パーツの話など

3月4日に、トヨタ博物館で、TAM TTDを開催します。

CG club中部支部主催のTea Talk Driveです。

お金のない支部ですので、当然の様に今回も手弁当、ボランティアスタッフに支えられての開催です。

今回の講演会、というか座談会は、「60年代の欧州車のひきこもごも」がテーマである。

演台に上るのは、欧州車のオーナー5名と、司会の支部長である。

打ち合わせの時に、何か困ったこと・・・・

という事で話を振ると・・・・別段困らない・・・・

パーツ、潤沢です・・・

フランスのマトラジェットでさえ、パーツは手に入る・・・・

生産台数、数百台レベルである。

ツーリングに参加してもらっている、Iさんもご出座願ってますが、今回はエランの話を・・・・

困る事・・・・・ないよねぇ・・・と

パーツ、大体何でも、でるよねぇ・・・

そこで、スバル360のオーナーの重鎮と、ヨタのオーナである私は・・・・

井伏鱒二氏の「山椒魚」が漏らす長い嘆息よりも、もっと、くらーく

なーんにも出ないよねぇ・・・・

メーカーに期待しても仕方がない気がする。

自分達でパーツを作るしかないという気がしている。

でも、ヨタのオーナー、パーツ作っても買わないのよね・・・事前に・・・

困ったら買えばいいという感じが多い。

大体、小遣いの範囲内で維持したいという人を見るとのけぞってしまう。

スタッフの中では、そんな人は買っちゃいけないよね・・・と

確かにそう思う

縁ゴム、タノンだけど数が集まらないのか・・・・連絡がないなぁ・・・

リアのスプリングも・・・・

60年代欧州車を維持するうえで困ることは、あまりないという事であった。

ただし、ここには、「お金が有れば」という前提が付く事は忘れてはいけない。

古い車を維持すには、それなりの収入と、精神力が必要だと思う

・・・・と、個人的には思う。

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笑いというか、どーなんだと思う

ある時、メールが来た。

初め、ある会社主催のイベントへのお誘いの様なものが来た。

このイベントのお誘いは、以前、某氏の紹介で一度呼ばれたことが有る。

参加す売る気でいたが、その時は、家人が入院したので、いけなかった。

その旨を伝えると嫌味たらしいことを言われた。

ので、それ以降お誘いはない。

大体、その時だって、某氏の代役の様な形であり、その人の顔お立てるために呼んだという構図だった。

進言がが無ければ絶対に呼ばなかかったであろうことは判る。

以前、このイベントへの参加者の選任は、オーナーズクラブが某会社から要請を受けていた。

今は、元社員が仕切っている。

末尾にこんなことが書いてあった。

既に、お誘いのメールを受信されている場合には、返信されなくて結構です。」

これは、登録者全員へのメールだと判ります。

つまりは、事前に、お誘いメールを送っている人が何人かいるという事です。

ここで、疑問に思ったことは参加台数が決まっていると書いてありながら、何台参加可能か書いてない。

すでに決まっている参加者の台数も書いてない。

裏読みができない体制をつくっている。

参加者の多くの顔触れは何時もほとんど同じだと仄聞したことがある。

ちなみに、社員のFは、何回も参加でしている。

ちなみにこの社員「なかなか出られないから」と云いつつ何回も出てる。

遠慮という言葉はないらしい。

元社員には、参加したい人が居るのなら前回参加した人はご遠慮願うとかいう配慮はない。

常に、忠実な仲間を優先する。

受信者を区別していることがよくわかるメールです(w)

ダブルスタンダートの好きな人だから仕方がないかな?

書けばいいと思う。

「私のやることに反抗的な態度の人間は呼びません」とね

私が、書いているブログを見て一喜一憂しているのだろうか(w)

20171223

20171224

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日本電装 EA型 電気自動車について(電気自動車 補足資料追加)

昭和25年に、日本電装は、電気自動車EA型を生産している。

日本電装の展示スペースには、復元したEA型が展示されている(らしい)。

外面図(青図)も展示されています。

Dsc_0179

(パネルは、中部産業遺産研究会の展示より)


日本電装の特別寄稿を読むとこんなことが書いてある

特別寄稿

「デンソーHV/EVの歴史のスタートは,やはり1950 年に発売したEA型電気自動車「デンソー号」に遡る (Fig. 1)

詳細は「デンソー50年史」に書かれている ので省くが,少し抜粋すると,当時は石油不足対応と して木炭車や電気自動車が開発され発売された.

「デ ンソー号」も80V鉛電池を使った直流モータ方式で, 制御は抵抗切替で設計された.

シャシーと電池以外の 動力部は全て社内で設計製造された.

社会事情から生産は1年足らずで中止となったが,約50台のデンソー 号が街中を走ったと記載されている.

(原典 デンソー技術論文誌「デンソーテクニカルレビュー」Vol. 16 2011年12月号のなかから、特別寄稿「デンソーにおけるHV/EV向け製品開発の歴史」(執筆者:デンソーEHV機器開発部 山田 好人))

(ちなみにデンソーの50年史は読んでいないのので、読まないといけないと思いつつ書いている・・・忘れそうであるから・・・あとから訂正する可能性大です。)

中部産業技術研究会のパネル展示で、デンソー号についての記事を読みました。

でそこで、ふと疑問に思ったことあります。

当時トヨタ自動車は、占領軍の指定会社で米軍の管理下にありました。

生産が許可されていたのは、輸送力を確保するためのトラック。

乗用車の生産は、小数のAE型、SA型が特別に認められていただけである。

では、日本電装はなぜ車が造れたのか?

一つは、昭和24年に日本電装はトヨタ自動車から独立した会社です。

新しい会社ですから、占領軍の指定会社ではありません。

関東自工も同じです。

それは、旧中島飛行機関係のたま自動車(後にプリンス自動車工業と合併)もおなじです。

電気自動車のは、現在の電気自動車メーカーと同じで、車体があればモーターとバッテリーでできてしまう簡易さがある。

「シャーシ、電池以外の動力部はすべて社内で設計製造された」との記載があります。

でも、トヨタ自動車でさえ乗用車のの車体の製造がままならない状態で、あった点を考えると、日本電装がどうやってボデイ、シャーシンを製造したのかという疑問がわいたのである。

それと、トヨタスポーツに関係の深い関東自動車工業社史(30年史)を読んだ記憶があり、関東自動車工業が、たま自動車には遅ればせながら、電気自動車を作っていたとうことが思いこされた。

で、読み返してみると、日本電装の要請で電気自動車を製造したという記録がある。

関東自動車工業は、このころ、トヨタ自動車の下請けのボデイメーカーであったし、オオタのボデイも製造していた。

オオタの最後の試作車も作っている。
Dsc08208

(関東自動車工業30年史 より転載)

関東自動車工業30年史には、日本電装から要請で製造した車の側面図がある。

SBボデイに、Eつまりはエレクトリニック(エンジン)を搭載した車両という事であろう。

Dsc08200

(関東自動車工業30年史 より転載)

25年1月 SEB  セダン 日本電装 
SBシャーシにSBEボデイ
10台製造 

ちなみにトヨタの「トヨペットSD」という車がある

トラックと同じシャーシを利用した乗用車である。

外観はこんん感じ。

トヨタ自動車75年史のページ↓を参照してください。

https://www.toyota.co.jp/jpn/company/history/75years/vehicle_lineage/car/id60011308/index.html

関東自動車工業では、1949年9月~51年8月にSD型乗用車を105台生産した。

それと並行して、同社はSD型シャシーのトレッドを広げ、ボデーを拡大したSDX型の開発を進めた。

この改造型車種は、正式にSE型乗用車シャシーとなり、1950年6月から生産が開始された。

(トヨタ自動車75年史のホームページより転載)

SDEX

E.は、エレクトロニック

Xは、上記の通りSDのワイド版であり、SDの試作型を電動化したという事の様である。

Dsc_sdexsedann(関東自動車工業30年史 より転載)

25年9月 SDEX セダン 日本電装 
SDXベース
5台製造

日本電装には、当時自動車自体を作るノウハウはなかったが、親会社のトヨタ自動車にはあった。

しかし、電気自動車は新しい技術の集大成でなく、既存の車体に、電気モーター、バッテリーを積んでの運用であった

SEDボデイを見ると、フロントのエンジンが搭載されるべき処、トランクもバッテリーが満載状態である。

また、当時のモーターの防水状況はあまり褒められたものではなかった。

(完全密閉型ではないのでカバーを装着したのではないかと想像するのである。)

日本電装は、自社で製造した電気自動車の試作(?)は、関東自動車工業がおこなたということかもしれないで。

疑問としては、SEDの側面図から、ノーズはのグリル形状は、SEB型とは相違点がある。

EA型のノーズ写真を見ると、関東自工のSDEX型のグリルを外して、プリンス風のグリルを付けた風な感じがする

EA型のベースは、SDEX型だったのだろうか?

ボデイブレス、シャーシの部品をどこから持ってきたのか?
当時のトヨタ?であろうか?

謎は深い・・・

参考

関東自工の生産していた電気自動車

Dsc08216(関東自動車工業30年史 より転載)


24年11月 BA セダン 日本電気自動車製造
24年11月から26年2月までに90台製造

Dsc08217(関東自動車工業30年史 より転載)


25年02月 SKライトバン
神鋼電機(株)が電通省(旧電電公社)に納車
関東自工のライトバンが好評で、製作
18台製造

記事追加

 

戦前電気自動車についての規定がありました。

 

昭和8年の自動車取締令に記載があります

 

「電動機(モーター)を原動機とするものは、1時間定格出4.5キロワット」

 

電気自動車は、小型車に属しない特殊自動車に属する。

 

自動車取締令は、昭和22年に廃止となっている。

 

デンソー号は昭和25年製造なので、この自動車取締令の規制は受けていない。

 

 

 

自動車取締令(大正8年内務省令第1号、全面改正)

(昭和8年内務省告示第23 •公布日:昭和8818

•施行日:昭和8111

•被改正法令(大正8年内務省令第1号))

上記の条文中には、

自動車は、以下の三種類に分類している

普通自動車

特殊自動車

小型自動車

 

条文ママ

第二條 自動車ヲ分チテ普通自動車、特殊自動車及小型自動車ノ三種トス

本令ニ於テ普通自動車ト稱スルハ燃原動機、差動裝置及前二輪ニ依ル操向裝置ヲ具備シ車輛重量三百六十瓩以上ニシテ主トシテ人又ハ貨物ヲ運搬スル構造ヲ有スル自動車ノ小型自動車ニ非ザルモノヲ謂フ

本令ニ於テ特殊自動車ト稱スルハ普通自動車又ハ小型自動車ニ非ザル自動車ヲ謂フ 牽引自動車ハ之ヲ特殊自動車ト看做ス

本令ニ於テ小型自動車ト稱スルハ左ノ制限ヲ超エザル自動車ヲ謂フ

一 車輛ノ長 二・八米、幅一・二米、高一・八米二 

燃機關ヲ原動機トスルモノニ在リテハ四行程式ヲ用フルモノハ氣筒容積ノ合計七百五十立方糎、

二行程式ヲ用フルモノハ氣筒容積ノ合計五百立方糎三 

電動機ヲ原動機トスルモノニ在リテハ一時閒定格出力四・五キロワット

第三條 本令ニ於テ車輛重量ト稱スルハ燃料油槽、潤滑油槽及冷却水槽ヲ充滿シタル狀態ニ於ケル自動車ノ重量ヲ謂フ

また、戦前名古屋でも電気自動車が生産されていた模様である

ナゴヤ号(1939) ナゴヤ号は名古屋自動車製作所が 1930 年(昭和 5 年)に試 作を開始し、1939 年に発売された。

最高速度 35km/h、一充 電走行距離 75-80km である

昭和 15 年に発行された国産電気自動車の規格

昭和 15 年(1940)に電気協会から「電気自動車設計基準」 が発行されている。

この設計基準は次の仕様書から構成さ れている。

電気自動車シャシ標準仕様書、

電気乗合自動車車体標準仕様書、

電気小型運搬車標準仕様書、

電気自動車用電動機標準仕様書、

電気自動車用制御装置並付属器具標準仕様書、

電気車動力用蓄電池標準仕様書

電気自動車シャシ標準仕様書には次のように記載されている。

「自己積載の蓄電池を電源とする電動機に依りて、走行する 電気乗合自動車用(電気貨物自動車用)に適合するものにて 構造堅牢、取扱簡便且つ安全なるものとす。 

 「走行速度は前進 4 段以上、後進 2 段に変化せしむることを 得るものにして、水平舗装道路上に於ける速度は下記を標準 とす。 常用速度(定格加重のとき) 毎時 20km(市内の場合) 最大速度(空車のとき) 毎時 40km

(戦前の国産電気自動車  森本雅之 稲森真美子(東海大学)より引用)

とはいえい、これれの標準仕様を、デンソー号は受け継いでいない。

20191210初出

20191211加筆

20191213加筆

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時々思う事

私は、時々、こんな事を聞かれる

「まだあの車乗ってんの?」

「はあ(ココハ、ヒマラヤサンケイの様に気の抜けた「はぁあ」である。)」

(内田百閒先生の阿呆列車参照の事w)

大体あきれ顔に「へー」で、

「クーラーとかついてないでしょ」と来る

「ないねぇ」とそっけなく答える。

「年間どれぐらい乗るの?」

「1000キロぐらい・・ここ数年、700キロぐらいかな」

ここでさらにあきれた風に

「なんで持ってるの?」

「さぁ、なんでだろう」

・・・・・

ここで大体会話は終わる・・・

大抵は、あきれている。

でも・・・何十年持っていても飽きてない自分がここに居る。

ほかの車では味わえない楽しさがあるのだるだが・・・どうも理解されない。

オープンエアーモータリング

最初のオープンカーは親戚のトライアンフTR4だったと思う。

その時は小さかったけれど、何となく楽しい感じがした。

風景がい後ろへ飛んでいく。

人も、市電車(路面電車)も、バスも、トラックも・・・どんどん後ろへ後ろへ

楽しかったのである。

そうして、大学時代スバル450(外観360)を、親に黙ってこっそり買って乗っていた。

これも小さくてきびきび走って楽しかった。

彼女には不評で、遠くへ行くときは彼女のスターレットだった。

外国に行くと、レンタカーでオープンが結構あったりする。

オープンは楽しい感じがするのである。

でもである

夏は死ぬほど暑い

冬は・・・・これまた死ぬほど寒い・・・

冬は、革のロングコートを愛用していた(今でもあるがあまり着ない・・・)。

でも何となくワクワクする。

ワクワクする理由は・・・単に楽しい感じがするからだろう。

持ち続けている理由は、楽しいからという単純な理由でもいいのではないかと思うが、いかがだろう。

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トヨタスポーツの値段など

最近のトヨタスポーツの値段ていくらなんだろう?

私は、27年前なんだかんで200万円ほどで乗り出した。

でも数年で、ボデイの板金を行ったので、これで200万円

エンジンを壊しに壊したので、これで150万ぐらい・・・

ミッションのオーバーホールも2回もした・・・

最近は、ボロッチイのが、平気で200万円ぐらいしたりする。

コーションプレートと車体の打刻部分抹消書類で何十万とか言う値段もみたことが有る。

数十年前に、数万円で売っていたものだろうと思うが・・・

ある専門店では、500万円は当たり前であるらしい。

新品のデフが70万円という話も聞いたことが有る。

古い人(古くからヨタに乗っている人)は、安けりゃ買うんだがとおのたまう人が多い。

でも、安くは売らんだろうと思う。

以前、44の放置車両を載せたらわざわざ電話があった。

100万以下なら・・とか

年金生活で、金がないから・・とかのたまう人が多いが、そんらわざわざ買う必要性がないと思うのですが?

私より古くから乗っている・・いわゆる古い人は、感覚がずれていると思う。

レストレーションもせずに大事に乗っている人に多い。

最近乗り出した人は、比較的高価で乗りだしているので、あまり貧乏くさいことは言わない。

古い人は、繰り返しになるが、

「トヨタなら、○○円で出ていた」

とのたまう人が多い

「だったら、その値段で買ってこい」

と云いたい気がする。

壊れやすい筆頭のパーツで思いうかぶのに、ドアのインナードアロックがある。

オリジナルは、強度無視の設計である。インナ―ドアロックの製品自体がは、無理な嵌合なので、必ず外すと破損する。

金属のネジの部分に、硬質プラチックがかぶせて溶着してあるだけである。

折れて当たり前である。

ちなみにこれは27年前、190円ぐらいだった

自分で、20年ほど前に、このインナードアロックを製作したことが有る。

耐久性を第一に考えて製作を依頼した。

何回でも取り外しをしても破損はない。

金属の削りだし、メッキ加工、焼き付け塗装で、1本5000円

最低ロッド10本・・・・

頃消費税3%で、51500円・・・実費が1本5150円である。

でもこれを見た人が、別に作ったシートベルトアンカーを買うから2割引けと云った。

この辺の頭がおかしいと思う。

トヨタスポーツのパーツを作っても売れないと云事を良く聞く、勢い注文を集めてからということになるが・・・

まぁいい加減に、パーツは高いという認識を持ってほしいと思う。

タマに思うのは、そんなに金がないなら、止めたら?と云いたい

今のオープンを買えば良いと思うが?

ついでに言えば、トヨタスポーツに常時オープンでの乗っているのは何人いるんだろうか?

20171205加筆

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珍しく感謝

 先日、ツーリングに参加していただいている「Iさん」の車にヒーターが付いた。

 最初は、ヒーターは、未装着であったが、某S氏に頼んだところ入手出来て車へ取り付けることができたのである。

 ヒータなくて寒い!と云っておみえでしたので喜ばしい限りです。

 最近、パーツの製作情報が度々来るのですが、これも何となく買っておこうかなと云うものが来たりするので、散財の原因となっています。

 まあ、色々な手法には、肯首できない点が多々ありますが、他人の役には立っている点についてのみは感謝の辞を表したい。

 トヨタ自動車の生産廃止パーツの再生産は非常に厳しいと思う。

 以前は、チマチマとパーツを作ったこともあるが、最新の技術で作ったものの方が性能は良いのではないかと思う。

 20年ほど前に製作をしたトーションバーは問題がないようである。

 これは、試作品の試験をおこなったので、まるっきり赤字であった。

 また、トヨタスポーツとパブリカのトーションバーの左右が反対だという事も製作過程で判明した。

 シートベルトアンカー、インナードアロックなんかも作りましたが、ほぼ原価での販売で自分の使った時間経費を考えるとほとんど赤字でしたねぇ。

 まぁ後悔はしてませんが。

 まぁ、トヨタスポーツと2000GTに関していえば、専用の修理工場を立ち上げてはどうかという意見も重鎮(豊田の一族)から出ているという情報もあるのですが・・・

 値段的にむつかしいのかなぁと云う気がしています。

 2000GTも商売的には成り立たないと思うし、トヨタスポーツも高田2800台程度の生産台数である。

 先日完成したトヨタスポーツの費用は、千万を超えている。

 予算の出どころがあるからできた企画である。

 パーツの再生産の費用等(設計代等含めて)も、試作品の製作に近いもので1個で何百万円である。

 以前、トヨタの関連会社でトヨタスポーツを復元したときのトータルの費用は、数千万円である。

 その時の、新聞の字ずらは、「技術の伝承」という言葉が使われている。

 パーツの単品生産で請求額がどんどん加算されて行くという事である。

 ジャガーのEtypeの完全リプロダクションが、28万5000ポンドである。

 Etypeならクルマも多いし、需要はあると思う。

 新車のEtypeに乗ってみたい気もする人は多いのではないのだろうか?

 フロリダ、サンフランシスコで、Etypeの中古車屋を見たときに車の多さに驚いたことが有る。

 以前、356のカーンポルシェと云うものがあったがこれも結構なお値段がしたと思う。

 例えば、トヨタスポーツの完全リププロ品が、2500万円と云ったら買う人が居るのか?

 2000GTが、6000万円とか言われて買うう人が居るのか?

 という疑問がある。

 それに、トヨタスポーツのパーツ数に比べて、2000GTのパーツ数はけた違い多い。

 まぁ、でも期待しないで待ってみたい気もする。

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ドアなど・・・

たまにはトヨタスポーツの話などを・・・

実は、先日のツーリングで、鍵穴に鍵が入らなくなりまして・・・・

焦りました。

帰宅後気になったので清掃をしてみました。

でも、掃除して何かが詰まっている感じはない。

すると、結論は、分解清掃注油するしかないかなぁ・・・と

ドアハンドルは、15年間ほどメンテナンスはしていません(ダメだろう・・・なぁ)

仕方なくインサイドプル、レギュレターハンドルを外して、タッピングビスを外して内装を外し

後ろ側の硝子ランを外して・・・

ドアハンドるを抜いてみた。

固定ピンを抜いて

キーシリンダ―を抜いてみると・・・

グリスがない?

とりあえず、ブレーキクリーナーで洗浄

なんかひっ架かる感じがするので、キーの表面を磨いて・・・

モリブテングリスを投入

デモなんか入りにくい

仕方なく再度洗浄・・・・スラッジのゴミが・・・・・

砂?ゴミがグリスで固まったものが・・・出てきました(w)

もう一度、グリス入れて組直すと、今度はスコン!と入る

(この間、手がべたべたで写真撮れず・・・)

でシリンダーを組み込むと・・・・固定ピンがない・・・

床を探しても、出てこない。

仕方なく・・中古のパーツを使うかぁ・・・(新品の品あるはずですが、探すのが面倒)。

で、700の左ハンドル用のドアハンドルが出てきた(左のみある・・・)

Dsc_0004

見るとピンは、細い

Photo

使えねー・・・・と

仕方なくよく探すと工具箱に落ちていたので打ち込んで終わり

ちょっとした相違点を発見

UP10用

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上部につく樹脂製の蓋

Dsc_0012



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ちなみこのパーツの下から押し出せば簡単に抜けますが、上からは全く抜けません

ついでにドアトリムも交換

諸般の事情で、作らざるを得なくなり、余っていたので交換

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両面テープ止め

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ドア完成

Dsc_0017

ちなみ、三角窓のパーツは調整が面倒ですので動かしてはイケマセン

後ろの硝子ランは意外と簡単に調整できます。

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2017 SportTouring 雨っぽいです・・・

すいません、残業続きで、ブログの更新ができてません・・・

帰り遅くて、うち帰って、PC見てる間がない・・・

体調、悪いしね・・・今日も独り、ポツンと残って仕事してました。

最後に電気消して帰ると結構つらいよ・・・と

まぁ、ここ数年、極楽蜻蛉モードでしたが、転属先が・・・まあ・・・滞留して事案の処理で時間を取られれ・・・気が付いたら11月中旬過ぎてまして。

2件ほど12月初頭に、審議会が有るのでね、その資料作りです・・・

誰も手伝ってくれません・・・と云いうか、手伝える人が居ません・・・。

独りでやっているので・・どうも判断がいまいち・・

相談しても・・・・・好きにしていいよ・・と

まぁ、通常の業務もこなしつつ・・・片手間で・・・・全然片手間ではないのですが・・・

で、疲れてます。

はっきり言って。

昨晩、寝ようとしたら・・・暗い話を聞かされて・・・・

今朝は、朝から暗くて

同僚に、「どーしたの?」と云われるぐらい。

閑話休題

週末ツーリングですが・・・土曜日が午前中雨・・・・

日曜日が午後から雨ポイです・・・・

日ごろの行いが悪いのか(w)

土曜は、まあ、いいとして。

日曜日は、雨降りそうなら馬篭妻籠コースを止めて、瑞浪化石博物館観覧コースへ変更した方がいいかもしれません。

https://yahoo.jp/F_SNjp

実は、悩んでいる。

雨降りの山の中は走りたく・・・のです。

当然の様に、濡れ落ち葉が・・・・ねぇ

一応、雨対策でマスキングテープを買ってきました。

在庫がなくなったので・・・・

なるべく晴れるように、せめて、曇りで・・・と

乞い願うのですが。

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トヨタスポーツは、刺身のツマではない、と思うこと。

私は、トヨタスポーツの所有して、まだ27年目である。

うちの子は、生産後、51年が過ぎようとする今日この頃である。

途中で、車体の修理を全面的に行ったので現在も健在である(w)

1966年12月生産車輛である。

買ったのは平成3年である。

今までに、トヨタスポーツ以外に、浮気で買った車は、数台ある。

全部外車ですが、みんな短期で売却してます・・が・・思い出深いのは911(930)である。

基本、安い外車は、ろくでもないということである。

(930以降は・・・一応、友人に相談してからかうことにしたので・・買わなくなった。)

仲間内では公表できなかったというか、見せる暇がなかったが、ポルシェ911(930)を買ったことが有る。

普通の930であった。

仕事で、東京近郊に住んでいたので、そこそこ乗りました。

駐車場は、田園調布の外れに住む友人宅の庭に格安で停めさせてもらい、金曜日に名古屋へ帰るために使っていた。

私と彼女は、東京急行と呼んでいた。

親には内緒であった。

ほぼ毎週帰っていた理由は・・・まぁ・・ご想像に・・・

格安のポルシェであった。

お友達のFさんがターボルックに乗っていて欲しくなったのであるが、実際は、全天候型のクーペがほしかっただけである。

友人某のお兄さんの所有だったクルマで、車体が◎◎万円、エンジンが○○万円・・・

合計で、1◎◎万円・・・・一応、エンジンを積んでもらった後で、当時のミツワ自動車で整備をしてもらったが・・・高かったわぁ・・・・・ものすごく・・・エンジン代に匹敵する値段でした。

良い車であると認識はしたが、持ち切れない感が一杯であった。

ミツワ自動車の整備代は・・・20代のサラリーマンには無理であった。

それは、当たり前で、毎月数万円分のトヨタスポーツのパーツも買っていたので、家計は火の車であった(笑)

で、エンジンがほしいと云う爺さんに(爺さんに見えたが、50代だったそうである・・・)という人が居たので、友人に断って、かかった費用代プラス15%で引き取ってもらった・・・

1回目の結婚も控えていたし、職場的にもポルシェは・・・・、問題がありすぎであった。

で、引き取ってもらい、10か月ほどで楽しめたのは良かったなぁという感想があった。

で・・・ポルシェの話ではない。

今日の本題は以下の通りである。

「トヨタスポーツは、2000GTの刺身のツマではない」という事を云いたいだけである。

時々、トヨタスポーツを、2000GTのツマの様に扱う人が居る。

またそれを良しとする人が居るからたまらない。

2000GTのオーナーズクラブに恩?を売っているつもりなんだろうか?

元自動車メーカー在席だったS氏の主張は、「場所を借りるのに口利きを頼んできたから」

という事らしいが、トヨタ博物館のホームページを見れば誰でも申し込めることは判るし、事前にお願いするのであれば、アポイントメントを取ってから来館すれば済む話である。

逆に言えば、そんな発想もないのか?オーナーズクラブは?という気になる。

発売は、トヨタスポーツの方が早い。

発売時期から云えば、お兄さん格である。

コンセプトが出来たのも早い

それに、長谷川達雄とい元航空設計者と、関東自動車工業がなければ生れなかった車である。

規格製造の環境が似ている点では2類似点がある。

いずれもトヨタ本社から離れた関係工場で生産されている。

基本的な考えとしては、トヨタ自動車工業、ヤマハ発動機の2社がなければできなかった規格という認識に変わりはありません。)

トヨタスポーツは、航空機の様な空力に優れた車を望んだ結果生まれている。

2000GTは、ヤマハがなくてはできなかったし、トヨタでなければできなかった企画であろう。

ヤマハが委託を受けて試作した車両は、とにかく着座位置が高くて、スポーツカーとは言えない代物であった。

着座位置を下げることに腐心していたトヨタとしては、参考にならなかったとのことである。

(資料を読むと、河野さんの意見としては、総体的にダメという意見だった。

スタイル的にも、「垢ぬけていない」と断じている。

思うに、今見ても、どこかから持ってきたデザインの集合体で違和感を感じる。

何となく、ステイングレイのイメージを短縮したような感じを受ける。

確かに、座席位置が高いのか乗っている人が前かがみぽいところがある。)

しかし、生産を、ヤマハが担ったのは失敗であったと思う。

また、造形に対してプレスが抜けないと理由からか、基本的な鋼板を厚くした。

(当時、プレスのパーツが割れて使えないボデイパーツが山の様に豊田鉄工のヤードに積まれていたそうである。

 つまりは、生産性の悪さ、パーツの歩留まりが異常に悪かったのも原因の一つでもある。)

結果、生産性は悪い、講演会では、スポット溶接が出来ず、アーク溶接を多用したと云って見えた。

(鋼板が厚すぎでスポっット溶接が出来ないのでなくて、当時のスポット溶接機械が対応できない場所での接合が多かったということである。)

確かに重い

据え切りが困難なほど重い・・・

でも、デザイン性素晴らしい。

当時トヨタスポーツと2000GTは、コンセプトも、値段も、当時の購買層も含めて全然別ものである。

大体、販売チャンネルが違う

パブリカ店とトヨペット店では客層が違う。

以前、トヨペットの営業だった方に聞いたことが有るのだが、トヨタスポーツを見て、欲しいと思った人は、トヨペット店へ来る人もいたそうである。

親がクラウンのユーザーであれば、親が付いてきて・・・てなこともあったらしい。

一度、頼まれて、パブリカ店から1台引っ張ったことが有るそうであるが、メンテナンスが出来なくて困ったそうである。

トヨタスポーツよりも、コロナSを進めることが多かったそうである・・・。

考えてみれば、ほぼ同じ時代に居たからと云って・・・オーナーの階層は、そもそも論的に違う。

2000GTのオーナーから見れば・・・トヨタスポーツは・・・大した車ではないととの認識である。

ヨタのオーナーから見れば・・・・2000GTは、別格感がある。

でも・・・何となく違う

トヨタスポーツのイベントに、わざわざ、オーナーズクラブが自主的に参加することは無いだだろう(トヨタ主催のイベントは別である。)。

でも、2000GTのイベントには、シャシャリ出て参加をする。

しかも、オーナーズクラブではない。

現実的な扱いは、2000GTから離れたところに、ヨタ数台、セリカ(いたような気がする・・)

ぽつんと・・・

まるで、2000GTの見栄えを良くするための車(トヨタスポーツ)の様にしか見えない。

まるで、刺身のツマの様な扱いだなぁと・・・・

私は、そうは思いたくない。

大体、パブリカ主体のイベントに、トヨタスポーツが参加したら何となく違和感がある。

セダンの好きな人と、スポーツカーの好きな人は、車に対する考え方が根本的に違う人種だと思うのだが?

いすゞ117クーペとフローリアンのような関係で考えればわかりやすいかもしれない。

がわが違うという事は、車では大きな違いです。

また、2000GTは、別格である。

生産台数、価格、希少性とも各段の差がある。

だからこそ、何となく、トヨタスポーツを刺身のツマの様に扱うの見ていると、矜持はないのか?と聞きたくなるのである。

20171111初出

20171112 加筆

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2017 SPORTS TOURING 下見 あんど まつやまたかしイラスト展

今朝も、4時に起きて・・・・えんやこらと・・・下見

今日は、春日井ICから恵那ICまで、ゆるゆると走り・・・

岩村荘から馬篭宿まで・・・

https://yahoo.jp/m5iv8k

35キロ 1時間ぐらいの行程

馬篭宿から妻籠まで

https://yahoo.jp/TQWPLK

11キロ 25分ぐらい

で、帰宅

お友達の家に行くことになっていたので、恵那SAで仮眠

日進まで、ばひゅーんと

ちょっと、ケガをした人なのでお迎えに行き

TAMへ

リニューアル後見ていなかったそうなので、2階・3階をチマチマと

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先週から?ABフエートン

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新館2階のまつやまたかしイラスト展を見て、ダべリング終わり

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