戦前の電気バスについて②名古屋市

【電気車(電気バス)試作と運用】

その電気バスの製造に大きくかかわっていたのが、名古屋市電気局(現交通局)です。

名古屋の市バスは、運営の許可が下りるのに当時の二大政党の専横により開業の許可が遅れ、遅れる間に、民間企業のバス路線開設が進み、市電の経営が脅かされる状況のなか、開業しました。

これは、営利目的ではなく、市民の交通手段の確保、市内均一料金の実現のための方策でした。

名古屋市電気局では、電気バスを、昭和5年から1年間試験運用をしました。

東邦電力株式会社(現在の中部電力)は、当時の電力供給状況より、深夜の余剰電力利用を研究していました。

研究の結果は、深夜の余剰電力を蓄電池に貯めて、その蓄電池で自動車の運転を計画しました。

その一部が、電気車(バス)「YKN型」として試作されます

(Y:湯浅蓄電池

 K:川崎造船所

 N:中島製作所)

Ykn_dennkibasu

この電気車(バス)は、東邦電力、湯浅電池、中島製作所(大阪府)の三社協同計画でありました。 

国産の電気バスを試作して名古屋市営バスの路線を編成し、試験運転を行うということでした。

ここで名古屋市は、この研究(三社協同の、深夜の余剰電力を利用した電気自動車の運行に)着目していたので試験運用に協力したようです。

そうして、この試作車について入念に試験を行うことになったのです。

この車両は、116000円、

非常に高価でした。

名古屋市電気局が、以前シボレーを大量購入した時期のシボレーのシャーシを使用したバスは、1台が3000円以下でありました。。

車輛の老朽化が進んで、新型車を導入することになった時に、シボレーと、フォードで入札をさせたそうです。

当時、両社とも、米国の社員が売り込みに来たということです。

入札結果は、シボレーのシャーシが特別割引で1500円を切る金額であった。

入札書も、入札現場で書くぐらい、大幅な値引きであったとのことである。

正確な数字は、記されていないが、フォードは、11500円以上であった。

シボレーの1500円を切る金額とボデイは新規参入であった名古屋自動車製作所製の単価が1500円程度であったことから、シボレーシャーシのバスは1台3000円程度であったということである。

30年の思い出 昭和27年刊 発行初 名古屋市交通局 庶務課) 

上記の点から考えれば、16000円は、通常のバスの3倍程度であるからして非常に割高であった。

この試作車の諸元は以下の通り

 自重 3トン

 座席 18人乗り(収容人員は30名?)

(座席数、16人と記載のあるものもある)

 バッテリーは交換式 

上記は名古屋市交通局「30年史」「50年史」記載のデーター

以下は、「電気自動車」記載の諸元

その設計製作の当事者であつた、故大村三郎氏の著書「蓄電池車 昭和9年 オーム社」からその要轄の 揃録

主な仕様

車の寸法 全長 5410 mm 巾 1820 mm 高 2500 mm

車の重量 2.9t

 

蓄電池  0.9t

定員座席 16 入 立席共 25 人  

蓄電池 湯澤耐震式 80V 200 Ah (2 時間率)

電動機  川崎造船所製 直礎 2時間定格 11 HP

制御 前進5段 後進2段

【参考】

 蓄電池の交換式とは、以下のような専用レーンを使い交換する。

 バスを、専用レーンを通過させる。

 途中で、放電した蓄電池を車体下部から引き抜き、同時に反対側から、充電済みの蓄電池を入れ込む方式である。

 交換時間は、およそ10分であった

Zyudennhaichizu

引き出す方法の図面を掲げる

Photo_2

Photo_3

シャーシ図

Photo_4


(出典 電氣自動車 昭和24年 西村克三郎著 株式會社アヅミ書房)

実際の交換シーンがありました。

 蓄電池を巻き上げ機を使い、車体から引き出して、充電済みの畜電池を反対側から挿入する。

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(シンフォニアテクノロジー 旧神鋼電機 100周年記念より)

 http://www.sinfo-t.jp/100th/

当時、このような電気車用の蓄電池は、先述湯浅以外にも製造していた。

バスへ搭載状況

Dsc09390

(日本蓄電池100年史)

日本電池の社史には組電池の写真があった。

Dsc09325



(上記2枚は、日本電池100年史より)

【試作電気車(バス)の評価について】

乗り心地、速力はそん色がなく1哩走行するに要する電力は1Kw,5銭程度

(名古屋交通局、30年史 昭和5年7月24日 名古屋日報記事抜粋)

1年間名古屋市電気局により営業運転され、各種試験を行ってました。

いわゆる、評価実用試験でした。

使用実績は、芳しいものではありませんでした。

試験結果は、この試作車は研究の余地ありとの判断が下されました。

当時の電気自動車の全般的な悪い評価は、モーターの性能が悪く、登坂の能力が悪い、車体が重いので取り回ししにくい、等々である。

名古屋市営バスは、改良点として以下の点を挙げています。

雑音の減少

モーターの位置

(いわゆる、モーターの回転音と思われるが、国産の良質のベアリングが存在していないので、摺動音がかなり響いたのであると想定される。)

ブレーキ装置

(後輪2輪のみで、3トンの車体を停止させるのは非常に困難を伴ったであろうことは想像に難くない。当時、日本の航空機関係の制動性能も悪かった点を鑑みれば、当然である。)

コントローラー

(数段階の速度調整ができたと思う、TNK型では、前進4速、後進1速であったから、同等であったと考えられるが、当時、自動変速のミッションはなかったので、感覚的に慣れなかったと思われる。)

バッテリー

(充電を繰り返すうちに、使い物にならなくなる性質のことであろう。)

上記に関して研究の余地があったとして研究を終えている。

【名古屋乗合自動車株式会社による「電気車(バス)」の運用開始】

 その後、昭和75月には、名古屋乗合自動車株式会社(通称青バス、車体の塗装が青かったためである。後に、名バス)は、試作型の発展型である、TNK型を採用している。

 これは、湯浅畜電池と電気バス(Y.N.k型電気車、7台)の賃貸借契約を結び、昭和811月に完成、引渡しがあった。

 この7両は、蓄電池交換の関係もあり、名バス公園線(鶴間公園)で、営業を開始した。

(YKN型→YNK型→SKS型)

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Y.N.K電気車の諸元

車 種  YNK型電気バス

自 重  4.3

定員数  23

発電機  直流直捲電動機 11.9KW 15馬力

動力源  VGCM12型 40個 252/H 5時間放電率

制御装置 手動によるドラム型直接制御器 前進4段、後退1

駆動方式 後輪駆動 電動機直結、歯車による減速方式

制御装置 油圧式制動装置

(参考

 VGCM:日本標準規格形式、電気車動力用蓄電池 ペースト式ガラス繊維入り鉛蓄電池のことで、ガラス繊維入り 薄型極板 低型極板使用したものである

 VGCM12型は、ユアサ蓄電池従来形式 VEKP12型)

この電気車も、試作型と同様の問題点を解決できず、不完全な点が多かったために運転者(運転手ではない)がこれを嫌い、常務を忌避する傾向が表面化してきた。

この理由は、以下の通りである。

ハンドル操作が重い。

コントローラの操作が難しく、楽ではない。

重量が3~4瓲で、惰力があり、二輪ブレーキであるめに骨が折れる。

(乗客1名50㎏として、30人近く乗った場合1500㎏、1.5瓲重量が増加することになる。)

等で、乗務員の報酬の関係もあり多くの研究課題を残してこの委託試運転は終了した。

昭和1012月に、上記名古屋乗合自動車、名バスは、名古屋市電気局(交通局)に買収された。

買収後も上記電気自動車7両は継続して使用されていく。

昭和13年に、SKS型電気車の完成があり、このTNK7両は廃車されました。

【名古屋市電気局でのSKS型電気車(バス)の運用について】

SKS型は、名バスのTNK型の廃棄に伴い、代替えとしてSKS型電気車を、この後大量に採用されていくことになる。

SKS型は、以下のような車輛である。

Photo

SKS型(戦前型)

ナカジマ 大型バス車(中島飛行機が使用していた車体で、パンフレットにも掲載されているものと同一の写真である。)

00040803_2

(これは徳島交通局の使用した戦後型SKS4型)である。

SKS型電気自動車諸元

車  種 SKS型電気自動車

定  員 27名、35名、40名、45名の4種類あり。

自  重 4.5

電 動 機 直流直捲電動機 11.4Kw、15馬力

動 力 源 蓄電池 VGCM14型 40個 252A/H 5時間放電率

制御装置 手動式ドラム型直接制御器

駆動方法 後輪駆動、電動機直結、歯車による減速方式

制動装置 油圧式制動装置

塗  色 車体 白銀色 帯色 黄色

(名古屋市営交通局30年史より抜粋)

このSKS型いついても以下のような評価が下されている。

【悪い点】

 電池の大量積込みの為め自重 がガソリン車に比し余りにも重い。

 速度遅い。

 長時間の営業が不可能(蓄電 池の容量の為)

 牽引力弱い

 蓄電池の老朽化と共に放電が早く、充電回数の増加する。

 一方充電時間の長いこと。

【良い点】

 車体は前記の通り甚だスマートであった。

 動力源たる電気が驚単に入手できること。

 この良い点のうち、大量採用された理由は、電気の入手が容易だったということである。

参考記事

交通の第一線に躍り出た電気バス、11月末迄に27 =

『国策バスとして第一線に乗り出した電気バスが、増加して名市中をかけ回る。』

現在、市の電気バスは7輛であるが、これは全長565、巾2米であって、新造車 は定員31人全長米53、巾220で、大型なスマートなもの、取敢えず5輌が完成して、近く車検を受ける。

電気バスは 50km走ると充電しなければならないので、那古野充電所から余り遠い処では途中でエンコしてしまう恐れがあるのが悩みの種になつてる。

11月末迄に27輌となり、車輛数は全国第一となる。"

 

 (昭和 13.8.24 名古屋新聞:現中日新聞)

 

此の様に全国に先駆けて、電気車(バス)大量採用した点は、燃料の入手が困難になることが予想されるが、住民の交通網を確保しなければないと考えていた各都市からは注目されたことは難くない。

 名古屋市電気局(交通局)の最初の電気バスによる営業運転を行い、且つ我国に於ける電気バス総車輌数の大半を占めていた名古屋市に於ける電気バス発達の過程は、そのま、我国電気バスの沿革史であった。

(名古屋市交通局30年史)

ただ名古屋市で使用して電気車(バス)は、SKS型以外にも、神鋼電機製のものもあった。

 名古屋市交通局「三十年史」では、下記の車両をSKS型としている。

 

 Dsc0891211


しかしこれは残念ながら、神鋼電機製の電気車である。

名古屋市営バスは、戦前、中島製のSKS型を使用しながら、神鋼電気自動車と呼ばれた、神戸電機 鳥羽製作所製造のバスのもつかっていたということになる。

現時点では、SKS型、神鋼電機製の台数は不明である。

 

昭和15年(1940年)伊勢神宮で使用されていた当時のものである。

 

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大阪市交通局は、名古屋市と同様に、SKS型、神鋼製電気バスを使用していたようである。

続く

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戦前の電気車(バス)について①

「TNK型/SKS型電気車(電気バス)製造会社中島製作所について。」

こちらの会社は、明治38年(1905)大阪市西区で設立されました。

昭和5年に日本初の電気バス試作車(YKN型)を製造した会社です。

その後、昭和1012月には、尼崎市小田村梶ヶ島に杭瀬工場を開設しました。

この工場は、電気で動く車輛(電気運搬車・電気バス)などを製造する専用工場でした。

戦争中から戦後にかけても電気バス、運搬車(昭和20年代後半は、電動フォークリフ)の製造を継続しました。

昭和2412月、杭瀬工場内に関連会社の中島電気自動車()が設立されました。

(ちょうど日本電装が設立された時期に合致します。

 中島製作所の歴史関連資料を見つけていないので、詳細はよくわかりませんが、

 トヨタと同じように、賠償指定、財閥解体関連の分離とみるのが妥当かもしれない。)

昭和2

92月に、署名が変更になり中島運搬機製造()となります。

国内工業用バッテリーカー製造の最大手でした。

昭和42年に高槻市に移転して現在も現存しています。

中島製作所杭瀬工場は、昭和50年代半ばに廃止されました。

尼崎市地域研究資料館 産業構造の転換(1)一部参照

http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/chronicles/visual/05gendai/gendai2-1.html

(中島製作所は、中島航空機製作所とは一切関係がございません。)

中島製作所の製造していた電気バスSKS型は、全国で使用されていました。。

中島製作所の工場のあった尼崎市でも当然のように、戦後、一般的なガソリン自動車が、ガソリンの統制もあり、市民の交通手段の確保の観点から、電気バスを使用しました。

尼崎市交通局は、電気バス三台を使って市営バスの運用を開始しました。

尼崎市が使用した電気バスもこの工場で製造されたものでした。

その3台が、SKS型です

尼崎市交通局の歴史を読むとは、徳島市交通局は取得した中島製作所謹製の電気バス3台を、貸りて運行を開始したと書いてある。(ウイッキペデイア記載、原典未確認)。

(尼崎市交通局は、20163月に解散して存在していません。)

尼崎市のホームページでは、記念誌「尼崎市交通局 Since1948」を閲覧することができます。

A17



http://www2.city.amagasaki.hyogo.jp/ebook/bus/new/kinenshi/HTML5/PC/Main.html

確かに、中島製作所製のSKS型電気バス(戦後型)に相違ありません。

昭和2338日から営業を開始しました。

先回記載した、徳島市交通局の歴史によれば、徳島市の電気バス導入の経緯は以下の通りで、こちらもまた、ガソリン統制が原因で、電気バスを導入を進めたことは判る。

徳島市交通局への地方配給委員会からの割あて通知は昭和227

徳島市交通局が、取得したのは、235月に5台、翌週1台到着

61日から運航開始と記載がある。

尼崎市の開業から遅れること3月である。

現在の記事で見ると、尼崎、徳島、川崎、岡山、福岡、宮崎などの都市交通での使用事績がある。。

00040803

(徳島市交通局使用SKS 4型?)

この写真からすると、徳島市交通局の塗装と尼崎市交通局の塗装は明らかに違う。

徳島市交通局から3台を借りて運航を開始したといいうウイッキペデイアの記述には疑問が残る。

仮定としてお話をするのであれば、本来、徳島市交通局へ引き渡されるべき電気バス11台のうち3台を、引き渡しの順位が、徳島市よりも後位であった尼崎市に譲ったというべきではないかとも考えられる。

 【電気車(バス)の使用実績】

 後年の資料であるが、昭和2341日現在の全国で運用されていた電気自動車は、2776台(登録台数)

戦後の全国の電気車の登録状況は以下の通り

小型車 

  乗用車  836

  トラック 1174

 (小型車 合計2010台)

大型車 

  バ  ス 357

  トラック 66

 (大型車合計423台)

 改造車   343

県別でみると最大の電気自動車保有県は、大阪府

 大阪府

合計 811

小型車:乗用車 269台、トラック 321

大型車:バ ス  81台、トラック  25

(大阪市営バス 15台使用 年度不明)

 改造車  115

 

愛知県

 合計 589

小型車: 乗用車 144台(23年の統計なので、デンソー号は含まれていない。)

    :トラック 310

大型車:バス 75台、トラック 15

    (名古屋市営バス 74台 年度不明)

 改造車:45

東京都

合計 510

小型車:乗用車 191台、トラック 245

大型車:バ ス 27台、トラック 7

(東京都営バス 30台 年度不明)

 改造車:40

 東京都交通局100年史の戦時中の統計では、所有車輛として 木炭車、ガソリン車と、それ以外の車があったようであるが、詳細な数字は記載がない。

 ただし、戦後、昭和23年1月から、電気自動車研究会が結成されて、電気自動車についての研究を始めている。

 こちらは、東京都交通局、横浜市交通局、鶴見臨港、武蔵野、東京急行による研究会である。

 昭和23年からは、研究を行い積極的に導入したようである。

(東京都営の歴史を紐解いても、電気バスの記述が見当たらないことは寂しい限りである。)

 この研究会は、ガソリン車木炭車、電気バスの比較検討を行っている。

 実用性等について重きを置いての研究の故に、出庫率、一般的な経費等にわたっての考察を加えている。

 戦後稼働していた民間バスが、戦前からの継続使用か、戦後購入かは不明である。

 秋田・山形・福島・山梨・佐賀・大分県では、電気車は一台の登録もない。

 

上記以外に電気バスの台数の比較的多かった県を参考に記する。

兵庫県

 合計で127

小型車:乗用車  35台、トラック 49

大型車:バ ス  16台、トラック 0
改造車:27

 徳島県

  合計で28

小型車: 乗用車  0台、トラック 13

大型車: バ ス 10台、トラック 5台

このバスは、まさしく、徳島市交通局使用のSKS型バスであると思われる。

電気バスの登録のあった県は以下の通り

 並外れて多いのが、大阪府と愛知県である。

(括弧内は、電気バスの市営バス、鉄道会社等の主要使用者と記載があった者と、台数である。

 年度は、不明である。

 数量的には、23年から24年と考えられる。

 年度については、検証は必要です。)

 北海道  7台(札幌市営 5台)

 東北

 青 森  11

 関東

 埼 玉  5

  千 葉  1

  東 京  27

 (東京都営 30台、武蔵野乗合:現小田急15台)

 (関東電気自動車工業の再作したSKS型の納品先は、武蔵野乗合である。9

  神奈川  51台(横浜市営 21台、川崎鶴見臨港乗合9台)

 関東地区は、電気自動車研究会の効果かどうか判然としないが、上記の4社で、75台の電気バスを運用していたことがわかる。

中部

 長 野  1

  愛 知  75台(名古屋市営74台)

京阪神

 京 都  10台(京都市営15台)

  大 阪  81台(大阪市営15台)、

  兵 庫  16

中国

 岡 山  4台(両備バス 7台)

  広 島  10台(呉市営 15台)

  山 口  7

四国

 徳 島  10

  香 川  20

  高 知  5台、

 九州

 福 岡 5台(西日本鉄道 10台)

  長 崎 6台 (佐世保市営 6台)

 

東京都は、電気バスの所有台数が非常に少ない。

 東京市(当時)は、戦前、名古屋市が、電気バスを採用、大量運用を開始した昭和12年ごろ電気車を一切使用していない。

 昭和143月末の東京市電気局(東京市電気局30年史)の資料によれば使用している車種は以下の通りである。

 戦後は、30台ほど導入していた模様である。

 フォード(19人乗り、22人乗り、31人乗、32人乗、35人乗)

 シボレー(19人乗、31人乗、32人乗り、35人乗)

 ウーズレー(30人乗)

 ガーフォード(不明)

 TT型フォード(不明)

 スミダ(33人乗)

 レオ(22人乗、35人乗、37人乗、36人乗)

 スチュードベイカー(23人乗り)

 ニッサン(不明、多分80型)

 チヨダ(33人乗)

 いすゞ(35人乗、36人乗、35人乗) 

 トヨダ (35人乗)

(所有台数は、防諜上記載されていない。)

 また、当時導入が進んでいた木炭車については、東京市(当時は東京市)は、昭和14年からの導入である。

(名古屋市は、昭和138月から運用を開始している。

 試験は昭和10年から行っていた。)

20180401

20180402 加筆訂正

20180406 加筆(中島製作所関連資料追加)

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ちょっと、デンソー号から脱線、戦前戦後の電気バス(SKS型)について

以前、デンソー号について調べることにしたら意外なことが判明した。

デンソー号50台のうち数台は、関東電気自動車工業の製作と判明した。

関東電気自動車工業とは、関東自動車工業である。

生きてるデンソー号の写真がないかと探してましたら、名古屋タイムズ社の写真に1枚発見できました。

名古屋タイムスの記事を探さなければならない可能性がある・・・・

で、デンソー号関係で、関東電気自動者工業が1台だけ製作した、電気バス(SKS型)にたどり着きました。

ここで、なぜか寄り道…電気バスのについて猛然と興味がわきました。

SKS型は、神戸のメーカーが製造した電気バスの型式です。

戦前型と戦後型があります。

戦前の改良型は、昭和12年から製造、戦後は21年から生産開始。

中島製作所は、昭和12年から改良型の電気バスを製造していました。

戦前の名古屋市営バスでもこの電気バスを使用していました。

昭和7年方8年にかけて、栄、鶴舞線で試験運用されて、その後、本格的な運用をするようになりました。

SKS型以前は、Y.N.K型です。

Ynk

尼崎市地域研究資料館の資料には、名古屋市市営バス、台北市営バスの写真が掲載されているようです。

昭和12年名古屋市営バスの総数は452両、一電気バスは7両

昭和19年名古屋市営バスの総数は324両

うち60両が電気バス(約20%)でした。

木炭車は247両で、70%近くが、木炭車でした。

ガソリン車は、17両しかありませんでした。

名古屋市は、昭和27年までこの電気バスを使用してます。

(ちなみに、木炭車は、26年まで使用)

(出典 名古屋市交通局 「三十年史」(昭和27年))

電気バスの生産は昭和21年から始まった。

尼崎市では、23年から24年までの間に、11台の戦後型SKS型を使用しいたようです。

このSKS型(戦後型)は、徳島市でも使われていました。

昭和22年7月に地方配給委員会から電気バス11台の割当の通知が来ました。

昭和23年5月に5台、その後1週間で1台とどき、6月1日から運用開始

26年度(25年4月から26年3月)には、14台の体制で運航した

27年1月には、諸般の事情から運航を中止している。

(出典 徳島市交通局50年史(非売品))

と、まぁ・・・奥が深いなぁ・・・と

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デンソー号を調べつつ・・・

ここ数年、会社の社史をせっせと読んでいる

ここ2週間ほどは、日本電装15年史、25年史、35年史、デンソー50年史を読み、複写しています。

関東自動車工業15年史、30年史も読み複写・・・

チマチマと、デンソー号について調べている。

すると意外なことに、昭和15年にトヨタ自動車では、電気自動車を小数試作し生産していたことが判明した。

昭和15年に、トヨタ自動車刈谷工場(後の日本電装)で試作、翌年16年にこのEC型電気自動車を完成させた。

小数台数が生産され、宮家等に献上されたようである。

このEC型電気自動車が、後のデンソー号EA型となった。

EC型は、航続距離が短く一充電で、60キロであった。

電気自動車の研究は、戦時中も継続され、日本電装35年史には、昭和18年ころ、電気自動車の試作に従事していた人々という写真が掲載されている。

試作は、軽量化のために車体は木製上面にレザーを張ったものだった。

EC型電気自動車

あつた(アツタ)號関連で

トヨタ自動車25年史、30年史、50年史、75年史

豊田式自動織機製作所15年史

日本車輛75年史

なんかはバイブル化している。

読んでいるといろいろな発見がある。

あつた(アツタ)號関連で、昭和元年から25年ぐらいまでの社史をせっせと読んでいたら、日本特殊陶業の耐酸性容器の技術が、東陶が生産したロケット戦闘機の燃料精製用の「ロ号大甕」の生産技術に転用されていたことが判った。

ロ号大甕は、常滑市内、四日市市内には散見される。

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(常滑の森 収蔵品)

理由は、常滑は生産地、四日市は、旧海軍燃料工廠があったからである。

しかし、岐阜市内で大窯ほど大きくはない(高さ1メートルほどの甕)を2個発見した。

1個は、会社の看板、1個は民家の庭先である。

これは、民家の庭先の大甕である。

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この排出口が、常滑の森のものと同一である。


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(常滑の森の展示ジョイント)

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