「豊田自動織機製作所」小論 豊田利三郎、豊田喜一郎の二人代表の法的性格についての考察

豊田自動織機製作所の設立と、目的の小論

「株式会社豊田自動織機製作所」設立
設立登記 大正15年11月18日
商  号 株式会社 豊田自動織機製作所
本  店 碧海郡刈谷町大字熊田油木二番地の1
設立年月日 大正15年11月17日
目  的
1、紡績織布に関する機械及びその他の機械を製造し之を販売すること。
1、右に関する発明研究をなすこと各右に関する付帯する業務を行うこと。(文章ママ)
取締役
 豊田利三郎
 豊田喜一郎
 西川秋次(住所は上海)
 鈴木利蔵
 大島理三郎
会社を代表すべき取締役 
 豊田利三郎、
 豊田喜一郎(住所は、上海市)
監査役 
 豊田佐助
 村生時也
資本の額 100万円


株式会社 豊田自動織機製作所の設立理由
 登記簿上の目的は、機械の製造である。

しかし、実質的な目的は、大正15年3月に完成した豊田自動織機の試験工場を法人として豊田紡績から独立させる目的で設立された。

 豊田佐吉はかねてから「一人一業」を説き、みずから も自動織機の発明一筋にその一生をかけてきた点から、豊田喜一郎に対しての自動車に限らず新しい事業の足掛としての法人設立だったのではないかと考える。

 昭和6年ごろ、喜一郎は、新事業の模索の過程として、「自転車の製造」の検討をしたことがある。
 当時、名古屋には、岡本自転車自動車工業(ノーリツ自転車、後の岡本工業)の自転車生産工場が、隆盛を誇っていた。
 調査の結果、工場は、部品組み立て工場であることが判明し、且、喜一郎曰、トヨタが行うような事業ではないと判断してる。

豊田喜一郎の豊田自動織機製作所内での法的な地位
 豊田紡機株式会社史によれば
 故豊田喜一郎氏経歴
 「常務取締役に就任」
 豊田自動織機製作所の社史には以下のように記載されている。

 「社長 豊田利三郎、専務取締役 豊田喜一郎」

 「設立と同時に豊田喜一郎は、常務取締役として経営に参加」

 対外的には、豊田喜一郎は、常務取締役であったかもしれない。

 しかし、法人登記簿法上の記載事項を確認すると、商業登記上、豊田自動織機は、二人代表であったことがわかる。   

 社内の権限的には両頭鼎立という状況であったと考えられる。

 それは、「常務」の職名と「代表すべき取締役」とでは、企業内での権限で大きな差がある。

 明治商法では、取締役は3名以上、監査役1名以上必要とされ、代表取締役は、取締役から選任、本人の受諾があっての就任、就任受託をもって就任の登記であった。

 一般的な法理論では、常務取締役は、代表取締役に従属する地位である。

 ただし、取締役は、代表取締役を、善良なる管理者の立場をもって監理監督し、解任する権限を有すると解する学説もあった。

 しかし、同じ代表取締役の地位であれば、従属する地位ではない。

 明治商法における取締役は、各自の代表権、及び業務執行権を有していた(旧商法第第260、第261条)、したがって各取締役は、おのおのの業務執行内容について全般的に監視する義務を負っており、かつ、他の取締役の業務についても監視する義務を負っていた。

 当時の学説、大審院の判例は、取締役が他の取締役の職務執行を監視し、違法のまたは不正の職務執行を防止責任があるものとし、かつこの責任が善良なる管理者の注意義務を以て果たされるべきものと解していた。

 これは、大正4年3月10日大審院判決で、取締役の善管注意義務を法定根拠として取締役の監視義務を明言していた。

 この点から検討するに、多く語られてきた社長の利三郎の反対を恐れて専務取締役の喜一郎が隠れて自動車研究を潜行して行ったという図式が崩れる。

 表面上は、豊田利三郎を立てていた喜一郎は、豊田佐吉の後継者と目されており、かつ、豊田自動織機内に豊田佐吉の股肱の臣たる者が取締役を務めていたとしても、喜一郎が独断で事業を進めることは困難であったことは明白である。

 小説で書かれているような、俗説的な反対ではなかったのではないかと思う。

 佐吉の没後、喜一郎自身が、自動車事業をやるのは佐吉の遺志だということをしばしば言っていたようである。

 これは、自動車事業への取り組みに対する周囲の批判をかわすための方便だと考えるべきであるとの意見がある。

 しかしながら、設立同時に喜一郎が代表取締役であった点に重きを置けば、自動車とは限定せずに新しい事業の模索の場所としての存在であったと考える事もできる。

 豊田自動織機は、経営は利三郎、新規の事業については喜一郎が実権を握っていたと解すべきである。 

 喜一郎は、「東京、大阪の自動車工業従事事業者、先輩らの意見を聞きましたが非常なおおしごと(原文ママ)であって、技術的にも、経済的にも手がつかられないことがわかりました。

 そこで豊田自動織機製作所では、将来自動車工業へ乗り出すときの下地として、紡織機の製造には高級すぎる機械工具を買い集め、設備を次第に整えることから始めました。」とある。

 事業と関係ない高級すぎる機械工具を買い集めることは、明治商法では、他の取締役(経理担当)の善管注意義務を喚起するに足る事実だったのである。

 しかしこの事実も、喜一郎が、代表取締役であった点から考察すれば、代表取締役を管理監督することができるのは、利三郎しかいない。

 喜一郎が、豊田佐吉の直系であることから無理が利いたとするのは俗説であると断ずることができる。

 喜一郎は、豊田家の存続を賭けた新規事業を模索する権限を持っていたと判断すべきである。

 若い時に訪れたプラット社の隆盛と、特許譲渡に訪れたプラット社の凋落は驚きをもって観察したのではないかと思う。

 独断であるか、内諾を得た状態であったかは不明瞭ではあるが、昭和6年以降、喜一郎が、豊田自動織機製作所片隅で自動車製造への研究を開始し、翌年スミスモータエンジンの複製を完成したという事実には変わりがない。

 喜一郎が、新しい事業を模索する場所として作り出された存在だったと考えるのが至当である。

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トヨタ調査月報 TOYOTACHOSAGEPPO

トヨタ調査月報

1948(昭和23)年1月から発行されていたらしい。

7號が、23.7.14受け入れになっちているからである

納本である

7号から13号まで入手できたが他は存在していないかもしれない。

トヨタ博物館でさえ収蔵していない。

1935年当時の豊田自動織機製作所の取締役、トヨタ自動車工業の役員を調べている過程で発見で来た。

巻頭言 大西四郎、中山清一、大野取締役、梅原判二、隈部常務等々が書いていたので引っかかった

昭和二〇年代のトヨタ自動車工業の社内の統計、懸賞論文、各県の配給台数等の統計資料が主体である。

大変面白いと思うのだが・・

Ⅰから6、14以降の資料があるのか?

と云わせた気分である。

ついでに言うのねであれば、豊田英二氏の工作機化関係の工業能率指導叢書機械工作編 第一、第二という著述を見つけた。

かくて、仕事よりも頑張るのである

 

 

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ヨタの燃費と比べちゃいけませんが 80キロ走って、3.56㍑しか燃料使用しないプロボックスは偉いぞ!

最高で34から35キロ/リットルから、最高で37から38キロ/リットルを記録したことがある。

高速道路平坦路をひたすら走る。

キャブを絞り、屋根付けて窓閉めて・・・80キロで延々と、往復250キロぐらい一度も止まらず・・・

最初、高低差のある中央道で走るとダメ

高低差のあまりない東名でもダメ

ほとんど高低差のない伊勢自動車道と東名の静岡の一部区間で試したことが記録にあった。

もう27年ぐらい前の記録である。

メモが出てきて、呪文が書いてあった。

何だろうと思って、古い手帳をみた

2月下旬、寒い中、一人で継続にいそしんでいる

高速道路のSAで給油

そのままキロポストをメモしながら走る。

距離計は、タイヤのサイズが155なので、165に換算して計算していた。

キロポストを正常な数値として扱った。

距離が延びないと書いてあり、距離計とタイヤサイズに問題があるので誤差が出ると書いてある。

走るときは、ゆっくり加速、キャブは絞ってあるので回転が安定しないので負荷をかける様に、2500~3000ぐらいに回転数を一定にしてひたすら走る。

ガソリンはハイオクタンガソリンに、添加剤混入

オイルは、BPの軽いのを1回だけ入れた。

耐熱性が高いんは粘性が高いと読んだからである。

別段、変化はなかった。

寒い時期だからよかったんだと思う。

(後年のBP Classicは重かった・・・なあと)

一人で延々と夜の東名を走る

トラックが怖い

寒い寒い・・・

で出た結果はばらつきがある。

平均を出すと、大体35㎞/㍑が、最高

行き追い風の期に38㎞/㍑

帰り向かい風で、32km /㍑

無風は夜であるが、35Km/㍑

今から思うと、金曜日の夜から土曜の朝にかけて何やってんだか・・・

閑話休題

 

で、

今日、レンタカーを借りて、友人と、友人の親戚の家にものを取りに行った。

頼まれたので仕方なく・・昼飯に、つられてである。

欅の一枚板欅でできた重くて大きな文机

力仕事といわれて仕方なく・・・である

向こうは駅に来て

駅の近くのレンタカー屋でプロボックスを借りた。

最初高速で行こうかとおっもったが、下道でもそんなに変わらないことが判明して下道で片道35キロ

帰りは名古屋市内までで45キロ

11時30分には帰り着いた。

普通の車の流れで、渋滞はほとんどなし・・・

加速もよかったが、途中で息継ぎがあった。

ATだから?

エンジンが加速を学習していない感じがした。

で、お昼をいただいて…車を返しに行く前に給油

3.68㍑・・・・

80.3キロ走って・・・・うーん

重い車体の癖に、燃費良すぎ

ヨタの軽いボデイにダメダメエンジンが頑張るよりも、PCコントロールの燃費調整の方が偉大という事?

MTカローラが、大体18キロぐらい・・・次の我が家の車はプロボックス?

MTあったけ?

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菅隆俊さんについて調べている

今日友人と話をしていてこんな言葉が出てきた。
今のトヨタ車を、喜一郎さんに見せたげたいと思う。
喜一郎さんの理想の車がここにある
あなたの蒔いた種が、ここまで来ました。
社長を退いたのち、失意のうちにあった時に見せてあげたい。
そうしてもう少し長生きしてほしかった。
あえて、彼といいたいが、彼は理想に燃え、素晴らしい車を作ろうとした。
しかし、あまりうまくいかなかった。
基礎工業が存在しない日本では不可能だった。
最先端だった航空機製造、発動機製造の現場も同じだった。
航空機エンジンは、神様という名の職人が1台1台仕上げていた。
月産200台・・の増産に必要な資金は1000円(現在では、100から200億円)が必要と言われた
三菱発動機製作所は、時間管理を導入し、生産性をあようとしてもうまくいかない
海外からの工作機を輸入しても使いこなせない。
しかし当時の生産管理(三菱は、工作管理という名称を使用)自体は、源流がフォードシステムであり、その手法が発動機生産の現場に導入されていた。
当時一番進んでいた生産管理は、米国の自動車工業であった(’異論があることは十分承知であるが、フォードの生産システムは、生産管理のたまものであった。)。
米国は、その当時すそ野の広い工業生産国であった。
汎用機、専用機も、専用の工場があり、使用者側の要望ですぐに生産する体制があった。
日本はできない相談だった。
機械生産のレベルは低く、マザーマシーンが作れない。

 

中部産業遺産研究会のパネル展の今年の担当は、「菅隆俊」になった。
菅隆俊さんは、アツタ号の設計、キソコーチ号の設計製造に携わった。
豊田自動織機に入社して、豊田喜一郎さんの指示で生産機械の輸入に奔走する。
菅さんは、挙母工場の設計を任される。
戦時中、豊田工機(現在のジェイテクト)が設立すると、移籍し、工作機の生産に携わる。
戦時中、複数、工作機械に関する論文を書いている。
その内容は、労働生産性の向上、汎用機製造、それら機械の特徴を解説した論文である

 

マシナリー 4(6) 雑誌 機械製作資料社, 1941-06 <雑31-230>
多量生產單用工作機械の單位式設計に就て / 菅隆俊

 

自動車工業用工作機械に就ての一考察1942(昭和17)年

 

工作能率指導叢書 機械工作篇 第3輯 孔明および中ぐり作業
図書 陸軍省 編. 日刊工業新聞社, 昭和18

 

機械と材料 : 工業雑誌 79(985)
雑誌 工業雑誌社, 1943(昭和18)年

 

工作機械の主軸裝置 / 菅隆俊外一名 ; 豊田工機株式會社

 

今日及び将来の工作機械 : ユニット構成機械 (機械工作の進歩 ; 1944(昭和19)年

 

機械工作雑誌 7(1) 雑誌 機械製作資料社, 1944(昭和19)年

 

パワーユニツト及びそのアブリケーションに就いて / 菅隆俊

等々である
全部は読んではいないが読み込んでいる。

実に楽しい

トヨタ自動車挙母工場を建設時の記録を記載した図書があるのですがどこかで手に入りませんかなぁ

 

 

 

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新記録?

一か月に読まれたページが3900越え・・・・

ちょっとビビってます(笑)

トヨタスポーツ関係は…全然です

模型のSHS(静岡ホビーショー)がらみの記事で2000ぐらい・・・・・

しかも数頁を何人が読んだのやら・・

ツイッターでリンク張られて・・・来るわ来るわ・・・

ちょっと、ビビる私・・

大体、毎日60から多くて80頁ぐらい参照されます。

半分がヨタ、半分が検索

検索で来るのは大学が多い

企業は、関連記事を書くと来る。

デンカ号の上野製薬が来てたのには驚いた・・・

とまあ、グダグダ感あふれるブログですがよろしくお願いします

昨日は、トヨタ博物館開館30周年記念の講演会がありました

ルネ・ラリックとカースコットについての講演でしたが大変ためにになりました。

笑ったのは、最後の質問コーナーで、話のお中で時代背景でできた、バウハウスに関して、ある爺さんが

「ルネ・ラリックは、バウハウスにいたんですか?」という頓珍漢な質問をしてました。

仲間うちのみんなが、一番最初に勢いよく手を挙げて・・・それかよである。

爺さんボケてる?という感覚でした。

一番最初から並んで、整理券1番をゲットした爺さんでしたが・・

フランス人が、ドイツ人に芸術を習うか?ということであるが、バウハウス運動(芸術ではない)とルネ・ラリックの作品は、対局である。

ルネ・ラリックの宝飾品、カーマスコットは、合理主義的、機能的でないい、簡素化されない存在である。

デザインは、簡素化、キュビズム的な影響を受けたものがあるが、それは、写実主義の簡素化であって、ナチスの好んだような風合いではない。

時々、不思議な質問をする人がいる

昨年、学会で「キソコーチ号」短い発表を行った時に、エンジン搭載車と説明しているの、電気自動車?的な質問をした人がいた。

勘違いなのか、脳内転換なのかよくわからないが、時々、変な質問をする人がいる。

私は、こんな質問をした(笑)

ガラスの原料は、フランス産か否か

ガラス製造のるつぼは、どこの製品か?

島津のキリコのるつぼが、最初は英国から輸入され、後には、ベルギー(オランダだったかもしれない)から輸入されてるので、どこのるつぼを使ったのか興味がありました。

ご回答は、原料はフランス産

ガラス原料は自社で製造、猫坩堝(一般的にはクローズドポット)を使っているとのことであった。

ルネのカーマスコットは、金属プレス加工品であった。

ガラスの鉛の含有量は少なくプレスに適した材料という事であった。

鉛の量が増えれば確かに、柔らかくなるなぁと

減ると柔らかくなりますかと聞いてしまったのは勘違いである。

流動性が低くないと、プレス向きではないですよねぇ。

伊勢丹で、マスコット買えます。

前に、伊勢丹ではないが、有名なモデルを買おうと思ったことがある。

当時13万円ほどで、逡巡して買わなかった・・・今は16万ほどである。

何かほしい気がする。

まぁ、この手の講演会は好きなので、次回に?期待したいですね。

 

 

  

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ちまちまと、調査・・・主に戦前のトヨタ自動車工業

2月末以降のシンポジュウムの資料作成と見学会の終了で、少々、気分が落ち着いています(バカ・・)
去年11月開催だった、産業遺産研究会のパネル展示は来年1月となったので、少々余裕がある。
今年は、中部地区の技術者、経営者を中心にしたパネル展示になるようです。
私が、試案で上げた人物は、
全部自動車、航空機・・・の技術者経営者・・・・お里がばれるな・・・というか、あんまり自動車の事を調べている居る人いません。
横断的に調べてる人もあまりいません
一応守備範囲は1907年から1952年までの自動車工業、主に、中京(名古屋)地区を中心としたである。
1906年までは、佐々木さんという大先輩がお見えになりますので、追い越すには無理です。
ついでに言うなら、1947年から1970年までのトヨタ自動車工業の技術史も含めたいと思う。
主にパブリカトヨタスポーツ・・というか、U型エンジンについての研究・・・BMW,ツエンダップ、シトロエンの2気筒も調べないといけませんが・・・
そこで、「トヨタを作った技術者たち」、「主査中村健也」トヨタ自動車株式会社さんの本が欲しいのだが手に入らん・・・・
とりあえず、撮影、読み込み、文字起こしをしている。

先日、自動車界(昭和12年)の雑誌4冊3万円買いそこなって以来、、技術系の思考が沈没気味。
ほしい古本が、国会図書館、県図書館、市図書館にもない・・・・どうしようか・・と、悩みつつ。
トヨタ博物館に一部収蔵されてはいるが、ホイホイ見せてくれるものではないし、肝心の号がない・・・

ある分だけ資料を採取
TOYODA G1の新車紹介記事は入手
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トヨダのボデイ設計公募は、都新聞、東京朝日、東京日日新聞に掲載されているのは発見したが、関西の新聞社、名古屋の新聞社にはその広告がないことが判明。
東京の在野の技術者を引き込むことを考えての広告と思われるが、戦略的に誤りはない。
アジア号の完成時写真(川崎車輛)の複写もできましたが・・・
Photo
肝心の広告に対する優秀賞の発表記事が見つからない
新聞3紙、9か月分読んだが出てない・・・

色々検索しながら本を探してるとこんな本(冊子)があった。
昭和3年の、FORDが頒布した、会社の案内の冊子である。
各地の販売店を経由して頒布したようである。
FORDという会社の解説である。
表題
「Ford フォードの産業
 フォード自動車会社と関係事業の梗概
 米国 フォード自動車会社」
 奥付は、昭和2年10月31日印刷
 昭和2年11月5日発行(非売品)
 原文版権所有者 
   米國ミシガン州デトロイト市 
    フォード自動車會社
 譯文發行者 
    横浜市中区緑町四番地
    日本フォード自動車株式會社

名古屋地区の頒布は、
   フォード自動車特約販賣
  フランクケー、宮崎商店

これを見つけて、読んでいて、ハタと気が付いたことがある。
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「トヨタ自動車躍進譜」という小冊子を、会社設立時に頒布してる(後年、再頒布している。)。
これが、このFORDの冊子によく似てるということである。

豊田喜一郎氏は、非常に現実主義者であり、まずは、できることを行う。
今できないことは後回しでもよいというスタンスであった。
市販のAA型にしても、内製化できないパーツは、すべて、FORD,シボレーのパーツを利用した。
トヨタAA型と、FORD シボレーのパーツ互換表があるぐらいである。
後年此の内製化で大いに悩むことになるのであるが・・・。だが車をつくるという目的のためには、それらの事実には目をつぶり、車を完成させたことは素晴らしいことだと思う。
この躍進譜を作ったのは、販売系統の神谷正太郎氏か、GMの販売店から移転した者の入知恵か、判りかねるが、豊田喜一郎氏は、この冊子を出すことで、「トヨタ自動車」とは、ほかのメーカーとは違いますよという意思表示だったと思われる。
トヨダ自動車躍進譜は、トヨダ自動車工業の会社案内としては、時節にあったと考える事ができる。

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帝国自動車保護協会 出版部 発行 「全国自動車所有者名簿」

全国自動車所有者名簿

帝国自動車保護協会 出版部

東京市麹町區内幸町1-5

大正13年11月5日印刷

大正13年11月10日発行

この本は、東京府から外地の朝鮮総督府、関東州も含めた車両の所有者の名簿である。

有名どころでは以下の通りである

1番から10番までで、貨物は、3台しか登録がない。

1番 明治屋合名改社    自家用 貨物

2番 舟橋英雄        自家用

3番 三越呉服店      自家用

4番 凸版印刷株式會社 自家用貨物

5番 三ッ引商事株式會社 自家用貨物

6番 山本鎌太郎       自家用

7番 坂田鶴松        自家用

8番 凸版印刷株式會社 井上源之助 自家用

9番 大蔵省         自家用

10番 渡辺治右エ門    自家用

11番 岩崎輝彌       自家用

12番 山本権兵衛     自家用

26番、87番東京府    自家用 乗用

30番、31番、79番 内務省

37番,321番、425番、星製薬

47番、104番 岩崎俊彌 

63番 三井物産株式會社

77番 渋澤栄一

81番、210番 岩崎小彌太

86番、190番、353番 日の出タクシィ株式會社

99番 三井八郎右衛門

100番、134番 三井物産株式会社 代表 手塚謙吾 

117番 東京乗合自動車株式会社 営業車

230番 幣原喜重郎

233番 徳川義親

251番 近衛文麿

280番 中村座 田村壽三郎

284番 北里柴三郎

286番 大倉喜七郎

366番 木戸幸一

380番 有栖川宮家

400番 團 琢磨

全部の記載はムリである。

 

でも楽しい

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94年前の本

大正13年の発行のある本には、当時の全国の自動車登録番号と所有者の氏名名称住所が書いたものがある。

多くの府県は、登録番号の記載がある。

残念ながら愛知県の登録番号は記載がないが、所有者一覧はある。

豊田佐吉、豊田利三郎、豊田喜一郎、豊田平吉(佐吉氏の長兄)の名前で登録がないかを探したのである。

豊田佐吉の関係の展示で頒布された本にこんなことが記載してあったからである。

豊田平吉(豊田佐吉氏の兄、後のトヨタ自動車工業、監査役)氏は、大正12年から13年にかけて、欧米視察旅行に出ている。

その折、ドイツ製電気自動車を土産として購入

(「研究と創造の生涯 佐吉の志と、それを支えた人々」トヨタ産業技術記念館)

つまりは、13年の全国自動車所有車の一覧を見れば登録の有無が判ると考えたのである。

残念ながら、愛知県内では、上記の者の登録はなかった。

豊田自動織機は、車両の所有をしているとの記載があった。

何を調べているかと云えば・・・デンソー号の関係をチマチマと読み込んでいます。

現在、TOYOPET SD型の関係で、荒川車体、関東電気自動車工業、三菱名古屋航空機製作所の製造、製造していた車両に関することまで深い入りしています。

蛇足ながら

東京府の所有者一覧を見ていて少々驚いた

東郷平八郎

山本権兵衛

鳩山一郎

のお三方の所有緒記載があった。

 

 

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TOYODA MODEL AA1936 WALK AROUND (豊田 AA型)




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WALK AROUND  TOYODA MODEL AA SEDAN 

 

( for Tamiya 1/24)

 

 トヨダAA型 セダン タミヤ模型 1/24 資料)

 

TOYODA MODEL AA it's expected to sell from TAMIYA .
material picture of [TOYODA Model AA sedan].

 

A vehicle of TOYOTA AUTOMOBILE MUSEUM(TAM) keeping.
A vehicle of keeping is the vehicle Toyota Motor  restored in TOYOTA AUTOMOBILE MUSEUM.
An engine was also reproduced.
A gumwood of the present plan is used for weather strip.
A gumwood is also used for cushioning material of an engine compartment cover and the body, but when it's original, fiber material and leather material should be used.
AB Phaeton TOYOTA AUTOMOBILE MUSEUM possesses is the valuable car for which the form of the those days is often left.
It's reproduced by this material picture (another page carrying) by the material really similar to the material of the those days.

 

A vehicle which exists by a vehicle in those days is found in Russia and it's only exhibited 1 car in a Dutch museum

 

 

 

Material of AB Phaeton, this↓.
The shape of the engine compartment and the inner arrangement, etc. are helpful.

 

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/toyota-toyoda-t.html

 

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-2bc2.html

 

 

 

無断転載禁止

 

It can't be reprinted without notice.

 

 

 

 

 

田宮模型から発売予定のTOYODA MODEL AA セダンの資料写真です。

 

トヨタ自動車博物館収蔵の車両です。

 

トヨタ自動車博物館に収蔵の車両は、トヨタ自動車が、復元した車両です。
エンジンも再生産されたものです。
ウエザーストリップ等は、現在の企画のゴム材が使われています。
エンジンルーム覆いと車体の緩衝材もゴム材が使われていますが、本来であれば、繊維材、皮革材を使用していたはずです。
トヨタ自動車博物館が、所蔵するABフェートンは当時の姿を良く残す貴重な車です。
こちらの資料写真(別ページ掲載)には、当時の材質によく似た素材で再現されています。

 

当時の車両で現存する車両は、ロシアで発見され、オランダの博物館に展示されている1両のみです。

 

 

 

AB型フェートンの資料はこちら↓エンジンルームはの形状は参考になります。

 

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/toyota-toyoda-t.html

 

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-2bc2.html

 

 

 


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「TOYODA」

 

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フロントサイドビュー

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フロントボンネットヒンジ

 

前部発動機覆蝶番金具詳細

 

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左側後部

 

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右側後部

 

 

 

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車体後部下部
手前の筒は、排気管

 

白く見えますが、反射して白っぽく(銀ぽく)見えるだけです。

 

リーフスプリング

 

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奥の丸いのはけん引用フック基部

 

ドア関係

 

 

 

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後部座席ドア(赤いひもは、車体には関係が無い進入禁止の警戒線を表す紐)

 

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室内のグレーの出ている部分は、ひじ掛け

 

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リアのドアハンドル位置、金具

 

 

 

運転席側のドア断面

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ドアの折り返し部分

 

復元車なので、ウエザーストリップはゴム材が使われている。

 

1936年当時はゴム材は一般的ではなく、筒状の革材であったとおもわれる。

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前席ストッパー

 

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ストッパー下段 、ヒンジ、ヒンジカバーはつかない。

 

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ドアの最大に開いた位置

 

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フロントフェンダー内側 艶消し黒の筒は排気管

 

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フロントフェンダーの接合部分(ボルト締め)

 

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フロント下部、黒い筒は排気管

 

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フロントノーズ下部

 

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フロンとフェンダーの内側リーフスプリング、基部

 

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フロントフェンダー下部支え。

 

 

 

 

 

ボンネット、エンジンルーム

 

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ボンネットの緩衝材は布製、スナップリングで固定

 

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ボンネット側基部


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ボンネット支持架

 

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エアクリーナーケース

 

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パイプ類は、銅製

 

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ラジエター上部

 

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フロント左側の前部

 

 

 

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冷却水投入口蓋
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中央部分に見えるクロームメッキの筒はホーン本体の筒の部分

 

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ボンネットを閉める

 

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銅パイプの先が気化器

 

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PART2↓

 

http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/toyoda-model--1.html

 

 

 

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WALK AROUND Toyota AB Phaeton ( for Tamiya 1/35) part4 トヨタAB型

先日、バックヤードツアーで、ようやく取材ができました。

 

追加の写真です。

 

ワイパーモーター付近

 

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Dsc09330 UPER SIDE

 

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Dsc09333 配線の出方、ウエザーストリップ、

 

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ハンドルのホーシングの下にある黒い丸いものは、ホーンの風船部分。

 

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Dsc09370 Dsc09371 グローボックス

 

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ボンネットステー

 

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こんな感じで開きます。

 

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Dsc09495 予備タイヤカバー

 

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Dsc09478

 

Dsc09479 給油キャップ

 

Dsc09480 予備タイアカバー、下側ロックパーツ

 

Dsc09483 タイヤカバーロック引き手

 

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Dsc09484 ロック部分のヒンジ部分

 

 

 

Dsc09488 タイヤカバーロックのアンダービュー

 

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