自分が受けたパワーハラスメント、その2 人事評価制度の馬鹿らしさ。

前段
人事評価で、ある年の私へ人事評価は、「普通」であった。
ある年に、「優秀」から「普通」に落とされて以来5年間、どんなに成績を上げようとも評価は「普通」、ダントツでよい成績を上げた時も、「普通」・・・「優秀」だった期間は、8年間だった。
そこで、もう将来がないことは十分承知しているが、モチベ―ションをあと数年保つためにも、その年はものすごく頑張った。
が、評価は、再び、「普通」だった。
そこで、さすがに頭にきて、評価が低いということで、本店に再評価を申し出た。
筆頭副長からの指示で、担当副長と評価についての面接する必然を告げられた。   
指示を受けた日は、金曜日であった。その日は、担当副長は有給休暇を取得していた。面接は、翌週の月曜日に持ち越された。
翌週の月曜日に、担当副長と面接をした。
副長は、休みの間(有休を含めて3日間)考え抜いてこの会談に臨んだそうである。
私は、「人事評価の評価基準はどのような基準を根拠にしているのか。」と尋ねた。
この年度は、担当を持たない遊撃選手の様な立場だったので、数量的な評価ができないようになっていた。自人事評価は、絶対評価であると云いながら、その実、相対評価である。
以前から、評価基準が良く判らないという気分があった。
「普通」と判断していた仕事量の基準を尋ねたかったので、上記の様に、基準を尋ねたのである。
しかし、というか、予想通りで理論的な判断基準を答えてもらうことはなかった。
数字上で表現される処理の数字がわからないのであれば、何を基準にして評価を下したのか知りたかったのである。
それは自分が、その年に行った実際に行った事務量を理解しているのか不安だったのも事実である。
効率的な運用をしていることを理解していたのか?
事務処理の効率化を独自に行っていた事、具体的には、記録については、すべてを定型化して、数文字入力すると、必要な項目が定型文で現出する容易文字登録を行い、定型文書式をすべて記入して、定型文のコピー貼り付けをすることで記録を記載する時間の短縮を図り、事務効率を最大限に上げる努力をしていた点、その他の雑務に関する多くの仕事勘案しているのか尋ねたかったのである。
担当副長との面接で、上記の様な事務効率の向上は、全く評価されていなことが判明した。
個室内でのパワハラ
当方の求めた、評価の明確な基準を語ることはできず、「もっとできるはず」という意味不明の主張を繰り返すのみであった。また、小生のように53歳の万年主任に向かって「のびしろがあると」と繰り返えしてのべた。「伸びしろがある」という言い方に非常に人を侮辱した発言であるので、私しては、非常に立腹した。  
この面談は、10時30分から始まり判断基準について説明を求めても明確な回答はなかった。
過去に、担当副長は、自身の出身母体の手法を最善と信じているので、その部の手法で処理しろと云ってきた。
その部とうちの部では、目的が全然違う。
うちの部の通常の処理手順では、半日で終わる仕事であった。
しかし、副長の手法は、時間が非常にかかるもので、うちの部では全く行わない手法であった。日数は、2週間(実従事は、10日)かかった。
結局、実効のある処理はできず、この2週間は全くの無駄足であった。
ちなみに、うちの仕事しない課長は、当たり前だが、私に、全部丸投げであった。
その、ものすごく面倒なその事務には一切従事せず、車に乗って、遠方はへらへらと出かけては時間を浪費していた。
後日、実績が上がらないのは、事務効率が悪いからだと、主張した。
この時の現場を無視した指示を含めて、数件同じような処理を行っていたので、全然実績が上がらなかったので、その指示による従事日数が何日間ありましたから、事務効率が悪くなりましたと答えると。
そんなの指示は出していないと述べた。
仕事しない課長に指示を出し、この課長は、その部にいたことがないので、その内容が理解できず、私に振ったので、私は再度、内容を聞きに行った時の出した指示は全部失念したように、小学生が責任逃れをするように、「そんな事、何時一過いいました?私は、そんな事は言ってない」と述べた。人間としてどうだと思った。
11時46分からは、評価基準のあいまいさを糊塗する努力が見られて、この「のびしろがある」という語を繰り返し使っていた。
「もっとできる」という根拠を尋ねても全く明快な回答はなかった。
私は、あることで精神的痛手を被っていた。
それは、いくら頑張っても、本店から嫌われていたら、昇格はできない、覚え目出たい者であればどんな屑のような者でも管理職にあるという事実は、自分のプライドを痛く傷つけたことは事実である。ここで、少し心が折れかけた。
その後2年程、毎年の様に心は折れ続けた。
とはいえ、仕事は仕事であると考えて従事していた。
ひどい前任者の処理を適正の戻すことに邁進していると、勤務時間内にストレスからくる病気が発症、勤務中に救急車で搬送されたことがある。
こうなると、頑張ってもこの先何があるのかと思うと、無理をする気がない。
だから、無理をしないで、通常の仕事プラスアルファを行おうとすると、必然的に事務効率を向上させるしかない。
(もともと、仕事は早い。以前の普通な上司は、私に対して、ひとの2倍程度の事務量をこなしていると評価してくれていた。)
この副長の「もっとできる」と思う根拠と、「病気をしている過去がある点」をどう考えているのかという点を問いただしても、理論的な説明はなかった。
理論的な説明にならない言葉、つまり駄弁を弄する状態であった。
説明できない点について、繰り返し駄句を用いて説明していると、12時26分に筆頭副長が、担当副署室へ入室された。
筆頭副長へ概況を説明し、説明ならない説明を繰り返している旨を告げた。
すると、担当副長は、筆頭副長の前で、同じ駄句を用いて説明をして、1回「のびしろがあると」という語句を使った。録音上では、1回申立てていることは確認ができる。(後に、苦情の処理結果が届いたときには、筆頭副長は、聞いてないと述べた。)。
本店の人事の課長補佐が、聴取に来所することが判明した時点で、本店の聴取だと思ったので、「弁護士の同席を求めたい」と云ったら拒絶された。
理由は、内部の事だからである。
内部の事でも、第三者が立ち会った状態で会話には、言った、言わないという争いが発生することは無い。
後日、人事部の補佐の聴取に対しては、今回の評価についての疑問点を列記してあった内容の説明と、担当副長の面談での「のびしろがある」という発言は、他の部の手法を強制的に行わせ、結果が出ないと、事務効率が悪いと言って批判するのはパワハラではないかと伝えた。
すると、この担当副長は、人事部の補佐の事実関係の聴取時に、パワーハラスメントのような発言はしていないと述べた。
副長の主張は「伸びる余地がある」とは言ったと述べたと事である。
「伸びしろがある」と、「伸びる余地がある」という言葉の間に乖離はない
内容は同じである。言葉の語調を変えれば、侮辱したということには当たらいと主張する点が愚かである。
この担当副長は、自身が述べた言葉について「伸びしろ」」と云ったことに対して、都合が悪いと感じたようで、「のびしろがあるとは言っていない」「のびる余地がある」といったと主張して、私が言うことは「嘘」であると主張する(この「のびしろがある」という言い方は、当方の録音を確認したが、通算5回発言している。)
担当副長の会談は、12時36分に終了し、筆頭副長の部屋で、担当副長との話の内容を説明していると、筆頭副長も、「のびしろがある」という言い方はちょっとひどいという感想を述べられたぐらいである。
副長として、自分の言ったことに責任を持たず、都合がわるいと、自身の述べたことは、「聞いたと称する者の嘘」と主張して止まない。
人格的に問題があるのか、この部の人間の特質なのか、嘘をつくのが当たり前なのか判然としないが、私を、人事の補佐に対して嘘つき呼ばわりして、私を「嘘つき」に仕立てあげる行為は、ある意味、他人の人格を貶める行為である。
これこそ、パワーハラスメントの典型ではないかと思惟する。
蛇足
  僭越なことを述べるのであれば、この様に、都合が悪いと逃げる、理論的に人事評価の説明ができない者が幹部職員として、多数の者の管理者として君臨する人事制度は大きな問題があると感じる。
苦情に対して、うちの部と、人事部で協議して、結果評価に変更はなかった。
ここで、この評価が変わらなかったことに関して苦言を申し上げるのであれば、仕事をしない上司の補助を行う点は一切顧慮しないという点である。
一番のパワハラは、この仕事しない上司面倒を1年間見させられたことであろう。
この仕事をしない上司に、何とか仕事をさせるように、毎日、不足する点の補正を求める事務に従事することは、非常に苦痛であった。
実質判断は何もしない、勤務時間の時間つぶしに邁進している姿がアリアリの見えている者の面倒をしていた、換算的には一日の事務の10%以上を占めていた。この点を顧慮しないのは失当であると感じる次第である
また、この副長の様に、理論的に思考する能力の欠如した者を、管理職に就任させる人事制度には大きな欠陥があると感ずるのである。
 また笑ってしまったのは、人事評価への再評価の請求(苦情)の結果、支店、本店では膨大な事務量を要したと苦情があった。つまり、通常の評価、上司の行う評価は、時間をかけて検討した面は極めて少なく、自身の気分的な面が大きく、すべての事象を検討しての評価ではないことがわかる。今回の様に、本店が電算上の実績確認は、システム上で確認した。
確認結果、評価に変更はなかった。
評価は、電算上の結果だけを抽出して、事務処理は普通と判断された。
上司への助言、要請は、やって当たり前、新人への指導は評価しないという事が判明した。
月に数回行っていた、サーバー上で、皆が放置していた資料を、適宜整理していたことは、
評価する、ただ、主任としてはやって当たり前と云われた。
ほかの主任が誰も処理しないから処理していたのであるが、そういったことをしないのが当たり前であるが、処理して評価はしないという事は、やらなくてもいいという事ではないこと思うのである。
今回の人事評価の再評価で判明したことは、人事評価制度が絶対評価であると云いながら、基準はあいまい、現実的には、電算上で結果出る仕事だけをやれば良くて、やる気がなく、能力的に問題のある仕事しない上司を叱咤激励しつつ事案の処理を計り、説明できない上司に代わって、支店長への事前説明を行い、かつ、若手職員への根本的な考え方の教示指示をした部分については一切の顧慮はされていなことが判明しただけである。

 

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自分が受けたパワーハラスメント(その1)

某支店勤務時代のパワーハラスメントについて
私は赴任当初から2か月間ほど、この時の上司のパワハラ課長からパワーハラスメントを受けていた。
私は、この時、育児のために時間短縮勤務を利用していた。
残業は皆無であったが、日常生活は非常に多忙であった。
子育て(子供の学童保育へのお迎えと、家事全般、朝晩の食事を作っていた)と長距離勤務で心身が参っていた。
心身的に疲れた状態で、パワーハラスメントを受けると精神的ダメージが大きい。
パワーハラスメントの結果、通常心身症等になる場合が多いが、私は、自身の仕事ぶりと、自身の自助努力で、心身症になることを免れた(後述する。)。
このパワハラ課長による、パワーハラスメントの詳細は以下の通りである。
私が、赴任した直後から、いじめの様なパワハラが始まった。
この原因は、当時、同じ岐阜の支店で、広域担当付きであった某が、讒言を吹き込んでいたのである。
ちなみにコイツと一緒に仕事をしたことは無い。
その讒言を真に受けて仕事をしない、嫌いな部類に人間と判断したようである。
このパワハラ課長は、無理やり抑え込んで使う気になったらしい。
当初から仕事に対する指示は一切なく、無視されていた。 
最初から敵対的な言動があり、1か月間、初任者の対するような指示を行った。
仕事に対する指示が一切ないので、自ら事案を選定して処分を進めてよいか尋ね、
許可を得て職務に従事していた。
許可といって消極的であった。
基本は、勝手にやればいい、面倒な事案は着手しなくてよいであった
仕事内容については、中身を見て自分で処理を進めろと言われたのみである。
そこで、私自身は、処分対象事案を選んで処理を進めるという形をとっていた。
事案を検討していると、着任後1年の間、特殊な、と云うか面倒な事案は一切着手していなことが判明したので、その事案の着手の可否を尋ねると、時間がかかりそうなものは着手しなくてよいといわれた。
(ところが、後日、20年ぐらいの在職中に1度か2度しか出会わないような事案、つまりものすごく面倒で、手間と時間がかかり、法理的な理論構成をきっちりと組んでおかないとできないような事案、すべてを処理するように命令された。

パワハラの実態は、具体的には以下の通りであった。
毎日の朝の挨拶以外は無視された。
報告に当たる記録文書には、余分なことを書くなといわれた。
余分な事とは、聞き取りをして、現況を詳細に聴取した場合、その状況を詳細に書くと、あとから困るから記載をしてはいけないといわれた。
記録を正確に残すことについて何にが、困るのかと思うのだが、あとから気が付いたこととしては、この者が後から行うかもしれない不正な処理に障害をもたらすからだった。
こちらとしては、自己防衛があるので詳細に聞きとったことは詳細に記載している。
当時は、記録は手書きだった。
記事を書くペンの色は、黒または青でよいはずのものを、黒で書けと強要した。
小生は、万年筆で記事を書いていた。
それは、記録を後から改竄されないようにするためだった。
万年筆を使い、色目は特殊なロイヤルブルーで書くと、あとから改竄しようがないからである。
こちらは自己防衛で、10年以上続けていたが、誰からも何も言われたことは無かったが
ここで、色は変えざるを得なかった。
部下職員は、上司の命令に従う義務があるからである。
一番嫌だったのは、日々、新人職員に言うような小言を、小声で言われ続けた。
一般の課から切り離されていたので、小声で言われると一般担当の者には聞こえない。
何か言うと、「ただの主任の癖に僭越なことを言うな」と言われた。
そこで、自分で仕事を探して、パワハラ課長が処理しない案件の処理をしていた。
前任者の意味不明な記録を読んで、いわゆる長期放置事案の後処理に邁進していた。この間、処理の概況を伝えて、方針の諾否を尋ねたが、特段なんの指示もなかった。
いわゆる無視という奴である
個人的な感覚では非道いパワーハラスメントを受けていると感じていた。
わたしは、その当時、育児の関係で、勤務時間短縮を使用していた。
具体的には、昼食時間を短縮し、100%残業ができない状況であった。
すべてを時間内に処理する必要性があった。
その為に、3年間の勤務期間で、昼食をまともにとることはできなかった。
体は疲弊し、体調は最悪だった。
このパワーハラスメントを受けつづけた結果、自分でも自分の行動思考パターンが非常にネガティブになっていることに気が付いた。
要は、精神的に変調をきたしてきていることに自分で気が付いた。
赴任後3週間ほどで変調を来していることが分かった。
変調を感じて、診療所へ行くことを決意したのは、4週目である。
この変調は心身症の前駆的症状で典型的な、毎日の出勤時の出社拒否の感覚となって表れた。
具体的には、駅に着き、支店へ通勤手段は、自転車だったのでので、駐輪場へ歩く間に、こんなことを感じるようになった。
まず、「今日も、嫌だなぁ」である。
次に「出勤したくない、帰りたい」とい気持ちになる。
最初は、「帰りたい」という気持ち強かった。
それが徐々に「仕事を辞めたい」と感じるようになり、かつ、「死んだ方がましかもしれない」と考えるようになっていた。
駅から支店へ行くのが「嫌で、嫌で」たまらなくなり、足が止まることがあった。
育児もあり非常に先行きに不安を感じるようになっていた。
一時期、死んだら楽ではないかと考える様にもなっていた。
小さな子供、家族のこともあり、退職することは生活に困窮をきたすことは目に見えていたので、退職することもできず、老いた親の事、子供の事を考えるどうしたら良いのか悩んでいた。
一般的にはこのまま進めば、心身症になるか死を選ぶべきかという状況である。
幸運なことに、自分はそこまで弱くはなかったので、この時点で、このような精神状態は何であろうかと考えた。以前読んでいた医学書引き出して読んでみた。
自分の記憶では、この状態は鬱の症状になる手前という感じがしていた。
この状況を自己分析したら、どう考えても、心身症の手前であると判断できた。
自分自身で、このままでは、心身症になると感じた。
支店内にはそのような相談ができる人もいないし、環境でもなかった。
遠方の友人の医師に相談をすると、病院へ行くことを勧められた。
ただし、専門の心療内科へ行くと精神病気と診断される可能性が高いので、役所内の診療所へ行って相談しては言われた。
そこで、診療所へ行った。
医師の判断では、心療内科を受診したら、心身症と診断を下されるような状態といわれた。
ただ自分でそう思って相談に来ているから鬱とは言えないといわれた。
当時の主な症状は、不安感が強く、眠られないと云う状況であった。
医師は、催眠誘導剤を使って寝ることができる様になれば改善するとの診断であった。
医師の指示通り、薬を服用したら、安眠を得られるようになり、心の平安を得ることができ、何とか、踏みとどまることができた。
そうして、このような卑劣な人物に屈するべきではないと思い至った。
自分は、ある程度の自己管理ができていたので、何とか、旧に復する事ができた。
このパワハラ課長の攻撃は、9月位ごろには終息した。
終息はあっけなかった。
終息した理由は、このパワハラ課長自身が、私の仕事ぶりを見て、広域担当の讒言を、事実無根と判断したことによる。
それからは、仕事しないクズの主任から、使いでのある主任さんにで、評価が変わったからである。
状況的には、敵対的なパワハラは無くなったが、自分がやり始めて、特殊な事案と分かった時点で、丸投げされることは増えた。
しかし、邪魔はされなくなったので、気分的には楽だった。
評価の転換点がどこにあったかは、知りようもないが、ある時、現地調査に行く途中で、車中で、私に向かって「前任者の二倍のスピードで仕事をこなす、すごいわ、感心する」といわれた。
変な先入観を捨てて、仕事ぶりを見た結果、パワハラは終息したが、その後、別のパワハラ以上の問題が起きた(後日書きます。)。
しかし、この状況を後から考えると、ある意味、恐怖心を覚えることがある。

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ウチのパワハラスメント

ウチの職場の諸悪の根源というべきは、各部の幹部職員の体質である。
某部では、特定の幹部職員は、「部下をつぶす」ことを趣味としているような者がいる。
他の系統から、うちの部へ転属してきた者の大半がなぜかその手の人物が多い。

という事は、一時期、人間のクズの捨て場になっていた可能性がある。
この転属してきた者の言動を見ていると、人を苛(さいん)むことに快感を覚えている者が多い。
これらの加虐性を有している者を見ると精神的に病んでいると思う
あまりにも酷すぎて、他の部から放り出された加納が高い。
この様な精神的に病んだ幹部職員は、全体では、多数存在すると思われる。
これらの加虐性を有する者の特徴は、影、日向(ひなた)なく、継続的にパワハラを行うのであるが、周囲の本店職員は、基本的に見て見ぬふりをしている。
 周囲の本店職員は、上昇志向が強いのと、自己保身(パワハラを訴えた場合は、後の幹部の報復が怖い)が強いので、パワハラ、セクハラを繰り返して行う上司を告発できない。 
 また、それらの日々のパワハラを見慣れてしまい、パワハラという犯罪行為を見ても、何も感じない不感症のような者もいる。
 年に数回、「パワハラとは何か」という研修をおこない、具体的な事例を提示しつつ研修を行った者(副長クラス)が、そのパワハラに該当する行為を行っても、自分自身行為は、パワハラではないと感じるようで、継続かつ反復的パワハラを行う者が多い。
 この様な、理解力の低い、危機管理能力の低い者が、7級、8級職に在職しているのか甚だ不可思議である。

 本店の一部の幹部職員の目に余る行為がある。
 同一の者による、パワハラ、セクハラを原因として複数の者が病気等になった場合、病気になった方が悪いという発想がある。
 現在パワーハラスメントに対して厳しい対応をとる傾向があるが、幹部職員(特に将来支店長、副長になりそうな者)の行為は、どことなく容認する傾向がある。
 本店では過去、現在のパワーハラスメントの対応が悪かった所為で、上位の幹部職員には、パハラワは容認されると意識が醸成されたようで、パワーハラスメントの発言、行動は絶えない。
 この対応の悪さは、上位の幹部職員のパワーハラスメント、セクシャルハラスメントに対して厳しい処分を行わなかったことに由来する。
 職員間で、酷いパワーハラスメントが行われている場合でも、周囲も沈黙、本店人事も沈黙、加害者は保護され、被害者は病気になるか、退職するかのどちらか道を選ぶことになる。
 人種的嫌悪というか、人格的嫌悪感から責め苛むことがある。

 旧聞に属することであるが、壊し屋といわれた某パワハラ課長(当時)がいた。

 この者は、部の某課長補佐に対して過度のパワーハラスメントを行い、退職させた前科がある。
 これは、パワハラ課長から見て、というか、課長の個人的な感覚で、課長補佐自身への「人間的に気に入らないという種族的な嫌悪感」から来ていたといわれている。
 このパワハラ課長は、多くの職員を精神病に追い込んで、つぶして(退社させて)いる。

 退職はしなくともそのまま在勤している者は、「精神病を患った」と言うことで、将来性は消滅していた。

 被害者の1名は、精神的に責めさいなまれて、病院送りになった(この人は後に死亡したらしい。)。

 1名は退職に追い込んでだ。

 パワハラ課長は、社会的に見れば人間の屑としか言いようのない者である。この者は、ある部署の長で退官した。
 亡くなった人のことは良く知らないのでここで記載することができない。
 退職した者の件は、よく知っているので、以下のように記す。
 ウチの部は、当時は、6階にあった。
 パワハラ課長は、毎日、課長補佐に対して、「6階から飛び降りろ」等の暴言を投げつけていた。
 補佐自身も自身の無能さを認識していたが、順繰り人事でたまたま課長補佐になった経緯があるにしても、毎日、継続反復的に言葉を投げつけることで、言われた本人は、いわゆる「鬱」というか適応障害の状態になった。
 この継続的なパワーハラスメントは、周囲が見ていてもすさまじいものであったという。
 当時の部内で、同室内に居たであろうパワハラ課長よりも上位の幹部職員は、そのパワーハラスメントを無視と云うか、我が身大切さに不問に付していた。
 このような、公然としたパワーハラスメントが行われていても、部長から事務官に至るまで、何らの行動を起こさなかった。

 推測するに、明日は我が身という気持ちが先行して、告発をする気持ちを持ち得なかったと思われる。
 この部での、毎日執拗に行われているパワーハラスメントは有名であった。
 本店の総務、人事、他の部の職員の多く知っているような状況であった。
 恐るべき事実として、宿舎(社宅ね)では、職員の妻、小さな子供さえも知っているような酷い状況であった。

 末端の支店職員でさえ、噂で知る様な状況であった。
 このような状況下にあっても、誰もパワハラ課長を諫める者はなく、パワーハラスメントを放置、被害者の救済は何も考えず、パワハラ課長と被害者の課長補佐のやり取りについては無視を決め込でいた。
 この時の本店人事部は、課長の行為を、不問に付し、無かったこととして扱った。

 これはその後、パワハラ課長が順調に昇進を繰返えし、最終的には、支店長で退職した点からもうかがい知ることができる。 
 不問に付した工程は、まず隠蔽すること、つまり、なかったことにすることを目的とした工作をおこなった。
 手法としては、当時の考えでは、告発をできるのは、パワーハラスメントを受けた者、つまり被害者を、排除を目的とした工作を行った。
 現実的には以下の様な工作であった
 うちの部は、うちの部からの署長候補が減ることで、部局の局内での支店長、副長への昇進ポストが減ると考えたのか、パワーハラスメントの主犯であるパワハラ課長のパワーハラスメント行為をなかったことにして、不問に付すように工作を行った。
 不問に付するにあたって、被害者の課長補佐の存在が問題となるので、この者の排除を目論んだ。排除の方法は、自主的に退職させる方法である。

 手法は、退職後の生活の安定、つまりは再就職先の斡旋による収入面での安定を保障することであった。
 この時、課長補佐へ、パワハラの告発をしないという条件飲む様に要請し、告発をとどめる条件闘争を行った。

 被害者は、退職後の生活の安定を求め、優良な再就職先を要求した。
 本店は、パワーハラスメントの告発をとどめる為に、当時すでに禁止されていた退職後の就職先の斡旋を行った。
 再就職先は、某自動車関連の企業へ再就職であった。  
 その課長補佐は、当時鬱病を発症しつつあった。鬱(精神病を発病した場合)になった場合、爾後の昇進がおぼつかないこと熟知しているため、退職して、本店人事が秘密裏に提供した再就職先へ再就職した。
 この者は、某自動車系の企業へ再就職を果たた。                                         

 配属先は、結構厳しい部所であったようである。

 根本的に本店内部の遊弋術は長けていたが、能力的に一般社会での使用レベルではなかったようで、再就職後、数か月で、役所への書類の提出、証明書の交付申請といった入社したての社員が行う、お使いの様な仕事に従事していた。

 結局いたたまれなくなり、再就職先を退職した。

 この人の人生もこの後は波乱万丈であった。

 パワハラ、セクハラの常習者が、幹部を歴任している理由は何であろう。
 現在のうちの部の某課長は、某支店の総務課長に任命時、着任前から色々と能力的に問題があるといわれていた。
 同某支店の副長と、この者は犬猿の仲であった。
 この者が総務課長に着任して早々、支店長あてに本省から、「いろいろと問題を引き起こすかもしれないが、大目に見てやってほしい」という連絡が入ったそうである。
 うちの部においても、実務の担当でありながら、ほとんど実務指導に出向かないので有名であった。
 また、思いつきで指示を出し、失敗した場合は、実務に従事者の不手際と責める、成功した場合は、その手柄は自分も実績と主張して止まない。
 多くの職場では、人間の屑と称されることを散々行ってきている者である。
 でも、この者を保護して止まない者がいる。
 この者を保護するのが、誰か教えてくれはしなかったが、わざわざ、問題があるが、大目に見てほしいということを伝達する者の精神的堕落は批判されるべきである。
 ここで分かることは、ダメな奴でも、誰かが保護しているという事実があるという事である。
 これは、下位の職員から見れば、人間の屑であるが、彼の者よりの上位の地位のものはこの者を愛好して止まない理由があるということである。
 この者は、多くの者が語る言葉を引用するのであれば、「多くの職員をつぶしてきた」者である。逆らった、反論した、意見を言った者は許さない。
 この様な加虐性を有する者を幹部として留めていること自体が諸悪の根源である。

 時々、人を責めさいなんで喜ぶ性癖のある者がいる。
 対外的には、権力を持っているので、精神が増長肥大する傾向がある。
 うちの本店では、なぜか、よくできる方が昇進していくと、自身より劣った人間を責め苛むことを行う者が多い。こういった人に多いのは、昇進が早く、仕事もよくできる人が多い。
 高卒程度の者の場合、考え方に柔軟性がないので、直情的に考え、反応するることでパワハラに移行する人が多い。
 大卒であっても、自分に甘く、他人に厳しい(要は、身勝手)人で、精神的に加虐性に富んでいると往々にしてパワーハラスメントを行う者が多い。
 よくできる人の「仕事ができる基準」というか、「比較対象基準」は、自身の能力だけである。
 古い実例であるが、同期中で、「何であんな奴が本店に?」というレベルの者が本店勤務になったことがある。
 この者は、同勤した幹部の引き(お気に入り)で本店入りしたということであった。
 (本店から支店の幹部職員に出た人は、自分が、現場仕事ができないので、いろいろと仕事を押し付ける。 
 自分本来の仕事をしたくない者は、この手の幹部の仕事を手伝っていれば自身の仕事が免除されるので、せっせと手伝う、すると「御恩と奉公」ではないが、その手伝った者を本店に入れることを強力に推薦する。)
 そうして本店職員となった者が、普通以上に仕事ができればよいのではあるが、所詮は、自身の仕事から逃避することを目的としたお手伝いを満身で行うような者であるから、能力的に非常に低い。普通の仕事をこなすことさえできない。
 仕事がよくできて、判断力が高く、昇進の早い人から見ると愚鈍に見えるらしい。
 そうなると、この昇進の早い人は、この自分と比べて見劣りする者に対して、叱咤する。単なる叱責であればまだ許容範囲かもしれない。
 ある幹部(通称、壊し屋)は、元々加虐性の高い者であった。
 部下数名を精神病に追い込み、その結果、病没した人もいる。
 叱責がほぼ毎日継続していくと、パワーハラスメントに質的変化を遂げる。
 被害を大きくする理由は、被害者自身が、自身の能力の低さを自認していない。
「本店職員」イコール「偉い人」「自分は他人とは違ってよく仕事ができる」と思いこむ。この場合、この叱責が堪えるようである。
 指示の中身が理解できない。
 意味が分からない。
 当たり前であるが、意味が分からないのであれば仕事を理解することも、進めることもできない。
 そこで、指示事項に対しる反応も鈍くなる、すると、仕事もできなくなる。すると、仕事の良くできる者は、無能な者を攻撃する。
 この場合は、最初は、いじめる気がないのであろうが、徐々に、反応が悪くなるにしたがい、徐々に責めさいなむことになる。
 責めている自分に酔ってしまう。
 もしかしたら、精神的高揚を感じてた可能性は高い。
 ここで、自省して、自分は仕事ができないことを認識し、告発して、許しを請えば、然程、叱責が厳しくなることはない。
 しかし、そうでない者は、愚図愚図と対応を先延ばしにするので、パワーハラスメント状態が起こる。
 被害者側には、自分の仕事をやらずに幹部の仕事を手伝い、自身が劣るという認識はなく、かつ、いい人ぶって本店から来た幹部に気に入られるようにしていただけなので、速度、判断能力が劣ることが露呈すると、努力するのではなくて病気に逃げるという図式が出来上がる。
 この場合は、この馬鹿の本質を見抜けない幹部の馬鹿さ加減と、本人が悪い面もある。
 パワハラをおこなってしまった幹部の過去のパワハラを容認してきた本店の体質が問題である。
 又、自分がお山の大将でいたい者は、部下職員に、ライン仲間になれ、フェイスブック仲間になれ、ツイッターのフォロワーになれと強要する。
 私は、当然の様にお友達にはならなかった。
 だって、釣りなんて興味ないし、知多半島のくそ田舎出身者で作るの「〇〇会」なんて興味なかったもの。
 でも、お友達に、入らないと、陰湿な苛めを開始する。
 (ちなみに、会社関係者のフェイスブックは全部ブロックしてある。)
 この者は、副長だったので、パワーハラスメント防止の研修で講師を行う。
 この時に、部下を壁に向かって仕事をさせるのは、それだけで、パワハラと云っていた。余程暇だったようで、いきなり事務室内のレイアウトを変更すると言い出して強行した。そうして、転勤まで残すところ2週間を切るぐらいの時に、事務室内のレイアウト変更を行った。

 この時、私は、壁に向かって2週間仕事をさせられた。
 明らかなパワハラであったが、副長のパワハラは、誰も受け付けてくれない。
 

 非常に、剣呑な職場である。

 

 

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某社のパワハラ労災認定

新聞に、「某社の社員が自殺したのはパワーハラスメントが原因と労働基準監督署が認定した。」と、昨日の夕刊に載っていた。<
ちょっと、自殺した人には申し訳ないが、笑ってしまった。
若い方が、設計部に配属になった。
4か月間、上司から罵詈雑言(新聞によれば、「ばか」、「やる気ない」、「死んだ方がいい」)を受けて、心を病んでしまい、休職。
適応障害と判断された< 3か月後、通院を止めたうえで復職 新しいグループに配属。
でも罵詈雑言の上司の斜め前の席・・・・
1年後、この社員は、寮で、
自殺
という事である。
適応障害で休職した人を、復職させる際に、どのような経緯でその様にしたのは知り得ないが、現在のパワハラ対策の観点から言えば、原因となった者の斜め向かいの席に再配属するという事は、ありえないことである。

(今時、官公庁、役所なら、パワハラがあれば、どちらかが、即、転勤で、同じ部署、同じ支店に配属しておくことはない。  
 ウチの役所は、人事院に通報されるのが怖いので、被害者の方の希望を取り入れた先へ転勤させる。)  

つまりは、この会社の人事管理は意外と駄目ということを、露呈しただけである。  

先般の事象でも、かのパワハラおじさんの性格が、以前からパワハラ体質だとわかっている。  
判っていて、人的対応が、会社内部で終わる設計から、外部の不特定多数一般の客さんを相手にする部署へ配置転換する。
この配置の意味が分からない。  

避けないか?普通?・・・ただ、この施設、ものすごく問題の多い社員が時々配属になる。

入社後、数十年間の勤務で、数か所の部署をたらいまわし・・・の様な人が時々来るらしいので・・・仕方がないといえば仕方がない。

でも、管理者として送り込むのはいかなものかと思う・・子会社の人にはものすごく偉そうに話しているのを聞いたことがある。

正(まさ)に、上からものを言っているという感じである。

労災の件は、会社は当初、上司の言動と自殺の因果関係を否定したという。

否定するね、普通。

でも周囲の人は知っていたであろうし、病気の原因もわかっていたと思う。

にもかかわらず、再度同じ部屋で空気を吸わせる。

おかしくないか? その判断は。
つまり、非常に悪く言えば、死んだ新人よりも、会社は、この上司を守りたかったという事である。

他の社員は見ていたのであろう。

でも、何も言えない雰囲気があったのだろうと思う。

死んだ人は、大学院を出ていたとうが、罵詈雑言を浴びせた人から見れば、馬鹿で、アホだったかもしれない。

でも、簡単に入社できる会社ではない。

人事だっって見込んで採用したのであろう。

それなりの能力はあったと思う。

いつも思うのは、新人は、赤ん坊の様なものである。

親は、赤ん坊を大切に育てるようとする。

新人に対しても、そうしなければならいのである。

だって、会社の常識なんて一ミリも知らない。

会社のルールは、研修で学べるかもしれないが、機微は、周囲の者が教えないといけないと思う。

私は、以前、随分とひどいことを新人に対して行ったことがある。

私から見れば、配属後3か月たっても全然仕事ができないバカにしか見えなかった。
しかし、彼が不幸だったのは、彼の指導担当が全くやる気のない、何も教えない真正のサルネズミ(風貌がサルネズミ)であった)。

半年ほどたった時に、ある仕事を頼んだら、 「どうやって調べるんですか?」と聞いてきた 最初、「このバカ」と思った。

しかし、サルネズミの行動が非常に怪しかったのと、別の上司から、サルネズミは、新人君に、基礎を教えていないとと云った事を、思い出したので、聞いてみた。

「○○を調べる方法は、教えてもらっていないのか?」

一瞬、固まって。

「1回、一緒に行っただけで、窓口で書類出す事までは聞いていますが、他の○○の部所の対応は聞いていません・・・」

「はぁ?」である。

仕方がないので、手順を書いて、どのように聴くのかも教えた。

すると、出来は50%程度だったが、ちゃんと仕事をこなしてきた。

少々、性格的にうちの職場には向いていない子だった。

最初、「教えてもらった事ができないバカ」と思って、

「このバカ」と思っていた 実際は教えてももらっていないことを、いきなりやれと言われてもできなくて当たり前で、教えてもらったことができないバカではないと認識を変えた。

それからは、いちいち、この事務に関してどの程度習熟しているかを聞いてから仕事を頼むようにした。

新しいことに従事させるときは、指導担当でもない私が、随行して手取り足取り教えると、半年後には長足の進化があった。

これは、役所の不適材不適所の典型である。

(この時の課長が、又、クズだった。  

 不正な処理というか、違法な行為がばれて、クビにならない代わりに定期人事を境に退職した。  

 ここでも、本店は隠蔽を選んだ。)  

それからは、新人に対しては、何も知らない事を前堤として話をするようになった。  

知らなくて当然である。  

幼児に、物を教えるような気分であった。 

まず最初に、「言葉の整合性」というか、「言葉の共通認識」を持つようにした。  

彼、彼女の抱いている言葉の意味、認識を訪ねて、説明させる。  すると、学生気分の抜けない者でも、言葉に対する意識が多様であることがわかる。  

まず、業界用語の意味を教える。  

ここで初めて、新人との共通言語を得たことになる。

そこからは、わかるようにというか、意味を理解できるように説明していく。  

国語力の低下して現在、言葉の意味を教しえていくことは必要不可欠であると考える。

 閑話休題

パワハラ認定の職場の「OJT」(なつかいしと云って笑わないように)がどのように行われているのか分かりはしない。

仄聞するだけでは、個々の実態はわかりはしない。

不幸にして自死を選んだ者にたいして、パワハラ上司の防波堤になり、職場の言葉の意味を教える人がいなかったのか?と思う。

多分、能力はあったと思う、でも、その上司は其の能力を引き出すことができなかった。

というか引き出す努力をしたのか?と聞いてみたい。

能力を引き出すことができない者が上司であったと云ことは不幸である。

天下の〇〇〇×××である。

就職するだけでも、その辺の普通の脳味噌では無理であろう。

虐められたり、パワハラにあった場合の対処法を知らないから余計に不幸である。

この会社の人事の最大の失敗は、病気の原因の近くに再び、配属させたと云う事である。

最初、記事を読んだときに、この会社の人事担当は、バカか、クズという事が分かったことである。

パワハラ体質の人間は、基本的には粘着気質で、執念深い、おまけに精神的には幼稚で、加虐性楽しむ傾向がある<。

批判は受けない、と云うか、批判なんてされないと思っている。

幾ら、開発の重鎮であろと、この者の行ったことは将来の芽を摘んだことに他ならない。

この重鎮よりも、もっといいものを開発できたかもしれない。

 この上司は、家族の悲嘆と、若い芽を摘んだことを肝にめいずるべきである。

また周囲の先輩諸氏は、新人を育成するという気持ちを持ってほしいと思う。

二十数年間の丹精を1年間で、つぶした罪は重いと思う。

 

 

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設計者は偉い?のか

「ミニカーでも買ったら」と云った主査も、自分の手駒には優しいらしいから、精神構造は幼稚である。

設計者を評価する風潮は、欧米の発祥である。

航空機でも、堀越、土井さんは双璧である。

日本人はあまり知らないが、フォッケウルフのクルトタンク博士も有名である。

実際、自分で、企画をして、意図を説明をして、予算をつけて、設計試作、量産に進むことは大変である。

予算をつけることは大変であるが、予算が付けば人員の配置もあり、設計に進む。

そこまでの労苦はよく理解できるが、今の車の設計者というよりは、指揮者である。

自分が、どれだけ設計したのという点を考えれば、アイデアを出して、実際に図面化していくのは多くの社員である。

デザイナーでも、埋没してる

そこで、思うのは、設計者としてちゃほやされて、とどのつまり、一般の人に偉そうに威張るのはいかがなものかと思う。

例えば、オーナークラブで、オーナーしか着ることができないジャケットがあったとする。

それを、スタッフが着るのはいかがなものかと思う。

区別と云うか峻別するべきであろう。

オーナーは、とりあえず階級のない日本では、オーナーは社会的地位、出身階層関係なく、金があれば、どんな車でも買える。

アパートの前に、ベントレーが雨ざらしなんてこともある。

前提として、金が必要である

とりあえず、オーナーは、莫大な金を出してその車を買う

買ったから、そのジャケットを着ることができる。

又、スタッフにそのジャケットを着ることを許す責任者の意識の程度も低い。

スタッフは、STAFFと書いたジャケットでも着てればいいのである。

考えて欲しい、給仕が、招待客とおなじ恰好をしているの滑稽ではないかという事である。

そこに、気が付かないところが、非常に愚かである。

精神的に成長していない証拠である。

これは、有名人とやたらと写真を取りたがる精神構造と似ている。

ある時、あるツーリングイベントに大枚はたいて参加したことがある。

その時に、アルファのバルケッタで、堺さんが参加していた。

大人げなく、一緒に並んで写真を撮ってもらったが、彼は、見学者とは一切写真を撮らなかった。

参加者との撮影はOKであるが、見学者とは一線を画していた。

撮影をお願いしている人に、「プライベートなので」と云って断っていた。

非常に大人な対応だと思った。

ちょっと、幼稚な大人が増えた気がする。

閑話休題

トヨタ博物館には、三階のトヨペットクラウンの後ろに、トヨダAA型のクラッチデスクの設計図が展示してある。

設計者の名字が書いてある「神谷」

この時代に、神谷忠一という設計者のいたことがわかる程度である。

この方は、後にトヨダ車体の部長で退職された方である。

この方の自費出版された本には、「菅ヘッド」と云われる、A型エンジンのヘッド形状は、外国の文献を参考に試作したという記述があった。

その外国文献を、米国から取り寄せて読むと、確かに、ベッド断面図がある。

この図面を参考に設計して、ヘッドの試作を作ると、菅隆俊さんは、激怒したらしいが、エンジンを廻すと見本のエンジンよりも高出力を得た。

この結果、トヨタはA型エンジンの量産化(といっても、ブロックと一部の量産でしたが・・)に成功した。

試運転の時に、立ち会った、豊田利三郎は、このヘッドを「菅ヘッド」と呼んで褒めたたえた。

(立ち会っていたと書いてあるものと、あとから…と云うのと2通りあるがどっちが正しいのかは藪の中である。

ここで、この神谷忠一さんの事を、誰が知っているのか?

多分、ほぼ100%の方は知らないのではないか?

私だって、設計図は展示してあるので見たことはあったが、注意してみていたわけではない。

この方の書いた本を読んで、初めて知ったのである。

この方は、もっと評価されてしかるべきだと思うが、歴史に埋もれてしまった感がある。

では、歴史的な車の設計者が、前に出て偉そうに開発の説明をして回るというのはあまり聞いたことがない。

云い方を悪く言えば、会社の金で、車作って、それをネタにしてるだけである。

それは、会社の金で車作ったことは、偉いのか?

何だかそんなことをふと思った。

 

 

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誰だ、こんなこと書いた奴は!

「誰だ、こんなこと書いた奴は!」という言葉が、事務室内に響いた(らしい…、又聞きの又聞きです。)

ある方が教えてくれました、複数の経路(3経路)からのご注進でした。

最初は、知り合いとというほどの方でもない方

・・と云って、こちらは、長年の友人と思ってますがあちらはどうお思っておいでになるのかは聞いてませんので、知り合いといという事で・・(笑い)

から、どうも当ブログの読者の方に、いつの間にかなっていただいたようでして・・・

某会社の本社(1番地)の方で、結構偉いらしい・・から、「あの施設て・・・〇〇〇〇○○の事か?」というお問い合わせがありまして・・・

「そうです」と答えると

「そうか・・・」と

ご友人1名、一般的な社会的なお付き合いのある方1名の2名からもご注進がありました。

すると、「お客さんが、お怒りでこんなことを書いている」と、職員経由で、ある施設の最高責任者の方にご伝言があったそうである。

例の責任者の方が呼ばれて、

「こんなことを書かれている。」と

告げられると、

件の表題の通り

「誰だこんなことを書いた奴は」と雄たけびをあげたそうな(伝聞なので、なんともいえませんが・・・)

ここで、この話を聞いた、例の4人組の一人は、

「常識無いわ」「バカじゃないの」と辛らつなご意見

まぁ顔を合わせても、謝罪をする気はないだろうという態度がアリアリだった。

こちらとしては、謝罪などは欲しいとも思ったことがない、どうでもいいことである。

まぁ、例の施設の名称入りジャンパーは、洗濯していて…と云うのが眉唾に近いものであることは周知の事実である。

それは、「チーム〇〇〇〇」の名称入りジャンパーは、赴任した当時からよく施設内で着ていた。

新しい責任者の方とは聞いていたが、なんで「チーム〇〇〇〇」のジャンパー着ているのかと思った。

施設内を歩いている姿を見て、〇〇〇〇の販売店主催のツアーのコンダクターかと思ったからである。

ある人に、

「なんで?チーム〇〇〇〇〇」なのと?聞くと

「前、〇○○○で、××の設計担当者だったからじゃないのか?」

そこで

「短期の在籍なの?、今は、この施設の職員だよね?なんで前職場のジャンパー着てるんだろう」

すると

「さー」

真意はいずこ、十三夜である。

まぁ、「誰だ、こんなことを書いた奴は・・」と叫んだ時点で、自制心が足りない。

いろいろと人間として足りなことがわかる。

こんなブログよりも、フェイスブックでは、かの責任者に対する気持ちが横溢してる人は、罵詈雑言である。

つまり、他の3人の皆さん激怒モードであったという事である。

お客さんというか、人の気持ちが判らないんだと思う。

よく増長する人は、そんなことは考えない。

増長しないと、上に上がれないし、それこそチームを率いることはできないというシステムは、会社として致し方ないと思う。

意志が強くなければ進めないことも多いだろう。

だからこそ、強い意志と、自制心が必要なのだと思う。

閑話休題

トヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売が、別会社だったころの話である。

トヨタ自動車工業の設計開発者の方々は、元トヨタ自動車販売の社長、会長だった、神谷正太郎さんを、疎ましく思う設計者が多かったという。

それは、技術屋に対して、販売の方か要望を叩きつけてくるから、気に入らなかったのだと思う。

しかし、SKB型(後のトヨエース)が生まれたのは、自販の発案である。オート三輪並みの小型トラックの発案である。

自販が、トヨタ車体にもちかけたといわれている

部材を使わないという理由で、セミキャブーバー形式となり、試作を作成して、自工へ、車として量産することになった。

値段は、三輪車プラス数万円の値段設定

最初、トヨタ車体の者は、シャーシがトヨタ自工からの供給なのと、簡易設備で生産を始めたので工数が多かった。

幹部は、もうからないと云って怒っていたが、発売後予想販売台数の数倍の売れ行きで、簡易な生産工手はプレス加工が増えて工数が減り利益が出るようになった。

この時は、発案は、自販、設計は、トヨタ車体、生産もトヨタ車体であるが、量産効果で、設備投資が可能となり、利益が出せるという事を実証したのである。

自動車は、技術者だけの発案ではない。

技術屋は、こん車があればいいと感じても、世の中が必要としているかどうかは、判らない。

特殊な車ならそれでもいい、2000GTとか、トヨタスポーツ、LFAとかね。

しかし、使用者が、どのような車を求めているのかを考えて車を作ることは、大衆車には必要である。

販売する側は、世の名の要望を聞いて、商品企画を出す。

この流れは、良いことである。

ただ、自工の人は、自販の一部の無責任な体質を嫌った。

ある人曰くである、ある輸出関係の問題が起こった時に、明らかに自販側の手落ちであったが、自販の担当者は自分は悪くないと、自工が悪いと責任すり替えて逃げた。

逃げた方はよく覚えていないだろうが、逃げられた方が恨み骨髄で覚えている。

顧客の要望を取り合纏めて設計に、自動車を買う対象者の要望を伝えた、販売の力があったからこ、今のトヨタ自動車がある

技術屋は、独りよがりになることが多い。

それは、「いい車を作れば、だれもが喜んで買うはず」というのは、大きな間違いである。

これを、技術屋の独善という。

ある元トヨタのレーサーで、喰い詰めて自動車評論家になった杉〇君は、技術屋の肩を持ったことを書いていたので、技術系には人気があった。

でも、それは、いい車だと皆が知らなければ、車は売れないのである。

豊田喜一郎は、いい車を作り販売するために、神谷正太郎を招いた。

その態度は、真摯な態度で首(こうべ)を垂れたという。

つまりは、なんでもそうであるが、お客さんがあっての商売である。

そこを見られない人は不幸である。

来客者を迎える施設責任者としてはどうなのかと思う。

お客さんを見下し、批判して、罵倒するのは、お客さんを迎える施設の責任者としてはどうかなぁと思う。

悪いけれど、あなたは、会社の地位があるかもしれない。

しかし、社会で戦うときに会社地位なんて役には立たない、会社の内部だけ使える常識も使えない。

こちらは、社会で戦う事には長(た)けている。

会社では、○○という地位にいるから、頭を下げろといわれても、所詮はサラリーマンでしょ?という気がする。

同じ会社で、ある地位で退職した人が、延々と、現職を使役しているの見ると、使われている方の人間の精神構造に対しては「社畜」という言葉が浮かんでくる。

 

20191118

20191119加筆訂正

 

 

 

 

 

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不愉快な話など、続編

先般の不愉快な話について補足的な事実が判明したのでご報告という感じである。

かの暴言を投げつけた者は、当たり前であるが、無自覚的である。

ほかのところから流れてきた情報では、その気はない、無自覚なパワハラ野郎という事である。

自分で、お客さんに対して、強権的な物言いで、モノを言った時、というか場合にどのような結果をもたらすのかという事を考えない人らしい。

対外的な仕事をしたことがないのだと思う。

入社当時に、工場や販売現場の研修があるだろうに、そんなものはとうに忘却の彼方であるらしい。

ある車の開発を主導したの者の、「ミニカーでもかえば?」発言の者も、仲間内でしか話をしないのだと思う。

技術屋の悪いところである。

悪いけれど、こちらは手練手管の嘘つき、人間のクズ、本当の犯罪者、やくざ、元やくざ、地上げ屋、総会屋を相手にすることがある。

それれの者に対することが多いと自然と、対外的な物言いには気を付けるよ、というか、非常に気を付けている。

彼らには、そんな意識はないだろう。

巨大企業の中で昇進していくのだから並外れた技量を有していることは否定できないだろう。

でも、人間としてどうだ?

部署が違えば、相手は、社内の人ではない。

一般大衆が相手である。

悪く言えば、ピンからキリまでの人がいる。

外国人の場合はもっとすさまじいだろう。

わざわざ、特定の展示を目的とした施設に来るのは物好きだろう。

件の試乗会の日に、タクシーで乗り付けた外国人夫妻が居た。

この方、ほぼ一日(我々と同様にひなが一日にである。)施設に居た。

私は、責任者の方に、こう申し上げた

あそこの外国人の夫妻に、同乗試乗会があると伝えてはどうか?

と申し上げたが、非常に消極的であった。

ちなみ、毎回、これらの展示、講演等の表示には、英文の記載はない。

こうしてみると、何かが足りない感じがして仕様がない。

なぜなんだろう、施設としてコンセプトは正しい。

でも何か物足りない。

この気持ちは何であろう。

まあそれは、置いておいてよいと思う。

 

閑話休題

かの管理者は、私が、延々とブログを書き、毎日100から150人の々が読みに来ているとは思うわないのだろう。

蟷螂の斧のようなブログではあるが、知らしめると云う点では有効と考える。

自分の物の言い方、態度が、他人に不愉快な思いをさせているのか判らないのは不幸である。

自分を翻ってみれば、自身の悪いところは良く判っている。

自分自身は、露悪的な部分もあるので、計算してものを言っている。

こちらの方が、その実、罪深い可能性が高い。

人の事を心配しても、心配してゐるそぶりを見せても反応しない人は反応しない。

其のうち言う気がなくなる。

ある人の相続の事で対策を一所懸命教えたが、その人が自分で持っている知識の範囲外だったらしく、どこ吹く風であった。

いつも思うのだが、死んだらその人はいいかもしれない。

しかし、残された相続人は大変である。

音信不通な兄弟姉妹がいる。

生活状況は不明

何をしているのか、何をやっているのかも分からない。

そのような状況で、いきなり相続人になるとどうなるのか?

音信不通だった、その本人が死んで子供がいる場合、その子供にとっては、天祐ののような話である。

いきなり財産が降ってくるのである。

放棄なんてする気はさらさらないだろう。

そうなるともう泥沼である。

死んだ奴には関係がないが、死んだ後で恨まれることおびただしい。

その辺を、経験を踏まえて説明したが聞く耳を持たない。

高校出て、早く金儲けがしたくて大企業に入り、最後は、結構上の役職で退職した人だった。

多分、自分よりも若い人間に、死んだ後の事をモノを言われるのは腹が立ったのだろうと思う。

だが、財産が全くない人ならばいざ知らず、土地家屋があれば、ひと財産である。

売却すれば、千万単位の金になる。

そう考えれば、骨肉の争いになる可能性は高い。

行き来のある兄弟は、それなりの地位もあり生活も豊かにしているのであれば、心配はないが、行き来のない兄弟がある場合は、本当に怖い。

財産を持っている兄弟でも、いざとなれば怖いものである。

資産家と云われる者が死んだ後では、それこそ、タダで何千万円単位の臨時収入が入ってくるなら、労苦はいとわない。

まぁ、ひでえ話ではあるが、相続の争いは、沢山見てきたので、心から心配するのである。

話がズレた・・・・

元に戻そう・・・

偉そうな態度をとった者は、体育会系で、武道にまい進した人らしい。

個人的な意見ではあるが、武道をしているから武張るのは、中途半端という気がする。

あまり良い表現ではないが、下剋上は良くないと思う。

管理者が、表に出すぎるのはいかがなものかと?問う気がする

辻政信という陸軍参謀出の戦犯が居た。

この者は、参謀であり、謀略を行い、陸軍内部で下剋上をやってのけた秀才である。

秀才であるから天才の真似をする。(私個人の考えである。)

天才とは、石原莞爾である。

石原莞爾が、満州で現役のころから、謀略をめぐらしてろくなことを行わなかった。

石原莞爾が、予備役後もいろいろと謀略をめぐらしては、失敗した。

失敗すると逃げる。

戦後も、戦犯指定になると、逃げて、隠れた

隠れて逃げるの得意である。

戦犯の追及が無くなると表に出て国会議員になったが、東南アジアへ行き消息を絶った、今もって行方知れずである。

つまり威勢のいい奴ほど、逃げるのも得意と問わざる得ない。

彼の勤務している会社は、「これやるぞー」「うおー」と邁進するが、成功すれば昇進し、失敗すれば消えていく人が多い職場である(と聞いている。)

多分、淡々と職務をこなして昇進したのだと思うが、体育会家のノリで進めばよかった時代(時期)もあったと思う。

しかし、延々と体育会系のノリで進めるはずもないのである。

自分も同じような武道を行っていたことがあるが、中途半端な奴ほどよく吠えるという気がする。

出来る先輩は、静かであったし、ものすごく怖かった。

師範代の図抜けた先輩は、練習で対峙しても、身がすくむ思いをしたので、

いつも思うのは、

「うーん、どこからどう行っても、面か、小手は取られる」と思っていた。

大体、想像通りの結末になって、したたか撃ち込まれるのが落ちであった。

この方には、ぜひ、中島敦氏の「名人伝」という話を読んでみろといいたい。

読まないよね、理系の人は。

この話は、弓矢の名人が、行きつくところまで行けば、最終的には、弓の存在を忘れ、矢の存在を忘れるという話である。

中途半端に、やらたらと竹刀を振りたがるのは、「未だならざるなり」の感である。

又、依然の職場のジャンパーは、施設のジャンパーを洗濯に出していたので、致し方なく、旧職場のものを着用したという話が聞こえてきた。

だが、ビブス状のものもあり、責任者なんだから、全員同じ黒のジャンパーではなくて、責任者らしく、一人だけ赤いビブスでもついけてりゃよかったと思うがどうであろう?

オールブラックスにあやかって、黒でまとめたがったかな?

彼の前職場の系統のジャンパーは黒が多い・・・

体制が、万全ではなかったかもしれないが、その場合、外部の意見を聞いてみるのも手であろう。

何についてもであるが、万全は、存在しないが、小さな失敗は、万全への精度を上げていくのである。

独りよがりはいけないと思うのである。

 

 

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残念な人たち

ある講演会の終わりしな、サインを皆さんいただいていた.

軽薄の途であるわたくしも、サインをいただきました。

現在、何ににサインをもらったかの完全に失念している、思い出そうにも思い出せない。

つまり、どうでもよかったんだと思う。

「〇〇〇いい車ですね、欲し車です。」というと

「ミニカーでも買ってください。」とお答えになった。

これを聞いた瞬間、個人的な感想であるが、「え?」と思い、次の瞬間「ムっ」とした。

これは、自動車メーカーの人間としては犬以下の回答である。

自社の車を進めるのではなく、他社の作ったミニカーを買えと・・・

馬鹿じゃなかろうかと」・・

無理と分かっていても、もう少し考えて答えろよと云ってやりたいぐらいである

実車を、もし買うことが可能でも、ぜったに買わないと思った。

こんな会場に来てる様な兄ちゃんには、実車は買えんだろうと…という軽侮の色がアリアリだった。

誰でも、初見の人に向かって軽侮の言葉を投げつけられて良い気分がするとは思えない。

悪いけれど、私は、見ず知らずの人間に軽侮されることは好まない。

その時思ったのは、中村健也さん、長谷川龍雄さんの両技術者である

中村健也さんは、個人的に尊敬する技術者である。

若い頃、ある人のお相伴で本社へ行くことがあった。話のなかで、尊敬する人ということで、話が盛り上がっていると、「先生のところの若い方だとどんな人を尊敬するのか?」と聞かれたので、おじさんから、中村建也さんは、すごい人と吹聴されていたので、

「中村建也さん」と答えると、少し驚かれて、「大主査の中村さんかね?」と

「クラウンエイト作った人です」というと

「大主査の中村さんだ。」

色々根掘り葉掘り聴かれて、

「今日、おみえになっていたかな」

と言われて、

「会って見るかね」と、言われて、本社の某所で、若手の方々と話をしているところに割り込んで、ほんの少し話をさせてもらった、大きな人で、最後に握手していただいて辞去した。

大きな手と、ぶっきらぼうな感じと、眼光鋭い人だと思った。

なんだか、偉大な技術者という感じを受けた。

いまでも、豊田喜一郎、菅隆俊さんに次いでぐらい尊敬をしている。

彼が主査を務めて出来上がった車は、クラウン、クラウンエイト、センチュリーいずれも素晴らしい車である。

なぜか、RS20,RS30、MS40クラウン、クラウンエイト、センチュリーはなぜかすべて運転したことがある。

(RS20.30,MS40は、おじさんの膝の上でであるが・・・)

クラウンエイト、センチュリーは自分で運転したことがるが、メルセデスの600Dよりもいい車だと感じた。

長谷川龍雄さんも、ある一点を除けば、尊敬すべき技術者である。

パブリカ700、トヨタスポーツ、カローラ、ソアラ(これは、コンセプト指示)良い車であり、銘記すべき車である。

航空技術者として尊敬すべき点が非常に多く、トヨタへの転職後も、流線型の計算式を発表、風洞実験を取りいれた。

トヨタ自動車工業へ、経験と勘からの脱却を促した点である。

講演をした人は、これらの人たちと比べると人間が小さく見える。

よく、今の自分は、自分の積み重ねでできているといわれる。

会社の歴史も先人の積み重ねである。

あんた一人が偉いわけではない。

なんだか、残念な人と接するたびに、自省してしまう。

自分は、どうか?

自分は、旨く積み重なっているのか?

他人は、反面教師である。

そう思う余裕が欲しいと思う今日この頃である。

20191106

20191107加筆

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不愉快な場面

前任の方は、下の方に任せて自分は表にはあまり出ず、ここぞという場面では表に出てお見えになりましたねぇ。

気さくな方で、図書館で調べものをしていると、私の存在に気が付くとそそくさと寄ってきて軽くお話をしていただきました。

今回の方は、なんでもでも出しゃばっている。

やたらと表に出たがるのは転任後半年ほどたって、やたら露出が多いのでよくわかる。

ここでよくわかるのは、自己顕示欲が強いので、前面に。

存在意義がないので、前に出たがるのかもしれない。

ついでに言うのであれば、朝、早く行くと、入り口近くの奥に大股で立っている。

お客様をお迎えするという態度ではない。

ものすぐ偉そうである。

「そっくりかえっちょる」(映画「人斬り」より)

又、気が付いていても、こちらが先に頭を下げないと、自分から頭を下げない。

初見の時に、名刺を出してきたが、こちらが名刺も持ってきていないと云うと、名刺を引っ込めた。

失礼な奴だなぁと思った。

こちらは、名刺で仕事ができるほどお気楽な仕事はしていない。

基本的に名刺なんか仕事では使わない立場である。

研究学科会で、別の施設の方を先生に紹介された時に、名刺の持参を忘れていたので、その点を謝罪すると、戦前の名古屋におけるの自動車産業の研究についてのご高名ははかねがね・・と云って、自分から名刺を渡してくださった。

ある意味、変に有名かもしれない・・

名刺を出されて、引っ込められたのはこれが初めてです。

非常に不愉快でした。

子会社の人にはものすごく偉そうに接しているのを見ると、なんだかなぁと思う。

部下職員に厳しい態度の人が偉いなんて誰も思っていない。

厳しい態度なんて続けると、パワーハラスメントと云われてしまう。。

世の中には、よく仕事に厳しい人といわれる人が居る。

自分に厳しく、部下にも厳しいなら別段構わんだろうと思う。

多くは、自分には甘く、他人、部下には厳しい人が多い。

上司が、仕事の要求を厳しくする場合、部下を鍛えていると云う人が時々いる。

これは厳しい言い方だが、昨今はこれを、「バカ」という。

単に、難易度を上げるだけは、人を見ていない証拠である。

本当に組織の事を考えて、部下を育てる為には、まずその人の能力を測定するところから入るべきである。

自分のより性能が良い人物が来たら、基本を教え、発展形を教え、あとは質問を受けるパターンでもよい。

新入生なら、基本を教え、基本的な思考パターンを教え、単純な訓練の繰り返し、徐々にスキルを上げていく。

自分と同じもしくは、自分よりも良い能力を持っているのであれば、それを伸ばせるように教え導くべきである。

しかし、多くの場合は、教育と云う意味が分かっていない。

教え導き育てるのが教育である。

いきなる難しい仕事を投げる奴は、基本的に何も考えていない場合が多い。

多くの場合は、単に自分が楽をしたい、自分の思い付きをただ単に投げてみる、様子を見てみる。

そうして、ダメだったかぁで終わる奴がいる。

これは、うちの本店の幹部に多い。

反論する奴は許さない。

しかし、許さないと言われても、自分が泥をかぶる理由は無いので、反論すると、陰に陽にイジメのような人事を投げてくる。

壊れそうである。

前から書いているが、私は、あなたの部下ではないし、あなたの友人ではない。

私があなたに頭を下げるのは、あなたの役職に頭を下げているだけである。

あなたが、人格的に優れていれば、プライベートで友誼を結ぶことも可能ではある。

しかし、自分の職場内での偉さは、社会的地位と称するものとイコールだと思っているなら大間違いである。

自分の会社の名称を外して、あなたに社会的地位がありますか?

あなたには友人と呼べる方は何人いますか?

会社の名前を外して、あなたを尊敬してくれる人はいますか?

あなたの知識知恵を動員して、対話ができますか?

私は車バカかもしれないが、いろいろな方面の勉強は日々研鑽的におこなっている

バカみたいに本もたくさん読み。

絵画も見て、絵も描く。

写真見て、写真も撮る。

映画も見て、詩を読み、漢詩をひねり、吟ずることもある、俳句を読み、宝塚も見て、歌舞伎も見る。

なんでも興味が沸けば、調べて読んで、読んで読み捲(ま)くる。

こうして、半世紀生きてきた。

私自身は、他人様から

「この人を見よ」「この人の生きざを」

などと、言われることはない。

だが、人として、愚物(ぐぶつ)に打擲(ちょうちゃく)される云われはない。

だからこそ、下手に出てゐれば何もをしてもいいという事ではないという事を肝に銘じていただきたと思う次第である。

 

私は、一般的な神は信じていない。

私は、森羅万象の神を信ずるのみである。

私は、常にそれらの神とともにあり、神とともに進むのである。

神は、わが手に、両肩に、おわしますのである。

 

 

 

 

 

 

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不愉快な話

ある車の試乗イベントへ参加した。

ふるーい車、二台に同乗させてもらうイベントであった。

午前と午後の試乗であった。

有料である

午前中は9:30から受付、料金500円

午後は、13:00から受付、料金500円

沢山の方に乗って欲しい欲しいという趣旨はよくわかる。

午前中は、20分ほどで、定員30名が埋まった。

最初、大古車、次が、半世紀以上前の車。

1世紀前の車は、30年前に、原産国で、かつて、乗ったことがある。

それは、ベアシャーシに、椅子だけといういで立ちだった。

当時、野蛮な車だが、面白い感じがした。

今回の車は、不思議な形式のセダンであった。

乗って(載せてもらって)、本当に楽しかった。

久々にわくわくした。

半世紀前の車は、別の施設で、タダ(←ここ大切)で、何回か試乗しており、昔、叔父の家にもあった車だったで乗るとと云うか、乗せてもらうといいい感じであった。

別の施設の試乗は、午前午後乗っても、何も言われなかった・・・・

 それに、乗りたい人の数は半端なく多かったが、特に2回はダメとは言われなかった。)

で、友人3名で、大興奮状態で、もう一回乗りたいねという事になった。

別段、注意書には、「一日の二回乗車はご遠慮ください」とはい書いてなかった。

で、13時開始の受付を待つために、12時5分から受けの机の前で、友人四人と待っていた。

12時55分過ぎても、定員30人には程遠い人数しか並んでいなかった。

受付が来たのが、12時55分

私たち4名は午前中乗ったことを周知の人が来ていたが、午前中乗った方は、ご遠慮くださいとは言われなかった。

受付の紙が出された。

午前中乗った方は、ご遠慮くださいとは言われなかった。

責任者が、来る迄待ってのと云われた。

12時57分責任者が来た。

受付けが、開始された。

友人と二人名前を書いて、お金を払った。

すると、責任者の方は、目が吊り上がりにらむ目つきで、

「沢山の方に乗っていただきたいので」と云った

こちらが、

「じゃあ・・・」と云うと

「次回からはご遠慮ください」

目は、吊り上がり、完全に睨む目線で、めちゃくちゃっ厳しい口調で言われた。

だったら、金を払う前に、

「誠に申し訳ございませんが、午前中の乗られた方は、ご遠慮願いませんか?」とか

「次回からは、一日一回でお願いします」ぐらい言えればいいのであるが、どうも、そういった言葉は選択肢としては出てこないらしい。

技術屋上がりに多い、対人的な対話ができない人かもしれない。

この人の変なところは、物言いだけではない。

職員全員は、普通にそこの施設名の入ったスタッフと書いた上着を着用。

責任者の人だけ、以前の職場の上着(ブランド名の入ったジャンパー)?を着ていた。・・・

これを見つけたのは友人で、なんだろうね―あの態度という事になった。

 

なんか、本籍は、前の職場で、現在の職場は、腰掛だとでもいいたいような雰囲ありありである。

自分は特別だったと言いたいのか?

受付終了まで、近くのソファーで見たていたが、13時20分までせっせと、客引き

若者4名が通りかかってキャッチ

13時25分で、受付撤収

私ら4名は、受付終了後、玄関ホールの椅子に並んで雑談モード

「沢山の方に乗って欲しい」という趣旨はよくわかる

午後の部が、30人以上待っていれば、当然の用意、撤退したであろう。

が、30人には程遠い人数しか並んでいなかったので、受け付けを待つモードだった。

「次回からは、ご遠慮ください」という物言いが、非常に不愉快な物言いであった。

この方の思考は、「自分が、言ってないこと、指示書で書かなかったことでも、下の身分(部下)の者は、忖度して行動しないと怒るタイプ、つまり、自己中心型パワハラ体質だという事が分かった。

云っちゃ悪いが、客商売向けではない。

元の部署も、本当に必要な開発者ならば手放しはしないだろうと・・・・

別の方面から、パワハラ体質だから気を付けるべきだよと云われていたので・・・気を付けるべきだった。

で、再度の試乗に臨んだが、なんか針の筵モード

最初の車に乗せてもらって、何となくいたたまれなくなって、撤収

2回目の乗車証は、友人3人と私のものを、その辺で、モノ欲しそうに見ていた夫婦と、夫婦で一人だけ乗って、奥さんが取り残されいた奥さん、家族連れの車を一所懸命見ていたお兄ちゃんに1枚づつご進呈して撤退・・

カフェで、雑談モードになった。

話の中で、こんな事、書くと正義君が出てきてさー

というもあった

なんか不愉快な終わり方をした一日だったなぁと。

20191104

20191105加筆訂正

 

 

 

 

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