでは、「群亡象をなでる」ではないかと思った。

そこで、解説書の様な入門書では無くて、原初の翻訳に近い本を選んで読んだ。

多くは、東洋文庫のインド哲学、仏教哲学の本が愛読書になった。

神話なのか、説話なのかわからないような面もありましたが、ひたすらに読んでいた。

基本的なスタンスは、理解することから始めようという事であった。

ただ、文系的なアプローチである、「イエスキリスト、ブッタの亡くなった後の世界のという結果という現実」から「原因が何であり、結果がどうでなった」という風に考える手法が主体ではあったが。

常に気に止めていたのは共に、こん本が書かれたその時が、その時点の「今」であるという事を認識しながら読むという姿勢が必要であるという事である。

ただその時の「今」は、現時点から見ればものすごーく古い「過去の一時点」である。

その過去の時点の論説は、現在(20世紀の現在である)ではどうなったのか?

どうして過去の「その時の視点」は、現在の「その視点」に変化したのか知ろうとした。

しかしながら、現在のその事象への反応を読み解くことは困難であった。

それは、いずれの宗教も、2000年もたてば分派闘争がひどくて、なにを読んでいいのかわからない状態になったのである。

そこから、「では、それぞれの云う「神」は、普遍的ではある。

にもかかわらず、分派して行ったのはなぜか?

このような状態になった理由は何だったのか?

今後、どの様な状況が予想されるのか」という事を考えるようになった。

本を読んでいてもわからないことがだらけなので、実際に聞きに行ったことが有る。

ある時、神様の存在が信じられないという事を、耶蘇教の教会で神父にも尋ねたたことが有る。

答は、「あなたの心の中に常に神は宿るであった。」

そう考えると、教会はいらないのではないと、考えたのである。

間違った宗教心を正すのが、教会、寺院の人たちの仕事であるならば、常に関与していない人たち(教会、寺院にいかないに人たち)は、どう正されるのか?

どう正したのか?

ほかの宗派の人をどうしたのか?

答は、非寛容である。

キリスト教は、キリスト教徒殺し、イスラム教徒を殺した

仏教、他の宗派なら、人間ではない。

戦国時代の本願寺は、まさに、殺戮の一方の雄であった。

織田信長に、負けはしたが、殺しの元締めだった事は事実である。

日本の歴史から見れば宗教が、同胞を殺した点では、戦国時代が一番ひどかったのではないかと思う。

キリスト教徒は、被害者面(ずら)をするが、現実的に、キリスト教の進出イコール、欧州の進出、侵略だった事は事実だろう。

侵略者の手先になったのだから殺されても文句を言うべきではないだろう。

でも、当時の権力者が衰退すれば、その行為はなかったことになされる。

そうして、キリスト教単体の視点で見れば「殉教」ということになる。

まあ、宗教に名を借りて、相手も殺し、自分の信者も死に追いやった。

殺しも殺したりである。

「人を殺すことは、悪である」と云うのは、どの宗教でも根本原則である。

しかし、ここに、他の宗派、他の宗教の人は、関係がない、というか、人と見てはいけないという判断が下される。

つまりは、彼らのいう処の「人」には含まないと云う事になる。

すると、これは、基本的に宗教の名を借りた、虐殺ではないかと思う。

つづく

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神と共に、あらんことを その1

 

私は、いわゆる無神論者である。

 

しかしながら、単純に、「神様なんていない」とは思っていない。

 

なんと云うか、証明できない、一方通行な思いを語るだけの対象物としての「神様」は信じていないという事である。

 

神様その者よりも取り巻く人たちが嫌いなのかもしれない。

 

基本的なスタンスは、「神仏に祈っても何の助けもない」という考え方である。

 

その昔、ある不幸な出来事(その実沢山ある)をめぐって、お悩みなったことが有る。

 

ある時期、真剣に、哲学科に行こうと思ったぐらいである。

 

(しかしながら、哲学科では、卒業しても食えないから止めた方がいいと説得されたので、止めるところがヘタレではある。)

 

高校大学時代に、聖書(旧約、新約)、 東洋文庫や岩波の訳本をむさぼるように読んだ。

 

(東洋文庫の本、高かったんですけどね。)

 

聖書は、新約、旧約共によく読んだ、というか、読みん込んでいった。

 

そこで、ふと思ったことは「奇跡とは、なんだろう」と思った。

 

今、思えば、自分でもよく読んだなぁと思うぐらい、この手の本を読んだ。

 

そうして、個人的な感想として、宗教というか、神様、仏様、預言者の数々に対する「信ずるものは救われる」という感覚は持ちえないと考えるようになった。

 

キリスト教にしても、キリストの受難は理解できる。

 

それらの苦難は、準備された苦難であり、苦難を受けなければならないという気がするのである。

 

すべては、ステージの上で作られたよくできたお芝居の様な感じを受けた。

 

米国の映画の所為もあったかもしれない。

 

でも、ゴルゴダの丘で、ロンギヌスのやりに貫かれるまでは、よい。

 

貫かれて、自分の自重と息をする苦しみから、長時間苦しんでから死んでいく。

 

そこまではよい。

 

しかし、遺骸を引き取り、洞穴へ安置した以後の事は、どうも、作った感が強い。

 

預言者が、受難の後、死んで、復活したから神であるという事は信じられない。

 

死者は、生き返らない。

 

生き返ったものは、人でも、神でもない。

 

仏教では、シャカ族の王子の話は読んでいてワクワクするものがある。

 

彼が、いろいろなものを捨て去り、最後には自身をないものとみる、そうすると「無」なものを作り出すことを得る。

 

だからと言って、気持ちの上では、現実から逃げることができるが、人の現在の状況が救われるとは思えない。

 

そもそも、なぜ、「信じられない」という気持ちになったのか?

 

神の奇跡」が信じられない。

 

「神の奇跡」を語る人たちを信じることができないのである。

 

それは、神様への不信ではなくて、神様に使える人々への不信が原因である。

 

少々長い話ではあるが、お付き合い願いたい。

 

あるところに戦争未亡人がいた。

 

もう40年ぐらい前の話だ。

 

たいへん信心深い人で、この人は、自分の不幸を、自身の不徳が原因と考えていた。

 

自分の若い頃の行いが悪いから、夫は戦死し、子供は、学徒動員で工場に居るときに空襲で死んでしまったと思い込んでいた。

 

そうして、罪深い自分だけ生き残ることを強いられていると信じていた。

 

彼女の信仰心は篤かった。

 

でも、である、傍から見ていて、信心すればするほど貧乏になるように見えた。

 

いくばくかのお金を稼いでも、教会に寄進してしまう。

 

外形的には自主的な寄付なんだろうが、吸い上げられていくようにしか見えない。

 

彼女の通ってた耶蘇教会の小間使いは、金持ち(大口献金者)にはやさしく、小口の見るからに貧乏な信者にはつらく当たっていた。

 

彼女の日課は、女中として働いている家の用事が済むと、小一時間でも時間があると、古い自転車にまたがり、教会へ行っていた、

 

教会の草取り、清掃をして、祈りをささげることを、生きていくためのこころの糧としていた。

 

ある時、私は、母につれられて、買い物に出かけていた時の事である。

 

数分前に自転車で、教会に向かって疾走しているすがたを見かけた。

 

そうして、教会につくと、その裏店自転車を動かして、裏手で何かをしている様子だった。

 

すると、小間使いの鶴の様に痩せた中年女が、彼女を罵っていた。

 

まるで、小間使いにしてみれば、その夫人が来て働くの当たり前、扱いはまるで奴隷だった。

 

その時は、来る時間が遅かったので激怒したらしい。

 

母は、それを見て抗議した。

 

憤懣やるかたない気持ちで一杯だった様である。

 

そこで、私は、母に、そのおばさん(戦争未亡人)の事を聞いた。

 

不徳内容は聞けなかったが、大体の概要は聞いた。

 

夫人の教会通いは、魂の救いを求め、奇跡を求めているという事であった。

 

その夫人のいつもの言葉は、「すいません、すいません」と云いながら次の言葉を継いでいた。

 

母の怒りは、謝ってばかりいる姿と、自分は最低限度の生活をしつつ、お金は教会へ寄付ばかりしているその姿勢だった。

 

私は、母の怒り根源は、その戦争未亡人が、なんとなく、愚かに見えるからだろうと思った。

 

(今から考えると、精神を病んでいたのかもしれない。)

 

宗教には寛容な母は、どちらかと云えば信心深い人である。

 

しかし、理不尽なことには、許しがいたい感情を持つのである。

 

人には、やさしくすべきという感覚を持っていたので、神に仕える者としての耶蘇教徒の小間使いの言動には激怒していた。

 

戦争未亡人の彼女は、寄付をすることで、徳が積めると信じていた

 

夫人の住んでいるところは、戦前からある古い建物であった。

 

うちの持ち物で、部屋は二間で、台所、厠はあるが、風呂なし、宿舎の様にして貸していた。

 

昔は、ほかにも、書生、運転手夫婦が住んでいたので、風呂は、祖父の離れのものを使っていた。

 

ちなみに、賃料は、昭和50年代でありながら、戦前の昭和12年に、御主人が出征時に、凱旋後に、相談して改定ということになってので、昭和12年からから改定無し、つまり、1か月数十円だった。

 

十分食べていけるだけの賃金と、朝昼晩のまかないがついているにもかかわらず、服は、おさがりばかり、足袋も、つくろい跡が目立つ程であった。

 

でも、彼女は、奇跡を待つという希望があった。

 

もしかしたら、夫は、南洋で生きていて帰って来るのではないかという、閃光の様な希望があった。

 

聴けば、御主人は、ルソン島に居たらしかった。

 

何度も、再婚を進めたが首を縦に振ることはなかった。

 

何時も、「ここ追い出されたら、夫が返って来た時に会えなくなりますから、どうか、追いださないでください」と云っていた。

 

追い出すことは無いといっても、何となく不安げで、不幸が顔にこびりついていた。

 

もう、御主人の帰郷はないとあきらめかけていたころ、ある事件が、「もしかしたら」という気持ちを、引き戻してしまった。

 

それは、ルバング島の横井さんや、小野田さんの帰郷が、一縷の望みをさらに太くした。

 

彼女は、いつも、夫が帰郷したら温泉へ行こうと思うんですと語っていた。

 

だが、結局帰郷することは無かった。

 

わたしから見ると、最後まで不幸の人に見えた。

 

その実、彼女の最後はあっけなかった。

 

ある初夏の頃、夕食を取ながら、一人でさみしく死んでいった。

 

発見された時には、戦死したご主人、空襲で死んだ子供二人の学生服姿の小さな写真を胸に抱いていた。

 

祭壇には、ご主人の赤紙、戦死公報、写真、お子さんの写真が並んでいた

 

木製の十字架があった。

 

日曜日の朝、いつもなら来ているこの夫人が、いつまでたってもこないので見に行ったら、借家の一間(ひとま)で倒れていた。

 

驚いて、家人を呼ぶにやると、息絶えていることが分かった。

 

人が死ぬと、非常に冷たくて、固いものであることを学んだ。

 

死因は、心不全だった。

 

夕食を食べている途中でなくなったようで、粗末な祭壇には、祖父の家で、余分に取った「うな丼」が小鉢に分けて置いてあった。

 

夫の写真の前、二人の子供の前にそれぞれ、小さなお椀に一切れづつのかば焼きが載っていた。

 

大騒ぎになったが、身寄りもなく、うちに長年、来ていたので家から葬式を出すことになった。

 

何時も行っていた教会に、葬式を頼んだ。

 

すると、神父にも小間使いにも嫌な顔をされた。

 

何か、いろいろと言い訳をしていた。

 

悪く言えば、貧乏人だからという事だった。

 

彼らは、逡巡のの後、自殺でもないのにもかかわらず、断ったのである。

 

それを聞いた祖父と母が怒った、

 

(不条理なことが有ると怒る・・・この性格は自分にも色濃く残っている。)

 

まぁ、母の学校が耶蘇教の学校だったのでその伝(つて)で何とか葬式は出せた。

 

棺に、旦那さんとお子さんの何かを入れてあげようということになり、部屋を探しに行った。

 

彼女の旦那さんの白木の箱には何も入っていなかった。

 

旦那さんの服もそのまま残っていた。

 

でも、出征前に残した、髪の毛と爪がハトロン紙に包んであった。

 

お子さんの勉強道具、写真、文房は、柳行李に入っていた。

 

結局、御主人の髪の毛と爪を入れ、子供学生帽、文房道具を入れて焼き場に運んでもらった。

 

寂しい葬式だった事を覚えている。

 

お骨は、仕方がないので、何所かへ持って行ったと思う。

 

その時に、私は、宗教とは何だろうと考えるようになった。

 

それは、「魂の救い」と称する行為への疑問の第一歩であった。

 

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