朝、起きてふと思った事がある。

朝、起きて、なぜか、ふとこんなことを思った
感謝することは必要であるという事である
三重苦(仮名)には、感謝している。
ある一面での感謝である。
30年ほど前に、古い車を買った。
クーラーもパワーステアリングもない、軽さがそのまま生きている感じで、軽快感のある車である。
今でも手元にある。ここ10年ほどは、毎年数百キロしか走らない。
でも手元にある。
この車を手に入れた頃に、三重苦を紹介された。
第一印象は、よろしくなかった。
「買いたければ買えばいい、買えるもんなら買ってみろ」だった。
ぐっと我慢をした。
怒りを抑えるためである。
だって、自分は門外漢である。
だが、買ってからは、「買うとは思わなかった」と云った。
基本、人を舐めている。
だが、模型という共通の趣味もあったので一時期は仲が良かった。
あるイベントを開催するから手伝ってほしいと言われて手伝うようになった。
ここで、イベントというものがやる気があればできるという事を教えてくれた。
三重苦の他者への対応は、まるで外道であったが、それはこちらの行動力でカバーした。
施設を借りる。
ツーリングのコースを考える
下見をする。
間違えないようなルート設定をする。
そんな感じだった。
こうして、イベントは、開催する意思と、ある程度の仲間がいればできることが判った。
基本的には、一人ではできない。
でも仲間がいれば、なんとかなるという事が判った。
その後、CG CLUB中部支部が、一瞬で消滅したことを後から知った時に、加藤社長さんが、ニューズレターで、主催する人を待つみたいな感じの事が書かれた時に、「いっちょやってやろうか」と思った。
実行に移すまでには少し時間がかかったというか、決断するのに時間が掛かった。
けれども、車好きの人が集まる時間と場所が欲しいねと云われたのを機に、自分で、中部支部を再開することを選択した。
 その選択の原動力は、自分でもできるという気持ちがあったからである。
その気持ちは、三重苦主催のイベントを手伝い、予行演習をしていたからである。
だからこそ、今の自分の一部を形成している車のイベント開催をできる様な気持ちにさせてくれた点だけを考えれば、三重苦に感謝したい気がする。
なぜか、朝、起きたらふとそんな事を考えた。

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蟹取り少年殺害事件 1938(昭和13)年5月8日

昔、親からこんな話を聞いたことがある。
らい病の事を聞いたときに、思いだしたように下記の話してくれた。

要は、寓話的で、知らない人に付いてはいかない。
捕まったら、殺される可能性が高いので逃げる。
迷信を信じている人が多くて困る。
迷信を信じることは、他者に良くない結果(この場合、殺されてしまった)をもたらす。

だからではないが、非常に、現実的である。

お話はこんなであった。
ある時、山崎川で遊んでいた二人組の少年が、男に声を掛けられてた。
何かを見せてやる(この何かwを、忘れてしまった・・)、誘因し、二人を自転車の荷台に乗せて、移動を始めた。
座席の後ろに座っていた少年は、怖くなって途中で降りたが、もう一人は逃げることができなかった。

帰宅してその旨を告げたが、行方は杳としてれなかった。

そうして、その子は行方不明となった。
その子は、その日の夜、生きたまま肝臓を取られて死亡。
遺体は、茶畑に捨てられていた。
殺したのは、ライ病患者の●せん人であった。
この者は、知人から、人間の生き胆を食えば、たいてい病気が治ると言われた。
そうして、人間の生き胆を求めた。
当然、人間の生き胆など売っているわけがない。
短絡的に、抵抗力が弱い子供を攫(さら)う事を計画した。
攫って、生きたまま肝臓を抜き取り、その肝臓を、生のままで、そのまま食したという。
ここで、まず、子供向けの宣伝としては、知らない人には、付行ってはいけないけない。
というう事である。
また、他人は何を考えているのかわからないからである。
また、ライ病というのが恐ろしい病魔だと思いった。
その昔、祖父の往診について行った看護婦さんは、ある離れ屋に行ったところ、そこが、ライ病の家で、帰宅するなり、素っ裸にされて、頭から消毒を掛けられ、着ていた服は、外で焼き捨てたという。

実話は、多分この話である。

先日、昭和警察署四十年史(昭和46年發行、都築嘉雄著作)の「戦前の重要特異事件」という項目にこんな話があった。
蟹取り少年殺害事件
昭和13年5月8日
天白川に蟹を取りに来ていた小学生が、殺害され、犯人が、昭和区山上一丁目の畑中に遺体を遺棄した事件
捜査本部は、御器所(現昭和)警察署に、捜査本部が設置、大掛かりな捜査陣が敷かれ世人の注目を浴びた事件である。
被疑者は 崔雲南(仮名)と云う。
月余の捜査の結果、本人の犯行と断定しその行方を追ったが、逮捕直前において被疑者は、其の非を悟り鉄道自殺を計った為に十分その真相を究明するに至らなかった。犯行の動機については、もともと本人がらい病患者であり、自己の病気を治すためには少年の肝臓が、よく効くというとの迷信から殺害したものと云われる
(文章は、読みやすいように改変)
私が聞いたのは、山崎川、記事は、天白川である。
当時の川の規模と、地勢がよくわからないの何とも言えないが、当時ウチの親は、5歳だったから、強烈な記憶だったのだと思う。
親に言わせると、「ちょ〇〇んじん」ん犯行と云っていた。
子供ながらに怖いなと思った。
しかし、御器所から天白川は遠いと思う。
コロナのおかげで、当時の新聞を読むことができないで、事件を追うことはできない。
図書館の規制が取れたら是非この記事を読んでみたい気がする。
以前、アツタ号の記事を探していた時に「鬼熊」事件の記事を、心躍らせて読んだことがある。早く、通常に復してほしいと思う今日この頃である。

 

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病気になりたくないと思うはエゴではないと思うが

病気(びょうき)と云うのは、心身の一方か、両方が、不調になることである。

心の病と云えば、精神を病んでいることになる。

病気、レ点を入れれば、気の病。

気の病(きのやまい)、治る可能性はさまざまであるが、基本的に治癒する率は、低い。

びょうきと読まなければ、「やまいけ」とも読める。

これは、病気ポイ状態といか、前駆症状的な事を云うのであろう。

読み方で意味が変わる、日本語は難しい

だが、汎用性が高い漢字を使えることは喜ばしいことである

身体的な病気と云えば、色々あるだろう。

病気とケガとは違う。

ケガは外見的な損傷である

病気は、直接機に見えないことが多いし、早期発見できなければ、死に至たることさえある。

ただ、ケガでも重ければ死んでしまう。

誰彼を問わずに病気にはなりたくないだろう。

病気になりたくないと思う事はエゴだろうか?

例えば、インフルエンザにかかって高熱で苦しんだことがある人は、次ぎには、罹らないことを願うだろう。

癌になって一応なおって、5年待つこと心持は、病気からの決別を心から願う事ではにかと思う。

これは、希望である。

病気は楽しくないし、基本的には気持ちが悪いし、不愉快で、苦しい。

出来れば避けたいと思うものだろう。

以前、難病にかかってしまったという人の家族と接触したことがある。

病気の原因は不明という。

厚生労働省の難病指定に該当する様な病気なである。

遺伝子の複写部分で、何かが掛け違ってしまって、信じられないような難病になることがある。

そうなることは不幸である。

病気は、不幸である。

病気が、不幸なのではない。

病気イコール不幸な状態である。

長年、難病を抱えて暮らしているのは不安である。

不安に思うのも、不幸である

不幸とはあまり身を入れた付き合いをしたことはないだろうし、希望する人はいないだろう。

幸福とは近しく生活をしてるからこそ、誰でも不幸は避けたいと思うはずである。

思いもよらない時に、不幸に出会うと、御見それするものである。

不幸になりたくないと思う事はエゴだろうか?

病気になりたくないと思う事は、エゴだろうか?

ここで、不幸、病気でない状態、つまり、不幸ではなない状態、つまり、健康とは何かという単純な質問がある。

病気でない状態が健康と云ってしまう部分がある。

精神的に堅調で、身体的にも不調でない存在、それが健康である。

(言いきるのは難しい事ではあるけれど・・)

「健康へのエゴ」とはなんだと思った。

エゴとは、エゴイズムの略である。

ここで云う「エゴ」とは、利己的、自己中心的で、他者を軽んずるという風潮のことを言うのだと思う。

哲学的な、「エゴ」つまりは、精神性としての「自我」ではない。

多くの場合は、現在的な使用法を見れば「エゴ」などという言葉自体が、良い意味ではない。

だけれども、自身の健康を願ってマスクをつけるとを、エゴという人がいると聞いて少々驚いた。

この物言いは、ある意味、健康への、生きることへの渇望を「エゴ」というようなものである。

3月から6月の初旬にかけてのマスクは、アレルギー持ちの必須アイテムである。

これは、完全に防御である。

掛かっていない人にはわからないだろうが、目はかゆい、咳はでる、頭は痛い、気分は悪い。

それを薬で抑えるが、抑えることが出来ない部分がある。

そこで、マスク登場である。

防御はエゴだろうか?

風邪がはやる時期、インフルエンザが流行る時期には、マスクをする。

この時のマスクは、予防的意味合いと、感染を拡大させないと防疫的な観点がある。

つまり、単に、病気になりたくないとのでマスクをしているわけではない。

マスクは予防でもあり、他人への配慮でもある。

今回の武漢肺炎の拡大が判った時点(1月である)、マスクは必須となった。

こちらは、徐々に、電車通勤が非常に苦痛となった。

だって怖いもの。

車内がほぼ全員マスク装着の時期に、マスクをしない馬鹿(あえて馬鹿と書く)がいると不愉快だった。

だって、こういうのに限って咳をするのだもの。

そうし、対BC兵器用のマスク(細菌、化学兵器用マスク)を、乗車中だけはかぶることにした。

基本、何時でも手袋をしているのいいのだが、やはり誰が触っているのか判らいものは触りたくないのである

だから、車内には一切触れないようにして、踏ん張っている。

これは予防である。

予防を否定する手の奴は、テロリストと同じである。

だって、テロリストの希望は、小さな破壊工作で、大きな影響を与えたいからである。

予防されると、テロ効果がそがれる。

また、最初の発症者が、外国人(大陸出身者で、永住許可取得者)であることをマスコミは隠した。

次々と現れる発病者が、外国人であることを隠したのはマスコミである。

彼らは、日本人(帰化者を除く)が、外国人への反感を抱かないようにいつも操作をする。

暴力団員が、最近は実名報道されると、半島出身者とわかことが多いが、昔は、わかっていても、知っていても平気で通称名報道をしていた。

米国への入国ができない公表されている暴力団員の大半は、通称名である。

ここにも、彼らマスコミ大好きな「忖度」がある。

この忖度は、既に異常である。

一部の政治家にも居る。

こうした忖度が、入国禁止措置を遅れせて、国内の感染拡大を助長の一部と考えると、ある意味、マスコミによる間接的なテロである。

テレビを見ると、少々、なんだこの物言いは、と思う事が多々ある。

テレビない生活なので見ることは、ほぼ無い。

でも、時々、ネットニュースで、その手の発言をとらえた報道があると、居酒屋で飲んだくれているクソ時爺の世迷言の様な言葉が多い。

要は、クソ野郎の発言である。

テレビしか見ない世代、60歳以上のひとかな・・・は、この手の世迷言が、頭に入りやすい、そこで容易に騙される。

だって単純だもの思考が・・・またテロリストの発言が、入りやすい。

バカでも判ると云うか、バカしか理解できない言葉で話す。

プロバカンダ(政治宣伝)は、容易な言葉こそ頭に残りやすい。

独逸第三帝国時代のプロバカンダは秀逸である。

ある人種を否定して、財産をすべて収奪する。

収奪した財産は、すべて、ナチスが使う。

財産は、戦争の費用へつかわれる。

いくら、シャハト財務相が優秀でも、財政上の付け替えいくらしても限度はある。

その限度を解消したのが、ある裕福だった民族の全体からの収奪から得た。

ナチスの戦争犯罪とで云うべき収奪を助長した者に、ヘンリーフォードがいる。

ナチスへの多大な献金をしている。

これは、反ユダヤ政策への共鳴である。

共鳴の理由は何か。

政治宣伝の結果である。

政治宣伝は、商品宣伝の延長である。

商品宣伝、コマーシャル的な政治宣伝が日本でも成功したことがある。

マスコミによる民主党の間接的な宣伝が功を奏した。

バカは騙された。

お陰で、暗黒の民主党政権が出現した。

あの時代にできた法律の最低な事。

昨今、話題になった、検察への政治介入は、自民党政権ではほぼ無い。

銃撃事件で、検察に介入したのは誰あろう「民主党」の政治家である。

彼らを推奨したマスコミは、今でも印象操作しかしないが、その手法もほばばれている。

ある一定層の人間は騙されはしない。

しかし、騙される奴もいる、それは事実でもある。

マスコミの酒場の酔っぱらいの思考パターンの司会者は、言う

「マスクをする奴はエゴイスト」

これは、あの共産主義ファシストの真っ赤なWHOが、「マスクは意味がない」という主張の延長線でもある。

感染予防、感染拡大予防のためのマスク装着を、批判する。

そうして、自分たちの批判が、間違ったと気が付いた時に、「感染したくないというエゴが、感染拡大を回りまわって感染を防いだ」と主張して、完成拡大をした防いだ個々人の努力を、エゴイステックな行動とと云って批判したのである。

感染拡大を、防ごうと努力した市民(左翼のいう行動的左派運動家ではない)一人一人の努力を嗤ったのである。

基本的に、マスクイコール防御としか考えられないのは、知恵が足りない、想像力が足りないということである。

公の福祉の実現である感染拡大の防止と、自分の幸福の追求、半数以上の国民の自分自身の生活的な欲求を押さえて、経済的に苦しい部分の発生さえしても、努力した「配慮」の部分を無視して、「エゴ」と言い切る人間は、屑であろう。

この手の者は、精度、誤差とか公差とかを理解していいない人がいる。

基本的には、そういった単細胞(バカ)は、100%か0%の択一である。

統計学を知らない、と云うかパーセンテージの意味が分からない。

母集団に対しての割合の意味が分からない。

時間の概念がない。

そんな奴がテレビで、この手も暴言をまき散らしているという。

病気になりたくない云う気持ちは、公的な健康で文化的な生活を送る権利の希求であって、エゴではない。

そう思うのである。

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嫌な話


嘘をつく人間は平気で嘘をつく。
長年ばれる、嘘をつき続けると、嘘をつくという事が、習慣になる奴がいる。
この手の人間は、嘘が破綻しているのに平気の平左である。
毎回毎々、よくまぁこの手の嘘をつくと思う。
ちょっと、「信じてあげたい」という気がしても、期日が来ると「だんまり」を決め込んで、別の嘘をつく、というか、別の話を作る。
嘘もインターナショナルで、こちらが確認できないことをわざわざ言う。
いわゆる、ビックマウス的な発言が多いので、一生けんめい盛っているなぁと思う。
不動産屋にも多いけれど、不動産屋は、詐欺師でなければ、最終的に、不動産を売るという実務は、現実として現れる。
だが、ベンチャーとか、くたびれて金に詰まったような会社の経営者は基本的、延々と嘘をつく、嘘をつき続けなければ終わってしまうからである。
時々、会社案内を見ていると、ベンチャー企業の社長が、セミナーとかの講師をしますなんて書いてあることがある。
一番笑うのは、講師料が意外と安い。
個人の持論としては、ベンチャー企業の講習会なんて聞くものではないと思っている。
成功事例の開陳かと思い行きや、成功事例を「1」とすると、盛っている部分が「99」なんてことがある。
大抵は、成功事例「4」ぐらいに、「6」ぐらい盛り込むのはまぁ、暇つぶしと思って聞けばオチのない落語みたいなんもんである。
ある時、お仕事の一環で、この手のおっさんの講演と云うのを聞いたことがある。
聴いて思ったことは、講師の質も選べないような、講習会と云うかセミナー自体が胡散臭いと思ったのである。
来ている人は、一攫千金狙いの馬鹿もいれば、真剣な人もいるのである。
私が聞いたのは、詐欺師に騙される哀れな子羊の群れと、騙す方の狼の一群、群狼のお見合いみたいだった。
聴いた感想は、何のためのセミナーなのかしらんと思ったりもしたのである。
講演と云うか研修会で、非常に偉そうなことを語っていても、自分の事務所は、自宅の一部とか、今時見ないような集合住宅(アパートね)、人が来ないような雑居ビルのものすごく狭い部屋とかで、外にパンフレットが置いてあるなんて言うと、すでにきな臭い。
 頭のいい奴は、騙すのにも背景が必要と、事業所は、ベンチャー企業支援の建物なんかに入居して、虚飾を飾る。
 そこで、正々堂々と嘘をつく。
 やはり、舞台はものすごく必要である。
 実際に、書いてある事務所が、マンションの一室で、おまけにオートロックマンションと来たら、郵便受けにテプラで会社名が書いてあったりする。
ぼろつちいアパート、マンション、雑居ビルに、事務所、会社があるとなんだろうねと思う。
建物はもろいっちいかもしれないが、立地は、中心部、駅近である。
この辺が、上手いと云うか、下劣と云いうか、騙される奴は騙されるんだどうなと思う。
いわゆる、先入観を利用した詐欺である。
例えば、「東京都中央区丸の内・・・」なんて書いてあれば、場所は一流と思うかもしれない。実際、行けば、築年不祥な、崩れかけた雑居ビルなんてこともある。
当然のように、そこには、誰もいない。
不在の場合は、こちらに連絡をなんて書てある。
連絡先の携帯電話は番号が、ホワイトボード、出入り口の窓ガラスの紙に書いてある。
そうして、電話には絶対出ない。3コールぐらいで、留守番電話になる。
これは端から出る気がない。
出入口に置いてあるチラシに書いた電話番号へ電話しても、転送されて、携帯へ架かる。
これは、なんだろうと思う。
既に、インチキ臭いのを通り越している。
で、留守番に入れても、100%かかってこない。
相手は、警戒しているからである。
時として、講師のご面相を見ると、ただただ、貧相という奴がいる。
貧相な顔でなぜか、権威付けのつもりか、髭を伸ばしている。
ビンボ臭いのである。
余計に貧相である。
肝心なことを聞くと、途端に歯切れが悪くなる。
紙に書いて聴取すると、途端にボロが出る。
まぁ、この手の嘘つきは、ボロが出ると、逃げるのが早い。
逃げ一手になったら、半殺しではなくて、必ず、全殺し(お陀仏させない)しなといけない。

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忘れるという事はいいことである。

人間とは都合よい生き物で、昔のことを忘れるという効用がある。

忘れたいと思うようなことは沢山あると思う。

先日、古本屋で「定本 半七捕物帳」の揃いを買った。

文庫版でも持っているし、大抵の作品は読んでいる。

岡本綺堂先生の大ファンである。

歌舞伎、台本も面白いのだが、「半七捕物帳」は格段に面白い。

いわゆる「捕り物」を、作品にした最初の小説である。

後の作家の「捕り物帳」は、素人探偵的な人物を、江戸時代に、移したような話ばかりでいただけない。

時代背景と、人物の感覚が、今風なおだからたまらなくおかしい(批判的)、読んでいると、少年探偵団張りの話になる。

距離感もない、江戸時代は、てめえの足二本が頼りだろうに思う。

まぁ、言い方がののすごく悪いとは思うのだが、柳の下のドジョウはねぇ

という感覚である。

で、最近、昭和32年版をちまちまと読んでいるが、これがやはり面白いと云うか、前回読んだのは7年も前なので程よく忘れている。

よく覚えてるのももあるのだが、なんとなく読んだ気がする程度のものはある。

これは、忘却の効能である。

忘れるという事は大変いいことだと思う。

ところが、左翼ファシストに与(くみ)する人たちは、忘れてはいけないという。

忘れられると都合が悪いから、忘れないように努力する。

自分たちのやった悪いことは都合よく忘れるというか、忘れたふりをする。

戦前の共産主義ファシストよく使っていた歴史の審判はどうなった?と聞いてやりたい。

彼らは歴史の歯車とかイロイロと語っているが実際は、語るに落ちた感が強い。

なぜ、ドイツ共産党は、ソ連風の服を着て、赤い旗を立てて労働歌を歌って、破壊活動をしたのか?

なぜドイツの民族衣装はダメなのか?

共産主義ファシストは、その国固有の文化を破壊することを好む。

伝統とか、文化とかは、階級と云うか、階層を形作るからである。

だからこそ、アドルフは攻撃した。

考えてみれば、「ドイツ系オーストリア人」であったアドルフは、ドイツに昔から住むドイツ人を大切にしたのか?

日本でも、怪しい国会議員いいる

国籍さえ明らかにできなような輩が党首になったりする。

これは、第三帝国の終焉の開幕院近い。

外国籍だった者の被選挙権は否定されるべきではないかと思うが・・・

話がズレた

忘れるという事を、否定する人たちは、自分たちの現在の感覚で、過去を語りたがる者が多い。

以前素人ながら、トヨタスポーツの事をせっせと調べていた頃に、感じたことは、嘘ばかりが書きつらねることが多いという事である。

ロクに調べもしないで、どこかの記事を書き写す、内容は間違っていても責任を問われることはない、だって何十年も前の車だから・・・である。

そこで到達したのは、旧いと云うか、当時の雑誌記事を探して読むという事である。

出来るだけ、当時の一次資料を探すようにした。

すると結構すっきりとするのである。

まぁ、書いてることが全部嘘とは言い切れない部分もあるのではあるが、違和感が多い。

違和そう感じるのは、自分でエンジンを組んだり、車を組み立てたからけんじる感覚ではないかと思う。

オーナーの雑談でも、「昔は、いい加減だから」という馬鹿が時々いる。

「いい加減なのはお前の頭で、思考回路だろう」と思うのである。

まぁ、どうでもいいようなヨタ話が困難になりつつある昨今、新聞が率先してプロバカンダ(政治宣伝)をしていることが多い。

プロバカンダ(政治宣伝)の特徴は、事実のように見せかけている、事実ぽい嘘である。

まぁ、日日新聞とか、都新聞とか、新愛知、名古屋新聞なんかは、紙面全部がプロバカンダの風体である。

よく読んでいられるなぁと感心するほど程度がわるい。

丁度、宗教関係の新聞みたいな感じさえする。

先日、東京大空襲の話が、日本経済新聞に載っていた。

忘れないようにという事である。

だがどうだろう、75年前のこのことを忘れるなという事は、人類史上最悪とでもいうような、ドイツへの空爆、日本への焼夷弾爆撃を行った米国への恨みを忘れるなという意識が働いているように思う。

たまに、70年以上前の専横の事をいつまでもと云っていて批判する人がいる。

現実的に、当時10歳に子は、85歳である

20歳の子は、95歳である従軍した若者たちが多くは鬼籍に入った今、戦争の当時の事を忘れないように運動をしている者を見ていると、なんという売名という気がしてしまう。

悪いけれど、空襲時の逃げ道を歩くイベントをして何になるという気がする。

半村良という今は木作家が、空襲の中を逃げるシーンを描いていた。

この時、そうしてみんな焼け死んだというようなことが書いてあった。

昔、親から聞いた話で、疎開先から6年生と一緒に逃げ帰ってきた親は、名古屋大空襲に遭遇する。

三菱電機名古屋製作所の防空壕に逃げ込んでいたが、近くに直撃弾が落ちたので徳川町の方へ逃げたそうである。

旭丘高校の近くを抜けて、建中寺の方へ逃げたところ建中寺の北の方が燃え盛っていたので、寺の北側の学校に沿って逃げると

玉石の壁に、近所の6年生の子が倒れていたそうである

よく見ると、焼夷弾が頭を貫いて、頭が半分無くなって、玉石に黒いものが飛び散っていたという。

小さいころ、建中寺の横を通って東警察署の北にある養護施設に届けものを持っていく時に、この話は聞かされた。

紅蓮の炎の逆巻く中、消火作業などなく、警防団の人が、逃げ道を指し示すだけだった。

その中を一晩じゅうに逃げたという

そうして、死骸に出会うのである。

また、ある古本屋のおばさん(その頃70過ぎだった)は、女学生の頃、三菱大江工場へ学徒動員で働きに行っていた。

おばさんは丁度、整理が重くて北区の家で休んでいた。

いつも一緒に行く子に、今日は休むと伝えるように伝言を頼んだ。

すると、その日、工場が空襲に遭った。

同級生のほとんどはこの時に死んでしまったという。

伝言を頼んだ子も行方不明になっていた。

翌日、工場へ行くと、バラバラになった同級生の肉片見て、数日かけて、遺骸にもならない遺体を拾い集めたという。

遺骸と云うのはあまりも少ない破片は、柱という柱にこびりついていたという。

毎年慰霊祭があると、このおばさんは、毎回参加していた。

ある時、「ここに私が写っとる」と云って見せてくれた。

そうして、件の悲しい話を聞かせてくれた。

こうした話を、語たることがで、と云うか、語る権利を有するのは、これらのことを経験した人のみが持ちうる権利だと思う。

何の感情も、思惑も、思想もなく、事実を語ることができるの人のみが有するj権利だと思う。

爆風の経験?

実際の爆風を感じたことは無かろう

タダの空気の圧ではない。

瞬間のすべてを押しつぶす圧力である。

そうして大きな破片を伴う圧力である。

爆風の経験、笑ってしまう

丁度、イジメヲする人間が、虐められている人の事を、「かわいそうだよねー」という感覚に似ている

いわゆる、似非(似非)な感じを受けるのは気のせいだろうか。

悲劇を利用する人間に対して、許しがたい感情を持つ。

これは、正義感ぶった感情ではない。

 

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これからどうなるんだろう?(個人的な回想)

そんなことを、考えると不安になる。
仕事は、金をもらっている以上、仕方なくと云うか、当然の用意に、こなしている。
詰まんないというレベルではない。
はっきり言えば飽きている。
飽きているレベルで、語るような話ではないが、飽きている。
はっきりと云えばつまらない。
血沸き肉踊ることはまずない。
激高しやすい性格とおもっている人がいるようであるが、その実、加虐的であるから、執念深い。
激高したふりをするのは好きなので、そう見せているが、実際は、馬鹿に対する怒りが渦巻いている場合が多い。
整合性のない対応、反応、行動、判断・・・なんだかなぁと思う。
結局、飽きている風体がある。
飽きているというのは表現がよろしくない。
某民間企業時代も、夢と希望に満ちて入社したが、現実は、歴史の浅い企業いありがちな、無理を通せば道理が引っ込むことが往々にしてあった。
嫌気がさした。
半年で嫌気がさして、転職を考えたが、簡単にはできないことが分かっていたので、入社して7か月ぐらいで、人事に文句を言った。
すると、本社へ来るかといわれたが、東京に住みたいとは思っていなかったので、断った。
そこで、別の事を考えていると丁度いい話があったので、急遽外国へ行けた。
1年ほど外国暮らしだったが、この時は、血沸き肉躍るというか、一番生き生きしていたのではないかと思う。
帰国後、支社勤務で、親の七光りグループが鬱とおしくてたまらなかった。
仲の良くなった女の子もいたが、どうせ辞める積もりという気があったので、結局、お付き合いすることもなく終わった。
ここの会社が、ひどい会社で、退職して転職すると、元上司が、転職先に、「今度オタクが採用した、○○はこんなやつです。注意してください」という電話平気でするよう職場であった。
転職するときは、転職先がばれると、どんな嫌がらせを受けるかどうかわからないので、書類一式をすべてもらい、全部自分で手続きをした。
まぁ転職して思ったことは、お役所は楽であるという感慨である。
黙っていれば、偉くなったであろうと思うが、あいにくとそんな性格ではない。
別の系統の上司に、こっちに来ないかと何度も誘われたが、子供が小さかったり、親の調子がわるかったりして、その方向へ行くことを躊躇した。
そんな自分を、今の自分が見れば、もう少し別の人生があったかもしれないなと思う。
とはいえ、基本的にドライな性格のくせに、妙に執念深いところもあるので、人付き合いは下手である。
と云うか、腹の探り合いをしながら仕事をすることに良い感覚を持っていないだけである。
仕事と私的生活は分けたい。
仕事は仕事、論議は論議、別段、あんなに恨みはないが、あんまりバカなことを主張するのは止めて欲しいと思うだけである。
論議が済めば、何の感情もない。
ところが研修等の、議論で、徹底的に論破すると、相手は、自分事を嫌っているから、こんな態度で接して来たんだと思うらしい。
そのウェットな感覚が理解できない。
一度も仕事を一緒にしたこともないような者の事なんて、一ミリも知らないし、悪いけれど、興味もない。
悪く言えば、単なる路傍の石に興味はない。
仕事も、私生活も、お仲間意識でどっぷりというのは信じられない。
休みの日まで、釣り行ったり、ゴルフに興じたり、夜は1週間のうち、3日は飲みに行こうという態度が信じられない。
自分の時間を収奪されているような感覚を受けるが、一般的な同僚は、外部に友人を求めないので、役所、役所の人間関係、イコール、休日の過ごし方も拘束されてうれしいという感覚があるらしい。
退職した元上司が、私の性向をアメリカ人みたいにドライだという。
アメリカが大すきだろうとも云う
感情の発露がない。とも言われた。
誉め言葉けなされているのかといえば、けなされているのだと思う。
この人は、病気持ちだったので仕事は基本的にはしない。
と云うか、無理が利かない人だから、基本は、セーブモードであった。
そんな人と仕事をしている、自分が仕事をしなければならないモードが高くなったが、まだ夢も希望もあったと思う時期だったので、よく働いたと思う。
でも、実際は、この時には既に、使いにくい奴をといわれていたようなので、この時にはもうすでに人生が終わっていた可能背が高かったと思う。
まぁ、この時の勤務評定が、後に大変世話になった人から、ものすごく悪かったと聞いてショックだった覚えがある。
まぁ、定年1年前の上司のやる気のなさは、最高であるが。
そのやる気のなさに負けないように努力しなければと思う。
大丈夫か?自分と云いたい。・・・

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くさい爺さんたち

父子家庭なので、スーパーへは毎日のようにいく。

すると時々大変不愉快なにおいが残留していることがある。

ニコチン臭い

よどんだニコチンの臭いが塊になって居残っている感じである。

丁度、帯みたいなん感じである、ある地点とある地点を横切ると臭い。

その臭気には、プラス、腐敗臭がする。

吐きそうになるぐらいくさい

鼻をつまんで通りたくなる気分である。

実際、マスクをしていても匂うのだから相当臭いはずである。

どこのくそ爺だと思うと、付近にはばあさんか、うら若い女性しかいない。

いつもいる、セコイ爺さん(これもニコチン臭い)はいない。

男夫婦も変なにおいがする、彼らは、いわゆる変な薬品の匂いである。

最近、芸能人が捕まるあれの匂いである。

大昔、某官公庁のご友人とファミレスでどーでもいい話をしていいると、奥様と思われる集団が隣の席にいた。

この人たちの中で、一人プルプルと震えているおばさんが居た(40過ぎぐらい)通路側の左手首から下が震えている。

通路側のに座っていたので、変なにおいがするというと、某官公庁のお兄さん、「ん?」と云いながら鼻をひくひくさせた。

すると手の震えていたおばさんが、トイレに行く・・・

帰ってくると、血色がよい、そうして、今までの快活さは何となく作り物ぽかったものが、妙にハイな感じ・・・

でさっきの臭気はいよいよ強い・・・

ご友人は、ちょっとごめん電話してくるわ…と云って外へ・・・

ナプキンの上に、もしかしたら急に帰るかもしれんわ・・と云われた

30分もすると、奴の携帯がプルプルと鳴った・・

見ると外に優男が2人。

お友達、ごめんと云って電話かけに外へ

優男二人も消える・・・

ごめん急用で来たんで帰るわ

私も仕方なく席を立つと、隣の奥さん方も席を立った。

うちらが先に清算を済ませて外に出ると、友人は、自分の車の方へ

奥さん方が出てくる。

友人、その知りあぃぽい優男の車が、プルプル震えていた女性の車の追跡に入った・・・

その時の薬品臭い匂いである。

男夫婦は、一時期よく見かけたが、最近トンと見ない。

レジに行くと、たまに見かける、黒いジャージに人相がものすごくワイル爺が居た。

派手な髪の毛の色をしたばぁさんもいる。

別々に籠を持っている、レジ家計も別なんだか‥妙にくつている。

で、臭い・・・・こいつらか・・・である。

コイツか臭みの原因、アンド、同居人と思われるトウのかなり立ったおばさんもニコチン臭い

2mぐらい離れていてもくさい。

売り場で、横にいると死ぬほど臭い。

ニコチン発生器のような感じてである

ナメクジが歩いた後に光の線を残すように、この夫婦、臭気を残す。

この爺は、マナーも悪い。

たばこの投げ捨て当たり前、車の吸い殻、道路に捨てるの当たり前である。

人間としては、至極関わり合いになりたいない人種である。

昔よくいた、チンピラの成れの果てのような感じである

ちなみに、小指はちゃんとある。

夜のスーパーはいろんな人がいる。

 

 

 

 

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豊田喜一郎氏の偉業

ここ数か月、トヨタ自動車工業の歴史を何度も読み返す羽目になった。
トヨタ自動車20年史に始まり、30年史、トヨタに歩み(40年史)、50年史、75年史
豊田紡織社史、トヨタ紡織45年史、豊田自動動織機製作所「40年史」、愛知製鋼20年史、30年史、トヨタ自動車販売25年史・・・
 これらのトヨタグループ関係の社史を読んで感心するのは、とにかく初期の豊田自動織機製作所の生産設備にかける情熱が半端なかったことを物語るのである。
 20年史の年表には事細かに、何が導入された言う記述が目立つ。
 30年史、50年史では無視されていた設備関係の記述は、75年史で復活する。

1927(昭和2)年

 豊田自動織機製作所、創業間もないころ

 豊田喜一郎の指示により1.5トンのアーク式電気炉導入

 1930年代、この電気炉鋳鉄で、精錬したは合金鋳鉄を紡績機械の部材に用いるようになった。

  豊田自動織機製作所の電気炉鋳鉄の採用は、わが国最初の事であった。

  その後1933(昭和8)年に、大同電氣製鋼所へ、3トンのアーク式電気炉をを注文した際、「鋳鉄溶解用の電気炉など作ったことがない」との返事が、大同側からあったと伝えれれている。

 内容の具体的な記述は、「トヨタ自動車75年史」 (2013年 52頁)より抜粋。

 これを読んだときに私は、非常に驚いたのである。

 電気路の導入は、高度な鋳造を将来行うことを予想しての導入であると考えることができるからである。
 この導入の記事は、愛知製鋼史にも書いてないのである。
 設備の導入を読み込んでいくと、豊田喜一郎氏の傑出した意思の強さを感じることができる。
 個人的な見解であると断っておきたいが、豊田喜一郎氏の自動車産業へ正式な参入のの意思表示は、商業登記簿上の目的欄の変更がある考えている。
 1931(昭和6)年7月、豊田自動織機製作所内でのスミスモーターのエンジンを参考にして4馬力のガソリンエンジンを完成した。
 これは、参考にしてというか、複製であったと思っていたが、どうも再設計で、小型化したようである。
 この複製の完成を経て、自動車産業への進出の意思表示を、は法人登記簿上の目的の変更をしたと考える次第である。
 1931(昭和6)年10月21日、 豊田自動織機製作所 は商業登記簿「目的」を変更した。
  目的を、以下のとおり変更した。
  (文章ママ)
 昭和6年10月21日左記のとおり変更す
1.紡績織布に関する機械及び其の他一般機械製作販売並に之に附帯関係する一切の業務を行うこと
1.右機械に関する発明研究並びに利用をなすこと
1.前各号の業務を目的する他の事業を投資すること
 右 昭和6年10月26日登記す
 上記の登記簿上の目的追加は、各社史で無視されている記述である。
 この「その他一般機械製作並びに販売」の文言を加えるにあたって、当然のように、豊田利三郎の同意は必要であったであろうことは想像に難くない。
 当初から、豊田自動織機製作所の代表取締役は、豊田利三郎、豊田喜一郎の両名である。
 社史上では、豊田利三郎氏は、、社長と表記され、豊田喜一郎氏は、専務取締役と記載されてる。
 しかしながら、豊田利三郎は、豊田佐吉の娘婿の養子である。
 豊田喜一郎氏は、豊田佐吉氏の実子である。
 豊田佐吉氏の意思が直接的に働いていたと考える早計だろうか。
 商法上の権利関係でいえば、豊田利三郎も、豊田喜一郎氏も同等であった。
 このように商法的な力間関係を通してみると、今まで多くの小説等で語られてきた状況が本当になったのだろうかという気がするのである。
 よく語られるのは、
 「豊田利三郎氏の反対」、
 「豊田喜一郎の独断専行による自動車産業への進出」、
 「豊田佐吉の子飼いの支援」、
 「豊田家に忠義な番頭の反対」、
 最後は、「豊田利三郎氏のしぶしぶな追認]
 という非常に劇的で面白い話の根拠が崩れるようなッ錯覚を覚える。
 つまりは、豊田自動織機製作所自体が、実験工場の色彩が強い
 名目上の社長は、豊田利三郎であるが、実質は、豊田喜一郎氏のための実験会社であり、非常に自由のが利いたのではないかと想像するのである。
 そこで、スミスモーター小型化エンジンの完成をもって、実質的な自動車産業への参加意思表明だったと考えるべきではないかと考える次第である。
 会社の目的に、自動車の製造と書く会社はこのころでもあった。
 1919(大正8)年設立の岡本自転車自動車製作所(後の岡本工業、自転車のノーリツ号の製造元)は、 自動車を全く生産していなかったが、自動車を将来生産するという意気込みで、自動車の生産を目的に加えている、この時飛行機部品を生産するとも記載してる。
 以前にも書いた、ヒノデ自動車製作所も、自動車の生産がうたわれている
 実際には、自動車のボデイの架装程度でも正々堂々と記載してる会社から見れば「機械」と書くのは控えめであるが、大言壮語をしないという姿勢の表れではないかと思うおである。
 この機械とは何であったのか?
 時代背景としては、自動車関係の法律は矢継ぎ早に出ている。
 1931(昭和6)年4月1日(参考) 自動車交通事業法公布。
 1931(昭和6)年5月(参考) 商工省に国産自動車工業法確立調査委員会設立
 国産自動車をつくろうという気運が高まっていたころである。
 トヨタ(豊田)関連でいえば、1931(昭和6)年5月に 豊田自動織機製作所 東京芝浦に
 研究所を開設し、豊田英二氏がが担当した。
 1931(昭和6)年7月
  豊田自動織機製作所で、スミスモーターのエンジンを参考にして4馬力小型ガソリン
  エンジンを完成させている。
  であるから、此の原動機付自転車用のモーターの完成が引き金と考えるのはうが
 しかしである、豊田喜一郎氏の用意周到な行動を考えると、自動車産業への小さな第一歩であったと考える。
     生産するための設計は、もう少し遅れて始めた。
1932年(昭和7)年暮頃 豊田自動織機製作所
      白井武明は、ビスモーターのエンジン設計を命じられた。
1933(昭 和8年)夏頃、このエンジンが完成
     ビスモーターを取り付けたバイクが走行
  これが これがトヨタでの最初の内燃機関の製作であった。
  このビスモーターが、スミスモーターコピーの事であるかは不明。
  この後付けモーターは、後のトヨモーターに受け継がれる。
  実は、豊田自動織機製作所の不倶戴天の敵とでもいうべき「豊田式織機(現豊和工業)」は、数日前に目的欄を変更している。
1931(昭和6)年10月18日
  豊田式織機
  商業登記簿「目的」変更。 (中京デトロイト化関係企業)
  1.織機紡織その他機械の製造販売及び紡織業を為し又これを為すに必要の為他の会社 の発起人となり、又は株式を取得し若しくは投資す。
  (ここで、紡績機械以外の機械の製造を加えた。)
   豊田式織機(現豊和工業)は、豊田佐吉を追い出したことで、会社を存続したという経緯を持っ會社である。

  しかし、豊田式織機と、豊田自動織機製作所は、特許係争という関係と、三井物産という会社を通して関係はあった。

  戦争が始まる前まで、定期的に特許の使用についての話し合いを持っていた。

  その話し合いの中で、三井の希望としては、両社の合併があったようであるが、

  過去の遺恨は乗り越えがたいものがあった為か、合併に至ることはなかった。

  当時の豊田式織機は、豊田自動織機製作所、豊田織機の数十倍の規模の規模の会社であった。

1932(昭和7)11月13日

  SAE of Nagoya(日本で最初の自動車技術者による協会)を、22名で設立。

  日刊工業新聞社の名古屋支社長「肥田一郎」

  川越庸一(アツタ号、キソコーチ号の設計者)

  菅隆俊(豊田自動織機製作所 自動車部)

  池永羆(豊田自動織機製作所 自動車部)

  堀久(日本車輛製造)らが参加した

1933(昭和8)年11

 豊田式織機は、自動車専用工場を建設する

 この前に、増資決議をして増資分を全額投入している。

  この工場で後にキソ号こと、キソコーチ号が生産される。

1933(昭和8)年 1230

豊田自動織機製作所は、臨時取締役会開催, 自動車事業を社業に加えることを決定, 

1934(昭和9)年129

 豊田自動織機製作所

 臨時株主総会で、資本金を 100万円から 300 万円に増額定款の変更 

 会社の業務に「原動機及動力運搬機械ノ製作販売」、「製鋼製鉄其ノ他精錬ノ業務」を追加するという定款の変更を決議した。

 併せて 県知事あてに製鋼所の建築願が提出された。

製鋼部を設置

トヨタ自動車工業成立過程における設備の増加は目を見張るものがある。

 

ここで、やはり、対比すべき存在として日産自動車を出さざるを得ない。

日本産業(後の満州重工)自体は、多くの会社の集合体であるから、産業の一部分を作れば、全体の力を終結すれば、自動車産業の何とでもなるという認識があった可能性がある。

日産は製鋼能力がなく、太平洋線開戦前に輸入した米国産の鉄材をご商大に使っていた。

また、発動機用のメタルも、自社で生産できると息まきながら、最終的には、専用の他社から購入している。

日産自動車自体は、歴史も、他社の簒奪である

豊田喜一郎氏の業績を負うといつも思うことであるが、資料を、まさに「探して、読み込むほどに」に、どきどきとすることがある。

この人は一体どの様な気持ちで、自動車生産にまい進したのだろう。

また、多くの技術者が豊田喜一郎氏の誘いに応じて、トヨタ自動車工業へ入社している。

彼の、あえて、私は、親しみを込めて彼と呼んでみたい。

彼は、戦後も、乗用車を作りたくて仕方なかった。

そうして、大主査といわれる「中村健也」氏が、青写真を出す

片腕というべき、豊田英二氏もいる。

トヨタ自動車工業は、豊田喜一郎氏の夢の結実であった思う。

そうして、多くの人が彼を中心に集まった。

そうして、危機は、大きな教訓を残し、全社一丸となって、危機感を持っている。

そうした会社は多くはない。

彼が、労働争議で、会社を去る時に、大きな悲しみがあったことは、想像に難くない。

トヨタは、創業の地の試作工場を残すことにした。

紆余曲折があり、耐震性のも問題もあり、取り壊しの方向へ傾き、取り壊しの一歩手前まで行った。

会長は、こわせと云ったが、現社長は、残せといった。

そうして、現在、トヨタ産業技術記念館の管理物件としてとして、刈谷の地で、試作工場は残る。

これは喜ばしいことである。

昨今多くのッ産業遺産が、耐震性がないという意見のもとに取り壊しにあっている

公的機関が、産業遺産の耐震工事をおこなう支出に耐えられないという意見がある。

しかし、先人の残した遺産である建物を残すことは歴史を受け継ぐということに他ならない。

そうして、明治、大正、昭和の時代につくられた建物は、その時期にしか建築ができなかった建物である。

歴史を、過去を学ぶということは、未来への道標であるように思うのであるがいかがなものであろうか。

 

 

  

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馬鹿につけたい薬

「バカナオール」と云う薬が市販されていて、実際に買った人が人がいたんだろうか?と云う疑問がある。

戦前の新聞を読むとやたらと「中将湯」の宣伝が目につく

広告と云っても、求人募集などは、「女給募集」なんてえのもある。

「カフェーの女給である」

怪しげな募集もあるが基本的には、新聞に載るからそれほど怪しくもないのかもしれない。

寫眞製版がよくないから基本的には絵が多い。

その点で云えば「バカナオール」のネーミングはすさまじい。

時々、馬鹿は死ななきゃ治らないなんて名言もあるが、馬鹿は迷惑である。

ベンチャーの社長なんてその典型だが、社会的なつながりを拒否するようなところがある。

期限は守らない、質問には、「なんでそんなことを答えなければならない」と来る。

必要があるから質問しているのに、100%拒絶の態度を示す。

弁護士にも言われなかった・・・なんて言葉を平気で吐くところが愚かである。

弁護士が先回りをしていろいろと教えてくれるなんて思うのは愚の骨頂である。

弁護士で、親切ならいろいろと教えてくれるであろうことは想像に難なくない。

しかし、親切は、ある意味営業である。

これ以上営業をかけても仕方ないと思えば、聞かれもしないことは答えないことは容易に想像がつく

だって、30分幾らの世界である。

金がない奴は、さっさと切り上げる。

まぁ、弁護士さんも、客を見て判断するところがあると思う。

期限を守らないで、よく商売ができるなと思うが、やはり、当然の様に数年でつぶれたかから、基本的にダメだったんだねと思う。

自分が都合がよいと思ったことは、とことん誤解する。

誤解と云うよりも、勝手てに都合よく解釈する。

自分で、自分の状況をキチンと説明せずに、自分の勝手な自己都合をべーずに、相手の条件をよく聞かないで、条件の説明も聞かずに、勝手な解釈をする。

当然様に、自分の甘い見通しのせいで、相手の拒否にあうと「訴えてやる」とノタマワレル。

本当に、この人の精神構造は幼稚さだけが目立つ。

で、まぁ数年で、1億以上の収入を得ていたのだから、騙して取った金ぐらい返せよと云いたいが、数年間の報酬原資が、補助金だったの可能性は否定できない。

機材は、借金で買う。

補助金を、一杯申請する。

他にはなかった事業だと、補助金は出る。

ベンチャーと自称する。

このおじさんの精神構造は、幼稚な面と、本当に「バカ」と云う面がある。

精神構造の幼稚さは、どこにでもいるタイプなので自分の周囲5メートル以内で仕事をしなければ、人畜無害である。

ただし、超然的に「バカ」だと、いろんなところに迷惑を及ぼす。

だからこそ、ぜひ、「バカナオール」を服用していただきたいと思う。

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ベンチャー企業の社長のいい加減さについて・・

いつも思うのだけれど、馬鹿はどこまで行っても馬鹿である。

治る薬はない

大昔、大正昭和の新聞に、「バカナオール」と云いう薬が宣伝として載っていることあった。

丁度、この薬でも飲ませたいようなバカが居た。

一発ベンチャーの社長は、一般常識皆無、経営感覚もほとんどない、独善的な人が多い。

中小企業事業団の支援とかを受けて、経営環境を整備してもらっても、目先の利益、自分の給料だけに目が行く。

創業者利益だけはキッチリと確保することだけを考えている。

最近のベンチャー企業への補助金はすさまじいものがある。

こんなものに、何千万円も出すの?と云う感じがする。

各種補助金の山である。

でも、ベンチャーの中身が、一発屋だから、次が続かない。

10年前は目新しい技術でも、5年、6年と経ってくると、一般化してしまい、新しいことを考えなければならないが、自分の利益しか考えていないから、人が残らない。

一人の考えなんてたかが知れているので、次の新しいことは出てこない。

行き詰まる。

補助金をもらうことに慣れてしまい、そのうち補助金詐欺みたいなことをやって、不正受給をする。

不正が、監査でばれる。

補助金を返せと言われる。

逃げようとする。

詐欺的な行為を働けば当然の様に厳しい追及がある。

自分が、詐欺的な行為を働いていいるという意識は無いようである。

補助金イコール自分の給料ぐらいに考えている節がある。

不正の追求から逃れるためには、自称病気になる。

いつも笑うのは、社会の道理をわきまえていないので、おかしなことをする。

なんでも都合よく自分で解釈する。

通常の流れで云えば、当たり前のことをしていない。

ついでに、「そんなことが法律に書いてあるんですか」と聞く。

いやいや、法律に書いていないけど、一般的な筋道だよと云うと、逆切れする・・・・

知らないことを突っ込まれると、知らないと逃げる、自分は、病気なんだと言って逃げようとする。

で、笑ってしまうのは、この手の人間は、すぐに、「訴えてやる」「○○を訴えるつもりだ」という。

昔、乗合自動車の運転手が、最近の若い子は、何かあるとすぐに「訴えるぞ」と、やくざ顔負けの口調で言う。

「訴える」という脅しが利かないと、捨て台詞を残して逃げる。

テレビの影響か何か知らないけれど、馬鹿な子供が増えたよねぇと云う話をしていたことがある。

私なんぞは、思わず「どうぞ、訴えてください。それでは、こちらとしても顧問弁護士に連絡して対応しますので、どちらの先生ですか代理人は?」と聞き返してしまう。

いつも思うのは、内心、訴える金があるんだ・・・と思う。

弁護士雇うと金がかかるぞと云ってやりたい。

だから、この手の話になると、頭悪いなぁと思ってしまう。

この手の奴らは基本的に、詐欺みたいなことをしていても、「自分には罪はない」、悪いのは世の中であると信じている。

よく似たタイプは、財産目当てで入り婿をした者の息子である。

家付き娘が、母親、父親は、爺さん婆さんが選んだ10以上も上の使用人。

父親は、自分の生活の安泰の為に、資産の家に婿入りした。

経営能力はない。

番頭なら務まるが、経営者にはなれない。

資産の娘は、もとより商売には興味がない。

ここで、この母親を経営者に育てなかった爺さん婆さんも悪いのだが・・・

爺さん婆さんが主導権を握っている頃はよい、使用人だから、言われたことをしていれば体裁は取れる。

入り婿の暗い激情を、子供にはぶつけつつも、子供には優しいいいい父親を演じていた。

当然の様に、爺さん婆さんが居なくなって、この婿に経営が任されると、基本的な経理力がないから、会社が左前になる。

会社が金に困ると、妻の資産から補填することは当然と思っていた。

バカな男親の馬鹿息子が、このベンチャーの社長にそっくりで、基本は楽して儲けたい。

話をした時の反応が、このベンチャーの社長とバカ息子(こいつも社長だった・・)はそっくりだった。

ちなみにこの馬鹿息子のせいで、資産家の女性は全部の財産を失った。

馬鹿息子、自分は利口だと思っている。

ちょっとばかり、甘い汁を吸わされていい気になり、自分の財産をむしり取っることを画策している事件屋を友達だと信じている。

大体、小中校生と頭がよくて、中高一貫校へ優秀な成績で入る。

途中で悪い先輩に見込まれて・・というか、金づるとして利用されていた。

金ヅルは、悪い先輩と遊んでいるので、高校で遊んでしまい成績は急降下。

女の与えられて、親の金で遊ぶ、母親は自分の事を思い出して、こんなものかと思って金を与える。

馬鹿息子、蕩尽する。

当然の様にエスカレートで上がれなくなる。

大学は、ものすごく遠くのよくわからない大学へ推薦で入る。

入っても、遊んでばかりいるので、当然の様に、就職などないが、親が会社を経営をしているので、親の仕事を継げばいいぐらいの考えでいる。

結局、親の経営する会社に入る。

馬鹿な経営者が1人から2人になろうが、会社の左前は止まらない…と云う止めようがない

結局、入り婿の馬鹿親と同様に、母親の財産を蕩尽することで、会社を延命させる、半殺しの状態が続く。

悪い先輩から、金を借りるが、こちらも貸しているから、いいやと云うというよくわからない理論で、何年も過ごす。

最終的な面倒は母親の財産があるからいいやと思う。

親には無尽蔵な財産があると思い込んでいるようでが、反省の色はない。

ベンチャーの社長は、国、県、市からの補助金は出るのが当たり前と云う感覚を持っている。

この馬鹿息子の親は、ある時、件の悪い先輩が喫茶店で、仲間と悪だくみをしているのを仄聞してしまう。

要は、この馬鹿息子を嵌めて金を搾り取ることを画策している話だった。

親は戦慄したが、馬鹿息子には通じない。

いわゆる洗脳されたような感じだろう。

騙されているなんて思ってもいない。

で、この手の人間は、自分は、頭がいいと思い込んでいるので、他人を睥睨(へいげい)することおびただしい。

前近代的な親をバカにする、他人を軽蔑して、侮蔑する。

人をバカにするのことにかけては、超一流の馬鹿さ加減というか、まぬけな姿を見せる。

「○○の人は知らないと思うけど・・」て・・・

何回も云う、単なる、自己満足の馬鹿にしか見えない。

昔、無知の知と云う言葉があったが、そんな言葉は全く響かないだろう。

久々に、非常識で、超然的な馬鹿に出会った気がする。

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