三島由紀夫「真夏の死」小論 その5

 (つづき)
 四番めの子供誕生は、新しい幸福の始まりである。
 二人の愛児の死を帳消しにするような事実に喜んだ。
 桃子が産まれた翌年の夏、事件があってから2年が経過した晩夏、朝子は夫に、A海岸に行ってみたいと言い出す。
 朝子は、「もう、一生A海岸にはいきたくない」と云っていた。
 夫の勝は驚き反対した。
 朝子が、情熱もなく、同じ提言を3度したので、ついに行くことになった。
 夫の勝は行きたい理由を問うたが、朝子はわからないという。
 この判らないという答えには、言いたくないからわからないという言葉で表しているだけと云う見方もできる。
 当然の様に、夫の勝は、行きたくはない。
 結局、妻の3回の気のない要望に負ける形で行く気になる。
 そうして、現実的に、ただ単に、行くことだけを目的とした旅行に行くことを決める。
 行くのは、平日を選んで、もう一度、A海岸を訪れる。
 宿は、1軒しかない永楽荘へ泊る。
 しかし、不幸のあった部屋から一番遠い部屋を頼む。
 2年後のA海岸の旅館は閑散である。
 夫婦には、不幸の感じ方に相違があった。
 夫婦の紐帯とでもいうべき、不幸の現実は、見ている位置が違うという現実がある
 勝は、電報で、義妹の死と、子供二人の行方不明を知る。
 A海岸へ向かう途中、妹が死んだという事は動かしがたい事実として感ずる。
 しかし、二人の子供は、単なる行方不明ではないかと云う、希望的観測を想像する。
 熱海までの車中、3人の子供うちの2人と妹が死んだことを叫びたくなる感情を持つ。
 ここでは、子供のことが先に書かれて、妹は後回しである。
 勝自身は、子供方に重き置いているというか、子供を亡くすという事実の方が、同情を得やすいとう感情の発露かもしれない。
 それは、平穏な生活を過ごしているとしか見えない自分が、実は大きな不幸を抱えている。
 そう告げたたくなる。
 それは、人に見られたことのない背中にあざを持つ人が、あざの存在を叫びたくなる衝動になぞらえている。
 自分の不幸を他人に知ってもらいたいという感情の発露は、丁度、秘密を暴露することで自分の精神の安定を図ろうとする精神作用である。
 そうして伊東の駅でハイヤーを雇うときに、その事務所で、
 「A浜までいくらかい」と聞くと、事務所男は、「急がないならバスの方がお徳用です」という。
 すると、勝は、「急ぎだ、家のものが死んだという知らせがあったんだ」と答える。
 ここで、「急ぎだ」と云えば済む話である。
 しかし、熱海までの車中で叫びたくなった「不幸」つい口に出してしまう。
 すると「へぇ、今、その話を聞いたところです。A浜の溺死者は旦那の家の人ですか?女一人と子供さん二人を一度きにね」
 つまり、「勝」は、「朝子」が、死んでいるであろう子供の捜索を待つている時点で、全然関係のない第三者から家族の死を聞かされてしまう。
 つまり、不可実性のある事実だと思っていたことが、全く関係のない第三者から、死の確定を告げられてから、永楽荘に訪れている。
 「勝」の見たものは、不幸の現実である。
 「朝子」は、避暑地の海岸の宿で、午睡を楽しんでいるという幸福な状態から、急に、義妹が死んでいく経過(今の感覚では見ていた時に は既に死んでいたのである)を見せられ、愛児3人のうち、2人が欠けているという事実が、義妹の死の直後に気が付くという不幸。
 「朝子」徐々に、現実化していく過程を経て感じる不幸と、「勝」は、不幸と、さらに大きな不幸かもしれない情報を断片的につなぎ、間違いであってほしいという、だれもが持つ感情を経て、第三者の告知で確定させられた結果、感じる不幸には、同じ不幸であるが、微妙な差がある。
 同じ事実を原因としながら、同じ並列的な時間経過であるにも関わらず、現場にいる者の持つ焦慮と、伝聞的に聞いて持った焦慮とは、男と女、父と実際に子供を生んだ母との感覚的な差よりも、不幸を、少し離れた位置から見ることが可能か否かと云うことになる。
 「朝子」は、幸福が急に去り、不幸は急に顔を出したその経過を見続けた感覚を持っているはずである、つまり、「勝」の知らない「幸福」と「不幸」転換点を見たという気持ちがある。
 「勝」は、2年ぶりに永楽荘に到着するなり、番頭を見て、震える手で渡した1000円の事を思い出し、2年前の悲惨事を思い出して気分が悪くなる。
 そこで、「朝子」に対して愚痴を言う。
 「朝子」は、来ることに賛成した時点で、夫の勝が、事故現場に来たことを非難する言葉を封じる。
 「朝子」は、夫の知らない、現在宿泊している客の知らない事実を知っている。
2年前の日の輝く庭に、義妹の死体が横たえられた場所を思い出す。
 夫は、その場所に妹が、横たえられていたことを知らない。
 他の客も知らない。
 そんなことを、朝子は思う。
 夫の勝は、愚痴を言っても、父の義務を思いだして砂浜へ向かう。
 夫は、2年前の夏の不幸を帳消しにする気持ちがある。
 夫には、慰霊の意味もあったかもしれない。
 そうして、不幸のあった海岸へ向かう。
 もしかしたら、夫の勝は、不幸と云う事実を幸福と云う言葉で蓋をするために、家族の暗い影をすべて拭い去るために、もう一度、海岸へ行くという事を考えたのかもしれない。
 宿の下駄をはいて気軽な感じで克維の手を繋いで行く。
 家族4人は波打ち際に立った。勝は朝子の横顔を見ると、桃子を抱いて、じっと海を見つめ放心しているような、何かを待っている表情である。
 勝は朝子に、「一体何を待っているのか」と訊こうとしたが、その瞬間に訊かないでもわかるような気がし、つないでいた息子・克雄の手を離さないように強く握った。
 握った理由は、「朝子」の望む不幸の再現を阻止するためである。
 「朝子」の望みは、不幸の再来である。
 子供の死から自分が死ななかった事実を、波打ち際へきて、もう一度、2年前の不幸が訪れることを望むのである。
この不幸を待つ気持ちは、夫の勝にも、同じ不幸の認識を持ってもらうためには、段階を踏んだ不幸の認識を持つべきと云う気持ちがあるのかもしれない。
 この小説は、ある意味、生活と精神の再構築と云うか、再生していく話であるが、再び不幸を得ることで、不幸だった感覚を永続させようとする、エゴイステイックな感情の発露である。
 不幸の再来を待つという気持ちは不可解と云えば不可解である。
 しかし、幸福と身を入れた付き合いをしていたが、突如として、不幸と出会い、その姿をお見それした家族には、短期間ではあるか「不幸」に慣れた生活と、「不幸」がもたらす、多くの人からの「いたわりの言葉」が、心地よかったという快楽があったせいかもしれない。
 幸福の次には、不幸しかないという諦念がそうさせるのかもしれない。

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三島由紀夫「真夏の死」小論その4

夏が過ぎて、秋が過ぎると、もう一度子供が欲しいと感ずるようになる。

そうして、冬のさなか、朝子は懐胎する。

懐胎は、亡くなった子供たちの事件を解体、と云うか溶解していく作用があった。

自身の体内で生育していく子供為には、悪感情を持ってはならないという気持ちが、不幸への心持を変えなければいけない。

不幸を忘れなければならないという作用をもたらした。

事件の直後、明確だった記憶は、生活によって薄れ、懐胎によって忘却の彼方へ押し流す作用があった。

あの事件以来、朝子が味わった絶望は、不幸な愛児の死と云う事実よりも、普通ならば、子供を一時に二人も無くすと云い不幸に遭ったのなら、気違いになるのではないかという予想が外れ、正気のままでいるという事実が原因であろう。

「朝子」にとっては、自分の神経の強靭さからくる「気が狂わないという絶望」、そういうものを「朝子」はくまなく味わった。

 子供を亡くしたラジオ劇が流れると、即座にスイッチを切る感覚を持っていた。

 そこには、劇中の主人公と自分の相違を認めたくはないという気持ちがあるからであろう。

 普通の精神の母親であれば、子供亡くして悲嘆に暮れて、気が狂ってしまう母親の姿を劇中描いているかもしれない。

 諦念と云う言葉で、二人の子供の死を、時間とともに流し去る様子に、自分の薄情さを垣間見ている。

 また懐胎で、不幸を消し去っていく速度は、新しい幸福のためにと云う大義名分、より加速度的に増加していく。

 普通一般の愛児を事故で失う悲しみからくる狂気が訪れなかった事実は、他人とはと違う自分の姿を見る恐怖がある可能性がある。

 ここには、残されている「克雄」を守護しなければならいという使命が、気が狂うという逃避を許さない事情がある。

 また、彼女には、「力強い意志」があるから、並みの女では耐えられないような悲劇を克服していく。

 小説の結末は、幸福には、不幸というスパイスが必要であると感じた者、受難者の地位を快感と思ってしまった者の不幸が見える。

 本来、「不幸は踵を返して帰ってくる」という迷信を信じて、一人生き残った「克維」をガラスのおもちゃの様に扱う姿は、不幸を避けるための手段ではあったが、不幸を幸福に転嫁させる力はない。

 単に、不幸をひたすら避けるという態度である。

 不幸は、幸福に転換することはない。

 長い間、幸運に恵まれ、幸福と身を入れた付き合いをしてきた家族にとっては、一般的な不幸とは縁遠かったはずである。

 しかし、大きな不幸を受けることになる。

 3人も一度期に亡くなることは、一家族にとっては大きな不幸であるが、社会的には、3人も一度に死ぬという事は滑稽である。

 夫の勝は、三人の死を、社会的な死ではなかったことを幸運に思った。

 それは、他者から、強いられた死ではなかった。

 勝自身は、自分が幸運続きであったことを、他人からねたまれているであろう、今の地位を羨ましがられると点が、減殺されたと感じるのである。

 不幸の状態から、幸福な状態への転換は、継続の先にはない。

 劇的な展開がなければならない。

 幸福を感じるべき状態になっても、

 だが、ある時、もう一度子供が欲しいと思う。

 そして懐胎して、晩夏に女児・桃子を出産する。

 一家は喜んだ。

 

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三島由紀夫 「真夏の死」小論 その3

「朝子」は、忘却と後悔することを恐れる。 事件の後、「朝子」は、後悔を始める。 しかし、この後悔は、見せかけの後悔でもある。 それは、義妹の心臓マッサージを海岸で行わなかった所為で、子供の存在を忘れさせた行為全般に向けられるべきであるが、現実には、運んだ者、運ぶように判断をした者は不特定多数で、具体性がない、だから憎悪は、唯一認識できる義妹へ向くのである。  義妹への憎悪は、そのまま、夫、義妹の死を悲しむ彼とその両親へも向けられる。  夫へは、子供と義妹とどちらが大切かと、本人に向かって聞いたら答えようのないような質問を頭の中で投げかけている。  「朝子」の気持ちでは、義妹は、子守娘が川へ子供を落っことしてきたような対象でしかない。 「朝子」自身は、自分が被害者になろうとしている。 子供の葬儀の前に、両親への食って掛かるのは、子供を過ちで殺された母親という地位に安泰したいという気持ちがあふれている。  自分が義妹に、小さな子供3人を任せて午睡を楽しんだ結果、子供は2人死に、3人の監督者であった義妹も死んでしまった。 生き残っている1人の子供には責任は問えない。 三人の子供の監督者であった義妹の監督者である自分が、責められるという社会的な反応に、責任を追及される重圧から逃れようとする。 そこで、「朝子」は、重圧から逃れるためには、後悔をしているという体裁をとる必然がある。 それは、義妹に3人を預けたことが間違いだったという事を認めることであるが、実際は、 は、自省として、「朝子」自身がが、義妹の心臓マッサージを行う間に、二人の子供事を忘れていたという、自分の失当を後悔している。 又、夫が、事件の現場である伊豆を訪れて、最初の夫へ謝罪する時には、子供三人を、老嬢の義妹に託して、自分が午睡を楽しんでいたという事実を後悔している。 宿の番頭が、午睡を楽しんでいた時に起こったことだから、朝子を責めないで欲しいという意見などは意味をなさない。 そうして、子供が死んでから、分家の墓を建てるために、多摩墓地に墓地を求めた時には、子供たちの事は忘れていない。 死者の為に購入した多摩墓地へ行きながら、死者の事を、生きている子供として認識したい、・・・本当は死んでしまった者を、生きている者として扱いたいという感情の平行線的な可感覚を持つ。 空想と現実の葛藤である。 外出する、子供は、椿事で死んだりしなければ、生きていればお留守番をして居るはずである。 生きて、現実に連れてきている「克雄」は、おもちゃを欲しがる。 その時、妻の脳裏には、長男長女が死んでいないという感覚で、お留守番をしている子供にもお土産を買わなければいけないと思う、しかし、すぐに、現実は追い付てくる。 彼女は、死んでいないつもりで土産を買いたかったと主張する。 夫は、多摩墓地を見にいった行き帰りで、感情を誇張していると感じる。 ここで、妻と夫の立ち位置がすでに違っている点が良く判る。 良く女性の記憶は「上書き」だから過去には拘泥しない。 その反面。男性の記憶は、どこでも呼び出し可能な引きだしのようなものだから、過去に拘って、現実を見ないということをいう人がいる。 しかし、この小説では、妻である女性は、記憶を上書きするのではなくて、子供という項目だけについては、上書を拒絶しているように映る。 それに対して、夫は、社会との関りと、生活が記憶を埋没させて行く。 そうは言っても、妻は、徐々に、継続的な日常生活、事件から時間の経過、そうして最重要課題である1人残された克雄を守護する云う事実は、人間の持っている忘却して傷を癒すというシステムを通して、徐々に立ち直っていく。 その過程は、本人の意思とは関係なく、不幸は忘却しなければならないという意識がなくとも、時間が悲劇の記憶を押し流していく。 忘れていくことの連続は、死んだ子供の子ことを夢に見ないという現実となって立ち現れ、起床時のさわやかな気分を現出する。 ある朝、起きると、子供たちの事を忘れて寝入ったことを思い出していた。 母親は、子供が死んだという事情を忘れてはいけないという感情がある反面、自分に起こった悲劇を無意識のうちに忘却の彼方に持ってく時間と薄情が恐ろしくなる。 忘れてしまった自分を責める気になるのである。 夫は、妻の忘れてしまったことを後悔する悲しげな姿を見て勘違いをする。 朝、子供の事を忘れたことを、気に病む朝子に対して、夫は、子供の事を思い出したから気に病んでいると誤解する。 社会生活の度合いが大きく、現実的な夫は、すっかり死んだ子供の事は忘れているので、妻が、「忘れたことを悔やんでいる姿」そぶりを見て、死んだ子供を思い出したから、悲しい顔をしていると勘違いして、妻を慰撫する。 夫は、誤解に気が付かないし、悲しいそぶりを見せない。 妻は、慰撫する夫が子供の死を悲しまないのが不満である。 母として、死んでしまった子供たちの霊に、忘却と薄情を詫びて泣いた。 そこで、朝子は、忘却の原因を考えると、「諦念」によって忘却が起こると考える。 この「諦念」から起こる「忘却」こそが、死者に対する冒涜であると感じる様になる。 そうして、忘れそうになる悲劇を感じようと努力をする様になる。 「自分たちは生きており、かれらは死んでいる。」 「生きていて」、彼らを忘れてしまう自分の意識は、悪事を働いているような心地をもたらす。「生き残って生活をして、死者を忘れてしまう」という事が、自分に与えられえた罪と感じるのである。 「生き残されていることの残酷さ」にさいなまれるのである。 20200109加筆訂正

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三島由紀夫「真夏の死」小論その2

「真夏の死」は、伊豆の海岸で起こった事故が題材である。
俗化されない孤高な海水浴場で起こる。
子供二人、家族の夫の妹の三人が一気に亡くなったという事故がベースである。
最初に、ボードレールの人工楽園の言葉に出てくる「真夏」を引き合いに出している。
小説のあらすじは、ある夏、主人公の生田朝子(いくたともこ)は、伊豆半島の南端に近いA海岸の永楽荘に、三人の子供(清雄きよお:六歳、啓子けいこ:五歳、克雄かつお:三歳)と、義妹の安枝(やすえ:老嬢)とで遊びに来ていた。朝子が、遠慮のない安枝に3人の子供のお守を頼んで永楽荘の一室で午睡を楽しんでいる間に起きる。2人の子供(清雄と啓子)は波にさらわれてしまう。驚いた安枝が、海に向かうと波に胸を打たれ心臓麻痺を起こして倒れる。一時に3人の命が失われた。
そうして、失われた子供を、特別な感情としてしての忘れはいけないという気持ちと、忘れてしまう事への恐怖、さらに、失われた子供を補完するように懐胎する。
懐胎後は、愛児を失ったという大きな、特別な悲しみは消えていくのである。
この悲しみを消費し、消化していくに従い、忘れてはいけないという気持ちが強くなる。
そうして、冬には、懐胎して、再び、子供が生まれる。
生まれたばかりの子供を伴い、再度、事件のあった海岸を夫婦は訪れる。
夫は、最初は、反対する。
三度も妻が頼むので、仕方なく同意する。
現地につく、すると、夫は、事件を思いだして不機嫌な気持ちになる。
しかし、夫婦は、生き残った子供、生まれたばかりの子供連れて、事件のあった海岸へ向かう。
妻は、何かを待っている。
待っている姿を見て、「何を待っているのか」と聞かなくとも、何を待っているのかわかるような気がして、生き残った子供の手を強く握りしめて蕭然となる。
この蕭然となる理由は、妻が待ち望んでいる、愛児を再び失うという悲劇の連鎖を望む姿である。

主人公の「朝子(ともこ)」は、非常に用心深い婦人であった。
夫の勝は、米国の自動車販売会社の支配人である。
しかし、事件の少し前に事故を起こす。
それ以来、妻は、夫の車に子供とともに乗らなかった。
それほど大切に養育してきた子供を、義妹の不注意、自分の監督不足で3人のうち、一挙に2人も失う。
最善を尽くしてきたとは言えない部分が、肥大して、事故が起き、悲劇となった。
主人公の母親である「朝子」とその夫「勝」は、家族として、子供二人と、義妹の死を一時に受ける悲劇の主人公である。
主人公の「朝子」は、子供二人を一時に亡くした悲しみと悲劇と、その夫の勝は、子供二人と妹を亡くした悲劇を、引き比べている。
この事件の直後に、「朝子」は、責められる自分の姿に怒りを覚えるが、その怒りの矛先は自身の両親へ向かうが、これは一瞬で終わる。
夫の両親に見せた「どうもすいません」という言葉とは裏腹に、自分の両親に見せた、子供の死よりも、老嬢(未婚)で亡くなった妹の死を悲しむ姿勢に強い反発を覚えている姿は、悲劇の中心は自分になければいけないと云う、エゴイステイックな姿である。
死について、運命であると述べる老人に対する反発心もある。
彼女は、二児を一度期に亡くした悲劇の主人公であることに気が付く。
自分は、悲劇の中心であるべきという姿を見つめ、その源泉が、二児の死であることを痛感する。
この主人公「朝子」は、注目を浴びることは快感と思う者であった。
そうして、快感は、悲劇の主人公という形容詞が付くことで、より加速度的に、自分へのいたわりを求めている。
提琴(ていきん)演奏家の会場へ着飾って出ていく姿、悲劇を知らない人の対応、他人がどう感じるかという事は埒外である。
2児を一時に失うという悲劇の主人公でありながら、きわめて美しい。
悲劇を知っている人の感覚は、不幸を乗り越えてきたから、この提琴演奏会に来ているという感覚ではないだろうか。
二児を、一挙に失うという悲劇は、個人の単位としては非常に大きいと感じている。
社会的に見ればどうかと言えば、ある意味、一時的な不幸ではあるが、ある意味の滑稽さを有する面もある。
人の不幸は、話題でしかない。
個人の持つ深い悲しみの源泉である「悲劇」は、消費されて忘却される。
しかし、主人公の母は、悲劇のヒロインの地位を保持したい。
知人が、自分お悲劇を知らない人に、悲劇を教えるべきではないかと考えるようなそぶりを感じる。
そこで、つまらない悲劇に引っかかっていけないという感覚が、より強く表れる。
オレンジジュースや、公園の水道水を飲むことで怒る小さな不幸
交通事故で、残された愛児の命を奪われる不幸
そういった不幸は、遠ざけるようにする。
夫・勝は、仕事で気がまぎれるので、愛児と妹の死は早く忘れていく。
主人公の「朝子」は、一日中、不幸の内容を考えている。
まるで、忘れるという行為を全面的に否定するようである
家族で食事に出るという、気分転換も、夫・勝の忘却を責めて、ぶち壊していく。
(つづく)

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三島由紀夫 「真夏の死」についての小論 (その1)

三島由紀夫は、16歳のころから早熟な天才と謳われた者である。
1944(昭和19)年10月には、処女作「花ざかりの森」を祖父の人脈をフルに活用して出版している。

文章の中に出てくる言葉は古いが、時代性があって面白いと思う。
例えば、「棒紅」これは、今のステック状の口紅を現した言葉である。
当時は、「棒紅」と旧来の筆で書く紅と峻別されていたことがわかる。

三島由紀夫は、戦後、流行作家として書き散らかした作品も多い。
先般、既述した「金閣寺」は名作といわれる。
私の個人的な一推しは「真夏の死」である。
円錐形の事柄が頂点(’終局)に収斂していくように書いたとされる。

この「真夏の死」も、題材は、現実の事件であるが、事件は単なるキーワードである。
キーワードから組みたてていく話と、現実は乖離していく。

三島由紀夫の根本にある「夏」とは、戦時中の最後の「夏」の事であるといわれる。
1945(昭和20)年の敗戦の年の夏を良く引き合いに出すきらいがある。
三島は、2月に召集を受ける(徴兵検査は、前年、本籍地の兵庫県で受けている。)
三島由紀夫は、1925(大正14・昭和元)年の生まれなので、1944(昭和19)年には、徴兵検査を受けている。最低の第二乙種合格であった。官僚だった父親平岡梓の「本籍地の田舎の隊で検査をうけた方が、ひよわさが目立って採られないですむかもしれない」という入れ知恵で、兵庫県加古川市の公民館で検査をうけていた。検査当日の本籍地の農民の青年たちに囲まれて、ひ弱な体を見せる彼は、「俵あげ」さえできなかったという、当時を知る人は、或る作家の取材に非常に偉そうに語っている。
健康な肉体に囲まれた、ひ弱な肉体の都会の青年。
この時に、ひ弱な肉体を、恥じただろうか。
彼には、本を出版するという人生最大の目標があった。
彼は、合格しては困るのである。
検査を受けたころには、「花ざかりの森」の出版準備に忙殺されていたという。
1944(昭和19)年10月、この本は、出版される。
三島にとっては、早熟な天才が書き上げた名作が残るであろう「遺作」として作り上げている。検査後、大阪在住の伊藤静雄に序文を頼んだが、土産も持たずに訪問して、顰蹙(ひんしゅく)をかったようで序文はもらえなかった。
1945(昭和20)年2月、召集令状が届いた。
本籍地の田舎の粗暴な軍隊へ入隊せよという命令を受ける。
入営して検診を受けると、風邪の悪化で、肺疾患と誤診され、即日帰郷となった。
これを屈辱的と感じたとする論評はよく読むようになる。
この時の気持ちは、後年の作品に現れる「私は駈け出した。荒涼とした冬の坂を村のほうへ降りていた」「ともかくも『死』ではないもの、何にまれ『死』ではないもののほうへと、私の足が駈けた」。とある。
ここに屈辱という感情はない、田舎の軍隊での粗暴な死から遠ざかることへの歓喜しか書いてないのである。
ただし、この時は、冬である。
この時、世間は、死へのいざないが多かった。
三島は、生きていたと思ったに違いない
この即日帰郷で、死は遠ざかる。
彼は、戦争で自分が一国民として死を望んでいたのかと云うと、その様なことは無いという気がする。
戦争は、巨大な社会的で、象徴的な死を近付けてはいた。
こころの中で空想する、戦争における死の予感は、敗戦という事実で消滅する。
現実は、かぶさってくる、生きるためには生活をしなければいけない。
評論家諸氏は、三島由紀夫にとっての「絶望と屈辱」のキーワードが、「夏」であるとい。
三島由紀夫の言うところの「真夏」の夏は、別に、真夏に起こった事件だから「真夏」にしたのではないという解説が多いが、「真冬の死」で、強烈な日光の感触はない。
この作品自体は、最初の世界旅行後に書かれた作品である。
ギリシャ的な太陽と海の影響があったという事を書いている解説書は多い。
しかしどうだろう、私の個人的な感覚は、「三島由紀夫」にとっての意味と、「平岡公威」(三島由紀夫の本名)にとっての意味あいが違っていたのではなかと思う。
作家「三島由紀夫」の公式的な感覚では、真夏は、敗戦という事実、帝国臣民としての屈辱を感じた夏かもしれない。しかし、「平岡公威」としての「夏」は、現実世界の再構築、再出発点とみることができるのではないか。
又、最愛の妹の死という事実は、生きることのもどかしさを体現したのではないかと思う。
三島は、白昼の椿事(ちんじ)を待つ人であった。
白昼の椿事は、強烈な太陽光の下で起こらなければならない。
そう考えれば、夏の業火が真っ盛りな太陽の光の降り注ぐ、伊豆の海岸で、三島の言うところの椿事としての不幸な事件が起こる。
これは、絶好のモチーフである。
(つづく)http://flattwin.cocolog-nifty.com/blog/2020/01/post-5a2c0f.html

 

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三島由紀夫「金閣寺」について小論

昔、三島由紀夫の「金閣寺」を初読したときに、最後の「生きようと思った」という言葉で終わることに違和感を持ったことがある。
これは、多分、放火犯が、自殺を試みていたが、捕まったという事実を知っていたからかもしれない。
これは、小説と現実の事件を峻別していない悪い読み方である。
実際の放火犯は、鹿苑寺の僧であり、放火後、毒物を飲み、切腹して自殺を試みている。
多くの人は、室町時代から続き、戦争の惨禍さえ免れた「鹿苑寺の金閣」を焼いた者への興味を持ったことは想像に難くないのである。
当時の最大の情報源であった新聞報道に並ぶ、自供の内容は、「美に対する妬み、参観者への妬み、ドモリからくる精神的な苦しみ」といった言葉が並ぶ。
これらの自供の内容と、放火して文化財を焼失させるという事実に整合性はない。
誰もが、その理由を知りたかったのとは思う。
実際の放火犯は、刑の確定後は、入獄したが、途中で、医療刑務所で獄死している。
鹿苑寺の金閣の放火事件を扱った小説は、三島由紀夫の「金閣寺」と水上勉「五番町夕霧楼」「金閣炎上」が著名であるが、「五番町夕霧楼」は、題名からピンとこない。
(金閣寺読了後、文学書に記載があったので、後日、探して読んだが、現実的ではあるけれど、何となく、犯罪の言い訳じみた感じしかしなかったので、再読することは無かった。)

三島由紀夫は、達成感のある結末を描き、水上勉の「五番町夕霧楼」は、現実社会と空想的理想社会の衝突による文学的結末を描いている、「金閣炎上」は、事実を掘り起こして現実に忠実にノンフィクション的な伝記のような風体を取っている。
両作品ともに、実話をベースにして居る。
史実としての放火犯の心象風景を知るために読むのであれば、「金閣炎上」をお勧めしたいが、小説として読むのであれば、「金閣寺」であろうと思う。事実は、作品中の現実感の補強に過ぎないので、あまり重き尾を置いてない感じがする。

大昔、河合塾でバイトをしていた頃に、東大の問題でこの作品が取り出されていたことがある。この解説を読んだ時に、「相対性の意識」について、作品の解説と云うかと「昇華する意識」についての解説は秀逸であった。主題を主人公と組み合わせて1個の作品を作り上げる力量に参ったことがある。
三島にとっては、現実の事件は作品を書く上での起爆剤に他ならない。
事件は、事件、作品は作品である。

三島は、「金閣寺」の創作ノートには、大まかな主題を最初から書いている
「美への嫉妬、絶対的なものへの嫉妬、
相対性の波に埋もれた男、
絶対性を滅ぼすこと、
絶対の探求へのパロディー」
としている。
途中で紆余曲折を経るが、これらの主題は永続的つづいていく。
主題を完結させるために、事実としての「放火犯、吃音、禅僧、寺院の拝観料による寺の俗化、大谷大学の学生、戦争、遊郭、拝観料、母親の要望(要求)」を、作品の現実性の付加というモチーフにして作品を組み立ている。
組立てるためには、事実を「植物採集」や、「昆虫採集」の様に取材をしている。
被害者の、鹿苑寺の関係者との面接も果たしているから、詳細に周辺を探った感触は創作ノートからもうかがい知ることができる。
(直接的な、「金閣」の放火に関する取材は断られている。)
それらの取材は、当時の記録として非常に面白いと思う。
遊郭「五番町」へ登楼もして居るが、風景は作品中の書き割りの様な存在でしかない。
言葉の端々に見える、言葉のつなぎ様は見事ではある。
しかし、所詮は、小説のモデルとしての断片を採取して、あとは、主人公の最後の「生きようと思う」という結末につながる主人公を創造するためにパーツ集めであった。
変なことを云うようであるが、無意識な文章記述、筆が滑るという状況は基本的にはないと思っている。
例えば、写真家の撮る写真には、すべてをコントロールして撮影する場合を除いて、余分ものが写る可能性がある。
ヘルムートニュートン(「宮沢りえ」の写真集を撮影した人)の写真で、レオタード姿の女性が石柱にもたれかかり石段上で足を踏ん張りのけぞっている写真がある。
これは正面から撮られている写真が有名であるが、側面から撮影したものもある。
正面から撮影されたものは、芸術的である。
側面からの撮影はまるでコメデイである。
石柱を背中に、石段の部分で踏ん張っている、そうして周りに撮影に無関心な人が写りこんでいる。
両方とも素晴らしい撮影である。
完全に組み立てた撮影と、偶然(仕組んだ撮影の可能性もある)の映り込みを取り込んでの撮影は、二重の意味での面白みがある。
作家の文章はすべて意図されて書いているという点を考えれば、偶然はない。
現在の卑近な例で言えば、漫画家が、漫画を描く時には、絵に描かれていること全ては、ある意図を持って書いていることは明白である。
小説家が文章を紡ぐときには、すべてを意識して書いているはずである。
「金閣寺」の主人公の私(放火犯)は、三島の作品によく出てくる内面性で葛藤をする者に多い、ニヒリスト的な内面はない。
あくまでも放火犯の放火に至る内面世界を描いているように読める。
新聞に載った自供の内容から、着想を得たような感じさえする。
三島の好きな「美」に対する妬みは、彼の琴線に触れたのではないかと思う。
又、放火犯は、吃りである。
彼らが、一般社会の生活で嫌な思いをしているという感覚はあったと思う。
そうして、内面世界を描く際に、取材で得た事実を散りばめていく。
しかし、この事実を散りばめていく行為は、「現実的に見える主人公」の存在を補強するのみである。
現実は、小説の現実感を与えることに使えるパーツは積み重ねられていく。
しかし、小説世界において廃棄された「精神病を患っていた」という事実がある。
現実の放火犯の「「精神を病んでいたという」事実は、小説中の主人公には反映されず無視された。
ここではわかることは、「現実の放火犯」と「小説中の主人公」とは全く関係がないという事になる。
三島の「金閣寺」は、あくまでも小説としての「金閣寺」である。
当時(1956(昭和31)年)、精神病患者であったという事を書いてしまったら、三島の書く内面世界との対立としての金閣という構図は崩れてしまう。
そこで、精神を患っていたという点は、完全に省かれていく。
吃りで、精神を患った者が、対峙する存在としての「金閣」。
吃り(どもり)の青年が、理想と現実に葛藤しながら、対峙していく存在としての「金閣」。
小説としては、後者を選ぶしかない。
三島は、収監されていた医療刑務所の取材も行ったようであるが、発病の時期を探った可能性はある。
事件後に、神経を病んだのであれば話は簡単である。
事件の前から病んでいたのであれば、三島の考える構造はすべて崩れていくという事実がある。
精神を病んだ者:放火犯の主人公の私が、まるで、日記の様に内面性の世界を吐露していくという事はありえないと思われてしまう可能性が高い。
あくまでも、吃る者ではあるが、崇高な精神世界を持っていて、それと現実が衝突していくという形態で、記述は進んでいく。
再読して、ふと気が付いたことに、これは、読者に読ませるという体歳でありながら、その実は、特定の者に読ませるための形態ではないかと思った。
この作品は、丁度、夏目漱石の「こころ」の様に、特定の者(ここの中で出てくる、青年)に読ませることを前提として記述した小説である。
「こころ」は、最初は、外面(そとずら)を記述し、外堀から先生を観察し、探偵の様に先生を探っていく。
そうして、先生は、就職を頼まれることで、自身が、ただの高等遊民で、自堕落に過去に拘泥して生きる者であるという事を再認識する。
そこで、主人公の青年に対して、告解の様に、告白をする。
告白後は、拘泥した自己の過去から解放されたように、自死を選ぶ。
青年は、危篤の父を残して、東京へ帰る。
帰った後で、どうしたのか?
「それから」の読了後に読んだせいか、青年は、先生の未亡人と一緒になり、先生のすべての負の遺産を背負って生きていくのではないかという感じを受けた。
ある先生が、未亡人と一緒になるのではないかという文章を書いているのを読んで思ったことは、先生の奥さんを貰うのというよりも、先生のすべてを手に入れるために、未亡人を貰うのではないと思ったのである。
確定的ではないが、誰かに語る体裁を取っている。
内面性の「閉ざされた魂」露出として書かれていたはずの小説が、その実、内面性を語るべき相手がおり、その者に向けた告白状のような体裁を取っているように感じた時、これは、遺書となるべき小説だったのではないかと云う気さえした。
語るべき相手は明示されてはいないが、内飜足(ないほんそく:内反足)の友人「柏木」であろうことは想像がつく。
悩める主人公を、行ってはいけない方向へ誘導するのは誰あろう、「柏木」である。
内飜足である。
「柏木」は、主人公が、主人公が劣等感を抱かずに話ができた唯一相手である。
「柏木」は、生きる道を説く。
主人公の私が、感じている現実の寺の経済を握る僧が、敵ではないことを教示する。
主人公の持っている崇高な理想の存在であり、父親の語る幻想的な「金閣寺」と、現実世界の俗世にまみれ、拝観料という現実的な経済体制を握る僧と修行僧との格差をもたらす根本としての「金閣寺」を、主人公の立ちふさがる事実として認識させたのは、誰あろう「柏木」である。
彼は、主人公が何か「破滅的にことを企んでゐる」であろうこと漠然と予想をしている。
しかし、「柏木」帰郷してしまう。

主人公の私は、自身の行動の原動力を「唯一の友」である「柏木」に託す。

それは、「閉ざされた魂」を、「柏木」に理解してもらいたいという気持ちの発露であると考えるべきではないかと考えるのである。

この「金閣寺」という作品の、主人公の内面に存在する「金閣寺」と現実の「金閣寺」の比較であると思う。
内面に存在する「金閣寺」は存在しないという現実。
現実の醜悪な金を稼ぐ道具として存在する美しい「金閣寺」の現実の存在。
これら虚構の金閣寺を無くためには、現実の金閣寺を消滅させなければならない。
そうして、現実の「金閣寺」を放火し消滅させる。

作品中、金閣の内部の扉が開けば彼は死を選ぶ結末もあり得る。

しかし、扉は開かない、理想では開くはずである。

絶対と信じる物は、空想の産物である、空想の産物は、自分には甘い。

だが、現実的には、開かない。

開かなかったことで、理想も現実もすべてが彼を拒絶していることを知る。

拒絶されたことで、空想的な理想が、現実と、一体化した。

一体化したことで、彼は、現実的な目でものを見ることができた。

だからこそ、「生きようと思った」のではないかと思う。
ただ、生きようと思っても、生きる道は、収監されて自由は無くて、美しいものない世界にとらわれるというのは、三島が書かなかった結論でもある。

20200102初稿

20200103補完

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真夏の死 その2 (ちょいっと付け足し9月3日)

なぜか、「真夏の死」を再び読んでいる。

 

三島由紀夫の作品は、古い全集で読破したのは、大学生の頃・・・であった。

 

バイト代を握りしめて、全集を古本屋で購入して読んでいた。

 

その当時は、若者にありがちな、食い荒らすような読み方であり、これは、味わのでなく、ひたすら読むことで、文章を吸収することに熱中したのである。

 

「読んでいれば幸せ」な、ちょっとまぬけな青年であった私は、ひたすら読んだ。

 

一日中読んでいたこともある。

 

そうして、全集全巻を読むのに、3か月ほどを要した。

 

しかし、読了後の感想は、途中の昂揚感は消え失せ、最後は絶望であった。

 

つまり、豊饒の海四部作の最後の一文でぶち壊されてしまったのである。

 

そうして、作者の死による、新作のない状態が続き、読むのをやめたのである。

 

とはいえ、書簡集や、新発見があった場合は、それを買い、書評のような本、関係のアル本を読み続けた。

 

正直言って、最後の豊饒の海「四部作」は単調で、何となく、取材メモの引き写し感があった。

 

風景は、風景であるが、情味がない、言葉に味がない。

 

真夏の死を読んでいて気が付いたことではあるが、夏雲、積乱雲の事だと思うが「雲を積層して」と書いているくだりを読んだとたん、泉鏡花の「高野聖」の表現に軍配をあげたくなった。

 

何となくである。

 

でも、積層といった方が、戦後ポイのである。

 

しかし、戦後は、戦前を引きずっている。

 

明治大正期の時代は、影響を与え、そのまま、地下水の様な影響を与えていたことは明白である。

 

何となく、泉鏡花の表現を避けたようである。

 

戦後とはいえ、20年.30年代の女性の正装は、まだまだ和装である。

 

華やかそうな雰囲気が伝わる。

 

遊興をいぶかしんでいる夫人の感想の中に、三島は、少女歌劇団に、「大阪なまり」を感じる点は、何となく、いやな感じを受けていたのかもしれない。

 

それとも、懐かしい感じを受けたのかは定かではない。

 

閑話休題

 

では、なぜ、「真夏の死」を再び読んでいるのか?

 

気分は、不可解である。

 

翻って考えるに、私は、読むことを目的とした読書から、味わう読書へと変貌を遂げたころの事を思い出す。

 

泉鏡花先生の作品に惑溺していたころ、眉隠しの霊という作品にいたくほれ込んだことがある。

 

夏目漱石の「吾輩は猫である」にも、江戸趣味的な癇癪持ちの楽しさを発見した時。

 

延々と読んでいた。

 

単行本が擦り切れてしまうほど読み込み、一時期は、暗唱したぐらいである。

 

そうして、最近は岡本綺堂の作品にいれ込んでしまい。

 

延々と1年間再読を繰り返すという愚かな行為を続けたのである。

 

そうして、ここ2週間ほどは、「墨東奇譚」と「真夏の死」を読みこんでいる。

 

墨東奇譚については後日書くつもりである。

 

真夏の死は、三島が主張してやまない、逆円錐形の様に、結末が収斂してくとという言葉に引きずられて読んでいるのである

 

行間を読む、読もうとしている。

 

まさに、言葉一時一句の間に、もしかしたら、意味があるのではないかと。

 

結末の「何かを待っている」とは、文中の「何かを待つようになった」とイコールなのか?

 

夫が、、生き残った子の手を強く握るのは、夫人の災害を装った無理心中から、子供を守るためなのか?

 

それとも、放すまいとする意志の表れなのか。

 

読んでいると実に楽しいのである。

 

歩いているときに考えてしまうのである。

 

婦人の気持ちは、振幅する、子供たちの死を忘れることを良しとする、良しとしたい気持ち、そうして、その気持ちを責める心持。

 

そうして大きな振幅は徐々に小さくなる。

 

小さくなっても時々、無意識の内に、子供が死んでいないという気持ちがはみ出てくる。

 

そうして、また、A海岸へ向かう。

 

結末の銘記してある下手な推理小説よりも楽しいのである。

 

最初(中学生)のころ、三島の作品を読みだしてまず感じたことは、文体が美しいことである。

 

泉鏡花や、森鴎外のような、漢文的、文語調的で、ちょうど漢文を素読をするときの息継ぎをする感覚の歯切れのよさ出はなく、口語文体の中にある、流れのよいリズム感、語調の美しさ、漢字と文字の感覚的な気持ちよさを「よい」と感じたのである。(27.09.02)

 

 

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真夏の死 三島由紀夫 雑感

 最近、壊れそうなので、少し古い本を読んでます。

 

「墨東奇譚」は、現在3巡目

 

「真夏の死」は、1回読んで、いきなり暗くなりました。

 

三人の子づれの婦人と、その夫人の夫君の義理の妹で、伊豆のはずれのA海岸へ来ていた。

 

婦人が、午睡を楽しんでいる間に、幼子二人と夫の妹を、海岸で失うことで始まる悲劇である。

 

最初に起こる不幸、そうして、ナレーター的な説明に、時々、いろいろな人の意識感想が入る。

 

最初は、義理の妹

 

大半は、子を失った婦人、心の変遷が編まれて行く。悲しみの淵、実家の両親への向ける周囲への不満。

 

夫は、地方から出てきたが、優秀で、帝都下の良家の娘(子を亡くした婦人)を娶った。

 

子は、三人いた。

 

うち二人をいきなり失うのである。

 

そうして、夫人の心は揺れていき、死んだ子供の事を忘れることを良しとする。

 

しかし、心の奥底には、子供の事は意識に残っている。

 

それが、購入した多摩霊園に行った時、汽車から降りるおり、死んだ子供二人を車中に残したような気がして、扉を開けようとする。

 

それを、夫は、わざとらしいと思う。

 

男の方が、悲しみを忘れることが早いとでもいたいのかもしれない。

 

男の方が、物理的な欠損は、消化が早いと思う。

 

事実は事実として受け入れるということである。

 

よく、男は、心の引き出しが多くて、別れた女の人の事を忘れない人が多いという。

 

しかし、女性は、上書き保存なので、前の男の事はすっぱり忘れるということを聞いたことがある。

 

しかし、女性は、こと、自分の子供のことになると、そうではないようである。

 

上書き保存という対象ではないようである。

 

あらすじとしては、2人の子を、自分が午睡をしている間に失う夫人の話である。

 

補足的に、夫の妹も同時に亡くなるのである。

 

幼子は、波にさらわれ、義妹は心臓まひで、海岸に倒れ伏してあっけなくなくなるのである。

 

義妹は、不自然な倒れ方をして、助け起こされるが脈がない。

 

宿泊先へ運ばれて、4時間ほど後に死亡確認される。

 

その間、2人の子供が行方不明との認識は、婦人にはなかった。

 

気が付いて、夫人は、海岸へ走る

 

夫へは、電話では、責められることを恐れて、電報で急報を告げる。

 

そうしては、夫婦二人と残された子供の話になる。

 

逆円錐形に話が収斂していく(三島由紀夫談)のである。

 

ここで、今出は聞きようもない懐かしい言葉がある。

 

例えば、至急電報である。

 

その部分を読んだら、ものすごく懐かしく思った。

 

個人的な思い出で恐縮だが、大昔、夜中に至急電報が来たことがある。

 

鉄製の門をたたく音がしていた。

 

「でんぽーでーす」

 

垣根はないに等しいが乗り超えることができる程でもなかった。

 

門は遠いので聞こえない。

 

なんか叫んでる人がいるよ?というと、母が出ていくと、至急電報

 

「キトク、スグカエレ」

 

であった。

 

おお、あれだな!という気がした。

 

そんなの事を思いだしながら読んだ。

 

ほかにも文中の言葉で懐かしいものが沢山ある。

 

「乗合自動車」、今のバスのの事であるが、言葉としてはこちらの方がしっくりと来る。

 

井伏鱒二の作品にも「乗合自動車」という短編があるぐらいだから、一般的な言葉だと思う。

 

だいたい「バス」というとつまらない。

 

この小説は、実話に基づく小説である。

 

実話といっても、2人の子が死んだこと、随伴の女性も死亡したこと、子の母親は、その時午睡を取っていたことが、たぶん事実なのだと思う。

 

それ以降は、創作であろう。

 

三島由紀夫の作品は、最後の1小節から読むことにしている。

 

三島自身が、最後の1文を考えてから書き始めるといっていたからだ。

 

最初に読んだのは、もう30年以上も前の事である。

 

都合のいいことに、内容を大体忘れている。

 

当然の様に、最初から、最後の一文を読んだ。

 

読んだ瞬間に、不可解という言葉が思い起こされた。

 

読んだとき、まだ十代であり、読みやすいといいながらも、文体、旧かなづかいな本で少し読みずらいイメージがあった。

 

最後を読むと、

 

この結末にどのように疾走して行くのか楽しみになっていたことを思いだした。

 

紆余曲折はあるが、妻の心理的な変遷が、主体である。

 

夫の心の変遷はあまり重きを置かれていない、流している感じが強い、というか、妻の心情の補足説明的である。

 

この作品を書いたときに、三島由紀夫は、外遊からの帰朝後であった。

 

帰朝後の最初の作品を、見聞した南欧の風景を混ぜ込んだ作品にしなかったが、湘南海岸よりも人気の少ない海岸に選んだことで、碧い空、紺碧の海を思い出しながら書い綴ったのではないかと思う。

 

評論家には、そうではない。

 

エーゲ海の太陽の色、風景を封印するための作品と位置付けるものもいるようであるが、個人的には肯首できない。

 

(渡欧したときのことは、旅行記として「アポロンの杯」に書いてる。)

 

結末は、子を失ってから2年後、

 

再び、子(女の子)を得てからの事である。

 

夫人は、子供たちをなくしたA海岸に行ってみたいと言い出す。

 

夫は、あからさまに反対したが、夫人が、三度、A海岸へ行きたいと願うので仕方なく、行くことになった。

 

三度ということに時代を感じるのである。

 

三度ということは、重い意味があったのだ。

 

行く理由を問うたが、夫人は「わからない」という。

 

しかし、宿につき、いやな思い出に苦言を呈するのは夫である。

 

しかし、海べりへ行くことを言いだしたのは、夫である。

 

夫、夫人、生き残った子(男の子)、新たに生まれた子(おんなの子)の4人は、海岸の波打ち際に立つ。

 

赤子を抱いて、じっと海を見つめ放心しているような、何かを待っている表情をしている夫人に対して、夫は質問をしようとする。

 

私には、「待っている表情」がどのような雰囲気かはわかりかねる。

 

しかし、なんとなく、こない人を待つ気分、帰ってこない人を待つ気分というのは何となくわかる。

 

永遠の別れの後は、無言の業で、心の中で語るか、声にだして空虚に向かって話しかけるかである。

 

回答はない。

 

永遠に回答は来ない。

 

来るはずがない。

 

でも、待ちたい。

 

そんな心持かもしれない。

 

作中で、夫は「一体何を待っているのか」と尋ねようとした

 

しかし、その瞬間に訊かないでもわかるような気がしたのである。

 

そうして、つないでいた息子・克雄の手を離さないように強く握った。

 

そうして話は、終わるのである。

 

カスタトロフィ(破局)を待つということなのか?

 

子供は、波にさらわれた。

 

不注意である

 

注意すべき義理の妹は、自身の肌の焼けることを嫌がる老嬢である。

 

気もそぞろだったかもしれない。

 

しかし、子供は偶然来たであろう波にさらわれ。

 

義妹は、波しぶきが体に当たり心臓まひでなくなった。

 

すべては、偶然のなせる悲劇である。

 

婦人は、ここで、自然の偶然により自分たちにも悲劇が訪れて、命を消し去られるのではないか?と考えていたのか。

 

偶然を装った心中(江戸時代におきた心中は、明らかに誤用の拡大解釈であるが、ここで、相対死というのも変であるからそのまま、心中と使いたい。)を望んでいるのか?

 

でも、そんなことは起りはしないのでる。

 

そうして、日常に帰り、死んでしまった子供、義理の妹は墓の中に入っているという事実のみが残るのである。

 

現実的な話としては、生き残った子供はちょうど、いまごろ、60歳以上になるはずである。

 

何かの折に、昔話で、自分には、兄と姉がいたけれども今風で言うところの「海難事故で亡くなったねぇ」といっている姿を想像すると、「何となく悲しい」と思う自分がいるのである。

 

 

 

 

 

 

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